立命館法学  一九九五年第一号(二三九号)




◇ 資 料 ◇
フレッド・ハリディ著

国際関係論再考
(ロンドン、一九九四年刊)

菊井 禮次  訳






目    次


  • は し が き
  • 第一章 序論---「国際的なもの」の意味と関連性
     1.「国際的なもの」についての見方
     2.国際関係論の形成に影響した諸要因
     3.国際関係理論の出現
     4.リアリズムと行動主義
     5.一九七〇年代以来の国際関係論
     6.「再考」の媒介要因(以上本号)
  • 第二章 諸理論の相剋
     1.伝統的経験論---歴史学とイギリス学派
     2.「科学的経験論」---行動主義の魅惑(サイレン)
     3.ネオ・リアリズム---内容なき「システム」
     4.無類の誇大壮語---ポスト・モダニズムと国際的なもの
     5.結論---別の進路
  • 第三章 不可避の遭遇---史的唯物論と国際関係論
     1.忌避された挑戦
     2.マルクス主義と国際関係論の三「大論争」
     3.史的唯物論の潜在能力
     4.史的唯物論のパラダイム
     5.理論の抑制
     6.冷戦経過後のマルクス主義
  • 第四章 国際関係論における国家と社会
     1.国家についての難問
     2.諸定義の対比
     3.国内的・国際的アクターとしての国家
     4.国家的利益と社会勢力
     5.諸社会と諸国家システム
  • 第五章 同質なものとしての国際社会
     1.「国際社会」の意味
     2.トランスナショナリズムとその境界
     3.国際社会の「構成」パラダイムとその主唱者たち
         ---バーク、マルクス、フクヤマ
     4.国際関係論にとっての含意
  • 第六章 「六番目の大国」---革命と国際システム
     1.相互無視の状況
     2.革命とその影響
     3.国際システムの形成
     4.歴史的パターン
     5.国際的・国内的連結環
     6.革命と戦争
  • 第七章 国際関係論の隠された主題---女性と国際領域
     1.国際関係論の沈黙
     2.高まる関心---四つの要因
     3.国家と女性---ナショナリズムと人権
     4.含意と諸問題
  • 第八章 体制間対立---冷戦の事例
     1.対立の独特な形態
     2.冷戦の諸理論
     3.理論的対抗の源泉
     4.異質なものの突出
  • 第九章 一方だけの崩壊---ソ連と国家間競争
     1.旧来の問題に対する新しい見方
     2.上からの転換
     3.社会主義から資本主義への移行
     4.国際的要因と冷戦
     5.相対的な失敗
     6.国際的競争の三つのレベル
  • 第一〇章 国際関係論と「歴史の終焉」論
     1.冷戦の余波
     2.歴史的評価の多様性
     3.「歴史の終焉」論
     4.リベラル・デモクラシーと平和の展望
  • 第一一章 結論---国際関係論の将来
     1.規範的なものの挑戦
     2.新たな研究方法論


  は し が き
 本書の諸章は、政治・社会理論と国際関係論研究における新たな展開、及び過去数年にわたる国際システムそれ自体の変動、とりわけソヴェト・ブロックの崩壊、という二つの出来事の双方に対する答えとして書かれたものである。その意味で、また通例の学問的伝統に背を向けているかもしれないという点で、本書は、従来の国際関係論に対して全般的な、かつ一部は理論的な省察を加えたものであり、私がこれまでに公刊した国際システムとその内部の主要な対立に関する多数の、より具体的な諸研究、特に『第二次冷戦の形成』(一九八三年)と『冷戦、第三世界』(一九八九年)及び多くの第三世界事例研究に続く著作である。私がそのような作業に取り組んだのは、国際関係論に関するこうした省察を拡大深化させるだけでなく、国際関係論の内部に多かれ少なかれ存在していた諸々の仮説や問題を引き出したいとも思っているからである。国際関係論は、あらゆる知識分野と同様に、二つの危険---説明的なものであれ倫理的なものであれ、理論的省察を欠いた、単なる事実の記述に終わるという危険、及び歴史そのものの分析に依拠せずに、あるいはその検証を経ずに理論化を図るという危険に晒されている。私の願うところは、本書の諸論文が、諸々の理念と事件に対する応答として、こうした二つの危険を避けて通る通路を見つける手引きとなってほしいということである。本書では、国際システムの性格と、その分析から生じる問題について若干の全般的考察を行っているが、同時に幾つかの個々の論点についても検討した。私としては、本書で行った主題の概観に引き続いて、今後更に理論と歴史を扱った二冊の著作、一冊は国際システムにおける革命の役割に関するもの、もう一冊はナショナリズムとインターナショナリズムの倫理的緊張関係に関するものを書くつもりである。
 本書の諸論文を準備する上で、過去十年以上にわたって多くの友人や同僚の与えてくれた刺激と批判から学ぶことができた。特に感謝したいのは、ロンドン大学経済学・政治学大学院(LSE)国際関係学科(IR)の同僚諸氏と学生たちであり、彼らは個々の接触を通じて、またIRでの全体セミナーを介して、多くの挑戦と刺激を与えてくれた。国際関係学科のマティーナ・ランガーは、テキストの準備に常に協力的で、てきぱきと助けてくれた。「一九九〇年代」国際関係論討論グループとトランスナショナル研究所のメンバーにも、本書で述べた見解の多くを考え出す上で気の合った知的環境を提供してくれたことに対して、謝意を表したい。一番お礼を言いたいのは、パートナーのマクシーン・モリニューである。彼女の援助と考え方は不可欠であると同時に、私の知見を豊かにしてくれた。
 本書の諸章はアップ・トゥ・デートなものに書き改められ、かなり発展させられているが、本書で述べている見解や議論の多くは、過去数年間に公表した一連の論説や論考に依拠している。特に、第一章と第二章の部分は、『ポリティカル・スタディーズ』(三八巻三号、一九九〇年九月号)、『エコノミー・アンド・ソサエティ』(一八巻三号、一九八九年八月号)及び『ミレニアム』(二二巻二号、一九九三年夏季号)に発表された。第四章は『ミレニアム』(一六巻二号、一九八七年)、第五章は『ミレニアム』(二一巻三号、一九九二年冬季号)、第六章は『レヴュー・オブ・インターナショナル・スタディーズ』(一六巻三号、一九九〇年夏季号)、第七章は『ミレニアム』(一七巻三号、一九八八年冬季号)、第八章はマイク・ボウカー、ロビン・ブラウン共編『冷戦から崩壊へ---一九八〇年代の理論と世界政治』(ケンブリッジ大学出版会、一九九三年)、第九章は『コンテンション』(二号、一九九二年冬季号)に、それぞれの初稿が発表された。第一〇章と第一一章は、『ニュー・レフト・レヴュー』(一九三号、一九九二年五月ー六月号)と一九九三年五月一七日にLSEで行ったバークリー・エンタプライズ・レクチュア、「歴史を貫通する夢遊病---新たな世界とその不平」(後にLSEグローバル・ガヴァナンス研究センターから出版)から素材を採り入れている。
 ロンドンにて フレッド・ハリディ 

  第一章 序論---「国際的なもの」の意味と関連性
 本章の目的は二つあり、一つは、「国際的」という用語の意味と、それが引き起こしている混乱を吟味すること、もう一つは、この学問分野の発達と、それを促した基底的諸要因について簡単に説明することである。国際関係論(IR)は、社会科学の研究・教育において不安定な、しばしば周辺的な位置を占めてきた。にもかかわらず、その主題は、一言で言えば十分明白であり、三つの形態の相互作用---国家間関係、国境を超えた非国家的ないし「トランスナショナルな」関係、及び国家と社会を主な構成要素とする全体としての国際システムの作用---から成っている。「国際的なもの」に関する諸理論は、これらの三形態のいずれかに重点を置くことによって、その内容を異にするが、どの理論も、それぞれの形態について何らかの説明を与えている。実際、IR内の主な論争は、大なり小なり、これら三つの次元と、その中でどれが優位に立つかをめぐって行われている。

 1.「国際的なもの」についての見方
 国際関係論の理論的多様性は長所であって短所ではない(1)。それが経験してきた困難は、理論的画一性や停滞にあるのではなく、何よりもその方法論的、歴史的基盤にある。自らの方法論と専門領域としての強みにしがみついて過度に守りの姿勢を取ってきた結果、国際関係論は、概して他の既成学問分野の付属物として扱われてきた。ナショナルな現象を研究対象とする政治学、経済学及び社会学が、これら既成の学問分野の重要な中心をなしてきた。「国際的なもの」は長年の間、員数外の分子であり、学生からすれば選択科目、学者にとっては枝葉末節にすぎなかった。
 過去一〇年ないし二〇年の間に生じた「国際的なもの」の占める地位の劇的な変化は、そのような状況を一層悪化させただけのことである。「国際的なもの」の浸透を力説し、「グローバル化」がナショナルな特性に取って代わりつつあることを強調するのが流行となった今日、かつて無視されていたこの要素は、万人の財産と化した。追放が気まぐれに道を譲ったわけである。だが、その過程で、国際化の程度は曲解されてきた、つまり現在の世界からすれば余りにも誇張され、しかもその原因は、単純至極にも、一九四五年ないし一九六〇年代以降の変動に求められている。このように歴史を短縮してみせるやり方は、トランスナショナリズムに関する文献にみられるように、国民国家あるいは力の役割の時代遅れを無条件に断定したり、または呪文を唱えて「ポスト・モダニティ」の新時代を呼び出す、といった幾つかの形態を取っている。グローバルなものと特有なものとの不断の適応---政治、文化、経済における---は控えめに述べられ、その大半が一六世紀における国際システムの作用にまで遡る、国際過程の遙かに長い歴史は覆い隠される。
 このような二つのアプローチ---否定と誇大視---は、後者の主唱者たちが、今日の世界を、諸国家、諸国民、諸社会が分離し互いに孤立していたとか称する時代と比較対照させることで、自分たちの主張の正しさを示そうとしている点で、同一のコインの裏表にすぎない。「国際化」は、しかしながら、世界金融市場やケーブル・ニュース・ネットワーク(CNN)とその世界的規模の放送で始まったわけではない。ナショナリズムは、一見したところ個別に発展し別々の性格を有しているように見え、またその独自性を誇っているにもかかわらず、それ自体は、国際的な過程であり、諸社会によって共有され、過去二世紀にわたるそれらの相互作用によって刺激された知的、社会的、経済的変化の所産なのである(2)。実際のところ、「国際的なもの」がナショナルなものから、また個々の統一体を繋ぐ連結環の漸次的拡張から生起したどころか、現実の過程は別の道を辿ってきたことを論証することができる。つまり、近代システムの歴史は、国際化の歴史でもあれば、人々・宗教・商業の先在する流れが個々の諸統一体へと分解していく歴史でもある。近代国民国家形成の前提条件は、国際的な経済と文化の発達であり、その中で、これらの個別国家は一つに合流したのである。
 英米の著作家たちは、過去二〇年ないし三〇年にわたって政治支配と主権の諸形態が、トランスナショナルな過程によって浸食されてきた状況を強調する。しかし、それは、この両国の特殊な、しかも極めて例外的な自国史から生まれた途方もない歴史的独断である。今日世界に現存する一九〇カ国前後の主権国家のうち、過去二世紀に外国の占領を免れた国家は半ダースにすぎない。例えば、島国意識が大抵の国よりも強く、しかも外国の占領を免れた半ダースの国の一つである英国の場合でさえ、純粋に一国的な歴史は存在しない。というのは、ジュリアス・シーザー、聖オーガスティン、アングロサクソン民族の侵攻から、一〇六六年、宗教改革期、近代国家の誕生と欧州の近隣諸国との対立を経て、帝国と世界大戦の時代に至るまで、国内的な要素と国際的な要素は常に相互作用してきたからである。米国は、一七八三年の独立以来、外国の占領を免れてきた。しかし、同国の全発展史は、国際的なものとの相互作用の発展であった。即ち、その領土の大部分を他国と民衆から力ずくで、また購入で獲得したこと、他の国々から大量の人口が流入したこと、一八九〇年前後から合衆国の金融力と工業力が世界中に拡がったこと、その経済と政治システムが国際的対立によって形成されたことが、それである。
 どちらの国でも、一国的孤立の神話が、両国の政治的発展の構造に関わるもう一つの神話、非暴力的発展の神話と結びついている。両国は後に、民主主義の漸次的普及を通じて正当性を獲得し得たが、英米とも力によって樹立され、一度ならず力を借りて維持されてきた国家であった。その上、ごく簡単に比較調査してみるだけで、民主主義的形態の普及と普通選挙権の到来がそれ自体国際過程であり、変動する国際的規範の結果であると同時に、国際的諸過程、即ち一方における工業化と大衆社会の出現、他方における両世界大戦から生まれた政治的圧力という諸過程が様々の社会に及ぼしたインパクトの結果でもあったことが、それとなく分かるであろう。同じことは、一国経済の歴史についても言える。通商、及び国家間競争の必要から生じた国家の介入が、オークの植樹や道路建設から産業、技術、教育の推進に至るまで、一国経済の過程を規定してきたのである。同様に、各州の独自性とか倫理的相対主義ということで維持されていた奴隷制の消滅も、国際貿易と生産に生じた広範な変動を反映している(3)。
 国々の「内部」に起こった事柄として存在し、また一般に研究されている現象は、政治的及び経済的変動の遙かに広大な国際過程の一部であることが分かる。「一国」の歴史の隅から隅まで、すべて国際的な競争、影響力、実例が、中心的な歴史形成の役割を演じているのである。軍事目的の課税と通商税の徴収は、近代国家の中枢に位置している。英国の関税・間接税務局が政府省庁から広範な自主性を得ているのは、同局がどの省庁よりも古くから存在してきたからである。従って、どの国家をとってみても、純粋に一国的な歴史はあり得ない。同様に、国際的なものの及ぼす、単なる付け足しでもなければ最近だけのことでもない、歴史形成的なインパクトを否定するような経済理論、国家理論あるいは社会関係理論もあり得ない。それ故に、在来のアプローチ---否定と誇大視---のどちらも、すべての社会科学者に共通する問題、しかし国際関係論という特定の研究分野の視座からすれば、その理論構成に関わる関心事である問題、即ちナショナルなものとインターナショナルなもの、対内的なものと対外的なものの相互作用の問題を正当に扱っていないのである。

 2.国際関係論の形成に影響した諸要因
 国際関係論という科目は、すべての学問的専門領域と同様に、複数の次元から成る研究分野である。どの社会科学も、その起源と発展を外部世界との相互作用に負っている。例えば、経済学は一八世紀と一九世紀における貿易と工業化に対する、社会学は都市社会の進展に対する、人類学は植民地との出会いに対する、等々の応答として誕生した。しかも、それぞれの学問分野にはまた、大学で教授される学科目としてそれ自身のアジェンダがある。即ち、一時の流行や権力の圧力に抗して、その主題を冷静な立場で考察する必要、その中身と方法を、それを学ぶ学生の知性を研ぎ澄まし鍛練する手段として用いるという使命、及びそれ自身のまとまりをもった専門領域としての持続的関心事がそれである。
 国際関係論のそのような持続的関心事には、大学で提供される通常の講義科目から明らかなように、二つの異なった面がある。その一つは分析的な面であり、国際関係における国家の役割、至上権力がない状態での秩序の問題、権力と安全保障の関係、経済力と軍事力の相互作用、紛争の原因と協力の基盤が、それに当たる。もう一つは規範的な面であり、力の行使はどのような場合に、またどの程度であれば正当化されるかの問題、我々が国家に対して負っている義務と自国から負わされているのではない義務、国際関係に占める道義の位置、介入の当・不当が、それである。
 国際関係論は、しかしそれと同時に、別の次元、つまり「現実的な」世界、多分正確には「非内省的な」世界という次元に位置を占めている。人間活動の広範な領域の中で、国際的なものの分野におけるほど、神秘的やものやイメージ的なものが日常の議論の中で幅を利かせている分野は、どこにもない。民族的帰属意識と反感の強さ、殆どどこにでもみられる「外国人」についての陰謀論議と猜疑心、比較的高学歴層の間にさえある他国に対する驚くべき無知、大衆の感情を掻き立てることを仕事にしている連中が、外来のもの、在住外国人、「他国民」の実情を偽り伝えることで、そうできる安易さのことを考えてみればよい。
 大学で教えられる社会科学のあらゆる専門分野の中で、国際関係論に携わる者は、おそらく最大の誤解と無知に遭遇し、他のどの分野にもまして概念・倫理・事実関係に関する先入観の一掃に取り掛かることになるだろう。それだけでも勿論、この専門分野には一定の意味がある。たとえそれが、国際的論争点の説明に果てしない努力を強いるとしてもである。一見高度の教育を受け経験を積んでいると見える人々が、他の国々の将来の国際的指向をめぐる論議で、「ドイツ精神」や「大和魂」といった昔ながらの決まり文句をいとも簡単に口にしているのを耳にするとき、我々は、歩むべき道のりの遠さを思い知らされるのである。国際関係論がなしうる最善の努力は---精神分析学の目的に関するフロイトの有名な断言を借りて言えば、その活動範囲で---神経症的状態を日常の共通の悩み事に移し変えることかもしれない。
 国際関係の学問的研究の外部世界に対する関係は、勿論他の関心事によって形成され、刺激される。そのような関心事のうち、あるものは明白であり、あるものはそうではない。最も明白なものは、人々が、国際的なものは重要である、つまり、それは脅威の、とりわけ軍事的脅威の源であり、大きな経済的得失を招きかねない領域であり、明らかに日常生活の中に益々侵入してきている、と感じていることである。国際関係の学問的研究は、就中最大の国際的侵入、即ち戦争の原因を研究し、将来その勃発を少なくする方策を開発しようとする試みとして始まった。国際関係研究はそれ以来、もっと広範なアジェンダ---特に国際経済活動のそれを包含するようになった。世界が変動するにつれて、国際的なものの学問的研究に投げかけられる問題も変化する。研究上の難点は、国際的争点の圧力そのものと、そうした争点の分析や解説に対する要求が、学問的思考の刺激剤や修正手段として役立つだけでなく、制約要因としても働くということである。その結果、外部世界の珍奇な出来事ばかりか、大学で行われる研究活動そのものまでも、基金提供者や政策決定者が朝刊で読んだ事柄に左右されることになる。だが、そのような関心に従って国際関係論の学問的アジェンダを決めるのは危険である。というのは、それによって研究の独立性が失われるだけでなく、歴史的かつ概念的に釣り合いの取れた見方もできなくなるからである。幸い経済学者は、株式取引やインフレ率の見通しについてコメントしたり、相談を受けたりすることができるし、同じく政治学者も、次回の選挙結果に関して見通しを提示できる。といっても、それは、彼らが大学で教える内容の基礎とはならないように、国際関係論の場合にも、そうなるべきではない。
 しかしながら国際関係論に加わる圧力は、別の、それほど明らかではない要因、その理論的不可視性とでもいうべき要因の故に一層大きくなる。大学でそれを教え研究することを職業にしている者以外には、この専門分野の輪郭は一向にはっきりしておらず、昨日のニュースや比較的近いか今日の国際史の半端な一こまについての尤もらしい解説以上のものではない。その原因の一端は、「インターナショナル(国際的)」という言葉の日常的な混乱にある。この用語それ自体は、国家間の法的繋がりを表すためにジェレミー・ベンサムが一七八〇年に造り出したものであるが、「ネーション(国民・民族)」という用語のその後の意味に照らして言えば誤称である。というのは、それは、我々が今日使用している意味での諸国民間の関係とは、全くといっていいほど関わりをもってこなかったからである。国民と国家とは一致する場合もしない場合もありうるが、しかし両者が一致するときでさえ、通常「国際的」と称されている関係は、国々の政府間に生ずる関係を指すのであって、それぞれの国の国民大衆同士の間に発生する関係ではない。しかも、この用語を使う人々の殆どにとって、「国際問題」という言葉は全く異なる二つの事柄を含んでいる。即ち、一つは新聞で外信蘭に載っているもの、つまり他国の国内問題や内政であり、もう一つは厳密な意味での国際問題、即ち諸国家間及び諸社会間の関係そのものである。前者は学術用語で言えば、地域政治論や比較政治論の領分であり、国際関係論という学問的研究の基盤を形成するのは後者だけである。
 ところが、これに加えて、国際関係論には最後に奇妙な性質がある。一般に社会科学に関心を抱いている人々の大半は、一連の分野における理論的作業について、それらの理論が実際に述べている事柄を詳細に説明できないとしても、一応は知っている。例えば、高級紙や「ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス」の平均的読者は、ケインズやフリードマンといった経済学の理論家たちのことを聞いたことがあるだろうし、また哲学分野でのロールズとノジック及び彼らの弟子たちの間の論争、あるいはフーコーと「ポスト・モダニズム」の一般思想についてよく知っているだろう。国際関係論の場合にはけっしてそうではない。この学問分野の外にいる人で、国際関係論に関する争点は言うに及ばず、その分野の理論的作業に携わっている誰かについて知っている者は殆どいない。時事問題と常識を小綺麗に結びつけ、それに歴史的関連性を中途半端にでも加味すれば、万事うまく行く、という思い込みがあるからである。従って国際関係論の二つの次元、学問的次元と政策に関連した次元の間の適切で創造的なバランスを維持するのは、それだけに困難である。だが、正に現在の問題の引きつける力が強いからこそ、そうしたバランスを適正に、可能な限り適正に保つことは一層重要である。

 3.国際関係理論の出現
 本章の残りの部分で、国際的なものの理論化がどのように推移してきたか、について簡単にスケッチすることにしよう。国際関係論の発達は、すべての社会科学の場合と同様に、それに影響を及ぼす二つならぬ三つの同心円、即ち、当該専門科目それ自体内での変化と論争、世界情勢のインパクトのみならず、更に他の社会科学領域内に生じた新たな考え方の影響、という三層の同心円の所産である。専門領域の簡明な系譜は一般に知られているが、後者の二つの影響は余り注目されていない。それについての国際関係論の「自覚」は極めて低く、自領域に作用する専門分野外の諸要因を適宜考慮に入れる点に関しては言わずもがなである。だが、どちらにしろこれらの影響は十分明白である。二〇世紀史の主要な事件(第一次及び第二次世界大戦、冷戦とその余波)は、パラダイム間論争と少なくとも同じくらい国際関係論の焦点を形成してきたのである。とはいえ国際関係論は他の社会科学と同様に、知的権威の失墜を恐れて、こうした関連性をいささか曖昧にしようとしてきた。従って、冷戦が「リアリズム」を積極的に支えていたこと、あるいはヴェトナム戦争が「相互依存」意識の促進に一役買ったことは無視されてしまう。同様に歴史と社会のナショナルな相違も、それぞれの分析手法と研究内容を規定してきた。例えば、米国で政策決定の研究であるものが、ドイツでは民主主義と対外政策の関係の分析となりうる(4)し、また第三世界諸国は外国の支配に、発達した国々は統合にそれぞれ関心を抱く、といった具合である。より一般的に言えば、国際関係論の諸概念の「歴史性」そのもの、それらが特殊な状況の下で生まれたこと、及び分析的見地からすれば、それらの概念が特定の時期に関連していることは否定される。
 知の歴史と一般史の連係は断続的かつ不明瞭なままであるが、より限定された文脈で言えば、国際関係論と他の社会科学の趨勢との関係もそうである。国際理論と分析の数々の論点は、多くの古典的政治思想の中にずっと存在してきた(5)。戦争原因に関するツキディデス、権力の性質についてのマキャヴェリとホッブス、国際法に関するグロティウス、コスモポリタニズムの前提条件についてのカントとマルクスは、最も明白な先行者の若干例にすぎない。これらの考慮すべき問題は、しかしながら、より広範な理論的営為---歴史学、法学、哲学、政治理論---の一部であって、しかもここでの分析主題、「国際的なもの」に影響を及ぼす問題としてたまたま取り出しただけのことである。
 独自の学問分野としては、国際関係論の歴史は一世紀に満たない。国際関係の研究は第一次世界大戦直後に始まったが、その焦点は、戦争勃発の要因と再発防止手段にあった。英国の大学に最初の講座と学部が設けられ(アバリストウィス大学、LSE、オックスフォード大学)、他方学界とは別に、国策の策定に資する研究機関として王立国際問題研究所が設立されたのは、この時期のことである。同じ時期に合衆国でも、同様の理由から大学に学部が設置され、また外交関係評議会が創設された。
 国際関係論の三つの構成要素---国家間関係の要素、トランスナショナルな要素、システムとしての要素---は、多くの特定領域への分化と様々な理論的アプローチを可能にする。今日では国際関係論は、国際理論それ自体(即ち、これら三つの要素の理論化)に加えて、下位分野として戦略研究、紛争・平和研究、対外政策分析、国際政治経済論、国際機構論、及び戦争に関係する一群の規範問題、つまり義務、主権、諸権利の問題を内包している。分析対象を異にするこれらの下位分野に追加すべきものとして、理論的アプローチに馴染む、あるいは馴染まない一連の地域別専攻分野、及び個別国家と国家グループの研究が挙げられる。これらの研究分野は、理論的アプローチの点では異なるとは限らないが、それらがいかなる論点に相対的重点を置くか、例えば、イデオロギーかそれとも法か、経済面かそれとも軍事力か、によってかなり相違する。一九八〇年代だけでも、一連の新たな国際的論点が国際関係論の分析対象範囲に組み入れられ、それぞれ個別科目として教えられることになった。その幾つかだけを挙げても、海洋利用・大洋政治、女性と国際領域、第三世界の国際関係、エコロジー問題、国際的次元のコミュニケーションがある。
 国際関係論内部での主題の増大と変動は、既に言及したように、理論的アプローチの進展に見合っている(6)。その初期段階には、国際関係論は自分の出所である学問分野から自らを区分しようとした。例えば、その比較論的及び理論的アプローチの点で、国際関係論は国際史、即ち外交史とは別個のものだとした。時の経過とともに国際関係論は、規範的アプローチよりもむしろ実証主義的アプローチを採用している、また法の次元を超えた国際的相互作用の諸次元を分析対象としているということで、国際法から自己を分離した。国際関係論が政治学そのものから区別されたのは、それは政治を経済や軍事と結び付けようとしている、またその分析対象は一国の国内政治システムではなくて国際システムそれ自体、特にその内部で主権的権威を欠き、暴力の行使が相対的に顕著なシステムである、という理由によるものであった。にもかかわらず、その理論的進展は、他の社会科学、とりわけ経済学との高まる相互作用と並んで、上記の学問分野との引き続く相互作用及びそれらからの借用を必要とした。国際関係論と同系と考えられながらも殆ど関係のなかった二つの学問分野は、社会学と地理学であった。後ほど第四章と第五章でみるように、国際関係論は社会学から若干の観念、特に「社会」の観念を利用したし、またその初期には地政学の関心事と交差したものの、どちらの学問分野も、それに大きなインパクトを与えはしなかった。その結果、とりわけ注目されるのは、これらの学問分野におけるその後の理論的展開が、国際関係論の内部でしばしば認識されてこなかったことである。国際関係論が再び公然と他の社会科学領域から学び、またそれらに貢献し始めたのは、その初期の「保護主義」的局面を克服した最近のことにすぎない。歴史社会学の近年の関心事、即ち、国家機構内での戦略的、「戦争遂行」的業務の支配に対する関心、また内発的要因よりもむしろ国際的要因が国家の発展を規定してきた度合いについての関心は、他領域への貢献という後者の過程の好例である。
 国際関係論に親に当たる学問分野があったとすれば、それは歴史学ないし政治学というよりもむしろ国際法であった。大陸ヨーロッパでは、このパターンが多くの大学の学部に普及している。第一次世界大戦後の初期段階には、国際関係論は、今日誤って「ユートピアニズム」ないし「理想主義」として提示されている、主に法学的なアプローチを採用した。このような「法による平和」学派は、部分的にはウッドロー・ウィルソンのリベラリズムから派生し、国際条約、交渉手続き、及び国際機構、特に国際連盟の育成によって戦争を制限もしくは防止しようとした。このアプローチへの学問的批判者はしばしば、「ユートピアニズム」としてそれに言及するが、しかしこれは、三つの点で人を誤解させる分類である。第一にそれは、国際関係の調整または改善を図る試み、つまり全く現実的な計画を理想、「ユートピア」の追求と混同している。第二にそれは、ウィルソンが法による平和実現の中心的前提条件としていたもの、即ちリベラル・デモクラシーの全般的な普及という、第一次大戦後に性急にも予期した点で彼は誤ったが、第一〇章でみるように、国際的なものにとって重要な意味合いをもつ事柄を無視している(7)。第三に「ユートピアン」を軽蔑することで、これらの批判者は、社会・政治理論の有効且つ長期にわたって存続してきた部分、即ちユートピア思想そのものの概念と分析を忌避している。

 4.リアリズムと行動主義
 一九三〇年代の危機に伴って、「イデアリズム(理想主義)」は「リアリズム(現実主義)」に道を譲った。リアリズムは先ずE・H・カーの著作に、その後ハンス・モーゲンソー、ヘンリー・キッシンジャー、ケネス・ウォルツ等、合衆国在住の著作家の著述に登場した(8)。彼らは、諸国家のパワー追求、そのパワー内で占める軍事力の中心的位置、多数の主権国家から成る世界での紛争の持続的不可避性を、自分たちの主張の出発点とした。リアリストは、道義、法、外交の役割を全面的には否定しないものの、平和維持の手段として軍事力に最大の重点を置いた。彼らは、紛争調整の中心的メカニズムはバランス・オブ・パワーであり、それを通じて、一国家の過大な力は他の諸国家側の力の増強あるいは同盟関係の拡大によって相殺されるだろう、と信じた。彼らによれば、このメカニズムは国際システムに内在しており、しかも意識的に推進しうるものであった。
 こうした動向と並行して、大西洋のヨーロッパ側に位置する一群のリアリストたちは、「イギリス学派」として知られるようになる学説を展開した。即ち、チャールズ・マニング、マーティン・ワイト、ヘドレー・ブル及びフレッド・ノースエッジは、国際システムの「無政府性」の程度、つまり中心となる統治者の不在の程度を強調した(9)。彼らは、国際システムを剥き出しのカオス状態ではなくて、ある意味で「社会」、即ち一定の約束事に基づいて相互に作用する諸国家群だと見做した。そのような約束事に含まれるのは、外交、国際法、勢力均衡、大国の役割、及び最も議論を呼ぶ点だが、戦争そのものである。この学派は、アラン・ジェイムズ、マイケル・ドネラン、ジェイムズ・メイオール、アダム・ワトソンその他の著作に明らかなように、一貫した方向性と質をもつ成果を生み出し続けてきた(10)。
 第二次世界大戦後、国際関係の学問的研究が発展するにつれて、リアリズムは、この主題に対する、唯一ではないにせよ支配的なアプローチとなった。それは、国際関係と紛争を説明する有力で包括的な学説の地位を獲得した。それは、広く大衆討論で国際関係が議論されるときの常識的な見方と一致した。それは、一九三〇年代の出来事とその成り行きから有力な、一見論争の余地のない確認を受けていた。リアリズムは、一般に英語圏内での理論展開と考えられていたが、ドイツの右派勢力が一九二〇年代以降、声高に叫んでいた国際連盟批判と連動するに至った(11)。事実、リアリズムの中心テーマの多くが、一九世紀から二〇世紀初頭にかけての軍国主義的かつ人種差別主義的社会ダーウィニズムの(国内産)後裔として現れる。それと同時に、一九三〇年代における政治学の「権力」及び、それの形式的な立憲的手続きとは異なった配分過程に対する関心の高まりが、国際関係論の学問分野内でのこうした「パワー・ポリティクス」的潮流を加速したものと思われる(12)。
 リアリズムの支配は一九六〇年代に挑戦を受け始め、それ以来絶えず圧力に晒されてきた(13)。一九六〇年代初期以降、行動主義が方法論と概念論の双方のレベルで、社会科学の他部門におけると同様に、オーソドックスな国際関係論に対しても対抗学説となった。こうして、ほぼ全体として合衆国を地盤とする新「科学」派は、歴史学や「国家」といったオーソドックスな政治学用語を利用する伝統主義的方法から離脱して、観察可能なもの、即ち「行動」の、この場合には国際過程と相互作用の新たな数量的研究を確立しようとした。カール・ドイッチュは、国際コミュニケーションの発達を研究した。ジェイムズ・ローズノーは、オーソドックスな国際対国家の関係を迂回する諸社会間の非公式の相互作用、「トランスナショナルな連携」に焦点を合わせた。モートン・カプランは、国際システムに関するもっと「科学的な」理論化方式を開発した(14)。「伝統主義者」と「行動主義者」の間で広範囲にわたる、しかもしばしば辛辣な論争が行われたが、それは、その中身と論調で、政治学内部の同様な議論で提起されたテーマの多くを忠実に反映していた。バーナード・クリック(政治問題アナリスト)の合衆国政治学に対する弾劾は、国際関係論においても同じく見られた。こうした応酬の中で、双方はむしろ自分たちの哲学と方法論の正しさを無理矢理強調し、「イギリス」学派は自説を堅持して、アメリカ政治学の俗悪な、誤った「科学的」アプローチだと見做されるものに対して歴史学と「分別」を対置した(15)。この論争に関しては、第二章で再度取り上げる予定である。
 「伝統的」国際関係論に取って代わろうとする行動主義者たちの全体的な試みは、三つの重要な点で挫折した。第一に、リアリズムとその後の変種である「ネオ・リアリズム」は、国際関係の学問的及び政策に関連した研究の内部で、支配的アプローチの地位に踏み止まった(16)。第二に、行動主義が、新たな科学的理論化を図ることで、「国家」やその他、在来の歴史的概念の前科学的研究に取って代わろうとして仕掛けた理論的挑戦そのものが、極めて不十分にしか受け止められなかった。というのは、それは就中、国家そのものについて従来のものに代わる新たな理論構築をなし得なかったからである。第三に、データ集積の強みを発揮して大きな新しい成果を示すという、その理論面---及び資金調達面---での約束は、全く果たされなかった。結局のところ、行動主義は、オーソドックスな国家中心的アプローチに取って代わるというよりもむしろ、その補助的な手段となったのである。それにもかかわらず、行動主義の挑戦、及びその後行われた「トランスナショナルな」要因とシステム的要因の理論化から、国際関係論の内部に多くの重要な新しい下位分野が発達した。その中で特に注目すべき下位分野は、対外政策分析、相互依存論、国際政治経済論の三つである。従って、リアリズムとネオ・リアリズムは依然として支配的位置に留まっていたとしても、それは国際関係論の内部で、もはや知的ないし制度的な面で独占的な地位を占めてはしなかった。行動論的アプローチの支流をなす対外政策分析、相互依存論、及び国際政治経済論は、全体的な論争の中で定席を占めることになった。 対外政策分析、特に対外政策の結果と決定を規定する要因の研究は、リアリズムの核心的教義に挑戦する野心的な、しかも多くの点で成功を収めた試みであった(17)。対外政策がどのように形成されるかを分析する上で、それは、リアリズムの中心的前提の幾つかを否定する。即ち、国家は単一のアクターとして扱うことができるという前提、国家は合理的に行動し、国力を極大化し、あるいは国益を守ると考えることができるという前提、国の内部的性格と影響力は、その対外政策の研究には無関係なものとして扱うことができる---これは特にウォルツの大のお気に入りの主張---という前提である。その代わりに、対外政策分析は、対外政策形成過程の構造を、先ず国家それ自体内部の官僚間及び個人間の分裂と対立に関連させて、次いで立法府・報道機関・世論・イデオロギーを含む政治組織内部のもっと広範な諸要素の入力と関連させて考察した。
 このようなアプローチは、国内的要因の関連性を否定するリアリズムによって排除されていたもの、だがその後、政治学の成果との実りある交流をもたらすようになったもの、即ち、対外政策の形成、及び国々の異なった構造的、歴史的、社会的資質が対外政策の策定と実施に影響を及ぼす仕方の比較研究の道を開いた。この回路を経て得られた結論は、国内問題と同様に国際問題の検討においても、「合理的行動」の前提は、官僚間の内部抗争、予期せぬ結果、個人的、集団的妄想、「集団思考」等々を前にして崩れざるを得ない、というものであった。諸国家は合理的な国力極大化機関であり国益計算者だとして扱うことができるという想定は、対外政策の分析にとって不適切な、しばしば注意を逸らせる根拠であることが明らかになった。
 だが、対外政策分析の最大の挑戦は、諸国家はその内部構造や変動とは無関係に、ある環境の下で行動単位として扱うことができる、というリアリズムの主張に対して向けられた。対外政策分析が明らかにしようとしたのは、国内的要因を組み入れたそのアプローチによって、対外政策の形成及びその不合理な行動をより説得的に解明できるという点だけでなく、それに加えて、国々の国内的環境と過程が対外的要因に影響される仕方---その国家がこのような相互作用に巻き込まれると否とを問わず---を確認することが必要だという点であった。経済過程は明らかにそうであったし(石油の世界価格の変動は、各国政府がいかなる措置を選んだにせよ国々に影響を及ぼした)、一連のイデオロギー過程と政治過程もそうである。諸々の社会は、国家間でというよりもむしろ「トランスナショナルな」仕方で相互作用していたし、そしてこのような「連携」が今度は対外政策にインパクトを与えていた。そのような外からの挑戦と影響に直面して、諸国家は環境に応じて、それらに順応するかあるいは先んずるべく行動した。
 対外政策分析は、「制度」に関わる概念を拒否する行動主義から生まれたが故に、国家自体についての理論を発展させなかった。それには他の弱点もある。即ち、政策決定についての狭い、病的なほどの関心、及び国内「環境」に関する社会学的に見て素朴な概念である。従って対外政策分析は、後に歴史社会学の文献が国家の対内的・対外的役割の包括的、複合的分析から得ることになった機会を掴むことができなかった。とはいえ、この問題を初めて俎上に乗せ、対内ー対外関係を新たな観点から検討することを可能にしたのは、対外政策分析の業績であった。
 「相互依存」(諸々の社会や国家はどのようにして益々結びつくようになっていったか、またこの過程の結果どうなったか、に焦点を合わせるために用いられる概念)に依拠した別個のアプローチが生まれたのは、この文脈においてであった。相互依存に関する文献の増大は、国内ー国際的連関を認識する好機---及びその落とし穴---の到来をよく例証している。というのは、それは、このような連関を検討するための文脈を提供する一方で、しばしばそうした関係の単純化をもたらし、すべてがいまや「相互依存的」であるという安易な断言を生んできたからである。
 「相互依存」は、一世紀以上もの間断続的に流行してきた用語である。この用語が今日的な用法で初めて使われたのは経済学上の概念としてであり、そこでは比較的明瞭な意味をもっていた。それによれば、二国間の国力がほぼ均衡していて、両国の相互作用がどちらの国をも、他方の行動に対して著しく脆弱にするような状態であるとき、これら二国の経済は相互依存関係にある。相互の結合が脆弱性をもたらし、従って他方の行動の可能性を制約する方向に作用する、というわけであった。これは、その古典的形態でみれば、事実上、諸国間の通商の増大が平和を強めるという考え方、第一次世界大戦以前に一般に言われ、以後もしばしば耳にしていた考え方であった。一九七〇年代におけるその再現は、経済的事件---ドルの下落、OPEC(石油生産輸出国)価格の高騰---と、ヴェトナム戦争が米国内に与えた政治的インパクトの双方に対する応答であった。一九七〇年代の体系的叙述、特にロバート・コヘインとジョセフ・ナイの著作にみられる相互依存論は、以下の三つの命題に依拠していた。即ち、国家は、他国籍企業のような「非国家的」アクターや勢力のために、国際関係におけるその支配的地位を失いつつあるという命題、軍事・戦略問題、「ハイ・ポリティクス(高次元の政治)」を頂点とし、経済・福祉問題、「ロウ・ポリティクス(低次元の政治)」を下位に置く国際問題のヒエラルキーはもはや存在しないという命題、軍事力は、国際関係の中でその突出した力を失いつつあるという命題、の三つである(18)。国家中心の戦略志向型世界というリアリスト的見解は、以前の時代には事実であったとしても、古い障壁が崩壊し、経済的・政治的勢力が国家に益々注意を払わなくなっているとき、それはもはや当て嵌まらない、というわけであった。
 相互依存論は他方面から批判を浴びた。ウォルツは、相互依存は多くの点で、現在よりもそれ以前の時期の方がもっと大きかったのだから、それは歴史的にみて誤った考え方である、と主張した(19)。ウォルツその他は、相互作用の進展は紛争を刺激するものだと捉えた。「しっかりした垣根があってこそ良き隣人ができる」と彼らは唱えた。ノースエッジとブルは、国家が国民に対する支配権を失い、あるいは国際問題を処理する責任を譲渡することは正しくもあれば望ましくもある、とする見解に疑義を挟んだ。「グローバルな問題」とか普遍的「共通問題」のお喋りにもかかわらず、平和、飢餓、エコロジーといった、これらの問題を解決する責任を依然として引き受けているのは、良くも悪くも国家であった。個々人は以前と同様、国家と一体化し、安全保障・代表者・福祉の諸機能を国家に期待してきたではないか、というわけである。マルクス主義者は、相互依存論が当て嵌まるのは精々、発達した西洋諸国の小グループであり、それを南北関係に適用することは、帝国主義体制が増大させてきた力と富の非対称性を隠蔽することになる、と指摘した。
 一九七〇年代後半から一九八〇年代初期にかけて国際関係が悪化したことも、相互依存論の影響力を弱めた。東西世界と第三世界のどちらの文脈においても、それ程はっきりと、軍事力がその突出した力を失ったようには見えなかった。国際関係はまたもや、しかもむしろ伝統的なやり方で、一般に国家、特に諸大国に注意力を集中しているように思われた。国家に取って代わるとか国家を迂回するなどということは、多くの場合、相互依存論の主唱者たちが示唆していたような良性の形よりもむしろ悪性の形---内戦の状況(レバノン、スリランカ)であれ、歓迎されざるトランスナショナルな過程(とりわけテロリズム、公害、資本逃避)の進行であれ---を帯びているようにみえた。「非国家的アクター」は、新社会運動と同じく決して良性のものではなかった。というのは、前者には、オックスファム、バンドエイド、アムネスティ・インターナショナルに加えて、狂信的な宗教セクトや人種差別主義的青年運動が含まれていたように、後者の種類には、マフィアやメディン暴力団が入っていたからである。

 5.一九七〇年代以来の国際関係論
 リアリズムに対する行動主義、相互依存論、国際政治経済論の挑戦は、主題に関する前者の独占的地位を浸食し、より多様で競争を伴った学問分野を生み出した。そのことが今度は、リアリズムの擁護の面でも更なる拒否の面でも、様々なその他のアプローチを登場させることになった。
 リアリズムの再確認としての「ネオ・リアリズム」---これについては第二章で再度論及する---は、国際政治経済論の関心事と噛み合う面をもっていたが、しかし全体的な分析枠組みの中で占める国家と政治・軍事的関心事の優位性を復権させようとしてきた。例えばスティーヴン・クラスナーは、第三世界諸国家が「新国際経済秩序」を受け入れさせることに失敗した原因を、これらの国家の経済的弱さそのものではなく、むしろ国家としての弱さ、及び国際システムで支配的地位を占める諸国家のそれと衝突する主義主張を掲げたことに帰着させた(20)。ロバート・タッカーは、国際システムを維持する上で、諸大国と軍事力の役割が依然として続いていることを強調し、第三世界諸国家の貧困の原因を、国内に生まれた政治的、経済的要因に帰した(21)。しかしながら、ネオ・リアリズムの中心的教義を最も明確に展開したのは、一九七〇年代後期の二つの主要著作---ヘドレー・ブルの『無政府社会』とケネス・ウォルツの『国際関係の理論』であって、彼らの議論は、第五章及び第二章でそれぞれ批判的に考察する(22)。両者は共に過去二〇年の批判を認めた上で論駁しようとした。こうして彼らは、国際システムにおける諸国家の優位性、及び「非国家的」アクターの副次的力と役割を強調した。それと同時に彼らは、経済的諸過程は他のトランスナショナルな活動と同様に、それが継続するために必要な安全保障と調整の機能を国家に要求する、と論じた。彼らは、相互依存が進んでいるとの主張に懐疑を抱き、国際関係の管理において諸大国の役割が、良かれ悪しかれ、引き続き重要であることを力説した。
 「ネオ・リアリズム」が、伝統的教義を再度主張することでリアリズム批判に応えたとすれば、他の流派は、国際関係論の分析枠組みを、既成の正統学説から更に一段と引き離した。ジョン・バートンは、『世界社会』及びその他の著作で、行動主義を急激に発展させて、個々のニーズと、そのようなニーズによって確立される争点に関わる連関システムに基礎を置いた国際関係理論を展開した(23)。従ってバートンの見解では、国際システムとは、争点に規定された諸々の相互作用の蜘蛛の巣であり、その巣の内部で、軍事力及び国家権力の特別の機構が独自の、だが排他的でも支配的でもない役割を演じていることになる。小グループや個人の調停による紛争解決を特に重視することで、バートンの著作は、政策に対する別の分析枠組みだけでなく別のアプローチをも導入することによって、国際関係の国家中心的観点と華々しく袂を分かった。これと並行した理論展開、即ち「世界秩序モデル化プロジェクト」の中でリチャード・フォークは、やはり人類的ニーズとトランスナショナルな非国家的相互作用に基礎を置いた、国際レベルでの国家権力への代替者と対抗者の理論を発展させた。
 マルクス主義と国際関係論の間に生じつつあった関係は、一九七〇年代及び一九八〇年代におけるもう一つの、非正統的な理論展開をなすものであったが、これについては第三章でより詳細に論ずる予定である。既に指摘したように、マルクス主義が国際関係論に登場したのは低開発の問題に関してであり、議論の大半はこの領域に限定されたままであった。通説とは異なって、第三世界の開発は資本主義のためだとする古典的マルクス主義の開発論は軽視されたばかりか、国際関係論の中心的関心事に比較的関連したマルクス主義の諸概念---戦争の原因、階級の役割、イデオロギーの性格に関する概念---も同様に、国際的なものの分析には適用されなかった。従来のものとは異なるアジェンダ---南北関係及び収奪の国際的仕組み---の第一義性を主張することで、マルクス主義は国際関係論の広大な地平を比較的無傷のままに残した。このように国際関係論が、社会科学の他のどの領域よりも多分大きな程度においてマルクス主義の影響から隔離されていたのは、言うまでもなく、この学問分野に関してアメリカの著作物が圧倒的に支配していたことと無関係ではなかった。つまり、マルクス主義を殆ど欠落させたアメリカの知的風土を反映していたのである。
 一九八〇年代に入ってようやく、このような状況は変化を見せ始めた。国際政治経済論に関する著作の内部に、市場の国際化が進展し、市場が新たな形態を取りつつあることの原因と結果を分析するために、マルクス主義の概念を適用する動きが現れた。対外政策分析に関する著作の内部で、官僚的及び組織的要因が政策の結果にどのように影響するかだけでなく、これらの要因そのものが、階級的要因を含む、より広範な歴史的・社会的・経済的諸要因によって当該国の内部にどのように形成されるかについても、検討することができるようになった(24)。国際的対決と警戒心を助長する上で軍事生産部門が果たす役割は、このことを示す一つの明白な、しかも無視し得ない事例である。
 国際的競争と国家形成をめぐる歴史社会学文献の増大は、それ自体、マルクス主義と大きく噛み合うものであるが、対外ー対内関係について、また諸国家が世界システムと相互に影響し合う仕方について新たな理論的作業を進める上で、極めて実り多い機会を提供している(25)。こうした文献によって、リアリズムの中に恐らく最も深く食い込んでいながら疎略に扱われていたと思われる要素、即ち、リアリズムが使用する国家の法的・領土的概念について議論することが、以前よりももっと可能になった。この問題は、第四章で再び取り上げるつもりである。リアリズムとマルクス主義の間の論争の多くは、国家の問題をめぐって展開されてきたが、しかし、この論争には「国家」に関する二つの全く異なった概念が関係していることは、極めて稀にしか認識されてこなかった。即ち、国際関係論が法学と伝統的政治学から借りてきた法的・領土的概念は、一連の問題を取り上げて理論化することを可能にする。だが、マルクス主義とウェーバー社会学から借りてきたもう一方の概念---そこでは、国家は行政的・強制的統一体、全体としての国というよりもむしろ国ないし社会の中の機構と見做される---は、全く異なった一連の問題の分析を可能にする。そのような問題には、国際的なものと国内的なものがどのように相互作用するか、また国家の福祉的役割であれ、あるいは何が正統政府を構成させるか、させないかの国際的基準の変更であれ、国家の国民に対する関係の変動は、国際的要因によってどのように影響されるか、といった難しい論点が含まれる。
 更にもっと最近になって国際関係論の内部に現れた批判的潮流は、本書の第七章の主題であるフェミニズムの影響を受けた流派である。一九八〇年代半ばに至るまで、国際関係論は性別の問題に対して、社会科学の他のどの領域よりも無関心であるようにみえた。こうした状況は、国際的安全保障や政治的手腕といったハイ・ポリティクスの通常「男性」領域と家庭生活、対人関係、地方性といった「女性」領域の間の区分が広く受け入れられていたことと無関係ではなかった。だが、このような相互の無関心は、互いに接近する二つの過程を前にして崩れてしまった。その一つは、政策領域から来るものである。つまり、一連の国際政策領域の中で、性別に関わる諸問題が近年、目立つようになった。こうした問題に含まれるのは、開発過程における女性の問題、女性に関係する国際法上及びEC政策上の争点、及び国際的な社会経済過程が男性と女性に与える様々なインパクト、中でも海外移住と「構造調整」政策のインパクトである。このような男女両性に共通する問題のもう一角を形成することになったのは、反戦・反核運動への女性の広範な参加であった。全く異なった学問領域において、フェミニズムの著作は、国際関係理論の中心的概念の幾つかと取り組み始め、それらの両性中立的観点がどれほど正当化されているかを問題にするようになった。こうした中心的概念には、「ナショナル・インタレスト」、安全保障、権力、人権の諸概念が含まれている。国際関係論主流派の文献では、これらの概念はすべて両性中立的な概念として提示されている。しかし、フェミニズムによる再検討が示しているように、そのいずれの概念にも暗黙裡の性別的意味合いがある。個人権と社会権を重視する他の諸理論と共通して、フェミニズムがとりわけ問題視するのは、従来の国際関係における慣行の核心そのもの、即ち主権の最高価値である。例えば、独立国家の樹立は多くの国々で、男性に対する女性の地位の低下を招き、他方、主権と民族主義的アイデンティティの主張は、こうした論点を提起する正当性を否認するのに利用されてきた。従って、フェミニズムが実践面でも理論面でも、ナショナリズムの主張、及びそれと相関関係にある主権国家の権力の当然視と大いに格闘する余地が残されているのである。

 6.「再考」の媒介要因
 この章では、「国際的なもの」が、社会的及び政治的現実の補足的な、あるいは最近になって現れた構成要素ではなくて、その中の永続的、本質的な要素であることを論じてきた。ここではまた、国際関係論を、それのもっと広範な知的、歴史的文脈の中に位置づけることを主張してきた。国際関係論のその他の社会科学に対する関係は、とりわけ、それとその他の学問分野が、国内的でもあれば国際的でもある諸問題に対する複合的アプローチを創出できるか否かによって決まる。つまり、特定の問題や出来事に関して、国際的なものがどの程度決定因的役割を演じるか否かを分析することができるアプローチである(26)。相互に関連した諸問題の三つのグループが、自ずからそのことを暗示している。第一は、旧来の、規範的という意味での政治理論の諸問題である。即ち、家族であれ国家であれ、あるいは世界共同体であれ、それへの義務の問題、正義、国内的及び国際的レベルでの正義の実践、正義と競合する価値、特に安全保障という価値との衝突の問題、国家内及び国家間における力と強制の妥当性の問題、主権国家に対する抵抗権の問題がそれである(27)。第二に、もっと今日的な、分析的という意味での一連の理論的諸問題がある。即ち、権力の分析、政治構造・経済構造・イデオロギー構造間関係の分析、国家と国家内部の団体や個人による社会的及び政治的活動への合理的選択モデルの適合性の分析がそれである(28)。
 最後に、本書の焦点をなす問題がある。即ち、社会システム及び政治システムを、国内的決定要素と国際的決定要素の双方に照らして解明するという問題である。一国的なものと国際的なものとのどちらのレベルにもそれ自身の部分的自律性はあるが、しかし前述のように、これら二つのレベルの研究が、政治学と国際関係論の場合が示しているように、互いに隔絶した状態に置かれていたことが、解明と分析を歪めてきたのである。既に論じたように、過去及び現在の一連の国際的要因と関連させずに、個々の国家の政治を説明することは不可能である。「国際的なもの」は、「そこの外側にある」何らかのもの、空襲や石油価格の高騰の形で時たま侵入してくるが普段は無視してよい政策領域ではない。国際的なものは、国家と政治システムの出現以前に存在しており、それらの形成を左右する程の役割を演じるのである。諸国家は国内的・国際的レベルの両面で同時に行動し、前者の領域での利益を極大化することによって、後者の領域での自己の地位を高めようとする。国家間競争の要求は、近代国家の発達を十分に説明しており、他方、国内資源の動員と内部強制は、この競争での国家の成功を十分に説明している。一方における政治学や社会学のような学問分野と他方における国際関係論は、同一過程の二つの次元を考察しているわけである。それ故、他方の側の独自性を不当に侵害したり否認したりしなければ、このことは、両者の間の安定した、実り多い相互関係を暗示しているといえよう。
 しかしながら、こうした関係は、この学問分野自体が、自己に影響を及ぼす三つの同心円のそれぞれについて、特にそれに影響を及ぼす外部要因についてもっと自覚するようになった場合---要するに、この学問分野がそれ自身の知識社会学を採用するようになった場合---に初めて実現されるのである。一群の思想が、「現実的」世界と効果的且つ批判的なやり方で関わりをもつことができるのは、こうした繋がりを隠すことによってではなく、優先課題の設定と、外部からの要因がそれにどのように影響してきたかについての自覚のどちらにおいても、この繋がりから一定の距離を保つことによってである。社会科学一般の歴史、そして実は自然科学の歴史もそうであるように、国際関係論の歴史は、このような外部からの強制がいかに的確に認識されていなかったかについて、多くの事例を提供している。この学科目の優先課題となってきたのは、国家に関係のある資金提供機関の要求で直接作成されたわけではない場合にも、主として、エリート層と国家の優先事項であった。だが、このことは、明示的な研究内容自体について言えるだけでなく、この研究の他の二つの面についても当て嵌まる。即ち、回避され議論されることのない諸問題の存在と、研究の土台にある一見中立的にみえる方法論のことである。研究成果の適否を左右する能力は、事実上、どのような問題を取、り、上、げ、な、い、かを決める能力、「受け入れ難い」研究方法を排除する能力、特定の分析を押し付ける能力に懸かっている。二〇世紀後半の主要な対立、冷戦---第八章から第一〇章にかけて論じる主題---についての国際関係論による極めて不正確な叙述は、イデオロギー的閉塞、歴史的経過を明るみに出すのではなくて曖昧にするのに奉仕する一群の知識の構築物の注目すべき事例である。
 同様に、大袈裟な「科学主義的」方法論や、通常その対立物とされている、国際「システム」の非歴史的な概念も、特に価値の役割に関して、また国内政治と国際政治の連関に関して、この学問分野内でそれ以外の検討方式を排除する役割を勤めてきた。第四章で述べるように、国内・国際のどちらの政治においても正に中心的なアクターであり概念であるもの、つまり国家からの逃避は、これに類似したイデオロギー的機能を果たしている。国際関係論が歴史を取り戻すことが、三つのレベル---当該学問分野、社会科学、歴史それ自体---のすべてにおける回復を意味するとすれば、この学科目の再構成ないし再考は、同時にこれら三つの次元のすべてにおいて、その意義を認識しなければならないであろう。
 以下の諸章は、こうした方向に沿って国際関係論を「再考」しようとする一つの試みである。次章では、一番内側の同心円、つまりこの学問分野の内部から、文献にみられる四つの主要な潮流の批判を試みる。それに続く五つの章は、議論の枠を広げて、国際関係論をより広範な社会科学の概念に関連づけようとするものであり、残りの四つの章では、この学科目を歴史そのものの文脈の中に位置づけ、それに対する国際関係論の専門家たちの応答について考察している。しかし、そのような「再考」の試金石は、いかなる場合においても、厳密に「学問としての」あるいは方法論上の取り組みにあると同様、それが提起し促進する歴史、国家、社会の研究と分析の結果にあると言えよう。

(1) 単一パラダイムを「正常」且つ望ましいとする見解は、Thomas Kuhn の The Structure of Scientific Revolutions (london : University of Chicago, 1962) から確証を得た。多様性が望ましい
版面あわせ
 とする逆の主張は、Feyerabend の Against Method (London : NLB, 1975) で行われている。
(2) このようなナショナリズム伝播の「国際的」文脈は、Elie Kedourie (Nationalism, London : Hutchinson, 1960) の政治理論であれ、Ernest Gellner (Nations and Nationalism, Oxford : Basil Blackwell, 1983)の社会学的アプローチであれ、様々の理論によって認められている。
(3) Robin Blackburn, The Overthrow of Colonial Slavery 1776-1848 (London : Verso, 1988).
(4) Urich Albrecht, Internationale Politik (Munich : Oldenbourg, 1986) ch. 9, ‘Das Demokratieproblem in der internationalen Politik'.
(5) これの概観は以下を参照。Howard Williams, International Relations in Political Theory (Milton Keynes : Open University Press, 1992) ; Torbjorn Knutsen, A History of International Relations Theory (Manchester : Manchester University Press, 1992) ; Terry Nardin and David Mapel (eds), Traditions of International Ethics (Cambridge : Cambridge University Press, 1992) ; Martin Wight, International Theory : The Three Traditions (Leicester University Press, 1991).
(6) 国際関係論の全般的な歴史と概観について、特に以下を参照。Margot Light and A. J. R. Groom (eds), International Relations : A Handbook of Current Theory (London : Frances Pinter, 1985 ; 2nd edn 1994) ; Steve Smith (ed.), International Relations : Brit-
版面あわせ
 ish and American Perspectives (Oxford : Basil Blackwell, 1985) ; Hugh Dyer and Leon Mangassarian (eds), The Study of International Relations : The State of the Art (London : Macmillan, 1989) ; Marc Williams (ed.), International Relations in the Twentieth Century : A Reader (Basingstoke : Macmillan, 1989) ; A. J. R. Groom and William Onuf, International Relations then and now (London : Routledge, 1992).
(7) Woodrow Wilson, ‘The coming age of peace' from The State (1918)〔Evan Luard (ed.), Basic Texts in International Relations (Basingstoke : Macmillan, 1992) pp. 267-71 に抜粋〕.
(8) E. H. Carr, The Twenty Years Crisis (London : Macmillan, 1966) ; Hans Morgenthau, Politics Among Nations, 5th edn (New York : Alfred Knopf, 1978) ; Henry Kissinger, A World Restored (Boston : Houghton Mifflin, 1957) ; Kenneth Waltz, Man, the State and War (New York : Columbia University Press, 1954).
(9) Hedley Bull, The Anarchical Society (Oxford : Oxford University Press, 1977) ; Fred Northedge, The International Political System (London : Faber & Faber, 1976).
(10) Alan James, Sovereign Statehood (London : Allen & Unwin, 1986) と国際関係論の最近の理論動向に対する彼の反撃である ‘The realism of realism : The state and the study of international relations', Review of International Studies, Vol. 15, no. 2, July 1989 ; Michael Donelan, Elements of International Political Theory (Oxford : Clarendon, 1990) ; James Mayall, Nationalism and International Society (Cambridge : Cambridge University Press, 1990) ; Adam Watson, The Evolution of International Society (London : Routledge, 1992).
(11) Carl Schmitt, The Concept of The Political (New Brunswick, NJ : Rutgers University Press, 1975).
(12) Charles Merriam, Political Power (New York : McGraw-Hill, 1939) ; Harold Raswell, Who Gets What, When, How (Cleveland, Ohio : The World Publishing Company, 1958).
(13) リアリズムの仮説に対する適切な批判について以下を参照。Justin Roseberg, ‘What's the matter with realism ?' Review of International Studies, vol. 16, no. 3, October 1990.
(14) Karl Deutsch, Nationalism and Social Communication (New York : Wiley, 1953) ; James Rosenau (ed.), Linkage Politics (New York : Free Press, 1969) ; Morton Kaplan, System and Process in International Politics (New York : Wiley, 1957).
(15) この論争の概要は、Klaus Knorr and James Rosenau (eds), Contending Approaches to International Politics (Princeton : Princeton University Press, 1969) に述べられている。ローズノーとノースエッジの論争 (Millennium, vol. 5, no. 1, 1976) をも参照。
(16) この論争に関する同僚のマイケル・バンクスの評価に対して特に感謝している。例えば、以下を参照。Michael Banks, ‘The inter-paradigm debate' in Light and Groom (eds), International Relations.
(17) 特に、Light and Groom (eds), International Relations 所載の Christopher Hill と Margot Light の章を参照。
(18) Robert Keohane and Joseph Nye (eds), Transnational Relations and World Politics (Cambridge, MA : Harvard University Press, 1971).
(19) Kenneth Waltz, ‘The myth of national interdependence' in Charles Kindelberger (ed.), The International corporation (Cambridge, MA : MIT Press, 1970).
(20) Stephen Krasner, Structural Conflict : The Third World Against Global Liberalism (Berkeley : University of California Press, 1985).
(21) Robert Tucker, The Ineguality of Nations (London : Martin Robertson, 1977).
(22) Kenneth Waltz, Theory of International Relations (New York : Random House, 1979).
(23) John Burton, World Society (Cambridge : Cambridge University Press, 1972). バートンの批判について以下を参照。Christopher Hill, ‘Implications of the world society perspective for national foreign policies' in Michael Banks (ed.), Conflict in World Society : A New Perspective on International Relations (Brighton : Wheatsheaf, 1984).
(24) 対外政策に対する別の、社会学的アプローチについて以下を参照。David Gibbs, The Political Economy of Third World Intervention : Mines, Money, and U. S. Policy in the Congo Crisis (London : University of Chicago Press, 1991).
(25) このような歴史社会学と国際的なものとの相互作用の例を示す文献に以下のものがある。John Hall, Powers and Liberties (London : Pelican, 1986) ; Michael Mann, The Sources of Social Power, vol. 1 (Cambridge : Cambridge University Press, 1988). こうした論点は、「経済・社会研究協議会」の資金援助を得て一九八八年から一九九一年にかけてケンブリッジで開催された「西洋の構造的凋落」をテーマとする一連のセミナーで、更に深く探究された。その第一回研究会議の議事録は以下に収録されている。Michael Mann (ed.), The Rise and Decline of The Mation State (Oxford : Basil Blackwell, 1990).
(26) 二つの事例を挙げる。第三世界諸国家の国内経済の形成と歪みに影響を及ぼした「帝国主義」の役割、及び米国での中央集権政府の強化と「国防国家」の成立に果たした冷戦の役割。
(27) これについての研究は注5の参考文献、及び特に以下をも参照。Charles Beitz, Political Theory and International Relations (Princeton : Princeton University Press, 1979) and ‘Sovereignty and morality in international affairs' in David Held (ed.), Political Theory Today (Cambridge : Polity Press, 1991) ; Andrew Linklater, Men and Citizens in the Theory of International Relations (London : Macmillan, 1981) and Beyond Realism and Marxism : Critical Theory and International Relations (Basingstoke : Macmillan, 1990) ; John Vincent, Human Rights and International Relations (Oxford : Oxford University Press, 1988).
(28) これは、とりわけ、国際経済論の領分である。特に以下を参照。Susan Strange, States and Markets : An Introduction to International Political Economy (London : Pinter, 1988).