立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 783頁




渉外的な子の奪取における返還の否定


樋爪 誠


一.は  じ  め  に

  両親の離婚後あるいは別居中に、一方の親と生活している子を、他方の親が連れ去る事件がしばしば発生している。いわゆる「子の奪取」あるいは「子の奪い合い」と言われる問題である。奪い去るのが親だけに、単なる誘拐とは本質を異にする。しかし、場合によってはかなりそれに近いものもあり、欧米では「合法的誘拐」と称されることもあった。いうまでもなく、親たちがそのような行動に走る背景は、深刻で複雑なことが多い。それ以上に、板挟みとなる子供たちの精神的、肉体的ストレスは計り知れない。子の奪取が、現代法学の抱える最も難しい問題の一つであると評されるゆえんでもある(1)
  国際化の進む中で、子の奪い合いが国境を越えて生じることも少なくない。そのようななかで、一九八〇年にハーグ国際私法会議において、「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」(以下、奪取条約とのみいう)が作成された(2)。二〇年たった今、この条約はハーグ諸条約の中でも最も成功を収めたものとして高く評価されている。そのことはまた、子の奪い合いの問題が全世界的な問題であることも示唆している。日本は残念ながら、まだ批准していない。
  本稿では、この奪取条約の中でも、子の返還が否定される場合について、検討を進めて行きたいと考える。その理由は、後述するように、奪取条約の成功の秘密はその迅速な子の返還システムにあるのだが、返還することが必ずしも適切でない場面も少なくない。例外的に子の返還が否定される場面を知ることは、条約における「子の福祉」のあり方を知るのに、たいへん有益であると考える(3)。豊富な経験を持つイングランドの実務を紹介した最近の研究を手がかりに、この点を考えてみたい(4)

二.奪取された子の返還


  (1)  具体的な問題に入る前に、まず、子が奪取された場合、奪取された親が採り得る手段を概観し、次に奪取条約の全体像を示しておく。

  (2)  日本法上、奪取された親がとり得る手段は大きく三つある(5)。第一は、通常の民事訴訟による引渡請求である。親権者が非親権者に対して、親権行使の妨害排除請求をすることになる。第二は、家事審判によるもので、子の監護に関する処分(民法第七六六条)に基づき、家庭裁判所の審判によって子の引渡しを請求することが可能である(家事審判法第九条一項乙類四号)。なお、迅速性の要請に応えるため、家事審判法が改正され、審判前の保全処分が可能となった(家事審判法第一五条の三)。第三は、人身保護請求によるものである。本来は、刑事手続における違法捜査に対する救済手段として、英米から輸入された制度であるが(6)、日本では子の返還手段として、早くから認められている。判断基準は、子が拘束されていることと、その拘束が違法なことである(同法第二条)。
  これらはすべて制度上の問題をかかえている。第一の方法は、判決手続によるため、迅速性に著しく欠ける。また、裁判という手続の中で、子の意思をどれだけ反映できるかも課題である。第二の方法は、子の利益から考えれば、最も望ましいものではあろう。審判前保全処分制度が導入され、迅速性にも配慮されている。しかし、いわゆる「明白性基準」導入後(7)、親権者同士の争いの場合で奪取が否定されることが基本的になくなるなど、判断の画一化、硬直化が進んでいる。第三の方法が、最も利用されている。迅速性と実効性に優れているのが、魅力のようである。しかし、違法性という要件の中で、このデリケートな問題をどれほど処理して行けるのか、あるいはしてきたのかは評価の分かれるところであろう。

  (3)  さて、国境を越えた子の奪取の場合、これら三つの方法はそれぞれどのような評価をうけるのであろうか(8)。第一の方法は、子が国内に残っている場合はともかく、国境を越えて移動している場合には、判決手続に加えて外国判決(承認)執行手続もへなければならず、迅速性の点では致命的な欠点を抱えている。第二の方法は、そもそも当事者が出そろわない可能性が高く、仮に出てきたとしても、子が国外にいれば非訟事件判断の承認執行プロセスが必要になり、時間的にも実効性はに乏しい。そこで、ここでも、第三の方法が残る。子が日本に奪取されてきた場合、奪取した親が日本で手続を開始すれば、渉外実質法として直接適用されるであろう(9)。これに対して、子が国外へ連れ去られた場合、域外適用されることはないので、実効性はなくなる。いずれの手段にせよ、国際化すれば、より解決が困難になることは明白である。
  奪取条約は、まさに、この困難な場面のために用意されたものである。その概略を示すと以下の通りである。まず、対象となるのは、締約国に常居所を有していた一六歳未満の子が別の締約国へ不法に連れ去られたあるいは留置された場合である。このような子は直ちに元いた国へ連れ戻されることになる(条約前文、一条)。そのための専門の機関として、各締約国は「中央当局」(二条)を設置し、申立の転達や子に関する情報交換を迅速に進める。最終的には、子が現存する国の裁判所が返還命令を奪取した親に下すことになる。特徴的なのは、これら一連の手続の中で、監護権そのものの判断はいわば留保されつづけるという点である。子の現存国の裁判所は、監護権の有無を理由に返還を否定することは許されない。むしろ、子の常居所地国で監護権の判断をするために、子をいったん元の環境に戻すのが条約の趣旨である。したがって、返還を求める親が最終的な監護権者だとは限らない。しかし、何らかの形で監護を実施していた必要はある。この条約は、いわば条約上の暫定的な監護権者に現状を回復させるための司法協力体制を構築している点に特徴がある。現実的には、このシステムが世界の多くの地域で実効的なものとして受け入れられているのである。

  (4)  このようなシステムによって、奪取条約は迅速性という要請を充たし、それにより子の最善の利益を実現している。しかし、いかなる場合にも、この方法が貫徹され得るわけではない。条約上、一定の例外が認められている。一三条がその一つである。
  第一三条(10)
    一項  子の返還に異議を述べる個人、施設または機関が、次のいずれかを証明したときには、申立を受けた国の司法機関または行政機関は、前条の規定にかかわらず、子の返還を命じる義務を負わない。
        a.子の身上の世話をする個人、施設もしくは機関が、移動もしくは留置の時点において現実に監護権を行使していなかったこと、または、移動もしくは留置に同意をしていたか追認をしたこと。
        b.子の返還が子の身体もしくは精神に精神に危害を加えまたはその他許し難い状況に子をおく重大な危険があること。
    二項  司法機関又は行政機関は、子が返還に異議を述べており、子がその意見を考慮に入れるのが適切な程度に成熟していることを認めるときにも、子の返還命令を拒否することができる。
  以下、冒頭に掲げた問題関心に沿って、この一三条の個別的な検討を進めて行くことにする。

三.奪取された親による追認又は合意 
(一三条一項a号)

  (1)  奪取条約の主たる目的は奪取される以前の状態に子を戻すことである。しかし、場合によっては新しい環境を優先し、子の機械的な返還が否定されることもある。その第一が奪取された親による奪取の追認あるいは合意といわれる問題である。ここではまず、その点に関する様々な論点を内包した近時の貴族院の判決を紹介し、その後でいくつかの点について、検討を加えてみたい。

  (2)  その判決とは、In re H. and Others (Minors) (Abudction:Acoquiecence) である。その事実の概要と判旨は以下の通りである(11)
    [事実]  三人の幼い子を持つ夫婦は、正統派ユダヤ教徒であった。父親はイスラエルで生まれ、母親はイングランドで生まれた。婚姻後、二人は長い間イスラエルで暮らしており、子供たちはイスラエルに常居所を有していた。一九九五年一一月、母親は父親の同意なしにイングランドへ子供たちを連れ去った。母親は、カウンティー・コート(民事の下級裁判所)から命令を受けており、それによると父親は母の監護から子を連れ去ることあるいはイングランドから子を連れ去ることを禁じられていた。正統派ユダヤ法によれば、父親はユダヤ教宗教法廷(Beth Din)の許可なしに世俗裁判所の協力を求めることが出来なかった。父親はイスラエルで自分の属するユダヤ教宗教法廷に相談をした際、イングランドの手続に参加すべきでないと忠告された。ユダヤ教宗教法廷は、母親に離婚のためにユダヤ教宗教法廷に参加するよう招請をなしたが、母親はそれに応じなかった。一九九六年四月はじめ、「一九八五年子の奪取および監護法」にある奪取条約の存在を父親は初めて知った。母親が五度目の呼び出しに応じなかったとき、イスラエルのユダヤ教宗教法廷は父親に対して可能な手段を講じる許可を与えた。一九九六年五月三日、父親は高等法院において、奪取条約に基づく子の迅速な返還を求める訴訟開始召喚を発行された。
    高等法院の判断は、父親が自らの宗教にしたがってユダヤ教宗教法廷に頼ったことが、同法廷が許可した時点で既に返還請求の時機を逸してしまったことの原因であり、したがって、父親は不法な連れ去りを黙認したわけではないというものであった。控訴院は逆に母親の主張を認め、条約一三条における裁量として、子の将来の決定はイングランドの裁判所に委ねられるべきであると判断した。父親が上告した。
    [判旨]  上告認容・原審破棄。
  本条約一三条一項(a)における「追認」は、現実的な主観的意思をいうのであり、行動や言葉に明白に表わされ、返還を求めないことを奪取した親が確信するにいたるような状況をいうのである。この追認は事実問題であって、立証責任は奪取した親の側にあるのであるが、裁判所は軽軽に追認の意思を推察するものではない。ユダヤ教宗教法廷における手続は、父親に教義に基づいた行動のみを許していたのであり、かつ、父親はそれに従っただけであって、その行動が父親から条約上の救済を奪うことにはならない。

  (3)  まず、奪取された親が追認に肯定的(active)であったのか、否定的(passive)であったのかが問題となっている。追認を肯定する場合には提示された証拠をもとに、客観的な判断がなされ、追認否定に関してのみ申立人の現実の意思が考慮されるという(12)。この点を最も鮮明に描き出したのが、本事案に関する控訴院と貴族院の判決なのである。すなわち、控訴院は父親の行動を客観的に評価し、子の返還を積極的に承諾しなかったことが追認を肯定する要因になると判断した(13)。これに対して、貴族院は、たとえ追認を推測させるような行動がいくつかあったとしても、それが(追認を否定する)父親の主観的意思を覆すものではないと判断したのである(14)
  しかし、この判決に関しては、リーディング・ケースとして扱うには問題もあるようである。一つは、そもそもこれは追認に関する事例なのかという点である。父親は奪取条約に基づく行動をとらなかったというよりも、別の宗教上の手続に服していたのであって、それはとにもかくにも返還を実現するためだったのである。控訴院のような立場は、他の手続に服すること自体が奪取条約上の「追認」になってしまう。このような考え方はおよそ受け入れ難いであろう。第二に、期間の問題であるが、たしかに、この事案は英国法上要求されている期間を経過してはいる。しかし、それはほんの僅かな徒過であった。貴族院判決は、この点に配慮して父親の主観的意思に言及しているようでもあるが、そのような議論をしなくとも処理できたとも解される(15)
  次に、条約上の権利を当事者が認識していたかも問題となる。これについては、条約上の権利を認識していなくても、奪取それ自体が不法であれば十分とする考え方(16)と、条約上の権利を認識していなければならないとする考え方(17)に判例は二分されている。貴族院はこの点について直接判示しなかったが、その後の下級審判決で、本件判決は前者の立場をとるものと解されている(18)。そもそも、条約上の権利を知っているべきという要請は、条約それ自体からは読み取れない。
  現状を肯定するかのような行為が奪取された親にあった場合に、例外的に、返還が否定されることを、貴族院判決は認めている。しかし、「例外的」であることが非常に強調されている([1998]A. C. 89)。したがって、その判断基準も厳格になるはずであり、奪取された親が新しい環境になじむ子をみて述べた感想などの言葉じりをつかんで、簡単に追認が認められることはない。子供が新しい環境になじみ、かつ、返還されることがかなりのストレスになることが客観的に明らかになるなど、よほど例外的な場合に限定されよう。
  また、明示の追認についても、この貴族院判決は一石を投じている。従前、イングランドでは、子を奪取された父親が母親にいったん監護権を争わない旨を手紙で伝えた後に、電話でそれを撤回した事案において、追認はひとたびなされれば撤回不可能であるとする先例が存在していた(19)。貴族院は、主観主義を強調する反面、この点については、奪取直後の手紙等による意思の明示は、返還を否定する理由とはならないと述べている([1998]A. C. 87)。
  (4)  追認と合意の違いは、その判断時にある。合意に関する固有の問題としては、合意の証明がある。奪取した親の側に証明責任があることは明らかであるが、その証明に書面が必要か否かで判例の対立がある。必要説は合意を厳格に捉え、合意の範囲を狭め、返還される場面を拡張しようという趣旨であろうが、条約の文言上、無理がある。イングランドでも、後者が有力である(20)
  (5)  本号における裁量の中身であるが、子の福祉が考慮されたことはあまりない。とはいえ、それにかわる強力な要因があるわけでもない。ここでは、W v. W (Child Abduction;Acquiescence) で提示された裁量の要因を、参考のため提示する。それは、b号からの独自性、法廷地の選択、本案審理の予想される結論、返還の帰趨、子と奪取者の返還後置かれる環境、返還を命じなかった場合の条約への影響などである(21)
  (6)  以上みたように、追認の肯定については、かなり慎重である。しかし、そのいずれもが奪取された親の事情に重きを置きすぎる傾向にある。子への配慮が欠けているという評価は免れ得ないであろう。

四.返還による子の危機 
(一三条一項b号)

  (1)  奪取された子の機械的な返還を目的としている奪取条約にとって、返還を公序法により審査することは極力避けたいところである。そのせいか、起草段階から公序の問題の検討に多くの時間が割かれた。ここで問題とする一三条一項b号も公序的機能を果すものであるが、条約には他に二〇条にも同様の規定があり、後者の方がより一般的に定められている。そこでまず、二〇条と一三条一項b号の関係を見ておくことにする。

  (2)  奪取条約に一般的留保条項を導入するのかそれともより限定した条項を導入するのかは、起草段階でも意見が分かれた(22)。後者の立場が採用され、その結果導入されたのは次の様な規定である。
  第二〇条  第一二条の規定に基づく子の返還は、それが申立を受けた国の人権および基本的自由に関する基本的原則に照らして許されない場合には、拒否することができる。
  公序の導入に対して、比較的消極的な立場の主張が通ったことになり、その経緯に鑑みれば、その発動は例外的な場合に限定されたと考えてしかるべきであろう。
  イングランドにおいて、二〇条の独自性が強調されることは、あまりないようである。理論的には、例えば「権利の章典」のような個別具体的人権規範があれば、それらは二〇条で検討されるべきだという主張があり、「欧州人権条約」を英国内法化した「一九九八年人権に関する法律」などがその例としてあげられている。しかし、これら人権を直接扱う規範も二〇条でしか検討されないわけではない。なぜなら、二〇条は返還手続の過程においてのみ検討されるのであって、包括的、一般的公序法ではない、と批判されている(23)

  (3)  一三条一項b号は三つの要素からなっている。すなわち、「重大な危機」が子の「身体あるいは精神的危害」もしくは「その他許し難い状況」により生ずる場合、子の返還が否定されるという構成になっている。このうち、重大な危機は深刻なものであればよく、急迫である必要性はない。また、「精神的」には一定の道徳的被害も含まれる。さらに、その他許し難い状況は客観的に判断されることになっている(24)。これらの要素は個別に検討され得るものではあるが、少なくともイングランドにおいては、総合的に判断が行われているようである。ここでは、比較的事例の多い精神的危害を中心に見てくことにする。
  まず、精神的危害について、イングランドではここに「物質的危害」が含まれないことについて異論はない(25)。返還後、子が物質的に充たされない環境(例えば裕福ではない家庭等)におかれることは、たとえそれが精神状態に影響しようとも、条約上考慮されないのである。したがって、ここではそういったことをのぞいた子の心情だけが問題となる。
  しかし、返還に直面した子の心情にこそ、実は難しい問題が残されているのである。なぜなら、子が奪取後の環境になじみ、奪取した親に手厚く保護されていればいるほど、むしろ、奪取した親から引き離されることこそが、最も強い精神的ストレスになる可能性が往々にしてあるからである。しかし、この点をあまり強調すると、今度は奪取した親に条約上強力な武器を与えてしまうことにもなりかねない。実際、イングランドにおける過去の紛争事例においても、成功することは少ないが、本条項に基づいて返還拒否を主張する親はすこぶる多い(26)。したがって、この条項に対する態度が、その国における奪取条約の成否に与える影響は極めて大きい。イングランドの実務は、今のところ、奪取した親に対して毅然とした態度を採っている。それは、この点に関する最初の司法判断である In re A 事件(27)において既に明らかにされていた。
  この事案では、カナダにいる父親のもとから、イングランドにいる母親のもとへ奪取された子Aが、カナダへ返還されるべきかが争われた。問題は、誰がカナダへ連れて帰るのかという点にあった。というのも、返還命令が下された場合、母が子Aをカナダへ連れて帰らねばならなかったのであるが、本事案では、カナダで監護権の本案判決が下されるまで、父の用意した住居において母もAと一緒に滞在せねばならなかったのである。
  一審は、イングランドにとどまり父と連絡が取れない状態が続くこ場合とカナダで母と一緒に本案判決を待たねばならない状況といずれが子により大きな精神的ダメージを与えるのかが比較衡量された。結論として、裁判所は、母と滞在する点はいずれも同じなので、父との連絡がより容易になる後者のパターンを子にとってよりダメージの少ないものと判断した。このような、どちらにも転び得る比較衡量型の判断は、控訴院で全面的に否定された。控訴院は、奪取親が自ら招いた状況を奇貨として、返還を拒否することは許されず、元の場所に連れて帰ることそれ自体は道義的責任であると断じた。母親側が、カナダへ連れて帰ることが経済的に困難であることを主張し、それを証拠としてみとめたうえでの厳しい態度であった(28)
  これとは別に、精神的被害を理由とする返還拒否には、ステイタス・クオー・アンテ(前の状況)に戻ること自体が、現状において既に子のプレッシャーとなっていると主張されることもある。例えば悪夢に魘されるとか、体調を壊すなどということが挙げられよう。こちらは対照的に、認められる傾向にある。その論拠としては、後述するように、一三条二項において反対の意思を表明できる子に一定の成熟度が要求されていることから、そこで意思表明できない子のために、その代替措置としてこのような主張を認めているようである(29)。子の意思を尊重するという前提に立てば、容認され得る考え方である。
  最後に、その他許し難い状況という項目であるが、これは英国の提案で入った条項である。ただし、そこで扱われた問題で特筆すべきものは今のところない。ここでも、物理的被害が対象とならないことは、先に述べたところと同じである。

  (4)  ところで、イングランドでは、子の奪取の事案において、しばしば出てくる概念として、「アンダーテーキング(約束)」がある。日本においても、かつて、「訴訟当事者又はその弁護人が、一般に裁判所又は相手方から、ある譲歩を得る条件として訴訟手続きでなした約束(30)」と紹介されていた英米法に特有の概念である。具体的には、奪取された親が返還を求める際に、返還後一定の環境を保証すると一方的に約することをいう。アンダーテーキングの申し入れの有無が、返還の審査において大きな役割を果している。興味深い概念であるが、その詳細を論じる余地がないので、ここではその存在を紹介するにとどめる。

五.子の反対意思表明(一三条二項)


  (1)  子が反対の意思を表明する権利は、起草段階から議論が多かった。そのうえ、この点に関しては、現在では、「児童の権利に関する条約」(以下、児童の権利条約とのみいう)一二条により、子の権利一般の問題として、より大局的に捉えられる必要性が生じている。奪取条約は、このような新しい児童法体系以前に成立した条約である。そこでまず、現代の国際的な家族法理論において、奪取条約一三条二項はいかに評価されるべきかを、児童の権利条約一二条との対比において、再確認しておこう。

  (2)  児童の権利条約一二条は、奪取条約一三条二項よりもはるかに包括的な規定である。というのも、奪取条約は司法・行政当局が子の返還を決定するに際して、子の意思を裁量的に判断材料に出来るというにとどめているからである。児童の権利条約が世界的な成功を収めていることは周知の通りである。したがって、児童の権利条約からみて、奪取条約は十分な保護を子に与えているのか確認される必要がある。
  そこで、両規定の相違点をもう少し詳しく見ていく(31)。一方で、奪取条約が留保条項としてすなわち例外的な場面として子の意思表明権を定めているのに対して、児童の権利条約は実体権の一つとして構成している。その観点から注目すべきは、奪取条約では司法・行政機関が子の返還に対する反対意思を「認めた/発見した(finds;constate)」ときに、裁量発動の余地を認めている点である。果たして、「発見する」ことは、司法・行政機関の義務なのであろうか。仏文において、constater という単語が用いられていることから、義務的ではないとと考え得る。これに対して、児童の権利条約では、意思表明権は「確保」されるべきものとなっているので、当然に義務が伴うものと解されている。
  他方で、両条約とも、子の意思を採用するかどうかについて裁量の余地がある点で共通する。しかし、奪取条約の起草段階においては、子の意思を極力考慮しないようにとの主張も強かった。子を最終的な判断者にすることに強い危惧があったのである。この議論には、条約の対象となる子の最高年齢が引き上げられたことが微妙に関係する。当初、一二歳までの子が予定されていたが、一六歳にまで引き上げられた。そこで、一六歳前後の子ならその意思を重視してもいいという方向で議論が進められた。児童の権利条約が一八歳までの児童を対象としているのとは、本質的に異なる発想に基づいているといえよう(32)
  なによりも、迅速性を至上命題とする奪取条約にとって、子の意思を検討する時間は致命傷となり得る。しかし、奪取条約は子のための条約でもある。この二つの相反する要請は、条約においてどのようにバランスをはかられているのか。一三条二項に関するイングランドの実務を追いながら、更に検討を進めてみる。

  (3)  イングランドでは、奪取条約一三条二項は次のような段階をへて適用される。まず、「一応有利な事件(prima facie case)」であることが確認される。次に、子の反対の意思を考慮するかが問題となり、考慮する場合その意思が有効かどうかを検討する。同時に、子の成熟度および年齢が一定に達しているかも調べる。最後に、事案の状況全体に鑑みて、裁量により、返還を命ずるかどうかが決定される。
  子の意思が手続に反映されるかどうかは、基本的には奪取者次第である。一応有利な事件において、奪取者側からそのような抗弁がなされれば、否応なく子の意思は「発見」されることになる(33)。例外的に、奪取者が返還に応じたにもかかわらず、子が独自に抵抗したというケースも報告されてはいるが(34)、子の主観的意思を探求することについては否定的である(35)。また、子が別の手続において反対の意思を表明することは否定されている。
  次に、有効な反対とは何かである。子による反対の意思表明は、事実問題と考えられている。他方で、子の意思を採用するのかどうかは法的判断の対象とされる。このことがしばしば、理由不明のまま反対の意思が採用されるという現象を生み出している(36)。また、奪取条約ではできる限り、意思の解釈を厳格に行い、反対かどうかは慎重に審査すべきという立場も見られるが(37)、通常の解釈でよいというのが一般的である。なお、反対の意思を認めれば、常居所地国で監護権の判断を受けられなくなるが、それは反対を無効にする理由にはならないという(38)
  成熟度および年齢に関しては、反対の意思を表明できる最低年齢が定まっていないことから、かなり低年齢な子も対象となったことがある。一般に、英米の裁判所は年齢の下限を考えない方向にあり、その方が児童の権利条約とも整合すると考えているようである(39)
  以上のようなプロセスを経たうえで、最終的に、裁判官が子の意見を採用するのかについて、裁量の枠内で判断することになる。イングランドおよびスコットランドでは、ここにいう裁量の対象は子の利益だけではなく、むしろ子の意思の尊重と条約の精神とのバランスを図ることにあると考えられている。リーディング・ケースとされる In re S. (A Minor) (Abduction;Custody Rights) は裁量により返還が否定されるのは例外的場面だけであるとしている。しかし、その射程範囲は必ずしも明らかではない。
  その事案の一審判決では、母によって奪取された子が、父のもとへ帰ることを明確に拒否していており、かつ、子が十分に成熟していると認定されたにもかかわらず、さしたる説明もなく返還命令が下されたのである。控訴院はこれに対して、原審の判断を支持しつつも、理由付けにおいて、原審が父親の提供したアンダー・テーキングに言及しなかったことを指摘した。すなわち、ここから、子の意思と返還後に子がおかれる状況とが裁量において重要であることが示唆された。そのうえで、先にも述べた通り、返還されるのが原則であるとした(40)。問題は、後者の具体的内容である。アンダーテーキングがあれば常によいのか、他の要因は考慮の対象にならないのか、例えば、返還先での滞在が非常に短期間であるとか、返還先が非監護者であるとか、実質的な監護者が別にいるとか、様々な場合が考えられる。
  (4)  最後に、子が複数の場合、特殊ながら重要な問題を生じる。すなわち、もしそれぞれの子について、別々に条約上の判断を加えたならば、ある子は返還され、別の子は返還を否定されるというような状況に陥ってしまうのである。これにより、一緒に生活していた兄弟姉妹が別々の国へ引き離されることになる。イングランドおよびスコットランドでは、ある子の返還が返還されない子に対する精神的苦痛の問題として、兄弟姉妹については事実上一括して条約上の審査を行っている(41)。学説では、より一般的に、子の反対意思表明の一つとして考慮すべきであるとするものもある(42)

六.結 び に 代 え て


  これ以外にも、第一二条では、子が新しい環境になじんだ場合、返還が否定されることになっている。これも含めれば、条約上、かなり広範に渡って例外事由が定められているといえる。それにもかかわらず、条約が迅速かつ実効的なものとして機能している背景には、それぞれの規定において、最終的に裁量によって例外とするかいなかの判断が、裁判官に委ねられているところにある。
  これまでみてきたように、イングランドでは、子の返還を否定することは極力回避する傾向にある。それらの事案の中には、返還を否定されてもおかしくないものも少なからず見受けられる。とりわけ、事実問題としての親の責任、子の自己決定権あるいは公序的配慮の点で、経験豊かなイングランドにおいても、条約の運用にはなお検討の余地が残されているように思われる。
  伝統的な法選択規則においても実質法化がすすんでおり、子の権利保護もその一つである(43)。奪取条約における子の利益への配慮の仕方から、伝統的理論が得る示唆は少なくない。当面は、日本においても、法選択および外国判決承認執行における公序法の審査において、斟酌できよう(44)。しかし、その際には、奪取条約の文言にとどまらず、その実態を見極めることが肝要である。以上のような問題が残るものの、本条約の存在意義自体は揺るぎない。日本もこの条約を批准し、子の奪い合いの問題で苦境に立たされている人々に有効な解決方法の一つを提供すべきである。本稿が、二一世紀の早い段階にそれを実現する一助となればと思う。

(1)  山畠正男「親権者の指定・変更の基準」沼邉=大田=久貴編・家事審判事件の研究(一)一四二頁等。
(2)  南敏文「ヘーグ国際私法会議第一四会期の概要」民月三八巻二号三頁(一九八三年)等参照。
(3)  海老沢美広「外国判決執行の一断面……承認と変更の間−とくに子の引渡判決の執行を中心に」朝日法学論集二五号一頁(二〇〇〇年)は、「子の福祉」のあり方を検討する中で、奪取条約についても検討をくわえているものとして注目される。ほかに、奪取条約全般を見渡した研究としては、早川眞一郎「子の奪い合いについての一考察」『日本民法の形成と課題(下)』(一九九六年、有斐閣)一二〇九頁、織田有基子「『子の奪取に関するハーグ条約』の実際の適用と日本における批准の可能性」国際九五巻二号三五頁(一九九六年)がある。とりわけ織田論文は英米法系の基本的な判例を丹念に紹介している。なお、近時、横山潤「国際的な子の奪取に関するハーグ条約」一橋大学研究年報法学研究三四号三三頁(二〇〇〇年)が公表された。最新の情報を基にした逐条解説であり、有益である。
(4)  本稿は、後掲注(12)の文献によるところが大きい。ドイツの実務の動向については、樋爪「ドイツにおける国際的な子の奪い合いの規整」(愛知学院大学)法学研究四一巻一号二五二頁(一九九九年)を参照されたい。
(5)  大村敦志『家族法』一六四頁以下(一九九九年、有斐閣)、二宮周平『家族法』九二頁以下(一九九九年、新世社)等参照。
(6)  田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(一九九九年)一五五頁。同書によれば、大陸法的体系を有する日本の刑事訴訟法においては、その他の救済手段が充実しており、その役割は必ずしも大きくないという。
(7)  大村・前掲書一六五頁等参照。
(8)  詳しくは、早川眞一郎「国境を越える子の奪い合い(一)」法政論集一六四号四九頁(一九九六年)参照。
(9)  場準一「渉外実質法・直接適用法」沢木敬郎・場準一編『国際私法の争点(新版)』(一九九六年、有斐閣)二一頁参照。
(10)  国際的な子の奪取の民事面に関する条約の実施に関する法律試案ワーキング・グループ編「国際的な子の奪取の民事面に関する条約の実施に関する法律試案および解説」民商一一九巻二号(一九九八年)の訳によった。以下、奪取条約の条文訳についてはすべて同じ。
(11)  [1998] A.C. 72
(12)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY, The Hague Convention on International Child Abduction (Oxford Univ. Press) 115.
(13)  [1996] 2 FLR 577
(14)  [1998] A.C. 86
(15)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 118. イングランドでは、従前から、奪取された親の主観的要素が考慮されていたが(識田・前掲論文四七ー四八頁)、その傾向がより明確に現れているといえよう。
(16)  Re A.Z. [1993] 1 FLR 686
(17)  Orr v. Ford (1989) 167 CLR 316. 但しこれは豪州の判決である。
(18)  [1998] 2 FLR 115
(19)  織田・前掲論文四七頁参照。
(20)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 127
(21)  [1993] 2 FLR 211.
(22)  E. Pe´rez−Vera, Actes et Documents of the XIV th Session, Volume (1982) 434, 463.
(23)  以上の認識につき、P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY id. at 174 他にも、二〇条は法的判断の中で適用されるのに対し、一三条一項b号は事実の判断又は評価の際に考慮されるところに違いがあるとみる考え方もある。また、子が難民であったり、返還先が内戦状態である場合、二〇条により返還が否定されるという見解もある。
(24)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 138
(25)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 143
(26)  横山・前掲論文五〇頁参照。
(27)  [1988] 1 FLR 370
(28)  [1988] 1 FLR 375
(29)  P. R. BEAUMONT/P. E. McELEAVY Id. at 150
(30)  高柳賢三・末延三次編『英米法辞典』(一九五二年、有斐閣)四七八頁。
(31)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 177-180
(32)  児童の権利条約では、裁量について、たとえば次のように説明がなされている。「また、父母間の争い、たとえば子の奪い合い紛争では、子の意思表明(=選好)はそれなりのウェイトを与えられるべきであるが、それが決定的なものとなるわけではなく、子の裁量の利益によると考えられてよい。その意味で、第三条第一項の原理が優先することになる」。石川稔・森田明編『児童の権利条約ーその内容・課題と対応ー』(一粒社)二三五頁(石川稔執筆)より。
(33)  The Family Law (Child Abduction Convention) Regurations 16 (3) (c).
(34)  Re M. (A Minor) (Child Abduction) [1994] 1 FLR 390 この事実は、すでに詳細な紹介・検討がなされている。識田・前掲論文四八頁以下参照。
(35)  九歳の子に対するインタビューを裁判所の側が拒否した事例がいくつかある。Re K. (Abduction;Child's Objections) [1995] 1 FLR 977 等参照。
(36)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 187
(37)  Re R. (A Minor) (Abduction) [1992] 1 FLR 108 この判例については、織田・前掲論文五七頁注(44)およびその本文を参照。
(38)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Ibid.
(39)  P.R. BEAUMONT/P.E. McELEAVY Id. at 191 そこでは、七歳の子が対象となったことも紹介されている。
(40)  [1993] Fam. 253.
(41)  例えば、B.K. (Child Abduction) [1993] 1 F.C.R. 382 参照。日本における子の奪取に関する著名なケースである最小昭和六〇年二月二六日判決(家裁月報三七巻六号二五頁)も、同様の問題を内在していた。この判決については、道垣内正人「批判」法律のひろば三八巻五号七一頁[一九八五]、南敏文「親子間の法律関係」池原季雄・早田芳郎編『渉外判例百選[第三版]』一五六頁(一九九五年)等参照。
(42)  L. COLLINS ed. Dicey/Morris Conflict of Laws (13 th ed) rule 19-095.
    なお、同所によれば、カナダでは姉妹それぞれにつき条約上の判断を下し、姉と離れ離れになる難病の妹の精神的苦痛が証明されていたにもかかわらず、姉だけを返還した事例(Chalkiey v. Chalkley (1995) 10 R.F. L(4th) 442 (Man. C.A.))が批判的に紹介されている。カナダの裁判所は、条約を厳格に適用したとも評し得るが、やはり現実を無視した運用と批判されねばならないであろう。
(43)  松岡博「国際私法における子供の権利保護」前掲『国際私法の争点(新版)』四〇頁参照。
(44)  海老沢・前掲論文一五頁参照。