立命館法学 2000年3・4号上巻(271・272号) 182頁




特許権の同一的侵害について


大瀬戸 豪志


 

は  じ  め  に

  特許権侵害の判断は、通例、次のような過程を経て行われる。まず、第一段階として、特許請求の範囲(以下、「クレーム」という。)に記載された用語の意味=語義が確定され、相手方の実施形式(以下、「対象実施形式」という。)がその領域内にあるときは侵害の成立を認める。次に、対象実施形式がクレームの語義の領域内にない場合は、第二段階として、その対象実施形式がクレームの語義と等価であるか否かが審理され、それが否定されるときは侵害不成立となる。逆に、対象実施形式とクレームの語義との等価性が認められる場合には、第三段階として、その対象実施形式が、特許出願時の公知技術と同一または当業者がこれからその出願時に容易に推考できたものであるかどうかが審理され、それが肯定されるときは侵害不成立となり、否定されるときにはじめて侵害の成立を認める。
  このような特許権侵害の判断過程については、すでに、いわゆる自由技術の抗弁に関する議論の場で侵害判断の「三段階説」として提唱されていたところであるが(1)、上記の第一段階における侵害態様が、特許発明の同一的な実施による侵害、すなわちここにいう「特許権の同一的侵害」である。これに対し、第三段階における侵害態様は、特許発明の等価的な実施による侵害、すなわち「特許権の等価的侵害」といわれるものである(2)。特許権侵害の態様をこのように分ける目的は、特許権侵害を構成する特許発明の実施態様を明らかにし、それにより、「プロ・パテント」(特許重視)といわれる時代の技術開発競争における予測可能性を高めることにある。
  ところで、右の等価的侵害は、いわゆる「均等論」(その内容上、正確には「等価理論」といわれるべきもの(3))の適用による侵害態様に相当するものであるが、従来の等価的侵害をめぐる論議は、この理論を中心とするものであった(4)。わが国におけるこの理論をめぐる長い論議の一応の到達点が、最高裁平成一〇年二月二四日判決(「無限摺動用ボールスプライン軸受け事件」)である(5)
  一方、同一的侵害については、これを詳細に論じるものはほとんどなかったといってよい。しかし、実際の裁判においては、等価的侵害よりも同一的侵害が問題となった事例がはるかに多く、認容例も決して少なくない。それにも拘わらず、この点に関する議論がほとんどみられなかったのは、同一的侵害の概念が明確でなかったということとともに、この侵害態様が、クレームに記載された用語の「字句通り」の侵害を意味し、等価的侵害における等価理論のような解釈を必要としないと考えられていたことによるものと思われる。しかしながら、ここにいう同一的侵害は、後述のように、右のような「字句通り」の侵害のみを意味するものではなく、クレームに記載された用語の解釈によって画定される領域内の侵害をいう。したがって、その領域の画定に当たっては、等価理論の場合と同様に、解釈のための明確な規準を必要とする。
  そこで、以下において、まず、特許権の同一的侵害を構成する特許発明の同一的領域の概念を明らかにし、その上でこの領域を画定するための基準、すなわち、クレームの用語の解釈規準を提示することにしたい。その際、とくに次の二点を強調しておきたい。第一に、解釈の対象であるクレームの記載に関する特許法等の規定を正確に把握することである。これを欠く規準の定立は、恣意的なものとなり、かえって混乱を招くおそれがあるからである。第二に、最近の判決例の中から、とくに、ここにいう同一的侵害の成立を認めたものを参考例として取り上げ、クレームの用語の解釈上の争点を具体的にできるだけ詳細にみることにする。そうすることにより、本稿で提示される解釈規準の内容がより明確になるものと考えられるからである。

一  同一的領域の意義


  特許権の同一的侵害とは、特許発明の同一的な実施による侵害、換言すれば、特許発明の同一的領域における侵害をいう。そして、右の特許発明の同一的領域とは、クレームに記載された用語の意味すなわち語義の範囲内の領域である。この領域は、特許庁の特許付与処分によって形成される対世的な権利としての特許権の絶対的範囲であると同時に、等価的領域とともに、特許発明の保護範囲=技術的範囲に含まれるものである(6)
  しかし、特許発明の同一的領域は、クレームに記載された用語の字句通りの領域のみを意味するものではない。特許明細書の名宛人である、いわゆる「当業者」がクレームの語義に含まれるものとして認識する領域が、ここにいう同一的領域である。すなわち、特許明細書中のクレームの記載は、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものでなければならない」(三六条六項)ところ、発明の詳細な説明には、「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載しなければならず」(三六条四項)、その記載は、「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない」(施行規則二四条の二)。右の諸規定における「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者」が当業者である。特許明細書はこの当業者を名宛人とするものであることはこれらの規定によって明らかであり、したがって、クレームに記載された用語について、当業者がその語義の範囲内にあるものと認識ないし理解するもの(通常、字句通りのものを意味しない)が特許発明の同一的領域に属することになるのである。

二  同一的領域の画定基準


(1)  クレームの用語の解釈の必要性
  特許発明の同一的領域は、前述の通り、クレームの語義の範囲内の領域であって、特許発明の保護範囲=技術的範囲に含まれるものである。したがって、その画定は、クレームの記載に基づくものでなければならない(特許法七〇条一項)。
  現行法上、クレームには、請求項ごとに特許出願人が特許を受けようとする発明を特定するために必要と認める事項のすべてを記載しなければならず(同法三六条五項)、その記載は、とりわけ、@特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであり、A特許を受けようとする発明が明確であり、かつB請求項ごとの記載が簡潔であることを要する(同条六項一号ないし三号)。これら@ないしBの記載要件に対する違反は、拒絶理由となり(同法四九条四項)、また、特許異議申立理由や特許無効理由でもある(同法一一三条四号、一二三条一項四号)。このように、制度的にはクレームの記載の明確性が担保されているものといい得る。
  しかしながら、実際の特許権侵害訴訟においては、常に、クレームの語義(意味内容)の確定が争点になる。対象実施形式が、それ自体明確なクレームに記載された用語の字句通りのものであるときは、裁判に至るまでもなく問題は解決するからである。特許査定時には明確であったクレームの記載が、その後の技術の進歩によりその用語の意味が一義的に確定できないようになる場合が少なくない。とりわけ、特許権成立後に現れる対象実施形式との関係で、それ自体としては明確であったクレームの用語に疑義が生じ、その語義を確定する必要に迫られるというのが特許権侵害訴訟の実態である。クレームの用語の解釈が必要とされる所以である。

(2)  解釈規準
  特許明細書は技術文献である。その文章は、技術的に正確かつ簡明に発明の全体を出願当初から記載するものとし、技術用語は、学術用語を用い、特定の意味で使用する場合を除き、その有する普通の意味で使用し、かつ、明細書全体を通じて統一して使用するものとする(特許法施行規則二四条様式二九備考六、七、八参照)。したがって、特許明細書中のクレームに記載された用語の意味は、文献学的ないし国語学的意味においてではなく、技術的意味において理解されなければならない。
  これに加えて、前述の通り、特許明細書における発明の開示の名宛人は、当業者(当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)であるから(特許法三六条四項参照)、発明の詳細な説明の記載はもとより、クレームに記載された用語の意味は、当業者の認識ないし理解を基準としてこれを定めなければならない。天才的な能力を有する者はもとより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有しない者(いわゆる素人)の理解を基準とすることは、少なくともわが国の特許法上許容されていないのである。さらに、発明者の主観的な認識のみを解釈規準とすることも許されていないというべきである。クレームの用語は、発明者がなにを述べているかではなく、当業者がどのように認識し、理解するかという観点から解釈し、その意味を確定しなければならない。これによってはじめて、解釈の客観性が保証されることになる(7)
  なお、特許明細書における発明の開示は、当該特許出願時を基準として行われる。それゆえ、解釈の規準とされるべき当業者の認識ないし理解についても、特許出願時が基準となる。これを要するに、特許発明の同一的領域は、当該特許出願時における当業者の認識ないし理解に従ったクレームの用語の解釈によって画定しなければならないということである。

  【参考判決例】  東京地裁平成一一年一一月三〇日判決(8)(「防塵マスク」事件ー「当業者の認識」)
      原告の特許発明(本件発明)は、「複合プラスチック成型品の製造方法」に関するものであり、ポリプロピレン樹脂を金型内に溶融射出成形し、「その固化後、スチレンポリマーとエチレンポリマーとブチレンポリマーとのブロックポリマーを溶融射出して、ポリプロピレン部材の表面に、何らの接着剤を使用しないで、スチレンポリマーとエチレンポリマーとブチレンポリマーとのブロックコポリマー部材を立体的かつ一体的に融着成形させる」ことを一構成要件とするものである。本件において、被告が防塵マスクの製造に使用している「スチレンポリマーとランダム−エチレン・ブチレンコポリマーとのブロックコポリマー」(被告ブロックコポリマー)が、本件発明の右構成要件中の「スチレンポリマーとエチレンポリマーとブチレンポリマーとのブロックコポリマー」(本件ブロックコポリマー)を充足するか否かが争点の一つとなった。この点につき、被告は、本件ブロックコポリマーがスチレン、エチレン、ブチレンの各モノマーに基づく繰り返し単位がそれぞれブロックを構成して連結されたコポリマーを意味することは、その文言から一義的に明らかであり、そのようにクレームの記載が一義的に明白な場合は、明細書の他の部分の記載等を参照することなく、クレームの記載の意義を定めるべきであり、それによると、本件ブロックコポリマーは被告ブロックコポリマーとは異なるものであることが明らかであると主張した。
      判決は、本件明細書中に本件ブロックコポリマーの例として挙げられている商品は被告ブロックコポリマーにほかならず、その商品パンフレットには「スチレンーエチレンーブチレンブロック共重合体」と記載され、また、文献にも、被告ブロックコポリマーについて、「スチレン・エチレン・ブチレン・スチレンブロックコポリマー」、「ポリブタジエンの一・四結合部分がポリエチレンに、また一・二結合部分がポリブチレンとなり」と記載されるなど、被告ブロックコポリマーは、スチレン、エチレン、ブチレンの各モノマーがそれぞれブロックを形成しているかのような表記がなされることがあったことを指摘し、これらの事実に照らすと、本件ブロックコポリマーに関するクレームの記載が一義的に、被告が主張するようなブロックコポリマー、すなわち、スチレン、エチレン、ブチレンの各モノマーに基づく繰り返し単位がそれぞれブロックを構成して連結されたコポリマーを指すものと認めることはできないと述べた上で、右掲のような本件明細書および文献の記載のほか、被告ブロックコポリマー以外に、本件ブロックコポリマーのような表記をする熱可塑性エラストマーが当業者間で知られていたことを認めるに足りる証拠はないこと、並びに、本件特許が公告された後、複数の会社から特許異議が申し立てられたが、異議申し立てをした各社は、本件ブロックコポリマーを被告ブロックコポリマーと認識していたことをもって当業者の認識であるとし、これらの事項等を参酌して、本件ブロックコポリマーは、被告ブロックコポリマーを表すものと認めるのが相当であると判示している。

三  解釈の資料と方法


(1)  特許明細書

  (i)  特許発明の同一的領域は、クレームの語義の範囲内の領域であるところ、その画定に際し、クレームに記載された用語の意味を確定するために、明細書中のクレームの記載以外の部分をその解釈資料として利用することができる。このことは、特許発明の技術的範囲について、明細書中のクレームの記載に基いてこれを定めなければならず(特許法七〇条一項)、その際、明細書におけるクレームの記載以外の部分の記載及び図面を考慮して、クレームの用語の意義を解釈するものとする現行法の規定に照らして明らかなところである(同条二項(9))。
  クレームに記載された用語の解釈のために利用されるクレーム以外の明細書中の記載は、主として「発明の詳細な説明」と「図面の簡単な説明」である。発明の詳細な説明の記載は、クレームに記載される発明を支持するものでなければならず(同法三六条六項一号)、両者の記載に矛盾が生じないように、字句は統一して使用しなければならない(同法施行規則二四条様式二九備考一四イ)。クレームの記載と発明の詳細な説明の記載とが矛盾する場合は、前者が優先する。発明の詳細な説明の記載要領については、「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならず」(同規則二四条の二)、発明の技術上の意義を理解するために必要な事項としては、原則として、特許を受けようとする「発明の属する技術分野」、その「発明が解決しようとする課題」およびその「課題を解決するための手段」を記載する。さらに、特許を受けようとする発明に関連する「従来技術」、それとの関連における「発明の効果」および当業者がその実施をすることができるように「発明の実施の形態」および「実施例」をそれぞれ記載する(同規則二四条様式二九備考一五イ、ロ、ハ、ニ)。そして、図面の簡単な説明については、明細書の中に記載し、用語は明細書に記載した用語と同一のものを用いるものとされている(同規則二五条様式三〇備考一二イ)。

  (ii)  特許権侵害訴訟において、クレームに記載の用語の意味に争いがある場合は、その確定のために、発明の詳細な説明が、常に、参酌されてよく、また参酌されるべきである。次掲の裁判例にみられるように、それ自体としては明確(であると思えるよう)な用語であっても、対象実施形式との関係でその意味が一義的に確定できない場合が少なくないからである。

  【参考判決例】  東京地裁平成一一年一一月四日判決(10)(「家庭用カビ取り剤」事件−「発明の詳細な説明」の参酌)
      原告の特許権にかかる明細書のクレームには、そこに記載された三一種類の香料「から成る群から選ばれた一種又は二種以上の単体香料あるいは配合香料と次亜塩素酸ナトリウム水溶液に安定に溶解する界面活性剤を含有することを特徴とする(中略)芳香性液体漂白剤組成物」と記載されていた。この点につき、被告は、右記載中の「から成る群から選ばれた一種又は二種以上の単体香料あるいは配合香料」という文言からすれば、原告の特許発明の技術的範囲は、右の三一種類の香料から一種又は数種を選んだ香料のみから構成される場合に限られることになり、これに対し、被告製品には、右のクレームに記載されていない香料も多数添加されているから、被告製品は、原告の特許発明の構成要件を充足しないと主張した。
      判決は、右のクレーム中の「『含有する』との記載は、通常の国語の用法からすれば、当該成分を含んでいることが必要であり、かつ、特許発明の要件を満たすためにはそれで足りるという意味であって、それ以外の成分が含有されている場合を排除する意味を有するものではない。」とした上で、さらに次にように判示している。「また、右明細書の発明の詳細な説明の欄には、特許請求の範囲に記載されたもの以外の単体香料では、次塩素酸ナトリウムの安定性を害する傾向があるか、その水溶液中で不安定で十分な効果が得られないとの指摘はあるものの、『これらの単体香料も必要に応じて本発明の単体香料と調合して使用することもできる』旨記載されている(中略)。さらに、右明細書には、本件特許発明一の実施例として、特許請求の範囲に記載されていない香料を含有する場合(中略)が示され、このような香料を配合した場合でも、本件発明一の効果を奏することが示されている。」(傍点は引用者)ので、原告の特許発明の構成要件として、「特許請求の範囲に記載された香料だけから成る場合に限定されるということはできず、これ以外の香料を含有する場合でもこれを充足するものと解すべきである。」

  (iii)  発明は、技術上の課題とその解決手段とから成る。そして、前述のように、明細書の発明の詳細な説明の欄には、通常、「発明が解決しようとする課題」とその「課題を解決するための手段」とが記載されている。それゆえ、クレームに記載された用語の意味を確定するにあたっては、解決手段として掲げられたその用語の字句のみに拘泥することなく、当該発明の課題(目的)との関連においてこれを行わなければならない。

  【参考判決例】  東京地裁平成一〇年八月二八日判決(11)(「巻鉄心」事件−「課題と解決」による解釈)
      原告の特許権にかかる明細書のクレームの記載によれば、巻線を巻回するための円筒状のコイルボビンが適用される巻鉄心において、「巻始め部分の断面形状若しくは巻終わり部分の断面形状のいずれかの一方を楕円形状とするか、又は巻始め部分及び巻終わり部分の双方の断面形状を楕円形状とすること」が一構成要件とされていた。この点につき、被告は、右クレームの記載における断面形状は、「円形プラス楕円」であるのに対し、被告製の巻鉄心(本件巻鉄心)の断面形状は「円形プラス台形」であるから、原告の特許発明(本件発明)の構成要件を充足しないと主張した。
      判決は、本件明細書中の「『発明が解決しようとする問題点』として従来の断面が円形形状の巻鉄心においては、『帯状材料の巻始め及び巻終わり部分は……巻回中心位置からずれ易く、……この結果、コイルボビン二を圧接して回転すると、コイルボビン二の内面特にその圧接部分が引っかかって巻線の巻回作業が不可能となったり、あるいは、最悪な場合、コイルボビン二の圧接作業が不可能となるという問題点があった。従って、本発明の目的は、たとえ巻鉄心の巻始めおよび巻終り部分がその巻回中心位置からずれても、コイルボビン二の内面の引っかかりおよびコイルボビン二の圧接不可能を防止できる巻鉄心を提供することにある。』(中略)と記載され、『問題点を解決するための手段』として、『本発明は、……巻鉄心の巻始めおよび巻終り部分の断面形状を楕円形状とし、他の部分の断面形状を……円形形状としたものである。』(中略)と記載され」(傍点は引用者)ていることを認定し、その上で次のように判示し、本件巻鉄心の断面形状は本件発明の上記構成要件を充足するものと判断した。すなわち、「以上の認定事実によると、断面が円形形状の従来の巻鉄心においては、帯材の巻始め部分及び巻終り部分が巻回中心位置からずれた場合、コイルボビンの内面が引っかかって巻線の巻回作業が不可能となったり、コイルボビンの圧接作業が不可能になったりするという問題があったが、本件発明は、これを防止するために、巻鉄心の巻始め部分及び/又は巻終り部分の断面形状を楕円形とし、その他の部分の断面形状を円形形状としたものであり、巻始め部分及び/又は巻終り部分の断面形状を楕円形状とすることにより、巻始め部分及び/又は巻終り部分においてコイルボビンとの間に空隙ができ、帯材が中心位置からずれてもコイルボビンの内面の引っかかり及び圧接不可能を防止することができるようにしたものであると認められる。本件発明は、このようなものであるから、本件発明にいう楕円形状の意義は、任意の楕円形状ではなく、巻鉄心の巻始め部分及び巻終り部分とコイルボビンとの間に空隙ができる形状、すなわち、帯材の積層方向が短軸となるような楕円形状であることを要するものと解されるが、必ずしも数学的な意味での厳密な楕円形状である必要はなく、円筒状のコイルボビンとの間に空隙ができ、帯材が中心位置からずれた場合にもコイルボビンの内面が引っかかったりすることがないような、楕円形状に近似する形状であれば足りるものと解される。」と。

  (iv)  クレームに記載された用語の解釈のために、発明の詳細な説明中の当該発明の作用効果に関する記載を参酌することができる。しかし、クレームに記載された構成と対象実施形式のそれとが作用効果において一致するというだけでは、後者が前者の同一的領域に属するということはできない。同一的領域に属する構成(解決手段)というためには、課題と解決による解釈によって確定される特許発明の技術的思想からみた作用効果の同一性を必要とする。作用効果の同一性は、「発明の構成手段の同一性認定に当たっての間接事実」にすぎない(12)

  【参考判決例】  東京地裁平成一二年六月二三日判決(13)(「血液採取器」事件−「作用効果」の参酌)
      原告の特許発明(本件特許発明)は、「空気の除去および遮断機構付血液採取器」に関するものであり、「水膨潤性高分子材料を含有するフィルター部材であって、水膨潤性高分子材料の乾燥時には空気透過性を有し、水膨潤性高分子材料の膨潤時には気密性を有するフィルター部材を設ける」ことを一構成要件とするものであるところ、被告製品のフィルター部材に含まれるカルボキシルメチルセルロースナトリウム(CMC−Na)が、本件特許発明の右構成要件中の「水膨潤性高分子材料」を充足するか否かが争点となった。この点につき、被告は、「水膨潤性高分子材料」とは、高分子材料の物性として、水に接触して固体のまま体積を増加して、本件特許発明の効果を実現するに十分なレベルに有限膨張する水不溶性の高吸水性ポリマーを意味し、水と接触して溶解するような物質は、右の「水膨潤性高分子材料」に含まれないのに対し、被告 CMC−Na は、極めて大きな溶解速度で水に溶解するので、「水膨潤性高分子材料」に当たらないと主張した。
      判決は、まず、本件クレームにも本件明細書にも、水溶性の物質を除外する旨の記載はないとしたうえで、さらに、本件特許明細書の記載に基づき、本件発明の作用効果について、「本件発明によれば、ヘパリンを乾燥状態で内蔵させるときでも、採取容器や採血針内に予め存在する空気の採取血液への混入が防止できる。この場合、例えば操作体二を所定位置にセットするだけで、容器内の空気の除去と、採取血液の外気からの遮断は、確実かつ自動的に行われることになる。このため採血手技は容易となる。この結果、ヘパリン溶液の血液希釈による弊害が防止され、正確なガス分析が行える。」と認定し、次のように判示している。「本件発明の作用効果は、前記(中略)のとおりであるところ、水溶性高分子材料であっても、右材料の膨潤によりフィルターの気密性が実現されれば、本件発明の作用効果を奏するから、このような物質を除外する理由はない」(傍点は引用者)ので、「『水膨潤性高分子材料』は、水に溶解するものであっても、溶解する過程で膨潤し、膨潤によってフィルターの気密性が実現され得る高分子材料を含むものと解される。」「被告 CMC−Na は、水を吸収して膨潤するものと認められ、膨潤によってフィルターの気密性が実現され得るものと認められるから、『水膨潤性』の要件を充足」し、また、『高分子材料』に当たることも明らかであるから、本件特許発明の構成要件「水膨潤性高分子材料」を充足する、と。

  (v)  クレームに記載された用語の意味に争いがあるときは、発明の詳細な説明に記載された実施例を参酌することにより、その語義を確定することができる。しかし、特許発明の同一的領域を、実施例として記載されたものに限定するような解釈は許されない。特許は、クレームに記載された発明に対して付与されるのであって、実施例に記載された発明に対してではないからである(14)。なお、特許法七〇条二項に「用語の意義」と規定した理由について、発明の詳細な説明を参酌するに際し、その中に記載された実施例に限定する解釈を容認する趣旨ではないことを明確にするためであると説明されている(15)。しかし、同項の趣旨は、次掲の判決例にみられるように、それに尽きるものではない。

  【参考判決例】  大阪地裁平成一二年二月二四日判決(16)(「洗い米」事件ー「実施例」の参酌)
      本件特許発明の構成要件は、「A  洗滌時に吸水した水分が主に米粒の表層部にとどまっているうちに強制的に除水して得られる、B  米肌に亀裂がなく、C  米肌面にある陥没部の糠分がほとんど除去された、D  平均含水率が約一三%以上一六%を越えないことを特徴とする、E  洗い米」である。本件において、右構成要件C中の「糠分がほとんど除去された」という用語の意味が一争点となった。この点につき、被告は、本件明細書に「本件明細書において、『76P.P.M.以下』と表現しているところは、従来の測定方法では測定できないくらい、桁違いに濁度が低いのだということを意味している。」と記載されていることをもって、「糠分がほとんど除去された」とは、その洗滌水が76P.P.M.よりも一桁低い7.6P.P.M.程度の濁度となるまで洗米することを意味するところ、被告洗い米は、52または72P.P.M.であるから、本件特許発明の右構成要件を充足しないと主張した。
      これに対し、判決は、まず、本件明細書の発明の詳細な説明の欄の「課題を解決するための手段」の項に、「ここにいう十分な洗米とは、そのまま炊飯した場合、飯が糠臭くない程度、即ち、現在一般的に消費者で洗米している程度を意味するものであり、物理的には精白米表面にある肉眼では見えない無数の微細な陥没部や、胚芽の抜け跡に入り込んでいるミクロン単位の糠粉等を、ほとんど除去している程度、即ち、再びそれを洗米した場合、洗滌水がほとんど濁らない状態を指すものである。」と記載されていることを指摘した上で、さらに、「実施例一」の項に、「然もその洗い米を再洗米すると、その洗滌水は濁度76P.P.M.以下であり、洗わずに水だけ入れて炊いたが、よく洗米されているので通常の米よりも糠臭もなく鮮度も落ちずおいしいご飯となった。」と記載され、「実施例二」の項に、「その洗い米を再洗すると濁度76P.P.M.以下であり、洗わずに水だけ入れて炊いても鮮度もよく通常よりややおいしいご飯となった。」と記載されていることを挙示し、以下のように判示した。すなわち、「本件明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載を総合すれば、本件特許発明における『糠分がほとんど除去された』とは、一般的に消費者が洗米を行った場合の糠の除去の程度であり、そのまま炊飯した場合、飯が糠臭くない程度、また、精白米表面にある肉眼では見えない無数の微細な陥没部や、胚芽の抜け跡に入り込んでいるミクロン単位の糠粉等を、ほとんど除去しており、再びそれを洗米した場合、洗滌水がほとんど濁らない状態を指すものであると解される。」と。その結果、被告洗い米は、概ねその洗浄水の濁度が42−55P.P.M.程度となる状態まで除糠され、かつ、精白米に付着する遊離糠等を除去してあるために、消費者が炊飯する際に、米を研ぐ(洗米する)必要がないものであると認められるから、本件特許発明の上記構成要件を充足するものとされている。

(2)  当業者の一般的専門知識

  (i)  前述のように、特許明細書は、当業者を名宛人として作成されるものである(特許法三六条四項参照)。したがって、明細書の記載は、当業者の立場に立って読まれなければならない。とりわけ、クレームに記載された用語の意味は、当業者が理解ないし認識するところにしたがって確定しなければならないのであるが、その際、特許出願時における当業者の一般的な専門知識を解釈資料として利用することができる。ここにいう当業者の一般的専門知識としては、「技術常識」、「周知技術」および「慣用技術」が考えられる。「技術常識とは、先行技術のうちで出願当時の当業者に一般的ないし平均的に知られていた技術を意味し、周知技術とは、通常一般の技術者ならば誰でも熟知している技術をいい、慣用技術とは、当該技術分野において一般に慣用されている技術、すなわち当業者が熟知しており、かつ、一般的に慣用されている技術をいう(17)」。

  (ii)  クレームが一般的・抽象的に記載されており、その具体的な構成を当業者の理解ないし能力に委ねているときは、特定の具体的な構成による実施態様が特許発明の同一的領域に属する場合がある。たとえば、クレームにおいて、「固定要素」の使用による二つの材料の結合について記載されている場合は、ボルトであれ、釘であれ、リベットであれ、あるいはまた接着剤であれ、当業者の一般的専門知識に含まれるいかなる結合手段による実施も特許発明の同一的な実施となる。
  出願時点においてまだ存在していなかった具体的な技術上の構成−たとえば、右の例において、一定の化学的な粘着性を有する接着剤であって、それ自体化学物質特許としての適格性を有するもの−も、一般的に記載されたクレームの語義に含まれる。同一的領域に属するか否かは、固定要素として一般的に記載されている技術要素の利用中に存するのであって、固定要素がその具体的な構成において技術水準の発明的な発展に基づくものであるかどうかを問わない。その場合は、いわゆる利用関係の生じる余地があるが、同一的領域における特許権侵害は、このような場合にも生じ得る。

(3)  出願手続書類
  クレームの語義は、原則として、特許明細書および当業者の一般的専門知識によって確定されるべきである。特許法は、当業者に対し、特許公報によって明細書に記載されたクレーム、発明の詳細な説明および図面を公示するものとしているからである(同法六六条三項ないし五項参照)。特許公報による公示の対象とされていない出願手続書類(手続補正書、意見書、異議答弁書、審判手続中の各種書面等)は、右の解釈資料によってもクレームの用語の意味を確定できない場合に、例外的に利用できるにすぎない(18)
  その際、「出願経過の参酌の問題は、特許請求の範囲の記載の文言を限定的に解釈することにより、特許発明の技術的範囲を確定するものであるから、これを拡張する方向に働かせることは否定すべきである(19)。」としても、クレームの語義を確定するために出願経過を参酌することまでは否定し得ないであろう。

  【参考判決例】  東京地裁平成一二年一月二八日判決(20)(「手術用縫合針」事件ー出願手続き書類の参酌)
      原告の特許権(A特許権)にかかる特許発明(A発明)のクレームの記載は、「三角断面を湾曲縫合針の刃部において、湾曲された内側又は外側を鈍い稜線とする為に該稜線を形成する二面をプレス面となし、かつ該鈍い稜線に対応する面を研削面とすると共にその面の両側をそれぞれシャープな切刃となしたことを特徴とした三角湾曲縫合針」というものである。本件において、被告は次のように主張した。すなわち、A特許権の原出願の出願過程においては、「先細三角棒状」を「三角棒状」と明らかに区別した上、特許庁による拒絶理由通知による指摘を受け、訂正明細書により、原出願の「先細三角棒状」を「三角棒状」と訂正し、「先細三角棒状」を加工した縫合針を意識的に除外しているところ、被告の輸入にかかる手術用縫合針(被告物件)は、先細三角棒状の針材から製造されており、三角棒状の針材から製造されていないので、被告物件は、A発明の技術的範囲に含まれない、と。
      判決は、「本件原出願において、縫合針の製造方法として、三角棒状針材を経るものと先細三角棒状針材を経るもののいずれも開示されていた上、補正により『特許請求の範囲』から『先細三角棒状』が除かれたのは、A特許権の分割出願後であると認められるから、本件原出願の出願経過から、A発明は、三角棒状の針材の一面を研削して製造されたものに限定され、先細三角棒状の針材から製造されたものは含まれないと解することはできない。」と判示し、被告の前記主張を排斥している。

四  同一的領域と公知技術


  これまで繰り返し述べてきたように、特許発明の同一的領域とは、クレームの語義の範囲内の領域であり、特許権という対世的な権利の絶対的範囲である。それは、クレームの記載に基づき、原則として、特許明細書の記載と当業者の一般的専門知識を利用して解釈によって画定されるべき領域である。同一的領域がこのようなものであるとすれば、この領域の画定に際して利用できる公知技術(技術水準・先行技術)は、特許明細書に記載された公知技術および当業者の一般的専門知識に属している公知技術のみに限られことになる。いいかえれば、特許付与過程で考慮されていない公知技術は、特許権侵害訴訟において、同一的領域を画定するために原則としてこれを利用することはできないということである。その理由は、以下に述べるような特許明細書の公示機能の徹底とともに、現行特許法における特許庁と裁判所との権限分配を前提とした制度的・理論的な整合性の追求にある。
  前述のように、クレームの記載は、発明の詳細な説明に記載したものでなければならず(特許法三六条六項一号)、発明の詳細な説明には、当業者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない(同法施行規則二四条の二)ところ、その記載要領として、当該発明の課題と解決手段等とともに、その発明に関連する「従来技術」を、課題の記載の前に記載すべきものとされている(同規則二四条様式二九備考一五ロ)。あらためて指摘するまでもなく、右の「従来技術」は、特許出願時における公知技術(技術水準)を意味する。特許審査過程においては、出願人が発明の詳細な説明に記載した従来技術(公知技術)と、場合により審査官・審判官等によって見いだされた公知技術(従来技術)を基礎として出願に係る発明の特許適格が審査され、所定の要件が備われば特許が付与される。したがって、特許付与後においては、審査の基礎とされた右の公知技術(従来技術)のすべてが発明の詳細な説明に記載されているはずである。当業者は、この公知技術とともに、自己の一般的専門知識に属している公知技術に基いてクレームに記載された発明を理解する。当業者によるこの理解の範囲が、ここにいう同一的領域である。これにより、特許制度の大前提である特許明細書の公示性が、よくその機能を発揮することになる。
  これに加えて、さらに、同一的領域をもって特許権の絶対的範囲であるということは、特許の付与、取消および無効の処分を行政庁たる特許庁の専権事項とし、特許権侵害の審理・判断を裁判所の管轄としているわが国の特許制度のもとでは、絶対的範囲である同一的領域内においては、前者の判断が後者の審理を拘束するということを意味する。これを言い換えれば、特許権侵害訴訟において、裁判所が、この絶対的範囲たる同一的領域を変更するような判断をなし得ないのはもとより、その基礎となっている特許権の存在そのものを否定したり、実質的にそれと同一の結果をもたらすような判断をなし得ないということである。このような見地からすれば、特許付与過程において考慮されず、その結果として特許明細書中で報告されておらず、かつ、当業者の一般的専門知識にも属していない公知技術であって、特許権侵害訴訟の場ではじめて提出されたものに基づいて、特許権侵害訴訟において右のような結果をもたらす判断をすることは許されないものといわねばならない(21)

  【参考判決例】  東京地裁平成一〇年三月三〇日判決(22)(「ギプス材料」事件−「公知技術」の参酌)
      クレームの記載に基づく特許発明(本件発明)の構成要件は、「A  水硬化性樹脂で被覆したシートを含む整形外科用キャスティング材料であること、  B  右水硬化性樹脂は潤滑剤を含有すること、  C  右潤滑剤は右水硬化性樹脂の粘着性を低下させ、右材料を適用し成形している間はその樹脂が非粘着性であるようにするものであること、  D  右潤滑剤は左記のイ、ロ又はハの一又はそれ以上を含むものであること、  イ  硬化性樹脂に共有結合で結合された親水性基、  ロ  樹脂に対して非反応性の、樹脂への添加物、  ハ  樹脂と反応性であってそれで樹脂と化学的に結合するような、樹脂への添加物、  E  右樹脂は、水にはっきりわかるほど分散しないものであること、  F  右潤滑剤は、右の樹脂被覆されたシートの主要面において同主要面の動摩擦係数が約一・二未満となるような量で存在すること」というものである。被告は、本件発明の優先権主張日前から、水硬化性樹脂で形成されたキャスティングテープであってその動摩擦計数が一・二未満の非粘着性のものが公知であり、右樹脂の構成成分として親水性基を使用することも、当業者にとって周知であったから、本件発明における「潤滑剤」は、水硬化性樹脂の構成成分である物質を含まないもので、水硬化性樹脂と別個に存在しなければならないと解すべきあり、これに対し、被告製品に含まれるポリエチレンオキサイド(PEO)のステアリン酸エステルは、被告製品の水硬化性樹脂の構成成分そのものであるから、「潤滑剤」に該当しないと主張した。
      判決は、まず、本件特許明細書の記載自体から、本件発明における「潤滑剤」について、水硬化性樹脂を構成する物質を含まないと解すべき根拠は認められず、水硬化性樹脂とは区別されて存在する場合も、水硬化性樹脂の構成成分の一部として存在する場合も含むことが当然の前提とされているとした上で、公知技術を除外して本件発明の技術的範囲を定めるべきものとする被告の右主張に対し、次のように判示してこれを排斥している。すなわち、「本件発明は、複数の構成要件から成り立っており、各構成要件を一定の技術思想のもとに不可分有機的に結合したもので、全体として新規な一つの発明を構成する一体性のある技術的思想の創作であって、各構成要件の単なる寄せ集めではない。したがって、特許請求の範囲に記載された本件発明の技術的思想が本件発明の優先権主張日前全部公知であった場合はともかく、本件発明の一部につき公知技術が存在したとしても、それだけで公知技術を発明の構成要件から排除すべき事由とはならず、このような場合に本件発明の技術的範囲の認定につき、限定解釈をするのは相当でない。とりわけ、本件発明の技術的意義が、水硬化性樹脂に一定の潤滑油を含有させることにより成形の際非粘着性にして成形を容易にするところにあることからすれば、水硬化性樹脂が非粘着性であるように作用する潤滑剤について開示のない公知技術や非粘着性でない公用技術があったとしても、それによって(中略)本件発明における『潤滑剤』の解釈を左右するものではない。」と。

結びに代えて


  特許権侵害の態様を特許発明の同一的領域における侵害と等価的領域における侵害に分ける目的は、特許権侵害を構成する特許発明の実施態様を明確にし、それによって技術開発競争における予測可能性を高めることにある。この目的に添って、本稿では、さしあたり、同一的侵害の構成要素たる同一的領域の概念とその画定方法について考察した。もとより、全体的にも部分的にも、なお詳細に検討されなければならない課題が数多く残されているのであるが、ここでは、とくに以下の二点を強調して、結びに代えることにしたい。
  まず第一に、特許明細書の公示機能の徹底である。これまで繰り返し強調されてきたように、特許明細書の名宛人は当業者であり、したがって、当業者が、その記載、なかんずく明細書中のクレームの用語に与える意味内容(語義)が同一的領域を形成するのである。等価理論の適用による等価的領域の画定についても、そのようにして確定されるクレームの語義との等価性に関する理論として構成されるべきものであるが、そこでも当業者の認識ないし理解が基準とされなけらばならない(23)。特許明細書の公示機能をこのような意味で徹底させることによってはじめて、クレームの解釈による保護範囲画定の客観性が保証され、その結果として特許権侵害の予測可能性の高まりが期待できるのである。
  第二に、特許権侵害訴訟においては、特許庁の特許付与処分により絶対的範囲として形成される特許発明の同一的領域は、それとして受け入れられなければならないということが確認されるべきである。同一的領域の画定に際し、特許付与過程で考慮されていない公知技術の参酌を許容するときは、当該公知技術との関係でその領域が常に浮動状態に置かれることになり、それにより特許権侵害の予測可能性が害されることは明白である。したがって、特許発明の同一的領域との関係においては、特許付与過程で考慮されていない新たな公知技術は、特許権の有効性の確認(訂正審判、特許異議の申立ておよび無効審判の手続き)の場合においてのみ参酌し得るものとされるべきである。このような論理構成が、特許庁と裁判所との権限分配という現行の制度的枠組みのもとで、特許権侵害の予測可能性を高めるという目的に最もよく適合するものというべきであろう。

(1)  拙稿「特許侵害訴訟における自由技術の抗弁」パテント四六巻七号一七頁。
(2)  これらの概念の概要については、拙稿「特許の同一的侵害が認められた事例」発明九二巻五号一一五頁参照。
(3)  拙稿「等価理論の基礎」『二一世紀における知的財産の展望』知的財産研究所一〇周年記念論文集一〇三頁参照。
(4)  等価理論(均等論)に関する全般的な内容については、松本重敏『特許発明の保護範囲』(新版)参照。
(5)  判例時報一六三〇号三二頁。同判決以降の等価理論の動向については、前注(3)の拙稿参照。なお、この最高裁判決は、「特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合には、右対象製品等は、特許発明の技術的範囲に属するということはできない」が、しかし、異なる部分が非本質的部分であり、その間に置換可能性と容易想到性があるときは、対象製品等は特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであるとし、さらに、「対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたもの」である場合は均等なものとはいえないとし、本稿における三段階説を示唆している。
(6)  前注(4)の松本・五六頁によれば、「特許庁のなす特許権付与処分は常に対世的な権利として形成されるものであ」り、これは「対世的な絶対的範囲であるのに対して、保護範囲は常に一定の侵害形式との比較においてのみ、その限度で確定される比較的、関係的範囲である。わが国の特許法においては、三六条五項の特許請求の範囲が絶対的範囲であり、七〇条の技術的範囲が保護範囲である。」とされる。しかし、そこでいわれているように、三六条五項の特許請求の範囲が絶対的範囲であるとしても、特許権侵害訴訟においては、侵害形式がこの絶対的範囲としての同一的領域に属するか否かが問題となる。その意味では、絶対的範囲も、比較的・関係的範囲ということになる。
(7)  いわゆる認識限度論は、等価理論のおける等価的領域の画定においてのみならず、同一的領域の画定においても採用されるべきではない。この点については、さらに注(3)の拙稿参照。
(8)  平成七年(ワ)二七〇八号(http://courtdomino2.courts.go.jp)
(9)  特許法七〇条二項は、平成六年法律第一一六号による改正によって新設された規定であるが、その立法趣旨については、「[クレームの]語義等の明確化のために、原則的に発明の詳細な説明の参酌が許されるとの前提に立った上で、クレームに記載された技術的事項が、それ自体として明確に把握できる場合には、それ以上に限定するような仕方で発明の詳細な説明を参酌することは許されない。また、発明の詳細な説明に記載があってもクレームに記載されていないものは記載のないものとして取り扱うべき』というものであるする考え方」を確認的に規定したものであると説明されている(『平成六年改正工業所有権法の解説』特許庁総務部総務課工業所有権制度改正審議室編一一八頁)。右の考え方は、いわゆる「リパーゼ判決」(最高裁平成三年三月八日判決、民集四五巻三号一二三頁)の判旨の理解の仕方として、平成六年の改正前において、すでに、拙稿「特許出願に係る発明の要旨の認定」(ジュリスト・平成三年度重要判例解説二四一頁、二四二頁)において提唱されていたものであるが、この考え方自体は、出願系における発明の要旨認定に関するものであって、侵害系における特許発明の技術的範囲(保護範囲)の画定方法についてのものではないことに注意する必要がある(前掲ジュリストの拙稿参照))ちなみに、リパーゼ判決の判旨は、「この[発明の]要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。」というものである。
(10)  判例時報一七〇六号一一九頁。
(11)  判例時報一六七二号一一九頁。
(12)  中山信弘編著『注解  特許法  上巻』第三版七三四頁。
(13)  平成八年(ワ)一七四六〇号(http://courtdomino2. courts. go. jp)
(14)  特許発明がその出願前全部公知であることが判明した場合に、その保護範囲(技術的範囲)を制限するために発明の詳細な説明に記載された実施例に限定するというのが、従来の実施例の参酌の仕方であった(前注(12)中山・七四八頁、竹田稔『知的財産権侵害要論』特許・意匠・商標編三版八五頁参照)。
(15)  前注(9)の『平成六年改正工業所有権法の解説』一二一頁。
(16)  平成九年(ワ)九〇六三号(http://courtdomino2. courts. go. jp)
(17)  前注(14)の竹田『知的財産権侵害要論』五〇頁。
(18)  前注(14)の竹田・六五頁においても、「特許権の付与により、客観的存在となった特許権の技術的範囲の確定に、公示されることのない包袋内から出願人の認識を取り出して、公報により公示された特許権の権利範囲ををこれより限定的に解することが、判断の公平を担保するとはいえない。」と指摘されている。
(19)  前注(14)の竹田・六八頁。
(20)  平成一二年(ワ)一四二四一号(http://courtdomino2.courts.go.jp)
(21)  クレーム解釈における公知技術の参酌に関する学説・裁判例の状況とそれに対する批判については、前注(1)および(2)の拙稿参照。なお、最高裁平成一二年四月一一日判決(「キルビー特許」事件、判例時報一七一〇号六八頁)は、「特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情のない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。」と判示しているが、事案の性質からみて、この判示内容をクレーム解釈における公知技術の参酌一般に及ぼすのは妥当でない。右の判示内容自体の検討とともに、この点に関する詳細は別稿に譲る。
(22)  判例時報一六四六号一四三頁。
(23)  等価理論における「当業者の認識」の意義については、前注(3)の拙稿参照。