立命館大学法学部ニューズレター1号

            
March,1995
ニューズレター発刊によせて
立命館大学法学部長 久岡 康成
 立命館大学法学部は、1900年5月19日に「京都法政学校」として発足以来、 94年数月、 1905年に名称を継承した西園寺公望公の家塾「立命館」の創始された1869年から数えますと、125年の歴史を、立命館大学とともに歩んできました。この間に法学部・大学院法学研究科で研究・教育に携われた諸先生、卒業生・学生の数と成果はまさに巨大であります。

 他方今日は、21世紀を目前に控えて、国際化・情報化がすすむ中、戦争や自然災害・巨大事故の問題、飢饉・食糧問題や疫病から麻薬問題、さらには資源・エネルギー問題、科学技術の進歩や教育の普及など多くの問題が、国の枠を超えた「地球市民」共通の課題となっていると指摘されてきています。人権問題、地球環境問題、国際取引問題など、法律学・政治学の領域での新たな学問的な展開・発展が、強く要請されているのは言うまでもありません。

 この様な状況に応えて立命館大学法学部では、国際共同研究や人文科学研究所等でのプロジェクト研究、大学院研究コースの充実発展等に努めるとともに、教育面でも学部5コース制の展開、大学院法学研究科での専修コースの展開、教員自己評価などの努力をしてまいりました。またこの間、学園としては国際関係学部の開設、びわこ・くさつキャンパスへの理工学部の拡充・移転、政策科学部の開設などが取り組まれています。

 私たちは、立命館大学法学部の学術研究を一層発展させるために、研究・教育の「客観化(自己評価)」・「開放化」に従来にも増して努力し、実務各界、内外の諸大学・研究機関、学問諸領域などの間での交流を深め、いわば大きなネットワークの中の一単位として、法律学・政治学の領域での新たな学問的な展開・発展に、役割を果たしていかなければとの思いであります。

 今回、改めて発刊いたします「立命館大学法学部ニューズレター」は、法学部・法学研究科や関連する研究会等を始めとして、法学部・法学研究科に属する教員、兼坦・兼任講師の諸先生、大学院生、学生、かって法学部・法学研究科に在籍された研究者、各界実務家等の皆様の活動や消息を随時に報告・紹介しようとするものです。法学部内の「ニューズレター編集委員会」で編集し、立命館大学法学部研究委員会・法学会で発行するという形で、まず第1号を発行することとなりました。関係の皆様のご理解を得て成長し、実務各界、内外の諸大学・研究機関などの間での交流を深めたいという、私たちの思いに役だってくれることを心から願っています。

(ひさおか・やすなり 刑事法)


目次

  
  • 製造物責任法あれこれ
    ―「国際消費者法日本セミナー」の報告を兼ねて―
    中井 美雄

      
  • 人文科学研究所での研究活動
    人文研専任研究員 生田 勝義

      
  • 知的所有権法部門における最近の活動と課題
    木棚 照一

      
  • 私の法律学の理論的研究と裁判遍歴
    ―学位論文への道程―
    吉川 義春

      
  • 近況報告 ――カナダ・トロントより
    中谷 義和


    製造物責任法あれこれ
    ―「国際消費者法日本セミナー」の報告を兼ねて―
    中井 美雄


     立命館大学法学部は、国際消費者機構(IOCU)、近畿弁護士連合会・大阪弁護士<会・京都弁護士会とともに、また、経済企画庁、国民生活センター、京都府・市の協力を得て、1994年8月2日から4日までの間、「国際学術交流・消費者法日本セミナー」を開催した。その統一テーマは、「消費者保護の国際的ハーモナイゼーション」ということである。製造物責任問題に代表される消費者問題、それにかかわる法的課題は、今日の世界的動向からして、単に一国内の課題だけではなく、多くの国に共通した課題となっていることから、異なった法の歴史や文化を持つ各国の学者・実務家・運動家が集まり、各国の抱える消費者問題についての相互理解と国際的調和の筋道を明らかにしようとしたのが、このシンポジュウムの狙いであったといえよう。その成果はいずれ報告集として刊行されることになるであろうが、私の参加した「製造物の安全確保と民事責任」部会での論議の紹介を兼ねて、わが国での製造物責任に関する雑感を述べることにする。

     このセッションでは、オーストラリア、スウエーデン、イギリスの消費者問題の専門家(シドニー大学デイヴィッド・ハーランド教授、スウエーデン消費者オンブズマン ニルス・リングステッド氏、イギリス消費者協会元法務部長デヴィッド・テンチ氏)の参加を得、これらの方々の報告と併せて、立命館大学からの吉村良一氏、大阪弁護士会からの片山登志子、関根幹雄、岸本達司各弁護士の報告を基調に、日本の製造物責任法の国際的位置、とりわけ、その厳格責任性の評価(開発危険の抗弁など)や証明負担の実情、製造物責任制度の採用がもたらす製品の安全確保への効用などが討議の対象となった。フロアーにいた外国からの参加者の発言で印象的であったのは、やはり「製造物責任」訴訟における具体的な手続きや制度の在り方に対する日本法の特殊性の指摘であった(例えば、日本には「証拠開示制度」がないが、 この制度のない製造物責任訴訟制度の存在は信じられない、 といった発言)。なかなかの盛会であったが、会場が手狭のため、参加された方々にご迷惑を掛けたのは残念であった。

     わが国においても「製造物責任法」の立法化の必要性が指摘され、それが具体的な形を取り出したのは、1975年10月の日本私法学会「製造物責任法要綱試案」を嚆矢とするであろう。1970年代後半において、国民生活審議会報告においても製造物責任法の立法化の必要性が指摘されていたことも事実である。爾来20年の歳月を経て、1994年6月に衆議院本会議、参議院本会議で可決され、同年7月1日公布、1995年7月の施行をまつ段階であることは周知のところである。

     わが国においても、製造物責任法の立法によって、「製造物責任」という厳格責任領域が法律上も認知されたことの意義は、この間の多年にわたる論議の経過をみれば決して低くはないであろう。それぞれがなお検討すべき課題を孕みつつも、「製造物」概念、「欠陥」責任であること、責任主体としての 「製造業者等」 概念、「製造物責任」の意義などを法的に明確にしたことは、これらの諸概念の規定とあいまって「製造物責任」が法律的に明確な位置を得たことを意味するであろう。

     衆議院商工委員会「消費者問題等に関する特別委員会」の審議のなかで、一委員が、先に挙げた「製造物責任法要綱試案」と「本法案」との基本的な差異如何という質問をしたのに対して、政府側委員は、大きな点はまず三点あるとして、以下のように述べている。第一は、「要綱試案」では「推定規定」をおいているが、「本法案」では採用していない点、第二は、「欠陥」の定義規定に関して、「本法案」では「通常有すべき安全性を欠いていること」となっているが、「要綱試案」では「製造物の通常予見される使用に際し、生命、身体又は財産に不相当な危険を生じさせる製造物の瑕疵」となっている点、第三は、責任主体の問題に関して、「要綱試案」では「販売業者・賃貸業者・運送業者」も含むことになっているが、「本法案」では、「製造業者」・「輸入業者」・「表示製造業者」に限られている点を挙げている。

    こうした違いは、「本法案」ではその規定の作成に当たって企業側の立場を配慮したものと受け取られるであろうが、こうした点について、それぞれ異なる立場からの論議のあったことを窺わせるに十分である。その他、「製造物」概念についても、成立した製造物責任法では、結局「製造又は加工された動産」と定義されることとなったが、審議の過程では、「不動産」や「血液製剤」についての論議が繰り返され、「製造物」の範囲についてもかなりの議論のあったことが窺える。こうした違いの評価は、今後の具体的な問題のなかで検証されることになるであろう。

     おそらく、製造物に関する責任の「厳格責任」化という趨勢は、世界的なものであろう。わが国の製造物責任法の具体的運用に当たっても、この基本を無視することはできないと思われる。わが国の製造物責任法についても、この観点からいくつかの問題点が指摘されていることも事実である。「欠陥」の推定規定を置かなかったこと、あるいは「開発危険の抗弁」(同法4条)を認めたことなどである。「欠陥」の判断基準ないし要素についてEC指令 (同6条1項) 並みにしたことは、1993年12月の「国生審」答申がかなり多様な判断要素を組み込もうとしていたのに比べれば妥当であったといえようが、被害者(消費者)が、損害、欠陥及び欠陥と損害との間の因果関係について立証責任を負うというルールは不変であろうから、被害者の立証責任の軽減という観点からすれば、「欠陥」の推定規定を置かなかったことはかなり大きな意味をもつものと言わなければならないであろう。しかし、この点では、われわれはすでに「ナショナル・テレビジョン発火損害賠償請求事件」(判時1493号29頁)における製品の「欠陥」に関する判断を有していることを明確に記憶にとどめるべきである。

     「開発危険の抗弁」にしても、その利用がもっとも多く予測される医薬品の場合を考えても、これまでのスモン訴訟にみられるように、医薬品製造業者の責任の判断に当たって、業者に非常に高度かつ抽象的な注意義務を課し、従来の不法行為責任の体裁をとりながらも、実質的には製造者に厳格責任(無過失責任)を課してきたという判例の流れを十分認識しておく必要があろう。

     ともあれ、製造物責任法は、わが国の民事責任法体系のなかで民法・不法行為法の特別法として大きな位置を占めるに至った。損害論(範囲論も含めて)や、証拠開示制度の創設、文書管理義務の問題、立証責任のルールの確立、鑑定制度を含めた第三者的原因究明機関の設置など製造物責任訴訟や紛争解決制度の在り方に関する未解決の問題はなお多い。これらは、日弁連や各消費者団体による専ら消費者保護を基本理念とする製造物責任法制定の動きと、「規制緩和」=「自己責任ルールの確立」のいわば「代償・補強措置」としての立法を意図する政府・経済官庁サイドの思惑とが、製造物責任法制定というところで一致し、政局不安定の状況下をすり抜けた結果でもあろうが、この法律の今後の運用に当たっては、これまでの不法行為法理や契約法理のなかで築き上げてきた蓄積を後退させることなく、消費者保護の理念、製造物責任の厳格責任性を貫徹することが肝要であろう。今後の具体的紛争事例に則した責任判断の動向を見守る必要がある。製造物責任法制定直後から、企業向けの製造物責任法の解説書や、製品の安全性確保に関する諸官庁の指導書・啓蒙書が数多く現れていることをみると、企業もこれを契機に「製品の安全性確保」に本腰を据えて取り組まざるを得ない状況に立ち至っていることは否定できないであろう。そのことだけでも、立法化の意義はあったかと思われるが、消費者サイドもその判断能力を磨かざるを得ないであろう。
    (なかい・よしお 民事法)

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    人文科学研究所での研究活動
    人文研専任研究員 生田 勝義



    1 第5期総合研究
     人文科学研究所での研究の特徴は、個別の専門分野を超えて学際的な共同研究を営むことにある。その最大のものは、いわゆる「総合研究」であろう。現在は、第5期総合研究であり、「世紀転換期における日本と世界」という統一テーマに5つの研究部会で取り組んでいる。5つの研究部会とは、法・政治部会、経済部会、経営・会計部会、社会・生活部会および文化・イデオロギー部会である。法学部教員は、それぞれの関心に応じて各部会の研究会に参加しているが、主要には法・政治部会への参加となっている。


    2 統一テーマの意味
     現在は、まさに激動期にあるといってよい。しかも、人類史的に見てもまた現代史的にみても変化の速度がますます加速しつつあるように思われる。
     今日では、この時代を突き動かしている基本的矛盾、あるいは時代の基底にある動き、を明らかにする作業が伴わなければ、ほんの短時日しか続かない「流行」に振り回されたり、折角の苦労も「砂上の楼閣」になってしまうというべきであろう(たとえば「日本的経営論」や「会社主義論」の対象とした現実が今の長期不況の中で急速に変えられつつある様を見よ)。
     「世紀転換期」のとらえ方については、「世紀の変わり目」という「形式的な時間」規定によるものと「時代が大きく変わりつつあるとの認識の表現」という「実質的な時代」規定によるものがあるが、両者を統一的にとらえていくことが重要である。そうすると、「世紀転換期」とは、この激動の時代に対応するものといってよい。より具体的な「時期」ないし研究対象については、一応の目安として、<80年代以降現時点までの十数年間>に新たに生じ、あるいはますます顕著になってきた諸現象を取り上げ、それらの中から<21世紀初頭につながる>動きを析出するということになる。
     激動の時代の「法と政治」を考察するには、学説ないし「理論」の展開方向を見定める作業とともに、理論の対象・実体をなす現実の法・政治、さらにはその基礎にある経済・社会の変動の方向を見定める作業が不可欠である。
     ところが、今日の理論状況を見ると、当面する個別課題への当面の対応というレベルでは創造的な展開も見られるが、時代の全体構造やその基底を明らかにするというレベルでは、一言でいえば、「混迷状態」ないし「産みの苦しみの段階」にあるといってよい。  したがって、現状では、前者での創造的な展開を整理しながら、われわれ自身が時代の基底についての仮説を立てることによって、個別的な展開の中からより一般的なものを明らかにしていく必要がある。この課題にどこまで迫れるか。2月24日〜25日には合宿を持つなど、最後の追い込みをかけているところである。


    3 法・政治分野の基本視角
     法・政治部会では、世紀転換期の法・政治の特徴を一応次のようにとらえ、検討を進めてきた。
     すなわち、一方では、「技術革新」に担われた「情報化」と「国際化」が、従来の社会構造を土台から変えてしまう勢いで進行しているが、それらは、「公的」機関・機構の政策により誘導・支援されつつも、基本的には「私的」なイニシアティブによって遂行されているため、弱肉強食のジャングルの掟への傾斜を強めている。法・政治の支配的潮流もそのような枠組みを保障するものとなっている。「情報化」や「国際化」は、人間にとって新しい発展の可能性を開くものでありながら、現実には人間性や環境に多大な負荷を与え、今やその限界を超えつつある。
     しかし他方では、女性や子供、「外国人」の人権など人権の拡大が国際条約によって進められ、人権意識・人権保障制度の新しい展開が見られる。
     本研究は、そのような現状から日本的特殊性と現代的普遍性を析出しながら、世紀転換期における法・政治のあり方を、「人権・民主主義・平和の追求」さらには「人間の尊厳の追求」という視角で検討するものである。
     第5期総合研究は、1994年度をもって3年間の共同研究期間が終わる。目下、研究参加者のところで担当部分の執筆を進めている。原稿が出そろったところでもう一度全体の構成を整え、1995年度中に成果を刊行することになる。


    4 法・政治分野の構成
     参考までに研究テーマの柱を示しておく。ただし、以下の章題は、研究対象分野を示すために仮につけたものであり、これからの編集段階で世紀転換期を語るにふさわしい魅力的なテーマにすることを予定している。

     第1章 
    市民社会と人権の現代的展開‥‥‥平野・大河・生田
      全体の「序論」を兼ねて展開する。市民概念、「社会内権力と人権」、市民法論、法解釈方法論の問題を含む。
     第2章 
    外国人の人権 ‥‥‥市川正人  「国際化」時代における国家主権の問題を含む。
     第3章 
    政治経済モデル間競争とジャパン・モデルの行方 ‥‥‥宮本太郎  政治経済モデルの諸相、スウェーデン・モデルの動向、日本モデルの行方
     第4章 
    日本型システムの転換―地方分権論の行方 ‥‥‥堀 雅晴  日本の行政過程と構造の特徴
     第5章 
    私的独占規制法制の動向‥‥‥瀬領真悟
     第6章 
    労働行政・労働法制の動向と課題 ‥‥吉田美喜夫
     第7章 
    サービス経済下の消費者問題と法‥‥‥長尾治助
     第8章 
    国際化と知的財産権‥‥‥木棚照一
     第9章 
    情報と人権 ‥‥‥生田勝義
     第10章 
    家族と社会福祉の法的課題‥‥‥二宮周平
     第11章 
    生命倫理と法 ‥‥‥松宮孝明
     第12章 
    環境と法 ‥‥‥吉村良一
     第13章 
    平和と新しい国際秩序
     終 章 
    世紀転換期の展望―権利論の動向と課題 ‥‥‥中井美雄
       以上 (いくた・かつよし 刑事法)

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    知的所有権法部門における最近の活動と課題
    木棚 照一


     1992年度までは、知的所有権法の分野に関する法学部における研究・教育体制は必ずしも十分なものとはいえなかった。教員の幾人かはこれまで知的財産法に関する論文や判例評釈を書いてはいたが、共同でこの分野の研究や教育に取り組もうとする雰囲気を残念ながらつくることができなかった。研究の面では人文研の総合研究などの中でこれらのテーマを扱う論文が散見され、教育の面では法政特講の中で私がテーマを絞って講義をしたことがあるにとどまった。しかし、日米の経済摩擦を契機にして、知的財産権摩擦といわれる現象が生じ、この分野における社会的な関心が高まってきた。また、21世紀に向けて情報通信機器および通信網の発展に支えられたマルチメデイアによる新たな産業・生活革命が予感される現在、知的財産権法の本格的な教育研究が現代的な課題の一つとして要請されてきた。従来から知的財産権を研究分野の一部として来た者の一人としてわたくしはこの部門の強化の必要を痛感してきた。法学部調査委員会におけるカリキュラム改革においても次第にこの点の共通認識ができつつあった。そのような状況の中で、この分野における研究・教育体制の充実の重要な契機となったのは、立命弁理士の会の渡辺三彦氏よりの知的財産権法教育を充実させるための寄付講座の申し出であった。
     立命弁理士の会とわたくしとの出会いは、校友会の機関紙におけるわたくしのインタビューを読んだ渡辺氏がわたくしに接触を求めたことに始まる。立命弁理士の会は、当時、立命における弁理士試験の受験者を増加させるために、弁理士や工業所有権に関する講演会を始めようとしていた。それ以来5年あまり、できる限りその講演会に出席し、弁理士の会の会員と意見を交流するようにした。その中で、大学における知的財産法に関する教育・研究がより充実されなければならない点についての共通認識が確認されていった。とりわけ、事務局長の渡辺氏とはいろいろな点で接点があることが確認された。
     1992年度中に法学部を中心とする関係者の協力で法政特講の2コマ(4単位)を知的財産法の講義に当てることが決定されるとともに、エクステンションの事業の一環として弁理士講座が設けられることになり、93年度からそれらが開始されることになった。講義は共同担当者3名で比較的詳しいシラバスや資料集を予め作成し配布したこともあってか、比較的多くの熱心な学生の聴講があった。わたくしは、できる限り他の共同担当者の講義も聴くようにしたので、大変勉強になった。弁理士講座の方も麻生特許庁長官が記念講演のために来校されたこともあって、大学の内外から予想したより多くの受講希望者があり、出だしは好調であった。
     94年度からは、知的財産権法の専門家である大瀬戸教授を学部に迎えることができた。これによって知的財産法の研究・教育につき共同体制がとれることが何よりも喜ばしく思われた。94年度は差し当り93年度から始まっていた千葉大学満田重昭教授を代表者とする文部省科学研究費グループ、国際交流「意匠法の国際的ハーモに関する研究」に大瀬戸、木棚の両名が参加しており、外国から研究者を呼んで国際シンポジュウムを開催することが予定されていたので、ここでの共同研究を中心に研究を進めることにした。研究会は11月8日(火)から5日間東京と京都で行われた。8日と9日の2日間は中央大学会館で日本デザイン保護協会の後援を得て同時通訳がついた公開のシンポジュウムが開催され、学界、弁理士や弁護士を含む実務界、特許庁意匠課、業界などから200名以上が参加して、なかなかの盛会であった。第一日目は、午後1時から満田教授の開会の挨拶の後、斎藤博筑波大学大学院教授をモデレーターとして講演形式でまず行われた。世界知的所有権機関(WIPO)副事務総長クルショ氏の「インダストリアルデザインの国際寄託に関するヘーグ協定とその改正」、EC委員会の意匠法関係の部長ポズナー氏の「意匠法に関するEC規則案」、中央大学助教授佐藤恵太氏の「GATT・TRIP合意における意匠保護と日本法」の後、休憩をはさんでわたくしの「意匠に関する国際私法上の諸問題」、横浜商科大学教授染野啓子氏の「各国意匠制度の概要」があった。若干の質疑応答の後講演会は閉会したが、議論は後に続くウエルカム・カクテルパーテイーにおいても続けられた。わたくしの講演についても、ライヒマン教授やクルショ副事務総長が関心を示し、個人的に意見や感想を聞くことができて有意義であった。第二日目は、10時から第1セッション「実体要件審査の将来」につきまずストックホルム大学教授のレーヴィン(Marianne Levin)氏の北欧諸国の法制度を念頭においた「私見による提言」から開始し、アメリカのバルチモアー大学教授のフライアー(William T. Fryer)氏の「アメリカの登録制度の将来」、佐藤助教授の「日本における実体審査制度」の報告の後、パネル・デイスカッションが行われた。午後2時から開始した第2セッション「登録によらないデザイン保護システム」では、まず、ミュンヘンのマックス・プランク無体財産法研究所の主任研究員クアー(Annette Kur)博士からイギリスを除いたヨーロッパ諸国における「登録によらないデザインの保護」と題する報告があり、ついでアメリカ法についてはアメリカのヴァンダービルト大学教授のライヒマン(J.H.Reichman)から、イギリス法については満田教授から報告があった後、日本法について大瀬戸教授の「登録によらないデザイン保護システム・・・著作権法によるデザイン保護」、福岡大学教授土肥一史氏の「日本における商品デザインの保護・・・不正競争防止法の観点から」がそれぞれ報告された。その後のパネル・デイスカッションでは、学者からだけではなく、意匠法の専門家の弁理士や特許庁の審査官・審判官からも種々の意見や質問が出され、充実した討論が展開され、午後6時過ぎに閉会された。10日の午後と11日の午前中に共同研究者のみの非公開の討論がフライアー教授の司会により湯島ガーデン・パレスで行われた。全ての参加者が英語で必ず何か意見をいうように義務づけられた。内容的には意匠法にも詳しい大瀬戸教授と予めかなり詰めた議論をしていたのである程度ノートをとり、理解することができたが、自分の考えていることが的確に英語で表現することができず、また、重要と思われるところで正確に理解できないなど、国際用語としての英会話の訓練の必要性を痛感した。
     12日(土)は立命館大学末川記念会館に場所を移して研究会を開催した。まず、午前中にクルショ氏に[WIPOとヘーグ意匠協定」と題する講演会を人文研との共催で開催した。この講演会の開催が直前になって決まったこともあって十分な準備ができなかったが、本学の学生、OBを中心にこの問題に興味をもつ多くの実務家、研究者の参加があり、活発な質疑応答があった。午後は、法政研究会と共催で共同研究者を中心に、特許庁意匠課の審査官、午前中の研究会参加者の一部を含むメンバーで主として英語による討論を行った。参加者の自己紹介の後、まず、モデレーターの斎藤教授からこれまでの討論のまとめと予定される論点について説明があった後、ハーモの目的、意匠の定義および範囲、無登録意匠権の法的性質、実体審査の現状とあり方について討論した。従来あまり考えたことがなかった意匠法についてかなり深く考え、討論する機会をもったことはこれからのわたくしのこの分野の研究にとって重要な意味を有するように思っている。共同研究者の一人でこの問題にも詳しい大瀬戸教授と絶えず議論することができなければ、わたくしのこのグループへの参加はきわめて困難になっていたに違いない。そのほかにも、知的財産権法に関するいろいろな新しい問題について情報を日常的に交換し、議論し会うことができる信頼できる研究者が身近にいることの幸せを強く実感している。
     1995年度は、大瀬戸教授と共同で「21世紀を展望した知的所有権法の研究と教育」という些か大きなテーマで科研費を申請している。これまでの立命館における知的財産法の教育実践の経験を踏まえ、新しい時代に即応した教育システムの開発とそれに適合する教科書の完成を目指すものである。不運にして科研費が認められない場合でも、できる限り早急に研究を開始する必要があるので、学内の研究助成を頂いて研究を始めたいと考えている。その点で学部の皆様のご理解とご助力を賜ることができれば幸いである。
     弁理士講座の方もエクステンションセンターの担当者の努力と立命弁理士の会や大瀬戸教授の協力もあってこれまでは順調に行われているようである。しかし、94年度より実施された二拠点の影響を受けて受講者が現実に当初よりかなり減少しているようでもある。そのこともあってか、一定数を割り込む場合には講座の存続を再検討しようとする動きがあるやに聞く。しかし、弁理士試験の合格者を増加させるにはある程度の長期にわたる関係者の努力が必要であり、そのような努力によって伝統が新たに創られるのである。現在の受講者の減少は主として二拠点になったことにあると思われるから、今後講座の開催場所、方法等の検討が必要であるとしても、その努力を財政的な面からのみみて中断すべきではない。一旦出来上がり、活動が本格化しつつあるものを中断すると、それを再構築することはきわめて困難になる。21世紀は知的所有権が一層重要視される時代になるであろうし、企業における特許部や知的財産部の比重が増大し、同時に、弁理士の数や質が問われる時代になるであろう。この点はぜひ本学の教学の発展に関する長期的展望に立って考えて欲しいと思う。講座の担当体制等についてもこれまでの経験を踏まえて、できる限り合格後時間が立っていない人を講師に迎えることなどを検討し、魅力あるものとするよう努められているようである。また、6月2日には特許庁の新しく就任された高嶋長官が記念講演のために来校されることになっているので、工業所有権法や弁理士に関する学生の関心が高まることが期待される。
    また、1996年の春頃に工業所有権法の世界的権威で親日家でもあるマックス・プランク無体財産法研究所所長のバイアー(F.K.Beier)教授を迎え、学部学生や一般企業、弁理士などを含む人々に向けた講演会や大学院生を中心とするセミナーなどを開催できればと考えている。94年度夏に集中講義などを予定しながら先生の健康状態が悪くなって実現しなかったが、3月にお会いした時は健康を回復されているように見受けられたので、ぜひ実現したいと念じている。先生のご来校は本学の知的財産法の研究・教育に大きな刺激を与えるであろうと考えている。この点についても皆様のご理解とご援助をお願いしたい。
    わたくしは、将来立命館大学の知的財産法の研究・教育分野が関西で、さらに日本で誇れるように充実されていくことを期待し、夢みているのである。
    (きだな・しょういち 国際私法)

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    私の法律学の理論的研究と裁判遍歴
    ―学位論文への道程―
    吉川 義春


     一 私の学位(法学博士)論文は「取締役の第三者に対する責任」です。これは商法のなかの会社法のまたその中の取締役の責任の一つを取り上げたもので、この研究を本年本学を退職されました塩田親文教授との共著で民商法雑誌に発表を始めたのは昭和39年からです。それに至たるまでにも既に数年を費やしてますし、それ以後も、多数の論文を専門誌や単行本で発表して研究を続けています。こうしてこのテーマに取り組んでからいつの間にかもう35年余の星相を数えてしまいました。
     では、どうしてこの問題をライフワークにしているのか。なぜいま学位かと問われても、これがよく分からないのです。
     二 私は昭和34年に司法試験に合格し本学法学部を卒業して、以後、司法修習生、大阪地裁判事補を振出しに同地裁、大阪高裁を中心に、各地裁、高裁の判事、裁判長などを歴任して、この2月までは京都地裁の行政部総括・裁判長を勤めていました。3月から旭川地方・家庭裁判所に所長として赴任しています。ところで、本学在学中は三回生のとき故人になられました大西芳雄先生の憲法ゼミ、そして、四回生のときは若き日の塩田先生のゼミに在籍させて頂いたわけです。その頃には末川学長もお元気で民法特殊講義などをお聞きしました。
     末川先生のあの「理想は高く姿勢を低く」という色紙は今も座右にあります。こうして本学を卒業して、大阪地裁に赴任したのですが、そこで、初めて担当したのが後に最高裁大法廷判例になった取締役の第三者に対する責任に関する事件だったのです。その当時はこのテーマに関する本格的な文献、学説も少なく、判例も混乱していました。これらの文献を読んでも、問題解決に程遠く益々混迷を深めるばかりで、困りました。そのうちに、この問題が近代市場経済の中心である筈の株式会社の本質と小さな八百屋まで株式会社とする現実の矛盾を反映したものであり、しかも、経済の浮沈とも密接に結びついた現代社会の重大な問題と深く関わっていることに気付き、この研究を続けたいものと考えるようになりました。資料集めや論文の草稿を執筆しつつありましたが、その頃に、このことを塩田先生に申し上げたところ、先生もこのテーマの研究をしておられ、是非研究を続けるようにお勧め頂いたものが出発点です。それ以後、先生から多数の文献の提供を初め様々なご指導を頂いています。まことに、学恩の深さは測り知れません。
     また、その後、本学に赴任されました志村教授、斉藤教授に種々のご指導やらご助言を頂きました。
     裁判官の仕事は多忙を極める神経の疲れる仕事の連続です。そのなかで、今日まで、この研究を怠りなく続けてこられたのはこれらの先生がたや民商法の研究会などで知己を得た諸先生がたの学恩と心温まるお励ましの御陰です。
     三 ところで、このテーマに取り組む私の研究態度は、常に深い基礎理論を念頭におきつつも、これをア・プリオリ的に論じ去り快感を味わうという概念法学的な方法を避けつつ、これをア・ポステリオリ的な方法による地道な研究を行い、その成果を踏まえて基礎理論を構築するという方法を取ってきました。それは、トーマス・クーン(Kuhn, T.S.)らもいうように社会科学、自然科学を通じこのような地道な営々としたパズルソルヴィングの反復作業を行う通常科学こそが、これを通じてその基礎理論ないしパラダイムを変革する原動力となると考えたからです。ビッグサイエンスといわれているものは、従前の科学的成果をどう説明するかという考えるための準拠枠であるのです(con-ceptual framework)。私は寡聞にして法律学の天才というのを聞きません。まして、かのエジソンでさえ「天才とは、1パーセントのひらめきと99パーセントの努力のたまものである」といっています。もっとも、N・R・ハンソンもいうようにわれわれの認識は、データーの蓄積とともに自動的に生まれるのではなく、そこに働く主体側の「解釈系」が重要でこれによって、異なった認識体系を生み出すものです。それゆえにまた、異なった知識体系や理論体系を造り上げることも忘れてはならないと考えています。
     四 このような方法論を取ってきましたので、気の遠くなるような大変な根気のいる作業が次々と出現し困りましたし、今も困っています。英、米、独、仏を初めとする比較判例法的な研究にも苦労しました。しかし、今日までこのような研究態度を支え励ましてくれていますのは、カントールのいう「すべて証明可能なものは証明なしに信じられてはならない」という真理へのあくなき探究心ですし、このような研究態度が末川先生のいわれる「理想は高く姿勢を低く」にも通ずるのではないかと考えています。
     五 こうして、馬齢を重ねていくうち現在では本テーマの研究者としては、もう年長者で白髪を憂うる身となりまして、この間書籍は二冊、雑誌論文は多数発表してきましたが、なお日暮れて道遠しの感があります。
     今回、学位論文(副論文)の執筆も超多忙の最中のこと、なかなか大変な努力を要しましたが、多数の先生方の学恩と関係各位のお励ましにより学位の授与を受けることができました。  最後に、この度の学位授与にあたり、ご多忙中骨の折れる審査の労をとって頂きました諸先生方に深く感謝申し上げねばなりません。
     以上申し上げましたとおり、私にとって、この学位の授与は研究すべき研究の一里塚となりました。しかし、学問の研究はこれで能事了われりということにはなりません。五十にして天命を知るといいますが、このテーマに取り組むのも天命と自覚し、生ある限りより深く研究を続け、本学の学位に恥じない立派な研究をしつつこれに相応しい人格の陶治を遂げて、天命を全うしたいものと考えているところです。
    (よしかわ・よしはる 旭川地裁家裁所長・判事/立命館大学法学博士)

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    近況報告 ――カナダ・トロントより
    中谷 義和


    94年の初秋にトロント大へ着任してから、 4カ月を過ごしたことになります。例年になく温暖な初冬をむかえ、クリスマスもグリーンに過ぎましたが、歳旦は新雪であけました。その後、温度は低いものの風は止み、少なくとも、松の内は、穏やかな日々を過ごすことができました。
    S・M・リプセットの『亀裂の大陸(Conti-nental Divide, 1989)』 にもうかがわれますように、北アメリカといっても、カナダには、固有の歴史もあって、やはり合衆国とは異なるものがあるように思えます。トロント市は、オンタリオ湖の北斜面にひらけ、対岸をニューヨーク州(合衆国)に接するカナダ最大の人口を擁する商業と大学の街の感にあります。「トロント(Toronto)」という呼称は、元来、「出合いの地(meeting place)」という含意にあり、古くから5大湖周辺の交易の中心でしたが、今日でも、いわば、世界の「出合いの地」の様相にあり、多人種都市にして、100カ国以上の言葉が飛び交う街となっています。日系人も多く、在留日本人を含めて、約3万人の日系人が住んでいると言われています。
    トロント大学は、カナダでも最も古い大学のひとつで、ダウンタウンのほぼ中央に位置し、政治学ではD・イーストンやC・B・マクファーソンの母校であり、アグネスチャンが留学した大学でもあります。トロント市の郊外にはヨーク大学があり、トロント大学と同様に、政治学の優れた研究者の多い大学となっています。
    トロント大学に来ることになりましたのは、かつて、哲学部のカニンガム教授の著書を訳し(『民主主義理論と社会主義』、『現代世界の民主主義―回顧と展望』)、また、94年夏に本学部の集中講義にお招きした間柄に負うものです。トロント大学では、哲学部の客員研究員として在任し、カニンガム教授の研究室を使いつつ、政治学部の大学院を含めて幾つかの講義に出席したり、図書館に通ったり致しております。トロント大の図書館は、収蔵図書の豊富なことで知られているだけに、日本にあっては隔靴掻痒を覚えることの多かった資料や図書を発見し、じかに借り受けるという便宜に浴しております。とりわけ、目下、アメリカ政治学史の整理にあたっており、19世紀末からの文献を必要とする作業にあるだけに、図書館の収書には大きな恩恵を受けております。 第31回日本翻訳文化賞の受賞の知らせを、出版社から、また事務長からは『朝日新聞』の記事をそえて受け取りましたのは、来加後まもない10月初めであったと思います。これは、B・ジェソップ『国家理論(State Theory)』 (御茶の水書房、1994年8月刊)の訳出に与えられたものですが、思いもかけないことでした。原書は、1990年に発刊されており、すぐに訳出に取り掛かったのですが、他の作業も重なったり、難解な論述と行論にもある大著だけに、遅々とした作業にありました。贈呈式は11月5日に国際文化会館(六本木)でおこなわれたとのことですが、メッセージの代読のお願いをもって欠席させていただきました。
    幸い、旧知の星野智教授(中央大)や友人の加藤哲郎教授(一橋大)、さらには、恩師の田口富久治教授(立命大)が紙誌に書評を寄せてくださいました。とりわけ、田口先生は丹念に訳文を照合し、訂正ないし適訳のメモ一覧をお送りくださいましたので、再版の機会には、検討のうえ正確を期したいものと念じております。
    北アメリカの諸学会は、クリスマス休暇中に開催されることが多いようですが、「アメリカ哲学会」(東部分会)も暮れの27日からボストンで開かれましたので、カニンガム教授夫妻と列席し、アンジェラ・Y・デービスの報告を含めて、幾つかの研究会に出席いたしました。学会終了日の31日の午後には、カニンガム教授の案内でコッド岬を訪ね、途中、プリマスにも寄り、「メイフラワー号」に約370年前の「旅人(Pilgrim)」の思いを偲んだしだいです。また、ボストンは、独立革命の発端の舞台でありますので、学会の合間に、“フリーダム・トレイル”と呼ばれる史跡を辿りました。その際に、「オールド・ステイト・ハウス」では、「ボストン茶会(Tea Party)事件」の「茶会」という訳語には、やはり、 誤解を招くものがあるのではなかろうかと思えました。 ともあれ、前任校では、在外研究を控えた年に本学に移り、また、移動後も、早くから在外研究のおすすめを受けておきながら、なかなか決断し得ずにまいりましたが、ようやく50歳を越えてから初めての在外生活を元気に過ごしております。9月20日頃には戻る予定にありますが、アメリカ合衆国の諸大学も訪ねたり、トロント大の図書館も活用しつつ、せっかくお認めくださった機会を有意義に過ごし、少しは、見聞と研究の成果も得たいものと念じておるしだいです。
    (なかたに・よしかず 政治学)

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