立命館法学 2000年1号(269号) 159頁(159頁)




雇用差別禁止法理に関する一考察

- 労働法における平等取扱原則を中心に -


蛯原 典子


目次

は じ め に
    一、問題の所在と検討の視角
    二、ドイツ労働法における平等取扱原則
    三、平等取扱原則とわが国の雇用差別禁止法理との接点
    四、本稿の構成

第一章  賃金差別事件をめぐる裁判例・学説の分析
  第一節  検討の視角
    一、対象の限定
    二、論点の抽出
  第二節  個別論点ごとの検討
    一、賃金格差相当分を請求する法的根拠
      1、差額賃金請求権
      2、不法行為に基づく損害賠償請求権
      3、債務不履行に基づく損害賠償請求権
    二、立証責任の配分と証明されるべき事実
      1、立証責任の配分
      2、証明されるべき事実
    三、救済内容
      1、是正されるべき賃金の基準
      2、消滅時効
      3、将来的請求
      4、慰謝料請求

第二章  雇用差別禁止法理の検討
  第一節  理論的問題点の検討
    一、問題点の整理
    二、問題点の検討−ドイツ法を手がかりとして
  第二節  わが国における平等取扱原則導入の可能性
    一、平等取扱原則の法的根拠
    二、平等取扱義務の法的構成

お わ り に





は  じ  め  に


一、問題の所在と検討の視角
  すべての人間は、生まれながらにして平等であり、いかなる理由による差別も受けることはない。この平等の理念は、現代社会の公理として、国際条約・文書(1)や世界各国の憲法において宣言されるにいたっている。わが国においても、日本国憲法第一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と宣言する。そして、公法上の関係だけでなく、私人間または私法上の関係においても、平等の理念が遵守されなければならないことに疑いの余地はない。
  私法上の関係のなかでも、労働者と使用者の契約関係においては、とりわけ差別問題が頻繁に発生する。その原因は、労働者と使用者の関係にみられる集団的性格と、使用者が多数の労働者の労働条件を決定しうる点にある。この重大性を受けて、雇用差別禁止に関する立法が各国において制定され、わが国においても、さまざまな形態の雇用差別が法によって禁止されるにいたっている。
  そのわが国における雇用差別禁止立法のなかでも最も重要なのが、労働基準法三条、同法四条である(2)。なぜなら、労基法が、使用者と労働者の関係を直接規律する内容を有し、国家公務員など一部の労働者を除き、ほぼすべての労働者に適用される法律だからである。その労基法三条は、使用者が、「労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について」差別的取扱をすることを禁止し、同法四条は、「労働者が女性であることを理由として、賃金について」男性と差別的取扱をすることを禁止する。さらにこれらの雇用差別禁止規定は、その違反に対する罰則を予定するものであることから、使用者による労働者の差別的取扱に対して非常に厳格な規制によって臨むものであるといえよう。
  ところが、これらの規定が刑罰法規としておかれたために、罪刑法定主義の観点から厳格な解釈が要求され、結果として法律に明記されない差別的取扱は、少なくとも罰則によっては規制されない事態が生じた。この問題が最も顕著に現れたのが、一連の男女別定年制に関する訴訟(3)であった。すなわち、労基法三条は禁止される差別理由として性別を列挙せず、他方、性差別を禁止する労基法四条は、その適用領域を賃金に限定していたため、男女別定年制のような賃金以外の性差別は、両条文によって禁止されえなかったのである(4)。この法の欠陥を補充してきたのが、判例・学説によって形成された男女差別禁止法理であった。すなわち、憲法一四条と民法九〇条の公序良俗規定に基づき、私法上、賃金以外の雇用上の性差別を禁止する法理が形成されたのである。さらに、男女雇用機会均等法の制定ならびに改正(5)により、募集・採用から定年・退職・解雇にいたるまで、一連の雇用のステージにおける女性差別がすべて禁止されることになった。
  ここで、わが国の雇用差別禁止法理の特徴を述べれば、個々の差別問題ごとに救済法理を検討するアプローチがとられ、労基法三条、同法四条の規定に該当する差別的取扱については同条違反として禁止されるが、両規定ならびにその他の雇用差別禁止立法に該当しない差別的取扱については、憲法一四条によって確立された公序に違反する差別的取扱だけが、民法九〇条によって無効とされる構造になっているといえよう。
  しかしながら、このような雇用差別禁止法理は、以下のような問題点を有している。労基法三条、同法四条は、そこに掲げられた理由に基づく差別的取扱を罰則つきで使用者に禁止することは明記するものの、同条違反があった場合の私法的効果についてはなんら規定するものではない。したがって、これらの差別禁止規定に違反する処遇がなされた場合に、労働者がなにを根拠に、いかなる請求を使用者に対してなしうるかは、労基法三条、同法四条から導出しえない。同様のことは、民法九〇条についてもいえるのであり、同条により公序に反する差別的取扱を無効とすることはできても、それによって空白となった契約部分をいかなる内容で補充すべきかは、必ずしも明らかではないのである。
  また、使用者に対して禁止される差別的取扱の範囲についても問題がある。先に述べたように、わが国の雇用差別禁止法理においては、法律に列挙される差別的取扱と、民法九〇条の公序に反する差別的取扱が規制の対象とされてきた。しかしながら、労働者と使用者の関係において、法律に限定列挙される差別的取扱と、公序に反する差別的取扱のみに、規制の対象が限定されるべきであろうか。この問題を検討する際には、労働者と使用者の関係にみられるつぎのような特殊性に留意する必要がある。
  労働契約において、労働者は使用者に対して労働義務を負うが、そこでいう労働は、その担い手である労働者と一体不可分であり、分離されえない性質のものである。そして、その労働の担い手である労働者は単なる機械ではなく、倫理的・精神的存在としての人格であり、人間の尊厳の主体として尊重されるべき存在である。この意味で、労働は、それを担う労働者の生活にとって重要な構成部分であるとともに、職業的能力・人間的能力を高め、人格の形成に寄与する。まさに労働者は、労働の場である職場において、自己の能力の向上、人格の形成・発展を実現するといえる。この点に、労働者と使用者の関係の特殊性をみいだすことができる。そして、このような特殊性を有する関係において、使用者が労働者に対して一定の措置や処遇をおこなう場合には、労働者の能力の向上、人格の形成・発展を阻害することのないよう、措置や処遇の内容が限定されなければならない。差別的な取扱をするのであれば、それが客観的に根拠づけられ正当化される必要があり、客観的に根拠づけることのできない差別的取扱は、すべて禁止されるべきなのである。
  本稿は、以上のような問題関心にたち、比較法研究の対象をドイツ法に求め、そこから示唆をえて、わが国における雇用上の差別的取扱禁止法理に関する新たな試論を提示するものである。比較法研究の対象をドイツ法に定めた理由として、ドイツ労働法においては、同じ状況にある労働者の一部を客観的な理由なく不利に取り扱うことを使用者に対して一般的に禁止する原則、すなわち平等取扱原則の存在が、判例および学説において一般的に認められている点をあげることができる。そして、ドイツではこの原則が、あらゆる形態の差別的取扱の正当性を争う訴訟上の根拠として、現実に使用者による公正な処遇の実現に寄与しているのである。このドイツ労働法における平等取扱原則については、すでに別稿において分析を試みたところである(6)が、本稿における考察の前提認識として、まずこの原則につき概観しておきたい(7)

二、ドイツ労働法における平等取扱原則
  1、定義・内容・機能
  先に述べたように、ドイツ労働法における平等取扱原則(arbeitsrechtlicher Gleichbehandlungsgrundsatz)は、同等の地位にある労働者の一部を客観的な(sachlich)理由なく不利に取り扱うことを使用者に対して禁止する、個別労働契約法上の一般原則である。この原則の歴史は古く、すでに二〇世紀初頭には判例によって援用され、現在では判例・学説ともに、この原則の存在、意義を認めるにいたっている(8)。平等取扱原則違反を根拠として提起される訴訟も数多く、そのなかでもパートタイム労働者とフルタイム労働者の差別的取扱に関しては、それを平等取扱原則違反と解する連邦労働裁判所の判決(9)が、立法上の禁止規定の創設(10)に影響を与えるにいたっている。
  平等取扱原則は、無差別主義(Gleichmacherei)をその目的とするものではなく、「等しい者は平等に取り扱い、等しくない者はその相違に応じて不平等に取り扱う」ことを要求する。したがって、この原則の要請は、非客観的な差別的取扱の禁止にあり、許容される差別的取扱と禁じられる差別的取扱を判別する努力を通じて達成される「平等」の実現を追求するところにある。さらに、この原則は、単なる恣意性の禁止(Willku¨rverbot)にとどまらず、労働法において価値を認められる評価を顧慮する下で、合理的(vernu¨nftig)かつ客観的な方法においてなされる差別的取扱だけを許容するものであると考えられている(11)
  平等取扱原則の内容として、最も重要なことは、この原則が労働契約上の義務としての平等取扱義務(Gleichbehandlungspflicht)を使用者に課し、労働者には平等取扱請求権(Gleichbehandlungsanspruch)を付与する点である。労働者は、この平等取扱請求権に基づき、有利な取扱を受ける労働者と同等のレベルでの救済を使用者に対して請求することができる。さらに、使用者は平等取扱原則に基づき、差別的取扱の理由を労働者に対して公表する義務を負う。
  右のような内容を有する平等取扱原則には、つぎにあげる三つの機能が見いだされる。第一に、労働者に対する使用者の権力的地位を抑制する機能、そして第二に、労働者間の争いやねたみの発生を防止し、事業所の平和と職場の良好な雰囲気の維持に寄与する機能があげられる。さらに第一の機能は、労働者の人格の保護にも寄与すると考えられ、この第三の機能が、平等取扱原則の今日的意義として重視されている。

  2、適用領域
  平等取扱原則は、あらゆる労働条件に関する差別に対して適用されうる。しかしながら、他の法規や法原則との関係で、平等取扱原則の適用が制限される場合や、否定される場合が存在する。
  完全に適用される領域にあたるのは、法律や協約等に根拠がないにもかかわらず使用者が任意に支払う給付である。この任意的社会給付として、たとえば、賞与や特別手当、企業年金に代表される経営における高齢者扶助、事業所変更にともない使用者が任意におこなう補償等があげられる。これらの給付は、使用者が法的義務を負わないにもかかわらず任意に支払うものであるが、その支払において客観的な理由のない差別的取扱がなされる場合、労働者は平等取扱原則を根拠として、他の労働者と同様の給付に対する請求権を獲得する。
  他方、平等取扱原則が部分的あるいは制限的に適用される領域としてあげられるのは、使用者による指揮命令、賃金支払、損害の賠償、解雇である。これらの領域においては、労働協約、事業所組織法や解雇制限法といった他の法規制が存在する場合があり、その限りにおいて平等取扱原則の適用は制限される。また、判例・通説によれば、契約自由の原則の平等取扱原則に対する優位が妥当すると考えられており、したがって不利益な取扱であっても、それに労働者が同意している場合には、その限りにおいて平等取扱原則は適用されないと解されている。
  最後に、平等取扱原則の適用が否定される領域とされるのが採用である。ここでは、契約自由の原則が平等取扱原則に完全に優位し、使用者は差別禁止を規定する強行法規に違反しない限り、労働者を自由に選択できるとするのが、連邦労働裁判所の判例である。学説においては、使用者に労働契約の締結を強制することは適切でないとしても、非客観的な理由に基づく労働者の選考を禁止する必要性は認められるから、その限りで平等取扱原則を適用すべきであるとの見解も主張されるが、一般的な支持を得るにはいたっていない。

  3、法的根拠
  判例法理として展開されてきた平等取扱原則の法的根拠をどこに求めるかという問題は、学説において激しい議論が展開された論点である。かつてドイツ第三帝国の時代には、事業所共同体思想や忠実思想(12)がその根拠とされることで、判例・学説の見解は一致していた。しかしながら、戦後、それらの思想を明文でもって規定していた国民労働秩序法(13)が廃止されたことによって、平等取扱原則の新たな法的根拠の探求が試みられることになった。結論を述べれば、平等取扱原則を法解釈上完全に根拠づけることのできる唯一の視点は見いだされておらず、現在ではこの原則を「複数の法思想の共同作用の結果」として理解し、柔軟な法的思考に基づき根拠を探求すべきであるとされる。以下では、学説において展開された議論のなかで、とくに平等取扱原則の存在意義、特徴を明らかにするうえで重要な法的根拠にのみ言及する。
  まず、差別的取扱禁止規定において重要なのは、基本法三条(14)と事業所組織法七五条一項(15)である。これらの規定は、現行法、そして労働法における平等取扱原則の存在意義を根拠づけるものである。さらに、そこで禁じられる差別的取扱は、平等取扱原則においても絶対的差別的取扱の禁止として位置づけられる。
  BGB二四二条(16)の信義誠実の原則は、平等取扱原則によって使用者に課される平等取扱義務の法解釈上の根拠としてあげられる。従来、平等取扱義務は、使用者が労働契約上の主たる義務以外に負う諸義務の総称として観念される配慮義務(Fu¨rsorgepflicht)によって根拠づけられていたが、配慮義務概念に対する批判(17)が有力に主張されるなかで、配慮義務にかわり、信義則によって平等取扱義務を根拠づける見解が主張されているのである。労働者に請求権を付与するという平等取扱原則の特徴を説明しうる点で、有力な見解といえる。
  平等取扱原則が適用される実態の構造の分析から、この原則の説明を試みるのは、規範の実行理論(Normvollzugstheorie)である。この理論は、平等取扱原則の適用には常に一定の規則が前提となっている点に着目し、使用者が労働者の取扱につき、そのような一定の規則、すなわち規範(Norm)を定立する場合には、それに該当するすべての事態を平等に取り扱うことが、規範の本質として要請されると説く。したがって、規範を立てた使用者はみずからその規範の本質に拘束され、結果として平等取扱義務を負うとされる。この理論は、平等取扱原則が、自己制定規範の下での首尾一貫しない行動を使用者に対して禁止することを明らかにする。
  最後に、平等取扱原則が使用者の権力的地位を抑制することにより、公正な処遇の実現をめざすことを根拠づけるものとして、配分的正義があげられる。

  4、適用のための要件
  平等取扱原則を適用するための要件は、@複数労働者間に比較しうる状況(vergleichbare Lage)が存在すること、A問題となる取扱が、個別的合意や、労働協約ないし事業所協定といった集団的合意によるものでないこと、B差別的取扱に客観的理由が存在しないこと、である。@Aについては原告の側に、Bについては使用者の側に立証責任が課される。Bの客観的理由の有無については、法律によって禁止される差別理由に該当する絶対的差別的取扱の禁止と、法律によって禁止されないが、それが使用者による措置の目的との関係で客観性を認められない場合に該当する相対的差別的取扱の禁止とに区別される。絶対的差別的取扱の禁止として位置づけられるのは、基本法三条や事業所組織法七五条一項があげる差別理由であり、それらについては厳密な客観性が要求される。それ以外の相対的差別的取扱の禁止については、使用者による措置の目的とそのために選択される手段の正当性が審査される。たとえば、過去の労働に対する報酬の支払を目的とする賞与の支給につき、退職した労働者を排除することは、非客観的な差別的取扱と判断される。

  5、法的効果
  不利な取扱を受けた労働者は、平等取扱原則に基づき、他の有利な取扱を受けている労働者と同等の平等な待遇を要求する権利を付与される。この平等取扱請求権の具体的内容については、労働者の権利侵害を排除するために最も有効な手段が選択されなければならないと解されている。したがって、個々の適用領域ごとに平等取扱請求権の具体的内容が決定されることになる。
  たとえば、使用者の指揮命令において差別的取扱がなされる場合には、その差別的取扱の停止を請求する権利や労務給付拒否権が労働者に認められるべきとされる。しかしながら、平等取扱原則の法的効果として最も実務上の意義を有する点は、与えられなかった手当や賃金等の給付を使用者に対して請求する権利、すなわち給付請求権を労働者に付与することである。ところで、この給付請求権の性質は、損害賠償請求権でなく履行請求権と捉えられる。その理由として、損害賠償請求権と捉えることによって、使用者の故意・過失の有無を問題とせざるを得なくなり、立証の困難という点で、労働者の権利救済にとって妥当な結論をもたらさない点、また平等取扱原則が非客観的な差別的取扱の事実を是正するものであることと矛盾する点があげられる。
  給付請求権を履行請求権として構成することに、判例・通説上異論はないが、その法解釈上の根拠については議論がある。ある見解は、平等取扱原則に違反する行為はBGB一三四条(18)に基づき無効であり、それによって生じた規定の欠缺は、契約の解釈を通じて埋め合わされ、結果として給付請求権が発生するという。これに対して、BGB一三四条のいう無効が法律行為の全部無効を意味する点を指摘する見解は、平等取扱原則はBGB一三四条のいう法律上の禁止ではなく、労働関係に内在する原則として「直接的に履行に向けられた請求権(ein unmittelbar auf Erfu¨llung gerichteter Anspruch)」を構成すると解するべきであると主張する。このふたつの見解には、平等取扱原則違反をBGB一三四条の法律上の禁止と捉えるかにつき相違はあるものの、前者の見解は信義則にしたがった契約解釈に依拠して給付請求権を根拠づけるものであり、後者の見解も使用者の信義則上の付随義務によって給付義務を根拠づけるものであって、法解釈上大きな差異は存在しないと考えられている。

三、平等取扱原則とわが国の雇用差別禁止法理との接点
  以上のように、ドイツでは平等取扱原則が労働法上の一般原則として認められており、それを根拠として雇用上の差別に対する司法的救済が積極的になされている。ところで、雇用上の差別禁止の問題につき、わが国とドイツを比較するとき、憲法ないし基本法において基本的な差別禁止が宣言され、それを労働法において具体化する規定がおかれているという点で、両国の平等取扱に関する法規定の構造は類似しているといわれる(19)。しかしながら、ドイツでは、基本法三条以外に、労働法上の差別的取扱禁止規定は事業所組織法にしかおかれておらず、さらに、この事業所組織法は、使用者と従業員代表委員会の法律による職務上の義務を根拠づけるものであって、個々の労働者と使用者の関係を直接規律する規定ではない。すなわち、ドイツにはわが国における労基法三条や同法四条のような規定が存在しないのである。そのようななかで、平等取扱原則は、あらゆる理由に基づく差別的取扱の正当性を争う根拠として、その存在意義を認められてきたということができる。
  他方、わが国においては、労基法三条・同法四条が、雇用差別禁止法理において重要な位置を占めてきた。しかしながら、先に述べたように、それらの規定が私法的効果について規定するものではなかったために、平等な取扱を請求する労働者の請求権の根拠についても、後に検討するように理論的に統一されていない状況がある。また、使用者に対して禁止される差別的取扱の範囲についても、必ずしも明らかではない。私法的救済に関しては、わが国においても法規定が完備されているとはいえない状況にあり、この点において、類似の状況において平等取扱原則という一定の法理を形成してきたドイツ法の議論は、わが国にとって興味深い研究対象であるということができる。
  ところで、わが国においてもこれまでに、ドイツ労働法における平等取扱原則に関する研究がなされなかったわけではない。しかしながら、そこでは平等取扱原則に対する契約自由の原則の優位が強調され、わが国の雇用差別禁止法理に寄与する側面はあまり指摘されてこなかった(20)。たしかにドイツの判例・通説は、平等取扱原則に対する契約自由の原則の優位を承認する。そして、不利益な取扱を受ける労働者が契約上その取扱に同意を与えている場合には、平等取扱原則違反は存在しないとされ、賃金額が両当事者の合意に基づき契約上明文化されている場合には、たとえそれが不利益取扱にあたるものであっても平等取扱原則に違反しないとされる。このような考え方は、契約関係においてともに重要な原則である契約自由の原則と平等取扱原則の両立をはかるためのものとされるが、またそれゆえに慎重な検討の必要性が、学説において指摘されている。まず、少なくとも法律に明記される差別禁止理由に関しては、法がその非客観性を明記したのであるから、労働者の合意も排除されるべきであるとされる(21)。さらに、それ以外の客観的理由のない差別的取扱に関しても、労働者の人格の尊重がみられないものについては、労働者がその差別的取扱に同意していることが明らかであっても、合意の虚偽性を認め、平等取扱原則違反を認めるべきとする見解が有力に主張されているのである(22)。このような見解に十分配慮するならば、絶対的差別的取扱の禁止は、わが国における労基法三条、同法四条違反の問題に関して比較の対象となりうるし、相対的差別的取扱の禁止に関しても、その正当性を審査する方法など、わが国にとって興味深い論点をドイツ法の議論から導出しうる。また、両国の差別的取扱の禁止に共通する問題、すなわち法的効果や平等取扱原則が適用されるための条件なども、わが国の議論にとって示唆に富むと思われる。
  さらに、ドイツにおいては、労働協約による規制や従業員代表委員会による共同決定が、労働条件の決定において重要な位置を占めており(23)、それらの法的規制が平等取扱原則に優先する(24)。したがって、実際に平等取扱原則が最も機能しうるのは、使用者による任意加給や自由意思で支払われる賞与といった、使用者による任意的な給付に限定される。しかしながら、わが国においては、使用者による措置や処遇に対する労働組合の規制は弱く、賃金決定をとってみても使用者の裁量が広く認められる状況にある。さらに最近では、賃金に関しても年棒制、能力主義ないし成果主義賃金制度が普及しつつあり、従来の年功制にみられた画一的処遇から個別的処遇へ比重が移ってきている。年齢という、すべての労働者にとって一律の基準と異なり、個々の労働者の職務遂行能力や成果が処遇の基準とされる場合には、より一層使用者の恣意的な取扱がなされる可能性が大きい。このような状況において、個々の労働者に対する個別の処遇の正当性とならんで、複数労働者間での処遇の正当性の実現もまた、重要となってくるのである。この意味で、平等取扱原則に見いだされる使用者の裁量を公正に保つ機能は、むしろわが国においてこそ重要な意義を有するといっても過言ではない。平等取扱原則が使用者の措置の正当性を審査し、公正な処遇の実現に寄与する基本原理であるというドイツ法における基本的認識は、わが国においても貴重な示唆として受けとめられるべきである。
  以上のような問題意識にたち、本稿は、わが国における雇用差別事件の司法的救済に内包される問題点を、ドイツ法を手がかりとして検討することを通して、わが国における雇用差別法理に新たな視点を提示することを目的とする。とりわけ、本稿では、ドイツにおいて平等取扱原則が最も機能しうるとされる、使用者による一定の給付に関連する差別事件、すなわち賃金差別事件を中心に検討を試みる。平等取扱原則による問題解決の意義は、使用者による給付が問題となる賃金差別において最も顕著に現れると考えるからである。そして、その検討のうえで、わが国における平等取扱原則の意義と導入の可能性について考察する。

四、本稿の構成
  第一章では、わが国における差別事件の司法的救済の問題点を抽出する前提作業として、賃金差別事件を中心に裁判例・学説を分析する。第二章では、第一章における分析から抽出された問題点に関して、ドイツ法研究からえられる示唆を手がかりとして検討をおこなう。そのうえで、わが国における平等取扱原則導入の意義はいかなる点にみいだされるかを明らかにし、そのうえで平等取扱原則をわが国の雇用差別法理に導入する可能性、すなわち平等取扱原則の法的根拠について検討をおこなう。最終的に、わが国の雇用差別禁止法理に契約論上の新たな視点を提起することが目指される。

(1)  一九四八年に国連によって採択された「世界人権宣言」、一九六六年に採択された「国際人権規約」をはじめ、男女同一価値労働同一賃金に関するILO一〇〇号条約(日本は一九六七年に批准)、一九八〇年の「女子差別撤廃条約」(日本は一九八五年に批准)、家族責任に関するILO一五六号条約(日本は一九九五年に批准)、パートタイム労働に関するILO一七五号条約、雇用および職業についての差別待遇に関するILO一一一号条約などがある。
(2)  労基法三条、同法四条以外の労働法における差別禁止規定として、組合規約に関して定める労働組合法五条二項、組合所属や組合活動を理由とする差別を不当労働行為として禁止する労組法七条、職業紹介・職業指導に関する行政機関による差別的取扱を禁止する職業安定法三条、公務員の身分保障について定める国家公務員法二七条、地方公務員法一三条、男女雇用機会均等法がある。また、「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(いわゆるパートタイム労働法)は、事業主に対して短時間労働者と通常の労働者の均衡をはかる努力義務を課すものである。
(3)  女子の結婚退職制の公序違反を認めた、住友セメント事件・東京地判昭四一・一二・二〇労働関係民事裁判例集(以下、労民集)一七巻六号一四〇七頁、「女子若年定年制」の公序違反を認めた、東急機関工業事件・昭四四・七・一労民集二〇巻四号七一五頁、定年に一〇歳の年齢差を設けた「男女別格差定年制」の公序違反を認めた伊豆シャボテン公園事件・最三小判昭五〇・八・二九労働判例(以下、労判)二三三号四五頁、五歳の年齢差を設けた「男女別格差定年制」の公序違反を認めた日産自動車事件・最三小判昭五六・三・二四最高裁判所民事判例集(以下、民集)三五巻二号三〇〇頁などがある。
(4)  もっとも、この点に鑑み、労基法の刑罰規定としての公法的側面を意識した限定解釈が、私法的側面での解釈をも拘束すると考える一元的解釈を批判し、労基法の私法的側面での解釈においては、限定解釈をとらず、合目的的観点からの現実に即した弾力的解釈が要請されるべきである(これは二元的解釈と称される)とする見解が有力に主張される。西谷敏「労働基準法の二面性と解釈の方法」外尾健一先生古稀記念『労働保護法の研究』(一九九四年・有斐閣)九頁以下。労基法三条、同法四条につきこの解釈方法に賛同するものとして、たとえば浅倉むつ子「パートタイム労働と均等待遇原則・下」労働法律旬報(以下、労旬)一三八七号四二頁以下、和田肇『労働契約の法理』(一九九〇年・有斐閣)二四〇頁脚注(四六)。
(5)  「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」(男女雇用機会均等法)は、一九八五年に制定され、一九九七年に改正された(上記の名称のうち、「女子労働者の福祉の増進」部分は削除された)。改正前は、紛争解決手段として予定される調停制度の要件の厳格さ、福祉法的性格、募集・採用、配置・昇進における女性差別の撤廃が使用者の努力義務とされていた点が問題視されてきた。法改正は、これらの問題点に一定の改善をもたらしたものである。男女雇用機会均等法については、とくに、浅倉むつ子『均等法の新世界』(一九九九年・有斐閣)参照。
(6)  蛯原典子「ドイツ労働法における平等取扱原則(一)」立命館法学第二六〇号四二−七四頁、「同(二)」立命館法学第二六一号一六〇−二一六頁、「同(三・完)」立命館法学第二六二号一四三−一九八頁。
(7)  蛯原・前掲論文においては、平等取扱原則の歴史的展開をみたうえで、この原則の適用領域につき、裁判例の紹介も含め具体的に検討し、その後に法的根拠、適用のための要件、法的効果について分析するという構成をとった。ドイツでは、平等取扱原則はすでに判例法理として確立したものとして認識されているため、法的根拠の問題は適用領域との関係で直接的な意味をもつものではない。このため、前掲論文においては、わが国に存在しない平等取扱原則の具体像をまず明らかにするという趣旨で、右のような構成に依っている。なお、本稿においても、前掲論文との整合性を保つため、右の構成にしたがっている。
(8)  平等取扱原則の歴史的展開については、蛯原・前掲「ドイツ労働法における平等取扱原則(一)」五六頁以下参照。
(9)  BAG vom 6. 4. 1982, BAGE Bd. 38, S. 232.
(10)  一九八五年に制定された就業促進法(Gesetz u¨ber arbeitsrechtliche Vorschriften zur Bescha¨ftigungsfo¨rderung vom 26. 4. 1985 (BGBl. I S. 710))二条一項は、「使用者は、パートタイム労働であることを理由として、パートタイム労働者をフルタイム労働者に対して差別的に取り扱ってはならない。ただし、客観的な理由が差別的取扱を正当化する場合は、この限りでない。」と規定する。
(11)  Franz Marhold/Markus Beckers, Gleichbehandlung im Arbeitsverha¨ltnis, AR−Blattei SD, 1996, Rdnr. 65.
(12)  ナチス労働法の基本的思想の一部に位置づけられる事業所共同体思想とは、経営を、事業所の指導者(Fu¨hrer)としての企業主と、従属者(Gefolgschaft)としての労働者が、経営目的の推進と民族および国家の共同利益という共同の目的のために協働する(Zusammenarbeit)一つの共同体として把握するものである。さらに、そのような事業所共同体においては、労使関係は、債権関係とは完全に異なる当事者の忠実紐帯を伴う共同体関係、すなわち人格法的共同体関係(personenrechtliches Gemeinschaftsverha¨ltnis)として把握され、扶助と忠誠の関係によって統合される。すなわち、労使関係は忠実思想によって支配され、労働者は忠実義務を、使用者は配慮義務を負うとされたのである。ナチス労働法の基本思想については、西谷敏『ドイツ労働法思想史論』(一九八七年・日本評論社)四三五頁以下、和田・前掲『労働契約の法理』四五頁以下参照。
(13)  一九三四年国民労働秩序法(Gesetz zur Ordnung der nationalen Arbeit)一条は、「事業所において企業主は事業所の指導者として、職員および現業労働者は従属者として、共同して事業所目的の促進、民族および国家の共通の利益のために労働する。」と規定し、二条二項は「指導者は従属者の福祉を配慮しなければならない、従属者は指導者に対し事業所共同体に基礎をおく忠誠を保持しなければならない。」と規定していた。
(14)  ドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz fu¨r die Bundesrepublik Deutschland vom 23. 5. 1949 (BGBl. I S. 1))三条は、以下のような規定である。「すべての人は法律の前に平等である。」(一項)、「男性と女性は同権である、国は、女性と男性の同権が実際に達成されることを促進し、現に存する不利益の除去を目指す。」(二項)、「何人も、その性別、血統、種族、言語、故郷および出自、その信仰、宗教的または政治的見解を理由として、不利益を受け、または優遇されてはならない。何人もその障害を理由として不利益を受けてはならない。」(三項)。
(15)  事業所組織法(Betriebsverfassungsgesetz vom 15. 1. 1972 (BGBl. IS. 13))七五条一項は、以下のような規定である。「使用者と従業員代表委員会は、事業所で働くすべての者が法と正義の原則に従って取り扱われ、とりわけそれらの者に対して、その血統、信条、国籍、出自、政治的活動または労働組合活動、もしくは政治的立場または労働組合上の立場、性を理由とするいかなる差別的取扱もおこなわれることのないよう監視するものとする。使用者と従業員代表委員会は、労働者が一定の年齢段階をこえたことを理由に不利な取扱を受けることのないよう留意するものとする。」
(16)  ドイツ民法典(Bu¨rgerliches Gesetzbuch vom 18. 8. 1986 (RGBl. S. 195))二四二条は以下のような規定である。「債務者は、取引の慣習を顧慮し信義誠実にあうように給付をおこなう義務を負う。」
(17)  配慮義務概念については、「配慮」という概念が権力関係に基礎をおくものであり、対等な当事者の関係である労働契約において適切でない、といった指摘のほかに、配慮義務の基礎となってきた人格法的共同体関係理論が、労働者の人格的拘束の法外な拡張の契機を内包する点を批判する見解が指摘される。しかしながら、配慮義務概念に見いだされてきた、労働者保護の法思想を労働関係に注入する機能が否定されているわけではない。和田・前掲『労働契約の法理』一一六頁以下参照。
(18)  BGB一三四条は以下のような規定である。「法律上の禁止に違反する法律行為は、無効である。ただし法律に異なる規定が存在する場合にはこの限りでない。」
(19)  西谷敏『ゆとり社会の条件』(一九九二年・労働旬報社)一三五頁以下。
(20)  この点に関して、西谷・前掲『ゆとり社会の条件』一三九頁では、平等取扱原則に違反する措置も契約上の合意に基づくものであれば有効と解するドイツの判例・通説の見解を、労働者の従属的地位の軽視にあたるとして批判しつつ、なおそうであっても、平等取扱原則は、使用者の一方的決定につき、その余地をできるだけ狭くし、そこから不当な結果が生じないよう法がたえず監視すべきであるという基本的発想の現れであり、そこから学ぶべきものは多いと指摘される。
(21)  Marhold/Beckers, a. a. O., Rdnr. 239.
(22)  マイヤー・マリーは、この点について、平等取扱原則には、そもそも合意によって排除されえない「堅固な核(harter Kern)」が存在すると述べる。Theo Mayer−Maly, Gleichbehandlung im Arbeitsverha¨ltnis, AR−Blattei SD, 1975, H. ドイプラーはさらに、労働者と使用者が真に対等な立場で交渉をおこなった結果、成立した合意であるか否かは、その合意内容から帰納的に推定しうると述べる。Wolfgang Da¨ubler, Das Arbeitsrecht 2, 8. Aufl., 1995, S. 317.
(23)  ドイツでは、労働者と使用者が締結する個別的労働契約とともに、労働協約と従業員代表委員会による共同決定が、労働者の労働条件決定に重要な役割を果たしている。労働協約が、産業レベルで賃金やその他の労働条件に関する規制をおこなうのに対して、事業所組織法に根拠を有する従業員代表委員会による共同決定は、事業所レベルでの労働者の利益代表システムとして位置づけられる。その共同決定の対象は、社会的事項(労働条件や就業規則に関するもの)、人事的事項(雇い入れ、配転、格付け変更、解雇に関する人事措置とその計画に関するもの)、経済的事項(経営の組織・活動方法、経営の活動領域の根本的変更に関するもの)にわたり、各個別問題により共同決定、協議、意見聴取、情報提供に関する権利が従業員代表委員会に保障されている。これらの集団的規制によって定められた労働条件は、それが内容的に労働者にとって有利である限りにおいて、個別契約によって定められた労働条件に優位する。
(24)  労働条件につき、労働協約や従業員代表委員会による共同決定の規制がおよぶところでは、平等取扱原則は直接的に問題とならないとされる。労働協約当事者は、基本法一条三項が述べるところの規範制定者として、基本法三条の差別的取扱禁止規定に直接拘束され、従業員代表委員会は、事業所組織法七五条一項の差別的取扱禁止規定により平等取扱義務を負うからである。


第一章  賃金差別事件をめぐる裁判例・学説の分析


第一節  検討の視角

一、対象の限定
  使用者による差別的取扱の正当性を争う事件は、採用から解雇まで、雇用のステージのあらゆる場面において発生する。本章では、そのなかでも賃金差別事件を素材として、わが国おける雇用差別法理を検討する。賃金差別が実務において問題となりやすく、裁判例も集積されてきていること、また後述するように、賃金差別事件の検討から雇用差別に対する司法的救済の問題点を導出しうること、また、ドイツにおいてもそうであるように、手当等も含む賃金に関わる領域において、平等な取扱の実現がとくに重要と考えられるからである。
  ところで、わが国において、これまで差別事件については、性や思想・信条といった差別理由ごとに別個の検討がなされる傾向があった。これは、差別事件の議論の出発点として位置づけられる労基法上の差別的取扱禁止規定が、禁止される差別理由を限定列挙する構造を有していることに起因する。しかしながら、差別理由が異なるとはいえ、そこでの議論の目的が平等の実現にあるということは共通している。したがって、本稿では、賃金差別事件に共通してあげられる論点を抽出し、その論点ごとに裁判例や学説の議論状況をみていくという方法を選択する。そして個々の論点の検討において、必要に応じて、差別理由ごとの分析をおこなうこととする。そこで取り上げるのは、性を理由とする差別事件、思想・信条を理由とする差別事件、組合所属を理由とする差別事件、そして労基法などの差別的取扱禁止規定に包摂されない差別理由に基づく事件に分類しうる。
  なお、賃金差別事件に限定しても、その訴訟の数は非常に多いため、本稿では検討の素材とする事件をあらかじめ限定している。まず、訴訟が提起されたものでも、係争中あるいは和解が成立し判決が出されていないものについては取り上げていない。性を理由とする差別事件に関しては、これまで判決が下された事件をほぼすべて取り上げている。思想・信条を理由とする差別事件に関しては、先例的な判決と、最近注目された東京電力事件の各判決を取り上げる。組合所属を理由とする差別事件については、不当労働行為制度とも関連するが、労働委員会による法的救済は司法上の権利救済とは性質を異にする(1)ため、本稿の検討対象から外している。しかしながら、不当労働行為にあたる事案に関しても労働者が司法上の救済を請求する場合があり、そのような事件のなかから後述する論点との関わりで重要と思われる判決を取り上げることとする。最後に、差別的取扱禁止規定に包摂されない差別理由に基づく事件については、雇用形態を理由とする差別事件を取り上げる。

二、論点の抽出
  賃金差別事件に関する裁判例や学説を概観すると、つぎにあげるような論点を抽出することができる。
  まず第一にあげられる点は、賃金額の決定・支払において違法な差別的取扱が行われた場合、労働者はいかなる法的根拠に基づいて、その差額を使用者に請求することができるかという問題である。労基法三条は労働者の「国籍、信条又は社会的身分」を理由とする「賃金、労働時間その他の労働条件」に関する差別的取扱を禁止し、労基法四条は労働者が「女性であることを理由と」する賃金差別を禁止する。しかしながら、これらの条文は、そこに掲げられた理由に基づく差別的取扱を罰則つきで使用者に義務づけることは明記するものの、同条違反があった場合の私法的効果について述べるものではない。そこで、これらの差別禁止規定に違反する処遇がなされた場合に、その差額賃金相当額を請求する法的根拠をいかに説明するかが、判決ならびに学説上の重要な論点として提起された。裁判例、学説、そして原告の側が主張する請求原因から取り出しうるのは、違法な差別的取扱がなされなかったならば与えられるべき賃金と、実際に支払われた賃金との差額を過去にさかのぼって請求しうるとする差額賃金請求権構成、違法な差別的取扱は不法行為にあたり損害賠償請求権が発生するという不法行為に基づく損害賠償請求権構成、そして使用者は労働者を合理的な理由なく不利益に取り扱ってはならないという平等取扱義務を負うところ、違法な差別的取扱はこの義務違反にあたるから損害賠償を請求できるとする債務不履行に基づく損害賠償請求権構成の三つである。そこで、以上の三つの構成のうち、それらの構成はいかに根拠づけられるのか、どの構成がいかなる事案について採用される傾向があるのか、その選択の指標は何か、といった点につき、裁判例と学説を検討する。
  第二にあげられる論点は、立証責任の配分と違法な差別的取扱の存在を認定する際に証明されるべき事実の内容である。差別事件において、立証責任の配分が訴訟の結論に大きな影響を及ぼすことは、多くの論者によって指摘されるところである。そこで、まず立証責任の配分について裁判例と学説の状況を検討し、そのうえで証明されるべき事実の個別的検討をおこなう。証明されるべき事実として、賃金格差の存在、差別的取扱を正当化しうる合理的理由、使用者の差別意思があげられる。なお、この他に、原告が差別理由に該当することについての被告の認識も問題となるが、これについては、性差別など差別理由が外見上明白である場合にはとくに立証を要せず、思想・信条を理由とする差別のように、外見上明白でない理由の場合のみ問題となるので、使用者の差別意思に関する検討のなかに含めることとする。最終的に、証明されるべき事実として、賃金格差の存在、合理的理由の有無、使用者の差別意思を取り上げ、各事実ごとに要求される証明の内容や程度につき裁判例の傾向や学説の議論を検討する。なお、使用者の差別意思との関連で、最近注目されている間接差別法理についても言及しておきたい。
  第三の論点として、違法な差別的取扱に対する司法上の権利救済の内容をあげることができる。まず、賃金差別においては、違法な差別的取扱がなかったならば受け取ったであろう賃金額と実際に支払われた賃金額との差額を原告に得させることが、救済内容として最も重要であるが、その是正されるべき賃金の基準をどこに設定するか、換言すれば、その基準の一〇〇%相当額につき原告に請求権を認めるかについて、裁判例において統一的な解決がなされていないと思われるので、その原因について検討しておきたい。つぎに、原告の請求が認容された場合の使用者の防御方法として、消滅時効の援用があげられる。消滅時効の完成いかんは救済内容に大きな影響を与えるため、検討が必要と考える。なお、消滅時効期間や起算点の定め方は、請求の法的根拠としてなにを選択するか(第一の論点)によって異なるため、その法的根拠ごとの検討が不可欠となる。また、訴訟終結後も労働関係の継続が予定される場合には、将来的な請求が意味をもってくるが、この趣旨の請求に対して裁判例がいかなる対応をとっているか、検討しておく必要がある。最後に、慰謝料請求について、その認容の可否と金額の程度、賃金格差相当額の請求と慰謝料認容の関係について、裁判例や学説の状況をみることとする。

第二節  個別論点ごとの検討

一、賃金格差相当分を請求する法的根拠
  1、差額賃金請求権
  使用者による違法な差別的取扱があった場合、労働者は、その差別的取扱がなされなかったならば与えられた賃金と、すでに支払われた賃金との差額を過去にさかのぼって請求することができるとされる。この差額賃金請求権の法的根拠については、主に労基法四条違反に関連して、学説において以下の諸説が唱えられた。すなわち、@労働者は労基法四条の当然の効果として、差別されなかったならば得たであろう賃金との差額を使用者に請求できるとする説(2)、A労働者が女性であることを理由として賃金について男性と差別的取扱をされないことを、労基法一三条にいう「この法律で定める基準」と理解したうえで、労働契約の賃金に関する部分が労基法四条に違反して無効である場合に、その無効になった空白の部分は、女性労働者が男性労働者と平等に取り扱われたならば認められるであろう法的地位によって補充されると解する説(労基法一三条適用説(3))、B就業規則や給与規定等において労基法四条違反によって無効とされなかった賃金基準が適用されると解する説(4)、C労働者は法の一般原則としての平等取扱原則に基づいて、差別がなかったならば得たであろう賃金との差額を使用者に請求できると解する説(5)、D女性の差別のない賃金部分の労働契約は、裁判所があらためて当事者に約定させるか、裁判所みずから黙示の契約として合理的に推定することが必要とする説(6)である。
  以上の諸説については、つぎのような問題点が指摘されている。まず、@説に対しては、労基法は、禁止規定とその禁止規定に違反した場合の効果を別個に定める(民事的効力については労基法一三条、刑事的効力については労基法一一七条以下で規定する)構造を採用しているのであって、このことに鑑みれば、労基法四条がその禁止に違反した場合の民事上の効果を当然に黙示的に定めていると解することは無理があると指摘されている。A説に対しては、たしかに労基法一三条は民事上の効果を包括的に定める規定であるが、労基法一三条の「この法律で定める基準」とは、本来労働時間や休憩などといった具体的な基準をさしているのであり、労基法四条がいう「女性であることを理由として差別しないこと」を一三条における具体的な基準とすることは困難である、労基法一三条の「この法律で定める基準」が男性労働者の賃金の基準であるという結論は必ずしも労基法一三条から導き出されえない(7)、労基法四条がいう「女性であることを理由として差別しないこと」は一種の禁止であって要件の問題であり、違法な差別的取扱があった場合の効果の問題とは別個のものである(8)、といった点が指摘される。B説については、賃金差別が明確な規定に基づいてなされない場合には依るべき基準がないといった批判がなされ(9)、C説に対しては、法の一般原則である平等取扱原則というのは抽象的にすぎるといった批判が加えられる。さらに、この問題については、事案の内容により異なる処理がなされるべきであるとし、男女別賃金表のように、女性にのみ不利な基準や規定が設けられている事案においては、その基準等が無効となり、男性と同様の要件の下で権利が発生し(B説と同様の処理)、賃金の査定や格付けにおいて差別的な法律行為がなされた事案においては、その法律行為は無効となり、無効となった部分が解釈により補充できるときは差額請求権が発生し、そのような補充的解釈が不可能な場合には、後述する不法行為に基づく損害賠償請求によるほかはないとする見解(E説)も存在する(10)
  つぎに裁判例を検討する。差額賃金相当分の請求において労働者の差額賃金請求権を認容したものとして、性を理由とする賃金差別に関する初めての判決として注目された秋田相互銀行事件・秋田地裁判決(11)があげられる。被告(秋田相互銀行)は、職員の基本給を本人給と職能給より構成されるものとして支給していたが、本人給につき二つの表を作成し、男性行員全員には(1)表を、女性行員全員には(2)表を適用していた。(1)表と(2)表に基づき支払われる本人給額は、二五歳までは同額であるが、二六歳以降につき(2)表の給与額上昇率が低く抑えられ、年齢が上昇するほど(1)表との格差は拡大するものであった。その後、労働基準監督署の指導により、扶養家族を有する男性行員には(1)表を、女性行員全員と扶養家族を有しない男性行員には(2)表がそれぞれ適用されることになったが、扶養家族を有しない男性行員には調整給が支払われ、総額として(1)表に掲げられる金額に相当する額が支払われたため、結局は女性にのみ(2)表に掲げられる金額が支払われた。原告ら女性行員七名は、このような取扱は女性であることを理由とする賃金に関する差別的取扱であり、憲法一四条、労基法四条、民法九〇条に違反し無効である、そして無効となった原告らの給与に関する部分は、労基法一三条の規定により男性行員に適用された基準に基づき決定されるべきであると主張し、さらに予備的に不法行為による損害賠償請求、不当利得返還請求を主張した。
  本件につき、判決は、被告による賃金決定を女性であることを理由とする差別的取扱であると認定したうえで、「労働契約において、使用者が、労働者が女子であることを理由として、賃金について、男子と差別的取扱をした場合には、労働契約の右の部分は、労働基準法四条に違反して無効であるから、女子は男子に支払われた金額との差額を請求することができるものと解するのを相当とする。けだし、労働基準法で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とされ、この無効となった部分は労働基準法で定める基準による旨の労働基準法一三条の趣旨は、同法四条違反のような重大な違反がある契約については、より一層この無効となった空白の部分を補充するためのものとして採用することができるものとみなければならないからである」と述べ、原告の請求を認容した。本判決は、先に述べた諸説のうちA説に依拠したものとして注目された。
  同様にA説を採用した判決として、三陽物産事件・東京地裁判決(12)があげられる。被告(三陽物産)は、基本給の一部である本人給の支給につき、従業員が世帯主であるか否かを基準にして従業員の実年齢に応じて支給するものと、実年齢に関係なく一定年齢(二五歳ないし二六歳)に据えおいて支給するものとに区別していた。その後、労働基準監督署の指導を受け、上記世帯主基準に加えて勤務地域限定の有無に基づき本人給支給額を区別することにしたが、広域配転の経験のない非世帯主および独身の世帯主である女性従業員に対しては、勤務地域を限定した内容の勤務地域確認票を送付したのに対して、非世帯主または独身の世帯主である男性従業員に対しては、広域配転の経験の有無にかかわらず勤務地を無限定とした確認票を送付し、結局は女性従業員にのみ一定年齢で据え置きとなる本人給を支給し続けた。原告ら女性従業員三名は、このような取扱は労基法四条に違反するとし、実年齢に応じて定められる本人給額および一時金と、受領済みの本人給および一時金との差額賃金請求、または不法行為による損害賠償請求、労働契約上の債務不履行または不法行為に基づく慰謝料請求、ならびに実年齢に応じた本人給をうける労働契約上の権利を有することの確認請求をおこなった。
  本件につき、判決は、上記のような被告の賃金額決定行為を、女性であることを理由とする差別的取扱であると認定し、労基法四条違反を認めた。そして、世帯主基準、勤務地域限定基準はいずれも無効であるから、給与規定には従業員の実年齢に応じて本人給が定められるとの規定と、適用年齢は毎年四月一日をもって定められる旨の規定しか残らないところ、「原告らの賃金請求権は、労働基準法四条、一三条の趣旨に照らし」本件給与規定によって発生するものと解するのが相当であると判示した。
  また、労基法四条違反を認めず民法九〇条違反を認めた点で前掲二判決と理論構成を異にするが、同じくA説を採用した事案として日本鉄鋼連盟事件・東京地裁判決(13)があげられる。被告(日本鉄鋼連盟)においては、男性職員には将来の幹部職員として重要な仕事を担当させ、女性職員には定型的・補助的な業務を担当させるものとして処遇する「男女別コース制」が採用され、さらに基本給の引き上げおよび一時金の支給係数についても、男女に差を設ける協定を労働組合と締結して支給していた。これに対して、原告ら女性七名は、「男女別コース制」と称される二本立て処遇の存在を否定し、同一の職務に従事しているにもかかわらず性を理由に差別する使用者の取扱は労基法四条違反として無効であり、労基法一三条の適用により、同期同学歴の男性職員の賃金基準に基づき決定される差額の請求をおこなった。
  これにつき判決は、本件「男女別コース制」には合理的な理由がなく憲法一四条の趣旨にも合致しないが、そのような募集・採用における男女差別が、原告らが被告に雇用された昭和四〇年代当時において公序に反するとまではいえないとして、この点に関する原告らの請求を棄却した。しかしながら、基本給の引き上げおよび一時金の支給係数につき女性を男性より不利益に定めた部分は、民法九〇条に違反して無効であり、無効となった部分は「労基法四条、一三条の類推適用によって、男子について定められたものと同一のものとなると解するのが相当」と判断し、原告らの差額賃金請求権を肯定した。
  また、B説に依拠して問題を処理したとみられるのは、岩手銀行事件・盛岡地裁判決(14)である。被告(岩手銀行)は、家族手当の支給につき世帯主であるか否かを基準として支給の有無を決定していたが、夫婦が共働きで配偶者が一定額以上の収入を得ている場合は、夫たる行員に家族手当を支給するという規定(本件争点部分)をおいていた。これに対して、原告女性は、本件争点部分は女性であることを理由として賃金につき男性と差別的取扱をするものであり、憲法一四条、民法九〇条、労基法四条、同法九二条に違反し無効であると主張し、また無効部分以外の家族手当受給要件を具備していることに基づき、家族手当請求権を主張した。
  これに対して、判決は、本件争点部分を労基法四条、同法九二条違反であり無効とし、原告女性の家族手当請求権を認容した。この家族手当請求権の法的根拠につき、判決はとくに説明を加えていないが、原則として妻たる行員を支給対象から除外した本件争点部分が無効である以上、支給基準として残るのは「自己の収入をもって、一家の生計を維持する者」を世帯主と定める部分のみであるから、この要件を満たす原告に家族手当請求権が発生するという理論構成にたつものと評価されている(15)。なお、本件の控訴審判決である岩手銀行事件・仙台高裁判決は、本件争点部分を労基法四条違反とし、さらに憲法一四条一項と労基法四条によって形成される公序に違反するから、民法九〇条および同法一条ノ二により無効であるとして、当該無効部分を除く給与規程および労働協約に基づき、家族手当等の支払を命じた。この仙台高裁判決は、本件争点部分を無効とする法的根拠につき第一審と見解を異にするものの、家族手当請求権の法的根拠については、第一審と同じくB説に依拠するものである。
  さらに、E説にたつものとして、組合活動を理由とする差別事件であるJR西日本事件・広島地裁判決(16)があげられている。被告(JR西日本)は、原告らが組合バッジを着用して業務を行ったことに対して、その原告らの行為を職務専念義務違反として夏期手当の減率査定をおこなった。これに対して、原告らは、本件減率査定は考課査定権の濫用または不当労働行為に該当するとして、夏期手当請求権または不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき手当の差額請求を行った。これに対して、判決は、本件減率査定には合理性が認められないから、(原告一名を除き)裁量権の濫用にあたると判示した。さらに、当該一時金の支給額につき具体的な算定方法が定められている限り、労働者はそれによって算定した金額による一時金の支払請求権を有するとし、原告らの夏期手当請求権を認めた。この判断は、E説のいう、無効となった部分を補充的解釈することにより差額賃金請求権を認めたケースと評価されている(17)

  2、不法行為に基づく損害賠償請求権
  使用者による違法な差別的取扱があった場合、不法行為(民法七〇九条)を根拠に賃金相当額の損害賠償請求権が認容されうるということにつき、学説上の異論はない(18)。裁判例においても、使用者の差別的取扱行為を不法行為であると認定し、原告の損害賠償請求権を認めることで事件の解決をはかるものは多数見受けられる。
  性差別事件において不法行為に基づく損害賠償請求を認めたものとして、日ソ図書事件・東京地裁判決(19)があげられる。被告(日ソ図書株式会社)は、その社員給与規則に「基本給は月額とし、学歴、職歴、技能、経験、勤続年数及び業務成績等を考慮してこれを定める。」、「昇給は原則として毎年一回とし、各人の勤務成績、業務能力などを勘案して行う。」と定めていたが、賃金表などの客観的な賃金支給基準となるものは存在しなかった。原告女性は、当初アルバイトとして入社し、定型的・補助的な業務に従事していたが、その後正社員となり、被告の一販売店の店長を務め、その後次長待遇までなり、さらに昭和四七年一月からは高度の判断能力を必要とするエヌカー発注業務を担当していた。ところが、原告の基本給は、入社時期、職務内容、年齢がほぼ同一である男性社員の基本給との比較において、明確な格差が存在した。原告は賃金格差の是正を申し出たが、是正がなされなかったため、このような取扱は女性であることを理由とする差別的取扱であるとして、労基法四条違反および同法一三条に基づき、基本給と退職金の差額相当分にあたる賃金請求権を主張し、また予備的に不法行為に基づく損害賠償請求をおこなった。
  これに対して判決は、「一般に、賃金は使用者の具体的な意思表示によって支給額が決定または変更されるものであるから、たとえ原告が労基法四条違反の賃金差別を受けていたとしても、使用者の具体的な意思表示にかかわらず、当然に男子の賃金基準に基づいて算出した金額と現実に支給された賃金との差額について賃金請求権を有するものではないと解するのが相当」とし、原告が主張した差額賃金請求(労基法一三条適用説)を斥けた。しかしながら、「労基法四条に違反する賃金差別は違法であって、不法行為に当たるから、原告の受けた賃金差別が女子であることを理由にしたものと認められる場合には、原告は、不法行為に基づき、被告に対し、賃金差別と相当因果関係に立つ損害の賠償を請求し得る」とし、質および量において男性社員が従事するのと同等と評価し得る業務に従事するにいたった時点から、被告の上記取扱は「労働基準法四条に違反する違法な賃金差別というほかはなく、しかも、適切な是正措置を講じなかったことについて被告に過失のあることは免れないから、不法行為に当たると解するのが相当」と結論づけた。
  同様に不法行為に基づく損害賠償請求権の構成にたつものとして、石崎本店事件・広島地裁判決(20)と塩野義製薬事件・大阪地裁判決(21)、さらに地方公務員に関する事案として鈴鹿市職員事件・津地裁判決(22)ならびに名古屋高裁判決(23)が存在する。石崎本店事件は、中途採用労働者の初任給における男女格差が、その後の基本給額や割増給、賞与の算定にも関係し、結果として男女賃金格差が維持拡大された事案であり、原告女性は、そのような取扱は女性であることを理由として差別するものであると主張し、労基法四条、同法一三条に基づく差額賃金請求、債務不履行(平等取扱義務違反)に基づく差額賃金相当の損害賠償請求、不法行為に基づく損害賠償請求、慰謝料請求ならびに賃金の確認請求をおこなった。これに対して広島地裁は、被告において賃金表などの客観的な支給基準が存在しない点に言及し、差額賃金請求権につき、労基法一三条にいう「この法律に定める基準」を確定できないと判示した。また、客観的な賃金支給基準が存在せず、そのために賃金額の決定に際し被告の具体的な意思表示が必要とされる本件において、被告の具体的意思表示がないにもかかわらず原告につき男性従業員と同等の初任給が決定されたものと解するには「意思表示の解釈上無理がある」として、原告の差額賃金請求権を否定した。また債務不履行に基づく損害賠償請求権についても、被告の債務の内容が不明確であるとしてこれを斥け、最終的に被告の差別的取扱行為は「労基法四条に違反し、公の秩序に反するものとして不法行為を構成する」とし、原告の損害賠償請求権を認めた。
  塩野義製薬事件は、同期同学歴の男性と同等の職務についているにもかかわらず賃金(能力給)について差別的取扱をうけたという事案であり、原告は、労働契約上の債務不履行(平等取扱義務違反)に基づく損害賠償請求と、不法行為に基づく損害賠償請求を主張した。これに対して、大阪地裁は、女性従業員に男性従業員と同一の労働に従事させながら、女性であることのみを理由として賃金格差を発生させた場合、使用者はこれを是正する義務があり、この義務を果たさない場合には男女同一賃金の原則に違反する違法な賃金差別として不法行為を構成すると判示した。また、鈴鹿市職員事件は性を理由とする昇格差別に基づく賃金格差の違法性が争われたものであるが、原告が地方公務員法一三条、労基法四条違反等に基づく不法行為による損害賠償、債務不履行(平等取扱義務違反)に基づく損害賠償を請求したのに対して、第一審は不法行為の成立を認め、国家賠償法一条に基づく損害賠償を被告市に命じた。これに対して、第二審は原告の請求を棄却している。
  つぎに思想・信条を理由とする差別事件をみると、使用者による賃金査定や人事考課を介して差別的取扱がなされる事案が多数見受けられる。査定や考課において特定の労働者に対する違法な差別的取扱がなされた場合、賃金格差相当分を請求する法的根拠の選択に際しては、査定や考課の法的性格が考慮されることになる。裁判例においては、査定や考課が違法におこなわれた場合、あるべき査定部分に労働者の期待的利益(期待権)を認め、これが査定権限の濫用または強行法規違反によって侵害された場合に、当該査定部分に不法行為に基づく損害賠償請求権の成立を認めるという理論構成が選択される傾向がある。
  たとえば、資格・等級および賞与・昇給の査定において「標準」よりも低い取扱をうけたことが思想・信条を理由とする差別的取扱であるか否かが争われた富士電機製造事件・横浜地裁横須賀支部決定(24)において、原告(債権者)は、被告(債務者)が標準的な昇格・昇給等をさせないのは債務不履行であるとして、標準的な昇格・昇級、賞与・昇給の査定による身分ならびに賃金請求権を主張し、さらに不法行為に基づく損害賠償請求権も主張した。これに対して、決定は、標準的な能力を有し勤務成績や会社に対する貢献度も標準的な従業員については、標準的な取扱をうける期待的利益(期待権)を有しているとし、そのような利益を有している原告に対する被告の行為は労基法三条、民法九〇条に違反する違法な行為であり不法行為を構成すると結論づけている。また、最低位の考課査定をうけた原告らが、それは思想・信条を理由とする差別的取扱によるものであるとして、不法行為に基づく損害賠償請求権を主張した福井鉄道事件・福井地裁武生支部判決(25)においても、原告らの損害賠償請求が認容されている。さらに、共産党員やその支持者であることを理由に賃金差別やその他の人権侵害をうけたのは、思想・信条を理由とする差別にあたるとして提訴された東京電力事件の各判決(26)においても、原告らの期待的利益に対する侵害があったことを理由に、不法行為に基づく損害賠償請求がいずれも認容された。
  また、組合員であることを理由とする賃金差別の事案では、労組法七条一号が違法性認定の根拠とされ、不法行為に基づく損害賠償請求権が認容されている。たとえば、タイムレコーダー打刻拒否闘争の実行・指導を理由として降格処分を受けた労組組合役員が、当該降格処分の無効とそれによって受けた査定差別の違法性を争った門司信用金庫(丸山)事件・福岡地裁小倉支部判決(27)において、原告は、降格処分以前に勤務年数や勤務成績等において同等であった従業員と、同等の賃金および賞与を請求する労働契約上の権利に基づく賃金請求権、右従業員と同等の査定をおこなうべき義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求権、憲法一四条、労組法七条一号、公序良俗違反を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求権、慰謝料請求等を主張した。これに対して、判決は、賃金請求権と債務不履行に基づく損害賠償請求権を否定したが、原告と比較対象者の間に存在する合理性のない査定格差は、労組法七条一号に反する違法な行為であるから、被告には民法七〇九条により賃金格差相当分の損害を賠償する義務があると判示した。また、併存組合下の一方の組合員に対する、人事考課を介してなされた賃金・賞与・および昇進に関する差別的取扱の不当性が争われた門司信用金庫(岩松他)事件・福岡地裁小倉支部判決(28)において、原告らは、使用者は労働契約上労働者を不当に差別してはならない債務を負っているとし、債務不履行に基づく損害賠償請求を、ならびに被告の差別的取扱は原告らの標準的取扱をうけるという期待権を侵害するものであり、憲法一四条、労組法七条、民法九〇条違反にあたるとし、不法行為に基づく損害賠償請求をおこなった。これに対して判決は、不当差別に基づく賃金支給があったならば、「原告らは適正な評価を受けた場合に支給されたであろう賃金、臨給の請求権を不当に侵害されたことになる(29)」ので、賃金差額分を不法行為による損害賠償として請求しうると述べ、原告の不法行為に基づく損害賠償請求権を認容している。また、人事考課・査定を介してなされた所属組合を理由とする昇格差別が問題となったヤマト運輸事件・静岡地裁判決(30)においても、原告の債務不履行および不法行為を理由とする損害賠償請求に対して、判決は、賃金上の処遇について労働者に具体的な期待が成立している事情の下で、使用者が労組法七条一号の定める事情により特定の労働者を他の労働者と比較して劣位に遇することは、労働者の期待権を侵害するものとして不法行為にあたると判示している。
  最後に、以上のような差別的取扱禁止規定に包摂されない理由に基づく差別事件に関しては、その差別的取扱が民法九〇条の公序良俗違反といえるか否かが検討され、それが肯定されれば不法行為に基づく損害賠償請求権が認められる。たとえば、同一労働に従事し、勤務時間、勤務日数、QCサークル活動への参加などの点で何ら異なるところがないにもかかわらず、雇用契約期間二ヶ月で反復更新を繰り返してきた女性臨時社員と女性正社員との間に存在した賃金格差の違法性が争われた丸子警報器事件・長野地裁上田支部判決(31)において、原告ら女性臨時社員は労基法四条違反、同法三条違反、同一(価値)労働同一賃金原則を内容とする公序違反を主張した。これに対して、判決は、労基法四条、同法三条違反をいずれも否定し、さらに同一(価値)労働同一賃金原則を公序とみなすことはできないとしながら、「同一(価値)労働同一賃金の原則の基礎にある均等待遇の理念」に反する賃金格差は、使用者の裁量の範囲を逸脱したものとして公序良俗違反の違法を招来する場合があると述べ、同勤続年数の女性正社員の賃金の八割を限度として公序良俗違反を認め、不法行為に基づく損害賠償請求を認容した。

  3、債務不履行に基づく損害賠償請求権
  これまで検討してきた二つの法的根拠に加えて、原告の側が積極的に主張を展開しているのが、債務不履行に基づく損害賠償請求権である。これは、使用者は、憲法一四条一項、労基法三条、同法四条等の平等の理念から、労働者を平等に取り扱う労働契約上の義務(平等取扱義務)を負っているとし、合理性のない賃金差別はこの平等取扱義務違反であり債務不履行を構成するという考え方である。学説のなかには、これに積極的な見解も見受けられるが、つぎにみるように、裁判例においては、これに否定的な判断が示されている。
  性差別事件のなかでは、前掲・石崎本店事件において債務不履行に基づく損害賠償請求が主張されている。これに対して、判決は、賃金決定には被告の具体的意思表示が必要であるところ、労働契約の内容として男性労働者と同等の初任給を支給すべき被告の債務を認めることは解釈上困難である(そうでなければ、被告の意思表示がないにもかかわらず実質上賃金債権の発生を認めることになってしまう)としてこの主張を斥けている。前掲・塩野義製薬事件においても、債務不履行に基づく損害賠償請求が主張されたが、判決はとくに理由を示すことなくその主張を斥けている(32)。また、前掲・鈴鹿市職員事件では、地方公務員法一三条を根拠とする平等取扱義務に対する違反が主張されたが、判決はこの主張を斥けている。
  つぎに思想・信条を理由とする差別事件に関しては、前掲・富士電機製造事件において債務不履行が主張されたが、それにとくに言及されることなく不法行為に基づく損害賠償請求権が認容されている。また、前掲・東京電力事件各判決のうち、長野・千葉・神奈川事件において、労基法三条と労働協約上の規定によって課される労働契約上の平等取扱義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求が主張された。これに対して、たとえば長野事件判決は、債務不履行に基づく損害賠償請求は契約上の賃金債権に基づく履行請求にかわる填補賠償ではないから、その判断対象は不法行為に基づく損害賠償請求と共通しており、認容しうる範囲についても前者が後者を上回ることはないとし、この主張を斥けている。
  組合員であることを理由とする差別事件においては、前掲・門司信用金庫(丸山)事件、前掲・ヤマト運輸事件において債務不履行が主張されたが、両判決は、人事考課は使用者の裁量に属するものであるから比較対象者と同等になるよう査定をすべき義務は存在しない(門司信用金庫事件)、労基法三条、労組法七条一号は平等な取扱を回復すべき契約上の義務を使用者に生じさせるものではなく、また抽象的な内容の雇用契約上の義務を認めることはできない(ヤマト運輸事件)として、いずれの主張も斥けている。

二、立証責任の配分と証明されるべき事実
  1、立証責任の配分
  労働者が使用者より不利益取扱を受けたと主張し、何らかの法的救済を請求する場合、立証責任の配分が訴訟の結論に大きく影響する。仮に、不法行為法の一般原則によれば、不法行為に基づく損害賠償請求を主張する場合、その成立要件につき原告が立証責任を負うことになる。すなわち、賃金格差の存在(損害の発生)と因果関係、違法性、故意または過失の存在につき、原告が主張立証(本証)し、これに被告が反証でもって対抗する。その結果、裁判官が事実の存否についていずれにも確定できない状態に陥れば、立証責任を負う原告がその危険を負担することになり、不法行為は成立しない。この危険を回避するためには、原告は、当該差別理由以外に異なる取扱をする理由が存在しないことを証明しなければならない。ところが、他に合理的な理由が存在しないことを立証するというのは、使用者が人事関係資料を一手に握り、それを公表しない場合にはほとんど不可能である。そこで、証拠の偏在による立証の困難性を理由に、立証責任の軽減ないし転換がはかられている(33)
  裁判例をみると、労基法四条違反に関しては、つぎのような立証方法が採られる(34)。労基法四条は「女性であることを理由とする」賃金差別を禁止するものであるため、同条違反を主張するためには、使用者の差別的取扱が「女性であることを理由とする」ものであることが証明されなければならない。このためには、男性と女性の間に異なる取扱の存在すること、女性であること以外に異なる取扱をする理由は存在しないことが証明されなければならないが、これらの立証をすべて原告である労働者に課すことは到底不可能であるため、後者の事実に関して立証責任の軽減ないし転換がはかられる。すなわち、労働者の側が、賃金に関して男性より不利益な取扱を受けていること、さらに事案によっては、他の女性も同様の取扱を受けていること、女性で男性と同じ扱いを受けている者がほとんど存在しないことを示し、男女賃金格差の存在を証明すれば、そこで性別を理由とする差別であることにつき一応の推定が成立する。これに対して、使用者は、当該差別的取扱に関して原告が女性であること以外の理由の存在を立証する責任を負い、使用者がこの立証に失敗すれば労基法四条違反の差別的取扱であることが認容される。他方、使用者がこの立証に成功した場合、原告はさらに、使用者の立証した理由が口実にすぎないことを立証しなければならず、それに失敗すれば差別の推定は覆ることになる(35)
  性差別に関しては、性の相違が外見上明白であり、かつ系統的な差別的取扱の様相を呈することが多いため、格差の存在や、それと差別的取扱との因果関係はまだ立証可能であるといえる(36)。しかしながら、思想・信条を理由とする差別に関しては、それが外見上明白でないうえに個別的な差別的取扱の様相を呈しやすく、さらに差別的取扱が査定や考課を介してなされることが多いため、賃金格差の存在と差別的取扱の因果関係の立証は非常に困難なものとなる。そのため、性差別事件と同様に、立証責任を軽減または転換する必要が生じる。ここでは、立証責任の配分と立証の方法について、思想信条を理由とする差別事件である前掲・東京電力事件と、組合所属を理由とする差別事件である税関事件をみることとする。
  東京電力事件各判決においては、立証責任の配分につき、判決ごとに異なった見解が示され注目された(37)。とくに問題となる点は、賃金格差の存在、そして賃金格差と差別的取扱の因果関係に関する立証責任の配分である。立証されるべき項目として、@原告の思想・信条に関する被告の認識、A賃金格差の存在、B合理的理由の存在、C標準者との同等性があげられる。このうち、@Aについては、各判決すべてが原告に立証責任を課しているが、Bに関しては一判決(群馬)以外はすべて被告に立証責任を課している。Cについては二判決(山梨・長野)が原告に立証責任を課し、他の判決はそもそも立証不要であるとする。しかしながら、最終的にはCは損害額の算定に影響を与えており、標準者の同等性を認容した山梨事件判決以外は、平均的賃金と原告らが実際に受けた賃金の格差には被告の差別行為に基づく部分と正当な査定行為に基づく部分が混在しており、原告らは前者の部分につき主張立証を尽くしていないとして、算定不能(群馬・長野)あるいは割合的認定(千葉・神奈川)に帰結している。したがって、因果関係の点でCを立証不要とする判決も、最終的には損害額の算定において標準者との同等性の立証を原告に課すものである。これに対して、学説においてはとくにCの立証責任の配分をめぐって、使用者の差別意思がかなり明確であり、賃金格差がかなり顕著であるという本事件の特殊性と証拠の偏在を理由に、その立証を不要と解すべきとする見解がある(38)一方で、本件における侵害利益は原告らが能力・実績に応じて賃金を受ける法的利益であるから、損害額の算定においてCは問題とならざるをえないし、仮に平均的賃金との格差を問題とするならば、標準者と同等の処遇を受ける期待的利益が侵害されたとの主張がなされ、かつそれが法的に認められる必要があるので、やはりCの立証責任を原告に課す必要があるとする見解も主張される(39)
  つぎに立証の方法について、組合所属を理由とする差別にみられるように、ある程度集団的な比較が可能な事案の場合に、大量観察方式を採用しうるかが問題となる。大量観察方式は不当労働行為事件において、これまで労働委員会の審査のなかで採用されてきたものであり、組合側が、組合員と他の労働者の間に総体として格差のあること、および組合に対する使用者の嫌悪を証明すれば、それが組合差別によるものと一応推定され、そのうえで当該格差に合理的な理由があることの立証責任を使用者の側に課す方式である(40)。この立証方法が、司法上の救済においても採用されうるかについて、併存組合化の一方の組合に所属していることを理由とする昇任、昇格、昇級差別は違法であるとして不法行為に基づく損害賠償請求がなされた税関事件・神戸地裁判決(41)と大阪地裁判決(42)をみる。神戸地裁判決は、個々の組合員が他の非組合員に比べて昇任、昇格、昇級において差別的取扱を受けたというためには、両者の勤務実績や能力に差のないことが個別的に立証されなければならないと述べ、大量観察方式の採用を否定している(43)(ただし、年功序列的運用がなされている特別昇給については大量観察方式の採用を肯定する)。これに対して、大阪地裁判決は、賃金格差の存在の認定につき、組合員らと同期入関者との集団比較における給与格差の有無が重要として、大量観察方式を採用した(44)(ただし、損害額の算定においては個別の立証が必要であるとする)。学説においては、労働委員会の審理において大量観察方式という立証方法が採られるようになったのは、査定や考課を介してなされる組合員差別において、使用者が査定資料を提出しない状況のなかでも公正な解決を導き出すためであったのであるから、同様の事情が存在する司法上の救済においても大量観察方式を採用することが、当事者間の実質的公平の実現にとって不可欠であるという見解が述べられる(45)
  さらに、この大量観察方式と類似の方法として位置づけられるのが、民事訴訟における間接反証の理論である。前掲・福井鉄道事件において、判決が、人事考課資料を原告が入手しえない状況において、原告らの勤務成績が平均的従業員と同等であったにもかかわらず、不当な差別的取扱を受けたことを直接立証するのは不可能であるとし、原告らの人事考課が同職種の平均的従業員と比べて低位であることと、被告の差別意思の存在が認められれば、思想・信条による不当な差別的取扱の存在を一応推認し、使用者の側が、原告らに低い人事考課をしたことにつき合理的理由を立証できなければ、原告らの勤務成績が平均的従業員と同等であったにもかかわらず、不当な差別的取扱を受けたと認定すべきであると述べたことは、間接反証の理論もしくはそれと類似の考え方を前提とするものとして位置づけられている(46)
  最後に、法律上の差別禁止規定に包摂されない差別的取扱の場合には、その取扱が民法九〇条の公序良俗違反に該当するかが争点となるため、原告の側は当該差別的取扱に社会的合理性がないことを主張立証する責任を負う。例えば、前掲・日本鉄鋼連盟事件において、本件「男女別コース制」の公序違反の有無が争点となったが、判決は、少なくとも原告らが被告に採用された当時においては当該コース制が公序に反していたとはいえないとして、この点に関する原告の主張立証を斥けている。

  2、証明されるべき事実
  ここでは、裁判例の検討から、差別事件の訴訟において証明を必要とされる事実につき、その内容や傾向をみることとする。

    (1)  賃金格差の存在
  賃金格差の存在については、差別を受けていない労働者と原告が賃金につき比較可能な状況にあること、その比較において不利益な取扱が存在することが証明されなければならず、この立証責任は原告の側にある。賃金格差の存在を立証するためには、原告と比較しうる状況にある労働者を選定したうえで、原告が受け取った賃金額と、比較対象となる労働者が受け取った賃金額を明らかにし、その差額を明示することが必要となる。これに対して、被告の側は、原告側の主張する比較の基準は誤りであり、それゆえに原告と比較対象者として選定された労働者は比較しうる状況にないと反論する。また、比較対象者の選定は、違法な差別的取扱であることが認容された場合の賃金格差相当額の算定にも意味をもつものである。したがって、賃金格差の存在を証明するうえで、比較対象者としてだれを選定するか、そこでの比較の基準とはなにかという問題が検討されなければならない。
  たとえば、前掲・日ソ図書事件では、客観的な賃金支給基準は存在しなかったものの、被告の賃金につき、基本給を縦軸、年齢を横軸として表示した賃金分布表によれば、被告社員の賃金分布はほぼ直線で示されることから、年功的要因、とりわけ年齢との相関性が強い傾向にあることが認容され、また、学歴による基本給格差が存在しないこと、職員の昇進は職務手当に反映されるのみで基本給には反映されていないといった特徴が認定された。そのうえで、基本給格差における比較の基準として、勤続年数および年齢、そして職務の同等性があげられ、結果として勤続年数および年齢が比較的近く、質および量において同等と評価しうる職務に従事していた男性社員四名が比較対象労働者として選定された。本判決から、比較の基準の選定には、使用者の有する賃金体系にみられる一般的傾向やそこで一般的に重視される要因が重要な判断要素になるのであり、客観的な賃金表が存在する場合はもちろん、それが存在しない場合においても個別具体的な検討によって一般的傾向を導き出すことは可能であるということが明らかになる。
  さらに査定や考課を介してなされる賃金差別についても、同様の個別具体的検討がなされる。前掲・東京電力事件において、被告の賃金制度は複雑であり、基本給の定昇額や賞与における成績査定、昇格において、被告による考課査定が重要な位置を占めるものであった。原告らは被告の賃金制度は年功序列的傾向を有するものであるとして、同学歴・同期入社の労働者を比較対象として選定し、その平均賃金と原告らが受け取った賃金との格差を損害額として主張した。他方、被告の側は、賃金制度の年功序列的傾向を否定し、職務給体系を採用する被告の賃金制度にあっては、同学歴・同期入社の労働者を比較対象として選定することはできないと主張した。これに対して、各判決は被告の賃金制度を検討したうえで、全体として年功序列的な傾向を有し、かつ平均的な処遇への集中傾向があると認定した。そのうえで、比較対象者として同学歴・同期入社の労働者を選定することには理由があるとして、同学歴・同期入社の労働者の平均賃金との比較において賃金格差の存在を肯定している(47)
  前掲・丸子警報器事件においては、企業への帰属意識が比較の基準として妥当であるかという点が問題となった。判決は、労働内容の外形面(職種や仕事の内容、勤務時間および日数、QCサークル活動への参加)と内面(被告への帰属意識)を基準として比較可能性を認め、これらの基準に該当していた臨時社員につき、正社員と同等の処遇を命じている。判旨のように、会社への帰属意識という内面の要素を比較の基準に盛り込むことについては、抽象的な評価基準であって評価者の主観に左右されざるをえないといった批判が、学説から示されている(48)

    (2)  差別意思
  ここでいう差別意思とは、原告が差別理由に該当することを使用者が認識し、それを嫌悪し、結果としてその差別理由に該当する者に不利益を及ぼすことを認容して、あえて差別的取扱をおこなっている状態を指す。使用者による違法な差別の認定において、使用者が差別意思を有していたという事実が要件として必要かについては議論がある。裁判例においても、この点が明解に整理されているとは思われない。性差別に関しては、女性に対する不利益取扱が客観的に存在する以上、使用者がその合理的理由を立証できない限りは、差別意思の認定の有無にかかわりなく、その不利益取扱は違法とする解釈がなされていると思われる。ただし、性に中立的な基準による不利益取扱の事案においては、使用者の性差別意思の存在が要件とされている。前掲・三陽物産事件において、判決は、「世帯主基準」と「勤務地限定基準」を労基法四条違反と判断する理由として、当該基準を適用した結果、女性に対して著しい不利益が生ずることを使用者が容認していたと推認することができる点をあげている。また、前掲・日本鉄鋼連盟事件において、判決は、本件「男女別コース制」の公序違反性を審議するくだりにおいて、採用基準および採用手続を異別にすることにつき特段の事情がある場合、すなわち職務上は同一の資格、能力を有しているにもかかわらず、女性を差別するとの意図の下に男女で異なった処遇をおこなうような場合には、同一の労働条件による取扱を強制されることがあると述べ、使用者の差別意思を性差別の公序違反の成立要件とする。他方、後述する日産自動車事件においては、性に中立な家族手当支給基準の違法性について、原告らは使用者の差別意思を主張したが、判決は、本件家族手当制度の正当性判断をするにとどまり、使用者の差別意思に関して判断をしていない。
  この点について、学説からは、性差別の成立要件として使用者の差別意思をあげる見解が主張される(49)一方で、女性労働者に対する差別的取扱それ自体が是正の対象とされるべきであって、使用者の差別意思の法的追求が目的になるべきではないとして、労働条件の男女間差別の成否を使用者の差別意思の認否にかからしめる解決方法に疑問を提示する見解(50)が主張される。
  性差別事件において、差別意思の認否の必要性につき議論があるものの、実際には使用者の差別意思につき厳密な立証が要求されていないのに対して、思想・信条を理由とする差別の場合には、使用者の差別意思は、差別と格差の因果関係を推認させる間接事実の一つとして重要な位置を占めている。前掲・福井鉄道事件において、判決が、原告らに対する人事考課が同職種の平均的従業員に比べて低位であること、かつ被告が原告らの思想・信条を嫌悪し差別意思を有していることが認められる場合には不当な差別であることが一応推定され、使用者がそれについての合理的理由を立証しない限り、不当な差別であることが認定されると述べるのも、その現れである。さらにいえば、そこでは外形的行為から推定される意思ではなく、内心の差別意思(思想・信条を嫌悪する発言)の直接の立証が求められているとみられる。これに対して、学説からは、使用者の差別意思の立証が労基法三条違反の要件であるとしながら、労働者側の差別意思の立証に対して使用者側の十分な反証がなされているか否かを、裁判官の心証形成にあたり重要視すべきであるとする見解(51)や、差別事件において労働者の側に使用者の差別意思の立証を求めることは、立証不十分という結果を引き起こし、労働者に長期かつ困難きわまる訴訟を強いることになるとして、この立証を使用者に転換すべきであるとの見解が述べられる(52)
  ところで、使用者の差別意思との関連で議論されるのが、間接差別(indirect discrimination)の法理である。間接差別とは、その基準自体は特定の差別理由にとって中立的であるが、その基準を適用すると、特定の差別理由に該当する労働者に著しい不利益を生じさせるものであり、かつ使用者が格差の合理性を立証できないものとして定義され、このような差別的取扱については、使用者の差別意思を問題とすることなく違法な差別となりうるとする法理が形成された。この法理は、アメリカにおいて、公民権法第七編に規定される性や人種差別禁止をより実効的ならしめるために、差別的効果の法理(disparate impact theory)として提唱され、その後、イギリスの一九七五年性差別禁止法一条一項、EUの一九七六年均等待遇指令二条一項において、性差別に関する同様の趣旨の規定が設けられている(53)
  間接差別法理を導入する意義は、第一に、特定の差別理由にとって中立的な基準が中立的に運用されている場合であっても、慣習的・伝統的な雇用管理上の行為から差別がなされる場合に、そのような事態を有効に規制しうる法理であること、第二に使用者の差別意思の立証を要せず(54)、特定の差別理由にとって中立的な制度や慣行が、その差別理由に該当する者に著しい不利益をもたらすということを原告が立証すれば、使用者の側が、その基準を適用する目的が真に必要であること、そのための手段が目的の達成にとってふさわしく、かつ必要不可欠であることを立証しなければならない点にある(55)
  間接差別を禁止する明文規定が存在しないわが国においては、性差別に関する労基法四条の解釈論上この概念を導入しえないかが議論される。たとえば、家族手当を実質上の世帯主、すなわち一家の生計の主たる担い手とする被告会社の措置の合理性が争われた日産自動車事件・東京地裁判決(56)のように、裁判官が使用者の差別意思の存在に関して心証を得たにもかかわらず、制度もしくは行為それ自体が中立的であながち不当とはいえないようなケースに関して、間接差別法理の必要性が説かれた(57)。また、前掲・丸子警報器事件のように、既婚女子を正社員として採用せず賃金を低額に抑えるといった処遇は、間接差別法理に基づいて労基法四条違反と構成しうるのではないかといった見解も述べられる(58)。さらに、前掲・三陽物産事件において、判決が、性中立的な基準であっても、使用者はその結果生じる効果が女性職員に一方的に著しい不利益となることを容認して当該基準を導入したものと推認することができると述べ、世帯主基準と勤務地限定基準を労基法四条違反と判示したことに関して、この判決は間接差別を認める趣旨のものではないかと注目を集めた。本判決は、使用者の賃金制度導入の経過とその運用実態において差別意思を推認し、それを違法な差別的取扱と認定した点で、使用者の差別意思の立証を不要とするものではなく、したがって間接差別でなく直接差別が肯定された事案と考えるべきであるとされるが、同時に「わが国における間接差別への架橋的な法理を提供したもの」と評価されている(59)

    (3)  合理的理由
  賃金格差の存在が認定され、違法な差別が存在することの一応の推定が成立した場合には、使用者がその差別的取扱を正当化しうる合理的理由が他に存在することにつき立証責任を負うことになる。では、その合理的理由としていかなるものが考えられるか。ここでは、使用者が主張した合理的理由の内容と、その認容の有無について、性差別事件を中心に検討をおこなう(それ以外の事件については後掲の表にゆずる)。
  まず基本給格差について、基本給は労働の対価として所定内賃金の中心的な位置を占めるものであるから、その基本給の意義と矛盾するような理由はそもそも合理的理由として認められない。たとえば、前掲・日ソ図書事件判決は、原告が共稼ぎであって家計の主たる維持者でないことは、基本給格差を正当化する合理的理由となりえないと明確に判示する。さらに前掲・秋田相互銀行事件判決、三陽物産事件判決からも、「家計の主たる維持者」あるいは「扶養家族の有無」という支給基準を、基本給に関して適用することは違法と解される傾向を読み取ることができる(60)。前掲・三陽物産事件においては「勤務地限定基準」が問題となったが、判決は、その運用において男女差別がなされない限り合理性が認められると述べる。これに対して、学説からは、その労働の価値の差に比べて当該基準による賃金格差が著しく大きい場合には、公正な賃金とは認められないのではないかといった見解が述べられる(61)。また、労働組合との交渉による結果格差が生じたとの主張も、基本給格差を正当化する合理的理由とはみなされない。
  つぎに、家族手当の支給格差が問題となった事案として、前掲・岩手銀行事件と前掲・日産自動車事件があるが、前者の判決においては、扶養親族を有する労働者に対する家計補助を目的とした賃金である家族手当の性格から、それは性別とは無関係な手当であり、したがって支給対象に夫婦のいずれか一方をあらかじめ特定しておくことに合理性はないとされる。夫婦のいずれが生計維持者であるかを具体的に認定するとなると労働者のプライバシーを侵害するため、あらかじめ夫を支給対象と定めたとの主張も、合理的理由とはみなされていない。これに対して、後者の判決では、共働き夫婦のうち支給対象を一方に限定することに合理性がある以上、支給対象者を夫婦のうち収入の多い方に特定する使用者の措置を違法とすることはできないとされる。もっとも本判決は、家族手当支給方式として、当該手当の支給申請者をもって受給者とする方法−二重支給を認める方法−がより明確性、一義性、平等性において優れているとしながら、いずれの方法を採用するかにつき使用者の裁量を認めたものである。
  昇格・昇進差別が問題となった事案として、後述する社会保険診療報酬支払基金事件と、芝信用金庫事件があるが、後者の判決は、能力主義的人事制度のもとでは、職務遂行能力、能率、技能等における差異を立証することができれば、それは合理的理由と認定されうると述べる。ただし運用面で年功序列性が認められれば、それらは合理的理由とならないとされる。昇格試験制度が設けられている場合においても、職務配置や研修等の面において男女に同等の機会が保障されていないのであれば、それはかえって不平等な制度として機能することが指摘される。また、前者の判決において、昇格における男女差を段階的に是正する旨の労働協約の存在は、合理的理由とみなされていない。さらに、段階的是正に関する労働組合と使用者間の協定に原告が異議を唱えることなく同意したことも、昇格措置における男女格差を正当化するものではないとされる。昇格格差が男性職員間における組合員差別を是正するためにおこなわれた昇格措置の結果生じたものであることも、合理的理由にあたらないとされる。
  最後に、能力給の男女格差が問題となった事案である前掲・塩野義製薬事件判決においては、職務遂行能力、とくに指導・育成能力、協調性や他者からの信頼度の低いことが賃金格差や昇格格差を正当化しうるには、具体性を備えた立証がなされなければならないとされる。

三、救済内容
  1、是正されるべき賃金の基準
  違法な差別的取扱であることが認容され、原告の不利益を是正する場合に、是正されるべき賃金の基準は何に求められるであろうか。労基法四条違反のケースにおける議論にみられるように、就業規則等に客観的な賃金支給基準が存在する場合には、違法な規定部分が無効となり、それ以外の賃金支給基準が差別を受けた労働者に適用されると解することが可能である。また、そのような規定が存在せず、個別契約によって賃金が定められる場合であっても、労基法一三条、あるいは労働契約の補充的解釈によって、有利な取扱をうける者、すなわち男性の賃金水準が女性にも適用されるとする見解も主張される(62)。ところが、客観的な支給基準が存在しない、あるいは考課や査定が介在するため差別がなかったならば評価されたであろう賃金水準が確定できない場合に、是正されるべき賃金の基準を何に求めるかは、裁判例のなかでも統一されていない。
  ひとつの方法として、比較対象となる労働者と同一の賃金水準を請求する可能性がある。さらに、比較しうる労働者をひとりに特定できない場合には、複数労働者の平均賃金の水準を請求することが考えられる。前掲・日ソ図書事件判決はこの方法に依拠した請求が認容されたケースであり、被告の賃金基準において年功的要因が強い傾向にあることを踏まえて、原告と年齢および勤続年数が比較的近い男性社員四名全員の基本給額の平均額を是正の基準とするのが最も合理的と判断されている(63)。また、昇格のように使用者の裁量行為が介在しうるケースでは、比較対象となる労働者の最低賃金水準が請求され、それが認容されている。このようなケースとして、同期同給与年齢の男性職員全員が副参事ないし課長職に昇格した時期以降の原告に対する昇格請求権ならびに差額賃金請求権を認容した、後述の芝信用金庫事件判決をあげることができる。
  査定や考課を介して差別的取扱がなされたケースである前掲・東京電力事件では、賃金制度の年功序列的性格を理由に、同期同学歴の労働者の平均賃金を是正されるべき賃金基準とした山梨事件判決がある一方で、平均賃金と原告らが支給されてきた賃金との格差には、正当な考課査定部分と違法な査定部分が混在しているとし、当該格差の一部分(三割ないし五割)を損害と認めた千葉、神奈川事件判決、違法な査定部分の特定に関する立証を原告らが尽くしていないことを理由に、是正されるべき基準を認定できないとして慰謝料請求のみを認容した群馬、長野事件判決が存在する。これに対して、学説からは、算定不能論は「損害」の金銭的評価という裁判所に課せられた作業の放棄であって妥当でなく(64)、さらに本件が故意の不法行為である以上正当な考課査定がそもそも存在しえたのかも疑問であるから、標準者との同等性を否定する被告の立証が不十分であることを理由に、原告らと標準者との同等性を肯定し、損害額の基準として平均賃金を用いるべきであったとする批判が述べられる(65)
  立証の問題との関連で、是正されるべき賃金水準が左右されるのとは異なり、違法な賃金差別であることを認容しながら、使用者の賃金決定への一定の裁量を認め、是正されるべき賃金水準を比較対象となる労働者の賃金の八割ないし九割に限定する判決(66)も存在する。このような比例的救済方法に対して、学説からは、なぜ比較対象となる労働者の賃金の八割を下回る限度でしか違法とされないのかにつき十分な説明がなされていない(67)、著しい格差のみを救済の対象とするのは適切でない(68)、いったん違法と認定された場合には、比例的でなく「同一」の取扱を命じるべきである(69)との批判が提起される。しかし他方で、パートタイム労働者とフルタイム労働者の差別を是正する法理として、パートタイム労働法三条から導出される「均衡の理念」を提唱する見解においては、本判決は妥当なものとして評価される(70)

  2、消滅時効
  消滅時効の期間は、先に述べた賃金差額相当分を請求する法的根拠としてなにを選択するかによって決定される。差額賃金請求権を認める場合、その消滅時効は労基法一一五条により二年である。裁判例においても、使用者の消滅時効の援用が認められ、時効完成以前の賃金請求が認められないケースは多い。たとえば、前掲・三陽物産事件では、被告の消滅時効の援用につき、原告は権利濫用にあたると主張したが、判決は、本人給ならびに一時金の支給日から原告は賃金請求権を行使することが可能であり、原告による時効中断の措置を被告が不可能ならしめた事実も立証されていないから、被告の時効援用が権利濫用であるということはできないとして、二年以上の期間が経過した賃金請求権につき時効による消滅を認めた。また、前掲・日本鉄鋼連盟事件においても、被告が消滅時効を援用し、原告は被告の消滅時効援用は権利濫用にあたると主張したが、判決は前判決と同様の理由で消滅時効の完成を認めている。さらに手当に対する請求についても、前掲・日産自動車事件において、原告が労基法四条、労基法一三条、就業規則あるいは平等取扱原則に基づく家族手当請求権を主張したのに対し、被告は消滅時効を援用したが、判決は、最終的には請求を棄却したものの、そこにいたる判断のなかで、本件家族手当は労基法一一五条により二年の消滅時効にかかるとし、支給日を起算点として、訴訟提起の日においてすでに二年を経過しているものについては時効により消滅したと判示している(71)
  これに対して、不法行為に基づく損害賠償請求権の構成をとると、その消滅時効は、被害者が損害および加害者を知ったときより三年である(民法七二四条)。後述する一般債権の消滅時効(一〇年)と比較して短期間であることが、被害者にとって酷な事態を招くことが多いため、時効の起算点の定め方や権利濫用の援用などによって、そのような事態を是正する必要性が説かれている。そこで、裁判例をみると、前掲・日ソ図書事件では、原告の不法行為に基づく損害賠償請求に対して、被告は、原告が入社当初から賃金格差を知っていたとして、原告が準備書面を提出することにより初めて不法行為の主張をした平成元年一月二三日より三年前の昭和六〇年一二月分以前の損害賠償請求権については、消滅時効が完成していると主張した。これに対して、判決は、原告が不法行為による損害を知ったというためには、単に賃金格差の存在を知ったというだけでは足りず、その格差が違法な賃金差別によることまで認識する必要があるとし、被告代表取締役が原告に男女賃金格差の存在を認める発言をした日を消滅時効の起算点とし、結果として時効の完成を否定した。また、前掲・石崎本店事件でも、被告の消滅時効の援用に対して、判決は、被告が客観的な賃金体系を公表していなかったことを考慮に入れて消滅時効の起算点を定め、最終的に消滅時効の完成を否定している。さらに前掲・東京電力事件各判決においても、被告はいずれも原告の不法行為に基づく損害賠償請求に対して三年の消滅時効を援用した。これに対して、山梨・千葉・神奈川事件各判決が差額賃金相当の損害賠償請求権の消滅時効に関して判断を下しており、このうち神奈川事件判決は、違法な処遇決定によって生じる財産上の損害は、各考課査定期ではなく、毎回の賃金支払期に具体的、確定的に発生するのであるから、消滅時効の起算点は賃金支払期であるとして、本訴提起期日より三年前の昭和四八年一〇月一三日以降に賃金支払期が到来して生じた損害について、その損害賠償請求権の消滅時効の完成を否定している。
  最後に、債務不履行に基づく損害賠償請求を主張する場合、その消滅時効は一〇年である(民法一六七条一項)。不法行為責任との比較で、債務不履行責任を採用するメリットに消滅時効の長さがあげられることは、安全配慮義務に関する一連の研究において指摘されているところである(72)が、賃金差別事件に関しても、消滅時効の長さを理由に、賃金差額請求や不法行為に基づく損害賠償請求でなく、債務不履行に基づく損害賠償請求のアプローチにも一考の価値があるとする見解が主張される(73)
  3、将来的請求
  賃金について違法な差別的取扱があった場合、単に過去に当該差別によって被った財産上の不利益の是正を求めるのであれば、その請求原因の法的構成として差額賃金請求あるいは不法行為に基づく損害賠償請求のいずれを採用しようとも、不利益からの一応の救済をはかることはできる。ところが、訴訟終結後も原告と被告の労働関係が継続するような場合には、たとえ上記の法的構成に基づく請求が認容されても、口頭弁論終結時以降さらに賃金差別の状態が何ら是正されることなく存在することになり、再び新たな賃金差別が生じることになる。この事態を防止するためには、給付の訴えにより、差別の結果うけた金銭的不利益を未払賃金として請求したうえで、差別のない適正な給付を使用者に求める労働契約上の権利を確認する訴えを提起しなければならない。ところが、裁判例をみると、当該確認の訴えは容易に認容されない傾向が認められる。たとえば、労基法四条違反を肯定し労基法一三条を適用することによって原告の差額賃金請求権を肯定した前掲・三陽物産事件において、原告らは本訴とならんで、実年齢に応じた本人給をうける労働契約上の権利を有することの確認を求めたが、判決は、そのような確認の請求は将来発生すべき権利または法律関係の確認を求めるものに他ならず、訴えの利益が認められないとしてこれを却下している(74)。また、不法行為に基づく損害賠償請求を肯定した事案である前掲・石崎本店事件においても、原告による賃金の確認請求に対して、判決は、差額賃金請求権の発生を肯定できない以上賃金の確認請求は認められないと述べている。
  さらにこの問題は、賃金差別が昇進・昇格差別と結びついたかたちでおこなわれる場合に、昇進・昇格請求権が労働者に認められるかという論点につながる。一般的に、昇格は職務資格の上昇、昇進は役職の上昇と位置づけられるが、その個別具体的内容はさまざまであるから、個別具体的な検討が必要であることはいうまでもない。とくに昇格は賃金の格付けにすぎない場合も多く、職員の経済的待遇と密接不可分な関係にあり重要な労働条件にかかわるという理由から、昇格差別による賃金格差相当分の請求はもちろん、昇格による将来的な地位の確認についても法的救済の必要性が指摘される。学説においては、協約、就業規則あるいは慣行によって内容の定まる昇格制度において、昇格が使用者による労働力の評価によることなく勤続年数や在級位年数、年齢等の客観的、形式的要件に基づき決定されるようなときには、特別な事情のない限り、そのような取扱が労働契約の内容を構成するものとして、昇格を直接に訴求できるとの見解が主張されている(75)
  しかしながら、裁判所は昇格によって本来受け取るべきはずの賃金との差額に対する支払請求を、不法行為に基づく損害賠償として肯定するものの、実際に昇格するためには使用者による任用発令行為が必要であり、それはあくまでも使用者の裁量によるものであるとして、昇格請求権の存在を否定するのが一般的である。たとえば、男性職員に対してとられた勤続年数による一律昇格措置から女性職員が排除された事案である社会保険診療報酬支払基金事件・東京地裁判決(76)をみると、選抜抜き一律昇格措置であったことが認められているにもかかわらず、その昇格はあくまで被告の裁量権の行使にあたるとし、被告の昇格決定行為がなく他に明確な根拠(77)もない以上、昇格したことの確認請求には理由がないとされる。
  ところで、昇格請求権を認容したことで注目された芝信用金庫事件・東京地裁判決(78)は、労働条件についての均等待遇を定める被告の就業規則の規定を根拠に、均等待遇義務に関する(一般的・抽象的な)権利義務の存在を肯定したうえで、男性職員に対する年功的な昇格措置を労使慣行として認め、その適用から女性職員を排除したことは被告の右義務違反であるとして、原告らの昇格請求権を肯定し、差額賃金請求権を認めた(79)。この判決は、上述の学説の見解に合致するものと考えられるが、昇格請求権を認める根拠に就業規則の均等待遇規定と労使慣行の存在をあげているため、もしこれらの根拠がない(あるいはどちらか一方の根拠が欠けている)場合には昇格請求権は認められないという結論になりうるとも思われる。もし仮にそうであれば、昇格請求権が認められるケースはきわめてまれであるといわざるを得ないであろう。
  なお、昇進請求権については、それが職制上の地位ないし身分の変動を意味することから、使用者の裁量的判断を一層尊重すべきであるとしてこれを認めない見解が、学説において主張される(80)。裁判例においても、前掲・門司信用金庫(岩松他)事件において、不当な組合員差別がなかったならば昇進したであろう地位に対する確認請求がなされたが、判決は、被告の規程において「昇進は・・理事長が決定任命する」と定められており自動昇進のごとき規定が設けられていないことを理由に、原告の請求を棄却している。また、昇格請求権を認容した前掲・芝信用金庫事件においても、昇進に関する地位確認請求は棄却されている。

  4、慰謝料請求
  慰謝料は、違法な差別的取扱によって原告が受けた精神的苦痛に対する賠償として請求されるが、この認容の有無に関しても、賃金差額分を請求する法的根拠としてなにを選択するかが重要となる(81)。性差別事件をみると、差額賃金請求権を認容する判決は、慰謝料請求を斥ける傾向がある。たとえば、前掲・三陽物産事件において、判決は、原告らの受けた精神的苦痛は被告の金銭債務の不履行によって生じたものであり、それ以上の損害として慰謝料請求をすることは、特段の事情のない限り許されない(民法四一九条一項)と述べる(82)。前掲・芝信用金庫事件においては、判決は慰謝料請求につき使用者の差別的行為ごとに検討を加えているため、当該請求が認容される可能性もあるかのごとくであるが、この点に関する説示もとくになく、結局は使用者の差別的取扱が著しく不当で違法とまでいえるかは躊躇するところであるとして、当該請求を棄却している。
  これに対して、不法行為に基づく損害賠償請求を行う場合には、慰謝料請求が比較的認容されやすい傾向にある。たとえば、前掲・塩野義製薬事件において、判決は、被告が一〇年近くも格差是正義務を怠ったことによって原告に生じた精神的苦痛は大きいとして、二〇〇万円の慰謝料請求を認容している。市の女性職員に対する昇格差別の有無が争われ、国家賠償法に基づく損害賠償請求が認容された前掲・鈴鹿市職員事件・津地裁判決では、昇格差別是正に対する原告の要求とそれに消極的であった被告市の対応等から、原告の受けた精神的損害に対して一〇〇万円の慰謝料が認容された。また、昇格差別が公序良俗違反であるとして不法行為に基づく損害賠償が認められた前掲・社会保険診療報酬支払基金事件においては、一律昇格措置から排除されたことによって被った精神的苦痛を慰謝するものとして、一〇万円の慰謝料が認められている。
  以上のように、性差別事件においては、損害額が確定され、損害賠償が使用者に命じられるとともに、違法な不利益取扱によって労働者が被った精神的苦痛を慰謝するものとして、別途慰謝料請求が認容されている。ところが、同様に不法行為に基づく損害賠償請求の構成にたつものの、思想・信条差別や組合所属を理由とする差別事件においては、損害額が算定不能であるとして損害賠償を認めないかわりに、慰謝料を認容することで労働者の救済をはかる判決がみられる。たとえば、前掲・大阪税関事件と東京電力(群馬・長野)事件の各判決は、使用者による差別的取扱によって生じた賃金格差のなかには、違法な差別的査定に基づく部分と正当な査定に基づく部分が混在しているところ、違法な差別的査定に基づく部分が確定できないために損害額の算定は不可能と結論づけ、違法査定に基づく慰謝料請求のみを認めた。もっとも、大阪税関事件判決が、原告らの最低三〇万円の慰謝料請求に対し一〇万円しか認容しなかったのに対して、東京電力事件では最低三〇〇万円の慰謝料請求に対して二四〇万円(群馬)、三〇〇万円(長野)と多額の慰謝料が認容されており、長野事件判決は、損害額算定不能によって生じる不都合を慰謝料請求において考慮すべきであると述べている。これは、慰謝料が、金額の算定根拠を証拠で立証する必要がなく柔軟に算定されうることから、硬直的になりがちな財産的損害賠償額の算定を調整ないし補完する機能を有する点に着目して、全体としての賠償額の妥当な算定をめざそうとするものとみることができる。

(1)  不当労働行為制度においては、行政救済によって団結権侵害行為を排除するという立法趣旨との関連で、労働委員会に広範な裁量権が付与されており、その意味で労働契約上の権利に関する司法的救済とは性質が異なる。
(2)  島田信義「婦人労働者に対する賃金差別と差額の請求」労判二二六号九頁、山口浩一郎「男女別賃金表の適用と労基法四条」ジュリスト六二六号一二九頁、萬井隆令『婦人労働者の権利』(一九八一年・労働教育センター)三二頁。
(3)  石井照久他著『註解労働基準法・』(一九六四年・勁草書房)七四頁、本多淳亮「女子労働者の地位と法的保護」松岡還暦記念『労働基準法の法理』(一九七九年・総合労働研究所)一八七頁以下、浜田富士郎「男女別賃金制度と労基法四条」季刊労働法(以下、季労)九七号三四頁、林弘子「男女賃金差別をめぐる法律問題」ジュリスト七一九号九二頁、渡辺章「賃金の基本給決定における男女差別と是正方法」ジュリスト一〇四四号一四二号など。
(4)  外尾健一『基本法コンメンタール・労働基準法(第三版)』六頁、木村五郎「賃金に関する男女差別」昭和五〇年度重要判例解説(以下、重判)一八五頁、林弘子「家族手当・世帯主手当の不支給と労基法四条」昭和六〇年度重判二〇二頁、安枝英、=西村健一郎『労働基準法』(一九九六年・青林書院)七六頁。
(5)  小西國友「労働者が賃金について女子であることを理由に差別的取扱をされた場合に、労基法一三条を根拠にその差額を賃金として請求しうる、とされた事例」判例評論二〇二号(判例時報(以下、判時)七九二号)一五三頁。
(6)  秋田成就「女子労働者の差別的取扱」季労別冊『労働基準法』三〇九頁。
(7)  浜田・前掲「男女別賃金制度と労基法四条」三四頁。
(8)  小西・前掲判例評論一五二頁以下、大沼洋一「男女間の賃金格差が労働基準法四条に違反する違法な賃金差別にあたるとされた事例」平成四年度主要民事判例解説(判例タイムズ(以下、判タ)八二一号)三〇六頁等。
(9)  山口・前掲「男女別賃金表の適用と労基法四条」一二九頁。
(10)  山川隆一『雇用関係法』(一九九六年・新世社)四六頁以下。ここでは、労基法一三条適用説について、労基法四条と一三条に基づく「この法律に基づく基準」は、賃金について男女差別をしてはならないという不作為を内容とする基準にとどまるのであり、それだけで契約上の差額請求権の発生を根拠づけることはできないとされる。
(11)  秋田地判昭五〇・四・一〇労判二二六号一〇頁。
(12)  東京地判平六・六・一六労判六五一号一五頁。
(13)  東京地判昭六一・一二・四判時一二一五号三頁。
(14)  盛岡地判昭六〇・三・二八労判四五〇号六二頁。
(15)  西谷敏「家族手当と男女同一賃金原則−岩手銀行事件・盛岡地裁判決を契機として」ジュリスト八四一号五一頁以下。その他の解釈については、林・前掲「家族手当・世帯手当の不支給と労基法四条」二〇二頁に紹介されている。
(16)  広島地判平五・一〇・一二判タ八五一号二〇一頁。
(17)  山川・前掲『雇用関係法』四七頁。
(18)  もっとも、差額賃金を賃金として保護するという方向こそ労基法解釈がまずめざすべきことであるといった指摘はなされる。浜田・前掲「男女別賃金制度と労基法四条」季労九七号三四頁。
(19)  東京地判平四・八・二判時一四三三号三頁。
(20)  広島地判平八・八・七労旬一三九四号四七頁。
(21)  大阪地判平一一・七・二八労旬一四六三号六五頁。
(22)  津地判昭五五・二・二一労判三三六号二〇頁。
(23)  名古屋地判昭五八・四・二八判時一〇七六号四〇頁。
(24)  横浜地裁横須賀支部決昭四九・一一・二六労判二二五号四七頁。
(25)  福井地裁武生支部判平五・五・二五労判六三四号三五頁。
(26)  (群馬)事件・前橋地判平五・八・二四労旬一三二二号二六頁、(山梨)事件・甲府地判平五・一二・二二労判六五一号三三頁、(長野)事件・長野地判平六・三・三一労判六六〇号七三頁、(千葉)事件・千葉地判平六・五・二三労判六六一号二二頁、(神奈川)事件・横浜地判平六・一一・一五労判六六七号二五頁。
(27)  福岡地裁小倉支部判昭五三・九・二八労判三一三号五七頁。
(28)  福岡地裁小倉支部判昭五三・一二・七労判三二〇号五六頁。
(29)  ここで判決が述べる請求権とは賃金請求権を意味するのであるから、当該説示部分は、違法な査定差別によって本来の査定の意思表示を受けなかった場合にも、適正な評価を受けた場合の賃金請求権の存在を認める趣旨と解されるほかはないとし、これを不法行為による損害賠償債権に転化するのはあまりに迂遠な構成であり、未払賃金の支払不履行として構成すべきであったとする見解がある。林和彦「賃金査定と労働契約の法理」労判三三三号一一頁。
(30)  静岡地判平九・六・二〇労判七二一号三七頁。
(31)  長野地上田支部判平八・三・一五労旬一三八二号三九頁。
(32)  後述する社会保険診療報酬支払基金事件・東京地裁判決においても、原告らは平等取扱義務違反を理由とする債務不履行に基づく損害賠償請求権を主張したが、とくに理由を示すことなく斥けられている。
(33)  たとえば、前掲・石崎本店事件は、原告による立証の困難性を理由に、「公平の観点」から、男女賃金格差がある場合には使用者が合理的理由を立証できない限り、性を理由になされた不合理な差別と推認するのが相当であると判示する。
(34)  性差別事件の立証責任の分析については、松田保彦「女性に対する賃金差別事件判例の軌跡」労判六五九号一〇頁以下参照。
(35)  松田・前掲論文の分析によれば、前掲・秋田相互銀行事件と岩手銀行事件第一審判決は、使用者による合理的理由の立証が失敗に終わり、違法な差別の推定が確定したケース、岩手銀行事件第二審判決は、使用者のいう合理的理由は口実にすぎないことを原告が立証してそれが成功したケース、これに対して後述の日産自動車事件は、使用者が合理的理由の立証に成功し、それに対する労働者の反証が認容されなかったケースとされる。
(36)  使用者が格差の存在につき争わないケースも見られる。また、使用者による能力評価が介在している場合においても、女性職員全員ないしそのほとんどが職務遂行能力などの点で劣っているとの説明は到底納得されうるものではない。このことは、前掲・芝信用金庫事件において判決も述べるところである。
(37)  藤川久昭「思想信条を理由とする賃金差別」労判六六六号一二頁参照。
(38)  西谷敏「思想を理由とする賃金差別の法理」労旬一三四八号一八頁、一九頁以下。
(39)  藤川・前掲「思想信条を理由とする賃金差別」一二頁。
(40)  大量観察方式について、照井敬「集団的賃金差別における立証責任をめぐる問題」外尾健一編『不当労働行為の法理』(一九八五年・有斐閣)四一九頁以下、和田肇「複数組合併存と賃金・昇格差別」季労一六一号六四頁以下参照。
(41)  神戸地判平四・二・四労旬一二八七号五一頁。
(42)  大阪地判平四・九・二二労旬一二九八号三二頁。
(43)  本判決に対して、個別立証方式の問題点を指摘し、集団的差別事件においては集団としての比較による格差の存在が重要であることを指摘するものとして、長淵満男「昇任・昇格・昇給『差別』と不法行為の成否」労旬一二八七号三三頁以下。
(44)  使用者が組合員らの勤務不良実態を具体的に証明しえなかったことを理由として、組合員らの勤務実績が他の職員と比較して劣っていなかったことを推認する大阪地裁の判断は、大量観察方式を採用し事実上格差の合理的根拠の存在に関する証明責任を使用者に転換しえたからであるとして、その点に本判決の意義をみいだす見解として、西谷敏「公務員の組合活動と差別待遇」労旬一三一六号一五頁。
(45)  西谷・前掲「思想を理由とする賃金差別の法理」一五頁。
(46)  西谷・前掲「思想を理由とする賃金差別の法理」一六頁。なお、この判決が原告らと平均的従業員との同等性の立証を原告の側に課さなかった点につき、疑問を提示するものとして、藤川・前掲「思想信条を理由とする賃金差別」一三頁。
(47)  ただし、損害額の算定において、比較対象者の平均賃金を算定基礎とするためには、原告らが比較対象者と同等の業務実績をおさめるか、または同等の職務遂行能力を有していたことが立証されなければならないとし、この同等性を認めた山梨事件判決以外は、原告らが積極性・協調性において問題があったとして平均賃金との格差すべてを損害として認めなかった。
(48)  たとえば、浅倉むつ子「正社員と臨時社員の賃金格差と均等待遇」法律時報(以下、法時)六八巻九号八一頁では、従事する外形面の労働以外の同一性要件として、QCサークル活動への関与、所定外労働の有無、配転の有無、服務規律の差異など、客観的義務の差異に限られるべきであり、かつそれらの義務の差異が賃金格差を合理化する程度に具体的かつ顕著でなければならないとされる。また、菅野淑子「同一(価値)労働同一賃金原則の法規範性とその具体的適用」労旬一三九三号二九頁も同旨。
(49)  浅倉むつ子『男女雇用平等法論』(一九九一年・ドメス出版)三〇二頁参照。ただし、差別意思の立証に関しては、労働者が経験則上差別意思を推定しうる間接事実の疎明をすることで足り、差別意思の推定を覆す立証責任を使用者に課すべきとされる。
(50)  野田進「『男女別コース制』に伴う男女間労働条件格差と公序」季労一四三号一四七頁参照。その他、使用者の差別意思を性差別の成立要件とするのに否定的な見解として、中島通子「書評  男女雇用平等法論」季労一六二号一八八頁以下、同「運用上の男女賃金格差の違法性」労旬一三〇一号一一頁。
(51)  安枝英、「思想・信条にもとづく差別取扱」季労一〇五号六一頁以下。
(52)  中山和久「思想信条を理由とする賃金の差別額について算定できないが不法行為として慰謝料を認容した事例」判例評論四二四号(判時一四八八号)六三頁以下。
(53)  イギリスの性差別禁止法におかれた間接性差別規定は、以下のような内容である。
  一条一項「いかなる状況においても、以下に述べる行為をおこなう者は、本法の規定の目的に照らして、女性に対する差別をおこなうものとする。
  略
  女性に対してと同様、男性にも平等にある要件または条件を適用し、もしくは適用するであろう場合に、(i)その条件を充足しうる女性の割合が、それを充足しうる男性の割合よりもかなり少なく、かつ(ii)その条件が、適用される者の性別にかかわりなく正当であることを立証しえず、かつ(iii)女性がその条件を充足しえないために不利益を被るもの」
  また、EUの均等待遇指令におかれる間接性差別規定は、以下のような内容である。
第二条一号「以下の規定に関し、均等待遇の原則とは、直接的かまたは間接的であるかにかかわらず、性別、とくに婚姻上もしくは家族上の地位に関連した理由に基づくいかなる差別も存在してはならないことを意味するものである。」
  イギリスの間接性差別については、浅倉・前掲『男女雇用平等法論』四四六頁以下参照、EUの均等待遇指令に関しては、労旬一〇七七号二九頁参照。
(54)  アメリカにおいて差別的効果の法理が発展してきた理由には、一定の集団に対する差別的取扱の因果関係の証明につき、裁判所が要求してきた使用者の差別意思の証明が非常に困難であった点があげられる。相澤美智子「雇用差別訴訟における立証責任に関する一考察(2)」東京都立大学法学会雑誌第四〇巻一号五一五頁参照。
(55)  浅倉むつ子「二本立本人給における『世帯主基準』『勤務地基準』の違法性」ジュリスト一〇五二号九一頁参照。
(56)  東京地判平元・一・二六判時一三〇一号七一頁。
(57)  松田保彦「家族手当受給者を世帯主とする規定並びに右規定の世帯主を実質上の世帯主即ち一家の生計の主たる担い手とする被告会社の解釈及び運用が、合理性を有するとして、女性差別にあたらないとされた事例」判例評論三六七号(判時一三一五号)六二頁以下参照。ただし、労基法四条との関係で、差別意思の存在を要しないという法理をそのまま用いることができるかという問題も指摘される。山川隆一「家族手当支給規定における『世帯主』の意義と女性差別」季労一五三号一一九頁もその問題点を指摘したうえで、差別意思の認定ないし立証方法として、間接差別と同様の処理をおこなうことができるかを検討する必要性を指摘する。
(58)  山田省三「パートタイマーに対する均等待遇原則」日本労働法学会誌九〇号一一九頁。
(59)  山田・前掲論文一一八頁以下。
(60)  浅倉むつ子「男女差別賃金の認定方法」ジュリスト一〇一七号六八頁以下、座談会「男女差別賃金事件の軌跡と展望」労判六六〇号二三頁以下参照。さらに、前掲・日ソ図書事件判決は、本件において、年齢、勤続年数を同じくする男女間の賃金格差の合理的理由となりうるのは、その提供する労働の質および量に差異がある場合に限られるべきであるとも述べている。
(61)  前掲・座談会一九頁参照。
(62)  西谷敏「賃金・昇格差別の救済法理」季労一九三号掲載予定。
(63)  前掲・石崎本店事件においても、原告と年齢・入社時期の近似する男性三人の初任給額を基準とし、それぞれ原告との賃金格差を算定し、その平均額が原告の本件損害額とされている。
(64)  この点にかんがみ、千葉事件判決の採用したような割合的認定論によって損害額を確定することに十分意味があるとするのは、西谷・前掲「思想を理由とする賃金差別の法理」二四頁。同様の見解として、山田省三「賃金処遇制度の動向と理論的課題」労旬一三九二号一八頁。
(65)  藤川・前掲「思想信条を理由とする賃金差別」一三頁以下参照。
(66)  前掲・丸子警報器事件が八割に限定、前掲・塩野義製薬事件は九割に限定している。
(67)  菅野淑子「同一(価値)労働同一賃金原則の法規範性とその具体的適用」労旬一三九三号二七頁、黒川道代「臨時社員と正社員の賃金格差と均等待遇」労判六九五号一二頁、鍛治利秀「女子臨時社員に対する差別賃金は違法」労旬一三八二号三七頁以下。
(68)  水町勇一郎「正社員とパートタイマーの賃金格差の違法性」ジュリスト一〇九四号一〇一頁においては、賃金と対応関係にたつ事情(法的に労働者の義務と観念されるもの)を考慮・判定して救済の範囲を確定すべきであったとされる。
(69)  浅倉・前掲「正社員と臨時社員の賃金格差と均等待遇」八一頁。
(70)  土田道夫「パートタイム労働と『均衡の理念』」民商法雑誌一一九巻五六四頁以下。ここでは、パートタイム労働者の賃金格差の是正法理として公序違反に基づく不法行為構成をとるにあたり、それを基礎づける法規範を、パートタイム労働法三条に述べられる「均衡の理念」に求めるべきとされる。それにより、賃金格差が違法とされる範囲も限定され、格差のある賃金額と、正規従業員との「均衡」が保持される賃金額との差額分のみが救済の対象となる。具体的には、労働の量・質の面で正規従業員と同一であっても、拘束の程度が弱いパート労働者については、それを比例的に考慮した賃金との差額分(たとえば正規従業員の賃金の八〇%)が救済されるにとどまるとされる。
(71)  なお、判決は不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効についても判断しており、そこでは三年の消滅時効の完成を認めている。さらに、原告らが主張した被告の時効援用権の濫用については、それを否定している。
(72)  そもそも安全配慮義務につき契約義務構成のとられた理由は、消滅時効の長さにあった。現在では、判例の蓄積により、消滅時効の点以外では、契約義務構成は必ずしも原告に有利とはいえないとされ、契約上の義務としての安全配慮義務の意義について議論がなされる状況にある。学説の議論につき、奥田昌道「安全配慮義務」石田喜久夫=西原道雄=高木多喜男還暦記念『損害賠償法の課題と展望』(一九九〇年・日本評論社)一九頁以下等参照。
(73)  三井正信「使用者の裁量的賃金決定に基づく男女間の賃金格差と労基法四条」労旬一三九四号二一頁参照。
(74)  本件においてYは控訴せず過去の差額賃金を支払ったが、口頭弁論終結後も原告らに対して従来どおり年齢給を二六歳に据え置いて支給したとされる。浅倉むつ子「二本立本人給における『世帯主基準』『勤務地基準』の違法性」ジュリスト一〇五二号九二頁参照。原告は控訴したが、控訴審において和解が成立している。
(75)  高木紘一「昇格」『労働判例百選(第六版)』(一九九五年・別冊ジュリスト一三四号)六三頁参照。
(76)  東京地判平二・七・四労判五六五号七頁。
(77)  原告は、昇格を請求する際の明確な根拠として労基法四条、同法一三条、労働契約に基づく使用者の平等取扱義務をあげたが、判決はこれらのいずれに対しても根拠となり得ないと判断した。
(78)  東京地判平八・一一・二七労旬一三九八号九頁。
(79)  なお、すでに定年退職した原告は昇格の確認請求をしていない。また、入職年が最も遅い原告に対しては、いまだ労使慣行が確立しているとはいえないとして、昇格したことの確認請求は棄却された。
(80)  菅野和夫『雇用社会の法』(一九九六年・有斐閣)一一三頁参照。
(81)  思想信条を理由とする差別では、ある特定の労働者に対する個別的な差別が問題となるが、性差別では制度的な差が問われるため、人格権侵害にあたらないということではないかとする見解もある。座談会「男女差別賃金事件の軌跡と展望」労判六六〇号二五頁(山田省三教授発言)参照。
(82)  精神的損害につき別途不法行為に基づく慰謝料請求が認容されるかについても、本判決は賃金債務の一部不履行の過程において原告らの人格権を侵害する行為が認められるといった特別の事情の主張・立証のない限り、慰謝料請求権を発生させるものではないと述べる。


第二章  雇用差別禁止法理の検討


第一節  理論的問題点の検討

一、問題点の整理
  第一章において、わが国における賃金差別事件における裁判例・学説の議論状況を論点ごとに検討してきたのであるが、そこからあげられる理論的問題点として、以下の五点をあげることができる。

  1、請求の法的根拠について
  違法な賃金差別があった場合に、その差額賃金相当分を請求する法的根拠としてあげられるのは、差額賃金請求権、不法行為に基づく損害賠償請求権、そして債務不履行に基づく損害賠償請求権の三つである。原告の側がその三つの法的根拠を主意的あるいは予備的に請求するのに対して、裁判例において採用されるのは、多くが不法行為に基づく損害賠償請求権であり、限られた事案において差額賃金請求権が認容される傾向があった。そのいずれに依拠するか、その基準は客観的な賃金支給基準の有無に求められており、明確な賃金表が存在する場合には差額賃金請求権を認めるものの、客観的な賃金支給基準が存在せず使用者の意思表示によって賃金額が決定される場合には、不法行為に基づく損害賠償請求が認容される。人事考課や査定を介して違法な差別がおこなわれる場合もまた、使用者の具体的な意思表示が存在しないことを理由に差額賃金請求を認めず、不法行為構成で事案の処理がはかられていた。学説においては、そのような事案の処理の仕方に積極的な評価を与える見解が主張される(1)一方で、使用者の意思表示のないことが、差別をうけた労働者の賃金請求権という権利を否定する根拠となりうるのか、という疑問も提起される(2)。さらに、使用者の違法行為または責に帰すべき事由によってあるべき本来の公正な査定がなされていない事態の下で、使用者の査定の意思表示のないことを、賃金請求権を否認する理由にすること自体が背理であると、裁判例にみられる傾向を批判したうえで、違法な査定がおこなわれた場合、契約内容に一般的に内在する公正査定義務を根拠に、その査定についての合意を擬制することによって、賃金請求権が成立すると解する説も有力に主張される(3)
  ところで、ここでは、請求の法的根拠が、消滅時効、将来的請求、慰謝料請求といった各請求の認容の有無やその内容と密接に関連しており、そのために法的根拠としてなにを選択するかという問題が、結果として労働者の救済内容に大きな差を生じさせているという点にも留意する必要があると思われる。たとえば、消滅時効に関してみても、差額賃金請求権の構成であれば二年、不法行為に基づく損害賠償請求権の構成であれば三年、債務不履行の構成であれば一〇年と大きな差が生じるのである。同じ賃金差別の事案において、使用者がいかなる賃金支給基準を設けていたかという視点によって、救済内容に大きな差が生じるというのは、それが労働者の権利または利益の回復にかかわる問題であるだけに妥当でなく、理論面での統一が要請されるべきであろう。

  2、法に規定されない差別的取扱に対する救済
  労基法三条、同法四条の規定に該当する差別的取扱に関しては、それは違法であるから、右に述べたいずれかの法的根拠により労働者の権利の救済がはかられる。しかしながら、法に規定されないが合理的な理由のない差別的取扱については、民法九〇条に規定される公序違反に当たらない限り是正されない。問題は、いかなる差別的取扱が公序違反に該当するのかという点にある。これまでのところ、賃金に関する領域以外の性差別について公序違反となることが判例法理として確立されているものの、それ以外の差別的取扱については明らかではない。たとえば、前掲・丸子警報器事件において、同一価値労働同一賃金原則に反する差別的取扱の公序違反性が問題となったが、判決はこれを否定している。もっとも、本判決は、およそ人はその労働に対し等しく報われなければならないという「均等待遇の理念」を市民法の普遍的原理として提唱し、この理念に反する賃金格差は公序違反の違法を招来する場合があると述べる。しかしながら、そこでいわれる「均等待遇の理念」の具体的内容はいまだ抽象的なものにとどまっている(4)
  ところで、ここで問題と思われるのは、法に規定されない差別的取扱の違法性につき、右に述べたように、その唯一の根拠である公序概念の抽象性が、訴訟においては原告の立証の負担にならざるをえない点である。すなわち、使用者の差別的取扱が公序違反に該当することを主張する場合、原告の側は、使用者の差別的取扱に社会的妥当性が存在しないことまでも立証しなければならない。しかしながら、公序違反の成否は、その類型化がなされているとはいえ、裁判官の主観的な判断によって左右されることから、その立証は困難なものとなる。さらに、社会的妥当性の有無が時代ごとの一般常識にしたがって決定されるものであることから、労働契約のように契約関係が長期にわたる場合には、過去になされた差別的取扱について、当時の社会の一般常識に照らせば公序違反にあたらないと判断される可能性も多分にある(5)。法に規定される差別的取扱が非常に限定されているにもかかわらず、それ以外の差別的取扱の違法性を争う根拠が公序違反しかないというのは、労働者の権利の救済にとって不十分といえよう。

  3、立証責任
  立証責任の配分については、賃金格差の存在は原告、すなわち労働者の側に、差別的取扱に関する合理的理由の有無に関しては被告、すなわち使用者の側に立証責任を課す傾向が認められた。使用者に対して不法行為責任を追及するならば、原則として、その成立要件のすべてについて原告である労働者が立証責任を負うことになるが、裁判例、学説ともに、証拠の偏在を理由に立証責任の軽減ないし転換をはかっていた。この方法は公平の観点からみて妥当である。したがって、労働者の側が賃金格差の存在を立証し、当該差別的取扱の不合理性について一応の疎明がなされれば、使用者の側において他の合理的理由の存在を立証できない限り、違法な差別的取扱であることを認定すべきである。
  証明されるべき事実に関しては、つぎの二点が問題となる。まず第一に、複数労働者の比較可能性との関連で、「同一(価値)労働同一賃金原則」の位置づけをどのように考えるか、すなわち、労働(あるいはその価値)が同一であれば、比較可能性を肯定しうるか、肯定しえない場合があるとすればどのような場合かという点である。「同一(価値)労働同一賃金原則」がわが国においても存在するか否かについては、後述するように、学説において肯定説と否定説が対立する。裁判例においては、先にみたように、同原則の公序性を否定し、より「幅のある公序」としての「均等待遇の理念」なるものが提唱されている。さらに、学説においては、後述するように、「同一義務同一賃金原則」がわが国の雇用実態にてらして最も適した法理であることを論証する見解も展開される状況にある。
  第二の問題は、使用者の差別意思の立証を原告の側に要求するべきかという点である。差別的取扱の理由に原告が該当していることを使用者が認識していた事実は立証されなければならないとしても、使用者がその差別理由を嫌悪し、ことさらにその事実に該当する労働者を不利に取り扱う意思を有していたということまで、原告によって立証されなければならないであろうか。さらに、その立証に失敗することによって差別的取扱の違法性が否定される(すなわち、使用者の差別意思につき労働者の側に立証責任を負わせる)と解するべきであろうか。思想・信条に基づく差別事件や組合員差別事件では、使用者の差別意思の立証が、差別と格差の因果関係を推認させる間接事実の一つとして重要視されていたのであるが、使用者の差別意思を客観的資料や差別的発言によって裏付けることができるのはレアケースであって、差別意思の立証を労働者の側に課すことによって司法的救済の道が閉ざされる可能性も否定できないであろう。さらにこの問題は、雇用差別禁止法理が掲げるべき目的は、差別的取扱という客観的事実それ自体の是正におかれるべきなのか、使用者の差別意思の法的追求におかれるべきなのかといった視点からも検討する必要があると思われる(6)

  4、是正されるべき賃金の基準
  違法な賃金差別であることが認容された場合、先に検討した法的根拠のいずれかに基づき労働者が被った不利益の是正がはかられるのであるが、裁判例をみると、是正されるべき賃金の基準につき、必ずしも統一的な処理がなされていなかった。大別すれば、@比較対象労働者の賃金水準の一〇〇%を是正されるべき賃金の基準とするものと、A一定割合に限定するもの、B算定不能とするものに分けられた。このうち、Bについては、違法な賃金差別の存在が認定される以上、財産上の不利益が原告らに生じているのは確かであるから、裁判所がその損害の金銭的評価を放棄することは、法的利益を侵害された者の救済という不法行為の趣旨を没却しかねないとの批判(7)が妥当すると思われる。他方、Aの場合には、その限定の理由として、違法な査定部分と正当な査定部分の特定が原告によって立証されていない点をあげるものと、賃金決定につき使用者に一定の裁量が認められる点をあげるものがあった。前者については、不法行為の損害額については、損害賠償を請求する側が立証責任を負うのが原則だとしても、違法な査定部分と正当な査定部分の特定は、使用者が立証責任を負うべき合理的理由と重なり合うものであることから、その立証を原告に課すならば、合理的理由につき使用者に立証責任を転換した意義が失われるのではないかという疑問が生じる。また、後者に関しては、使用者に認められる一定の裁量の幅(たとえば、前掲・丸子警報器事件では、使用者に認められる裁量を二割として、比較対象となる労働者の賃金水準の八割にあたる賠償請求を認め、前掲・塩野義製薬事件では、使用者に認められる裁量を一割として、比較対象となる労働者の賃金水準の九割にあたる賠償請求を認めている)について、その根拠を示していないし、使用者の不当な裁量行為を規制する雇用差別禁止法理の下で違法とされた取扱につき、なぜさらに使用者の裁量の余地を認めなければならないのか、その理由も明らかにされていない。平等の実現をめざす雇用差別禁止法理においては、格差を付けられた複数労働者間に比較可能性が認められ、その格差を正当化する理由が存在しない場合には、格差全額が是正されるべき基準となるべきではないだろうか。学説においても同様の見解が示されており(8)、この点について検討する必要があると思われる。

  5、将来的請求認容の可否
  救済内容に関するもうひとつの問題は、将来的請求の認否である。口頭弁論終結後も労働契約が継続する場合には、過去の財産上の不利益を是正するだけでは、労働者の権利の救済として十分ではない。差額賃金請求も不法行為に基づく損害賠償請求も、過去の違法に対する是正にとどまるとすれば、それらに基づく給付訴訟を提起したうえで、さらに適正な給付を受ける労働契約上の権利が存在することについての確認の訴えを提起しなければならない。しかしながら、裁判所は、そのような将来に向けての権利・義務関係の確認の訴えが認められるケースを、非常に限定的にとらえているため、確認の訴えは容易に認められない傾向がみられた。
  さらに、仮に確認の訴えが認められたとしても、それはあくまで「現在の」権利関係の存否の確認であるから、将来使用者が別個の賃金支給基準を導入し、それによって新たな差別的取扱がなされる場合には、原告らは再度訴訟をおこない差額賃金を過去の賃金として請求しなければならない。学説においては、このような司法的救済の限界を理由に、労基法違反の差別的取扱については労働基準監督署による行政救済を活用すべきであるとする見解も述べられる(9)。行政救済の必要性は当然肯定されるべきであるが、司法的救済においても将来的請求を認めうる理論構成が可能かどうか、検討する必要があると思われる。

二、問題点の検討−ドイツ法を手がかりとして
  以上の五つの問題点に対して、ドイツ法研究からつぎのような示唆を得ることができる。

  1、平等な取扱を請求する法的根拠とその射程
  ドイツ労働法における平等取扱原則は、使用者に、個別労働契約法上の義務としての平等取扱義務を課すものである。したがって、客観的な理由のない差別的取扱は、使用者の平等取扱義務違反にあたる。さらに、平等取扱原則は一般条項的性格を有するため、あらゆる差別的取扱に適用されうる原則である。そのため、個々の労働者と使用者の関係における差別的取扱禁止規定が存在しないところでは、いかなる理由に基づく差別的取扱であっても、平等な取扱を請求する根拠は一つである。
  ドイツでは、基本法三条の他に、労働法規における差別的取扱禁止規定は事業所組織法にしかおかれておらず、さらに、この事業所組織法は、使用者と従業員代表委員会の法律による職務上の義務を根拠づけるものであって、個々の労働者と使用者の関係を直接規律する規定ではない。すなわち、ドイツにはわが国における労基法三条や四条のような規定が存在しないのである。そのようななかで、平等取扱原則は、あらゆる理由に基づく差別的取扱の正当性を争う根拠として意義を有してきた。現在では、BGB(10)や就業促進法、EU法によって性差別やパート労働者に対する差別は規制されるため、それらの法律によって違法な差別が是正される限り、平等取扱原則は適用されない。しかしながら、それらの差別においても、平等な取扱に対する請求権の根拠として平等取扱原則を援用することは否定されない。
  ドイツ法においては、平等な取扱に対する労働者の権利が一義的かつ明確であり、あらゆる差別的取扱につき統一的な法理に基づく事案の処理が可能である。さらに、そのことにより、立証責任や法的効果についても統一的な処理がなされうる。このことが、平等な取扱を訴訟によって勝ち取るという労働者の行動を促してきたといえるであろう。さらに、パートタイム労働者の差別的取扱が問題になったときも、現在における就業促進法のような差別禁止規定がないなかで、平等取扱原則を根拠に訴訟が提起され、平等の実現がはかられたという経緯がある。このことから、あらゆる差別的取扱の正当性を統一的な法的根拠で争えることの重要性を導出することができよう。

  2、使用者に対して禁じられる差別的取扱の範囲
  ドイツにおいても、法によって明記される差別的取扱とそうでない差別的取扱の区別は存在する。法によって明記される差別的取扱については、絶対的差別的取扱の禁止として厳格な客観性の審査が要請されるのに対して、法に明記されないが客観的でない差別的取扱は、相対的差別的取扱の禁止として、前者と比較して緩やかな審査がなされる。後者の場合には、使用者が定める措置の目的と、その目的達成のために採られる手段(=差別的取扱)との関連が問題となり、目的と手段に直接的な関連がみられれば、その差別的取扱の正当性が認められるのである。
  相対的差別的取扱の禁止に関して、使用者は措置の目的の決定において一定の裁量を有するが、その目的を達成するために差別的取扱をおこなう場合には、労働者に対して差別的取扱の理由−それは、措置の目的を明らかにすることにもつながる−を公表しなければならない。連邦労働裁判所は、このことを明確に判示し、その理由として、他の労働者と同様の取扱を受けられない理由が労働者に知らされなければ、労働者は使用者の措置の正当性、すなわち自分が法と正義にしたがって取り扱われているのかについて、みずから判断を下すことができなくなってしまうことをあげる。学説においては、使用者が差別的取扱の理由を明らかにしないことは説明義務違反にあたるから、使用者は労働者に対して訴訟費用を賠償する義務を負うとされる。
  また、相対的差別的取扱の禁止に関しては、措置の目的の決定に際して使用者に裁量が認められるが、そこで許される裁量の幅については、賃金や手当の名称によって一定の枠がはめられる。たとえば、クリスマス賞与であれば、クリスマスの時期に増加する家計支出の増大への援助と、過去におこなわれた仕事に対する追加的な報酬の支払がその一般的な目的であるから、使用者がクリスマス賞与を無条件に支給していた場合であっても、措置の目的は特定される。一般的に、使用者は、労働者の格付けや年齢、家族構成、扶養義務、勤続年数、労務給付の内容等に基づき差別的取扱をすることが許されるが、その裁量は差別の基準が措置の目的と一致している場合に限り認められる。たとえば、生計費の上昇を援助する目的で支給される物価高手当について、扶養家族を有しない者を扶養家族を有する労働者と比較して不利に取り扱うことは許されるが、同じ目的を有する物価高手当において、主に勤続年数ではかられる事業所への忠実を差別的取扱の基準とすることは、措置の目的と一致しないから平等取扱原則違反となる。
  以上の分析から、ドイツ法においては差別的取扱の正当性の判断基準が明確で、さらに差別理由の公表が使用者に対して要求されるため、訴訟における結果予見性が高く、労働者が訴訟によって平等な取扱を請求しやすいという利点が見いだされる。このことは、ドイツにおいて平等取扱原則に基づく訴訟が数多く提起され、積極的な解決が図られている事実をみても明らかである。
  他方、わが国においては、労基法三条、同法四条を中心に議論が展開し、それらの規定に包摂されない差別的取扱については公序違反で規制するしかない。このように、わが国の雇用差別禁止法理において民法九〇条の公序規定は重要な位置を占めるのであるが、これに対して、ドイツでは(11)、平等取扱原則と善良の風俗(BGB一三八条)は本来別個の法理であって、善良の風俗違反に当たらなくても平等取扱原則違反に当たる場合もあると考えられている。少なくとも平等取扱原則違反を主張する場合には、措置の目的と差別的取扱との正当性の有無が審査されればよいのであって、わが国のように公序違反を主張する場合に必要となる社会的妥当性の有無について判断する必要性はないのである。差別的取扱の正当性の有無と、社会的妥当性の有無は必ずしも一致しないという視点を、ドイツ法の議論から導出することができよう。

  3、立証責任
  立証責任の配分について、ドイツ労働法における平等取扱原則の下では、他の労働者と自分が比較しうる状況(vergleichbare Lage)にあること、使用者によって立てられた取扱の基準が自分にも該当すること、それにもかかわらず不利な取扱を受けていること(格差の存在)について原告が立証する責任を負う。これに対して、差別的取扱に客観的な理由が存在することの立証については、使用者が責任を負う。
  他方、わが国では不法行為構成をとる判決が多数を占めるが、そこでは原則として、すべての成立要件につき労働者の側が立証責任を負わなければならない。しかしながら、証拠の偏在による立証の困難性を理由に、合理的理由の存在に関する立証責任は使用者に転換されていた。結果として、立証責任の配分に関して、両国の間に大きな差異は存在しない。
  つぎに、証明されるべき事実について、先にあげた二つの問題点について検討する。まず、同一(価値)労働同一賃金原則のわが国における適用可能性については、学説上肯定説(12)と否定説が対立する。このうち、否定説は、その理由として、職種概念のあいまいなわが国においては、「同一(価値)労働」は賃金決定の一つの基準にすぎず、年齢、勤続年数、学歴、勤務評価、成果、扶養家族、残業、転勤などの拘束度といった多様な基準が併用されている点をあげる(13)。しかしながら、この見解は、賃金決定において多様な要素が考慮されるといったわが国における賃金制度の一般的傾向を指摘するのみで、賃金差別につきその正当性判断を放棄するものであって妥当とは思われない。賃金差別事件においては、なによりも賃金格差の正当性を根拠づける理由を明らかにすることが、労働者の権利救済にとって求められるからである。
  この点について、パート労働者の差別的取扱に関して、その賃金格差の正当性を根拠づける新たな視点を提示する見解が存在する(14)。そこでは、パート労働者とフルタイム労働者の賃金格差の正当性を根拠づける理由を、パート労働者の「低拘束性」に求め、結論として「同一義務(労働義務プラス付随義務)同一賃金原則」こそが、わが国に妥当しうる法理であるとして提唱される。この見解は、賃金決定におけるわが国の特殊性の強調にとどまることなく、賃金格差につき「賃金と対応関係にたつと解される事情」を明らかにする必要性を指摘する点において重要であると思われる。
  しかしながら、そのような基本的視点については賛同しうるものの、その原則の内容については賛意を表することができない。なぜなら、この見解において同一賃金の要件とされる義務−残業義務、配転義務、勤務時間決定権限の使用者への留保、休暇取得の際の事業運営への配慮−を、賃金格差の正当性を根拠づける理由として認めることは適切でないと考えるからである。
  本稿における検討の対象である平等取扱原則は、その内容として「同一(価値)労働同一賃金原則」を当然に含むものである。そして、ドイツでは、平等取扱原則は、「労働法によって価値を認められた評価を顧慮する下で、合理的かつ客観的に正当化される方法でのみ差別がおこなわれること」を要求するものと位置づけられている。また、長く平等取扱義務の法的根拠として有力に主張されていた使用者の配慮義務には、労働者保護の法思想を労働関係に注入する機能が認められてきた。これらの観点からすれば、少なくとも、労基法上、労働者にとって重要な労働条件として位置づけられる勤務時間や休暇、そして勤務地や勤務条件にかかわる配転、労働時間にかかわる残業につき、使用者の決定権限を大きく容認することが、賃金格差を正当化する理由になると考えることはできず、この意味で右見解の説く「同一義務労働同一賃金原則」に賛同することはできない。さらに、「同一義務労働同一賃金原則」は、残業や配転につき使用者の権限を広く認めることによって生まれた、わが国の労働者の働き方−残業の当然視、休暇を取りにくい職場環境、過労死を発生させるほどの過酷な状況−を固定化する危険を孕むものである。結論として、右見解の提唱する「同一義務労働同一賃金原則」は、先に述べたような労働法上の規範的視点が抜け落ち、現状追認に終始してしまったところに問題があると考える(15)
  ところで、裁判例・学説の検討から、わが国においても「同一(価値)労働同一賃金原則」は妥当しうると考える。その有力な手がかりとして、すでにいくつかの判決において、基本給に関しては「家計の主たる維持者」などといった、労働に直接関係のない事情を考慮することが否定される傾向がみられたことを指摘できる。このことから、少なくとも、基本給のように、労働者による労務の供給に対して支払われ、賃金の中心的位置を占めるものについては、労働に直接関係のない基準により賃金が支払われてはならないといえ、この意味で「同一(価値)労働同一賃金原則」が妥当する。職務や能率、技能、主観的判断によらない勤務評価が、労働に直接関係する基準としてあげられるほか、年齢や勤続年数、学歴といった基準も、個別具体的判断において選択されうると考える。それ以外の要素、たとえば扶養家族の有無や残業、配転や転勤などについては、それぞれに対応した目的を有する賃金部分ないし手当によって考慮されるのが、最も合理的といえるであろう(16)
  つぎに第二の点に関して、使用者の差別意思の立証に関する両国の相違は重要である。ドイツ労働法における平等取扱原則においては、不利益取扱という事実だけが考慮され、使用者の故意・過失は要件とならないと解されてきた。これは、平等取扱原則の目的が、使用者の差別意思の追求にあるのではなく、あくまで客観的な理由のない差別的取扱の禁止にあることによって根拠づけられる。また、使用者の故意・過失の立証が一般的に困難であることから、それを要件とすることによって平等取扱原則の意義が没却されかねない点も指摘される。使用者の差別意思の立証が非常に困難であり、かつその立証責任を原告に課すことによって、違法な差別的取扱を効果的に規制することが難しくなるという事実は、間接差別法理を生み出すにいたったアメリカやEU各国の議論からも明らかである。雇用差別禁止法理のなかで、使用者の差別意思の立証を原告に課すのは、当該法理の目的に合致せず、また労働者の権利救済にとっても妥当でないという視点を導出することができる。

  4、是正されるべき賃金の基準
  ドイツにおいて、平等取扱原則に違反する差別的取扱であることが認容された場合、是正されるべき基準は比較対象労働者の一〇〇%であった。複数の労働者が等しい状況にあることが認容される限り、同一の取扱に対する請求権を与えることは、「等しい者は平等に取り扱い、等しくない者はその相違に応じて不平等に取り扱う」ことを要求する平等取扱原則の本質から導出される法的効果であると考えられている。
  この点、わが国においては、必ずしも比較対象労働者の賃金水準の一〇〇%が救済の対象になるわけではないという特徴があった。しかしながら、いったん同一であることを肯定して違法な差別を認定したならば、比較対象労働者の一〇〇%が是正の基準とされるべきである。このことは、差別禁止法理から必然的に導かれる是正基準である(17)。ここで割合的認定が認められる余地は、あくまで措置の目的と差別的取扱との関連においてのみ存在する(18)。若干の裁判例が指摘する、違法な査定部分と正当な査定部分の特定という問題は、使用者が立証すべき合理的理由の有無によって決定されるべきであり、使用者が賃金差別の一定割合について、その合理的理由を証明できない限り、比較対象労働者の一〇〇%の賃金が是正の基準とされるべきであろう。

  5、法的効果
  ドイツにおいて、平等取扱原則の法的効果については、労働者の権利侵害を排除するために最も有効な手段が選択されるべきであるといわれる。そのなかで最も実務上の意義を有するのは給付請求権であるとされるが、重要なのは、この給付請求権が損害賠償請求権ではなく履行請求権としてとらえられる点である。ドイツでは、履行請求権構成をとる意義として、使用者の故意・過失が要件とならない点をあげる見解が多い。また、損害賠償請求権として構成する場合には因果関係も問題となり、当該差別的取扱が禁じられるならばそもそも給付を与えなかったという使用者の反論を許すことになるとも説かれる。しかしながら、それらの理由以外にも、法的効果の内容の点で履行請求権構成をとる意義がある。すなわち、履行請求権は違法行為の除去を請求する権利であるから、違法行為によって過去に支払われなかった給付の請求とともに、将来的な給付の請求も可能となるからである。
  わが国の裁判例や学説において有力であった差額賃金請求権ならびに不法行為に基づく損害賠償請求権は、いずれも過去の差額賃金相当分を請求する根拠でしかなく、将来的請求については別個確認の訴えを提起しなければならなかった。しかしながら、ドイツ法にみられるように、使用者の平等取扱義務を肯定し、合理的な理由のない差別的取扱を使用者の平等取扱義務違反であると理論構成することができれば、債務不履行の場合に認められる履行請求権を根拠として(19)、過去の給付の請求とともに将来的な請求をすることが可能となる(20)。第一章で検討したように、わが国における賃金差別事件のなかで、原告側が主張する債務不履行も、その効果は損害賠償請求にとどまっていた。しかしながら、平等な取扱を使用者の契約上の義務と構成して債務不履行を主張する場合の利点は、履行請求が可能となる点にこそみいだされるのである。
  ドイツ法からえられる右の示唆は、わが国においてとくに重要である。そして、結論を先にいえば、わが国においても、使用者は合理的な理由なく労働者を不利に取り扱ってはならないという内容の契約上の義務を負うと解すべきである。先にみたように、わが国においては、差別事件を不法行為に基づく損害賠償によって処理する傾向があったが、雇用差別は、労働契約によって成立する契約関係が存在しているからこそ発生するのであって、それを不法行為という社会生活上の一般的な注意義務違反に還元して把握する必要は必ずしもないからである。
  右のような考えにたつとき、検討すべき点は、使用者は労働者を合理的な理由なく差別的に取り扱ってはならないとされる法的根拠をどこに求めるか(平等取扱原則の法的根拠)という問題と、それによって使用者に課される平等取扱義務を法解釈上いかに根拠づけるかという問題である。次節において検討をおこなう。

第二節  わが国における平等取扱原則導入の可能性

一、平等取扱原則の法的根拠
  使用者が労働者を合理的な理由なく不利に取り扱ってはならないということは、いかに根拠づけられるであろうか。この問題につき、ドイツにおいては労働者と使用者の関係を直接規律する雇用差別禁止規定が存在しなかったため、激しい論争が展開された経緯がある。しかしながら、わが国においては労基法三条と同法四条が、限定的ではあるが、使用者による差別的取扱を明文でもって禁止する。さらに、労基法三条と同法四条は、法の下の平等を宣言する憲法一四条一項の労働法における具体化と解されるため、わが国においては、平等取扱原則の法的根拠をそれらの差別的取扱禁止規定に求めることが可能といえる(21)
  憲法一四条一項は法の下の平等を宣言し、さらに後段において「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」による「政治的、経済的又は社会的関係」における差別を禁止する。後段の列挙事由については、それに該当する差別につき合憲性の推定が否定されるか否かで見解が別れるものの、それが限定列挙ではなく事例的列挙であるとする点については判例・学説の一致するところである(22)。このような考え方は、憲法一四条一項を具体化した労基法三条、同法四条の解釈においても尊重されるべきであろう。すなわち、労基法三条、同法四条もまた、一定の禁止される差別理由や労働条件を列挙する規定となっているが、少なくとも私法的救済の側面ではそれを限定列挙と解さず、事例的列挙であると解するべきである。
  労基法三条は、国籍、信条、社会的身分を理由とする労働条件差別を禁止し、同法四条は賃金に関する女性差別を禁止するが、同条違反に対しては罰則が予定されているため、罪刑法定主義の観点から厳格な解釈が要求されると解されてきた。ところが、結婚退職制に代表される賃金以外の労働条件に関する女性差別が、労基法三条、同法四条を厳格に解釈する下では禁止されないという事態が生じ、同条の解釈は再検討を迫られることになった。通説および判例は、労基法三条、同法四条の厳格な解釈を維持しながら、賃金以外の労働条件に関する性差別を、憲法一四条一項によって確立された公序に違反し民法九〇条により私法的に無効となるとする立場にたつが、学説においては労基法三条、同法四条の解釈方法について新たな見解が主張された。いわゆる労基法の二元的解釈である。
  二元的解釈とは、労基法の各条項を、刑罰規定としての側面で解釈する場合と私法的効力との関係で解釈する場合とで区別する方法である。この解釈方法は、刑罰規定としての公法的側面を意識した限定解釈が、私法的側面での解釈をも拘束するとの考えにたつ一元的解釈が有するディレンマ−罪刑法定主義を意識すれば現実に妥当とはいえない帰結をもたらし、逆に現実的妥当性を追求すれば罪刑法定主義の逸脱をもたらす−を解消するものとして、有力に主張されている(23)。そして労基法三条、同法四条に関しても、私法的側面においては限定解釈は後方に退き、合目的的観点からの現実に即した弾力的な解釈が要請されるべきであると主張される(24)。この二元的解釈は、労基法三条、同法四条が列挙する差別的取扱が、私法的側面では限定列挙でなく事例的列挙であることを示すものであり、使用者が私法上禁止される差別的取扱は、国籍、信条、社会的身分を理由とする労働条件差別と賃金に関する性差別に限定されないということの積極的な根拠となりうる。
  さらに、使用者と労働者の関係においては、わが国のように、労基法が列挙する差別的取扱や公序に反する差別的取扱だけが禁止されるのではなく、合理的な理由のない差別的取扱すべてが禁止されるべきである。その理由として、使用者と労働者の関係にみられる、次にあげるような特殊性をあげることができる。すなわち、労働の担い手である労働者は単なる機械ではなく、倫理的・精神的存在としての人格であり、人間の尊厳の主体として尊重されるべき存在である。さらに、労働は、それを担う労働者の生活にとって重要な構成部分であるとともに、職業的能力・人間的能力を高め、人格の形成に寄与する。まさに労働者は、労働の場である職場において、自己の能力の向上、人格の形成・発展を実現するのである。他方、使用者は、経営の維持・発展のために、労働者に対する措置や処遇に関して一定の裁量を認められる。しかしながら、それが労働者の人格の形成・発展が実現される職場でなされるがゆえに、使用者は、労働者の人格を侵害するような取扱を禁じられるべきなのである。
  ドイツでは、使用者による客観的な理由のない差別的取扱は、「それによって不利な取扱を受けた労働者に対する人間的な真価の軽視、あるいは無視(25)」として評価される。差別的取扱という客観的事実に対するこのような評価は、実態を的確に表現するものであり、重要な示唆として受けとめられるべきである(26)。そして、わが国においても、人間の尊厳と人格の尊重は憲法一三条において宣言されるところであり、この理念は労基法三条、同法四条の解釈においても十分に尊重されるべきである。結論として、憲法一四条一項、さらに憲法一三条の趣旨を介した(27)労基法三条、同法四条の二元的解釈に基づき、使用者は労働者を客観的な理由なく差別的に取り扱ってはならないという、平等取扱原則の存在を根拠づけることができる。

二、平等取扱義務の法的構成
  労働者を合理的な理由なく不利に取り扱ってはならないという平等取扱原則に基づく使用者への要請を、契約上の義務として構成すべきであることは先に述べたが、そこでの問題は、その平等取扱義務がなにを根拠として契約規範として取り込まれ、そして各種契約義務群におけるいかなる義務として観念されるかという点にある。この問題の検討において前提となるのは、契約両当事者によって設定される債権関係が、私的自治・契約自由の原則によって支配されるとともに、債権関係の正常な展開へ向け、契約両当事者が互いに信頼を裏切らないように行動すべく拘束を受けるという意味で、信義則(民法一条二項)によっても支配されるということである。このことは、今日の債権法学においてほぼ異論なく指摘されるところである。信義則は、債務の履行過程が展開するなかで、その事態の推移に即して契約規範が具体的に確定される場合に、具体的行為義務内容の根拠となる原則として認識され、さらに契約規範は、主たる給付結果の実現だけでなく、信義則を媒介として、「主たる給付結果の実現を通して獲得されることを企図された契約目的の達成」や、「履行に関連して具体的危険にさらされる契約当事者の完全性利益を保護すること」にまでその射程範囲を拡張するにいたっているとされるのである(28)
  信義則が、労働契約に基づく債権関係にあってもまた、両当事者間の行為規範ないし権利義務関係の内容の形成に際して重要な原則であることはいうまでもない。さらに、学説においては、労働法における信義則には、労働契約に基づく債権関係に認められる特質により独自の機能が見いだされなければならないと解されてきた。すなわち、労働法における信義則は、労働契約に基づく債権関係の対立的矛盾的結合関係、従属関係を適切に認識する下で、概ね使用者の権利行使に抑制的に機能するものとして構想されてきたのである(29)。この信義則の機能は、ドイツにおいて従来使用者の配慮義務について見いだされていた、実体法規の修正や新たな義務の創設により労働者保護の法思想を労働関係に注入する機能と同一であるとされる(30)。そして最近ではドイツでも、この配慮義務に見いだされてきた機能は信義則によって補いうるとする見解が主張される。
  このような議論のなか、ドイツでは、平等取扱義務の根拠を信義則に求める見解が主張される。また、わが国においても同様の見解が主張されるところである(31)。信義則が、公序規定のように法律行為の効力の否定ではなく、契約当事者の権利行使・義務の履行に制限を加える法的効果を予定するものである点(32)、また先に述べたように、労働法において使用者の権利行使を抑制する機能を有する点は、ドイツ法の分析から導出される平等取扱原則の法的効果や、この原則に見いだされる機能を根拠づけるものとして適している。以上のことから、使用者は、信義則上、労働者を合理的な理由なく差別的に取り扱ってはならない義務を負うと解するのが適切である。
  つぎの問題は、使用者が信義則上負う平等取扱義務が、契約責任の規範構造においていかに構成されうるかを分析することである。債権関係において、債務者は給付結果(ないし給付行為)を実現すべく一定の行為(給付)をなすべき義務、すなわち「給付義務」を負う。労働契約に基づく債権関係においては、労働者は労務提供義務を負うのに対して、使用者は賃金支払義務を負う。しかしながら、それらの義務のように契約当事者により合意されていないとしても、契約目的の達成にとって必要な措置が、契約の補充的解釈や信義則によって契約上の義務として設定されうる。とくに労働法においては、先に述べたように、契約の履行過程において労働者に対して一定の処遇をおこなう場合には、その処遇を客観的で正当なものとすることが信義則上要請される。換言すれば、労働者は、使用者による処遇において正当な評価を受け、かつ取り扱われる権利を有している(33)のであり、そのなかでも、平等取扱原則は、使用者による処遇が複数労働者を対象とする一般的なものとして設定される場合に、労働者の右の権利を実現する法理として位置づけられるのである。
  この使用者の信義則上の平等取扱義務は、給付結果の実現ないしはその給付結果を通して達成される諸利益を適切に確保するためになすべき(あるいは、してはならない)こととして法が命じているものと捉えることができよう(34)。この意味で、平等取扱義務は、給付結果の実現のために必要な一定の行為をなすべき義務であり、給付義務の一種として位置づけられる。換言すれば、平等取扱義務の具体的内容が給付結果の実現そのものに向けられている場合には、それは給付義務にほかならず、給付結果に性質上必然的に伴う債権者の利益の確保に向けられている場合には、「主たる義務」たる給付義務に付随する「従たる給付義務」として位置づけられるのである。これにより、平等取扱義務は、その具体的内容に応じて、使用者の給付義務ないしは従たる給付義務として構成することが可能である。そして、賃金支払の領域においては、それを客観的で正当な基準に基づいておこなうことを使用者は義務づけられるが、これは、使用者の給付義務である賃金支払義務の内容が履行過程において具体化したものと捉えることができ、したがって賃金差別に関わる使用者の平等取扱義務は、使用者の給付義務として捉えることが可能である。さらに、ドイツ法の分析から、平等取扱義務につき履行請求権能を付与することの重要性が明らかにされたが、わが国においても平等取扱義務を右のように構成することにより、その義務内容の確保のための履行請求権能が付与される(35)。これにより、事後的効果にとどまらず、適正な給付結果の積極的実現をもたらすことが可能となる。このことは、わが国の雇用差別禁止法理において主流であった不法行為構成と相違する点として位置づけることができる(36)

(1)  例えば、諏訪康雄「男女賃金格差と損害賠償」法学教室一五〇号七一頁においては、個々の労働者の賃金が賃金規定の機械的適用である場合は労基法一三条適用説による賃金請求も不可能ではないが、それ以外のケースに関して労基法一三条を適用する余地はなく、判旨はそのような場合にも賃金格差是正を可能とする配慮があると評価されている。
(2)  中島通子=山田省三=中下裕子『男女同一賃金』(一九九四年・有斐閣)九四頁以下、浅倉むつ子「男女差別賃金の認定方法」ジュリスト一〇一七号六九頁参照。
(3)  林和彦「賃金査定と労働契約の法理」労判三三三号二〇〇頁。
(4)  同一価値労働同一賃金原則と、判決のいう「均等待遇の理念」の相違を分析したうえで、同一労働概念を実態に即した広い概念として把握することによって、わが国における同一価値労働同一賃金原則の公序性を肯定する見解として、浅倉むつ子「「正社員と臨時社員の賃金格差と均等待遇」法時六八巻九号八〇頁以下。
(5)  たとえば、前掲・日本鉄鋼連盟事件・東京地裁判決は、使用者が採用していた「男女別コース制」につき、それが合理的理由を欠き、憲法一四条の趣旨に合致しないことを認めながら、募集・採用における男女の差別的取扱が公序に反するかについては、「少なくとも原告らが被告に採用された昭和四四年ないし四九年当時においては、使用者が職員の募集、採用について女子に男子と均等の機会を与えなかったことをもって、公の秩序に違反したということはできないものと解するのが相当」と結論づけている。
(6)  性差別に関してこのことを的確に指摘するのは、野田進「『男女別コース制」に伴う男女間労働条件格差と公序』季労一四三号一四七頁である。
(7)  藤川久昭「思想信条を理由とする賃金差別」労判六六六号一三頁。
(8)  浅倉・前掲「正社員と臨時社員の賃金格差と均等待遇」八一頁、池田直樹「性差をめぐる賃金格差と『同一労働同一賃金』原則」労旬一四六三号一一頁。
(9)  座談会「男女差別賃金事件の軌跡と展望」労判六六〇号二五頁以下(松田教授・浅倉教授の発言)。
(10)  BGB六一一a条一項「使用者は、約定もしくは措置、とりわけ労働関係の創設、職務上の昇進、指揮命令、もしくは解雇において、労働者の性を理由とする不利益取扱をしてはならない。ただし、約定や措置が、労働者によっておこなわれる職務の性質を対象とし、かつ特定の性がその職務にとって放棄しえない要件である場合には、性を理由とする差別的取扱は許容される。訴訟において、不利益取扱が性を理由とするものであることを推定させる事実を労働者が疎明した場合、使用者は、性に基づかない客観的理由が差別的取扱を正当化すること、または遂行される職務にとって、当該性が放棄しえない要件であることにつき証明責任を負う。」
  二項「使用者が、労働関係の創設において、一項の不利益取扱禁止規定違反の責を負う場合、それによって不利な取扱を受けた求職者は、適切な補償金を要求することができる。労働関係創設に対する請求権は存在しない。」
  三項「たとえ不利益取扱のない選考において求職者が採用されなかった場合であっても、使用者は、三ヶ月分の収入を上限とする適切な補償を支払わなければならない。一ヶ月分の収入とは、労働関係が創設されていたとして、一月に通常の労働時間で、金銭や物品の収入として求職者に当然与えられるであろうものを指す。」
  四項「二項および三項に基づく請求権は、一定の期間内に書面によって主張されなければならない。その期間は、採用申込に対する拒絶の意思表示の到達によって開始する。期間の長さは、損害賠償請求権の主張に関して、創設の目指された労働関係に規定される除斥期間により算出される。最短期間は二ヶ月である。当該期間が、獲得の目指された労働関係について特定されていない場合、その期間は六ヶ月とする。」
  五項「二項から四項の規定は、職務上の昇進において、昇進に対する請求権が存在しない場合にも妥当する。」
BGB六一一b条「使用者は、公募においても経営内募集においても、男性あるいは女性のみを募集してはならない。ただし、六一一a条一項二文に規定される事態が存在する場合はこの限りでない。」
BGB六一二条三項「労働関係において、同一もしくは同一価値の労働に対して、労働者の性を理由として他方の性の労働者よりもわずかな報酬が取り決められてはならない。わずかな報酬に関する取り決めは、労働者の性を理由として特別な保護規定が適用されるということによっては正当化されない。六一一a条一項三文が準用される。」
BGB六一二a条「使用者は、取り決めもしくは措置において、労働者が適法に権利を行使したことを理由として、労働者に対して不利益取扱をしてはならない。」
(11)  ドイツにおいては、善良の風俗規定(BGB一三八条一項)は平等取扱原則の法的根拠に関する議論のなかで登場した。これについては、蛯原・前掲「ドイツ労働法における平等取扱原則(三・完)」立命館法学第二六二号一五〇頁以下参照。
(12)  たとえば、浅倉むつ子「パートタイム労働と均等待遇原則・下」労旬一三八七号四六頁以下。
(13)  菅野和夫=諏訪康雄「パートタイム労働と均等待遇原則」『現代ヨーロッパ法の展望』(一九九八年・東京大学出版会)一三一頁以下。
(14)  水町勇一郎『パートタイム労働の法律政策』(一九九七年・有斐閣)二二八頁以下、同「『パート』労働者の賃金差別の法律学的検討」法学(東北大学法学会)第五八巻五号六四頁以下。
(15)  本多淳亮「パートタイム労働の理論的検討」労旬一四〇五号二三頁では、水町・前掲論文の提唱する「同一義務同一賃金原則」につき、「根本的には、日本企業の労務管理手法の妥当性を跡づけようとするものであ」ると批判される。
(16)  山田省三「パートタイマーに対する均等待遇原則」日本労働法学会誌九〇号一二二頁以下では、水町・前掲論文に対して、時間外労働などのエクストラな労働は、付加的な給付と考えられるべきであり、配転の有無に関しても、それに見合った手当が少なすぎる現状をこそ問題視すべきであると述べられる。
(17)  ドイツにおいて、差別の是正基準につき平等取扱原則に見いだされる特徴を、BGB三一五条を根拠とする正当性コントロールとの関係で詳細に分析するものとして、Go¨tz Hueck, Gleichbehandlung und Billigkeitskontrolle, Geda¨chtnisschrift fu¨r Dietz, 1973, S. 251ff. なお、このフークの見解については、蛯原「ドイツ労働法における平等取扱原則(三・完)」立命館法学二六二号一五三頁において紹介している。
(18)  このような意味で、第一章で検討したパートタイム労働者の差別的取扱に関する「均衡の理念」は妥当でない。仮に割合的認定をするのであれば、救済されなくてよいとされる部分に対応する理由を明確にすることが必要である。それは、立証責任の配分において使用者に課される合理的理由の証明に関する事実であり、使用者がその立証を尽くせなかったならば、比較対象となる労働者と同一水準での是正がなされなければならないと考える。
(19)  土田道夫「能力主義賃金と労働契約」季労一八五号一一頁以下においては、人事評価を公正におこなう使用者の労働契約上の義務が提唱され、そのように債務不履行構成をとることの意義の一つに履行請求をなしうることがあげられる。もっとも、土田教授の提唱される「公正評価義務」は、労働者個人と使用者との個別交渉によって賃金額が決定される制度において問題となる義務であって、複数労働者間の比較を前提としないものとして構想されている。その意味で、本稿でいう平等取扱義務とは性質を異にする。
(20)  芝信用金庫事件で問題となった昇格請求権に関して、平等取扱義務を使用者の労働契約上の作為義務として構成し、その履行請求に基づき昇格請求権が認容される可能性を指摘するものとして、和田肇「労働契約論の現代的課題・試論」日本労働弁護団『季刊・労働者の権利』二三三号一四頁。
(21)  和田肇『労働契約の法理』(一九九〇年・有斐閣)二三八頁においても、わが国における平等取扱原則の法的根拠は、憲法一四条をも考慮しながら解釈される労基法三条および四条に求められている。さらに労基法三条、同法四条の解釈については、本稿においても後述する二元的解釈にたつべきものとされる。同書二四〇頁脚注(四六)を参照。また、和田・前掲「労働契約論の現代的課題・試論」一三頁では、平等取扱原則を実定法によって根拠づけられたものと、実定法上の規定をこえた労働契約における一般的な平等取扱原則に区別され、後者につき、その「実質的な根拠」を憲法一三条、一四条、労働関係の性格(人格結合的性格、組織的性格)に求め、「形式的な根拠」を民法一条二項、民法九〇条や労基法三条の創造的解釈に求めることができると述べられている。
(22)  樋口陽一=佐藤幸治=中村睦男=浦部法穂『注釈  日本国憲法上巻』(一九八四年・青林書院新社)三二三頁以下、芦部信喜『憲法学V  人権各論(1)』(一九九八年・有斐閣)二三頁以下。
(23)  西谷敏「労働基準法の二面性と解釈の方法」外尾健一先生古稀記念『労働保護法の研究』(一九九四年・有斐閣)九頁以下。
(24)  浅倉むつ子「パートタイム労働と均等待遇原則・下」労旬一三八七号四二頁以下。
(25)  Peter Schwerdtner, Arbeitsrecht , 1976, S. 188f. ドイプラーもまた、「労働者の人格は、労働者が納得しうる理由なしに同僚より不利に取り扱われるということによっても侵害されうる。半分のクリスマス手当しか受け取っていない者は、通常、人間としても軽蔑されたと感じるであろうし、他の者より厳重な監督下におかれる者は、自己の労務給付や品行方正が疑われていると考える」と述べる。 Wolfgang Da¨ubler, Das Arbeitsrecht 2, 1995, S. 310.
(26)  労働者の人格権侵害の類型化において、差別的取扱をその一類型に含めるものとして、渡寛基「職場における労働者の人格権保障」静岡大学法経研究第四四巻四号四三六頁。
(27)  浅倉むつ子「均等待遇」『現代労働法講座  第九巻  労働保護法論』(一九八二年・総合労働研究所)一七九頁では、「均等待遇原則は、……個人の人格の尊重を志向する原則として、その意義を再確認されねばならない」、「均等待遇原則は、……人間の尊厳性を根拠として(憲法一三条)、『法の下の平等』(憲法一四条一項)を労使関係の場において具体化するという意義を有する」と述べられている。
(28)  潮見佳男『債権総論』(一九九四年・信山社)一八頁以下参照。
(29)  福島淳「労働法における信義則」林迪廣先生還暦祝賀『社会法の現代的課題』(一九八三年・法律文化社)二一六頁以下参照。
(30)  和田・前掲『労働契約の法理』二五五頁。
(31)  和田・前掲『労働契約の法理』二五五頁以下、道幸哲也『職場における自立とプライヴァシー』(一九九五年・日本評論社)二三七頁、三井正信「使用者の裁量的賃金決定にもとづく男女間の賃金格差と労働基準法四条」労旬一三九四号二一頁。
(32)  公序良俗と信義則の相違について、中舎寛樹「公序良俗と信義則」法律時報六五巻一〇号八四頁以下(とくに八九頁)等を参照。
(33)  このような議論は、学説において、賃金を中心に展開されている。たとえば、能力主義賃金について、賃金を労働者の職業的能力の価値の表現と捉え、人事評価を公正におこなうことは使用者の労働契約上の義務であるとして、「職業的能力の適正評価義務」等の義務を信義則上の付随義務として構成する見解として、毛塚勝利「賃金処遇制度の変化と労働法学の課題」日本労働法学会誌八九号一九頁以下。また、土田・前掲「能力主義賃金と労働契約」一一頁以下においては、使用者の「公正評価義務」が提唱されている。
(34)  潮見佳男『契約規範の構造と展開』(一九九一年・有斐閣)八一頁、一四五頁以下から示唆をえた。
(35)  たとえば、奥田昌道『債権総論(上)』(一九八二年・筑摩書房)一六頁以下、同『債権総論〔増補版〕』(一九九二年・悠々社)一六頁においては、給付義務は契約自体ないしはその解釈によって定まるとされ、給付義務であるためには債権者の意思により設定されたものであることを要するとの認識にたつ。これに対して、たしかに「主たる給付義務」については意思との関連が必要であるが、それ以外の義務について、給付義務か否かは、むしろ当事者の意思を離れて、当該行為に対する請求権能を付与するのが妥当か否かという判断に基づき決定されるべきであるとされる。潮見・前掲『債権総論』一三頁以下、同・前掲『契約規範の構造と展開』八〇頁以下、一四三頁以下参照。
(36)  潮見・前掲『債権総論』一三頁以下、同・前掲『契約規範の構造と展開』八一頁参照。


お  わ  り  に


  最後に、本稿のまとめとして、わが国の雇用差別禁止法理への平等取扱原則の導入によって、賃金差別事件の司法的救済にいかなる変容がもたらされるかをまとめておきたい。
  雇用差別禁止法理に平等取扱原則を導入することにより、労基法三条、同法四条違反にあたる差別的取扱は使用者の平等取扱義務違反にあたるから、労働者は民法四一四条に基づき債務不履行における履行請求をなしえ、結果として賃金差額相当額を請求する権利を有する。労基法三条、同法四条に該当しない差別的取扱であっても、処遇の目的と手段との間に直接的な関連が存在しない場合には、やはり使用者の平等取扱義務違反にあたり、労働者は履行請求をすることが可能である。
  立証責任について、履行請求は債務不履行の事実があれば可能であることから、以下のような配分がなされる。まず、労働者の側は他の労働者との比較可能性と格差の存在を立証し、債務不履行の事実(要件事実)を証明しなければならない。これに対して、当該法律効果の発生を阻害する事実である合理的理由の存在についての立証責任は、使用者に配分される。また、債務不履行における履行請求をなす場合には、債務不履行の事実があれば可能であるから、当該債務の不履行が債務者である使用者の責に帰すべき事由によって生じたかどうか、という主観的要件は必要とされない。したがって、使用者が故意または過失により差別的取扱をおこなったという主観的要素(差別意思)は立証不要であり、労働者の側はその立証責任を負わない。消滅時効の援用などの権利滅却事実については、使用者が立証責任を負う。なお、平等取扱原則においては、使用者による措置の目的と差別的取扱の関連が問われるため、当該差別的取扱のもたらす効果という視点は直接的には考慮の対象に入らない。したがって、特定の差別理由における差別的効果を適切に是正するためには、間接差別法理の導入が必要であるといえる。
  救済内容については、比較対象労働者の賃金水準の一〇〇%が是正されるべき基準となることは、平等取扱原則の本質的要請であり、したがって平等取扱義務の内容でもある。したがって、履行請求権の具体的内容は常に確定しうる。また、履行請求の内容として、労働契約が継続する場合には将来的請求も認められる(1)。消滅時効は、民法一六七条一項に基づき一〇年である。債務不履行によって損害を被った場合には、民法四一四条四項、四一五条に基づき損害賠償請求も可能であるが、履行請求によって過去の賃金差額相当額は請求可能であるので、現実には遅延損害金と賃金差別によって被った精神的苦痛の賠償が対象になると思われる(2)。この場合は、債務不履行の事実のほかに、帰責事由の存在、損害の発生と因果関係の立証が必要となる。この場合、帰責事由については、不法行為の場合と異なり使用者に立証責任が課されることとなる。
  本稿は、わが国における雇用差別に対する司法的救済の問題点を、賃金差別事件を素材として抽出し、ドイツ法研究を手がかりとして検討を加え、平等取扱原則のわが国における意義を明らかにするとともに、その導入可能性について検討をおこなうものであった。また、労働者に対する合理的な理由のない差別的取扱の禁止を、使用者の労働契約上の義務として構成する必要性と、その試論を提示し、平等な取扱に対する労働者の請求権につき、理論的な根拠を付与することを試みるものであった。今後は賃金以外の差別事件についても、平等取扱原則を適用する意義とこの原則がいかに適用されうるかを検討することが課題となる。さらに、賃金差別事件に関しても、本稿の検討からえられる先に述べたような結論を、実際に雇用差別事件に適用し、具体化していく作業が必要である。今後の課題として提起し、本稿を締めくくりたい。

(1)  たとえば、昇格請求権について、裁判例をみると、昇格は使用者による評価と発令を介しておこなわれるのであり、そのような決定のない段階で昇格請求権を認めることはできないとし、損害賠償請求を認めるにとどまっていた。しかしながら、平等取扱原則違反があったということは、使用者の措置における一般的な基準が特定されていることを意味する。使用者は、合理的理由のない限り、その基準にしたがった決定をおこなうべきだったのであり、使用者のなすべき行為、すなわち履行請求の内容は常に特定される。したがって、労働者は、その基準にしたがった決定を自分に対しておこなうよう、使用者に請求することが可能である。
(2)  民法四一六条一項が精神的損害にもおよぶことにつき、判例・学説上異論をみないとされる。中田裕康「民法四一五条・四一六条(債務不履行による損害賠償)」広中俊雄=星野英一編『民法典の百年V』(一九九八年・有斐閣)四五頁以下参照。



本稿でとりあげた主な裁判例一覧 性差別

判決番号 事件名 結論 認容された請求 立証責任 比較の基準 差別意思の立証 合理的理由と認否(認容○否定×) 是正基準 消滅時効 将来的請求 慰謝料請求
格差の存在 合理的理由
1 秋田相互銀行事件(秋田地判昭50-4-10労判226号10頁) 請求認容 差額賃金請求(労基法4,13条) 原告 被告 年齢 要求せず 扶養家族の有無× 男性の賃金表 肯定(2年) 請求なし 請求なし
2 鈴鹿市職員事件(津地判昭55-2-21労判336号20頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく国家賠償請求 原告 被告 5等級16号俸以上.在級年数.経験年数 要求せず 職務,能率,技能の差異○(ただし具体的な立証が必要) 直近上位の給与手当(同期男性の平均号俸は不採用) 援用せず 請求なし 認容(100万円)
3 鈴鹿市職員事件(名古屋地判昭58-4-28判時1076号40頁) 原判決取消,請求棄却,付帯控訴棄却 請求棄却(裁量権濫用なし) 原告 被告 5等級在級者 原告の立証を採用せず 裁量権の範囲内 請求棄却 援用せず 請求なし 請求棄却
4 岩手銀行事件(盛岡地判昭60-3-28労判450号62頁) 請求認容 差額賃金請求(労基法4-b21192条違反) 原告 被告 扶養家族の有無 要求せず あらかじめ一方に特定することの合理性○.夫に特定することの社会的許容性× 手当の100% 援用せず 請求なし 請求なし
5 日本鉄鋼連盟事件(東京地判昭61-12-4判時1215号3頁) 請求一部認容,一部却下・棄却 差額賃金請求(民法90条違反,労基法4,13条の趣旨) 原告 被告 資格,経験年数,年齢 要求(男女別コース制の違法性につき) 基幹職員とその余の職員の差×(性差別と無関係であるかにつき証拠不十分).労働協約(組合の合意)の存在× 基本給引上と一時金支給につき同条件の男性の100% 肯定(2年) 請求なし 請求なし
6 日産自動車事件(東京地判平元・1-26判時1301号71頁) 請求棄却 請求棄却 原告 被告 住民票上の世帯主 原告の立証を採用せず 夫婦どちらか一方への手当支給の特定○ 棄却 肯定(2年) 請求棄却 請求棄却
7 社会保険診療報酬支払基金事件(東京地判平2-7-4労判565号7頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 同等級在級者 格差発生に対する認識のあったことから故意を認容 労働協約の存在×.組合間差別是正という措置の目的×.違法な昇格措置× 比較対象男性の100% 否定 請求棄却 認容(10万円)
8 岩手銀行事件(仙台高判平4-1-10判時1410号36頁) 控訴棄却,付帯控訴(拡張請求)による原判決変更 差額賃金請求(労基法4条,民90条(1条の2)により無効) 原告 被告 扶養家族の有無 要求せず 住民基本台帳法上の世帯主概念×.家庭内情況への調査回避× 手当の100% 援用せず 請求なし 請求なし
9 日ソ図書事件(東京地判平4-8-2判時1433号3頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期,入社年齢,学歴,初任給 格差を知りつつ是正措置を講じなかったことから過失を認容 生計維持者か否か× 比較対象者の平均賃金の100% 否定 請求なし 請求なし
10 三陽物産事件(東京地判平6-6-16労判651号15頁) 請求一部認容,一部却下・棄却 差額賃金請求(労基法4-b21113条) 原告 被告 年齢 基準適用の効果から推認 配転義務の有無○(ただし運用面で差別があれば×).世帯主であるか否か× 男性の賃金表 肯定(2年) 請求却下 請求棄却
11 石崎本店事件(広島地判平8-8-7労旬1394号47頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 年齢,入社時期 要求せず 実際についている職務と無関係な資格の所有× 比較対象者との賃金格差の平均額 否定 請求棄却 認容(30万円)
12 芝信用金庫事件(東京地判平8-11-27労旬1398号9頁) 請求一部認容,一部棄却,原告1名につき請求棄却 差額賃金請求 原告 被告 同期同給与年齢(従組員を除く) 制度の性差別的運用より推認 職能資格制度の結果× 昇格したうえでの賃金の100% 肯定(2年) 昇格請求権認容 否定
13 塩野義製薬事件(大阪地判平11-7-28労旬1463号65頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期 過失を認容 後に昇格する× 比較対象男性5名の能力給平均額の90% 援用せず 請求なし 認容(200万円)
 

思想・信条差別

]
14 富士電機製造事件(横浜地横須賀支決昭49-11-26労判225号47頁) 請求認容 不法行為(民法90条違反)に基づく損害賠償請求 原告 被告 同期,標準的な勤務能力と成績 手帳紛失事件と査定低下の時期の一致から認容 業績不十分×(立証不十分) 同期の労働者の標準的(平均的)取扱と同額 援用せず 請求棄却 請求なし
16 東京電力(群馬)事件(前橋地判平5-8-24労旬1322号26頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期,学歴,勤務遂行能力,業績 反共的労務政策,実際に支払われた低い賃金額から認容 協調性、仕事の処理量の低さ○ 算定不能 肯定,人権侵害行為についても肯定(3年) 請求なし 認容(240万円)
17 東京電力(山梨)事件(甲府地判平5-12-22労判651号33頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期,学歴 反共的文書,反共的政策の実施等から認容 職務遂行能力,業務実績が年功序列的運用からはずれる程度に劣悪である○ 比較対象者の平均賃金の100% 否定 請求なし 認容
18 東京電力(長野)事件(長野地判平6-3-31労判660号73頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期,学歴,平均的在級期間 反共的政策,発言,文書から認容 職務上のミスや職場規律違反○ 算定不能 人権侵害行為につき肯定(3年) 請求棄却 認容(300万円)
19 東京電力(千葉)事件(千葉地判平6-5-23労判661号22頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期,学歴 反共的発言・文書・労務政策から認容 能力および勤務ぶりが劣悪である○ 比較対象者の賃金の30% 否定,人権侵害行為につき肯定(3年) 請求なし 認容(100万円,150万円)
20 東京電力(神奈川)事件(横浜地判平6-11-15労判667号25頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 入社時期,学歴 反共的発言・労務政策から故意を認容 会社の施策に反対し行動に移してきた○ 比較対象者の平均賃金の30%,50% 否定,人権侵害行為につき肯定(3年) 請求なし 認容(150万円)

組合員差別

判決番号 事件名 結論 認容された請求 立証責任 比較の基準 差別意思の立証 合理的理由と認否(認容○否定×) 是正基準 消滅時効 将来的請求 慰謝料請求
格差の存在 合理的理由
21 門司信金(丸山)事件(福岡地小倉支判昭53-9-28労判313号57頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 降格処分前に直近上位にあった従組員と勤続年数の等しい従組員 特に立証を要求せず,故意過失を認める 偏見に基づく疑いの強い勤務評価× 同期入庫者(ないし平均)の80% 援用せず 請求なし 認容(30万円)
22 門司信金(岩松他)事件(福岡地小倉支判昭53-12-7労判320号56頁) 請求一部認容、一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 同期入庫の従組員 合理性の否定,労使の対立の事実から推認 有効な懲戒処分に基づく減点○.正当な争議行為×.協調性がないとの主観的評価×.預金増強運動の成績× 比較対象労働者の平均昇給ならびに臨給額 援用せず 昇進したことの地位確認請求を棄却 請求なし
23 JR西日本事件(広島地判平5-10-12判タ851号201頁) 請求一部認容,原告1名につき請求棄却 裁量権の濫用により無効,差額賃金請求権を認容 原告 被告 減率査定を受けなかった労働者 正当な組合活動を減率査定の理由とした事実から推認 正当な組合活動×.積極性,協調性のなさ×.(立証不十分)増収活動参加呼びかけに応じない× 夏期手当算定方法に基づき,減率査定がなければ与えられた額 援用せず 請求なし 請求なし
24 ヤマト運輸事件(静岡地判平9-6-20労判721号37頁) 請求一部認容,一部棄却 不法行為に基づく損害賠償請求 原告 被告 仕事内容,年齢,勤続年数の相似する労働者2名 併存組合に関する事実関係より推認 運用規程上考課対象にしてはならない事由× 精神的損害の賠償のみ認容 援用せず 請求なし 認容(80万円)

雇用形態を理由とする差別

判決番号 事件名 結論 認容された請求 立証責任 比較の基準 差別意思の立証 合理的理由と認否(認容○否定×) 是正基準 消滅時効 将来的請求 慰謝料請求
格差の存在 合理的理由
25 丸子警報器事件(長野地上田支判平8-3-15労旬1382号39頁) 請求一部認容,一部棄却,原告2名につき請求棄却 不法行為(民法90条違反)に基づく損害賠償請求 原告 被告 労働内容の外形面.内面(企業への帰属意識) 要求せず 臨時正社員制度の合理性○ 正社員の賃金の80% 援用せず 請求なし 棄却(精神的損害なし)