立命館法学 2000年6号(274号) 83頁




アイデンティティへの道

- サルトル『自由への道』を手がかりに -


川上 勉


 

目    次

は じ め に

第一章  同時的時間性
  1  三つの時間のレベル
  2  集合的時間の呪縛

第二章  サルトルと「自由」
  1  『嘔吐』と『存在と無』における自由
  2  『自由への道』における「自由」

第三章  自由とアイデンティティ
  1  アイデンティティへの問いかけ
  2  自己とはなにか
  3  集合的時間とアイデンティティ

お わ り に

 



は  じ  め  に


  二〇世紀という時代をいかに語るか。こうした試みはすでに数多くの著作家たちによってなされているが、その中から浮かんでくる著作の一つにミシェル・ヴィノックの『知識人の世紀』がある(1)。二〇世紀フランスの知識人群像を描いた、七〇〇ページに及ぶこの浩瀚な作品は、三人の固有名詞によって時代区分されている。すなわち、モーリス・バレス、アンドレ・ジッド、ジャン=ポール・サルトルである。バレスは第一次大戦までを、ジッドは両大戦間を、そしてサルトルは第二次大戦後を代表する知識人として扱われている。ヴィノックはさりげなく「三人の名前が三つの時期を象徴するものとして浮かんだ」と述べているが(2)、言われてみれば、この三人の著作家が二〇世紀フランスをそれぞれ象徴するという見方はごく自然なことのように思えてくる。とりわけサルトルが第二次大戦後のフランスを、あるいは戦後世界を代表する知識人であったことは、ほとんど異論なく承認されるにちがいない。
  二〇〇〇年は、二〇世紀最後の年であるせいか、あるいはサルトルの没後二〇年にあたったせいか、サルトル読み直しの作業が少なからぬ人たちによってなされた。しかし、その厖大な量の著作群や精力的な活動の蓄積、つまりサルトルの生と思想の総量を全体的に理解し評価する作業はそう簡単なことではない。ましてや、サルトルを、二〇世紀という時代との関係で論じようとすればなおさらのことである。この小論はサルトル読み直しのささやかな試みであるが、別言すれば、サルトルの小説作品を手がかりにしたアイデンティティ論でもある。
  サルトルは一九三〇年代後半から一九四〇年代にかけて、とりわけ『存在と無』と『自由への道』のなかで自由の問題を追究した。自由の問題は、いってみれば人類普遍の永遠のテーマなのであるが、第二次大戦をはさむ時期を背景に、サルトルは人間存在にとって自由とはなにかという根本的な問題に正面から取り組んだのである。それらの諸著作のなかで展開された自由論はもちろん半世紀後の今日においても有効性を失ってはいないが、この小論の試みは、小説『自由への道』をアイデンティティの問題として読むほうがより今日的なテーマに接近しうるのではないかというところにある。筆者は別の場所で、ナショナル・アイデンティティの危機は戦争という重大な局面において最も特徴的にその問題性を表すと書いたことがある(3)。そして、ナショナル・アイデンティティの危機を背景にして、個人のアイデンティティもまた問い直される。『自由への道』は第二次大戦直前から戦争さなかの時期を扱い、そのなかにおける個人の自由を中心的なテーマにしたものであるが、それを筆者なりに言いかえれば、ナショナル・アイデンティティの危機的状況において個人のアイデンティティを扱ったものということになる。そのことを立論するために、まず第一章では、サルトルが世界の全体性を総体的に描くことを狙いとした時間の同時性について分析し、そこには三つのレベルの時間性が存在すること、そのなかでも個人と全体に関係する集合的時間という考え方を提示している。第二章では、サルトルの特徴的な自由観とはいったいどのようなものかを『嘔吐』や『存在と無』を中心に概観する。この部分は、これまでさまざまに論じられ、ほとんど論じ尽くされているように思われるが、サルトル的な「自由」について筆者なりに整理したものである。第三章では、アイデンティティという視点から『自由への道』を読み直すとどういう意味を持ちうるのかを具体的に示そうとしている。
  くり返して言えば、サルトルの多くの著作を貫く基本的なテーマの一つは「自由」の問題である。だが、サルトル的自由が、アイデンティティの問題でもあることは、同時的時間性に包含されている三つのレベルの時間関係を分析することによって明らかになるのではないかというのが、この小論におけるサルトル読み直しの試みである。

第一章  同時的時間性


  『自由への道』第二部『猶予』は、同時的な時間を表現した作品としてよく知られている。そしてまた、それは単に時間性の探求というだけではなくて、一九三八年九月という、チェコスロバキアをめぐる一触即発の緊迫したヨーロッパ情勢そのものを小説の主題にしていることでも有名となっている。サルトルの時間性表現のエクリチュールは小説の方法論としてもたいへん重要な問題提起となったものであるが、ここでは時間の問題と、その中での個人と全体の関係に限定して考えてみることにしたい。
  まず、長い引用になるが、よく知られている『猶予』冒頭の一節を紹介してから論を進める。

    九月二三日  金曜日
      ベルリン一六時半、ロンドン一五時半。丘の上に、人気のない、厳めしいホテルが、一人の老人をなかにして、うっそりとして建っていた。アングレームでも、マルセーユでも、ガンでも、ドーヴァーでも、かれらは考えていた。「なにをしているのだろう?  もう三時間以上も経つ。なぜ降りてこないのだろう?」彼は鎧扉を半開きにしたサロンのなかに坐り、濃い眉毛の下で一点をみつめ、少し口を開けて、はるか昔の記憶を思い出しているかのようであった。彼はもう読んでいなかった、斑点のある年寄りじみたその手が、書類を握ったまま膝のあたりにだらりとしていた。彼がホーレス・ウィルソンのほうを向いて「何時かね?」と聞くと、ホーレス・ウィルソンは「四時半ごろでしょう」と答えた。老人は大きな眼を上げて、ちょっと人の好い微笑を浮かべて「なかなか暑いね」と言った。真赤な、火花を散らす、きらきら光った暑気が、全ヨーロッパに蔽いかぶさっていた。人々は手の上に、眼の奥に、気管支に、暑さを感じていた。暑さ、埃、苦悩にうんざりしながら、彼らは待っていた。ホテルのホールで、新聞記者たちは待っていた。中庭では、三人の運転手が、自動車のハンドルを握ったまま、じっと待っていた。ライン川の向う側のドリーゼン・ホテルのホールでは、黒い服を着た、長身のプロシャ人たちが待機していた。ミラン・リンカはもう待っていなかった。彼は一昨日からもう待っていなかった。「奴らはわれわれを見離したのだ!」という、閃光を放つような一つの確信に貫かれた、あの暗い、重苦しい一日があった。それからというものは、時間はゆきあたりばったりに、経過しはじめた、かれらのためには日々は存在しなかった。もはや翌日しかなかった、絶対に翌日しかあるまい。
      一五時半、マチュウは、恐ろしい未来を目前にして、まだ待っていた。同時刻、一六時半、ミランにはもう未来がなかった。老人は立上った。がくがくした膝で、跳ねるような上品な歩調で、彼は部屋を横切った。彼は「諸君!」と言って、愛想よく微笑んだ。彼はテーブルの上に書類をおいて、拳で紙の上をこすった。ミランはテーブルの前に釘づけになっていた。ひろげた新聞が蝋引きのテーブル・クロースいっぱいにのせてあった。ミランはこれで七回も読んでいる(4)

  ここでは時間性のことを問題にしたいのであるが、その前に、とりあえずこの引用文について内容的な注釈を付け加えておく。この場面の前日、すなわち一九三八年九月二二日(木)にケルンに到着したイギリス首相ネヴィル・チェンバレンは、午後四時から七時半までヒトラーと会談した。翌二三日の朝、チェンバレンはヒトラーとの会談に先立ち書簡を送る。そしてヒトラーからの回答は午後三時三五分にとどく。ヒトラーの回答は予想を覆すものであり、小説冒頭のこの場面は、チェンバレンが(引用文中では「一人の老人」と表現されている)、イギリスから同行してきたホーレス・ウィルソンと善後策を検討しながら、いたづらに時間を費やしているとろこなのである。この場面は、いうまでもなく歴史的事実である。その他の人物はフィクションであるが、チェコのズデーテン地区では、チェコ人のミラン・リンカがテーブルに新聞を広げてことのなりゆきを注視している。一方主人公のマチュウは、ヴァカンスの最後を南仏で過ごしながら、召集がまじかに迫りつつある情勢を気にしている。このような状況はヨーロッパ全体を蔽っている。だれもがとんでもない事件が持ち上がりそうな情勢に備えて待機している「猶予」の状態にある。ミランやマチュウ以外にも、名も知れぬ大勢の人々がアングレームやマルセイユやガン(ベルギーの都市)、ドーヴァー(イギリスの港湾都市)、さらにはヨーロッパ各地で、ヒトラーとチェンバレンの会談を固唾をのんで見守っている。まったく同時的に、あらゆる空間で、人々が緊迫した時間を過ごしている状況を、サルトルのエクリチュールは連続的に表現するという工夫を凝らしている。『猶予』の中に描かれているのは、一九三八年九月二三日から九月三〇日までの一週間にごく限定された、切断された時間であるが、そのなかに登場する人物と場所は多数にのぼっている。だが、一口に時間の同時性といっても、そこには異なったレベルが存在することに注目しなければならない。

1  三つのレベルの時間
  もう一度上の引用文に戻ってさらに分析してみよう。この部分では時間が同時的に流れていることを示すために、主として三つの場所が具体的に描かれている。チェンバレンとヒトラーの会談の舞台となっているゴーデスベルクと、ミラン・リンカが住んでいるチェコのズデーテン地方と、マチュウが過ごしている南仏のジュアン・レ・パンという場所である。このなかで、ミラン・リンカとマチュウは、小説のなかで全くの他人であり、顔を合わせることもなければ相互に存在すら知らない作中人物たちなのである。したがって、彼らはそれぞれに名前を知らないし、どこで何をしているかを全く知ることもない。この二人のあいだに流れる時間は全く無関係であり、交錯することがない。このように相互に何の関係性もなく流れる同時的時間を、仮に並行的時間と呼ぶことにしよう。
  次に、チェンバレンやヒトラーと、ミランやマチュウとの関係は、これもまた全く繋がりのない並行的時間と言えるが、しかし、チェンバレンやヒトラーの言動は実は無関係であるどころか、二人にとっても全ヨーロッパ人にとってもきわめて重大な意味を持っている。つまり各個人が全体的な時間の経過に影響を受け、そのなかに巻き込まれることになる。空間的には全く隔絶していながら、この同時的時間は各人の時間に対して否応なしに侵入し、取り込んでしまう。このように、個人と全体とが不可分に関連する時間を集合的時間と呼ぶことにする。
  さらにもう一種類の同時的時間を想定することが可能である。それは、ほとんどの小説作品においてごく一般的に用いられている時間性であり、登場人物たちはたいてい何らかのかたちで関係性を持っているのが普通である。たとえば、上の引用文のすぐあとに、こんな場面が描かれている。ミラン家の近くに住んでいたドイツ人のイエゲルシュミット一家は、チェンバレン・ヒトラー会談以前にはドイツへ避難していたのだが、いま、堂々とズデーテンに戻ってくる。そしてミランとイエゲルシュミットはこんな会話を交わす。
    「危険がなくなったもんで、帰ってきたんだろう」
    「そうとも。おれは帰ってきたよ」とイエゲルシュミットが叫んだ。「こんどはお前さんが逃げ出す番だ!」(中略)
    「いやらしいドイツ人だ、二年前には、おれたちに媚びへつらっていたくせに(6)」。
  つまり、ズデーテンに住んでいるドイツ人とチェコ人の立場が逆転したのである。ここでミランとイエゲルシュミットとのあいだの同時的時間は、相互に関係性を帯び、交錯している。このような時間を交差的時間と呼ぶことができよう。こうして、サルトルが描く同時的時間には、並行的時間、集合的時間、交差的時間という三つのレベルが含まれていることがわかる(7)
  並行的時間と集合的時間の違いは、そこに誰が描かれているかではなくて、それがどのような視点によって描かれているか、異空間のあいだで一見無関係にみえることが、現実には大きな影響を及ぼすことになるという視点が示されているかどうかによって決定される。たとえば、九月二四日土曜日の早朝六時という時刻に、こんな描写がある。
    チェンバレンは眠っていた、マチュウは眠っていた、カビール人は遊覧バスの横に梯子を置いて、トランクを肩にかつぎ、柵に掴まらずに登りはじめた、イヴィッチは眠っていた、ダニエルはベッドから脚をだしていた、頭の中で早鐘が鳴っていた、ピエールは、カビール人のバラいろをした黒い足の裏を見て思った。「あれはモオのトランクだ」。しかしモオはいなかった、彼女は、リュビィに熱をあげている非常に金持ちの老人の車で、ドゥセットやフランスやリュビィといっしょに少しおくれて出かけたのだ。パリで、ナントで、マコンで、男たちが壁に白い紙を貼っていた、半鐘がクレヴィリーで鳴っていた、ヒトラーは眠っていた、彼は夢のなかで四歳のこどもだった、きれいな着物をきせられていた、黒い犬が通った。それを、蝶を採集する網で捕まえようと思った、半鐘が鳴っていた。ルブリエ夫人がとび起きて、言った。「どこかが燃えているんだわ」。ヒトラーは眠っていた、父のズボンを爪鋏みでこなごなに切りきざんでいた、レニ・フォン・リーフェンシュタールがはいってきて、フランネルの細片を集めて言った。「これでサラダをこしらえてあげるわ(8)」(強調点引用者)
  一見して明らかなように、ここでは「眠っている」ということばを軸にして同時性が表現されている。チェンバレンとヒトラー、それにレニ・フォン・リーフェンシュタールは実在の人物であるが、それ以外はすべて小説の作中人物である。先の引用と同じように、チェンバレンやヒトラーが描かれているのだが、ここでは単に同時並行的に時間が流れているだけであり、この場合は並行的時間というべきである。したがって、同時的時間のレベルは、どのような人物が登場するかではなくて、あくまでも時間がいかなる関係性にあるのか、作者が同時的時間をどのような関係として捉えているかによって、三つのレベルの時間性が決まるのである。
  サルトルが『猶予』のなかで多用しているのは並行的時間であるが、しかし彼が最も意識的に描こうとしたものは集合的時間ではなかったかと想像される。それはすでに引用した冒頭の一節からも読みとることが可能である。ヒトラーとチェンバレンの会談の成りゆきがどんなに個人的時間に影響を及ぼすかということを示すために、サルトルは意識的に表現を選んでいるからだ。たとえば、「一五時半、マチュウは恐ろしい未来を目前にして、まだ待っていた。同時刻、一六時半、ミランには、もう未来がなかった」(強調引用者。以下断りがないかぎり同じ)。フランス人のマチュウには「恐ろしい未来」が待ち受けている。しかし、チェコ人のミランにとっては未来は閉ざされ、奪われている。ここでサルトルはなぜ「未来の時間」をくり返し持ち出しているのか。チェンバレンとヒトラーの会談が、マチュウやミランの未来を決定するということ、集合的時間が彼らのこれからの個人的生活に決定的な影響を及ぼすことを示そうとしているのである。集合的時間の影響は圧倒的であり、現在だけではなくて未来にまで作用するのである(9)。そして、集合的時間の影響は一方通行的である。

2  集合的時間の呪縛
  それでは、集合的時間の影響関係は、『猶予』のなかでどのように描かれているだろうか。はっきりしていることは、集合的時間の影響は一方的であり、相互的ではないということである。『猶予』の冒頭で二人の政治家の会談によって切り取られた時間が、無数の人間を一方的に巻き込み、人々の存在そのものを脅かすことになる。たとえば、この時間はマチュウに対してどのような「恐ろしい未来」をもたらすことになるのか。「戦争だ。一本の糸でやっと彼につながっていたものが彼から離れ、塊となって、うしろへ転げた。それは彼の人生だった。彼の人生は終わった死んだのだ。マチュウはふりむいて、死んだ人生を眺めた(10)」。この場面は、九月二四日(一九三八年)にフランス全土に動員令が貼り出され、マチュウも動員されることになったときのものである(「それは壁に彼の名が、侮蔑と脅迫のことばとともに、白墨で記されているみたいだった。動員された人間」)。戦争に動員されるということは、いままでの日常生活とは全く別の世界へ投げ出されるということであり、これまでひたすら「自由」を求めて生きてきたマチュウの人生はここで終わりをとげる。壁に貼り出された一枚のビラによって、彼の人生は切断され、あとにはどんな未来も残らない。「すべてははじめから考え直さなければならない」。突然マチュウを襲ったこのような時間の切断は、ヒトラーによって突きつけられた一通の回答書によってもたらされたものである。マチュウの意志とは全く関係のない、一方的な襲撃なのである。この集合的時間に侵犯されたマチュウは、一日にしてそれまでの自分を喪失する。そのことを、サルトルはこんなふうに表現している。「彼はもうなにものでもない。ボリスの昔の先生でもなければ、年とったマルセルの昔の恋人でもない、イヴィッチを恋している年をとりすぎた男でもない。年齢のない、名のない男でしかないのだ。彼の未来は奪い去られた。彼の前には予測のつかない日々があるだけだ(11)」。
  「彼の人生は終わった」とか「彼の未来は奪い去られた」とか、それはあまりにも大げさすぎる文学的表現だと言われるかもしれない。しかし、戦争にかり出されることが死を予測させることだとすれば、それまでのマチュウの人生は確実に終わることになる。だとすれば、彼は三〇年ものあいだ全く無駄な人生を過ごしてきたことになる。これまでの人生がすべて無意味なものとなるのだ。こうしてサルトルは、集合的時間の一方的で残酷な影響力を強調しているのである。
  このような集合的時間の直撃は、もちろんマチュウだけにあらわれるわけではない。作中人物たちはそれぞれ何らかのかたちでその影響を蒙るのであるが、その例をいくつか挙げる。
  マラケシからマルセイユへの船のなかで、ピエールは内省している。「彼は反省してびっくりした。『卑劣な人間。こんな卑劣な人間だなんて考えてもみなかった』と、彼は思った。泣き出したいくらいの卑劣な人間だ。自分の本質を発見するには、一日で十分だった。この戦争の脅威がなかったら、彼は、自分の本質についてはいっさい知らなかっただろう(12)」。ここで「自分の本質」といわれているものは、「自分の真の存在」son e^tre ve´ritable、つまりアイデンティティのことなのである。
  もう一つの例。いまはフランスに住んでいるが、ロシア人であるイヴィッチは、自分の人生が「外部」から決定されると感じている。それは父親が「待っていなさい。もうじき私たちの聖なるロシアにもどれるだろうよ」ということばを発した直後のことなのである。「ふいに、居丈高な呼子が三度、通りから聞こえた。彼女は頭のてっぺんから爪先までふるえた。外だ。通りだ。すべてが外で行なわれている。彼女の寝室は牢獄だった。彼女の人生は北で、東で、南で、いたるところで決められていた。悪臭を放ち、閃光の飛びちるこの夜、囁きと秘かな出会いとが方々で行なわれているこの夜、いたるところでイヴィッチの人生が決められていた(13)
  マチュウにしろ、ピエールにしろ、イヴィッチにしろ、自分以外のものによって自分の人生が根底から揺すぶられている。言いかえると、戦争の脅威によって個人的生活がくつがえされる。チェンバレンとヒトラーの会談という同時的時間性のなかに、彼らは否応なしに巻き込まれ、いわば集合的時間の呪縛のなかに囚われているのだ。ここまでくれば、集合的時間が投げかけている問題は明瞭である。それはアイデンティティの問題なのだ。マチュウやピエールやイヴィッチの個人的アイデンティティが浮かびあがってくるのは、集合的時間の呪縛のなかであるという問題がここでは提起されているのである。だが、その前に、サルトルが小説全体に与えた題名『自由への道』における「自由」について検討しておかねばならない。

第二章  サルトルと「自由」


  サルトルの生涯を通じて、基本テーマの一つは自由の問題であった(14)。彼の自由についての考え方には、時期に応じて変遷のあとが見られるのだが、その全面的な展開を辿るとかなりの枚数を必要とするので、ここでは『自由への道』を中心にして取り上げることにしたい。ここでの問題は、『自由への道』における「自由」をどのように解釈すればいいのかということである。そして結論から先に言えば、それをアイデンティティの問題として捉えた方が、この作品の今日的な意味がいっそう鮮明になるのではないかということである。

1  『嘔吐』と『存在と無』における「自由」
  サルトルにおける「自由」の問題は、『嘔吐』についての多くの論評をはじめとして、これまでほとんど論じ尽くされていると思われるが、一応筆者なりに整理しておく。
  サルトルの「自由」観は独特のものである。そのことを示す例は、よく知られているように、『嘔吐』における次の一節に見られる。
    私は自由である。つまり、もはやいかなる生きる理由も私には残っていない。(中略)私はひとりであり自由である。けれどもこの自由はいささか死に似ている(15)
  ここに表現されている、一見投げ遣りで虚無的な「自由」観は、実は、『嘔吐』の主人公ロカンタンが小説の終末にいたって行きついた世界だった。それは、かつての恋人アニーからも、研究対象としてきたド・ロルボンという人物からも解放されたという章味での自由ではなくて、ロカンタンが人間存在そのものとして理解した自由なのである。サルトルによれば、自由とは実存の本質というよりは、本質を成立させるものである。この自由は人間の死のように宿命的なものであり、それから逃れることができない。したがって、自由は人間が獲得するものではない。人間は「自由に呪われている」(『存在と無』)のだ。このような「自由」を、サルトルは『存在と無』第一部のなかで次のように説明している。
    人間の自由は人間の本質に先立つものであり、人間の本質を可能にするものである。人間存在の本質は人間の自由のうちに宙づりになっている。それゆえ、われわれが自由と呼ぶものは、〈人間存在〉の存在と区別することができない。人間はまず存在し、しかるのちに自由であるのではけっしてない。人間の存在と、人間が〈自由である〉こととのあいだには差異がない(16)。(強調原文イタリック)
  これはけっして易しい説明ではない。自由は「人間の本質に先立つ」とか「人間の本質を可能にする」とはどういうことか。このサルトルの説明のうちには、彼固有の三段論法がかくされている。第一にサルトルは、人間存在を「それがあるところのものではあらぬ」存在、つまり無として捉える。第二に、無の出現を条件づけているものは自由である。したがって第三に、自由は人間の本質に先立つということになる。しかし、この三段論法につきあっていると、厖大な量の『存在と無』の陥穽から抜け出すことが困難になるので、ここでは、『嘔吐』における「自由」を『存在と無』によって説明すると以上のようになると言うにとどめておく。だが、サルトルにおける「自由」はこの段階でとどまっているわけではない。それでは、『自由への道』においては、それはどのように展開されているか。

2  『自由への道』における「自由」
  第一部『分別ざかり』は、物語の大部分が主人公マチュウをめぐる交差的時間関係のなかで展開される。小説の冒頭の部分で、マチュウは恋人マルセルの部屋を訪れ、こんな会話を交わしている。物語の発端として重要な部分である。
    「あなたが自分を見つめるとき、あなたは自分が見つめている人間とはちがうと思うんだわ。つまり、自分が何者でもないって思うのよ。要するに、それがあなたの理想なのよ。何者でもないってことが」。
    「何者でもない」と、マチュウはゆっくりとくりかえした。「ちがう。そうじゃない。いいかい、僕は、自分自身に忠実でいたいだけなんだ」。
    「そうだわ。自由でいること。まったく自由でいること。それはあなたの悪いくせよ」。
    (中略)
    「もしも僕が自分の存在に責任を負おうとしなかったら、存在するってことがどんなに無意味なことかわからないよ」。(中略)
    「わたしは、それほど自由でいたいとも思わないわ」と、彼女は言った(17)
  ここでのマチュウの「自由」は、ほとんど『嘔吐』のレベルと変わらないと解することができるだろう。ところで、この場面についてプレイヤード版の注釈は、「マルセルの判断は、ある点で、正しい(18)」と述べているが、むしろマルセルのことばはきわめて痛烈な批判になっていると理解すべきところであろう。なぜなら、このときマルセルはすでに自分がマチュウのこどもを宿していることに気づいているのだが、当のマチュウはまだそのことを知らない。したがって、マチュウが誇らしげに語っている「自由」は、すぐ直後にマルセルの妊娠を告げられていっきょに瓦解してしまうような性質のものでしかないことを、彼女はよく知っているからである。実際、『自由への道』におけるマチュウの「自由」が『嘔吐』のレベルから変化を見せ始めるのは、この妊娠という事実を告げ知らされたときからなのである。簡単にいえば、人間の自由は、自己の自由だけではなく他者の自由もまた存在するということであり、さらには、自己の自由と他者の自由との関係性が存在するということである(19)。いいかえれば、典型的な交差的時間関係にほかならない。『自由への道』は、原題を正確に見れば「自由のさまざまな道」ということであり、自由のさまざまな様態が描かれている。こうして、マチュウの自由(『嘔吐』的な自由)は侵害され、攻撃される。その例をいくつか挙げる。
  マチュウがマルセルの堕胎の費用を工面しようとして、友人のダニエルを訪れる場面。
    「いましがた考えたことなんだが、つねに自由でありたいと欲している君に、ひとつ、自由な行為をするこの上ない機会が訪れたんじゃないか?」
    「自由な行為?」マチュウは理解できない表情をした。
    「そうさ、マルセルと結婚すればいいんだ」と、ダニエルがまっすぐ顔を上げて言った(20)
  愛人マルセルと結婚しないこと、こどもをつくらないことが、マチュウにとっての自由の絶対的な条件であった。そのようなマチュウの信条をよく知っているダニエルが、皮肉とも非難ともいえることばを投げかけている。ここでは、自由とは行為だという考え方が提出されていることに注目しておきたい。
  こんどは、マチュウと兄ジャックとの対話。ジャックは右翼的な思想の持ち主として設定されている。
    「僕の望んでいることはただ……僕の自由を守るということなんだ」。
    「わたしは、自由というものは、自分が自らの意志で選んだ事態を直視し、自分の全責任を引き受けることだと思っていた、とジャックが言った。しかしもちろんこれはおまえの意見ではない。おまえは資本主義社会を弾劾する。ところがおまえはこの社会の官吏だ。コミュニストに対して基本的な共感をひけらかす。だが入党することに警戒しているし、絶対に投票というものをしない。おまえはブルジョア階級を軽蔑する。ところがおまえはブルジョアであり、ブルジョアの息子で、ブルジョアの弟だ。そしてブルジョアのような生活を送っている(21)」。
  兄ジャックの批判はある意味では正当である。ブルジョア社会に働く教師として、このブルジョア社会を軽蔑することは自由である。しかし、自由であろうとすることに固執して、結局なんの行為の選択もしないということが真の自由であるかどうか、とジャックは問いかけている。そのかぎりで正しい。しかし、そのジャックは妻の持参金によって現在の地位を買い取ったのであってみれば、マチュウにとってはとても容認できる意見ではない。
  三つ目の例。コミュニストのブリュネがマチュウを訪ねてきて、説得とも批判ともつかぬことばを投げかける。
    ブリュネが言った。
    「君は君の道を辿った。ブルジョアの息子として、われわれのところへそのままくることができなかった。君は自分を解放する必要があったのだ。いまや解放はなされ、君は自由だ。しかし、それが入党するためでないとしたら、自由なんてなんの役に立つのかね?(中略)君は空中に漂っている。君はブルジョアの紐帯をたちきった。しかしプロレタリアとはなんの関係もない。君は漂っている、君は抽象的な存在であり、不在者だ。毎日が愉快なはずがない(22)」。
  ここでブリュネが言っている「いまや解放はなされ、君は自由だ」ということばの意味がいまひとつ不明確なように思われるが、「抽象的な存在であり、不在者」であるという指摘は、自由に固執するマチュウの宙ぶらりんな態度を正確に言い当てている。
  このように、主人公マチュウの自由は、左右の思想的立場から批判され、攻撃されている。どの批判もマチュウを納得させるものではないが、しかし、彼の自由は侵害され脅かされているという事実だけははっきりしている。こうして、マチュウの自由は、『嘔吐』におけるロカンタンの自由とは明らかにちがった様相を帯びてくる。さまざまな人物からの攻撃に晒されたマチュウの自由は変容を余儀なくされ、その変容は『存在と無』第四部の次の説明と対応していると言ってよい。すなわち、第四部にいたってサルトルは、「行動の第一条件は自由である」と書くのである。そのことをごく要約的に説明すれば、行動とはなによりも人間存在そのもののあり様と見なされる。「人間存在は、まずはじめに存在して、しかるのちに行動するのではない。人間存在にとっては、存在するとは行動することであり、行動するのをやめることは、存在することをやめることである(23)」。つまり、サルトルにとっての人間存在とは、フッサールと同じように、志向性(−に向かっての)を根原的に備えている存在とされる。このような無条件的な志向性によって、人間はつねに自己を選ぶ存在である。そしてサルトルは、自己の選択としての自由が責任と関係すると説く。「われわれのこれまでの考察の本質的な帰結からすれば、人間は、自由であるように呪われているのであるから、全世界の重みを自己の双肩に担っている。人間は、存在のしかたに関するかぎり、世界についても自己自身についても、責任がある。われわれは、〈責任〉という語を、〈ある出来事もしくはある対象の、あらそう余地のない作者である(ことについての)意識〉という一般に用いられている意味に解する。この意味において、対自の責任は圧倒的である(24)
  ここで注目しておかなければならないのは、「自由であるように呪われている」と表現されていた自由が、自己自身についての責任だけではなく、世界についても責任をもつと述べられていることである。ここに『嘔吐』から『自由への道』への大きな変貌があると考えられる。そして、このような変化がもたらされた理由は、くり返して言えば、マチュウと、マルセルやジャックやブリュネとの交差的時間関係と、いまひとつはサルトル自身の戦争体験という集合的時間関係にほかならない(25)

第三章  自由とアイデンティティ


1  アイデンティティへの問いかけ
  ここであらためて、『分別ざかり』における「自由」のテーマをもう一度振り返ってみる。
  次の場面は、とうとう主人公マチュウが、マルセルとの結婚に踏み切らざるをえないと覚悟を決め、バスに揺られながら、内省しているところである。
    「仕方がない。もうおしまいだ。結婚しよう、と今夜マルセルに言うまでだ」。(中略)彼は考えた。「おれの人生はもはやおれには属さない。おれの人生は一つの宿命にすぎない(26)」。
  このように決意したマチュウは、人生の放棄といったあきらめの境地に陥っている。自由が完全に失われたのだ。ところが、バスが急停車したとたん、彼ははっと気づく。「いやいや、それは丁か半かではない。どんなことが起ころうと、すべて必ずおれを通して起こるはずだ。(中略)この破滅をえらんだのは、彼だった。彼はすべてに自由なのだ」。
  ここでのマチュウの内面的動揺がなにを物語っているかは明瞭だろう。彼はマルセルとの交差的時間関係において、彼女との結婚を覚悟したとたん、自分の人生が自分のものではないと感じ、自由の喪失を覚悟している。しかし、どのような事態であれ、起こりうるすべてのものは自分のうちに起こることである。そう考えることによって、自分はすべてにおいて自由だというそれまでのマチュウを取り戻すのである。「つねに自由であることに呪われている」とはそういうことであり、「自由に責任がある」ということでもある。
  ところで、マルセルと結婚しようと決意することもまた自由であり、真正な自己の追求につながるのだとすれば、そのことはまさに自己のアイデンティティを追求することにほかならないのではないだろうか。
  『分別ざかり』の結末は、マチュウにとってさらに試練に満ちたものとなる。友人ダニエルからマルセルと結婚することになった、と告げられるからだ。しかもダニエルは、一度は自殺を決意したことのある男色家なのである。まことに皮肉で屈辱的なこの結末は、マチュウを困惑させる。「マチュウは『おれはひとり残された』と思った。ひとりだ。だが前よりもずっと自由であるというわけではない(27)。ダニエルは彼の自由においてマルセルとの結婚を決意し、マルセルは彼女の自由においてダニエルとの結婚を承諾する。彼らには結婚するという選択の自由がある。こうして、交差的な時間関係のなかで、マチュウの自由は侵蝕され、蹂躙される。だからマチュウは「前よりもずっと自由であるというわけではない」のである。それではいったいマチュウの自由はどうなったのか、彼のアイデンティティをどのように考えたらいいのか。それは結局第三部に持ち越されることになる。
  第三部『魂の中の死』でのマチュウは、戦場にいる。マチュウは完全に軍隊という集団のなかの一員である。「おれたちはひとりではない」とマチュウは考える。そして、「おれは選択することを決めかねていた。けれどもほんとうは、おれはすでに選択したのだ、この戦争を、この敗北をおれは選んだのだ。この日のただ中でおれは待たれていた。すべてをやり直さなければならない。しかしもはやなすべきことがないのだ(28)」という考えにとらわれる。ここでのマチュウの内省は、彼が選択の自由を引き受けたことを意味している。しかし、この選択の自由は死に直面したときの自由である。なぜなら、マチュウはドイツ軍との戦闘に生命をかけている。彼の目的は、前進してくるドイツ軍を阻止すべく、一五分間だけ持ちこたえることである。「彼は美しい将校をめがけて射った。地上のいっさいの美に対して、道路、花、庭、彼の愛したいっさいのものに対して射った。美はみだらな姿を消した。それでもマチュウは射った。彼は射った。彼は純粋だった、全能だった、自由だった。一五分(29)」。マチュウは敵軍に向かって射つというよりは、自分自身に向かって、過去のいっさいに対して、世界に向かって射ちつづけているようにみえる。こうして、死に直面した自由は、あの『嘔吐』における「いささか死に似ている自由」とは決定的に違った意味を帯びることになる。つまり、ここでのマチュウの自由は、自分の存在理由(アイデンティティ)を発見する自由にほかならない。

2  自己とはなにか
  ここまで、『自由への道』をアイデンティティ探究の小説として理解するために、その例をいくつか示してきた。このようにみてくると、『自由への道』において作中人物たちは、それぞれ自分自身をどのように捉えたらいいのかと戸惑っている姿が浮かんでくる。その場合、二つの特徴があらわれていることに注目しておこう。第一の特徴は、作中人物たちが自分自身が何者であるかと自問し、自らのアイデンティティを探しあぐねていることである。第二の特徴は、だれもが「自分自身を演じている」と感じ、他人の演技についても見逃してはいないということである。
  たとえばマチュウの場合。
    彼はただひたすら、他の人々が切手の蒐集を望んでいるように、自由であることを望んでいるのだ。自由とは、彼の秘密の庭である。自分自身とのちょっとした馴れ合いだ。怠け者で冷淡で、少し空想家だが、根底ではとても合理的な男。平凡で崩れない惰性的な幸福を、人知れずこっそりと自分のためにこしらえて、ときどき高尚な考察で自分を正当化している男。それがこのおれなのか?(30)
  マチュウは三四歳のリセの教師、国家公務員である。彼の自由はいま動揺している。その原因は、くり返し述べているように、『分別ざかり』においてはマルセルとの交差的時間関係のなかで、彼の自由が侵蝕されているからであり、『猶予』のなかでは、チェンバレン・ヒトラー会談をはじめとする、彼を取り巻く情勢の集合的時間の影響を受けているからだ。
  こんどはダニエルの場合。
    「これがほんとうの人間だ」と、彼は一種の楽しさを感じながら思った。彼はまったく頑固で根性曲がりなんだが、その下には、哀願している、か弱い犠牲者のもうひとりの自分がいる。「まるで自分が他人であるみたいに、自分を憎むことができるなんて妙だ」と思った。とはいえそれはほんとうではなかった。そう考えても無駄だった。一人のダニエルがいるだけだった(31)
  男色家のダニエルが真正な自己のアイデンティティを探しあぐねている姿の描写である。自分のなかにもう一人の自分がいるのではないかという疑問は、まさしく自己のアイデンティティへの問いかけにほかならない。
  次に、もう一つの特徴である演技の例をみよう。まず、ジャックの例。マチュウが兄ジャックに借金の申し入れにきた場面である。
    ジャックは無邪気に微笑していた。彼という人間全体が無邪気さを呼吸していた。しかしその眼はきびしかった。「無邪気さを装っている」と、マチュウは腸のにえかえる思いで考えた。「なんのためにおれがきたかをよく知っているんだ。どんな役割を演じようか、と探しているんだ(32)」。
  さらにダニエルの例。ダニエルはマチュウからマルセルが妊娠したことを告白され、借金を申し込まれるが、それを断る。そのあとで、ダニエルはマルセルの部屋を訪れる。
    彼女(マルセル)は持ち前のやさしさで彼を見つめていた。二人っきりでいるのがうれしいらしかった。「この女は妊婦らしい仮面をつけている」と、ダニエルは意地悪く思った。彼女がこんなにうれしそうにしているのが憎らしかった(33)
  こんどは複数の人物たちの例。ローラが働いているナイトクラブ「スマトラ」には、マチュウをはじめ、イヴィッチ、ボリスたちがいる。もちろんローラも、店のバーテンもいる。
    彼(マチュウ)はなにか気になるものがあった。ローラの本心には、貴い、情熱的なものがある。しかし、の顔は偽りであり、貴さと情熱を演じている。彼女は悩みがあり、ボリスが彼女を絶望に陥れているのだ。しかし、一日に五分間ずつ、彼女は歌を唄うことで、苦悩を美化しているのだ
    「ところで、このおれは?  こうして苦悩を美化しているのではなかろうか?音楽の伴奏つきで、だめな男の役を演じているのではなかろうか?  けれど、おれがだめな男だということは、じっさいほんとうなんだ」と、思った。彼の周りにいる連中も、同じようなものだ。(中略)バーテンはバーテンの役を演じているのだ。
    「おそらく他にしようがないだろう。選ばなくてはなるまい。なにものでもないか、それともいまのまま演じつづけるか。こいつは恐ろしいことだ」と、彼(マチュウ)は思った。「つまり、生まれつきごまかしていることになるのだ(34)」。
  ここで例示した「演技」は、サルトルによって「自己欺瞞」(『存在と無』第一部)と呼ばれているものであり、サルトルによれば、人間の基本的な存在のあり方を示すものである(35)。存在論的な自己欺瞞についてはこれ以上触れることはしないが、作中人物たちがそれぞれ真正な自己とはなにかを探していることは明らかであり、『自由への道』とは、いってみれば、「アイデンティティへの道」とでもいうべき小説なのである。
3  集合的時間とアイデンティティ
  『自由への道』第三部『魂の中の死』は一九四〇年六月一五日の日付から開始されている。すでにフランス軍はドイツ軍に敗北を喫し、パリも占領されているときであり、六月二二日にはペタン政権によって休戦協定が締結される、その一週間前のことである。主人公マチュウは戦場にあって、奇妙な敗北感を味わっている。ここにいたって、マチュウは深刻な自己のアイデンティティという問題にぶつかる。
    おかしなことだ、とマチュウは思った。そうだ、おかしなことだ。彼は虚空を見つめて、「おれはフランス人だ」と、思った。生まれてはじめて、彼はそのことをおかしなことだと思った。おかしなことだ。フランスという国、おれたちはそれを見たことがない。おれたちはそのなかにいた。それは空気の圧力であり、大地の引力であり、空間であり、視界であり、この世は人間のためにつくられたのだという静かな確信だった。フランス人である、ということはとても自然なことであり、それは自分が普遍的な人間であることを感じる、最も単純で、最も経済的な方法だった(36)。(強調点原文イタリック)
  マチュウは戦地で、生まれてはじめて自分がフランス人であるということを意識する。いまさらフランス人だと意識するのも「おかしなこと」だが、自分がフランス人であるという事実自体が「おかしなこと」だ。いままではフランス人であることがまったく自然なことのように思われていた。しかし、気づいてみると、それは少しも自然なことではないのだ。そういう思いがいっきょにマチュウを襲い、予期せぬ事態に彼は驚きと戸惑いを隠せない。そうした様子を、サルトルはおかしなことだと強調しているのである。ついでにいえば、この「おかしなことだ」c' est marrant. という表現は、実は、第一部『分別ざかり』のはじめのほうで、マチュウがマルセルから妊娠の事実を知らされたあとに、同じように用いられていたものである。すなわち、「マルセルは妊娠している。おかしなことだ。なんだか嘘のような気がする(37)」。マチュウの自由がマルセルの妊娠という事実によって侵害されたことを想起しておこう。
  マチュウはなぜ「おかしなこと」という意識にとらわれたのか。敗北したフランスが、いまマチュウの前に、その裸の姿をむき出しにしたからである。マチュウはフランスの敗北という事実を前にしてはじめてフランスという国を意識し、その国のなかに存在している自分自身を意識したのである。したがって、二重の意味でそれまでのマチュウには予想もしなかった意識の変化を蒙っている。サルトルは先の文章につづけてこう書いている。
    いまフランスは仰向けに倒れた。われわれはそれを見ている。調子の狂った大きな機械を見ている。そして、これがフランスだったのだな、と思う。つまり地形の椿事、歴史の椿事だ。われわれはいまでもフランス人だ。けれどもそれはもう自然なことではない(38)
  フランス人であることがもはや単純な事実ではない。いったい、フランス人であることはなにを意味するのか。そもそも、「いま仰向けに倒れた」フランスとはいかなる国なのか。このような疑問がマチュウの意識のなかを去来したことを物語っている。それはまさにナショナル・アイデンティティへの問いかけであると同時に、パーソナル・アイデンティティへの問いかけでもあるだろう。それはまた、実は、第一章で触れた「恐ろしい未来」の中味でもあったのだ。すなわち、第一に、マチュウの自由が脅かされ、変貌を余儀なくされたという意味でマチュウにとっての「恐ろしい未来」であり、フランスがドイツ軍に敗北を喫したという意味でフランスにとっての「恐ろしい未来」だったのである。こうして、マチュウにとっての集合的時間は、フランスの敗北という歴史的事態のなかで、フランスの未来とマチュウの未来とが絡み合って現前してくる。「調子の狂った大きな機械」となったフランスのアイデンティティの危機が、マチュウの個人的なアイデンティティを揺すぶっているのである。マチュウのアイデンティティは、フランスのアイデンティティの危機のなかで動揺しているが、同時にそれはマチュウ自身のアイデンティティ発見への道でもあるだろう。

お  わ  り  に


  「戦争はわたしの生涯をまったく二つに分割してしまった」という発言で知られている対談『七十歳の自画像』は、さまざまなサルトル論のなかでよく引用されるものであるが、このなかで彼の戦前のあり様がこんなふうに語られている。「戦前は単に自分を一人の個人として考えていただけで、わたしの個人的存在とわたしが暮らしている社会とのあいだにある絆全体がわかっていなかった。高等師範を出たころ、わたしはその考えにもとづいて一つの理論をそっくり築いていた。わたしは『単独の人間』、すなわち自分の思考の独立性によって社会に対立するが、社会にたいしては何一つ負わず、自由であるがゆえに社会の方でもどうすることもできない、そういう個人だ、と(39)」。
  ここでは、戦前の自分のことが「単独の人間」として説明されている。それは本論のなかで紹介したように、『嘔吐』や『分別ざかり』のなかで描かれた作中人物の「自由」をまことに簡潔に要約的に表現したものと言えよう。そして、このような個人的自由は、サルトル自身の戦争体験を通して変貌し、戦後は社会的な自由が追求される。それはすでに一九四四年九月に発表された『沈黙の共和国』以来、サルトルがさまざまな機会に語ってきた大きな変貌であった(40)。その変化をもう一度『七十歳の自画像』のサルトルに語ってもらおう。「彼らもわたしもともに社会的個人であることがそのときはまだわかっていなかったんだ。それまでは自分は自分の主人であると思っていた。世界の重みと、他の人間すべてにたいするわたしの絆、他の人間すべてのわたしにたいする絆などを自覚するために、召集をとおして、わたし自身の自由の否定にぶつかる必要があったんだ(41)」。
  こうして、戦争体験を通じたサルトルの思想的変貌には著しいものがあり、そのことはこれまで多くの論者たちによって指摘されてきた(42)。拙論があえて屋上屋を架す愚を犯すごとくに、この時期のサルトルを扱ってきたのは、今日の時点からみて、第二次大戦におけるフランスの敗北とドイツ軍による占領という事態は、フランスのナショナル・アイデンティティの危機的時代であり、そうした状況における個人と社会や時代との関係性が『自由への道』のなかで特徴的に表現されていると思われたからである(43)。言うまでもなく、サルトルにおける「自由」のさらなる展開については、『弁証法的理性批判』をはじめとする戦後の諸著作や、戦後世界における彼自身の社会的・政治的活動を検討しなければならないのだが、それについては別の機会にゆずらざるをえない。

(1)  Michel Winock:Le Siecle des intellectuels, Seuil, 1997.
(2)  Ibid., p. 7.
(3)  拙論「ヴィシー政府とナショナル・アイデンティティ」、『立命館言語文化研究』第一一巻四号参照。
(4)  Jean−Paul Sartre:Le Sursis, Gallimard, Ple´iade, 1981, pp. 733-734. 訳文は『自由への道』(白井浩司訳、人文書院)を利用した。ただし引用者の解釈によって、若干変更したところもある。
(5)  歴史的事実の経過については、Paul Nizan:Chronique de septembre, Gallimard, 1978 に詳しい。この作品はもともと一九三九年に刊行されており、サルトルは『猶予』執筆にあたって参照したと目されている。
(6)  Sartre:op. cit., p. 735.
(7)  サルトルは時間性に関して「時間的な三次元の現象学」を書きあらわしている(『存在と無』第二部)。彼が時間の三次元と言っているものは、過去、現在、未来のことであり、存在論的な時間概念を表現したものである。一般に言われている同時的時間について、ここで「三つのレベルの時間」に分類したのは筆者の発想によるが、それはむしろ、同時的時間における人間関係にかかわる概念と言った方がいいかもしれない。実際、『自由への道』のなかでは、時間性と人間関係が密接に関連づけられて追求されていると思われる。
(8)  Le Sursis, p. 797.
(9)  念のために言えば、小説技法の上では、時間の同時性は過去形によってしか表現することができない。なぜなら、ひとりの作家が現在形で異空間を同時に描くことは不可能だからである。かろうじて過去形においてのみ、異空間を同時的に描写することが許されるのである。
(10)  Ibid, p. 806. なお、この部分に関して、プレイヤード版の注釈は二つのヴァリアントがあることを紹介している。その最初のヴァリアントではとりわけ「未来」が強調されている。「死者にはもはや未来はない。彼の人生はその未来を失ってしまった。あるいはむしろ、死んでしまったのはこの未来であった。彼の人生は、大声で、自分の人生そのもののために、人間のために、世界のために、ある種の未来を叫んでいた。そして、人生にその意味を与えたのはこの未来だった」(ibid., p. 1984.)
(11)  Ibid., p. 832.
(12)  Ibid., p. 877.
(13)  Ibid., p. 1057.
(14)  cf. Juliette Simont:Jean−Paul Sartre. Un demi−sie'cle de liberte, De Boeck, 1998. シモンは「サルトルの思想は自由の思想である」という観点から、無の問題、時間の問題、思考の内的緊張の問題、人間と人類の問題、社会的・歴史的間主体性の問題を自由と関連づけて論じようとしている。
(15)  Sartre:op. cit., p. 185.
(16)  L'Etre et le neant, Gallimard, 1943, p. 61. 訳文は『存在と無』(松浪信三郎訳、人文書院)を利用した。ただし、引用者の解釈によって、若干変更したところがある。サルトルの文学作品と哲学的著作とが相互に密接に関連していることはよく知られている。そのことを、たとえばベルナール=アンリ・レヴィも『自由への道』に触れて、サルトルの哲学との関連性を強調している。「人に対する、そして世界の全体性に対する各人の責任観への新たな転換、この確信なしに、『猶予』は成立しえない。この哲学なしに、小説はありえない。『自由への道』という小説の驚くべき爆発物の根元に存在する、そしてそのなかに踏み込むべき細部のなかにこそ初期サルトルの哲学がある」と書いている。(Bernard−Henri Le´vy:Le Sie'cle de Sartre, Grasset, 2000, p. 74)
(17)  L'Age de raison, op. cit., p. 403.
(18)  Ibid., p. 1943.
(19)  『存在と無』第三部の「対他存在」でサルトルは、人間が「対自存在」であるとともに「対他存在」でもあることを詳細に考察している。ごく簡単に言えば「他者の発見」である。サルトルは「他者の出現は対自をその核心において襲う」と言う。この他者との関係は、「他者にとって私がそれであるところの対象に対する私のもろもろの態度によって、全面的に左右される」として、二つの関係を示している。一つは、「私は、こんどは私の方から他者に対象存在を附与するために、他者の方へ向き直ることができる」(他者の超越を超越する)という態度であり、いま一つは、「自由としての他者が、私の即自存在の根拠であるかぎりにおいて、私は、他者から自由というその性格を除き去ることなしに、この自由を取り戻し、この自由を奪い取ろうとこころみることができる」(他者から超越というその性格を除き去ることなしに、この超越を私のうちに呑みこむ)という態度である。(op. cit., pp. 429-430)前者の関係は、愛、言語、マゾヒズムであり、後者の例が、無関心、欲望、憎悪、サディズムとされる。
(20)  L'Age de raison, p. 403.
(21)  Ibid., p. 508.
(22)  Ibid., p. 521.
(23)  L'Etre et le neant, p. 556.
(24)  Ibid., p. 639.
(25)  サルトルの戦争体験といえば、一九三九年九月二日に動員され、ナンシーからアルザス地方へと転戦する。しかし、この「奇妙な戦争」のあいだはほとんど戦闘はないので、彼はひたすら読書をし、また、『分別ざかり』を執筆している。一九四〇年二月と四月には短い休暇をえてパリに一時帰還している。しかし、一九四〇年六月二一日、ちょうど三五歳の誕生日に、ロレーヌ地方のパドゥでドイツ軍の捕虜となり、トレーヴの捕虜収容所に送られる。収容所での集団生活は彼にとって多くのことを学ぶ機会となった。「収容所でぼくが気に入ったことは、大衆の一員であるという感情だった」(Œuvres romanesques de Sartre, Ple´iade, p. LVI)。一九四一年三月には収容所を逃れてパリに戻る。そのあと、リセ・パストゥールに職をえて、教員生活に復帰する。一九四一年末頃から『存在と無』の執筆を開始し、並行して『自由への道』を書きつづけている。ちなみに、『存在と無』は一九四三年六月に、『分別ざかり』と『猶予』はともに一九四五年に刊行される。
(26)  L'Age de raison, p. 664.
(27)  Ibid., p. 729.
(28)  La Mort dans l'ame, p. 1204.
(29)  Ibid., p. 1344.
(30)  L'Age de raison, p. 443.
(31)  Ibid., p. 484.
(32)  Ibid., p. 501.
(33)  Ibid., pp. 560-561.
(34)  Ibid., pp. 584-585.
(35)  『存在と無』第一部の「自己欺瞞」la mauvaise fois 参照。「自己欺瞞」の例としてサルトルがあげたキャフェのボーイの記述は有名である。サルトルによれば、キャフェのボーイは、「キャフェのボーイであることを演じている」のである。この点に触れて、イヴァン・ザルツマンは、「キャフェのボーイは、自分の身分に自己を同一化しようとし、また、プロとしての安定した自信を享有するために、自己を自分の職業に一致させようとしている。(中略)キャフェのボーイは、不安から逃れるためにアイデンティティの原理に従おうとしている」と書いている。(Yvan Salzmann:Sartre et l'authenticite, Labor et Fides, 2000, p. 33)こうして、ザルツマンも、「演技」をアイデンティティの問題として捉えていることがわかる。
(36)  La Mort dans l'ame, p. 1178.
(37)  L'Age de raison, p. 410.
(38)  La Mort dans l'ame, p. 1178.
(39)  Situation X, Gallimard, 1976, pp. 176-177.
(40)  La Re´publique du silence, in Situation III, Gallimard, 1949, p. 14. この「沈黙の共和国」のなかでサルトルは、レジスタンス運動に触れて、「たった一言でも、十人や百人の逮捕を引き起こすには十分だった。全き孤独のなかでのこの全き責任こそ、われわれの自由の開示そのものではないか?」と書き、さらに「彼らの一人一人が、弾圧者に反抗して、何とも救いがないながらも自己自身であろうと企てていたし、自己の自由のなかに自から自己を選択することによって、すべてのひとの自由を選択していた」として、新たな自由の開示を説明している。(『シチュアシオン』(4)、人文書院による)
(41)  Situation X, op. cit.
(42)  たとえば、さきに引用したイヴァン・ザルツマンの『サルトルと真性』は、「真性」によってサルトルの全体像を論じようとした試みである。ザルツマンによれば、「この真性という観念を、モラルについてのサルトルの考察において数多くの表現を象徴する用語として、われわれは選んだのであるが、しかしこの観念は、サルトルの思想の前面につねにあらわれるわけではない。だが、もっとも重要なサルトル的概念を理解しようと努め、その整合性を引き出すために彼の概念の諸関係を捉えようと努めるときには、この観念が姿をあらわし、明確なものとなり、ときには不可欠なものとさえなる。こうして、サルトルの著作に対するわれわれの読解は、つねにこうした全体論的な展望のもとに行なわれる」。(Yvan Salzmann:op. cit., p. 15)
(43)  本論のなかでは全く取り上げなかったが、『自由への道』には、マチュウと並ぶもうひとりの主人公ともいうべきブリュネの存在がある。彼はコミュニストであり、軍隊生活においても兵員たちの組織化をはかろうとする「組織的な人間」である。この組織(集団)と個人の問題もまた、この小説のもう一つの主題なのであり、それはのちに『弁証法的理性批判』の中心的なテーマとなっていくものであるが、ここでは枚数の関係で一切触れてはいない。