第2回 立命館懸賞論文大賞 審査結果発表
佳作作品

「南側諸国の貧困の原因と解決」
大分県 県立大分舞鶴高等学校 3年 三嶋 絵理

二十一世紀はグローバル化の時代であるということをよく聞く。グローバルとは、世界的な、世界規模で、といった意味であるが、果たして今言われているグローバル化とは、本当に世界中で当てはまるのだろうか。「南北問題」、最近では「南南問題」とまで言われる、南側に多く位置する発展途上国と、北側に多く位置する先進国、または同じ南側に位置していながら、猛スピードで発展しようとしている国と、まだ足踏みをしている国との貧富の差の問題をそのままにしておいて、グローバル化を語ることはできない。今言われているグローバル化とは、先進国である北側諸国の観念であり、本当に世界規模での変化とは言い難い。そこで、南側、発展途上国といわれる国々の貧困の原因と、その解決法について考えていきたい。

一、貧困の根源
そもそも、このような南北の格差の始まりはどこにあるのだろうか。まず挙げられるのは地理的な気候条件である。おおまかにいえば、低開発問題は赤道の南北約三十度の熱帯地域に限定されているように思われる。発展途上諸国の降雨量は世界全体の平均より大きく、また干ばつも厳しい。そして、雨季と乾季があり、一年の多くの時期、洪水か乾燥に悩まされているのだ。年間平均気温も発展途上諸国の開発において、大きく影響しているといえる。多くの発展途上国が、年間平均気温摂氏二十度を超える地帯に位置しているのだ。その外側に位置する、トルコ、アルゼンチン、チリ、南アフリカ、韓国といった国々は中進国であり、この地帯に位置していて豊かな国は、石油により富を蓄積した国のみである。低開発のひとつの原因はこの熱暑と降雨にあるといえるだろう。この気候条件は発展途上国にとって、不平等なものであるのだ。熱暑は森林におけるバクテリアの活動を活発化させすぎる。摂氏二十五度以上では腐植土の分解速度は驚くほど速く、落葉し、腐植土が形成される速度を上まわる。しかし、本来の熱帯雨林は樹冠が高く、地面は日陰になり低温度が保たれる。このことによって腐植土が次々に形成され、熱帯雨林は豊かに保たれるのだ。しかし、農業が始まり伐採が進むと、日陰がなくなり、次いで腐植土層が消滅する。土壌構造は悪化し、保湿能力も失われて砂漠となっていくのである。このような土地では農業を行うのは難しく、充分な収穫を得ることができない。

次に挙げられるのが、植民地支配の残した傷跡である。ヨーロッパでは、他の地域では発達しなかった工業資本主義が発展した。利益を追求する、ということが最大の目的である資本主義が広まったヨーロッパ諸国は、市場を求めて海外へと目を向けるようになる。非ヨーロッパ諸国からの収奪なくしては、ヨーロッパの発展はなかっただろう。ヨーロッパ諸国は、アジアとアフリカ、ラテンアメリカ地域で征服者として振る舞い、不平等な貿易を押しつけた。その後、ヨーロッパ諸国は自国の利益のために植民地を工業原料供給地へと変えていった。全ての生産物はヨーロッパへと搾取され、奴隷として差別を受けた。南米のインディオたちは、ヨーロッパへと輸出する銀の採掘のため、銀山で過酷な労働に従事させられた。支配された地域の伝統的な権限や、地位制度の土台は壊れ、その地域の王や首長と、支配国からやってきた官僚の首がすげかわった。自足経済は阻害された。インドで発達していた木綿産業も、イギリスの介入により崩壊し、インドは完全に原料供給地へと変えられた。こういった植民地支配が、支配されている地域にとって自発的な発展を妨げたのだ。

三つ目に上げられるのは、世界が西欧化したことである。征服者であるヨーロッパ人は、植民地の文化は自分たちのものより全てにおいて劣っており、遅れている大陸の住民に対しては教化、啓発が必要であるという考えを持って疑わなかった。そしてありとあらゆる差別によって、支配地の住民にコンプレックスをうえつけた。その後西欧風の教育がなされた現地のエリートは、独立後も全てにおいて西欧志向をもつようになった。彼らは自国の最大の都市にミニ西欧都市を形成し、一刻でも早く自国を近代的憲法を備えた西欧社会に改造しようとした。彼らは自国の伝統文化を顧みることはなく、西欧化こそが自分たちの開発の目標であると思い込んでしまった。農業の重要性は無視され、国が豊かになる土台がないまま急速な工業化を推し進めようとした。また、進んだ医療技術のみを導入した。そのことによって人口は増え続け、農業が充分に発達していないために貧困にあえぐ人々も増えているのだ。このようにして世界中で西欧化の波が起こり、西欧の価値観が広まったために多くの問題が発生した。西欧化を目指すという考え方はもう好ましくない。なぜなら今先進国の人々の経済的に豊かな生活は、発展途上国からの収奪によって成り立っているからである。このまま西欧化を目指し続けると、国の中でごく少数の人しか利益を手にすることはできず、大多数の人が貧困に苦しむことになるのだ。

二、進行する貧困
発展途上国が抱える問題は数多い。まず第一に、土地問題が挙げられる。アフリカで問題になっているのは環境破壊である。アフリカでは伝統的に、移動式の焼き畑農業が行われてきた。森林を伐採し、その後火を放ってできた土地で耕作をするという方法である。この方法は、休閑期間が充分に確保されれば、アフリカの気候に適した、環境に対する影響の少ない合理的な方法であるといえる。また、この方法は耕作地がなかなか他の人と重ならないような、人口密度の低いところでしか思うような収穫は得られない。しかし近年の人口増加に伴って、休閑期間は徐々に短縮され、土壌の栄養分は消耗し、収穫量が落ちている。近代農法を取り入れて弱った地力を補うことはできる。しかし、アフリカの農民は依然として肥料や堆肥を使用しない古来の方法を利用しているのだ。つまり彼らは移動式農業という低人口密度に適した古来の方法で、増え続ける人口を支えようとしている。こういった矛盾がアフリカでの貧困を増大させているのだ。

アジアでは、土地相続のシステムに問題がある。アジアの多くの農村では、親が死ぬと、遺族に均等に財産が相続される。すなわち、世代が下るに伴って、どんどん一人当たりの土地は小さくなっていく、この現象はやはり近年の人口増に従って加速した。所有地面積が減ると、ちょっとした災害でも小自作農たちは大打撃を受ける。家族を養うことは難しくなり、雨が少なかったり、稲に病気が発生したり、家族の誰かが病気にかかったりすればたちまち生活は貧窮し、借金地獄に陥ってしまうのだ。そして借金の担保として土地を手放し、さらに事態は悪化する。小自作農には銀行は金を貸さないので、彼らは高利貸しのところへ行くしかない。借金は雪だるま式に増え、土地を取り上げられ、土地なし農民へと転落する。金を貸せるような大地主はますます強くなり、土地なし農民はますます増える、といった悪循環が続いている。また大地主たちが近代農法を取り入れ、トラクターや脱穀機などを使うことによって、耕作に必要な労働者の数は減り、土地なし農民の生活はまたしても苦しくなるのだ。

第二の問題は、都市問題である。これは農村の土地問題の後に起こってくる。土地なし農民たちが、仕事を求めて都市へと出稼ぎに来るのだ。農村にすむ人々にとって都市とは「特権の島」に見える。農地の生産性が低いことから、都市での生活はさらに豊かに見えるのだ。実際、発展途上国における農村住民の所得に対する都市住民の所得の水準は平均して二・五倍高い。また、政府の行政サービス、保健、衛生、学校、電気、上下水道などが農村には行き届いておらず、これらの十分な供給は生活の向上につながることを都市に出ていく人は知っている。しかし実際は、都市での生活は夢見たほど楽ではない。工業は思ったほどの労働者を雇用できなかった。近代部門は特権階級の利益に奉仕する経済制度であり、彼らは多くの賃金を受け取り、近代部門の産物を購入する。したがって、都市には人が溢れており、貧民には賃金のよい仕事はまわってこない。それなのに家賃や物価は高く、生活は厳しくなる。親が子どもを養えなくなり、ストリートチルドレンと呼ばれる路上で生活をする子どもが増え、万引きやスリなどの犯罪が増える。出稼ぎ農民は都市貧民となり、衛生環境の悪い場所でひしめきあって生活している。都市の平均賃金が高いのは特権階級が存在するからであり、その他大勢の利益はほぼないといっても過言ではないのである。発展途上国の経済は頭でっかちになってしまった。頭があまりにも大きいので、バランスがとりづらく倒れやすいのだ。

先進国の工業化も苦難を伴わずに成功したわけではないが、その発展は緩やかに、先行階段を土台にして順調に成功した。しかし発展途上国では、先行階段すなわち農業が完成する前に表面だけ西欧諸国の模倣をし、発展プロセスは無視した。そして成功した西欧諸国を知っているばかりに忍耐強く待つことができなかった。発展途上国の内部では、過去西欧が行ったような支配が起こっているといってもいい。西欧化した特権階級が、そうでない人々を支配しているのだ。

三つ目に挙げるのはいちばん重大で避けられない問題、人口爆発である。これまでの歴史上で、ヨーロッパでも第一次農業革命以後人口増加は見られたが、今世界で起こっている人口増加より緩やかで、その時彼らはアメリカやオーストラリア、南アフリカなどに移民することで問題は解決した。しかし今は地球は満員でそういった解決策は望めない。人口爆発の原因は出生率の上昇ではなく、死亡率の低下である。人口増を現在の破滅的な水準まで引き上げたのは医学だった。第二次世界大戦後、発展途上国にも医療技術が浸透し、予防接種運動のおかげで幼児の死因となっていた疫病を予防できるようになったのである。こうして死亡率は瞬く間に下がったが、出生率は下がらない。貧しい地域では昔から幼児の死亡率が高く、夫婦は子どもが幼い頃に死んでしまうことを見越して、余分な子どもをつくる。子どもたちは当たり前のようにこれらのことを叩き込まれる。このように定着してしまった考え方から解放されるには時間がかかる。出生率を下げるためには、何世紀もにわたって深化し、定着した行動パターンから脱皮しなければならないのだ。

人口増に伴って、飢えの問題も深刻化する。「飢え」という言葉は感覚的で不正確である。発展途上国の貧しい人々の日常は骨と皮だけになり、餓死をするといったような劇的なものではないが、栄養が極端に足りないために肉体的、精神的に衰弱し、病気がちになり、死に至ることも多々ある。カロリーが足りないと、体は貴重なたんぱく質を体の組織の構成、更新のためではなく活動のための燃料として使わなければならなくなり、子どもの成長は止まる。それだけでは順応できないくらいまで栄養不良が進むと、体の組織を燃料として使用しなくてはならなくなり、幼児患者はしわだらけの老人のようになってしまう。生存の可能性は極めて低い。大人の場合深刻なのは貧血症である。野菜や雑穀を多く食べ、肉をほとんど食べない彼らの食事では、鉄分を十分に摂取することができずに貧血症になりやすい。特に女性にこの傾向は見られ、妊娠初期の場合胎児に与える影響は大きく、未熟児として生まれる子どもも少なくない。また、飢えとは常時食欲が満たされない状態をいう。このような状況下では労働における作業効率が大きく低下する。例えば、第二次大戦中、ドイツは炭鉱で働く労働者の摂取カロリーを二千八百カロリーから三千二百カロリーに引き上げるだけで、石炭増産が可能になることに気付いた。つまり、栄養不良者は作業能率が悪く満足に仕事ができないため、低所得の仕事しかないか、失業するかのどちらかなのである。低所得のため購入できる食料は少なく、貧困、栄養不良、労働能力不足の悪循環に陥っているのだ。このような人々の子どもの栄養不良は誕生時でなく、妊娠時に始まっていて、誕生時にはすでに発育が遅れているのだ。

このような問題を抱えている発展途上国において、私が今いちばん必要であると考えているのは識字教育である。ユネスコによれば、「識字」(LITERACY)とは、日常生活に必要な読み、書き、計算能力を持つことをさす。今世界中の成人で文字の読み書きができない人は八億八千万に上るといわれている。分布としては、アジア七十四パーセント、アフリカ二十パーセント、アメリカ五パーセント、ヨーロッパ一パーセント、オセアニア〇・一パーセントである。そして非識字者のうち六割以上は女性である。発展途上国には「貧困の悪循環」から抜け出せない社会構造が存在している。この悪循環を断ち切るひとつの効果的な方法が識字教育であると考える。この「貧困の悪循環」とは、まず貨幣経済、資本主義経済といった先進的な文化の急速な流入によって、ごく少数の裕福な人と、貧しい人、といった階層分化が起こり、裕福な人の仲間に入るには近代部門に対応できる教育を受けていなくてはならない。教育が受けられずに文字の読み書きのできない人々は、賃金の高い仕事には就けない。低所得のため子どもに教育を受けさせることができない、子どもはまた低所得者に、といった悪循環のことである。読み書き計算ができないと、物価と比較して家計をやりくりすることはできない。高利貸しにだまされて土地を取り上げられてしまうこともある。出稼ぎ先から家族に手紙を書くこともできない。つまり非識字者は社会的弱者になってしまうのだ。実際に非識字者は、男性より女性、国の多数派民族より少数民族に多いことがわかっている。社会の中で弱い立場にある人にほど非識字者が多い。これが貧困につながり、悪循環を生み出している。では、文字の読み書きができる、学校に行ける、ということが貧しい人々の生活においてどんな影響を及ぼすだろうか。まず、身近な知識を身につけることができる。特に女性の場合、こうした効果は実証されている。女性の識字率が高い国ほど乳幼児の死亡率が低くなっているのだ。人口爆発の要因として先ほども述べたが、発展途上国の女性はあまりにも若い時から多くの子どもを産む傾向がある。そして子どもが病気になっても適切な処置ができずに死を待つばかりである。しかし、教育を通して避妊の効果を知り、簡単に下痢を止める経口補水塩(水に砂糖と塩と溶かしたもの)の作り方を知れば、小数の子どもを大切に育てられるようになる。また、文字の読み書きができないことで差別を受けたり、日常生活で不自由をしていた人々にとって、文字の読み書きができるということは大きな自信となる。

今の発展途上国では、こういった初等教育が効果的になされていない。多くの発展途上国では、教育予算が初等教育より高等教育に重点的に当てられている。大学まで進めるのは、一握りのエリートのみである。国のリーダーとしての人材育成に力を入れているのだろうが、これでは富める者と貧しい者といった階層の固定化につながってしまう。農村には学校が少なく、教師や教材も不足しているため、多くの子どもたちが学校に通うのを断念してしまう。長い距離を往復するだけの時間的余裕は彼らにはないのだ。また、生活に密着していない外国の概念や情操を押し付ける教育が行われているのも事実である。苦労して学費を払い、学校に通っている子どもにまず教えなければならないのは生活の知恵であろう。そんな子どもたちにフランス語の詩の書き取りをさせたり、サルトルの観念のエッセイを読ませてなんになるのだろうか。貧しい農村で必要としているものは、栄養摂取と保健の改善方法、家族規模の制限の仕方、村民はどんな法的手段を持っていて、またどうやってそれを取得するのか、自分たちの農地や職場の生産性をどうやって上げるのか、といったことである。まずはこういったニーズに見合った教育が行われなければならない。

現在、ユネスコは「世界寺子屋運動」というプロジェクトを進めている。まず、地域に密着した支援をするために、目に見えない活動を行っている。教員の育成や、学校を建てる地域の人々の説得などである。そしてその後、学校を建設し、教材を継続的に支援している。この寺子屋では、使用言語は地域の言葉であり、識字教育のほかに、生産性の高い養鶏や織物などの職業訓練も行っている。こういった教育を国家が進めることができるようになると国内での貧富の差は狭まり、その国は発展していくのではないかと思う。貧困の根絶のためには、先進国からの援助も確かに必要ではあるが、発展途上国自身の自主性が最も必要であると考える。発展途上国は大きな可能性をもっている。だから、模倣するだけでなく自主性を持つことで、発展途上国は先進国にない強大なエネルギーを生み出すことができると思う。それは発展につながり、貧困の根絶にもつながると思う。

ここまで私なりに発展途上国の貧困の原因と解決法を考えてきたが、今ヨハネスブルグで行われている「持続可能な開発に関する世界首脳会議」では、ヨハネスブルグ宣言が採択により、各国が責任を負う姿勢が明確に示された。また、具体的な行動プランである実施計画も採択され、世界は前向きな姿勢であるといえるだろう。発展途上国も、二酸化炭素の排出量を減らそうと試みている国が多い。これは世界中が協力して現在山積みになっている問題を解決しようと動き出した証ではないだろうか。そして、近い未来、現在始まった取り組みは実を結ぶであろう。


【参考文献】
『第三世界貧困の解剖』 ポール・ハリスン著
【参考資料】

インターネット ユネスコ世界寺子屋運動について


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