立命館法学 2000年6号(274号) 186頁




英国におけるクワンゴ問題に関する一考察

- 非選出・任命諸団体のアカウンタビリティーと労働党のクワンゴ改革 -


小堀 眞裕


目    次

第一章  問題意識の所在

第二章  クワンゴ問題の展開

第三章  トニー・ブレア・労働党とクワンゴ問題
  第一節  ブレア労働党政権とコンセンサス・ポリティクス
  第二節  ブレア労働党のクワンゴ観

第四章  クワンゴをめぐる定義
  第一節  クワンゴという言葉
  第二節  保守党政府および労働党政府によるクワンゴ定義
  第三節  『民主的監視』のクワンゴ定義
  第四節  その他の定義
  第五節  ブレア政権下でクワンゴは改廃されたか?

第五章  クワンゴのアカウンタビリティー
  第一節  NDPBのアカウンタビリティー
  第二節 地方公的支出団体および、『新しい治安判事』のアカウンタビリティー

第六章  クワンゴ構成員の任用について
  第一節  クワンゴ構成員任用の問題点とノーラン勧告
  第二節  公務任用コミッショナー
  第三節  下院行政特別委員会の改革案
  第四節  女性・マイノリティーの任用
  第五節  ブレア政権下でのクワンゴ構成員任用

第七章  まとめ



第一章  問題意識の所在



  日本語では、特殊法人、独立公共機構などと訳されるクワンゴ(Quango:quasi−autonomous national government organisation)の研究は、一般的には行政学や行政法分野の研究者の対象であろう。しかし、九〇年代の英国においては、このクワンゴの存在が単に行政法・行政学研究者のみならず、広く政治学研究者や政治家たちの間で大きな関心事となった。というのは、直接的には、そのクワンゴがサッチャー・メージャー政権下において、実質的には増大してきたこと、またそのクワンゴの実態が明らかでないにもかかわらず、たくさんの公費が投じられていたからである。しかし、より根本的には、クワンゴ問題が、非選出・任命団体を必然的に多く持たざるを得ない現代国家において、中央・地方における議会制民主主義、及び市民の政治参加を通じて、いかに政治がアカウンタビリティーを確保できるのかというより深刻な課題を問題にしていたからである。その意味で、このクワンゴ問題に関する九〇年代英国の問題意識は、極めて政治学的であり、また憲法学的であるとさえいえる。
  ところで、アカウンタビリティーとは、日本語においては「説明責任」や「説明義務」などと訳されているが、実際に英国政治において使われる際には、有権者や議会などに対して、政治家や政府などがガラス張りのように透明性を持たなければならないという意味合いで使われる。日本語における「説明責任」では、若干受動的な意味合いが感じられるので、あまり充分であるとは思えない。したがって、ここではアカウンタビリティーをあえて他の言葉に訳出しないことにする。
  筆者自身もそうした政治学的問題意識−現代国家において政治がいかにアカウンタビリティーを確保できるか−によって、このクワンゴ問題を検討したいと考えている。つまり、その問題意識は、第一に、非選出・任命団体であるクワンゴと民主主義の問題である。先進資本主義諸国において、クワンゴのような半官・半民の諸団体が、政府のまわりで実質的に公共政策を担うという形は、ある程度不可避である。しかし、それは同時に議会制民主主義によっても、市民の直接アクセスによっても、アクセス不可能な部分が現代政治において存在していることを明らかにしている。言い換えれば、「民衆の支配」という民主主義の根本的な原理を実質化させる上で、こうした非選出・任命諸団体の行う政治にいかに市民がアクセスするのか、またできるのかということは、現代国家の民主化を考える上で極めて重要な問題であり、それのための教訓を、この英国のクワンゴ問題を通して得ようとしている。
  また、もう一つの問題意識は、政党政治との関連である。アンソニー・ダウンズの有名な仮説にあるように、政権交代による政策転換の幅は必ずしも大きなものではないという理解がある。後に見るように、一九九〇年代の英国においても、保守党政権とブレア労働党政権との間に政策的な変化は乏しいという指摘がある。しかし、このクワンゴ問題では、九〇年代に労働党議員たちや、幅広い研究者たちが保守党政権を批判し、当時野党労働党の党首であったトニー・ブレア自身も、後に見るように、ラディカルな言及をなしていた。そういう意味では、このクワンゴ問題をめぐるブレアや労働党の言及や改革の中身は、政権交代と政策転換の問題を検討する一つのモデル・ケースとなりえる。
  後の部分では、こうしたクワンゴ問題が、第一に、どういう経緯で問題となってきたのかを振り返り、第二に、ブレアや労働党が政権前後を通してどういうことを言ってきたのかを見て、第三に、クワンゴの定義やその数に関する議論を紹介・検討し、第四に、それらのアカウンタビリティーについて検証する。そして、最後にクワンゴの構成員の任用について検討する。
  ちなみに、筆者は以前に、主として保守党政権期におけるクワンゴの問題点や、それをめぐる議論を拙論としてまとめたことがあった(1)。そういう意味では、本論文はその続編として考えることができる。クワンゴ問題を理解するためには、ブレア政権期だけでなくそれ以前の議論について知っていくことが必要であるので、そうした以前の議論については、無用な重複を避けつつ、適宜本論の中で紹介をしていく。

第二章  クワンゴ問題の展開



  英国においてクワンゴが最初に問題となったのは、一九七〇年代後半である。そのときまでは、クワンゴという言葉はもっぱら政治学者・行政学者などの間で使われているだけであった。そして最初に、このクワンゴの問題を政治的な舞台で取り上げたのは、当時の与党労働党議員であったモーリス・エーデルマンであった。彼は七五年に、『ニュー・ステーツマン』紙に「パトロネージの爆発」という論文をのせ、政府に任命の透明性の確保と、年収三万ポンド以上のクワンゴ役職に対しては特別委員会の承認を求めたが、同年亡くなった。
  彼の死後、そのクワンゴ問題を引き継いだのが、保守党議員フィリップ・ホーランドであった。ホーランドは、マイケル・ファロンとともに、一九七八年に『クワンゴ爆発』、一九七九年には『クワンゴ、クワンゴ、クワンゴ』というパンフレットを出して、労働党政権下でのクワンゴの増大とその労働党との癒着を批判しつづけ、”クワンゴ・ハンター”という異名をとるようになる。これにより、クワンゴ問題は一気に労働党政権批判という性格を帯びるようになる。
  そして、またマスコミも、「いかにクワンゴは良くて素晴らしいものをくれるのか」(オブザーバー)、「クワンゴー最近のホワイト・ホールの甘い汁」(デイリー・テレグラフ)、「大臣は一万もの『仲間への職』をもっている」「”仲間内への職”ー成長する産業」(デイリー・テレグラフ)などと、クワンゴ問題を取り上げた。
  こうした批判は、クワンゴの数、規模、それに費やされる金額の多さを批判し、与党労働党とクワンゴ役員とのつながりを批判するものであった。とくに批判されたのは、労働組合幹部とクワンゴ役員との兼任問題で、三九名のTUC(労働組合会議)の役員が、一八〇のクワンゴ・ポストを占め、そのうち一人は一〇のポストをかけ持ちしていたことなどが、議会やマスコミで強く批判された(2)。そして、当時労働党の「大きな政府」を批判していた保守党党首サッチャーの路線とオーバー・ラップし、勢いを増した。さらに、周知のように、一九七九年総選挙ではサッチャー率いる保守党が圧勝し、サッチャー政権は、クワンゴを削減することを約束し、実行に移すのである。
  ただ、後に詳しく述べるように、サッチャー政権のクワンゴ削減策自体も大きな問題点をはらむものであった。それゆえ、保守党におけるクワンゴ批判の第一人者、ホーランドは、サッチャー政権下でのクワンゴ削減策を”軽い選別”としか受け止めず、逆に保守党政権もクワンゴの有用性を知って、それを保守するようになったと不満を漏らすことになる。
  しかしながら、とりあえず、政治の表舞台からは、これ以後約一〇年間、保守党政権下ではクワンゴ問題は大きく扱われることがなかった。そして、これが再び大きく取り扱われるようになるのは、一九九二年からである(3)
  一九九二年末に、ヨーロピアン・ポリシー・フォーラム会議で、バーミンガム大学地方政治論担当のジョン・スチュアートが”新しい治安判事”について報告したことから、保守党政権下でのクワンゴ問題の実態に目が向けられるようになる。この”新しい治安判事”とは、サッチャー政権下で作られた地方クワンゴを、一八世紀に地方政治において大きな権力を振るった「治安判事」の現代版としてなぞらえたことから、名づけられたものである。英国の治安判事は一八世紀に、法律分野に加えて、政治の分野でも重要な役割を地方で果たしたことが知られているが、その治安判事の権限自体は一八八八年に地方議員に移管され、その後の治安判事は純粋に法的な職務しか果たしてこなかった。しかし、サッチャー政権は一九八〇年代に、それまで地方自治体・議員が持ってきた重要な権限を次々と取り上げ、地方に設立したクワンゴにそれらの権限を集中して、一八世紀と同様、任命された組織に法的政治的重要権限を与えた。それゆえ、それらのクワンゴにこの”新しい治安判事”という呼称が付けられたのである(”新しい治安判事”の詳細については、第四章第三節を参照)。
  また、それに引き続いて明らかになったのは、ウェールズでのクワンゴと保守党との結びつきであった。一九九二年の総選挙では、ウェールズ保守党は全ウェールズ議席三八議席中、六議席しか取れない少数政党であった。にもかかわらず、ウェールズ開発エージェンシーを中心として、以下の四人のように、保守党員や保守党への献金者が高給のクワンゴ・ポストを占めていることが判明した。

●デイヴィッド・ロウ・ベドゥ
    ▼  クワンゴでの役職
    ウェールズ開発エージェンシー議長、ルーラル・ウェールズ開発委員会議長。
    ▼  保守党との関係
    保守党員。一九九二年総選挙では、海外戦略委員会所属。保守党海外協会モナコ支部議長。
●マイケル・グリフィス
    ▼  クワンゴでの役職
    ウェールズ・カントリーサイド委員会議長、ウェールズ生涯教育基金カウンシルのメンバー、グラン・クライド地域総合病院NHSトラスト議長。
    ▼  保守党との関係
    保守党で活動。
●ドナルド・ウォルタ
    ▼  クワンゴでの役職
    前ウェールズ開発エージェンシー議長、ランドウ病院NHSトラスト議長、ルーラル・ウェールズ開発委員会委員、ウェールズ大学カーディフ・コレッジの評議会議長。
    ▼  保守党との関係
    保守党ユニオニスト協会国民連合会長。
●ジェフリー・インキン
    ▼  クワンゴでの役職
    カーディフ湾開発コーポレイション議長、ウェールズ土地当局議長。
    ▼  保守党との関係
    一九七九年総選挙候補者、一九八三年総選挙候補者次点。
(これら四者の経歴は、一九九五年当時)  
  また、これ以外に、一九九二年総選挙の保守党落選者のうち、二名が医療部門のクワンゴである医療当局で職につき、そのうち一人は議長であったこともウェールズの研究者によって明らかにされている(4)。また先述の四名の中でもっとも有名なデイヴィッド・ロウ・ベドゥは、もともとはモナコに根拠を持つビジネスマンでその職も引き続き務めながら、ウェールズ開発エージェンシー(NDPB)の議長として年収七万ポンド(約一四〇〇万円)の報酬を得ていた(5)
  そしてこうした保守党とクワンゴとの関係は、それだけに留まらなかった。一九九四年末までに、保守党議員の配偶者たち二十四人と、保守党の九二年総選挙落選者三十三人が、クワンゴの有給職に就いていたことが明らかになった。さらに、BBCの調査によると、保守党への献金者の方が献金をしない者よりも、三倍程度その職を得ることに成功してきたことが明らかにされた。実際、保守党に献金しつづけたマークス&スペンサー関係者が十二のクワンゴ・ポストについていたのに対し、同じデパート業でも献金をしなかったドゥベナムなどはゼロであった。ヴァージン系列のオーナーであるリチャード・ブランソンは、彼が宝くじのライセンスを取れなかったのは、彼が保守党に献金しなかったからだとインディペンデント紙に述べて話題となった。そして、最後に、もっとも高い給与をもらっていたクワンゴクラットとして有名になったブリアン・ショーは、ロンドン港湾局で一日に四〇〇〇ポンド(日給約八〇万円)をもらっていたことを付け加えておく(6)
  この当時、保守党の政治腐敗はこのクワンゴ問題に留まらなかった。グラハム・リディック、デイヴィッド・トレディニックは、議会の質問のために金銭を受け取ったことを認め、役職辞任と登院停止処分となった。また、ニール・ハミルトンは、ハロッズやホテル・リッツなどの所有者モハメド・アルファイドから金銭を受け取り、質問をしたと報道され、結局閣僚辞任を余儀なくされ、九七年総選挙では腐敗を批判されて落選した。その他、枚挙にいとまがないが、たくさんの汚職事件やスキャンダルの結果、メージャー政権は、一九九四年「公的生活における基準委員会」を立ち上げ、そこに対策を諮問することになった。そして、議長の名前から、ノーラン委員会と呼ばれたこの委員会は、九五年五月に、閣僚・議員・官僚の規範とクワンゴの運営規範を勧告した第一次報告を、翌年五月に、地方クワンゴにかかわる第二次報告を提出した。第一次報告にかかわっては、議員の利害関係の登録や議会外部からの所得の公開などが、保守党議員の大きな反発を買った。保守党では、首相であるメージャー自ら、ノーラン勧告に反対し、より穏健な特別委員会の勧告を受け入れようとしたが、結局、九五年十一月に、ノーラン勧告の主要部分は多くの保守党議員の反対と、多くの野党議員と少数の保守党議員の賛成によって議会で可決された(三二二対二七一(7))。
  ところで、一九七〇年代後半のクワンゴ問題を九〇年代のクワンゴ問題と比較したとき、九〇年代の場合には、単にそれが労働党による保守党政治批判という政党政治レベルでの批判には留まらなかったという大きな特徴がある。すなわち、クワンゴ批判が単なる反対党による攻撃ではなく、より普遍的な民主主義の向上というスタンスから行われるようになったことである。
  その代表であり、九〇年代にクワンゴ問題に関して、かなりの理論的かつ資料的な貢献をしたのが、『民主的監視』The Democratic Audit の人々である。『民主的監視』とは、様々な立場の政治家や研究者、市民によって構成されている団体で、英国政治の民主化を目的として活動している(8)。この『民主的監視』のリーダーであるスチュアート・ウェアとウェンディー・ホールが、EGO trip という報告書を一九九四年に刊行したが、この研究は英国におけるクワンゴ研究の記念碑的とも言える業績で、その後のクワンゴ研究の文献では必ず言及されている。
  こうした『民主的監視』の人々による研究をはじめとした様々な研究の論点を簡単に述べるならば、以下のとおりである。

●クワンゴの定義について、
  クワンゴの定義については、政府・研究者の間で一致がなく、とくに政府のクワンゴ定義は狭く、クワンゴの全体像を覆い隠しているという批判がある。
●クワンゴの数と支出について
  政府の数字によれば、クワンゴの数は減少しているが、それらのクワンゴ全体が使う費用については、年々増加し、一九九二ー九三年には、政府支出の実に三分の一近い四六六億ポンドにのぼっている。しかも、政府のクワンゴ定義から外れた部分で、クワンゴは増大している。
●クワンゴの役員・構成員について
  クワンゴの構成員がどういう人物たちか、どういう経歴や利害関係を持つ者たちなのか、遂行すべき役目との関係で適切かどうか、男女間・人種間などで差別や偏りがないのか。任用にあたって、公募は実施されているか。これらの諸点について、極めて多い問題点が指摘をされ、特に保守党政権下での党関係者の政治的任用が必ずしも適材適所ではなかったことが問題とされ、政治腐敗の要因であると指摘をされた。
●クワンゴの運営の透明性について
  クワンゴの会計監査にはどの機関があたっているか、構成員の利害関係・経歴や活動の運営の内容を記した年報などが発行されているかどうか、クワンゴ内部の会議などが市民に開かれているか、市民が出席できるかどうかなどが問題となった。
●地方自治体の権限・機能のクワンゴへの移管
  特に、政府がクワンゴと認識していない諸組織の多くが、それまでの地方自治体の権限・機能を奪う形で、サッチャー政権下で創設された。サッチャー政権下では、地方自治体の情報公開や民主化が徹底して行われ、地方自治体の民主主義の度合いは向上した。にもかかわらず、様々な権限・機能が運営・人事・会計などが極めて不透明な任命団体であるクワンゴに移管された。
  ところで、ド・モンフォール大学の行政学者トニー・ストットは、ウェアやホールら『民主的監視』などの学術的・民主主義的アプローチは別とすれば、こうした政党政治の中でのクワンゴ批判は、やはり、単なる与党攻撃のための材料という域を出ていないと考えている。彼は、保守党政権下である一九九五年の時点で、「野党時においては、政党はクワンゴや非選出諸団体を攻撃して、政権にいるときは、彼らの政策実行のためにそれらを道具として使う(9)」と述べるのであるが、実際、第四章・第五章・第六章で見るように、一九九七年以降のブレア労働党政府のクワンゴ改革を検討するとき、彼の”予言”がほぼ的中していることがわかる。

第三章  トニー・ブレア・労働党とクワンゴ問題


  第一節  ブレア労働党政権とコンセンサス・ポリティクス

  ここでは、クワンゴ問題をコンセンサス・ポリティクスの視点から考察するために、まずコンセンサス・ポリティクスという視点からのブレア政権の評価について、これまでどのような議論があったのか、見ていきたい。一九九七年五月、周知の通り、ブレア党首率いる労働党政権が発足した。しかし、この政権は、その発足当初からサッチャー・メージャー保守党政権との政策的差異が乏しい事が、(特に経済にかかわる分野では強く)指摘されてきた。
  それまでの戦後の労働党政権が比較的公的支出を増やし、大きな政府的な政策を実施してきたのに対し、ブレア政権は極力公的支出を抑える事に専心してきた。例えば、一九九九年、携帯電話認可をめぐって多額の臨時収入を得たときも、マスコミや一部世論の要望には従わず、政府の負債返済に当てた。二〇〇〇年一月のフル・クライシスの時には、九七年の政権発足以来、保守党政権時レベルの支出しかNHSに割り当ててこなかった事が暴露され、政府のNHSに対する冷淡な姿勢が明らかにされた。また、労働党政権は、二〇〇〇年、NHS医療のために、民間医療施設を使用する事を始めたが、それはまさに長年保守党が求めていた事であった。同年の燃料危機の際には、トラック労働者の抗議の中、ヨーロッパ諸国の中で最も重いガソリンに対する課税をしてきたことが浮き彫りになった。このことは、単にトラック労働者に対して政府が冷淡であったという事を現していたというだけでなく、車での生活に頼らざるをえない地方の国民や高齢者に対して、労働党政府は多くの税金の支払いを強制する事によって報いてきたことを明らかにしている。同様の例は枚挙すればきりがないが、要するにブレア労働党政権の経済政策全体が、それ以前には多かれ少なかれ、「大きな政府」であった労働党政権の路線から離れ、彼らの前政権であった保守党政権の路線をおおむね引き継いだ事を意味していた。
  したがって、こうしたブレア政権に関しては、英国の研究者の間からも、保守党と労働党との新たなコンセンサスの現れであるという指摘が相次いだ。例えば、政権発足当初の一九九七年に、コリン・クラウチは、「世界的にもっとも新自由主義的な政府のもっとも劇的な破滅が、新自由主義的なコンセンサスの到来を告げた」と、メージャー保守党政権からブレア労働党政権への移行を評しただけでなく、「新しい政治の境界線は、二〇世紀のはじめから馴染みの深いしるしによって仕切られていた、すなわち、コンセンサスのスペクトルは、右におけるナショナリスト新自由主義から、左における社会的新自由主義へと移行したのである」と、この政権交代を戦後史の大きな流れの中で把握しようとしている(10)。また、コリン・ヘイは、このブレア労働党政権を、戦後のコンセンサスを確立したと言われるチャーチル保守党政権(一九五一ー五五年)になぞらえ、また、メージャーからブレアへの政策的継続を、バトラーからゲイッケルへの政策的継続になぞらえて、「ブレージャーリズム」という言葉まで作り出している(11)。一九九八年には、ガーナー=ケリーは、ブレア政権においては、英国政治が五〇年代と同様再びコンセンサスの初期に戻ったという意味で、「振り出しにもどった」と述べ、その新しいコンセンサスを「社会的市場コンセンサス」と呼ぶことができると主張している(12)
  しかし、この傾向は、必ずしも英国に限ったことではない。程度の差こそあれ、欧米諸国でケインズ主義を経済政策の基本においている国が減ってきているのも、事実である。そういう意味では、一九九〇年代の先進資本主義諸国において、政権がとりうる経済政策のヴァリエーション一般が非常に少なくなってきていると評価することができる。しかし、こうしたコンセンサス・ポリティクスの展開を、さらにより一般的な視野から提起する意見もある。例えば、リチャード・ローズ=フィリップ・デイヴィスが「相続されたプログラムのコミットメントを各々の新しい政権が受け入れる理由は、あらゆる大陸の政府にとって共通である(13)」と述べたように、政権交代は必ずしも明確な政策展開を引き起こすものではなく、むしろ基本的な諸政策を継承していくものであるという理解も存在している。また、そうした理解は、アンソニー・ダウンズが述べたように、有権者の意見が左右両極には傾かず、中央に集まる傾向にあるときは、二大政党の政策も中央に集まる傾向があるという理解を土台にしている。
  ただし、一方で、こうした方向とは別に、労働党独自の政策もブレア政権では試みられている。それは、スコットランド議会・ウェールズ議会創設や、ロンドンにおける直接選挙による市長の創設などに代表されるデヴォリューション(権限委譲)である。こうしたデヴォリューションは、九七年総選挙及びそれ以後も、保守党は路線としてとっておらず、その点でブレア政権独自の路線といえよう(もっとも、スコットランド・ウェールズにおけるデヴォリューションの動き自体は、キャラハン政権下で試みられるなど、労働党内ではブレア政権以前から存在してはいた)。また、これらの分野は、経済政策からは相対的に独自な政治や政府の民主化の課題であり、それゆえブレア政権の独自性を発揮しやすい分野であった。ただ、しかし、これらの分野でも、ウェールズ議会第一相決定やロンドン市長選挙候補者決定に対するブレア自身による露骨な干渉は、ブレア政権に対する支持率に大きな影響を与えたし、政権の歩みは順風満帆なものではなかった。
  ところで、本論で問題としているクワンゴ問題も、こうしたデヴォリューションの問題と同じく、政府の民主化の課題であり、ブレア政権は経済政策における制限とは比較的かかわりなく改革を遂行できるはずの分野であった。しかも、次節に見るように、ブレアや労働党自体が、政権交代以前には保守党のクワンゴ運営をかなり批判し、いくつかの対案も明言していた。したがって、こうしたブレア政権下でのクワンゴ問題の展開を検討していくことによって、コンセンサス・ポリティクスや、政権交代と政策転換の関係一般の問題を考えていくことが可能であると考える。

  第二節  ブレア労働党のクワンゴ観

  ここでは、労働党党首ブレアと党自身のクワンゴ評価についてみていきたい。そして、それをもとにしつつ、後の節では労働党のクワンゴ改革について考えていきたい。そこで、さし当たって四つの政策文書を検討していきたい。それらは、ブレア自身が執筆した『新しい英国ー若い国についての私のヴィジョン』、労働党一九九七年総選挙マニフェスト『ニュー・レイバーー英国はもっとよくなるに相応しいから』、『第三の道ー新世紀にむけての新しい政治』、そして『道案内ー地方政府のための新しいヴィジョン』である。最初の『新しい英国』は一九九六年出版で、そこには政権に就く以前の党首ブレアの政権へのイメージが込められていた。九七年総選挙マニフェストは、ブレア個人が書いたものではないが、言うまでもなく、ブレア労働党の政権へのヴィジョンと公約が述べられたものである。『第三の道』は、政権就任約一年半後に出された政策文書であり、言うまでもなくアンソニー・ギデンスに大きく影響を受けたものである。そして、最後の『道案内』は、そうした第三の道の地方政治への具体化である。これらの政策文書を経年的に検討してわかることは、ブレアのクワンゴ問題に対する問題意識の明らかなトーン・ダウンである。ブレアのクワンゴ問題に対する言及は、『新しい英国』の時点では幾度にもわたり、しかもラディカルであったにもかかわらず、それは時が経つに連れて減少していくのである。
  まず、ここで最初に、『新しい英国』での言及を見ていきたい。『新しい英国』におけるクワンゴに対する言及は九回で、そのうち八個所を以下の通り翻訳した。残り一個所は、単なる事実に関する記述でブレアの考えがそこから汲み出せないと考え、訳出しなかった。

  1.「憲法については、我々は政府を集権化する意欲を拒絶するし、様々なマネージャーによるトーリーのクワンゴ国家を営むつもりはないー我々はクワンゴを取り除き、地方のサーヴィスに関しては、権力を地方の人々に返すつもりである(14)」。
  2.「あるいは、警察権力をクワンゴにうつすための三千万ポンド。その金を、警察を巡回させるために使わせよう(15)」。
  3.「政府は人々の近くに来るだろう。我々は、労働党政府の最初の年に、強いスコットランド議会、ウェールズ議会のため立法するだろう。そして、トーリー・クワンゴは適切な民主的統制の下に置かれるだろう(16)」。
  4.「私はクワンゴ国家を終わらせて、権力をそれが属するところー民衆の手ーに返すのは今であると言う。これは、権力をスコットランドやウェールズに委譲し、地方民主主義を再構築すること、議会を改良すること、そして政府に対する情報公開法(Freedom of Information Act)を意味する(17)」。
  5.「しかし、トーリーの腐敗を終わらせ、クワンゴ国家を葬り去り、大きな政府から権力を取り戻し、それを国民と共有するのは、今である。スコットランドは議会(Parliament)を持つであろう。ウェールズは議会(Assembly)を持つであろう。ロンドンは直接選挙された当局に、他の国の首都と同じく、統治されるだろう。将来、イングランドの地域が医療や教育、警察や交通に大きな発言権が欲しければ、そのとき、それも実現できる(18)」。
  6.「我々の挑戦は、女性に共通でかつ特別な優先事項や必要に対して語り掛ける政策アジェンダを発展させることである。いくつかの優先事項は彼女たちが男性と分け持っている。それは、長期的繁栄に対する投資、社会のしくみの再構築、犯罪との闘い、クワンゴ国家の民主化、海外における我々の評判の回復である。他のものは、彼女らが特殊な利益を持つ争点である。それは、雇用や福祉改革、そして公的サーヴィスのそれである(19)」。
  7.「そして、中央集権は効率的な政府に向かわない。実際にはその反対そのものである。人頭税、チャイルド・サポート・エージェンシー、あるいは公的サーヴィスの大部分を現在運営している、あらゆる種類の個々のクワンゴを見よ。それらはすべて中央政府からの負担である。中央集権は、権力の様々なセンターができるような創造的で革新的なエネルギーを解き放ちもしない。地方政府の復活は、それを真剣に考え決して諦めない他の人々や保守党員たちとも一緒に、理念と活動の新しい方法を提供できるのであり、それは、何も積極的なことを言わない人々のためにサンドバックとして取り扱われるよりもずっとよい(20)」。
  8.「我々はすでに、現在のいろんな委員会やクワンゴの寄せ集めに取って代わる、ロンドンの戦略的に相応しい官庁を考えている。私はまた直接に選挙で選ばれる市長を、少なくとも我々の首都や他の大都市では支持する。主として、政府による地方民主主義破壊のおかげで、多くの分野で市民の誇りの危険なまでの喪失があった。そして、これがそれを解決する私たちの道である(21)」。

  これらのクワンゴ問題に対するブレアの言及からわかることは、彼は警察や医療など様々な分野においてクワンゴに集中した権力を、デヴォリューションで設立されることになるスコットランド議会やウェールズ議会などを通じて地方政府に委譲しようとしていることである。そして、それは、スコットランド・ウェールズだけにとどまらない。1の引用に見られるように、クワンゴから地方への権限の委譲が、イングランドの地域に対しても考えられていた。そしてブレアがこう考えるわけには、先述したようなサッチャー政権下で進められた”新しい治安判事”の導入が背景にある。そして、ブレアはそうしたクワンゴ国家を終わらせ、地方の権限を再び地方に返すことをここで公言していたのである。
  ところが、その約一年後に労働党が発行した九七年総選挙マニフェストでは、こうしたクワンゴ改革に対する言及が大きくトーン・ダウンしている。実際、クワンゴに言及したのは、ただ四個所のみである。もちろん、先のブレアの著書と比べれば、マニフェストの総分量自体が大変少ないので、回数が減ったこと自体は決して不思議ではないが、その内容を見てもトーン・ダウンは否めない。言及は以下の通りである。

  「保守党は、民主主義の思想そのものに反対しているようにみえる。彼らは世襲貴族議員を支持し、アカウンタブルでないクワンゴと秘密主義的な政府を支持している(22)」。
  「ウェールズ議会は、現在のウェールズ省の機能に関する民主的統制を提供するであろう。それは第二次立法権を持ち、クワンゴ国家を改良し民主化する権限を特別に与えられるであろう(23)」。
「保守党は、クワンゴと政府の地域事務所を通じて一層構造の地域政治を作り出した。その一方で、地方自治体たちはもっと調和した地方の声を創りだすために、共同してきた。労働党は、運輸、計画、経済発展、ヨーロッパ基金への努力、そして土地利用計画を調整する地方立法機関の確立を通じて、こうした発展を増していくだろう(24)」。
  「今、政府からの補助金で維持されている学校は、すべての学校がそうであるように、労働党の提案で繁栄するであろう。保守党は労働党がこれらの補助金維持学校(Grant Maintained Schools)を閉鎖すると主張しているが、それは誤りである(25)」。

  ここでまず分かることは、『新しい英国』の時には、クワンゴに集中された権限を地方に返すという趣旨の言及があったが、総選挙マニフェストの段階では注意深くそういう言及が外されていることである。たしかに、三つめの引用からは、保守党のクワンゴ国家から地方政府重視という流れを読み取ることは可能であるが、それでもなお、『新しい英国』では存在した明確なクワンゴから地方政府への権限の委譲ということは述べられていない。
  一方で、ウェールズに関してはクワンゴ改革を行うに足る権限の移行を明言しているが、それも、ウェストミンスター議会での決定をくつがえせない第二次立法権の下での立法に制限されている。しかも、このウェールズ議会に対する二次的立法権への制限は、クワンゴの徹底的改革ないしは一掃を望む労働党議員を含む人々に大きな失望をもたらす結果となった。九八年のウェールズ議会創設の是非を問うレファレンダムでの勝利が僅差のものとなった要因の一つは、この第二次立法への権限の制限にあると言われている。
  また、四番目の補助金維持学校の維持に関する言及は、ブレア労働党のクワンゴ改革へのトーン・ダウンをよりいっそう明確にしている。この補助金維持学校とは、サッチャー政権によって考案された新しい学校で、学校は、父母の理事会の判断によって、地方自治体の影響下にある地方教育当局(LEA:Local Education Authorities)の支配から離脱(オプティング・アウト)することができ、国からの直接補助金による運営に移行できるというものである。地域によっては労働党支配の強い地方教育当局から学校を離脱させることによって、教育の質の向上とともに教育における労働党支配に打撃を与えるために考え出されたもので、ナショナル・カリキュラムと並んでサッチャーの教育改革の中心的な役割を担ったものである。つまり、補助金維持学校は、それが地方自治体による支配からの離脱の上に作られたことでもわかるように、ある意味で、”新しい治安判事”の象徴とも言えるであろう。したがって、マニフェストの中でこれを残すことを宣言することは、”新しい治安判事”の一部を残存させるということで、『新しい英国』の立場からは明らかに後退している。もっとも、後に見るように、この補助金維持学校は、ブレア政権下で新設された基金学校(Foundation Schools)に大部分は移行され、廃止はされなかったが、改革の対象となった。その内容については、第四章第五節で述べる。
  しかし、こうしたクワンゴ改革に対するトーン・ダウンは、政権就任後約一年後に発表された『第三の道』ではより明らかになっている。この中では、ついに一度もクワンゴについての言及はなかった。『第三の道』には、「活動的な政府ーパートナーシップと分権化」という節があり、それはブレアの第三の道にとっても一つの重要な柱でもあった。したがって、デヴォリューションや分権化一般に対して言及をされているのであるが、一方でクワンゴの問題に関しては一度も言及が無かった。また、そうしたクワンゴに対する事実上の無視は、『道案内』においてはよりいっそう顕著である。ブレアは、何度も補助金維持学校やNHSトラストなどに言及しながらも、一度もそれをクワンゴとしては語らなかった。ただ、一方で、彼はクワンゴ問題としては語らなかったが、事実上ブレア流のクワンゴ改革の視点を、次のように、明らかにしている。

「すべてを計画し調達してきた多目的な自治体の時代は過ぎ去った。そういう時代は終わったのである。公的な代理機関、民間企業、コミュニティー・グループ、そしてヴォランタリー・セクターなどとの協力において、地方政府の将来はある。地方自治体はなおサーヴィスを供給しつづけるであろうが、彼らの固有のリーダーシップは、さまざまな地方の構成員の貢献と共同していくことである(26)」。

  ここでは、「公的な代理機関、民間企業、コミュニティー・グループ、そしてヴォランタリー・セクター」と述べられているのは、クワンゴのことである。後に見ることになるが、地方クワンゴはさまざまな形態をとり、民間企業やヴォランタリー・セクターに近いものもある。つまり、ここでブレアが述べていることは、地方における議会制民主主義と対等な条件でクワンゴ(公的代理機関や民間企業)の存在を考えているということに他ならない。これは地方における民主主義に対して、良かれ悪しかれ、根本的な問題を提起している。
  これまで見てきたように、ブレア及び労働党のクワンゴに対する言及は、九六年・九七年・九八年と年を追うごとに弱まってきたし、最後の引用は、クワンゴの事実上の維持を宣言しているようでもある。そして実際、後に見るように、ブレアのクワンゴ改革はかなり穏健なものとなっていく。そういう意味では、九六年の『新しい英国』におけるラディカルな言及は、当時の世論・マスコミにおいてクワンゴ問題が大きく取り上げられたことに対するリップ・サーヴィス以外の何ものでもなかったとも言えるかもしれない。実際、政権就任以後のブレア労働党のクワンゴ問題に対する取り組みは、保守党政権期のそれと、根本的に変化したものとは捉えられない。
  以下では、そうした労働党政権下で、クワンゴ問題がどう取り扱われたのかを具体的に検討していきたい。

第四章  クワンゴをめぐる定義


  第一節  クワンゴという言葉

  クワンゴの一般的な定義は困難である。これがクワンゴ問題に関する様々な研究者の共通した結論である。クワンゴ Quango という言葉の発明者であるエセックス大学の行政学者アンソニー・バーカーに、「クワンゴを理解する鍵は、任命や年次報告のような諸点(それらは重要であるが)によって、クワンゴを数えたり、分類したりする努力を限定することである(27)」と言わしめるくらいである。そもそもクワンゴが何の略語かでさえ、実は一致はない(28)。例えば、バーミンガム大学のクリス・スケルチャーは、それを quasi−autonomous non−governmental organisation か、quasi−autonomous national governmental organisation のどちらかで、著者次第で違うと述べている(29)。クワンゴの日本語訳として広く英和辞典などで使われているのは、特殊法人という訳語であるが、直訳すれば、半自立的非政府組織あるいは、半自立的中央政府組織というところである。日本の特殊法人にも様々なものがあり、その実態が十分に把握されてこなかったことが、大きな問題になったことは記憶に新しいが、多様性という点では、英国のクワンゴは、日本の特殊法人を超えるといってよいであろう。なぜなら、単に、民間資本の多少、政府からの独立性の強弱という質的な多様性だけでなく、英国のクワンゴは日本における審議会や大学などをも含む非常に広範囲なものを、時として想定しているからであり、それだけに一律な定義は困難であるというのである。
  そこでここでは、とりあえず、いくつかの定義を紹介して、若干の検討をしたい。ところで、ブレア政権下でのクワンゴ改革に関する部分では、その資料の多くを、下院行政特別委員会『第六回報告 クワンゴ  第一巻ー議事録と報告に関する委員会手続き』Select Committee on Public Administration, Sixth Report Quangos:Report together with Minutes of Evidence and Proceedings of the Committee relating to the Report および、『第二巻ー証言記録』The Memoranda of Evidence に依拠したことを最初に述べておく(30)

  第二節  保守党政府および、労働党政府によるクワンゴ定義

  クワンゴを最も狭く定義する見方は、保守党政権下の八〇年にレオン・プリアツキーが行った定義であり、それは、その後保守党政府のクワンゴ定義として定着していく。それによると、NDPB(Non−Departmental Public Bodies)のみがクワンゴであると定義されている。しかし、この定義では、後述するように、類似の機能を持つ他の様々な団体が排除されてしまい、その数も財政規模も過小評価されてしまうという弱点がたびたび指摘されてきた。しかも、政府がクワンゴをNDPBであると定義することに問題があるだけでなく、この政府のNDPBの定義自体が非常にルーズなものであることが指摘されている。内閣府が毎年発行している年報『公的諸団体』Public Bodiesには、「省外公的諸団体(NDPB)は、中央政府のプロセスにおいて役割を持つが、政府の省でもその一部分でもなく、大臣から多かれ少なかれ距離を置いて柔軟に機能する諸団体である(31)」。しかしながら、当然、何を具体的にNDPBと見るのか、グレー・ゾーンにある諸団体をどう判定するのかという際に、さらに詳細な指標が必要となってくる。それについては、以下のとおりである。

●それが、非公式で場当たり的な集団というよりも、「団体」であるかどうか。それが公式な委託事項、定められた構成員、議長、議事録などをもっているかどうか。

●構成員の何人か、あるいはすべてが大臣によって任命されているかどうか。大臣による任命が多ければ多いほど、それがNDPBとなるに相応しい。

●大臣が究極的に、団体の実績やその継続的存在に責任を持っているかどうか。大臣がそれを解散させるときに、自身に従属する立法の下でそうする権限を持つか、また適切な場合には議会の承認の下で解散の権限を持つかどうか(32)

  そして、これらNDPBはその機能によって、次の4つのNDPBに分けられる。

●エグゼクティブNDPB
   これらの諸団体は、様々な行政的・調整的・商業的機能を遂行している。これらの団体は、法律の下で運営され、彼ら自身のスタッフを持ち、彼ら自身の予算に対して責任を持っている。年報『公的諸団体』では、三〇四団体が記載されている。また、各省ごとに異なるが、省によっては、国有企業や公的企業をも数として含んでいる場合もある。

●アドヴァイザリーNDPB
   これらの諸団体は、大臣の任命の下で、彼らや各省にアドヴァイスすることを役目としている。各分野の王立委員会がそれに当たる。一般的にこれらの諸団体は、各省から人的に支援されているが、支出は受けていない。年報『公的諸団体』では、五六三団体が記載されている。

●審判所NDPB
   この団体は、特定の法的領域に関する審判に関する組織で常任の委員によるものと、非常任の委員からなるものに別れている。各省の管轄の下にあり、そこでの紛争処理を担当している。年報『公的諸団体』では、六九団体が記載されている。

●訪問者委員会
   この団体は、刑務所などの刑事施設に対する訪問者委員会で、イングランド・ウェールズ・北アイルランドにおける刑事施設に対する訪問者委員会からなっている。年報『公的諸団体』には、一三七団体が記載されている(33)

  今度は、そのNDPBの数についてであるが、表1をみれば、NDPBの数が一貫して減少してきているのがわかる。一九七九年のサッチャー政権は、その公約の一つとして、クワンゴの削減をうたっていたが、そういうサッチャー政権の成果の現れとも言える。しかし一方で、表2に見るように、その支出額は、インフレ率を差し引いても、一貫して増えつづけてきたことも明らかである。
  しかし、こうした政府の見解によって、何がNDPBなのかという定義が必ずしも実践的には明らかになってはいない。実際には、あるNDPBに極めて類似した別の団体がエグゼクティブ・エージェンシーであったり、他の機関であったりするからである。例えば、オックスフォード大のヴァーノン・ボグダノフ教授は次のように言う。

「NDPBとエグゼクティブ・エージェンシーのリストを比べれば、特定の団体が他でもなく一つのカテゴリーに入る理由を発見することが、しばしば困難である。例えば、なぜ、ヒストリック・スコットランドはデヴォリューションまではエグゼクティブ・エージェンシーであったのに、イングリッシュ・ヘリテイジはNDPBなのか。なぜ、フォレスト・エンタープライズはエグゼクティブ・エージェンシーなのに、フォレスト・コミッションはNDPBなのか。なぜ、ロイヤル・パーク・エージェンシーは、エグゼクティブ・エージェンシーなのに、カントリーサイド・コミッションはNDPBなのか(34)。」

表1  1979年から1996年にかけてのNDPBの数・人員・支出額の変遷

エグゼクティブ
NDPBの数
エグゼクティブ
スタッフの数
アドヴァイザリー
NDPB の数
審判書
NDPBの数
訪問者委員
会の数
NDPB
全体の数
1979 492 217,000 1,485 70 120 2,167
1982 450 205,500 1,173 64 123 1,810
1983 431 196.700 1,074 65 121 1,691
1984 402 141.200 1,087 71 121 1,681
1985 399 138.300 1,069 65 121 1,654
1986 406 146.300 1,062 64 126 1,658
1987 396 148.700 1,057 64 126 1,643
1988 390 134,600 1,066 65 127 1,648
1989 395 118,300 969 64 127 1,555
1990 374 117,500 971 66 128 1,539
1991 375 116,400 874 64 131 1,444
1992 369 114,400 846 66 131 1,412
1993 358 111,300 829 68 134 1,389
1994 325 110,200 814 71 135 1,345
1995 320 109,200 699 73 135 1,227
1996 309 107,000 674 75 136 1,194
1997 305 106,400 610 75 138 1,128
1998 304 107,800 563 69 137 1,073
1999 306 108,400 544 69 138 1,057


Source:Cabinet Office, Public Bodies 1999 (The Stationery Office, 1999), p. 171.

表2  クワンゴによる支出(1978-95)

78-79 82-83 83-84 84-85 85-86 86-87 87-88 88-89 89-90 90-91 91-92 92-93 93-94 94-95
エクセクティブNDPB
17,940 17,870 12,510 12,710 12,780 13,700 13,510 12,610 14,870 15,170 15,010 16,160 18,680 20,840
イングランド
水道局
4,640 4,750











北アイルランド
NDPB
1,120 1,160 1,160 1,180 1,180 1,180 1,150 1,120 1,070 1,030 1,520 1,540 1,550 1,560
合    計 22,580 25,800 26,500 27,900 21,970 21,610 22,160 22,810 24,260 24,080 24,950 26,310 29,640 33,100
都市技術コレッジ





2 19 39 67 61 53 51 51
補助金維持学校








12 24 63 145 223
技術事業カウンシル









1,438 1,340 1,344 1,329
職業サーヴィス会社












35
警察当局












3,264
全体 41,640 44,830 40,170 41,790 35,930 36,490 36,822 36,559 40,239 40,359 43,003 45,456 51,410 60,402

Source:Stuart Weir & Wendy Hall, The Untouchable (The Scarman Trust, 1996), p. 7.
数字は,百万ポンドで,1994年を基準に調整された値である。




  つまり、NDPBは、何かの機能や役割に関する理由で作られたものではなく、まさに政府が法律でNDPBとしたからNDPBとなったものである。そして、なぜ、政府がある特定の諸団体をNDPBとしたのかということは、英国が慣習法の国で様々な経過を経て、あるものは政府の枠内にとどまり、結果としてエグゼクティブ・エージェンシーになったり、あるものは政府の外になりNDPBになったりと、その分類の理由を決して機能や役割で説明できるものではない。
  したがって、特別委員会は次のように勧告する。

「NDPBが存在するには、たくさんの多様な方法がある。そして、それが設立される方法も様々である。しばしば、こうした多様性に対する合理性は理解するのが困難である。我々は、内閣府がNDPBをもつ各省に対して、ガイダンスを改訂することに注目している。どんな種類の団体が、NDPBとして設立するに相応しいか、何が他の形態に相応しいかについての詳細を、そのガイダンスが含むことを薦める」。

  また、問題なのはそれだけではない。政府は、先述のように、NDPBやNHS諸団体に関して年報『公的諸団体』を毎年出しているが、その年報にはいくつかの誤記が含まれているという。例えば、ある団体は無給であるのに、一年に三十億ポンドが人件費として支払われていると書かれている。また、統計も信頼できない。

「例えば、統計の要約で公表されているNDPBの総数には、通産省は国有企業を含み、スコットランド省、環境・運輸・地域省、ウェールズ省、そして農業省は国有企業も公営企業も含まない。(政府が国有企業や公営企業をNDPBと見ているのかどうかは、その報告書の序章からは不明である)。エグゼクティブ及び、アドヴァイザリーNDPBを数える際には、その数は一連の諸団体の各々を含んでいる(例えば、ウェールズ省の下にある六つの農業賃金委員会はその数に含まれている)のに、それが審判所の数を数える時には、それぞれのタイプの審判所ごとに一つだけが数えられている(例えば、四つのウェールズ・ヴァリュエイション審判所は個々に数えられていない)」。

  その上で、特別委員会は、「政府が年報の価値と目的、そしてそこにおける情報の質と説明を、再検討することを薦める」と結んでいる(35)
  しかし、何よりもこの定義の捉え方ークワンゴをNDPBに限定する捉え方ーが持つ問題点は、九〇年代にクワンゴとして議論され、問題点を指摘されてきた多くの組織がクワンゴの算定から除外されてしまうことである。その中でも、政府以外のほとんどすべての研究者たちが共通して指摘してきたのは、先述した”新しい治安判事”の問題である。一九九三年にクワンゴが問題になる以前は、いわゆる”新しい治安判事”に該当する諸団体は、ほとんど政府の文書や統計においても無視されてきたが、保守党政権下の九六年に、いわゆるノーラン委員会の第二次報告で、そのいくつかが”地方公的支出団体”Local public spending bodies として定義され、その後は政府文書でもこの用語が使われるようになる。ノーラン委員会レポートによれば、「地方公的支出団体とは、その委員が選挙で選ばれることはまれで、かつ大臣によって任命されていない『非営利』団体である。それらは公的なサーヴィスを提供し、それはしばしば地方レベルで行われ、主にあるいはすべてが公的に出資されている(36)」。具体的には、以下のような組織を指して言われる。

●大学を含む高等および生涯教育機関
●補助金維持学校
●イングランド・ウェールズにおける訓練事業カウンシル(TECs:Trainings and Enterprise Councils)とスコットランドにおける(Local Enterprise Companies)
●登録された住宅協会(Registered Housing Associations(37))、


表3 1998年の英国のクワンゴ

  団 体 数 任命された人員数
エグゼクティブNDPB 304 2,742
アドヴァイザリーNDPB 563 6,780
審判所NDPB 69 19,882
訪問者委員会 137 1,823
地方公的支出団体 4,534 65,000-73,000

Source: Select Committee on Public Administration, Sixth Report: Quango, p. xviii.


  これらの地方公的支出団体の機能、法的地位、そして他の諸団体との関係は、先のNDPB以上に多様である。訓練事業カウンシルと地方事業会社は、民間に近い会社組織であるし、住宅協会はもともとはヴォランタリー・セクターである。大学は憲章により組織されているか、議会の法律によって組織されている。その他の生涯教育の組織は制定法の下で組織されている。
  ところで、地方公的支出団体の数は、表3にあるように、NDPBの数を圧倒している。すなわち、こうしたクワンゴの多数派を地方公的支出団体という名前で、政府が認識し始めたことは、一つの前進を意味していることは間違いない。しかし、依然として、保守党政権時代から労働党政権にいたるまで、政府はこれらをクワンゴとしては認めていない。後に言及する一九九七年の『クワンゴの公開』Opening up Quangos は、労働党政権で出されたものであるが、こうした地方公的支出団体は極めて従属的にしか取り扱われていないし、依然としてクワンゴとは見られていない。したがって、二〇〇〇年に至るまで政府はこれら地方公的支出団体全体を改革の対象にしてこなかった。また、この地方公的支出団体という定義も問題を持っている。なぜならば、この地方公的支出団体という分類は、そうした批判の中でももっとも大きかった”新しい治安判事”と呼ばれる地方の任命諸団体を、十分にカバーしきれていない。

  第三節  『民主的監視』のクワンゴ定義


  地方における任命諸団体がなぜ”新しい治安判事”と呼ばれるかについては、先述したとおりであるが、その具体的な内容は以下のとおりである。

●サッチャー政権下の一九八九年に地区医療当局(DHA:District Health Authorities)や家庭医療サーヴィス当局(FHSA:Family Health Service Authorities)から地方自治体代表は排除される。九六年からは、地区医療当局や家庭医療サーヴィス当局は廃止され、各地方の医療当局 Health Authorities に医療の管理は一括して担われることになるが、ここからも地方自治体の代表は排除される。一九九〇年以後の医療当局はいかなる地方自治体代表をも権利としてもっていなかった。

●病院やコミュニティー・サーヴィスによる供給を管理するためのNHSトラストの創設。一九八九年の改革の結果、NHSの病院は国の機関から切り離され、NHSトラストとなり、国という医療の購入者に対する供給者としての役目を持つこととなった。

●地方レベルで機能を行使するための技術事業カウンシル(Training and Enterprise Councils)や地方事業会社(Local Enterprise Companies)の創設。技術事業カウンシルはイングランドおよびウェールズの職業訓練や事業支援を担当し、地方事業会社はスコットランドのそれを担当している。これらの諸組織は、それまでの地方自治体当局の活動を統合して創られたか、ないしは、そうした地方自治体の活動に重なっている。

●職業サーヴィス会社(Career Service Companies)は、地方自治体、企業、その他のパートナーシップによって形成され、各々の地方のおける職業サーヴィス供給を請け負う。以前は地方自治体の一部であった。

●生涯教育コレッジやシックス・フォーム・コレッジに対する責任を、地方教育当局から理事の自己任命の委員会へと移した。

●学校は、地方自治体の影響を強く受けた地方教育当局管轄から、父母の理事会の判断によって離脱することができるようになった。離脱した学校は、補助金維持学校となって、政府の補助金を直接受けて運営されるようになった。

●従来の地方自治体に変わって、住宅協会(Housing Associations)が、住宅供給にあたってますます大きな責任が与えられるようになった。

●住宅事業公団(Housing Action Trusts)や都市開発公社(Urban Development Corporations)は特定地域の都市再生のために、地方自治体の諸権限を移管して創設された。

●地方自治体によるメンバーシップが大多数を占めた地方の警察当局(Police Authorities)の廃止。地方の警察当局は、以前、構成員の三分の二を地方自治体が選び、三分の一を治安判事が選んでいた。新しい警察当局は一七人の構成員のうち、地方との相談を前提に五人が内務大臣によって選ばれ、九人が地方自治体によって選ばれ、三人が治安判事によって選ばれる。地方自治体が選ぶ構成員は何とか過半数を維持したが、内務大臣は警察当局の予算に強い権限をもつようになった(38)
  これらの大半は、サッチャー政権期になされたものであるが、サッチャー政権が、こうして地方において非選出・

表4  全EGOの数(1994・96年)

1994 1996
エグゼクティブNDPB 350 301
政府非認識の北アイルランドNDPB 8 8
NHS諸団体 629 788
アドヴァイザリーNDPB 829 674
政府非認識地方クワンゴ 4,534 4,653
職業サーヴィス会社
91
都市技術コレッジ 15 15
生涯教育協会 557 560
補助金維持学校 1,025 1,103
高等教育コーポレーション 164 175
住宅協会 2,668 2,565
地方事業協会 23 22
地方警察当局
41
技術事業カウンシル 82 81

6,350 6,424

Source:Stuart Weir & Wendy Hall, The Untouchable (The Scarman Trust, 1996), p. 5.


任命団体であるクワンゴを次々と設立した理由の一つには、労働党が支配する地方自治体に対する敵意があったことは明らかである。例えば、彼女の回顧録では、「地方教育当局のコントロールから離脱して補助金維持学校に最もなりそうな学校は、独自性の強い学校、特定の科目を専門的に扱うことを望む学校、そして自らのイデオロギー的優先事項を課することに熱心な左翼地方自治体の掌握から離脱したがっている学校たちであった(39)」と、補助金維持学校創設の動機の一つが地方労働党政府攻撃であったことを明言している。また、サッチャー政権下では、住宅供給を地方自治体の手から住宅協会に移すことを実行したが、これについても「そうすることで、改革案は、社会主義の下で成長してきた硬直したシステムからの大きな離脱を達成した(40)」と、地方労働党政府攻撃の一環であったことを彼女は明言している。このような中、サッチャー政権下で彼女の当初の公約に反し、地方クワンゴが激増してくるのである。つまり、地方にあり、地方行政を担当しているにもかかわらず、地方自治体の管轄にないどころか、多くの場合それとは全く切り離されている、これら地方クワンゴの存在こそが、英国における地方政治の根本的な問題を告発しているのである。
  『民主的監視』のウェアやホールは、エグゼクティブNDPB、アドヴァイザリーNDPB、NHS諸団体、そして大部分の地方公的支出団体を含む”新しい治安判事”と呼ばれる諸団体を含めてクワンゴとして捉えている。また、”新しい治安判事”のようなクワンゴは、政府非認識地方クワンゴとして捉えられている。それらは、具体的には表4のように、職業サーヴィス会社、都市技術コレッジ(City Technology Colleges)、生涯教育コーポレーション(Further Education Corporations)、補助金維持学校、高等教育コーポレーション(Hither Education Corporations)、地方事業会社、地方警察当局、技術事業カウンシルである(41)。ただ、正確に言うと、彼らはこれらの諸団体ー政府認識団体から非認識の団体までーを呼ぶ際に、クワンゴという言葉は使っていない。使う人々によって意味の異なるクワンゴという言葉を使うよりも、彼らは新しい言葉を自ら作り、これらの諸団体をEGO(Extra Government Organisation)と呼んでいる。彼らによれば、そのEGOとは、「それらは、公的機能を遂行し、公的サーヴィスを提供するために作り出されたものであり、主として政府によって資金をまかなわれており、政府の方向の下で活動し、それらを運営する委員会は直接選挙されていない(42)」と規定されている。それらの数は表4のようになる。

  第四節  その他の定義


  ここまでのところで、主として政府の見解と『民主的監視』の見解を見てきたが、先にも述べたように、クワンゴの定義を明確に下すことが困難であることから、何がクワンゴであるかということに関して、さらにいくつかの団体に関する分類で意見が分かれる。
  たとえば、ネクスト・ステップス・エージェンシー(エグゼクティブ・エージェンシー)については、ほとんどの研究者がそれをクワンゴから除外するが、マシュー・V・フリンダースは、「クワンゴの世界は、ネクスト・ステップス・エージェンシーから技術事業カウンシル、そしてコントラクティング・アウトから民営化までの連続体であると見るべきである(43)」と述べて、ネクスト・ステップス・エージェンシーはおろか、その範囲を最大限に広げている。ただ、こうした意見は少数派である。先のウェア=ホールのような『民主的監視』の人々も、エグゼクティブ・エージェンシーとクワンゴの類似性を指摘はするが、決してそれをクワンゴには分類していない(44)
  ところで、英国におけるエグゼクティブ・エージェンシーとクワンゴとは、こうした研究者の間でもしばしば混同されたり、区別されなかったりするので、ここで両者の区別を明らかにしておきたい。とにかく、両者を分かつ唯一の契機は、各省との関係である。クワンゴは、各省の外にあるのに対して、エグゼクティブ・エージェンシーは各省の一部である。クワンゴは、技術事業カウンシルや地方事業会社のように、民間の会社組織に近いもの(実際、保守党政権下ではそれゆえクワンゴとしてカウントされていなかった)があるなど、たとえ担当の省の政策を実施したり、資金をもらったりしても、依然として、省の外にあり、したがって構成員は公務員ではない。それに対して、エグゼクティブ・エージェンシーは各省の中にあり、チーフ・エグゼクティブを公募で募集しようと、人事その他にかなりの自由度を与えられようと、構成員は公務員である。そして、それゆえ、『民主的監視』なども、エグゼクティブ・エージェンシーをクワンゴとしては分類していない。ただし、彼ら『民主的監視』の人々も、クワンゴとエグゼクティブ・エージェンシーの類似性については認めている。例えば、スチェアート・ウェアとディヴィッド・ビーサムは、そもそもNDPBは担当省から”距離を置いて”機能するために創られたものであるのに、保守党政権下では政府の政策を政府と緊密な関係で実行するタイプのクワンゴが増加してきていることを指摘している。そして、そういうクワンゴの中には、エグゼクティブ・エージェンシーと同じく、執行計画書(Framework Document)を提出して、政府の政策の執行部分を担当するものもある。したがって、ウェアとビーサムは、クワンゴとエグゼクティブ・エージェンシーは、「実践的には区別不可能で」であり、多くのクワンゴが「エージェンシー・タイプ・クワンゴ」となってきていることを認めている(45)
  また、一方、ブレア政権においてその数が増加して注目されている”タスク・フォース”Task Forces をクワンゴに分類するかどうかでも意見は分かれる。このタスク・フォースは、首相や閣僚たちの依頼に基づき構成される政策の審議機関であり、主として政府部外の人間を巻き込んで構成されているが、彼らはアドヴァイザリーNDPBの構成員のように雇われてもいないし、したがって、NDPBには適用される構成員任用手続き(第六章を参照)なども、何も適用されえないと言われている(46)。ブレア政権の内閣府(Cabinet Office)は、それらを特定の問題について十二ヶ月以内に答申し、その後解散する一時的なものであり、アドヴァイザリーNDPBのような公的なものではないとし、数さえ把握していない。しかし、実際には、若年者雇用のための政策を検討しているニュー・ディール・タスク・フォースは当初から二年の予定で作られ、一九九七年十二月にはアドヴァイザリー・NDPBとして分類しなおされている。他にもいくつかの類似したケースがあり、したがって、下院行政特別委員会の第六回報告では、これらのタスク・フォースもクワンゴとして数に含んでいる。しかし、一方で、このタスク・フォース問題の第一人者であるアンソニー・バーカーは、これらのタスク・フォースをクワンゴとして分類することには反対している。というのは、バーカーによれば、タスクフォースは、上記のように、アドヴァイザリーNDPBのような公的団体ではなく、まったくインフォーマルに集められた短期的なグループであるということであった。これらのタスク・フォースは、ブレア労働党の”(官民の[筆者])共同政府(Collaborative government)”の構想の下、政権発足直後から増大し、その数は三〇〇に近づいてきたが、その数やメンバー、委員の任用過程、審議結果などの多くが明らかにされておらず、政府にとって重要な役割をしているにもかかわらず、アカウンタブルな存在となっていないと批判されてきた。しかし、一九九九年にバーカーの『タスク・フォースの支配』が出版され、その数やメンバーに関しては明らかになった。

  第五節  ブレア政権下でクワンゴは改廃されたか?


  ところで、このようにクワンゴのさまざまな定義を概括してきたが、こうした定義や数や分類において、労働党政権はそれ以前の保守党政権とは異なった態度をとり、改革をすすめてきたであろうか。定義や数や分類に関して言えば、答えはノーである。
  例えば、定義に関しては、保守党政権がNDPBのみをクワンゴといってきたことは先に説明したが、労働党政権も基本的にその見方を変えているわけではない。一九九七年のコンサルティング・ペーパー『クワンゴの公開』では、依然として、クワンゴはNDPBに限定されており、労働党政府のクワンゴ改革もNDPBに限定されている。ただ、『クワンゴの公開』の中では、年報『公的諸団体』がそれまで取り上げてこなかった”地方公的支出団体”を取り上げるべきであると提言していたし、実際九七年の年報『公的諸団体』の付記において実際”地方公的支出団体”は取り上げられるようになった(47)。しかし、付記での、たかだか見開き二ページ程度の言及のみがブレア政権に変わってからのクワンゴの定義に関する変化であると言える。また、それも労働党政権になってからの変化ではあるが、一方で保守党政権下のノーラン委員会以来の一貫した流れの下で地方公的支出団体に言及されたのであって、必ずしも政権交代の効果であると断言はできない。また、地方公的支出団体には入っていない他の”新しい治安判事”は、労働党政権になっても無視されたままである。
  数に関しては、『クワンゴの公開』では、「現在のNDPBは、その団体の機能がまだ必要であるのかどうか、もし必要ならそれらがNDPBによって担われるべきであるのかどうかを確証するために、厳格な五年毎の検討を受けるであろう」と述べられており、実際、それ以後すべてのNDPBは5年ごとの存続の審査を受けることになった。しかし、一方で、同じ『クワンゴの公開』では、「(クワンゴの)多くは、現在の形か、改良された形でか、統合された形で残りつづけるであろう(48)」と述べたり、「この政府は、クワンゴの数を必要と考えられるレベルに維持していくことを、決意している(49)」と述べたりするなど、事実上その数の維持を宣言している。実際、表1に見られるように、ブレア政権になって以来、保守党政権下で続いてきたクワンゴの数の減少は、事実上ストップしている。さらに、『クワンゴードアを開こう』Quangos:Opening the doors では、「新しいNDPBが設立されるのは、それが、与えられた機能を実行する上で、もっともコスト面で効率的で適切な手段であるということが、示しうる場合のみである(50)」とされているが、下院行政特別委員会の報告によれば、一九九九年に「このほとんど二年間の間に、内閣府は三三のNDPBを廃止し、”将来の廃止のため”三五を”目標としている”。内閣府は、三四の新たなNDPBを設立し、さらに十六の設立を表明している(51)」。
  こうした数の面での改革の不徹底を批判して、次のような研究者の意見も上っている。

「一九七九年の保守党政権と同じく、現在の労働党政権はクワンゴの改革を約束して、政権として選ばれた。しかし、今までのところ、政府のクワンゴに対するアプローチには、失望している。労働党政権は、一九七九年に彼らが政権から去ったときとは根本的に異なる公的セクターを受け継いだ。そして、国家の複雑性を考慮する必要性は、無理からぬことだが、迅速な行動より用心深く行動する気持ちを駆り立ててきた。しかしながら、労働党政府は、一連の新たで強力なクワンゴを作り出したし、さらに作り出す計画を宣言している。いくつかの団体が廃止される一方、合併が頻繁になった。例えば、ウェールズでは、ルーラル・ウェールズ開発委員会、ウェールズ土地委員会、ウェールズ開発エージェンシーの諸機能は、ウェールズ経済開発エージェンシーと呼ばれる一つの団体に移された。多くの政策分野では、差し迫った問題に対する政府の対応が新しいクワンゴを作り出した。例えば、北アイルランドでは人権委員会、NHSではプライマリー・ケア・グループ、環境分野では、地域開発エージェンシーと田園地域エージェンシー、交通では、戦略的鉄道エージェンシー、芸術面では英国映画エージェンシーが作られ、福祉改革でさえ、低賃金委員会という形で新しいクワンゴが生み出された」(M・V・フリンダース、D・リチャード、M・J・スミス(52))。

  また、五年毎のNDPBの見直しについても、行政法学者ノーマン・ルイスは、それを「充分にオープンではなく、参加という点でも充分でなく、はっきりと認識され合意されているガイドラインに対して行われているわけでもなく、結局は充分に合理的でもない」と述べている。ただ、同時に彼は、「もしその過程が適切にオープンになれば、……公的サーヴィスの供給にとって最適な制度的形態での効果的討論が生み出されるであろう」と評価している(53)。クワンゴの改廃という点では、ウェアやスケルチャーらが合衆国のいわゆる”サンセット方式”を高く評価している。このサンセット方式は、すべての公的諸団体に期限をつけて、それを存続させる場合には、その存続の理由を明らかにしなければならないものである。ただ、ウェアもスケルチャーも、これを英国で導入する際には、英国の立法とクワンゴの関係が障害になるであろうと指摘している。なぜならば、英国におけるクワンゴは、上述のとおり、NDPBだけでさえ、様々な法律や様々な経過で作られており、その評価のための共通した基準を作ることは、極めて困難だからであると述べている(54)
  ところで、ブレア自身の著書やマニフェストで言われているように、クワンゴの改革は、スコットランドやウェールズへのデヴォリューションに分かちがたく結びついている。しかしながら、権限を委譲されたスコットランドやウェールズの議会が、それまでクワンゴにあった権限をどう処理するのかは、形式的には首相としてのブレアの権限から離れた。また、一九九八年に創設されたスコットランド・ウェールズ議会下でのクワンゴ改革を評価するために適切な材料はまだない。したがって、スコットランドやウェールズの分権化の課題と、クワンゴ改革との関係を明らかにすることは、後日の課題とする。ただし、一言だけ触れるならば、NDPBの数に関して言えば、スコットランドやウェールズにおいても減っておらず、そこでもクワンゴ改革が十分に進んでいるとは言いがたい。
  また、先に引用したブレアの著書における発言にもあったように、ブレアは自らの著書『新しい英国』の中で、サッチャー政権下で地方自治体からクワンゴに移された権限を、元に戻す旨を表明していたが、その点は、どうなったのか。
  まず、NHSについてであるが、ブレア政権は一九九七年五月に発足した後の九月、英国全体のNHSトラストのうち、その三〇を統合し十六にすることを表明し、実行した(55)。十二月には、医療相フランク・ドブソンはNHSトラストの運営委員会に地方コミュニティーの代表者を増やす方向を明らかにした(56)。さらに同じ年、白書『新しいNHS』を発表し、その中でNHSの”内部市場”を終わらせることを宣言し、サッチャー政権期に導入されたGP基金を廃止することを明言し、九八年末に議会を経てそれを廃止した。このGP基金とは、一定数以上の患者を集めるGP(General Practitioner)と呼ばれる家庭医に政府から基金を与えるもので、GP間の競争を促進することを狙ったものであった。しかし、この結果、GPの間に格差がつき、それが次第に事実上患者間の格差へと移っていった。とくに、少なくないGPが多くの患者を集めるために、GPが自らの患者の手術を優遇するように動いた。このため、基金のないGPの患者はNHSで当時から恒常化していた手術の順番まちで不利に扱われた(57)。労働党政権は、このGP基金に関してだけは、直ちに廃止に移した。しかし、一方で、ある程度の地域ごとに、複数の家庭医・看護婦からなるプライマリー・ケア・グループという新しいクワンゴを設立した。また、さらに他方、サッチャー改革の大部分は温存させた。とくに、サッチャー改革の基本となったNHSにおける購入者(医療当局やGP)と供給者(NHSトラスト)の分離は温存した。白書『新しいNHS』では、健康改善プログラムにおいて医療当局、NHSトラスト、プライマリー・ケア・グループ、そして地方自治体がともに地方における医療の主体として協力していくことを明記し、地方政府主席行政官(Local Authority Chief Executives)は医療当局の会議に参加することになった(58)。しかし、これについても、研究者の間では、選挙で選出された地方議員ではなく、地方政府主席行政官が医療当局の会議に出席するのでは、地方の民主主義の医療システムに与える影響を増す上で、不十分であると述べられている(59)
  教育の分野については、サッチャー政権下で補助金維持学校が設立され、ブレア政権下ではそれらの大部分が基金学校に移行させられたことは第二章で述べたとおりである。こうしたブレア政権での補助金維持学校の基金学校への移行に関しては、「地方教育当局(Local Education Authorities)に大きなコントロールを与える」ものとして評価され、「非選出地方代理機関からのシフトを示しているようである」と言われている。実際、基金学校に対しては、保守党政権下と同様に、国からの補助金が充てられるが、その権限が地方教育当局に与えられ、地方自治体の影響力が強まった。
  ただ、一方では、同じくブレア政権下で導入されたアクション・ゾーン(Education Action Zones)は、地方の民主主義から教育を離れさせていると批判されている。このゾーンは、とくに教育面で遅れた地域で外国人や貧しい層の集まった地域の向上を目指して、父母、学校、コミュニティー諸組織、技術事業カウンシル、地方の企業、そして地方教育当局の代表によって対策を練るという試みである。そして、必要な場合には、ナショナル・カリキュラム実施の変更、登校日数の変更、そして教師の解雇などのラディカルな手段が実行可能とされている。しかし、これらの試みは、地方の民主主義との関係では地方教育当局の発言権が弱まり、マイナスであるという指摘がある(60)
  こうして、ブレア政権下でのクワンゴ改革を、とくにその数や組織的編成などに関して見てきてみると、その内容は、たしかにドラスティックとはいえないであろう。医療においては、医療当局とNHSトラストとの分離を継続したり、教育においては基金学校という名前で補助金維持学校の存在はほぼ維持されていたりしている点で、ブレア政権下でのクワンゴ改革は、抜本的というよりは部分的な改革ないしは改良といった方が妥当であろう。

第五章  クワンゴのアカウンタビリティー




  第一節  NDPBのアカウンタビリティー


  ここでは、クワンゴのうちの一つと見られているNDPBのアカウンタビリティーに関して、考察していく。NDPBのアカウンタビリティーといった場合、単純に考えても、三つのケースが考えられる。第一に、NDPBの大臣に対するアカウンタビリティーである。NDPBは、先にも述べたように、各省の政策を実行することが任務である。したがって、そこにおいては、NDPBの職務の遂行状況が、各省とその大臣にとって明らかでなければならない。
  しかし同時に、議院内閣制の関係から大臣は議会に対して責任を負うし、政府の資金を使い、政府の政策を実行するNDPBは、当然議会の統制を受けなければならない。したがって、第二に、NDPBは、議会に対してもアカウンタビリティーを負わねばならない。
  もちろん、大臣・議会に対するアカウンタビリティーも、理論的には、それらを通して国民に対するアカウンタビリティーとなるわけであるが、国民が直接NDPBの情報・運営を知ることも、重要なことである。実際、多くの先進諸国では、議会政治の長い伝統があるにもかかわらず、その議会と国民の意識が乖離することがたびたびある。したがって、第三に、当然その主権者である国民に対しても、NDPBはアカウンタビリティーを持たねばならない。
  (一)  大臣・議会に対するアカウンタビリティー
  そこで最初に、NDPBの大臣に対するアカウンタビリティーについて考察する。NDPBは、第四章第一・二節の定義に関する部分でも述べたように、「大臣から多かれ少なかれ距離を置いた」諸団体であると言われてきた。大臣に非常に近い方が効率的であるなら、各省の中に配置されるか、エグゼクティブ・エージェンシーにした方がよいし、大臣から非常に離れていて、公的機能がそれでもなお発揮できるならば、NDPBがその機能を担う必要もない。しかし、実際には、大臣たちは進んでNDPBを緊密に指導したり、それを厳しく監視したりすることも多いという。大臣からのアカウンタビリティーの確保としては、マネージメント・サポートやパフォーマンス・ターゲットの設定などにより追及されることもある。そして、大臣はこうした情報を下に、すべてのNDPBを五年ごとに存廃を含めて見直している。なお、行政の一般的監視を行っているアカウンティング・オフィサーは中央政府を担当し、モニタリング・オフィサーは地方自治体を担当しているが、NDPBも政府非認識地方クワンゴもそれらの監督範囲に入っていない(61)
  また、NDPBの大臣を含む議会に対するアカウンタビリティーという点では、第一に財政的アカウンタビリティーと第二に政治的なアカウンタビリティーを考えなくてはならない。そして前者については、主として公的会計委員会(PAC:Public Accounts Committee(62))があたり、後者については、主として特別委員会があたる。しかし、「主として」と断ったように、その仕組みは必ずしも、単純なものではない。
  特に、その複雑さは、単にNDPBなどのクワンゴに対する複雑さというより、英国行政における監査システム自体の複雑さに由来している。英国行政において監査の任務を持っているのは、一八六一年自由党グラッドストーン内閣の下でできた、先に述べた公的会計委員会である。この委員会は、議会勢力の比例配分による十五名の下院議員からなり、議長は常に野党議員が務める(63)。しかし、英国政府における監査機関は、この公的会計委員会だけではない。会計検査院長(C&AG:Comptroller and Audit General)とそれが指揮する政府内の独立の行政監視組織である会計検査院(NAO:National Audit Office)もその任にあたる。会計検査院の任務の範囲は広く、単に国の機関の監査をするだけでなく、NDPBや地方公的支出団体、NHS諸団体など公費が使われている幅広い団体の監査を行っている。しかし、地方政府に関しては、監査委員会 Audit Commission が監査にあたり、この監査委員会は同時にNHS諸団体も監査の対象にしている(つまり、NHS諸団体は、会計検査院と監査委員会の両方のチェックを受けている)。しかも、この監査委員会自体もエグゼクティブNDPBである。
  ところで、こうした監査を実施している機関自体のアカウンタビリティーも問題となってきた。公的会計委員会は、会計検査院が政府の各省とあまりに親密すぎるし、ホワイト・ホールの官庁の是認がなければ事実上何の問題点も明らかにしない、と批判している。例えば、公的会計委員会は一九九二年に、アル・ヤママーとサウジアラビアの武器輸出問題にかかわって、会計検査院の調査を要求したが、当時の防衛大臣ジョナサン・アトキンスはそれに圧力をかけてやめさせた、といわれている。また、一九九一年には、当時の外務大臣ダグラス・ハードが、マレーシアのパーゴ・ダムに対して資金提供を行ったが、その事業は不健全なものである疑いがあり、ハードの行動に問題がなかったかどうかの疑義が出たが、会計検査院が調査に乗り出したのは、実にその四年後であった。そうしたことから、議会の公的会計委員会は、問題に関する情報収集のために、密告者やジャーナリストに頼らざるを得ないといわれている。また、これらの監査を役目とする諸団体自身に対する監査の問題も、存在している。監査委員会は会計検査院の監視下に置かれるが、その監視は形式的な範囲を越えないと批判されている(64)
  次に、NDPB自体のアカウンタビリティーの問題であるが、NDPBの監査を含む財政的監視については、先述のように、公的会計委員会が責任を持ち、それぞれのNDPBは公的会計委員会に対する会計責任者を置いているが、実際の監査自体は、会計検査院が行っている。例えば、一九九九年の数字を前提にすれば、会計検査院は、三〇四のNDPBのうち、一六六の会計を監査し、残りの一三八についても会計へのアクセス権を認められており、会計検査院はそれらの諸団体の財政についての報告を出版している。会計検査院の院長が監査の任務についていないNDPBでは、それぞれの省の大臣が任命した監査役が監査を行う。大臣が会計検査院の院長を監査役として任命することはまれで、残りの大部分のNDPBでは大臣は民間の監査役を任命している(65)。しかしながら、こうした責任の分離に対しては、批判が多く、例えば、公的生活における基準委員会、公的会計委員会議長、公的会計コミッションが「会計検査院長が、あるエグゼクティブNDPBに対しては責任を持ち、他のNDPBには調査権しかもっていないということに、ほとんど論理はない」と批判をしている(66)
  下院行政特別委員会では、こうしたNDPB監視の不十分さについて、スコットランドの例をひきつつ、NDPBの財政的監視について統一した対応を求めている。実際、スコットランドでは、若干の例外を除き、監査長がほぼすべてのNDPBの監査に責任を持っている。そういう指摘の上にたって、特別委員会はイングランド・ウェールズにおけるNDPBはもとより、公的諸団体全体の監査の仕組み・責任分担をより簡素化することを提言している。
  そして、もう一方で重要なのは、先述の特別委員会である。NDPBの政治的な監視に関しては、例えば、最初に政府の立場からNDPBをクワンゴとして定義したレオ・プリアニツキーも、特別委員会を「超党派の」監視組織として高く評価している(67)
  そして実際、スケルチャーが明らかにしたように、特別委員会のクワンゴおよびNDPB問題への関心は高く、一九九〇年代に多くの重要な報告が残されている(68)。しかし、一方で、その限界も指摘されている。その第一は、特別委員会がNDPBの監視のみの役目を負って作られたものではないということである。九〇年代に、特別委員会がクワンゴ問題の調査において重要な役割を発揮したということは、とりもなおさず、それが世論において注目を集めたことに起因している。つまり、言い換えれば、そういう世論の注目とはかかわりなく、常にクワンゴ問題に関して監視を緩めないことは、必ずしも容易なことではない。議員たちで構成されている特別委員会という性格から、クワンゴ問題だけでなく、それぞれの省の政策全体を対象にしなければならない。当然、他の分野で大きな問題が起きれば、そこに力を集中せざるを得ないのである。それでは、常にクワンゴ問題に特別委員会が力を集中するのではなく、他の案件と調整しながらもクワンゴ問題に継続的に関与していくこともできるのではないかという主張もある。しかしながら、「特別委員会が、もっとも個々のクワンゴのアカウンタビリティーに貢献できるのは、それらの仕事が、特別委員会の中心的な作業方針の中にあるときである。……私は、政策問題から切り離して、年報や会計の儀式的な検討が価値ある仕事を生み出すとは思えない(69)」と貿易産業特別委員会の回答が言うように、クワンゴ問題を十分把握することができないという声もある。そうした議論をふまえ、下院行政特別委員会としては、とりあえず、大臣がNDPBに対して行う五年ごとの存廃の検討に、各省の特別委員会が参加することを提案している(70)
  また、第二に、特別委員会のクワンゴ問題への関与の限界としては、その財政問題への関与の限界を指摘する意見もある。というのも、各省の特別委員会は会計検査院のもつ財政情報にアクセスする権限を持っていないからである。下院行政特別委員会は、こうした現状を踏まえ、各省の特別委員会を束ねる連絡委員会Liaison Committeeが、特別委員会が会計検査院の情報を利用できる方法について質問を行うべきだと提案している(71)。そして、実は、こうした権限の分離は、会計検査院や監査委員会などにとっても一つの問題であった。というのは、彼ら自身も権限の関係上、財政問題の根源を政策一般に広げることはできず、そのため常に問題点を深く掘り下げることができないからであった。
  そして、第三に、特別委員会の横のつながりにかんする問題もある。スケルチャーは、「特別委員会の省に基礎を置くシステムが、ある障害物を作り出している。というのは、争点の詳細な調査に着手できる共同討議が議会にないからである(72)」と述べている。これは、特別委員会が省ごとに構成されている関係上、担当の省のクワンゴに対しては、特別委員会でしっかりした調査ができても、それを横につなげて、全体としてのクワンゴ監視・改革への提案としていく上では、仕組み的に充分でないということである。
  (二)  国民へのアカウンタビリティー
  最初に、エグゼクティブNDPBの国民に対するアカウンタビリティーについての議論を見てみる。ブレア政権下では、一九九八年に内閣府が『クワンゴードアを開こう』を発表し、すべてのエグゼクティブNDPBの年報発行・オンブズマン管轄の義務付け、可能な範囲でのNDPB会議・議題の公開化などを提案した。その結果、表5・6・7にあるように、年報の発行、年度会計の出版、会計検査院などによる監査の実施、オンブズマンによる監視、実践規範の遵守などは、労働党政権下で顕著に前進してきている。表7は、キーとなるエグゼクティブNDPBだけであるが、それでも、年報発行、年度決算の発行、会計検査院等による監査までをほとんどのエグゼクティブNDPBが実施していることは評価すべきであろう。オンブズマンに関しては、英国行政においては、「議会行政コミッショ


表5  1994年から1996年にかけてのクワンゴの公開性とアカウンタビリティー

  エグゼクティブ・クワンゴ NHSクワンゴ
1994年 1996年 1994年 1996年
% % % %
1.年報発行 201 56 193 62 248 39 784 99
2.年度決算発行 191 53 228 74 248 39 784 99
3.国政監査府・監査委員会の会計監査*1 191 53 247 80 629 100 788 100
4.オンブズマンの管轄 124 35 130 42 629 100 788 100
5.実践規範の遵守 124 35 194 63 0 - 788 100
6.構成員の利害関係に対する国民調査権 6 2 35 11 0 - 762 97
7.内部の会議や委員会への国民の参加権 6 2 19 6 289 46 148 19
8.国民が議題を知る権利 0 - 0 - 0 - 156 20
9.国民の議事録閲覧権 5 1 0   289 46 9 1
10.公開会議の開催 2 0.5 9 3 12 1.5 507 64

  政府非認識クワンゴ 全体
1994年 1996年 1994年 1996年
% % % %
1.年報発行 1,866 41 1,428 31 2,315 42 2,405 42
2.年度決算発行 4,534 100 4,653 100 4,973 90 5,665 99
3.国政監査府・監査委員会の会計監査 1,025 22 2,066 44 1,845 34 3,101 54
4.オンブズマンの管轄 0 - 0 - 753 14 918 16
5.実践規範の遵守 0 - 213 5 124 2 1195 21
6.構成員の利害関係に対する国民調査権 2,668 59 3,946 85 2,674 48 4,743 82
7.内部の会議や委員会への国民の参加権 1,701 38 0 - 1,996 36 167 3
8.国民が議題を知る権利 1,746 32 1,879 40 1,746 32 2,035 35
9.国民の議事録閲覧権 0   1,879 40 294 5 1,888 33
10.公開会議の開催 105 2 103 2 119 2 619 11

Source:Stuart Weir & Wendy Hall, The Untouchables (The Scarman Trust, 1996), p. 10.
  *1 国政監査府は北アイルランドの同組織を,監査委員会はスコットランドの同組織を含む。


表6 1996年におけるキーとなる12のエグゼクティブNDPBのアカウンタ ビリティーと公開性

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
芸術カウンシル × × × × × ×
監査委員会 × × × × × × × ×
環境エージェンシー × × ×*1 × × ×
学校基金エージェンシー × × × × × × × × ×
生涯教育基金カウンシル × × × × × × × × ×
高等教育基金カウンシル × × × × × × × × ×
住宅協会 × × × × × ×
6不妊治療局(Human Fertility and Embryology Authorit) × × × × × ×
北アイルランド住宅エグゼクティブ × × × × × ×
公的医療実験サーヴィス委員会 × × × × × × × × ×
スコットランド事業団 × × × × × × × ×
ウェールズ開発エージェンシー × × × × × ×

Source:S. Weir & W. Hall, op cit., p. 11.   *  表内の数字は,表5における項目の番号を表す。



表7 99年におけるキーとなる12のエグゼクティブNDPBのアカウンタ ビリティーと公開性

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
芸術カウンシル × × ×
監査委員会 × × × ×
環境エージェンシー × ○*1
学校基金エージェンシー × × × × ×
生涯教育基金カウンシル × × × ×
高等教育基金カウンシル × × ×
住宅協会 × × × × ×
不妊治療局(Human Fertility and Embryology Authorit) × × × × ×
北アイルランド住宅エグゼクティブ*2 × × × × ×
公的医療実験サーヴィス委員会 × × × × ×
スコットランド事業団 × × × × × ×
ウェールズ開発エージェンシー × × ×

Source:Select Committee on Public Administration, Sixth Report Quango (The Stationery Office, 1999) Vol. 1, Vol. 2.
* 表内の数字は,表5における項目の番号を表すが,11については Web サイトの有無を示している。
*1  議事録の要約のみ。
*2 出典の特別委員会報告に数字がなかったため,1−10までは96年の数字で,11については不明である。




ナー」Parliamentary Commissioner for Administration、「医療サーヴィス・コミッショナー」Health Service Commissioner、そして「地方行政コミッショナー」Commissioner for Local Administration がオンブズマンと呼ばれているのであるが、表5にあるように、ここでも前進が見られる。一九九四年時点での数字三五パーセントから、一九九六年の四二パーセントを経て、一九九九年には十二のキーとなるエグゼクティブNDPBのうち、一〇の団体が何らかのオンブズマンの監視を受けるようになった。メージャー政権下では、クワンゴの役職を含んだ腐敗事件の多発の対策として、国民が直接情報にアクセスできる情報公開法を制定するのではなく、直接のアクセスを与えない「政府情報のアクセスに関わる実践規範(Code of Practice on Access to Government Information)」を作成して対応しようとした。国民に直接のアクセスを与えないという点は不充分であるが、これに関する項目においても、九九年までに顕著に改善されている。
  ところで、政府情報へのアクセスという点では、ブレア労働党政権は、二〇〇〇年十一月にようやく「情報公開法(Freedom of Information Act)」を成立させ、二〇〇二年から施行される予定である。しかしながら、この情報公開法には批判が多い。その批判は大きく分けて、第一に、特定の利害を損ねる場合のみ、情報を公開できないということと同時に、たくさんの例外により、政府の政策にかかわる情報へのアクセスが大幅に制限されたこと、第二に、独立の情報コミッショナーは情報の公開を命令することができるが、大臣と地方自治体はそれを拒否できること、第三に、政府に、何が特定の利害を損ねるのかという挙証責任を求めるのではなく、情報の請求側に、公開することが公共の利益になることの証明を求めていることである。ただし、NDPBや政府非認識地方クワンゴに関しては、政府の機関ではないので、大臣の拒否権がNDPBの情報公開を退ぞけることはできないと見られている(73)
  表5・6・7の、6−10の政府の情報に直接アクセスできる項目では、6の構成員の利害関係に対する市民の調査権がある程度実施されている以外は、軒並み低くとどまっている。九六年までは、かえってNHSクワンゴや政府非認識クワンゴの中での方がましなくらいである。九九年の時点では、利害関係の登録・公開ではかなりの前進が見られるものの、他の項目は依然として低くとどまっている。
  その他の点としては、ブレア政権に移行して後、一九九八年に『クワンゴードアを開こう』で提唱され、インターネットによる年報や会議の要旨などが掲載されるようになった。表7を見ればわかるように、ウェア=ホールが選んだ十二のキーとなるエグゼクティブNDPBでは、ほとんどの団体がインターネットを通じて情報を発信するようになった。
  会議や議事録の公開という点では、下院行政特別委員会報告で、ブレア政権下でいくつかのエグゼクティブNDPBが公開会議を催すようになったことをあげ、中でも生涯教育や大学に対する補助金支給を管理する生涯教育基金カウンシル(FEFC:Further Education Funding Council)が平均して二九〇人の一般参加者を得ながら、毎年の年次会議を行っており、役員も参加して積極的に一般参加者の質問に答えていることを報告している。しかし、一方で、文化・メディア・スポーツ省や、貿易産業省では、ビジネスや市場に関する議題の会議で一般参加者に公開した場合には、個々のビジネスや市場情報に踏み込んだ意見交換がしにくくなる傾向があると報告がされ、そういう議題の際には公開することは不適切であることを認めている。また、そのときの案件によっては、専門性の高さゆえに、一般の参加者にわかりにくくなったり、また参加者が偏ったりする傾向があることも指摘している。ただ、同時に、特別委員会もそれが口実となり、国民に非公開になってはいけないと述べている。
  また、地方自治体との関係では、住宅事業公団(Housing Action Trusts)のある例で、地方のコミュニティーの中から事業公団の委員会メンバーの何人かを選ぶなどして、地域のコミュニティーと緊密な関係を維持しようとする

     
表8 1977年のアドヴァイザリーNDPBの公開性とアカウンタビリティー Sours: Stuart Weir & David Beetham,Power and Democratic Contro in Britain(Routledge,1998),p.227.

義務としての実施 自発的に実施
年報の発行
議会での年報の審査
構成員の利害関係登録の刊行
会議議題の刊行
議事録の刊行
公開会議の開催
政府の公開規則の遵守
外部関係者との協議
一般市民との協議
アドヴァイスの出版  
39
33
0
14
14
14
0
4
5
12
6
5
0
2
2
2
0
1
1
2
64
23
21
32
32
39

33
39
42
9
3
3
5
5
6

5
6
6

Source: Stuart Weir & David Beetham, Political Power and Democratic Contro in Britain (Routledge, 1998), p.227,


例や、借家人のなかで選挙によって選ばれた人々によって構成されている団体と、事業団の役員が月ごとのミーティングを重ねている事例などが報告をされている。そして、下院行政特別委員会もそうした地域コミュニティーや地方自治体との緊密な関係をNDPBに求めている。しかしながら、特別委員会は一方で、オックスフォード大の政治学教授デヴィッド・マーカンドが勧めるように、地方自治体がその地域で活動するエグゼクティブNDPBを監視し指導することは、「NDPBにとって深刻な負担」となり、本来のエグゼクティブNDPBの機能が損なわれると反対の意見を述べている。
  こうしてみると、全体として、ブレア政権になってから、いくつかの項目に関して、国民に対するクワンゴ運営の公開は進んだといえるだろう。ただし、全体としての会議の公開や議事録などの情報に対する直接アクセスという点では依然として低くとどまっている。上記の生涯教育基金カウンシルや住宅事業公団の公開例は、まだまだ例外的な試みでしかない。この点は、米国が一九七七年のサンシャイン法の下で基本的にほとんどの会議を市民に公開していたり、英国でも地方自治体での会議がほとんど公開されていたりすることと比べると、抜本的な改革が必要であるという意見もある(74)
  次に、アドヴァイザリーNDPBについて見てみる。これまで、国民に対するアカウンタビリティーとしては、スタッフの数や予算規模も大きく、役員の報酬も高いエグゼクティブNDPBが注目をされてきた。しかし、政治や社会に与える影響という点では、大臣に助言を与えるアドヴァイザリーNDPBの方が重要であるといわれている。しかしながら、その公開性とアカウンタビリティーについては、表8にあるように、一九九七年時点では非常に低いレベルにとどまっている。もちろん、ただ、こうした状態については、九八年六月内閣府の『クワンゴードアを開こう』では、すべてのアドヴァイザリーNDPBが年報を発行すること、すべてのアドヴァイザリーNDPBが構成員の利害関係の登録を行うことを義務付ける提案をしている(75)

  第二節  地方公的支出団体および、『新しい治安判事』のアカウンタビリティー


  これまで見てきたように、様々な問題がありつつも、労働党政府になって以後、NDPBのアカウンタビリティーを高める様々な試みが行われてきた。しかしながら、一方で、地方公的諸団体を含む『新しい治安判事』と呼ばれる政府非認識地方のクワンゴについては、ほとんど労働党政権になってからも手が打たれてこなかった。『クワンゴードアを開こう』でも、取り上げられているのはNDPBのみで、地方公的諸団体に関しては、本論に関しては、短い言及がある程度であった。
  こうした地方にある政府非認識のクワンゴのアカウンタビリティーについては、先述の表5のとおりである。年報の発行や、監査の実施、そして実践規範の有無については、NDPBよりも低いが、逆に、年度決算報告の出版は一〇〇パーセントで、しかも構成員の利害関係に対するアクセスや会議の議題や議事録の公開性に関しては、まだまだ低いレベルながらもNDPBを大きく上回っている。また、その個々の状況については、表9のとおりである。

             
表9 政府非認識クワンゴの公開性とアカウンタビリティー(1996年)

補助金維持学校
都市技術コレッジ
生涯教育コーポレイション
高等教育コーポレイション
住宅協会
警察当局
職業サーヴィス会社
訓練事業カウンシル
地方事業社
1,103
15
560
175
2,565
41
91
81
22
×
×
×
×
×
×
×
×
×




×





×

×











両親憲章
両親憲章
生涯教育憲章
高等教育憲章
借家人保証




4,653 0 44% 31% 100% 100%

10 11 12
補助金維持学校
都市技術コレッジ
生涯教育コーポレイション
高等教育コーポレイション
住宅協会
警察当局
職業サーヴィス会社
訓練事業カウンシル
地方事業社
×


×
×

×

×
×
×
×
×



×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
×
年1回
年1回

×


×

×
×
×

×


×

×
×
×

×
×


×
×


15% 5% 0% 4% 40% 40% 5%

 

1.オンブズマンの監視を受けるか。
2.公的監査をうけるか。
3.年報の出版
4.年度決算の出版
5.市民憲章のカバー
6.業績指標
7.実践規範の有無
8.市民の会議傍聴
9.公開会議の開催
10.議題の公開
11.議事録の公開
12.構成員の利害関係公開

Source: S.Weir & W.Hall, op cit., pp.12-3.


  しかし、この政府非認識の地方クワンゴに関しては、NDPBとの比較をするよりも、地方自治体との比較こそしなければならない。なぜならば、これら地方クワンゴの大半は、先述したとおり、それまで地方自治体が担当してきた諸機能をクワンゴという形で担ってきたからである。つまり、ここでは、地方政府のアカウンタビリティーと、地方クワンゴのアカウンタビリティーを、比較する必要がある。
  そして、ウェア=ホールは、一九九六年の時点で、こうした政府非認識の地方クワンゴの問題点について、以下の四点にわたって述べる。第一に、地方自治体においては、オンブズマンの監視のおかげで市民は不満のあるとき、オンブズマンに訴えることができる。しかし、表9にあるように、政府非認識の地方クワンゴでは、オンブズマンの監視はまったく適用されていない。つまり、地方クワンゴにこれらの仕事が行かなければ、地方の市民はオンブズマンを問題解決として利用できたということである。
  第二に、地方自治体は、政府の実践規範(Code of Practice on Access to Government Information)には服さないものの、一九八五年の地方政府法により、すべての委員会や小委員会は市民に開かれ、議事録や議題なども公開、そして毎年監査委員会の財政批判や業務の達成指数の公開を法的に定められている。それに対して、政府非認識の地方クワンゴのうち、たった五パーセントしか政府の実践規範に服していない。
  そして第三に実際、地方クワンゴは、表9にあるように、通常の会議に対する市民の傍聴はまったく不可能であるし、公開を目的として開かれる会議も一年に一度だけ、技術事業カウンシルと地方事業会社が行うだけで、全体の四パーセントでしかない。
  そして最後に、構成員の利害関係の登録および公開という点では、一九九四年の五九パーセントから八五パーセントまで大きく伸びているかのように見えるが、実際に抜き取り調査で調べてみると、イングランド住宅協会の構成員の利害登録状況は、一般市民が見るには極めてわかりづらく、質の低いものであったと指摘されている(76)
  こうした政府非認識の地方クワンゴに対して、下院行政特別委員会の報告の中では、改善の方向性として、何人かの研究者や下院議員を呼んで議論した。そのなかの意見の一つは、スチェアート・ウェアの考えである。彼は、内閣府が提唱する地方自治体・コミュニティーと地方クワンゴの共同については、それは「虚構」であると述べる。というのは、地方クワンゴは自律的団体であり、唯一、担当の省の方針には服するものの、いくら地方の市民や地方自治体と連携をとっても、地方クワンゴは彼らに従う法的な義務はないからだと述べている。ただ、一方、地方のNHS諸団体での運営を見て、単に地方自治体の影響力で選ばれた人々では果たせない専門的な知識が必要であるとして、これらの地方クワンゴ自体を完全に廃止して、地方自治体の影響力を増そうとは考えず、それを「部分的に選挙で選出され、部分的に任命された団体」にして、地方クワンゴに地方の民意を反映させる道を提案した。しかし、これに対して、マーカンドは、そうした半選出・半任命の団体が、「地方自治体を弱める効果」を持つことになるのではないかと述べた。地方ごとに医療クワンゴのメンバーを選挙で選び、教育クワンゴのメンバーを選挙で選びなどするうちに、肝心の地方自治体の重要性が薄れてしまう怖れがあると述べた。そのうえで、マーカンドは、地方のクワンゴにおける人事の前に地方自治体が関与して候補者を審査する法的権限を要求した(77)。もっともラディカルな意見をもつ傾向のあるボグダノフは、オックスフォード州の二つの対照的な例を引きながら、地方コミュニティーにおける民主的議論の重要性を訴えた。その第一の例では、ある学校が閉校になるという提案が出されたときに、当初は地域住民の強い怒りがあったが、その後地方議員を巻き込んで議論を進めていく中で、学校を存続させるか、残して教育の質を落とすかのどちらしかないということが住民にも理解され、結局住民も閉校を認めた。第二の例では、あるNHS病院の駐車場の有料化に際して強い不満が利用者にあったが、結局そこには民主的な討論がなかったため、利用者にとっては単に”誰かの利益”のためにそうなったのだと捉えられた。つまり、地方における民主主義こそが地域住民の納得の行く解決であるということである。そういう上にたって、ボグダノフは、NDPBも含めてすべてのクワンゴは、可能な限りその機能を地方自治体に移し替えられるべきであり、それが無理な場合でも地方自治体が、地方政治において役割を持つクワンゴをNDPBも含めて監視すべきであると述べた(78)
  彼らの意見は、多かれ少なかれ、現状の地方クワンゴ・システムの改革を志向するものであるが、一方でそれ自体に批判的な意見もある。例えば、ピーター・キルフォイル労働党下院議員は、地方クワンゴに対する地方自治体の復権を唱えても、現状の地方選挙での投票率の低さ(平均約三〇パーセントで、総選挙の平均投票率の半分にも満たない)を解決することが先決であると述べた。また、国民住宅連盟(National Housing Federation)は、地方公的支出団体の一つである社会的家主(Social Landlords)の独立的立場を擁護する。社会資本の整備を行うこの組織に対する要求は複雑であり、地方自治体のような議会によるアカウンタビリティーは適しないと彼らは述べた。
  地方自治体に関しては、政府の立場は、労働党政府になっても、地方クワンゴの構成員候補に対する事前審査などの強い権限を、地方自治体には与えようとしなかった。また、この点に関しては、下院行政特別委員会も同意するところであった。例えば、地方自治体の地方クワンゴに対する人事候補者召還権を認めることは、さらに官僚主義を増すものであると述べている。特別委員会は、結局、最低一年に一回、地方自治体の委員会に地方クワンゴが年報の説明に行くことを、地方クワンゴが政府から補助金を受け取る条件として課することを推薦した。
  最後に、地方公的支出団体の監査について述べる。地方公的支出団体のうち、補助金維持学校や生涯・高等教育機関は、会計検査院の監査を受けているが、技術事業カウンシルや社会的家主などはその監査を受けていない。会計検査院長は、その監査をうけることを、地方公的支出団体の補助金交付を受ける条件とするように、大蔵省に求めているが、先の国民住宅連盟などは反対をしている。理由は、国民住宅連盟の監査は別の団体がこれまでも行ってきたし、それに加えて会計検査院の監査を受けることは大きな負担であると論じている。しかしながら、下院行政特別委員会は、会計検査院の案を支持している。
  このように見てくると、ブレア政権下でのNDPBの公開性の高まりと比べると、地方クワンゴの公開性は依然低く留まっている状態と言えよう。そして、保守党政権以来のNDPBのみを国の守備範囲とする態度は、労働党政権になってからも根本的には変化していない。一九九七年の『クワンゴの公開』においても、年報『公的諸団体』で地方公的支出団体の数や役割などの要旨のみに触れるという方向性だけが述べられているだけで、アカウンタビリティーの向上の方策については全く何の言及もない。

  第三節  「再発明された政府」の評価


  ここまでクワンゴ問題について紹介してきた議論には、多かれ少なかれ、クワンゴに対する批判的な視点を持つものが多かった。そしてそれは、このクワンゴ問題が、主として労働党議員や、そうでなくとも政府に批判的な研究者によって、クローズ・アップされてきた関係上、クワンゴ問題をめぐる議論全体がそうした性質を持つからであった。したがって、このクワンゴ問題に関わって、積極的に既存のクワンゴのあり方を弁護しようとする議論はあまり多くなかったし、あったとしても極めて断片的であった。しかし、こうしたクワンゴを多用する政府の論理があるのも事実である。そして、それは、第四章でも見たように、必ずしも保守党政権に限ったことではない。したがって、ここでは、クワンゴに限らず、エグゼクティブ・エージェンシーなどの新しい行政管理のスタイル自体を擁護しようとする議論として、メージャー政権下で進められた”再発明された統治(reinvented government)”の発想を紹介しておく必要があろう。
  この再発見された統治の発想が最もよく示された言及としてよく引用されるのが、メージャー政権下の市民憲章大臣、ウィリアム・ウォルドグレイヴの演説の一節である。
「キー・ポイントは、私たちの市民のサーヴィスを運営する人々が、選挙で選ばれているかどうかではなくて、彼らが生産者に対応するのか、消費者に対応するのかということである。サーヴィスは、市民に民主的な声を、つまり取り繕いに、疎遠で散漫なものを与えるだけでは、必ずしも対応できるものではない」。
「私たちは、議会に対する、したがって個々の市民に対する、公的サーヴィスのアカウンタビリティーの基本的構造を全く変えも、損ないもしていない。しかし、私たちは、それを使えるものとした。私たちは、公的サーヴィスを顧客に直接アカウンタブルにすることによって、アカウンタビリティーの形式的な路線を強化したのである(79)」。

  一言でいうならば、市民を公的サーヴィスの使用者と見て、その使用者に対して政府はアカウンタブルにならなければならないというものである。そして、こうした発想の下で、メージャー政権下の市民憲章(The Citizen's Charter)が考案された。この市民憲章は各種の公的サーヴィスの基準、それが守られていない場合の異議申し立てなどを定めたものであり、医療・教育・交通等それぞれの分野の憲章からなっている。たとえ、クワンゴが、選挙で選出された地方自治体が従来果たしてきた機能を果たしているとしても、消費者方向でアカウンタブルになれば、事実上、低い投票率で選出されている地方自治体よりもアカウンタブルであるということを主張しているのである。この市民憲章は、ブレア政権においても受け継がれている(80)
  しかしながら、こうした議論に対しても、ウェアたち『民主的監視』は反論する。第一に、こうした消費者としてのアカウンタビリティーというのは、せいぜい苦情を処理したりサーヴィスの水準を上げたりすることはできるが、サーヴィスの方法やあり方そのものを変えることはできない。第二に、たしかに、消費者としてのアカウンタビリティーは重要であるが、それは市民の会議参加や地方政治による監視などの民主的アカウンタビリティーの対となるべきで、市民憲章の視点だけでは片足だけで立っているだけのようなものであるということであった(81)。ウォルドグレイヴは、”再発明された統治”の発想は既存の議会政治をそこないはしていないと述べるが、選挙で選出された地方自治体から権限を奪い、なおかつ公開性が充分でない地方クワンゴでは、議会制民主主義の原理を補うのではなく、損なっているといえるのではないかということである。

第六章  クワンゴ構成員の任用について




  第一節  クワンゴ構成員任用の問題点とノーラン勧告


  クワンゴを運営する委員会(Board)のメンバーを構成するのは、NDPBから政府非認識地方クワンゴまであわせると、六万人あまりと言われている。しかも、いくつかのNDPBの役員は高収入であり、その任命権限はNDPBに関しては、多くの場合所轄の大臣が持っていた。そして、これまで、特に九〇年代の中ごろ、先述のように、保守党の政治家が自らの友人や政治的同盟者を任命してきたのではないかという数々の疑惑があった。
  その後、保守党政権は、いくつかの対策を施すが世論の支持は得られず、結局、ノーラン委員会の報告にまでいたる。このノーラン委員会の報告は、保守党政権下で多発した腐敗事件に対処するため、利害関係の登録や議員の収入額の公開などを第一次報告において勧告した。そして、その中に、クワンゴに関する規定も盛り込まれていた。
  ノーラン委員会のクワンゴ問題に対する勧告のうち、任用に関する勧告は、以下のとおりである。

●任用の究極的な責任は、大臣に留めるべきである。
●すべての公的な任用は、能力による任用という最も重要な原理によって支配されるべきである。
●能力による選択は、技術とバックグラウンドのバランスを持った委員会を任用するという必要を考慮するべきである。
●エグゼクティブNDPBとNHS諸団体に対するすべての任用は、独立的な要素もつ審査員か委員会からの助言を受けてからなされるべきである。
●それぞれの審査員、ないしは、委員会は、少なくとも一人の独立の構成員を持つべきであり、その独立の構成員は、通常、少なくとも構成員の三分の一を占めるべきである。
●新しい独立の公務任用コミッショナー(Commissioner for Public Appointments)が任用されるべきで、それは、公的サーヴィス・コミッショナーの一人が兼務することができる。
●公務任用コミッショナーは各省の任用手続きを監視し、規制し、認可すべきである。
●公務任用コミッショナーは、任用システムの運営について年報を出版すべきである。
●公務任用ユニット(PAU:Public Appointments Unit)は、内閣府から公務任用コミッショナーの統制の下に移されるべきである。
●すべての大臣は、彼らの担当省で行われた公務任用について、毎年報告すべきである。
●任用候補者は、少なくとも五年以内のいかなる政治的活動(事務所の保有、公的演説や選挙の候補者を含む)をも、宣言することが必要とされるべきである。
●公務任用コミッショナーは、公務任用手続きに関する実践規範を作成するべきである。”比例性”の見地に基づいた規則からの逸脱については理由が明記され、再検討ができるようにすべきである(82)
  大臣によるクワンゴ構成員の任用に対しては、先に述べたような保守党政権下での状況から、独立の任用機関を作って、そこがすべての役職を任命すべきという意見も強くあったが、大臣責任制という原則上、クワンゴ構成員の選任は大臣が行うという原則が維持された。また、その原則に対しては、税制改革で有名なノーマン・ファウラーら何人からかの強い擁護もあった。彼らによると、大臣に極めて近しい人物が任命される場合でも、それは報酬のあるポストを斡旋したためではなく、有能な人物を短期間のうちに見出そうとした結果であり、そうした例の中には、大臣の依頼により財政的な犠牲を負ってまでも、大臣に近しい人物がクワンゴの役職についた例もあると述べている。また、保守党政権下で、保守党員や保守党の財政的支援者が多くクワンゴ構成員になったケースでも、保守党政権の大臣は保守党の政策を実行するために、その理解者を任命せざるを得ないし、その結果として、保守党関係の人々がクワンゴで多く任用されるのであって、それは政治的任用でもないし、ましてや自党やその支持者を優遇しているわけでもないと反論した。
  その結果、先に見たように、ノーラン委員会は、クワンゴ構成員に対する大臣の任命権は認めることとなった。しかしながら、大臣の強大な任命権のみを認めることは「不健全である」として、それを監視し、大臣にアドヴァイスするため、右のように独立の要素をもった審査員や委員会の設置や、新設の独立コミッショナーを設けることを勧告した。それまで、公務における任命全般は、公務任用ユニット(PAU:Public Appointments Unit)が範囲としていた。公務ユニットは任用候補者リスト・データベースを維持し、宣伝についてのガイドラインをまとめたり、各省とその任命について相談したりというのが任務であったが、任命に関する相談は義務的なことではなく、任命にあたって公務ユニットに相談する事例は極めて少数であった。また、任用過程の外からの監視という点でも、公務ユニットは弱く、その仕事は毎年の年報作りを越えるものではなかった、とノーラン委員会は考えた。その結果、独立の公務任用コミッショナーが創設されたのである。

  第二節  公務任用コミッショナー


  その独立コミッショナーの仕事は先述のノーラン勧告のとおりであるが、その守備範囲はエグゼクティブNDPBとNHS諸団体とされた。しかし、一九九八年には、コミッショナーの監視対象は、アドヴァイザリーNDPBと公営・国有企業、公益事業にまで広げられた。ただ一方、ノーラン委員会の勧告にあった公務任用ユニットの内閣府から公務任用コミッショナーへの移管は、メージャー政権下のコミッショナー発足時に失敗し、ブレア政権下でもまだ実施されていない。この公務任用ユニットが公務任用コミッショナーの下に統合されない問題については、それが公務任用コミッショナーの権限をかなり弱めているという主張がある。例えば、ウェアとビーサムは、公務任用ユニットがコミッショナーの統制下にこない状況では、コミッショナーは任用の監視をするのにも、そのリソースを欠いている状態で、監視も不充分にならざるを得ないと指摘している。初代の公務任用コミッショナーであったレオナード・ピーチは、当初、公務任用ユニットと公務任用コミッショナーが一緒になると、公務任用コミッショナーは、公務任用ユニットがもつリストの候補者という特定利害を持ってしまうので、両者は分離すべきだと主張していた。つまり、公務任用ユニットとしては、自らのリストにある候補者が任用されれば、それは彼らの実績になるが、そういう利害を公務任用コミッショナーがもってしまっては、公平な監視ができなくなるかもしれないということであった。しかし、九八年一〇月二七日の下院行政特別委員会での発言では、「当初の利害の摩擦という私の見解は、(公務任用コミッショナーと公務任用ユニットという[筆者])二つの団体が生み出す混乱によって、また大きなリソースが私に大きな仕事をさせるかもしれないという事実によって克服された」として、公務任用ユニットのコミッショナーへの移行を求めるようになっている(83)
  一九九五年十一月にメージャー政権に任命された初代コミッショナー、レオナード・ピーチの仕事にも、問題点が指摘されている。ピーチは、任命における大臣責任、能力による任用、独立者を含んだ委員会による候補者の事前審査、機会均等、高潔さ、公開性と透明性、比例性という七つの原則を、実践規範として明らかにした。しかし、この実践規範の遵守をめぐり、ピーチはほぼ完全にこれが守られていると主張するが、ウェアとビーサムはそれに対して疑問を呈する。彼らが疑問を持った部分は、第一に、ピーチが候補者の政治的利害を調べる際に、議員候補者であったか否かなどのもっぱら公的な記録でしか調べていない点であった。圧力団体や労働組合の情報などは落としていたのである。この点に関して、ピーチは、候補者がしゃべりたがらないものは無理強いできない、という立場をとった。ウェアとビーサムは、クワンゴ構成員の候補者は自ら進んで公共性の高い役職に就こうとしているので、そこに立ち入らないのは不適切であると、コミッショナーを批判している。また、コミッショナーの監視や指導に従わない場合の制裁についても、年報にその事実を掲載するという手段しかなく、ウェアとビーサムは実効性が乏しいと考えている(84)。なお、コミッショナーは、一九九三年三月にレニー・フェリッチーに代わっている。
  ところで、このコミッショナーの管轄範囲については、いくつかの議論がある。一つは、首相のタスク・フォースに対する任命である。先にも述べたように、公務任用コミッショナーの管轄範囲は、エグゼクティブNDPB、アドヴァイザリーNDPB、公営・国有企業、公益事業であるが、ここには首相が個人的に任命するタスク・フォースは入っていない。しかし、これも先述したように、ブレア政権下でのタスク・フォースの拡大は政府のアカウンタビリティーにとって一つの問題であると指摘されてきている。また、公務コミッショナー(Civil Service Commissioners)のルールで各省が選んだ公務員によって構成される省内ワーキング・グループも、公務任用コミッショナーの管轄から落ちている。したがって、下院行政特別委員会は、「首相や他の大臣、ないしは彼らのアドヴァイスによる個々の任命もコミッショナーの管轄に含めるべきである」と勧告している。
  また、もう一つの問題は、政府非認識地方クワンゴの問題である。これらのクワンゴが二〇〇〇年の段階で公務任用コミッショナーの管轄に入っていないことは言うまでもないが、この問題に対して、ウェアら『民主的監視』は、公務任用コミッショナーの管轄を政府非認識地方クワンゴにまで広げることを要求している。これに対して、下院行政特別委員会は、一九九九年の現時点では困難であるが、将来的にその管轄を拡大する方向で対処していくことに同意している(85)

  第三節  下院行政特別委員会の改革案



  下院行政特別委員会によれば、「疑いなく、任用過程はかつてなくオープンで透明性のあるものになっている」と述べ、すべての省で実践規範とガイダンスが守られてきていることを評価している。省ごとに違いがあり、文化・メディア・スポーツ省やウェールズ省のように、たくさんのNDPBを持ち、それらにたくさんの資金と仕事を与えているところでは、省内の基準も作られるなど公開性や基準作りに熱心であるが、一方で、防衛省のように、NDPBをあまり抱えていないところでは、そういう動きは鈍い。しかしながら、全体としての公開性とアカウンタビリティーの高まりは評価できるし、これらの省ごとの違いも「理解できる」というのが、特別委員会の報告での内容である。ただし、特別委員会は同時に、任命された構成員の政治的傾向の問題に関しては、依然として「公的諸団体の選任に政治的傾向があるという申し立てがある」として、公務任用コミッショナーへの課題をあげている。そこで、下院行政特別委員会は、任用の公開性と透明性を高めるための新たな方策を以下のように提言した。

「私たちは、大臣のコントロールから多くの任用を取り除き、それらを独立の委員会の手に移すべきケース(特に、大臣との緊密な関係が必要ないケース)が残っていると信じている。私たちは、政府と公的生活における基準委員会がこの問題を再検討することを推薦する(86)」。

  つまり、大部分のNDPB構成員の任用は、今までどおり大臣によって行われるか、ないしはそうとしかならないが、NDPBのいくつかの任用は独立の委員会にゆだねられるべきだと提言したのである。先述したよに、ノーラン委員会(公的生活における基準委員会)は、一九九五年のその第一次報告で、NDPB構成員の任命の前に、独立的要素を含んだ自省の委員会に候補者を審査させることは勧告したものの、任命そのものを完全に独立した委員会にゆだねることには反対した。労働党のトニー・ライト下院議員などが、先述したように、ノーラン委員会第一次報告までに、独立委員会による構成員の任命を提案したときに、ノーラン委員会は、それが構成員の役職の本旨にもそわないし、大臣責任制の原則からも逸脱するとして拒否したのである。特別委員会は、たしかにNDPB構成員の少なくない部分は政府の政策の実行を担う者であるので、大臣が選任することに意味があることは認めたが、一方で、その性格上、大臣が選任しなくてもまったく問題のないはずのNDPBも存在していると述べる。例えば、地方自治体の決算などを監査する監査委員会や、航海の支援を任務とするトリニティー・ハウス灯台サーヴィスなどを、大臣が任命しなければならない理由は、はっきりしないと指摘している。そして、下院行政特別委員会は、さらに次のように、クワンゴ構成員の任用にあたって各省ごとの特別委員会の関与を提言した。

「エグゼクティブNDPBを指導する大臣によって任命される候補から、特別委員会が証言を得られるように、私たちは、各省が特別委員会に、大臣がある個々人をNDPBの議長や副議長に任命しようとしていること、そしてその任命がいつから効力を発するのかを、日常的に知らせることを薦める。特別委員会は、任命が効力を発する前の一定期間(例えば、一ヶ月)の間、この任命が適切で、役に立つと思われるかどうかについて情報を得て、特別委員会が望めば、その任用についてコメントをすることができると理解されよう(87)」。

  こうした特別委員会の任用への関与は、大蔵省などでも行われているし、またボグダノフのような研究者も支持している。他方、こうした利害関係の明確化や候補者への調査に対しては、NDPBの側から重要な候補者を失うきっかけになるという反論もあったが、下院行政特別委員会は、全体的な数の動きをみた場合、必ずしも厳しい規制が候補者の質と数を減らしてはいないと、この意見を退けている(88)

  第四節  女性・マイノリティーの任用


  ノーラン委員会の第一次報告でも述べられたように、任用にあたって社会の”比例性”を重視することは原則の一つである。そしてそれは、具体的には、女性とエスニック・マイノリティーの任用が重視されることである。
  労働党政府は、一九九八年六月には『クワンゴー公務任用の公開』を、一九九九年六月には『クワンゴー公務任用の公開一九九九ー二〇〇〇』を発表して女性とエスニック・マイノリティーなどのクワンゴ構成員任用への比率を高めようとした。
  例えば、一九九九年の『クワンゴー公務任用の公開一九九九ー二〇〇〇』における方針の概要は、次のとおりである。

       
表10 NDPB,NHS諸団体,国有・公営企業,公益事業において
任命された女性とエスニック・マイノリティー
Sours: Commissioner for Pulic Appointments, The Commissioner for Public Appointments Fifth Report 1999-20000 (Office of Commissioner for public Appointments, 2000),p. 28.


任命・再任命全体 女性の割合 エスニック・マイノリティー
議長  1996-97
 1997-98
 1998-99
 1999-2000
 216
 269
 391
 320
20%
29%
34%
30%
0.0%
2.2%
3.6%
5.3%
構成員  1996-97
 1997-98
 1998-99
 1999-2000
1,537
1,661
2,854
2.520
36%
40%
40%
40%
5.3%
7.9%
9.2%
9.4%
全体  1996-97
 1997-98
 1998-99
 1999-2000
1,753
1,930
3,245
2,840
34%
39%
39%
39%
4.7%
7.1%
8.5%
8.9%

Source: Commissioner for Public Appointments, The Commissioner for Public Appointments Fifth Report 1999-2000 (Office of Commissioner for Public Appointments, 2000), p.28,


●公的諸団体であまり代表されてこなかったグループの代表を増やすために、目標を持った個々の省の計画を出す。
●達成された進歩に照らして年ごとに目標を見直す。そしてこれを公務任用ユニットが監視する。
●能力という最重要原理の中で、女性と男性の公務任用における五〇対五〇の比率、エスニック・マイノリティー・グループの比例代表を目標とする。
●障害者任命者の代表に関して監視する。任命比率の向上を目標とする。
●あまり代表されてこなかったグループの出願を促進する。適切な場合はターゲットを絞った宣伝を行い、職務の説明や出願者の明確化を行い、出願を促進する。職務の説明や出願者の明確化は、あまり代表されてこなかったグループの出願をくじいたり、排除したりするような不必要な要件をもたないようにする。
●公務任用ユニットからアドヴァイスを受ける。特定の任用候補者のノミネートも含む。
●女性、エスニック・マイノリティー、障害者が出願することを促進させるために、関連諸団体からアドヴァイスを得る。そうした諸団体とは、女性ユニット、女性国民委員会、同権委員会、人種平等委員会、国民障害者カウンシルを含む(89)
  こうした努力によって、一九九八年七月に内閣府の出した『クワンゴー公務任用の公開』では、一九九七年九月一日時点で、公務任用の三二パーセントを女性が、三・六パーセントをエスニック・マイノリティーが占めた。一九九二年の時点では、二三パーセントを女性が、二パーセントをエスニック・マイノリティーが占めていただけなので、下院行政特別委員会はこれを「かなりの改善」と評価した。しかしながら、九九年六月の『クワンゴー公務任用の公開一九九九ー二〇〇〇』では、公務任用の三二パーセントを女性が、三・七パーセントをエスニック・マイノリティーが占めたのみで、数字的な前進は見られていないと、下院行政特別委員会は評価している。ただ、表10にあるように、NDPB、NHS諸団体などのクワンゴに、国有・公営企業、公益企業全体を含めた数字では、エスニック・マイノリティーの部分で着実に前進している。
  公務任用コミッショナーのピーチが明らかにしたところによると、こうした非伝統的バックグラウンド(女性、エスニック・マイノリティー、障害者)をもつ人々が公募してくる上でもっとも有効な手段は宣伝で、彼らの調査によると、女性人用候補者の八五パーセント、エスニック・マイノリティーの任用候補者の七四・一パーセントがポスト募集の宣伝によって公募してきている。ただ、こうした公募の宣伝という手段は費用がかかり、手間であるというのが、各省やNDPBの問題であった。それに対して、下院行政特別委員会は、インターネットのホーム・ページ上での宣伝は、すべての人が見られるわけではないのでベストではないが、費用も安く手間もかからないとして薦めている(90)

  第五節  ブレア政権下でのクワンゴ構成員任用


  先に見たように、公務任用コミッショナーの創設や任用過程への独立者の要素を入れたことで、たしかに任用における透明性は増した。しかし、一方で、そのように、透明になった分、労働党政権下での労働党関係者の他党関係に比べてのクワンゴでの任用数・率の高さが問題となっている。
  それがもっとも指摘されたのは、医療当局やNHSトラストなどのNHS諸団体においてであった。このNHS諸団体における労働党関係者の任用は、一九九七年の労働党政権が発足して間もないころから問題になっていたが、それは労働党の政策とも絡まって、微妙な問題を提起している。というのは、労働党は、九七年総選挙マニフェストにおいて、医療当局やNHSトラストなどに地方コミュニティーの代表を増やすことを公約としていたからである(ただし、地方議員を増やすと書いていない)。保守党政権下での改革で、先述のとおり、地域医療当局や家庭医療サーヴィス当局などが廃止され、地方医療への地方自治体の代表も廃されてしまったので、労働党政権はそうした地方の代表を回復しようとした結果、地方議員や労働党関係者が増加したのである。したがって、この問題は、先にたびたび言及してきた政策と政策実行者の関係のあり方という問題を提起している。
  具体的には、二〇〇〇年三月に出された『公務任用コミッショナーによる報告』では、英国全体のNHS諸団体において、構成員として採用された地方議員のうち実に八三パーセント(全三四三名中、二八四名)が労働党議員たちであったことが明らかにされている。ただ、コミッショナーはこのことを持って直ちに、政治的にバイアスがかかった任用がなされているとは即断しない。というのは、第一に、応募者と採用者の比率では、とくに労働党議員のみが優遇されているという数字は出ていないからである。第二に、労働党議員たちは、サッチャー政権でのNHS改革に批判的で、そのとき以来NHS諸団体の役職に応募すること自体を見合わせてきたので、そもそも労働党関係者の数がNHS諸団体に少なかった上に、九七年の政権奪取以来は反対に、政党自身の方針として労働党議員の積極的なNHS諸団体への応募を促してきたからである。つまり、コミッショナーは労働党議員のNHS諸団体への参入は長く続かない可能性があり、いま少し事態を静観する必要があると考えたからである。また、第三に、NHS諸団体全体の役職のうち、地方議員が占めていた役職は、全体の七分の一程度の少数で、各医療当局やNHSトラストの委員会の構成から考えて、一つの委員会に一人程度でしかないからである。
  しかし、そういう事情を考慮しても、問題はあるとコミッショナーは考える。というのは、第一に、単に応募者と採用者という区分だけでは、特に労働党関係者が優遇されているわけではないが、労働党議員や大臣、そして地方議員たちによる推薦者はあきらかに他党関係者より多い比率で採用されているからである。また、第二に、労働党議員や大臣、そして地方議員たちに推薦された者たちの中に、無理からぬことであるが、推薦された時点で採用が決まったと勘違いして、面接に全く準備しないままのぞんだり、また審査委員会も要人の推薦によって強烈なプレッシャーを感じたりすることが明らかにされてきたからである。そして、コミッショナーは、そうした事態を踏まえて、第一に、最終選考においては大臣や議員たちが選考過程にアドヴァイスしたり、コメントしたりすることは、やめるべきだと勧告した。その理由は、そうした最終段階のコメントが「能力による選考」という実践規範の明確な違反だからである、と述べる。そして第二に、地方議員たちは、クワンゴの役職の候補者を推薦することは止めるべきである、と勧告した。その理由は、(一)利害の衝突が起こりうるからである。もし、土地問題のような特定の地域の利害にかかわる問題が起きたとき、地方議員は自分の選出区の利害を離れて考えることは困難である。(二)地方議員は多忙であり、NHS諸団体に任命されたすべての地方議員が充分に役目を果たすことができるとは考えにくい。(三)地方議員がNHS諸団体の役員を兼務するということは、結局地方コミュニティーにおける別のメンバーの政治・社会活動参加を広げることにマイナスである。(四)地方議員の推薦がなければNHS諸団体の役員にはなれないという現実とは違った情報(現実は七〇パーセント以上が無党派の人々である)が実際にはびこっており、そのために、応募者一般が減る可能性があるということであった。コミッショナーは、議員や大臣による役職への推薦についても問題はあると考えているが、それを止めるべきだという勧告はしていない(91)

第七章  ま    と    め、



  以上、いくつかの点にわたって、英国のクワンゴ問題について検討してきた。それでは、最初に述べたように、政治的民主主義の観点と、政権交代による政策転換という観点からは、このクワンゴ問題をどう評価することができるであろうか。
  まず第一に、民主主義と非選出・任命団体との関係という観点からである。この観点からクワンゴを評価する際に問題となるのは、当然そうした任命諸団体が議会制民主主義や市民の政治への民主的参加にとって必要かどうかという点が問題となってくる。これを統治の理念にのみ立脚して考えるならば、議会などとは違って、民衆の意思に直接答えることのできない公的諸団体は少なければ少ないほどよいということになる。つまり、言い換えれば、それは何のメリットがあって、必要かということになる。そのメリットについては、先述したとおりであるが、そうしたメリットについては、『民主的監視』のウェアやホールたちも認めている。そういう点で、クワンゴの批判者たちでさえクワンゴの全廃を求めているわけでもないし、クワンゴの必要性は認めているし、ボグダノフもそれを「必要悪」として認めている(92)。効率性の追求や、政府から自律性という点で、クワンゴが存在していることに対する根本的な異議申し立てはない。
  しかしながら、そうしたクワンゴが不必要に拡大したり、それが秘密のベールに覆われていたりしてよいということにはならない。クワンゴはなるべく少なく、しかも存在しているクワンゴのアカウンタビリティーを、あらゆる角度から維持していくことは依然として重要であろう。そして、そういう点では、九〇年代の英国でのクワンゴの民主化の運動は当然続けられていくべきであろう。
  しかし、中央政治におけるクワンゴの存在は、民主化を継続していくという前提に立てば維持されていくことも合理的と考えられるかもしれないが、一方で地方政治においては、さらなる議論が必要である。というのも、本論で明らかにしたように、政府非認識地方クワンゴの大部分はサッチャー政権下で地方自治体攻撃の一環として設けられたからである。したがって、この地方クワンゴに関しては、クワンゴ一般の必要性とは区別して考えなければならない。
  しかも、この地方クワンゴについては、その運営や任用の監視を、責任を持って担当する機関が存在していない。第六章にあったように、公務任用コミッショナーは地方クワンゴを担当していないし、現行のコミッショナーではそれを担当しようにも極めて非力である。そのような点を考慮するならば、それを地方自治体の管轄に戻したり、地方自治体の監視下に置いたりすることなども含めて考えられていく意義は大きい。
  第二に、政権交代と政策転換との関係である。これに関しては、全体として、クワンゴの数的削減などの抜本的な変化は、ブレア政権下でも起こっていないことは明らかである。たしかに、NDPBの公開性とアカウンタビリティーは保守党政権時よりも向上した。しかし、それも市民のNDPBに対するアクセスという点ではまだ課題を残している。
  それ以上に重要な点は、ブレア政権下でのクワンゴ改革の到達点がブレア自身の著書である『新しい英国』の記述からすれば大きく後退している点であろう。少なくとも、ブレアは、「様々なマネージャーによるトーリーのクワンゴ国家を営むつもりはないー我々はクワンゴを取り除き、地方のサーヴィスに関しては、権力を地方の人々に返すつもりである」と述べているが、クワンゴから地方自治体への直接の権限委譲はほとんど全く実施されていないし、管見の限りでは、それを実現するための格闘の形跡すら見出せない。もちろん、スコットランド・ウェールズへのデヴォリューションは、地方のサーヴィスを地方の人々に返したものと理解できるが、それだけでは到達点は充分であるとはいえない。もちろん、ブレア政権は、今後の総選挙の結果如何では、さらに政権を担当する可能性がある。したがって、まだブレア政権全体でのクワンゴ改革の評価を下すことは早計であろう。しかし、少なくとも、これまでのところ、経済政策とは違ってインフレや金利などの敏感な要素は相対的には少ないこの分野での改革としては、大きなものとはいえないであろう。
  そういう意味では、ブレアのこうした著書での言及は、はっきりとした公約というよりは、一つの有権者向けのレトリックであったとも言えよう。実際、総選挙マニフェスト、『第三の道』と時が経ち、現実的な方策が必要になるにつれて、クワンゴに対する言及は少なくなっていくことはすでに見た。そういう意味では、リチャード・ローズが述べたように、英国政治においては、政党は野党期においては、与党との対決色を強めるためにレトリックにおいて対決色を鮮明にするが、その後実際に与党として実際に政権を担当するようになると、その前政権の政策を踏襲していく傾向が強いという一般的仮説がここでも実証されていると言ってよいであろう(93)
  最後に、近年盛んに日本で注目されているNPOと、この英国でのクワンゴ問題との関連に言及して本論文を締めたい。周知のように、日本におけるNPOに対する注目は、欧米での積極的経験が元になっている。そして、そのことは英国においても同様で、英国のNPO、すなわちヴォランタリー・セクターは、英国社会において極めて積極的な役割を果たしてきたし、その教訓は普遍化できるものであろう。しかし、一方でそうしたNPOと、本論文で問題にしたクワンゴは、近年、近接ないしは部分的には重なりつつあるということも確認しておく必要があろう。実際、地方公的支出団体の一つ、つまり地方クワンゴの一つである住宅協会や社会的家主などは、そうしたヴォランタリー・セクターである。
  もともと、強い独立性を持ち、薄給でも人々のため活動するヴォランタリー・セクターは、政権党関係者などの権力者が高給を受けるNDPBや自治体つぶしで増えてきた地方クワンゴとは、全く異なるものであった。しかし、サッチャー政権は、こうしたヴォランタリー・セクターを”小さな政府”と自治体攻撃の論理から重視し、政府と契約を結ばせ、その契約にしたがって活動させる代わりに助成金を与える”コントラクト・カルチャー”をつくりだした。かくして、ヴォランタリー・セクターの社会的役割は増大し、専門性に優れたスタッフなどが増えたためにその地位も向上したが、その一方で資金提供する行政側の強い監督下に置かれることになり、その独立性は大きく損なわれることとなった。その結果、このヴォランタリー・セクターは、その形態においては、公的役割を果たし、政府の機能をも事実上担っている非選出・任命団体という点で、地方クワンゴと類似した特徴をもつことになるのである。
  もちろん、すでに、日本においても、NPOがいかに行政から自立性を確保するかということは、大きな焦点になったが、一方で、こうした英国での経験から教訓を引き出すことも重要であろう。すなわち、重要なことは、議会に限らず、非選出・任命団体に限らず、いかにしてそうした”公的な場”を民衆のものにしていくかということに尽きるといえよう。

(1)  拙稿「英国における政府の『説明責任』と特殊法人」基礎経済科学研究所編『新世紀市民社会論−ポスト福祉国家政治への課題』(大月書店)一九九九年、所収。
(2)  Stuart Weir & Wendy Hall, EGO Trip:Extra Governmental Organisations in the United Kingdom and their accountability (Essex:Human Rights Centre, 1994), pp. 19-20.
(3)  Tony Stott,"'Snouts in the Trough':the Politics of Quangos", in F.F. Ridley and David Wilson (eds.), The Quango Debate (Oxford University Press, 1995), pp. 147-53.
(4)  Chris Skelcher, The Appointed State:Quasi−governmental Organizations and Democracy (Buckingham:Open University Press, 1998), p. 88.
(5)  しかも、奇妙なことに、ブレア政権下で、ウェールズ開発エージェンシーがウェールズ土地当局 Land Authority of Wales とルーラル・ウェールズ開発委員会 Development Board for Rural Wales を吸収合併した後も、ロウベドゥはその巨大化したウェールズ開発エージェンシーの議長に任命されており、二〇〇〇年末の現時点でも依然としてその役職についている。当然、こうした人事に対しては、ウェールズにおいても批判が多いが、皮肉なことに、ある意味で、ブレア政権は、労働党政権でありながらロウ・ベドゥのような保守党員をクワンゴの要職にとどまらせている点で、保守党の「仲間内 jobs for boys」政治を克服しているのかもしれない。
(6)  Goeff Lee,"Sleaze:Standards in Public Life", in Bill Jones (ed.), Political Issues in Britain Today (Manchester University Press, 1999), p. 290.
(7)  Electronic Telegraph, Tuesday 7 November 1995. ちなみに、このとき、メージャー、ブレア、アシュダウンら党首たちは、暗殺されたラビン首相の葬儀のため、投票しなかった。
(8)  この団体は、英国における民主的憲法を求める運動『憲章八八』Charter 88 と提携しながら運動を進めているが、『憲章八八』と同じく超党派の団体である。したがって、この団体を親労働党系であるとか、親自民党系であるとかの分類はできない。『民主的監視』の責任者であるスチュアート・ウェアの話では、たしかに、この運動に結集する議員や研究者、一般市民たちには労働党関係者も多いが、同時に保守党の議員で重要な役割を果たしている人もおり、断じてわれわれは親労働党のグループではないと断言された。しかも、『民主的監視』のリーダーシップを取るメンバーにも労働党員は必ずしも多くないとのことであった。実際、九九年には、この『民主的監視』のメンバーの一人であるアンソニー・バーカーが中心となった報告書『タスク・フォースによる支配』が『民主的監視』の活動の一貫として刊行されたが、その内容はまさに労働党政権におけるタスク・フォース支配の実態を鋭く告発するものであった。
(9)  T. Stott, op. cit., p. 145.
(10)  Colin Crouch,”The Terms of the Neo−Liberal Consensus in The Political Quarterly, Vol. 168, No. 4, 1997, p. 352.
(11)  Colin Hay,"Blaijorism:Towards a One−Vision Polity?", in The Political Quarterly, Vol. 168, No. 4, 1997, p. 373.
(12)  Robert Garner & Richard Kelly, British Political Parties Today:Second Edition (Manchester University Press, 1998), pp. 33-4.
(13)  Richard Rose & Phillip L. Davies, Inheritance in Public Policy:Change without choice in Britain (Yale University Press, 1994), p. 238.
(14)  Tony Blair, New Britain:My Vision of a young country (London:Fourth Estate, 1996), p. 32.
(15)  Ibid., p. 42.
(16)  Ibid., p. 47.
(17)  Ibid., p. 54.
(18)  Ibid., p. 70.
(19)  Ibid., p. 151.
(20)  Ibid., p. 312.
(21)  Ibid., p. 314.
(22)  The Labour Party, New Labour:because Britain deserves better (Investor in People, 1997), p. 32.
(23)  Ibid., p. 33.
(24)  Ibid., p. 34.
(25)  Ibid., p. 9.
(26)  Tony Blair, Leading the Way:A New Vision for Local Government (IPPR, 1998), p. 13.
(27)  Select Committee on Public Administration, The Sixth Report:Quangos:Volume 2 Memoranda of Evidence (London:The Stationery Office, 1999), p. 194. クワンゴという言葉のはじまりについては、Brian W. Hogwood,”The ‘Growth' of Quangos:Evidence and Explanations, in F.F. Ridley and David Wilson (eds.), The Quango Debate (Oxford University Press, 1995), p. 29.
(28)  ちなみに、クワンゴによく似た名前のクワルゴ Qualgo と呼ばれる組織もある。これは、quasi−local government organization ないしは quasi−autonomous local government organization の略で、地方自治体の直属ではなく、他の地方自治体や民間団体と連携しつつも、地方自治体の資金を使用し、公的役割を果たす組織である。Tony Byrne, Local Government in Britain (London:Penguin Books, 2000), xvii & p. 108.
(29)  C. Skelcher, op. cit., p. 5.
(30)  ここで特別委員会と翻訳した Select Committee は、上下両院にそれぞれ設けられた問題別委員会で閣僚を除いた平議員(バックベンチャー)で構成されている。その仕事は、立法に向けた各問題の調査・検討である。この特別委員会で出された報告書は、所定の手続きを経て、多数決によって議決され公表されたものである。なお、特別委員会という訳語は、Select Committee に対していくつかの英国行政関連文献でたびたび使われていることから、本稿でもその翻訳例を踏襲した。
(31)  Cabinet Office, Public Bodies 1999 (The Stationery Office, 1999) p. viii.
(32)  Non−departmental public bodies:a guide for departments (Cabinet Office and HM treasury, 1992), Para. 1. 2. 4.
(33)  Select Committee on Public Administration, The Sixth Report:Quangos:Volume 1:Report together with Minutes of Evidence and Proceedings of the Committee relating to the Report (London:The Stationery Office, 1999), p. xvii.
(34)  Select Committee on Public Administration, Volume 2, p. 194.
(35)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, pp. xix-xx.
(36)  Committee on Standards in Public Life, Second Report of the Committee on Standards in Public Life:Local Public Spending Bodies Volume 1 (London:HMSO, 1996), p. 1.
(37)  この住宅協会は、伝統的には、高齢者や単身者など社会的弱者に対する住宅を供給する組織で、ヴォランタリー・セクターであるが、所轄の NDPB に登録することによって、政府から補助金が出る。サッチャー政権下では、そうした従来のヴォランタリー・セクターとしての役目ではなく、住宅政策の主軸として地方自治体にとって変わる役目を与えられた。Ibid., p. 76.
(38)  C. Skelcher, op. cit., p. 9.
(39)  Margaret Thatcher, The Downing Street Years (Harper Collins, 1993), p. 592.
(40)  Ibid., p. 600.
(41)  Stuart Weir & Wendy Hall, The Untouchables:Power and accountability in the quango state (The Scarman Trust, 1996), pp. 5-6.
(42)  Ibid., 1996, p. 6.
(43)  Matthew V. Flinders,”Setting the Scene:Quangos in Context, in Matthew V. Flinders and Marein J. Smith (eds.), Quangos, Accountability and Reform:The Politics of Quasi−Government (Macmillan, 1999), p. 4.
(44)  クワンゴとエグゼクティブ・エージェンシーの機能的類似性に関しては、前掲の拙稿一五九頁を参照。一言で言えば、エグゼクティブ・エージェンシーの方が各省の中にある分だけ、監査も厳格に行われている点では、クワンゴよりもアカウンタブルであると言われている。ただ、脱獄事件をめぐって罪をなすりあった刑務所サーヴィスのチーフ・エグゼクティブ、デレク・ルイスと内務大臣マイケル・ハワードの例にも見られるように、エグゼクティブ・エージェンシーの下で責任関係があいまいになることも今後もありうるし、そういう意味ではクワンゴ同様、アカウンタビリティーで問題があったとも言われている。
(45)  ウェアとビーサムの主張については、Stuart Weir & David Beetham, Political Power and Democratic Control in Britain (London:Routledge, 1998), p. 203.
  ところで、周知のとおり、日本においては独立行政法人が導入され、国立大学への導入も押し進められようとしているが、この独立行政法人は総務庁関係者や自治省関係者によると、英国のエグゼクティブ・エージェンシーから着想を得ているということである。ただ、具体的には両者の間で異なる点も多い。英国のエグゼクティブ・エージェンシーは、担当省から独立しておらず、しかも構成員はすべて公務員であり、民間から登用されたメンバーがいても同様に公務員である。また、その範囲は全公務員の七七パーセントにも及んでいる点から、数を減らすという動機以上に公的サーヴィスの質的変化を狙ったものであることがわかる。それに対して、日本の独立行政法人は、担当省庁から独立した存在にあり、しかもまた構成員は公務員型と非公務員型になることになっている。そして、その範囲は政府の公務員削減計画に沿って、二〇パーセント程度が充てられたということだけでもわかるように、公的サーヴィスの質的変化を狙ったというよりは、数の削減を狙っただけといえる。もちろん、日本の独立行政法人は英国のエグゼクティブ・エージェンシーから着想を得ただけなのであって、日本独自の展開を含んでいるのは当然であるということもできるが、もし同様の制度を英国で探すのであれば、英国のクワンゴの方が日本の独立行政法人に近いと言えるであろう。実際、政府の政策の執行部分のみを分離して担当するエージェンシー・タイプ・クワンゴは、日本の独立行政法人そのものである。そして、そのクワンゴ自体は、本論文で紹介したとおり、九〇年代の英国で物議をかもした存在である。
(46)  Anthony Barker with Iain Byrne and Anjuli Veall, Ruling by Task Force (Politico's, 1999), pp. 7-35. ところで、本文のような説明をするならば、タスク・フォースは日本の審議会に似ていると感じる方もいるかもしれないが、日本の審議会のほとんどは、各省庁の中にあるものが多く、その点でタスクフォースとは異なる。日本の各省庁にある審議会(例えば中央教育審議会)は、公式的であるとい点でむしろアドヴァイザリーNDPBの方が近いだろう。ただし、アドヴァイザリーNDPBは公式的な存在であるが、省の外にあるという点で、依然として厳密には日本の各省庁の審議会とは異なる。英国のタスク・フォースに最も近いものとなれば、橋本首相時代の行政改革会議のような私的な諮問機関が該当すると考える。ところで、それならば、なぜ、アドヴァイザリーNDPBを審議会と訳さないのかという疑問が出てくるかもしれないが、そうしてしまっては、日本でいう特殊法人と審議会を、同じNDPBということで同列に扱っている英国の行政の特徴が訳出できないからである。
(47)  Cabinet Office, Public Bodies 1997 (The Stationery Office, 1997), pp. vi-vii.
(48)  Cabinet Office, Opening up Quango, 1997, Chapter 2, para., 4.
(49)  Ibid., Chapter 3, para., 15.
(50)  Cabinet Office, Quangos:Opening the doors, June 1998, p. 16.
(51)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. xxv.
(52)  Select Committee on Public Administration, Volume 2, p. 204.
(53)  Ibid., p. 207.
(54)  Ibid., p. 174.
(55)  Electronic Telegraph, 22 September 1997.
(56)  Electronic Telegraph, 30 December 1997.
(57)  例えば、Electronic Telegraph, 28 September 1996.
(58)  Cm 3807, p. 30.
(59)  John Kingdom, Government and Politics in Britain:Second Edition (Polity Press, 1999), p. 549.
(60)  Hugh Atkinson,”New Labour, New Local Government?, in Gerald R. Taylor (ed.), The Impact of New Labour (Macmillan Press LTD, 1999), p. 141.
(61)  S. Weir & W. Hall, 1994, pp. 26-7.
(62)  J. Kingdom, op. cit., p. 488.
(63)  Iain McLean, Concise Dictionary of Politics (Oxford University Press, 1996), p. 411.
(64)  J. Kingdom op. cit., pp. 487-8.
(65)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. xxxii.
(66)  Select Committee on Public Administration, Volume 2, p. 152.
(67)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, pp. xxxii-xxxiii.
(68)  C. Skelcher, op. cit., pp. 29-31.
(69)  Select Committee on Public Administration, Volume 2, p. 171.
(70)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. xxxiii. こうした特別委員会以外によるNDPBの監視の手段としては、ブレア政権の下で、世襲貴族を廃止して新たに創設される上院議会に期待する意見もある。
(71)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. xxxiv.
(72)  C. Skelcher op. cit., p. 31.
(73)  Guardian, 23 March 2000.
(74)  S. Weir & W. Hall, 1994, p. 30.
(75)  Cabinet Office, Quango:opening up the doors, para. 16, 57.
(76)  S. Weir & W. Hall, 1996, p. 13.
(77)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, pp. xl-lii.
(78)  Select Committee on Public Administration, Volume 2, p. 196.
(79)  William Waldegrave, speech in July 1993.
(80)  この市民憲章の発想は、日本でも大流行したし、現在でも取り入れられようとしている。ただ、この効果を過大評価することは禁物であろう。実際、英国において、市民憲章以来、公的サーヴィスが格段に確実かつ安全になったはいえないことは、一九九九年のパディントン駅近くの列車事故や二〇〇〇年一二月の列車ダイヤの混乱などを見れば明らかである。
(81)  S. Weir & W. Hall, 1994, p. 43.
(82)  Committee on Standards in Public Life, First Report of the Committee on Standards in Public Life (Stationery Office, 1995), p. 12.
(83)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. 6
(84)  S. Weir & D. Beetham, op. cit., pp. 212-5.
(85)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. xlvii.
(86)  Ibid., p. xlix.
(87)  Ibid., p. l.
(88)  Ibid., p. liii.
(89)  Cabinet Office, Quangos:Opening up Public Appointmants, June 1999, pp. 5-6.
(90)  Select Commitee on Public Administration, Volume 1, p. liii.
(91)  Commissioner for Public Appointments, Public Appointments to NHS Trusts and Health Authorities (OCPA, 2000), pp. 14-30.
(92)  Select Committee on Public Administration, Volume 1, p. liii.
(93)  もちろん、こうしたブレア政権下での竜頭蛇尾ともいえる状況は、労働党党内にも大きな反発をもたらすことになった。ウェールズ議会創設レファレンダムでの辛勝、同議会選挙での敗北、シングルマザー・身障者などへの給付カットをめぐる反対投票の爆発、ロンドン市長選挙での労働党敗北、年金問題をめぐる二〇〇〇年党大会での執行部の敗北、そしてガソリン危機など、ブレア政権に対する党内の批判は枚挙にいとまがない。既出のトニー・ライト下院議員などはもちろんブレア政権下でのクワンゴ改革に対して不満を持ち続けている。