拙速な教育基本法見直しではなく、「百年の大計」にふさわしい、深い教育論議を望みます

 今日、わが国の教育の現状については、誰しもが心を痛めており、真の改革のための深い論議が必要です。そうしたなかにあって、首相の私的諮問機関であった教育改革国民会議(2000年3月27日発足、以下「教育会議」と略す)の「中間報告」(同年9月22日)と「報告」(同年12月22日)を契機に、教育基本法改定の動きが本格化し、文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会に引き継がれました。

 マスコミによる批判

 この「教育会議」の「報告」について、朝日新聞は「波紋を呼んだ『教育基本法の改正』と『奉仕活動の義務化』は、表現を手直ししたものの、結局のところ、報告の核心として盛り込まれた。…基本法の見直し論も含めて『上からの教化』ともいうべき教育観で貫かれている」(2000年12月23日)と報じ、京都新聞も「同会議が発足した当初から指摘されたように、子どもや教育現場の実情認識や戦後教育の検証に多面性を欠いて、最後まで思い込みが先行した感は否めない。…提案内容に見るべきものがあるとしても、データ抜き、長年の改革への積み重ね無視で、言いたいことだけを言うというのでは、報告書の説得力は弱い」(2000年12月23日)と指摘し、マスコミは批判的です。

 日本ペンクラブも憂慮

 また、作家、文筆家の団体である日本ペンクラブの梅原猛会長は、「『教育改革国民会議』に対する憂慮」(2000年12月15日)という声明の中で、ペンクラブの意見がほぼ一致したものとして、つぎの二点を批判しています。
 第一に、教育基本法の示す理想は、「決して五0年や六0年で古くなるものではない」し、「日本の伝統のゆかしさを教えることと矛盾するものではない」と「教育会議」の議論を批判し、教育基本法の改定は「教育基本法と密接不可分な関係にある日本国憲法の改定という政治戦略の先棒を担ぐ危険をはらんである」と断じています。
 第二に、「小中学校で二週間、高等学校で一ヶ月間の奉仕活動を行い、やがて満一八歳の国民すべてに一年程度の奉仕活動を義務づけるという提案」は「将来の徴兵制への地ならし」ではないかと深い憂慮を表明しています。

 教育改革国民会議における教育基本法改定議論の拙速さ

 首相官邸のホームページで公開されている「教育会議」のふたつの「報告」と「議事録」を見ますと、その最大の問題点は教育基本法見直し論の拙速さです。

 第一の問題点は、森首相、町村総理補佐官(当時)、中曽根総理補佐官(当時)等による政治家主導の強引さです。
 町村補佐官(現文部科学大臣)は、戦後社会と教育の基本理念である平等、自由、権利等について弊害や問題点を語り、「日本人の軸を再構築する」という観点から教育基本法の見直しを訴え、「教育会議」の議論の基調をつくりました。森首相も出席の度に教育基本法の見直しに言及しています。また、中曽根補佐官は、「報告」をまとめあげる際に、「見直しについての取組を」と発言し、それが「報告」に盛り込まれました。これらは、明らかに教育基本法見直しの論調を誘導したものです。

 第二の問題点は、「教育会議」の論調が、教育基本法の性格を変えるような懸念を抱かせる内容に傾いていることです。
 教育学者の藤田英典委員は、「教育会議」の議論や提案は「教育基本法の性格そのもの」を変えるものであり、「一部修正あるいは補強」にとどまらないと指摘しています。
 また「報告」は、「伝統、文化なでの次代に継承すべきものを尊重し、発展させていくこと」を強調し、「家庭、郷土、国家などの視点」、「宗教的な情操を育むという視点」を教育基本法見直しの観点にあげていますが、これは明らかに教育内容に直接かかわってくる観点であり、「教育基本法の性格そのもの」の改変につながるものです。
 いうまでもなく、教育理念や教育内容を法律のうえで処理するためには、法律で取り扱わないことも含めて、慎重な議論が必用となります。「教育会議」の「報告」はとくにこの点で著しく疑念を抱かせるものとなっています。

 第三の問題点は、「教育会議」という私的諮問機関の討論がそのまま法制化されたり(既に「教育改革六法案」が国会に提出)、中央教育審議会の議題とされ、やがて法制化されるという、政策立案・法制化のあり方です。これはトップ・ダウン型であり、民主主義の原則から逸脱するものだと言わざるをえません。
 「必ずしも民意によって選ばれているとはいえない」(日本ペンクラブ声明)メンバーは、教育基本法をめぐる広範な人々の意見や、教育学の学問的成果などに謙虚に耳を傾けるべきでしょう。
 なお、「教育会議」の「中間報告」について寄せられた人々の意見は、約二000とそれほど多いものではありませんが、「積極的な意見と消極的な意見が拮抗しておりますのは、教育基本法の見直しについて国民的議論をという部分であります」(担当室長)と記録されています。賛否相半ばという状態のときに、「中間報告」の内容をさらに一歩踏み込んでいくというのは、常識的判断からしても考えられないことであり、拙速のそしりを免れません。
 したがって、中央教育審議会においては、教育基本法を議題とする場合であっても、このような「教育会議」の拙速な議論を踏襲することなく、慎重に深く教育論議をすすめられることを強く要望いたします。

 広範な人々による教育論議こそ重要
 教育基本法制定の背景には、天皇の治める国の民に鍛え上げること(皇国民の練成)を目的とした戦前の画一的で、軍国主義的な教育が、アジア・太平洋地域の人々に多大な犠牲を強いた戦争の一要因であったことへの痛苦の反省があります。民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献する日本国憲法の理想を実現する教育のために教育基本法が制定されたのです。したがって、それは教育に関する基本法であり、「教育憲法」ともいうべき性格をもつ法律です。学校や社会における教育問題が困難で先行きが見えにくい今こそ、基本に立ち戻り、汲み尽くされてこなかった教育基本法の理念や原理に注目すべきではなないでしょうか。
 私たちは、「教育は国家百年の大計」(「教育会議」第一回会議)という他の事柄とは違う教育の特質から考えて、教育基本法の改定議論には慎重にも慎重を期する必要があると考えます。
 私たちは、政府関係者が教育基本法の拙速な改定は一旦、棚上げにして、子どもたちの意見も含め、父母、教職員、マスコミ関係者をはじめ広範な人々による、現在と未来の教育に対する討論にまつことを切に要望いたします。

二00一年四月二七日

呼びかけ人
 鯵坂二夫(京都大学名誉教授)、井本伸廣(京都教育大学名誉教授)、大島亮準(京都府宗教連盟委員長)、岡部伊都子(文筆家)、小倉襄二(同志社大学名誉教授)、金子欣哉(元京都府教育長)、信楽峻麿(前龍谷大学学長)、茂山千之丞(狂言師)、寿岳章子(元京都府立大学教授)、鶴見俊輔(哲学者)、土橋亨(映画監督)、中西泰子(日本キリスト教婦人矯風会)、はしだのりひこ(フォークシンガー)、広原盛明(前京都府立大学学長)、吉田眞佐子(弁護士)、小林幸男(京都教育センター代表、立命館大学名誉教授)

賛同者(6月末現在)

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