立命館大学法学部ニューズレター4号

March,1996

目次


立命館大学法学部国際共同研究プロジェクト

事務局:出口雅久


1.プロジェクト発足の経緯
 わが立命館大学法学部は、ここ数年来、ケルン大学法学部およびフライブルク大学法学部と国際学術交流を積極的に推進してきた。そのきっかけは、両大学に数多くのスタッフが留学したことから始まっている。すなわち、ケルン大学では、中島茂樹教授、大河純夫教授、村上弘教授が、フライブルク大学では、畑中和夫教授、松岡正美教授、吉村良一教授、吉田美喜夫教授、また筆者自身も在外研究をした経験がある。現在の法学部における主要な研究関心として、とりわけドイツの大学との国際共同研究に重点を置いてきたのである。
 以上のような経緯から、ドイツの大学との双方向的・継続的な学術交流を促進するために、1993年9月初旬には、ケルン大学よりペーター・ハナウ教授(労働法・元学長・本学名誉博士)、ボルフガング・リュフナー教授(社会保障法)、イェンツ・ペーター・マインケ教授(民法)を立命館大学に招聘し、「高齢化社会と法」と題する国際共同研究会を開催した(詳細は、立命館法学234号参照)。また同時に、夏期集中講義においては、「外国人労働者の法的諸問題」を共通テーマにして立命館側スタッフと共同してリレー講義を開催した。いずれも日独において極めて重要な法的課題とされているテーマであり、とりわけ、立命館側にとって重要な情報収集の機会であった。
 また、同じく9月下旬には、フライブルク大学法学部より、マンフレート・レービッシュ教授(労働法・前学長・本学名誉博士)、ディーター・ライポルド教授(民事訴訟法)、ボルフガング・リュケ教授(民事訴訟法)、トーマス・ヴュルテンベルガー教授(行政法)、ライナー・バール教授(憲法)が来日された機会に、各先生方には法学会および国際学術交流会共催で連続講演会を開催していただいた(詳細は、立命館法学233・236・237号参照)。

2.プロジェクトの継続的推進
 上記いずれの研究会においても著名なドイツ人研究者を立命館大学にお迎えすることができ、わが法学部として国際学術交流を積極的に展開する契機となった。その後もケルン大学とは、継続的に学術交流を進めていく具体案が提起された。すなわち、ケルン側のコーディネーター役のハナウ教授から、まず第一に、「高齢化社会と法」について今度は日本側の現状をドイツで報告する機会を得たいとの提案があった。第二に、大学機関ばかりでなく、その他の研究機関やケルン市との関係(京都市は姉妹都市)を強化するために、両国で問題となっている「環境問題」についても公開講演会の形式で共同研究を行ってはどうかとの提案があり、立命館大学側としても、これを法学部教授会で承認し、早速、事務局体制を確立し、予算措置、研究計画の策定に入った。その後、1995年8月に、事務局担当の筆者がドイツ留学(フライブルク)のため渡独した機会に、当時ゲッチンゲン大学留学中の和田真一助教授とともに、ケルン大学、国際交流基金および独日法律家協会と現地交渉を担当した。立命館大学側では、大河純夫教授が中心となって事務局を取り仕切り、独文による報告原稿を作成するために数回に渡る準備研究会が開催された。

3.立命館大学法学部ドイツ国際共同研究
 立命館大学法学部としては、これまでのドイツの大学との学術交流の経緯から、1995年9月に予定された立命館大学法学部のドイツ訪問では、まずはじめにフライブルク大学において事前研究会を開催し、その後ケルン大学において国際共同研究会を開催した。以下、その内容について簡単に紹介することにする。
 まず、9月13日にドイツ入りした第一陣は、9月14日にフライブルク大学学長・レービッシュ教授を表敬訪問し、全員昼食会に招待された。同日午後は、ヴュルテンベルガー教授の公法研究所において、佐上善和教授が「環境訴訟と裁判の役割」について、吉田美喜夫教授が「高齢者の再雇用」について、田村悦一教授が「高齢者の保護」についてそれぞれ講演し、活発なディスカッションが展開された。当日の研究会はフライブルク大学法学部のご協力を得て、レービッシュ学長をはじめ、コーディネーター役のヴュルテンベルガー教授、ライポルド教授、ホラーバッハ教授(法哲学)、バール教授、ショッホ教授(行政法)、ブロイ教授(刑法)、ケーベル教授(社会保障法)ほか助手、留学生、ドクトランド、日本人研究者ら40名近くが参加し、これまでのフライブルク大学との地道な学術交流の成果であると感じた次第である。研究会終了後、立命館大学で二回にわたる夏期集中講義を担当されているヴュルテンベルガー教授宅に招待され、各研究者同士で懇親を深めることができた。
 翌15日午前中は、マックス・プランク刑法研究所にエーザー所長を訪問し、同研究所の運営・財政・研究体制についてお話しを聞くことができた。わが法学部としても、懸案の法律研究所の将来構想にとって非常によい参考になった。尚、エーザー教授は、本年4月8日に立命館大学で講演をする予定である。さらに、夕方には、シュバルツバルトの麓にある閑静なバール教授宅でお茶を戴き、フランク教授(民法)らも交えて将来の学術交流の在り方について懇談した。
 さて、9月16日はケルンへの移動日で、ケルン大学との国際共同研究会は17日からがスタートとなった。同日、ケルンで合流した第二陣、総勢16名でハナウ教授のご令嬢の案内でケルン市内を観光した後、ハナウ教授宅でお茶をご馳走になった。また夕方からは、ケルン市フィルハーモニーのコンサートに招待され、シンポジュウム前日は非常にリラックスすることができた。
 18日午前中は、ケルン大学においてシンポジュウムの準備研究会を開催した。午後からは、ケルン市による環境保護関連施設を訪問した。夕方、ケルン市庁舎において、吉村良一教授とヘルムート・クリューガー教授による「ドイツと日本の環境法−その強みと弱み」と題する公開講演会を開催した。当日は、120名を越える一般市民を加えた参加者が集まり、日独における環境問題の関心の高さが目立った。講演会終了後、ノルベルト・ブルガー・ケルン市長主催の歓迎会が開催され、姉妹都市京都からの公式訪問者として暖かい歓待を受けた。
 翌19日午前中は、前日の環境法のテーマについて佐上教授、安本教授、村上教授、松宮教授および吉村教授が個別報告を行った後、プリュッティング教授(民事訴訟法)、クリューガー教授を中心に活発な議論が展開された。午後の休憩を経て、夕刻より、ケルン・日本文化会館において「高齢化社会と法」に関するシンポジュウムを開催した。ドイツ側はリュフナー教授が、立命館側は田村教授と吉田教授が報告を行った。議論の中心は、日独における高齢者の保護、定年制、年金問題、再雇用等であった。日本文化会館は、改修中であったにもかかわらず、日独法律家協会会員,ケルン大学日本学研究所フランスェスカ・エムケ教授・R・ホイザー教授をはじめ、60名に及ぶ参加者を得て、日独において懸案の高齢化社会における諸問題について日独の文化論を交えながら積極的な議論が展開された。シンポジュウム終了後は、清水陽一館長のご好意により懇親会を設けることができ、日本学をはじめ、法律学以外の広い学術交流の機会を得る事ができたことは大きな成果であった。
 20日午前中は、ケルン大学において前日の「高齢化社会と法」に関して、大河教授、鹿野助教授、二宮教授、吉田教授、山本助教授、田村教授が個別報告を行い、ケルン側からは、リュフナー教授、ハナウ教授、マインケ教授らが議論に参加した。尚、今回のシンポジュウムの内容はドイツのカール・ハイマン社より出版される予定である。午後の休憩を経て、夕刻より、ノルベルト・ホルン法学部長(民法)、クラウス・シュテルン元学長(憲法)、ハナウ教授、プリュッティング教授、マインケ教授、リュフナー教授、クリューガー教授、エムケ教授、ホイザー教授等の参加を得て、大河純夫教授による「日本の法曹教育」に関する講演会を開催した。講演には、日本との学術交流を積極的に展開しているケルン大学側の代表が参加し、ディスカッションでは日独の法曹教育の相違点、とりわけ、プロフェッショナルとしてのドイツの法曹養成とジェネラリストとしての日本の法曹養成について議論が集中して行われた。講演会の終了後、ウーリッヒ・マッツ学長主催による歓迎会が開催され、立命館大学法学部とケルン大学法学部の学術交流発展について共通の認識を得ることができた。
 21日の最終日は、クリューガー教授とリュフナー教授のご好意で、ノルトライン・ベストファーレン州憲法裁判所・高等行政裁判所を訪問した。まず同裁判所長官のブレルトラム博士を表敬訪問し、同裁判所の役割について簡単な説明を受けた後、シュテルケンス博士が担当する行政訴訟を傍聴した。開廷前に、立命館大学法学部が傍聴にきている旨を訴訟関係者に告げ、いきなり行政訴訟の役割について講義をはじめたのにはいささか驚かされた。事件は、州政府と企業との間の燃料タンク設営の許認可をめぐる紛争であったが、証人の確保等で不十分な訴訟準備であった州政府側に対して、行政裁判所がきわめて職権的に訴訟指揮を行っていた場面を目の当たりにして、ドイツの裁判官の地位の高さ(行政官に対しても)を再認識させられた。後で事情を聞いたところによれば、州政府が訴訟遅延を意図的に行っていることが下級審段階から判明していたようであるが。夕刻には、バイヤー・レバークーゼンにおいて「ドイツ化学工業と環境保護」に関する講演会に参加し、同社の環境保護施設を見学した後、バイヤー・コンツェルン主催の晩餐会に出席した。
 以上が今回の立命館大学法学部によるドイツ国際共同研究の概要である。わが法学部から16名のスタッフが参加した今回の国際共同研究は、これまでにない規模と質のある研究会であったと事務局としては密かに自負している。しかし、研究会の開催に当たっては、言うまでもなく、楽屋裏で地味な仕事を引き受けていただいた方々のご助力を忘れてはならない。とりわけ、立命館大学側では、原稿の翻訳を引き受けて戴いたエンノ・ベルント助教授(経営学部)およびシンポジュウムの通訳・翻訳を引き受けていただいたジャクリーヌ・ベルント助教授(産業社会学部)に心から感謝の意を表したい。また、ドイツ側で通訳を担当されハンス・ペーター・マルチュケ博士にはシンポジュウムのオーガナイズを含めて大変お世話になった。期して感謝の意を表する次第である。最後に、立命館大学法学部の今後の発展を祈って今回の国際共同研究の報告を終えることにする。
  (でぐち・まさひさ 民事訴訟法)

目次に戻る
1994〜1995年度立命館大学商法研究会・自己評価報告書

志村治美


T,立命館大学商法研究会のそもそもの濫觴は、1968年の春に、当時の商法担当者であった塩田親文と志村治美と大阪地裁に赴任した吉川義春判事との三人で、塩田研究室でささやかに判例研究を中心として発足した。その後、会員数もじょじょに増加し、毎月の例会を持ちうるようになったが、研究会名はその発足の事情を反映して、立命館大学商法懇談会と称してきた。この間、『外国為替判例研究』や『総合判例研究・商業登記』等の著書を共同研究の結果として発表し、一定の成果を挙げてきた、と自負している。やがて1994年3月、塩田教授の定年退職により志村が責任者として就任したのを契機に、名称も立命館大学商法研究会と改称し、その内容も、従来の判例研究を踏襲するとともに、それに加えて、本学のプロジェクト研究費を与えられた「日・中・韓の三国の比較会社法研究」を併設して、研究会を継続することにした。したがって、本報告では94年4月以降の研究会を対象に採り上げることとする。

U,研究会の開催日時と内容・報告者
〔A〕1994年度研究会
1)1994年5月28日 (土)
  修学館第1研究会室(出席者15名)
  判例時報1479〜1484号所収・商事判例について	瀬谷ゆり子氏
 「中国の会社立法における取締役会について」	王    進生氏
2)1994年6月25日 (土)
   修学館第2 研究会室(出席者10名)
   判例時報1485〜1489号所収・商事判例について	志村  治美氏
 「韓国における一人会社の現状と設立可能性について」	 粱    東錫氏
3)1994年7月23日 (土)  
   修学館第1研究会室(出席者10名)
   判例時報1490〜1493号所収・商事判例について	永田   均氏
 「中国法の常識─日本の法の常識とはどう違うのか─」	小口  彦太氏
4)1994年9月14日 (水)
   修学館第1研究会室(出席者8名)
 「韓国第二次会社法案について」		李    範燦氏
5)1994年9月24日 (土)
   修学館第2研究会室(出席者12名)
   判例時報1493〜1498号所収・商事判例について	竹濱    修氏
 「法人組織の関係者の司法書士に関する意識調査」	後藤  幸康氏
6)1994年10月22日 (土)
   修学館第2研究会室(出席者7名)
   判例時報1499〜1501号所収・商事判例について	斉藤    武氏 
  「中国会社法における監査制度」		白    国棟氏
7)1994年11月21日 (月)
 末川記念会館第3会議室(出席者15名)
「現代中国法の立法と理論」	王   家福氏 肖   賢冨氏   梁   慧星氏
				崔   勤之氏   李     薇氏
8)1994年11月26日 (土) 
   修学館第2研究会室(出席者8名)
   判例時報1502〜1505号所収・商事判例について	 山下  眞弘氏
 「中国会社法と合弁企業法との適用関係」		 清河  雅孝氏
9)1994年12月17日 (土)
   修学館第1研究会室(出席者11名)
   判例時報1506〜1507号所収・商事判例について	 西尾  幸夫氏
 「コ─ポレイト・ガバナンス理論による監査制度」	梁    東錫氏
10) 1995年1月28日(土)
   修学館第1研究会室(出席者8名)
   判例時報1508〜1511号所収・商事判例について	伊藤  勇剛氏
  「合弁企業の現状と課題」			西村幸次郎氏                                 
11) 1995年2月25日 (土)
   修学館第1研究会室(出席者10名)
   判例時報1512〜1515号所収・商事判例について	 国友 順市氏
  「北朝鮮の改正合弁法について」		西村 峯裕氏
(B)1995年度研究会
1)1995年4月22日(土)
  修学館第1研究会室(出席者9)
  判例時報1516〜1519号所収・商事判例について	西尾 幸夫氏  
2)1995年5月27日(土)
  修学館第1研究会室(出席者12名)
  判例時報1520〜1523号所収・商事判例について	志村  治美氏 
 「中国土地所有権の動向」   渠     涛氏                                      
3)1995年7月1日(土)
  修学館第1研究会室(出席者11名)
  判例時報1524〜1525号所収・商事判例について	瀬谷ゆり子氏
 「担保としての会社資産」			 山下  眞弘氏                                      
 「投資家への開示」			 西尾  幸夫氏                                         
4)『日・中・韓における会社資金の調達と投資家保護』シンポジュウム
 A1995年7月15日(土)午後1〜6時
            アカデメイア21  中野ホ─ル
T,歓迎の挨拶   立命館大法学部長		久岡  康成氏
U,本シンポジュウムの目的と範囲		立命館大   志村  治美氏
V,担保としての会社資産			座長  立命館大   長尾  治助氏 
@)日本の場合   
         報告者  立命館大   山下  眞弘氏 
A)中国の場合 
         報告者  中国社科院 王    家福氏 
B)韓国の場合  
         報告者  成均館大   高    翔龍氏
         コンメンテイタ─ 北海道大   鈴木    賢氏
 B1995年7月16日(日)午前9時〜5時  
            立命館末川記念会館  大会議室 
W,株式社債発行会社に対する国家・第三者機関の審査    
				 座長  早稲田大   酒巻  俊雄氏
@)日本の場合     
         報告者  立教大     上村  達男氏
A)中国の場合     
         報告者  中国証監委  楊   志華氏
B)韓国の場合     
         報告者  成均館大    李   範燦氏
         コンメンテイタ─  京都大     龍田   節氏
X,投資家への開示     
           座長  立命館大    斉藤   武氏
@)日本の場合     
         報告者  龍谷大      西尾 幸夫氏
A)中国の場合     
         報告者  中国社科院  王   保樹氏
B)韓国の場合     
         報告者  全北大      崔   埃瓊氏
         コンメンテイタ─ 京都産大    清河 雅孝氏                                   
Y,閉会の挨拶   立命館大    志村 治美氏
〔出席者;学者80名,会社法務担当者30名,弁護士・司法書士等10名〕
5)1995年9月9日(土)
  修学館第1研究会室(出席者8名)
 「最近の中国商事立法について」		 王   保樹氏
6)1995年10月28日(土)
  修学館第1研究会室(出席者9名)
  判例時報1527〜1538号所収・商事判例について	永田  均氏
				斉藤  武氏                                                                                
7)1995年11月25日(土)
  アカデメイア21 K206号( 出席者8名)
  判例時報1539〜1542号所収・商事判例について                    山下  眞弘氏
 「中国的法観念についての覚書─民法通則132条公平責任原則の機能」
				小口  彦太氏
8)1995年12月20日(水)
 末川記念会館第3会議室(出席者18名)
 『韓国・成均館大・教授・院生/日本研修団を迎えての共同研究会』
@)「韓国商法改正作業の現状」                                      
					李    範燦氏 
A)「日本商法の改正動向」                                      
					志村  治美氏
B)「韓国会社法における会長の法的位」
					高    平錫氏
C)「日本会社法における代表取締役会長・社長」
					伊藤  勇剛氏
9)1996年1月27日(土)
 末川記念会館第3会議室(出席者10名)
  判例時報1543〜1548号所収・商事判例について		後藤  幸寿氏
 「北朝鮮における外国人投資法─中国法と比較して」	西村  峯裕氏

V,研究成果の中間まとめと今後の課題 1)われわれのル─ティン研究である商事判例研究については、ほぼ確実に、毎月の判例の検討をたゆまず行い、道野君の努力により判例カ─ドとしての配付は、欠席者をも含めての全員の学的資産の蓄積となっている。しかし、研究会における報告・検討の実質的内容は、やや単なる事例報告の域に留まっており、今一度初心に立ち返り、形式・実質両面での充実を図る必要がある。
2)ついで、テ─マ研究の方は、毎回、斯界の第一人者を報告者に委託し検討した結果、極めて密度の濃いものとなり、その成果の発表である1995年7月15・16日のシンポジュウムの開催については、中国、韓国を始め、日本では北は北海道から南は鹿児島にいたる各地の学者・研究者80名、会社法務担当者30名、弁護士・司法書士10名の計120名の参加をえ、二日間の熱心な討議を重ね大きな成果を挙げえたと確信している。この全報告および質疑応答は、(財)村田学術振興財団からの資金援助を基にして、単行書(約270頁)として晃洋書房から出版すべく、目下、組版中である。なお、日本経済新聞10月7日付け朝刊第一面によれば、中国企業のB株を1996年夏をめどに、東京証券取引所に上場するため、中国証券監督管理局と日本大蔵省とが、手続き面での打合せに入ったと報じ、また同紙12月1日付夕刊第一面によると、韓国政府も今年から証券会社の海外進出を原則的に自由化した結果、韓国の証券会社が続々と日本に進出したこと、それに伴って資本取引の成長も予想されると報じている。このような三国間の資本取引が活発化するにつれて我々の研究の意義は益々高まっている、と言えよう。
3)この他韓国については、志村、道野助手、多木大学院院生の3名が、10月20〜23日に光州・朝鮮大学校からの招聘により渡韓し、朝鮮大学校丁総長の挨拶に引き続いて、志村が『世界における小規模・閉鎖会社の立法動向─一人会社を中心にして』と題して講演(朝鮮大学法学論集に掲載定)・討論を行った。他方、12月19〜25日の間、韓国・成均館大学校/李教授、慶南大学校/高教授他、成均館大学大学院院生6人が、本学を訪問し、上記第8回の要領で共同研究会を開催した。とくに、折からの韓国大財閥会長の贈賄事件が発覚したこともあって、それの法的解明を日・韓双方から論文を作成し、これを共同発表すべく準備中である。
4)ところで中国は、会社法の法的環境整備の一環として、全国的な「証券取引法」制定の準備を進めている。これを放置すれば、会社資金調達の側面でわれわれの研究に大きな欠落を生じる。また、現在、企業活動に大きな影響を与える「契約法」の立法作業にも中国は着手している。これは民商二法を統一した法律として構想されている。したがって、中国企業法研究において少なくとも最先端を走っているクル─プの一つと自負している我々も、従前の研究蓄積の上に立って、これらの問題に新たに取り組んで行きたい、と考えている。
     (しむら・はるよし 民事法学)

目次に戻る
ドイツ人の慰謝料請求
−留学中の話題から−
和田真一


1994年4月から1年半の間、北ドイツのゲッティンゲンで在外研究を行う機会を与えられ、昨年の9月末に帰国しました。ゲッティンゲン大学と立命館とは公式なつながりはありません。この大学を滞在先としたのは、ここのドイチュ教授の主著の一つである『責任法総論』の紹介作業を乾昭三名誉教授の監修で立命館法学に連載したこと、そして1987年10月にちょうど来日中であったドイチュ教授を招いて遺伝子工学法の立法作業について本学で研究会を持っていただいた機縁があったからです。
 留学前には、ゲッティンゲン大学についてはその名前を知るのみであったというのが正直なところです。ただ、渡独直前にドイツ関係の手許の文献を繰っていたら、法哲学者イェーリンクは、最晩年をゲッティンゲンで過ごし、この地で没したことを知りました。イェーリンクの『権利のための闘争』のあまりに有名な書き出し「法の目標は平和であり、それに達する手段は闘争である」は、存心館の入り口左脇の壁にかかる銘板の末川先生の言葉を通じても我々にはなじみ深いところです。
ところで、ドイチュ教授は法学部にある複数の研究所の所長を兼ねていますが、そのうち医師法・薬事法研究所の建物(といっても大学に隣接する古い民家を改造したものらしい)に私は居候していました。ドイチュ教授は損害賠償法学の第一人者で、近時は医事法分野での仕事も大きな比重を占めており、その仕事の現場で研究スタッフとともに過ごせたことは良い経験でした。
医事法研究室にいた手前、病院からみで話題となった事件を一つ紹介しましょう。本件が雑誌でも何人かの学者によって取り上げられたのは(Taupitz,NJW 1995,745.など。なおタウピッツ教授はドイチュ教授の弟子の一人で、現在マンハイム大学教授)、少し妙な理論構成で裁判所が慰謝料を認めてしまったからです(連邦通常裁判所1993年11月3日判決。NJW 1994,127.)。
 事件は、31歳の男性が膀胱ガンの手術を受けるに当たり、術後は生殖能力を失うと説明されたために、当該病院に精液の冷凍保管を依頼したことに始まります。この男性は当時独身でしたが、結婚後は自分の子供をほしいと考えていました。ところが、病院の保管能力には限度があったため、保管を継続するかどうか、返答がなければ精液を廃棄するという趣旨を添えた問い合わせが手紙で行われました。男性は継続保管の返答を同じく手紙でしたのですが、この返事が当該男性のカルテに綴じ込まれず、返答のないものとして扱われてしまいました。後日、結婚したこの男性が自分の子供をもうけようと病院に問い合わせたところ、当該の精液はすでに廃棄されたことがわかりました。男性側は精神的苦痛に対する慰謝料25000マルク(1マルク65円とすると162万5千円)を請求。
 人工生殖に関わる今日的な事件ではありますが、病院の手落ちは明白で、わが国の感覚では、保管契約に基づく債務不履行責任ないしは不法行為責任を追求すればよく、法律構成にはあまり苦労しなくてもすむのではないかと思われます。請求された慰謝料額はちょっと高いかもしれませんが、少なくとも精神的苦痛に対する慰謝料請求自体は可能である。
 しかしドイツ法ではそうはいきません。まず、債務不履行に基づく損害賠償では慰謝料請求は認められていない。それなら不法行為でといっても、身体、健康、自由が侵害された場合にのみ慰謝料は認められると明文規定(ドイツ民法847条1項)があり、非財産的損害の金銭賠償は法律規定のない限り認められないともされているのです(同253条)。身体から分離された身体の一部などは物であって、本人はこの「物」に対する所有権侵害を理由に損害賠償請求できないかと思うが、そのように理論構成に工夫を凝らしても、慰謝料請求という効果がついてきてくれないから実りがない。
 しかし連邦通常裁判所は、この民法規定の例外を重大な人格権侵害の場合に認めてきています。それならば本件でも、家族計画に対するいわば自己決定権の侵害として、人格権侵害があったとみるべきではないかという議論もあるのです。しかし、判例はそうは取らなかった。その可能性が捨てられた理由には、人格権侵害の構成要件を無限定に拡大したくはないということもあるでしょうが、私は実際の理由の一つは請求された慰謝料額が人格権侵害を理由として認容するには高額すぎたからではないかと思います。もちろん、ドイツでは人格権侵害の場合の慰謝料請求については、慰謝料の満足的機能(制裁的機能)を正面から認めますので、これが認められる事情があれば、数万マルクが認容されることもありえます。しかし、満足的慰謝料が認められるのは、実はマスコミによる名誉やプライバシー侵害のような場合に限られているようです。そのほかの人格権侵害事例では、金額的にはわが国とそう違いもないように思われ、精神的損害だけで本件請求額をクリアするのは難しいように思われます。
結論的に連邦裁判所は請求全額を認容するのですが−到達した結論ゆえ、困ったあげくに?−保管された精液の廃棄は身体への侵害にあたり、それに基づいて慰謝料請求も認容されるとしたわけです。身体侵害の場合の慰謝料額は、これも事案によりますが、しかしこれならば数万マルク(数百万円)台の慰謝料が認められることも珍しいことではありません。その反面、理論構成としては、ちょっと妙なことになってしまい、批判を受けることになってしまいました。卵、受精卵や胚、採取された血液などとの関係でも、同じに考えるのか、違うのか。大いに議論になるところです。
 慰謝料に関するドイツ法の考え方というのは、常々少し窮屈だと思っていましたが、この事件では、そのあたりの問題がまともに出ている感じもします。物損で精神的苦痛だ慰謝料だというのは日本的情緒の世界であって、ドイツではもっと割り切っている、というわけではありません。やはり同じ人の世で、物への侵害の時には、愛好利益(Affektionsinteresse)なる「財産的損害」の一項目を認めたりもしています(物への主観的な価値を金銭評価する)。
 ドイツでは、民法のような基本法でも、実状にあわなくなると法律改正されることがわが国よりもよくあります。慰謝料についても、慰謝料請求権の一身専属性を定めた民法847条1項2文は、裁判実務で様々な理論構成で適用回避が試みられた後に、1990年には削除されました。しかし、慰謝料請求が認められる可能性の拡大を立法的に実現しようとする議論は今のところ具体化していないようで、当面は必要あれば裁判所の努力によらなければならない状態が続くようです。ドイツ法には学ぶところも多く、それで現地に赴いて法の実際も見てこようということになるわけですが、慰謝料に関するルール、考え方など、おそらく基本的な価値観の相違もあるでしょうし、直輸入は難しい分野でもあります。
  (わだ・しんいち 民法)

目次に戻る
博士論文執筆を振り返って

徳川信治


 1995年10月14日に立命館大学中川会館四階大会議室において博士号学位授与式があり、そこで私は博士号(法学)という名誉に預かりました。約10年間立命館にお世話になり、その間の研究成果がこの博士号であると思うと非常に感慨深いものがあります。
 立命館大学法学部に1986年4月に入学した頃国際法を研究しようとは夢にも思っていませんでした。ところが1回生の時に松井康浩著『原爆裁判』に読む機会があり、私自身も広島市出身であったので、そのなかに書かれた原爆裁判に関わる法律問題や田畑茂二郎京大名誉教授の原爆投下に関する鑑定書に引きつけられたのです。そのなかで法理論と現実との乖離の問題の一端を考えさせられ、それ以後私は国際法という領域に興味を持ち始めることになったのです。こうした国際法への興味を一層強くさせたのが、3回生の春のゼミ旅行でした。旅行先は、タイ・シンガポールだったのですが、そこで見た現地の子どもたちの屈託のない笑顔と、彼らがおかれたスラム街の絶望的な現実(私にはそう思えたのですが)が忘れられなかったのです。この現実を解決するにはどうしたらよいのだろうかという思いに駆られ、その解決を探るために、実際には法学を研究することが直接的に彼らを救済することにはならないのでしょうが、この研究者の道を選んだように思います。
 ところで私は、学部在学中は山手治之名誉教授の国際法ゼミに所属し、大学院に進学してからは、薬師寺公夫教授に師事しました。両教授とも非常に学問研究に対する姿勢には大変厳しい方であり、その下で何度も研究者には向いていないのではないかという思いに駆られました。特に修士論文やそれを公表する際には、薬師寺教授には何度も原稿に朱をいれられて突き返され、また関西の国際法研究者が参加する国際法研究会でもいろいろと厳しいご指摘を受けましたので、本当に自分の力不足を思い知らされました。こうしたことを何度も繰り返しながらなんとか今回の博士論文ができあがったのですから、諸先生方の学恩は計り知れないものがあります。
 さて、私が学位をいただいたその論文は、「国際人権規約の国際基準と日本の裁判所における適用 序説」です。これは、第二次世界大戦後、平和の構築の基礎には人権の尊重が必要であること、これには国内法だけでなく国際法も人権の保障に関わる必要があるという国際情勢の中でできた包括的な人権カタログを持つ国際人権規約を、日本の裁判所の援用状況を念頭に置きつつ検討したものです。実際には、国際人権規約のうちの、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約・日本は1979年批准)の条文を取り上げたものです。
 私がこの研究を取り上げようと思うようになったのは、日本の裁判所で自由権規約の援用される機会が年々増大しているにもかかわらず、裁判所による自由権規約の条文に対する十分な解釈・適用が行われておらず、そのため人権が必ずしも保障されるようにはなっていないという現実があったからです。さらには規約人権委員会も、1993年日本政府に対して、国際機関による個人の被害通報を審議する手続きを定めた選択議定書の批准を勧告するにいたっています。そうした状況の中では、日本も真剣に選択議定書の批准を検討すべきことが避けられない時期になっているといえましょう。したがって研究者、実務家双方から、自由権規約諸条文の内容に立ち入った体系的研究の必要がつとに指摘され始めており、特に、憲法の諸条文よりも詳細な規定をおく自由権規約諸条文の解釈・適用については、伊藤正巳元最高裁判事も指摘するように、国際約束の中身の実証的な研究が急務とされていたのです。こうした社会的要請に積極的に応えようとしたものが今回の博士論文でした。したがって今回提出した論文は、日本での人権問題としても注目されると思われる、無差別条項の機能(2条1項、3条及び26条)、家族概念(17条及び23条)並びに死刑問題(6条)を取り上げました。
 以上のような問題意識から出発したものですから、私の研究は、実証的研究であり、その研究方法は次のようなものでした。第一に、国際法及び憲法のいずれにおいてもまだ十分に検討されてはいなかった日本の裁判所での自由権規約適用の諸先例とその問題点をまず明らかにする、そのうえで第二に自由権規約が国際基準としていかなる義務をわが国に課しているのかを、まず自由権規約起草文書を子細にフォローすることにより明らかにする、さらに第三に規約人権委員会で検討された諸事例を網羅的に調べ、国際実施・監督機関が当該諸条文につきどのような解釈を行い、いかなる基準を打ち出しつつあるかを考察する、というものでした。
 私の力不足もあり、実際にどれだけ社会的要請に応える論文になったかは疑問ですが、現在では(財)世界人権問題研究センター専任研究員として、これまでの研究を基礎にこの国際人権規約の体系を明らかにするため、更なる研究を行っているところです。
ところで私が現在おります(財)世界人権問題研究センターは、平安建都1200年記念事業の一つとして昨年設立され、世界的な規模で人権問題を研究するアジア地域初の研究所です。この研究所は、国内の人権問題に関する研究者を集め、必要な場合には海外からも研究者を招き、世界的な広い視野から人権問題を研究することにより、人権問題に対する構成で正確な理解を得ることを目的としています。したがって共同研究方式を重点とした研究方針をおいています。現在研究部は四部に分かれ、それぞれ、「国際的人権保障体制」、「同和問題」、「在日外国人問題」、「女性の人権」となっています。田畑茂二郎京大名誉教授が所長を務められていることもあり、私にとっても国際法を研究するにあたり非常に勉強になる環境であるといえましょう。
 この研究センターへの配属が、博士後期課程3回生在籍中でしたので、センターでの勤務と大学院のスクーリングさらには博士論文の執筆という3つのことを一度にこなしていくことは、これまでこうしたことを経験したことがなかっただけに、非常にきついものがありました。しかしながら、多数の先生方の励ましと粘り強く面倒を見て下さった諸先生方のおかげにより博士論文を提出することができました。また、世界人権問題研究センターにも大変なご迷惑をおかけしながらの論文執筆であったことは疑うべきもありません。皆様方に深く感謝申し上げなければなりません。
 今回の博士号の取得では、田畑先生や山手先生をはじめとする多数の先生方にに喜んでいただき、非常に感激しています。とともに、それだけ今回の研究が一つの出発点として、研究を発展させていかなければなりません。「己に徹して人のために生きる」という私の高校の校訓をいまここであらためて思い起こし、研究の発展とそれにふさわしい人格を形成しつつ、これからの研究生活を歩んでいきたいと考えています。
(とくがわ・しんじ (財)世界人権問題研究センター専任研究員/立命館大学法学博士)

目次に戻る
ニューフェイス登場」コーナー
中央地方関係から「現代日本政治」をみるみる
堀 雅晴


 はじめまして。94年4月に赴任して、現代日本政治論を担当してします。他大学にはあまりない科目かもしれません。そこで、はじめに少し宣伝からさせてください。
日本政治学会名簿(95年度)によりますと、「日本現代政治論」が自らの専門と答えた会員(2つまで選択可能)は70名います。そこに記載されている方々をみれば、当該科目の輪郭ぐらいは確定できそうかといえば、そうともいえません。なぜなら、これまでの科目=学問が誤解を恐れずいえば研究方法論中心ですが、この場合は研究対象論による限定であり、現代日本の政治のあり方論に関する学問ということになるからです。したがって、当面は現代日本で繰り広げられていいる政治(プラス行政)を自由に論じてみることが大切ではないかと考え、仕事をしています。
 さて、そのように考えながらこの2年間に発表した論文を次に紹介して、近況報告とさせていただきます。
○「日本における政治的民主主義の現状と課題─椿発言問題と証人喚問事件─」福井英雄編『現代政治と民主主義』(法律文化社、1995年4月)所収。
 ご承知のように、93年8月の細川政権誕生をめぐるテレビ朝日の椿貞良報道局長の「問題発言」(第6回放送番組調査会の席上での「オフレコ」発言)について、証人喚問が全会派一致のもとで異例の早さでおこなわれた事件を取り上げた。「言論への弾圧は、民主主義を謳歌している今この時でも、まったく容易に実現するという事実が証明された」(番組調査会の委員の一人であった渡辺真次氏、「自由と正義」45巻8号、94年8月)という問題提起を受けて、自分なりに考えてみたところを書いた。結論として、やはり民主主義の中心に「言論に対する批判は、自由な言論の場においてなされるのが鉄則」を文字どおり定着させるためには、非権力的な社会的規制が発揮しうる市民社会への成熟の課題がみえてきた。
○「震災復興対策と中央地方関係」(「行政管理研究」95年12月号)、「大震災から見えてきたもの」(「おおさかの住民と自治」95年10月号)  震災復興関係の論文が理系を中心にたくさん発表されているのに比べて、社会科学系、とりわけ政治学・行政学・地方自治論等ではほとんど見受けることが少ない。そこで、本学の震災プロジェクトのメンバーの一人として何とか研究の足場を築くべく取り組んだものの成果である。前者では、震災復興構想と手法をめぐる国・兵庫県・神戸市の錯綜状況の整理を、後者は財政再建計画の意味と職員論を論じている。今後、被災自治体の議会の役割、ボランティアと行政の問題等、研究してみたい問題が山積しています。
○「新政策下における府県農政改革の動向とその特徴」(農業と経済、96.3.号)
 95年度内での行政改革大綱の策定とそれに基づく3カ年程度実施計画づくり(定員適正化計画を含む)および政府地方分権委員会(諸井委員長)における機関委任事務制度廃止のための「検討試案」の公表によって、「省」集権型タテ割行政がどのように展開するのか注目されているなかで、府県農政改革の全国的な動向とその特徴を研究した。そのなかで明らかになったことは、@従来どおりに機関委任事務体制の下で国・自治体一体型のパターンにより具体化されてきていること、Aその発想も「行革」タイプにありがちな画一的で「効率」重視(→スクラップ)の対応(=事務事業と機構〔人員〕の縮減)という点で一定の規則性が確認できることである。
 最後に一言。昨年福井英雄先生がお亡くなりになられました。先生にそれらを読んでいただけないのが、まことに残念です。

      (ほり・まさはる 政治学)
目次に戻る
Home