立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 980頁




自由権規約選択議定書に付した留保の無効

− 規約人権委員会ロウル・ケネディー事件見解 −


薬師寺 公夫


 

は し が き

一  トリニダード・トバゴの留保と当事者の主張
  1  事件の概要
  2  トリニダード・トバゴの留保と当事者の主張

二  規約人権委員会の見解と反対意見
  1  規約人権委員会の見解と反対意見
  2  留保無効の見解の評価

むすびにかえて




は  し  が  き


  先に筆者は、「自由権規約と留保・解釈宣言(1)」において、自由権規約からの留保条項の欠落の経緯、この下での、ウィーン条約法条約一九条−二一条に表現された一般国際法上の留保規則の同規約への適用可能性、自由権規約に付された留保・解釈宣言に対する規約人権委員会の従前の対応(総じて留保の有効性を前提として締約国の意思を尊重する留保・宣言の解釈を行ってきた)を概観した後、オーストリアの留保・宣言をめぐる同委員会での議論を契機として規約人権委員会が従前の立場を大きく転換する一般的意見二四の採択に至ったこと、しかし、この一般的意見に対しては英国、フランス、米国から異例ともいうべき反論が提起され、中国も否定的意見を述べていること、これらを踏まえて一般的意見の評価と問題点を分析し、概ね以下のような見解を述べた。
  規約人権委員会の一般的意見二四は、規約に付された留保・宣言に関して三つの点で委員会の態度を明確にした。第一に、許容されない留保の種類を明示したことであり、これ自体は、規約及びその選択議定書の下で規約目的と両立しないとみなされうる留保の指針を提示したという点で、重要な意義を有すると考える。ただし、個々の内容を見ると、慣習法化した規約中の権利への留保は禁止されるといった、留保論からすればなお未決着の論点が十分論証されないまま自明の前提とされている点、慣習法化又は強行規範化した権利として例示された権利の範囲が広すぎることなど、いくつか問題点が散見される。また、許容されない留保として例示されたものは、相当極端な想定上の例が多く、既に一四四カ国以上の国が自由権規約の締約国となっており、実際に規約や選択議定書に付された留保の実態を踏まえるならば、一般的意見の中で締約国の個別具体的な留保について意見を述べるのは適当でないとしても、報告書審査や個人通報事例を通じて委員会や委員が指摘してきた留保の問題点をより客観的な形式で問題提起する方法はなかったか、という感想をもつ。第二に、意見は解釈宣言の法的性質について、個人通報事件の事例も踏まえながら、解釈宣言が留保とみなされるか単なる国家の了解を示すにとどまるかは国家の意思を考慮して決定するという締約国意思説を採用した。この意思説は、「条約の特定の規定の自国への適用上その法的効果を排除し又は変更することを意図して」付される声明で「用いられる文言及び名称のいかん問わない」と定めたウィーン条約二条1dに従ったものであるが、国連国際法委員会で検討中の留保議題の特別報告者ペレが示した規準、すなわち、宣言の性質決定は名称よりも効果であるとしつつも、名称は意図した目的を示唆する一つの材料であり、性質決定はウィーン条約の条約解釈規則を解釈宣言に準用して総合的に判断すべきだとした見解(2)とはやや異なる。留保と宣言が明確に使い分けられている場合、実際には解釈宣言の法的性質の決定は相当困難な場合があり、個別具体的事例に則して総合的に解釈せざるを得ないと思われる。
  第三に、この見解の最大の論争点になっている点であるが、見解は、人権条約の特殊性論を前面に立てて、ウィーン条約の他締約国による留保の受諾・異議申立制度をそのまま規約に適用することはできず、留保の規約目的との両立性の決定権は必然的に規約人権委員会にあるとし、それに加えて留保の可分性理論を採用して、許容されない留保については留保の利益はなくなるが規約は留保を付した締約国にそのまま適用されるとする立場を採用した。フランス、米国は両立性の判定権が締約国にあるとする立場から委員会にそのような権限は付与されていないとして猛然とこの見解を批判し、やや慎重な批判を展開した英国も、委員会が個人通報を処理する任務の遂行上、必要があれば留保についても見解を表明することはありうるとしつつも、十分な法的論議を尽くした後決定に到達するヨーロッパ人権裁判所の場合とは本質的に異なるとして、委員会には規約が定める以上の権限はなく「決定」権は認められないと論じた。留保可分論に対しては三国とも強く反対した。英国がいうように、規約人権委員会は個人通報審査の過程で、通報審査をブロックする効果をもつ留保について、その規約目的との両立性が通報者によって争われる場合には、両立性について判断せざるを得ない場合があることは事実である。人権条約にも締約国間の相互主義が作用する側面はないわけではないが、人権条約は主要には締約国管轄下の個人の権利を保障するという特殊性があり、実際問題として締約国が他国の留保に異議を申し立てることはまれである(事実、規約においても最大の異議申立がなされた米国の死刑留保でさえ異議申立国数はせいぜい一〇程度の欧州諸国に限られる)。したがって、当該留保に他締約国からの異議申立が少なかったからといって当該留保の有効性を当然視するのではなく、条約実施機関である規約人権委員会が規約目的との両立性につき委員会としての「見解」を述べ、次の段階に進めるかどうかを自ら判断することは、個人の権利保護及び規約の一体性の確保という点から見て合理性があるといえる(ただし、留保について議会の承認があった場合には、議会での議論や承認の事実も十分踏まえる必要があろう)。委員会は当該留保が許容されないという見解をもつ場合には、留保を付した国は当該留保の効果のみ否定され規約に拘束されることへの同意は当然に有効だといえるのかについても自らの見解を述べる必要に迫られるだろう。その上で通報の本案審理に進むことになるが、委員会の見解は本案に関するそれも含めてあくまで委員会としての見解であって、ヨーロッパ人権裁判所判決のような拘束力をそれ自体としてもつわけではない。この委員会の見解に、締約国がどういう法的意味を付与するかは、単に留保の規約目的との両立性のみに関わる問題ではなく、同委員会の規約解釈、見解のフォローアップを含む条約履行監視機関の位置づけと、規約二条を含めて規約が締約国に課した義務、選択議定書に基づいて締約国が負った義務の総体的な検討を通じて明らかにされるべき問題であろう。
  結局、一般的意見二四によって、規約人権委員会は、ヨーロッパ人権委員会や人権裁判所がテメルタシュ事件意見、ブリロ事件判決、ロイジドゥ判決を通じて自らの留保の許容性判定権を確立し、スイスやトルコの留保を無効と認定し、留保可分論を採用して留保の付されない形での条約条文の適用を認めてきた(3)のと同じ方向を歩み始めた。規約人権委員会がこうした立場を明確に表明したことによって、今や、人権条約に付される留保の取り扱いについては、先行した欧州、米州を含め、一つの慣行が確立してきたように思われる。しかし、一般的意見二四に関して、米、英、仏、中四カ国から異例ともいうべき見解や意見が表明されたことについて、前記拙稿では、欧州や米州のような人権につき一定の共通の理解を有する諸国の集まった地域的人権条約の場合と異なり、なお人権観を異にする世界の諸国が締約国となっている自由権規約の場合には、個々の人権につき当該締約国とはアプローチを異にする立場からなされる規約解釈が多数意見として自国へ及ぼされることへの警戒感があること、最近の規約人権委員会のいくつかの見解には条約の承継論、廃棄論をはじめ人権の特殊性論を過度に強調して一般国際法とは異なるアプローチがなされるきらいがあることなどを指摘した。実際、留保についても、留保を付さなければ議会の同意が得られず規約批准がおぼつかなかったような事情がある国や、批准を控えて規約人権委員会がこれまでに表明してきた規約解釈とは必ずしも一致しない国内法制度を有するために一定の留保を付さなければ批准できないような事情のある国の場合、留保の撤回はそれほど容易なことでは決してないだろう。もっとも、上記拙稿の段階ではまだ規約人権委員会が、一般的意見二四に従って、実際に個別通報事件を処理したケースは存在していなかった。そこで同稿では表明された委員会のスタンスが実際に定着しうるかどうかは今後の事例の積み重ねを待つしかないと述べるにとどめた。
  ところが同稿の脱稿後、トリニダード・トバゴからの個人通報事件すなわちロウル・ケネディー事件において、規約人権委員会は、自由権規約の選択議定書に付された同国の留保に関して、初めてその許容性を審査することとなった。結果をまず述べておくと、委員会は、トリニダード・トバゴが付した留保を無効と判断した上、留保可分論を採用して留保のみ無効とし、通報を受理可能と判断し本案審理に進むことを決定した。しかし、この委員会見解には共同反対意見、個別意見が付されており、留保の規約目的との両立性をめぐって、委員間で相当の意見のやりとりがあったことを窺わせるものとなっている。しかも、この決定後に、トリニダード・トバゴは、選択議定書一二条1の権利を行使して議定書を廃棄することを選択した。この通報自体は同条2により引き続き議定書の手続が進行することになると思われるが、留保無効の判断が締約国の議定書からの脱退という極めて憂慮すべき事態へと進行したのである。ヨーロッパ人権裁判所のブリロ事件、ロイジドゥ事件では留保無効とされた留保国が裁判所の結論を受け入れたために、留保可分論についても国際法学では一定の論争があったものの、実務上は大きな問題とはならず、ヨーロッパ人権裁判所ではあたかも確立した判例となっているように見える。しかし、本件では留保無効の法的効果をめぐっても委員の意見は対立した。
  そこで本稿では、まず、ロウル・ケネディー事件の事実の概要とトリニダード・トバゴが本件で問題となった留保を選択議定書に付した理由及び当該留保に関する当事者の主張をまず概観した後、委員会の見解とそれに対する反対意見の内容を検討し、それらについて筆者の見解を述べたいと考える。

一  トリニダード・トバゴの留保と当事者の主張


1  事件の概要
  通報者ロウル・ケネディーは、トリニダード・トバゴ国籍の死刑囚であり、一九九八年一二月に、同国による自由権規約二条3、六条1、2及び4、七条、九条2及び3、一〇条1、一四条1、3(c)及び5、二六条の違反の被害者だと主張して、規約人権委員会に個人通報した。
  通報者の弁護人によれば、彼に関する事実の概要は以下のようになる(4)
  一九八七年二月三日、ロウル・ケネディーはウェイン・マッシューズという人物と共にトリニダード・トバゴでガソリンスタンドに強盗に入り、金と車を奪って逃走し、翌日逮捕された。この強盗の過程で、スタンドのノリス・ヨークという店員が負傷し、その傷が元で彼は翌日死亡した。ケネディーは、店員ヨークをヘッドロックし前頭部に銃を当てて脅したが、ヨークの負傷は、彼が銃に手を伸ばしたのに気づいたもう一人のマッシューズが長い木の棒でヨークの頭部を数回殴打したこと、さらに、ヨークの指図でスタンドの女性監督者シャンジーがガラスコップをマッシューズに投げつけた後、ケネディーが彼女に銃を向けて静かにしろという間に、マッシューズがヨークに駆け寄って頭部を二回殴り、それによってヨークはその場にどさっと倒れた、ことによっている。
  一九八七年二月四日に逮捕されたケネデイーは、二月九日にマッシューズとともに謀殺罪で起訴された(charged with murder)。通報者ケネディーが初めて治安判事の前に連行されたのは二月一〇日であった。通報者は一九八八年一一月一四日から一六日の間に審理され、有罪を宣告された。通報者は有罪宣告に対し控訴したが、控訴裁判所は一九九二年一月二一日に事件の差し戻しを命じ、差し戻し審理は一九九三年一〇月一五日から二九日にかけて行われた。この審理でも通報者は有罪と認定され死刑が宣告された。通報者は再度控訴したが、控訴裁判所は一九九六年一月二六日に控訴を受理不可能として却下し、却下理由の交付は一九九八年三月二四日になって行われた。その後通報者は枢密院司法委員会に申立を行ったが、申立は一九九八年一一月二六日に却下された。
  以上の事実に関し、通報者弁護人は、大きく分類すれば以下の六点につき規約人権違反を主張した(5)
  第一に、逮捕後五日間罪名を告げられず、逮捕後六日たつまで裁判官の面前に連行されなかった点で規約九条2及び3の違反がある。
  第二に、手続の不当な遅延(起訴されたときから第一審開始まで二一か月、有罪宣告から控訴の審理まで三八か月、控訴受理決定から差し戻し審理の開始まで二一か月、差し戻し審有罪宣告から再控訴審理まで二七か月、再控訴審理から理由つきの判決の交付まで二六か月)は規約一四条3(c)及び5に違反する。
  第三に、トリニダード・トバゴでは謀殺罪には一律に死刑が科されるが、この死刑の強制的性格(mandatory nature of the death penalty)は規約六条、七条、一四条1に違反する。
  第四に、恩赦の特典に関連して公正な審理の機会が与えられなかった点で、規約六条2及び4の違反がある。
  第五に、逮捕後、起訴及び裁判官の面前への連行を待つ間に、警察職員により拷問を受け暴行された点で、また、再拘留され、死刑囚房に拘禁され、ひどい条件で拘禁された点で、規約七条、一〇条1の違反がある。さらに死刑宣告後にこうした状況の下で長期の拘禁を行った後死刑を執行することは規約六条、七条に違反する。
  第六に、法的扶助がないために費用が払えず基本的権利の侵害の救済を高等裁判所(最高裁)に求めるトリニダード・トバゴ憲法一四条1が定める権利が事実上否定された点で規約二条3、一四条の違反がある。
  以上の主張の内、第三の点について今少し詳しく見れば、多くのコモン・ロー諸国では謀殺罪に対する刑罰につき、死刑に該当する場合と該当しない場合の区別が法律上設けられているが、トリニダード・トバゴではこの区別がなされたことがなく、しかも「フェロニー・マーダー・ルール」という原則によって、謀殺罪に対する死刑の強制的性格は一層悪い状況を生じさせている、と弁護人は主張した。「フェロニー・マーダー・ルール」によれば、身体への暴力を伴う強盗などの重罪を犯した者は自己の危険負担で暴力を伴う重罪を犯したものとみなされ、当該暴力にたとえ被害者を殺すという故意性がなかったとしても被害者が死亡した場合には当然に謀殺罪として有罪となる上、この原則は、強盗の結果重大な肉体的損傷や死亡が起こりうるということを予測せずに強盗に関与したかもしれぬ従属的役割の共同正犯(secondary parties)にも適用される。弁護人は、事情の多様性にもかかわらず、事情を無視してすべての殺人に一律に死刑を科すことは実際の犯罪の事情と罰との間の均衡を失しており規約七条違反の残酷で異常な刑罰となるし、同六条違反の恣意的な生命の剥奪にも該当する。しかも死刑執行は非人道的又は残酷な取り扱いにあたるから違憲だと主張することさえ同国憲法は認めておらず、また同憲法は個別特定の殺人について死刑を科すべきか否か又はそれを執行すべきか否かという問題について審理又は裁判を受ける権利も認めていない点で規約一四条1にも違反すると主張したのである。
  以上のような通報者の請求に対して、トリニダード・トバゴ政府は一九九八年五月二六日に同国が第一選択議定書に再加入する際に同議定書に付した留保を援用して、本件通報の受理可能性を争った。他方、通報者弁護人は当該留保の規約目的との両立性を正面から争う主張を展開した。このため、本件は、個人通報事件において一般的意見二四以降初めて留保の許容性が本格的に争われる事件となったのである。

2  トリニダード・トバゴの留保と当事者の主張
  トリニダード・トバゴは以前より自由権規約及び第一選択議定書の締約国であったが、一九八八年五月二六日、選択議定書を一旦廃棄し、同日新たに留保を付して選択議定書に再加入するという挙に出た(6)。このような挙に出た最大の理由として、同国政府が援用したのが、英国枢密院司法委員会のプラット及びモルガン対ジャマイカ法務長官ほか事件判決(7)であった。
  本件判決で、司法委員会は、死刑判決後の拘禁中に生じた待死刑恐怖現象を検討した結果、遅延の全期間は衝撃的で既に約一四年に達しようとしており、ヨーロッパ人権裁判所がヨーロッパ人権条約三条違反とみなす期間の二倍の期間であり、現在に至っての死刑はジャマイカ憲法一七条1違反の非人道的な処罰であることは疑い得ないと結論し、終身刑に減刑することを勧告した(8)。その上で司法委員会は、ジャマイカ当局を援助するための一般的所見として、死刑を残すのであれば可及的速やかに執行されなければならず、上訴については迅速に審理し、早い段階で法的扶助を付さなければならないとし、加えて米州人権裁判所や規約人権委員会への申立に関連して、これらの機関の個別事件での決定のために若干の期間の遅延を認めることが合理的であるが、あまりに長く遅延すべきではないとした後、「死刑宣告の後五年以上たって執行が行われる場合にはすべて、その遅延は『非人道的又は品位を傷つける刑罰又は取り扱い』を構成すると信ずる強い理由がある(9)」と結論した(五年という期間は国内手続二年、国際的手続三年という想定)。
  この判決はジャマイカに関するものではあるが、トリニダード・トバゴ憲法五条2(b)にもジャマイカ憲法一七条と同様の規定があるために、死刑執行の同様の遅延は枢密院司法委員会によってトリニダード・トバゴ憲法違反と判断されると考えた同国政府は、司法委員会の決定は同国の憲法規準であり、政府としては、トリニダード・トバゴの法律に基づいて科される死刑を執行できるようにするため制度上の遅延を除去することにより上訴手続を迅速化することが義務づけられたとして(10)、次のような理由を挙げて第一選択議定書の廃棄・再加入を選択したのである(同日、同国は米州人権条約も廃棄通告(11)した)。
  同国の再加入書によれば、同国は規約七条の義務を遵守することを希望して選択議定書を廃棄せざるをえないと考えたが、その前に規約人権委員会の議長及びビューローと協議して死刑事件が登録後八ヶ月以内に完了する保証を求めたところ、その保証は与えられなかったので、同国としては個人通報を受理する委員会の権限を認めることを希望し、議定書一条に留保を付して同議定書に再加入する、その際国家は規約自体に対する留保を行うために選択議定書を利用することはできないという原則を受け入れて、同国は議定書への留保が規約上の義務及び約束を決して減じるものではないということを強調する、というものであった(12)。再加入書により新たに議定書一条に付された留保は以下のとおりである。


「−規約人権委員会は、死刑宣告を受けたいかなる受刑者についても、その者の訴追、拘禁、裁判、有罪宣告、刑の言い渡し、死刑の執行に関係するいかなる問題並びにそれらに関連するいかなる問題についても通報を受理し及び検討する権限を有しない(13)。」
  トリニダード・トバゴは、この留保と、通報者は死刑宣告を受けた受刑者であるという事実とを理由に、委員会には本件通報を検討する権限はなく、委員会が当該通報を登録し委員会規則八六条に基づいて暫定措置を課そうとしたのは管轄権の逸脱であり、本件通報に関して委員会がとった行動は無効であり、拘束力を有しない、と主張した(14)
  他方、通報者の弁護人は、トリニダード・トバゴの留保は一九九八年八月二六日以降になされた死刑言い渡しに関するすべての通報を排除することを目的とするものだが、当該留保は離脱できない権利の違反があるという主張も含めて広範囲の事件を検討の対象から排除することを狙ったものだから、委員会が議定書に基づいて通報を審理する権限を著しく害し、したがって、議定書の目的と両立せず無効かつ効果を有しない、と主張した。その主たる根拠は次の三点であった。第一に、選択議定書の前文、一条及び二条はすべて、規約に定めるいずれかの権利(any of the rights)が締約国によって侵害されたと主張する者からの通報を受理し検討すると述べているから、議定書締約国は規約に掲げるすべての権利につき単一の義務を受諾したのであり、留保によっていずれか特定の権利の侵害を検討対象から除外することはできない。この論拠は、さらに次の三つの理由で説明されていた。@規約に列挙された権利には強行規範の性質を有する離脱できない権利が含まれており、この種の権利に関わる事件を審理する委員会の権限を締約国は制限できない(死刑囚からの拷問の通報など)。A多くの請求は必然的にいくつかの規約条文の違反を主張するから、若干の権利についてのみ通報を扱わなければならないとすれば委員会は困難に直面する。Bトリニダード・トバゴの留保は前例がなく、議定書に対して人的又は事項的留保を付す実行は殆ど又は全く支持されていない。第二に、留保が議定書の目的と両立するかどうかを決定する際には、国は規約によって負う実体的義務について国際的な審査を逃れる目的で議定書から脱退することはできないということを想起するのが妥当であり、同国の留保はまさにこれにあたる。第三に、同国の留保は死刑を科すことそれ自体に関係する通報ではなく、死刑が科されているという理由で死刑に直接又は間接に関連するおよそあらゆる請求についていかなる通報の検討も排除するというものだから、留保の範囲が疑わしい。通報者は、この観点から、留保の有効性を決定するのは締約国ではなく、委員会であると主張して、両立性の判定を委員会が行うことを強く求めた(15)
  こうして、規約人権委員会は、はからずも本件において、一般的意見二四で述べた原則をどう具体的事件で適用するのかが問われることになった。

二  規約人権委員会の見解と反対意見


1  規約人権委員会の見解と反対意見
  @  規約人権委員会の見解
  規約人権委員会は、まず一般的意見二四に依拠して、「市民的及び政治的権利に関する国際規約及び選択議定書に付される留保を解釈し及び効力について決定するのは、これらの条約上の機関である委員会である」と述べ、続いて、通報を登録し手続規則八六に基づいて暫定措置を要請することが委員会の管轄権の逸脱だとする締約国の主張を、留保を根拠に通報が受理できるかどうかを決定するために通報を登録する管轄権をもつのは自明のことだとして退けた後、留保が有効になされたかどうかの問題は、「本件当事国が行った留保が選択議定書の趣旨及び目的と両立すると考えられるかどうかにある」として、この問題の検討に入った(16)
  委員会は、「一般的意見二四において同委員会は、選択議定書に基づく委員会の権限を規約の一定の規定について排除しようとする留保はこの基準(両立性の基準)に適合するとはみなしえないという見解を表明した」(括弧内は筆者の注)として、一般的意見二四の次の部分(一三項)を援用した。
「第一選択議定書の機能は、(規約上の)諸権利に関する請求が委員会の前で審査されることを認めることにある。したがって、規約に定める権利を尊重し及び確保する国家の義務に対する留保であって第一選択議定書において付す留保は、当該国が以前に規約の当該の権利に対して留保を付していない場合には、実体的義務を遵守する国家の義務に影響を及ぼすものではない。選択議定書という道具を利用して規約に対する留保を行うことはできず、第一議定書に対する留保は、国家が当該義務を遵守したかどうかを委員会が第一選択議定書に基づいて審査することはできないということを保障するように機能するだろう。第一選択議定書の趣旨及び目的は、規約に基づき国家が義務を負った諸権利につき委員会が審査することを認めることにあるから、これを排除しようとする留保は、たとえ規約の趣旨及び目的に反するとはいえないとしても、第一選択議定書の趣旨及び目的に反するだろう。」((  )及び強調部分は委員会自身のもの(17))
  委員会が援用した一般的意見二四の一三項は、やや分かりづらい面がある。一般的意見は、まず第一選択議定書の趣旨及び目的が、締約国が規約自体によって義務を負った諸権利につき個人通報を通じて委員会が審査することを認めることにあるとする。この点は問題ないだろう。また規約に定める実体的権利に留保を付さなかった国は、選択議定書に留保を付すかどうかに関係なく規約に基づき規約中の権利を遵守する義務を負うことも疑いない。選択議定書の批准の際に、規約中のいずれかの権利につき留保を付したとしても、それは規約中の当該権利それ自体に対する留保とはいえず、単に当該権利につき委員会の個人通報審査権を排除するという意味しかもたないこともその通りである。ところが、一般的意見は、そこから一気に、選択議定書の趣旨及び目的は、締約国が規約に基づいて負った諸権利の委員会による審査を認めることにあるのだから、「規約に基づき国家が負った諸権利(the rights obligatory for a State)」の委員会による審査を排除することをねらいとする留保は、選択議定書の趣旨及び目的に「反するだろう」(would be contrary to)というのである。一見したところ、委員会は、規約批准の際に規約中の実体的権利に留保を付さなかった場合には、もはや選択議定書批准の際には、留保を付さなかった実体的諸権利(the rights)については当然に委員会の個人通報審査権を受諾しなければならない、選択議定書批准の際に通報の認められる実体条文とそうでない条文とを取捨選択する余地は全くない、といっているかのように見える。ここには論理的な飛躍があり、選択議定書の趣旨及び目的が委員会による個人通報審査権の承認だったとしても、それは規約中のすべての権利について受諾しなければならないかどうかについては自明の事柄とはいえず、もし一括全面的受諾しかないという立場をとるとしてもその根拠を説明する責任があろう。国際司法裁判所の選択条項受諾宣言の場合、同裁判所の管轄権を限定するさまざまの留保が認められてきた実行に鑑みれば、この説明は不可欠と思われる。一般的意見二四は「反するだろう」という推定的書き方をしており、これは意見二四自体が一般論を展開していることからある程度やむをえないとしても、あらゆる場合に「反する」と見ているのかどうかは、必ずしも釈然としない。しかも意見二四の一三項は、本件委員会が引用した文章に続けて、「規約に対して留保を付すことなく第一選択議定書の下で初めて規約中の実体的義務に対して付される留保は、個別事件において規約の特定の条項について委員会が見解を表明することを妨げたいとする留保国の意図を反映しているように思われる(18)」という一文を付しており、このような締約国の意図については、特に批判的な見解を述べているわけではない。
  ところが、本件で委員会多数意見は、意見二四の「第一選択議定書の趣旨及び目的に反するだろう」という部分に強調点を付して、これは「選択議定書に基づく委員会の権限を規約の一定の規定について排除しようとする留保はこの基準(両立性の基準)に適合するとはみなしえない」という見解の表明だったと判断したのである。この点は委員会の少数反対意見が論難する点の一つであり、後に検討を加える。
  ところが、委員会は本件の留保については、意見二四が想定した留保とは異なるものだとして、次のような性格づけを行った。
「本件の留保は、一般的意見二四の公表後に付されたもので、規約のいずれか特定の規定について委員会の選択議定書に基づく権限を排除しようとしたものではなく、ある特定の請求者群、すなわち死刑言い渡しがなされた受刑者に関して規約全体について委員会の選択議定書に基づく権限を排除しようとしたものである(19)。」
  このように、委員会は、本件で問題となったトリニダード・トバゴの留保を、ある特定のカテゴリーに属す個人に関して、規約のすべての実体条文について委員会の個人通報審査権を排除する留保と性格づけた。これは通報者の第三の論拠に対応するものである。
  委員会は、続けて当該留保が選択議定書の目的と両立するかにつき次のように判定した。
「しかし、これは当該留保を選択議定書の趣旨及び目的と両立させることにはならない。反対に、特定の個人集団を抜き出して他の人々が享受している手続的保護よりも劣った保護しか与えないような留保を委員会は認めることはできない。委員会の見解では、これは規約及び選択議定書に具現されたいくつかの根本的な諸原則に反する差別を構成するものであり、それゆえに、当該留保は選択議定書の趣旨及び目的と両立するとはみなしえない(20)。」
  結局、委員会は、特定のカテゴリーに属する人を個人通報手続から排除するような留保は差別的であり、認められないという論拠を採用したように思われる。もっともその際に、本件留保が特定個人群についておよそ規約中のすべての実体的権利について委員会の個人通報審査権を排除するとみなした点を、委員会が本件留保を差別的だと判断する上でどの程度決定的な考慮事項としたのかは必ずしも明確ではない。ある特定のカテゴリーに属す人の特定の権利に関する留保も差別的で許容されないといえるのかどうかは、この見解からは直ちに結論できないであろう。差別的な留保だから選択議定書の目的と両立しないという委員会のこの見解部分も、反対意見による批判の対象となった。
  最後に委員会は、以上の判定から、いきなり「この結果として、委員会は、本件通報を選択議定書に基づいて検討することを妨げられない」と認定し、他に受理可能性に関する抗弁はなされていないから本案の審理へと進むことができると決定した(21)
  前述したように、一般的意見二四の一八項は、留保可分論を展開して、「許容できない留保の通常の効果は、留保を付した締約国につき規約が効力を全く有しなくなるということにはならない。むしろ、このような留保は一般的には可分性をもつのであり、留保の利益はなくなるが規約は留保国に対して有効に作用するということになる(22)」という立場を採用した。しかし、英仏米三カ国がこの可分論に関してはこぞって反発していたことに鑑みれば、委員会の理由づけなしの帰結の導き方には問題があろう。この点も、反対意見が批判を展開した点である。

  A  安藤、バグワッティー、クライン、クレツマー委員の反対意見
  委員会の見解には、安藤、バグワッティー、クライン、クレツマー委員の反対意見とヘンキン委員の個別意見が付された。ヘンキン個別意見は、見解の「結論に私は賛成する」という極短い意見であり、見解の立論には必ずしも同意できないが、トリニダード・トバゴの留保にもかかわらず本件通報は受理できるという結論だけは支持したというニュアンスであろう。そこで、以下では共同の反対意見の論旨を見てみることにしよう。
  反対意見の大前提は、第一選択議定書一条の文言からして、「規約締約国の管轄の下にある個人からの通報を受理し及び検討する委員会の権限の規約締約国による承認は、専ら当該選択議定書の批准又は受諾に依存している(23)」という点にある。反対意見によれば、「選択議定書は別個の国際条約であり、締約国が個人通報を検討する委員会の権限を認める義務を負うことなく規約上の規定を受諾できるようにするために、意識的に規約とは分離された」ものであり、しかも「廃棄を認める規定を含んでいない規約とは対照的に、議定書一二条は明示的に議定書の廃棄を許して」おり、「本件で当事国は選択議定書を廃棄する国家の権利を行使し」、その後「選択議定書への再加入によって、個人からの通報を検討する委員会の権限を認める約束を再確認した」が、この再加入行為は無制限ではなく、本件の留保を伴うものであった(24)。続けて、反対意見は、選択議定書が留保の許容性に関する独自の条項をもっていないため、当該議定書に対する留保は留保に関する慣習国際法の規則により選択議定書の趣旨及び目的と両立する限りで許容されることを述べた後、選択議定書の目的を「規約上の個人の権利が締約国により侵害されたという請求の国際的検討を認めることにより規約の目的と規約の規定の実施を促進すること」と性格づけて、「規約上の権利が規約締約国により侵害されたという個人のすべての請求を検討する権限を委員会がもったとしたら」この目的の最良の実現となろうが、次の事情に目を向けるべきだという(25)。すなわち、
「しかしながら、規約に定めるすべての権利を確保し尊重する義務を国が引き受けたからといって、個人の請求を検討する権限を委員会に与えたことにはならない。この権限は規約の締約国が選択議定書にも加入した場合にのみ獲得される。締約国が国際監視制度を受諾するかしないかの自由を有する以上、この制度を一定の権利又は状況についてのみ受諾する自由はないとする根拠を見出すのは、条約自体がこの可能性を排除していない場合には、困難である。全部かさもなくばゼロという選択は、人権法では合理的な格言とはいえない(26)。」
  つまり、反対意見は、規約中の諸権利を留保なく受諾するということと、委員会の個人通報審査権を受諾するということは別個の条約に基づく別の問題であって、後者を受諾するかどうかの自由が規約締約国に与えられている以上は、委員会の個人通報審査権の部分的受諾という自由も認められているはずだという立場に立つ。規約上の権利に留保を付さなかった締約国は、その条項の自国への効果を排除又は変更することなく遵守する義務を負うが、委員会による当該権利の個人通報審査権については議定書批准又は受諾の際に留保することができるというわけである。
  この基本前提に立って、反対意見が委員会見解に異議を述べた点は二点である。それは、第一に、委員会見解が、本件の留保を差別的であるから許容できないとした点であり、第二は、留保無効の効果に関して委員会が、理由を付すことなく自明の理として、留保無効の結果、委員会は通報を検討することができるとした点である。後者に関して反対意見は、委員会見解が理由を付さなかった以上、一般的意見二四が採用したアプローチの中に説明を求めざるをえないとして、前述の意見二四の一八項とそれに対する批判を検討している。
  第一点について、反対意見は、まず「締約国は国際法の強行規範に違反する留保を付すことはできない」から、「人種、宗教、性に基づいて人を差別するような選択議定書への留保は無効であろう」が、だからといって「締約国による違反の潜在的被害者の各範疇の間に設けられるすべての区別が許されない」わけではなく、「すべては区別自体に及び当該区別の客観的根拠にかかっているのだ」として、委員会が規約二六条(差別禁止)の適用に当たって採用していたアプローチを本件にも適用すべきだと主張し(27)、次のようにいう。

「我々は、規約自身ではなく、選択議定書に対する留保について語っているのだから、死刑の言い渡しを受けた者の実体的権利と他の者の実体的権利との間になんらかの差違があるべきかどうかではなくて、死刑の言い渡しを受けた者が提起する通報と他のすべての者が提起する通報の間になんらかの差違が現に存在するかどうかを検討する必要がある。委員会は、問題のこの側面を無視することを選択したが、この側面は締約国が付した留保の根本的基礎をなすものだ。
  −明らかなことは、死刑言い渡しを受けた者の通報と他の者の通報の間の差違は、双方の通報が異なる効果をもつということである。当事国の憲法上の制約により、死刑の言い渡しを受けた者による通報の提起はそれだけで、たとえ同国が規約上の義務を履行していたことが公知の事実であるとしても、締約国が科された刑を執行するのを妨げることができる。換言すれば、通報の効果は委員会の見解のいかん−違反があったかどうか、違反があった場合に何が救済として勧告されたか−に関係なく、ただ通報を行ったということによって決まる。通報を提起するかもしれぬ他のいかなる範疇の人についても、このようなことは生じない。
  当事国が直面していた憲法上の制約が、もし同国をして規約上の実体的権利を侵害しているという状況にたたせていたのであれば、選択議定書の廃棄とその後の再加入は正当な措置とはいえなかっただろうという点を強調しなければならない。なぜならその場合には廃棄や再加入の趣旨は、同国がとがめられることもなく規約の違反を継続することを許容することにあったといえるからである。幸いなことに、本件ではそうした事態はない。死刑房での単なる時間の長さが、死刑実施の遅延を残虐で非人道的な刑罰とするかどうかの問題について、委員会は枢密院が採用した見解(省略)とは異なる見解をとってきたが、枢密院の見解を支持する締約国が規約に基づく義務に違反するわけではない。
  以上に照らせば、本件当事国の留保を選択議定書の趣旨及び目的と両立しないと考える根拠はないと思料する。留保は本件通報を明らかにカバーするので、この通報は受理不可能である(28)。」(強調点は反対意見のもの)

  反対意見は、特定のカテゴリーの人の通報の権利を他の者の通報の権利と区別して扱う留保を議定書に付すことも、その区別が合理的で客観的なものである限り許容されるという立場を採る。反対意見の理由付けもやや分かりづらい面があるが、区別の合理性、客観性を判断する際には、議定書に付された留保であるから、留保の結果として生じうる死刑囚と他の者との間の実体的権利についての審査可能性の差違に着目して合理性、客観性を判断すべきではなく、通報上に差違を設ける合理的かつ客観的な理由、すなわち区別を根拠づけるような通報上の手続的効果の差違が事実として存在しているかどうかに即して判断すべきだというアプローチをとったように思われる。その上で、死刑囚からの通報は、通報の提起だけで刑の執行を妨げる点で他の通報と異なり、この点が通報間に区別を設ける客観的・合理的根拠だと判断したように思える。もっとも、プラット及びモルガン対ジャマイカ法務長官ほか事件の枢密院司法委員会判決に即して考えると、本件では、トリニダードにおける死刑は、その宣告から五年以上たっても国内的又は国際的手続が継続している場合には一般に残虐で非人道的刑罰になり、基本的には執行できなくなる(終身刑への転換を迫られる)点で特別の憲法的制約を受けることになった。その意味では死刑囚からの通報は、通報後の単なる時間的経過によっては判決の実施不能の効果をもたらさない他の通報とは本質的に異なる。この憲法上の制約が死刑囚の通報に他の通報とは異なる性格を与えた、というのが反対意見の趣旨ではなかろうか。ただし、反対意見は、憲法的制約といえども無条件に合理的、客観的な区別理由となるのではなく、憲法的制約が規約の実体的権利を侵害するようなものである場合には、それを根拠として特定の者を通報から排除する留保は許容されないという点を強調している。死刑房での待死刑恐怖現象を時間の経過によって判断し、一定の期間の経過後は死刑自体を残虐な又は非人道的な刑罰に該当するとした枢密院判決のアプローチと、単なる時間的経過だけでは待死刑恐怖現象を残虐又は非人道的な刑罰又は取り扱いとはみなせないとする規約人権委員会のアプローチ(このアプローチの下では例えば五年の期間の経過というだけでは待死刑恐怖現象は規約七条違反とはならず、締約国が規約七条の権利を尊重しようとすれば、死刑に関連して規約六条が定める条件や死刑に関連して規約一四条が求める適正審理の要件を尊重する締約国の義務との間に抵触が生じうるという状況は、枢密院判決の場合よりは減じられる。)とでは、考え方に相当の違いがあるが、反対意見の委員も、本件との関係では、枢密院判決は規約上の権利を侵害するものというよりは、残虐な又は非人道的な刑罰又は取り扱いの禁止という点で人権保護を強化しようとしたものだと判断したといえる。おそらく反対意見は、一方で枢密院判決を人権に係る憲法上の制約として遵守しなければならず、他方で確定した死刑を執行する国の権限を阻害されてはならないとするトリニダード・トバゴの板挟み状況に相当配慮したものと思われる。
  さて、第二の点に関して反対意見は、まず一般的意見二四のアプローチには国際法の多数の専門家から条約制度の基本的前提に反しているとの批判があり、それらの批判者によれば、「留保が条約の趣旨及び目的と両立しない場合には、留保国は当該留保を撤回しなければ条約当事国にはなら」ず、「規約に付される留保を扱う際にも条約法の一般原則から離れる十分な根拠は存在しない」のだ、と指摘する。もっとも、一般的意見二四で扱われた問題の全体をここで論じ直すことが反対意見の意図ではなく、反対意見としては、「規約自体に対する留保を扱う上でさえ、許されない留保はつねにかたわらに置かれて留保国は留保の利益を受けることなく規約の当事国となるといった見解を委員会は採らなかったことを述べれば十分である」。次いで反対意見は、留保の可分性理論に依拠した一般的意見二四でも「委員会は単に、これが通常の場合だと述べただけであり」、「この前提は、規約当事国となることへの留保国の同意が留保の受諾を条件とすることが極めて明白である場合には適用できず」、「同じことが選択議定書に対する留保にもあてはまる」として(29)、次のような結論を導いた。
「−一九九八年五月二六日に、同当事国は選択議定書を廃棄し、直ちに留保を付して再加入した。同国はまた、死刑を言い渡された者からの通報を扱う委員会の権限をなぜ受諾できないかを説明した。こうした特別の事情の下では、トリニダード・トバゴが特定の留保なしには選択議定書の当事国となる用意はないこと、並びに、同国の再加入が当該留保が受け入れられることを条件としていたことは極めて明白である。したがって、もし留保は無効だという委員会の見解を我々が認めたと仮定しても、トリニダード・トバゴは選択議定書の当事国ではないと言わざるをえなかったであろう。この点も、もちろん、通報を受理不可能とするであろう(30)。」
  反対意見は、本件の留保が不運なものであったこと、当該留保は枢密院が設定した期限が既に徒過していた場合(本件はこれにあたる)にさえ死刑の言い渡しを受けた者からの通報を認めていない点で、当事国が憲法的制約に対応するために必要とされる留保よりも広範囲なものであったと考えられること、同国が廃棄と再加入を行った後、枢密院の判例に留保を不必要とするかもしれない発展があったこと(この内容は述べられていないが)、これらの要因は当該留保の選択議定書の趣旨及び目的との両立性の問題に影響を与えるものではないが、なお同国が留保の必要性を再考し撤回することを希望すること、当該留保の許容性は規約の実体的義務を履行する締約国の義務には決して影響するものではないこと、などを強調して、意見を結んでいる(31)
  このように反対意見は、一般的意見二四が提示した留保可分論には懐疑的であるが、意見自体でそれを全面的に論じることは差し控えた。むしろ本件では、意見二四を前提とするとしても、意見二四自体が留保のみ無効となり規約や議定書の批准又は加入自体は有効だとする留保可分論を「一般的には」と断りを付して採用していることに着目して、本件のトリニダード・トバゴのように留保を議定書受諾の条件とする意思を明示している場合には、留保が無効とされれば留保国は議定書の当事国とはみなされない、という見解をとったのである。

2  留保無効の見解の評価
  一般的意見二四以降、規約人権委員会は規約や選択議定書に対して付された留保に対して同意見に従って、厳格な態度で臨むという姿勢を徐々にではあるが示し始めていた。例えば、パウガー対オーストリア事件で委員会は、「同一事項がヨーロッパ人権委員会によって審査されたことがない」ことを通報の受理条件としたオーストリアの選択議定書に対する留保に関して、この種の留保が付されている場合には、たとえヨーロッパ人権委員会が明白に根拠不十分だという理由で申立を受理しなかったときでもその申立と同じ内容の通報については受理できないとしてきた従来の規約人権委員会の対応(例えばA・M事件見解(32))とは異なる判断を行った。すなわち、委員会は、本件の場合ヨーロッパ人権委員会は、同委員会に対してなされた申立が規約人権委員会の前で既に検討されている問題(本件通報に先行する第一の通報で提起された問題)と同一の問題であるという手続上の理由により申立を受理不可能と宣言したのだから、同一の問題がヨーロッパ人権委員会によって「審査」されたとはいえないと認定し、通報はオーストリアの留保により受理不可能だとする同国政府の主張を退けたのである(33)。しかし同見解は、議定書に付された留保の有効性それ自体を問題にしたものというより、オーストリアの留保の有効性を前提としてその解釈・適用の幅を狭めたものということができよう。選択議定書に対する留保ではあるが、一般的意見二四の基準に従って留保が選択議定書の目的と両立するかどうかが正面から争われたのは、ケネディー事件が初めてのケースである。
  本件見解の多数意見も反対意見も、委員会は、個人通報の処理にあたって、必要な場合には付された留保につきその許容性を判断し、自らの見解を述べる権限を有するという点については、意見は一致していたといえよう。すなわち規約の実施機関が留保の規約又は議定書の目的との両立性を審査できるという先例が規約人権委員会でも打ち立てられたといってよかろう。
  本件トリニダード・トバゴの留保に関して、通報者の弁護人は、個人申立を審査するヨーロッパ人権委員会の権限やヨーロッパ人権裁判所の管轄権を受諾する宣言をトルコが行った際に、同国がヨーロッパ人権条約に付した留保の有効性を否定したクリソストモスその他事件のヨーロッパ人権委員会決定及びロイジドゥ対トルコ事件のヨーロッパ人権裁判所判決に多分に依拠した立論を行っていた。これらの決定や判決は、委員会や裁判所の管轄権に対して領域的、事項的、人的制限を付す留保は認められないとしたが、この結論を導く根拠の中には、そうした制限を許容する明示の規定が条約中に存在しない、ヨーロッパ人権条約(旧)二五条1に定める「諸権利」という文言は受理できる請願の対象がすべての権利に及ぶという趣旨を定めたものと解釈できる、条約発効後ほぼすべての締約国が委員会及び裁判所の管轄権を場所的、事項的制限なしに受諾してきたという統一的な実行に鑑みれば国際司法裁判所規程三六条3の実行に見られるのと同様の留保は認められない、といった理由が含まれていた(34)。しかし、これらの決定や判決で最も強調された点は、ヨーロッパ人権条約は欧州人権公序のの憲法的文書であり、まさにこの性格によっICJの選択条項受諾宣言に関して生じてきた留保の実行の類推適用は排除されるし、条約監視機関の領域的、人的、事項的管轄権を切り縮めるような留保は、人権の維持と実現とにおいてより大きな統一を達成するという条約目的を損なうものとみなされる、という点であった(35)。ヨーロッパの人権条約実施機関は、この論理によって、トルコや拡大する欧州審議会加盟国(旧東欧諸国)への人権条約加入問題に対処しようとしたのである。
  しかし、ヨーロッパ人権条約と自由権規約及び第一選択議定書とでは留保をめぐる前提条件が大きく異なる。まずヨーロッパ人権条約の場合には、留保の許容性に関する条約独自の基準が明示されているが(同条約旧六四条=現五七条、旧四六条2=現条約には対応規定なし)、規約及び議定書には留保条項自体が存在せず、条約目的との両立性の基準が適用される。本件では第一議定書の趣旨及び目的が問題となったが、同目的が規約上の権利を侵害された個人からの請求が規約人権委員会の前で審査されることを確保することにある、という一般論のレベルでは多数意見も反対意見も意見が異なっていたわけではない。しかし、そこから、委員会の個人通報審査権限から特定の権利に関する通報を除外するような留保は議定書の目的と両立しないと考えた多数意見(トルコがヨーロッパ人権委員会の個人通報審査権を受諾する際に軍隊構成員の法的地位に関する申立を除外する留保を付したが委員会はこれを許容されない留保とみなした例があり、多数意見はこの立場と軌を一にする)と、締約国に議定書を批准・加入するか否かの選択の自由がある以上、批准・加入に際して規約人権委員会の個人通報審査権を部分的に受諾する自由も当然推定されねばならぬとする反対意見は、議定書の目的の具体的な見方において異なる立場に立つ。ヨーロッパ人権条約のように同質的な締約国を前提として又はその同質性を拡大する欧州諸国に適用しようとして人権公序の憲法的文書としての性格を意識的に強調している人権条約の場合と、異質な世界の諸国を締約国としてこれらに共通の人権基準を確立しその尊重を確保していこうとする自由権規約の場合とでは、条約実施機関の個人通報審査に関する管轄権においても公序維持機能を託されたヨーロッパ人権裁判所のそれとは当然異なる考え方が適用されてよいだろう。多数意見の管轄権一括受諾論には、諸国の現実からして現時点では無理があるのではないだろうか。
  しかし、本件では以上の点が直接の問題だったのではない。問題はむしろ、特定のカテゴリーの個人からの通報を拒絶するような留保が選択議定書の目的に照らして許されるかという点で争われた。多数意見は、本件留保の場合、留保の結果として死刑囚という特定の類型に属す個人は実体的権利の全てにわたって通報ができなくなる点を差別的と見て留保無効の判断をしたのに対して、反対意見は、特定の類型の個人を他の者と区別する合理的根拠があるかどうかを通報自身がもたらす効果(刑の執行を不可能にする)に照らして比較検討し、本件の区別は客観性・合理性を有し留保は有効だと判断した。いずれの立論も論理構成としては留保の結果又は効果の一部の側面が強調され過ぎているきらいがないではない。しかし、特定のカテゴリーの個人の特定の権利に関する通報を委員会の審査権限から除外する留保は、それだけで一概に選択議定書の目的と両立しないとは必ずしもいえないだろう。留保の許容性は、個別具体的な留保の内容に立ち入って検討する必要がある。もっとも本件の場合、一方では、枢密院の判決によって、トリニダード・トバゴは、死刑を維持する以上、一般的には五年以内に執行しなければ死刑が執行できなくなり、かつ、規約七条が禁止するのと同じ残虐な又は非人道的な刑罰又は取り扱いを禁止する憲法規定に違反したとみなされることになる。他方個人通報を認めれば五年以内に手続が完了する保証はない。本件では、一方で同国がこのジレンマに立たされることになるという具体的事実への実体的判断があり、他方で、同国の死刑は従属的役割の共同正犯にも一律に適用される点で規約六条の重大犯罪要件との関連が問題になりうるが、彼らは死刑囚というだけで通報機会を奪われるという事実についての実体的判断があり、このいずれを重視するかという点で見解が別れた側面も無視しえないように思われる。
  最後に、留保無効の法的効果であるが、多数意見は、一般的意見二四の留保可分論を踏襲したのに対して、反対意見は留保可分論それ自体にも疑問は呈したが、一般的意見二四の枠内でも常に留保のみ無効とされ条約受諾の効果は存続する、というわけではなく、締約国が留保を条約受諾の条件とする明示の意思表示をした場合は、留保無効の効果は条約の批准又は加入自体を無効にするという見解をとった。留保可分論は、ヨーロッパ人権裁判所がブリロ事件判決やロイジドゥ判決で採用したものだが、これらの判決は、スイスが批准を無効とする意図を表明していなかったことや、トルコがブリロ事件判決や締約国の統一的実行を了知した上で裁判所の管轄権を受諾したのだから留保のみが無効となる危険を負担する意思があったとみなされるべきだという論法を用いて留保可分論を正当化していた。危険負担論を用いれば、トリニダード・トバゴも一般的意見二四によって危険を了知していたということになるかもしれないが、ロイジドゥ判決の留保のみが無効となるという判決はやはり欧州人権公序の維持・確保という要請からなされたものであって、これを直ちに規約や選択議定書にそのままの形で適用するには背景となる状況が違いすぎるといえないだろうか。

むすびにかえて


  人権条約に付された留保の許容性は、人権条約という条約の特殊性により条約実施機関によって判断されざるをえない側面があり、それは実施機関が個人通報を扱う過程で必然的に生じる。規約人権委員会も、ヨーロッパ人権委員会・裁判所や米州人権裁判所に次いで実際の事件で留保の許容性判断に踏み切った。これ自体は好ましいことである。しかし、実際の留保の許容性の判断にあたっては、それが付された国内事情や関連事情についても個別具体的に十分な検討が必要であろう。
  トリニダード・トバゴは、規約人権委員会の本件見解の後、二〇〇〇年三月二七日に選択議定書を廃棄した。いわば「角を矯めて牛を殺す」という結果となった(36)。同国は、委員会の個人通報審査権を認めてきたこれまでの態度をここに至って放棄したのである。ジャマイカは既に一九九七年一〇月に選択議定書から脱退したが、二一世紀を前に一層人権保護での進展が望まれるときに、いくつかの締約国が議定書を廃棄するという後退現象が生じていることは遺憾な事態と言わざるをえない。
  留保を付さない形での全面的な選択議定書の受諾が好ましいことはいうまでもないだろう。しかし、留保は往々にして当該締約国の国内事情や国内制度を反映して付されており、一般には議会の支持を得て付されたものである。規約及び議定書の目的自体と両立しないような留保を許容できないとして規約・議定書の一体性を維持する必要性と、他方で現在なお多様な諸国を締約国とする規約の実際の状況とを十分考慮した対応が規約人権委員会には望まれよう。

(1)  拙稿「自由権規約と留保・解釈宣言」桐山孝信・杉島正秋・船尾章子編『転換期国際法の構造と機能』(二〇〇〇年)、二三九ー二八八頁参照。併せて、安藤仁介「人権関係条約に対する留保の一考察ー規約人権委員会のジェネラル・コメントを中心にー」『法学論叢』一四〇巻一・二号、一ー二四頁参照。
(2)  A/CN. 4/491/Add. 6, pp. 3-4, A/CN. 4/491/Add. 4, pp. 38-45, paras. 386-413.
(3)  拙稿、「人権条約に付された解釈宣言の無効」『立命館法学』二一〇号、一二〇ー一四四頁、「人権条約の解釈・適用紛争と国際裁判」杉原高嶺編『紛争解決の国際法』(一九七七年)、二二七ー二三〇頁参照。
(4)  事件の事実概要については、UN Human Rights Committee (UN-Cee), Geneva/New York, General exclusion of death penalty cases not compatible with object and purpose of the first Optional Protocol to the CCPR/Reservation made by Trinidad and Tobago considered not valid/Communication declared admissible/Kennedy v. Trinidad and Tobago (hereinafter referred to as "UN-HRCee− Kennedy v. Trinidad Tobago"), paras. 1-2. 3, Human Rights Law Journal, Vol. 21, No. 1-3, p. 18.
(5)  規約違反の主張は大きく分けて六点有るが、その内容については、ibid., paras. 3. 1-3. 12, pp. 18-20.
(6)  トリニダード・トバゴは廃棄通告の中で、高等裁判所、控訴裁判所、枢密院司法委員会の法の適正手続を経て死刑を宣告された人々による選択議定書手続の濫用が増大しており、これが国民の反発を高めており、麻薬に関係した殺人で有罪宣告された人に関連しての国の安全の利益に悪影響を及ぼしうるという理由をあげて、これにより脱退へと至ったのだと説明し、併せて死刑関連の事件を扱う委員会の権限に留保を付して選択議定書に再加入する意思を表明した。Human Rights Law Journal, Vol. 20, No. 4-6, p. 280.
(7)  本件は、一九七七年の殺人事件で、一九七九年一月に死刑判決が出された後、死刑執行許可が読み上げられ、絞首台近くの刑務所に移送された後、死刑執行直前に執行が中止されるということが三度も続いた上訴人の一四年間にわたる待死刑恐怖現象(death row phenomenon)が非人道的かつ品位を傷つける刑罰又は取り扱いに該当するが争われた事件である。Judicial Committee of the Privy Council (JPC), London, Death row phenomenon constitutes”inhuman or degrading punishment or treatment/Commutation of death penalty to life imprisonment/Pratt and Morgan v. the Attorney General for Jamaica et al., Human Rights Law Journal, Vol. 14, no. 9-10, pp. 338-346.
(8)  ibid., pp. 345-346.
(9)  ibid., p. 346.
(10)  UN-HRCee− Kennedy v. Trinidad Tobago, para. 6. 3, op. cit., p. 21.
(11)  see, Human Rights Law Journal, Vol. 20, No. 4-6, p. 281.
(12)  ibid., pp. 280-281.
(13)  United Nations, Multilateral Treaties Deposited with the Secretary−General:Status as at 31 December 1999, Vol. I, p. 176.
(14)  UN-HRCee− Kennedy v. Trinidad Tobago, para. 4. 2, op. cit., p. 20.
(15)  ibid., paras. 3. 14-3. 17 and 5, pp. 20-21.
(16)  ibid., para. 6. 4, p. 21.
(17)  ibid., para. 6. 6, p. 21.
(18)  Report of the Human Rights Committee, Vol. I, GAOR:Fiftieth Session Supplement No. 40 (A/50/40), p. 122.
(19)  UN-HRCee− Kennedy v. Trinidad Tobago, para. 6. 7, op. cit., p. 21.
(20)  ibid.
(21)  ibid.
(22)  Report of the Human Rights Committee, Vol. I, GAOR:Fiftieth Session Supplement No. 40 (A/50/40), p. 124.
(23)  UN−HRCee-Kennedyv. TrinidadTobago,Individual,Dissenting,Opinion,para. 2. op. cit. p. 22.
(24)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 3-4, p. 22.
(25)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 5-6, p. 22.
(26)  ibid., Dissenting, Opinion, para. 6, p. 22.
(27)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 8-9, p. 22.
(28)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 9-12, pp. 22-23.
(29)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 15-16, p. 23.
(30)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 17, p. 23
(31)  ibid., Dissenting, Opinion, paras. 18, p. 23.
(32)  前掲拙稿「自由権規約と留保・解釈宣言」、二四七ー二四八頁参照。
(33)  Communication No. 716/1996 (Dietmar Pauger v. Austria), CCPR/C/65/D/716/1996, paras. 6. 3-6. 5.
(34)  前掲拙稿「人権条約の解釈・適用紛争と国際裁判」、二二七ー二三〇頁。
(35)  同右、二二八ー二二九頁。
(36)  United Nations High Commissioner For Human Rights, Optional Protocol to the International Covenant on Civil and Political Rights:Trinidad and Tobago's status. http://www.unhcr.ch/tbs/doc.nsf/53ddb4 (on 1st Dec. 2000).

  (本稿は、平成九年度−平成十一年度科研費基礎研究.B(1)『国際人権保章体制の研究−実施措置を中心として−』の分担研究の一部である。)