立命館大学法学部教授団声明

わたしたちは、有事法制関連法の制定に反対し、日本国憲法の精神にそった平和のためのはたらきかけを求めます
 

 政府は、有事法制関連法案を4月17日に国会に提出し、連休明けから本格審議に入り、今国会でいっきに成立させようとしています。今回のものは、武力攻撃事態法案、自衝隊法改正案、安全保障会議設置法改正案からなりますが、特に武力攻撃事態法案は有事法制の基本方針や個別法制の整備項目を定めた「包括法」として性格づけられるもので、今後引き続き提案される関連法案の骨格をかたちづくる第一弾です。有事法制は、「小泉首相が昨年9月の所信表明演説で「有事法制の検討を進める」ことを明言したさい「いったん国家、国民に危機が迫った場合に、適切な対応をとり得る体制を平時から備えておくのが政治の責任です」と述べたことからわかるように、平時ではない戦時を想定するもので、戦時法制と言い換えることのできるものです。しかし、非軍事平和主義に立脚する日本国憲法は、戦時を想定した国家緊急権の規定をもたず、戦時法制を予定していません。日本国憲法は、前文にあるように、「政府の行為によって再び戦争の惨害が起こることのないやうにすることを決意した」のであり、日本が「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」を実行し、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め」ることによって、「われらの安全と生存を保持しようと決意した」のです。
 小泉首相は「備えあれば憂いなし」と有事立法の必要性を説明していますが、中谷防衛庁長官が、日本を攻めてくる能力のある国があるのかという国会での質問に対し、3年から5年の期間では想像できないと答弁しているとおり、現在の国際情勢の下で、ある国が日本のみに武力攻撃を加えることは実際には政府も想定していないといえます。むしろ、政府がこの時期に有事法制の成立を急ぐことは、日本のみならず、周辺諸国を不信と不安に陥れ、軍縮と国際平和への努力に逆行するものです。@1999年には周辺事態法を制定し、日本「周辺」でアメリカが行う軍事行動に対する「後方支援」を可能としたこと、A2000年には米国防大学国家戦略研究所特別報告(アーミテージ報告)の中で有事法制の制定が要求されたこと、B昨年にはテロ対策特措法を制定して、「日本を守る」ためではなく、他国の軍隊とともに海外での自衛隊の軍事活動を可能とし、実際に自衛隊がインド洋などに派遭され「後方支援」に従事していること、Cさらにプッシュ大統領が「悪の枢触国」という仮想敵国をつくり、2002年は戦争の年になるとまで言っていること、などに照らせば、有事法制の制定は、アメリカが行う戦争に日本が参加するための国内支援体制を早急につくりあげたいからであると考えられます。すなわち、この法律を制定することによって、他国からの攻撃を防衛するためというより、実際には他国を攻撃するために、民間施設や言論まで動員される事態が想定されるのです。
 それゆえ、今回の三法案では、武力攻撃時だけではなく、「武力攻撃のおそれのある場合を含む」とし、さらに「武力攻撃が予想されるに至った事態」までを含めていると考えられます。この定義はきわめてあいまいなものであることがまず問題として指摘できますが、さらに、これまでの国会答弁でもこの武力攻撃事態が周辺事態法が発動される事態と重なりあうことが明らかになっています。このような事態を想定して、@自衛隊の「武力の行使」などを可能とすること、Aアメリカ軍に対する物品・施設・役務を提供し、アメリカと緊密に協力すること、B自衛隊の行動に対する法的制約を取り除くこと、C地方自治体が対処措置を実施しなかったときには首相が直接実施することを可能とすること、D財産権・職業の自由・思想良心の自由・表現の自由といった憲法の保障する基本的人権の制約を当然の前提とすること、E地方公共団体と指定公共機関の責務を定めると同時に包括的な「国民の協力」を定め、自衝隊への一定の協力を拒めば刑罰を科すこと、F「武力攻撃事態」の認定をはじめ国会ではなく首相に大きな権限を与え、閣議決定による「対処基本方針」は国会の事後承認で足るとすること、などが規定されています。これらは、戦時法制の基本的な特徴を示すもので、憲法の理念である平和主義、人権保障、地方自治、民主主義をはなはだしく蹂躙し、戦時体制づくりの第一歩にほかなりません。
 わたしたちは、「平和と民主主義」を教学の理念とする立命館大学の法学部に属するものとして、このような有事法制関連法案の制定に反対します。真に「我が国の平和と独立ならびに国及び国民の安全の確保」を考えるのであれば、戦争を遂行するための有事法制の制定ではなく、日本国憲法の精神にしたがった自主的な平和外交によって、国際社会の平和の確立のために努力することが最善の方法であると考えます。

以上

2002年5月7日

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