立命館法学 2000年2号(270号) 85頁




ドイツ処罰妨害罪に関する一考察(一)

− ドイツ刑法二五八条五項について −


豊田 兼彦


 

は じ め に

第一章  ドイツ処罰妨害罪の歴史的概観−予備的考察−
  第一節  前      史
    一  ロ ー マ 法
    二  ド イ ツ 法
  第二節  犯罪庇護の形成
    一  事 後 従 犯
    二  一八世紀の状況
    三  一九世紀の状況
  第三節  処罰妨害罪の独立
    一  人的庇護の形成
    二  一九七四年刑法典施行法による処罰妨害罪の独立    (以上本号)

第二章  自己庇護の不処罰

第三章  ドイツ刑法二五八条五項成立の背景とその役割

むすびにかえて



は  じ  め  に


  犯人蔵匿罪(刑法一〇三条)、証拠隠滅罪(同一〇四条)では、犯人が自ら逃げ隠れしたり、自己の刑事事件に関する証拠を隠滅しても、不可罰とされている(「自己庇護」の不処罰)。両罪はそれぞれ、他人の蔵匿、他人の刑事事件の証拠の隠滅を要件としているからである。では、自己庇護が同時に他人の蔵匿、他人の刑事事件の証拠の隠滅にもあたると考えうるような場合、あるいは、他人を教唆して自己を蔵匿してもらったり、証拠を隠滅してもらう場合は、どうであろうか。前者の問題は、これまでにも、共犯者の蔵匿、共犯者の証拠の隠滅の問題として議論されてきた。しかし、学説の対応は一致しておらず(1)、判例もその立場を明確にしていない(2)。後者の問題についても、判例は教唆犯成立説で一貫しているものの(3)、学説は教唆犯成立説と不成立説とが厳しく対立している(4)
  これに対して、現在のドイツでは、判例、学説いずれにおいても、この問題は一応の解決をみている。一九七四年の刑法改正において、わが国の犯人蔵匿、証拠隠滅罪に相当する処罰妨害罪(Strafvereitelung)が二五八条に規定された際に、あわせて、この問題の解決策も立法化されたからである(二五八条五項(5))。わが国には、現行ドイツ刑法二五八条五項について論じた文献はみあたらないが、それがどのような背景から生まれ、どのような役割を果たしているのかを解明することは、このような規定をもたないわが国の議論にとっても有益であろうと思われる(6)
  以下では、まず予備的考察としてドイツ処罰妨害罪の沿革を概観し(第一章)、ついで二五八条五項の前提となっている自己庇護の不処罰について考察したあと(第二章)、現行ドイツ刑法二五八条五項が成立した背景とその役割について、判例、学説を素材に分析する(第三章(7))。

(1)  共犯者を蔵匿し、または隠避させる行為について、証拠隠滅罪の成立を肯定する見解はみあたらない。共犯者も自己の刑事事件の証拠にあたると解されているからである。西田典之『刑法各論』(一九九九年)四三三頁、大谷實『新版刑法講義各論』(二〇〇〇年)五九〇頁。しかし、犯人蔵匿罪の成否については見解が分かれている。成立説として、青柳文雄『刑法通論U各論』(一九六三年)一〇九頁、前田雅英『刑法各論講義』(第三版・一九九九年)四六一頁、木村光江『刑法』(一九九七年)四二一頁、森本益之「判批」判例時報一〇八二号(一九八三年)二一〇頁(判例評論二九五号六四頁)など。なお、山口厚『問題探究刑法各論』(一九九九年)二九四頁以下。不成立説として、西田・前掲注(1)四三三頁、林幹人『刑法各論』(一九九九年)四六〇頁(ただし「もっぱらその共犯者のために行為した場合のほかは」という限定が付されている)、伊東研祐『現代社会と刑法各論(第三分冊)』(二〇〇〇年)四五三頁、高橋則夫「共犯者による犯人蔵匿罪の成否」松尾浩也・芝原邦爾・西田典之編『刑法判例百選U各論』(第四版・一九九七年)二三五頁など。
    自己と共犯者とに共通の証拠を隠滅する行為については、証拠隠滅罪の成否が争われている。学説は、肯定説、否定説、限定肯定説(もっぱら共犯者のために隠滅したときは本罪の成立をみとめる見解)の三つに分類されている。肯定説として、青柳・前掲注(1)二六頁。否定説として、西田・前掲注(1)四三三頁、平野龍一『刑法概説』(一九七七年)二八六頁、中山研一『刑法各論』(一九八四年)五二八頁、中森喜彦『刑法各論』(第二版・一九九六年)三一七頁など。限定肯定説として、大谷・前掲注(1)五九〇頁、前田・前掲注(1)四六四頁、木村・前掲注(1)四二二頁、林・前掲注(1)四六一頁、団藤重光『刑法綱要各論』(第三版・一九九〇年)八六頁、福田平『全訂刑法各論』(第三版・一九九六年)三〇頁、大塚仁『刑法概説(各論)』(第三版・一九九六年)五九七頁、藤木英雄『刑法講義各論』(一九七六年)四二頁、曽根威彦『刑法各論』(新版・一九九五年)二八六頁、平川宗信『刑法各論』(一九九五年)五四三頁、齊藤信宰『刑法講義〔各論〕』(第三版・二〇〇〇年)五四二頁、船山泰範『刑法』(一九九九年)四一四頁など。現在は否定説と限定肯定説の争いといってよいであろう。なお、学説の状況については、仲家暢彦「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪」大塚仁・河上和雄・佐藤文哉・古田佑紀編『大コンメンタール刑法・第六巻』(第二版・一九九九年)三一四頁以下も参照(そこでは学説は四つに分類されている)。

(2)  共犯者の蔵匿を扱った大審院、最高裁の判例はみあたらない。ただし、下級審には、蔵匿行為のほうが刑事司法作用の侵害の度合いが強く、証拠隠滅罪としては期待不可能でも、犯人蔵匿罪としては期待可能性をみとめうるとして、犯人蔵匿罪の成立をみとめたものがある(旭川地判昭和五七年九月二九日刑月一四巻九号七一三頁)。
    他方、共犯者と共通の証拠の隠滅について証拠隠滅罪の成立をみとめた大審院の判例はいくつかあるが、どのような場合に本罪が成立するかについては、必ずしも態度を明確にしていない。大判大正七年五月七日刑録二四輯五五五頁は、一般論としては、自己が共犯者であることは本罪成立の妨げにならないとしているが、実際には、自己のためでなく共犯者のために証拠を隠滅したことを理由として、証拠隠滅罪の成立をみとめている。そのほか、大判大正八年三月三一日刑録二五輯四〇三頁、大判大正八年四月一七日刑録二五輯五六八頁、大判昭和七年一二月一〇日刑集一一巻二一号一八一七頁、大判昭和一二年一一月九日刑集一六巻二二号一五四五頁などの関連判例があるが、それらをどう整理し評価するかについて、学説は必ずしも一致していない。注(1)に掲げた文献のほか、香川達夫「犯人蔵匿及び証憑湮滅の罪」団藤重光編『注釈刑法(3)各則(1)』(一九六五年)一二五頁以下、愛知正博「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪」大塚仁・川端博編『新・判例コンメンタール刑法4罪(1)』(一九九七年)一三一頁以下参照。最高裁の判例はみあたらないが、下級審には、もっぱら他の共犯者のために証拠を隠滅したことを理由に証拠隠滅罪の成立をみとめた広島高判昭和二九年六月四日高刑集八巻四号五八五頁、自己の利益のために証拠を隠滅するときは、たとえそれが同時に共犯者の利益になるとしても証拠隠滅罪を構成しないとして無罪を言い渡した東京地判昭和三六年四月四日判例時報二七四号三四頁がある。

(3)  犯人蔵匿罪に関するものとして、大判昭和八年一〇月一八日刑集一二巻一八二〇頁、最決昭和三五年七月一八日刑集一四巻九号一一八九頁、最決昭和四〇年二月二六日刑集一九巻一号五九頁、最決昭和六〇年七月三日判例時報一一七三号一五一頁。証拠隠滅罪に関するものとして、大判昭和一〇年九月二八日刑集一四巻九九七頁、最決昭和四〇年九月一六日刑集一九巻六号六七九頁。最近の下級審判例として、札幌地判平成一〇年一一月六日判例時報一六五九号一五四頁。なお、仲家・前掲注(1)三〇四頁、三二二頁、愛知・前掲注(2)一二七頁以下、一三八頁以下参照。

(4)  教唆犯成立説として、団藤・前掲注(1)九〇頁、福田・前掲注(1)三四頁、大塚・前掲注(1)六〇一頁、藤木・前掲注(1)四〇頁、四三頁、前田・前掲注(1)四六二頁、四六六頁、木村・前掲注(1)四二〇頁、四二三頁内田文昭『刑法各論』(第三版・一九九六年)六五二頁、六五七頁、香川達夫『刑法講義(各論)』(第三版・一九九六年)八八頁、佐久間修『刑法講義(各論)』(一九九〇年)二七二頁、佐伯千仭『共犯理論の源流』(一九八七年)二九一頁、藤永幸治「犯人が他人を教唆して自己を隠避させる場合の罪責」研修三七九号(一九八〇年)七一頁など。なお、中森・前掲注(1)三一九頁。
    不成立説として、平野・前掲注(1)二八五頁以下、中山・前掲注(1)五三二頁、大谷・前掲注(1)五八九頁、五九三頁、曽根・前掲注(1)二八五頁、二八七頁、西田・前掲注(1)四三二頁、四三六頁、林・前掲注(1)四六〇頁、齋藤・前掲注(1)五四五頁、中義勝『講述犯罪総論』(一九八〇年)二一八頁、大越義久『共犯の処罰根拠』(一九八一年)二六〇頁、中谷瑾子「犯人による偽証教唆」西原春夫・宮澤浩一・阿部純二・板倉宏・大谷實・芝原邦爾編『刑法判例研究・第七巻』(一九八三年)七二頁、酒井安行「犯人蔵匿罪−犯人等による犯人蔵匿・証拠隠滅・偽証の教唆」岡野光雄編著『刑法演習U(各論)』(一九八七年)二四九頁、虫明満「偽証罪・証憑湮滅罪と共犯」阿部純二・板倉宏・内田文昭・香川達夫・川端博・曽根威彦編『刑法基本講座・第六巻』(一九九三年)三七〇頁など。なお、最決昭和六〇年七月三日判例時報一一七三号一五一頁における谷口正孝裁判官の反対意見。
    現在の学説の争点は、正犯として期待可能性がなくても教唆犯としては期待可能性があると解するか(成立説)、解さないか(不成立説)にある。そして、前者は責任共犯論、後者は因果的共犯論(わが国の惹起説)にそれぞれ依拠しているように思われる。もっとも、因果的共犯論に依拠しつつ教唆犯成立説を支持する見解や(前田、木村、なお藤永)、犯人蔵匿罪については必要的共犯の対向犯の理論から教唆犯不成立を説く見解(谷口)もある。責任共犯論と因果的共犯論について、平野龍一「責任共犯論と因果共犯論」同『犯罪論の諸問題(上)』(一九八一年)一六七頁以下、大越義久「因果的共犯論と責任共犯論」藤木英雄・板倉宏編『刑法の争点』(新版・一九八七年)一一四頁以下、山口厚『問題探究刑法総論』(一九九八年)二三五頁以下参照。なお、「惹起説」の意味について、松宮孝明「『共犯の処罰根拠』について」立命館法学二五六号(一九九八年)七五頁以下、同『刑法総論講義』(第二版・一九九九年)二七三頁以下参照。

(5)  現行ドイツ刑法二五八条はつぎのように規定する。
      第二五八条(処罰妨害)  (1)  他人が違法行為を理由として刑罰法規により刑に処せられ又は処分(第一一条一項八号)を科せられることの全部または一部を、意図的に又は情を知りつつ妨害した者は、五年以下の自由刑または罰金に処する。
      (2)  他人に対して科せられた刑罰又は処分の執行の全部又は一部を、意図的に又は情を知りつつ妨害した者の処罰も、前項と同じである。
      (3)  その刑は、本犯について定められた刑よりも重いものであってはならない。
      (4)  これらの罪の未遂犯は、これを罰する。
      (5)  自己が刑に処せられ、若しくは処分を科せられること、又は自己に科せられた刑罰若しくは処分が執行されることの全部又は一部を、その行為によって同時に妨害することを意図した者は、処罰妨害罪によっては処罰しない。
      (6)  本条の行為を親族のために行った者は、これを罰しない。
    訳語は、法務大臣官房司法法制調査部『ドイツ刑法典』(法務資料四三九号・一九八二年)一七三頁、十河太朗「犯人蔵匿罪と証憑湮滅罪の限界に関する一考察−『隠避』概念の検討を中心として−」同志社法学四六巻五号(一九九五年)九五頁を参照。なお、"Strafvereitelung"は「刑を無効化にする罪」と訳されることもあるが(「法務資料」など)、本稿では、「処罰妨害罪」の方がより適切と考え、このように訳すことにした(十河・右論文、団藤・前掲注(1)七九頁など参照)。

(6)  たとえば、共犯者と共通の証拠の隠滅について、現在のわが国では証拠隠滅罪否定説と限定肯定説とが対立し、そこでの対立点は「もっぱら共犯者のために証拠を隠滅する場合をどうみるか」にあるが(注(1)参照)、ドイツの判例はすでにライヒ裁判所の時代にこの問題に対する解答を示している(RGSt 21, 375)。さらに、自己庇護の目的も含むが主たる目的は共犯者の庇護にある場合、実際には犯罪を行っていないのに自分にも刑事訴追が及ぶと誤信して他人を庇護した場合(錯誤事例)、犯人庇護の前提となる犯罪(本犯)は異なるが一方が暴露されれば他方も暴露されるおそれがある状況下で他の犯罪者を庇護する場合(本犯の同一性の問題)など、わが国の学説では意識的に論じられてこなかった諸問題も扱われている(RGSt 60, 101;63, 233)。これらの判例はBGHにも受け継がれ(BGHSt 2, 375)、二五八条五項の成立に大きな影響を与えた(なお、成立後の判例として BGH NJW 1984, 135;NJW 1995, 3264;NStZ 1998, 245 など)。とりわけ錯誤事例や本犯同一性の問題は、わが国の判例にもあらわれており(前者を扱ったものとして浦和地判昭和四七年九月二七日刑月四巻九号一五六九頁、両者にかかわる判例として大判昭和一二年一一月九日刑集一六巻二二号一五四五頁)、これに関連するドイツの判例・学説から学ぶべきことは少なくないように思われる。

(7)  ドイツでは、処罰妨害罪は必要的共犯と考えられている。Vgl. etwa Hans−Heinrich Jescheck/Thomas Weigend, Lehrbuch des Strafrechts, Allgemeiner Teil, 5. Aufl., 1996, S. 697;Claus Roxin, in:LK, 11. Aufl., 1993, Vor § 26 Rdn. 35, 39;Gu¨nther Jakobs, Strafrecht, Allgemeiner Teil, 2. Aufl., 1991, S. 696. その意味では、本稿の考察は必要的共犯「各論」であり、筆者が前に発表した必要的共犯に関する論稿の延長線上にある。拙稿「必要的共犯についての一考察」立命館法学二六三号一八五頁、二六四号八〇頁、二六五号六一頁、二六六号四六頁(一九九九年)参照。


第一章  ドイツ処罰妨害罪の歴史的概観
−予備的考察−

  現行ドイツ刑法二五八条五項を分析する前提として、本章では、ドイツ処罰妨害罪の歴史を概観する。あらかじめ、そのアウトラインを示しておこう(1)
  処罰妨害罪の起源は、中世イタリア法学の事後従犯(auxilium post maleficium)に求められている。事後従犯の観念は普通刑法時代のドイツを支配したが、一八世紀に入り因果性の思想が広まると、やがて本来の共犯とは区別されるようになる。こうして、犯罪庇護(Begu¨nstigung)が観念されるようになった。さらに、一八五一年のプロイセン刑法典では、犯罪庇護の規定の内部で、犯人を刑事訴追から免れさせる人的庇護(perso¨nliche Begu¨nstigung)と、犯行から得られた利益を犯人に確保させる物的庇護(sachliche Begu¨nstigung)とが区別された。もっとも、一九世紀の各領邦の刑法典では、犯罪庇護はいぜん総則共犯の章の中に規定されており、事後従犯としての性格は完全には払拭されていなかった。はじめてこれを各則上の犯罪としたのは、一八七一年のドイツ帝国刑法典である。そして、一九七四年の改正で、犯罪庇護のうち人的庇護の部分が独立してできたのが、現在の処罰妨害罪(Strafvereitelung)である。
  このように、今日の処罰妨害罪は、共犯の一種である事後従犯から共犯とは区別された各則上の犯罪(犯罪庇護)へと発展し、そこから人的庇護の部分が独立して成立したものである。もっとも、事後従犯以前にも、各種の処罰妨害が個別的な規定によって処罰されていた。以下では、まず事後従犯が登場する前のローマ法およびドイツ法の状況を確認し(第一節)、ついで事後従犯から犯罪庇護が形成されるまでの過程をたどり(第二節)、最後に犯罪庇護のうちの人的庇護が独立して処罰妨害罪として規定されるまでの経緯を概観する(第三節(2))。

(1)  ドイツ処罰妨害罪の歴史的展開を知る上で有益な邦語文献として、団藤重光『刑法綱要各論』(第三版・一九九〇年)七九頁、小野寺一浩「犯人蔵匿罪について」法学四八巻三号(一九八四年)一一八頁以下、十河太朗「犯人蔵匿罪と証憑湮滅罪の限界に関する一考察−『隠避』概念の検討を中心として−」同志社法学四六巻五号(一九九五年)九三頁以下など。ドイツの教科書としては、Reinhart Maurach/Friedrich−Christian Schroeder, Strafrecht, Besonderer Teil, Teilbd. 2., 6. Aufl., 1981, S. 320ff. が詳しい。ドイツ処罰妨害罪の歴史をローマ法までさかのぼって詳細に検討した最近の文献として、Udo Ebert, Die Strafvereitelung. Zu ihrer strafrechtsgeschichtlichen Entwicklung und ihrer gegenwa¨rtigen Konzeption, in:ZRG Germ. Abt. Band 110, 1993, S. 1ff. がある。本章の考察は、これらの文献に負うところが大きい。なお、ドイツ刑法全体の歴史については、大塚仁『刑法概説(総論)』(第三版・一九九六年)九頁以下、内田文昭『刑法概要・上巻(基礎理論・犯罪論(1))』(一九九五年)四六頁以下を参照。
(2)  以下、本稿では、犯罪庇護、処罰妨害の前提となる犯罪行為(Vortat)および犯罪者(Vorta¨ter)を、通常の例にならって「本犯」と呼ぶことにする。


第一節  前      史

  一  ローマ法
  ローマ法では、処罰妨害という一般概念は存在しなかったが(1)、各種の処罰妨害のうち一定のものは、個別的な規定によって処罰されていた(2)
  帝政時代に現れた receptatio(receptio;crimen receptatorum)もそのひとつである。これは当時、政治的社会的混乱に乗じて窃盗、強盗などの悪事が横行したため、刑事政策的な理由から、今日の犯人蔵匿と賍物収受にあたる行為を処罰したものである(3)。そこで予定されていた本犯は、強盗、家畜どろぼう、殺人、婦女誘拐など、特定の犯罪に限られており、かつそれぞれが個別的に規定されていた(4)
  receptatio のほかにも、逮捕可能な強盗または自己の支配下にある強盗を、利欲その他の動機から逃走させ、または司法機関に引き渡さなかった者が処罰されていた(5)。刑事司法関係者の一定の処罰妨害もすでに可罰的とされていた(6)
  これらはいずれも本犯の共犯としてでなく、独立の犯罪として処罰されていたようである(7)。もっとも、刑罰の面では本犯から完全に独立していたわけではなく、原則として本犯と同一の刑罰が科されていた(8)

(1)  Petra Wappler, Der Erfolg der Strafvereitelung (§ 258 Abs. 1 StGB), 1998, S. 17;Udo Ebert, Die Strafvereitelung. Zu ihrer strafrechtsgeschichtlichen Entwicklung und ihrer gegenwa¨rtigen Konzeption, in:ZRG Germ. Abt. Band 110, 1993, S. 5.
(2)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 17ff.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 5ff. 団藤博士によれば、ローマ法学者は「学問的体系化ではなく、具体的事例に即してこれに妥当な解決をあたえるというカズイスティックな法学」を関心事とし、「概念や定義を極力避けようとし」たということである。団藤重光『法学の基礎』(増補・一九九六年)二六二頁参照。
(3)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 18;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 6;平野龍一「贓物罪の一考察」同『刑法の基礎』(一九六六年)二〇〇頁、高田義文「贓物罪」日本刑法学会編『刑事法講座・第四巻』(一九五二年)八九四頁、中谷瑾子「贓物罪の本質と贓物の意義」阿部純二・板倉宏・内田文昭・香川達夫・川端博・曽根威彦編『刑法基本講座・第五巻』(一九九三年)二九六頁。
(4)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 18;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 7.
(5)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 7.
(6)  罪を犯した被告人のために有罪判決でなく無罪判決を獲得しようとする告訴人、罪を犯した被告人を処罰しない裁判官または過度に軽く処罰した裁判官、被拘禁者を逃走させた看守など。Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 8;Wappler, aaO (Anm. 1) S. 18.
(7)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 7;Karl Binding, Lehrbuch des Gemeinen Deutschen Strafrechts, Besonderer Teil, Zweiter Band, Zweite Abteilung, 1905, S. 632 Anm. 3;高田・前掲注(3)八九四頁。ただし、共犯の一種とみる見解もある。Vgl. Wappler, aaO (Anm. 1) S. 19.
(8)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 19;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 7f.

  二  ドイツ法
  (1)  ゲルマン部族法    五世紀末頃に現れたゲルマン諸部族の法典においても、処罰妨害一般ではなく、個々の処罰妨害が独立に処罰されていた(9)。たとえば、窃盗犯人に宿泊場所または食事を提供した者、スパイを庇護した者、主人を殺した家来を庇護した者、逃走中の犯人を渡河させた渡し守、身柄拘束中の犯人を裁判官から奪取し処罰から免れさせた者、有罪判決を言い渡された犯人を庇護した者、平和追放された者に宿泊場所または食事を提供した者、絞首刑に処せられるべき者を裁判官の許可なしに絞首台から逃走させた者に対して、厳しい刑罰が科されていた(10)

  (2)  中世ドイツ法    処罰妨害に関する規定は、ザクセンシュピーゲル(Sachsenspiegel)、シュヴァーベンシュピーゲル(Schwabenspiegel)などに代表される中世ドイツの諸法典(法書)にも散見される。しかし、ここでも、個別的に可罰性が宣言されるにとどまっていた(11)。具体的にみると、犯人に宿泊場所を提供する行為、犯人に食べ物や飲み物を与える行為、犯人に逃走を促す行為、被告人または有罪判決を受けた者を裁判所の支配から解放し、または脱獄させる行為、真犯人を無罪とする裁判官の行為などが処罰された(12)。多くの場合本犯が特定されており(窃盗、強盗、殺人など(13))、通常は本犯と同一の刑罰が科された(14)

(9)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 21;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 8.
(10)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 9. 刑罰は本犯のそれと同一である場合が多く、なかには死刑が科されたものもあった。これは、処罰妨害は「共同体に対する反抗」であり、本犯と同罪とされていたためと考えられる。Ebert, aaO (Anm. 1) S. 9;平野・前掲注(3)二〇〇頁。
(11)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 21, 23;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 10.;Rudolf His, Geschichte des deutschen Strafrechts bis zur Karolina, 1928, S. 28ff.
(12)  Vgl. Wappler, aaO (Anm. 1) S. 23f.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 10ff.;His, aaO (Anm. 11) S. 30f.
(13)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 10.
(14)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 11;His, aaO (Anm. 11) S. 30f.


第二節  犯罪庇護の形成

  処罰妨害罪の前身である犯罪庇護(Begu¨nstigung)は、右にみたローマ法およびゲルマン部族法等の個別的な処罰妨害規定が一般化されてできたものではなく、中世イタリア法学の事後従犯に由来すると考えられている(1)。本節では、犯罪庇護が共犯(事後従犯)から独立して各則上の犯罪類型とされるに至るまでの歴史を概観する。

(1)  Gisela Dersch, Begu¨nstigung, Hehlerei und unterlassene Verbrechensanzeige in der gemeinrechtlichen Strafrechtsdoktrin bis zum Erlaβ des Reichsstrafgesetzbuchs, 1980, S. 4ff.;Udo Ebert, Die Strafvereitelung. Zu ihrer strafrechtsgeschichtlichen Entwicklung und ihrer gegenwa¨rtigen Konzeption, in:ZRG Germ. Abt. Band 110, 1993, S. 15ff.;Petra Wappler, Der Erfolg der Strafvereitelung (§ 258 Abs. 1 StGB), 1998, S. 26f.;Reinhart Maurach/Friedrich−Christian Schroeder, Strafrecht, Besonderer Teil, Teilbd. 2., 6. Aufl., 1981, S. 321.

  一  事後従犯
  (1)  中世イタリア法学の事後従犯    中世イタリア法学は、正犯者ないし主犯(principalis)とその他の犯罪関与者(participes criminis)とを区別し、従犯(auxilium)を後者に位置づけた。そして、従犯を「時」によって区別した。すなわち、事前従犯(auxilium ante maleficium)、同時従犯(auxilium in maleficio)、および事後従犯(auxilium post maleficium;auxilium post factum)である(2)
  犯罪庇護、とりわけ人的庇護は、事後従犯の一形式として理解された(3)。具体的には、逃走中の犯人に道を教えること、馬を貸すこと、犯人追跡を妨害すること、犯人を保護すること、罪証を隠滅することなどが、ここに含まれていた(4)。事後従犯は従犯の一種であったが、刑罰の面では他の従犯とは区別されていた。すなわち、事前従犯および同時従犯は通常は正犯者と同じ刑罰を科されたのに対し、事後従犯については刑の任意的減軽がなされた(5)
  なお、当時のイタリア法学では、今日の物的庇護ないし賍物罪(Hehlerei)にあたる行為は、事後従犯としてではなく、窃盗罪の一部として扱われたようである(6)

  (2)  カルプツォフ    ローマ法の継受(7)、一五三二年のカロリーナ刑事法典(8)の編纂を経て、ドイツは普通刑法の時代に入った。普通刑法時代初期のドイツ刑法学はイタリア法学から多大な影響をうけた(9)。当時の代表的な学者であるカルプツォフ(Benedict Carpzov)の共犯および犯罪庇護の理論もまた、イタリア法学のそれに依拠していた(10)
  カルプツォフは、窃盗罪との関連で、犯罪庇護を論じている。彼は、イタリア法学にならって、従犯を事前従犯、同時従犯、事後従犯の三つに区分し、犯罪庇護を事後従犯の下に位置づけた。事後従犯の例として、彼はさまざまな人的庇護(処罰妨害)をあげている(犯人の逃走の援助、犯人の蔵匿など)。さらに彼は、中世イタリア法学と異なり、盗品の隠匿、盗品売買の仲介など、物的庇護ないし賍物罪にあたる諸事例も、事後従犯に含めている。
  当時の他の刑法学者と同じく、カルプツォフにおいても、犯罪庇護は事後従犯、つまり従犯の一種として扱われており、概念的にも理論的にも、従犯から独立した存在ではなかった。もっとも、彼は、刑罰の面では、事後従犯を特別に扱った。すなわち、事前従犯および同時従犯については、場合によっては、本犯の刑罰を科すことができるとしたのに対し、事後従犯については、このような扱いは無条件に排斥されるとし、むしろ特別の軽い刑罰のみが許されるとした(11)
  ところで、この時代のドイツの文献には、かの receptatio も登場する。receptatio については、これを事後従犯の下位事例とみる見解、従犯と並立する特別の共犯形式とみる見解、独立の特別犯罪(crimen extraordinarium)とする見解があったが(12)、カルプツォフ自身は、これを事後従犯の下位事例であると同時に、固有の共犯形式でもあるとみていた。刑罰については、事後従犯の場合と同じく、本犯より軽い特別の刑罰が科されるとした。

(2)  Vgl. Wappler, aaO (Anm. 1) S. 26;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 16;Daniel Weisert, Der Hilfeleistungsbegriff bei der Begu¨nstigung, 1999, S. 107;大越義久『共犯の処罰根拠』(一九八一年)一一八頁注(5)。
(3)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 26;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 16;Dersch, aaO (Anm. 1) S.S. 5f.;Maurach/Schroeder, aaO(Anm. 1) S. 320f.;Karl Binding, Lehrbuch des Ggemeinen Deutschen Strafrechts, Besonderer Teil, Zweiter Band, Zweite Abteilung, 1905, S. 631.
(4)  Dersch, aaO (Anm. 1)S. 8;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 16;Wappler, aaO (Anm. 1) S. 27.
(5)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 17.
(6)  Dersch, aaO (Anm. 1) S. 6.
(7)  ローマ法の継受については、ミッタイス・リーベリッヒ(世良晃志郎訳)『ドイツ法制史概説』(改訂版・一九七一年)四四三頁以下参照。
(8)  カロリーナ刑事法典には従犯に関する規定があるが(一七七条)、当時そこに事後従犯(犯罪庇護)が含まれていたかどうかは不明である。Dersch, aaO (Anm. 1) S. 51f.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 18f. 一七七条の関連部分はつぎのとおりである。「ある者が、ある非行者が非行を犯すについて、情を知って、かつ故意に、この者に、何らかの助力、援助または協力(hilff, beistandt oder fu¨rderung)をなしたときは、刑罰を科される(以下省略)」。原文は Dersch, aaO (Anm. 1) S. 170 ;Arno Buschmann, Textbuch zur Strafrechtsgeschichte der Neuzeit, 1998, S. 163 を、邦訳は塙浩『フランス・ドイツ刑事法史』(一九九二年)二二〇頁を参照。
(9)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 20.
(10)  以下に紹介するカルプツォフの見解については、Dersch, aaO (Anm. 1) S. 56ff.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 22ff. を参照。
(11)  このように、刑罰の面では事後従犯(犯罪庇護)を他の従犯と区別しておきながら、犯罪庇護に独立の地位を与えなかったのは、カルプツォフも含め、当時の刑法学者たちの関心が、犯罪構成要件の正確な定義や体系的位置づけよりも、刑罰の基準(通常の刑罰か特別の刑罰か)に向けられていたためとされる。Ebert, aaO (Anm. 1) S. 23.
(12)  事後従犯と receptatio の関係については、Dersch, aaO (Anm. 1) S. 62f. を参照。

  二  一八世紀の状況
  (1)  一八世紀前半までの学説    一七世紀後半にプーフェンドルフ(Samuel Pufendorf)の帰責論(Inputationslehre)が登場すると、しだいに共犯概念は因果性(Kausalita¨t)の観点から理解されるようになった。すなわち、共犯の本質は他人の犯行に対する因果的な寄与、つまり他人の犯罪実行に対する因果的影響にあるとされ、このような共犯の一般概念によって、一方では、これまでばらばらだった共犯の諸形態がこの上位概念の下に統合されるとともに、他方では、これまで伝統的に共犯として扱われてきた行為のうち因果性の観点では説明できないものが共犯の領域から排除されるようになった(13)
  因果的な共犯概念を貫徹するならば、そこには事後従犯(犯罪庇護)は含まれないことになる。共犯の本質が他人の犯行に対する因果的な寄与にあるとすれば、時間的に犯行後に存在し、犯罪の実行それ自体に影響を与えない行為は、共犯(従犯)ではありえないからである(14)
  しかし、伝統的な普通刑法の理論に支えられていた一八世紀前半の刑法学においては、事後従犯はこのようには理解されなかった。原則的に共犯は犯行に対する因果的寄与とされつつも、事前従犯、同時従犯、事後従犯という三分説はなお維持された(15)。事後従犯が固有の共犯の領域から放逐されるのは、一八世紀後半以降のことである(16)

  (2)  一八世紀後半の学説    プーフェンドルフの帰責論を基礎に共犯概念を因果的に構成したアイゼンハルト(Joannes Fridericus Eisenhart)は、因果性が欠けることを理由に、事後従犯は共犯でないとした。さらに、カルプツォフらにより共犯の一種とされていた receptatio について、犯行後はじめて行われる receptatio は共犯ではなく、共犯から独立した固有の犯罪であるとした(17)。ヴェストファール(Ernestus Christ. Westphal)は、より明確に、犯罪庇護は共犯と対置される独立の概念であるとした(18)。もっとも、彼らにおいては、犯罪庇護の固有の性格が積極的に主張されることはなかった。それは、ボェーマー(Joh. Sam. Fried. Boehmer)の登場をまたなければならない。
  ボェーマーは、共犯(concursus ad crimen alterius)の概念の下に位置づけられるのは、犯罪の実現に因果的に寄与する犯行前または犯行時の行為のみであるとし、犯行後にはじめてなされる関与、たとえば盗品の隠匿は、共犯ではないとした。そのような行為は犯罪の実現に何ら寄与するものでなく、犯罪に対して惹起的でないからである(19)。さらに彼は、犯罪庇護は本犯とは異なった固有の性格(不法)をもつことを強調し、犯罪庇護の刑罰は、伝統的な見解のように本犯の性格に依拠して決定されるべきではなく、犯罪庇護それ自体の固有の性格にしたがって決定されるべきであるとした(20)
  しかしながら、ボェーマーにおいても、犯罪庇護が各則上の独立の犯罪類型とされるには至らなかった。彼は、犯罪庇護と固有の共犯(concursus ad crimen alterius)を一つにまとめ、これを広い意味での共犯(societas criminis)としていたのである(21)

  (3)  一八世紀後半の立法    自然法の精神と啓蒙思想に従ったとされる一七九四年プロイセン一般ラント法も、犯罪庇護については伝統的な理解に依拠していた。同法は、職業的な犯罪庇護を、総則中の「他人の犯罪への関与(Theilnehmung an den Verbrechen Anderer)」の部分に、つぎのように規定している(22)
  第八四条  犯人又は不法の利益を隠匿することを業とする者は、犯人自身と同じ規定によって処罰される。
  そのほか、強盗および窃盗罪に関連して、同じく「関与」という表題で、犯罪庇護の特殊事例がいくつか規定されている(23)。以上のような内容と体系的位置づけから、プロイセン一般ラント法は、犯罪庇護は独立かつ固有の犯罪ではなく、他人の犯罪の共犯とみていたと考えられる(24)
  これに対して、テレジアーナ刑事法典(一七六八年)は、犯罪庇護を独立の犯罪として扱い(Art. 3 § 12(25))、法典としてはじめて "Begu¨nstigung" という文言を用いた(Art. 102 § 1(26))。また、犯罪庇護の処罰の理由は、刑罰請求権や原状回復請求権の侵害にあるのではなく、「公共の安全(allgemeine Sicherheit)」の侵害にあるとした(Art. 102 § 3(27))。ここには、犯罪庇護の処罰目的を刑法の一般予防効果の保護に求める、ローマ法の receptatio と共通の、かつ今日でも有力な考え方が、明確にあらわれている(28)

(13)  Vgl. Dersch, aaO(Anm. 1) S. 84f.;Ebert, aaO(Anm. 1) S. 26f.;Eberhard Schmidt, Einfu¨hrung in die Geschichte der deutschen Strafrechtspflege, 3. Aufl., 1965, S. 175f. プーフェンドルフの帰責論と当時の共犯論については、平野龍一「贓物罪の一考察」同『刑法の基礎』(一九六六年)二〇二頁も参照。
(14)  Eb. Schmidt, aaO (Anm. 13) S. 176.
(15)  Vgl. Dersch, aaO (Anm. 1) S. 85ff., 98ff.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 27.
(16)  もっとも、一八世紀後半に伝統的な共犯体系を維持する学説がなかったわけではない。詳細については、 Dersch, aaO (Anm. 1) S. 102f., 106f. を参照。
(17)  Vgl. Dersch, aaO (Anm. 1) S. 101f.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 28f.
(18)  Vgl. Dersch, aaO (Anm. 1) S. 104.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 29f.
(19)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 30f.
(20)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 31.
(21)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 32.
(22)  原文は Buschmann, aaO (Anm.8) S. 281;Wappler, aaO (Anm. 1) S. 31 Anm. 104;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 33 を、邦訳は足立昌勝「プロイセン一般ラント法第二編第二〇章(刑法)(一)」関東学院法学二巻一・二号(一九九三年)一四三頁を参照。
(23)  たとえば、「第一二二七条  官憲の捜査に対して強盗を隠匿した者は(中略)処罰される」。Vgl. Buschmann, aaO (Anm.8) S. 406;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 33.
(24)  Vgl. Dersch, aaO (Anm. 1) S. 116.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 33f. もっとも、裁判官による処罰妨害は、その内容および体系的位置づけから、独立の犯罪として扱われていたと考えられる。Ebert, aaO (Anm. 1) S. 34.
(25)  Vgl. Weisert, aaO (Anm. 2) S. 116f.;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 34.
(26)  Vgl. Weisert, aaO (Anm. 2) S. 117;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 35.
(27)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 35.
(28)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 35f.;Wappler, aaO (Anm. 1) S. 30f. 処罰妨害罪の目的を刑法の一般予防効果の保護に求める見解については、Stefan Seel, Begu¨nstigung und Strafvereitelung durch Vorta¨ter und Vortatteilnehmer, 1999, S. 24ff. を参照。

  三  一九世紀の状況(29)
  (1)  一九世紀の領邦刑法典    一九世紀の領邦刑法典を代表する一八一三年のバイエルン刑法典は、犯罪庇護(Begu¨nstigung)の規定を幇助犯(従犯)の規定とは別に設けたものの(その点では後の立法の先駆といえる)、依然として、犯罪庇護を共犯の一種とみていた(30)。犯罪庇護は、総則の「未遂、過失、共犯(Theilnahme)」の章の中に、幇助犯の規定につづいて、つぎのように規定された(31)
  第八四条  犯罪の終了以前に援助を与えることを約束せずに、犯罪が実行された後に、実行された犯罪に関して、義務に違反する作為または不作為によって犯罪者に援助を与えた者は、犯罪庇護の責任を負う。
  第八五条  犯罪者を宿泊させる者、もしくは匿う者、犯罪者の逃走を援助する者、または犯罪者が実行した犯罪の痕跡もしくは証拠方法の隠滅を助ける者、または、重罪によって得られた物を、情を知りながら、収受し、隠匿し、故買し、売却し、もしくはその他の手段によって他人に与える者は、業として行った場合は第二級の幇助犯と同様に、業として行わなかった場合は第三級の幇助犯と同様に処罰される。
  一八一三年バイエルン刑法典の影響下にあった他の多くの領邦刑法典においても、犯罪庇護は共犯の一種として規定され、あるいは固有の共犯とは区別されつつも総則中の共犯の章ないし節に規定された(32)。もっとも、一八五一年プロイセン刑法典のように、総則中に犯罪庇護を規定しつつも、これに固有の刑罰を科したものもあった。一八五一年プロイセン刑法典は以下のように規定する(33)
  第三七条  重罪もしくは軽罪の行われた後に、行為者を処罰から免れさせるために、または行為者に重罪もしくは軽罪によって得られた利益を確保させるために、情を知りながら、援助を与えた者は、二〇〇ターレル以下の罰金または一年以下の軽懲役に処する(34)
  以上のように、一九世紀の多くの領邦刑法典においては、犯罪庇護は依然として総則中の共犯の章に規定されたが、他方では、犯罪庇護はそれ自体として独立に規定され、あるいは固有の刑罰が科されるようになった。こうした犯罪庇護の独立化の傾向は、一八七一年のドイツ帝国刑法典において、より明確に示されることになる。

  (2)  一八七一年ドイツ帝国刑法典    一八七一年に公布されたドイツ帝国刑法典は、犯罪庇護(Begu¨nstigung)を独立の犯罪類型として記述し、これに固有の刑罰を与え、さらにドイツの刑法典としてはじめて、これを各則に編入した。帝国刑法典は以下のように規定する(二五七条(35))。
  二五七条  重罪または軽罪の行われた後、その正犯もしくは共犯の処罰を免れさせるため、または正犯もしくは共犯にその重罪もしくは軽罪の利益を確保させるために、その情を知りながら、これを援助した者は、犯罪庇護の罪とし、二〇〇ターレル以下の罰金または一年以下の軽懲役に処し、自己の利益のためにこの援助を行ったときは、軽懲役に処する。ただし、その刑は、その刑の種類または量において、本犯について定められている刑よりも、重いものであってはならない。
  もっとも、帝国刑法典二五七条においても、犯罪庇護と共犯(従犯)との結びつきが完全になくなったわけではないとする見方(36)もある。「援助する」(Beistand leistet)という文言は明らかに事後従犯の遺物であるし(37)、刑罰も「本犯の刑よりも重いものであってはならない」というかたちで本犯に従属していたからである。

  (3)  一九世紀の学説    一九世紀の前半は、犯罪庇護を共犯の一形式とみる見解や、共犯とは区別しつつもなお総則に規定すべきであるとする見解が支配的であった(38)。しかし、一九世紀後半になると、犯罪庇護を固有かつ独立の犯罪とみる見解が多数を占めるようになる(39)。そこには、因果的な共犯概念の浸透があった(40)(41)
  ところで、一九世紀といえば、ビルンバウムらによって、法益概念が使用されはじめた時代でもある(42)。独立かつ固有の犯罪とされた犯罪庇護についても、保護法益(攻撃方向)をめぐる議論がなされた。すでにこの時代には、一八五一年プロイセン刑法典や一八七一年帝国刑法典に示されていたように、犯人を刑事訴追から免れさせることを内容とする人的庇護(perso¨nliche Begu¨nstigung)と、犯行から得られた利益を犯人に確保させることを内容とする物的庇護(sachliche Begu¨nstigung)とが概念上区別されていたが、保護法益については、犯罪庇護として統一的に、「国家的司法」と理解されるのが一般的であった(43)。人的庇護と物的庇護は法益を異にする異質の犯罪であるとの主張は、二〇世紀初頭のビンディングの見解をまたなければならない(44)

(29)  犯罪庇護に関するこの時代の立法および学説については、小野寺一浩「犯人蔵匿罪について」法学四八巻三号(一九八四年)一一八頁以下が詳しい。
(30)  Wappler, aaO (Anm. 1) S. 33;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 36;小野寺・前掲注(29)一二三頁。このことは、同法典の起草者とされるフォイエルバッハ自身が、犯罪庇護を事後共犯(nachfolgende Teilnahme)とみていたことによっても裏付けられる。犯罪庇護に関するフォエルバッハの見解については、小野寺・前掲注(29)一二四頁以下を参照。
(31)  原文は、Buschmann, aaO (Anm.8) S. 466;Wappler, aaO (Anm. 1) S. 33 Anm. 108, 109;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 48;Weisert, aaO (Anm. 2) S. 111 を、邦訳については、小野寺・前掲注(29)一二二頁以下、中川祐夫訳「一八一三年のバイエルン刑法典(・)」龍谷法学二巻二・三・四合併号(一九七〇年)一二八頁以下を参照。なお、以下に掲げる規定のほか、第八九条には、親族間の人的庇護の不処罰が規定されている。
(32)  Vgl. Wappler, aaO (Anm. 1) S. 34;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 36f.
(33)  原文は、Buschmann, aaO (Anm.8) S. 547;Wappler, aaO (Anm. 1) S. 34 Anm. 114;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 38 Anm. 167 を、邦訳は小野寺・前掲注(29)一三七頁を参照。なお、賍物罪は、人的賍物罪(personenhehlerei)、物的賍物罪(Sachhehlerei)として、各則に規定されている(二三七条)。
(34)  同条には、これにつづいて、親族間の人的庇護の不処罰が規定されている。
(35)  原文は、Wappler, aaO (Anm. 1) S. 36;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 39;Weisert, aaO (Anm. 2) S. 117f.;Seel, aaO (Anm. 28) S. 106 を、邦訳は小野寺・前掲注(29)一四〇頁、法務大臣官房司法法制調査部『ドイツ刑法典』(法務資料三九七号・一九六七年)一一九頁を参照。なお、以下で紹介する第二五七条には、親族間の人的庇護の不処罰も規定されている。賍物罪に関する諸規定は、犯罪庇護の規定につづいて、各則に置かれている。
(36)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 39.
(37)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 39f.
(38)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 41. 学説の詳しい状況については、小野寺・前掲注(29)一二七頁以下、Dersch, aaO (Anm. 1) S. 123ff. を参照。
(39)  Dersch, aaO (Anm. 1) S. 139;Ebert, aaO (Anm. 1) S. 42. 学説の詳しい状況については、小野寺・前掲注(29)一三三頁以下(「独立犯」説として、マルティン、シュテューベル、ヘンケ、ビンディングの見解が紹介されている)、Dersch, aaO(Anm. 1) S. 139ff.(犯罪庇護を独立の犯罪とみる学説として、ベルナー、ヘルシュナー、ケストリン、ランゲンベック、ルーデン、マルティン、シュッツェ、シュテューベル、ツァハリエ、ヘンケの見解があげられている)を参照。
(40)  たとえば、ケストリンはつぎのように述べている。「行為(Handlung)への関与(Theilnahme)という概念に属するのは、本質的に、行為の促進(Befo¨rderung)、行為の共同惹起(Mithervorbringung)であるから、そこには、犯罪庇護、すなわち犯罪が実行され結果が生じた後にはじめて行われる援助(Beistandleistung)は属さない。犯罪庇護に属する行為(Akt)、とりわけ犯罪者の保護または犯罪から得られた利益の確保といった行為は、完成した犯罪との関係では因果性をもたないのであるから、共犯の一種ではなく、固有の犯罪である」。Christian Reinhold Ko¨stlin, System des deutschen Strafrechts, Erste Abtheilung, Allgemeiner Theil, 1855, S. 261. 同様の主張は、ヘンケ、ルーデン、ベルナー、ヘルシュナーによっても主張された。Vgl. Ebert, aaO(Anm. 1) S. 42 Anm. 188.
(41)  もっとも、犯罪庇護の共犯的ないし従属犯的性格を主張する見解は、この時代においてもなお有力であった。ただし、それは、事後従犯の観念に依拠するものではなく、一応は因果的な共犯概念に依拠するものであった。たとえば、ブーリは、行為者は権利侵害の惹起だけでなく、権利侵害の存続についても処罰されるのであり、この権利侵害の存続を促進する点に犯罪庇護の本質があるとした。M. von Buri, Zur Lehre von der Theilnahme an dem Verbrechen und der Begu¨nstigung, 1860, S. 85ff. Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 45f.;Dersch, aaO (Anm. 1) S. 149f.;Binding, aaO (Anm. 3) S. 637f.;小野寺・前掲注(29)一二九頁。しかし、ブーリの見解は、犯罪庇護を各則上の犯罪として独立に規定するドイツ帝国刑法典二五七条との整合性の問題もあって、他の学説から厳しい批判をあびた。Vgl. Dersch, aaO (Anm. 1) S. 151.
(42)  法益概念の沿革と内容については、伊東研祐「刑法における法益概念」阿部純二・板倉宏・内田文昭・香川達夫・川端博・曽根威彦編『刑法基本講座・第一巻』(一九九二年)三三頁以下などを参照。
(43)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 44f., 50f.
(44)  次節(第三節)
(2)参照。

第三節  処罰妨害罪の独立

  本節では、犯罪庇護のうち人的庇護の部分が独立して処罰妨害罪として規定されるに至るまでの歴史を概観する。

  一  人的庇護の形成
  (1)  犯罪庇護の二つの類型    事後従犯または犯罪庇護とされてきた事例は、今日の賍物罪にあたる事例を除くと、二つの類型に分けることができる。犯人を処罰から免れさせる場合と、犯人に犯罪から得られた物または利益を確保させる場合である。前者が人的庇護(perso¨nliche Begu¨nstigung)、後者が物的庇護(sachliche Begu¨nstigung)である。
  もっとも、一九世紀半ばに入るまでは、人的庇護と物的庇護の区別が学説や法律で明示的に表されることはなかった。両者の区別は、一方では、「正犯を犯行後に援助した」という犯罪庇護の抽象的な定義によって、他方では、人的庇護と物的庇護の基本事例が示されることなく、具体的な諸事例が個別的に説明されるというカズイスティッシュな対応によって、あいまいにされてきた(1)。たとえば、一八一三年バイエルン刑法典は、第八四条で犯罪庇護の一般的定義をしたあと、第八五条で個別具体的な事例を列挙するという方法をとっていた(2)
  これに対して、一八五一年プロイセン刑法典では、人的庇護と物的庇護とが−同一規定の内部においてではあるが−明示的に区別され(第三七条(3))、同時に個別事例の列挙が放棄された。一八七一年帝国刑法典(第二五七条(4))に受け継がれるこの規定は、個別事例の一般化という立法技術の進歩を示すものであると同時に、後に人的庇護の部分が処罰妨害罪として独立する足がかりとなった(5)

  (2)  保護法益をめぐる議論    もっとも、当時の学説の多くは、帝国刑法典制定後も、犯罪庇護(人的庇護、物的庇護)を「司法に対する罪」として統一的に理解した(6)。たとえばメルケルは、犯罪庇護とは、「犯人の利益になるように、法と出来事の埋め合わせ(Ausgleichung)を妨害することによって、法と矛盾する状態を維持すること」であり(7)、その処罰によって確保される利益は、「出来事の法的な埋め合わせに向けられた、司法の実効性(Wirksamkeit)」であるとした(8)。ヘルシュナーも、犯罪庇護の本質は「他人の犯罪の贖い(Tilgung)の妨害」にあるとして(9)、犯罪庇護を一括して司法に対する罪と解した。これらの見解では、人的庇護と物的庇護は、「司法」を共通の攻撃客体(保護法益)とする同質の犯罪ということになる。帝国刑法典が人的庇護と物的庇護を犯罪庇護として同一の条文に規定していたことからすれば、このような見解が主張されるのも十分に理解できる。
  しかし、人的庇護と物的庇護とでは、前者は犯人処罰の妨害、後者は犯罪利益の確保というように、目指す目的が異なる(10)。そこで、ビンディングは、人的庇護と物的庇護は攻撃客体の異なる異質の犯罪であると主張した。彼によれば、人的庇護の矛先は、刑法の具体化(犯人の処罰)に対して向けられている。それゆえ、人的庇護は、より正確には「処罰妨害」(Strafvereitelung)であり、「国家に対する犯罪」(Staatsverbrechen)である。これに対して、物的庇護は刑法に対して向けられているのではなく、財産法に対して向けられている。つまり、物的庇護は「財産犯」である(11)。このようなビンディングの見解によれば、人的庇護と物的庇護を犯罪庇護として統一的に理解することは誤りであって(12)、前者は国家に対する罪、後者は財産犯として、それぞれ別個に規定されるべきだということになる(13)
  ビンディングの見解のうち、物的庇護を純粋な財産犯とみる点は、学説の支持をほとんど得ることはできなかった(14)。しかし、人的庇護と物的庇護とでは保護法益、罪質が異なるという見方それ自体は、多くの学説を、人的庇護と物的庇護の保護法益、罪質をそれぞれ別個に議論する方向へと向かわせた。この点において、ビンディングの主張は、その後の学説および立法に対して、大きなインパクトを与えるものであった。

(1)  Udo Ebert, Die Strafvereitelung. Zu ihrer strafrechtsgeschichtlichen Entwicklung und ihrer gegenwa¨rtigen Konzeption, in:ZRG Germ. Abt. Band 110, 1993, S. 48.
(2)  本章第二節三(1)参照。
(3)  本章第二節三(1)参照。
(4)  本章第二節三(2)参照。
(5)  Ebert, aaO (Anm. 1) S. 49.
(6)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 50.
(7)  Adorf Merkel, Die Lehre von Verbrechen und Strafe, auf der Grundlage des "Lehrbuchs des Strafrechts" in Verbindung mit den u¨brigen Schriften des Verfassers herausgegeben und mit einer Einleitung versehen von M. Liepmann, 1912, S. 174.
(8)  Merkel, aaO (Anm. 7) S. 175.
(9)  Hugo Ha¨lschner, Das gemeine deutsche Strafrecht, Zweiter Band, Zweite Abtheilung, 1887, S. 863. なお、帝国刑法典制定前のヘルシュナーの見解については、小野寺一浩「犯人蔵匿罪について」法学四八巻三号(一九八四年)一三〇頁を参照。
(10)  Karl Binding, Lehrbuch des Gemeinen Deutschen Strafrechts, Besonderer Teil, Zweiter Band, Zweite Abteilung, 1905, S. 642.
(11)  Binding, aaO (Anm. 10) S. 642f. なお、帝国刑法典制定前のビンディングの見解については、小野寺・前掲注(9)一三四頁以下を参照。
(12)  Binding, aaO (Anm. 10) S. 642.
(13)  現に、一九〇九年の予備草案は、このような考え方をとっていた。第二次大戦後の一部の草案(一九五九年草案など)も、同様である。
(14)  Vgl. Ebert, aaO (Anm. 1) S. 52f. ただし、逆に通説が何かは現在もはっきりしない。物的庇護の法益をどうみるかは今日でも争いがあり、複雑な状況にある。学説の整理の仕方も、文献によって異なっている。本稿は物的庇護を主題とするものではないので、詳細については以下の文献に譲る。Daniel Weisert, Der Hilfeleistungsbegriff bei der Begu¨nstigung, 1999, S. 255ff.;Stefan Seel, Begu¨nstigung und Strafvereitelung durch Vorta¨ter und Vortatteilnehmer, 1999, S. 13ff.

  二  一九七四年刑法典施行法による処罰妨害罪の独立
  一九〇九年予備草案以来の紆余曲折を経て(15)、一九七四年、ついに、人的庇護は処罰妨害罪(Strafvereitelung)として独立した。現行ドイツ刑法第二五八条である(16)
  第二五八条(処罰妨害)  (1)  他人が違法行為を理由として刑罰法規により刑に処せられ又は処分(第一一条一項八号)を科せられることの全部または一部を、意図的に又は情を知りつつ妨害した者は、五年以下の自由刑または罰金に処する。
    (2)  他人に対して科せられた刑罰又は処分の執行の全部又は一部を、意図的に又は情を知りつつ妨害した者の処罰も、前項と同じである。
    (3)  その刑は、本犯について定められた刑よりも重いものであってはならない。
    (4)  これらの罪の未遂犯は、これを罰する。
    (5)  自己が刑に処せられ、若しくは処分を科せられること、又は自己に科せられた刑罰若しくは処分が執行されることの全部又は一部を、その行為によって同時に妨害することを意図した者は、処罰妨害罪によっては処罰しない。
    (6)  本条の行為を親族のために行った者は、これを罰しない。
  以上のように、人的庇護は、処分の妨害を吸収したうえで(17)、処罰妨害罪として独立に規定されることとなった(一項、二項(18)(19))。ただし、体系的地位の変更はなく、依然として物的庇護(新二五七条(20))および賍物罪(新二五九条(21))と同一の章(第二一章「犯罪庇護および賍物罪」)に置かれている(22)。その他の点について、一八七一年帝国刑法典二五七条(23)と比較すると、まず、第三項および第六項の内容は変更されていない。第四項の未遂犯処罰規定は新設の規定であるが、これは、第一項、第二項の内容が挙動犯から結果犯に変更された(24)ことにともなうものである(25)
  注目されるのは、第五項が新たに設けられたことである。この規定は、どのような理由、背景から、いかなる事例を念頭に規定されたのか。その射程、運用状況はどうなのか。
  これらの疑問を解明することが本稿に与えられた課題であるが、しかし、その前に、単純な自己庇護(犯人が自ら処罰を免れようとする行為)が不可罰とされる根拠について考察しなければならない。第五項は、単純な自己庇護が不可罰であることを前提にした規定だからである。第二章では、本章での考察をふまえて、自己庇護の不処罰について、その根拠をめぐる学説の議論を中心に考察することにしたい。
  なお、本章では、処罰妨害罪の本質(目的、保護法益)をめぐる現在の議論は紹介されなかったが、これについては、自己庇護の不処罰との関連で、次章以下においてふれることにする。

(15)  一九〇九年予備草案では、物的庇護は財産犯、人的庇護は司法に対する罪として別個に規定された。一九一三年草案も同様である。これに対し、一九一九年草案、一九二二年草案(いわゆるラートブルフ草案)、一九二五年草案、一九二七年草案は、これらの規定を、「可罰的行為の準備、犯罪庇護、処罰妨害」と題する章にまとめた。ナチス時代の一九三八年草案では、章の名称が「司法および行政に対する攻撃」とされた。戦後は、物的庇護については司法に対する罪とするか財産犯とするかで議論がつづいたが、人的庇護については、各草案とも一貫して、司法に対する罪としている(章の名称には若干の相違はあるが)。なお、Karl Schneidewin, Die Systematik des Besonderen Teils eines neuen Strafgesetzbuchs, in:Materialien zur Strafrechtsreform, 1. Band, 1954, S. 197f.;Reinhart Maurach, Die Systematik des Besonderen Teils eines neuen Strafgesetzbuchs, in:Materialien zur Strafrechtsreform, 1. Band, 1954, S. 246;法務大臣官房司法法制調査部『ドイツ刑法改正資料(第一巻)下−刑法学者の意見集−』(法務資料三七三号・一九六四年)四三頁、一一八頁を参照。
    規定の内容の変化についてはここで詳細に論じる余裕はないが、本稿の課題との関連でいえば、一九〇九年予備草案以来一貫して、「他人」の処罰の妨害のみが可罰的であることが明記されていることを指摘しなければならない。一九〇九年予備草案から現行法に至るまでの状況については、Petra Wappler, Der Erfolg der Strafvereitelung (§ 258 Abs. 1 StGB), 1998, S. 40ff. を参照。
(16)  邦訳は、法務大臣官房司法法制調査部『ドイツ刑法典』(法務資料四三九号・一九八二年)一七三頁、十河太朗「犯人蔵匿罪と証憑湮滅罪の限界に関する一考察−『隠避』概念の検討を中心として−」同志社法学四六巻五号(一九九五年)九五頁を参照。
(17)  処分妨害は旧二五七条aに規定されていた。
(18)  処罰妨害罪に該当する具体的な行為については、十河・前掲注(16)九六頁以下を参照。
(19)  このほか、加重類型として、公務の担当者を主体とする処罰妨害罪が二五八条aに規定されている。
      第二五八条a(職務上の処罰妨害)  (1)  第二五八条第一項の場合において、行為者が公務の担当者として刑事訴訟手続若しくは処分(第一一条一項八号)を命ずるための手続に協力する任務を有するとき、又は第二五八条第二項の場合において、行為者が公務の担当者として刑若しくは処分の執行に協力する任務を有するときは、その刑は六月以上五年以下の自由刑とし、比較的重くない事態においては三年以下の自由刑又は罰金とする。
      (2)  この罪の未遂犯は、これを罰する。
      (3)  第二五八条三項、六項の規定は、これを適用しない。
      法務大臣官房司法法制調査部・前掲注(16)一七四頁参照。
(20)  名称は「犯罪庇護」(Begu¨nstigung)となった。
      第二五七条(犯罪庇護)  (1)  違法行為を犯した者にその行為の利益を確保させる目的で、これを援助した者は、五年以下の自由刑または罰金に処する。
      (2)  その刑は、本犯について定められた刑よりも重いものであってはならない。
      (3)  本犯への関与を理由として可罰的である者は、犯罪庇護の罪によっては罰しない。但し、本犯への非関与者に犯罪庇護を教唆した者については、この限りではない。
      (4)  犯罪庇護者が本犯の正犯又は共犯であったなら、告訴、授権又は処罰要求なしには訴追され得なかったであろうときは、犯罪庇護は、告訴、授権又は処罰要求がなければ訴追されない。第二四八条aの規定は、これを準用する。
      法務大臣官房司法法制調査部・前掲注(16)一七二頁以下参照。
(21)  第二五九条(犯罪隠匿)  (1)  自己又は第三者に利益を得させるために、他人が盗んだ物、若しくはその他、人の財産に向けられた違法な行為により他人が得た物を、買い取り、みずから入手し若しくは第三者に入手させ、又は右の物を売却し、若しくはその売却を助けた者は、五年以下の自由刑又は罰金に処する。
      (2)  第二四七条及び第二四八条aの規定は、これを準用する。
      (3)  本条の罪の未遂犯は、これを罰する。
      法務大臣官房司法法制調査部・前掲注(16)一七四頁参照。
(22)  これは立法技術上の理由によるとされるが(Walter Stree, Begu¨nstigung, Strafvereitelung und Hehlerei, JuS 1976, S. 137)、処罰妨害罪の本質をどう理解するかという問題と無関係ではない。Vgl. Seel, aaO (Anm. 14) S. 22ff.
(23)  本章第二節三(2)参照。
(24)  Vgl. Wappler, aaO (Anm. 15) S. 13.
(25)  これによって中止犯の成立する余地が生じたことは、注目に値する。これは立法者の意図するところでもあった。Begru¨ndung zum RegE−EGStGB, BT−Dr. 7/550, S. 249. この点に留意して処罰妨害の「結果」について詳細に考察した文献として、Wappler, aaO (Anm. 15) がある。

本稿は、平成一一、一二年度(一九九九、二〇〇〇年度)科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。