立命館大学法学部ニューズレター2号


July,1995

目次


1995年立命館・ケルン大学
― 国際共同研究の開催について―
大河 純夫


 本年9月18日(月)〜20日(水)、ケルン大学でケルン大学法学部との国際共同研究会が開催される。
 われわれとケルン大学法学部との間の学術交流には緊密なものがあるが、今回の共同研究会は、直接的には1993年9月に本学で開催された国際共同研究の継続でもある。
この研究会では、ケルン大学法学部のペーター・ハナウ Peter Hanau教授、イエンス・ペーター・マインケ Jens Peter Meincke 教授、ヴォルフガング・リュフナーWolfgang Ruefner 教授の報告にもとづいた研究がなされた(その内容は、立命館法学234号(1994年2号)273頁以下、Ritsumeikan Law Review No.9 March 1994 に再現されている。出口雅久氏が両学部の交流についての簡潔な整理を行っている)。

 今回の企画にはいくつかの特色がある。
 第一の研究テーマは、1993年の継続でもある高齢化社会における法の役割であり、今回は日本分析を対象とする。あらかじめ、
 
大河 純夫  「日本民法典における行為能力の制限」
 
鹿野菜穂子  「日本における高齢者の財産管理」
 
田村 悦一  「高齢化社会と公法--公法における高齢者保護の課題」
 
二宮 周平  「高齢化社会と家族--私的扶養の可能性と限界」
 
山本  忠  「高齢化社会と法--社会保障法の現状と課題」
 
吉田美喜夫  「高齢化社会における高齢者の雇用保障」

の6本のペーパーを用意するとともに、事前に作成されたディスカッション・ペーパーに基づいた研究会を開催することにしている(このスタイルは第二テーマでも同じである)。

 第二のテーマは、学術交流の対象を拡大することを意識したものでもあるが、環境問題での日独比較研究を行うことにしている。このテーマに関する立命館側の報告は次の内容である。

 
佐上 善和  「日本における環境保護と裁判の役割」
 
安本 典夫  「日本における都市環境の保全と形成」
村上 弘 「日本の環境政策と政治・行政・企業・市民」
松宮 孝明 「日本における環境刑法の現状と課題」
 
吉村 良一  「日本における環境問題と環境法の展開ドイツとの比較」
 以上の二つの研究課題は、ともに、高度に発達した資本主義国におけるアクチュアルな問題であり、双方の関心の高い問題だと思われる。さいわい、(ケルン)日本文化センター(清水陽一館長)・ケルン市の協力の援助を得て、両学部が協力して次の二つの講演会を開催することになった。開放が今回の企画の特徴の一つであろう。

9月18日(月) 19時〜
ケルン市庁舎会議室 Ratssaal での大学講座

         

 吉村良一教授+Hermut Krueger 教授
 「ドイツと日本の環境法  その強みと弱み」
 Staeken und Schwaechen im Umweltrecht:Ein Vergleich zwischen Japan und Deutshland」

      

ケルン市とケルン大学が共催する連続講演(Eine Vortragsreihe der Stadt Koeln und ihrer Uni.)の一部として開催。
9月19日(水) 17時〜
ケルン日本文化会館での講演会
 田村悦一教授+吉田美喜夫教授+Wolfgang  Ruefner 教授
  「高齢化社会の法的諸問題  日本とドイツの比較」
 Rechtsfragen alternder Gesellschaften;Ein Vergleich von Japan und Deutshland」

 今回の企画は、ケルン市・ケルン日本文化センター・ケルン大学東アジア研究所・T財団、国際交流基金・文部省科学研究費(国際共同研究)、立命館大学学術研究助成(研究集会区分)・立命館大学法学会(国際学術交流助成)・立命館大学人文科学研究所、そして京都市の温かい配慮と援助抜きには成り立ちえないものである。


 今回の共同研究についてのお問い合わせは下記あてになされたい。
 
〒603 京都市北区等寺院北町56−1
 立命館大学法学部共同研究室気付
 1995年立命館・ケルン大学国際共同研
究事務局(大河 純夫・山岐 知恵子)
 Tel 075-465-1111(代) 075-465-8177(直)
 Fax 075-465-8294(代)

                                             (おおかわ・すみお 民法)

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ヨ−ロッパ審議会寄託図書館誕生
薬師寺 公夫



ヨ−ロッパ審議会寄託図書館誕生 薬師寺 公夫 今年の5月19日、本学創立記念日に、立命館大学「アカデメイア21」内にヨ−ロッパ審議会寄託図書館がオ−プンしました。ヨ−ロッパ審議会は、チャ−チルらの提唱によりヨ−ロッパの統一を目的として1949年5月5日に創設された欧州の国際組織で、法律・行政・人権・経済・社会・文化・科学などの諸分野で加盟国間の調整と共同行動をとってきています。当初は10カ国で出発しましたが、最近では東欧諸国からも多数の国が加盟してきており、現在32カ国が加盟するヨ−ロッパの一大国際組織に発展しています。本部は、フランスのストラスブ−ルにあり、加盟国外務大臣により構成される閣僚委員会、加盟各国の議会議員からなる議員総会ならびに事務局から構成されています。EUとも連携・協力しながら活動を行っていますが、加盟国間の統合をめざすEUとは異なり、加盟国の主権を前提としながら各分野での調整・統一をはかるところに審議会の特色があります。立命館大学では5年前から審議会事務局と寄託図書館設置の交渉をしてきましたが、このたび審議会加盟国外では世界で初めての寄託図書館としてオ−プンしたものです。開館式には、ヨ−ロッパ審議会出版編集局長のジャン・アンドレ・チマラトス氏が列席し、「国際協調におけるヨ−ロッパ審議会とその役割−中・東欧における議会制民主主義導入後のヨ−ロッパ審議会−」と題して記念講演をおこないました。今後、審議会のさまざまの資料・刊行物が定期的に送られて来ますが、これらは一般に公開されます。
 審議会の資料・刊行物は、条約・協定、議事録、人権、法律、保健、社会、環境、人口、教育、文化・コミュニケ−ションなどと多岐にわたっていますが、加盟国に共通の法律・行政問題に関する資料がとりわけ豊富です。特に、ヨ−ロッパ人権条約は、その先駆的な実績とヨ−ロッパ人権裁判所の豊富な判例の蓄積によって国際人権規約の解釈にも多大の影響を及ぼしており、日本の法曹にも注目されるようになっています。また環境分野や刑事法などの分野でも最近の環境法制、刑事政策やそれに関連した諸報告など日本の法制を考える上でも参考になるものがたくさんあると思います。ヨ−ロッパ審議会寄託図書館は、国連寄託図書館と併設されておりますので、是非積極的にご利用下さい。     (やくしじ・きみお 国際法)

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法政研究会4月のイベント
山根 裕子


 去る4月17日、末川記念会館において、マルコ・ブロンカーズ氏による「EC法が国内法に与えるインパクト」についての報告会がおこなわれた。
 ブロンカーズ氏は、オランダのライデン大学や米国ミシガン大学等で、通商法研究者として活躍してきたが、現在は、ブリュッセルのトレニテ・ファン・ドルネ法律事務所に勤務し、EC法にかかわる事件をてがけている。著書はおもにGATT法およびECの通商上の保護措置をテーマとしているが、そのほか、知的所有権や、自然人・法人によるGATT手続参加についての研究等もあり、WTO(世界貿易機関)の紛争処理制度の発展への寄与が期待されている人物である。
 ブロンカーズ氏の報告は、EC法がどのようにして公共サービス分野に適用されるに至ったかについて多くの示唆を与えていた。EC裁判所の最近の判例と、彼自身のブリュッセルにおける弁護士としての体験をもとにしたものであった。
 従来EC裁判所は、市場統合のもっとも基本的な手段としての、労働、物資、サービス、資本の自由移動、そして民間企業へのEC競争法の適用に関するケースを扱ってきている。しかし80年代以降、国営の公共サービス企業へのEC競争法適用がふえているのが注目される。
 EC基本条約は、国営独占企業については、37条で加盟国間の差別待遇の排除(1項)および加盟国間の貿易を制限するような新たな措置の導入禁止(2項)を定めているほか、90条で、公企業に対する規制の運営についてとりきめている。90条1項は、6条(国籍にもとづく差別の禁止 旧7条)および85ー94条(競争法および政府援助措置)に反する措置継続あるいは新しい措置の導入を禁止し、2項は、1項の意味での規制が、「公企業の特定の任務の法律上、事実上の遂行を妨げない限り」、公企業がEC法上の規制、とくに競争に関する規則に従わねばならないという、非常に消極的なアプローチをとっている。したがって、EC競争法の国家独占への適用が、大変困難であったことは想像に難くないであろう。
 ところが80年代になると、国営公共サービス企業のありかたについての議論がさかんになる。それを背景に、EC裁判所の判決において、こういった企業に対する何らかの制限が明示されるようになった。
 これら国家独占企業に対する制限とは、大まかにいって次のように要約することができる。
 まず、独占公企業は、排他的権利を行使する場合にはその方法について正当化する必要があること。そしてこれらの企業は、消費者の需要を満たさなければならないこと。第三に、これらの企業は独占を新しい分野に拡張してはならないこと、である。  この分野におけるEC裁判所の判例は、現在も模索の段階にあり、確立しているということはできない。しかし最近の民営化の過程で、EC法からの観点が徐々に明白になりつつあることはたしかである。
 EC裁判所の判例には、政治的な配慮も反映している。たとえば、競争法の適用にあたり、電信・電話セクターよりは郵便サービスセクターへの適用の仕方が寛容であるのは、やはり雇用の多い後者への政治的配慮が働いているといえよう。  ブロンカーズ氏の報告においては、独占禁止法、政府調達および知的所有権分野での最近の判例が引用されていた。
* * *
 報告会では、知的所有権についての議論がとくに活発であったので、簡単に紹介しておこう。
 ブロンカーズ氏は、EC裁判所のごく最近の判決(95年4月6日。RTE and ITP v Commission,Joined cases C-241/91P and C-242/91P)に言及しながら、EC委員会とEC裁判所が、いかに国営テレビ会社RTEとITP(第一審裁判所ではBBCを含んでいた)が、テレビ番組情報の公開に関して独占的な地位の濫用をおこなっているかを示すことに熱心であったか、そしてなぜ上記の判決が、法務官の意見に反して採択されたのかを説明した。
 事件の背景は次の通りである。
 RTE、ITPおよびBBCは、日刊紙に対してはライセンスを無料で与え、テレビ番組とハイライト案内を日ごと(週末や休日の場合は2日分)に発表することを許可していた。ところがマギル社は、写真や注釈入りの包括的な週報テレビガイドを出版しようとしたところライセンスを拒否された。マギル社はBBC,ITP,RTEの許可なしに発行を開始したので、これら3社は著作権法違反のかどでアイルランドの裁判所にマギル社を訴え、差止めを求めた。同国内裁判所は3社の訴えを認め、差止めを命じたので、マギル社はアイルランド高等法院に上訴するとともにEC委員会にも調査を願い出た。他方アイルランド高等法院のほうは、週刊番組リストは、多大の労力、経験および技能が結集する創造物であり、同3社はアイルランド著作権法(1936年)にもとづく著作権の権利保有者であると認め、高等法院の措置が正当なものであるとした(89年7月26日)。
 ここで注目すべきことは、EC加盟国において知的所有権は国内法の管轄分野であり、その権利行為がEC条約30条・36条(物資の自由移動とその例外規定)、あるいは85条・86条(競争制限的行為と支配的地位の濫用の禁止)に顕著に違反しない限り、EC裁判所は管轄権をもたないことである。
 86年4月、マギル社は、BBC、RTE、ITPのライセンス拒否は支配的濫用を行っているとEC委員会に申し出た。そして長期間にわたる審議の結果、委員会も、第一審裁判所も、BBC、RTE、ITPのライセンス政策が差別的であり、支配的地位の濫用であるとした。後者二企業はEC裁判所に控訴したが、結局EC裁判所は第一審裁判所の判決を正当なものであるとした。つまりEC裁判所も、これらの企業が「消費者の潜在的需要が存在することが明らかであるにもかかわらず、ライセンスを拒否することによって、新商品の出現を妨げた。」とし、86条(支配的地位の濫用禁止)違反であるとみなしたのである。このケースでは法務官グルマン氏が,RTE、ITPのライセンス拒否は差別的であるとはいえず、知的所有権の当然の行為であって,EC競争法(86条)の適用にあたいするものではないとしている。同法務官意見は、ECにおける知的所有権と競争法適用条件に関し、興味深い見解を示している。
* * *
 知的所有権というEC法適用が困難な領域にEC裁判所があえて競争法を適用し、支配的地位濫用の存在を判示した理由のひとつは、RTEが国営企業であったから、というのがブロンカーズ氏の説明であった。国営企業の活動についての情報が消費者無視のライセンス政策に左右されるべきではない、というわけである。ブロンカーズ氏によれば、この判例は、EC法の適用対象が徐々に国営独占企業にも拡大されているという、最近の傾向を示すひとつの例であるということであった。
 知的所有権と国際取引については現在日本でも活発な議論が展開されている。たとえば最近の日本における並行輸入の特許権侵害については、ノルディカSPAのスキー靴、キャロウェイ社のゴルフクラブ「ビッグバーサー」、およびドイツの自動車部品メーカーのアルミホイル(東京高裁判決(ネ)3272.95年3月23日)等のケースがある。
 報告会では、知的所有権の国際取引上の問題点について木棚、大瀬戸両法学部教授が見解を述べられ、ブロンカーズ氏との間に比較をめぐっての大変興味深い討論がおこなわれた。
                    (やまね・ひろこ EC法)

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ハワイ州公務員のストライキ権放棄
佐藤敬二


 私は93年度後期から94年度前期にかけて在外研究の機会を与えられ、合州国のハワイ州に約一年滞在しました。私の滞在期間前後に、ハワイ州の公務員労働者のストライキ権をめぐって大きな事件が発生しましたので、簡単にご紹介します。  周知のようにわが国では、公務員も「労働者」であると認められる一方で、法律によって労働基本権が制約され、最高裁判所もストにより圧力をかけることが財政民主主義を破壊するとしてそれらの法律を合憲と判断しています。その際に論拠として、勤務条件法定主義論、市場の抑止力欠如論、国民全体の共同利益論、代償措置論を挙げていますが、この論理は、当時の最高裁の担当調査官であった香城敏麿氏が、当時の合州国においてウェリントンとウィンターによって主張されていた「政治過程歪曲論」を参照して作り出したことは有名です。ところが、合州国においてもこの論理は通説でないのみならず、実際には全米50州のうち13州がなんらかの公務員のスト権を承認しているのです(拙稿「アメリカにおける公務員の争議権保障ー1980年代の展開」季刊労働法153号)。

 この13州の中にハワイ州が含まれており、13州の中でも比較的早い時期、1970年の立法でスト権を承認しています。ところがこれまで、ハワイ州の一般職の公務員はストを行ったことがありませんでした。それが私の滞在中の94年に、初めて、16,300人の公務員が二週間にわたり賃上げを主たる要求としてストを行ったのでした。この時期を選んだのは、州知事選挙の直前であって、永年の民主党独占体制の中で生じた政治腐敗が次々と明らかになる中で民主党候補である副知事の当選が疑問視されていたことから、州当局が強い対処はできないという思惑があったのだろうと思います。私の滞在していたハワイ大学は州立大学ですから、ストを身近に経験する貴重な機会を得ることができたわけです。

 公務員のうちで「不可欠職員」はストができません。行政当局が各部局毎に、誰が不可欠職員であるかの実名入りで大きな新聞広告を連日掲載するのには驚きました。不可欠職員に数千人が指定されたと報道されています。ハワイ法は公務員に包括的にスト権を付与した法律として有名なのですが、実際にはかなりの労働者がストできなかったわけです。スト破りをする者もおり、結局、スト参加労働者は69%であったと報告されています。
 スト中のピケには関心しました。合州国では日本以上にピケは厳しく規制されており、公共の場で無言でプラカードをもって立っていることしかできません。ところがそこは労働者、工夫していました。幹線道路と駐車場へつながる取付道との交差点をピケ隊が歩行者として横断するわけです。そうすると、車は左折ないし右折ができずに駐車場には入れません。車社会ですから大きな効果があがり、道路は大渋滞になりました。また、連帯の意思が至るところで示されたことにも関心しました。ピケの現場でクラクションを鳴らして合図する市バス運転手や一般車両が多くみられました。ロースクールの友人でピケに加わった者もいました。教員も、法的に連帯活動は厳しく制限されていますが、最低限の職務しか行わないと言明して連帯の意思を表明していました。新聞・テレビは二週間、ストのニュースで埋め尽くされました。その中で、不動産売買が行えずに損失が出るので登記所が閉鎖されるのは迷惑だとか、公共図書館の閉鎖が迷惑だという個別問題についての迷惑報道はありましたが、一般的なストライキ迷惑論がないことも印象に残りました。

 ストは若干の賃上げ回答を引き出す中で終結したのですが、組合員からは強い批判が出ました。その内容は、もちろん妥結水準が不十分だということが中心ですが、それ以外にも、執行部と組合員との意思疎通がないこと、スト破りを多くだしたこと、他の公務員組合との共闘ができなかったこと、州民に広く支持と理解を求める活動をしなかったこと、スト過程で女性差別的対応が見られたこと等があげられ、組合員が執行部と州知事の政治に利用されたと結論づけていたりします。これらは日本に比べるとましなのですが、論点自体は組合運動を考える上で共通のものであると思います。ただしこれらの批判者も、スト自体は団結力を高め、自分達を強く賢く変えたものとして積極的に評価していました。

 私はこの段階で帰国したのですが、本稿を書いている段階でニュースが入ってきました。公務員組合側が主張して、自らのスト権を放棄する法改定を行ったというのです。資料が少ないのですが、internet を通じてハワイのネットにアクセスして調べた限りでは、ストを禁止して拘束的仲裁で紛争処理する内容の新法(案)が、4月に上院と下院を通過し、6月の時点ではまだ知事が署名していないため法律として発効はしていないが、委員会審議の中ではいずれの公務員組合も賛成の意思表示をした、ことが分かりました。これは、日本との対比で、公務員ストが迷惑論は少なく連帯活動は多く組合員自身もスト自体を積極的に評価している、との印象をもっていただけに驚きでした。

 ある文献によれば(Douglas Bierge, Hawaii Public Employees Give Up Right to Strike, June 1995 LABOR NOTES 6)、組合執行部は、現行制度では「不可欠職員」とスト参加者が分断される、市場の抑止力がないと主張しているようです。前者の問題は制度の不十分点として挙げられますが、その解決のためにスト権を否認する必要はないことです。後者の主張はまさに「政治過程歪曲論」そのものであって、これまで公務員組合が批判してきたことです。上の文献では、背景には、スト終結後に執行部が組合員からの強い批判にさらされたことがあるのではないかと推測しています。事態は組合執行部だけで進められ、立法会期終了後に始めて組合員に対する説明会を一部で開催したこと、組合員から全員投票の要求がでていることも述べられています。組合民主主義上の問題もあるようです。

 これらの問題を越えて、私の目には、合州国における紛争解決手段として労働仲裁の占める位置の大きさが写りました。合州国の紛争の約95%が、ほぼ全ての労働協約によって設けられている仲裁制度により処理されています。司法救済を求めるのはわずか5%の紛争にすぎません(これは集団的紛争を指してはいますが、合州国では個別的労使関係をめぐる裁判はほとんど存在しません)。合州国の様々な文献を読んでも労働仲裁の専門家に話しを伺っても、共通して、労使共にこの制度を強く信頼し支持しているとされます。日本法に親しんでいる私には、男女平等などの社会規範と法律に違反することも多い労働仲裁には不都合も多いのではないかと思われるのですが、合州国の労働者の目には現場での妥当な処理をすることに強い支持があるようです。公務員のスト権についても、放棄してもそれ以上の価値を労働仲裁に見いだしているわけです。あらためて、私の研究テーマである労使紛争処理の在り方についての研究を進める必要性を痛感させられた次第です。

(さとう・けいじ 社会法学)

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アメリカ大学事情(その一)
大久保 史郎


はじめに
 立命館大学と米国ワシントン D.C.にあるアメリカン大学(The American University ─以下、AUと略)とは、研究・教育の交流・提携を深め、92年より大学院レベル、昨年からは学部レベルでの デュアル ディグリー プログラム を始めています。このデュアル ディグリー プログラムは、4年ないし2年で学士・修士の学位を双方の大学から同時に取得できるプログラム で、日米教育史の上でも画期的なものです。さらに、双方から教員を派遣して、授業を担当する協定を結んでいます。文字通りの研究・教育の提携です。私は、その第1号として、AUの国際関係学部 (SIS: School of International Service) で学部・大学院の授業を担当しました。出発したのが93年夏で、その後、半年の研究期間をもらって、本年2月末、帰国しました。報告方々、米国での授業体験や昨今の大学事情、社会事情をお伝えします。

AUの授業
 担当した科目の正式タイトルは「United States and Japan」(学部)と「International Relations of Japan」(大学院)という、いわば日本の近・現代論です。実際には、私の専門の憲法に引きつけて、「戦後政治過程と日本国憲法」としました。このテーマの選択は、実は、湾岸戦争直後の91年秋に、AUで開催された国際シンポジウムに参加して、当時、焦点となって国連PKO (平和維持活動) に関する日本の憲法論争を紹介したことが契機になって、AU側から日本国憲法を焦点に、戦後政治に関する授業をもてないかという提案がでていたことが背景になっています。日本に関する関心は、かっての文化や歴史から、最近では、「経済大国」日本の工業技術水準への驚き、そして日米経済摩擦の報道が伝えるケイレツ (系列) や官僚政治の実態への興味にまで広がっています。
ところで、米国の大学では、詳細な授業計画(Sylabus) を学生にあらかじめ提示します。私の授業の概略は、T部(戦前):開国・明治維新→明治憲法を素材にして、戦前日本の国家構造、日本の近代化と戦争→敗戦への過程、U部(戦後):敗戦ポツダム宣言→占領政策・憲法制定→占領政策の転換・講和・安保条約→60年安保改定→高度成長→オイル・ショック、V部(現代): 現代日本の社会構造: 日本型企業社会、政治・政党、教育・警察、国際関係と日本の役割という構成です。

文献読了と質疑応答
 最初の授業で、学生に日本について見聞したことがあるものは何ですか、と尋ねたら、当時、封切りになっていた映画のRISING SUN (日本企業の進出と支配の下に起きた殺人事件の捜査もの: ベストセラーの映画化) や日本人の思想と文化の代表者としての MISHIMA (三島由紀夫) が挙がりましたが、日本の人口がどのくらいで、どのような生活か、という具体的な知識がまったくないと言ってよいことがわかりました。まず、日本の近・現代史について基礎知識を身に付けてもらうことが緊急です。日本の学生も米国の歴史や現状についてどれほど知っているかはあやしいという点では同じでしょう。
 では、どのように知ってもらうかです。アメリカの授業では、学生は、通常、毎回の割り当てた文献 (70〜100 頁) を読了して出席し、質疑応答を通じて、学んでいく形が通常です。ところが、私が問答形式の授業に慣れていないことや、そもそも、質疑の合間に、問題点を素早く簡略に説明するというのは私の言語能力の限界をこえることが当然に予想されます。結局は、明るく、楽しく、学生に接する以外になく、聞き取れない質問・意見は、すべて趣旨不明として、学生に問い返えす以外にないと覚悟することになりました。当地で助けていただいた元国務省の日本課長で、戦後占領史・日米外交の詳しい Richard Finn 氏に言わせれば、日本人の英語で悪いのは、意味不明の発言ではないかと意識過剰になり、話を止めることであって、「絶対、止めないこと。相手が分かったというまで、話し続けること」と激励(?) されて、授業が始まりました。

成績評価
授業は、いかにして学生に必要文献を読ませるか、そのための知的刺激をどのように与えるかが基本になります。その結果を学生のPaper や試験で確かめるわけです。私の場合、通常の試験の実施は、学生の悪筆を読ませられる結果をうみ、対処できなくなるおそれがあります。そこで、節目ごとに、課題を与えて、ペーパーの提出を求めることにしました。この三回のペーパーがいつ出題され、提出期限がいつかに学生がピリピリしていることが分かります。学生は、各学期、 4〜5 科目平均の登録で、いつ、どのようなスケジュールでテキストや文献を読み、ペーパーを作成することにかに追われます。そして、日本以上に成績には一喜一憂しています。成績が奨学金の給付にすぐ影響する事情もあるからです。 担当の際に助言されたのは、成績の評価基準とその配分を事前に明確にすることが学生から文句を受けない秘訣だそうです。私の場合、三回のペーパーの比重を、20%, 30%, 40%と設定し、10%が出席点としました。

教材準備
 アメリカ型授業では、教材や参考文献を大学側が十分に用意しておくことが必要になるので、学期前に、図書館や学生生協の教材販売部と十分に連絡をとっておかなければなりません。私の場合、適当な英文文献を用意することに悪戦苦闘することになりました。日本の政治・経済に関する英文文献としてどのようなものがどこにあるかを知らないからです。ライシャワー氏の日本史や日本人論が入門書として適切ですが、邦訳で読んだことがあるだけでした。ボーゲル氏の「Japan as Number one 」は現代日本論としてベストセラーになりましたが、これも邦訳を読んだにすぎず、原文では見ていません。内容は知っていても、原文でどのように表現されているかを知らなければ授業で使えません。自分が読んでいない著作を学生に割り当てるわけにはゆかず、教室での質疑に立ち往生する恐怖にかられることになり、代表的な日本論を大急ぎで読むことに追われました。部分、部分の資料のコピー配付も考えましたが、最近では、著作権の問題が厳しくなっています。教員が適当に判断して教室で使用することは、ほぼ絶対禁止になっていました。担当教員がゲリラ的に配付しようものなら、大学側が出版社から訴えられて、膨大な損害賠償を請求された事例が出ていたからです。
 そこで、私の授業が実質的に戦後憲法史であったことから、著作権がカバーしない公文書をコピーし、配付することにしました。帝国憲法・ポツダム・各憲法草案、講和・安保条約、各時期の政府見解等の公文書を教材に、各条項の意味、背景を質問し、解説しながら、進行するやり方をとることにしました。これは法律家的領域に学生を引き入れる方法にもなります。学生がこうした原資料を読み、自分の頭で考え、また、戦前・戦後の憲法を手掛かりにして、日本の政治・社会構造を理解することを期待したわけです。
 のちに、学生の力量を越えるという感想が一部の学生側からもでましたが、こうした戦前・戦後の日本政治の憲法的枠組み、とくに、九条平和条項の特異な誕生とこれをめぐる激しい戦後政治をへて、現代日本が形成され、いま、その転換期にあることを授業のメインに設定しました。93年秋の授業の開始そうそうに、ソマリア問題が発生し、米軍の精鋭部隊が現地のゲリラにもろくも敗退する事件など、国連PKO をめぐる難問が続出しました。紛争への軍事的解決に対する懐疑や批判はアメリカにおいても生まれていますから、その意味では、学生との緊張した議論にも出会うことができました。

レポートの課題−近代化と戦争責任
 三回のレポート提出を求めたと言いましたが、その一端を紹介しましょう。第一回目(戦前日本)の課題は「なぜ、いかにして日本は、19世紀後半のアジアにおいて唯一、独立と近代化に成功しえたか? この原因と背景を国内的、国際的の両面から分析し、さらに、この戦前日本の『近代化』の成功とその代償(戦争への道)を検討しなさい」というものです。大学院では、さらに、次のような課題も課してみました。「次のような見解がある。批判的に検討しなさい。『戦前日本の戦争への道は不可避であった。19世紀後半と20世紀初頭の帝国主義の時代において、日本は西欧列強の植民地化の脅威に対抗して、朝鮮支配の必要があった。次に、ロシアの脅威に直面して、朝鮮そして満州を支配した。さらに、西欧列強に抗して、自らの勢力圏を確保したら、第二次大戦に至り、結果として、敗戦を迎えたのである。』」

前者の戦前日本の『近代化』の功罪に関する学生のレポートは、インド・中国に比較した日本の地理的位置と条件、世界の植民地化の過程における歴史的幸運や、同質的な国民形成と「富国強兵」政策の成功を指摘するものでした。とはいえ、その後のアジア支配と戦争への道をめぐっては、学生間に意見の相違が生まれました。西欧帝国主義と同列において批判するか、そのなかでも、日本の支配と侵略の質的なひどさ、特異性をどのようにとらえるかです。アジアや第三世界出身の学生が帝国主義一般に厳しい意見をのべ、欧米出身の学生が西欧植民地支配と日本のそれとの違いに力点をおいたのも自然であったかも知れません。しかし、多様な出身の学生により構成された授業での討論は、予想以上に、緊張感あふれるものでした。もちろん、日本の近代化の過程を教科書どおりにまとめるだけで精一杯の学生もいます。しかし、『近代化』・『工業化』・『民主化』が相互にどう関連するかという論点などは、実は、私じしんが立ち入って考えなければならない論点であり、多くの学生が現在、直面している課題であることを実感しました。
  後者の戦争責任に関する問題は、単なる日本の歴史上の問題としてではなく、戦争責任一般の問題─例えば、ベトナム戦争の戦争責任─としても考えるように注文をつけました。非常に重い問題でしたから、選択した学生は少数でしたが、韓国出身の学生の厳しい、しかし、水準の高い戦前日本に関するレポートには感心しました。

学生助手
 ところで、米国の大学では、Teaching Assistant (TA) :助手が各教員に付きます。AUでは、大学院の学生が週8時間、教授の研究・教育の資料収集・調査や学生のassistをします。TAになると授業料が一部、免除になります。私の場合は、インドの宗教研究に関心をもつという修士の女子学生がTAになりましたが、通常と異なり、授業に出席してもらい、学生の理解できない点、質問をフオローしてもらいました。学生のPaper も読み、文章上のテクニカルな評価の助言を求めました。そして、各人に対する評価と講評 (コメント) を私が説明して、彼女が英文で簡潔に書くという形をとりました。彼女はSIS で一番優秀で、しかも、カンのよい学生でしたので、各人に私が言いたいポイントを実に巧みに表現するのには驚きました。TAの優秀さでどれほど、教員が助かるかを自覚した次第です。

学生の授業評価
 授業の終わりには学生評価が行われます。最終授業の終わり20分に、担当教師が退室したうえで、アンケート 調査の形式で行われます。質問項目には、期待する成績、授業の選択理由、授業に要した学習時間を尋ねたうえで、「授業内容に満足したか」、「担当講師は授業内容に精通していたか」、「準備を十分にしていたか」、「授業での討論が満足できるものであったか」、「成績評価は公平と思うか」、「学生の相談に親切であったか」等々の質問が続きます。さらに無記名での自由記述欄があり、すべて、私の所に届けられます。全体として、マズマズでしたのでホットとしましたが、自由表記欄に、私の「言語的能力が授業の理解の障害になったから、もう少し言語的能力を改善するべきである」という学生の助言にはまいりました。反省する以外ありません。この学生評価は、70年代以降に普及した制度で、賛否両論があるようです。アンケート の域を出ないと思いました。私としては、結果を受け取る時はさすがに緊張しましたが、学生の反応がわかり、参考になりましたし、学生の回答も真面目であると言う印象です。

アメリカン大学
 ところで、アメリカン 大学は94年に創立 100年を迎えたメソジスト 系大学ですが、宗教色はありません。国際関係学部SIS と法学部 (Law School) が主力 (?)です。国際関係でいえば、ジョージ・タウン大学 (カソリック 系大学の頂点に位置する有力大学) が、伝統的なヨーロッパ 志向、その意味で保守的なのに対して、AUのSIS は、第三世界 (中南米や中東、近年に アジアにシフトしている:立命との提携の背景)に強い国際関係学部として、国際関係の実務者養成に実績をもち、教授会メンバーも多様で、全米でトップクラスに入ります。立命館の平和と民主主義によく似合う大学だと思います。近年、交流が深まっている日米の大学交流の中でも、この立命館とAUとの学術提携は、が文字どおり、相互乗り入れの研究・教育の交流として、当地でも高い評価を生んでいます。情報化、国際化社会の到来の中で、情報・文化が国境・領域を越えて集積する大学や・研究教育機関の果たす役割が大きくなっていますし、とくに、現在の時代的転換期にあって、冷戦思考に囚われない次世代をどう育てるかが重要になっています。その意味でも、日本の大学との提携、協力は、とくに米国のアジア重視が強まる中で、大きくなっています。

 次回に、こうしたアメリカ大学事情を含めて、昨今の政治・社会状況をお伝えすることにします。
(おおくぼ・しろう 憲法)

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