立命館法学 2000年1号(269号) 24頁(24頁)




ゲリマンダリングと合衆国の投票権法制(下)
- 代表を選出する機会の平等 -


倉田 玲


目次

一  は じ め に
  1  ゲリマンダリング
  2  合衆国の投票権法制

二  一九六五年投票権法
  1  合衆国市民の投票権
  2  一九六五年法の成立
  3  適用法域指定方式

三  投票力の希釈
  1  希釈の定義
  2  効果テスト
  3  意図テスト        (以上二六八号)

四  一九八二年投票権法修正法
  1  一九八二年修正法の成立
  2  結果テスト
  3  マイノリティ多数選挙区

五  お わ り に              (以上本号)




四  一九八二年投票権法修正法


1 一九八二年修正法の成立

  (1)  第二条の修正
  マイノリティの投票力の希釈を判定する方法について、一九七三年のホワイト対レジェスタ事件判決は全裁判官の一致のもとに差別的な効果の証明で足りるとし、一九八〇年のモウビル市対ボルデン事件判決は裁判所意見を形成できないままに差別意図の立証を必須とした。このことから、たとえば前者が後者によって覆されたのだとしても、多数意見ですらない後者が前者に置き換わったとは考えにくいという困難が生じ、合衆国最高裁判所の判例は、「効果テスト」と「意図テスト」の間で混乱を生じるに至った(1)
  しかし、モウビル事件判決は、ある意味で時宜を得た判決でもあった。一九六五年投票権法の適用法域指定方式が、一九七〇年と一九七五年につづき、一九八二年八月には三度目の期限切れを迎えようとしていたからである(2)。合衆国議会はこれに即応して延長措置を講じるが、そこでは判例の状況を受けて、むしろ時限的な規定ではない第二条の改正が最重要項目となった(3)
  一九八二年投票権法修正法は六箇条からなる合衆国議会制定法(連邦法)であり、その第三条が一九六五年投票権法第二条の修正にあてられている。これにより、モウビル事件判決に至る判例の流れのなかでも独自の意義を与えられることなく、第一五修正による差別の禁止を繰り返したものに過ぎないと考えられてきた投票権法の第二条は、二項構成に改められた。(a)項では、従前の文言が修正されて、「いかなる投票資格、投票の前提要件または基準、慣行もしくは手続も、州または下位の統治区分により、人種もしくは体色を理由として、または第四条(f)項(2)号に定められた保障に違反して、本条(b)項に規定されるように、合衆国市民の投票権の剥奪または縮減を結果としてもたらすようなかたちで、課され、または適用されてはならない」と規定された。ここで「結果」という文言が用いられたことに、まずはモウビル事件判決の「意図テスト」を覆滅する目的が読みとれよう。なお、第四条(f)項(2)号というのは、一九七五年の修正で付加された条項であり、ヒスパニック(Hispanic:Latino)など「言語的マイノリティ集団に属する者であること」を差別禁止事由に含めたものである。
  また、一九八二年修正法で新設された(b)項は、「本条(a)項に対する違反は、状況全般に基づいて、州または下位の統治区分の候補者指名または当選につながる政治過程が、本条(a)項で保護される分類の市民による参加に対して、これに属する者が当該政治過程に参加して自己の選択する代表を選出する機会が選挙民に属する他の者よりも少ないという点で、平等に開かれてはいないことが証明された場合に成立する。保護される分類に属する者が州または下位の統治区分において公職に選出された程度は、考慮されうる状況の一つである。但し、本条のいかなる規定も、保護される分類に属する者が人口に占める比率に等しい数で選出される権利を認めるものではない」となっている。
  この(b)項に含まれている「代表を選出する機会」の「平等」という文言は、明らかにホワイト事件判決の系譜に属する。そして、但し書きにおいて比例代表の「権利」が忌避されていることから、マイノリティの投票力の希釈を測る基準が選挙結果という統計的な数字のみではありえないこともまた明らかであるが、この点もまた判定基準について「状況全般」とするにとどまったバーガ・コートの判例によって繰り返し留保されてきたことであった。上院司法委員会報告書にある「目的」の項をみても、「この修正は、差別意図の立証が第二条に対する違反の成立には必要でないことを明らかにするためになされる。……また、この修正は、ボルデン事件判決以前の投票の希釈に関する指導的な判例、すなわちホワイト対レジェスタ事件判決を成文化することで、結果テストに基づいた法的基準を記述する新たな項を第二条に付加する」とある(4)
  しかし、ホワイト事件判決を現行法に復活させただけでは、モウビル事件判決の「意図テスト」を十分に否定することはできても、そこにおいて「効果テスト」が拘束的な先例とはならなかったという根本的な問題は残る。つまり、新たな第二条は、それ自体として、マイノリティの投票力の希釈に対して明瞭な判定基準を提供するものではなく、多数代表法の枠組みのなかで代表を選出する機会の平等を実現するというディレンマが完全に解消されたわけではなかった。たとえば、ボイド(Thomas Boyd)とマークマン(Stephen J. Markman)による立法過程の検証は、その結論部分において、「一九八二年投票権法修正法は、この新法が最終的に取り入れたことに加え、それが書けなかったことにおいても意義深かった」という評価を示している(5)。また、パーカー(Frank R Parker)は、新たな第二条の「結果テスト」がモウビル事件判決の「意図テスト」を覆したことを評価しつつ、「この新たな第二条の基準の成功は、大部分が、合衆国司法省が……精力的に執行しようとするかどうかにかかってこよう。この改正の成功にとって同じく決定的なのは、裁判所が新法を……合衆国議会が意図したとおりに拡張的に解釈しようとするかどうかであろう」と予測した(6)。つまり、第二条の実践的な意義が、レイガン(Ronald Wilson Reagan)政権の司法省とバーガ・コートを頂点とする司法に委ねられたということであろう。しかし、一九八二年修正法が成立した当時のバーガ・コートは、ステュワート裁判官の引退にともなってオコナ(Sandra Day O'Connor)裁判官が加わったほかに、モウビル事件判決が下されてから構成の変動がなかった。また、グィニア(C. Lani Guinier)の研究によれば、レイガン政権は、裁判官を指名するにあたっても、政策を遂行するにあたっても、人種に配慮してマイノリティの保護をはかるということに消極的ないし攻撃的であり、ことに司法省で市民的権利部門を担当したレイノルズ(William Bradford Reynolds)次官補は、一貫して投票権法の執行に反対の態度であったとされる(7)

  (2)  合衆国議会下院
  合衆国議会は、どのように投票権法を修正し、第二条を書き換えたのあろうか。つまり、新しい第二条は、いかなる配慮のもとに生み出されたのか。この点につき、主としてボイドとマークマンの研究に依拠しながら概観する。なお、一九八一年六月二〇日現在の議席数でみると、下院ではレイガン政権の誕生後も民主党が二四二議席対一九〇議席(欠員三)で多数派を占めていたが、上院では共和党が過半数を奪回して五三議席対四七議席となっていた(8)
  投票権法を修正するための審議は、一九八二年四月七日、ニュー・ジャージ州選出の民主党下院議員で下院司法委員長のロディノ(Peter W. Rodino, Jr.)が下院法案(H.R. 3112)を提出したことにはじまる。これは、従来の第二条の「剥奪または縮減するために」という部分を「剥奪または縮減を結果としてもたらすようなかたちで」という文言に置き換える内容の規定を含んでいた。下院法案は、キャリフォーニア州選出の民主党議員エドワーズ(Don Edwards)が委員長を務める市民的権利および憲法的権利小委員会に付託され、南部のアラバマ州モントゴメリ(Montgomery)とテクサス州オースティン(Austin)での地方開催を含め、十八日間の日程で公聴会がおこなわれた。
  また、院外では全米有色人種地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People, NAACP)、メキシコ系アメリカ市民法対教育基金(Mexican American Legal Defense and Educational Fund, MALDEF)、アメリカ自由人権協会(American Civil Liberties Union, ACLU)などの団体を中心に修正推進派のロビー活動が展開され、これらの団体の代表者は、学識経験のある専門家などとともに、公聴会でも積極的な発言をおこなった(9)。こうした現象に対して、アッカマン(Bruce Ackerman)は、批判的な見地から、キャロリーヌ・プロダクツ事件判決の離散的かつ孤立的なマイノリティという図式の見直しを提起している(10)
  小委員会で審議の焦点となったのは、第五条の適用指定法域を決定する基準の部分であった(11)。イリノイ州選出の共和党議員ハイド(Henry J. Hyde)は、モウビル事件判決の「意図テスト」を支持して、これとホワイト事件判決とは整合的に理解できるとし、後者は統計上のアンバランスや投票の分極化が生じた結果として比例代表法を要求するものではないとの意見を示していたが、第二条の修正をめぐる論議にあてられた公聴会の日程は一日だけで、一九六五年法の原意はモウビル事件判決で解釈されたよりも広いと考えるロディノの法案が結局のところ全会一致で可決され、六月二一日、無修正のまま司法委員会に送られた(12)
  下院司法委員会では、第二条に関する注目すべき動きとして、つぎのような一文が付加された。「マイノリティ集団の構成員がその集団の人口に占める比率に等しい数で選出されなかったことは、本来的かつ自動的に(in and of itself)、本条の違反を構成するものではない」。この否認条項(disclaimer)は、エドワーズのほか、二名の共和党議員によって、ほかの適用法域指定方式に関連した妥協案とともに提案されたもので、その目的は「第二条違反に対する救済として比例代表法が用いられることについての懸念を沈静化させること」にあったとされる(13)。もっとも、文言をみるかぎり、忌避されているのは、違反が成立した場合の救済としてではなく、違反自体の客観的な判定基準として比例代表法が用いられることである。司法委員会で修正された法案は、八月五日、賛成三百八十九票対反対二十四票という圧倒的な票差で下院本会議を通過した。この本会議には第二条に関する部分の修正を求める動議も提出されたが、同じく圧倒的な票差で否決されている(14)

  (3)  合衆国議会上院
  上院では、下院とは対照的に、第二条の修正が中心的な議題となった(15)。当初、メアリランド州選出の共和党議員マサイアズ(Charles McC. Mathias)がエドワード・ケネディらの賛同を得て、下院法案と同日に上院法案(S. 895)を提出していたが、下院法案が修正されて本会議を通過したのにともない、それと同じ内容の法案(S. 1992)が改めて提出されることになった。このときは、提案者であるマサイアズとケネディのほか、審議の打ち切り(cloture)動議に必要な六十名を超える支持があった。これに対して、投票権法の修正に批判的な保守派の代表格は、一九六五年から投票権法の成立および修正に一貫して反対してきたサウス・キャロライナ州選出のサーモンド(Strom Thurmond)と「結果テスト」の導入に断固として反対するユタ州選出の共和党議員ハッチ(Orrin G. Hatch)であった(16)。また、この頃には、レイガン政権も法案に対する消極的な態度を明らかにし、とりわけ第二条の修正について反対の立場をとっていた(17)
  一九八二年一月二七日、上院での審議は司法委員会に付属する憲法小委員会ではじめられた。そこでは、小委員長のハッチがマサイアズとケネディに第二条を修正する真意は何かと問いただしている。ボイドとマークマンが議事録から抜粋しているところでは、たとえばハッチとマサイアズとの間で、つぎのような議論の応酬があった。このやりとりにおけるハッチの主要な目的は、許容される証拠の範囲と証拠を吟味する基準とを敢然と区別しておくことであったとされる(18)
マサイアズ「この法案の目的は、公明正大なアクセスを選挙過程にもたらすことにある」。「選挙過程の公明正大な機能とは、すべての市民に投票、出馬、その他この過程への参加に対する平等なアクセスを与えることである」。
ハッチ「『平等なアクセス』とは、何を意味するのか」。
マサイアズ「それが何を意味するのか、あなたにはよく分かっている」。
ハッチ「あなたが何を意味すると考えているのかを知りたい。なぜなら、私はそれが効果テストのもとで何を意味するかを知っている。私は合衆国司法長官と同じ考えで、それが比例代表を意味するものだと思っている」。
マサイアズ「あなたは状況全般に着目している。われわれは、いままでそうしてきた」。
ハッチ「われわれがそうしているのは、意図基準に基づいてのことだ。あなたは全般として考えているが、これらの状況にどれほどの重要性があるのか、私にはまったくわからない。……私には理解できないが、裁判所が出しゃばって状況全般を結果テストのもとで吟味するということか。状況全般に配慮した後、裁判所は具体的に何を出しゃばるというのか。また、結果テストのもとで吟味するための基準は何なのか」。
マサイアズ「結果に着目しなさい」。
ハッチ「それだけか。モウビル事件判決で認定されたように、差別の意図が皆無で、結果が差別のようにみえる場合、裁判所はその法域を非難できるというのか……」。
  代表選出の結果が人口比に対応していないことを証拠の範囲に含めるだけであれば、モウビル事件判決の「意図テスト」が基本的な枠組みとして維持されることも可能であろう。しかし、それがマイノリティの投票力の希釈を判定する試金石となる場合には、人口に比例した代表選出を促すため、大選挙区を小選挙区に分割するという救済策がとられうる。ハッチが危惧したのは、「結果テスト」のもとで、裁判所の裁量により、こうした救済策がもたらされるということであった(19)。小委員会では、結局こうした懸念が優勢を占め、失効を迎える規定の効力は十年間延長するが、内容面では何らの修正も施さないという結論を司法委員会に報告した(20)

  (4)  上院司法委員会
  サーモンドが委員長を務める上院司法委員会では、小委員会からの報告を受けて、三月二九日から審議がはじめられ、五月四日に「ドウル妥協案」と呼ばれる代案が賛成多数で可決された。この妥協案は、その名のとおりカンザス州選出の共和党議員ドウル(Robert Dole)の提案によるもので、第二条に関しては、下院の成案にあった「結果」という文言を復活させ、(b)項を新設して「状況全般」や「代表を選出する機会」の「平等」といったホワイト事件判決の系譜に属する用語を盛り込むとともに、下院法案にも付加された比例代表法の忌避を明示した(21)。こうした内容の「ドウル妥協案」が、第二条違反を訴える場合に証拠となる七項目の「典型的要因」と二項目の「付加的要因」を列挙した司法委員会報告書とともに本会議に送られた。その後、六月一八日に上院本会議で賛成八五票対反対八票で可決されると、回付を受けた下院本会議でもただちに賛同が得られ、最初の法案の提出から有に一年以上が経過した同月二九日、一九八二年投票権法修正法は、大統領の多分に妥協的な署名によって成立した(22)
  上院司法委員会の報告書に「ホワイト事件判決で最高裁判所によって用いられ、ツィンマ事件判決で定式化された分析の枠組みに由来する」と注記して列挙された七項目は、第一に「マイノリティ集団に属する者の選挙人名簿に登録される権利、投票する権利、その他民主主義過程に参加する権利を害する……公の差別の歴史の程度」、第二に「州または下位の統治区分の選挙における投票が人種ごとに分極化されている程度」、第三に「州または下位の統治区分が異常に大規模の選挙区、過半数得票要件、集中投票禁止ルール、その他マイノリティ集団に対する差別の機会を増大させうる投票の実務または手続を用いてきた程度」、第四に「候補者の名簿登録過程がある場合は、マイノリティ集団に属する者がその過程へのアクセスを否認されてきたか否か」、第五に「マイノリティ集団に属する者が……教育、雇用、衛生といった分野における差別の効果を被っている程度」、第六に「選挙運動が公然または隠然たる人種的な訴えかけによって性格を規定されてきたか否か」、第七に「マイノリティ集団に属する者が……公職に選出されてきた程度」、というものである。また、「付加的要因」は、「選出された公職者の側に、マイノリティ集団の特定化されたニーズに対する応答の重大な欠如があるか否か」および「州または下位の統治区分が当該の投票資格、投票の前提要件または基準、慣行もしくは手続を用いた背景にある政策が薄弱か否か」というものであった(23)
  一九八二年修正法は、妥協の末に両院の圧倒的多数によって制定されたが、その内容は、第二条に関するかぎり、「結果テスト」が採用されたとはいっても依然として不明確なものであった。(a)項に「結果」という文言が明記されてはいても、(b)項に並ぶ表現は、上院司法委員会報告書が認めるとおり、従来の「効果テスト」のものにほかならない(24)。この点について、ブラムスティン(James F. Blumstein)は、決め手となった「ドウル妥協案」の捉え方についても、マサイアズが「意図テスト」のもとでの立証の難しさを取り除くものと論じたのに対し、ハッチは人種ごとの比例代表に結びつくことが避けられないという信念を変えなかったと指摘している(25)。このうち、マサイアズの見解にしたがえば、ホワイト事件判決の「効果テスト」がモウビル事件判決において指導的な先例にはならなかったという脆弱性をともなって明文化されたに過ぎないことになろう。また、ハッチの解釈では、第二条の「結果テスト」は(a)項の「結果」という文言と(b)項の但し書きとの間に内在的な矛盾をはらんでいることにもなりかねない。
  このように、第二条の修正は、比例代表法をとることなくマイノリティの投票力の希釈を是正するというディレンマを解きほぐしたというには曖昧であった。しかし、少なくとも、機会の平等という概念が、ゲリマンダリングを統制する選挙法の規範として議場にあらわれ、法文に書き込まれたことの意義は、決して小さくはなかろう。ウェステン(Peter Westen)が指摘するように、機会という概念は多義的であり、「保証(guarantee)」と「可能性(possibility)」の中間、「すべての障壁の可能性の不存在」と「すべての障壁の不存在の可能性」の中間にあって、一般的には定位置をもたないといえようが(26)、だからこそ、代表の選出という事項が、判例と立法による試行錯誤の結果として、政治過程への参加と同列におかれ、結果ではなく機会の問題とされたことに、特筆すべき意味があろう。この観点から顧みれば、「効果テスト」と「意図テスト」の対立は、投票の分極化に対応する機会概念の帰納的な定義をめぐるものであり、合衆国議会による「結果テスト」の導入は、規範内容に安定を欠きつつも、この意味での機会が法的に承認されたことを意味していた。

2  結果テスト

  (1)  ロジャーズ事件判決
  一九八二年投票権法修正法の成立は、マイノリティの投票力の希釈というゲリマンダリングの問題に関して、バーガ・コートの判例に大きな変化をもたらした。その兆候を強く示したロジャーズ対ロッジ事件判決(Rogers v. Lodge, 458 U.S. 613 [1982])は、早くも修正法が成立した翌々日にあらわれている。これは修正された第二条が適用された事例ではないが、その結論はアフリカ系市民が人口の五三・六パーセント、登録された選挙人の三八パーセントを占めるジョージア州バーク(Burke)郡の全域制選挙制度を違憲とするものであり、小選挙区への分割という救済策を裏書きするものであった。ホワイト裁判官が執筆し、バーガ首席裁判官、ブレナン裁判官、マーシャル裁判官、ブラックマン裁判官、オコナ裁判官の五名が同調した裁判所意見は、「全域制投票制度と大選挙区は、政治的なマジョリティがその選挙区のすべての代表を選出するのを許すことで、マイノリティ集団の投票力を極小化する傾向にある。明瞭に識別されるマイノリティは、それが人種的、民族的、経済的または政治的な集団のいずれであれ、全域制選挙では代表を選出できないかもしれないが、その政治的単位が小選挙区に分割された場合には数名の代表を選出できるかもしれない。大選挙区におけるマイノリティの投票力は、組織票が生じ、マジョリティとマイノリティの厳格な区分に沿って票が投じられる場合に、ことのほか希釈される」という基本線で先例を整合的に説明しようと努めている(Rogers, 458 U.S., at 616 [emphasis omitted])。そして、マイノリティの投票力の希釈を平等保護条項違反として立証するには差別意図の証明が必須であるとしつつも、「……差別意図は直接的な証拠で立証される必要はない」(Rogers, 458 U.S., at 618)という点を強調して、それは差別的な効果を示す「状況全般」から推定されるという立場をとった。また、差別意図が制度の採用時に存在したかではなく、判決時に維持されているかどうかを問題にしていることも、客観的な効果の点を重視する傾向として注目されるべきである。さらには、「……二つの下級裁判所により一致してなされた事実認定をかき乱したくはない」と述べ、原審による希釈の判定を尊重するという判断を示した(Rogers, 458 U.S., at 623)。
  このように、一九八二年修正法が「結果テスト」を採用したことに影響を受けてか、裁判所意見はモウビル事件判決の「意図テスト」からホワイト事件判決の「効果テスト」に回帰する傾向を示したが、ロジャーズ事件判決には二つの反対意見もみられた。まず、パウエル裁判官による反対意見は、モウビル事件判決を先例として、最高裁が独自の認定をおこなうべきであるというものであった。これにはレンクィスト裁判官が同調している。そして、パウエル裁判官の意見によっても大筋で評価されたスティーヴンス裁判官の反対意見は、人種問題だけを特別視すべきではないとする立場から、「ゴミリオン対ライトフット事件判決で違法と宣告された境界線と同じくらいグロテスクなゲリマンダーは、それがアフリカ系市民の選挙人を閉め出すものであれ、共和党員の選挙人を閉め出すものであれ、アイルランド系カトリックの選挙人を閉め出すものであれ、許されない」と述べた(Rogers, 458 U.S., at 652 [Stevens, J., dissenting] [citation omitted])。スティーヴンス裁判官は、モウビル事件判決の個別意見でもこれと同様の主張を展開しているが、本件の反対意見からは、裁判所の役割を客観的あるいは外形的な側面についての判断に限定することで、司法審査がゲリマンダリングの深みに取り込まれるのを避けようとする意識が、より強く読みとれる。

  (2)  ジングルズ事件判決
  ロジャーズ事件判決から四年後、バーガ・コートの最後の開廷期に下されたソーンバーグ対ジングルズ事件判決(Thornburg v. Gingles, 478 U.S. 30 [1986])では、一九八二年修正法で投票権法第二条に導入された「結果テスト」について、最高裁の解釈が提示されることになった。原審であるノース・キャロライナ州東部地区合衆国地裁のジングルズ対エドミステン事件判決(Gingles v. Edmisten, 590 F. Supp. 345 [1984])で認定されたところから、事実関係の概略をみておくと、つぎのとおりである。
  ノース・キャロライナ州は全部で百の郡からなるが、このうち四十郡は投票権法の適用指定法域であった。一九八〇年の国勢調査にともない、両院で民主党が多数を占める州議会は、翌年七月に州の両院議員の選挙区をそれぞれ再編成した(27)。このときの選挙区割りは、大選挙区中心の構成をとりながら、選挙区間の人口格差が二〇パーセント超と大きく、州憲法の修正によって郡の分割が禁じられていたこともあって、アフリカ系市民を分散させていた。これに対して訴訟が提起され、そこでは州憲法の修正が投票権法第五条に定められた事前承認を受けていないということも主張された。議会は憲法修正について合衆国司法長官の事前承認を求めるとともに、下院議員選挙区については区割り案を変更した。この案も大選挙区中心であり、人口格差は最大で約一六パーセントであった。司法長官は憲法修正に対する事前承認を拒否した。その理由は、郡の分割が禁じられることで大選挙区が必要になるが、これは必然的にマイノリティの投票力の希釈をもたらす、というものであった。司法長官は、これに引き続いて、一部変更されていた再区割り案に対しても、適用指定法域に関するかぎりで事前承認を拒否した。一九八二年二月、ついに州議会は郡の分割に踏み切り、適用指定法域だけでなく州全域について両院の選挙区割りを変更したが、この案に対しても事前承認は得られなかった。その後、同年四月に州議会が四つ目となる区割り案を作成すると、この案に対してようやく事前承認が得られた。なお、人口格差に関しては以上の経過のなかで是正されていたため、訴訟ではアフリカ系市民の投票力の希釈が主な争点となった。
  原告は合衆国憲法典の第一四修正および第一五修正に基づく憲法判断も求めていたが、地裁の三名合議法廷は訴訟の係属中に修正された投票権法第二条の「結果テスト」に依拠して審理をおこなった。そして、ツィンマ事件判決で整理され、上院司法委員会報告書で列挙された差別的効果から「状況全般」を吟味した結果として、第二条違反の投票力の希釈を認定した。その理由は、つぎのようなものであった。第一に、アフリカ系市民が多数となる小選挙区の設置が可能である。第二に、投票の分野も含めた差別の歴史がアフリカ系市民の政治参加を阻害している。第三に、投票の手続がアフリカ系市民による代表の選出を阻害している。第四に、白人候補者が人種的な偏見に訴えかけることで、人種ごとの組織票を助長している。第五に、州下院議員選挙区の第二三区からはアフリカ系の候補者も繰り返し選出されてきたが、その数は人口比率からするときわめて少ない。第六に、人種ごとの投票の分極化は統計から明らかである。このほか、地裁判決では、第五条に基づく事前承認が与えられても、第二条による投票力の希釈の判定は免れないという判断が示され、また人種によるゲリマンダリングで異形の選挙区が生じるのを避けるために郡を選挙区割りの単位とすることは、投票力の希釈を正当化しないとも述べられている。もっとも、救済策として用意された第二条違反の宣言と選挙差し止めのインジャンクションは、この判決に即応した州議会が一九八四年三月に五回目となる再区割り案の見直しをおこなったため、後日の決定によって回避された。

  (3)  三項目テスト
  原審で被告となった州の司法長官の側から直接上訴を受け、合衆国最高裁で投票力の希釈が争われることになったのは、一九八二年四月の事前承認を受けた再区割り案である。したがって、最高裁で口頭弁論がおこなわれた時点では、すでに過去のものとなっていた。最高裁の結論は、訴えの対象となった選挙区のうち、州下院の第二三区を除く部分については全裁判官の一致によって投票力の希釈を認め、第二三区については六名の裁判官の一致によってこれを認めないというものであった。裁判所意見を執筆したのはブレナン裁判官であるが、判決理由をめぐって複雑な見解の対立がみられたため、ブレナン裁判官の意見も部分的には相対多数意見となるにとどまっている。
  まず、ホワイト裁判官、マーシャル裁判官、ブラックマン裁判官、スティーヴンス裁判官が同調した裁判所意見の部分において、ブレナン裁判官による判示の核心となったのは、投票権法第二条の「結果テスト」の解釈を三項目の要件に分けて提示した箇所である。ブレナン裁判官は、「第二条に基づく訴えの本質は、選挙法、選挙の実務または構造が社会的および歴史的な諸条件と相まって、……代表を選出する機会における不平等を生むということである」(Gingles, 478 U.S., at 47)と述べて投票力の希釈を定義した後、大選挙区において「……組織的に投票するマジョリティは、通常なら政治的に結束していて地理的に孤立したマイノリティ集団によって支持される候補者を敗北させることができるに違いない」(Gingles, 478 U.S., at 49 [emphasis original])とした。これが三項目に分けて敷衍され、「第一に、マイノリティ集団は、小選挙区の多数を構成するのに十分な規模があり、地理的に緊密である(compact)ことを証明できなければならない」、「第二に、マイノリティ集団は、政治的に結束している(cohesive)ことを証明できなければならない」、「第三に、マイノリティは、白人マジョリティが、マイノリティの候補者に対抗馬がないといった特段の状況がないかぎり、通常ならマイノリティの選好する候補者を敗北させることができるほどに組織(bloc)として投票していることを証明できなければならない」と判示された(Gingles, 478 U.S., at 50-51 [footnote & citation omitted])。こうした「三項目テスト」は、投票権法第二条の「結果テスト」を解釈した内容として提示されたものであったが、この部分の判決文を読むと、上院司法委員会報告書を含む議会資料や修正された第二条のもとになったホワイト事件判決など「効果テスト」の先例よりも、モウビル事件判決で原告の側にあったブラックシャとマネフィの論文など、学術的な文献に大きく依拠して執筆されたことに気づく(28)
  ブレナン裁判官が提示した三項目のうち、後の二つは投票の分極化にかかわる争点である(29)。マイノリティとマジョリティの組織票が第二条違反の認定において有意味となる程度に関して、ブレナン裁判官は、「マイノリティ集団に属する者の相当数が通常なら同一の候補者に投票するということの証明は、投票力の希釈の訴えに必要な政治的な結束を証明する一つの方法であり……その結果として、第二条の文脈におけるマイノリティの組織票を確証する」とし、また「……一般論として、マイノリティの支持と白人の『乗り換え(crossover)』票が結びついた勢力を通常なら敗北させるような白人の組織票は、法的に意味のある白人の組織投票の水準に至っている」と説明している(Gingles, 478 U.S., at 56 [citation omitted])。
  ブレナン裁判官は、さらに証拠を論じて、「……人種ごとに分極化した投票という法的概念は、投票力の希釈の訴えに関するかぎり、選挙人の人種と候補者の選択との相関にのみ関係する」のであり、かかる相関の原因や意図、つまり候補者の人種などは関係ないと述べたが(Gingles, 478 U.S., at 74)、ホワイト裁判官の同調が得られなかったため、この部分は相対多数意見となっている。また、定数三の州下院第二三区で人口比率三六・三パーセントのアフリカ系の候補者が継続的に選出されていることから、概ね比例代表が達成されており、投票力の希釈はないとした部分では、逆にホワイト裁判官の同調しか得られていない(30)
  そのホワイト裁判官は、自身の個別意見において、ブレナン裁判官の意見にあるように「選挙人の人種と候補者の選択との相関」のみを重視すると、「白人選挙人の多数がアフリカ系市民の多数とは異なる候補者に投票する場合、候補者の人種にかかわりなく、投票の分極化が存在することになる」が、「これは人種差別を防ぐルールというよりも利益集団政治である」と述べた(Gingles, 478 U.S., at 83 [White, J., concurring])。説例として、定数八の大選挙区でアフリカ系市民の人口比率が四〇パーセント、この選挙区の候補者が民主党と共和党の双方で各々白人六名とアフリカ系二名の計十六名であった場合があげられている。このような場合、特定の区域でアフリカ系の八〇パーセントが民主党候補に投票していたにもかかわらず、アフリカ系の二名を含む共和党の八名が選出され、民主党候補が全員落選すると、ブレナン裁判官のテストでは投票権法第二条の違反が成立してしまうことになりかねない。つまり、ホワイト裁判官が「利益集団政治」という言葉で表明したのは、マイノリティの候補者が選出されても、それが民主党候補の二名でなければ投票権法違反になってしまうではないか、という懸念である。
  オコナ裁判官が、バーガ首席裁判官、パウエル裁判官、レンクィスト裁判官の同調を受けて執筆した意見は、本件の結論に同意しつつも、ブレナン裁判官の提示した判決理由に対しては、ほぼ全面的な批判を展開するものであった。オコナ裁判官によれば、「……裁判所意見のマイノリティの投票力を判定するテストと投票希釈を判定するテストは連動しており、合衆国議会が結果テストを第二条に明文化したときに意図していたよりも、絶対的な比例代表の要件に近づいている」(Gingles, 478 U.S., at 94 [O'Connor, J., concurring in the judgment])。オコナ裁判官は、前者のテストに対して「……裁判所が『希釈されていない』マイノリティの投票力を判定する標準にして、常に、マイノリティ集団に属する者が多数となる小選挙区をおかなければならないか否かを本件で判断することは、差し控えるべきである」とした(Gingles, ibid. [O'Connor, J., concurring in the judgment])。また、後者のテストに対しては「……第二条に違反する投票希釈を成立させるのに、どれほど大きなマイノリティの投票力の棄損が要求されるかを決めるとき、まず最初にみるべきはウィットカム事件判決とホワイト事件判決である」と述べて、一九八二年投票権法修正法で復活させられた先例の「効果テスト」から離れて新たな判断基準を立てようとする裁判所意見を論難した(Gingles, 478 U.S., at 97 [O'Connor, J., concurring in the judgment])。さらには、意見の末尾においても、「大部分ではなくとも多くの連邦の立法にとって妥協は本質であり、そうした妥協を連邦の裁判所が実施するという信頼は立法にとって不可欠である」と述べられている(Gingles, 478 U.S., at 105 [O'Connor, J., concurring in the judgment(31)])。
  第二条の修正過程でも、「結果テスト」にとっての最大の課題は、いかにして比例代表法の採用に至ることなく、伝統的な多数代表法の枠組みにおいて代表を選出する機会の平等を実現しうるかというディレンマの解消にあった。合衆国議会では、この点で明快な答えを提示することができず、マイノリティの投票力の希釈は差別的な効果の「状況全般」で判定されるという文字通り妥協的な結論となったが、ジングルズ事件判決で裁判所意見が示した「結果テスト」は、この点の困難を克服したようにみえる。たとえば、「……ジングルズ事件判決の三項目テストは、一式の比較的明確かつ客観的な判断基準に焦点をおき……一式の決定的な要因によって運用可能な基準を創り出した……。人種ごとに分極化された投票を投票希釈の訴えの要点として措定することで、合衆国最高裁判所は『核心的』価値を含む基準を創り上げた」とする評価がある(32)
  もちろん、「三項目テスト」の明確さが、オコナ裁判官によって批判されているように、比例代表法を試金石として投票の分極化と希釈の程度を判定する方向に傾いているとすれば、それは合衆国議会が第二条(b)項に但し書きをおくことで回避しようとした明確さでもある。この見方によれば、上院司法委員会報告書に列挙された七項目の「典型的要因」と二項目の「付加的要因」がジングルズ事件判決の裁判所意見によって三項目に変換されたことにともなって、多数代表法の枠組みのもとで代表を選出する機会の平等を実現するという課題は、性質を変えられてしまったとみることも、あるいは可能かもしれない。差別的な意図または効果の立証を要件として投票力の希釈の是正がはかられる場合、その手法はあくまでも消極的な平等保護である。これに対して、ジングルズ事件判決の「三項目テスト」が過度に定式化されて運用されると、マイノリティ集団の規模と地理的な密集度に加えてマイノリティとマジョリティの組織的な投票の分極化が証明されれば、これら統計的な数値の重なり合いによって投票力の希釈が認定されることになろう。そこで問題となるのは、一九八二年修正法が審議されるなかでハッチ上院議員が表明していたような懸念、すなわち裁判所が選挙区の分割などの積極的な救済方法をとりうるかということである。これに関連して、サーンストロムは、人種間の分裂に対する配慮を強めた投票権法制を批判して、「マイノリティの投票権は、アファーマティヴ・アクションに関するあらゆる問題のなかで、おそらくはもっとも議論の余地があるにもかかわらず、もっとも議論されていない問題である」と提起していた(33)。そして、現実には、一九九〇年の国勢調査後の選挙区割りにおいて、ブッシュ(George Herbert Walker Bush)政権の合衆国司法省が投票権法第五条の事前承認要件を積極的に活用し、とりわけ南部の州では救済判決が下されるまでもなくマイノリティ多数選挙区が設置されるという事態が生じる。
  しかしながら、ジングルズ事件判決の「三項目テスト」自体は、ブレナン裁判官の判示をみるかぎり、消極的な平等保護の手法から転じて長らくタブーとされてきた比例代表法の導入を積極的に要請したという評価ばかりを促すものであったとも思われない。また、仮に「三項目テスト」が比例代表法に即した判定の手法であったとしても、そのことからただちに救済策として比例代表法による選挙が命じられるわけではない(34)。さらには、そもそもアファーマティヴ・アクションが選挙過程で問題になりうるかどうかについても、後でみるように疑問の余地がある。ただ、投票力の希釈というゲリマンダリングの排除を目的として法的あるいは司法的に選挙区規模と代表法を決定することが可能なのかという問題が、ジングルズ事件判決を契機として先鋭化するに至ったことは事実である(35)

  (4)  バンデマ事件判決
  裁判所によるゲリマンダリングの是正という観点でみたとき、ジングルズ事件判決と同日に下され、判例集でも直後に登載されているデイヴィス対バンデマ事件判決(Davis v. Bandemer, 478 U.S. 109 [1986])は(36)、ことさら重要な意味をもつことになろう。この事件の争点は、民主党員の投票力の希釈が平等保護条項によって排除されうるかというものであった。そして、その背景には、全委員を共和党が独占する委員会で作成されたインディアナ州議会議員の選挙区の再編成案が、共和党が両院の多数を占める州議会で可決され、共和党の州知事に承認されて成案になったという事情があった。事件の係属中に実施された選挙では、州全体で集計された民主党の得票率が下院で五一・九パーセント、上院で五三・一パーセントであったにもかかわらず、同党の候補者は下院で全定数百議席のうちの四十三議席(四三パーセント)、半数改選の上院では二十五議席のうちの十三議席(五二パーセント)を獲得するにとどまった。とくに、下院議員選挙に大選挙区が用いられた二つの郡(合計定数二十一議席)をみると、民主党候補の得票率は四六・六パーセントであったにもかかわらず、選出された代表は三名(一四・三パーセント)に過ぎなかった。
  バンデマ事件判決で裁判所意見を執筆したホワイト裁判官は、結論として平等保護条項違反の訴えを退けつつも、すでに定数不均衡やマイノリティの投票力の希釈という人種的なゲリマンダリングが先例において本案審理の対象になっていることにかんがみ、党派的なゲリマンダリングの司法審査適合性を認める判断を示した。もっとも、本件で裁判所意見が形成されたのは、この点についてのみである。ホワイト裁判官の意見のうち、ブレナン裁判官、マーシャル裁判官、ブラックマン裁判官の三名による同調しか受けられず、相対多数意見となった部分では、審査の手法についてマイノリティの投票力の希釈に関する先例が参考とされ、「結果」という文言が頻繁に用いられてはいるものの、内容的には「効果テスト」に類する判定法が示された。それによると、「……選挙における集団の力は、当選を困難にしているのが議席配分表であるという単純な事実によって、違憲に減じられるものではなく、また比例代表になっていないということだけでは、平等保護条項のもとで許されない差別を構成しない。……違憲の差別が生じるのは、選挙制度が選挙人またはその集団の政治過程全般に対する影響力を一貫して低下させるように仕組まれている場合のみである」(Bandemer, 478 U.S., at 132)。ただ、ホワイト裁判官自身が州議会の政治的な権能との関係を踏まえて、「……われわれ自身の見解が適用の困難なものでありうることを認める」(Bandemer, 478 U.S., at 142)と述べたように、判定基準の中身が明確に示されたわけではなかった。
  これに対しては、バーガ首席裁判官とレンクィスト裁判官の同調を受けたオコナ裁判官の個別意見が、「……大政党の党派的ゲリマンダリングの主張は、憲法典の制定者が間違いなく意図していたように、司法府が立法部門に委ねておくべき司法審査不適合の政治問題を提起する」(Bandemer, 478 U.S., at 144 [O'Connor, J., concurring in the judgment])という立場から批判を加えている。この意見によると、「投票の希釈の分析は、大政党に対して拡張されるとき、人種的なマイノリティ集団に限定される場合よりも、はるかに運用不能となる」(Bandemer, 478 U.S., at 156 [O'Connor, J., concurring in the judgment])。そして、従来の枠組みを前提とした判定基準が立てられない以上、「不幸なことに、相対多数意見においてさえも、比例代表に流れ着くのは明らかである」(Bandemer, 478 U.S., at 158 [O'Connor, J., concurring in the judgment(37)])。
  また、パウエル裁判官が執筆し、スティーヴンス裁判官が同調した一部反対意見は、「一人一票」原則だけでは「公正かつ効果的な代表」が達成できないことを明言した上で、ゲリマンダリングを審査するには同原則以外の「中立的要因」も考慮されねばならないという主張を展開した(Bandemer, 478 U.S., at 162 [Powell, J., concurring in part and dissenting in part])。パウエル裁判官によれば、「これらの要因のうちでもっとも重要なのは、選挙区の形状であり、下位の統治区分の境界線の遵守である。ほかに考慮されるべき関連事項には、定数配分法制が採択された立法手続とその当時の立法目的を反映する立法史が含まれる」(Bandemer, 478 U.S., at 173 [Powell, J., concurring in part and dissenting in part] [footnote omitted])。しかしながら、ここで「中立的要因」にあげられる「選挙区の形状」などは、そもそも憲法によって保護されるべき公益であるかどうか、この点に疑問が残る(38)
  人種的なゲリマンダリングについて司法判断適合性が認められたのは、一九六〇年のゴミリオン対ライトフット事件判決であるが、このときは第一五修正が根拠とされ、一見明白な異常が問題とされていた。また、一九六二年のベイカ対カー事件判決では、議員定数再配分問題について司法審査適合性が確立されたが、これに続いた定数再配分事件判決群は、「一人一票」原則によって裁判所の役割を定式化した。これらの先例とバンデマ事件判決が決定的に異なるのは、集団の投票力を正面から扱ったという点である。
  党派的なゲリマンダリングに対する司法審査の確立は、やはり判定基準の定立が困難という点で、マイノリティの投票力の希釈と同質の問題を提起していたといえよう(39)。しかも、バンデマ事件判決で問題とされた党派的ゲリマンダリングの場合は、特定の大選挙区ではなく州という法域全体が問題とされており、少なくとも表面的には人種問題が含まれていないため、第一五修正や投票権法の適用が及ばない。したがって、裁判所が平等保護条項を解釈するかたちで直接に踏み込まねばならないという難問がある。
  しかしながら、バンデマ事件判決でゲリマンダリング全般に対する司法審査適合性が揃えられたことは、ジングルズ事件判決でブレナン裁判官が提示した「三項目テスト」という「結果テスト」と重ね合わせてみると、バーガ・コートの最終的な回答として、きわめて整合的であった(40)。集団という契機にかかわる投票力の希釈が法的に無視されず、ゲリマンダリングの範疇において解消すべきものとされた点で両者は一貫しており、そこにおいて代表を選出する機会の平等が字義のとおり機会の平等として保護の対象に設定されたことは、合衆国の裁判所が州の政治過程という藪のなかに分け入り、投票の分極化を俎上に載せた経緯からすれば、決して無理のない選択であった。人種問題が先鞭となり、それに基づく希釈の是正が先行したのは、まさに分極化の激しさが促した結果であろう。
  もちろん、こうした流れのなかに漂い続ける問題は、代表を選出する機会の平等を比例代表法によることなく実現できるかということである。これに関してバーガ・コートが積み重ねてきたぎりぎりの積極的判断は、一九九〇年代になるとマイノリティ多数選挙区というかたちで、ある意味での限界をみせつけられることになる。しかし、それは反面で前提自体を疑う議論を呼び、多数代表法の「勝者総取り(winner−take−all)」という本質が抱える専制への傾斜を浮かび上がらせる方向にも作用した(41)

  (5)  世代概念
  マイノリティの投票権の平等保護に関しては、世代という概念を用いて段階的に捉える見方がある。たとえば、グィニアは、「専制的なマジョリティを抑制する試み」として、三つの世代があるとする。その説明するところによれば、「第一世代は、投票権それ自体が『他のすべての権利を保全するもの』であるという想定のもとに、投票用紙へのアクセスに直接に焦点をおいた」。「投票権に関する訴訟と立法の第二世代は、増大したアフリカ系市民の投票権者登録に対する南部の反応に焦点をおいた」。つまり「……市民的権利行動主義(civil rights activism)の第二世代は、『質的な投票の希釈』に焦点をおいた」もので、これは「今日も闘い続けている」。そして、「マイノリティの議員が増大した政府においても、マイノリティ集団の利益の疎外は頑強に残っていることが多い」ため、これに「第三世代の事例が反応しはじめた。第三世代の事例は、マイノリティが誰かを議会に選出することを確保するだけでは、ときとして不十分だということを認識している(42)」。また、カーラン(Pamela S. Karlan)は、「投票についての分離してはいても究極的には結びついている三つの概念理解」として、個人による投票を指す「参加」のほかに、個人の投票を集計するルールを指す「集合」と選出された代表による意思の反映のルールを指す「統治」をあげ、投票権の内容は、これら三つの要素の「……連続体(continuum)を形成している」とする(43)。このような視点からすると、一九六五年投票権法の成立による普通選挙権の実効的な確立は「第一世代」と「参加」の段階に、バーガ・コートの判例と一九八二年投票権法修正法による代表を選出する機会の平等を保護する試みは「第二世代」と「集合」の段階に、それぞれ相当する。そして、レイノルズ対シムズ事件判決で提示された「すべての市民にとって公正かつ効果的な代表」を確立するための課題として、つぎに達成されるべきは「第三世代」と「統治」の段階であった。
  しかしながら、マイノリティの「エンパワーメント」こそを究極的な課題として位置づけるグィニアが「名目主義(tokenism)」の勝利しかもたらさないと批判した「アフリカ系当選理論(black electoral success theory)」は、代表の選出を至上の課題とするあまり、「第二世代」から「第三世代」への以降を妨げた(44)。また、カーランが指摘したように、マイノリティの投票力の希釈を是正する動きに対し、拒否反応としてあらわれた「独任制公職主義(single−member office doctrine)」は、投票権法第二条が代表の選出の機会とあわせて保護しようとした「参加」の機会の平等さえ没却してしまった(45)。複数の代表が選ばれるという前提がなくなれば、多数代表法を緩和する余地もなくなり、投票が分極化している状況でマイノリティに属する市民は、投票すること自体の積極的な意味づけも失ってしまうからである。
  マイノリティの代表を確保することには、それ自体として、多様な民意の反映という意義がある(46)。しかしながら、これを至上命題にしてしまうと、マイノリティの代表の孤立化を招くとともに、投票の分極化を固定化することにもなりかねない。つまり、市民が人種という集団から離れ、個人として政治過程のうちに統合されるという展望は、むしろ閉ざされることになる。さりとて、集団という属性を捨象することで統合に向かおうとしたのでは、積み重ねられてきた経験が無駄になる。比例代表法によることなく代表を選出する機会の平等を保護するという課題に内在するディレンマは、そもそもどちらの方向に解消されてもよいものではなかった。このことは、投票の分極化の認識という出発点によって規定されていたはずである。
  議会におけるマイノリティの代表のプレゼンスと議会によるマイノリティへのレスポンスを効果的に確保することこそが本来の到達点であったとすれば、「第二世代」と「集合」は「第三世代」と「統治」の前段階として構想されるべきであっただろうが、現状はその方向に進んでいない。つぎにみるように、レンクィスト・コートの判例傾向からは、むしろ「第一世代」と「参加」の段階への回帰すらうかがえる(47)

3  マイノリティ多数選挙区

  (1)  選挙区編成の実態
  一九九〇年に国勢調査が実施され、各州で選挙区の再編成が実施されると(48)、南部を中心とした法域ではマイノリティの人口比率が過半数を超える小選挙区、すなわちマイノリティ多数選挙区が創設もしくは増設され、これが訴訟で争われるようになる。
  今回の国勢調査に基づく選挙区割りの特質は、投票権法制の絶大な影響が看取されたことにある。たとえば、グロフマン(Bernard Grofman)は、複数の文献において、マイノリティ多数選挙区が創設された背景に、つぎのような要因があったと分析している(49)
  まず第一に、すでにマイノリティの代表も現職となっており、彼らが従来のアウトサイダーではなく、インサイダーの立場から選挙区の再画定に関与したことである。第二に、コンピュータ技術の飛躍的な向上によって、多数の要素を計算に入れた再画定案の作成が容易になり、マイノリティの側でも容易に対案を作成できるようになったことである。この点に関連して、「『TIGER』システムと称されるコンピュータの導入」は、画期的な現象であった(50)
  第三に、投票権法第五条のもとで、共和党政権の合衆国司法省が精力的に介入したことである。南部を中心に、十六の州の全部または一部が事前承認要件の適用指定法域であった。これについては、市民的権利の他の分野で逆行的な傾向を示した司法省が投票権法の執行に熱心であったことは「全部が共和党のプロット」であって、マイノリティ多数選挙区に民主党支持者を囲い込もうとしたというよりも、党派色の薄い勤勉な執行の体制を維持することが長期的にみて有利になると考えたのではないかと説明されている。また、クリントン(William Jefferson Clinton)政権が誕生してからも、司法省の市民的権利部門には方針の転換がみられないという(51)。第四に、適用指定法域に含まれない州でも、ジングルズ事件判決の「三項目テスト」によって、第二条違反となる投票力の希釈のパラメータが提示されていたことである。「新しい案の実施を遅らせ、案が裁判所によって(現職には予見不能な結果をともなって)全面的に作り直される可能性を残し、あるいはその両方をもたらすであろうという投票権訴訟の脅威……」が、とくに南部でマイノリティ多数選挙区の増大をもたらしたとされる(52)
  第五に、民主党の支持者を一定のマイノリティ多数選挙区に封じ込めるとともに、民主党議員を中心とした現職の選挙区を替えさせることを目的として、共和党が投票権法に基づく訴訟を提起して再画定に影響を及ぼすという戦略をとったことである。これについては、つぎのように述べられている。この頃に提起された訴訟の多くは、「共和党全国委員会を起点として、十分に統制され、十分な資金を提供された戦略の一部であった。共和党の狙いは、(とくに南部で)アフリカ系市民の集中している選挙区に民主党員を封じ込め、それによって他の選挙区における民主党の支持基盤を弱めることにあった。しかも、共和党全国委員会の上級法務スタッフによって、知事と議会が両党に分裂している政府(divided party government)のある州の共和党の政治家に与えられた通常の助言は、両党の歩み寄りによる処理を拒絶して、裁判所に再区割りをさせることであったと思われる(53)」。
  第六に、合衆国の裁判所による「一人一票」原則の厳格な執行が依然として続いており、議員定数の不均衡を避けるには、統治区分の境界線をまたぐ選挙区の設置もやむをえなかったことである。このほか、マイノリティの投票力

表5  アフリカ系アメリカ市民の選出議員:1990年の比率 (%)
人口比率 州議会下院
(議員定数)
州議会上院
(議員定数)
合衆国下院
(議員定数)
南部
アラバマ 25.3 18.1(105) 14.3(35) 0.0(7)
アーカンソー 15.9 9.0(100) 8.6(35) 0.0(4)
フロリダ 13.6 10.0(120) 5.0(40) 0.0(19)
ジョージア 27.0 14.4(180) 14.3(56) 10.0(10)
ルイジアナ 30.8 14.3(105) 10.3(39) 12.5(8)
ミシシッピ 35.6 16.4(122) 3.8(52) 20.0(5)
ノース・キャロライナ 22.0 11.7(120) 10.0(50) 0.0(11)
サウス・キャロライナ 29.8 12.1(124) 13.0(46) 0.0(6)
テネシー 16.0 10.1(99) 9.1(33) 11.1(9)
テクサス 11.9 8.7(150) 6.5(31) 3.7(27)
ヴァジニア 18.8 7.0(100) 7.5(40) 0.0(10)
南部の総計 19.2 12.1(1,325) 9.4(457) 4.3(116)
非南部
デラウェア 16.9 4.9(41) 4.8(21) 0.0(1)
イリノイ 14.8 11.9(118) 11.9(59) 13.6(22)
メリランド 24.9 17.0(141) 14.9(47) 12.5(8)
ミシガン 13.9 10.9(110) 7.9(38) 11.1(18)
ミズーリ 10.7 8.0(163) 8.8(34) 22.2(9)
ニュー・ジャージ 13.4 7.5(80) 5.0(40) 7.1(14)
ニュー・ヨーク 15.9 11.3(150) 8.2(61) 11.8(34)
オハイオウ 10.6 11.1(99) 6.1(33) 4.8(21)
非南部の総計 14.6 11.0(902) 9.0(333) 11.0(127)

アフリカ系s民の人口比率が10%以上の州について,1989年から1990年にかけての選挙結果におけるアフリカ系の選出議員の比率を示したもの。
出典:Wayne Arden & Bernard Grofman & Lisa Handley, The Impact of Redistricting on African−American Representation in the U.S. Congress and State Legislatures in the 1990s, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 35 (1997), at 36, Table 1.

表6  アフリカ系アメリカ市民の選出議員:1992年の比率

人口比率 州議会下院
(議員定数)
州議会上院
(議員定数)
合衆国下院
(議員定数)
南部
アーカンソー 15.9 10.0(100) 8.6(35) 0.0(4)
フロリダ 13.6 11.7(120) 10.0(40) 13.0(23)
ジョージア 27.0 17.2(180) 16.1(56) 27.3(11)
ルイジアナ 30.8 22.9(105) 20.5(39) 28.6(7)
ミシシッピ 35.6 26.2(122) 19.2(52) 20.0(5)
ノース・キャロライナ 22.0 15.0(120) 12.0(50) 16.7(12)
サウス・キャロライナ 29.8 14.5(124) 15.2(46) 16.7(6)
テネシー 16.0 12.1(99) 9.1(33) 11.1(9)
テクサス 11.9 9.3(150) 6.5(31) 6.7(30)
ヴァジニア 18.8 7.0(100) 12.5(40) 9.1(11)
南部の総計 18.8 14.8(1,220) 13.5(422) 13.6(125)
非南部
デラウェア 16.9 4.9(41) 4.8(21) 0.0(1)
イリノイ 14.8 10.2(118) 13.6(59) 15.0(20)
ミシガン 13.9 10.0(110) 12.5(16)
ミズーリ 10.7 8.0(163) 8.8(34) 22.2(9)
ニュー・ジャージ 13.4 12.5(80) 5.0(40) 7.7(13)
ニュー・ヨーク 15.9 13.3(150) 8.2(61) 12.9(31)
オハイオウ 10.6 12.1(99) 9.1(33) 5.3(19)
非南部の総計 13.8 10.5(761) 8.9(248) 12.8(117)


アフリカ系市民の人口比率が10%以上の州(国政調査後の州議会議員選挙区の再画定が完了していなかったアラバマ,州議会議員の選挙がおこなわれなかったメリランド,および選挙がおこなわれなかったミシガンの州議会上院を除く)について,1991年から1992年にかけての選挙結果におけるアフリカ系の選出議員の比率を示したもの。
出典:Wayne Arden & Bernard Grofman & Lisa Handley, The Impact of Redistricting on African−American Representation in the U.S. Congress and State Legislatures in the 1990s, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 35 (1997), at 38, Table 3.

 

表7 アフリカ系アメリカ市民が過半数を占める選挙区 :1990年の比率(%)

人口比率 州議会下院
(議員定数)
州議会上院
(議員定数)
合衆国下院
(議員定数)
南部
アラバマ 25.3 19.0(105) 17.1(35) 0.0(7)
フロリダ 13.6 7.5(120) 2.5(40) 0.0(19)
ジョージア 27.0 18.9(180) 19.6(56) 10.0(10)
ルイジアナ 30.8 18.1(105) 15.4(39) 12.5(8)
ミシシッピ 35.6 26.2(122) 26.9(52) 20.0(5)
ノース・キャロライナ 22.0 7.5(120) 6.0(50) 0.0(11)
サウス・キャロライナ 29.8 21.0(124) 21.7(46) 0.0(6)
テネシー 16.0 11.1(99) 9.1(33) 11.1(9)
テクサス 11.9 6.0(150) 3.2(31) 0.0(27)
ヴァジニア 18.8 9.0(100) 5.0(40) 0.0(10)
南部の総計 19.3 14.5(1.225) 13.5(422) 3.4(115)
非南部
デラウェア 16.9 4.9(41) 4.8(21) 0.0(1)
イリノイ 14.8 11.9(118) 10.2(59) 13.6(22)
メリランド 24.9 17.0(141) 17.0(47) 12.5(8)
ミシガン 13.9 14.5(110) 10.5(38) 11.1(18)
ミズーリ 10.7 8.6(163) 11.8(34) 11.1(9)
ニュー・ヨーク 15.9 8.6(150) 6.6(61) 5.9(34)
オハイオウ 10.6 4.0(99) 6.1(33) 4.8(21)
非南部の総計 14.7 10.5(822) 10.2(239) 8.7(127)

アフリカ系市民の人口比率が10%以上の州(州議会について依拠できる資料のないアーカンソーおよびニュー・ジャージを除く)におけるアフリカ系の多数小選挙区およびアフリカ系大選挙区選出議員の比率を示したもの。
出典:Wayne Arden & Bernard Grofman & Lisa Handley, The Impact of Redistricting on African−American Representation in the U.S. Congress and State Legislatures in the 1990s, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 35 (1997), at 39, Table 5.

 

表8 アフリカ系アメリカ市民が過半数を占める選挙区 :1992年の比率(%)

人口比率 州議会下院
(議員定数)
州議会上院
(議員定数)
合衆国下院
(議員定数)
南部
アーカンソー 15.9 13.0(100) 8.6(35) 0.0(4)
フロリダ 13.6 10.8(120) 7.5(40) 13.0(23)
ジョージア 27.0 23.3(180) 23.2(56) 27.3(11)
ルイジアナ 30.8 24.8(105) 23.1(39) 28.6(7)
ミシシッピ 35.6 31.1(122) 23.1(52) 20.0(5)
ノース・キャロライナ 22.0 13.3(120) 8.0(50) 16.7(12)
サウス・キャロライナ 29.8 22.6(124) 23.9(46) 16.7(6)
テネシー 16.0 11.1(99) 9.1(33) 11.1(9)
テクサス 11.9
7.3(150) 3.2(31) 3.3(30)
ヴァジニア 18.8 12.0(100) 12.5(40) 9.1(11)
南部の総計 18.8 17.2(1,220) 15.2(422) 12.8(125)
非南部
デラウェア 16.9 4.9(41) 4.8(21) 0.0(1)
イリノイ 14.8 15.3(118) 13.6(59) 15.0(20)
メリランド 24.9 19.9(141) 19.1(47) 25.0(8)
ミシガン 13.9 11.8(110) 13.2(38) 12.5(16)
ミズーリ 10.7 8.6(163) 11.8(34) 11.1(9)
ニュー・ジャージ 13.4 7.5(80) 7.5(40) 7.7(13)
ニュー・ヨーク 15.9 10.0(150) 11.5(61) 9.7(31)
オハイオウ 10.6 6.1(99) 3.0(33) 5.3(19)
非南部の総計 14.6 11.3(902) 11.4(333) 11.1(117)

アフリカ系市民の人口比率が10%以上の州(州議会について選挙区再画定がおこなわれなかったアラバマ除く)におけるアフリカ系の多数小選挙区およびアフリカ系大選挙区選出議員の比率を示したもの。
 出典:Wayne Arden & Bernard Grofman & Lisa Handley, The Impact of Redistricting on African−American Representation in the U.S. Congress and State Legislatures in the 1990s, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 35 (1997), at 39, Table 6.

 


の希釈を生む温床とされてきた全域制選挙を含む大選挙区制度は、大部分が小選挙区制度に移行していた(54)。また、特筆すべきことに、合衆国下院議員選挙区の場合は、一九六七年に小選挙区制度が、地理的な緊密性(compactness)や隣接性(contiguity)の要件をともなわず、いわゆる飛び地も許すかたちで復活している(55)
  以上にみたような事情から、マイノリティ多数選挙区が数多く生まれ、それにともなってアフリカ系市民の代表の数も増大した。ここに紹介する四つの表は、これら二項目について、それぞれ選挙区の再編成がおこなわれた前後の数値を示したものである。調査の間隔がわずか二年であることを考えると、とくに南部の諸州で、短期間に大きな変動のあったことがうかがい知れるように思われる。

  (2)  レンクィスト・コート
  ジングルズ事件判決からしばらくして、合衆国最高裁判所では、レンクィスト裁判官が首席裁判官に昇格し、その空席にスカリア(Antonin Scalia)裁判官が指名された。続いて、一九八七年にパウエル裁判官が退任すると、翌年にはケネディ(Anthony McLeod Kennedy)裁判官が指名された。そして、一九九〇年代に入るとまもなく、ブレナン裁判官の後任にスータ(David Souter)裁判官が、マーシャル裁判官の後任にトマス(Clarence Thomas)裁判官が、それぞれブッシュ大統領によって指名された。これら五名の裁判官とバーガ・コート期から在職する四名の陪席裁判官からなるレンクィスト・コートは、マイノリティ多数選挙区の合憲性のほか、投票権法第五条の事前承認要件の射程範囲についても、重大な判断を下すことになった(56)。これらは、ジングルズ事件判決の「三項目テスト」のような「結果テスト」の限界を示唆したというだけでなく、投票権法制が前提としてきた人種ごとの投票の分極化に対する法的承認が根底から覆されようとしたという決定的に重要な意味においても大きな関心を呼んだ(57)
  レンクィスト・コートの判例傾向をみると、当初のチザム対レーマ事件判決(Chisom v. Roemer, 501 U.S. 380 [1991])とヒューストン法曹協会対テクサス州司法長官事件判決(Houston Lawyer's Association v. Attorney General of Texas, 501 U.S. 419 [1991])では、公選の裁判官を投票権法第二条の「代表」に含めつつ、同条と第五条の射程は同延であって、事前承認要件は裁判官選挙にも及ぶとする判断が示されている(58)。また、同年のクラーク対レーマ事件判決(Clark v. Roemer, 500 U.S. 646 [1991])では、事前承認を受けていない裁判官選挙の実施は差し止められるべきであるとされている。しかし、一九九二年になると、投票と統治は別であるとして適用法域指定方式の射程を狭く解釈し、事前承認要件は郡理事会が権限の所在を変更したことにまで及ばないとするプレスリ対(アラバマ州)エトワ郡理事会事件判決(Presley v. Etowah County Commission, 502 U.S. 491 [1992])があらわれた。
  そして、翌年、マイノリティ多数選挙区を争う訴訟が合衆国最高裁に到達すると、グロウ対エミスン事件判決(Growe v. Emison, 507 U.S. 25 [1993])、ヴォイノヴィッチ対クィルタ事件判決(Voinovich v. Quilter, 507 U.S. 146 [1993])、ショー対リノ事件判決(Shaw v. Reno, 509 U.S. 630 [1993])が登場する。このうち、グロウ事件判決では、ミネソウタ州の知事を擁する共和党が合衆国の地裁に、州議会の多数派を占める民主労農党(Democratic Farmer−Labor Party)が州の裁判所に、それぞれ選挙区編成を争って提訴したという事案において、合衆国地裁が州の裁判所に優越して選挙区割りをおこなうような救済策は許されないという判断が下された。ヴォイノヴィッチ事件判決では、「三項目テスト」によって解釈された第二条のもとではマイノリティ多数選挙区を可能な限り設定せざるをえないというオハイオウ州選挙区編成委員会の共和党委員の主張が認められるとともに、マジョリティからの乗り換え投票が期待できる「勢力選挙区(influence districts)」を設定せずに過度の封じ込めがおこなわれたのはマイノリティの投票力の希釈だとする民主党委員側の訴えが退けられた(59)。これら二つの判決は、いずれも全裁判官の一致によって下されており、相互の事案は異質であるものの、合衆国の裁判所による権限の発動を抑制するという点では共通している(60)。これとは対照的に、レンクィスト・コートが五対四に分裂したショー事件判決は、UJO事件判決で合憲とされたマイノリティ多数選挙区に対して違憲の嫌疑を投げかけつつ、司法審査適合性を認めた。

  (3)  ショー事件判決
  ショー事件判決で問題となったのは、ノース・キャロライナ州の合衆国下院議員選挙区である(61)。一九九〇年の国勢調査にともなって、同州は一議席加増され、十二の小選挙区を画定することになった(62)。これにより、州議会で再画定がおこなわれ、州の北東部に奇異な形状のマイノリティ多数区(第一区)を設定する区割り案が作成された。この案では州内の適用指定法域にも変更が及んでいたため、州議会は合衆国司法長官の事前承認を求めたが、第一区は奇形に過ぎ、また南東部にもう一区、異常なかたちをともなわないマイノリティ多数区を創ることが可能であるとして拒否された。これを受けて、州議会は南東部ではなく北中部に第二のマイノリティ多数区(第一二区)を設定する改定案を作成し、この改定案によって事前承認を得ることができた。つまり、UJO事件判決の事実関係と同様に、投票権法第五条の事前承認要件が選挙区の画定に深く関係していた。
  司法長官の事前承認を受けた改訂案に含まれた二つのマイノリティ多数選挙区は、分散しているアフリカ系とネイティヴの居住地域を線でつなぐように、いずれも奇妙なかたちをしていた(63)。第一区は釣り針のようなかたちで北から南に長く伸びていたが、さらに異常だったのは第一二区で、蛇のようなかたちで百六十マイルもの長さをもち、しかもその大部分は州際道路の幅しかないというありさまであった。先にみた表5と表6を比較するとノース・キャロライナ州からは二名のアフリカ系議員が初当選を果たしている計算になるが、この二名の選挙区は第一区と第一二区である。
  以上のような改定案に対して、二つの訴訟が提起された。一つは州の共和党などが同州西部地区合衆国地裁に提訴したもので、バンデマ事件判決を先例として党派的ゲリマンダリングを争ったが、これは認められなかった(Pope v. Blue, 809 F. Supp. 392 [1992])。もう一つは第一二区で投票することになる二名を含む五名の白人市民が同州東部地区合衆国地裁に提訴したもので、州と合衆国の関係者を相手取り、人種的ゲリマンダリングを争った。これについては、投票権法にしたがうために人種に配慮して選挙区割りをおこなうことは平等保護条項に違反せず、また投票年齢人口の七八パーセントである白人市民が十区(八三・三パーセント)で多数を占めていることから、改定案による投票力の希釈はないとする判断が示された(Shaw v. Barr, 808 F. Supp. 461 [1992])。ところが、ショー事件判決では、請求を却下した後者の地裁判決が失当とされ、差し戻されることになった。
  オコナ裁判官が執筆し、レンクィスト首席裁判官、スカリア裁判官、ケネディ裁判官、トマス裁判官が同調した裁判所意見は、まず、白人市民の訴えを「……人種に基づいて意図的に選挙人を別々の選挙区に分離することが『人種を意識しない』選挙過程に参加するという彼らの憲法上の権利を侵害した」ということだと捉えた(Shaw, 509 U.S., at 641-642)。そして、「当裁判所は人種を意識した州の決定がすべての場合に許されないと判示したことはない」(強調原文)が、しかし、本件で争われている改定案は「……一見して極度に異常であり、投票のために人種を分離しようとしたものとしか、合理的には考えられない……」から、この場合には本案審理において厳格審査(strict scrutiny)がなされるべきだとする判断を示した(Shaw, 509 U.S., at 642)。こうして、マイノリティの投票力の希釈がないとして白人市民の請求を棄却したUJO事件判決から本件を区別するために提示されたした定式を(64)、たとえばイリィ(John Hart Ely)は「異形(bizarre shape)」テストと呼び、マイノリティ多数選挙区が党派的ゲリマンダリングの手段として乱造される危険に対して「政治的な安全装置」となる抑制的な司法審査のあり方として評価している(65)
  マイノリティ多数選挙区の設置が人種的ゲリマンダリングとして司法審査の対象に加えられるならば、それが特定人種の市民に対する差別ではなくとも、人種に基づく区分がなされているという理由で、いわゆる厳格審査がおこなわれることになる。厳格審査においては、周知のように、遂行せざるをえない目的のためだけに狭く限定された手段が用いられているという正当化事由がないかぎり、違憲判断が導かれる。しかし、選挙区画定作業において人口統計学上の諸要素のなかから人種だけをまったく意識しないなどということは、そもそも非現実的である。たとえば、特定の人種が集中している郡の人口規模がそのまま小選挙区とするにふさわしいような場合、人種を意識しつつ、地理的な区分にしたがって画定がおこなわれることは、十分にありうる。また、合衆国の投票権法に基づく事前承認を受けるために、ぎりぎりの判断で州の選挙区画定がおこなわれたような場合、厳格審査においても正当化事由は充たされているということでなければ、投票権法自体が、あるいは合衆国の司法省による同法の適用が違憲の嫌疑を受けることになる。裁判所意見は、前者の問題に関して、「……緊密性、隣接性、下位の統治区分の尊重といった伝統的な選挙区割りの原則」がゲリマンダリングを回避する「客観的要因」として重要であることを強調しつつ、「……定数再配分は外観が問題となる分野の一つである」と述べて(Shaw, 509 U.S., at 647)、「一見して極度に異常」なマイノリティ多数区こそが人種的ゲリマンダリングであると限定する態度をみせた(66)。そして、後者の問題に関しては、投票権法第五条の「爾後の訴訟を妨げない」という規定を取り上げて、「第五条を充足する定数再配分案が、なお違憲として執行を禁止されうる」ことを強調し(Shaw, 509 U.S., at 654)、「人種的ゲリマンダリングは、たとえ救済のためであっても、われわれを競合する人種的党派に分断しうる」から、「人種に基づく選挙区割りは……綿密な司法審査を要求する」と判示した(Shaw, 509 U.S., at 657)。
  ショー事件判決の結論に反対した四裁判官は、「一見して極度に異常」な選挙区の外観は平等保護条項違反の差別に相当する損害として認められないという立場をとった。UJO事件判決で相対多数意見を執筆したホワイト裁判官の反対意見は、「上訴人は、審理可能な損害を主張していないから、審理可能な請求を提示していない」と述べて、司法審査適合性を否定し、差し戻しの判断は誤りだとする結論を示した(Shaw, 509 U.S., at 569 [White, J., dissenting])。また、仮に厳格審査が妥当するとしても、「……州が投票権法にしたがうことは、やむにやまれぬ利益を明らかに構成する」のであり、「……ノース・キャロライナ州がおこなったことは、前案に対する司法長官の異議に応じるという目的に厳密に合わせられていた」のであるから、違憲とする余地はないという判断も示された(Shaw, 509 U.S., at 674 [White, J., dissenting])。しかも、ホワイト裁判官によれば、「……州がマイノリティの投票力の希釈を救済しようと努めることは、類型的に『アファーマティヴ・アクション』の烙印を押されてきたこととは、まったく異なる。ほかのいかなる人種集団も侵害を受けていないかぎりにおいて、投票権法違反を救済することは、優先的処遇をともなわない」(Shaw, 509 U.S., at 675 [White, J., dissenting])。また、スティーヴンス裁判官も、UJO事件判決のときと同様にホワイト裁判官の意見に同調しつつ、隣接性や緊密性が合衆国憲法に基づく要件ではないことを強調する反対意見を提示した。さらに、スータ裁判官の反対意見も、投票力の希釈が成立する余地はなく、外観の異常を損害として救済すべき理由もないとした。そこでは、マイノリティ多数選挙区が逆差別にはなりえない理由として、つぎのように述べられている。「選挙区割りにおいては……ある個人をある選挙区ではなく別の選挙区においただけでは、誰に対してもほかの者に与えられる権利や利益を剥奪していない。すべての市民は、登録し、投票し、選出されうる。いかなる選挙区においてであれ、個々の選挙人は選挙ごとに投票する権利をもち、選挙は選挙人の代表を選出する結果になるだろう。……ある者の憲法上の権利は、単にその支持する候補者が落選しただけでは、あるいはその属する(人種集団を含む)集団がこの集団に属さない代表を奉じる結果に終わっただけでは、侵害されていない」(Shaw, 509 U.S., at 675 [Souter, J., dissenting] [footnote omitted(67)])。
  ショー事件判決の要点は、異様な選挙区の形状を平等保護条項によって救済されるべき外見的損害(expressive harms)とし、これによってマイノリティ多数選挙区に対する広義の訴えの利益を認めたことにあった(68)。外見的損害に関しては、これを法理論の面で基礎づけようとする試みもすでになされてきているが(69)、他方では、そもそも完璧な選挙区割りなど不可能であり、特定のものだけを人種的な中立性から逸脱しているとするのは、選挙区割りの本質からして困難だという見方もある(70)。また、そもそも選挙区の形状に基準を設けて外見的損害を定義することは、不可能であるという批判もある(71)
  また、訴えの利益に関連する論点として、原告適格(standing)の問題がある。ショー事件判決は、これをマイノリティ多数選挙区に居住していない三名の白人市民にも認めているが、その理由は十分に説明していない。この点に関しては、二年後の合衆国対ヘイズ事件判決(United States v. Hays, 515 U.S. 737 [1995])で全裁判官の一致がみられた際に、オコナ裁判官による裁判所意見が、マイノリティ多数区に居住している投票権者であれば、人種にかかわらず原告適格を認められるという結論を示した。ここで示された定式が、現在までのところ、先例として定着している。
  しかしながら、すでに確認したように、選挙区画定は本来的には州に固有の管轄事項である。そして、投票権法制はマイノリティに対する平等保護を目的とした合衆国による介入である。個々の意識はともかくとしてマジョリティに属する白人市民が、州のマジョリティによって創設されたマイノリティ多数選挙区からの平等保護を求める訴えについては、そもそも何のための司法審査であるのかという観点からの検討も必要であろう。この点に関しては、ダウ(David R. Dow)も、「憲法上の権利は、平等保護の権利も含めて、政治的マジョリティの政治権力に対する制約である。したがって、これらは、その定義からして、政治的マジョリティに対してのみ有効である」(強調原文)という原理面からの批判を展開している(72)。これに対して、イリィは、訴訟要件を本案から切り離して審理すべきとの立場から、マイノリティ多数区の「補充要員(filler people)である白人が原告適格をもつのは、基本的に、彼らが自分たちと同じ人種の代表を選出するのに資するという点で有意味な投票を奪われているからである」と述べて、反駁している(73)。この見解は「異形」テストに対するイリィ自身の支持とは整合的であるが、ともかくも原告適格は認めるという態度は「異形」テストよりも広範な厳格審査の発動形式にも結びつく可能性がある(74)。レンクィスト・コートの以後の判断傾向をみても、「原告適格は独立ではありえない」と考えた方が妥当であろう(75)

  (4)  ミラー事件判決
  ショー事件判決の翌年、レンクィスト・コートは、ホウルダ対ホール事件判決(Holder v. Hall, 512 U.S. 874 [1994])とジョンスン対デ・グランディ事件判決(Johnson v. De Grandy, 512 U.S. 997 [1994])において、「……一九八二年に修正された一九六五年投票権法第二条が、マイノリティ集団の代表選出を最大化するよう、あるいは少なくともそれを確保するよう、合衆国の裁判所に要請しているか否かという問題を提起した(76)」。そして、これに対するレンクィスト・コートの結論は否であった。同日に下された二つの判決が、それぞれ代表を選出する機会の平等という概念の射程と内容を限定したことには、バーガ・コート末期のジングルズ事件判決で示された「三項目テスト」としての「結果テスト」からの顕著な後退傾向がうかがえる。ホウルダ事件判決では、独任制の理事から合議制の郡理事会への制度の変更がなされず、マイノリティの代表が選出される余地が生まれなかったとしても、このような統治組織の規模の問題は第二条の及ばないところであるとされた(77)。また、デ・グランディ事件判決では、すでに人口比率に即したマイノリティ多数選挙区が創設されている場合、アフリカ系市民の代表の選出にマイナスの影響を与えることなくヒスパニック系市民が多数を占める選挙区を設定することが可能であるとしても、「状況全般」に照らしてみれば、投票力の希釈はないとされた。この「状況全般」という用語は、すでにみたとおり、投票権法の修正に際して第二条(b)項に挿入されたが、元来は「効果テスト」の判例で用いられたものである。
  これら二つの判決に続き、人種に基づく市民の分類はすべからく厳格審査に服するとしたアダランド建設対ペニャ事件判決(Adarand Constructors, Inc. v. Pena, 515 U.S. 200 [1995(78)])や先述のヘイズ事件判決と同じ年に下されたジョンスン対ミラー事件判決(Miller v. Johnson, 515 U.S. 900 [1995])では、マイノリティ多数選挙区の異様な外見ではなく、その編成における支配的な目的が人種的配慮にあったことを理由とする違憲判断が示された(79)
  この憲法訴訟で問題となったのは、投票権法の適用指定法域であるジョージア州内の合衆国下院議員選挙区である。ジョージア州は従来よりアフリカ系市民多数区(第五区)を抱えていたが、一九九〇年の国勢調査に基づいて定数が十から十一に加増され、調査結果によって州内におけるアフリカ系市民の人口比率が二七パーセントと示されたのにともない、翌年に州議会を通過した選挙区再編成案では、アフリカ系市民が多数となる選挙区(第一一区)と投票年齢人口の三五パーセントあまりを占める選挙区(第二区)が新たに設定された。ところが、この再編成案は、小選挙区間の人口格差を生じさせず、なるべく統治区分を分割しないで地理的な隣接性や緊密性を考慮するとともに、マイノリティの投票力の希釈を避けて投票権法にしたがうという指針のもとに策定されていたにもかかわらず、合衆国司法長官の事前承認を得ることができなかった。マイノリティ多数区が全十一区のうち二区(一八パーセント)では人口比率からして少なく、またアフリカ系市民以外のマイノリティが考慮に入れられていないというのが提示された拒否理由である。これに対して、州議会は改定案を作成し、三つの選挙区に含まれるアフリカ系市民の人口比率を増大させたが、司法省は三区ともマイノリティ多数区にすることが可能であるとして再び事前承認を拒んだ。このとき、司法省が依拠していたのは、「アフリカ系極大化(max−black)」案と呼ばれるACLUの試案であり、これは選挙区の境界線を変更することで第二区もマイノリティ多数区にできるとしていた。再度の拒否を受けた州議会は、「アフリカ系極大化」案に則して再度の改定をおこない、三つのマイノリティ多数選挙区を設定する案でようやく事前承認を受けた。一九九二年の選挙では、これら三区の全部でアフリカ系の候補者が当選している。その後、一九九四年になって、マイノリティ多数選挙区に居住する五名の白人市民が、ショー事件判決を先例とし、再編成案は人種的ゲリマンダリングであるとして訴えを提起した。これに対して、ジョージア州南部地区合衆国地裁は、ショー事件判決に則した判断をおこない、平等保護条項違反の結論を下した(Johnson v. Miller, 864 F. Supp. 1354 [1994])。
  レンクィスト・コートは、ショー事件判決と同じ五対四という僅差の票決により、同じく厳格審査が相当するという判断を示すが、そこでこの先例の法理を解釈するという体裁のもとに提示されたのは、選挙区の形状を問題としない新たな定式であった。ミラー事件判決では、ケネディ裁判官が裁判所意見を執筆し、これにレンクィスト首席裁判官、オコナ裁判官、スカリア裁判官、トマス裁判官の四名が同調した。この裁判所意見によると、五名の白人市民は、ヘイズ事件判決に基づき、「訴えられている第一一区の居住者として……原告適格を有する」(Miller, 515 U.S., at 909)。そして、厳格審査が妥当する条件に関しては、「……ショー事件判決で認められた平等保護の訴えの本質は、州が選挙人を選挙区に振り分ける根拠として人種を用いたことである」(Miller, 515 U.S., at 911)から、選挙区の形状が「一見して極度に異常」でなければならないという要件はないと述べられた。ケネディ裁判官によれば、「形状が関連性をもつのは、異形が憲法違反の不可欠の要素または訴訟の間口における立証要件だからではない。ほかの選挙区割りの原則ではなく、人種そのものが、議会が選挙区を画定するときの支配的な(dominant and controlling)理論的根拠であったということの説得的な状況証拠(circumstantial evidence)となりうるからである。その論理的な含意は……人種に基づく選挙区割りを立証するのに、当事者が異形以外の証拠に依拠しうるということである」(Miller, 515 U.S., at 913)。この「異形以外の証拠」については、別所で「より直接的に立法目的に辿り着く証拠」という表現が与えられており、原告が立証すべき内容については、「……州議会が、緊密性、隣接性、および下位の統治区分または共有されている現実の利益によって規定されるコミュニティの尊重を含みつつも、これらに限定されない伝統的で人種に中立的な選挙区割りの原則を人種的配慮に劣位させていること」と敷衍されている(Miller, 515 U.S., at 916)。この手法によって認定される損害は、もはや外見的損害のみではありえず、ブリフォールト(Richard Briffault)が代表選出の損害(representational harms)という名称を与えたように、より一般的で広範な損害概念であると考えざるをえないであろう(80)
  ミラー事件判決で提示された厳格審査を発動するための定式を、イリィは「支配的目的(dominant purpose)」テストと呼び、ショー事件判決の「異形」テストで設定されていた司法審査の抑制条件を放棄している点を、従来の投票権法制とは不整合で「支離滅裂」であると批判する(81)。ここで指摘されている投票権法制との整合性という論点に着目して、裁判所意見をみると、ケネディ裁判官は、「……連邦の差別禁止法制に対する服従は、訴えられている選挙区が当該法制の憲法適合的な解釈と適用のもとで合理的にみて必要でなければ、人種に基づく選挙区割りを正当化しえない」と述べ、さらに「人種による選挙区割りを違憲審査から護るのにふさわしいやむにやまれぬ利益として、司法省の異議そのものを容認しなければならないとすれば、人種に基づく公の行為に対して憲法上の制限を課す役割を執行府に譲り渡すことになろうが、そんなことはできない」と判示している(Miller, 515 U.S., at 921-922)。同所では、司法審査制を確立したとされるマーベリ対マディスン事件判決から、「何が法であるかを述べるのは、断固として司法部門の職分であり、職務である」(Marbury v. Madison, 5 U.S. [1 Cranch] 137 [1803], at 177)という命題が引用されており、この点も併せて勘案すると、レンクィスト・コートが合衆国の司法省による投票権法の適用に疑問符をつけたことは明白である。しかも、バンデマ事件判決におけるパウエル裁判官の個別意見が「中立的要因」として、ショー事件判決の裁判所意見が「客観的要因」として、それぞれ強調していた「伝統的な選挙区割りの原則」が、本件で「人種に中立的」な要素であると明言されていることには、投票権法の適用面ばかりでなく、サウス・キャロライナ州対カッツェンバック事件判決以来一貫して合衆国最高裁が支持してきた同法自体の評価にも変化があらわれてきたと考える余地があろう。投票権法制史は選挙過程における人種的な平等保護の歴史であり、マイノリティの投票力の希釈という潜在的なゲリマンダリングが主要な問題となってからも、第二条の修正などを通じて是正されようとしてきたのはアフリカ系アメリカ市民を中心とした人種的マイノリティに対する差別だからである。この点に関しては、本件で執筆された三つの個別意見のうち、ホワイト裁判官の後任であるギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)裁判官の反対意見も、「異形」テストの場合には無視された場合にのみ問題とされた伝統的な諸原則を「劣位」させただけで厳格審査に導く「支配的目的」テストに司法審査の行き過ぎが看取されると批判している。
  さらには、多くの論者が指摘している点として、「伝統的な選挙区割りの原則」に内在する根本的な問題もある(82)。この原則に含まれる各要素のうち、隣接性と緊密性は地理的概念であるが、下位の統治区分やコミュニティは人口統計学によって扱われる単位であり、それらの実質は市民の集合にほかならない。そもそも郡などが隣接性や緊密性をもたない形状をしていることも少なくなく、このような矛盾がある場合には「伝統的な選挙区割りの原則」に全面的にしたがうことなどもとより不可能である。また、下位の統治区分やコミュニティが脱人種的な集合でなければ、この原則を「人種に中立的」と措定することは困難であるが、人種構成には歴然とした地域差があるから、このような前提も自明ではない。してみると、いささか直観的であったショー事件判決を超え、人種的中立性という投票権法制とは相容れないアイディオロジから論理的に厳格審査を導き出そうとしたミラー事件判決の手法は、選挙区編成の実態の評価において、すでに破綻しているとみることもできよう(83)。発達したテクノロジによって提供される無数の編成パターンから、諸要素が相互に衝突しながら重なり合うことを認めつつ、人種的な配慮だけを排除することには技術的にも無理があり、そこにおいて司法審査を正当化するのは、連邦制度に帰因する別の問題を仮に捨象したとしても、決して容易でない。したがって、選挙区の編成過程で人種に対する配慮がなされたとしても、その実態はアファーマティヴ・アクションとは次元が異なる(84)

  (5)  投票権法の合憲性
  マイノリティ多数選挙区に対するレンクィスト・コートの判例傾向は、ミラー事件判決において固まったとみられる。ショー事件判決で差し戻されたノース・キャロライナ州の事例が、厳格審査のもと、投票権法の第二条および第五条にしたがうことにはやむにやまれぬ利益が認められるとして、合衆国地裁で合憲判断(861 F. Supp. 408 [1994])を受けると、再び上訴されてきた。これに対して、合衆国最高裁は、原告適格についてはヘイズ事件判決の定式を、本案に関してはミラー事件判決の手法を、それぞれ踏襲して再度の破棄判決を下している(Shaw v. Hunt, 517 U.S. 899 [1996])。この判決では、レンクィスト首席裁判官が裁判所意見を執筆し、オコナ裁判官、スカリア裁判官、ケネディ裁判官、トマス裁判官の四名が同調しているが、この五裁判官の構成はショー事件判決ともミラー事件判決とも同一である。また、同日には、やはり同じ構成の五裁判官の一致により、ブッシュ対ヴェラ事件判決(Bush v. Vera, 517 U.S. 952 [1996])が下されている(85)。ブッシュ事件判決では、合衆国下院議員の定数が三議席加増されたのにともなって、三つのマイノリティ多数選挙区を設置したテクサス州の選挙区再編成案が平等保護条項違反とされたが、アダランド事件判決の法理をマイノリティ多数区の事例にも全面的に適用するかどうかをめぐって多数派内でも見解が分かれたため、レンクィスト・コートは裁判所意見を形成できず、全部で六つの意見が提示された。このうち、相対多数意見を執筆したオコナ裁判官が別に単独で書いた補足意見には、しだいに先鋭化してきた投票権法制と平等保護条項との緊張関係を解消しようとする配慮が如実にあらわれている。
  オコナ裁判官が述べたところによると、「第一に、投票権法第二条の結果テストに対する服従は、やむにやまれぬ州の利益である。第二に、このテストは、ショー対リノ事件判決や……これに続く諸判決と原理上も実務上も共存しうる……」(Vera, 517 U.S., at 990 [O'Connor, J., concurring] [citation omitted])。「われわれは、一九八二年修正法も含めて、投票権法第二条の合憲性を州が推定するのを認めるべきである」(Vera, 517 U.S., at 992 [O'Connor, J., concurring])。こうした考慮に基づいて、オコナ裁判官が提示した判断の枠組みを簡略にまとめると、つぎのようなものであった。つまり、「伝統的な選挙区割りの原則」が人種的配慮に劣位している場合は厳格審査が妥当するが、投票が分極化している場合は第二条がマイノリティの投票力の希釈を禁止しているから、これに違反しないという目的のために狭く限定された手段として、人種を「支配的要因」とせずにマイノリティ多数選挙区が設けられたのであれば、それが「異形」でなく、「伝統的な選挙区割りの原則」を無視していないかぎりにおいて合憲である。
  しかしながら、これはオコナ裁判官が個別の見解として提示したものにすぎない。ピーコック(Anthony A. Peacock)によれば、「第二条の結果テストに対する服従がやむにやまれぬ州の利益を構成するか否かがショー事件判決以後の判例において確定されていないのは、合衆国最高裁判所が同条の合憲性を認めたからでも、合衆国議会に敬譲してきたからでもなく……選挙区割り案の一つでも、狭く限定しているという平等保護条項の要件……を通過させて、より微妙な投票権法は合憲かという争点に進める事件がなかったからである(86)」。したがって、仮に「伝統的な選挙区割りの原則」を十分に尊重するマイノリティ多数選挙区が設けられたときに、これがオコナ裁判官の述べたように合憲とされるかどうかは依然として不明である。
  過剰包摂(over-inclusion)や過少包摂(under-inclusion)を必然的にともなうマイノリティ多数選挙区は、それ自体として最善の手段ではないから、これが葬り去られたとしても、投票権法制の骨格は揺らがない。合衆国による平等保護が本来的には州の専管事項である選挙過程に分け入ってきたという沿革において(87)、容易には解消しがたい投票の分極化が投票力の希釈の温床となるという認識こそ、代表を選出する機会の平等が構想された土台である。その背景には、現実の選出関係を重視しない観念的代表(virtual representation)に満足することなく(88)、投票する市民が共有する集団という属性を承認し、「すべての市民にとって公正かつ効果的な代表」という概念を充実させようとする方向性があった。しかし、レンクィスト・コートの判例に傾向として示されるように、マイノリティの投票力の希釈を是正して私益の平等保護をはかることよりも、人種的に中立な選挙区編成の確保という公益が優先され、しかもこの順位が司法審査によって担保されると、代表を選出する機会の平等は過去の過渡的な概念となり、それが抑止しようとしてきたゲリマンダリングは再び放置されることになる。
  近年のアメリカでは、多数代表法という従来の枠組みにとらわれない議論も盛んであり、たとえば累積投票(cumulataive vote)制度などが提唱されている(89)。また、選挙過程における市民の集団性を歴史的および理論的に基礎づけることで、投票権の平等保護を個人主義的にのみ実現しようとする態度の本質的な誤謬を指摘する研究もあらわれている(90)。これらは、人種も含めた集団の枠組みを法的に捨象すれば投票の分極化という根元的な事実も解消するという楽観的な見方を否定することで、ゲリマンダリングに対する根強い危惧感を投影しているように思われる。



(1)  See, Frank R. Parker, The "Results" Test of Section 2 of the Voting Rights Act:Abandoning the Intent Standard, 69 VA.L. REV. 715 (1983), at 737-746.
(2)  See, Bernard Grofman & Lisa Handley & Richard G. Niemi, MINORITY REPRESENTATION AND THE QUEST FOR VOTING EQUALITY, N.Y.:C.U.P. (1992), at 38.
(3)  See, Senate Report (Judiciary Committee) No. 97-417, part VI, rpt. in 1982 U.S. CODE CONG. & ADM. NEWS 177 [Legislative History]. See, generally, Roy A. Mckenzie & Ronald A. Krauss, Section 2 of the Voting Rights Act:An Analysis of the 1982 Amendment, 19 HARV.C.R.−C.L.L. REV. 155 (1984);Laughlin McDonald, The 1982 Amendments of Section 2 and Minority Representation, in Bernard Grofman & Chandler Davidson (eds.), CONTROVERSIES IN MINORITY VOTING:THE VOTING RIGHTS ACT IN PERSPECTIVE, D.C.:Brookings Inst. (1992). なお、一九八二年投票権法修正法は、適用法域指定方式に関しても二五年間の延長措置をとったほか、「保釈」の条件を変更するなど内容面での修正を施している。See, Senate Report, part VII. Also see, e.g., Timothy G. O'Rourke, Voting Rights Act Amendments of 1982:The New Bailout Provision and Virginia, 69 VA.L. REV. 765 (1983).
(4)  Senate Report No. 97-417, id., at 2 (footnote omitted). See, Abner J. Mikva & Jeff Bleich, Civil Rights Legislation in the 1990s:When Congress Overrules the Court, 79 CALIF.L. REV. 729 (1991) passim. 最高裁が市民的権利法などを狭く解釈した場合には、合衆国議会は判決を覆すだけでなく、同様の解釈を許さない文言を用いて、より攻撃的な修正をおこなうことができると指摘している。
(5)  Thomas Boyd & Stephen J. Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act:A Legislative History, 40 WASH. & LEE L. REV. 1347 (1983), at 1427.
(6)  Parker, The "Results" Test of Section 2 of the Voting Rights Act, supra note 1, at 764.
(7)  See, Lani Guinier, Keeping the Faith:Black Voters in the Post−Reagan Era (1989) passim, in do, THE TYRANNY OF THE MAJORITY:FUNDAMENTAL FAIRNESS IN REPRESENTATIVE DEMOCRACY, N.Y.:Free P. (1994). See, Hearings on the Nomination of William Bradford Reynolds to Be Associate Attorney General of the United States, Sen. Judiciary Comm., 99th. Cong., 1st. Sess. (1985).
(8)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, supra note 5, at 1357, n. 59.
(9)  こうした団体による運動は、法案の審議が上院に移っても持続した。See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, id., esp. at 1359-1361, 1387. また、決して芳しくなかった「……ホワイトハウスの評判はさておいても、市民的権利の敵になったと思われることなく、(これらの団体の)立場に反対することは、本質的に困難であっただろう」(括弧内は要約)とされる。Abigail M. Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT?:AFFIRMATIVE ACTION AND MINORITY VOTING RIGHTS, Cambridge, Mass.:Harv. U.P. (1987), at 118.
(10)  See, Bruce Ackerman, Beyond Carolene Products, 98 HARV.L. REV. 713 (1985), at 728. なお、アッカマンは、代表を選出する機会の平等に関して、人種や党派などではなく「……地理が、アメリカの政治体制のなかで集団の影響力を評価するときに一番重要である」と述べている(at 727)。
(11)  See, Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT?, supra note 9, ch. 5 passim. サーンストロムは、第五条の適用指定法域を決定する基準に論議が集中したため、第二条の修正案からは注意が逸らされてしまったとしている。
(12)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, supra note 5, at 1366.
(13)  Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, id., at 1373.
(14)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, id., at 1378.
(15)  See, Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT?, supra note 9, ch. 6 passim.
(16)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, supra note 5, at 1382;Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT?, id., at 105-106, 109. サーンストロムも伝えているように、サーモンドは、一九四八年の大統領選挙に南部民主党員(Dixiecrat)として出馬し、現職の民主党大統領トゥルーマン(Harry S. Truman)に挑んだことでも著名な人物であり、また上院議員としては二四時間を超える史上最長の反対演説により一九五七年市民的権利法の審議を妨げたが、その後は議員秘書にアフリカ系アメリカ人を加え、地元では合衆国の裁判官にアフリカ系の人物が指名されるのを支援していた。
(17)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, id., at 1384-88.
(18)  Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, id., at 1390-91.
(19)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, id., at 1392. ボイドとマークマンは、この点を軸に、「第二条に関する論争の原理的な要素」を六項目にまとめている。それは、第一に「結果基準はモウビル事件判決以前に存在した法を反映したか」、第二に「結果基準は不可避的に比例代表につながるか」、第三に「結果テストによって意味されるものが比例代表でないとすれば何か」、第四に「下院の案に含まれた比例代表の否認は有効か」、第五に「意図テストの意味」、第六に「投票権法第二条を制定したときの合衆国議会の原意は何か」、というものであった(at 1396-1402)。
(20)  憲法小委員会の報告書は司法委員会での審議に際して配布されたもので、司法委員会報告書に収められたハッチの個別見解の部分に掲載されている。Report of the Subcommittee on the Constitution, in Senate Report No. 97-417, supra note 4, at 107-187 [Additional Views of Senator Orrin G. Hatch of Utah].
(21)  See, Boyd & Markman, The 1982 Amendments to the Voting Rights Act, supra note 5, at 1414-1415;Robert Barnes, Vote Dilution, Discriminatory Results, and Proportional Representation:What is the Appropriate Remedy for a Violation of Section 2 of the Voting Rights Act?, 32 U.C.L.A.L. REV. 1203 (1985), at 1243-1246. なお、第二条の修正以外の点では、適用法域指定方式を採用する時限規定の二五年間という大幅延長、視力などが不自由な者に対する投票の補助が含まれていた。See, Senate Report No. 97-417, id., at 193-195 [Additional Views of Senator Robert Dole].
(22)  グィニアによれば、レイガン「政権は、下院が結果テストを承認し、上院が同様の妥協に到達することが明らかになってはじめて、仕方なく一九八二年法の支持者に合流した」。Guinier, Keeping the Faith, supra note 7, at 26. この点に関して、葉山明「現代アメリカの選挙と区割り問題ーノースカロライナ州における黒人多数区増設をめぐってー」白鳥令(編)『選挙と投票行動の理論』(東海大学出版会、一九九七年)所収、二〇七頁では、レイガン政権が異人種間の交際や結婚を禁止する私立ボブ・ジョーンズ大学に対する税法上の特典を復活させようとして、共和党内からも批判を浴びたこと、一九八一年六月の合衆国下院の補欠選挙で決選投票がおこなわれた結果、投票権法の修正に反対した共和党候補が、修正に賛成してアフリカ系市民の支持を得た民主党候補に逆転勝利を許したこと、これら二つの事件が影響していたのではないかと指摘されている。
(23)  Senate Report No. 97-417, supra note 4, at 28-29, n. 113 [other footnotes omitted]. さらに、同所では「典型的要因」と「付加的要因」のうち、一定数もしくは過半数が証明されなければならないという要件はないとされている。
(24)  上院司法委員会報告書は「結果テスト」がモウビル事件判決以前の判例で使用されていたものであるとの旨を繰り返しているが、とりわけ「結果テスト」に対する疑義に答えようとする箇所で、この論旨が顕著である。See, Senate Report No. 97-417, id, at 31-35.
(25)  See, James F. Blumstein, De鴆c45cning and Proving Race Discrimination:Perspective on the Purpose vs. Results Approach from the Voting Rights Act, 69 VA.L. REV. 633 (1983), at 695-696.
(26)  Peter Westen, SPEAKING OF EQUALITY:AN ANALYSIS OF THE RHETORICAL FORCE OF ‘EQUALITY' IN MORAL AND LEGAL DISCOURSE, Princeton:Princeton U.P. (1990), at 167. このほかにも平等論の軸として複層的な機会概念の分析をおこなった研究は数多いが、ここではアファーマティヴ・アクション論議からの脱却を企図して「積極的機会(affirmative opportunity)」という用語が提唱されていることに言及するにとどめる。See, William Julius Wilson, THE BRIDGE OVER THE RACIAL DIVIDE:RISING INEQUALITY AND COALITION POLITICS, Berkeley:U. Calif. P. (1999), ch. 4.
(27)  州知事は共和党のマーティン(James G. Martin)であったが、ノース・キャロライナ州では知事に拒否権(veto)がない。なお、合衆国最高裁で上訴人となったソーンバーグ(Lacy Thornburg)は州の司法長官で、公選によって民主党から選出されていた。See, Samuel Issacharoff & Pamela S. Karlan & Richard H. Pildes, THE LAW OF DEMOCRACY:LEGAL STRUCTURE OF THE POLITICAL PROCESS, Westbury, N.Y.:Found. P. (1998) [casebook], at 464-465.
(28)  James U. Blacksher & Larry T. Manefee, From Reynolds v. Sims to City of Mobile v. Bolden:Have the White Suburbs Commandeered the Fifteenth Amendment?, 34 HAST.L.J. 1 (1982). 裁判所意見には、このほか多数の文献が挙げられている。See, Gingles, 478 U.S., at 46-47 nn. 11, 13.
(29)  人種ごとの組織票の立証を投票力の希釈の試金石とすることで、「ジングルズ事件判決は、投票権法の論争や異議の余地のない中心部分に、人種によって分極化した投票の審理を埋め込んだ」とされる。Samuel Issacharoff, Polarized Voting and the Political Process:The Transformation of Voting Rights Jurisprudence, 90 MICH.L. REV. 1833 (1992), at 1851.
(30)  この点に関しては、スティーヴンス裁判官が個別意見を執筆し、これにマーシャル裁判官とブラックマン裁判官が同調している。その骨子は、「第二三区で候補者が当選しているという証拠は、地方裁判所が最終的な事実認定をおこなう前に慎重に吟味した膨大な記録の一部に過ぎず、この事実認定は、当裁判所が伝統的に適用している『明白な過誤』基準を通常どおりに適用するもとで、全面的に支持されるべきものである」と述べた点にあった(Gingles, 478 U.S., at 106 [Stevens, J., concurring in part and dissenting in part])。
(31)  オコナ裁判官は調停主義(accommodationism)の司法哲学から判例が硬直的になるのを嫌い、「人種による投票の希釈の訴えを裁くために境界線の明確なルールを用いることに反対した」という指摘がある。Nancy Maveety, JUSTICE SANDRA DAY O'CONNOR:STRATEGIST ON THE SUPREME COURT, Lanham:Rowman & Littlefield (1996), at 37.
(32)  Grofman & Handley & Niemi, MINORITY REPRESENTATION AND THE QUEST FOR VOTING EQUALITY, supra note 2, at 60.なお、同書では、ジングルズ事件判決以後に下級裁判所で争点となった「三項目テスト」の細目、統計的資料から投票の分極化を測定することにともなう諸問題、「効果テスト」が判定の指標としていた「状況全般」のうちで「三項目」に含まれなかった要因、これらについて詳細な分析がおこなわれている(chs. 3-4 passim)。
(33)  Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT?, supra note 9, at 9. See, also, do, Voting Rights:Another Affirmative Action Mess, 43 U.C.L.A.L. REV. 2031 (1996) passim. ただし、サーンストロムがアファーマティヴ・アクションの問題として提起したことに関しては、後に本文中で触れるように、反駁の余地がある。
(34)  たとえば、「ジングルズ事件判決で具現された投票の希釈のテストが明らかに比例代表の一形態であるということはありえない。違反の認定が居住地域が離れていること、投票パターンが人種ごとに分極化されていること、およびマイノリティの当選が一貫してないことを条件としているだけでなく、救済も通常は小選挙区での勝者総取りの選挙をともなう」とする評価がある。Grofman & Handley & Niemi, MINORITY REPRESENTATION AND THE QUEST FOR VOTING EQUALITY, supra note 2, at 132. また、ジングルズ事件判決には、厳格というより不明確な部分もあった。たとえば、「三項目テスト」に含まれる要件には、複数のマイノリティ集団を同質とみて小選挙区の多数を構成できる規模とすることも可能なのか、投票年齢に達した人口を基礎として判断すべきではないのかなど、ジングルズ事件判決では回答の与えられていない問題もあり、要件の核心となった投票の分極化にしても、南部の第五巡回区合衆国控訴裁では独自に要件の細目を設定したという報告がある。See, Terry E. Allbritton, Voting Rights, 21 TEXAS TECH.L. REV. 565 (1990) passim. See, also, Issacharoff, Polarized Voting and the Political Process, supra note 28, 1834-B35;Kathryn Abrams, "Raising Politics Up":Minority Political Participation and Section 2 of the Voting Rights Act, 63 N.Y.U.L. REV. 449 (1988), at 450-52.
(35)  もっとも、裁判所が司法機関であり、それが中立性を旨とすればこそ、「一人一票」原則のごとき明確な定式が必要とされるという主張は古くからある。See, e.g., Jan G. Deutsch, Neutrality, Legitimacy, and the Supreme Court:Some Intersections Between Law and Political Science, 20 STAN.L. REV. 169 (1968), at 248. また、投票力の希釈を含むゲリマンダリングに関して「一人一票」原則と同様に明確な定式が立てられると、裁判所は比例代表法に依拠して判断するほかなくなるという指摘は、従来から有力である。See, e.g., Sanford Levinson, Gerrymandering and the Brooding Omnipresence of Proportional Representation:Why Won't It Go Away?, 33 U.C.L.A.L. REV. 257 (1985) passim.
(36)  本件を詳細に扱った邦語文献として、網中雅機「政治的問題から司法適合性へーDavis v. Bandemer 事件を中心としてゲリマンダーの司法適合性に関する一考察ー」『名城大学創立四十周年記念論文集  法学篇』(法律文化社、一九九〇年)所収を参照。
(37)  See, Peter H. Schuck, The Thickest Thicket:Partisan Gerrymandering and Judicial Regulation of Politics, 87 COLUM.L. Rev. 1325 (1987) 1331-1336 et passim. シャックは、ゲリマンダリングに関する学説を整理した上で、バンデマ事件判決の論理によれば、裁判所が活用するのに適した明確な判定基準と救済方法が要請されることになるが、これらは比例代表法を招来するものにほかならないと主張する。また、政治過程の現実にかんがみれば人種や党派によるゲリマンダリングよりも現職の再選率の高さという事実に着目すべきことなども論じている(at 1361-1384)。
(38)  See, Daniel Hays Lowenstein & Jonathan Steinberg, The Quest for Legislative Districting in the Public Interest:Elusive or Illusory?, 33 U.C.L.A.L. REV. 1 (1985), at 25.
(39)  See, Samuel Issacharoff, Judging Politics:The Elusive Quest for Judicial Review of Political Fairness, 71 TEXAS L. REV. 1643 (1993), at 1670-1688 et passim. ただし、この論文ではコンピュータによるデータ処理を活用することで、党派的なゲリマンダリングの主因となる党派的な選挙区割りを制約することが可能になるという展望も示されている(at 1696-1698)。See, also, Michelle H. Browdy, Computer Models and Post−Bandemer Redistricting, 99 YALE L.J. 1379 (1990);Jeffrey C. Kubin, The Case for Redistricting Commissions, 75 TEXAS L. REV. 837 (1997).
(40)  マヴィーティは、ジングルズ事件判決における「ブレナンの意見の多数の文言が集合的(aggregate)な投票権という観念を示していたように、この判決は代表の人口統計学的(demographic)な概念形成を確証してはいなかったにしても、それと整合的であったように思われる」と述べ、「総じて、投票権法に関するバーガ・コートの諸判決は、人口統計学的な代表という理念型と整合的であった」と評価している。Nancy Maveety, REPRESENTATION RIGHTS AND THE BURGER YEARS, Ann Arbor:U. Mich. P. (1991), at 123. また、「バンデマ事件判決は、アメリカの政治における政党の競争が何の問題もない所与のことに属するというフィクションを破壊した。それどころか、バンデマ事件判決は、選挙区割りの人口統計学が、その競争の環境を正当に改変できるということを明らかにした……」とも述べている。Id., at 138. なお、バーガ・コートの総合的評価そのものには謙抑的なマヴィーティの分析によれば、人種集団や政治集団の法的評価に肯定的な「人口統計学ブロック」には、ブレナン裁判官、マーシャル裁判官、ホワイト裁判官、スティーヴンス裁判官が含まれる。これに対して、代表されるべきは地理的(geographic)な利益共同体であるとする「地理学ブロック」には、バーガ首席裁判官、レンクィスト裁判官、パウエル裁判官、ステュワート裁判官、オコナ裁判官が含まれる。そして、いずれにも含まれていないブラックマン裁判官と後者に含まれているパウエル裁判官は、前者と同じ態度を示すことも多かったとされる(at 226)。
(41)  See, generally, Lani Guinier, The Triumph of Tokenism:the Voting Rights Act and the Theory of Black Electoral Success (1991), do, No Two Seats:The Electoral Quest for Political Equality (1991), do, Groups, Representation, and Race Conscious Districting:A Case of Emperor's Clothes (1993), in do, THE TYRANNY OF THE MAJORITY, supra note 7;do, Voting Rights and Democratic Theory:Where Do We Go from Here, in Grofman & Davidson (eds.), CONTROVERSIES IN MINORITY VOTING, supra note 3;Pamela S. Karlan, Maps and Misreadings:The Role of Geographical Compactness in Racial Vote Dilution Litigation, 24 HARV.C.R.−C.L.L. REV. 173 (1989);do, Undoing the Right Thing:The Single−Member Of Acces and the Voting Rights Act, 77 VA.L. REV. 1 (1991);do, The Right to Vote:Some Pessimism About Formalism, 71 TEXAS L. REV. 1705 (1993);do, Apres Shaw le deluge?, 28 PS 50 (1995);do, Loss and Redemption:Voting Rights at the Turn of a Century, 50 VAND.L. REV. 291 (1997).
(42)  Lani Guinier, The Tyranny of the Majority, in do, THE TYRANNY OF THE MAJORITY, id., at 7-8. また、一九六五年投票権法施行以後の状況を適用指定法域に含まれる南部の八州について分析した文献の序文では、達成度をはかるべき調査課題として四段階が設定されている。それによると、第一世代は「マイノリティに対する普通選挙権の付与」、第二世代は「投票の希釈とマイノリティの候補者の当選」である。これらの先に想定される第三世代が「選出されたマイノリティの公職者が政治過程に不可欠な構成要素となる程度」であり、さらに第四世代の問題として「草の根のマイノリティ市民にかかわる限りでの(政治の)ゲームの産物」がある。See, Chandler Davidson & Bernard Grofman, Editor's Introduction to QUIET REVOLUTION IN THE SOUTH:THE IMPACT OF THE VOTING RIGHTS ACT, 1965-1990, Princeton:Princeton U.P. (1994), at 14-16.
(43)  Karlan, The Right to Vote, supra note 41, at 1707-1720. See, also, do, All Over the Map:The Supreme Court's Voting Rights Trilogy, 1993 SUP. CT. REV. 245, at 248-253.
(44)  Guinier, The Triumph of Tokenism, supra note 41, at 54-69. グィニアによれば、「アフリカ系当選理論」はアフリカ系の代表に関する四つの仮説、つまり、アフリカ系の代表であればアフリカ系市民の真正(authentic)な役割モデルであると考える「真正性仮説」、アフリカ系の代表が選出されればアフリカ系市民の政治参加が促進されるという「動員仮説」、投票が人種別に分裂してなされるという「分極化仮説」、アフリカ系の代表であればアフリカ系市民の利益に応えるという「応答性仮説」に立脚しているが、いずれの仮説も現実と照らし合わせてみれば無理があるばかりか、人種横断的な協調の可能性を失わせてしまう。なお、エンパワーメント理論の背景をなしている市民的権利推進運動の現状に関しては、松岡泰「黒人にとっての民主党問題ー黒人社会・運動・民主党のダイナミクスー」久保文明・草野厚・大沢秀介(編)『現代アメリカ政治の変容』(勁草書房、一九九九年)所収を参照。See, also, Edward G. Carmines & Robert Huckfeldt, Party Politics in the Wake of the Voting Rights Act, in Grofman & Davidson (eds.), CONTROVERSIES IN MINORITY VOTING, supra note 3.
(45)  Karlan, Undoing the Right Thing, supra note 41.「独任制公職主義は、第二条の拘束された歪曲を意味する」(at 4)。「独任制公職主義は、下級裁判所の事実審理を選挙における機会の平等に導く試みというよりも、一定の種類の選挙を第二条の射程から外す法的ルールを創り出すことで、事実審理を完全に抜き落とす試みである」(at 15)。「……独任制公職原理は……民主主義的な価値を保護するという装いのもとに、白人の政治支配を維持する必要を表している」(at 41)。カーランによれば、こうした「独任制公職主義」は、「結果テスト」による救済やそれに対する反動として生じるもので、投票権法の「非多数決主義的」な本質を「多数決主義的」に実現しようとしたための「巻き返し(Redemption)」である。
(46)  Cf., Rebecca L. Brown, Accountability, Liberty and the Constitution, 98 COLUM.L. REV. 531 (1998) passim. ブラウンは、司法審査の民主的正当性という問題の前提をなしている民主主義観に反駁し、代表の答責性(accountability)に重点をおいて合衆国における代表理論の歴史を振り返れば、むしろ専制を排除して自由を確保することが代表選出の目的であったと説く。
(47)  大沢秀介「最高裁の保守化の意味」久保・草野・大沢(編)『現代アメリカ政治の変容』(前掲註44)所収は、「ブレナン裁判官の存在の大きさ」(一八〇頁)に着目して同裁判官の退任までを「ブレナン・コート」(一八七頁)期と設定する議論を紹介し、それ以後をレンクィスト・コートの時期とみて保守化の傾向を分析している。
(48)  定数配分と選挙区編成に関して、網中政機「アメリカにおける一九九〇年国勢調査に伴う選挙に関する憲法上の諸問題」『名城法学』四三巻一・二号一〇七頁(一九九三年)を参照。この論文では「国勢調査における少数派の過少計算」という問題も扱われている(一二一ー一二三頁)。もっとも、これについては、むしろ方法上の欠陥による過剰計算を問題とする文献もある。See, Allan J. Lichtman & Samuel Issacharoff, Black/White Voter Registration Disparities in Mississippi:Legal and Methodological Issues in Challenging Bureau of Census Data, 7 J.L. & POL. 525 (1991).
(49)  Bernard Grofman, The 1990s Round of Redistricting:A Schematic Outline of Some Key Features, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 17 (1997) passim;do, The Supreme Court, The Voting Rights Act, and Minority Representation, in Anthony A. Peacock (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION:SHAW V. RENO AND THE FUTURE OF VOTING RIGHTS, Durham:Carolina Academic P. (1997), at 173-176;do, Would Vince Lombardi Have Been Right If He Had Said, 'When It Comes to Redistricting, Race Isn't Everything, It's the Only Thing'?, 14 CARDOZO L. REV. 1237 (1993). See, also, Davidson & Grofman (eds.), QUIET REVOLUTION IN THE SOUTH, supra note 40;Bernard Grofman & Lisa Handley, 1990s Issues in Voting Rights, 65 MISS.L.J. 205 (1995);Donald E. Stokes, Minority Representation and the Tradeoffs in Legislative Redistricting, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 27 (1997);Winnett W. Hagens, Redistricting the Commonwealth:A Narrative and Analysis of the Virginia Outcome, 1991-1996, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 44 (1997);Alan Gartner, New York City Redistricting and New York State Congressional Redistricting:A View from Inside, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 63 (1997);David Covin, Social Movement Theory in the Examination of Mobilization in a Black Community:The 1991 Sacramento Redistricting Project, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 94 (1997).
(50)  網中政機「小選挙区における定数不均衡是正の立法的問題ーアメリカ各州区割り委員会、是正に対する州最高裁判所の役割および区割り原則と比較してー」『選挙研究』一二号一二二頁(一九九七年)一二六頁における指摘である。つぎの考察も同所に示されている。「コンピュータ技術と選挙区が厳格に平等人口になるようにとの司法部の命令、この二つの要素が高度先端技術の科学を再選挙区画定に結びつけた。コンピュータの高精度な能力は、……それが国民の同数を実質的に有する一つの州の連邦下院選挙区を画定することを可能とした。この種の厳格な調査技術は別の目的にも使用され、その一つが党派的・人種的選挙区の画定……」であった。
(51)  Grofman, The 1990s Round of Redistricting, supra note 49, at 18-19;Grofman, The Supreme Court, The Voting Rights Act, and Minority Representation, supra note 49, at 190-191.
(52)  Grofman, The Supreme Court, The Voting Rights Act, and Minority Representation, id., at 174.
(53)  Grofman, The 1990s Round of Redistricting, supra note 49, at 21 [endnote omitted]. Cf., Kevin A. Hill, Does the Creation of Majority Black Districts Aid Republicans?:An Analysis of the 1992 Congressional Elections in Eight Southern States, 95 J. POL. 384 (1995). また、葉山「現代アメリカの選挙と区割り問題」(前掲註22)二〇二ー二〇三頁も参照。なお、州においても共和党対民主党の図式が基本とされることに関しては、吉野孝「二党競争の全国化とその含意」久保・草野・大沢(編)『現代アメリカ政治の変容』(前掲註44)所収を参照。
(54)  See, Grofman & Handley & Niemi, MINORITY REPRESENTATION AND THE QUEST FOR VOTING EQUALITY, supra note 2, at 109.
(55)  See, Pub. L. 90-196, 81 Stat. 581, codified at 2 U.S.C. § 2c (1997). この点につき、森脇俊雅「アメリカの小選挙区制と区割り」(一九九四年)同『小選挙区制と区割りー制度と実態の国際比較』(芦書房、一九九八年)所収を参照。
(56)  投票権法に関するレンクィスト・コートの判例は、西村裕三「アメリカにおける選挙区割りと投票価値の平等(一)」『大阪府立大学  経済研究』四一巻一号一三頁(一九九六年)、木下智史「合衆国における人種的少数者の投票権保障(三)」『神戸学院法学』二七巻一・二号一一一頁(一九九七年)などで、すでに詳しく扱われている。See, generally, Abraham L. Davis & Barbara Luck Graham, THE SUPREME COURT, RACE, AND CIVIL RIGHTS, Thousand Oaks, Calif.:Sage Publications (1995) [casebook], at 364-365, Table 5.2.
(57)  See, e.g., Anthony A. Peacock, Shaw v. Reno and the Voting Rights Conundrum:Equality, the Public Interest, and the Politics of Representation, in do (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION, supra note 49. この論文では、一方の集団の契機を承認して人種に配慮する投票権法と、他方の個人的契機に固執して人種に対する配慮を認めない平等保護条項の緊張関係が、分析の主軸とされている。See, also, Laughlin McDonald, Can Minority Voting Rights Survive Miller v. Johnson?, 1 MICH.J. RACE & L. 119 (1996).
(58)  See, Frederick G. Slabach, Equal Justice:Applying the Voting Rights Act to Judicial Elections, in Peacock (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION supra note 49.「一人一票」原則があてはまらない裁判官選挙にも投票権法が適用されるのは当然であり、適用を免れるために公選制から任命制への変更がなされたとすれば、この変更も投票権法に服するとする。Cf., Ralph A. Rossum, Applying the Voting Rights Act to Judicial Elections:The Supreme Court's Misconstruction of Section 2 and Misconception of the Judicial Role, in Peacock (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION, id. 第二条の修正過程では裁判官選挙への適用がないものと考えられていたことを強調しつつ、あわせて裁判官の職務は投票権法の統制によるなじまないと主張する。Cf., Andrew S. Marovitz, Casting a Meaningful Ballot:Applying One−Person, One−Vote to Judicial Elections Involving Racial Discrimination, 98 YALE L.J. 1193 (1983).「一人一票」原則を裁判官選挙に適用すべきだと主張していた。
(59)  See, Stanley Pierre−Louis, The Politics of In鴆c45duence:Recognizing In鴆c45duence Dilution Claims under § 2 of the Voting Rights Act, 62 U. CHI.L. REV. 1215 (1995), at 1233-1241 et passim.「勢力選挙区」の設定を求める訴えには、「三項目テスト」ではなく、政治的な結束度、地理的な緊密度、人種横断的な連合、乗り換え投票、浮動票といった要因で判定するテストが妥当すると主張している。
(60)  See, Karlan, All Over the Map, supra note 43, at 257-261.
(61)  ショー事件を扱った邦語文献として、安西文雄「人種に基づいた選挙区割と少数派の人権 Shaw v. Reno」『ジュリスト』一〇六三号一一八頁(一九九五年)、浅香吉幹「最近の判例 Shaw v. Reno」[1995-1]アメリカ法 132 がある。
(62)  ノース・キャロライナ州のマイノリティ多数区をめぐる当時の情勢に関しては、葉山「現代アメリカの選挙と区割り問題」(前掲註22)一八三ー一八四頁で詳しく紹介されている。
(63)  改定案の選挙区地図は、判例集にも収録されているほか、日本の文献にも取り上げられている。さしあたり、葉山「現代アメリカの選挙と区割り問題」(前註)一九〇頁の図1を参照。このほか、第一二区については、森脇俊雅「ゲリマンダリングーアメリカの現状と課題ー」(一九九四年)同『小選挙区制と区割りー制度と実態の国際比較』(前掲註55)所収、七七頁、図2-5も参照。もっとも、ショー事件判決の場合も含め、判決に地図を添付することに関しては否定的な見解もある。See, Hampton Dellinger, Words Are Enough:The Troublesome Use of Photographs, Maps, and Other Images in Supreme Court Opinions, 111 HARV.L. REV. 1704 (1997).
(64)  先例との実質的な不整合を形式的に覆い隠すことは、たとえばブラウン対(カンザス州)トピーカ市教育委員会事件判決(Brown v. Board of Education of Topeka, 347 U.S. 483 [1954])でもプレッシ対ファーガスン事件判決(Plessy v. Ferguson, 163 U.S. 537 [1896])とは人種分離の分野と時代が違うとして区別(distinction)をおこっていたように、明示的な判例変更(clear break)を回避する手法として古くからみられるが、本件で外見上の異常という新規の損害が認定された背景にも、同様の配慮があったのではないかと思われる。また、土居靖美「平等原則に適用される"compelling state interest test"の原理について」『姫路法学』一六・一七合併号一一一頁(一九九五年)は、本件に触れて、「僅差の判決の意味するところは、多数意見の……自信の低さを露呈したかの如きである」と述べている(一二八頁)。
(65)  John Hart Ely, Gerrymanders:The Good, the Bad, and the Ugly, 50 STAN.L. REV. 607 (1998), at 614-620.
(66)  ショー事件判決は「……ジングルズ事件判決の緊密性基準に大きく依拠した……」という見方もある。Mark E. Rush, The Price of Unclear Precedents:Shaw v. Reno and the Evolution of Voting Rights Jurisprudence, in Peacock (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION, supra note 49, at 29. ただし、ラッシュ自身も同所で認めているように、投票権法に基づく判定の枠組みである「三項目テスト」の第一要件をマイノリティ多数選挙区は緊密でなければならないというように皮肉にも裏側から援用することについては、異論のありうるところであろう。
(67)  See, Conference, The Supreme Court, Racial Politics, and the Right to Vote:Shaw v. Reno and the Future of Voting Rights Act, 44 AM.U.L. REV. 1 (1994)。このなかで、ウィリンガム(Alex Willingham)は、「白人は投票している。白人は公職に出馬しうる。白人は公職に選出されうる。このように、彼らが実際になしうることに対する真の制約は何ら存在しない」と述べ、マイノリティ多数選挙区はアファーマティヴ・アクションだとする批判に反駁している(at 46)。
(68)  外見的損害は公益の側面に深くかかわっており、これを主観的な私益の損害に含めることは困難であるから、両者を別ものと捉えた上で総合的に説明する訴訟理論が必要となる。See, Note, Expressive Harms and Standing, 112 HARV.L. REV. 1313 (1999).
(69)  See, e.g., Richard H. Pildes & Richard G. Niemi, Expressive Harms, "Bizarre Districts", and Voting Rights:Evaluating Election−District Appearances After Shaw v. Reno, 92 MICH.L. REV. 483 (1993).
(70)  See, e.g., T. Alexander Aleinikoff & Samuel Issacharoff, Race and Redistricting:Drawing Constitutional Lines After Shaw v. Reno, 92 MICH.L. REV. 588 (1992), at 618-628.
(71)  See, Samuel Issacharoff & Thomas C. Goldstein, Identifying the Harm in Racial Gerrymandering Claims, 1 MICH.J. RACE & L. 47 (1996), at 54.
(72)  David R. Dow, The Equal Protection Clause and the Legislative Redistricting Cases−Some Notes Concerning the Standing White Plaintiffs, 81 MINN.L. REV. 1123 (1997), at 1134.
(73)  John Hart Ely, Standing to Challenge Pro−Minority Gerrymanders, 111 HARV. L. REV. 576 (1997), at 594. この論文では、ダウの立論の問題点として、つぎの二点が指摘されている(at 578, n. 8)。第一に、マジョリティによるマジョリティの差別に違憲性がないという主張が選挙区画定の事例にも妥当するかどうかは疑わしい。たとえば、イリィはマイノリティ多数選挙区をアファーマティヴ・アクションに分類するが、これによって議会が構成された場合、もはや画定主体は必ずしもマジョリティでなく、またUJO事件判決で問題となったように、マジョリティにも下位の集団(マジョリティのなかのマイノリティ)があるからである。第二に、ダウの主張はマイノリティ多数選挙区の本案審理には妥当するとしても、イリィのように分離して考えた場合、原告適格までも否定することにはならない。
(74)  そもそもの問題として、マイノリティ多数選挙区において認定される損害とヘイズ事件判決で提示された原告適格の判断枠組みは、整合的でないという批判がある。See, David Flickinger, Standing in Racial Gerrymandering Cases, 49 STAN.L. REV. 381 (1997) passim.
(75)  Samuel Issacharoff & Pamela S. Karlan, Standing and Misunderstanding in Voting Rights Law, 111 HARV.L. REV. 2276 (1998), at 2279. See, also, Issacharoff & Goldstein, Identifying the Harm in Racial Gerrymandering Claims, supra note 71, at 68.
(76)  Lani Guinier, [E]racing Democracy:The Voting Rights Cases, 108 HARV. L. REV. 109 (1994), at 113.
(77)  邦語によるホウルダ事件判決の評釈として、高見勝利「マイノリティの投票力の希釈 Holder v. Hall」『ジュリスト』一〇九二号一一四頁(一九九六年)を参照。
(78)  ただし、アダランド事件判決で裁判所意見を執筆したオコナ裁判官は、「マイノリティ集団に対する人種差別の慣行と残存効果とが、この国で不幸にも持続していることは、遺憾ながら事実であり、政府はそれに対応して行動する資格を失ってはいない」(Adarand, 515 U.S., at 237)とも述べており、厳格審査が事実上すべての人種による分類を排除してしまうという懸念には配慮しているものとみられる。なお、この判決に関しては、有澤知子「積極的平等施策と合衆国最高裁判所ーアダランド判決と積極的平等施策の今後ー」『法学新報』一〇三巻二・三号二〇九頁(一九九七年)を参照。また、アファーマティヴ・アクションをめぐる近年の状況に関して、加藤恒彦「アファーマティヴ・アクションの今ー大統領発言と「アファーマティヴ・アクション・レビュー」についてー」『立命館国際研究』九巻二号二八頁(一九九六年)も参照。
(79)  ミラー事件判決を論じたものとして、有澤知子「人種を配慮した下院議員選挙区割の改定と平等保護条項ーMiller v. Johnson 判決を中心にー」『大阪学院大学  法学研究』二三巻一号一頁(一九九七年)を参照。
(80)  Richard Briffault, Race and Representation after Miller v. Johnson, 1995 U. CHI. LEGAL F. 23.
(81)  Ely, Gerrymanders, supra note 65, at 611-614.
(82)  See, e.g., Bruce Cain, THE REAPPORTIONMENT PUZZLE, Berkeley:U. Calif. P. (1984);Richard G. Niemi & Bernard Grofman & Carl Carlucci & Thomas Hofeller, Measuring Compactness and the Role of Competent Standard in a Test for Partisan and Racial Gerrymandering, 52 J. POL. 1155 (1990);Lowenstein & Steinberg, The Quest for Legislative Districting in the Public Interest, supra note 38;Karlan, Maps and Misreadings, supra note 41.
(83)  See, Chapin Cimino, Class−Based Preferences in Affirmative Action Programs After Miller v Johnson:A Race−Neutral Option, or Subterfuge?, 64 U. CHI.L. REV. 1289 (1997). ミラー事件判決以後の判例が、人種に対する配慮を厳格審査のもとにおくばかりか、集団を考慮に入れること自体を違憲とする方向に動いていると分析している。
(84)  See, Pamela S. Karlan & Daryl J. Levinson, Why Voting Is Different, 84 CALIF.L. REV. 1201 (1996) passim. この論文は、アダランド事件判決などによってアファーマティヴ・アクションが否定されたのを契機とするシンポジウム「人種に基づいた救済」に寄稿されたものである。そもそも定数配分は集団を基礎としておこなわれるものであること、選挙区の再画定において人種のもつ意義はほかの分野におけるそれとは異なること、人種ごとの投票の分極化が選挙区割りにおいて人種を意識することに対する独特の正当化事由であること、これら三点が論述の軸として強調されている。
(85)  邦語によるヴェラ事件判決の評釈として、日笠完治「投票権と人種に基づく選挙区割 Bush v. Vera」『ジュリスト』一一二一号一三九頁(一九九七年)を参照。
(86)  Anthony A. Peacock, The Supreme Court and the Future of Voting Rights, in Peacock (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION, supra note 49, at 410.
(87)  マイノリティ多数選挙区を違憲とするレンクィスト・コートの判例傾向は、合衆国の裁判所による州の選挙制度への干渉にほかならないから、司法審査の面だけでなく、連邦制度の面でも、リベラルよりむしろ保守の理念に適合しないとする指摘もある。それによれば、「一九九〇年代の再選挙区割りにおいて人種に依拠したことが違憲であるとすれば、その唯一の責任は連邦政府に帰する。州議会は、その選挙区割り案が連邦の司法府によって覆されてきたが、違憲の行為の犠牲者であって、遂行者ではなかった」。Daniel Hays Lowenstein, You Don't Have to Be Liberal to Hate the Racial Gerrymandering Cases, 50 STAN.L. REV. 779 (1998), at 782.
(88)  観念的代表は、日本語では「事実上の代表」と表記されることもあるが、「代表選出をともなわない課税は専制である」「代表なくば課税なし」というアメリカ独立期の標語によって拒絶された概念であり、これについてはバークの代表観に淵源をもち、アメリカのリベラリズムには根づかなかったと説明する文献がある。See, Hanna Fenichel Pitkin, THE CONCEPT OF REPRESENTATION, Berkeley:U. Calif. P. (1967), chs. 8-9. また、近時においても、代表を選出する機会の平等を積極的に確保しようとする立場からは、批判のための概念として多用される。See, e.g., Guinier, Keeping the Faith, supra note 22, at 36-37. もっとも、この概念に憲法理論上の有用性を認める見解もある。See, e.g., John Hart Ely, DEMOCRACY AND DISTRUST:A THEORY OF JUDICIAL REVIEW, Cambridge, Mass.:Harv. U.P. (1980), at 82-87.
(89)  累積投票制度は、投票者が定数分の票を行使できるが、集中投票禁止ルールは存在しない大選挙区少数代表法の例である。グィニアは、これを採用すると「勝者総取り」によるマイノリティの投票力の希釈と地理的な歪曲という意味でのゲリマンダリングが同時に回避できるとする。See, Guinier, No Two Seats, supra note 41;do, Groups, Representation, and Race Conscious Districting, supra note 41. また、ゲリマンダリングの定義を狭めることなく、これを根絶するという観点から、より直截に比例代表法の可能性を探る研究もある。See, Douglas J. Amy, REAL CHOICES/NEW VOICES:THE CASE FOR PROPORTIONAL REPRESENTATION ELECTIONS IN THE UNITED STATES, N.Y.:Colum. U.P. (1993).
(90)  See, Vikram David Amar & Alan Brownstein, The Hybrid Nature of Political Rights, 50 STAN.L. REV. 915 (1998), at 918 et passim. これによると、投票権を中心とした政治的権利には、市民としての地位の尊厳に由来する個人主義的な側面と権力に対する手段としての集団基底的な側面とが複合的に併存しており、このことは合衆国の憲法史からも明らかであるが、レンクィスト・コートは後者の側面を看過している。


五  お  わ  り  に


  一九六〇年代後半、ディクスンが「すべての選挙区割りはゲリマンダリングである」と述べたのと同じ頃に、アメリカの代表理論の類型と対抗軸を整理してみせたピトキン(Hanna Fenichel Pitkin)は、「いかなる制度体系も代表選出の本質、その実質を担保しえない」という評価を示していた(1)。これらの主張を裏づけるかのように、投票の分極化の認識にはじまったゲリマンダリングの是正の歴史は、まさしく試行錯誤の連続であった。合衆国の投票権法制は、マイノリティの投票力の希釈というゲリマンダリングをめぐって人種という集団を市民の属性として法的に承認し、平等保護の手法によって州権を抑制しつつ、多数代表法の枠組みのなかで代表を選出する機会の平等を実現すべく展開してきたが、その積極的な手段として登場したマイノリティ多数選挙区は、合衆国の権限の縮小とアファーマティヴ・アクションの退潮を背景に、平等保護条項違反とされた。これにともなって、いまやゲリマンダリングの定義も狭められようとしている。
  カーランは、一九九〇年代までに出揃った選挙区編成の限界について、合衆国下院議員選挙区は小選挙区でなければならないということのほか、つぎの六項目があるとしている。その第一は「一人一票」原則が遵守されなければならないこと(定数再配分事件判決群)、第二は人種的なマイノリティに対する少なくとも意図的な差別は許されないということ(「意図テスト」「効果テスト」)、第三は過度の党派的ゲリマンダリングは許されないということ(バンデマ事件判決)、第四は人種に対する配慮が「伝統的な選挙区割りの原則」よりも優先されてはならないということ(ミラー事件判決「支配的目的テスト」)である。これら四項目は、いずれも合衆国憲法典の平等保護条項によって要請される。そして、投票権法から導かれる禁止規範として、第五にマイノリティの投票力の希釈を結果としてもたらしてはならないということ(第二条「結果テスト」、ジングルズ事件判決「三項目テスト」)があり、第六にマイノリティの投票力を減退させてはならないということ(第五条「事前承認要件」、ビア事件判決「後退原則」)があげられる。これらの限界が相互に矛盾しながら重なり合うことで、「次回の定数再配分が政治の茂みから司法のそれへの変形を完成させることは十分にありうる」とカーランは指摘している(2)。この予測の当否は遠からず判明しようが、レンクィスト・コートの判例にあらわれた積極姿勢が究極的には平等保護条項と投票権法制の矛盾を提起したと考えるならば、少なくとも現時点における見方として、これは非常に説得的であろう。
  このような状況のもとで、「……政治的および人種的な公正を確保しつつ、われわれを乱雑さと闘争から救ってくれる単一の明白かつ全般的(overarching)かつ普遍的なルールは存在しない」とカーランは述べている(3)。この言葉には、公正という用語の多義性のほか、投票の分極化に対する法的な応答の難しさが含意されていよう。代表の選出が公正な競争によるべきことは当然であるが、公正という観念の内実は、それが歪められる危険性の認識に依存するから、投票の分極化に対応するゲリマンダリングの定義の広狭によって、競争条件が公正であるか否かの評価は異なったものとなる。しかしながら、合衆国の投票権法制がマイノリティの投票力の希釈を是正しようとしたのは、投票の分極化という経験的事実を法的に評価し、この意味でのゲリマンダリングが機会の平等に抵触すると考えたためである。その展開が現在に至るまでに示したことは多く、矛盾もまた含まれていようが、少なくとも投票する機会の平等のみが問題となる「政治の茂み」と選挙の結果の平等までも肯定してしまう「法の茂み」の両端を忌避しつつ、不安定ではあっても、平等保護という消極的な手法によって、代表を選出する機会の平等という概念を案出したことには学ぶべきだと思われる。換言すれば、代表の選出を目的とする選挙が、平等保護の対象たるべき機会として問題にされ、比例代表法によって実現されるべき結果の平等からの距離を保ちつつ論議されてきたという点こそが、参酌されなければならないであろう。そこでのディレンマは、小選挙区において典型的にあらわれる多数代表法の根本的な限界をも示唆していようが、代表法の評価については、今後さらに綿密な検討を要するようにも思われる。
  もちろん、アメリカでは人種ごとの投票の分極化が論争の出発点であっただけに、いままた人種問題に対する評価を背景として見直しが叫ばれている。また、連邦制度が投票権法制の基盤となっているために、後者の推移が前者の骨格の変容に依存している。さらには、金井光太朗が独立期から建国期にかけての論争を整理するなかで指摘したように、「……今日の政治上常態となっている利害代表……強い直接民主制政的な選挙民と代表との応答性を求める代表観念」が表舞台に勝ち残ったことも、アメリカにおける議論の背景をなしている(4)。「利害代表」の観念は、「利害」の定義やその共有主体の設定により、一方では市民の全体に共通する利害から多数代表法の貫徹を、他方では人種集団などの部分に固有の利害から投票の分極化に対する鋭敏な対応を、支えてきたと思われる。さらに綿密な法制史の検証が必要なところであるが、ゲリマンダリングの定義の広狭をめぐるディレンマの根源が「利害代表」の観念に求められるとすれば、このアンビヴァレントな観念こそが合衆国の投票権法制を動かしてきたといえよう。
  しかし、およそ民意の反映が必要とされ、投票の分極化が看取されるところでは、ミル(John Stuart Mill)の言葉にある「すでに投票権はもってはいるがいつも数で負けてしまうために、その投票が無用になってしまっている人々の解放」が課題とされなければならないのではなかろうか(5)。キムリッカ(Will Kymlicka)は、「選挙区とは大体において同じくらいの大きさのものだと思われているが、われわれはそれを、同じ数の市民を無作為に集めることによって作ろうとはしない。むしろ、選挙区の境界線は、選挙区内の人々ができるだけ一定の利益ー経済的、エスニック的、宗教的、環境的、歴史的な利益などーを共有し、その結果、それが立法において代表されることになるように引かれている」という認識を示している(6)。この指摘が妥当するほどに投票の分極化が看取されるところでは、ゲリマンダリングの再定義から出発すべき課題があるのではなかろうか。合衆国の投票権法制は、投票の分極化とゲリマンダリングを結ぶ定式が完成する見込みを提供してくれたわけではないが、制度そのものを根底から覆すことのない消極的な手法によってであれ、ディレンマに踏み込んでゲリマンダリングにアプロウチすることの必要性と重要性は十分に示してきたといえる(7)
  本稿のエピグラフでも借用したディクスンの提言がエピグラムとして承認されるならば、とかく専門性と技術性が強調されがちな選挙制度と憲法規範の距離は、慎重に狭められなければならない。その作業のなかでこそ、事実認定の手法や法的評価の定式が磨かれていくであろう。そして、これらの蓄積により、いわば帰納的に「すべての市民にとって公正かつ効果的な代表」が再定義される展望も拓けてこよう。また、このような消極的手法によって適用違憲の射程を見定めるにとどまらず、積極的に選挙制度の中立的統制を検討するならば、そのときは高柳賢三の「選挙民権案」に示されていたような抜本的な改革も考慮に入れられなければならないように思われる。こうした問題についての個別的な検証が、今後に残された大きな課題である(8)

(1)  Hanna Fenichel Pitkin, THE CONCEPT OF REPRESENTATION, Berkeley:U. Calif. P. (1967), at 239.
(2)  Pamela S. Karlan, The Fire Next Time:Reapportionment After the 2000 Census, 50 STAN.L. REV. 731 (1998), at 733-734.
(3)  Karlan, The Fire Next Time:Reapportionment After the 2000 Census, id., at 763.
(4)  金井光太朗「幸福の追求と合衆国憲法ー忠誠派・愛国派論争をめぐってー」『思想』七六一号三六頁(一九八七年)四四頁。
(5)  J・S・ミル(水田洋(訳))『代議制統治論』(岩波書店、一九九七年)二三四頁。当然のことながら、人種問題や連邦制度を前提とした言葉ではない。
(6)  ウィル・キムリッカ(角田猛之・石山文彦・山崎康仕(監訳))『多文化時代の市民権ーマイノリティの権利と自由主義』(見洋書房、一九九八年)二〇一頁。引用部分は、集団を基礎とした利益代表が、選挙制度を運用する実態の面では、個人の匿名性を前提とする伝統的な代表概念との連続性をもつ、という文脈で述べられている。
(7)  森英樹「選挙・政党と国会」『法律時報』七二巻二号二五頁(二〇〇〇年)は、合衆国を含む「……国の憲法学において自国の小選挙区制を憲法解釈論として違憲と解した立論は寡聞にして知らない」(二九頁)と断言しているが、このような現状にあってこそ、多数代表法の限界にまで言及しつつあるゲリマンダリングの是正論議が、憲法学にとっての重要な題材であるといえる。
(8)  さらに根本的な点として、阪本昌成『リベラリズム/デモクラシー』(有信堂、一九九八年)二〇九頁に、日本の憲法学は「集団的決定におけるルールに関する考察を欠いてきた>」(強調原文)という問題の指摘がある。本稿ではまったく触れることができなかったが、ゲリマンダリングの法的統制を検討する場合にも、前提となる多数決主義自体の正当性は避けて通れない問題であろう。See, e.g., Daniel A. Farber & Philip P. Frickey, LAW AND PUBLIC CHOICE:A CRITICAL INTRODUCTION, Chicago:U. Chi. P. (1991), ch. 2 "Arrows Theorem and the Democratic Process";Grant M. Hayden, Some Implications of Arrow's Thorem for Voting Rights, 47 STAN.L. REV. 295 (1995).