COS and School Meals: On the state intevention

COSは公権力による社会改革に一貫して反対しつづけた。社会改革の目標はコレクティヴィズムによっては決して達成できない。社会の「進歩」はコミュニティ(地域社会)におけるボランタリな活動を通じてのみ可能であるというのが彼らの立場だったからである*。社会改革は国家政策ではなくチャリティの固有の領域なのである。しかし、公権力による社会改革とそれによって生みだされた新しい制度環境に「浸透」をはかるのもCOSの戦略だったことに注意しなければならない。この点で、COSの思想と行動をよく示しているのが、学校給食問題である。

Vincent and Plant [1984]は、COSのなかでもBosanquet、Lochについては反社会立法論者であるととの指摘はあたらないとする。Bosanquetは国家の適正なリーダーシップを認めている。Lewis [1995]が指摘するように、これはCOSの内部における理想主義派と古典的政治経済学の信奉者との差異とみなすことができる。Vincent and Plant 96-97.

学校給食問題は、1880年代の半ばに、学費免除制度の問題とほぼ同じ時期に争点化しはじめた。学校給食にたいするCOSの態度は、学費免除制度にたいするそれとほぼ同じである。児童は両親の生活状態、生活態度の問題と切り離されて援助されるべきではない。児童だけを切り離して援助することはむしろ両親の責務感覚を後退させることになるだろう。児童の問題が両親の無責任な態度にある場合、児童にたいするいかなる援助も実効的ではないだろう。家族は社会の基本単位である。COSがもっとも恐れていたのは、この基本単位が道徳的に退化することで、社会全体の退化が進むことであった。1891年には学費免除の普遍化、すなわち初等教育の無料化がほぼ既成事実となっている。学校給食問題は、COSが懸念するこうした動きの中で生まれた政策争点であり、COSはケースワークの方法を用いたチャリティの援助を前提とした給食活動が望ましいと主張した。

1889年にロンドン学校給食連合会(London School Dinner Associarion)が結成された。連合会はロンドン域内の25,000人から60,000人の児童が給食を必要としていることを明らかにした。COSはこれに対抗するために独自の調査を行なっている。COSに共感をもつ学校委員会関係者の協力の下で、教師によって給食の必要性が指摘された児童にたいする調査が行なわれた。調査対象は限定されたものにすぎなかったが、COSはこれらの児童の多くは給食を必要としていないと結論づけた。無収入家庭の児童については家族全体が救貧法扶助の対象となることが筋である。両親に責任感覚が欠落しているケースでは、何もしないことが得策である。「そのようなケースにあっては、家族の連帯の原則を損なう援助を行なうよりも、親の罪が子供に報いる施策をとることが、社会の利益に資する」からである(COS 1893, 18)。学校給食をチャリティの原則によって提供すべきケースは、親が一時的に子供に食糧を提供できない場合だけである。Lochによると、学校給食は母親が子供の福祉を無視する動機を生みだす傾向がある[1910]。Helenやその他の女性調査員によると、本当の危険は家族を養おうとする男性の動機がごく稀薄だということにある。The Family には、学校給食などない方が望ましいとする女性の意見が掲載されている。なぜなら、学校給食があることで、夫はその分を飲酒に費やし、少ない家計がさらに圧迫されるからだという[303]。BernardもCOSがなぜ学校給食に反対するのかを1901年のレクチャーの中で説明している[L 63]。

これはCOSにとって孤高の闘いだった。ボランティア団体も国家もともに学校給食の促進へ向かって動きはじめたからである。1906年に学校給食法(Education [Provision of Meals] Act)が成立し、各自治体は学校給食導入のための特別税を導入することができるようになった。翌1907年には、学校保健法(Education [Administrative Provisions] Act)が成立し、すべての自治体に学校健康診断を行なう義務が課せられた。こうした立法改革に呼応して、ロンドン市議会(LCC)はボランティアベースの「ケア委員会」によって二法を執行することを決めた。ケア委員会のボランティアは給食の必要性があるとされた児童の家庭を訪問し、健康診断後に児童の母親と面談する活動を行なうものである。Lochはケア委員会の設置については、これを肯定的に評価し、これをCOSの影響力拡大のための重点戦略ターゲットとして位置づけた。

ただし、この戦略は必ずしもうまくいかなかった。ケア委員会の時間的、人的制約から、給食サービスの対象とされる児童と家庭にたいする十分な調査ができず、給食に代る有効な選択肢を提供することもできなかった。それでもCOSの評議会は給食サービスに関して大胆な提案を行なっている。これは公費による給食に(ワークハウスへの入所と類似した)「抑止効果」をもたらす提案だといってよい。給食においてはポリッジとミルクだけが提供されるべきである。その理由は、貧困家庭の親はこの種の食事を価値あるものとはみなさないであろうからである。また、評議会は給食サービスを受けるさいに積極的な親の関与を求めるべきだとした。すなわち、書面によるサービスの申請である。ケア委員会の多数派は、COSとは逆の方向へ動きだしていた。給食サービスは、すでに救援的なものというよりは、予防的な意味を帯びはじめていた。貧困家庭の児童にたいしては、栄養失調の兆候がなくても給食サービスが適切であるとの意見が大勢を占めるようになっていた。結局、COSはケア委員会の主導権をとることはできず(ケースワークの手法だけは踏襲されたが)、その見解は、老齢年金制度の場合と同じように、「反動的」なものとして孤立する結果に終わった。