立命館法学 2000年5号(273号)


◇学位論文審査要旨◇

崔 鉉一

『日韓住宅政策の比較研究』

審査委員

主査 村上 弘

中谷 猛

安本 典夫





〔論文の構成〕


  『日韓住宅政策の比較研究』

  この研究は、次の三論文から構成されている。
    第一論文  「日本の住宅建設五カ年計画の変遷と住宅政策過程」
    第二論文  「韓国の住宅政策の変遷と公共の役割」
    第三論文  「日・韓ニュータウン開発の政策過程分析」

  各論文の掲載雑誌と構成はつぎのとおり。

・第一論文(『韓国地域福祉政策』一九九七年一二月号)
  はじめにー持家政策の始動ー戸数主義の展開ー量から質への転換ー居住水準と住環境水準の向上ー良質な住宅ストックの形成ー豊かさが実感できる住生活ー結論

・第二論文(『立命館法学』一九九九年四月)
  はじめにー公共と民間の役割ー韓国の住宅政策の展開ー韓国の住宅政策の特徴と発展及び課題ーまとめ

・第三論文(『立命館法学』一九九九年五号)
  はじめにー研究の視点・ニュータウンをめぐる諸課題ー千里ニュータウンー盆唐ニュータウンー千里・盆唐ニュータウン開発の比較ーまとめ


〔論文審査の結果の要旨〕


1  各論文の内容

  第一論文は、一九六六年から現在までの日本の住宅政策を対象とする。論文によれば、政策の基本方針は民間の住宅建設を公庫融資によって支援する「持ち家主義」であり、公共賃貸住宅の位置付けは低い。この政策は住宅の量的整備にはつながったが、住宅研究者からの批判にもあるように、質的改善の面で弱さがあり、また地価高騰や低所得層の住宅水準の低さといった問題を生んだ。とはいえ、数次の五カ年計画を重ねるにつれて、政府や地方自治体は「質的改善」「地域性の重視」のための施策を打ち出し、民間の住宅建設を誘導してきた。また、公共・民間のパートナーシップによる賃貸住宅整備も始まっている。
  第二論文は、一九六二年から現在までの韓国の住宅政策を対象とする。論文によれば、ここでも政府は「持ち家主義」をとり、かつ日本より民間賃貸住宅も少ないため、住宅不足は深刻である。しかし、七〇年代には政権が正統性を得ようとして、さらに八〇年代には競争的な大統領選挙の開始とともに、政府は住宅建設の量的目標を打ち出すようになり、当初は目標は未達成に終わったとはいえ、しだいに政府は民間住宅への面積、価格規制や公共住宅の建設に力を入れるようになった。今後は公共(低所得者向け住宅)と民間との役割分担を明確にして、住宅の量的確保と質的充実をはかる必要がある。
  第三論文は、大阪の千里ニュータウンとソウル近郊の盆唐(ブンダン)ニュータウンとの比較研究である。論文によれば、千里は大阪府が国の支援を得つつ「下から」建設したのに対して、盆唐は大統領の選挙公約に基づき「上から」建設された。結果的には、二つともに、イギリスのような職住近接型とは異なるベッドタウン型の高密度ニュータウンが短期間で整備され、各種の特性も類似している。ただし、韓国の方が建設速度が速い一方で、より高密度でありかつ居住階層が上層、中層に偏っている。

2  研究の特徴と成果

  (1)  研究の目的と対象
  申請者の研究の目的・関心は、日韓の住宅政策を比較研究し、住宅政策の効果・問題点と発展の方向を明らかにし、これをとくに韓国での問題解決に役立てることである。
  研究の対象は、住宅政策の内容(目標と施策の体系)だけでなく、政策の決定過程、執行過程および効果にわたっている。また、戦後の両国の全般的な住宅政策(第一、第二論文)の発展過程を押さえたうえで、国や地域が共同して進めたニュータウン建設の具体的事例(第三論文)を、研究対象としている。

  (2)  研究の方法
  第一、第二論文では、時系列に沿って、各時期における政府の住宅整備計画やそれにもとづく諸施策をたどるとともに、批判的視点を得るために同時期の住宅研究者の分析や提言を紹介し、政府の政策と対照させているのは興味深い。
  第三論文では、ソウル周辺と大阪周辺の代表的なニュータウンについて事例研究をおこない、計画立案の過程、事業執行の過程、結果として形成された住宅地の特徴を比較している。

  (3)  資    料
  日本と韓国の政府資料、住宅統計、住宅専門雑誌などの資料を幅広く収集し、参考にしている。

  (4)  分析とその枠組み
  @  住宅政策の内容の類型化公共(政府)による建設か民間による建設かという分類、および持ち家か賃貸かという分類が本研究の基本的な枠組みとなっている。結論は、民間の力を借りることで量的整備を速められるが、公共の役割は質的充実や低所得者への配慮のために不可欠であるとする。さらに、第三の道として公共による民間への誘導や支援の重要性も浮かび上がらせている。
  A  政策内容の発展日本の場合、量的整備が優先し、その達成に伴って質的整備(面積など)や地域性の尊重等の他の目標が登場した。これに対して、韓国では量的整備が未達成であり、同時に質的水準の改善も求められている。
  B  政策決定過程日本では四〇年間の政策発展の中で、漸進的に新たな目標と施策が追加されてきた。背景にある決定過程の特徴は、省庁の各次五カ年計画と自治体の取り組み、専門研究者の批判的議論ということであるようである。韓国は軍事政権下および大統領の競争的選挙の導入下で、大統領の政治的思惑あるいはリーダーシップにより、七〇ー八〇年代に住宅整備目標と公共の役割が急速に拡大された。
  C  政策執行過程第一、第二論文では政府の各種施策(基準設定、規制、公的建設など)を紹介し、また整備計画目標の達成度という形で執行過程を扱っている。第三論文ではより具体的に、執行上の障害や課題(地主との交渉、資金確保、交通計画とのリンクなど)と政府の対応が叙述されている。
  D  政策の効果第一、第二論文で、量的状況(戸数)および質的状況(面積など)とその変化を、住宅統計によって一定程度明らかにしている。

  (5)  日韓の比較
  申請者の研究は、日本語で書かれたものとしては数少ない、多面的・総合的な日韓住宅政策の比較研究となっている。また、韓国にはこの分野の研究はいくつかあるが、それらは住宅政策のなかの個別問題を扱ったものとなっている。
  日本の研究者は住宅政策の研究において、欧米との比較に重点を置いてきたようだが、戦禍からの出発、急速な経済成長、大都市への人口集中など類似の条件を備えた日本と韓国がどのように対策を展開してきたか比べることも、また意義が大きい。
  戦後の両国における住宅政策の発展の全体像を描き、さらに事例研究を加えておこなった比較政策研究からは、いくつかの興味深い結果が示されている。
  日韓の住宅政策のあいだには共通点が多く見いだされている。民間による分譲住宅の建設が中心で公共賃貸住宅の位置付けが弱いこと、その結果住宅状況が量質ともに不十分であること、公共の供給主体が分譲住宅にも重点を置いていること、とはいえ政府は民間建設業への誘導や購入者への融資によって住宅供給を促してきたこと、大規模なベッドタウン型ニュータウンを短期間で整備してきたこと、などである。
  他方で、いくつかの相違点も明らかにされ、その説明・評価にも触れられている。
  ・日本では量的目標の達成とともに、質的側面での民間への誘導施策がいくつか導入されてきた。
  ・韓国での民間賃貸の弱さ。一種の賃貸方式として「チョンセ」があるが、これは多額の預託金を必要とする。
  ・韓国で住宅整備計画が未達成となる場合がある。目標値の政治性の強さ、民間や自治体の参加の弱さに原因があろう。
  ・ニュータウン建設の事例では、韓国の「上から」の建設の方がスピードが速い反面、日本での自治体主導による「下から」の建設過程では地元とのていねいな交渉や低所得層向けの公営賃貸住宅の取り入れもみられる。

3  今後の研究課題

  @  政策の決定・執行過程のなかで各参加者(アクター)の関心、影響力、活動をさらに明らかにすることが重要である。申請者の研究によれば、日本では建設省や自治体など行政の役割が大きいようだが、政治(首相や政党間競争)の働きはどうか。韓国では、大統領の政治的公約として住宅政策が登場するが、逆に行政や自治体の役割はどうなのか。
  A  実証的研究としての厳密性は、政策とその効果との関連についても求められる。まず、公共/民間住宅と持ち家/賃貸住宅が、質や価格、居住階層についてどのような特性をもち、その特性はどのように変化してきたのか、統計や事例等でいっそう検討することが望ましい。
  B  また、政府の各種住宅施策、たとえば住宅公団、最低居住水準、特定優良賃貸住宅などの効果ないしは効率性(費用対効果)についても、より精密な分析が必要であろう。その際、日本の住宅統計上の「公共住宅」が公庫住宅をも含んだ数字であり、韓国でもそうした場合があることに留意すべきである。
  C  住宅政策についての理解をいっそう深めるためには、日本の場合、政策の基礎が確立した一九五〇年代をも視野に入れる必要がある。また、住宅政策の前提条件となる地価抑制政策や、さらに各種の関連都市政策についての研究も望まれる。
  D  研究者の諸理論を参照する場合には、それぞれの研究者の理論的枠組みや構成を十分に踏まえておこなうべきである。
  このように今後さらに展開を要する面もあるが、申請者のこれまでの研究は1、2、で述べたとおり、日韓比較の視点に立ち、明確な問題関心、幅広い内容と分析、着実な資料収集などの特徴をもち、よくまとまったレベルに達している。今後、課題とされた側面の解明によって、研究がいっそう発展することを期待したい。

〔試験結果の要旨〕


  申請者は、すでに博士課程の必要単位を修得している。
  申請者は、一九九四年に博士前期課程に入学以来、日本語の学習を進めながら、強い関心をもって上述の一連の住宅政策研究を進めるとともに、韓国の仁川市政研究所の研究に参加して日本の都市政策に関する情報を収集するなど、都市・住宅政策の分野での調査研究に従事し、日韓両国にわたる知識の蓄積に努めてきた。
  博士学位審査公開研究会(二〇〇〇年七月二一日)では、日本と韓国を比較することの意味、住宅政策研究のフレームワーク、引用されている住宅研究者の立場、韓国型の民間賃貸住宅、韓国の地価対策と土地所有権の強弱、公共主体の役割と限界、ベッドタウン型ニュータウン形成の背景、ニュータウン開発の問題点などの論点について議論が交わされた。そこでは、今後なお解明すべき問題について指摘がなされたが、申請者はその研究成果に基づき基本的に適切な応答をおこなった。
  全体として、申請者は、明確な問題意識に立って、二つの国の住宅政策を多面的・総合的に研究し、まとまった成果を収めている。日韓の比較政治とくに比較公共政策の分野での研究が必ずしも多くない現在、申請者の研究成果は貴重なものと思われる。
  以上のことから、本学位請求者は課程博士の学位を授与するにふさわしいものであると判断する。 以上