立命館法学 2000年6号(274号) 53頁




市民概念に関する一考察



小野紀明


 

  西洋政治思想史においてポリスの市民は常に理想的な政治的人間像として描かれてきた。その源泉は名高いペリクレスの『葬送演説』に求められる。この演説は、西洋の輝かしい民主主義を支えるべき人間像を提示したものとして典範としての位置を占めている。自らは貴族の出自でありながらも、ペリクレスは台頭しつつある平民に政治参加への道を開く制度改革を敢行し、アテナイ民主制の黄金時代を築いたのである(1)。確かにそこには今に至るまで民主主義の基本的理念として保持されている幾つかの考え方が提示されている。第一に、法の下の平等(isonomia)と民会で自由に発言する権利(isegoria)が保証されていること。「わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる(2)。」第二に、市民権を獲得さえすればその出身の如何に関わらず平等であること。「われらは何人にたいしてもポリスを解放し、決して遠つ国の人々を追うたことはなく、学問であれ見物であれ、知識を人に拒んだためしはない(3)。」第三に、祖国のために戦う義務を市民は負っていること。「たとえ何がしかの欠陥をもてる者でも、祖国のために戦って天晴れ勇士の振る舞いを遂げれば、この徳を何にもまさるものとして認められてよい(4)。」ペリクレスの市民像は、アリストテレスの政治哲学の中で明確な規定が与えられることになる。彼は国制(politeia)の多様性を承認した上で、国制を担うべき市民(polites)に共通の定義として裁判(krisis)と公職(arche)に与る権利を享受していることを挙げている(『政治学』1275a20ff.)。その上でアリストテレスは、よき市民とよき人間に共通する徳として慎慮(phronesis)の重要性を主張する(1277a10ff.)。周知のように、ここにはプラトンの観想優位の政治哲学に対して実践の優位を強調する彼の独自性が看取されるが、この立場は同様に知恵(sapientia)に対する慎慮(prudentia)の優位を説くキケロへと受け継がれ(『義務について』153)、その後の市民概念を決定づけることになる。キケロを媒介として古代的市民概念が如何に近代の政治哲学の中に脈々と流れ続けているかは、ポーコックの名著が鮮やかに論証して以来今日の政治思想史の共通認識となっており、この研究はまた現代政治学におけるギリシア民主主義研究の隆盛をもたらす契機ともなったのである。
  しかしながら、現代の規範的政治理論は、金科玉条の如くに信奉されてきた民主主義というイデオロギーの暴力性を告発すると同時に、それを支えるべき伝統的な市民概念にも疑義を呈するに至っている。この疑問は、古代の民主主義が近代的な自由を許容しないという点で近代のそれと根本的に異なっているという、コンスタン以来のギリシア民主制批判とは次元を異にしている(5)。また、六十年代以降盛んになった観想優位のプラトン政治哲学と実践優位のアリストテレス政治哲学の比較対照といった観点とも、勿論重なり合いつつもその着眼点を異にする(6)。市民概念批判は、ポリスにおける政治的なるものの成立と同一性の暴力に等しい哲学の成立の相補性から出発しつつも、とりわけ市民の同一性の強制の上に樹立された民主制の暴力に照準を合わせているのである(7)。確かにアリストテレスはポリスが市民相互の友情の所産(philias ergon)であることを重視しているし(『政治学』1280b30ff.)、キケロもまた正義の根底に偽りのないこと(veritas)と友情(amicitia)を置いている(『義務について』23、56)。プラトンにおいてはイデアすなわち真理の同一性と哲学者によるその洞察こそが国家の礎石をなすと考えられているとすれば、その観想優位の政治哲学を批判して実践的、政治的生の優越を主張するアリストテレスやキケロにおいては友情によって結ばれた市民の同一性が真の民主制或いは共和制の基礎をなすと見なされている。そしてこの市民相互の同一性の担保があってはじめて、先述した民主主義の諸理念は守られるのである。今日の規範的政治理論はこの点に批判の眼差しを向ける。例えば、差異と多様性への恐怖が哲学とポリスの成立を促したことを論じたサクソンハウス(8)は、ペリクレスの葬送演説は商品経済の発展が生みだした差異の叢生と私的領域の享受に対して理想的な、しかし画一的な政体(politeia)を提示することにあったと論じている(9)。ペリクレスが、そして正統な哲学の系譜が排撃した差異の守護者、それこそは見せかけを擁護して真の知識と真正な人間関係を嘲笑したソフィストたちであった。ところが、サクソンハウスに従うならばそのソフィストの頭目であるプロタゴラスこそが、民主主義の本当の擁護者なのである。「同じ表題をもつプラトンの対話篇においてプロタゴラスが行っている演説は、おそらく我々がアテナイから受け継いだ民主的制度を最も強力に支持するものである。だが、この対話篇の中で平等という民主的原則の支持者であるプロタゴラスの演説の占めている位置は、とんでもない馬鹿げた話を語る者という訳である。にもかかわらず、プロタゴラスの民主主義擁護は重要なものであり、アリストテレス以前の最も理論的に洗練されたものであることは確かである(10)。」
  プロタゴラスを民主主義の擁護者と見なすサクソンハウスの主張は、哲学史及び政治思想史の常識に照らすならば驚くべきものである。しかし、最近の研究の中にはソフィストを再評価しようとする動きが認められることも事実である。それは、哲学と政治の関係を新たに捉え直そうとする現代思想の一つの応用問題として提示されている。本稿は、こうした解釈の一端を紹介することによって今日の規範的政治理論の特質を明らかにすることを課題としている。そのためにはまず、近代における古代的市民概念の位置づけを確認することから始めなければならない。

(1)  Ostwald, M., From Popular Sovereignty to the Sovereignty of Law:Law, Society, and Politics in Fifth−Century Athens, University of California Press, 1986, p. 175ff.
(2)  トゥーキュディデース『戦史』久保正彰訳ー岩波文庫(上)、二二六頁
(3)  同上、二二七頁
(4)  同上、二三〇頁
(5)  勿論、ラディカル・デモクラシーの文脈で新たに古代の民主制と近代のそれとを比較しようとする学問的試みが盛んになりつつあるのも、事実である。例えば、歴史的事実の検証を踏まえて二つの民主制の異同を議論する一九九三年のアメリカ古典研究学会のシンポジウム「民主主義ー古代と近代」はその一つである。Cf. Ober, J. and Hedrick, Ch. (ed.), Demokratia:A Conversation on Democracies, Ancient and Modern, Princeton University Press, 1996.
(6)  今日のアリストテレス研究は、基本的にはこのプラトンとの相違を認めつつも、更にアリストテレスは最終的に観想優位の立場を保持しているか否か、また保持している場合でも観想と実践は彼の哲学の中で如何なる関係の下に理解されているのかを、詳細に検討する作業に着手している。例えば、Swanson, J.A., The Public and the Private in Aristotle's Political Philosophy, Cornell University Press, 1992;Miller, JR, F.D., Nature, Justice, and Rights in Aristotle's Politics, Clarendon Press, 1995;Tessitore, A., Reading Aristotle's Ethics:Virtue, Rhetoric, and Political Philosophy, State University of New York Press, 1996;Mathew, R., Aristotle's Criticism of Plato's Republic, Rowman & Littlefield, 1997.
(7)  古代ポリスにおける政治的なるものの成立について、また本稿の問題意識とも重なる友情という政治的なるものに対するデリダの批判については、拙稿「政治概念に関する一考察」(『法学論叢』一四六巻五・六号)参照。
(8)  Saxonhause, A.W., Fear of Diversity:The Birth of Political Science in Ancient Greek Thought, The University of Chicago Press, 1992.
(9)  Saxsonhause, A.W., Athenian Democracy:Modern Mythmakers and Ancient Theorists, University of Notre Dame Press, 1996, p. 59ff.
(10)  Ibid., p. 8.


(一)


  ハンス・バロンの画期的なイタリア・ルネサンス研究以来、近代の市民的人文主義(civic humanism)の起源をルネサンスに求める立場はクリステラー、ガリンと受け継がれて今日の定説となっている(1)。そしてこの復活した古代的市民概念がとりわけ近代政治思想史において占める重要性は、スキナーやポーコックの浩瀚な著作によって広く知られるところである(2)。ポーコックは、市民的人文主義の中核をなす市民概念を以下のように規定している。「市民の理想が含意する政治的知識や行為の様態は、スコラ的ー慣習的枠組みが暗黙のうちに前提にしていたそれとは完全に異なる概念化を施されていたと言いうる。……市民は、公的な事柄について公的な決定を下す範囲を大幅に許容する知識論をもたねばならない。普遍的秩序を認めつつ個別的な諸伝統の存在を許すような認識論的基礎の上に市民的生活様式を樹立しようとする企ては、[中世的な枠組みが課す]一定の限界の中に拘束されざるをえない。フィレンツェの政治思想の歴史は、この限界からの決定的な、しかし部分的な解放の歴史であると言うことができる(3)。」周知のようにポーコックは、この解放の過程をフィレンツェにおけるアリストテレスやキケロの復活の歴史と重ねあわせ、その頂点をマキャヴェリに見るのである。「市民的人文主義者や市民的生(vivere civile)の唱道者にとって、アリストテレスの分析やアテナイの歴史から得られた国制論は彼らの政治参加を必然的なものとする理論を提供した。それは、人間の社会的生の普遍性は観想ではなく政治参加にこそ存することを教えていた。個々の人間と彼らが追求する個別的善は市民としてのあり方の中で共通善のための活動という普遍的価値へと姿を変え、より下位の諸価値の追求を許容するのである(4)。」イタリアの諸都市からイングランドを経由して北米大陸へと目を転じるポーコックは、その過程でヨーロッパ大陛にも受け継がれたルソーからマルクスに至る市民的人文主義の伝統の重要性を示唆している(5)。以下では、ポーコック自身が検討することを控えているルソーの政治思想の中に市民的人文主義の痕跡を探ってみよう。
  ルソーの市民(citoyen)という概念が、共和制ローマと並んで古代ギリシア、とりわけスパルタを模範にしているという点は、夙に指摘されてきた(6)。しかし、ポーコックの影響の下に改めてルソーの市民概念を検討した優れた研究が、マウリツィオ・ヴィローリの『ジャン-ジャック・ルソーと”よく秩序づけられた社会”』(一九八八年)である(7)。「我々は見せかけの善に欺かれる(Decipimur specie recti)」というホラティウスの言葉をエピグラフに掲げた出世作『学問・芸術論』において、思想家ルソーの生涯を貫く実存的問題意識は既に鮮明に提示されている。スタロバンスキーの名著以来周知のように、それは社会における人間の存在(e^tre)と見せかけ(parai^tre)の、そしてそれに伴う人間とブルジョアの乖離であった。「もしも外面の様子がいつも内心の状態を反映しているとしたら、………共同体(nous)の中で生きることはどんなに楽しいことだろう(8)。」古代ギリシアにおいて生成変化する世界の中で存在を探求する知的な試みが存在論を、より一般的には哲学そのものを生みだしたことを、ここで想起することは無駄ではない。パルメニデスによる存在論の創始が、エデンの園を追放された人間が蛇によって教えられた知恵を使用しはじめたことに擬せられるように(9)、ルソー的人間にあっても存在と見せかけの乖離は、無垢な幼年時代の終わりを告げる理性の使用と軌を一にしているのである。そして理性の濫用がもたらす傲慢(hubris)を嘆く悲劇詩人たちが神々への素朴な敬虔の念を保持していた古き良き時代への回帰を説いたように(10)、ルソーもまた古代のポリス、それも個人主義の下に文化の繁栄したアテナイではなくスパルタ的なエートスと市民に期待を寄せたのである。「古代の政治家はたえず風俗と美徳について語っていた。我々の政治家は商業と金銭についてしか語らない(11)。」ルソーもまた十七世紀の市民的人文主義者と同様に富と奢侈の問題に取り組んだのである。「では、この奢侈の問題において、正確には何が問題なのか。国家にとって、輝かしくはあるが束の間の存在であることと有徳且つ永続的な存在であることと、何れが大切であるかを知ることである(12)。」ここには、ポーコックが市民的人文主義を規定するに際してメルクマールにした時間意識の問題が如実に現れている。「”マキャヴェリ的契機”とは一定の時間の概念化に与えられた重要性である。そこでは共和国は、それ自身の時間的有限性に直面しつつも、世俗的な安定性を持つ全システムを本質的に破壊していくと考えられる非合理的な出来事の連続に抗して道徳的にも政治的にも安定し続けようとするものと見なされている(13)。」
  勿論、ルソーは単純に古代のポリスを復活させようと企てたわけではない。ヴィローリが指摘するようにルソーの政治哲学は、古代の共和主義を理想視する政治的人文主義と並んで近代の自然法思想・社会契約論をもうひとつの構成要素にしている。前者が国家の構成員の正義と自由に対する情念を鼓舞するとともに、後者は国家の合理的な正当性根拠を提供する。換言すれば、ルソーの政治哲学は自然にかなったポリスの如き共同体を、しかし人為的、合理的に構築しようとするものである(14)。「社会秩序はすべての他の権利の基礎となる神聖な権利である。しかしながら、この権利は自然から由来するものではない。それはだから約束(conventions)に基づくものである。これらの約束がどんなものであるかを知ることが、問題なのだ(15)。」従って国家の法的秩序は一般意志の表現であり、つまりは人間の理性の所産なのである。この点に十分に留意しながらも、本稿では努めてルソーの政治哲学のもうひとつの構成要素である、その市民的人文主義の側面に光を当てることにしよう。その時、秩序の問題が大きな争点として浮かび上がってくる。例えば、サヴォアの助任司祭の信仰告白の次の一節。「良心とはいろいろな偏見がつくりだすものにすぎないとわたしたちは聞かされている。しかしながら、わたしは経験によって、それが人間のあらゆる掟に逆らってがんこに自然の秩序に従うことを知っている(16)。」ルソーの著作に頻出するこの自然の秩序、正しく秩序づけられた自然(la nature bien ordone´e)とは何を意味しているのか。そして共和国における法的秩序と自然の秩序の関係は如何なるものなのか。
  ヴィローリの研究の最大の功績は、ルソーの思想における実在的秩序の重要性を強調し、道徳的秩序のみならず政治的、法的秩序もこの実在的秩序に包摂され、それに基礎づけられていなければならないという、いわばルソーの政治哲学の基礎付け主義的本質を明らかにした点に存する。「ルソーの倫理学と知識論は、客観的な道徳的秩序と客観的真理の存在を前提にしている。それらの何れも神によって与えられたものである。確かに人間の知識は人間の所産という側面をもってはいるが、それは神の英知の所産であるという点で本質的に理性的な自律的実在と触れ合うに至るのである。真理と理性的知識は、ルソーの考え方に従えば人間の約束事(conventions)ではない。寧ろそれらは、既に事物の中に存在する秩序と実在を承認することに等しいのである(17)。」自然状態において人間は自然の秩序から逸脱することはない。自然状態を脱して自尊心(amour propre)に目覚めた人間は、自然の秩序の外部へと転落し、そこに見せかけの秩序を構築する。「こうして、見せかけの秩序は、恐怖に怯えさせるか恩をうることによって全市民の保護を放棄する政治体制や統治権威のすべてを特徴づけている。そこでは特権を享受する人間がいる反面、共通の善は私的利害のために犠牲にされる(18)。」共和国は、人間への服従ではなく法への服従を徹底化することによって見せかけの秩序を真の秩序へと転換する。このような法を制定する主体である一般意志を人為的に創出するための手続きが、あのルソー独特の社会契約なのであるが、それにしても何故に法なのであろうか。
  ヴィローリはルソーのように実在的秩序の存在を前提にする倫理学や政治哲学の系譜をキケロからアウグスティヌス、ポープ、更にシャロンと辿っているが(19)、当然のことながらその系譜の出発点は古代ギリシアの自然観にまで遡るであろう。実在的秩序と見せかけの秩序の対比は、ギリシアにおいて哲学が存在を問題にしはじめた時に既に保持されていた根本的な思惟様式であり概念図式であった(20)。哲学は、両者を自然(physis)と人為・法(nomos)という対概念に置き換えた上で両者の関係を議論したが、両者の一致こそが法的共同体である国家の正当性を保証すると考える点で共通していた。実在的秩序と見せかけのそれとの相違、換言すれば自然と人為・法との齟齬の可能性を前提として政治哲学を構築しようとするソフィストの大胆な企ては、ソクラテスによってたちどころに論駁され、以後西洋政治思想史の主流になることはなかった。市民的人文主義は、此岸的生と世俗的国家の意義を復権するにあたって、この実在的秩序をキリスト教的な創造の秩序から再び異教的な秩序観へと転換することを試みたが、此岸的領域の秩序を何らかの実在的秩序によって根拠づける点では変わりはなかったのである。政治思想史の常識が教えるように、両秩序の連関を否定して政治を純粋に人間の作為の所産と見なす自由主義的な政治思想が成立するためには、中世末期から始まる厳格なキリスト教的二元論の復古を必要としたのである。市民的人文主義は、作為の論理に立脚する近代的政治思想から見るならば自然という実在的秩序を不可欠の根拠とする点で極めて保守的な本質を抱懐しており、この点では近代民主主義の創始者ルソーも政治的空間の自立化をもたらしたと評価されるマキャヴェリも同様なのである(21)
  ヴィローリは、市民的人文主義という共通性の下にルソーとマキャヴェリを比較するに際してとりわけ両者の立法者論に注目する。『社会契約論』第二編第七章「立法者について」においてルソーは、「他の秩序に属する権威」を背景にしてブルジョアを契約へと促す立法者について語っている。ヴィローリによれば国家の創設を準備する「崇高な理性」である立法者は、世界を一定の秩序の下に創造した神にも比すべき存在である。そしてこの点でルソーの立法者はマキャヴェリのそれと一致するのである(22)。「共和国の秩序は一般意志の主権と立法者の英知の上に基礎付けられる。それは人為的秩序である。なぜならばそれは、社会契約という人為と立法者の技術から出発するからである。立法者は、熟練した技術者と同様に、機械のあらゆる部分を機械が作られた目的が成就するように調和的に作動するべく配置しなければならない(23)。」注意すべきは、造物主としての神と正しい政治的秩序を提示する立法者及びそれを担う市民という対比は、単なるアナロジーではないという点である。両者は、自然の秩序とその一部としての政治的秩序という世界観に基づく相補的関係の下に理解されている(24)。そこには、宇宙の秩序(kosmos)と政治的秩序(polis)と魂の秩序(psyche)の三者を相同的な関係の下に捉えていた古代的な世界観が紛れもなく継承されているのである。
  以上をもって我々が確認しえたことは、今日の政治理論にも受け継がれているルソー的、民主主義的な市民概念がある種の実在的秩序に基礎づけられたものであることである。そして基礎付け主義を批判するポストモダーン的政治理論は、当然のことながらこうした市民概念をもまた批判せざるをえない。次節ではこの点を確認することにしよう。

(1)  Baron, H., The Crisis of the Early Italian Renaissance, Second Editin, Princeton University Press, 1966;Kristeller, P.O., Renaissance Thought:The Classic, Scholastic, and Humanist Strains, Harper Torchbook, 1961;Garin, E., Italian Humanism, Philosophy, and Civic Life in the Renassance, Harper and Row, 1965. 勿論、ルネサンスの起源を所謂十二世紀ルネサンスや十三世紀革命にまで遡って探求する試みが存在するように、市民的人文主義の誕生をその時期に認める有力な研究も存在する。経済的な力を背景にして此岸的価値の一定の肯定や世俗的国家の独自性を主張する中世の”政治的人文主義”は、既にしてアリストテレス哲学やキケロによって理論武装していたのである。こうした見解を採用するものとして、Ullmann, W., The Individual and Society in the Middle Ages, The John Hopkins Press, 1966;Nederman, C.J., Medieval Aristotelianism and Its Limits:Classical Tradition in Moral and Political Philosophy, 12th-15th Centuries, VARIORUM, 1997.
(2)  Skinner, Q., The Foundations of Modern Political Thought, Cambridge University Press, 1978;Pocock, J.G.A., The Machiavellian Moment:Florentine Political Thought and the Atlantic Republican Tradition, Princeton University Press, 1975.
(3)  Pocock, J.G. A., op. cit., p. 49f.  古典古代的な市民概念は、市民的人文主義によって近代に復活した後、その意味内容を微妙に変化させていく点にも注意すべきである。本節で扱うように、共和主義を支えるべきフランス型の市民(citoyen)が比較的その意味を忠実に保持し続けたのに対して、資本主義の先進国であったイギリスにおける市民(citizen)は、「富と徳の問題」に決着がつけられて以来、何よりも経済活動に従事する存在として理解されるようになるし、遅れて上からの近代化を開始したドイツにおける市民(Buerger)は、内面と外面、或いは美的領域と政治的領域に引き裂かれつつその分裂に雄々しく耐える存在として描かれている。
(4)  Ibid., p. 75.
(5)  Ibid., p. 462.
(6)  Shklar, J.N., Men and Citizen:A Study of Rousseau's Social Theory, Cambridge University Press, 1969;Leduc−Fayette, D. ., Rousseau et le mythe de l'antiquite´, Paris, 1974.
(7)  Virori, M., Jean−Jacques Rousseau and the ‘Well−orderd Society', translated by Hanson, D., Cambridge University Press, 1988. 「ルソーの著作の真の歴史的意義を正確に評価するには、ルネサンス期における人文主義の興隆とともに登場した、そしてマキャヴェリの諸理念の伝播によって勇気づけられた古典的共和主義者たちの発見と影響という文脈の中にそれらを位置づける必要があるのである。」(p. 14)ヴィローリはこの著作に続いて、市民的人文主義そのものをルネサンス・イタリアに探り、古代的政治パラダイムが近代的なそれへと変化する跡を辿ったすぐれた著作を発表している。Virori, M., From Politics to Reason of State:The Acquisition and Transformation of the Language of Politics 1250-1600, Cambridge University Press, 1992.
(8)  Rousseau, Sur les sciences et les arts, Ouvres comple`tes 2, L'integrale, p. 54(平岡昇訳『学問・芸術論』、中央公論社『世界の名著30』、六七頁−一部訳を変えた。以下、同様。)
(9)  Cf. Barnes, J., The Presocratic Philosophers, vol. 1, Routledge & Kegan Paul, 1979.
(10)  Cf. Saxonhause, A.W., Fear of Diversity:The Birth of Political Science in Ancient Greek Thought, The University of Chicago Press, 1992;Rocco, Ch., Tragedy and Enlightenment:Athenian Political Thought and the Dilemmas of Modernity, University of California Press, 1997. より簡単には前掲拙稿「政治概念に関する一考察」参照。
(11)  Rousseau, Sur les sciences et les arts, p. 59(前掲邦訳、八二頁)  『エミール』には以下のように指摘されている。「わたしの見るところでは、近代にあっては人々はもう力と利害のほかには相手に働きかける手段をもたない。ところが、古代の人々は説得することによって、魂を揺り動かすことによって働きかける場合のほうがはるかに多かった。かれらはしるし(signe)による言語を軽視してはいなかったからだ。」(Rousseau, Emile ou de l'e´ducation, Ouvres comple`tes 3, p. 221 今野一雄訳『エミール』、岩波文庫(中)、二三六頁)この箇所に続いてルソーは、古代の雄弁が美辞麗句の羅列ではなく、しるしを通して存在を現れさせるものであったことを強調している。『学問・芸術論』でソフィストを斥けるソクラテスを高く評価している点と関連させて重視すべき部分である。「もっとも生き生きと述べられたことは、言葉(mots)によってではなくしるしによって表現されたのだ。それは語られた(disait)のではなく示されたのだ(montrait)。」(ibid., p. 221 同上、二三七頁)
(12)  Rousseau, Sur les sciencs et les arts, p. 59(前掲邦訳、八四頁)
(13)  Pocock, J.G.A., op. cit., p. viii.
(14)  Virori, M., Jean−Jacques Rousseau and the ‘Well−orderd Society', 211ff.
(15)  Rousseau, Du contrat social ou principes du droit politique, Ouvres comple`tes 2, p. 518(桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』、岩波文庫、一五頁)
(16)  Rousseau, Emile ou de l'e´ducation, p. 184(前掲邦訳、一二一頁)
(17)  Virori, M., Jean−Jacques Rousseau and the ‘Well−orderd Society', p. 23.
(18)  Ibid., p. 114
(19)  Ibid., p. 53ff. ルソーの秩序観と近代の機械論的秩序観の相違については、以下の重要な研究が参照されねばならない。Baczko, B., Rousseau:solitude et communaute´, traduit par Brendhel−Lamhout, C., Mouton, 1974, p. 168ff.
(20)  古代ギリシアの法・政治思想史の根本問題であるが、さしあたっては拙稿「自然概念に関する一考察」(『京都大学法学部創立百周年記念論文集』第一巻「基礎法学・政治学」、有斐閣、一九九九年、所収)を参照。
(21)  ポーコックは次のように述べている。「卓越性(arete)と徳(virtus)はともに以下のものを意味するようになった。第一に、市民的文脈に中で個人或いは集団が効果的に活動する力、第二に、人格や本質をそのあるがままに保つ決定的特性、第三に、人間をポリスやコスモスの内部であるべき存在にする道徳的善性。これら多様な意味はそのまま近代語の”徳”へと受け継がれ、西洋の古典的思考が終焉を迎えるまで各国語の中にその等価物を保持していた。この言葉は、マキャヴェリという人物をめぐって書かれたあらゆる書物の中で明白な重要性を有しているのである。」(Pocock, J.G.A., op. cit., p. 37)因みに、近年のマキャヴェリ研究はかつてのように彼の近代的な側面を強調するものは影を潜め、市民的人文主義者としての側面に光を当てるものが多くなっている。或いは両側面を架橋することを目論みつつも結果的には後者を浮き彫りにすることになっている。例えば、Sullivan, V.B., Machiavelli's Three Romes:Religion, Human Liberty, and Politics Reformed, Northern Illiois University Press, 1996;Danel, A.D., A Case for Freedom:Machiavellian Humanism, University Press of America, 1997;Kocis, R.A., Machiavelli Redeemed:Retrieving His Humanist Perspectives on Equality, Power, and Glory, Lehigh University Press, 1998. また、Parel, A.J., The Machiavellian Cosmos, Yale University Press, 1992 は、マキャヴェリの政治思想の根底にある占星術的秩序の重要性を丹念に論証している点で興味深い。勿論、他方でシュトラウスの立場を継承しつつ、polis (civitas) 概念から stato 概念への転換にマキャヴェリの近代性を見る伝統的な解釈として、Mansfield, H.C., Machiavelli's Virtue, The University of Chicago Press, 1996. 更に注目すべきは、近年のソフィスト評価と並行する形で、偽善を勧めるマキャヴェリの教説を肯定的に捉える解釈も登場しているが、これについては後述される。
(22)  Virori, M., Jean−Jacques Rousseau and the ‘Well−orderd Society', p. 188f. 勿論、ヴィローリは、暴力を行使するか否かという点にルソーの立法者とマキャヴェリのそれの相違が存することは認めている。
(23)  Ibid., p. 190.
(24)  ヴィローリは、ルソーの政治思想の「形而上学的枠組み」を以下のように示している(ibid., p. 45)。
        @  自然的秩序ー人為の開始ー完成された人為
        A  自然的秩序ー人為的無秩序ーよく秩序づけられた社会
        B  自然状態ー市民社会ー政治社会
  ホロヴィッツは、自然から歴史への転換にルソーの政治思想の画期的性格を見るシュトラウス的立場から、ルソーの法は古代のそれのように自然に含まれるものではなく、あくまでも人為であると主張しているが、首肯しがたい。Cf. Horowitz, A., Rousseau, Nature, and History, University of Toronto Press, 1987, p. 170. しかしながら、ルソー解釈の主流は、依然として彼が国家を人為的な構成物として構想した点を強調するものである。この点は、ザルカの近著においても変わりはない。ザルカはフランス革命の人権宣言に自然法への言及がないことを問題にした上で、その理由をルソーにおいて国家は人為の所産に、法は主権者の意志に求められたために、この時点で近代自然法は終焉を迎えたという点に見出している。Cf. Zarka, Y. Ch., Philosophie et politique a` l'a^ge classique, Presses Universitaires de France, 1998, ch. 18.


(二)


  二十世紀思想史の扉を開いたニーチェがルソーを嫌っていたことはよく知られている。ほんの一例を挙げよう。「私の我慢のならない者ども。……ルソー、すなわち、不純な自然的なものという形をとった(in impuris naturalibus)自然への復帰。」(『偶像の黄昏』ー原佑訳)当然のことながら、「われら故郷なき者」(『悦ばしき知識』)について語ったニーチェがルソーに色濃く残る郷愁を評価するはずはないし、「善悪の彼岸」に立つことを欲した前者が後者の性善説的人間観に与するとは考えられないが、両者の根本的相違点はニーチェが存在物の秩序(ontic logos)である客観的な実在的秩序をおよそ信じてはいない点に求められる(1)。このニーチェの反基礎付け主義は、形而上学の創始者ソクラテス、プラトンを攻撃する反面、彼らの敵であるソフィストや懐疑主義者を肯定する態度を導く。「ソフィストたちがはじめて道徳の批判に、はじめて道徳に関する洞察に着手しはじめる、−彼らは、併存する道徳的価値判断の多数性(地域的な被制約性)を示す。−彼らは、あらゆる道徳が弁証によって是認されるということを理解せしめる。言い換えれば、彼らは、どうして道徳のすべての基礎付けが必然的に詭弁的たらざるをえないかを推量する。」(『力への意志』428ー原佑訳)ニーチェのソフィスト評価は、プラトンを批判するための単なるアイロニカルな表現にとどまらず、彼の思想そのものに根ざしたより積極的な意味を持っている。そして現代におけるニーチェの後継者たちは、師の衣鉢を継いで、プラトンよりもソフィストを高く評価するという哲学史の価値転倒に乗り出しているのである(2)。以下においてその政治思想的含蓄を紹介することにしたい。
  自然と人為をめぐる哲学上の議論の変遷とは別に、そもそも古代ギリシアにおいてソフィストが登場した社会的条件にまず我々は注意を払うべきである。紀元前五世紀のアテナイにおいてソフィストが隆盛を極めた背景にはアテナイ民主制の発展という事実が存在したのである。民衆が政治に参加する機会が増えることに伴って、彼らが身につけている諸々の技術と同様に、政治に必要な言論の技術を彼らに教えるソフィストが要請されたのである。『プロタゴラス』の中で議論されているように、大工や鍛冶屋の技術のような「生活(bios)のための知恵(sophia)」「技術知(entechnon sophian)」と並んで「政治(politike)のための知恵」である弁論術も教えることができるか否かが、当時の重要問題であった。そしてこの問いに次のように肯定的に答えたプロタゴラスは、明らかに民主制に好意的な態度をとっていたのである(3)。「君の国[アテナイ]の人々が、国事に関しては、鍛冶屋の意見であろうが、靴屋の意見であろうが、これを聞き入れるのは当然であるということ、そして彼らが、徳(arete)を人に教えたり与えられたりすることが可能であると考えているということについては、ソクラテス、これでぼくのつもりでは、充分に君に証明されたわけである。」(324C-Dー藤沢令夫訳)
  政治的徳は他の技術のように簡単に教えることはできないと主張するソクラテスとプロタゴラスの見解の相違は、前者が快楽を厳密に計量する理論知を政治的技術の根底に据えることを企てるのに対して、後者は政治的技術は見せかけに関する知識で充分であると考えることから派生している(4)。「[幸福を保証するものは]計量の技術(metretike techne)だろうか、それとも目に見えるがままの現象(phainomenon)が人にうったえる力だろうか?−後者はわれわれを惑わし、同じものをしばしばあべこべに取り違わせ、行為においても大小の選択においても、しまったことをした、と思わせる因となるものではなかったかね。これに対して、計量の術は、もしそれを用いたならば、このような目に見えるがままの現象(phantasma)から権威をうばうとともに、他方、事物の真相(to alethes)を明らかにすることによって、魂がこの真相のもとに落ち着いて安定するようにさせ、もって生活を保全しえたところのものではないかね。」(356D-E)ここに提出された臆見と真知をめぐる問題は、周知のように『テアイテトス』へと受け継がれることになる。この対話篇では「あらゆるものの尺度であるのは人間だ。あるもの(onton)については、あるということの、あらぬもの(me onton)については、あらぬということの」(152Aー田中美知太郎訳)という、プロタゴラスの所謂人間尺度説に対して詳細な検討が加えられている。更にプロタゴラスのこの知識論は、以下のような一種の国家契約説を導く点にも激しい批判が浴びせられることになる。「生来(自然には)これらのもの[正・不正や敬虔・不敬虔]には一つとして自己のまさにあるところのもの(すなわち自己の正体)をもつものがないのであって、これらの公に思いなされたところのもの(koinai doxan)(すなわち公の取り決め)は、それがそう思われたその時に真となり、またそれがそう思われている時間だけは真となっているのである。」(172B)プロタゴラスに代表されるソフィストに対するプラトンの批判は、ここでは紹介するまでもないであろう。要するに、ソフィストが対象にしているものはすべて移ろいゆくものであり、それ自体で存在するものではないということ。「何物も他と没交渉にそれ自体で単一にあるものではなく、何かに対して常になりゆくものなのだということになる。」(158A-B)そしてこの存在と生成の対比に対応して、言論も哲学者のそれとソフィストのそれとが区別されねばならない。前者は、「沈黙のうちに自己自身を相手として述べられるもの」(190A)なのである。
  本稿で問題とされるべきは、その後の西洋哲学史の方向を決定づけたソクラテスのソフィスト批判ではなく、近年のソフィスト再評価の動きである。この動きの中でプロタゴラスの相対主義的認識論は肯定的に捉え返されている。真理の存在とそれを認識する能力の特権性を主張する哲学がエリート主義的な政治思想と親和性を有しているのとは対照的に、ソフィストの主張は「法の下の平等(isonomia)」という民主主義的な原理を導くのである(5)。それはまた自由な発言の機会が保障される権利(isegoria)にも結びつくであろう。勿論、多くのソフィストは現実には富者に寄生する生活を送っていたのであり、ソフィスト術に秘められたこうした民主主義との親和性を自身の政治的態度としても表明したのは、プロタゴラスのような一握りのソフィストにすぎなかったのではあるが(6)
  この秘められた可能性を全面的に発掘する企てが、アラン・ルノーを編者として最近刊行された『政治哲学史』第一巻である。哲学・政治哲学の最新の潮流を踏まえて編まれたこの全五巻の通史には他にも様々の特色を見出すことができるが(7)、ここでは古代ギリシア政治思想の扱いにのみ注目したい。古代ギリシアの政治思想については、まずソフィストの似非政治哲学が紹介された後で、それを批判する中からソクラテス、プラトン、アリストテレスによって真の政治哲学が生み出されたといった形で叙述されるのが、一般的である。ところが、この通史では逆にプラトン、アリストテレスを受けて、アロンソ・トルデシラスの筆になるソフィストの章が続く。それは「政治的理性の最初の批判者」と題されている。その意図について、第一巻への序論においてルノーが述べていることが参考になるであろう。すなわち、プラトンもアリストテレスも政治的理性の普遍性をついに放棄することはなかったのである(8)。これに対してソフィストは、政治的論理の相対性と文脈被拘束性を徹底的に主張した。トルデシラスは、彼らの現代的意義を強調するためにこの点に光を当てる。それは、いわばプラトン、アリストテレスの哲学を脱構築する企てである。
  まず第一に、ソフィストは自然(physis)と人為・法(nomos)の関係について両者の不一致を認め、後者は人間生活の便宜のための恣意的な取り決めにすぎないと断じた。この一種の法実証主義的態度は、法によって運営される政治に政治以外の領域に根拠を有する原理は必要ないということを意味している。「正義と法の要請とが同一視される結果、正義は法の変容したものであるということになる。それ故に、正義はもはや立法者を鼓吹する原理ではない。寧ろ逆に、それはこれら立法者の特殊人間的な所産なのである。立法者は、場合に応じてその都度特定のポリスに対して具体的な正義を制定するのである(9)。」次いで、プロタゴラスの人間尺度説を取り上げるトルデシラスは、それが言語の絶対的な重要性の認識に由来していることを強調する。「ロゴスとは、変換の場所、つまり自然的特性が洗練された産物に、人為(l'art)の産物に姿を変える場所なのである(10)。」政治的空間とは、自然的なそれから切り離された人為的な言語空間である。そしてこの空間に関わる政治的思慮(euboulia)は、ソフィストにあってはすべての人間に許されており、普遍的な設計図が欠如したところでその都度具体的な状況に対処する能力なのである。「[『プロタゴラス』で論じられているように]政治が技術でも科学でもないとすれば、もはやそれは経、験、(empeiria)であり、職人技(tribe)でしかない(『ゴルギアス』462c)。他の技術と違うところは、経験は反復しないものの反復であるという点である。なぜならば、それは一般を特殊に適用することではないからであり、それというのも政治にあっては反復される二つの状況というものも、同一の二つの決断というものもけっしてないからである。……個人的経験の本質的な伝達不可能性、通約不可能性(irre`ductibilite´)に対応するのが、個々の政治的出来事と個々の決断の伝達不可能性と通約不可能性である。それらは、そのままで他へと伝えることができないのである。こうして、認識論の次元でプロタゴラスに帰せられる相対主義は、言語の次元では語相互の関係性の、政治の次元では社会的関係性の対応物でしかないであろう(11)。」結局、ソフィストの主張するところではポリスとは、法に基づく、換言すれば自然という根拠をもたずその都度言語の操作を通じて具体的に制定される取り決めに基づく共同体でしかないのである。「ロゴスによって人間は、ポリスと呼ばれる共同体がその周りに構築される諸価値を他者と共同で吟味するための手段を所有する。市民相互のコミュニケーションの中で法的な思慮、検討、活動が、彼らが決断した共通の価値の周りに彼らを再結集させる。そしてこの活動の政治的特質とは、ロゴスの修辞的作用によって社会的紐帯を常に新たにその都度基礎付け、維持し、強固なものにしようと努めることに存するのである(12)。」
  恣意的且つ修辞的な言語の使用を通じて、その都度具体的に共同体を不断に構築していくというソフィストの政治哲学は、ソクラテスによって始められプラトン、アリストテレスによって完成される同時代の政治哲学に対抗するパラダイムであるにとどまらず、哲学が誕生する以前のポリスのあり方への先祖帰りという側面も備えていた(13)。その意味で、トルデシラスのソフィスト分析は哲学と政治が共犯関係を結び、同一性の政治が開始される以前の政治を解明することによって、基礎付け主義批判と関連した今日の政治理論に寄与することを目的にしていることは、明らかなのである。
  同様の意図をもって書かれた大著が、バーバラ・カッサンの『詭弁の効用』である。カッサンがアリストテレスの批判(14)以来哲学史から追放されてきたソフィストの名誉回復を企てる最大の理由は、彼らがパルメニデスに代表される存在論に反対して、存在を言語のその都度の戯れの所産を考える点に存する。存在論の前提となっている存在の実体化、現前の神話に対して「言説としての存在論」つまり「言語の行為遂行的自律性(l'autonomie  performative)と、言語が生み出す仮象ー世界(l'effet−monde)とに関する主張(15)」をカッサンは、ノヴァーリスの言葉を借用してロゴス論(logologie)と名付ける。「存在=論−言説は存在を顕彰する。言説は存在を語ることを義務としている。ロゴス論−言説が存在を作る[存在せしめる]。存在とは語られた事実である。一方においては外部は自らを措定して、ひとが外部について語ることを強制する。他方においては言説が外部を生み出す。……ソフィストの言説は、文字通りの意味で行為であるのみならず、隅から隅までオースティン的な意味で行為遂行的なのである。つまりそれは造物主であり、それは世界を制作し、それは世界を到来させるのである(16)。」
  この存在論とロゴス論の対照は、政治的には如何なる意味を有しているであろうか。カッサンは、それを自然的なるもの(le physique)と政治的なるもの(le politique)の切断として説明する。換言すれば、ソフィストをもって政治的なるものが登場したのである。ここでの政治的なるものとは、あらゆる政治(la politique)の存在を可能ならしめる「政治の超越論的なもの」である(17)。しかし、勿論のこと、この「超越論的なもの」は自然という根拠を欠いている。畢竟、政治はすべて言語によってその都度の秩序を構築する営みであり、政治的空間は如何なる実体的秩序からも解放された基礎付けなき自律的且つ人為的な言語空間なのである。「実際、ソフィスト術のすぐれて政治的な特質とは、それがロゴスとロゴス論の問題であるという点に存する。このようなものとして、つまり何らかのより決定的な審級に従属しない独自の審級として政治的なるものが現れるということこそが、存在論に対して、エレア学派から発する”存在”の言説に対して、そしてイオニア学派が保持した”自然”に関する言説に対して批判的な位置を彼らが占めるという主要な効果をもたらすのである。……言葉(parole)が発見する自然的なるものは、言説が創造する政治的なるものに取って代わられる(18)。」
  その結果、政治的共同体は内的凝集性を恒常的に担保する同一性原理を欠いており、常に内部に抗争(stasis)を孕みつつその都度アド・ホックな合意(homonoia)の上で運営されることになる。つまりそれは、抗争/合意という両義性の下に置かれているのである。「合意(homonoia)……という政治的なるものの本質は、同一性に基づく統一性ではなく、真に形式的で自由で内容空疎な統一性であり、あらゆる内容に開かれた統一性の形式である。……パルメニデス的モデルがこれとは逆であることは、一目瞭然である。そこでは、”共にあること”(l'avec)の統一性(l'unite´)、ポリスの集合的且つ多元的な統一性が、単一性(l'unicite´)の母胎と化してしまうのである(19)。」
  二十世紀という時代の精神を象徴する形而上学批判の中核を占める言語論的転回がもたらした言語(logos)への新たな関心の高まりは、意味の恣意性の思想の下に言語が何らかの実体的秩序(ontic logos)を表現する可能性を決定的に奪ってしまった。その結果、政治的秩序を支えるべき実体的秩序、それを担うべき人間、それを認識すべき能力といった政治を基礎づける根拠もまたすべて否定されることになった。そればかりか、言語の秩序形成能力そのものが暴力性として告発されるに至っている。こうして、言語を操り人工的空間を創出する魔術師でありながら、それがまた実体なき幻想でもあることを充分に弁えていたソフィストが、今日再び脚光をあびつつあるのである(20)

(1)  ニーチェとルソーの比較については、cf. Schmidt, L.−H., Immediacy Lost:Construction of the Social in Rousseau and Nietzsche, Akademisk Forlag, 1988;Ansell−Pearson, K., Nietzsche Contra Rousseau:A Study of Nietzsche's Moral and Political Thought, Cambridge University Press, 1991. 例えば、アンセルーパーソンは次のように述べている。「ルソーに対するニーチェの主要な批判はルソーの道徳重視に存する。それは、自然的、道徳的な世界ー秩序への信念に基づいており、人間の自然的善性を帰結するが、それは善悪の彼岸というニーチェの立脚点と同じではない。」(p. 3)
(2)  この価値転倒の企ての中でソクラテスの位置はやや微妙である。従来からソクラテスとプラトンを区別して、前者における内的対話と後者の孤独な観想の相違を重視する立場(例えば、ヤスパース『ソクラテスとプラトン』やアレント『精神の生活』)や、逆にそもそも対話という方法に着目してプラトン哲学そのものを解釈学的に理解することによって両者の相違を否定しようとする立場(ガーダマー『プラトンの弁証法的倫理学』)が存在したが、内面に宿る不可視の本質の表現という形而上学やそこにおける他者の不在を批判するポストモダーン的な問題意識に立脚して、改めてソクラテスの積極的意義を救出しようという研究が近年目立つようになってきた。Cf. Mara, G.M., Socrates' Discursive Democracy:Logos and Ergon in Platonic Political Philosophy, State University of New York Press, 1997;Howland, J., The Paradox of Political Philosophy:Socrates' Philosophic Trial, Rowman & Littlefield, 1998;Nehamas, A., The Art of Living:Socratic Reflections from Plato to Foucault, University of California Press, 1998;ditto, Virtues of Authenticity:Essays on Plato and Socrates, Princeton University Press, 1999.
(3)  Cf. Cappizi, A., La confluence des sophistes a` Athenes apre`s la mort de Pericles et ses connections avec la societe´ attique, in Cassin, B. (ed.), Position de la sophistique:colloque de Ce´risy, J. Vrin, 1986. また次の論文は、ソフィスト誕生の実際の背景とは逆に弁論術が反民主主義的且つ非科学的と見なされて、第三共和制の古典教育から排除されていった事情を知識社会学的に解明しており、啓発的である。Compagnon, A., Martyre et re´surrection de sainte rhe´torique, in Cassin, B. (ed), Le plaisir de parler:Etudes de sophistique compare´e, Les e´dition de minuit, 1986.
(4)  Cf. Nussbaum, M.C., The Fragirity of Goodness:Luck and Ethics in Greek Tragedy and Philosophy, Cambridge University Press, 1986, ch. 4;Mueller, R., Sophistique et de´mocratie, in Cassin, B. (ed), op. cit. 因みに、マキャヴェリもまた政治における真理とは見せかけのそれにすぎないと明言していた(『君主論』第十八章)。この点に注目してマキャヴェリを解釈し、真理と道徳的誠実を求める伝統的な政治哲学を批判した研究として、Grant, R.W., Hypocrisy and Integrity:Machiavelli, Rousseau, and the Ethics of Politics, The University of Chicago Press, 1997. グラントは、ルソーの政治思想は徹底的な道徳的誠実と本物の自我と透明な対他関係を求めるものであるという一般的理解(例えば、Berman, M., The Politics of Authentucity:Radical Individualism and the Emergence of Modern Society, George Allen & Unwin, 1971;Tayler, Ch., The The Ethics of Authenticity, Harvard University Press, 1991)に逆らって、ルソーもまたマキャヴェリと同様に、道徳的偽善を政治から排除してはいなかったと主張する。例えば、両者は宗教を政治的道具として利用する点で、政治を極めてオポチュニスティックなものと捉えていたのである。こうした解釈の背景には、本稿で紹介するソフィスト評価と同じ自由主義批判があることに留意すべきである。「マキャヴェリとルソーは、政治的偽善の必要性を承知している。換言すれば、彼らは、真正な公的道徳原理に訴えることの大切さを判っているのである。偽善は道徳的口実を要求するが、この口実が必要なのも、政治は単に競合する特殊利益の間の取引だけでは動かないからである。従って政治的偽善は必要であると論じることは、公的原理としての道徳的シニシズムは不可能であると主張することに等しい。皮肉にも、政治においてしばしば偽善が働くという事実は、公的生活における道徳的衝動の強さを証明しているのである。/……両思想家は、誠実で有徳な市民からなる共同体が現実に可能であると思うほど楽天的ではなかった。今日の政治にとって一層重要なことには、彼らは私的利害の抑制された競争に基づく政治を展望するほど楽天的でもなかった。寧ろ逆に、競合する利害の公正な調整をめざす開かれた誠実で合理的な政治の実現可能性に対する深刻な懐疑を裏付ける理論的な根拠が、ここには見出される。彼らの洞察は、政治的生の不可避な非合理性を克服しうるという自由主義のあからさまな楽天主義に対する警告として役立つのである。」(p. 14)
(5)  ソフィストの認識論・知識論としての均衡(isonomia)という原理については、cf. Barnes, J., op. cit., vol. 2, p. 251ff.
(6)  Cf., Mueller, R., op. cit. 因みに、哲学・論理学を支配する継続的時間と永遠という二項対立に対して、ソフィスト術・修辞学を支配する時間表象がこの二項対立を脱構築するところに可能になる瞬間(kairos)であるというトルデシラスの指摘は、二十世紀における反哲学の思想運動が共通に瞬間に注目しているという事実に照らして興味深い。Cf. Tordesillas, A., L'instance temporelle dans l'argumentation de la premie`re et de la seconde sophistique:la notion de kairos, in Cassin, B. (ed), Le plaisir de parler.
(7)  Histoirte de la philosophie politique, tome1-5, sous la direction de Alain Renault, avec la collaboration de Pie`rre−Henri Tavoillot et Patrick Savidan, Calmann−Levy, 1999. リュック・フェリとともに『六八年の思想−現代の反ヒューマニズムについて』(一九八五年)や『反ニーチェ−なぜわれわれはニーチェ主義者ではないのか』(一九九一年)の著者であるアラン・ルノーを、所謂ポストモダーン系の思想家に分類するのは、大いに問題があろう。しかし、『政治哲学史』にはポストモダニズムの潮流に中で「政治的なるもの」をめぐって狭義の政治思想史研究者を越えて議論が活性化している今日の状況が、色濃く反映されている。ルノーによる全巻のための序文には政治に注がれる眼差しの「ずれ」(de´placement)が、従来の政治思想史の典型として彼が挙げるシュトラウス、クロプシー編『政治哲学史』との対照の下に語られている。要するに、今日の政治哲学はもはや古代ギリシアにおいて提出された「正義にかなったよき体制」を理想視して、その回復を構想することではなく、所与の状況の下に困難を解決するために「自己変容」することを目指しているのである。
(8)  Histoire de la philosophie politique, tome1, La liberte´ des anciens, p. 39f.
(9)  Ibid., p. 224−傍点小野。トルデシラスは、法が具体的状況にその都度関わるという点を瞬間(kairos)の概念によって説明している。「法や人間の行為が関わる取り決めが無限に多様な形をとることを考えると、唯一の統一的な基準は”瞬間”(kairos)という基準である。」(ibid., p. 226f.)
(10)  Ibid., p. 249.
(11)  Ibid., p. 255.
(12)  Ibid., p. 273−傍点小野。
(13)  Ibid., p. 214f. et p. 276.
(14)  Cassin, B., L'effet sophistique, Gallimard, 1995, p. 333. 言語は意味を有し、矛盾律に厳格に従うというアリストテレスの言語論は、ソフィストには致命傷であった。「しかし、すべてこの種の議論にとって出発点とすべきは……かれがなにかを、かれ自らにとっても他の人々にとってもわかる意味のあるなにかを、言うであろうという点にある。たしかにかれは、なにかを言うかぎり、なにか意味のあることを言うにちがいない。そうでないとすれば、このような者に対してはなんらの言論(logos)も、かれ自らに対しても他の人々に対しても、ありえないであろうから。……そこで、第一に、少なくとも次のことだけは真実であることは明らかである。それは”ある”あるいは”あらぬ”という言葉(onoma)がそれぞれ或る一定の意味をもっており、したがってなにものも”そうあり且つそうあらぬ”というようなことはない、ということである。」(『形而上学』第四巻、1006a18ff.ー出隆訳)
(15)  Cassin, B., op. cit., p. 13.
(16)  Ibid., p. 73. 因みに、カッサンはこの箇所でリオタールの『文の抗争』第一四八節を引用している。
(17)  Ibid. p. 162. カッサンは、アンティポンの有名な「真理について」断片Aの冒頭の一節「正義とは、人がその中で市民生活を営むところの、国家の法制度を踏みにじらないということなのである」(『ソクラテス以前哲学者断片集』第五分冊、岩波書店、一九九七年、一六〇頁)を取り上げ、「市民生活を営む」(politeueitai tis)ことが”政治的なるもの”であると指摘している。
(18)  Ibid., p. 152ー傍点小野。カッサンは、多様な政治的立場を標榜するソフィストたちに共通するのは政治的なるものへの着目であると指摘した上で、政治的なるものの特質を以下の三点にまとめている(p. 153)。@政治的なるものが存在する。A政治的なるものとは、言語(logos)の事柄であり、同意[言語の用法が一致すること](homologia)に関わる事柄である。B同意(homologia)とは、完全な意見の一致(unisson)というよりは妥協の産物(coincidence)であり、換言すればそれは偽善(hypocrisie)或いは同音異義[同床異夢](homonymie)なのである。
(19)  Ibid., p. 239. 勿論、カッサンは国家の調和(harmonia)を強調するプラトン(『国家』第四巻)とその点を批判して市民の多様性を評価するアリストテレス(『政治学』第二巻第二章)の両者において合意(homonoia)の観念に相違があることを承知している。そして、この相違にアリストテレスに対するソフィストの影響を見るのである(p. 246ff.)。
(20)  ザルカは、既にしてホッブズがこうした形而上学の夢から醒めていたことを指摘している。「形而上学者の幻想は、言説と存在の不可避の切断を見ない或いは見ようとせずに、事物の中には存在せず、ただ言説の中に、そして言説を通してのみ存在する抽象物を実体化する点に存する。命題の意味によって暗示されるものであることを理解しようとはせず、本質を獲得しようとすることは、それ故に幻想のもたらすものなのである。これが、ホッブズがアリストテレスに向けて放つ主要な非難である。」(Zarka, Y. Ch., La de´cision me´taphysique de Hobbes:condition de la politique, Deuxie`me e´dition augmentee, J. Vrin, 1999, p. 119f.)その例としてザルカは、ラテン語版『リヴァイアサン』から以下の文章を引用している。「アリストテレスは言葉ほど物をよく見なかったので、例えば人間と動物という二つの名称の下に理解されるべき物を説明するに際して、それだけでは満足せずに繋辞の”ある”(est)の中に、或いは少なくともその不定法である”存在”(e^tre)の中に認識されるべき何かを人間に対して熱心に探  し求めたのである。彼は、この”存在”という名称が或る物を示す名称であることを疑わなかった。あたかも自然の中には”存在”や”本質”(esse vel essentia)と呼ばれる何かが実際に存在するかのように。」(p. 120)ホッブズに従うならば、言説の秩序と物の実在的秩序は全く無関係なのであり、人間の理性が処理しうるのは前者のみなのである。そして政治的秩序は専ら人工的な言説の秩序に過ぎない。このオッカムをはるかに凌駕するホッブズのラディカルな唯名論が、しかしながらオッカムのように信仰と理性の領域を截然と分かつための論理なのか否かは、議論の分かれるところであろう。ザルカ自身はこの問いに対して肯定的であるように思われる。人工的な言説の秩序としての国家は最終的にその正当性を担保しえない。それ故にホッブズはそれを聖書という神の言葉に求めたのである。「明らかなことは、ホッブズは神学的主意主義の流れに棹を差しており、彼の自然哲学と政治哲学の全体はこの点に依存しているということである。」(Zarka, Y. Ch., Philosophie et politique a` l'a^ge classique, p. 33)他方、ホッブズの政治哲学を徹底的にポストモダーン的、反基礎付け主義的に解釈した以下の研究も参照。Flathman, R.E., Thomas Hobbes:Skepticism, Individuality and Chastened Politics, Sage, 1993.


  六十年代に始まる実践哲学の復権運動は、その先駆けとなったヨアヒム・リッターのアリストテレス、ヘーゲル評価に明らかなように、プラトン及びその近代における後継者であるホッブズの理論知偏重を批判して、政治を含む人間的領域における実践知の優位を主張するものであった(1)。この運動は、基本的にアリストテレスによる観想と実践の区別に決定的な重要性を認めていたが、そもそもこの区別が自然(physis)という実在的秩序を前提にしていることの意味がそこで深刻に問われることはなかったと言える。近代の科学的な機械論的秩序を実践の基底に据えることは拒否しつつ、他方でもはやギリシア的自然はもとよりルソー的な意味での実在的秩序をも想定することが不可能な状況下で、現代の実践哲学の多くは生活世界を貫く解釈学的な秩序に活路を見出したように思われる。本稿において念頭に置かれている八十年代から始まるポストモダーン的政治理論は、この言語によって解釈されるある種の実在的秩序の暴力性をまさに問おうとしている。フランスのポスト構造主義の影響を受けたホーニッグ、コノリー、ムフといった理論家たちは、一様に闘技(agon)という、ニーチェが初期ギリシアに見出した人間関係の様態を政治の基底に据えようとしている(2)。本稿ではこのアゴーン的民主主義を支える市民概念を、西洋政治思想史に伝統的な市民概念との対照の下に明らかにすることが試みられたが、そこにはニーチェと並んでアレントの影が大きくさしている(3)。しかしながら、今日盛んなアレントのポストモダーン的解釈にもかかわらず、彼女にとって理想的市民とはあくまでも対話を重んじるソクラテスであって、けっしてプロタゴラスではなかった(4)。今日の政治理論におけるソフィスト再評価に先鞭を付けたのは、寧ろアレントに決定的な影響を及ぼしたハイデガーである。ハイデガーは、一般的にポストモダーン的政治理論を論じる上で避けては通れない存在である。そこで最後に、ハイデガーのソフィスト評価を瞥見して本稿を閉じることにしたい。
  ソフィストの巨頭プロタゴラスに関して、ハイデガーは一貫して肯定的な評価を与えている。プロタゴラスは、プラトンによって形而上学が確立される以前の本来のギリシア的思考を受け継いでいるのである。ここでは、初期に属する一九二六年度マールブルク大学夏学期講義『古代哲学の根本諸問題』においてプロタゴラスを取り上げた部分を見てみよう(5)。ハイデガーは、プラトンが登場する以前のギリシア哲学の根本的問いを次のように要約している。「存在物の経験。存在物における存在の理解。存在の概念とそれに付随する存在物の概念的、哲学的理解。/存在物から存在へ。理解すること、概念。概念−ロゴス(logos)。真理。何かを何かとして言表すること、すなわちその何かにおける存在物としてではなく、存在として、つまり存在物が存在物として常に”存在する”ものとして言表すること。ロゴス(logos)は感性(aisthesis)ではない。知恵(sophia)、ヘラクレイトスの知恵(sophia(6))。」ここでハイデガーは、ギリシア本来の哲学が存在論であること、しかも存在物の存在をその本質としてではなく、常に存在物に即して思索していること、その際にロゴスが重要な位置を占めていることを指摘している(7)。この伝統に対してソフィストたちの特質は、第一に世界や自然の存在への問いが人間的現存在の存在への問いへと特定されること、第二にとりわけ言葉の使用(Rede)に注目して修辞学や弁証法の発展を促すこと、第三に自然(physis)は絶えざる変化の下に理解され、固定的な法(nomos)よりも人間関係が重視されることに求められる(8)。その中でプロタゴラスの人間尺度説に関して注目すべきは、人間(anthropos)とはけっして人類ではなく、個々の人間、畢竟その都度の人間関係を意味しているという点である。「その人に対して(pros ti)、つまりその都度個々の人間に対して自らを示すものこそが、真なるものである。存在物そのものである。すべての物はすべての者に対して異なる姿で現れる。ヘラクレイトス[との類似性]。なぜならば、すべての物は、そしてすべての者もまた、それ自体において、そして他のものとの関係において絶えざる変化の下にあるからである。認識の対象のみならず認識そのものが、不断に変化している。認識のあり方は、認識されるべき存在物の存在と同一である(9)。」このようにプロタゴラスにおいてもなおギリシア本来の哲学的思索は保持されていると、ハイデガーは考えている。存在物の存在は現存在と存在物、そして現存在相互の”間”にその都度現れるというのが、人間尺度説の意味するところなのである。そこではまだ存在物の本質という考え方も、人間という特権的な存在物も登場してはいない。こうした発想は、西洋哲学の源泉であるソクラテスをもって開始されるのである(10)
  以上の考察から、ハイデガーのプロタゴラス解釈は今日の形而上学的政治に対する批判の中で援用されているソフィスト解釈を既に先取りしていることが了解されるはずである。しかしながら、ソフィスト一般に対するハイデガーの評価はけっして好意的なものではない。今度は一九二四年度冬学期講義『プラトンー「ソピステス」』を見てみよう。この講義の主要部の冒頭においてハイデガーは、ソフィストの特質を非即物性(Un−sachlichkeit)に見出している。非即物性とは、「常に具体的な語り(Rede)と語っている人間の支配を評価すること(11)」であり、「語られている事柄の即物的内容によって煩わされないこと(12)」である。それは”事柄”(Sache)に即していないことであり、畢竟存在物の存在を忘却していることである。それというのも、人間は常に意味を伝達するロゴスによってしか存在を把握しえないからである。「語りこそが世界との交渉と関わり合いの根本的特徴である限り、そして語りがまずもって世界がそこにあるところのあり方であり、単に世界のみならず他者もその都度の単独者自身もそうしたあり方をしている限り、語りの即物性欠如(Sachlosigkeit)とは、人間の実存が真正なものではなく、根を欠如しているということと同義である。これこそが、ソフィスト術における即物性欠如としての非即物性が本来意味するところのものである(13)。」要するにハイデガーは、ソフィストの弁論術や修辞学の重視にダス・マンの饒舌(Gerede)を見ているのである。従って、たとえハイデガーが語りと饒舌を両義的な関係の下に捉えているとしても(14)、だからといって彼が今日のソフィスト再評価の運動に全面的に賛同することはありえないであろう。しかしながら、翻って考えると、たとえ両義的な関係の下に捉えているとしてもそこに真理の言表への、存在の全き現れへの一片の郷愁が残っているからには、今日ハイデガーの批判的継承者たちが却ってソフィストの饒舌を評価しようとすることにももっともな理由はあるのである(15)

(1)  Ritter, J., Metaphysik und Politik:Studien zu Aristoteles und Hegel, Suhrkamp, 1977.
(2)  Connolly, W.E., Identity/Difference:Democratic Negotiations of Political Paradox, Cornell University Press, 1991(杉田敦他訳『アイデンティティ/差異−他者性の政治学』岩波書店、一九九八年);Mouffe, Ch., The Return of the Political, Verso, 1993(千葉眞他訳『政治的なるものの再興』日本経済評論社、一九九八年);Honig, B., Political Theory and the Displacement of Politics, Cornell Univrsity Press, 1993. 現代政治理論における解釈学をめぐる対立の簡単な見取り図として、拙稿「意味の共有か、意味の解体か−現代政治理論における解釈学の位置」(『ディルタイ研究』第一二巻、2000/2001)参照。また、闘技的民主主義に関する簡潔な解説として、cf. Villa, D.R., Politics, Philosophy, Terror:Essays on the Thought of Hannah Arendt, Princeton University Press, 1999, Chap. 5, 6, 7. なお、ムフは、シュミットの政治概念である友敵関係を一種の闘技として理解しているが、それが根拠づけられた二項対立である点で闘技とは異なるという点については、前掲拙稿「政治概念に関する一考察」参照。
(3)  アレントをポストモダーン的に解釈した研究は枚挙にいとまがないが、差し当たっては拙著『二十世紀の政治思想』(岩波書店、一九九六年)第四章参照。
(4)  Cf. Arenndt, H., The Life of the Mind, Thinking, Chap. 17, 18. なお、前節において参照した二冊のソフィスト論集の編者であり、自身も大部の著作をものしたバーバラ・カッサンは、アレントに関しても優れた論攷を発表している。彼女は、アレントが工作人(Homo faber)の先駆として否定的にプロタゴラスを評価している箇所(『人間の条件』第二一節)に注目して、本来ならばハイデガーと同様にアレントもプロタゴラスを肯定しえたはずであると論じている。Cassin, B., Gre`cs et Romains:Les paradigmes de l'antiquite´ chez Arendt et Heidegger, in Abensour, M. (ed.), Ontologie et politique:Actes du Colloque Hannah Arendt, Editions Tierce, 1989, p. 32f.  また『詭弁の効用』では、合意(homonoia)に関するプラトンとアリストテレスの見解の相違にハイデガーとアレントを対応させ、以下のように述べている。「ハイデガーのポリスは悲劇的であり、プラトン的である。アレントのポリスはソフィスト的であり、アリストテレス的である。彼にとっては、政治的なるものは全く政治的なるものではない。彼女にとっては、[政治とは]特異なものであり、政治的なるものという超越論的条件である。」(Cassin, B., L'effet sophistique, p. 249)無論、カッサンは、アレントにとって市民の代表はソクラテスであることを承知している。しかし、カッサンの見るところ、「市民ソクラテスはまたソフィスト・ソクラテスであり、プロタゴラスの衣装をまとったソクラテスなのである。」(p. 258)「哲学的ー政治的なるものと厳密な意味で哲学的なるものとの分水嶺は、ソクラテスによって代表される。或いは一層挑発的な言い方をすれば、アレントにとって前ソクラテス期を象徴するのはソクラテスなのである。ソクラテス裁判は、哲学以前的なるもの、すなわち実践的生(bios politikos)と哲学的なるもの、すなわち観想的生(bios theoretikos)の分裂を誘発した出来事なのである。」(p. 256)
(5)  管見の限りでは、ハイデガーがプロタゴラスに言及する部分を含む著作としては、『世界像の時代』、『物への問い−カントの超越論的原則論に向けて』、『ニーチェ(3)』「三ーヨーロッパのニヒリズム」などがあるが、解釈に基本的な違いはない。但し、三十年代に属するこれらの著作ではプロタゴラスは常にデカルトとの対照の下に論じられている。
(6)  Heidegger, M., Die Grundbegriffe der antiken Philosophie, Gesamtausgabe22, S. 51.
(7)  とりわけ初期ハイデガーにおけるギリシア哲学の解釈については、拙稿「初期ハイデガーにおけるアリストテレスの受容−実践概念の脱構築的解釈(上)(下)」(『思想』第九二〇、九二一号)参照。
(8)  Heidegger, M., op. cit., S. 83ff.
(9)  Ibid., S. 86『世界像の時代』には以下のように述べられている。「プロタゴラスの形而上学的な根本的立場は、……ヘラクレイトスとパルメニデスのそれを守るものである。」(Heidegger, M., Holzwege, Gesamtausgabe5, S. 105)
(10)  『古代哲学の根本諸問題』ではソクラテスについて次のように述べられている。「従来は制作(Herstellen)こそが世界を説明する際の手がかりであった。今やそれは単なる出発点であり、そこに内在するものを認識することこそが重要である。すなわち、それは何故にそうなのか、またそうでありうるのかについての根拠(Grund)、それが何であるか(was)の根拠、つまりは何故に(ti)。」(S. 91)或いは「ソクラテスの常なる問いはそれは何故か(ti estin)に向けられている。やがてそれは形相(eidos)になる。つまり私の関わっているそれは如何に”見えるか”という問いになる。この何故に(ti)は、制作において事実上のものとなるものにとっての根拠である。………あらゆる現実的なものにとって可能的なものは、その本質であり、その何故に(ti)である。」(S. 249)他方で、ハイデガーはソクラテスとプラトンの相違にも言及している。その本質主義的思考にもかかわらず、ソクラテスはまだ恒常的秩序との同定を前提にしてはいないのである。「あらゆる行為は、盲目的行為に対抗して透明性(Durchsichtigkeit)を要求する。目的(Worumwillen)への視(Blick)と見(Sicht)。その都度の存在可能性、つまり適性(Eignung)、”徳”、原理(arche)の可能性は、ここから理解される。その都度の状況における見回し的世界(Umstaende)の下での自己についての知。存在可能性と理解とはまさにこのような知である。」(S. 91)
(11)  Heidegger, M., Platon:Sophistes, Gesamtausgabe19, S. 230.
(12)  Ibid., S. 231.
(13)  Ibid., S. 231
(14)  語り(Rede)/饒舌(Gerede)という両義性は、ハイデガーにとって言葉・ロゴスは存在を開示するものであると同時に、意味のヴェールによって存在を隠蔽するものとして理解されていることに由来する。この点については、前掲拙稿「初期ハイデガーにおけるアリストテレスの受容」参照。また、この両義性も含めてハイデガー哲学全体を貫く両義性に関しては、拙著『美と政治−ロマン主義からポストモダニズムへ』(岩波書店、一九九九年)序論及び第四章参照。
(15)  そもそもカッサンの『詭弁の効用』の主題の一つは、ハイデガーを批判することにある。彼女と同様に形而上学を批判して前ソクラテス期へと赴くハイデガーではあるが、そこに彼が見出したのは、ソフィストではなく、パルメニデスであり、ヘラクレイトス、アナクシマンドロスであった。プロタゴラスを例外として(Cassin, B., L'effet sophistique, p. 108ff.)、ソフィストをハイデガーが好意的に評価しえなかった理由は、偏に彼が存在論的問題構制の圏内で思索しているからであり、言語(logos)をただただ存在を現前させるものとして見なしているからである(p. 112ff.)。従ってハイデガーの見るところ、ソフィストの言語は頽落した現存在の語る饒舌にすぎない(p. 107)。但し、カッサンは、後期の著作「言葉への道」(一九五九年)にハイデガーにおける存在論からロゴス論への転回を認めている。そこではハイデガーは、存在をもたらすものは言葉であることを主張しながら、言葉を更に根拠づけるものはなく、言葉そのものが根拠であると語っている。「ハイデガーの主張する、この[言語の]詩的力能は、パルメニデス的な自同性(la me^mete´)よりもはるかに、ゴルギアス流の言語による世界創造(une de´miurgie)に近いのである。」(p. 114)