立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 1083頁




公害における過失責任・無過失責任


吉村 良一


 

は  じ  め  に

  筆者は別稿(1)においてわが国の公害・環境法の歴史を検討し、一九六〇年代後半から七〇年代前半の時期に大きな発展があったこと、その中で、私法とりわけ不法行為法が大きな役割を果たしたことを指摘した。さらに、同論文では、この時期の理論の前史的意味合いを持つ一九六〇年代前半までのわが国の公害・環境私法の歴史を検討し、以下のような特徴を明らかにした(2)。すなわち、民法典は人々の活動の自由を保障するために過失責任主義を採用したが、起草者自身、無過失責任特別法の制定を否定的には考えておらず、また、民法典起草前後の議論においては、自己の行為が他人の権利を侵害することを予見しまたは予見可能でありながら行為したものの責任を、例えば、行為の社会的有用性や防止措置の困難さ等を理由に免ずるといったことは考えられていなかった。しかし、明治末から大正期に変化があらわれる。一方では、近代的産業にともなう危険に過失責任では対処できないとして無過失責任を説く学説が増加するとともに、他方で、大審院によって、損害発生が予見しえたとしても「相当ナル設備」をしておれば過失はないという過失論が説かれ、この過失論が、少なくとも理論的枠組みとしては、その後の判例を規定していくのである。その背景は、一般的に言えば産業優位の時代思潮であり、公害問題に即して言えば、「汚染が、一定の除害装置を励行したとしても、その本格的な防除は相当困難であり、したがって、除害そのものが一つの重要な技術上の課題となった段階に到達したことと、他方では、そうした除害技術の完成を後回しにして生産の継続・向上を実現するための行政的、思想的措置が全面的に追求されるようになった(3)」という当時の日本資本主義の発展段階と社会状況が存在した。ただし、このような過失論が現実の訴訟において企業免責的に機能したかどうかは別の問題であり、下級審判決の多くは、公害事件において過失を認め、企業の賠償責任を肯定しており、さらに、過失を予見可能性によって構成する限り損害発生の危険が高くかつ継続的に被害を発生させる公害のような場合、過失は容易に認めうるとする説や、危険な活動の場合には過失の前提としての注意義務には高度なものが要求されるといった説が、有力に主張されていたことにも留意する必要がある。あわせて前稿では、公害・環境私法発展の前史的段階における議論では、化学工場や鉄道といった汚染源が付近住民に被害を与えた事例を、隣接する土地所有者同士の相互的な権利行使の調整原理である相隣関係法理ないしその延長上で考えるという傾向が存していたこと、したがって、一九六〇年代後半以降の議論において、法理論が公害問題の現実をどれだけ正確に認識し、相隣関係型の理論の限界を乗り越えていったかが重要な分析のポイントになることを指摘した(4)
  以上を踏まえるならば、次になすべきことは、一九六〇年代後半以降の公害・環境私法理論の展開とその特質を解明することであるが、本稿では、そのために検討が必要な多数の論点のうち、過失責任に関する議論に絞って、公害問題の深刻化に直面する中で、当時の学説や判例がどのような議論を展開していったか、そしてそれは、六〇年代前半までの議論をどう継承し、どう克服したものなのかを明らかにしてみたい。なお、あわせて、過失責任と表裏一体の関係にある無過失責任に関する議論にも触れる。

(1)  拙稿「公害・環境私法史研究序説」立命館法学二六一−二六三号(一九九九年)。
(2)  前掲拙稿注(1)立命館法学二六三号五四頁以下。
(3)  小田康徳『近代日本の公害問題』(世界思想社一九八三年)一〇三頁。
(4)  前掲拙稿注(1)立命館法学二六三号五七頁以下。


一  検討の前提


(1)  一九六〇年代後半の公害問題
  法理論の検討に入る前に、当時の公害およびそれに対する法や行政の対応の状況を簡単に見ておこう。昭和四四年度版の『公害白書』は、大気汚染に関して、降下ばいじんによる汚染は昭和四〇年以降は横ばいないし減少の状況にあるが、いおう酸化物による汚染は増加する傾向にあり、自動車排出ガスは、道路交通事情の悪い交差点等の周辺において、頭痛、目の刺激、吐き気等の障害を引き起こしているとして、当時の深刻な状況について記載している(同書一九頁以下)。水質汚濁についても、大都市圏の河川を中心とした深刻な汚染状況が記載されている(同書六七頁)。さらに、昭和四五年度版には、大気汚染につき、一部の都市では緊急時の措置を必要とする状態が発生しているとの記述があり(同書一一頁)、昭和四六年度版には、カドミウムにおける土壌汚染・「ヘドロ問題」・鉛汚染事件・光化学スモッグ事件等の新しい公害問題の発生についての記載がある(同書七頁)
  それでは、このような深刻な公害問題に対する、当時の法や行政の対応はどのようなものであったか。この点の特徴はすでに別稿(1)で概観したが、その要点を再録すれば、以下のようである。すなわち、この時期までの公害・環境問題への法的対応は対症療法的であり、同時に、経済成長と融和的であり、その意味で、戦前以来の産業優先の思想を克服しきれていなかった。遅々として進まない対策の中で、公害に苦しむ住民らは公害反対の住民運動を展開することになり、このような公害反対運動の盛り上がりに押される形で、公害対策基本法(一九六七年)、大気汚染防止法、騒音規制法(いずれも一九六八年)の制定等、国および自治体レベルでの公害対策が前進するが、この段階ではなお規制の基準が緩やかであったことや、対症療法的でそれぞれの公害についてバラバラの規制がなされていたため、複合的な汚染に有効に対応できないなどの問題点を有していた。また、一九七〇年の改正で削除されることになるが、当初の公害対策基本法が、「経済の健全な発展との調和」条項を有していたことに象徴されるように、この時期の公害対策には、経済成長優先思想の影がなお色濃くつきまとっていたのである。

(2)  公害のとらえ方
  公害に関する法理論を考える上で、公害をどうとらえるか、すなわち、その本質をどう把握し、どのような特徴を持つものと理解するかが重要となる。以下、この時期に展開された公害の本質や特徴に関する議論を、簡単に整理しておきたい。
  公害対策基本法は、公害を、「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる相当範囲にわたる大気汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、騒音、振動、地盤の沈下及び悪臭によって、人の健康又は生活環境に係る被害が生ずること」と定義している(同法二条一項)。さらに、『公害白書』は、公害の性格として、@生産活動や日常生活の遂行など人間の活動に伴って生ずる現象であって、人の健康をそこない、快適な生活環境を奪うなど社会に有害な影響を及ぼすものであること、A個々の発生源からの汚染を個別的にみればほとんど影響を生じない場合であっても、それが数多く集積することによって重大な影響を及ぼすこととなる場合が多いものであること、B及ぼす影響が多種多様であり、その範囲が相当の地域的広がりをもっていること、C多くの場合、加害の態様が継続的であり、しかも大気や水等の自然の媒体を通じて行われるものであること、D発生源が不特定多数であるか、あるいは特定していても因果関係が不明確であることを指摘している(2)
  「ニューサンス研究会」を組織し、わが国の公害法研究において大きな役割を果たした加藤一郎(敬称略、以下同じ)も、次のように、公害対策基本法や公害白書のそれと類似した公害把握を行っている。すなわち、加藤は、「公害については機能的に概念をたてていけばよく」、抽象的・概念的・画一的な定義をする必要はないとした上で、公害の特色として、@公害は人の行為によって生ずるものであること、A人や物に対する直接の侵害ではなく、大気とか水とかいうものを通じて被害が生じてくること、しかも多くの場合、その侵害が継続的であること、B公害の主体としての加害者と被害者のいずれも、それが誰かということが必ずしも明確でないことを指摘しているのである(3)。なお、別の論文で加藤が、「現在の技術水準のもとでは、技術的に、または経済的に公害を防止することが困難なことが少なくない。このような状態のもとで、公害をなくすためには、工場の建設などをやめるほかはないが、国民経済上のプラスが公害被害者の発生およびそれへの賠償支払いというマイナスを償ってもはるかに大きい場合には、それをいっさいやめさせてしまうことは決して得策ではない(4)」として、一種の公害不可避論とでもいうべき指摘を行っていることにも留意したい。
  このような公害把握を批判し、公害をわが国の社会経済体制に関連づけて特色づける一連の主張がある。例えば、宮本憲一は次のように公害を定義する(5)。すなわち、「公害とは都市化工業化にともなって大量の汚染物質の発生や集積の不利益が予想される段階において、生産関係に規定されて、企業が利潤追求のために環境保全や安全の費用を節約し、大量消費生活様式を普及し、国家(自治体を含む)が公害防止の政策をおこたり、環境保全の公共支出を十分に行わなぬ結果として生ずる自然および生活環境の侵害であって、それによって人の健康障害または生活困難が生ずる社会的災害である」。法律研究者として同種の把握を行うのが、民科法律部会公害研究会のメンバーである牛山積や清水誠であった。例えば、牛山は、公害概念の把握を、「現象的把握」、「構造的把握」、「イデオロギー的把握」の三つに類型化した上で、「公害概念を資本主義の機構との関連において把握しようとする立場」である「構造的把握」が「資本主義体制のもとでの公害問題を対象とする法律学においても採用されるべきものであ」り、このような観点に立つことによって、「公害問題の階級性ないし階層性をあきらかにすることができ」、そしてそのことが、「個人の等質性の観念を基礎にもつところの私法理論を被害者保護の目的に適合するように修正すべき理由を提供することになる」とする(6)。また、清水も、以下のように、公害を資本主義体制と密接に関わるものとしてとらえる(7)。「資本主義国における公害の根源を追い求めていくと、結局は所有形態の問題にぶつかる」。「公害現象の原因をたぐっていけば、その大部分は、この巨大化した独占資本があくなき利潤獲得のために行う企業活動というものにつきあたらざるをえない」のであり、この点は、いわゆる都市公害であってもかわらない。なぜなら、「都市に自動車を充満させ、石油製品を充満させているのは決して自然現象ではなく、そのようなことを承認し促進している者たちによる人為的現象であ」り、大都市への人口集中も「実は人為的な出来事なのである」からである(8)
  以上のような二つの公害把握の違いは、公害法理論を構築する上でも重要な意味を有した。特に重要なことは、被害者と加害者の間に階級的・階層的格差があり、したがって、両者の立場は非対等的であり非交替的なものであることを、公害の本質的なメルクマールと見るかどうかである。なぜなら、すでに指摘したように、この時期までの日本の公害・環境法においては、相隣関係的な紛争事例と大規模で深刻な工場公害や鉱害を区別せずに議論を展開するという傾向があったが、公害の本質として階層性や非対等性を重視するならば、もはやそこでは相隣関係的な理論は妥当せず、階層性や非対等性にふさわしい法理論の構築こそが求められるからである。さらに、公害を、加藤が述べたような意味で不可避のものと見るかどうかも重要である。
  最後に、裁判例における公害の特色づけとして、新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日判例時報六四二号九六頁)のそれをあげておきたい。この判決は、公害の特質として、以下の五点をあげている。@被害者が加害者の立場になりえないという被害者と加害者の地位・立場の非交替性、A付近住民らにとって不可避的な被害、B不特定多数に相当広範囲の被害を発生させる、C付近住民らは程度差はあれ等しく被害を蒙ること、D原因となる加害行為は企業の生産活動の過程において生ずるものである以上、企業には利潤が生ずるが、被害者にはその活動から直接得られる利益は何ら存しないこと。これらの特徴のうち最も重要なのは、おそらく@の立場の非交替性の指摘であろう。さらに、公害が企業の利潤追求活動から生ずることを指摘したDの特徴も重要である。

(1)  拙稿「公害・環境私法史研究序説」立命館法学二六一号七九頁以下。
(2)  『昭和四四年度版公害白書』六頁。
(3)  加藤一郎編『公害法の生成と展開』(岩波書店一九六八年)五頁、七頁以下、一一頁以下。
(4)  加藤一郎「公害無過失責任立法の問題点」現代法ジャーナル創刊号(一九七二年)一二頁。
(5)  庄司光=宮本憲一『日本の公害』(岩波書店一九七五年)二四頁。
(6)  牛山積『公害裁判の展開と法理論』(日本評論社一九七六年)八頁以下。
(7)  牛山積=河合研一=清水誠=平野克明著『公害と人権』(法律文化社一九七四年)四頁以下。
(8)  このような「体制的」公害把握に対しては、当時から、社会主義国における公害現象の存在を指摘しての批判があった。社会主義体制が「崩壊」し、そこにおける深刻な環境破壊が白日のもとにさらされた今日の段階では、「社会主義と公害」という問題は、二〇世紀に存在した社会主義的社会体制というものが何であったのかという問いにもつながる深刻な課題を提起していることは間違いない。しかし、そのことがただちに、この時期における「体制的」な公害把握の限界を示すというわけではない。なぜなら、これらの把握は、「社会主義になれば公害はなくなる」といったたぐいの主張ではなく、あくまで、わが国の深刻な公害問題の原因をさぐり、そこにはわが国の経済・社会・政治等のあり方が密接に関係しているという主張であったからである。換言すれば、問題は「資本主義か社会主義か」ではなく、わが国の公害問題がわが国の社会や経済や国家のあり方(体制)にどう関係しているかであったのである。


二  公害における過失論の展開


(1)  学説の動向

  イ.新受忍限度論
  野村好弘は、一九六七年に発表した論文において、「従来別々に論じられてきた故意・過失および違法性は、すくなくともニューサンスに関する限り、これからは統一的に判断されるべきである。そして、それらの概念にとって代わって、受忍限度の概念が導入されるべきである」とする注目すべき主張を行っている(1)。この主張は、違法性判断において従来から主張された受忍限度論と区別する意味で、新受忍限度論と呼ばれる。すなわち、違法性と故意・過失という二元的な要件を受忍限度というものに一元化し、様々の事情を総合的に考慮して、受忍の限度を超えていると判断できる場合に責任を認めようという考え方である。考慮されるべき事情は、野村によれば(2)、@被侵害利益の性質および程度、A地域性、B被害者があらかじめ有した知識、C土地利用の先後関係(ただし、健康や精神の安定といった利益との関係では、先後関係は考慮されるべきでない)、D最善の実際的方法または相当な防止設備(最善の実際的方法を講じていても、他の要素を考慮して受忍限度を超えるという場合はありうる)、Eその活動の社会的価値および必要性(この要素は差止請求については重要な意味をもつが損害賠償においては直接には関連しない)、F被害者側の特殊事情、G官庁の許認可、H基準の遵守といった包括的なものである。野村がこのような主張をする根拠は、以下の三点にあったと思われる(3)。まず第一に、それまでの段階ですでに、過失の判断と違法性の判断が実質的にも形式的な言語操作の上でも接近してきていたこと、第二に、相当な防止措置を講じたならば過失がないという大審院のいくつかの公害訴訟における考え方は、被害者に酷であること、さらに第三に、結果発生の予見可能性をもって過失と見る考え方は、公害のような近代的企業が加害原因者である不法行為については適切ではないことである。
  同じく新受忍限度論を主張するものとして、淡路剛久の考え方がある。淡路も、従来の過失論を次のように批判する(4)。第一に、過失を結果の回避可能性を前提とする防止義務違反とする立場にあっては、侵害がいかに重大であっても、一定の防止設備をすれば免責されることになるので、被害者保護に欠けるおそれがある。第二に、結果発生につき予見可能性ある場合を過失とする立場は、公害のような近代企業が原因である現象において、いちいち予見可能性を要求するところに限界がある。これに対し、新受忍限度論は、@最善の防止措置を講じてもなお発生する損害や予見不可能な損害であっても賠償の対象としうる、Aすべての種類の公害に適用できる、B加害者と被害者の事情を相関的に判断するに適した弾力性のある枠組みである(5)。淡路が受忍限度判断の要素としてあげるのは、「被侵害利益の性質と侵害の重大性、加害行為の態様とそれに対する社会的評価、当該場所の地域性、損害の回避可能性と加害者が損害回避のためにとった措置、加害者による公法的基準遵守の有無、土地利用の先後関係(6)」等であり、基本は野村のそれと変わらないが、淡路の特徴は、これらの事情の中で、被侵害利益の性質と侵害の重大性を特に重視していることである。例えば、淡路は、生命・身体に対する侵害は、それ自体きわめて重大であって、「危険の引受」や特異体質など特殊な事情がない限りとうてい受忍限度内とはいえないとし、また、地域性や土地利用の先後関係の要素についても、生命身体侵害があれば、これらの要素を問題にすべきではないとしている(7)。さらに、野村の場合、受忍限度が民法上のどの条文のどの要件に該当するかが明確でなかったのに対し、淡路はそれを民法七〇九条の過失要件に位置づける。ただしその場合の過失は、違法性と二元的に対比させられたそれではなく、違法性判断をも取り込んで一元化された過失であり、その意味で、淡路の受忍限度論は平井宜雄の過失論に接近し、その公害事例における適用として位置づけられることになるのである(8)
  以上の新受忍限度論に対しては、責任の有無が結局のところ様々な要素の総合的な利益考量にゆだねられてしまうことになるとの批判があった。例えば、牛山積は、諸要素を総合的に考量して受忍限度内かどうかを判断する場合、その判定は判定する者の主観によって左右され、結局、「裁判所に対する白紙委任を認める理論」ではないかとする(9)。このような批判に対し淡路は、新受忍限度論は、被害の程度・重大性と加害行為の態様を相関的に判断すべきことを唱える考え方であるから、「全くの白紙委任」でも「裸の利益衡量」でもない、公害という限られた範囲でならば、諸要素の衡量の仕方そのものについてある種の判断基準を提示することが出来ると反論している(10)。確かに、淡路自身は、前述したように、被侵害利益の性質や侵害の重大性を軸に、そのような判断基準を提示している。しかし問題は、新受忍限度論がこのような判断基準ないし判断方法を内在的に有する理論枠組みかどうかということであり、この点では、新受忍限度論が、判断者(裁判官)の裁量的判断の余地をより広く内包した理論枠組みであることは、否定できないであろう。
  理論史研究という本稿の視点から明らかにすべきは、このような新受忍限度論がそれ以前の責任論といかなる関係に立つかである。これまでの責任論の要点を繰り返すと、一つの流れは、大阪アルカリ事件大審院判決によって採用された、相当な防止措置を施していた場合は過失がないとするものであり、そして、もう一つの流れが、過失の本質を予見可能性に求める考え方であった。これらと対比した場合、相当の設備をしていたことはそれだけでは責任を免れさせることにならないとしている点、さらに、予見可能性を問題としない点において、この説は従来の責任論のいずれとも異なる斬新なものということができる。しかし他面において、予見可能性を責任の中核にすえずに、予見可能な損害であっても他の要素しだいでは責任が発生しないことが(理論的には)ありうるとするということは、損害結果を予見できれば行為を取り止めてでもその発生を防止すべきであるとの立場に立っていないことを意味し、その点では、予見可能であっても防止設備しだいでは過失がないとした従来の大審院等の過失論と共通する部分も見られる。この点につき富井利安は、新受忍限度論の立場は、結果回避のための外的な注意をつくしたかどうかを重要なメルクマールとする点では大審院の立場と軌を一にすると評価しているが(11)、同感である。さらに新受忍限度論は、その特長として、すべての公害に適用可能な理論であることをあげているが、このことは、産業公害のような典型的公害だけではなく、相隣関係的な生活妨害を含む様々な事例が理論の射程に入ってくることを意味する。そして、そのことが、加害行為の態様や地域性といった様々な要素が受忍限度判断の中に入ってくることと、理論的につながっているものと思われるが、そうだとすれば、公害把握という点でも新受忍限度論とそれまでの通説的な理論には連続性が見られるのではないか。

  ロ.古典的過失論から汚悪水論へ
  以上と異なり、予見可能性があれば過失があるという考え方を起点にして公害における過失論を展開する一連の学説が、この時期のもう一つの有力な潮流を形成していた。西原道雄は一九六七年の論文で、以下のように述べている(12)。一般的理論によれば、「過失とは、結果を認識することができたのに不注意で認識しなかったことを意味している」。このような「不法行為の一般理論をそのままのかたちで抽象的にかつ素直に適用するかぎり、公害に対して損害賠償を請求するにさいして、故意・過失という要件が障害になるおそれはほとんどないといってよい」。しかし、実際には、相当な設備を施した場合には過失がないという考え方が大審院によって採用され、「加害者が社会的強者である企業とくに工業である場合には、損害の発生を知りながら営業すなわち加害行為を続けても、……自己の利潤を犠牲にせずには適当な防止設備を施すことができなければ、過失がなく賠償責任がないとされている」。そこでは、「議論のすりかえが行われている」。「損害の発生が避けられないことを知っていても活動自体を止める必要はなく賠償を負わないという理論も、産業資本の勃興期に、私法の一般的基礎理論を離れて、とくに産業保護のためにこれを変容させたものである。したがって、公害の被害者たる一般住民を従来以上に保護し、企業の責任を強化するためには、……なにもとくに新しい原理を作り出して企業にとくに重い責任を課し被害者をとくに厚く保護する必要はない。これまで古典的理論に企業保護のために加えられていた修正を廃止または縮小して、抽象的な一般理論を現状に即して具体化するだけでも、公害に対する救済はずいぶん進展するのではなかろうか?」。この主張は、一九六〇年代前半までの理論の流れの中に存した、予見可能性をもって過失の中核とする学説を再評価しあらためて正面に押し出すことによって、以後の学説や裁判例にも大きな影響を与え、六〇年代後半以降の有力な潮流を作りだしたのである。
  このような西原の提起とほぼ同様の認識を基礎に、公害における過失論を詳細に展開したものとして、沢井裕の一連の論稿がある。それらによれば、「現在の不法行為法意識においては客観的抽象的な注意能力をもってする損害の回避義務が非難原因」であるが、予見できればその行為をなさず物をもたないことにより回避できるので、これは、結局、予見可能性にほかならないことになる(13)。「わが国において、結果の妥当性を維持しつつ論理的な矛盾を避ける方法は、民七〇九条における故意・過失を予見・予見可能性としてのみ理解し、防止措置の有無をかかる故意・過失の問題から排除することである。結果を予見しないし予見しえたならば、行為する以上不可避な加害でも、そもそもその行為を開始せず、あるいは停止することによって、避けえたのだから、本来はその行為は非難に値する(14)」。ここでの沢井の主張の要点は、予見が可能ならばその行為をやめることによって回避することは可能な(15)ので、回避のための措置のいかんを問わず過失を認めうるとして、実質的に過失から回避措置の問題を排除してしまっていることである。その意味で、西原が再評価した古典的過失論と共通する。しかし同時に沢井は、この過失の核心としての予見可能性は、現代の公害等の事例では調査義務として現れるとする。すなわち、意思を緊張しておれば予見しえたはずであり、予見したらその行為に出るべきではなかったがゆえに加害者は非難されるのであるが、社会生活が複雑多様化するにつれて、要求される意思の緊張も複雑多様化し、単なる無形的な意思の緊張にとどまらず、有形的な調査行為をなすべき義務(調査義務)という形に「現代化」されるのである(16)。しかもこの義務は行為の危険性に応じて高度化され、同時に、予見の対象も抽象化されることになる。その結果、「生産的企業は、通常何らかの廃物を放散しているものであり、それ自体危険を含むことは何人の目にも明らかである。それをあえて設置する点に既に帰責原因としての過失はあると考えるべきであ」り、「安全度の不明なまま騒音や廃液を出すこと自体が不注意なのだと考えるならば、公害についての責任は、すべてかかる意味での過失責任の枠内で処理することができ」ることになる(17)。なお、沢井は、このようにして事実上過失要件から排除した防止措置の問題を、違法性要件に取り込む。そして、防止措置を過失から切り離しても違法性の中で判断するならば同じではないかという、ありうる批判に対しては、「違法評価の視座は、被害から出発する」結果、例えば、公害による生命・健康への侵害は防止措置を考慮することなく当然に違法であると判断すべきことになり、防止措置は違法と適法の境目にあるようなケースにおいてのみ考慮されるというように、その機能は限定的なものとなり、過失における考慮とは意味が異なることを指摘する(18)
  沢井の主張と新受忍限度論の違いの一つは、新受忍限度論が総合的判断の枠組みの中で、予見可能性の問題を受忍限度判断(受忍限度論を民法七〇九条の過失に位置づける淡路によれば、それが同時に過失判断となる)からドロップさせているのに対し、高度化した予見義務を前提としつつ、なお予見可能性を過失の中核にすえていることである。この点に対する新受忍限度論からの批判については後に触れるが、ここでは、沢井が、予見可能性を過失の中からドロップさせることは過失における非難性を欠落させることにつながり、結果として、公害企業の非難性を希薄なものにすることになるとしている(19)点に留意しておきたい。
  以上とほぼ同じく、過失を予見義務(調査義務)を前提とした予見可能性ととらえ、その予見義務を行為の危険性に応じて高度化することにより公害企業の過失責任を問うものとして、牛山積の主張がある。牛山は、これまでの過失論の流れを、民法制定過程に見られ制定後に形成された古典的責任論では予見可能性ないし認識可能性があれば過失があるとされたが、それに大阪アルカリ大審院判決で相当の設備論による変容が加えられたと整理した上で、「古典的過失論の枠組の中で解決が可能である場合には、この考え方が維持されるべき」との立場から、平田慶吉や沢井の説を紹介し、それらを、「公害の特徴として一般に承認されるにいたった加害者と被害者の間に立場の交替可能性がないことを考慮にいれた損害の分担に適合した責任論として肯定されなければならない」として支持する(20)。さらに牛山も、沢井と同様、「予見可能性の前提としての予見義務の程度は、善良なる管理者としての注意として客観的に判断されるから、危険性の高い工場等については、それに相応する予見義務が要求されることになる(21)」として、予見可能性の前提としての予見義務、その高度化という考え方をとっている。
  これらと同じ考え方をとりつつ、それを、いわゆる「市民法論」の立場から位置づけるものとして清水誠の主張がある。すなわち、清水によれば、公害企業に課される前述のような注意義務は、「決して特別に高度の注意義務というほどのものではなく、市井の一般市民同士の関係で要求される注意義務と異ならない、これと同等同質のもの−市民法が要求する注意義務を現代大企業に当てはめれば、当然右のような内容のものとならざるをえないはずのもの」であるということになる(22)。清水の「市民法論」自体についての検討はここでは行わないが(23)、この主張が、なぜ、そしていかなる意味で、今日、古典的過失論が意味を持ちうるのかを明らかにするものとして、そして同時に、現代的な現象である公害において企業には古典的な意味での過失はないと解し、事実上、企業の責任を非難性の薄いものと理解しかねない動向や、公害被害者の救済を特別の弱者保護(したがって法の一般原則をあえて修正してなされる救済)ととらえる考え方への批判として、重要な意味を有するものであることを確認しておきたい。
  このような一連の過失論とほぼ同様の考え方に立って、水俣病事件という具体的事例に即して議論を展開するものとして、水俣病研究会の主張がある(24)。それによれば、過失の前提となる注意義務は、「他人の法益を侵害するおそれのある危険の発生を予知して、これを未然に防止すべき義務である」。そして、高度な専門的知識と複雑な装置をもって大規模に営まれる事業においては、「危険の発生を予知し、それを未然に防止するためには、それを目的とする組織的かつ継続的な調査・研究を行うことが不可欠であ」る。予見の対象となるのは、具体的な損害の発生ではなくそのもとになる違法な事実の発生で足りると考えられているので、「安全性不明の工場廃水を無処理で放出していたとすれば、それが水生生物やそれを摂食する人の健康になんらかの有害な結果をもたらす危険については予見可能性があり、したがって過失はあるというべきである」。
  以上の過失論の流れのポイントは、予見可能性(ないし予見・調査義務)を過失の中心にすえていることにある。そのねらいは、沢井が指摘するように、過失責任における非難性の維持であり、これを可能にしたのが、予見できれば(必要ならば行為をやめることにより)常に回避が可能であるとの立場(「究極的回避義務」論)であった。このうち後者については、このような回避義務の措定が、公害を現代社会において不可避のものであり工場の設置や操業をやめてまでも防止すべき義務はないという考え方とは異質なものであることに注意しておきたい。その上で、問題は予見可能性である。この点について、予見可能性を責任の必須の要件としない新受忍限度論からは、予見可能性が要件となることは被害者救済にとって障害になるとの批判がなされている。例えば、淡路は、「従来の予見可能性説は、古典的な過失概念に引っぱられて、結果的に過大な立証を被害者側に要求してきた」とする(25)。この点が最も問題となったのが熊本水俣病事件であった。この訴訟で被告側は、予見すべき対象は責任を負うべき対象と同一でなければならないとの立場から、工場排水による生命・身体侵害についての予見が必要であるが、本件ではそのような予見は不可能であったと主張した(26)。ここで検討している系譜に属する過失論において予見の対象となるのは自己の行為が他人の法益を侵害する可能性であり、決して具体的な被害やその被害を発生させる機序(原因物質やその作用メカニズム)ではないこと、さらに、かりに排水によって周辺水域の動植物に被害が発生するおそれが予見できれば、それら魚介類を摂食している人々がいる以上、それらの人々の健康に何らかの悪影響がでるおそれを予見することは当然可能であることから、ここでの被告の主張は、予見可能性説から見ても根拠がないといわざるをえない。しかし、初めての大規模な有機水銀中毒事件であるという本件の特質からみて、やはり、予見可能性は、本訴訟において大きな争点となった。そこで原告側が裁判の最終段階で主張したのが、いわゆる汚悪水論であった。その内容は、以下のようなものである(27)。すなわち、本件では、「総体としての汚悪水を排出して、他人に被害を与えたことこそが、不法行為にほかならない」。「このような危険な汚悪水を排出しながら操業を継続させたならば、この排出行為自体に責任がある」。このように、汚悪水論とは、工場が廃液を未処理のまま排出すること自体に責任の根拠を求める考え方であり、予見可能性はネグレクトされているように見える。しかし必ずしもそうではない。なぜなら、そこでは、化学工場が排水する汚悪水が動植物や人体に危害をおよぼす可能性をもつということは「いわば公知の事実」であることから、それを排水する行為には当然に動植物や人体に対する危険性についての認識(少くともその可能性)がともなっているという論理がとられているからである(危険性の「公知」性を媒介にした予見可能性)。ただし、そこでは具体的な予見可能性の証明は不要なものとされている。
  問題は、この汚悪水論と先に検討した予見可能性説との関係である。この点につき淡路は、この理論では化学工場の廃液によって被害が発生すればつねに過失があることになるので、「予見可能性説に基づく過失責任主義の衣をまとってはいるものの、それはもはや従来の予見可能性説とは異質のものである」とする(28)。しかし、他面において、汚悪水論には予見可能性説の発展と見て良い部分も存在する。なぜなら、沢井や牛山の過失論においては、前述したように、予見可能性の前提としての予見義務・調査義務は行為の危険性に応じて高度化され、予見の対象も抽象化されるとの立場が表明されていたからである。すなわち、化学工場の操業という、どのような危険な副生物が生ずるか分からない、その意味で最も危険性の高い行為において、その義務が最も高度なものとなり、同時に、予見の対象が具体的な被害から動植物への悪影響を含むものに抽象化される時、このような過失論と汚悪水論の距離は限りなく近いものとなるのである(29)。この意味で、汚悪水論には、予見可能性を中核とした古典的過失論の系譜につながるという側面と、危険性が公知の汚悪水を排出した以上、予見可能性は常にあり、したがって、事実上それは要件としての(したがって訴訟における証明の対象としての)意味を失うという点での、古典的過失論の枠を超えた面の二つの側面があるものと位置づけることができるのではなかろうか。

(2)  裁判例における過失論
  それでは、この時期の裁判例では、どのような過失論がとられたのであろうか。以下では、四大公害訴訟のうち、過失の有無が争点となった三つの判決(新潟水俣病判決、熊本水俣病判決、四日市判決)に限定して、そこでの過失論を検討してみよう。

  イ.新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日判時六四二号九六頁)
  本判決は過失の一般論として、化学企業に、以下のような安全管理義務を課している。

「およそ、化学工業を営む企業の生産活動においては、日進月歩に開発される化学技術を応用して大量に化学製品を製造するものである以上、その化学反応の過程において、製品が生成されるかたわらいかなる物質が副生されるかも知れず、しかもその副生物のなかには、そのまま企業外に排出するときは、生物、人体等に重大な危害を加えるおそれのある物質が含まれる場合もありうるから、化学企業としては、これらの有害物質を企業外に排出することがないよう、常にこれが製造工場を安全に管理する義務があるというべきである」。
  その上で、同判決は、以下のような注目すべき考え方を展開する。
「化学企業が製造工程から生ずる排水を一般の河川等に放出して処理しようとする場合においては、最高の分析検知の技術を用い、排水中の有害物質の有無、その性質、程度等を調査し、これが結果に基づいて、いやしくもこれがため、生物、人体に危害を加えることのないよう万全の措置をとるべきである。そして……最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止までが要請されることもあると解する」。
  ここでのポイントは、化学企業に高度の安全管理義務を要求した上で、「最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には……操業停止までが要請されることもある」として、行為の停止を含む防止義務を課したことである。このような過失論に対しては、実質上無過失責任を認めたものとの評価がある。例えば、谷口知平は、本判決は「一種の結果責任ないし危険責任ー無過失責任を認めたと同じだとも評することができると思う」とし(30)、野村好弘も、「外の衣は過失でありながら、中味は無過失責任に近い」とする(31)。しかし、このような評価を沢井裕は、「本判決を無過失責任と評価することは、いたずらに企業への批判をそらし−企業にとって酷な責任との印象を与え、あるいは非難原因なき責任として−民法の過失責任規定の下での救済を狭くすることになろう」と批判する(32)。筆者もこの批判に同感である。本判決は、予見可能性(予見義務)と回避義務という一般的な過失論の枠組みを形式的には維持しつつ、後者において操業停止をも要求することにより、事実上、予見可能ならば過失ありとする考え方に接近したものであり、その意味で古典的過失論への接近と見るべきであり、決して無過失責任を認めたものではない。
  この判決の過失論が、本件における被害者を救済する上で適切なものであることは、多くの論者が一致して評価するところであったが、しかし同時に本判決が、「最高の分析検知の技術」を用いた有害物質の有無の調査を過失の内容にしているために、最高の技術を用いても認識不能であるとの抗弁を被告に許し、その結果、「最高の技術」とは何かという争点を裁判に持ち込んだという批判がある(33)。この点が問われるのが、次の熊本水俣病事件であった。

  ロ.熊本水俣病判決(熊本地判昭和四八年三月二〇日判例時報六九六号一五頁)
  本件において被告が、予見の対象として具体的な被害を要求し、これに対し原告が、いわゆる汚悪水論を展開したことはすでに述べたが、熊本地裁は、以下のような過失論を提示して、被告企業の過失責任を認めた。
「およそ化学工場は、化学反応の過程を利用して各種の生産を行なうものであり、その過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用するから、工場廃水中に……予想しない危険な副反応生成物が混入する可能性も極めて大であり、かりに廃水中にこれらの危険物が混入してそのまま河川や海中に放流されるときは、動植物や人体に危害を及ぼすことが容易に予想されるところである。よって、化学工場が廃水を工場外に放流するにあたっては、常に最高の知識と技術を用いて廃水中に危険物混入の有無および動植物や人体に対する影響の如何につき調査研究を尽してその安全性を確認するとともに、万一有害であることが判明し、あるいは又その安全性に疑念を生じた場合には、直ちに操業を中止するなどして必要最大限の防止措置を講じ、とくに地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するものといわなければならない」。
「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務がなかった、と主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害することもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」。
  この過失論も、操業停止を含む高度の義務を課し、それに基づいて過失を認定している点では、新潟判決と共通している。しかし、淡路剛久によれば、次の三点において新潟判決よりも「一歩前進している(34)」。まず第一は、「安全性に疑念が生じた」場合に直ちに操業を停止するなりして安全の確保に努めなければならないとした点である。第二に、本判決が動植物と人体を分けなかったことも、動植物に被害が生じたときはすでに赤信号であるという汚染のプロセスから見て正当である。さらに第三に、被告側の「メカニズム論」を否定したことも評価できる。牛山積も同様に、次の二点において、本判決は、新潟判決より「はるかに進んだ考え方を採用して」いるとする(35)。その第一は、発生する被害について水俣病という特定された病気の発生を問題にせず、人体に対する何らかの被害の発生することをもって予見の対象として判断すべきとしたことであり、第二は、特定の原因物質という考え方を排したことである。熊本水俣病事件は、第二の水俣病であった新潟事件と異なり、特定の原因物質やそれに基づく水俣病という特定の症状についての予見を問題にすれば、過失の認定に困難が生じうる事案であった。そのことから、原告は、汚悪水論を主張したのである。これに対し裁判所は、汚悪水論を直接採用することはせず、ある意味でオーソドックスな過失論の枠組みを維持したが、同時に、特定の原因物質やその作用メカニズム、あるいは特定の症状の予見を求めることは、「住民をいわば人体実験に供することにもなる」としてこれを排した点で、大きな意義を有するのである。

  ハ.四日市判決(津地裁四日市支判昭和四七年七月二四日判例時報六七二号三〇頁)
  四日市判決の過失論において注目すべきは、「立地上の過失」という考え方であった。すなわち、本判決は、「ばい煙の付近住民に対する影響の有無を調査研究し、右ばい煙によって住民の生命・身体が侵害されることのないように操業すべき注意義務」とならんで、次のような考え方を示したのである。
「その生産過程において、いおう酸化物などの大気汚染物質を副生することの避け難い被告ら企業が、新たに工場を建設し稼働を開始しようとするとき、特に、本件の場合のようにコンビナート群として相前後して集団的に立地しようとするときは、右汚染の結果が付近の住民の生命・身体に対する侵害という重大な結果をもたらすおそれがあるのであるから、そのようなことのないように事前に排出物質の性質と量、排出施設と居住地域との位置・距離関係、風向、風速等の気象条件等を総合的に調査研究し、付近住民の生命・身体に危害を及ぼすことのないように立地すべき注意義務があるものと解する」。
  淡路は、このような過失論について、「過失の認定ないし構成をより容易にすると思われる」と評価している(36)。なぜなら、不適切な立地をして操業の開始をした後の一定の作為ないし不作為に過失の根拠を求めるのに対し、不適切な立地をして操業を開始する行為そのものに過失の根拠を求めるほうが、過失認定が容易になると思われるからである。

  ニ.三判決のまとめ
  淡路は、これらの判決がとる過失判断の枠組みを、「加害行為の一般的・抽象的危険性↓調査研究義務↓予見の可否↓結果回避義務」という図式にまとめている(37)(一般的で抽象的なレベルの)行為の危険性があれば行為者には自己の行為の結果についての調査研究義務が発生し(その義務の程度は危険性の程度が高ければ高度化されたものとなる)、調査研究をつくせば予見可能であり、予見可能であれば結果回避の措置がとりえたというのが判断の手順となる。そして何より重要なことは、この結果回避義務の中に操業停止までもが含められていることである。すなわち、危険が予見できれば行為を中止してでも結果発生を防止すべき義務があるとされたのである。この点に、この時期の判決と大阪アルカリ大審院判決の決定的な違いがあるのであり、同時に、予見が可能ならば行為をやめることにより常に回避は可能なのであるから、結局、過失の問題は予見可能性につきるとした古典的過失論に通ずる特徴を見ることができるのである。

(1)  野村好弘「故意・過失および違法性」加藤一郎編『公害法の生成と展開』(岩波書店一九六八年)三八七頁以下。
(2)  野村前掲論文注(1)四〇六頁以下。
(3)  野村前掲論文注(1)三九一頁、同『公害の判例』(有斐閣一九七一年)七五頁。
(4)  淡路剛久「公害における故意・過失と違法性」ジュリスト四五八号(一九七〇年)三七四頁。
(5)  淡路前掲論文注(4)三七五頁。
(6)  淡路前掲論文注(4)三七六頁。
(7)  淡路前掲論文注(4)三七六頁以下。
(8)  淡路剛久『公害賠償の理論』(有斐閣一九七五年)九八頁。
(9)  牛山積『現代の公害法』(勁草書房一九七六年)八四頁。
(10)  淡路前掲書注(8)九六頁以下。
(11)  富井利安『公害賠償責任の研究』(日本評論社一九八六年)三二頁。
(12)  西原道雄「公害に対する私法的救済の特質と機能」法律時報三九巻七号(一九六七年)一三頁以下。
(13)  沢井裕『公害の私法的研究』(一粒社一九六九年)一七一頁。
(14)  沢井前掲書注(13)一七八頁以下。
(15)  沢井は、このような意味での回避義務を「究極的回避義務」と呼ぶ(「新潟水俣病判決の総合的研究」法律時報四四巻一二号(一九七二年)一六一頁)。
(16)  沢井前掲論文注(15)一六一頁以下。
(17)  沢井前掲書注(13)一七一、一七六頁。
(18)  沢井前掲論文注(15)一六一、一六三頁。
(19)  沢井前掲論文注(15)一六三頁。
(20)  牛山積『公害裁判の展開と法理論』(日本評論社一九七六年)六四頁以下、七一頁以下。
(21)  牛山前掲書注(20)六六頁。
(22)  清水誠『時代に挑む法律学』(日本評論社一九九二年)二九五頁以下。
(23)  清水「市民法論」についてさしあたりは、拙稿「不法行為法と『市民法論』」法の科学一二号(一九八四年)、同「公害法理論の展開と『清水公害法理論』」法の科学二一号(一九九三年)参照。
(24)  水俣病研究会『水俣病にたいする企業の責任』(水俣病を告発する会一九七〇年)一〇七頁以下。
(25)  淡路前掲書注(8)九二頁。
(26)  被告最終準備書面『水俣病裁判』(法律時報臨時増刊一九七三年)七六頁。
(27)  原告最終準備書面『水俣病裁判』(法律時報臨時増刊一九七三年)一九五頁以下。
(28)  淡路前掲書注(8)二三四頁。
(29)  牛山前掲書注(20)七一頁は、汚悪水論は、「責任論の構造としては、古典的過失論の系譜に立っている」とする。
(30)  谷口知平「公害責任の認否に関する判例法理」龍谷法学四巻三号(一九七一年)二四六頁。
(31)  野村好弘「新潟水俣病判決」判例評論一五三号(一九七一年)一八頁。
(32)  沢井前掲論文注(15)法律時報四五巻一号(一九七三年)一〇一頁。
(33)  牛山前掲書注(9)七四頁。
(34)  淡路前掲書注(8)二三九頁。
(35)  牛山前掲書注(9)七八頁。
(36)  淡路前掲書注(8)七二頁。
(37)  淡路前掲書注(8)八一頁。


三  無 過 失 責 任 論


  公害企業に賠償責任を認め被害者を救済しようとする場合、過失責任をどのようにして認めていくかとは別に(それと密接な関連を有しつつ)、いわゆる無過失責任に関する議論がある。もちろん、この時期の議論の主流は、無過失責任を認める立法が、イタイイタイ病事件で適用された鉱業法一〇九条を除くほかはなお不備であったことや、当時の公害事案そのものが、決して企業に過失が存在しないといった実態ではなかったことから、過失責任に関するものであった。しかし同時に、無過失責任による公害企業の責任を論ずる主張は有力に存在したのであり、同時に、どのような場合に無過失責任が必要であり、またそれがどのような性質を持っているかは、過失のとらえ方と密接な関係があることから、以下、簡単に検討しておこう(1)
  公害においては無過失責任こそが妥当することを、比較的早い時期から主張したのが加藤一郎である。すなわち、加藤は、一九六七年の論文において、「公害については、やはり正面から無過失責任を認めるべきだと考えている。これは、立法論としてだけでなく、解釈論としても無過失責任を認めるべきだとの考え方である」とする(2)。ここでの要点は、解釈論としても無過失責任を認めるべきとしていることである。具体的にどのような解釈論がとられるのかは明確ではないが、別のところで(公害を直接念頭においたものではないが)、「航空機事故や原子力災害は、民法七〇九条を適用すべきでなく、そこには法の欠缺があるから、その事故や災害の性質から自由に、あるいは条理によって責任の性質を決定すべきであるとして、無過失責任を認めることも可能である」と述べている(3)点から推察するに、一種の欠缺補充としての解釈が行なわれることになるようにも思われるが、加藤自身は新受忍限度論を支持することから、過失における注意義務を様々の要素の総合的判断により相対化した新受忍限度論が、この解釈による無過失責任に相当することになるのかもしれない。問題は、なぜ公害においては無過失責任こそが適切な責任原理かという点であるが、加藤は別の論文で、以下の四点を指摘している(4)。すなわち、第一点は、公害については加害者に過失があっても被害者には立証が困難であること、第二に、公害は現在の技術水準のもとでは技術的または経済的に防止困難であり、このような不可避的な加害により不可避的に生じた被害に対しては、加害者の過失の有無を問わずに賠償するのが当然だと考えられること、第三に、公害による被害を与えても企業活動が社会的に認められているものだとすれば、それによって生じた損害は企業活動に伴うコストとして企業が負担すべきこと(このようなコストは経済上の原則により消費者や利用者に転嫁され社会的に吸収・消化される)、そして第四には、一定限度をこえる公害については過失の有無を問わずに差止めを請求できるが、そのような場合に、過失がなければ損害賠償が認められないというのは首尾一貫しないことである。
  このような公害無過失責任論の特徴は、公害による損害は現代社会において不可避の、したがって注意しても防止できないものと見ていることである。そのような損害であるために、注意義務を前提とした過失によってはその責任を把握することはできないが、しかし他方において、その被害を放置することは不当ないし不公平であり、したがって、過失責任とは異質の無過失責任による保護を与えるべしとするのである。すなわち、そこでは、古典的過失論の系譜に属する学説や新潟水俣病事件判決等が前提とした、企業には行為の中止(操業停止)をしてでも公害の発生を防止すべき義務があるという考え方は、排除されているのである。問題は、このように、不可避の公害に対し過失がないにもかかわらず特別に課された責任として公害無過失責任をとらえることは、結局のところその責任の中身を希薄なものとしてしまうことにつながるおそれはないのかである。加藤は、すでに一九五七年にその著書において、無過失責任の場合は過失責任と比べてその非難性は「道義的な面では量的に弱い」ものとなり「質的に異なったもの」となるとして、公平の見地からその責任の範囲には一定の限定が加えられるべきであるとしているが(5)、公害においても、非難性の薄い(責任保険でカヴァーされ、場合によっては一定額で打ち切られる)責任のみが認められるということになるのであろうか。しかし、そのような公害把握と責任論が、果たして、当時の公害事件に適合的なものであったかどうかは、大いに問題である。
  これと異なり、公害における無過失責任をむしろ過失責任と連続線上のものととらえる学説も、この時期有力に存在した。例えば牛山積は次のように主張する(6)。「高速度交通機関や近代的鉱工業の場合には、加害者と被害者との間には近代法の想定した立場の交替可能性はもはや失われてしまっている。……このように状況が変化したもとにおいては、無過失責任を採用することこそが、法が本来、目的とする公平を実現することに適合することになるといわなければならない」。しかし、従来の公害事件の場合、事業活動を営むものに課される研究調査義務をつくし過失がなかったという事例があったであろうか。「このように考えると、無過失責任を立法化することは、実質的には、過失責任主義と異質の責任原理ではなく、訴訟の長期化の一因となる過失の有無についての争いを避けることが可能になるという点においてのみ積極的意味をもつということになる。いいかえれば、公害の場合、無過失責任立法は、過失なしに責任を負わせるものではなく、被害者側が過失を立証することを不要とするものにすぎないということができる」。さらに、牛山らが中心となって一九七二年に発表された、当時問題となっていた公害無過失責任立法に関する、法律家の見解も(7)、次のように、ほぼ同様の無過失責任理解を示している。すなわち、「無過失賠償責任を立法化することは、従来のすべての公害関係の判例において、裁判所が事業者の過失を認定してきた事実が示すように、けっして事業者に特別に重い責任を課するものではなく、被害者が過失の立証を要することなく救済を受けられるところに積極的意味をもつにすぎない」というのである。
  この無過失責任論では、無過失責任は決して過失責任と異質の(非難性の希薄な)責任ではなく、それは、もっぱら被害者の立証負担を軽くするために、すなわち、過失の立証が不要な責任としてのみ存在意義を有するとされる。その特徴は、公害を不可避なものとはとらえず、したがって、操業停止を含む防止義務を措定して過失論を展開していること、そして、このような過失論によるかぎり、わが国における現実の公害事例における企業の行動は決して過失がないなどとはいえないような悪質性を持っていることを認識し、そのような企業の責任が無過失責任だとされ、結果として非難性の薄いものとされてしまうことに対して厳しい警戒を行っていることである。少なくとも、当時の公害問題を前提とするかぎり、この立場は説得的である。なぜなら、四大公害事件に典型なような当時の公害において、その不可避性を言うことは事態に適合的ではなく、また、非難性を欠落させた責任を認めたとしても、問題の真の解決にはあまり寄与しえなかったのではないかと考えられるからである(8)。なお、この無過失責任論は、鉱業法に無過失責任規定が導入された当時に平田慶吉らによって有力に主張された、鉱業法の新しい規定による責任は実質的には過失責任であり、ただ、被害者の過失立証の負担を避けるために無過失責任の形式を採用したに過ぎないという説(9)を、事実上継承するものでもあったことを指摘しておきたい。

(1)  この時期の公害無過失責任論について詳しくは、富井利安『公害賠償責任の研究』(日本評論社一九八六年)八九頁以下参照。
(2)  加藤一郎編『公害法の生成と展開』(岩波書店一九六八年)二三頁。
(3)  加藤一郎編『注釈民法(19)』(有斐閣一九六五年)一〇頁。
(4)  加藤一郎「公害無過失責任立法の問題点」現代法ジャーナル創刊号(一九七二年)一二頁。
(5)  加藤一郎『不法行為』(有斐閣一九五七年)二五頁以下。
(6)  牛山積『公害裁判の展開と法理論』(日本評論社一九七六年)八六頁以下。
(7)  牛山前掲書注(6)九三頁以下に収録。
(8)  ただし、すべての無過失責任がこのように理解できるかどうかは、また別の検討が必要である。浦川道太郎「無過失責任」星野他編『民法講座六巻』(有斐閣一九八五年)二四一頁は、このような考え方が「広く事故損害賠償法において展開されている無過失責任論に適用可能かについてはなお疑問が残る」とする。これに対し富井前掲書注(1)一一二頁は、「加害者と被害者との立場の交替可能性の喪失、被害者の迅速かつ完全な救済の必要性などの条件が存在する場合であって、少なくとも企業の責任ないし国家の責任が問題とされる不法行為の領域においては、その責任がなお基本的には妥当すると考えてよいであろう」としている。
(9)  平田慶吉「鉱害賠償規定解説」民商法雑誌九巻五号(一九三九年)七七七頁等。


お  わ  り  に


  本稿を終えるにあたって、これまでの検討を簡単に振り返っておこう。この時期の公害民事責任論(過失責任・無過失責任論)の特徴の一つは、公害被害者を損害賠償により救済すべき(しかも救済をより拡大すべき)という点では、大方の一致が存在したことである。そしてそのことは、公害被害者が放置されてきた状況を変え、さらには公害政策全体にも大きな影響をあたえた点で、わが国の公害・環境法史上、ひとつの画期をなすものであった。しかし、このような共通性にもかかわらず、理論の構造としては異なる潮流が存在した。過失責任についてみれば、大阪アルカリ事件大審院判決のような「相当の設備」を施せば責任は発生しないという考え方では公害被害者を救済できないとする点では一致しつつも、その克服の方向として、予見可能性を中心とした古典的過失論を出発点としてそれを現代化する説と、受忍限度という新しい枠組みを提示しようとする立場が存在した。
  それでは、このような理論の分岐をもたらしたものは何であったか。そこには当然いくつものファクターが介在している。例えば、裁判官の裁量の拡大をどう見るか、あるいは、法解釈のあり方として、できるだけ伝統的な枠組みを尊重するか新しい枠組みを大胆に提示するか、といった点も重要な意味を持ちうる。しかしここでは、最も重要なものとして、公害をどう見るかという点があることを指摘しておきたい。すなわち、公害を、現代社会においては(経済的・技術的な理由から)不可避的に生ずる現象であり、場合によれば、ある程度までは相互に受忍しなければならない(少なくともそのような現象をも含む)ものと見るか、公害においては加害者と被害者に立場の対等性や互換性がなく、被害も生命・健康被害などの絶対的損失が中心となるので、相互の受忍ということはありえないと考えるかの違いである。この点は法理論的には、公害企業に被害発生を防止するために操業停止を含む防止義務を措定しうるかどうかの差となって現れる。すなわち、古典的過失論を出発点とする理論にあっては、行為をなさないことにより損害発生を防止する義務を肯定するので、結局、過失の中心は予見可能性におかれることになる。その上で、公害という現代的事例において、予見可能性を予見義務ないし調査義務として現代化するのである。それに対し、新受忍限度論の場合、それは必ずしも、その言葉から受ける印象のような公害容認論ではないが、しかしそれにもかかわらずその基礎には、公害はある程度までは不可避でありしたがって相互に受忍しなければならないことがあるという考え方が存在するように思われる。なぜなら、この説は、最善の防止措置をとっていても生じた侵害については従来の過失論では救済できないので、防止措置の問題を様々の要素(とりわけ被害の種類や重大性)と相関的に判断することによってこのような損害に対しても救済の可能性を開くこと、すなわち、防止措置の問題をいわば相対化することを狙いの一つとして提示されたのであるが、そのことは逆に言えば、防止措置の中に操業停止は含ましめていないことを意味するからである。
  公害を現代社会において不可避な(絶対的な防止義務を措定しえない)ものと見るかどうか、換言すれば、企業には操業を停止してまで公害を防ぐ義務があると考えるかどうかは、無過失責任のとらえ方においても差異をもたらす。すなわち、公害を不可避と考えた場合、それにもかかわらず生ずる被害の公平な分担の方法として無過失責任が位置づけられることになろうし、逆に、絶対的な防止義務を措定しうるならば、全く予想もできなかったような例外的な場合を除けば過失は存在することになり、それにもかかわらず認められうる無過失責任とは、結局、過失の証明を不要とし、裁判における原告の負担を軽減する意味を有するにすぎないということになる。
  筆者自身は、公害を不可避のそしてある程度まで相互に受忍がありうるものと見ることには反対である。そのような相隣関係的なものがこの時期の公害問題ではなく、そこでは、立場の相互互換性や対等性が欠ける中で、生命・健康といった人格的法益に対する被害や不可逆的な環境破壊が生じていたと考えるべきであり、同時に、化学工場の廃水が未処理で放出されるといったように、「相当の設備」すら設けられていない実態が存在したのである。このような中で、公害は経済的にも技術的にもある程度まで不可避であるという考え方をとることは、事柄の実相に合わない。だとすれば、少なくともこの時期における公害問題に対処するための理論としては、古典的過失論の現代化の方向や無過失責任を単に過失の立証を不要にしたものにすぎないとらえる説が、妥当性を持っているものと評価できるのではなかろうか。そして、このような学説や、事実上それに近い立場を採用した裁判例が、企業には公害を防止すべき厳しい注意義務があるとしてその責任を明確にしたことが、被害者救済にとってだけではなく、公害政策の展開にとっても重要であったものと考えたい。
  ところで、次の問題は、一九七〇年代後半以降、一方で、公害対策が一定の効果を発揮し、また、問題となる被害の種類も深刻な健康被害以外の精神上ないし生活上の被害に広がり、そして他方で、オイルショック等により経済重視の考え方が再び台頭する中で、この時期の理論動向がどう変化していくのかである。この点では、七〇年代後半以降、次のような動向が現れてきていることに留意する必要がある。その一つは、大気汚染公害裁判における過失論に関する「変化」である。すなわち、西淀川事件や川崎事件のような近時の大気汚染訴訟判決において、企業の操業停止を含む高度の結果回避義務が課されているとの言及がなく、逆に、具体的な防止措置を指摘するものが見られ、「相当の設備」論がいつ再燃しても不思議ではない状況が出現しているとの指摘がなされている(1)。さらに、一九六〇年代後半の理論動向の中で大きな役割を果たした加藤一郎は、一九八〇年代になって、従来のわが国の判例・学説は被害者救済を強調してきた、かつては賠償が容易に認められなかったのでこのような主張は妥当であったがそこには行き過ぎもあったのではないか、賠償が広く厚く認められるようになった今日では、被害者救済の立場に偏ることなく、被害者・加害者双方にとっての公正な賠償目指すべきであると述べている(2)。前者の「変化」については、規制が強化された現在では事案の性質上わざわざ言う必要がなかったにすぎないとの見方もあり(3)、さらに検討を必要とするが、後者について言えば、それは、六〇年代後半に提示された理論の明らかな変化として注目に値する。そこでの論理は次のようになるのではなかろうか。すなわち、六〇年代末から七〇年代前半には深刻な公害被害が発生したために、その救済をはかる新しい理論を作りだす必要があったが、七〇年代後半以降公害をめぐる状況は変化し、緊急避難的対応が必要な状況は克服され、むしろ重点はより広い意味での環境問題に移って来た。その結果、被害者救済のための理論には、今日の公害実態との関係では行き過ぎと見られる側面も出てきたのであり、公正の視点からその修正を図って行かなければならないというわけである。
  この「公正賠償論」との対比で注目すべきは、高度の調査・研究義務や操業停止を含む防止義務を公害企業に課した過失論は、決して特別に重い責任を課したものではなく、一般市民と同様の、すなわち、危険な行為をする場合に一般市民ならば払うであろう注意を要求したものにすぎないとする立場である(4)。なぜなら、このように考えるならば、この時期の過失論は、決して、深刻な被害に直面して緊急避難的に私法の一般理論を「修正」したものでも何でもなく、それを現代的な現象にそのまま適用したもの、あるいはせいぜい、私法の一般理論に日本の資本主義発展のある段階で加えられた「歪曲」を是正したものにすぎないことになり、その理論の射程は一九六〇年代後半から七〇年代前半の時期に限定されない広いものとなるからである。もちろん、七〇年代後半以降、少なくとも現象形態において公害問題が「変化」したことは否定し難いので、この立場にあっても、その理論は何らかの意味で発展させられなければならないことになろう。しかし、この立場ではそれは決して「行き過ぎ是正」ではない。いずれにせよ、公害現象の「変化」の意味と結びつけた七〇年代後半以降の理論動向の検討が必要となる。

(1)  潮見佳男『民事過失の帰責構造』(信山社一九九五年)五一頁以下。
(2)  加藤一郎「戦後不法行為の展開」法学教室七六号(一九八七年)。
(3)  「〈研究会〉公害・環境判例の軌跡と展望」における淡路剛久や森島昭夫の発言(ジュリスト一〇一五号(一九九三年)二二八頁)。
(4)  清水誠『時代に挑む法律学』(日本評論社一九九二年)二七二頁以下。