第9回 那覇市(沖縄)
【開催日】
2005年6月17日
【講師】
翁長雄志 那覇市長
【テーマ】
万国津梁の精神とともに、イデオロギーの時代を超えて
〜ゴルバチョフ元ソ連邦大統領の招聘をとおして〜

第10回目の連続特別講義は、那覇市の翁長市長が「万国津梁の精神とともに、イデオロギーの時代を超えて」と題して講義した。
講義の冒頭、市長は那覇の言葉(琉球語あるいは沖縄方言)で自己紹介し、沖縄の文化の多様性についてふれた。
そして、日本の歴史とは異なる、千年にわたる沖縄の歴史について簡単に紹介した。
沖縄はかつて琉球国という独立国であり、中国をはじめアジア諸国との貿易で栄え、独自の文化を築いてきた。これは、「万国津梁」の精神に表されている。
しかし、島津が琉球侵攻し属国にされた。その後、日本本土より遅い廃藩置県で「沖縄県」となった。太平洋戦争(沖縄戦)では多くの人が死んだ。さらに、サンフランシスコ講和条約で日本本土は独立したが、南洋諸島は切り離された。1972年「日本復帰」するまでの27年間はアメリカの占領下にあった。
その間、B円やドルを使い、基地経済であった。米軍による人権の蹂躙もひどかった。
沖縄県民は「保守」か「革新」かイデオロギーの対立であった。沖縄が望んで基地を持ってきたわけでもないのに、沖縄人同士でいがみ合いを乗り越えたいと強く思った。
「唐の世からヤマトの世 ヤマトの世からアメリカ世 アメリカ世からヤマトの世」(中国、日本、アメリカ、日本と支配する権力による沖縄の世代わりを表した言葉)にもふれた。
しかしながら、今日に至っても米軍専用施設の75%が、日本の0.6%の面積の沖縄に集中している。
また、沖縄から南米やハワイへ多くの移民がいっており、その送金は戦後の沖縄を支えた。現在、世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会が沖縄で5年ごとに行われ、交流を深めている。
那覇市の取り組みは主に以下の3つである。
1.ゴルバチョフ元ソ連邦大統領の招聘
2.上海、台北、那覇の三都市交流の実現に向けての交渉
3.トランスフォーメーション(米軍の世界規模の再編)に際して、沖縄知事らとワシントンへ要請
1は、沖縄県民に冷戦構造が終わったことを示したかったと述べた。
2は、中台関係がうまくいかなくなれば、沖縄が巻き込まれる可能性が高い。両方と良好な沖縄としてできることをしたいと言う。
3は、国に任せておけば、沖縄ばかり負担させられることになるので、沖縄の声をアメリカに主張しないといけないと述べた。その度にアメリカからは日本の国内問題と言われ、難しさを感じるとも語った。
本来、外交は国がやるべき仕事ではあるが、沖縄の場合は地理的条件や基地問題などから切実である。沖縄の果たす役割をやっていきたいとした。
また、日本が高度経済成長をなしとげたのも、沖縄に安全保障を過度におわせたからで、しわ寄せの上にあやうい平和があることを自覚してほしいと言う。小さな沖縄に米軍基地が密集していることは、日本の、日本人の安全保障の問題であり、1人1人真剣に考えなければ行けないと強調した。
学生からは、米軍基地と自衛隊基地、米軍基地と経済、沖縄人のアイデンティティ、市民外交、観光政策、など幅広い質問が寄せられ、市長が丁寧に答える姿が見られた。
市長が講義の中で触れた沖縄の歴史について、簡単に年表を載せる。
1609年 島津が琉球を侵攻する
1879年 「琉球処分」を強行する 「沖縄県」へ
1899年 海外移民はじまる
1903年 人類館事件おこる
1944年10月10日 大空襲受ける
1945年3月末 沖縄に米軍上陸する
6月23日 日本軍の組織的抵抗が終了したとされる
9月7日 沖縄戦終了
1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約発効
→沖縄の施政権は日本から分離され、米軍の占領下となる
1953年 土地の強制収用おこなわれる
1978年7月30日 交通方法変更
1972年5月5日 沖縄の施政権が日本に返還される(日本復帰)
1995年9月 米兵3人による少女暴行事件おこる
10月 米兵の暴行事件に抗議する県民総決起大会に8万5千人集まる
知事事が米軍基地の強制使用に対する代理署名を拒否する
1996年 普天間飛行場の全面返還合意
基地問題で全国初の県民投票
2000年 沖縄サミット開催
2004年8月13日 沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落
*参考文献
新城俊昭・著 「高等学校 琉球・沖縄史(新訂・増補版)」 編集工房 東洋企画
・本日の講義の感想をお聞かせください。
「沖縄」についてはどこ1つとっても何時間も話せてしまう問題が多い。限られた時間で全体的なことは話せたのではないか。
沖縄の歴史や問題について細部はよく知らないと思うが、デリケートな話でもある中、学生はよく質問してくれたと思う。
・最後に学生へメッセージをお願いします。
日本を変えた人物、明治維新で活躍した人物は、皆30代で死んでいる。本気で日本を変えようと思ったら、なんでもできる。若いからと言って先延ばしにするのではなく、本気で何事にも取り組んでほしい。
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