立命館法学 2000年5号(273号) 590頁


◇資料◇

韓国の民主化における憲法裁判所と権力統制

−一九八八年から一九九八年まで−




鄭 宗燮(チョン ジョンソプ)



T  序    論


  韓国の民主化の過程は大統領制という政府形態下で、大統領を中心とする執権勢力の変更にともなう国家と社会の領域に変化が生れながら進行している。韓国の民主化が朴正煕(パクチョンヒ)政府から全斗煥政府につながる軍部勢力の執権を清算して、さらに民主主義と法治主義を強化することを意味するなら、このような民主化は全斗換(チョンドファン)政府後、盧泰愚(ノテゥ)政府をへて、その転換期の兆しを見せ始め、続いて一九九三年に登場した金泳三(キムョンサム)政府とこれに続き一九九八年に登場した金大中(キムデジュン)政府をへて、あらわれた歴史の展開を意味するといっても過言ではない。まだ朋党の性質を帯びている政党を媒介にした行政府と立法府間の権力統合現象と政界がいわゆる「両金(=金泳三、金大中)」をめぐる前近代的で非民主的な勢力により左右されている様相は、朴正煕政府以来、大きく変化せず、権威主義的属性を満足に清算していないが、国民の基本権の漸進的な伸張と国家権力統制に対する認識の増大によって緩やかに民主化は進行している。相変らず大統領の権限が国政の中心で強大な力を行使している。行政府には副大統領をおかないで大統領が任命する国務総理制度をおく大統領への強力な権力集中が「権威主義的大統領制」の「大統領中心主義制」または「大統領主義制」という性格を露しており、韓国で立憲民主主義を実現しようとする観点からは民主化は現在も解決しなければならない課題として残っている。
  このような民主化への変化過程には多くの因子が作用して歴史を推進しているのだが、民主化が規範的に憲法国家(Verfassungsstaat)、または立憲主義(constitutionalism)の実現という意味を持つと見るなら、その中で憲法裁判所が、どの程度、韓国の民主化に寄与したのかを検討してみることはかなり重要であるはずだ。現在、韓国の憲法裁判所制度は一九八七年憲法で採択されたのだが、これは一九八七年六月に極に達した全斗換政府に対する国民の「民主化抗争」の結果、獲得したものである。したがって、このような歴史の変化期に登場した憲法裁判所が韓国の民主化に、どの程度、寄与したのかを検討することは、韓国の民主化の現場を理解する側面でも必要であるが、憲法裁判の機能を確認するという点でも重要な意味を持つ。既に私の他の論文で論じたように、憲法裁判が民主化に、どの程度、寄与したのかを測定するのには、憲法裁判所裁判官の充員、実態、国会、行政府、法院など、国家機関に対する権力統制の実際、基本権の実現程度など、いろいろな観点で、分析可能であるが(1)、基本権の実現という側面では、既に「韓国の民主化における憲法裁判所と基本権の実現」(注1)にあげた論文で検討したので、ここでは権力統制という側面で検討する。
  通常、憲法裁判は権力統制の機能を持つと見る(2)。これは憲法裁判を通じて、国家権力、すなわち立法権力、行政権力、裁判権力などが、憲法が保障する価値と原理を侵害できないようにする機能であり、このような国家権力らが上位規範である憲法に抵触しないようにすることだが、憲法裁判を憲法裁判権力の作用だと見ると、このような憲法裁判権力とその他の国家権力らとのあいだの関係を権力統制の範ちゅうに含めてみることができるはずだ。憲法裁判がもっている政治的な性質を考慮すれば、憲法裁判権力の行使を純然とした合法性の保障という面に限定して見るのでなく、権力統制の観点から観察することも可能である。
  ところが、憲法裁判を権力統制という観点で観察する時、留意せねばならないことは、憲法裁判とは、実定憲法に基づいた国家権力行使の合憲性の統制であるから、憲法裁判所の意志に大きい比重をおいて論することができない点である。どんなに憲法裁判所が他の国家権力行使に対して違憲だとして、統制しようとしても法理上合憲の場合には、別の結論を出すことがでず、逆に国家権力行使に対して合憲だと、正当化したくても憲法の適用上、違憲の場合には、憲法裁判所の意志の強弱と関係なしに違憲だと宣告しなくてはならない。したがって、憲法裁判が持つ権力統制の機能を測定する時、他の国家権力間の権力統制とは異なり、憲法裁判所の意志にだけ焦点を合せて接近するのは正確ではない。しかし、国家権力の違憲的な行使が存在する時、これに対して憲法の正確な解釈を通じて違憲だと宣言して、その効力をなくす行為には現実において、裁判官などの意志が重要な要素として作用すると言わざるをえないので、憲法裁判所裁判官らが、どれほど積極的な姿勢をもつのかによって差が出てくる。国家機関の権力行使に対して、憲法裁判所が違憲の判決をおろす時、該当国家機関が鋭敏な反応を見せる点を考慮すれば、現実において憲法裁判権力が作用することは、単純に合憲性の問題だけに止るのではなく、一定の力の作用が存在するという点を発見できる。特に、憲法上の過剰禁止原則(=比例原則)を適用して基本権を侵害する国家権力の行使に対して違憲宣言する場合には、現実的に憲法裁判所の憲法守護の意志と権力統制に対する意志が違った場合より相対的に強く作用する余地が大きい。
  このような点を考慮しながら、一九八八年から一九九八まで一〇年間憲法裁判所が行なった裁判中、韓国の民主化において国家権力の乱用を統制しながら、民主化に寄与したところが、いかほどかを検討してみよう。一〇年の期間をとったことは、特別な意味があってではない。憲法裁判所がスタートして、一〇年をへて、この一〇年間の憲法裁判所の功過を検討しようとするものである。そして、このような期間の設定は、注一であげた『韓国の民主化における憲法裁判所と基本権の実現』という論文で設定した期間と同じ期間を設定し、憲法裁判所が韓国の民主化に寄与した程度を、基本権の実現と権力統制という二側面から分析してみようとする構想からのものでもある。
  憲法裁判を通じて、国家権力を統制することは、独裁と権威主義統治で強化された国家の優越的地位を相対化させて、これに比例して国民の地位を復元することでもある。このような過程を通じて、国家の不合理な優越的地位は除去されて、国家もあくまでも国民の幸福を実現するための手段に過ぎないという認識を確立していくことである。一九八九年、憲法裁判所は『国家を相手にする財産権の請求に関しては、仮執行の宣告を出来ない』と定めた「訴訟促進などに関する特例法」の該当規定に対して違憲決定したのだが、憲法裁判所は、この事件で、このような法律の規定は国家が原告になって得た勝訴判決には相当な理由がない限り必ず仮執行の宣告をするようにしながら、国民が国家を相手にした訴訟で得た勝訴判決には、どんなに確信のある判決だとしても、仮執行の宣告を出しえなくして、国民の財産権と迅速な裁判を受ける権利の保障において、訴訟当事者を差別して国家だけを優待することだと判示した(3)。憲法裁判所がスタートした後、初めての事件で国家の優越的な地位に対して違憲だとした、この決定は国家に対する国民の認識を変えるのに大きく寄与したのみならず、国家の不合理な優越的地位を憲法裁判を通じて矯正することができるということをも示したと評価できる。理論上では、多少、議論のあるところだが、憲法裁判所は一九九一年、『国家は私的取引においても、自然人や法人より優れた地位にあるので、平等権にしばられることはないとする政府の主張は、憲法を誤って理解していることに起因するもので、これに基づいて国有財産中、雑種財産に対してまで時効取得の対象にならないとしたことは誤りである』として、雑種財産に対する時効取得禁止を定めた規定に対して違憲だとした(4)。これと異なり一九九四年、憲法裁判所は国家に印紙貼付義務を免除している法律に対しては合憲とした(5)
  憲法裁判所は裁判を通じて国家が不合理に優越的な地位を持つことを抑制して来たのだが、このことは民主化において何より重要な視点である。権力統制もこのような国家の不合理な優越的地位に対し、問題を提起し、その矛盾を除去することで可能になった。いずれにしても、憲法裁判による国家権力の統制は立法権力、行政権力、裁判権力に対する統制に分けて考えるのだが、韓国の民主化においては、大統領の独裁的地位、または優越的地位が問題になってきたので、これを支えてきた、軍、国家情報機関、検察、矯導所(刑務所)などが特に問題されたので、これ各々照明を当て、別途、検討するようにする。

U  憲法裁判による権力統制


1.国会に対する統制
  (1)  法律の違憲性の統制
  法律の違憲性に対する統制は、立法権力に対する統制である。法律が憲法で保障している基本権を侵害したのであれ、憲法の原理や原則などに違反したのであれ、国家の最高法である憲法に違反して立法権力が行使されたことは統制されねばならない。このような点で、憲法裁判は立法権力の乱用に対する最も効果的な統制手段である。
  憲法裁判所が一九八八年から一九九八年まで、法律または法律規定に対して違憲を宣告した事件は総一八四件(違憲一一一件、憲法不合致四二件、限定違憲三一件)である(限定合憲一六件はこれに含めなかった)。法律に対して違憲として宣告した件数に民主化の進展が比例すると見ることはむずかしい。法律に対する違憲審判で違憲として決定した件数が多いことは、憲法裁判所が積極的だったと評価することもできるが、また違憲の法律規定が多かったということをも物語っているからである。しかし、韓国の民主化において一九八八年、憲法裁判所制度がスタートする前までは、法律に対して違憲宣告した事件がはきわめて微微たるものだった点と比較して、一九九八年までに法律に対する違憲決定が総一八四件に達するということは、立法権力に対する憲法裁判所の統制がより積極的に行われたと評価することはできる(憲法裁判所の事件処理に関する基本的な統計は、憲法裁判所ホームページ http://www.ccourt.go.kr/intro/i3.htmlで確認することができる)。このようなことは国会をして立法において、より慎重で、憲法に合致させる効果をもたらすものと言えよう。実際、このような憲法裁判所の違憲審判によって、国会で法律を制定したり、改正する時、違憲論争をしたり、違憲性問題を事前に点検することが日常化したと評価できよう。

  (2)  法律案の変則処理
  独裁と権威主義時期に、国会は大統領が中心の行政府の「侍女」や「挙手機」、または「通法府」に過ぎない地位に転落しいたのに、そのような転落した地位が最も象徴的に現わすのが法律案の変則処理である。すなわち正しく合法的な手続きを経ないで、国会内に強力な反対勢力があるにもかかわらず、数にだけ頼って、突然、与党だけで集まり会議を開いた後、「抜き打ち」で法案を通過させる手法である。このような法律案の通過は大部分が大統領の指示を受けた与党国会議員(彼らは大部分が大統領の追従者で、与党党首である大統領の国会議員候補者公認権により、彼の手中に掌握されている)により強行された。
  数限りなく反復される、このような法律案の変則処理に対して、憲法裁判所は『国会議長が野党議員らに、本会議の開会日時を国会法に規定されたとおり適法に通知しなかったので、彼らが本会議に出席する機会を失い、その結果、法律案の審議表決過程に参加できなくなったとすれば、これで野党議員などの憲法によって附与された法律案審議表決の権限が侵害されたこと』という趣旨の決定をした(6)

  (3)  立法不作為
  国会の立法権力は立法義務があるのにもかかわらず、立法をしなかったり、あるいは立法をしても不完全にして該当国民の平等権を侵害したり、その他の基本権を侵害することがあるのだが、憲法裁判所はこのような立法府の作為に対しても違憲を宣告した。憲法裁判所は立法不作為を真正立法不作為と不真正立法不作為に分けて扱っている。
  実際には立法府の作為に対して違憲宣告をしたことは、まれなのに、憲法裁判所は一九九四年、朝鮮鉄道株式の報償金請求事件に、『立法者が立法義務をおっているといっても、その不履行の全ての場合が、そのまま憲法を違反した場合だと断定することはできない。すなわち立法者には形成の自由、または立法裁量が認定されるので、立法の時期も、やはり立法者が自由に決定できることが原則であるというべきだ。しかし、立法者は憲法で具体的に委任された立法を拒否したり、恣意的に立法を遅延させることはできないのであるから、たとえば立法者が立法をしないように決議したり、相当の期間内に立法をしない場合には、立法裁量の限界を越えるものとされた。したがって、立法府作為はこのように立法裁量の限界を越える場合に限って、違憲として認定される。この事件の場合、私設鉄道会社の財産収用に対する補償手続き規定をおいていた軍政法令が廃止されて、その財産収用に対する補償手続きに関する法律がなくなって、私設鉄道会社の財産関係権利者中、権利を放棄しないことが確定した損失報償請求権を持った者と、その請求権を継承取得した請求人が国家から補償を受ける道がなくなった。それにもかかわらず、その後三〇余年が過ぎても、その補償のため何らの立法措置を行なわないでいることは、立法者の形成の自由を考慮したとしても、その限界を越えるものと見るべきだ。したがって、この事件の立法不作為は立法者が憲法で委任を受けた損失補償に関する法律制定義務を恣意的に放置するものであり、これによって、私設鉄道会社財産関係権利者中、その損失補償請求権が確定した者の財産権を侵害するに至ったので、違憲といわねばならない』と判示した(7)。不真正立法不作為は、既に存在する法律に対する憲法訴訟審判で扱わる。
  過去には、平等権、または平等原則が立法権を拘束しないという見解があったが、こんにち基本権の保障原理にしたがう時、このような見解はこれ以上、維持することはできない。のみならず、立法権の行使で立法義務を違反して立法をしない不作為の場合にも、基本権の侵害があれば違憲になり、このような権力の乱用は当然、憲法裁判により統制される。立憲主義国家では立法権力も一つの国家権力であり、その上に在る憲法の統制を受けざるをえない。「議会主権」のイデオロギーも基本権に拘束され、憲法に服従しなければならないことが立憲主義、または憲法国家の法的効果である。憲法裁判所は、このような国会の立法府作為に対しても、積極的な姿勢を取ってきた。独裁と権威主義のもとでは、国会やはり執権勢力により掌握されていて、このような国会は独裁と権威主義統治に協力してきた。特に立法不作為に対する統制は、さらに洗練された憲法国家に進んでゆく道にあり、国家の民主化における最も鋭敏な部分だが、この部分に対して憲法裁判所が取った積極的な姿勢は、韓国の民主化をより洗練したものにさせるのに寄与したと言えよう。ただし、法律に対する違憲審判もそうであるが、立法不作為に対する憲法訴訟審判も民主主義と法治主義がお互いに緊張状態を形成する地点であるから、司法国家へ傾倒することは民主化の観点から常に鋭意注視する必要がある。

2.軍に対する統制
  韓国で軍に対する統制は、一般国家権力に対する統制以上の意味を持つ。軍事権力が行政権力に属して、軍に対する統制は行政府に対する統制として理解できるが、韓国では別途、検討する必要がある。軍の政治的中立は憲法で保障してきたが、一九六一年五月一六日の軍事クーデター以後、連続して展開した朴正煕政府、全斗煥政府、盧泰愚政府の統治期における執権勢力の支持基盤が軍部勢力であったので、軍に対する権力統制は韓国の民主化において格別の意味を持つ。軍部勢力が国家の中心勢力として登場した、この時期には兵士らの人権侵害のような兵営内の不法行為や、将校及び士兵の人事、武器導入、国防予算など財政、兵役などにおける軍の不正腐敗に対する統制が正しくなされなかったし、軍隊内の司法機関は軍部勢力に掌握されていて、満足に機能することができなかった。
  軍隊行政と軍内の行為は広範に軍事機密として指定され一般国民から遮断されており、軍隊内の人権侵害行為も軍司法機関が恣意的に処理しても、これに対する統制がまともになされなかった。軍捜査機関、情報機関による人権侵害に対しては、軍検察機関と軍事法院がこれを統制するべきなのに、韓国の軍事裁判制度は軍検察官と軍事法院が兵営内で司法的独立性を確保するのが難しくなっていた。基本的には師団以上の部隊長の指揮権に従属していて、軍検察官でも軍判事らに対しては軍捜査機関と情報機関などから、いろいろな形態の圧力がかけられた。

  (1)  兵営内の気合行為
  憲法裁判所は、一九八八年九月一九日、業務を始めてまもなく、軍隊内の人権侵害行為に対し決定を下した。事件は一九八八年八月、陸軍歩兵部隊で訓練途中、上級者である下士(伍長)が気合をいれる行為で「先着順駆足」を命じたが、兵長である請求人がこれに不服従したことが発端となった。この事件では、下級者が不服従すると、上級者らが加勢して、彼らを殴打したところ、これに同僚の兵長なども加勢して、両側間に喧嘩が発生した。この事件で、喧嘩に加わった兵長の中のひとりである請求人は、軍検察において立件された後、抗命罪は認定されたが、起訴猶予として処理されて、残りは起訴になって、普通軍事法院と高等軍事法院で無罪宣告された。これに起訴猶予処分を受けた請求人が、無罪の自分に軍検察官が有罪を前提として起訴猶予の処分をしたことは違憲だといって、憲法訴願審判を請求した(8)
  これに憲法裁判所は、一九八九年一〇月二七日、『憲法第一〇条は「あらゆる国民は人間としての尊厳と価値を持って幸福を追求する権利を持つ。国家は個人が持つ不可侵の基本的人権を確認して、これを保障する義務を負う」と規定していて、大統領令の軍人服務規律第三四条、第三五条によれば、軍人は職権を濫用したり、私的制裁を加えてはならないとしているので、これと同じ基本的人権の保障の憲法精神と軍人服務規律上の規定に立脚して軍人の基本的人権を尊重して、軍の特殊事情だけを前面に押し出し、合理化してきた前近代的殴打の弊習を止揚することで、軍を民主化ないし近代化させ、国民の信頼を受ける軍の新しい位相定立の意志として、すでに殴打及び苛酷行為を根絶するための一九七九年の陸軍一般命令第三七号が出され、前に見た通り、一九八五年九月四日にも、陸軍参謀総長が殴打根絶総合対策を立てて、陸軍一般命令第三七号、殴打行為厳禁修正補完内容、及び気合修正補完内容の規定を作って、これを遵守することを隷下部隊に命令して、一九八五年、一九八七年には、上の内容を殴打指針書というパンフレットに収録し、初級将校用に各隷下部隊に命令し、繰り返しこれを遵守するようにしたのである。それなら人間としての尊厳と価値尊重の憲法精神と軍人服務規律上の規定はしばらく置くとしても、殴打と苛酷行為根絶を通した、軍の民主化のための軍内部の訓令だと見られる、上の関係規定に照らして見ても、軍規律を根本的に破った違法な無権限な命令で、実質的な苛酷行為を検察官が単純に軍上司の命令だという理由だけで、抗命罪の客体である正当な命令として断定した挙句、抗命罪まで成立すると見て(懲戒事由の該当有無は別論があろう)、この事件の処分に至ったので、少なくとも、恣意禁止の原則を違反した処分によって、請求人に対する平等権が侵害されたことには間違いないし、これによって不当に幸福追求権が侵害されたといわねばならない』と、軍検察官の起訴猶予処分を取消した(9)
  この決定は当時としては画期的なものだった。軍隊内の不法行為や違法行為に対して司法的判断をしたことは、従来、軍内部の行為に対して民間で議論さえ出来ないほどタブー視されていた、一種の『聖域』が破られたのであった。憲法裁判所がスタートした初期に、憲法裁判所の活動に対する懐疑的な見解と、他の国家機関の牽制が激しい時期に、このような決定をしたことは、大きな意味を持つことだった。その当時が、盧泰愚政府がスタートした初期だった点を考慮すれば、すでに軍が韓国社会において、これ以上、『聖域』視されることができないし、軍隊内で兵士らの基本権が侵害される行為は憲法裁判所により統制されるということを国民に宣言した意味も持つものであった。これで軍は、これ以上、権力統制の枠外に存在することが出来なくなった。

  (2)  軍事機密の範囲
  一九八九年六月、国会議員秘書官として活動した者などが、在職中に軍事二級秘密文書の『国防業務報告』などを不当な方法で蒐集して、これを漏泄したとの理由で、ソウル刑事地方法院に起訴された。すると、彼らが、自分たちの公訴事実に対する適用法である軍事機密保護法第六条、第七条、第一〇条の違憲如何に対して、同法院に違憲法律審判の提請を申請し、同法院は、その申請を理由あるとして、同年一〇月、憲法裁判所法第四一条第一項の規定によって、憲法裁判所に上の法律条項の違憲如何に対する審判を提請した(10)
  この事件で憲法裁判所は、軍事機密保護法(一九七二・一二・二六・法律第二三八七号)第六条、第七条、第一〇条は、同法第二条第一項の軍事上の機密が非公知の事実として適法手続きによって軍事機密としての標識を備え、その漏泄が国家の安全保障に明白な危険を招くと見るだけの実質価値をもった場合に限って適用されるとといわねばならないので、そのような解釈により憲法に違反しないという縮小解釈の決定をした(11)。軍事機密保護法第六条は、軍事上の機密を不当な方法で探知したり、蒐集した者は一〇年以下の懲役または禁錮に処すると定めていて、第七条は、軍事上の機密を探知したり収集した者が、これを他人に漏泄した時には一年以上の有期懲役または有期禁錮に処すると定めていた。第一〇条は、偶然に軍事上の機密を知得したり占有した者が、これを他人に漏洩した時には、五年以下の懲役または禁錮に処すと定めていた。
  この決定は、従来まで軍事機密という理由で国民の知る権利が制限されていたことを緩和させ、軍内部の事情に対して言及すらできなかった雰囲気を変えるのに大きく寄与した。今はもう、国会が恣意的に軍事機密を定めることもできないだけでなく、軍隊内の情報であっても、全てのものが軍事機密として正当化されることはできなくなった。この事件で、憲法裁判所は慎重な姿勢を見せて、限定合憲の解釈をしたが、そのメッセージは、従来、広範に軍事機密として指定したことが誤っていたのであって、国民の知る権利を制限するのにも限界があるという点を明確にしてくれたことであった。これは国民の基本権の伸張という点のみならず、軍事権力に対する統制においても大きい意味を持つことであり、従来、無所不為であった軍の『聖域』としての地位が崩れることを意味することでもあった。当時は、盧泰愚政府の任期が終了する一年前であるから、軍部勢力の力が弱まっていった時だが、憲法裁判所のこの決定は、軍部勢力に対する統制として大きい意味を持った。この決定は、形式からは法律に対する統制であるがゆえに、立法権力に対する統制のように見えるが、国会が、事実上、軍勢力により支えられている執権勢力に従属していた点を考慮すれば、憲法裁判所のこの決定は、軍の勢力を弱化させるのに寄与したと評価できる。
  軍部勢力から文民政府の金泳三政府がスタートした、その年末の一九九三年一二月二七日、国会は軍事機密の概念をかなり縮小して、軍事機密保護法を全面改正し、ここで国民の知る権利を伸張させるために、「軍事機密公開要請権」も新設した。

3.国家安全企画部に対する統制
  国家安全企画部は国家情報機関として、一九六一年五月軍事クーデタ後、中央情報部という名で設置された。中央情報部は朴正煕政府と全斗煥政府において、独裁と権威主義統治の最先鋒親衛隊としての役割を果たした。反政府分子に対する弾圧が主な国内業務であり、したがって軍部勢力が統治した時期には、軍部(軍内部にも軍情報機関があったが、このような軍情報機関も秘密裏に民間人を査察した)と情報部の二つが、執権勢力を守る最も強力な統治手段であった。この中央情報部は、その後、名称を国家安全企画部と変え、金大中政府がスタートした後、再び国家情報院と名称を変更した。
  いずれにしろ韓国の民主化においては、独裁と権威主義統治の重要な中心軸であった国家安全企画部に対する統制が必要であり、政権の守護ではなく国家の守護という、国家情報機関が持つ本来の役割と機能を振り出しに戻すことが必要であった。国家安全企画部は、独裁と権威主義の統治の下、反政府分子に対する弾圧において捜査権を行使したが、この過程では国民の基本権侵害が日常茶飯事であった。国家安全企画部による不法な捜査は、当時「人権弁護士」たちの主な攻撃の対象であったが、それは国家安全企画部が持つ無所不為の強大な力に誰も対抗できなかったためでもあり、また権威主義統治の象徴でもあったためである。

  (1)  弁護人接見の妨害
  独裁と権威主義の時代、国家安全企画部は情報の収集や国家機関及び民間人に対する査察にとどまらず、積極的に「政治事件」や「時局事件(=反政府または政府批判事件)」の捜査を担当していたかのようにふるまっていた。そしてこれらの事件の大部分が容共事件として位置づけられ、反政府ではなく自由民主主義体制に反対したり、転覆しようとする反体制事件として処理された。当時のこのような時局事件のうち、何が容共事件で何が反政府事件であったのかは、今でも継続して明らかにしなければならない課題として残っている。
  一九八九年八月三日、国家安全企画部によって国家保安法違反嫌疑で拘束され、捜査を受けた被疑者に対して面会申請をした弁護士たちに、国家安全企画部が接見を許可しないという事件が発生した。弁護人たちは同日、ソウル刑事地方法院に接見不許処分の取消を求める準抗告をし、同法院は翌日この面会不許可処分を取消す決定をした。そして弁護人たちは同月五日、法院の決定文を所持した上で請求人に対する面会申請をしたが、その面会はなされず、同月七日、再び法院の決定文を所持して国家安全企画部長に同じ内容の面会申請をしたが、その面会もなされなかった(12)
  このような事件が憲法裁判所に憲法訴訟審判事件として請求されたが、一九九一年七月憲法裁判所は、この事件は既に法院により面会不許可処分が取り消されているため、憲法訴訟審判の権利保護利益がないとして却下した(13)。しかし三人の裁判官は、違憲確認をすべき審判利益が存在すると考えた。憲法裁判所長も、この意見に同意した(14)。一九九一年、この事件において憲法裁判所は、被疑者や被告人が持つ弁護人との面会権は憲法が保障する基本権であるが、弁護人が持つ被疑者や被告人との面会権は、刑事訴訟法が定める法律上の権利に過ぎないという判断をした(15)。このような憲法裁判所の却下決定は、国家安全企画部の権力濫用を満足に統制しえず、憲法上の接見権保障の意味を弱化させるものであった。盧泰愚政府当時のことである。
  一九九一年六月一三日、国家保安法違反などの事件で国家安全企画部によって拘束された被疑者が、同月一四日一七時から一八時頃まで国家安全企画部面会室で彼の弁護人である弁護士と彼の妻との面会を同時にすることになったのだが、その時、国家安全企画部捜査官五人が面会に同席して彼らの間近で対話内容を聞き、またこれを記録し、面会の様子を写真に撮るなどという事件が発生した。これに対し弁護人が抗議し、弁護人と被疑者の面会は秘密が保障されなければならないため請求人と弁護人のみ別に会えるようにすること、対話内容の記録や写真撮影をしないことを要求したが、捜査官たちは「どんな話でも安心してするように」として弁護人の要求を拒んだ(16)
  この事件に対して憲法裁判所は一九九二年一月、国家安全企画部の捜査官が拘束された収監者の弁護人面会時に同席したり、弁護人との対話を聴取したり記録する行為が違憲であることを決定した(17)。憲法裁判所はこの事件で弁護人の面会権について詳細に論じ、「身体を拘束された者が弁護人による充分な助力を得るようにするためには、何よりもまず身体拘束された者が弁護人と充分に相談できるように配慮すべきであるため、弁護人の助力を得る権利の必須内容は身体拘束された者と弁護人との面会であることだ。弁護人は面会を通じて拘束された被疑者、被告人の状態を把握して、それにともなう適切な対応策を講じ、被疑事実や控訴事実の意味を説明して、それに関する被疑者・被告人の意見を聞き対策を相談して、被疑者や被告人陳述の方法、程度、時期、内容等に対し弁護人としての意見を述べて指導なども行い、陳述拒否権や署名捺印拒否権の重要性や有効適切な行使方法を教え、それらの有効適切な行使によって冤罪を免れることができるということを認識させるべきで、捜査機関による自白強要、詐術、誘導、拷問などがありえるということを知らせ、これに対する対応方法を教えて虚偽自白をしないように勧告して、被疑者から捜査官の不当な調査(誘導、脅迫、利益供与、暴力等)の有無を随時確認するべきで、被疑者や被告人に不安、絶望、苦悶、虚勢などが見られればそれに対応して激励し、勇気を与え、慰めたり忠告したりすべきであろう。ところがこのようなことは、拘束された者と弁護人の対話内容に関して秘密が完全に保障され、いかなる制限、影響、圧力、不当な干渉も加えられることなく自由に対話できる面会を通じてのみ可能であり、このような自由な面会は、拘束された者と弁護人の面会に矯導官や捜査官など関係公務員が同席することなしにはじめて可能となる。仮に関係公務員が間近で監視しながら対話内容の聴取、録取、または写真撮影などにより不安な雰囲気を造成するとすれば、弁護人のこのような活動は妨害されるよりほかなく、これは弁護人の助力を得る権利や陳述拒否権を基本権として保障した憲法精神に大きく反する。公訴提起の間違いや誤判などによる寃罪は、拘束された被疑者、被告人と弁護人の自由な面会によって事前に予防できることだ。以上のように弁護人との自由な面会は、身体拘束された者に保障された、弁護人の助力を得る権利の最も重要な内容なので、国家安全保障・秩序維持・公共福利など、いかなる名分によっても制限できる性質のことではない」と判示した(18)
  これは一九九一年に憲法裁判所が見せた態度とは全く違ったものであったが、その理由としては何しろ弁護人の面会権侵害が明白であったためでもあるが、盧泰愚政府の末期になって韓国社会における民主化の雰囲気が高まり、国家安全企画部の暴力的な力は弱まっていったと見ることができる。このような点で憲法裁判所は、民主化の進行によって執権勢力を支える基盤権力に対しても、権力統制の力を順次拡大させていったと評価できる。
  一九九三年二月、金泳三政府がスタートした後、一九九五年一月五日、行刑法の該当条項は「未決収容者と弁護人(弁護人になろうとする者を含む)との接見には、矯導官が参与したり、その内容を聴取または録取できない。ただし、見える位置で収容者を監視できる」と改正された。

  (2)  国家安全企画部の所属
  国家安全企画部に対する国民の抵抗は、この機関が他の国家権力による統制をほとんど受けない機関であるという点にあったが、その代表的な例が、この機関の設置が正常な行政府内の組織にはなっていないという点であった。国家安全企画部という単行法を作ってこの機関を大統領の直属機関として置いたのだが、このような組織上の逸脱が違憲であると批判された。
  一九九四年四月憲法裁判所は、この問題が正式に審判の対象となった事件において、憲法第八六条第二項はその位置と内容からみて、国務総理の憲法上の主な地位が大統領の補佐機関であるということ、またその補佐機関としての地位から行政に関し、大統領の命を受けて行政各部を統轄できるということを規定しているだけで、国家の公権力を執行する行政府の組織は、憲法上例外的に列挙されていたり、その性質上、大統領の直属機関として設置することができるものを除いては全て国務総理の統轄を受けなければならず、その統轄を受けない行政機関は法律によってもこれを設置することができないということを意味しているとは考えられないとして、憲法第九四条、第九五条などの規定趣旨に照らし、政府の構成単位としてその権限に属する事項を執行するあらゆる中央政府機関が、即ち憲法第八六条第二項所定の「行政各部」であると見ることもできないとした。憲法裁判所はここで、国家が情報機関を大統領直属とするか否かは基本的に立法政策の領域に属することであるため、当該国家の憲法理念に違背しない限り違憲とはいえないが、国家安全企画部法はその目的、職務範囲、統制方法などの観点において憲法が要求する最小限の要件を備えていると見るべきなので、国務総理の管轄を受けない大統領直属機関の国家安全企画部の設置根拠と職務範囲などを定めた行政組織法第一四条と国家安全企画部法第四条、及び第六条の規定は憲法に違反しないと判示した(19)
  この事件では裁判官三人から別途意見があったのだが、それは、情報機関から捜査権を分離させることが必ず憲法的指示であるとまでは言えないが、情報機関が捜査権まで持つことは望ましいものではないため、その捜査権は必要最小限にとどまるべきであるのみならず、その権限の濫用を防止しうる適切な牽制装置が作られるべきであるにもかかわらず、この事件の審判対象規定は国家安全企画部を大統領所属下に置き、国務委員でない者をその長に任ずることができるように規定することによって国会の国家安全企画部に対する牽制機能を顕著に弱化させた上、改正前の旧国家安全企画部法は国会の関与を制限するいくつかの特例規定をおき、国家安全企画部としてその本来の職務内容に照らし過度の捜査権を附与する等、法的に実効性のある牽制装置がなかったため、この事件の審判対象規定は旧国家安全企画部法を論理的前提とする限り憲法体系不調和状態にあったとした。当時の憲法裁判所長もこのような別途意見に同意した(20)
  裁判官の一人は、国家安全企画部(行政府の権限に属する事項を執行)は中央政府機関であるから、性質上国務総理の統轄下に置くべき「行政各部」に属すことが明白であるため、国家安全企画部を行政各部に入れないで大統領の直属下に置いて国務総理の指揮、監督を受けないようにした政府組織法第一四条第一項は、憲法第八六条第二項及び第九四条に違反するという反対意見を述べた(21)。裁判官九人のうち八人は違憲ではないと考えたが、違憲という一人を含む四人の裁判官は、国家安全企画部の組織上の問題点を指摘した。
  このような憲法裁判所の指摘は国家安全企画部の存在に合憲性を附与したものであるので、いったん確認の印鑑を押したともいえるが、裁判官九人のうち四人の裁判官は、現在のような組織上の逸脱は正常な国家組織という側面からは望ましくないと指摘して、国家安全企画部の組織に問題があるということを浮彫にした点では、権力統制の効果があったといえる。国家安全企画部が持つ統治上の利便性のため、金泳三政府においてもこのような地位をそのまま温存し、現在の金大中政府においても温存している。金大中政府の国家情報院は以前より力が弱まったものの、基本的に金大中政府も国家情報院、検察、国税庁等に強く依存する権威主義統治の様相をみせており、この問題が解決される兆しは見いだしがたい。

4.検察に対する統制
  (1)  検事の不起訴処分
  検事の不起訴処分に対する統制の方法として憲法訴訟審判制度が活用されることは、国家刑罰権の統制という全体システムから見ると望ましくない。あらゆる事件に対して裁定申請を可能にし、また起訴強制主義や検察審査会制度などの方法で不起訴処分を統制することが妥当である(22)。しかしながら現在は起訴便宜主義をとっており、裁定申請の対象が極度に限定されている状況で、検事の不起訴処分に対する統制は隙間を埋める制度としての機能を持っている。
  検事の不起訴処分を憲法裁判所が違憲として取消した場合、検察はこの事件を再捜査すべきか、または義務的に起訴すべきかをめぐって見解が分かれている。検察側は、再捜査すべきであるという立場を堅持している。
  法務部の統計によると(23)、一九八八年から一九九八年までに憲法裁判所が不起訴処分に対する憲法訴願審判をした件数は全部で一、一九六件で、このうち正当な理由があると認めて不起訴処分を取消したものは六二件であり、全体の五・三%を占める。この六二件のうち検察が再捜査して処理した事件は五八件であるが、このうち起訴した事件は二一件であり、総処理件数の三六・二%の比率を占めている。憲法裁判所が引用した六二件の事件に対し、検察で処理した内容は下の〈表1〉で見られる通りである。憲法裁判所の統計によると法務部の統計とは異なるのだが、一九九八年まで憲法裁判所が不起訴処分に対して認容した件数は六三件となっている。一九八八年から一九九八年まで憲法裁判所に接収された不起訴処分の件数と、年度別のそれに対する処理内容は〈表2〉に見られる通りである。
  憲法訴訟審判は検事の不起訴処分に対する統制の方法として適当なものではないものの、不起訴処分に対する統制制度が不備である現実においては、憲法裁判所に憲法訴訟審判の方法として請求する数はますます増加している。もともと憲法訴願審判制度は、裁判に対する憲法訴訟審判と法令に対する憲法訴訟審判が主な内容となっているが、裁判に対する憲法訴訟審判は憲法裁判所法が禁止しており、不起訴処分に対する統制装置が充分ではないため、韓国では憲法訴訟審判制度の主な内容が不起訴処分に対する憲法訴訟審判と法令に対する憲法訴訟審判となっている。

  (2)  捜査記録の閲覧
  一九九四年三月、国家保安法違反罪で拘束起訴された者の弁論準備のため、被告人の弁護人である弁護士が検事に対して保管中の捜査記録一切に対する閲覧・謄写申請をしたが、検事が国家機密の漏洩や証拠いん滅、証人脅迫、私生活侵害の憂慮等、正当な事由を明らかにしないままこれを全て拒否するという事件が発生した(24)。この事件において一九九七年一一月憲法裁判所は、捜査記録に対する閲覧・謄写権は憲法上被告人に保障された迅速・公正な裁判を受ける権利と弁護人の助力を受ける権利等によって保護される権利であるとし(25)、検察の捜査記録閲覧・謄写の拒否に対して制約を加えた。この事件で憲法裁判所長を含む二人の裁判官は捜査記録の閲覧・謄写は憲法が保障する基本権に該当しないという反対意見を出した(26)
  法理論的には議論もあるところだが、この決定は従来検察が捜査と控訴手続きにおいて優越的地位を維持してきたことを次第に弱化させるという結果をもたらした。それまでは何であれ検察の手中に入ると国民には手が届かなくなるという状況にあったが、起訴されてからは証拠調査以前でも被告人は検察と対等な地位を維持するため、検事の手中にある記録を閲覧して謄写できるようになった。一九九一年に確定された、刑事裁判記録の閲覧と謄写は該当事件の被告人と国民の知る権利保護のため認定されるとした憲法裁判所の決定(27)後、六年後の決定であるが、刑事司法手続きにおける刑事司法情報の公開という観点からも吟味してみる必要があり(28)、このような公開は民主化の一つの特徴でもある。このような点から見れば憲法裁判所のこの一連の決定は、国家が保有する情報の公開を通じて国家権力を統制するという点で意味を持つと評価できる。

5.大統領に対する統制
  (1)  権力的事実行為
  全斗煥政府当時の一九八五年、国際グループの解体事件が発生した。この措置は財務部長官が大統領に報告してその指示を受け、一九八五年二月七日に国際グループを解体すると基本方針を定めて同月一一日にその引受業者を定める一方、この実行のために同月一三日から国際グループ系列社に対する銀行資金管理に着手するよう第一銀行長らに指示し、グループ創業者に処分委任状等で系列社の処分権を委任させ、財務部長官が作った報道資料に基づいて同月二一日、第一銀行の名で解体を言論に発表させるなどの一連の行為がなされたのであるが、憲法裁判所はこのような一連の公権力の行使は創業者の企業活動の自由と平等権を侵害したものであり、違憲であることを確認すると判示した(29)
  この事件は金泳三政府がスタートしてから、過去に全斗煥政府が強制的に国際グループを解体した行為を逆転させたものとして政治的に大きな意味を持ったが、権力統制の観点から見れば、権力行為に対しても憲法裁判所の違憲性審査が実際に可能であることを明確にしたものとして重要な意味を持つ。憲法裁判所はこれに関連して、「財務部長官が第一銀行長に対して行った国際グループの解体準備着手指示と言論発表指示は、上級官庁の下級官庁に対する指示ではなかったことは無論、同銀行に対する任意的協力を期待して行った、非権力的勧告・助言などの単純な行政指導としての限界を越えたものであり、このような公権力の介入は株取引銀行をして公権力に順応させ、第三者の接収による国際グループ解体という結果を事実上実現させる行為であり、このような類の行為は形式的には私法人の株取引銀行の行為であったとという点においては行政行為はとは言えないとしても、その実質が公権力による財閥企業の解体という事態変動を起こすという点において、一種の権力的事実行為として憲法訴願の対象された公権力の行使に該当する」と判示した(30)

  (2)  緊扱措置権
  京畿道抱川郡に所在する私有地に対し、大韓民国は一九七七年、「国家保衛に関する特別措置法」第五条第四項とその法律条項によって発令された「国家保衛に関する特別措置法第五条第四項による動員対象地域内の土地の収用・使用に関する特別措置令」(一九七一・一二・三一・大統領令第五九一二号、最後改正一九九一・八・五・大統領令第一三四四七号)第二九条によってこれを収用し、一九七九年一二月三日、大韓民国に所有権移転登記をした。これに対し所有者は、大韓民国を相手に所有権移転登記抹消請求訴訟を提起したが敗訴したため控訴し、その控訴審において土地収用の根拠法律である特別措置法第五条第四項に関し、違憲審判の提案申請を行ったところこれが当該法院によって認められ、憲法裁判所の違憲審判の対象になった。上の特別措置法は朴正煕政府により制定され、全斗煥政府が出帆した一九八一年一二月一七日に既に廃止されていたが、憲法裁判所は例外的に廃止された法律に対する違憲審判をするケースに該当すると見て審判した(31)
  この事件で憲法裁判所は、特別措置法は憲法的な国家緊急権を大統領に附与しているという点において、これは憲法を否定し、破壊する反立憲主義、反法治主義の違憲法律であり、国家緊急権発動(非常事態宣布)の条件を規定した上の特別措置法第二条の「国家安全保障に対する重大な脅威に効率的に対処して社会の安寧秩序を維持し、国家を保衛するために迅速な事態対備措置を行う必要がある場合」という規定内容はあまりにも抽象的であり、概念が広範囲で濫用・悪用の可能性が非常に高いので、基本権制限法律、特に刑罰法規の明確性の原則に反し、しかし国会による事後統制装置も皆無であるという点において、非常事態宣布に関する上の特別措置法第二条は違憲・無効であり、この事件の審判対象法律条項を含む非常事態宣布が合憲・有効であることを前提にしてのみ合憲・有効となりうる上の特別措置法のそれ以外の規定は、すべて違憲であると判示した(32)。さらに憲法裁判所は、特別措置法第五条第四項は「大統領は動員対象地域内の土地及び施設の使用と収用に対する特別措置をとりうる。これに対する補償は徴発法に準ずるが、その手続きは大統領令に定める」と規定しており、補償を徴発法に準ずるようにしているだけで土地収用・使用の要件や範囲、及び限界などに関する基本的な事項さえも規定しないまま包括的に大統領令に委任しているため、財産権制限を法律により行うように規定した憲法第二三条第三項及び委任立法の限界を規定した憲法第七五条に違反するものであるとし、また徴発法による補償は使用に対する補償であるから、特別措置法による土地収用の場合には補償基準とはなりえないだけでなく、徴発法の規定通り課税標準を基準にして補償すればこれは正当な補償とはいえず、特別措置法第五条第四項は違憲であるとした(33)
  これは事後の決定に過ぎないものの、過去のような大統領の緊急措置権は憲法に違反するという点を明確にしたという意味がある。過去、朴正煕独裁の時期に大統領による権力乱用の大部分が緊急措置権により行なわれたことを考慮するならば、憲法裁判所のこの決定は、今後再び同じような不法かつ違憲的な権力乱用が繰り返されてはならないということを明らかにした点において重要な意味を持つ。憲法裁判所がこのような決定をした一つ背景のとしては、当時金泳三政府が発足し、民主化が韓国社会の主な問題となったということが作用したと考えられる。

  (3)  金融実名制実施のための緊急命令
  韓国社会において金融実名制(日本のグリーンカード制)は、政治的・経済的に重要な意味を持つものであった。政治的に見れば政治腐敗を防止する強力な手段であり、経済的にはあらゆる経済活動において透明で健全な資本主義経済秩序を確立するものといえる。この措置は金泳三政府発足後、ずっと続いてきた国民の要求を受け入れたものであったが、金泳三大統領は改革の一環として就任の約六ケ月後である一九九三年八月一二日、大統領緊急命令の「金融実名取引及び秘密保障に関する緊急財政経済命令」として金融実名制を実施した。この緊急命令は同日二〇時から施行され、同月一九日国会の承認を受けた。
  この措置に対して国民の一人が、このような緊急命令は憲法第七六条第一項の要件に該当するものではなく、突然のこのような命令は金融実名制と関連して政府に請願する権利を基本的に侵害するものであり、自分の所有する株式一一種の市価が下落したために財産権も侵害されたとして憲法訴訟審判を請求した。憲法裁判所はこの事件における請求人の請求をすべて排斥したが。憲法理論的には非常に重要な判断をした(34)
  この事件で憲法裁判所は、従来の統治行為論に対する見解を明確にした。憲法裁判所は「統治行為とは高度な政治的決断による国家行為として、司法的審査の対象として適切でない行為として一般的に定義されるものであり、この事件の緊急命令が統治行為として憲法裁判所の審査対象から除外されるかどうかについて検討した場合、高度な政治的決断による行為としてその決断を尊重すべき必要性があるという意味においては、いわゆる統治行為の概念を認めることができ、大統領の緊急財政経済命令は重大な財政経済上の危機に処して国会の集会を待つ余裕がないとき、国家の安全保障、または公共の安寧秩序を維持するために必要な場合に発動される一種の国家緊急権として大統領の高度な政治的決断を要し、できるだけその決断が尊重されるべきであるという点においては法務部長官の意見と同じである。しかしいわゆる統治行為を含むあらゆる国家作用は、国民の基本権的価値を実現するための手段という限界を必ず守るべきであり、憲法裁判所は憲法の守護と国民の基本権保障を使命とする国家機関であるから、たとえ高度な政治的決断によって行われる国家作用とはいえ、それが国民の基本権侵害と直接関連する場合には当然憲法裁判所の審判対象となりうるだけでなく、緊急財政経済命令は法律としての効力を持つものであるため、当然憲法に拘束されるべきである。したがって、この事件の緊急命令は統治行為であるから憲法裁判の対象になりえないという法務部長官の主張は、受け入れられない」と判示した(35)
  このことは、従来韓国の政治において大統領の越権行為は、すべて統治行為とされてきたことに対する強力なブレーキの意味を持った。朴正煕政府の独裁とそれ以後の権威主義統治において、大統領による憲法を無視した行為が統治行為という名の下に正当化されてきた悪習に対して鉄槌を下したものと評価できる。金泳三政府の民主化の流れの中でなされた憲法裁判所のこの決定は、大統領の権力に対する統制において憲法裁判所が持つ役割を明確にしたものと見ることができる。

  (4)  国務総理署理の任命
  大韓民国の大統領制はアメリカ合衆国の大統領制と違い、大統領が存在しながらも副大統領が存在しないという畸形的な形をとっている。内閣には行政各部長官以外に国務総理が存在するが、国務総理は大統領の権限を代行する順位として最高位に位置し、大統領の命を受けて行政各部を統轄する。ところで国務総理は国会の同意を得て大統領が任命する。国会で同意を得られなければ大統領は他の人を指名し、再び国会の同意を得て国務総理を任命する。
  過去の独裁と権威主義統治においては、大統領は自分の気に入った者を国会の同意を得る前に「国務総理署理」という虚無職に任命し(法的に見ればこの段階にある者は、国務総理候補者として大統領により指名された状態にある)、その者をして国務総理の業務につかせ、その後、彼が掌握している国会で認准する方法をとった。権力分立によって分立された国家権力が事実上強大な地位にある大統領に集中し、国会は大統領の追従勢力らにより掌握されていたため、国務総理の任命において同意せずに大統領の意志を霧散させた例はない。過去、李承晩政府では五件、朴正煕政府では一件、全斗煥政府では八件、盧泰愚政府では四件あった(36)。しかし「国務総理署理」の任命行為は大統領の無所不為の地位から縦しいままにされた違憲的行為であるため、これまで批判が絶えなかった。このため民主化を旗印として掲げた金泳三政府においては、憲法の規定通り事前に国会の同意を得てから国務総理を任命し、従来強行されてきていた「国務総理署理」の弊害を一掃した。ところが一九九八年二月金大中政府が発足し、金鍾泌(キムジョンピル)自由民主連合総裁を国務総理に任命したとき、国会で多数の野党の反対に直面したのだが、このとき金大中大統領は金鍾泌を以前のように「国務総理署理」に任命した。これは大統領選挙において金大中候補の単独当選が難しいと思われたとき、金鍾泌に立候補せず、支持すれば当選後、「共同政府」を構成し、共同政府では「金大中大統領ー金鍾泌国務総理」として互いに政府を折半して運営すると提案した、いわゆる「DJP合意」にともなう構想であった。こんなことは、国会の同意が関わるため当事者間の合意では成立し得ないことであるが、当事者らはこのように合意してそれにしたがって国政を強行したのである。
  この問題が権限争議審判事件として憲法裁判所に請求されたのだが、憲法裁判所は裁判官九人中五人の不適法却下の意見、三人の違憲意見、一人の合憲意見にわかれ、結局却下の決定をした(37)。却下の意見は、従来の憲法理論において見られないものを理由に上げたのだが(38)、結局、憲法裁判所は新任大統領の違憲的な行為に対し、判断を回避する結果を招いた。このような行為はこれまでも繰り返されてきたのだから、憲法裁判所はこのとき違憲宣言をするべきであった。その後遺症はそのあと発生した。二〇〇〇年五月一九日、朴泰俊(パクテジュン)国務総理が不動産の名義信託等の問題で国務総理職を辞任する事態が発生した。すなわち国務総理の闕位が発生した。これに対し政府は、政府組織法第二二条と第二六条により財政経済部長官に国務総理の職務を代行させた。このような職務代行は政府組織法上の代行要件が揃えば政府組織法の該当規定により、すぐに代行の効力が発生するが、これに伴い当時の財政経済部長官が国務総理の職務代行した。ところがこのような国務総理職務代行の状態で国政が遂行される中で、五月二二日、金大中大統領は二〇〇〇年四月一三日の総選挙を控えて訣別した自由民主連合の金鍾泌勢力と再び共助態勢を作るという政治的計算により、自由民主連合の李漢東(イハンドン)総裁を国務総理に指名して二三日、国会に任命同意を要請した。一方二三日には大統領が大統領府で李漢東に「国務総理」任命状を授けて彼を「国務総理署理」に任命した。二三日当日、李漢東は国務総理署理就任式を行って国務総理の業務を始めた。このときはまだ李憲宰(イホンジェ)長官による国務総理職務代行の効力が喪失していない状態なので、合法的な国務総理職務代行状態と虚無職の国務総理署理の違法な国務総理職務遂行の状態が共存する事態が発生した。一九九八年七月、憲法裁判所が大統領の「国務総理署理」任命行為に対して違憲決定をしたならば、このような事態は防止できたであろう。このような点を見れば、金大中政府がいまだに権威主義統治から脱しえていないことが分かり、韓国の大統領制は相変らず「帝王的大統領制」を克服しえていないといえる(39)。この部分については、憲法裁判所は権力統制の役割を放棄しているといえる。
  執権勢力に直接影響を与えうる事件において憲法裁判所がどれほど十分に権力統制の機能を遂行するのかという点については、継続した観察が必要である。憲法裁判所の構成方法を見ると、裁判官九人のうち大統領が三人を直接選定・任命し、国会が三人選出し、大法院長が三人指名するのであるが、韓国的状況において果して大法院長が大統領や執権勢力に対して付托された人物を自由に選定できているのかも疑問であり、国会の与党は大統領が指名した人物を選出するはずであるため、裁判官の任期が現職大統領の在任中に終了する場合には、憲法裁判所は大統領の手中にあるといっても過言ではない。特に憲法裁判所裁判官は連任が可能なため、連任しようとする場合には執権勢力の顔色をうかがう可能性が高い。憲法裁判所の持つ政治的中立性と権力統制の機能に照らして見れば、現在の憲法裁判所の構成方法は問題があると思われる。

6.行政府に対する統制
  (1)  委任立法
  憲法−法律−命令−規則の位階で構成された実定法構造である国では委任立法に対する統制は重要である。法律で行政立法に過度に依存することを防止すると同時に、行政立法による議会立法の侵害を防止して法律で委任した範囲を抜け出し、行政便宜によって国民の基本権を侵害することを防止することは権力統制のもう一つの重要な機能である。これは国会の立法権力に対する統制と同時に、行政権力に対する統制を意味する。独裁や権威主義統治では立法府を無力化させ、同時に行政立法を通じて恣意的な権力を行使する仕事が多くある。こういう行政立法の濫用においては、行政立法の違憲性審査のシステムだけ無力化させておけば、執権者は一般行政処分、統治行為、行政立法などを道具として自分の意図通り統治できる。韓国の場合もこれと大きく違わなかった。憲法裁判所はこういう法律の委任の範囲と限界に対して明らかな基準を提示しながらそれに対する統制をしてきた(40)。行政立法が直接基本権を侵害する場合には、憲法訴訟審判で争うことができるとした(41)。民主化が進行しながら行政立法に対する統制システムも次第に落ち着いていく様相を見せている(42)
  韓国で問題されたことは、法律で行政立法に命令している内容があるのに、法律が指示した内容を施行するための施行令と施行規則を制定しないことである。こういう行政立法の不作為に対して憲法裁判所は一定の判断を下した。一九九八年、憲法裁判所は歯科専門医資格試験制度を医療法で定めているにも関わらず、この試験の施行のため施行規則の改正が、二〇年以上なかった行政立法不作為に対して違憲だと判示した(43)。この事件で憲法裁判所は『特に行政命令の制定、または改正の遅滞が違法になってそれに対する法的統制が可能となる為には、第一に行政庁に施行命令を制定(改正)する法的義務がなくてはならない、第二に相当な期間が過ぎたにもかかわらず制定されておらず、第三に命令制定(改正)権が行使にされなければならない。この事件において保健福祉部長官の作為義務は、医療法及び上記の規定による委任によって付与されたものであって、憲法の明文規定によって付与されたものではない。しかし三権分立の原則、法治行政の原則を当然の前提としている韓国憲法下では、行政権の行政、立法等法執行義務は憲法的義務と見なければならない。なぜなら行政立法でも処分の介入がなくても法律が執行されたり、法律の施行如何や施行時期まで行政権に委任された場合は別として、この事件と共に歯科専門医制度の実施を法律及び大統領令により規定されていて、その実施のため施行規則の改正などが行なわれるにもかかわらず、行政権が法律の施行に必要な行政立法をしない場合には、行政権によって立法権が侵害される結果になったのである。したがって保健福祉部長官には憲法に由来する行政立法の作為義務があるとするはずである』と判示した(44)
  韓国の民主化は行政立法にあってもこういう不合理なシステムを打破して、正常な法治主義の構造を成立させることである(45)。このような点で憲法裁判所が個別事件で委任立法の限界を定め(46)、行政立法の違憲性に対して審判をしたことは、韓国の法治主義と民主主義の発展に大きく貢献したと評価できる。

  (2)  矯導所
  矯導(矯正)行政は、その中心領域が監獄の問題にある。独裁と権威主義統治は、監獄を強力な統治手段の一つとして利用する。執権勢力に対抗する者に対して強力に抑圧する装置が監獄でもある。このような監獄の問題は、矯導行政に現れる矯導行政の問題は基本権の問題と同時に権力の暴力的行使に対する統制の問題でもあるという点である。
  憲法裁判所は未決収容者の基本権と関連して、一九九二年に弁護人接見に矯導官などが参与することを上記のように違憲とみなし(47)、一九九五年には書信の検閲に対して『未決囚容者に対する書信検閲が許容されたとしても、通信の秘密を保護しようという憲法精神によってその検閲は合理的な方法で運用されなければならなく、検閲による書信の受発の不許可は厳格な基準によるべきで、また書信内容の秘密は厳守にされるべきこと』として、その制限の限界を明確にし、未決囚容者の書信の中で弁護人との書信は他の書信に比べて特別な保護を受けなければならないと判示した(48)。一九九七年には無罪などの判決宣告後に、意思に反して矯導所に連行する行為に対しても『無罪など判決宣告後、釈放対象被告人が矯導所で支給された各種支給品の回収、収容時の携帯金品または収容中に領置された金品の返還ないし、還給問題のため任意に矯導官と矯導所に同行することは妨げないが、被告人の同意を得ずに意思に反して矯導所に連行することは憲法第一二条の規定のもとにとうてい許容されないこと』として違憲とした(49)。一九九八年憲法裁判所は、未決囚容者が自費で購読する日刊新聞の記事の一部を拘置所長が削除する行為に対して『拘禁されている状態及び拘禁施設の状況上そういう新聞購読は無制限に認定されず、購読する新聞種類の制限などとのような合理的な範囲内の制限は必要とされざるをえない。現在韓国の収容者(未決囚容者及び受刑者)は、他の国の場合とは違い国家の予算・財政上の問題と収容施設管理人力の不足で全国収容施設に平均定員をはるかに越えた人員が収容されており、勤務矯導官の数もきわめて不足した実情である……削除された一定の記事は教化上または拘禁目的に特に不適当だと認められた記事、組織犯罪等収容者関連犯罪記事であった事実が認められる。このような削除行為は拘置所内秩序維持と保安のためのものといえる。すなわち新聞記事の中に脱走に関する事項や集団断食、煽動等拘置所内団体生活の秩序を撹乱する内容が請求人のような未決囚容者に伝えられる時、同調断食だとか、煽動等収容の内部秩序と規律を害する状況が展開する可能性があり、これは収容者が過密に収容されている現拘置所の実情と過少な矯導人力を見る時、拘置所内の秩序維持と保安をきわめて困難にする恐れがある(過去に頻繁に他の拘置所収容者らが座り込み及び断食などを行なうことで所内内部秩序を害し、不足した収容施設と人材を效率的に使用することができなくなった事例等を見てもわかる)。一方この新聞記事の削除内容も上記で述べた範囲内にとどまり、新聞記事の中の主要記事の大部分が削除されることがないことが認定された。これは収容秩序のための請求人の知る権利に対する最小限の制限だと見ることができる。これで侵害された請求人に対する収容秩序と関連する上での記事に対する情報獲得の妨害と、そのような記事の削除を通じて得ることができる拘置所の秩序維持と保安に対する公益を比較する時、決して請求人の知る権利を過度に侵害することではない』として、該当事件では合憲の決定をしたが、未決囚容者が自費で新聞を購読することは、知る権利の行使であるから国家は原則的にこれを制限出来ないだけでなく、最大限に保障するべき義務があると判示した(50)
  この文で議論の対象とみなす時間的範囲に含まれないが、一九九九年憲法裁判所は、拘置所長の未決囚容者に対する在所者用衣類を着用させるようにする措置に対して、拘置所等施設内で着用させる場合は合憲だが、捜査や裁判を受けるため施設外に行く場合に同衣類を着用させることは人格権、幸福追求権、公正な裁判を受ける権利を侵害するものとして違憲であると決定した(51)
  憲法裁判所はこのような一連の違憲審判を通じて未決囚容者の基本権を保障するのに寄与したのみだけでなく矯導行政の権力的行為に対して統制を加えた。独裁と権威主義統治で身体の拘禁が強力な統治の手段に利用されて、これに伴い矯導所、拘置所等収監施設で収監者の基本権の侵害が日常化されて、その結果この部分は「人権の死角地帯」となり、憲法裁判所のこういった決定は強圧的な国家権力の行使に対する強力な統制として機能した。このようなことは韓国社会での民主化の進展と流れを共にした印象もあったが、憲法裁判所が積極的に矯導行政の権力に対する統制をすることで獲得した要素もある。韓国の民主化過程で矯導行政と収監者の基本権の保障では注目するに値する成果を上げ、特に一九八八年以後の「矯正の自由化」はその以前と比較して大きい発展をしたと評価されている(52)。こういう収監者の基本権保障の進展と矯導行政の民主化と自由化において、憲法裁判所の積極的な決定は少なからぬ寄与をしたと評価できる(53)

7.法院に対する統制
  憲法裁判所が持つ権力統制の機能は、一般法院の裁判権力に対してもはたらく。憲法裁判所法は第六八条第一項に憲法訴願審判制度をおきながらも法院の裁判は除外したため、裁判を直接統制することは困難になった。しかしながら法院が裁判を不合理に遅延する行為は、憲法訴訟審判の対象となる。法院の司法権力に対する統制は裁判行為に限らず、司法行政や司法立法に対しても行なわれる。憲法裁判所が法院の権力を統制しようとするとき、その初期においては大法院と憲法裁判所の間に強い対立や葛藤が存在したが、その後多少やわらいだ。しかし権力統制にともなう緊張や葛藤は依然として存在している。これは権力統制において当然現れる現象でもある。

  (1)  大法院規則
  憲法裁判所はその発足後いくらも経たないうちに、大法院規則に対して違憲決定を行った。一九九〇年一〇月、憲法裁判所は「大法院規則の法務士法施行規則第三条第一項は、法院行政所長が法務士を補充する必要がないと認めれば、法務士試験を実施しなくてもよいとしており、上位法である法務士法第四条第一項によって、あらゆる国民に附与された法務士資格取得の機会を下位法である施行規則で剥奪したものであり、平等権と職業選択の自由を侵害した」と判示した(54)。この当時大法院はこの決定に対し、大法院規則は憲法訴訟審判の対象にはならないと強く反発したが、学界は憲法裁判所の見解が妥当であるとした。

  (2)  謝罪広告命令
  韓国の民法は、不法行為に対する権利救済方法においては金銭賠償を原則とするが(民法第七五〇条、第七六三条、第三九四条)、例外的に民法第七六四条名誉毀損の場合には、金銭賠償に代えて、またはこれと共に侵害された名誉を回復するための原状回復的救済を認めており、法院は被害者の請求によって「名誉回復に適当な処分を命じうる」という規定をおいているが、法院は第七六四条でいう処分の代表的なものが敗訴者に対する謝罪広告掲載命令であると解釈し、他人の名誉を傷つけた当事者に謝罪広告掲載を命じた。ところが憲法裁判所は一九九一年、このような法院の命令が憲法に違反するという決定をした。この決定に対しては理論上論議の余地があろうが、権力統制の観点から見れば法院の裁判行為に対する統制ともいえる(55)

  (3)  確定された刑事裁判記録の閲覧
  一九九一年憲法裁判所は、確定した刑事裁判の記録に対する閲覧と謄写を拒否する行為に対し、違憲決定をした(56)。韓国では確定した刑事裁判の記録は検察庁で保管しているため、このような拒否行為に対して違憲決定をしたことは、検察の行政権力に対する統制という意味を持つが、その本質から見ると、法院が行なった刑事裁判を確定後に公開するということであるから、これは法院の裁判権行使に対する統制であり、国民の知る権利の保障という意味を持つ。これまで法院が行なった裁判に対しては、上訴手続きや再審手続き以外には基本的に注文をつけるのは不可能であるという認識が広まっていたが、今後は法院も裁判を正しく行ったのか誤ったのか、一般的な評価を受けなければならない状況になった。
  憲法裁判所のこの決定以後、一九九四年一月一日から施行された検察保存事務規則第二〇条第一項では、被告人、刑事訴訟規則第二六条第一項の訴訟関係人、請求事由の疏明した告訴人・告発人・被害者は、裁判確定記録の全部または一部に対して閲覧・謄写を請求できると定められた(57)。この規則の改正により、以後このような閲覧や謄写の拒否行為については、行政訴訟で争うようになった。一九九八年四月四日に再び改正された検察保存事務規則は、第二〇条で(1)被告人であった者、(2)被告人であった法人の代表者及び刑事訴訟法第二八条の規定による特別代理人、(3)(1)と(2)の弁護人・法定代理人・配偶者・直系親族・兄弟姉妹・戸主は裁判確定記録の閲覧・謄写を請求できると定めた。また告訴人、告発人、または被害者は請求する事由を釈明して本人の陳述が記載された書類に対しては閲覧を、本人が提出した書類と実況調査書・診断書・鑑定書等非陳述書類に対しては閲覧・謄写を請求できると定めて、参考人または証人として陳述した者は本人の陳述が記載された書類に対しては閲覧を、本人が提出した書類に対しては閲覧・謄写を請求できると定めた。国民の基本権とその制限に対する事項を法務部令として定めていることは、上でみた行政立法に対する憲法裁判所の判例に照らしてみても違憲である可能性が高い。法律で定めるべきことである。広範な制限をおいていることは、今でも変わらない。司法情報の公開という点から見ると、確定した刑事裁判の記録だけでなく、あらゆる種類の確定した裁判の記録の閲覧に対する議論がより必要であると思われる。

  (4)  裁判に対する憲法訴願審判
  第二期憲法裁判所ともいえる金容俊(キムョンジュン)憲法裁判所長在任期が残した判例のうち、「輝ける判例」として目につくものの一つが、法院の裁判に対する憲法訴訟審判に対する判断である。法院の裁判に対する憲法訴訟審判の問題は、憲法裁判所が発足してからずっと問題になっていたことである。法院の裁判を憲法訴訟審判の対象から除外した憲法裁判所法第六八条第一項の該当規定に対し、これまで憲法裁判所は消極的な立場を取ってきたが、一九九七年一二月、憲法裁判所は憲法裁判所が違憲決定した法令を適用することによって国民の基本権を侵害した裁判は、現行法下においても憲法訴訟審判の対象されうるとして、この事件で問題になった大法院の判決を撤回した(58)。この決定で憲法裁判所は、「法院は基本権を保護し貫徹する一次的な主体である。あらゆる国家権力が憲法の拘束を受けるように、司法府も憲法の一部である基本権の拘束を受けており、したがって法院はその裁判作用において基本権を尊重し、遵守しなければならない。法院は基本権の拘束を受けるため、法院が行政庁の下級審による基本権の侵害を除去しなければならないのは当然である」と判示した(59)
  この決定は、法院の裁判に対する憲法訴訟審判を禁止するさいに発生する矛盾を一部解決したという点において大きな意味があり、法院の裁判権力に対する統制において一歩前進した点で肯定的に評価される。

  (5)  法院に対する限定合憲・限定違憲決定の羈束力
  法律の解釈と適用において、一般法院が持つ範囲がどこまでであり、憲法裁判所の判断は一般法院をどの範囲で羈束するかということが問題にされた。これをめぐって憲法裁判所と大法院が正面から衝突する事態が発生した。まず大法院が憲法裁判所の限定違憲決定の効力に対し、憲法裁判所がとる立場を攻撃した。大法院は一九九六年四月、具体的事件において当該法律、または法律条項の意味・内容と適用範囲がどうなっているかを定める権限、即ち法令の解釈・適用権限はそのまま司法権の本質的内容をつくりあげるものであるため、全ての法院を最高法院とする法院に専属するとして、限定違憲決定に表れている憲法裁判所の法律解釈に関する見解は、法律の意味・内容とその適用範囲に関する憲法裁判所の見解を一応表明したものでしかないので、法院に専属する法令の解釈・適用権限に対していかなる影響も及ぼしたり羈束力を持ったりするものでないと判示した(60)。これに対して憲法裁判所は一九九七年一二月、憲法裁判所の法律に対する違憲決定には単純違憲決定、限定合憲、限定違憲決定、憲法不合致決定も含まれており、これらはすべて当然、拘束力を持つと判示した。そしてこのような拘束力を否定し、裁判した大法院の判決を撤回した(61)
  法律に対する憲法裁判所の違憲決定は、あらゆる国家機関に対して羈束力を持つ。憲法裁判所法第四七条第一項が定める内容である。ところで憲法裁判所が変形決定をするとどうなるかという論議が盛んであるが、憲法裁判所は変形決定もこのような拘束力を持つとした。この効力の問題は本質的には憲法訴訟理論の問題であるが、権力統制の面から見ると、憲法裁判所が持つ法院の裁判権力に対する統制として持つ意味も内包されている。いずれにしろ韓国には、この問題をめぐって憲法裁判所と大法院が砲煙弾雨すざましい一戦を交えた後の、煙硝の臭いと煙がまだ、ただよっている。

8.地方自治団体に対する統制
  地方自治は民主主義を実現する一つの方法であるが、ここでも権力作用はあり、したがって地方自治においても権力統制は必要である。地方自治権力に対する統制のうち、代表的なものが地方議会の制定する条例に対する統制である。
  一九九四年一二月憲法裁判所は、憲法裁判所法第六八条第一項でいう「公権力」には立法作用が含まれ、立法作用には形式的意味の法律を制定する行為だけでなく、法規命令・規則を制定する行為も含まれ、地方自治体で制定する条例も不特定多数人に対して拘束力を持つ法規であるため、条例制定行為も立法作用の一種であり、憲法訴訟審判の対象されると判示した(62)
  一九九五年憲法裁判所は、市が成人の出入する業所内を除外した市全域に対してたばこの自動販売機を設置することを禁止し、既に設置されている自動販売機を撤去するように定めた市条例に対して憲法訴願審判を行い(63)、条例の制定権者である地方議会は、選挙を通じてその地域的な民主的正当性をもつ住民の代表機関であり、憲法が地方自治体に対して包括的な自治権を保障しているという趣旨から見るとき、条例制定権に対する行き過ぎた制約は望ましくなく、条例に対する法律の委任は法規命令に対する法律の委任と共に必ずしも具体的に範囲を定める必要がないため、包括的なものにとどまる」と判示した(64)。このような憲法裁判所の態度を見ると、条例に対する統制は法規命令に対する統制に比べ緩やかな水準を持つと考えられる。この事件で憲法裁判所は、自動販売機によるたばこ販売は購入者が誰であるかを分別しがたく、青少年のたばこ購入防止が困難であり、またその特性上販売者と対面しない匿名性、非露出性によって青少年にとって心理的にたばこ購入が容易となり、昼夜を問わずいつでもたばこの購入を可能にするため、簡単に青少年の目につく場所に設置されることによる青少年に対する喫煙誘発効果も非常に高いので、青少年の保護のため自動販売機設置制限はどうしても必要であり、これによってたばこ小売業の職業遂行の自由が多少制限されても、法益衡量の原理上、甘受されるべきであるとした(65)。また既存の自動販売機を条例施行日から三ケ月以内に撤去するようにした条例の該当規定に対しては、この事件条例の施行日前までの自動販売機の設置・使用に対して規律するものではなく将来的に自動販売機の存続・使用を規制するだけであるため、その規定の法的効果が施行以前の時点にまで及ぶとはいえず、憲法第一三条第二項で禁止している遡及立法とはいえないと判示した(66)

9.過去清算
  韓国には、民主化の過程において過去の独裁と権威主義統治の中で行われた、不法行為や違法行為に対する法的審判という過去清算の問題が横たわっている。過去清算の課題にはその問題が持つ歴史的で法治国家的な本質の問題以外に、それぞれの政治勢力のそれぞれの計算が複雑にからまり合っている(この点において、過去清算を積極的に主張する勢力も真の民主化のためにではなく、政界での主導権を掌握して執権するための計算もあると考えるものである。過去清算に対する政治学的な分析では、この点を看過してはならない)。
  このような過去清算は、一方では過去に力を持っていた勢力が温存されているため、その影響圏内に入っている権力に対していかなる統制が可能かという問題がある。特に執権勢力が過去清算に対して消極的であったり、また否定的に権限を行使する場合、憲法裁判所がどの程度関与しうるかが問題とされた。韓国ではこの問題が、検察権力と憲法裁判所の間の態度の問題として現れた。

  (1)  一二・一二事件
  一九七九年一二月一二日の全斗煥軍部勢力の登場をもたらした「一二・一二(クーデター)事件」と関連して、金泳三政府発足直後にこの事件で被害を受けた鄭昇和(チョンスンファ)大将ら二二人の将軍が、一九九三年七月一九日、全斗煥、盧泰愚ら一二・一二事件の主導人物三四人に対して内乱罪、叛乱罪等の処罰を求めて告訴した。この事件を捜査したソウル地方検察庁検事は一九九四年一〇月二九日、上の告訴を含む八件の告訴・告発事件の被告訴人及び被告発人に対し、「嫌疑無し」、「起訴猶予」または「公訴権無し」の不起訴処分にした。これに対し告訴人たちは、上の不起訴処分のうち、全斗煥に対する「嫌疑無し」及び「起訴猶予」処分を不服として検察庁法の規定によって抗告及び再抗告をしたが、一九九四年一一月に全て理由がないとして棄却された。告訴人たちはこのような不起訴処分は恣意的な検察権の行使であるとして、犯罪被害者の請求人に憲法上保障されている基本権を侵害したという理由で、一九九四年一一月二四日、憲法訴訟審判請求をした(67)
  これに対し金泳三政府の検察は、一二・一二事件に対する判断は一定の部分に関しては嫌疑が無いか、公訴時効の満了により公訴権がないと判断し、嫌疑が認定される部分に関しては起訴猶予処分をして、誰も法的には処罰しないという結論を下した。このような状況の下で、憲法裁判所に検察処分の是非に対する判断を求める要求が提起されたのである。これに対して憲法裁判所は、一二・一二事件の処理にあたって充分な過去清算と将来に対する警告、正義の回復と国民の法感情の満足など公訴事由が持つ意味も重大であるが、この事件をめぐる社会的対立と葛藤の長期化もまた些細なものとばかり断定することはできず、両者間の価値の優劣が客観的に明白であるとも考えがたいため、価値の優劣が明白でない相反する方向に作用する二種類の斟酌事由の中から検事がそのどちらか一方を選択し、その他の事情も斟酌して起訴猶予処分をしたのであって、それが刑事訴訟法第二四七条第一項に規定された起訴便宜主義が予定している裁量の範囲を逸脱したものとして憲法裁判所が関与するほど恣意的な決定であるとはいえないとして検察に軍配を上げた(68)。それ以後、国民の強力な抗議により一二・一二事件が結局、法の審判を受けることになった点を勘案する時(69)、憲法裁判所のこのような判断はきわめて政治的な計算であったという批判は避けがたく、検察権力に対する統制において消極的な姿勢を取ったといえるであろう。
  しかし一方この事件で憲法裁判所は、一二・一二事件を処理するにあたっての重要な判断をしたのであるが、憲法第八四条の解釈と関連して検察が全斗煥などの軍刑法上の叛乱罪等は公訴時効が一九九四年一二月一二日に成立したと言ったことに対して、憲法裁判所は二〇〇一年以後に成立するとした(70)。憲法裁判所は憲法第八四条の解釈を通して、大統領の在職中は刑事上訴追できない犯罪に対する公訴時効の進行は停止されると判示した(71)。この点から見ると、憲法裁判所は検察の起訴猶予に対しては容認しながら公訴時効が満了したとする部分については依然として公訴を提起できるとすることで、結局、国民世論の行方に検察が既存の判断を撤回して起訴すれば裁判できるという立場を見せたものとして評価できる。このような点を考慮すると、憲法裁判所が過去清算に消極的な立場をとったとは言いがたいのである。結局検察は国民の批判世論に追い込まれ、既存の判断を自ら撤回して起訴した。

  (2)  五・一八事件
  過去清算においていま一つの解決すべき事件は、一九八〇年に光州で発生した「五・一八(虐殺)事件」である。五・一八事件については、その被害者たちが金泳三政府になってから一九九四年五月一三日、ソウル地方検察庁に内乱、内乱目的殺人などの罪で告訴・告発したが、検察はこの事件を処理するにあたって一年以上も時間を引きのばした挙句、一九九五年七月一八日「公訴権無し」という決定をした。これに対し被害者たちは抗告と再抗告をしたがすべて棄却され、一九九五年一〇月憲法裁判所に憲法訴訟審判を請求した(72)。当時このような検察の不起訴処分は、「成功したクーデタは基本的に処罰できない」ことを根拠として前面に押し出したが(73)、これに対しては批判が強く提起された(74)
  この事件について憲法裁判所は請求人が取り下げるのを待ち、一九九五年一一月二九日に請求人が憲法訴訟審判請求を取り下げると、一二月一五日に審判手続きが終了したとして「審判終了宣言」という新しい主文を考案し宣告した(75)。これに対しては憲法訴訟審判の二重的性格上、本案判断をすべきであるという反対意見を四人の裁判官が出した。九人中五対四でこのような主文が出たのである。この点においては、憲法裁判所が自らの役割を自ら回避したという非難は避けがたい(76)。結局この事件は、五・一八事件起訴促求運動という汎国民的抵抗にあい(77)、検察は既存の決定を撤回して起訴し、また大法院は五・一八内乱行為者らが一九八〇年五月一七日二四時を期して非常戒厳を全国に拡大するなど憲法機関の大統領、閣僚らに対して強圧を加えている状態で、これに抗議するために起きた光州市民のデモは国憲を紊乱する内乱行為ではなく、憲政秩序を守護するための正当な行為であったにもかかわらず、これを乱暴に鎮圧して大統領と閣僚らに対してより強い威嚇を加えて彼らを畏怖させたのなら、その示威鎮圧行為は内乱行為者らが憲法機関の大統領と閣僚に強いて、その権能行使を不可能にしたものと見なければならないので、国憲紊乱に該当すると判示した(78)。結果的に見ると、憲法裁判所はこの検察の不起訴処分に対して消極的な姿勢を取ったと言える。いずれにしろ一二・一二事件と五・一八事件に現れた過去清算の問題は、迂余曲折をたどり大法院の判断を受けるに至ったが(79)、このような過程で現れた検察の態度に対する統制としては、憲法裁判所が目立って積極的な姿勢を取ることはなかったといえる。もちろん全体的に見ると、憲法裁判所が検察と共に過去清算に否定的な姿勢を取ったわけではないが、より積極的な姿勢を取ることができる段階において、そうしなかった点が惜しまれる。

V  結    論


  韓国では国家権力が基本的に四権に分立されている。憲法裁判権力、立法権力、行政権力、司法権力がそれである。法治主義を実現するために要求される権力分立は、このような権力間にどれほど忠実な統制がなされるかにある。権力分立原則で要求される国家権力の機能的配分は現在、相当な水準で安定した状態を確保したので、最も大きい比重を持つのは権力間の相互統制だと言える。
  民主化というものの政治的または日常的な意味の中には、共同体内の住民の権利保障と実現そして、民主主義化と共に法治主義化、立憲主義化という意味も含まれるので、一つの社会と国家の民主化ではすべての面を共に考慮することが必要とする。このような点で韓国の民主化を検討する上で、権力統制を注意深くみることは重要である。この文はこういう観点で韓国の民主化において、憲法裁判所がどの程度、権力統制機能を果たしたかという点を検討した。
  国会が制定した法律に対する違憲審判においては、過去と比較して刮目すべき成果を上げたと言える。一九七二年憲法すなわち、朴正煕の長期執権を可能にさせた「維新憲法」以後には現行一九八七年憲法が、憲法裁判所制度を用意する時までただ一つの違憲審判も出さなかった。このような点と比較すると憲法裁判所が一〇年間成し遂げた成果はかなり大きいと言える。特に、権威主義統治で慣行のように行われてきた国会での法律案に対する「突然変異処理」に対して憲法裁判所が違憲としたことは、立法手続き上の合憲性要求が国会の自律的な決定の範囲内のものではないことを明確にした。進んで国会の立法府作為に対する違憲審判も可能だとして、不真正立法不作為に対してはもちろん真正立法不作為に対してまで違憲と審判したのだが、これをもって立法権力に対する憲法裁判所の統制はほとんど完壁な構造を形成したと言える。権威主義時代に権力の集中によって国会もやはり執権者の手中に掌握されていた点を考慮すれば、国会が制定したり、改正した法律と立法不作為に対して違憲だと宣告したことは、憲法裁判所が自らの役割を相当な水準で遂行したと評価できる。
  憲法裁判所がまだ軍部勢力の影響力が残っていた雰囲気の中で、軍と関連した行為に対して違憲だと決定したことは、いわゆる「特別権力関係」として合理化してきた軍隊も憲法に覊束されるという点を明確にしたものである。このような点は法的にも重要な意味を持つけれど民主化という観点から見ても政治的に重要な意味を持つ。憲法裁判所のこのような判断は私達の社会でこれ以上、聖域は存在しえないことを示してくれたのである。こういう流れは法から自由な領域だと強弁される、いわゆる「統治行為」も憲法に羈束されるという決定につながり、権威主義清算で必ず必要とした統治領域での「聖域取り壊し」作業を相当な水準で遂行したと評価できる。
  韓国での独裁と権威主義統治は大統領が他の権力に比べて優越的地位を持つ「変質した大統領制」または「大統領中心主義制」と密接な関連を持って展開したのだが、(その間九回の憲法改正が大部分、政府形態と統治構造の変更を中心に行なわれたこともこのような点をよく示している)、こういう大統領の優越的な地位は憲法上の権限でも定めたものだが、現実には大統領により掌握された軍、検察、国家情報機関、法院などの強制力により支えられている。したがって、こういう権力機構の権力乱用に対する統制は、民主化の過程で必須的に要求されることであり、憲法裁判所はその間このような権力機構に対して統制を遂行してきた。国家安全企画部の基本権侵害行為に対して違憲と宣言して、検察の不起訴処分権に対して相当な統制をした。これと関連して事件の性格上、権力の核心部と直接関連する部分においては充分でない態度を見せもしたが、全体的に見れば社会の民主化の進展に、かなり歩幅を合せながら自らの役割を遂行したと言えよう。進んで、確定した刑事裁判記録の閲覧と捜査記録の閲覧を認めたことは過去の閉鎖的で国家優越的の時代と比較すると、かなり進展した姿を見せてくれた。
  行政立法に対する統制は、行政の比重が高まる現代国家において、より重要になっている。その間、憲法裁判所は委任立法と行政立法に対して、相当な水準で統制をしてきたと評価できる。矯導所に対する統制は人権の向上と矯導所の発展を刮目するほどの水準に押し上げるのに多くの寄与をしたと言える。進んで、従来権力統制でほとんど無風地帯にあった法院に対してもいろいろな面で統制の役割を遂行しようと努力したと言える。大法院と葛藤しながらも憲法裁判所が部分的ではあるが、裁判に対する憲法訴訟審判を認めた判例を出したことは大きい成果だといえよう。今後、憲法裁判所法を改正して裁判に対する憲法訴訟審判を積極的に認めることが必要とするが、憲法裁判所のこういう決定は裁判に対する憲法訴訟審判が重要だという点を提示したことでも価値があるといえよう。条例に対する統制は、今後地方自治が前向に展開する程度により、一層重要な課題として浮び上がるはずである。憲法裁判所が条例に対する統制をしたことは適切だと言えよう。条例に対する統制は権限争議審判を通じて地方自治体の権利と権限を分けると共に、地方自治の発展に必ず必要としたことである。憲法裁判所が成し遂げたこういう成果を一〇年という期間に映してみれば、短期間に確保した相当な水準だと評価できよう。さる一〇年、ダイナックな韓国の歴史的な状況があったが、憲法裁判所は憲法裁判を通じて国家権力を統制する役割を相当な水準で遂行したと言うる。
  しかし、国務総理代理の任命行為や一二・一二事件と五・一八事件であらわれた憲法裁判所の態度で確認することができるように、大統領制の権力核心である大統領と関連した部分に対しては消極的な姿勢を維持した。特に、現職大統領と関連した事件に対して、憲法裁判所は判断をしないとする印象を与えた。このような点は今後、憲法裁判所が解決しなければならない課題である。
  さる一〇年の間、憲法裁判所が国家の他の権力機関から好意的な印象を受けていない雰囲気の中でも、このような成果を上げたという点を考慮すれば、絶対的な基準では良い点数を与えるには難しいけれど、状況に照らした相対的な基準で見れば良い点数を与えても大きく誤っているといえないだろう。しかし、こういう相対的基準が今後も有効ではありえない。今は韓国でも相当な水準で民主化が進行していて、直接的な危害と国家の暴力が過去のようで激しいものではないので、憲法裁判所が核心部の権力乱用においても違憲的行為に対して手加減すれば、これ以上存在意義を維持出来なくなる。いまだに韓国は権威主義統治から抜け出すことができないのであり、国家権力の濫用は相当な水準でほしいままにされている。「抜き打ち決議」が完全に払拭されなかったし、政治家や国民に対する盗聴と監聴の問題は相変らず深刻な水準にある。政治圏も大統領を頂点として硬直した意志疎通構造をもっていて、大統領の優越的な地位と影響力は過去と大きく変わるところがない。このような点に照らして見る時、憲法裁判所が遂行するべきな課題は相変らずたくさん残っているはずである。したがって、一九八八年から一九九八年までの期間の間、韓国の民主化過程で憲法裁判所が権力統制を通じて民主化にある程度に寄与したかどうかを評価することは、文字通り「中間評価」としての意味を持つずである。

(1)  鄭宗燮、『韓国の民主化における憲法裁判所と基本権の実現』「ソウル大学校法学」通巻一一二号(第四〇巻三号)、二二八頁、鄭宗燮、『韓国の民主化過程における憲法裁判所と基本権の実現』「立命館法学」第二六六号(一九九九年第四号)、一五四頁。
(2)  許営、「憲法理論と憲法」(ソウル博英社、一九九五/二〇〇〇)一〇五〇頁参照。
(3)  憲法裁判所  一九八九・一・二五・-八八憲カ七[憲]一、一頁以下。
(4)  憲法裁判所  一九九一・五・一三・-八九憲カ九七[憲]三、二〇二頁以下。同じ趣旨の判例としては、憲法裁判所  一九九二・一〇・一・-九二憲カ六、七(併合)[憲]四、五八五頁以下。
(5)  憲法裁判所  一九九四・二・二四・-九一憲カ三[憲]六ー一、
二一頁以下、憲法裁判所  一九九六・八・二九・-九三憲バ五七[憲]八ー二、四六頁以下。
(6)  憲法裁判所  一九九七・七・一六・-九六憲ラ2[憲]七ー二、一五四頁以下(特に一五一頁、一七一頁)。
(7)  憲法裁判所  一九九四・一二・二九・-八九憲マ二[憲]六ー二、三九五頁以下(特に四一三頁以下)。
(8)  憲法裁判所  一九八九・一〇・二七・-八九憲マ五六[憲]一、三〇九頁以下。
(9)  憲法裁判所(注8)、三二〇頁以下。
(10)  憲法裁判所  一九九二・二・二五・-八九憲カ一〇四[憲]四、六四頁以下(特に七一頁以下)。
(11)  憲法裁判所(注10)、七一頁参照。
(12)  憲法裁判所  一九九一・七・八・-八九憲マ一八一[憲]三、三五六頁以下(特に三六一頁以下)参照。
(13)  憲法裁判所(注12)、三六一頁参照。
(14)  憲法裁判所(注12)、三六八頁以下参照。
(15)  憲法裁判所(注12)、三六八頁参照。
(16)  憲法裁判所  一九九二・一・二八・-九憲マ一一一[憲]四、五一頁以下(特に五四頁以下)。
(17)  憲法裁判所(注16)、五四頁参照。
(18)  憲法裁判所(注16)、五九頁以下参照。
(19)  憲法裁判所  一九九四・四・二八・-八九憲マ二一一[憲]六ー一、二三九頁以下(特に二五九頁以下)参照。
(20)  憲法裁判所(注19)、二六六頁以下参照。
(21)  憲法裁判所(注19)、二七〇頁以下参照。
(22)  詳細は、鄭宗燮「検事の不起訴処分に対する憲法訴願審判制度、」『人権と正義』第二三七号(一九九六年五月号)、八頁以下を参照されたい。
(23)  この論文で引用している法務部の統計は筆者が個人的に確認して集計したものである。
(24)  憲法裁判所  一九九七・一一・二七・-九四憲マ六〇[憲]九ー二、六七五頁以下。
(25)  憲法裁判所(注24)、六九三頁以下。
(26)  憲法裁判所(注24)、七〇四頁以下。
(27)  憲法裁判所  一九九一・五・一三・-九〇憲マ一三三[憲]三、二三四頁以下。
(28)  平川宗信「刑事司法情報の保存と公開の法的わく組み」『刑法雑誌』第三八巻第三号(一九九九・四)四四頁以下参照。
(29)  憲法裁判所  一九九三・七・二九・-八九憲マ三一[憲]五ー二、八七頁以下。
(30)  憲法裁判所(注29)、一〇五頁以下。
(31)  憲法裁判所  一九九四・六・三〇・-九二憲カ一八[憲]六ー一、五五七頁以下。
(32)  憲法裁判所(注31)、五六九頁以下。
(33)  憲法裁判所(注31)、五七〇頁以下。
(34)  憲法裁判所  一九九六・二・二九・-九三憲マ一八六[憲]八ー一、一一一頁以下。
(35)  憲法裁判所(注34)、一一六頁。
(36)  詳細は、鄭宗燮「憲法判例研究一」(ソウル哲学と現実社、一九九八/一九九九)、二六七頁以下を参照されたい。
(37)  憲法裁判所  一九九八・七・一四・-九八憲法ラ一[憲]一〇ー二、一頁以下。
(38)  詳細は憲法裁判所(注37)、一五頁以下、鄭宗燮(注36)、二八八頁以下を参照されたい。
(39)  これについての詳細な議論は、例えば閔庚植「韓国大統領制の現実と展望」『憲法学研究』第四編第二号(一九九八)、一八八頁以下、鄭宗燮「韓国憲法における大統領制の課題」『憲法学研究』第五編第一号(一九九九・五・)、九頁以下を参照されたい。
(40)  一九八八年から一九九八年までこれに該当する判例では次のものがある。憲法裁判所  一九九一・二・一一・-九〇憲カ二七[憲]三、一一項以下、憲法裁判所  一九九一・七・八・-九一憲?カ[憲]三、三三六項以下、憲法裁判所  一九九二・一一・一二・-八九憲マ八八[憲]四、七三九項以下、憲法裁判所  一九九三・五・一三・-九二憲マ八〇[憲]五ー一、三六五項以下、憲法裁判所  一九九四・六・三〇・-九三憲カ一五・一六・一七(併合)[憲]六ー一、五七六項以下、憲法裁判所  一九九四・七・二九・-九三憲カ一二[憲]六ー二、五三項以下、憲法裁判所  一九九五・四・二〇・-九二憲マ二六四・二七九(併合)[憲]七ー一、五六四項以下、憲法裁判所  一九九五・五・二五・-九一憲バ二〇[憲]七ー一、六一五項以下、憲法裁判所  一九九五・七・二一・-九四憲マ一二五[憲]七ー二、一五五項以下、憲法裁判所  一九九五・九・二八・-九三憲バ五〇[憲]七ー二、二九七項以下、憲法裁判所  一九九五・一〇・二六・-九三憲バ六二[憲]七ー二、四一九項以下、憲法裁判所  一九九五・一〇・二六・-九四憲マ二四二[憲]七ー二、五二一項以下、憲法裁判所  一九九五・一〇・二六・-九四憲マ七・八(併合)[憲]七ー二、四三四項以下、憲法裁判所  一九九五・一一・三〇・-九四憲バ四〇、九五憲バ一三(併合)[憲]七ー二、六一六項以下、憲法裁判所  一九九五・一一・三〇・-九一憲バ一・二・三・四、九二憲バ一七・三七、九四憲バ三四・四四・四五・四八、九五憲・一二・一七(併合)[憲]七ー二、五六二項以下、憲法裁判所  一九九五・一一・三〇・-九三憲バ三二[憲]七ー二、五九八項以下、憲法裁判所  一九九六・二・二九・-九四憲マ三[憲]八ー一、一二六項以下、憲法裁判所  一九九六・二・二九・-九四項二一三[憲]八ー一、一四七項以下、憲法裁判所  一九九六・三・二八・-九四憲バ四二[憲]八ー一、一九九項以下、憲法裁判所  一九九六・六・二六・-九三憲?二[憲]八ー一、五二五項以下、憲法裁判所  一九九六・八・二九・-九五憲バ三六[憲]八ー二、九〇項以下、憲法裁判所  一九九六・八・二六・-九四憲マ一一三[憲]八ー二、一四一項以下、憲法裁判所  一九九六・一〇・三一・-九三憲バ一四[憲]八ー二、四二二項以下、憲法裁判所  一九九七・二・二〇・-九五憲バ二七[憲]九-一、一五六項以下、憲法裁判所  一九九七・四・二四・-九五憲バ四八[憲]九ー一、四三五項以下、憲法裁判所  一九九七・四・二四・-九五憲マ二七三[憲]九ー一、四八七項以下、憲法裁判所  一九九七・五・二九・-九四憲バ二二[憲]九ー一、五二九項以下、憲法裁判所  一九九七・九・二五・-九六憲バ・一六[憲]九ー二、三一二項以下、憲法裁判所  一九九七・一〇・三〇・-九五憲・七[憲]九ー二、四三七項以下、憲法裁判所  一九九七・一〇・三〇・-九六憲マ九二、九七憲バ二五・三二(併合)[憲]九ー二、四七八項以下、憲法裁判所  一九九七・一一・二七・-九六憲バ一二[憲]九ー二、六〇七項以下、憲法裁判所  一九九七・一二・二四・-九五憲マ三九〇[憲]九ー二、八一七項以下、憲法裁判所  一九九八・二・二七・-九五憲バ五九[憲]一〇ー一、一〇三項以下、憲法裁判所  一九九八・三・二六・-九六憲?五七[憲]一〇ー一、二五五項以下、憲法裁判所  一九九八・四・三〇・-九五憲バ五五[憲]一〇ー一、三五六項以下、憲法裁判所  一九九八・四・三〇・-九六憲バ七八[憲]一〇ー一、三九四項以下、憲法裁判所  一九九八・五・二八・-九六憲バ一[憲]一〇ー一、五〇九項以下、憲法裁判所  一九九八・五・二八・-九六憲カ一八[憲]一〇ー一、五八三項以下、憲法裁判所  一九九八・五・二八・-九七憲バ一三[憲]一〇ー一、五七〇項以下、憲法裁判所  一九九八・六・二五・-九五憲カ三五、九七憲バ八一、九八憲バ五・一〇[憲]一〇ー一、七七一項以下、憲法裁判所  一九九八・七・一六・-九六憲?三三・六六・六八、九七憲バ二・三四・八〇、九八憲バ三九(併合)[憲]一〇ー二、一一六項以下、憲法裁判所  一九九八・七・一六・-九六憲バ五二、九七憲バ四〇、九七H憲バ五二・五三・八六・八七、九八憲バ二三(併合)[憲]一〇ー二、一七二項以下、憲法裁判所  一九九八・一一・二六・-九七憲バ三一[憲]一〇ー二、六五〇項以下。
(41)  例えば憲法裁判所  一九九〇・九・三・-九〇憲バ一三[憲]二、二九八項以下、憲法裁判所  一九九〇・一〇・一五・-八九憲マ一七八[憲]二、三六五項以下、憲法裁判所  一九九二・六・二六・-九一憲マ二五[憲]四、四四四項以下、憲法裁判所  一九九七・六・二六・-九四憲バ五二[憲]九ー一、六五九項以下。
(42)  行政立法に対する統制を制度化することは法治主義の実現という点で重要だ。行政立法に対する統制は合憲性の確保だけでなく、憲法第四〇条に定められる国会立法原則をより実質化し、行政立法であって『部処利己主義』または『行政便宜主義』を防止して、行政府にとって法律の内容に忠実な執行をできるようにする。こういう行政立法の統制に関する法案の一つとして、国会法に行政立法を制定したり改正する場合には一定の期間内に国会に報告するようにし、国会常任委員会がこれを検討して母法に違反する事項に対しては適合する是正を「要請」(=要求)するようにする装置を用意しようという法案が提示された。国会制度改革委員会、「国会制度及び運営に関する改革案の建議」(一九九八・一一・)、一二四項以下参照・二〇〇〇年五月三〇日から施行した国会法(改正二〇〇〇・二・一六・法律第六二六六号)は、大統領令など行政立法に対する国会の効率的な統制のために常任委員会が大統領令などを検討して大統領令などが法律の趣旨または内容に合致しないと判断される場合には、所管中央行政機関の長にその内容を「通報」できるようにする規定をおいた(国会法第九八条の二)。過去には行政立法に対する統制装置が全くなかったのに、一九九一年一月一三日に改正した国会法第九八条の二には『中央行政機関の長は法律で委任した事項でも法律を執行するために必要とした事項を規定した大統領令・総理令・部令及び訓令・例規・告示等行政規則が制定または改正された時には七日以内にこれを国会に送付するべきである』とだけ定めていた。民主化が進行するにしたがい、行政立法に対する統制装置が発展していると評価できる。
(43)  憲法裁判所  一九九八・七・一六・−九六憲マ二四六[憲]一〇ー二、二八三項以下。
(44)  憲法裁判所(注43)、三〇五項以下。
(45)  立法権の委任と行政立法の統制方案に対する議論は朴英道、「委任立法に関する研究」(ソウル韓国法制研究院、一九九九)、四二九項以下参照。
(46)  委任立法の限界に対して憲法裁判所は最近に『憲法は法治主義をその基本原理の一つとしていて、法治主義は行政作用に国会が制定した形式的法律の根拠が要請されるという法律の留保をその核心的内容の一つとしている。ところが今日、法律留保原則は単純に行政作用が法律に根拠をおきさえすれば充分なものではなく、国家共同体とその構成員に基本的で重要な意味を持つ領域、特に国民の基本権実現に関連する領域においては行政に任せられることではなく、国民の代表者の立法者自らがその本質的事項に対して決定するべきであるという要求まで内包するものと理解するべきである(いわゆる議会留保原則)。そして行政作用が影響を及ぼす範囲が広範囲に広がっていて、その内容も複雑・多様に展開していることが現代行政の様相であることを考慮する時、形式上、法律上の根拠を設けることを要求することだけでは、国家作用と国民生活の基本的かつ重要な要素さえ行政によって決定される結果を招くようになるのである。このような結果は、国家意思の根本的な決定権限が国民の代表機関である議会にあるとする議会民主主義の原理に反することだと言わねばならない。立法者が形式的法律で自ら規律するべきであるという事項がどうなものかは一律的に制定出来ず、具体的な事例に関連した利益ないし価値の重要性、規制ないし侵害の程度と方法などを考慮して個別的に決定できるが、少なくとも憲法上保障された国民の自由や権利を制限する時には、その制限の本質的な事項に関する限り立法者が法律で自ら規律するべきであるものである』と判示して、一般原理を提示した。憲法裁判所  一九九九・五・二七・-九八憲バ七〇[憲]一一ー一、六四三項以下。
(47)  憲法裁判所  一九九二・一・二八・-九一憲マ一一一[憲]四、五一項以下。
(48)  憲法裁判所  一九九五・七・二一・-九二憲マ一四四[憲]七ー二、九四項以下(特に一〇五項)。
(49)  憲法裁判所  一九九七・一二・二四・-九五憲マ二四七[憲]九ー二、八〇六項以下(特に八一五項)。
(50)  憲法裁判所  一九九八・一〇・二九・-九八憲マ四[憲]一〇ー二、六三七項以下(特に六四七項以下)。
(51)  憲法裁判所  一九九九・五・二七・-九七憲マ一三七、九八憲マ五(併合)[憲]一一ー一、六五三項以下(特に六六四項以下)参照。
(52)  例えば、韓寅燮、『韓国矯正のジレンマと当面課題、』「ソウル大学校法学」通巻一一〇号(一九九九・五・)、三一三項以下参照。
(53)  例えば、韓寅燮も憲法裁判所の寄与に対して積極的な評価をしている。韓寅燮(注52)、三一七項以下参照。
(54)  憲法裁判所  一九九〇・一〇・一五・-八九憲マ一七八[憲]二、三六五頁以下。
(55)  憲法裁判所  一九九一・四・一・-八九憲マ一六〇[憲]三、一四九頁以下。
(56)  憲法裁判所  一九九一・五・一三・-九〇憲マ一三三[憲]三、二三四頁以下。
(57)  一九九六年三月当時の検察保存事務規則がもつ問題点を指摘した論文「確定された刑事裁判記録を閲覧・謄写する権利とその限界」は鄭宗燮『憲法判例研究一』(ソウル哲学と現実社、一九九八/一九九九)、一四五頁に載っている。
(58)  憲法裁判所  一九九七・一二・二四・-九六憲マ一七二・一七三(併合)[憲]九ー二、八四二頁以下。この事件で憲法裁判所は、「憲法第一一一条第一項第五号が『法律が定める憲法訴訟に関する審判』であると規定した意味は、結局憲法とは、公権力作用によって憲法上の権利を侵害された者が、その権利を救済されるための主観的権利救済手続きを我国の司法体系、憲法裁判の歴史、法律文化や政治的・社会的現況などを考慮して憲法の理念と現実に合うように具体的な立法を通じて具現するように立法者に委任したものとして見るべきであり、憲法訴訟は常に『法院の裁判に対する訴訟』をその審判の対象に含んで初めて憲法訴訟制度の本質に符合するものとは断定できない」と判示して、主文で「憲法裁判所法第六八条第一項本文の『法院の裁判』に、憲法裁判所が違憲決定した法令を適用することによって国民の基本権を侵害した裁判も含まれると解釈する限度内において、憲法裁判所法第六八条第一項は憲法に違反する」と示した。同判例集、八四八頁以下、八五五頁。
(59)  憲法裁判所(注58)、八五六頁。
(60)  大法院一九九六・四・九・-九五ヌ一四〇五〈法公〉一九九六上、一四四二頁。
(61)  憲法裁判所(注58)、八六〇頁。
(62)  憲法裁判所  一九九四・一二・二九・九二憲マ二一六[憲]六ー二、四五一頁以下。
(63)  憲法裁判所  一九九五・四・二〇・-九二憲マ四・二七九(併合)[憲]七ー一、五六四頁以下。
(64)  憲法裁判所(注63)、五七二頁。
(65)  憲法裁判所(注63)、五七三頁以下参照。
(66)  憲法裁判所(注63)、五七六頁以下参照。
(67)  詳細は憲法裁判所  一九九五・一・二〇・-九四憲マ二四六[憲]七ー一、一五頁以下を参照されたい。
(68)  憲法裁判所(注67)、六二頁参照。
(69)  一二・一二事件に対する一九九七年四月の大法院判決は、韓国社会において成功したクーデタは処罰できるかという議論に法的な終止符を打った。大法院一九九七・四・一七・-九六ト三三七六(全員合議体判決)[大]四五ー一、一頁以下。ここで大法院は、「わが国は、制憲憲法の制定を通じて国民主権主義、自由民主主義、国民の基本権保障、法治主義などを国家の根本理念、及び基本原理とする憲法秩序を樹立して以来、数回にわたる憲法改正があったが、これまで一様に上記憲法秩序をそのまま維持してきているため、軍事叛乱と内乱を通じた暴力で憲法により設置された国家機関の権能行使を事実上不可能にして政権を掌握した後、国民投票を経て憲法を改正し、改正された憲法によって国家を統治してきたとしても軍事反乱と内乱を通じて新しい法秩序を樹立したとはいえず、わが国の憲法秩序下では憲法に定めた民主的手続きによらず暴力によって憲法機関の権能行使を不可能にしたり政権を掌握したりする行為は、いかなる場合にも容認されない」としており、したがってその軍事反乱と内乱行為は処罰の対象になると認めた。同判例集、一四頁以下。これに対しては最高裁判事朴マンホの反対意見があった。
(70)  憲法裁判所(注67)、四三頁以下(特に四四頁、五一頁)。
(71)  この部分について憲法裁判所は、「公訴時効制度や公訴時効停止制度の本質に照らした場合、たとえ、憲法第八四条には『大統領は内乱または外患の罪を犯した場合を除いては在職中に刑事上の訴追を受けない』と規定されているだけで、憲法や刑事訴訟法などの法律に大統領在職中は公訴時効の進行が停止するとは明確に規定されていないとしても、上の憲法規定の根本趣旨は、大統領在職中における刑事上訴追ができない犯罪に対する公訴時効の進行は停止すると解釈するのが原則であろう。すなわち上の憲法規定は、まさに公訴時効進行の消極的事由になる国家の訴追権行使の法律上障害事由に該当するので、大統領の在職中には公訴時効の進行が当然停止するものと考えるべきである」と判示した。憲法裁判所(注67)、四九頁。
(72)  憲法裁判所  一九九五・一二・一五・九五憲マ二二一・二三三・二九七(併合)[憲]七ー二、六九七頁以下。
(73)  一九九五年七月一八日ソウル地方検察庁/国防部検察部が発表した「五・一八関連事件捜査結果発表文」参照。この発表文は朴恩正/韓寅燮(編)「五・一八、法的責任と歴史的責任」(ソウル梨花女子大学校出版部、一九九五)二二五頁以下に載っている。
(74)  沈憲燮「法哲学・革命・クーデタ検察の五・一八不起訴処分を契機として」朴恩正/韓寅燮(注73)四〇頁以下、呉ビョンソン「五・一八不起訴措置の法理に対する法哲学的検討」同書六六頁以下、許営「五・一八不起訴処分の憲法理論的問題点」同書八三頁以下、韓寅燮「政治軍部の内乱行為と『成功したクーデタ論』の反法治性刑事法的検討を中心として」同書一〇二頁以下参照。
(75)  憲法裁判所(注72)七〇二頁、七四七頁以下。
(76)  この決定に対する批判としては、許営「五・一八関係事件の不起訴処分に対する憲法訴願の取り下げと憲法訴願手続きの終了決定」憲法判例研究会(編)、『憲法判例研究(一)』(ソウル博英社、一九九九)三二七頁以下参照。
(77)  これに関しては、例えば朴恩正「法・力・抵抗五・一八、どう解釈するか」朴恩正/韓寅燮(注73)、一六頁以下参照。
(78)  大法院(注69)、三三頁。
(79)  過去清算に関連したこの裁判に対する分析としては、韓寅燮「韓国型司法と法の支配」(ソウルハヌルアカデミー、一九九八)、一一五頁以下、一五五頁以下、民主社会のための弁護士の会『一二・一二、五・一八判決評釈集』(ソウル民主社会のための弁護士の会、一九九七)参照。

(徐勝訳)

※本論文は、二〇〇〇年六月、科研「現代韓国の法・政治の構造転換」による第三回日韓共同シンポジウム(慶州)において発表されたものである。