立命館法学 2000年3・4号上巻(271・272号) 297頁




フランス行政判例における医療事故と無過失責任の展開

北村 和生


 

一  は  じ  め  に

  既にその一部については別稿で紹介したように(1)、ここ一〇年足らずのフランスにおける医療事故損害賠償責任訴訟での行政判例の動きはめざましいものがある。ある論者が指摘するように(2)、フランス行政判例は過去一世紀にわたって、被害者の地位を改善するという方向に進んできたのであるが、この分野における近時の行政判例の動きは、他の領域と比較しても群を抜くものといえるであろう。本稿は、既に別稿で紹介したこのようなフランスの行政判例に見られる無過失責任拡大の傾向が、その後の行政判例においてどのように展開していったのかを、比較的最近の判例に基づいて紹介し検討しようとするものである。
  もっとも、最後にも触れるように、このタイプの無過失責任の分析を、判例のみに基づいて行うのは必ずしも充分とはいえないであろう。というのは、このような分析は、判例だけではなく、過去何度も議会において企図されながら失敗してき医療事故被害者補償に関する立法の試みや、学説の状況も考察対象に入れなければ、フランス法の現状についての分析としては充分なものとはいえないと考えられるからである。フランスにおいては、医療事故に関する無過失責任は広範な広がりを持っており、行政法だけではなく、民法はもちろん他の様々な法領域にも広がりうると考えられる。また、単に法的な側面だけではなく、議会でも各党派の特徴を示す議論の対象となる政治的な側面も持っている。けれども、本稿では、紙幅の問題や筆者の準備の状況などから、最近の行政判例の展開を追うことで、この分野における主要な三つの領域、すなわち、行政判例、立法、学説のうちのひとつの領域の現状を明らかにすることを目的とする。この点を明らかにすることによって、少なくともフランスにおける行政上の無過失責任の一面を明確にすることができると考えられるからである。したがって、以下ではまず、フランスでの医療事故に対する行政賠償責任の沿革を簡単に見ておくが、既にこの問題については別稿で紹介していることもあるため、本稿の理解に必要な限度にとどめることとする。
  国公立病院などの公的な病院(以下では「国公立病院」と呼ぶ)での事故に対する損害賠償請求について、一般に裁判管轄を有するのはフランスでは行政裁判所である。かつてのフランスの行政判例の立場は、損害賠償責任の要件として重過失(faute lourde)の立証を要求するなどして、むしろ被害者の救済をなかなか認めないものだったといえるであろう。しかし、特に一九六〇年代以降、さらには一九八〇年代に加速するのだが、フランスの行政判例は、重過失要件を様々な形で緩和し、あるいは重過失が要求される領域を限定するなどして、被害者の救済を図る方向に向かった。たとえば、判例は、医療活動から固有の医療行為(acte me´dical)をそれ以外の行為と切り離し、前者にのみ重過失が要求されるとした。しかしこのような判例は、後にその限界を示すこととなったと考えられる。すなわち、第一に、医療の多様化により重過失が適用されるとされてきた固有の医療行為と他の行為類型の違いが相対化したこと、第二に、行政が被害者に賠償ないし補償する領域が、医療事故の分野に止まらず一般的に拡大したことの二点である(3)。行政判例のこの間の変化を最も象徴的に示しているのが、一九九二年四月一〇日のコンセイユデタ判決であろう。この判決によって、長く認められてきた重過失要件を医療事故の分野では放棄することが宣言されたのである(4)
  しかし、その後の行政判例の進展はそれに止まらず、さらに被害者救済を押し進めることとなった。具体的に述べると、コンセイユデタなどの行政判例は、これまでは医療事故の領域においては一貫して否定していた無過失責任を導入したのである。とりわけ、コンセイユデタについていえることだが、これまでの行政判例は、強制接種における著名な判決においても政府委員の論告に従わず、国公立病院などでの医療過誤に対する損害賠償請求につき、無過失責任の導入を避け、過失の推定(pre´somption de faute)によって事案を解決し、医療事故を過失責任の枠組みからはずすことには躊躇してきた(5)。自己の利益(=自分が病気から回復すること)のために公役務(=国公立病院)を利用する利用者(usager)には、無過失責任が適用できないとの考えに基づく判断であった。しかし、コンセイユデタなどの行政裁判所の最近の判例は、様々な要件を課するなどして無過失責任が過度に拡大しないように配慮を加えながら(ただし、無過失責任の根拠についての判断は論者によって違いが見られる)、被害者救済のため無過失責任を拡大してきたと言うことができる。行政判例が、医療事故の分野で、無過失責任を拡大した領域は大きく三つに分けることができる。第一の領域は、輸血用血液によるHIV感染に対して輸血センターの無過失責任を認めた、コンセイユデタの一九九五年五月二四日の判決に代表される輸血に関わる領域である。しかし、HIVやあるいは最近では肝炎ウィルス等による血液の汚染の被害も見られるが、この問題はやや別個の検討を必要とするため、本稿の考察対象から除外する(6)
  したがって、本稿との関係で重要なのは残りの二つの領域である。これらの領域は、それぞれのリーディングケースとなった以下の二つの判決例によって代表させることができる。第一が、リヨン行政控訴裁判所一九九〇年一二月二一日判決、通常は被害者の名をとってゴメズ判決と呼ばれる判決である。新しい治療方法によって発生した被害に対して、一定の要件を付して、無過失責任を適用した。ゴメズ判決は、国公立病院の利用者への無過失責任適用の嚆矢といえる判決である。しかし、ゴメズ判決は上告されなかったため、医療事故に無過失責任を拡大するかどうかについてのコンセイユデタの判断は不明であった。別の領域ではあるが、コンセイユデタがはじめて病院の利用者に対して正面から無過失責任を適用したのが、第二の重要な領域を代表する、コンセイユデタの一九九三年四月三日の判決で、通常は被害者の名前からビアンキ判決と呼ばれる判決である。ビアンキ判決において、ゴメズ判決より一層大きく無過失責任の領域が拡大されることとなった。
  以下では、以上の二つの判決に代表される国公立病院の無過失責任がその後の行政判例においてどのように展開することになったのかを具体的に考察することとするが、より重要性の高いビアンキ判決にウェートを置いて考察することとする。

二  ゴメズ判決とその後の行政判例


  ゴメズ判決は、既に少し触れたように、新しい治療方法を受けた患者が損害を受けたとき、無過失で国公立病院の責任を認めるというものであった。ゴメズ判決が無過失で損害賠償責任を認める要件は、次の三つに整理することができる。@影響が完全には知られているわけではない新しい治療方法(the´rapeutique nouvelle)の使用、Aこの治療方法の使用を命じるような生命に関わる理由がないこと、Bこの治療方法に直接結びつくような例外的で異常に重大な合併症の存在、である(7)
  けれども、ゴメズ判決は、既に述べたように、上告されず確定し、コンセイユデタでの審理が行われなかったこともあり、一部の適用要件が曖昧なままであるなどの批判があり、その後の判例である程度適用要件を精緻なものとする必要があった。また、ビアンキ判決との違いも明らかにする必要もあった。その意味で、その後、一九九五年一一月一六日のトゥールーズ行政裁判所判決(8)によって、ゴメズ判決に基づいて医療事故につき無過失責任認められたのは、注目すべき点であった。
  トゥールーズ行政裁判所判決は、一九八九年六月六日に内蔵の再移植(re´implantation)を受けたD夫人が、手術後、症状を悪化させ、ついには死に至ったという事件である。D夫人の遺族らが、損害賠償を求めて行政裁判所に訴訟を提起した。これに対して、トゥールーズ行政裁判所は、ゴメズ判決とほぼ同じ理由付けによって病院の無過失責任を認定した。判決によると、鑑定の結果、再移植手術は比較的最近のものであり、あまり頻繁に行われていない、また、「それが引き起こした、これまで知られてこなかったし、手術当時の外科学の文献(litte´rature chirurgicale)にも記述されていない合併症(complications)は例外的な危険(risque exceptionnel)を構成する」。したがって、「選択された治療に固有な危険と、特に重大で異常な結果はモントーバン病院(centre hospitalier de Montauban)の責任を生じる性質のものである」。
  このようにして、本判決の第一の意義は、コンセイユデタの判断が出ていなかったことから、判例としての位置づけに疑問符が付けられていたゴメズ判決が、原則的な判例として他の領域にも適用できることを明らかにしたことである。しかし、それだけではなく、以前よりも、ゴメズ判決の要件を明確化する手がかりを与えたものであるといえるであろう。すなわち、本判決については、以下のような指摘が可能であろう。
  まず、本判決は、ゴメズ判決の使っていた「新しい治療方法」の語を使用することなく、「比較的最近のものであり、あまり頻繁に行われていない」治療方法(une the´rapeutique de description relativement re`cente et re´alisation peu fre`quente)という表現を使っている。ゴメズ判決のいう「新しい治療方法」とは果たしてどのようなものかは必ずしも明確ではなく、この点は既にゴメズ判決が下された当時から学説によって指摘されていた点である(9)。本判決は、一定程度この点を明確化しようとしたものと考えてよいであろう。すなわち、本判決は、当該治療方法がどのくらいの期間行われてきたかという時間的な基準に頻繁さの基準を付け加え、さらに「手術当時の外科学の文献」にも言及している。もちろん、これだけでは、「必要となる文献の数を評価するのは困難である」(10)ことからも、いつから「新しい治療方法」が新しくなくなるのかという、ゴメズ判決の根本的な問題点が明らかになったとはいえないであろう。しかし、少なくともゴメズ判決の要件を具体化する手がかりを与えたと言うことはできよう。その他、本判決ではゴメズ判決が述べていた損害の重大性などの要件も問題になっているが、この点については特に新しい論点ではないこともありここでは触れない。
  いずれにせよ、右に見たトゥールーズ行政裁判所判決に示されるように、ゴメズ判決は、コンセイユデタの判断を経ていなかったが、判例として他の事例においても適用を見るに至った。しかし、一方で、ゴメズ判決の実益をその後施行された立法に基づく特別な被害者補償制度との関係で懐疑的に捉える見解も見られる。ここでの補償制度は最後に触れる医療事故被害者を一般的に対象とする補償制度ではなく、特定の分野の被害者のみを対象とする被害者補償制度であるが、以下では、この論者の説を簡単に見ておきたい(11)
  ゴメズ判決の意義を疑問視する指摘を行う論者が根拠とするのは、一九八八年一二月二〇日法(以下では、八八年法と呼ぶが、条文の引用は公衆衛生法典の条文による)とゴメズ判決が同様の被害に対して適用されるという点である(12)。公衆衛生法典L二〇九ー七条は、生物学研究のための実験による被害者に対する補償制度を規定している。同条は、「個別的で直接的な利益が伴わない生物医学研究(les recherches biome´dicales sans be´ne´fice individuel direct)」のときは、実験の実施者に対して無過失責任を、それらが伴うときには、過失の推定による責任を課している。論者によれば、八八年法の救済制度はゴメズ判決と同じ事例を対象としている。もちろん、ゴメズ判決のようなケースでは患者は自らの利益のために治療を受けるのだから、過失の推定が適用されることとなり、ゴメズ判決が適用される場合と全く同じになるわけではないが、無過失責任と過失の推定の違いはかなり小さいものであるため、ゴメズ判決が適用した無過失責任はその実益を「最小限」のものとしてしまうことになる(13)。したがって、この論者によれば、ゴメズ判決は、「消滅の途上」にあるのであり、トゥールーズ行政裁判所判決がゴメズ判決を適用して無過失責任を適用したのは、八八年法施行以前に発生した事件だからと考えられるとする。
  右のような考え方からすると、ゴメズ判決は現在ではその意味を大きく失ったと判断すべきであるかもしれない。また、ゴメズ判決はトゥールーズ行政裁判所判決を除くと後の判決においてあまり利用されていないこともこのような考え方を一定程度裏付けていると考えることもできるだろう。

三  ビアンキ判決とコンセイユデタ一九九七年一一月三日判決


  コンセイユデタは、一九九七年一一月三日の判決(14)(以下では、「九七年判決」と呼ぶこととする)で、はじめてビアンキ判決を適用して無過失責任を認めた。それだけではなく、九七年判決は、ビアンキ判決の要件に見られた不明確な点をある程度明確化し、かつ無過失責任の適用にかなり厳格な要件を課していたビアンキ判決の要件を緩和しその射程を拡大したものと評価されている(15)。九七年判決は、ビアンキ判決が判例として将来的に行政判例においてどのような位置を占めるかを示すものであり、国公立病院の無過失責任を考える上で、最近の重要な判例のひとつと考えられている。以下で下級審判決も含め、九七年判決についてやや詳しく紹介し検討してみよう。

(一)  事案の内容と一審判決
  九七年判決の事件の概要は以下のようなものであった。一九八〇年四月九日、かかりつけの医師の助言により、当時五歳であったジャメル・メラズ(Djamel Mehraz)は、イスラム教徒(musulman)の家族の子供であったが(16)、宗教的な理由で割礼(circoncision)を受けるため、ジョゼフ・アンベール・ダルル病院(Ho^pital Joseph−Imbert d'Arles)に入院した。宗教儀式であっても病院に入院して手術を受けることにしたのは、より衛生的な環境である病院で割礼手術を受けたほうが、割礼に伴う敗血症の危険やあるいは感染症などの危険を避けることができると考えたためとされる。メラズは、割礼手術に伴う苦痛を避けるため、手術の前に全身麻酔(anesthe´sie ge´ne´rale)を受けた。しかし、手術中にメラズは心停止に陥り、その後重い昏睡状態となった。メラズの昏睡はその後約一年間続き、一年後メラズは死亡した。まず刑事訴訟が行われたが、予審免訴(non−lieu)のため訴訟が継続しなかった。そこで、遺族である母親のメラズ夫人は、病院に対して損害賠償請求を行うため、マルセイユ行政裁判所に訴訟を提起した。
  これに対して、一審のマルセイユ行政裁判所は、過失の推定の理論を使うことによって、原告側の請求を認めた。行政裁判所判決は刊行されていないので、ここではコンセイユデタの政府委員論告等に基づいて、行政裁判所判決の内容を見ておこう。
  行政判例において、医療事故に過失の推定が適用されるためにはどのような要件が充足されなければならないのであろうか。もちろん、過失の推定は医療事故の場合にのみ認められるわけではないが、医療事故のとき、過失が推定されるのは次のような要件が充たされるときであると考えられている。すなわち、第一に、患者に対して行われた治療が、日常的で穏やかな(courant et be´nin)治療であること、第二に、にもかかわらず患者には、重大で異常で予期せざる損害が発生したことである(17)。また、患者の症状が、元々の病気が進んだものではないことが要件として考えられている。マルセイユ行政裁判所は、鑑定(expertise)によって、手術においても術後の治療においても病院には過失がなかったことが立証されていたにもかかわらず、以上の要件を充足するものとして、過失の推定に基づいて病院の損害賠償責任を認めた。ある評釈者の表現を借りるなら、マルセイユ行政裁判所は、「当該子供の入院の理由となった穏やかな(be´nin)医療行為に対して非常に不均衡な損害の極度な重大性」により、推定された過失を採用することとなったのである(18)。また、被害者は、全く健康な状態で(後に触れるように、被害者は「病人(malade)」ではなかった)、入院したにもかかわらず、死亡という重篤な被害を被ったことも、過失の推定を適用する理由であると考えられるだろう。
  けれども、本件は控訴され、一九九三年九月二〇日リヨン行政控訴裁判所が判決を下した(19)。二審判決は、一審のマルセイユ行政裁判所と同じく病院の損害賠償責任を認めるものであったが、根拠が異なっていた。リヨン行政控訴裁判所は、後に検討するコンセイユデタ判決と同じく、過失の推定は本件では適用できないものとした。ここではまず過失の推定の論理がなぜ本件では適用できないのかを確認しておこう。
  行政控訴裁判所とコンセイユデタが過失の推定の理論が適用できないとしたのは、整理すると、以下の三つの理由によるものであったとすることができるであろう。第一に、確かに、割礼そのものは、それほど複雑ではないと思われるものであり、「穏やかな医療行為」であるといえるが、被害者が被害を受けた原因は割礼自体ではなく全身麻酔による心停止であり、全身麻酔は「穏やかな医療行為」とはいえない。第二に、全身麻酔は、従来は重過失を要件としていた困難で複雑な医療行為である。このような行為には過失の推定の制度は適用できないのが従来の判例の立場であった。すなわち、コンセイユデタは、「当然に非常に技術的で危険である、このようなタイプの行為が、推定された病院の過失の制度に属することができるということを決して認めたことはなかった」(20)。第三に、過失の推定が適用されるためには、推定が働く何らかの科学的な曖昧な部分(flou scientifitique)が必要であるが、本件ではそのような余地はなく、鑑定においては、過失はないものとされている(21)。第三の問題点は、輸血センターの無過失責任を認めた一九九五年の判決においても指摘されている点であり、過失の推定による被害者救済の限界を示すものといえるであろう(22)
  以上のように考えるならば、過失の推定によって被害者を救済するのは、少なくとも本件では難しかったはずであるが、マルセイユ行政裁判所は、時期的に見ても未だビアンキ判決が下されていなかったこともあり、被害者救済のために、やや苦しい解釈をしたということなのかもしれない。
  以下では、九七年判決の主要な二つの論点を検討するが、その前に、ビアンキ判決が適用され無過失責任が認められるための要件を整理し、再確認しておこう。ビアンキ判決は、医療事故につき利用者たる患者に無過失責任が適用される要件として以下の四点をあげている。すなわち、@必要な医療行為であること、A治療の危険は例外的ではあるが知られているものであること、B患者(malade)の外部に危険があること、C損害が特に重大な性格を示すことの四点であった(23)。ビアンキ判決が下された当時、これら四要件をすべて充足するのは困難であり、ビアンキ判決が判例として実際に適用される事例はそれほど増えないのではないかと考えられていた。

(二)  麻酔へのビアンキ判決の適用
  まず、九七年判決で問題となったのが、全身麻酔による事故に対して、果たしてビアンキ判決を適用することができるかどうかである。過去、下級審においては、たとえば、一九九四年一二月一二日のボルドー行政控訴裁判所判決のように(24)、麻酔による事故に対してビアンキ判決による無過失責任を適用しながら、右に整理した諸要件が充たされていないことを理由として、賠償責任が認められないとしているものもある。しかし、本件であれば、全身麻酔が、少なくともAやBの要件を充たしていることは争いがないと考えることができよう。麻酔に一定の危険性が認められることは事実であり、論告の認定によると、医師や病院に過失がなくても、八千例のうち一件程度の事故が発生するとされている(25)。この割合は、ビアンキ判決での事故の原因となった動脈造影のケースよりも低い割合であり、「例外的だが知られている危険」であるということができる。また、手術前にメラズ少年が受けた検査からは、メラズ少年には特に健康上の問題はなかったとされており、患者側に原因があったわけでもないことになる。
  実際に病院側が問題にしたのは、麻酔は、@の必要な医療行為であることという要件に該当しないから、そもそもビアンキ判決による無過失責任の適用対象とはならないのではないかという点である。麻酔は、患者の苦痛を緩和するためのものであり、それ自体は患者を治療するものではないからである。評釈者が指摘するように、割礼は病院外で行われることもあり、麻酔なしで割礼が行われることも決して希なことではないのである(26)。このように考えるなら、果たして全身麻酔がビアンキ判決の適用対象として妥当なものか問題になりうることになる。評釈者が指摘しているように、また次に述べる第二の論点とも関係するのだが、ビアンキ判決に基づく無過失責任は、その責任根拠についての議論は多様であり必ずしも一致を見ていないし、また、本稿ではこの点を考察する余裕はないが、少なくとも九七年判決の論告を執筆した政府委員の考えに基づく限りは、国民連帯の原理に基づく無過失責任である。すなわち、病院に過失がないため救済されない医療事故の被害者を国民連帯の名の下に救済するという考え方である。このような考えからは、麻酔が苦痛を癒すために行われた、すなわち、患者の「快適(comfort)」を確保するために行われたのなら、麻酔事故の被害者が、国民連帯を根拠とする無過失責任制度を享受できることは疑問である(27)、と考えることも不可能ではないからである。
  この点に対して、政府委員論告は、次のように述べて、全身麻酔をビアンキ判決の適用対象とするべきであると主張した。政府委員は、麻酔が今日では大部分の外科手術には通常行われていることや、患者には病院が肉体的苦痛に対処するよう求める権利があるなどのことから患者の治療に麻酔が必要な医療行為であるとする。また、「外科行為を行いうるために厳格に必要とされる麻酔」と「手術には厳格には必要と考えることができないいわば『快適(comfort)』のための麻酔」の両者を区別することは困難であり、この区別を裁判官が行うことは危険であるとする。というのは、「耐えることができる苦痛とそうではない苦痛の限界を裁判的に決めてしまう」ことに至るからであるとしている(28)。以上のような理由から、麻酔に対しても、ビアンキ判決を適用することができるとしている。
  コンセイユデタが、麻酔に対しても、ビアンキ判決の適用がある旨判示した点は、評釈等においてもほぼ実際的と評価されており、麻酔のようなかなり日常的な医療活動に対して、ビアンキ判決の無過失責任を適用することは、無過失責任の大幅な拡大につながる恐れがあるという量的な問題点を指摘する論者はあるものの、それ以外の批判的な指摘をするものはあまり見られない。実際、下級審においては、全身麻酔にビアンキ判決の適用を認めている事例があり(29)、コンセイユデタは、下級審の判断を確認したともいえると考えられている(30)

(三)  医学的な理由以外での手術・入院へのビアンキ判決の適用
  九七年判決における第二の論点は、メラズ少年が入院し手術を受けたのは、彼自身は病気だったわけではなく、むしろ健康体だったのであり、宗教的な理由によるものであったという点である。すなわち、ビアンキ判決の文言は、「病人(malade)」の語を使用しており、病気などの医学的な理由による入院患者のみを指すと考えられるというのが、九七年判決の事案においてビアンキ判決が適用できないとする病院側の主張のひとつであった(31)。また、行政控訴裁判所判決に対して、同様の指摘が評釈者によってなされている(32)
  それに止まらず、九七年判決のような宗教的な理由での、すなわち、医学的ではない理由による入院のようなケースでビアンキ判決を適用するについても問題がないわけではないと考えられる。すなわち、ビアンキ判決に基づく無過失責任が国民連帯の原理に基づく無過失責任であるとするならば、補充的で例外的な制度と考えられる。このような無過失責任制度を、病気ではなくある意味で個人の都合で入院したと考えられる者に対しても適用しうるのか、という点である。また、政府委員は論告においてこのようなビアンキ判決の解釈も不可能ではないことを認めている(33)
  しかし、コンセイユデタは、病院側が主張したこのような解釈をとらず、ビアンキ判決を病人以外の入院患者にも適用し、すべての入院患者が、入院の理由に関わらず等しくビアンキ判決の無過失責任の恩恵を受けることができるようにした。論告に沿って、コンセイユデタ判決の理由付けを見ていくことにしよう。
  第一に、医学的な理由による入院とそれ以外の理由、すなわち、宗教的な理由などによる手術とを明確に区別することは必ずしも簡単ではないし、そのような区別を行うことは現実的でもないという点である。確かに理論的には両者を区別することは不可能ではないと考えられる。しかし、具体的に考えてみるとかなり区別は微妙であることがわかる。というのも、区別を妥当とする考え方を支持するのであれば、同一の手術であっても、手術を受ける者の主観的な動機によって、損害が発生したときの責任制度が異なることになってしまい、非常に恣意的な結果を招きかねない。たとえば、論告中にあげられている例を紹介すると、美容外科(chirugie esthe´tique)による手術を、そうでない医学上の手術から区別するのは必ずしも簡単ではないし、九七年判決で問題になっているような割礼であっても健康上の理由によるものと宗教上の理由によるものとを区別するのは困難である。また、たとえば、後者の場合に該当するとしても、被害者に入院を指示したかかりつけの医師が健康上の理由によるものであると主張すれば、医学上の理由に基づく手術であることになってしまうため、実際上このような区別はあまり意味がないともいえる(34)
  第二に、上記のような恣意に陥りかねない区別を持ち込むことは、法的な問題をも発生させることになりうる。すなわち、国公立病院という公役務の利用者が、その利用の動機によって、責任制度の適用につき別異の扱いを受けるのは、「公役務の前の利用者の平等(l'e´galite´ des usagers devant le service public)」という法の一般原理(principes ge´ne´raux du droit)のひとつを侵害することになりうるからである。この法原理は、「公役務に対して同じ地位にあるすべての者が、同一の規範によって、規制されなくてはならない」という原理であり(35)、憲法上の効果を有するとされている(36)。政府委員ペクレスの指摘によれば、本件のようなケースでは、病院側は公衆衛生法典の規定に基づいて、割礼手術を行うことを拒否し、入院を認めないことが法的に可能であるが、一旦病院に受け入れた以上は、動機によって区別することなく同一の条件で入院患者を扱わなくてはならないはずである。以上の点から、病気による入院でなくても、ビアンキ判決を適用すべきであるとされる。
  第三に、ビアンキ判決の文言である。確かにビアンキ判決は「病人(malade)」の語を使用しており、この語の通常の意味からすると、病気以外の理由による入院患者はビアンキ判決の対象から外れそうであるし、むしろビアンキ判決はそのような制限を意図していたと考えることもできるであろう。しかし、政府委員ペクレスは、ビアンキ判決が使っている、「病人(malade)」の語はむしろ「患者(patient)」と変更すべきであると提唱している。というのも、ビアンキ判決などが想定していたのは通常の病人だけではなく、たとえば、既に触れた一九九二年四月一〇日のコンセイユデタ判決がそうであったように、妊婦などもその対象であり、「患者(patient)」と置き換えるほうがより妥当であるとしている(37)。ペクレス自身が述べているように、ビアンキ判決は、訴訟会議(assemble´e du contentieux)による判決であり、このような原則的な判例の文言が、訴訟会議によらない判決によって変更を受けるのは困難でありまた希なこととと考えられている(38)。しかし、九七年判決は、ペクレスの提案を受けて、「患者(patient)」の語を使用して、病院の無過失責任が生じる要件を述べている。すなわち、「患者(patient)の診察(diagnostic)又は治療(traitement)に必要な医療行為が、その存在は知られてはいる(connu)ものの、その発生は例外的で、いかなる理由からも患者が特にそれにさらされていると考えさせることがありえないような危険を示しているとき、もし、この行為の執行が患者の最初の状態やこの状態から予想しうる進行といかなる関係もない、そして、特に重大な性格(un caracte`re d'extre^me gravite´)を示す損害の直接の原因であるなら、病院の公役務の責任が生じる」(傍点は筆者)と判示している。引用した九七年判決の文言は、ほぼビアンキ判決と同一内容であるが、傍点の箇所のみペクレスの主張通りに変更されているのがわかる。
  以上のように、九七年判決はビアンキ判決の適用領域を拡大し、国公立病院などでの無過失責任が認められる可能性を一層高くした。九七年判決の後に下された下級審の判決を見ても、全身麻酔による医療事故に対して、「患者(patient)」の語を使用して、無過失責任を認める判決が見られることは、九七年判決によるビアンキ判決の拡大が定着しつつあることの証左と見ることができるだろう(39)

四  むすびにかえて −立法的対応の試み−

一  以上で、フランスにおいて、ゴメズ判決及びビアンキ判決がその後コンセイユデタなどの行政判例においてどのような展開を見せてきたかを見てきた。ゴメズ判決が、判例としてどれほど影響力を保持しているかについては、やや留保しなければならないかもしれない。しかし、少なくともビアンキ判決に関しては、一九九三年以降も下級審だけではなく、コンセイユデタにおいても判例として適用されており、むしろ、九七年判決に見られるように、その適用範囲が拡大傾向を見せていると言うことができるであろう。コンセイユデタがビアンキ判決を下したときには、その要件の厳格さや根拠の不明確性から、判例としての射程はそれほど広くないのではないかとの指摘もあったが、九七年判決が要件の緩和を行ったこともあり、今後ビアンキ判決の射程が拡大するといってよいであろう。特に評釈者が指摘するように、麻酔は実際に行われている数がビアンキ判決で問題となった動脈造影より圧倒的に多いこと、かつ、病気以外の理由によっても無過失責任が適用されることは、ビアンキ判決の適用が例外的ではなくなり、公財政にかなりの負担をかける恐れが高くなったといえるだろう(40)し、医療分野での無過失責任の拡大が、行政賠償責任の一貫性を喪失させる恐れもあるだろう(41)。また、ビアンキ判決が例外でなくなることは、司法裁判所と行政裁判所の立場の違いを一層鮮明にすることにもつながるであろう。そこで、最後に、項を改めて、ビアンキ判決に代表される病院での事故に対する無過失責任と立法による補償制度の整備との関連に簡単に触れて本稿を閉じることとしたい。

二  ビアンキ判決は、当初から一部の論者により裁判所が立法府の権限を簒奪するものであるという批判を浴びていた(42)。また、ビアンキ判決に必ずしも反対しない論者からも判例による解決の問題点が指摘されてもいた。というのも、判例による解決では、まず第一の問題点として、司法裁判所が管轄を有する私立病院における医療事故と行政裁判所が管轄を持つ国公立病院における医療事故との間で、被害者救済についての格差が生まれてしまう。しかも、司法裁判所は、医療事故については行政裁判所判例で見られるような無過失責任による解決を認めていないとされてきた。したがって、同一の医療事故の被害者でも国公立の病院であれば、ビアンキ判決の適用を受けることによって無過失責任の恩恵を受けることができるのに、私立病院であれば、なんらかのミスを立証しない限り救済されないこととなりうる。両者の間で救済制度の不均衡が生まれることとなるのである。
  また、第二の問題点として、判例による解決であれば、被害者は裁判を起こして勝訴しない限り救済されず、被害者に訴訟の提起と追行という負担を負わせることになり、現実には救済が不充分なものとなる恐れがあると考えられる。
  これらの問題を解決するためには、いうまでもなく、立法による解決が最も適切と考えられる。実際、フランスにおいては、このような立法の必要性が理解されており、一般的な医療事故被害者補償制度はこれまで何度も法案が発表されている。一九七三年から一九九八年にかけて、一五以上もの法案が提出されているとされるが、いずれの法案も成立していない(43)
  一九九八年のコンセイユデタの報告書によると(44)、これまでの立法の試みが成功しなかった理由に関連して三点を指摘している。第一に、いかに法律がうまく作られても、立法的解決は訴訟を完全になくしてしまうわけではないという点である。すなわち、立法が、訴訟による解決に完全に置き換わるわけではないから、前記のような訴訟による解決の問題点は多かれ少なかれ残るということであろう。第二に、もし、医療事故の被害を補償する基金が創設されたとすれば、それは「財政的寛容主義」を引き起こすのではないかという点である。もちろん、ビアンキ判決の運用を見る限りは、損害賠償責任が厳格に枠づけられているのは確かである。しかし、立法が行われるとき、立法者は政治的な理由からであろうが、ビアンキ判決のような−九七年判決によって一定の拡大を見ているのだが−厳格な要件を定めることは困難と考えられる。第三に、医療事故の損害賠償責任を過失責任から危険責任、すなわち無過失責任に移行させることは、医療実務に有害な変化を引き起こす恐れがあるとされる。すなわち、医療実務が無責任化してしまうのではないかという危惧である。したがって、被害者補償立法が制定されるとしても、医師の責任感を維持するためには、立法に基づく救済制度のみでは不充分と考えられ、過失責任の領域をある程度は維持しなくてはならない。
  以上のような理由から、医療事故の補償制度の法案は、現在まで成立しないままである。これまでフランスで提出されたこれらの法案やその根拠となる学説は、それぞれ独自の内容を有する興味深いものであり、フランスにおける医療事故の補償に止まらず、行政賠償責任制度全体の根拠や展開を考える上でも重要なものと考えられる。しかし、その詳細の紹介を含んだ検討は別稿に譲ることとしたい。

(1)  北村和生「フランス行政賠償責任における医療事故と無過失責任−最近の行政裁判所判例を素材に−」政策科学三巻三号(一九九六年二月)三九頁以下。以下では、北村・政策と呼ぶ。
(2)  C. Debouy, Le droit francais de la responsabilite´ administrative:me´tamorphose ou permanennce?, C.J.E.G., 1997, p. 327.
(3)  L'e´volution du droit de la responsabilite´, E.D.C.E., 1998, p. 241.
(4)  北村・政策四〇頁。Gr. Ar., p. 760 et s.
(5)  J. Saison, Le risque me´dical:E´volution de la responsabilite´ sans faute du service public hospitalier, 1999, p. 59.
  その他、広岡隆・行政法閑談(一九八六年)二〇七頁以下、参照。
(6)  参照、北村和生「フランス行政賠償責任におけるHIV感染血液訴訟」立命館法学二五一号一五頁以下。以下では、北村・HIVと呼ぶ。
(7)  北村・政策四一頁。
(8)  T.A., Toulouse, 16 novembre 1995, Cts D., C.P.A.M. de Tarn−et−Garonne c/ Centre hospitalier de Montauban, L.P. A., 10 juin 1996, no. 70, p. 11, note N. Albert.
(9)  参照、北村・政策四三頁。
(10)  J. Saison, op. cit., p. 72.
(11)  A. de Lajartre, La responsabilite´ hospitalie`re relative aux 《premie`res》 me´dicales (Jurisprudence Gomez et loi Huriet), A.J.D.A., 1997, p. 562.
(12)  八八年法は様々な内容を持つ法であるが、本稿では賠償に関する条文にのみ触れることとし、それ以外の点については触れない。
(13)  A. de Lajartre, op. cit., 1997, p. 569.
(14)  C.E., 3 novembre 1997, Ho^pital Joseph−Imbert d'Arles, R.F.D.A., 1998, p. 90, conclusion V. Pe´cresse;A.J.D.A., 1997, p. 1016, note , T.-X. Girardot et F. Raynaud, p. 959;L.P. A., 9 janvier 1998, no. 4, p. 16, note P.-A. Lecocq;L.P. A., 28 janvier 1998, no. 12, p. 20, note S. Alloiteau;D., 12e cahier jurisprudence, p. 146, note P. Chrestia;J.C. P., 1998. II. 10016, note J. Moreau.
(15)  P. Fombeur, Les e´volutions jurisprudentielles de la responsabilite´ sans faute, A.J.D.A., 1999, p. 100.
(16)  Voir, Le Monde, 5 november 1997.
(17)  Par example, C. Guettier, La responsabilite´ administrative, 1996, p. 149.
(18)  A. de Lajartre, La responsabilite´ sans faute de l'ho^pital pour ane´sthesie ge´ne´rale, R.J.O., 1998, p. 169.
(19)  C.A.A., Lyon, 20 septembre 1993, Ho^pital Joseph−Imbert d'Arles, R.F.D.A., 1994, p. 99, note P. Bon;R., p. 470.
(20)  V. Pe´cresse, op. cit., p. 92. Voir, S. Alloiteau, op. cit., p. 22.
(21)  A. de Lajartre, op. cit., 1998, p. 169.
(22)  A. de Lajartre, op. cit., 1997, p. 564. また、北村・HIV一七頁。
(23)  要件の分類は論者によって若干異なる。ここでは、ミッシェル・パイエの分類に基づいている。参照、北村・政策四四頁。
(24)  C.A.A., Bordeaux, 12 de´cembre 1994, Epoux Aidoud, R., p. 1174;T.A. Amiens 8 de´cembre 1994, Gaz. Pal., 1995, Panorama de droit administratif, p. 153.
(25)  麻酔による事故についての詳細は、次の文献参照。J. Guigue et C. Esper, La responsabilite´ du fait anesthe´sique, Gaz. Pal., 1998, p. 1384.
(26)  T.-X. Girardot et F. Raynaud, op. cit., p. 961.
(27)  Ibidem, p. 962.
(28)  V. Pe´cresse, op. cit., p. 94.
(29)  T.A. Lille, 22 septembre 1994, Consorts Pre´vost c/ Centrte hospitalier de Seclin, R., p. 705.
(30)  R. Le Mestre, L'extension de la responsabilite´ hospitale`re sans faute, R.J.O., p. 39.
(31)  P.-A. Lecocq, op. cit., p. 21.
(32)  P. Bon, op. cit., p. 99.
(33)  V. Pe´cresse, op. cit., p. 94.
(34)  Ibidem, p. 95.
(35)  Par exemple, Gr. Ar., p. 454 et s.
(36)  P. Chrestia, op. cit., p. 148.
(37)  V. Pe´cresse, op. cit., p. 95;R. Le Mestre, op. cit., p. 45.
(38)  R. Le Mestre, op. cit., p. 44.
(39)  C.A.A. Nancy, 29 janvier 1998, Kaluska, L.P. A., 30 octobre 1998, no. 130, p. 14, note P. Tifine.
(40)  T.-X. Girardot et F. Raynaud, op. cit., p. 962;P.-A. Lecocq, op. cit., p. 23.
(41)  A. de Lajartre, op. cit., 1997, p. 562.
(42)  北村・政策四七頁。
(43)  J. Saison, op. cit., p. 103.
(44)  E.D.C.E., 1998, p. 263.

  略語表(以下であげられているもの以外については、立命館法学二六二号三九頁など参照)
    C.J.E.G. =Cahiers Juridiques de l'E´lectricite´ et du Gaz
    E.D.C.E. =E´tudes et Documents Conseil d'E´tat
    Gr. Ar. =P. Long, P. Weil, G. Braibant et autres, Les grands arre^ts de la jurisprudence administrative, 12e e´dition, 1999.
    R.J.O. =Revue Juridique de l'Ouest

  (本稿は、日本学術振興会平成一二年度科学研究補助金(奨励研究(A))に基づく成果の一部である)