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2019年7月7日開催 パネルディスカッション報告(於:帝国ホテル東京)

◆2019年7月7日(日)第20回記念総会として、会場を京都から東京へ移し、『未来に生きる絆 〜多様性と出会うTOKYO〜 』と題して2019年度法学部同窓会第20回記念総会・懇親会・講演会が行われました◆






≪ 同日、パネルディスカッションを開催! ≫

記念講演から引き続き京料理『木乃婦』三代目主人 橋拓児氏、そして弁護士法人「北浜法律事務所」東京事務所代表社員・パートナー弁護士 荒川雄二郎氏(1994年法学部卒)、スポーツ指導者としてご活躍の「エレコム神戸ファイニーズ」ヘッドコーチ/監督(立命館大学アメリカンフットボール部前監督)米倉輝氏(1995年法学部卒)を加え、コーディネーター「株式会社TM Future」代表取締役 竹内美奈子法学部同窓会副会長(1983年法学部卒)による【キャリアの多様性と法学部の学び】と題してパネルディスカッションが行われました。


◇どうのような学生時代を過ごしたか?◇

【竹内副会長】
これまでのキャリアを含めて自己紹介から始まったお三方のパネルディスカッションですが、法学部を卒業された銘々が多様性のあるお仕事に就かれ、その(法学部の)学生時代をどのように過ごされたかのお話を伺いたいと思います。
【橋氏】
物心ついて仕事をしようと思ったのが、卒業してからです。法学入門でもありましたが、法学部で学んで、どう言ったら理屈をつけてものを最終的な結論まで導けるかというのが勉強になりました。具体的には話が上手になり、話を結論まで持って行く作業が身についていったと思います。
【荒川氏】
法学部で勉強した記憶がほとんど無く、学外でばかり生活していました。家には父の法学関係や社会学関係の本がありましたので、高校時代から読み始めていました。こうあるべきとか、社会の中で何か携わることに憧れていて、それが今に繋がっていると思います。
【米倉氏】
アメリカンフットボールを一昨年まで学生に指導していました。競技そのものの指導にはさほど時間を取っている訳ではなく、いわゆる学生としての学びと競技の両立という事を、基本に指導しています。私自身は大学3年生まで全くほとんど大学に行かず、4年、5年のところで少しずつ授業に行くようになり、法学部、法律だけに限らず、学ぶことは面白いのだというところを齧りだしたところでの卒業でした。学生たちには単純に単位を取るためだけに授業に来るのではなく、学ぶことは面白い事なのだという事を伝える反面教師になっています。

◇今の仕事に就くことになったきっかけは?◇
【竹内副会長】
さらに今の仕事をされることになったきっかけやその際になさった決断をお聞かせ下さい。
【米倉氏】
仕事として、今取り組んでいる事が、人生最後に熱中することか確信は持っておりませんが、大学を卒業して、鹿島建設に勤めているタイミングで、大学の職員に戻ってきてコーチをする声がかかったことが、アメリカンフットボールの指導というものに人生の大部分を割いてやっていくことにつながっています。なぜ断らずにきたかと言えば、1994年初めてアメリカンフットボールが甲子園ボウルに勝って、ライスボウルで東京まで行ったのが大学5年生で、その時これ以上ない幸せな気持ちになりまして、それが極めて大きな方向性じゃないかなと今は思っています。
【荒川氏】
父が法学部で教えていたこともありますし、祖父も弁護士という法律一家でしたので、かなり小さいころから興味は持っていたと思うのですが、現役の学生時代にはあまり学んでなかったので、いい年になった時にどうしようかと初めて考えました。やはり正直、父を見て一生涯をかけて一つの法学の、例えば、民法の一つの条文をつき詰めて研究していくようなものには自分はなれないなと思い、既存の社会に興味を持っていましたので、実際に社会の中で法律を使っていく仕事と思い弁護士になりました。
【橋氏】
帝国ホテル東京の吉兆に2年、吉兆の本店にいた最後の年、創始者である湯木氏の師匠に会った時に、料理というものは作るだけでなく、世界に料理を広げることであるとお教わりました。また、『日本料理』というのは彼が作った言葉であります。ただ料理人というものは料理を作るだけではなくて、何らかの大きな目的を作って、それを楽しむ事が非常に大事であり、料理は巨大なものであって、それをどんどん広げていく作業が面白いと考えられるようになったことが転機になりました。

◇ターニングポイントは?◇
【竹内副会長】
ターニングポイントというお話が出ましたので、皆様のターニングポイントや今までに逆境から復活されたり、壁を乗り越えられたエピソードがあればお聞かせ下さい。
【荒川氏】
2000年に弁護士になって、北浜法律事務所という大阪の事務所に入ったのですが、その2年後に弁護士法が改正され、大阪の比較的大きい事務所が初めて東京に進出することになりました。7つの事務所のパートナー弁護士と若手弁護士各1名、総勢14名が東京での活動を開始したのですが、私もそのうちの一人でした。東京には当時から沢山大きく立派な事務所があったわけですが、そういったアウェーの環境で、自分がやらないといけない、逃げ場のない状況を経験したことが、良いきっかけになりました。
【米倉氏】
私にとっての壁は関西学院大学です。2010年は優勝しましたが、その後、2011〜2014年連続で負けました。表現が難しいですが、関西学院に負けた翌日は、一歩も家を出たくないですし、すべての世界の色彩が失われる、そういう状態から2日目になって漸く少しモノトーンな色の視界が入ってきて、3日目で漸く人と話せるようになります。そういったことが繰り返されて4年、立ち向かい続けました。今でも、今のチームも勿論、毎日が試行錯誤でぶつかって、頑張っています。
2015年に漸く関西学院の壁を越えたと思い優勝できたのですが、私が在籍した最後の2年間、もう一度壁を越えたと思ったらまた、一段すごい壁がいたという状況で、本当に私の一人の力がどうこうというより、組織、大学、校友、皆様にはこれ以上ないバックアップを頂いたのですが、あらゆるところで関西学院大学のアメリカンフットボールという大きな壁に跳ね返され、今ここにおります。
【橋氏】
私の場合、先ほどの講演でも変わった料理を出しましたけれど、一品出すごとに店の従業員が辞めて行くのです。こんな料理作りに来たのではない、こんなものは日本料理ではないという。修行生から帰って来た時、23人の料理人がいたのですが、今残っているのが2人になりました。努力で料理を作るたびに、人が辞めて行って今年1人辞めて、2人辞めて・・・人が辞めて行って、その分増やしていったのですが、辞めるって言って、父親からはそんな辞めさせてと怒られますし、自分の料理を作りたいし、人は辞めるし、お客さまも賛否両論で、何か変わった料理ばかり出されると、その三つ巴でややこしかった時代がありました。
実際、ここまで来たらやってしまえと、私について来れる人を雇いだして、今は料理人42人がいます。その料理人に一つずつ、技術の指導をしていくのに20年くらいかかりました。最初の19年は結構大変で、人がすぐ辞めて行くこともありました。道を開いたのは、これは大事だなという人にはお金を出して、一番大事なところ、店やるくらいの8掛けくらいの給料を出しました。自分で店をやった場合、例えば月100万円あるとするなら、80万とそれともう一つ大事なのは愛情です。両方をかけて料理人が残るようにしました。

【竹内副会長】
基本を学び、さらにそこから差別化をする、即ち、日本料理が世界で闘うための橋さんの法則を導かれたものは、どういうお考えがもとになっていますか。
【橋氏】
立命館大学の法学部だと思います(笑)。そのような思考は ―いくらデートばかりしていたからとは言え― 授業には出席したことや、4年間学校に通って単位も取っていることが影響していると思います。
そのルーティンの中で、いろんなものを思いつく、同じだった物事の考え方、照らし合わせてやる、照らし合わせてやる型を大事にする、それを確実に守らなくてはいけない。守る事がなぜ大事かというと、文化を埋没させない為であり、それを積み重ねてさらに法律があればあるほど人間性も深くなって料理も分厚くなると思っています。

◇法学部で学んだことで、現在に活かせていることは?◇
【竹内副会長】
私は、立命館でキャリア形成教育という授業を担当していたのですが、どんな職業についても法学部で学んだことが活かせるということを伝えてきました。皆さんが法学部で学んだことで現在のお仕事に活かせていることがあればお聞かせください。
【荒川氏】
法律学を学ぶ中で、いつだったか、気づいたことがあるように思っております。それは、法的な問題には、だいたい積極説、消極説、折衷説があるが、それはどのようにその問題を解決したいかという利益考量によって立場が分かれているだけで、どれが正しいということはないということです。弁護士となってからも、依頼者がどうしたいか、自分はその事件をどのように解決したいかという目的意識によって、この説で行こう、こういう論を組み立てよう、と常に考えてやっておりまして、これはずっと変わらず、今に至っています。
【米倉氏】
3つございまして、先ず1つ目は、アメリカンフットボールは11人、11人が非常に細かくルールが整備されています。右に45度右足を一歩30pの大きさで出して、そのあと相手の動き方次第で縦に向かったり・・・云わば、アメリカンフットボールの法律として現在、存在しています。そう言ったところを結構、なあなあで流してしまう指導者もいるのはいるのですが、私はそういう意味では本学の取り組みが、そう言ったところをしっかりと重視しようという教育をやってきたと自負しています。
2つ目は、実はアメリカンフットボールそのものを指導していく時間の中で、いわゆる社会の一員としてだったりとか、学生としてだったりとか私の指導に力点を置くと言うか、重点を置かれていました。その中でずっと学生に言ってきたことがありまして、先ず一つ目は大学であろうと部員であろうと何であろうと立命館大学の学生だろうと関係ない。この日本という国に生まれて育っている以上は、しっかりと国の法律ルールを守りなさいと言っています。二段階目として、あなた方が所属するコミュニティの一員としてルールは絶対守りなさい。恐らく、ほとんどの学生が立命館大学の学生であり、アメリカンフットボールの部員でありますので、いわゆる学則であったりとか、いわゆるチームのルールであったりとか、これはきちんと守りなさい。例えば、カンニングするなとか、チームルールでは遅刻するなとかを口を酸っぱくして言ってきました。
最後に日本一という崇高な目標を目指して、活動する人間として、成人がタバコを吸っても法律違反でも何でもない。チームとしてはチームに属する以上は絶対タバコを吸ってはいけない。なぜなら日本一を目指すために体のパフォーマンスを保つためでもあります。日本一を目指す、崇高な目標達成の為に、3段階(国の法律、社会の行動規範のルール、個人)を理解する上で、これは非常に法学部での学びが役立っているのではないかと思っております。

◇未来に向けて、今後のキャリアの展望は?◇
【竹内副会長】
皆さんのお話を聴いて、自分らしさをしっかり出すという力強さを感じました。さらに、道を開いていかれると思いますが、これから未来に向けてどんな風に考え、どんなキャリアを描いておられますか。
【橋氏】
海外の真の日本食という言い方もおかしいですけど、私たちが海外へ行っても、日本料理と思えるような日本料理の普及を目指したいと思います。日本では、イタリア料理、フランス料理、中国料理は他国で食べるのとそんなに皆さんが食べているのと変わらないと思います。でも日本食は皆さんが海外へ行かれると、『これは日本食か!』と言われるのが非常に多いですから、それを何とか打破して、日本で食べるものと海外で食べるものの差をどんどん縮めていきたいという風に考えています。そうしますと、先ほどの経済効果であるとか文化の交流ですとか、それぞれの平和的な食文化の発展が出来るかなという風に考えますし、現地点では力のあるフランス料理は、食文化自体が海外では大きく普及しています。どんどん日本料理のカテゴリーを広げていき、日本の国自体を強くしてきたいと考えております。
【荒川氏】
私自身は、弁護士としてはこれまでと同様ですけど、自分を信頼して、仕事を任せてくれるお客様に、これからも良い仕事をしていきたいと思っております。もう一方で弁護士会だけではなくて、司法自体が非常に日本の中では、かなり地位が低くなっているのではないかと思っておりまして、裁判制度というものが、社会の中でニーズに応えていない。法という単なる弱肉強食ではなくて、正しいものが勝つという最後のルール、最後のシステム、そういったものが信用を失っているのではないのかなと常々感じています。出来る事であれば、そういう裁判制度というものが、もう一度きちっとしたものとして評価されるように尽くせないかなと思っております。
【米倉氏】
現在、社会人チームを指導していますが、社会人チームと申しましても、23歳〜25歳の若者ですし、私自身、厳然とした立命館大学の職員ですし、若者たちの育成というおこがましいものではなくて、若者たちに選択の場を与え続けてあげたいなと思っております。監督時代に、いろんな事情があって辞めて行く部員であったりとか色々話をしていたのですが、ほとんどの学生たちが、“OR”しか選択できなかったのです。“AND”でAもBも、アメフトも勉強も大変だという事で、学生の時点でアメフトしかできないです、勉強しかできないです、家庭環境や家庭事情でできないです、という形でどんどん自ら進路を狭めている学生達が多くいました。それで、どのような立場になろうと学生たち、若者たちにいろんな機会を提供出来たらなと思っております。



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