立命館法学 2000年2号(270号)  232頁


◇資  料◇

国家人権機構に関する韓国の立法論争

− 主要争点を中心として −


郭 魯瓶(カク ノヒョン)


 

一、は じ め に

  法務部の人権法試案が公表された一九九八年九月以来これまで、韓国では国家人権機構の性格と位相、及び機能と権限に関して、熾烈な立法論争が展開されている。この論文の目的は、国家人権機構に関する韓国の立法論争の主要争点を、国際基準に照らして批判的に検討することにより、国家人権機構に対する正しい理解を助けるところにある。本論に入る前に、まず国家人権機構の性格と特徴、及び歴史と類型について簡単にみて、国家人権機構に対する国際基準格である、パリ原則について言及することにする。

二、国家人権機構の概念と性格


  国家人権機構(national human rights institutions)は、人権の保護と向上に必要な諸般の機能を総合的に遂行する目的で憲法や法律により設立される、国際人権法時代に独特の国家機構であると定義しうる。さらに具体的にいうと、国家人権機構は第一に、人権の保護と向上のみを唯一の存在目的とみなす国家機構である。他の国家機構の場合、法治主義の要請に従っているため人権保障を間接的に実現するが、国家人権機構は直接的に人権の保護と向上だけを目的として誕生した機構であるという点が異なっている。また、国家人権機構は人権だけを対象とする機構であるという点において、例えば人権以外の権利も管轄対象とみなす法院と区別される。次に、国家人権機構は、人権の保護と向上に必要な、総合的機能と権限を持つ国家機構である。すなわち、国家人権機構は、人権侵害に対する事後の救済機能の他にも、調査・研究、対政府諮問・助言、教育・広報を通じた事前の予防機能なども総合的に遂行する。それに対し、例えば法務部は権利救済機能を持たない。
  国家人権機構は、国家権力機関の人権侵害を監視、牽制、是正するという業務の特性上、政権の観点からは負担を感じやすい国家機構である。したがって、市民社会の関心や支持を確保することができなくては、十分な活動力を発揮するのは難しい特異な国家機構である。最後に、国家人権機構は国民国家の一機関であるが、国内の実定法よりも国際人権法を活動基盤とみなす特異な国家機関である。相対的に閉鎖的で硬直的な国民国家中心の法体系と法文化に、より普遍的でダイナミックな国際人権条約と国際人権法の息吹を吹き込む役割が、国家人権機構にはまかされているわけである。特に大部分の国で、法院の保守性により実質的に死文化しがちな国際人権条約と国際人権法を、「生きている法」として蘇生させる役割を国家人権機構が担当している。一言でいうならば国家人権機構の特徴は、国民国家の国家機関でありながら、国際社会と市民社会に向かって大きく開かれている国家機関でなければならないという点にある。このような点において国家人権機構は、国際人権機構と国民国家、そして国民国家と市民社会を、人権の名の下に媒介する、国際人権法時代に独特の国家機関であると特徴づけることができる。

三、国家人権機構の歴史と類型


  国家人権機構の歴史は長くはない。国連経済社会理事会において、概念が提示されてからは半世紀を越えたが、国家人権機構の世界的嚆矢とされる、ニュージーランド人権委員会が設置されたのが一九七七年であったから、実際の歴史は、ようやくかろうじて二〇年を越えた程度である。ニュージーランドの場合、国家人権機構は、一九七六年から発効した国際人権規約の国内的実効性を確保するという次元で提案され、設立されたものであった。国家人権機構は、八〇年代初めにおいてさえ、ニュージーランド、オーストラリア、カナダなど、一部先進国に限定された現象であった。そんな中、八〇年代中盤にフィリピン、九〇年代初めに南ア共和国が、民主化移行過程において国家人権機構を憲法機関として採択してから、アジアや中南米の多くの移行期にある国家に流行のように伝播するようになった。特に九〇年代には、東欧圏の多くの国で社会主義体制の崩壊と共に民主化移行過程が進みながら、東欧圏においても人気品目として登場するようになった。その結果、国家人権機構は九〇年代後半に入り、五大州六大洋に遍く広まった全世界的な現象となった。アジア太平洋地域では、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フィリピン、インド、バングラデシュ、インドネシア、スリランカ、フィジーで人権委員会が設立され、またタイと韓国が立法過程にある。
  国家人権機構は、先進国型、後進国型、移行期形の三種類の類型に大きく分けられる。実際に先進国型は、差別行為だけを管轄することが特徴である。原住民と移民者など、一部の周辺部国民に対する差別はあっても、中心部国民に対しては人権侵害はないという先進国主体の自信、あるいは傲慢が反映された結果である。ニュージーランド、オーストラリア、カナダがこの類型に属する。これらの国の人権機構は、国際人権規約の発効時点と前後して議論が始まり、各々一九七七年、八〇年、八三年に設置された。他の欧米先進国等の場合、各種差別禁止委員会をおいている上に地域人権機構に加入していて、民主福祉国家の伝統が強固なため、国家人権機構に対する特別な議論がないようである。先進国型人権機構は、差別行為を扱うだけで国家権力機関による人権侵害を扱わないという点で、民主化移行期国家や後進国の手本にはなりえない。
  一方、後進国型は、インド、インドネシア人権委を代表として挙げることができるように、国内外的な人権外交用、国家広報用と理解され、活用される側面が強い。非常に小さな組織や人員、予算などで独立性と実効性が弱いため、市民社会における可視性が弱いのは無論、人権団体等の信頼もえられないのが特徴である。民主化の激動期を経ていない第三世界国家で作られる人権機構は、大部分この範疇に属すると見てよいだろう。国際社会ではこのように、そぶりだけ見せる後進国型人権機構をアリバイ人権機構と呼ぶ。構造的限界にもかかわらずそれなりに何かを、試みようとする場合もあるが、人権は基本的に勝ちとるものであるため、このような類型の人権機構は、大して効果を上げないまま広報用装飾品に転落しているのが実情である。
  最後に移行期型は、過去の独裁政権が打倒されたり退くことによって、民主化過程が本格的に始まった国において、人権尊重国家への転換意志を込めて誕生した国家人権機構をいう。フィリピンと南ア共和国が代表的で、ラトヴィアなど東欧圏の多くの国々もこの範疇に属する。これらの国の場合、国家権力機関による人権侵害の根絶は全ての国民の切実な要求であったため、関連立法においても、このような問題に対してそれなりに悩んだ痕跡が見受けられる。例えば南ア共和国の関連法には、国内法が適合しない場合、司法府は国際人権法を裁判規範の一つとして積極的に考慮するべきであるという条項があり、フィリピンの関連法には、人権委員会と多様な国家権力機関との定例協議を規定した条項がある。したがって、韓国にとって参考価値が高い立法例は、これら移行期型国家の立法例といえる。特に韓国の場合、他の国々より良い条件あるいは高い水準で民主化移行期を経ているという点において、模範的移行期型立法例を残さなければならない国際的責務を負っている。

四、国家人権機構に対する国際指針 −パリ原則とハンドブック


  一九八〇年代中盤以降、アジア、中南米、アフリカ、東欧圏などで国家人権機構の設立がブームとなったが、その過程で、いわゆるアリバイ用人権機構(alibi institutions)も量産された。その結果国際社会では、あるべき姿の人権機構に必要な最小限の基準と指針を提示する必要性が、広く共感をよんだ。これに対し国連人権センターは、一九九一年一〇月七日から九日まで、パリで「人権の保護と増進のための国家人権機構ワークショップ」を開催して、パリ原則(Principles relating to the Status of National Human Rights Institutions)を基礎づけた。国連人権委員会が一九七八年に採択した、「国家人権機構の構造と機能に対する指針」をより具体的に発展させたパリ原則は、一九九二年の国連人権委員会決議と九三年の国連総会決議を経て、勧告的効力をもった国際法原則として承認される。
  一九九一年になってパリ原則が制定された国際的背景としては、第一に、国際人権規約が一九七六年から発効し、個別国家次元の実効性を担保する国家人権機構の必要性が高まった点、第二に、その結果、少なからぬ国において国家人権機構が設立されたが、大部分、管轄と権限が不明確で独立性と実効性において劣るという批判を受けていたという点、第三に、特に一九八六年のフィリピンを始めとして八〇年代中後半にまき起こったアジア、中南米の民主化旋風と、九〇年代初めに東欧圏などの社会主義国家に吹き荒れた体制転換の嵐により、国家人権機構に対する転換期国家の関心と需要が急増した点を上げることができる。特にこのような需要を充足させるためにより詳細な指針が要求され、その結果九五年に出てきたものが、「人権の増進と保護のための国家人権機構の設立及び強化に関するハンドブック」(A Handbook on the Establishment and Strengthening of National Institutions for the Promotion and Protection of Human Rights, 以下、ハンドブック)である。一言でいうなら、国家人権機構の地位と機能に関する最小限の国際原則と基準を制定して、既存の国家人権機構の強化を図り、新規の国家人権機構の創設を支援することによって、日ごとに発展していく国際人権法の国内的実効性を確保しようという目的の下、国連人権機構と各国の専門家らがこれまでの理論と経験を土台として誕生させたものが、パリ原則とハンドブックであるといえる。
  パリ原則とハンドブックは、国家人権機構の地位と機能、構成や権限と関連して、限りなく多様なあらゆる国家に対し、あまねく適用されうる最小限の抽象的指針だけを提示する役割を果たす。それでもパリ原則とハンドブックを詳細に見ると、国際社会の良識と卓見が少なからず溶け込んでいることが分かる。最小限の基準とはいえ、パリ原則とハンドブックの勧告を正しく具現している国家人権機構も、現実には見つけ出すのは困難である。一般的にオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの先進国型は、管轄対象があまりに狭く、インド、インドネシアなどの後進国型は、真摯性や独立性が劣り、南ア共和国やフィリピンなどの民主化移行期型は、全般的環境を備えていなかったためである。
  最小限の抽象的基準という避けようのない限界の他にも、パリ原則とハンドブックは、次のような欠陥を持っている。何よりも重大な欠陥は、パリ原則とハンドブックには、人権委員会の根拠法令の立法過程に対する指針が完全に欠如している点である。立法過程と手続が内容と実体に劣らず、いやそれ以上に重要なのが国家人権機構である。韓国の最近の状況が雄弁に語っているように、特別な事情がない以上、人権委員会の根拠法令の立法過程を政府が主導することは望ましくなく、市民社会と国際社会の充分な参加を保障する方向に向かわなければならない。特に国家人権機構の設立が国際的にブームとなっているこの頃は、立法過程に対する一定の国際的指針が切実に要求されている。さもなくば、単純に外交用や装飾用に国家人権機構が創設されることを防止するのは難しい。いわゆる「アリバイ人権機構」の氾濫を防止するためには、パリ原則やハンドブックにおいて、民主的参加と公開的議論の保障を最小限の手続的指針として提示すればよかったのである。次に、パリ原則とハンドブックは、苛酷な人権侵害を経た末に迂余曲折の結果、かろうじて民主化移行期の入り口にたった国家がぶつかる、独特の状況に対する問題意識が明確でない。過去に発生した重大な人権侵害に対する過去清算の要求や、独裁政権下で非正常に肥大化し、一般的に歪曲された国家部門の重さ、特に公安機関の問題について、深刻に悩んだ痕跡が見受けられない。パリ原則には附則(additional principles)の形式で、準司法的権限を持つ国家人権機構に対する特徴が記されているが、最小限、民主化移行期国家の国家人権機構に特徴的な附則も採択されるべきであったという判断である。

五、国家人権機構の立法過程に関する争点 −法務部主導でいいのか?


  韓国の国家人権機構に関する議論は、一九九三年のウィーン世界人権大会に参加した人権団体らにより、一九九三年の夏から始まった。韓国政府は、一九九六年の夏から国際社会に対して人権機構の設立を約束し、本格的資料収集、及び研究検討にあたっているが、金泳三政権では結実を見なかった。金大中政府になって人権機構設立は、九八年六月初めに訪米中、大統領が国際人権連盟から人権賞を受賞したことで急流に乗り始めた。世界人権宣言五〇周年記念日の、九八年一二月一〇日を法制定の目標として設定した政府の方針により、法務部は九八年九月二五日に人権法試案を発表した。九八年は政権交替の元年であり、憲法制定半世紀を迎える年として、人権機構を設置して人権弾圧時代に終止符をうち、人権時代を開くのには、この上ない名分を備えた年であった。しかし政府は、この時限を守ることはできなかった。人権団体の同意を得ることに失敗したためであった。
  韓国の人権団体は、法務部が独自に試案を用意することに対して、最初から明確な反対意志を表明した。その代わりに全国民的関心と参加の中で、民主的で公開的に立法過程を進めようと提案した。すなわち、民間団体の主導と政府の後援により、我々の人権の現実と課題に対する史上最大の人権教育キャンペーンが進められるなかで、政府と民間団体が最初から頭をつきあわせて協議する方式により関連法案を作成した後、国会で全員一致で制定する方法を取ろうと提案したのである。
  元来、重要な法案の基礎と審議は、主務部署の専門家と利害当事者らにより、法案起草委員会を構成して進行するのが慣行である。だが人権法の場合、法務部は人権団体と専門家はもちろん、与党及び関連部署の参加までも完全に排除したまま、独自に試案を用意しだした。こうして作られた法務部試案が、法務部の人権委員会に対する掌握意図を露骨に表すものであることは驚くにあたらない。問題は、その後の数度にわたる修正にもかかわらず、法務部の人権委員会への掌握意図により選択された基本骨格が、そのまま維持されているという点である。
  立法過程を主導する者が、立法内容を左右するということである。法務部の立法過程主導は、二つの側面において重大な問題になっている。まず第一に、捜査業務と矯正業務を担当する法務部は、このような業務を監視する人権委員会に対し、被害意識を持ちやすいという点である。したがって法務部は、人権委員会の機能と権限をできるだけ縮小する方向に動きがちである。このような視点で見ると、いかなる国であれ関連法案を作る時、法務部に対して主導的地位を許してはならないといえる。第二に、法務部はどこにおいても強大な権力を持つという点である。特に権威主義国家や民主化移行期国家の場合、その傾向はより一層顕著である。それゆえ、一旦、法務部が既得権維持の次元で法案を作ったなら、権力でそれを貫徹させる可能性が非常に高い。要するに、人権委員会立法過程への法務部の関与は最大限排除されなければならない。

六、国家人権機構関連立法の内容に関する争点


(1)  法案の名称:人権法か?  人権委員会法か?
  国家人権機構設立法の名称を人権法とするべきか、人権委員会法とするべきか?  韓国政府は人権法という用語を好んでいる。人権法という用語が正当性を持つためには、新しい人権基準を設定する人権実体法的要素が強いか、または人権法と人権学の基本原則を盛り込んだ、人権基本法的性格が明確でなければならない。人権法という名称の独立した法があるニュージーランドとカナダの場合、人権実体法的性格が強い事例である。すなわちこれらの国の人権法は、人権委員会設立法というよりは、多様な差別禁止事由と差別禁止行為を詳細に定めた、差別禁止法的性格が強い。しかし政府の人権法案には、人権実体法的要素として、差別禁止に関する二つの条文があるだけである。かと言って政府の人権法案は、人権関連諸般法令にあまねく適用される人権法総則でも、人権基本法的性格を持つものでもない。
  だとするなら、韓国政府が人権委員会法の代わりに人権法という用語を選択した理由は何か?  二つ推測してみることができる。まず人権委員会法より理解しやすくて、感じが良く、政治宣伝上魅力的なためである。「人権大統領が人権法を作って人権時代を開きます!」現政権の核心たちが人権法という用語を好む理由は、まさにここにあるようだ。一方、法務部は人権法と言ってこそ、人権委員会設立に関する条項でなくとも、あれこれを取り入れることができるため、人権法という用語を選択したものと見られる。この時、法務部が念頭に置いていたのは、国家機関の人権保障義務と役割に関する第二章だったのである。なぜなら人権委員会を、国家機関の人権関連活動を監視、補完する性格の機構として把握する法務部の立場を貫徹するためには、他の立法例においては見られない、第二章の存在が必須であるからである。
  いずれにせよ、人権法という名称は政府案の実質には符合しない。国際的作名例に合せ、大韓民国人権委員会法という名称を付けてこそ無難なのである。

(2)  人権委員会の機能:法務部の隙間補完機構か?
  法体系の隙間補完機構か?
  人権委員会の性格について、法務部はいわゆる隙間補完機構論を展開してきた。国家人権機構の役割は、既存の国家機関を代替したり競合することではなく、既存の国家機関の欠陥と隙間を補完するところにあるというのが、その要旨である。国家人権機構を既存の国家機関全体、あるいは人権保障体制全般の隙間と欠陥を補完する、新しい国家機関として理解する以上、隙間補完機構論自体は間違ってはいない。
  しかし法務部は、隙間機構論の現実的用途を違う部分においている。「隙間機構」と言うと、語感上、重要でない感じがするのが事実である。人権委員会の位相と権限をできるだけ小さくとどめたい法務部としては、うってつけの用語を探し出したわけだ。特に国家人権機構の場合、ちっぽけな隙間でも埋めて置く、重要でない機構であるため、敢えて国家機関の位相を持つ必要がないという主張につながりうる。しかしながら国家人権機構が埋めるべき隙間は、ある一国家機関が残した小さな隙間でなく、既存法体系全体、あるいは既存国家機関全体が残してきた、とても大きな隙間であるという点を認識する必要がある。この場合、隙間機構であるがゆえに国家機関でなくても関係ない式の主張は成立しえないであろう。
  韓国の場合、既存の人権保障体制において目立つ弱点は、第一に人権法令と制度の改善のために必要な、調査研究諮問機関がないこと、第二に人権意識の高揚のために必要な、人権教育広報機関がないこと、第三に人権侵害事案に対する簡易、迅速な救済手順がないこと、第四に国際人権機構と国内人権団体に、開放的で友好的な機関がないこと、という点ではないかと考える。このような隙間を埋めるために人権委員会を設置しようというものであり、その場合、人権委員会の主要業務は、人権関連法令、制度、政策、慣行に対する調査研究諮問業務、人権意識鼓吹のための教育広報業務、人権侵害に対する簡易迅速な救済業務、そして国際人権機構及び国内外人権団体との交流協力になるはずである。人権委員会のこのような活動により、既存国家機関等の業務遂行がより人権によりそった形に変化すること、これが人権委員会にかける私たちの期待である。そのとおり。人権委員会は隙間を埋める。しかしその隙間は既往の人権保障体制全体の隙間として、この隙間を防止することは憲法と国家全体の次元において、重大な意味を持つ。したがって正しく理解するところの隙間機構論は、人権委員会を最高位の国家機関、すなわち憲法機関として設置しようという主張の論拠になりこそすれ、特定国家機関の隙間補助機構ほどのものでしかない、特殊法人として人権委員会を設置しようという主張の論拠にはなり得ない。

(3)  人権委員会の位相:国家機関か?  特殊法人か?
  国際的に見ると、韓国の人権法論争の最も大きな特徴は、人権機構を国家機関にするのか、でなければ特殊法人にするのかが、最も熾烈な核心争点となったということにある。国内的にも、これまで無数の法定機構を作りながら、類似の論争が全くなかったという事実に照らす時、たいそう異例的であるという点では同じである。
  法務部は、はじめから一貫して人権委員会を国家機関とすることに反対し、いわゆる半官半民形態の、特殊法人が望ましいという立場を堅持してきた。法律によって設置され、国家税金よって運営されるが、国家の外側に存在するという意味で、半官半民機構が適しているという説明であった。
  法務部はその理由として様々なことをあげているが、要するに特殊法人にしてこそ、人権委員会の独立性と実効性が保障されうるというのである。これに対して民間団体らは、特殊法人形態に固執する法務部の思惑が、主務官庁として人権委員会に有形無形、直接間接の影響力を行使するところにあるとして、このようになれば猫に魚屋を任せるのと同じだと主張してきた。
  複雑な議論をするまでもなく、人権委員会を主務官庁に君臨させたいからではなく、人権委員会の独立性を保障するために、特殊法人形態に固執するという法務部の主張は常識に外れるものである。法務部の捜査、及び行刑業務を監視することになる人権委員会の独立性と実効性のために、法務部があらゆる疑惑と批判を甘受してまで、我を張る理由は全くないためである。
  法務部は、国家人権機構が政府から独立するためには、国家の外側に存在するよりほかないと主張している。だがこれは、論理的飛躍である。なぜなら、憲法機関や統合放送法案の放送委員会のように、国家の中に国家機関として存在しながらも政府から独立することが可能であるかと思えば、各種公企業のように、国家の外側に存在しながらも政府に隷属することがいくらでも可能なためである。要するに実際の関係を確かめもせず、国家の外にある別個の個体という理由だけで、独立性があるかの様にいうことはできない。
  法務部は、国家機関とする場合、官僚主義が心配されるため好ましくないというが、こういう理由ならば、法院も、公正取引委員会も、労働委員会も、苦情処理委員会も、女性特委も、みな特殊法人に変えるべきである。もちろん官僚主義に染まらないよう、人権委員会主体の気風と文化を作っていくことは必要である。公務員数を増やすことができないから国家機関にできないというのも、国政弘報処と中央人事委を国家機関として新設し、国民権利救済委員会と国家警察委員会を新規国家機関として提案した現政権の口からは、出しえない主張である。いわんや予算云々をやである。民間寄付金を受けて予算を節減できるので、特殊法人が好都合だというが、いざ誰がどれくらい寄付金を出すか、疑問がなくはないし、人権保障のように重要な公務を寄付金を受けて処理するという発想に、開いた口がふさがらない。
  法務部はまた、人権機構を国家機関にすると他の国家機関を見逃しやすいため、あまり効果的でないと主張する。だがこういう論理ならば、監査院、検察などの司正機関は、皆特殊法人に転換しなければならなくなる。最後に法務部は、国連人権センターが編集して出した、国家人権機構ハンドブックの一節、すなわち人権委員会に政府と別個の法人格を附与することが望ましいという一節をひいて、特殊法人を擁護する。だがこの一節の意味は、人権委員会が独自に財産も取得し、独自に訴訟も遂行できるようにすべきであるという意味であって、人権委員会を我が国でいうところの特殊法人、すなわち行政府の下位補助機構として独立性を害せよということではない。
  ここで特殊法人に反対する論拠を検討してみる。本来特殊法人は、国家官僚制が遂行するには適合しない、事業的性格の国家業務を遂行するのにふさわしい組織形式である。人権保障は、事業的性格がないだけでなく、国家の外側の特殊法人に任せるには、あまりに重要な国家業務である。このように見る時、人権委員会の業務は国家機関が公務員と正規予算を使用して遂行するべきである。
  特殊法人に反対する最大の理由は、その性質上特殊法人は、政府から独立が不可能だというところにある。国家の外側において、国家の業務を委任されて遂行する特殊法人に対しては、国家が一定の指揮、監督をするのが当然である。その結果特殊法人のある所には必ず指揮、監督の主体として主務官庁があるものであり、人権委員会の場合、法務部が主務官庁になる。こうなると人権委員会は、法務部の直接、間接、有形、無形の干渉と介入から抜け出す方法はない。より具体的にいうと、韓国の法体系上、主務官庁は特殊法人の設立と構成、組織と人選、予算と業務全般を統制、監督する権限を与えられる。このように見る時、法務部が人権委員会を特殊法人とすることに固執する理由は、明きらかに主務官庁として人権委員会の上に君臨しようとするところにある。要するに特殊法人は、法務部の主張とは正反対に、主務官庁の国家機関に対する従属の法形式として、独立性が生命の人権委員会とは両立しえない組織形式である。
  実際、政府の人権法案は、人権擁護業務の主務官庁が法務部であり、人権委員会は法務部の下位補助機関という大前提に忠実に設計されている。例えば、法案によると人権委員会は毎年、前年度の活動状況に対する年次報告書を大統領と国会に報告する反面、法務部は人権委員会の報告書などを参考にして、総合的人権改善対策を大統領に報告するように規定されている。
  また委員会のあらゆる活動と決定は、法務部長官に通報するようになっている。ひいては法案によると、法務部長官は設立過程を独占するようになっている。すなわち、法務部が人権委員会の設立委員七人を全員推薦し、設立定款も認可するように規定しているものである。また人権法案は人権委員会の調査方法、予算関連事項運営と活動に関連した一三の事項を大統領令に委任しているので、実際に大統領令を作る責任は当然主務官庁の法務部が持つようになる。最後に人権委員会は、毎年法務部長官に出捐(寄付)金交付要求書を提出して予算を充当する。法案には、法務部長官が減額調整出来ないように規定されているが、主務官庁の地位を利用して、実務慣行上いくらでも予算過程に実質的に介入、関与する道が開けるようになる。
  問題は、特殊法人形態をとった瞬間、法理上これら全ての規定が不回避に要求されるという点である。一般的特殊法人の場合、主務官庁はより多くの権限を持つものである。それも独立性が生命というのだから、人権委員会に対しては多くの譲歩を繰り返し、主務官庁の法務部の権限を最大限に縮小して規定しておいたのが、この程度である。一言でいうならば、特殊法人形態は人権委員会の独立性とは到底両立しえない。

(4)  人権委員会の構成:高位化か?  社会化か?
  パリ原則で確立された構成原則は、政治的、思想的多元性と社会的多様性を最大限に保障せよというものである。より具体的にいうならば、人権の保護と向上に関連する多様な社会勢力が、多元主義的に代表されることができるように保障せよというものである。特に、民間人権団体、労働組合、関係職能団体(法曹、医療、言論、科学など)の代表者、哲学及び宗教思潮の代表者、大学及び専門家らの代表者、議会の代表者らが委員会に参加しなければならず、政府部所の代表者の参加は、諮問や参観次元の審議過程参加に制限される。原則に従う場合、構成は徹底して社会化する。ここには、国家高位官僚出身が割り込む余地はない。移行期国家の場合、国家部門で成長した者は概して権力指向的、官僚主義的であり、腐敗しやすいという点を勘案するならば、このように構成を社会化することは実に望ましく感じられる。
  政府の人権法案によれば、人権委員は大統領、国会議長、大法院長など、三部の首長が三人ずつ同等に推薦するようになっている。推薦人の格を最高に高めることにより、被推薦人の格もついでに高めておいたわけだ。ただし推薦委員会や検証手続はない。政治的多元性に対する配慮は、国会の持分のうち、野党に割愛される一人にとどまる。社会的多様性に対する配慮も、女性を三人以上任命するようにした条項にとどまる。いかなる社会的協議義務も排除したこのような装置では、十中八九、政治色が濃厚な権力指向型の人事や、司法官僚主義に順応した人々が人権委員に任命される可能性が高い。言い換えれば、政府案にしたがう場合、人権委員の高位層化は成功するかもしれないが、人権委員構成の社会化は期待し難い。
  どうするべきか?  まず、人権委員会は属性上、政権の支配や掌握の対象になってはならないという、平凡な真実から出発するようにしなければならない。いわゆる、政権プレミアムが認定できる分野ではないという意味である。だとするなら、大統領の任命権は、形式的任命にとどまるべきである。国民代表機構ではない大法院長の推薦権も、排除されなければならない。代わりに人権団体、労働組合、弁護士団体、大学などが、いかなる形式であれ、実質的意味の推薦権を持つべきである。具体的には、二つの方法が考えられる。一つは、人権保障業務と関連する各界各層の代表者で推薦委員会を構成し、そこで適切な人事を推薦するようにする方式で、今ひとつはパリ原則に列挙されたところにより、推薦団体を確定して推薦権を与える方式であるが、前者の方式が望ましいと判断される。

(5)  人権委員会の調査救済対象:犯罪的人権侵害行為か?
  市民政治的人権一般か?
  政府の人権法案は、人権委員会の調査及び救済対象となる、個別的人権侵害事案を捜査、矯正、福祉施設職員が行いがちな八つの職権乱用型人権侵害行為と一五の事由による差別行為に限定している。すなわち、捜査機関や矯正機関、あるいは福祉施設など多数人保護施設の職員が行う不法逮捕/監禁行為、不法押収/捜索行為、不法郵便検閲/通信情報把握行為、不法私生活撮影公開/秘密漏洩行為、不法拘禁/懲罰行為、不法暴行、脅迫、拷問その他苛酷行為/致死傷行為、侮辱行為/性的羞恥心誘発行為がそれである。
  上で挙げた職権乱用型人権侵害行為は、それ自体が刑法上の犯罪行為として処罰対象になるものであるが、移行期国家や後進国の場合、人権問題の代名詞とされるほど、広く行われているのが事実である。そのため、人権委員会がまさにこのような類型の人権侵害行為を、効果的に根絶するものとして期待されるのも事実である。だとしても、人権委員会の陳情対象を差別行為以外にこのような行為類型に限定することは、人権委員会の機能に対する誤解の産物といわざるをえない。元来刑事犯罪調査は、検察や警察など捜査機関の本領であり、人権委員会の本領ではない。ただ捜査機関等の人権侵害に対して、身内ゆえ厳しく捜査しない傾向に対応し、人権委員会に捜査依頼と告発権を附与しているだけである。人権委員会は、国内法上、刑事犯罪や不法行為に該当するのかが不明な灰色領域の事件について、国際人権法の観点で扱うのが本領だといえる。だが政府案の制限的列挙主義により、人権委員会はこのような領域に対する先進的基準を発展させる、当然の機会さえ奪われることになり、このような点において非常に望ましくないといえる。また、捜査機関などで発生する権力乱用型人権侵害犯罪行為を正確に調査するためには、人権委員会が強力な独立性と充分な調査権限で武装されていなければならない。陳情対象を権力型人権侵害行為に限定しながら、その調査にまさに必要な独立性と調査権限の附与に消極的な態度は、矛盾しているといわざるを得ない。
  差別行為も陳情対象になる。すなわち、合理的な理由なしに、性別(出産、妊娠を含む)、宗教、年齢、障害、社会的身分、人種、皮膚色、出身国家、出身民族、出身地域、出身学校、容貌などの身体条件、婚姻有無、家族状況、政治的見解によって雇用、財貨/用役/交通手段/商業施設/土地/住居施設の供給や利用、教育施設や職業訓練機関の利用において、特定人を優待、排除、区別したり、不利に待遇する行為を差別行為として規定して禁止しており、このような差別行為が発生する場合、陳情を提起できると規定している。外国の立法例と異なり、出身地域と出身学校を差別禁止事由と規定したことが目につく点であるが、思想、性的趣向、赦免になった前科記録、兵役などが差別禁止事由から脱落していることは理解しがたい点である。また、いわゆる公安事犯に対してのみ適用される、遵法誓約書の提出条件付き行刑恩恵付与など、国家機関による差別行為に対しては、人権委員会に対して陳情出来ないことも問題である。これは、陳情対象を職権乱用型人権侵害行為と、私的領域の差別行為に限定した結果である。
  こうして見ると、政府案のように陳情対象を極端に狭く限定せずに、最小限の国家及び私人による平等権の侵害行為、及び国家機関の市民政治的人権侵害行為に対しては、人権委員会の調査と救済が可能なように規定することが望ましい。参考までにパリ原則とハンドブックは、人権委の権限が最大限に広範囲となることを要求している。また原則的には、市民政治的人権は勿論、経済社会文化的人権も侵害時陳情対象になりうるという。なぜならば、「あらゆる人権が国際法上同等な不可分の位相を持つだけでなく、社会経済文化的人権侵害に対しても、記録と調査が同じく可能」であるためである。現実の立法例をみても、人権委員会の調査及び救済対象を、憲法上の基本権一般、批准した国際条約に保障された人権全般、あるいは市民政治的人権などに幅広く規定している場合が大部分である。

(6)  人権委員会の調査権限:調査拒否時過怠金か?
  罰金か?
  政府の人権法案によれば、人権委員会の調査権には多くの制約が可能である。まず調査の具体的な方法と手続、調査方法の優先順位などが、法務部が定める大統領令に委任されており、問題である。また調査対象機関が、委員会の出席要求や資料提出要求などに応じなかったり、現地調査を拒否、妨害する場合、事後に過怠金だけを賦課できるようになっているため、当事者が過怠金納付を甘受しても、調査を拒否する場合は委員会の調査を貫徹させる方法がない。また当事者が調査に応じたとしても、陳述や提出資料の真実を保証する何の装置もない。したがって、少なくとも調査拒否時に、刑事処罰が可能な規定をおくべきであろう。また現地調査時、収容者や服役者と秘密裏に面会できる権限を保障すべきであろう。
  より重大な問題は、国家機関の調査拒否事由が広範囲に規定されていて、調査対象国家機関がその気になれば、いくらでも調査を拒否できるという点である。すなわち、国家安全保障、国防、統一、外交関係など、国家の重大な利益を害する恐れがある場合は勿論、捜査、裁判、刑執行に関する資料や物品として公開する場合、進行中の犯罪捜査や継続中の裁判に重大な支障を招く恐れがあったり、事件関係人の名誉や私生活の秘密、あるいは生命、身体の安全を害する憂慮がある場合、あるいは捜査方法上の機密が漏洩する恐れがある場合には、関係国家機関の長が確認書を一枚提出すれば調査を拒否できるようにしているためである。このように、漠然として広範囲な理由により、それも調査対象機関長の判断によって調査を拒否できるように規定してあるため、調査拒否権が乱用される可能性が非常に高い。人権委員会の調査権と他の法益間の均衡問題は、調査の内在的限界に関するものであるので、人権委員会の自主的判断に任せるべきである。したがって対案としては、国家機関の長に調査拒否事由を釈明するようにし、人権委員会はこれを参酌して調査方法を議決し、これにしたがうようにしたらどうだろうか。
  参考までに、調査権に関してパリ原則とハンドブックは、「いかなる場合であろうと、陳情内容が根拠あるものであるのか、またそうであるならば誰が責任を負うのかを明らかにすることができる程度の法的権限が必要である」という原則から出発している。その結果ハンドブックは、調査に必要な公文書、その他あらゆる文書に対して自由に接近できる権限、関連情報の提出を強制する権限、聴聞に召還する権限、証人に対して起訴を免除できる権限、必要ならば誰でも聴聞できる権限、証人を召還して出席を強制できる権限、宣誓下に口頭あるいは文書で証拠を受理する権限、公共機関から必要な文書と資料を求める権限などを、最小限の必要権限として例示している。

(7)  人権委員会救済決定の効力:是正勧告か? 是正命令か?
  人権委員会に対し、是正勧告権以外に是正命令権を附与するか否かは、法政策的問題である。韓国では、公正取引委員会や労働委員会のように、私人に対して是正命令権を持つ行政委員会が、既に少なくない。だが是正命令権を与えると、第二の憲法裁判所化が憂慮されるという法務部の主張に押されて、人権委員会には是正命令権がない。是正命令権を附与しても、当事者がいくらでも不服として法院で争うことができるため、第二の憲法裁判所云々は言いがかりに過ぎない。最終審の機能を遂行する憲法裁判所とは異なり、人権委員会は、わずかに予審の機能を果たすに過ぎないためである。
  参考までに、人権委員会に是正命令権を与えても構わないというのが、パリ原則とハンドブックの一貫した立場である。「是正命令権を与えると、人権侵害処理に関する委員会の権限が大幅に強化されるため、人権機構に役立つ」というものである。

七、韓国立法論争の教訓結びにかえて


  国家人権機構をめぐる韓国の立法論争は、次のような教訓を与えている。まず第一に、人権委員会法の制定においては、立法過程の民主性と透明性が重要だという点である。人権委員会の業務の性格上、捜査当局、矯正当局、公安情報当局、軍当局などは、人権委員会の設立を喜ぶ理由がない。むしろ人権委員会の位相と権限を縮小することに、利害は一致する。したがって、人権団体と民間専門家らが主導的に参加するなかで、透明な手順に従って法案が作られない限り、アリバイ用の弱体人権委員会が誕生する可能性は一〇〇パーセントである。特に、法案作成及び人権委員会設立を、捜査及び行刑業務の総本山である法務部が主導するのは困る。これに関連して、立法過程に対する国際的指針が必要である。現在パリ原則は、立法内容に対する国際的指針を含んでいるだけなので、立法過程に対する指針を、一日も早く補完すべきであろう。
  第二に、自国の司法制度と人権現実に対する深い理解なくしては、説得力のある法案を作り出すことは非常に難しいという点である。特に捜査機関、情報機関、矯正施設、福祉施設による人権侵害を効果的に調査、救済する方法を規定する際に、その傾向は顕著である。民主化移行期国家では、一般的にこれら権力機関による人権侵害の根絶が、最優先の人権課題として認識されるようになっている。したがって、人権団体は人権委員会の役割を、人権特別検査や捜査機関監察委員会として設定し、この役割を効果的に遂行するのに必要な、強力な権限を与えるべきだと考える。例えば、令状発付権を与えるなり、虚偽陳述を処罰するような方法である。だがこういう場合、外国の立法例がないという問題と、法理上無理が伴うという問題にぶつかり、希望どおりにはいかないものである。実際に、参考に値する立法例や国際基準も見当たらない。先進国の差別委員会型立法例や、後進国のアリバイ用立法例は、共にこのような問題意識が欠如しているためである。韓国の人権団体は、韓国こそが移行期国家に独特の効果的な人権機構を出現させる歴史的責務があるという考えにより、法務部との困難な闘いに耐えてきたのである。

(徐勝訳)

付記 二〇〇〇年八月二四日、韓国政府は人権委員会を独立的な非政府組織として設立するという立法予告を行った。これに対し市民団体は、国家機関にすることを要求して一斉に反発した。今期国会で法案の通過をめぐり大きな波乱が予想される。 (訳者)