立命館法学  一九九五年第一号(二三九号)




◇ 論 説 ◇
サービス取引の規制緩和と消費者保護
---提携旅客運送業者の契約責任を例として---

長尾 治助






目    次





一 本 稿 の 目 的
 規制緩和(広義)の波が国民生活へも押し寄せる中で、企業活動が活発となるに従い消費者被害が増加することを推測できよう。とりわけ、サービス経済化(1)の潮流の下で、民営化した旧公企業体とのサービス取引や伝統的に契約の自由法理で武装されていた金融サービス取引も、消費者被害を生みだすことについては例外ではありえない(2)。それでは、それら被害者を救済するための法規範は、確かなものとして存在しているといえるのであろうか。本稿では、サービス取引の典型に属する旅客鉄道輸送サービス契約に関する具体的事例を提示しつつ、この問題を明らかにすることを目的としている。
 ところで、その問題を考察する前に、消費者被害をもたらしかねない経済と規制の関連について、最近の動向をあらかじめ説明しておくことにしよう。その関連の第一点は、規制緩和と消費者保護について一般に認識されている内容はどのようなものであるか、である。第二点は現時点における法環境はどうなっているか、という点である。これらの問題にふれておくことにより、公企業の民営化、行政的規制の緩和と消費者保護の要請とがどのようにからみあうのか、そうして、何が主要な問題であるのかを概括的ながら知ることができるように思われるからである。
(1)  公正取引委員会事務局編『現代日本の産業組織と独占禁止政策』(一九八七年大蔵省印刷局)一三頁(岩崎晃執筆)、二五八頁(小西唯雄執筆)。
(2) 金融分野においても規制緩和が着々と進行しているといわれる(河野正道「金融分野における規制緩和の概要」金融法務事情一三九三号一三頁)。しかし、消費者の正当な権利擁護を目的とした私法の整備には全くといってよいほど手がつけられてはいない。また、金融機関が保証会社、不動産会社等と提携して行う業務に関連して、顧客の上に生ずる損害について金融機関がどのような法的責任を負うかという問題も解明されないままである。他のサービス産業でも同様の傾向にある。


二 規制緩和と消費者保護との関連性
一 規制目的と緩和の領域
 規制緩和が問題とされるとき取り上げられる規制は、その目的にしたがって、社会的規制と経済的規制とに分類されるのが普通である。臨時行政改革推進審議会公的規制の在り方に関する小委員会の「公的規制の緩和等に関する報告」(昭和六三年一一月一二日)も右の分類を採用している(1)。すなわち、
 (a)「社会的規制は、例えば、消費者や労働者の安全・健康の確保、環境の保全、災害の防止等を目的として、商品・サービスの質やその提供に伴う各種の活動に一定の基準を設定したり、制限を加えたりする場合がこれに当たるのであって、経済的、社会的活動に伴って発生するおそれのあるマイナスの社会的副作用を最小限にとどめるとともに、国民の生命や財産を守り、公共の福祉の増進に寄与しようとするものである。」と説かれている。安全確保、疾病への予防、災害防止等はいずれも人の生存を、また、社会的規制に属する諸種の社会保障は最低限度の文化的生活の維持を(憲法二五条)目的とするものである。これら目的との関係でいえば、次に述べる経済的規制は、人の生存ないし人の最低限度の生活維持にとって手段である経済的取引関係を対象とするものといえよう。
 (b)「経済的規制は、市場の自由な働きにゆだねておいたのでは、財・サービスの適切な供給や望ましい価格水準が確保されないおそれがある場合に、政府が、個々の産業への参入者の資格や数、設備投資の種類や量、生産数量や価格等を直接規制することによって、産業の健全な発展と消費者の利益を図ろうとするものである。自然独占の傾向を持つ公益事業等で、参入を制限して独占を認める代わりに供給義務を課したり料金を規制したりするのは、その典型例である」と説かれている(2)。しかし、消費者との関連はここにいわれている程単純なものではない。そのことは、次節で具体的問題を検討した後で、第四節において述べることにする。
 ところで、規制緩和の目的が、規制ないし規制に帰因して生じた市場の閉鎖性を打破し、経済の活性化を実現するところにあるとするときは、緩和が図られるべき規制領域はまずもって、経済的規制領域ということになるであろう。
 しかし、現在問われている緩和は「市場の失敗」に対する反省によるだけではなく、国営事業体、公共的事業体における事業運営における責任の曖昧性(3)に対する国民の不信や、それら事業体と政治家、官僚との癒着に対する国民の批判にもこたえるという側面をも帯びているのである。これらの現象は、「政府の失敗」と官僚制の下での非効率的な事業運営が顕著になったことに帰因するものであり、その反省からこれら事業体を民営化して市場原理の適用領域へ移行させることも政策課題とされているのである。民営化を含めて規制緩和の語が用いられるとき、それは広義の規制緩和であって、右(a)(b)の規制の緩和(狭義)と区別されるけれども、経済自由化を推進する政策からすれば、民営化も緩和の一環として位置づけられることになる(4)。
 それでは社会的規制についてはどうか。これ迄の規制の中には先にのべた(a)(b)両目的を含むものもあるであろうし、他面、具体的事例がいづれの目的による規制に属するのか判断が困難な場合も少なくないであろう(5)。
 また、社会的規制であっても業務の効率化をはかり、また責任の所在を明らかにすると同時に国民の意向を業務に反映させているかどうかを国民の側から把握できるようにする(透明化)必要もある(6)。こうした要請を受けて社会的規制の見直しが行われるべきである。いいかえれば、「国民に必要以上の負担や制約をもたらす」ものや「本来安全の確保等を目的としていた規制であっても、次第に既得権益の保護・・・の効果を有するものに変質してい(7)」るものについては規制の有効性が検討されてよい。社会的規制であっても国民の生活に大きな影響を及ぼす国家作用である以上、常にこれを検討することは民主主義の当然の要請だからである(8)。
 そうして、規制の根拠は一般に法律という形式をとるから、在るべき法に言及する前に、現在の法環境について次に一瞥しておくことにしよう。
二 法環境と経済環境の現状認識
 (一) 既存の法体系との関連 消費者の正当な利益擁護の観点から規制緩和への対応を検討しようとするとき、その前提として既存の法体系の在り方に一言しておかなければならない。なぜなら、現在緩和化が求められている公的規制の主要部分は、国家作用のうちの行政的規制についてであり、規制主体である国(行政機関)が、事業者ないし事業活動を規制の対象に据えた法に従って国家作用を及ぼすという領域(縦の規制)についてである。当該事業者と消費者間の社会関係は、法的にはいわゆる私法によって規律されるものとされていて(横の規制)、私法自体について規制を緩和しようとするものではない。事業者と消費者の社会関係が形成され、存在する限り、この当事者間の法関係を処理する基準(私法)の定立は必須な事柄であり、それは、本来、縦の規制の有無とは関係なく国家として整備しておかなければならない国民生活上不可欠な規範である。民主主義社会における個人の尊重は、国による個人の尊重にとどまらず、私生活における個人の権利の保障として具体化されるべきものだからである。
 そこで、縦の規制が廃止されたり緩和されるとき、事業活動の自由領域が拡大した取引環境の下で、事業活動を正しく秩序づける任務は、事業者と消費者間に生じた法的紛争の解決にとって依拠すべき規範に多かれ少なかれ期待されることになるであろう。規制緩和には、当事者の自己責任による問題解決が意図されている以上、その解決基準を提供することは私法を中心とした横の規制の任務とされることになる。このような意味で、現にある横の規制が消費者の正当な利益を擁護するに足るものであるか、規制の廃止、緩和後において、事業者と対等に争うことのできる権利を消費者に提供する内容を横の規制は持っているのかが検討されなければならない。日本における事業者と消費者の間を直接規律する法は、右の観点からみて次のように整理できよう。これ迄なされていた私生活における個人の権利保障は、ヨーロッパ大陸諸国の文化の影響を受けたわが国では、主要には、一八世紀に確立した民法典や一九世紀に制定された民事訴訟法等の法律に基礎を置く法によっている。それは、二〇世紀後半に生じた消費者問題を消費者の正当な利益擁護のため的確に解決できるに足る具体的な内容を有していない。そのことと相俟って立法、司法の状況を要約してみよう。
  1 立法について
 (ア) 実体法についてみるとき、民法の特別法として、消費者の正当な利益を擁護することを目的とした法律、法条は限定的である。
 その法律、法条が用意されているものについてみても、適用対象が限定されているのを普通とする。
 特に、消費者被害の事前防止手段を利害関係の当事者である消費者に認める法条が欠けている。
 (イ) 手続法についてみるとき、消費者が権利を容易に行使できる諸制度を定める法条が欠けているとともに、消費者団体に訴権を認める法条がない。
  2 司法について
 裁判所はその取り扱った判決をすべて公表していない。判決は具体的紛争に対する国家意思の宣言であるから、知ることを欲する国民が判決を容易に入手することができる方策をこうずるべきである。最高裁判所は判例法の形成を一つの意図として、公式判例集に登載する判決とそうでない判決とを選別しているが、消費者事件についても公式判例集に登載されない判決が少なくない。それらについては、国民の知る権利にこたえることができる方法をこうずべきである。
 また、立法についてのアとして述べたこととのかかわりでいうならば、特別法を欠くが本来規制すべき対象について、裁判所は一般法としての民法に依拠し、消費者の正当な利益擁護の理念に立脚した解釈を躊躇する傾向にある。そのことは、経済優先、事業者の利益優先社会の規範を一層確実に定着させることを意味する。これが司法における消費者法の危機と呼ぶことのできる現象である(9)。
 (二) 規制緩和から生ずる危険との関連 規制緩和から生ずると予想される危険としては少なくとも次の二点があることを指摘することができよう。
 第一は、経済活動に関する施策の立案、システムの構築について国の干渉が排除されることから、これら経済基盤の整備を事業者はあたかも自己の専管事項として執着し、事業者本位の経済体制に再編することが予測できよう。そうした経済新体制を構築するにあたって基礎に置かれる考え方が、営利の追求を第一義とする考えであったり、いわゆる「会社主義(10)」にあるとき、規制緩和の目的である責任を伴った自由への回復へつながるのか(11)、という疑問が提起されることになる。豊かな社会へ通ずる道を閉ざすと同時に、消費者はこれ迄以上に事業者本位の経済システムの下での生活を強いられる(12)ことになるという危険が予想されるのである。
 第二は、規制緩和により事業活動の範囲が拡大されるに伴い、事業者の活動形態が複雑になることが予想される。この現象は規制緩和の間接的な影響の一つである。例えば、いわゆる「業務提携」と呼ばれる活動様式を考案し、複数の事業主体が一個の事業を運用することが少なくない。ところが、こうした形態により行われた事業活動から消費者の上に被害がもたらされるとき、その被害を賠償すべき責任主体は誰であるのか、判然としていない。規制緩和の一つの目的は、責任の所在を明確にするところにあるが、経営の責任を明確にすることができるとしても、消費者に対する法的責任という観点からするときは、なお責任の帰属は不明確なままに残されるという危険がある。
 この問題は以下で取りあげる事案において既に顕著にあらわれているのである。日本国有鉄道として旅客運送業を営む公企業体が民営化されるとともに分割され、あるいは、赤字路線については新会社を設立させ経営するという状況(13)の下で、分割会社と新会社とが協同して車輌を運転中、旅客を死傷せしめるに至った場合、被害者の救済を論ずるにあたっては、鉄道会社の経営主体がもとは同一であったこと、民営化後事業遂行に関する企業間の協同については殆ど顧慮されていないのが実情なのである。次にこの点を探ることにしよう。

(1) ((1))月刊ニューポリシー一九八八年一二月三六頁、((2))監修・臨時行政改革推進審議会事務室『規制緩和---新改革審提言』(一九八八年ぎょうせい)六頁以下、((3))同『規制緩和の推進---国際化と内外価格差』(一九八九年ぎょうせい)二四頁以下、((4))同『行革審・全仕事』(一九九〇年ぎょうせい)九九頁以下、((5))同『第三次行革審提言集---新時代の行政改革指針』(一九九四年行政、管理研究センター)六六頁、一四四頁、一五八頁、一九七頁など。
(2) 右注(1)のはじめの文献((1))に同じ。
(3) 坂井素思「民営化---誰が経営の責任を負うのか」阿部斉編『変動する日本社会』(一九九三年放送大学教育振興会)一五五頁以下参照。
(4) 松原聡『民営化と規制緩和---転換期の公共政策』(一九九一年日本評論社)四七頁以下参照。
(5) 根岸哲「規制緩和と消費者保護」消費者情報二五二号六頁および国際学術交流消費者法日本セミナー(一九九四年八月立命館大学開催)のシンポにおける同教授の報告における指摘に留意されたい。
(6) 座談会「生活者優先と自己責任の時代」ESP一九九四年四月号九頁(大田発言)。
(7) 注(2)に同じ。
(8) 本文で述べた規制緩和とその限界に関する一般論はサービス取引にも等しく妥当する筈の事柄であるが、サービス取引、とりわけニューサービス取引については専ら緩和の側面が強調されている情況にあるといえよう(注(1)文献中の((2))二六八頁、((3))八八頁、((4))一三二頁など参照)。
(9) 中坊公平元日弁連会長の司法改革の提唱については、判時一四八六号五頁以下の講演を参照されたい。
(10) 馬場宏二「現代世界と日本会社主義」東京大学社会科学研究所編『現代日本社会I 課題と視角』(一九九一年 東京大学出版会)六二頁以下、中野勝郎「『会社主義』の政治」阿部斉編『変動する日本社会』(一九九三年 放送大学教育振興会)一八七頁。
(11) 中野前掲一八五頁の指摘。
(12) 中野前掲一九二頁参照。
(13) 林敏彦編『公益事業と規制緩和』(一九九〇年東洋経済新報社)二八五頁以下(第一七章「国鉄改革と新しい鉄道政策」(山内弘隆執筆))参照。

三 規制緩和と私法の実情
---共同事業と企業責任を素材として---

一 規制緩和と共同事業
 (一) 規制緩和により経済的活動の自由領域が拡大し、各企業は自己の市場支配を強化するため、あるいは、競争力を高めるためなどの目的をもって、自己の事業の一部について、または全部にわたって、他企業と共同してその業務を遂行するという現象が増加している(1)。この現象は自由競争の激化とともに今後益々増大していくことであろう。そうした事業の共同化は、複数企業の存在とその間に締結される契約によって可能となる。しかし、消費者の立場からするならば、それら共同事業を遂行する企業と契約した消費者の保護こそが関心事となる。そうしてその保護は、規制緩和=自己責任を標傍する社会では、契約を締結した企業において消費者の上にもたらした損害を引き受けるという方法で解決すべきものとされている。つまり、横の規制である私法にはかつて保護されるべきであるというのである。企業と消費者間の紛争は、私法がもし脆弱であるならば私法の解釈技術によってその弱点をなんとか克服していかなければならないという消費者にとっては水際にたたされたような事態に追いつめられることになるのである。
 (二) ここで共同事業と消費者被害に関する周知の事件をとりあげてみよう。信楽高原鉄道列車事故による旅客の死傷事件と呼ばれる紛争がある。その事故は、信楽高原鉄道の単線の軌道上で、西日本旅客鉄道の列車と信楽高原鉄道の列車が正面衝突し死亡者四二名、重軽傷者六一四名をだした大惨事である。両鉄道はともに旧日本国有鉄道の幹線、支線として同一公企業体の一施設であったが、西日本旅客鉄道は旧国鉄の分割民営化により独立した株式会社として発足し、他方、信楽高原鉄道は旧国鉄の信楽線を第三セクター方式で移管した株式会社である。両者は車輌の乗り入れについて合意し運行していたものである。
 (三) このような場合、業務の実態が旧公企業体の下におけるのと同じであるのであれば、右二つの企業が法形式的に旧公企業体とは別個の企業であるとしても、被害者としては旧公企業体の下におけるのと同じ救済を受けてもよいように思われよう。ところが、乗り入れを通じ共同の事業を営む両企業にとって第三者の立場にある旅客にはそのような救済を受けることの保障は存在しない。旧公企業体とこの二つの鉄道会社は別個の法主体であり、両鉄道会社もそれぞれ独立した法的存在である。民営化ないし分割民営化は被害者である旅客にとって、分割民営化前ならば容易に救済されたであろう状況を劣悪な状態へと変えてしまう結果をもたらしているのである。
 それならば、次の手段として、両鉄道会社が共同の事業をしていることに着目して、共同の責任をこれに負わせたらよいではないか。この点は私法的規制ないしは私法解釈の技術に依存せざるをえない。われわれはこうした困難な状況があることを意識して、次にやや細やかな議論をすることになるが、「鉄道旅客通し運送人の契約責任」如何という問題として右に指摘した事件を考えていくことにしたい。
二 運送業者の事業協力
 (一) 物品運送については、数人の運送人が同一物品を荷受地へ運送する場合の契約関係について、その形態や運送業者の責任関係が一定程度明確にされてきている。ところが、旅客運送についてはどうであろうか。
 旅客を目的場所へ移動する単一の運送についてみても、((1))これを乗客と運送契約を結んだ一の運送業者が実際に行なう(実運送)場合と、((2))二以上の運送業者がこの事業を協力して行なう場合とがある。今日では後者の形態がすこぶる多くみられる。運送業者の事業協力にも、協力の目的、乗客との契約形態、協力事業の種類・内容には、おそらく多様なものがあるのではないかと思われる。
 例えば、鉄道による旅客運送においては、区間を異にする鉄道会社甲と鉄道会社乙との契約で、甲の駅から乙の駅までいく旅客を、甲の軌道を走行する甲の車両が甲の雇用する乗務員の運転により、乙の軌道に乗入れ(直通運転)運送する形態もある。この形態における甲、乙と旅客との間の契約関係はどのようなものであろうか。これを明らかにすることは、甲車両が乙、の、区、間、に、お、い、て、旅客や甲の乗務員に人身事故を惹起したとき、この旅客あるいは、相続人は甲に旅客運送契約上の、ないしは、契約法的責任を問いうるか、また、甲の乗務員は甲会社に労働契約に基づく甲の安全配慮義務を問いうるかという法的問題にこたえるために有意義である。このほか、商法は陸上旅客運送人に関する責任を規定するので(同法五九〇条、同法七八六条は海上旅客運送人に準用する)、右の事例においては同条を甲につき適用できるかどうかが問題となるのである。
 (二) 右に指摘した問題点を内在する事案が近時、現実に発生した信楽鉄道旅客事故である。その事案を検討することによって、提起された右の問題を解決するための法理論を探ることにしたい。事実関係は次のようなものである。
 陶器の生産地として有名なA町に鉄道を使って行くためには次の方法がある。A町迄の鉄道旅客運送は、通常、A町内の甲地点から乙地点迄軌道を有するY 1会社が運行する車両によって行われている。乙地点にはY 2会社が経営する幹線が敷設されており、幹線を利用した旅客は、通常、Y 2の乙駅で下車し、Y 1の乙駅でY 2の車両に乗車し甲地点(甲駅)へ到着するのを普通としていた。ところで、A町は世界陶芸祭を開催することにしたところ、Y 1、Y 2は直通乗入運転に関する協定を締結し、Y 2の駅(丙駅)からの旅客を、乙地点からそのままY 2の車両がY 1の軌道を走行することにより甲駅へ運送することとした。また、Y 2は、遠隔地のY 2の主要駅(丙駅)と甲駅の乗車区間および世界陶芸祭割引きっぷの記載がある乗車券を発行することとした。Y 2が雇用する乗務員の運転するY 2の車両は、丙駅でY 2から右の切符を購入した多数の旅客を乗せ、乙駅を経て甲駅へ向う途中、反対側から走行してきたY 1の車両と衝突、脱線し、旅客の一部が死傷するに至った。これら旅客、その遺族(以下ではXと略記する)のY 2に対する損害賠償請求に対し、Y 2は、「鉄道事業においては、他線乗り入れ時の事故について、当該路線の所有会社の営業規則により、当該会社が乗客に対して補償責任を負うものとされている。したがって、本件においても、Y 1の路線内で事故が起た以上、乗客に対して契約責任を負うのはあくまでY 1であ」(2) り、Y 2には契約責任がないと反論する。
 それでは、Y 1Y 2間の協定や鉄道営業規則の内容、鉄道旅客運送契約の慣行等について資料の入手が困難なため、鉄道実務とかけ離れるうらみはあると思うものの、主として民法の理論との観点から、以下において、契約法領域におけるY 2のXに対する責任法理を考えてみたい。
三 運送形態と契約当事者
 (一) 物品運送では通し運送の形態として四種が数えられている。事業者間における事業協力の態様は、運送の客体が違っても、大体において異ならないと推測されるので、物品運送についてのこの点の形態は、旅客通し運送の形態としても十分参考になると考える。物品通し運送の形態を、国内の陸上通し運送、とくにここで扱う鉄道通し運送に推及するならば、部分運送、下請(下受といわれることもある)運送、同一運送、連帯運送の四形態となる(3)。
 (1) 部分運送 二以上の鉄道会社が、それぞれ独立して特定区間の旅客運送を引き受ける形態である。
 (2) 下請運送 旅客と運送契約を締結した鉄道会社が、実運送を他の運送人(特定区間の運送を引受ける業者も考えられる)に業務委託する場合である。実運送を行なうのは下請運送人で、はじめの鉄道会社(元請)の履行補助者と位置づけられる。
 (3) 同一運送 二以上の鉄道会社が共同事業として全区間の運送を引き受ける形態である。個別鉄道会社の担当区間があるとしてもそれは内部関係として定められているにすぎないものである。
 (4) 連帯運送 「相互に運送上の連絡関係を有する数人の運送人」(ここでは鉄道会社)が「順次に各特定区間の運送を行うが(4)」、旅客との関係では、各区間についてこれらの運送人が旅客を目的地へ運送することを引き受ける一個の契約をしている場合である。
 (二) 右の各形態の契約関係は次のように考えられる。
 (1) 部分運送 各鉄道会社は自社の運送区間につき旅客と運送契約を結んでいるにすぎない。ただ、通し切符が発行される場合には、旅客が((ア))「第一の運送人と運送契約を締結すると同時に、その運送人をして自己の代理人として、第二の運送人と運送契約を締結させたり」、あるいは、((イ))「右の場合において、第一の運送人をして、運送取扱人として自己の名をもって荷送人の計算において、第二の運送契約を締結させることが考えられる(5)」。また、第二の運送人が、旅客との契約の窓口となる第一の運送人を、自己の区間についての運送契約を結ぶための代理人とすることもありえよう。
 いずれにしても、旅客と各運送人とがそれぞれに特定区間について契約を締結するものであるから、ある期間における契約違反の責任は他の区間の運送を引き受けた鉄道会社には及ばないと考えられている。
 (2) 下請運送 全運送区間にわたる運送契約が旅客と元請運送人(鉄道会社)の間に存在するが、旅客と下請運送人との間には存在しない。旅客は下請運送人に契約違反の責任を問えないことになる。
 (3) 同一運送 数人の運送人が民法上の組合契約の方式(民法六六七条)で結合し、旅客との契約で全社が当事者となる場合、あるいは、一社が幹事会社として代表権を有し旅客と契約する場合、もしくは、匿名組合方式をとり(商法五三五条)一部の運送人が匿名組合員となる場合などが考えられよう。同一運送にあっては、一般に、多数運送人間に連帯債務が認められてよい(商法五一一条一項)と考えられている(6)。
 (4) 連帯運送 ここでの契約関係をどう説明するか、学説はわかれるようである。一説によれば、「連帯運送とは、第一の運送人が全区間についての運送を引受けた後に、第二以下の運送人が第一の運送人から運送を引継ぐに当り、第一の運送人の引受けた全区間の運送契約に加入することにより、第二以下の運送人も同じく全区間の運送を引受けたと認むべきものをいい、一通の通し運送状(連帯運送状)によって運送が引継がれる場合には、かかる加入があったものと見るべきである(略)。荷送人が通し運送状を発行し、第二以下の運送人がこの通し運送状により運送を引継ぐことにより、荷送人と第二以下の運送人との間に合意が成立する(7)」とされている。他の見解は、「数人の運送人が順次に各区間につき共同して(各自が荷送人のためにする意思で)運送を引受ける場合をいい、通常は数人の運送人が通し運送状によって運送を引受ける形式をとるもの(8)」と説明するようである。
 商法学者はこの連帯運送をもって狭義の相次運送と理解し、陸上物品相次運送人の連帯責任に関する規定は(商法五七九条)、連帯運送に適用されるとしている(9)。
 (三) それでは、冒頭で提示した事案は、右に整理した形態乃至は契約関係のいづれに該当するのか、乃至はいづれに最も近似するものであろうか。
 (1) 事業者間の事業協力に関する協定等を提携契約という新たな契約類型として把握し、数人による単一の運送を事業の共同化現象の現れと理解して、これら事業者間に共同責任を認めていこうという学説が近時台頭しつつある(10)。事業者間の内部関係を基準にして、契約相手方の契約上の地位を定めるという従来の発想は、事業者集団乃至は当該産業の保護に傾斜する考え方であり、公平な理論とはいえまい。顧客の立場からするならば、関係する数人の事業者は、単一の契約で定めた給付を実現するための共同者としてしか捉えることができない存在である。このような発想は、相次運送の概念を広く解し業者間に連帯責任をできるだけ負わせるのを妥当とするとの少数説(11)の背後にも存在する考え方であろう。もっとも、提携事業者の共同責任論も、提携リースに関する一部の判決(12)を除いて、なお一般に認めるところとはなっておらず、また、商法上の相次運送概念を広く認めることには反対説も多いことからいって、この理論を旅客通し運送で直ちに展開するわけにはいかない。それは将来の課題として、右に挙げた形態との関連をさぐることが先決である。
 (2) 事案の契約は、旅客Xが丙駅から甲駅へ安全に移送されることを目的とする契約である。乗車券はY 2が発行しており、旅客とY 2との間に契約が成立していることは明らかであるが、全区間の一部はY 1の軌道であり、Y 1と旅客との間にも契約が成立していることは否定できないと思われる。この場合、
(ア) Y 2は丙駅ー乙駅区間の運送を、Y 1は乙駅ー甲駅区間の運送を、旅客との間でそれぞれ引き受けていると捉えるとすれば、この関係は部分運送といえるわけである。旅客はY 2を代理人としてY 1と契約しているか、あるいは、Y 1はY 2を代理人として特定区間の運送を引き受けたもの等と構成することになろう。
 しかし、このような理解は、契約当事者の意思には合致していない。特定区間の運送事業者が異なることを知らされていない場合も少なくないし、Y 2はあらかじめこの事を開示しているわけでもない。特に本事案では、全区間Y 2の直通列車が使用されること、全区間通しの乗車券であればY 2は料金を割引き発行することを、広告宣伝していた等の事情があり、旅客はY 2の責任において甲駅まで運送されるものとして契約していると考えるのが自然である。これに対して、Y 1とY 2の間では旅客との関係で部分運送の形態をとるとの合意がなされていないし、その点について旅客に対する開示もない。これらのことからいって、本事案の契約を部分運送契約が、旅客とY 1、Y 2それぞれの間で締結されたと解することは困難である。
 一歩譲って部分運送にあたるとした場合、Y 2の給付義務は丙駅から出発した旅客車両が乙駅に到着した段階で終了し消滅したとしても、その後の列車事故について、契約法上の安全配慮義務違反の責任があるかどうかという問題は残されていよう。これについては後で別に取扱うことにしたい。
(イ) 次に下請運送と解する余地はあるであろうか。Y 2が乙駅ー甲駅間の実運送をY 1に業務委託していると認められる契約条項ならびにそのような事実は存在していないようである。
(ウ) 同一運送の観点からはどのように捉えられるであろうか。同一運送というためには、直通輸送事業について、法律上、あるいは事実上、数人の運送人が、明示的に、あるいは匿名組合の場合を含め、一個の事業体としての体裁を整えていること、そのような事業体において全区間輸送給付の実現を引き受けていることを必要としよう。本事案では、世界陶芸博入場者の運送に関する限りであっても、Y 1Y 2を運送に関する一個の事業体と認める判断材料は乏しいように思われる。
(エ) 連帯運送 (i)本事案では、(ア)で述べたように、旅客との関係では丙駅ー甲駅全区間の単一運送契約が存在するとみるのが妥当である。Y 2が締結した全区間の運送を引き受けるという内容の運送契約に、Y 1が乙駅ー甲駅区間の運送について加入し、この区間についてはY 2と共同して(Y 1Y 2ともに旅客のためにする意思で)運送を引き受けたものと認められる。かりに、Y 1がY 2を代理人として乗客と乙ー甲間につき運送契約を締結したと解したとしても、Y 2は自己の車両および乗務員を使用して、旅客のためにする意思で、旅客とY 1の運送契約関係に加入しているとも説明できるであろう。このようなことから、私は本事案の運送は連帯運送(鉄道旅客相次運送)ないしこれに最も近似した形態であると考える(13)。
 (ii)もっとも、このような複数鉄道会社の運送関係を実態に合わせて理論化する余地がある。Y 1Y 2はそれぞれ所有する軌道に区間があり、その区間内の事業運営については所有企業への支配ということからいって当然主導的地位にある。Y 2は丙・乙区間で、Y 1は乙・甲区間でそれぞれ主導的地位にある。そのことは、乗客との契約窓口がそれぞれの区間においてY 2であり、あるいはY 1であることに表われている。このことはY 2の事業運営の主導性は乙地点迄であり、乙地点においてY 2は事業運営について副次的地位におかれるということを意味する。Y 1についてみれば、甲・乙区間でY 1は事業運営における主導的地位にあり、乙・丙区間ではY 2といれかわり自らは副次的地位に立つことになる。このように、事業運営の主導性が乙地点において入れかわるのが旅客相次運送の特色といえよう。
 しかし、ある地点において他方鉄道会社の事業運営上の地位に変化が生じるとしても、このことは乗客との関係で、旅客を目的地まで「安全に」移動するという旅客運営契約上の債務に何等影響を及ぼすものではない。乗客とY 1Y 2との間の契約は単一であり、そうした契約上負う安全輸送義務は、事業運営の主導性如何に拘わらず第一運送人の上にも第二運送人の上にも認められるからである。このことは、甲駅へ向かう乗客が丙駅で契約している場合、乙駅で契約している場合、乙駅、丙駅へ向かう乗客が甲駅で契約している場合のすべてについていいうる。したがって、乗車地点如何にかかわらず、乗客はY 1Y 2に債務不履行責任を問うことができる地位にある。
四 契約責任の検討
 (一) 旅客運送契約の法的性質は請負であり(14)、運送人が負担する債務の種類は結果債務と位置づけられる。運送人の主要な義務は、旅客を遅滞なく契約で目的地と定められた場所へ運送すること、および、その目的地までの旅客の安全を確保(15)することである。
 運送人が右の債務を責めに帰すべき事由により実現しないとき債務不履行責任を負担する(民法四一五条)。帰責事由がないことは運送人において証明すべき事項である(16)。
 (1) 既に前項で触れたように、旅客通し運送が連帯運送乃至これに近似した形態であるとした場合でも、Y 2の契約責任は右に述べた民法の規定により処理されることになる。
 (2) とりわけ、旅客の安全を確保する義務は、目的地へ旅客を運送するまで継続するものであるから、Y 1の軌道区間についてもY 2はこの義務を免れるものではない。
 (3) それでは、Y 2とY 1とは、Y 1の軌道区間で旅客に対し債務不履行を惹起しそのために負う責任につきどのような関係にたつことになるのであろうか。物品運送の相次運送人は連帯して損害賠償の責めに任ずる(商法五七九条)。海上物品相次運送については同条の準用規定がおかれているが(商法七六六条)、旅客運送については規定がない。旅客運送については、相次運送人の連帯責任を否定する趣旨であるとの理解が一般的である(17)。なる程、相次物品運送では、各区間の担当運送人が引き継ぎの都度、運送品の梱包をほどいて品物の完全性を確認することは困難である。また、運転者や輸送車両がそれぞれの区間の運送人による雇用、所有のものと交替されるのを普通とするのではあるまいか。それだけに、どの運送人、どの区間で運送品の滅失、毀損等が生じたのかを明確にしにくいということには理由があり、このことが連帯責任を規定した根拠と考えられる。
 その点、旅客運送では事故発生区間を歴然と特定できる。もし、その区間での事故が区間の運送人が雇用する乗務員の過失と所有する車両において生じたのであれば、相次運送人の責任に連帯性を伴わせないことも首肯できよう。しかし、事故をおこした車両、乗務員が、事故発生区間の鉄道会社に属していない場合には、別に事故の原因者がどの区間の安全確保義務者であったのか、詮索すること、その証明を旅客に負わせることは、旅客に無理を強いるものといえるのではあるまいか。このような場合には、商法五七九条の趣旨をも一つの手がかりとして、旅客相次運送人の債務不履行責任に連帯性を認めるのを妥当とする。
 (二) 右の点をもう少し本事案の運送実態をも考慮しながら検討してみることにしよう。
 締結された契約は、丙駅から甲駅迄旅客を運送する単一の契約であるというとき、単一の意味は二様に考えることができる。
 (1) Y 1が乙地点において、
 Y 2と旅客との間に締結されている契約に加入し運送を引継ぐというとき、一つの考え方は、Y 2と旅客との間の契約関係はそれで消滅せず継続しているという見解である。最初の契約は途中でY 1がその契約に加入することによって補強されることになる。第一運送人の義務の存続と第二運送人の契約加入による補強という扱いである。他の考えは、第二運送人が乙地点で当初の契約に加入し運送を引継ぐことで、第一運送人の義務が消滅するという見解である。単一の契約の中味として、運送人の入れ替えに伴う先行運送人の義務の消滅ということがある、とするものである。次にそれぞれの見解について検討してみたい。
 (2) 「存続と補強」と捉える見解については次のようにいうことができよう。「存続」の側面は、本事案のように、Y 2の車両によって目的地で開催される行事に入場のため切符を購入する旅客の契約意思に相応する。また、乙地点において、乙ー甲区間の軌道を有するY 1が運送を引継ぎ、信号の保守、管理を行うこととなるが、直通列車の場合、その車両、乗務員、信号の指令など運送の重要手段に対する支配は、全部的にY 1へ移管されるわけではなく、Y 2の支配は事実上はもちろん、Y 2とY 1の協約においてもY 2にあるとされることがある。このような運送環境の下においては、Y 2の上に存続している契約上の義務と、Y 1が負う契約上の義務とは性質上不可分の状況にある。これが「補強」の実質的な意義といえよう。その結果、Y 1の軌道区間において、Y 2Y 1が負う義務を不可分とする運送環境の存在が認められるとき、直通列車により生じた事故につきY 2Y 1は連帯して契約違反の責任を負うことになる。
 ちなみに、旅客運送契約で、運送人は自己が担当する区間外の事故について責任を負わない旨を特約することがあるようである。その特約の効力については約款論として別に独立の考察課題とするのを適当とするのでここでは取扱わないことにする。
 (3) 旅客との間では最終目的地まで運送する内容の単一の契約がある場合でも、はじめの運送人の債務はその運送人担当の区間(丙駅から乙駅)までの輸送によって終了し、その後の運送はその先の区間(乙駅から甲駅)の担当運送人の債務となる、という見解がある、と仮定したときの問題について次に考えてみよう。
(ア) 乙ー甲間の軌道はY 1のものであるが、Y 2の車両がY 2の乗務員の運転でその軌道を走行する点をこの見解ではどのように説明するのであろうか。Y 2は乗客とともにその車両をY 1に有償で貸与し、また、乗務員はY 2よりY 1へ出向ないし派遣されてY 1の指揮命令に服することになったとでも説くことになろうか。このような説明は、旅客と数人の運送人についての関係を、既に説明した部分運送の関係に置きかえるものであって、部分運送ではない通し運送における旅客の地位を無視したものである。右の見解は、Y 1Y 2間でY 2の車両と乗務員に対する支配の移転を説明するにとゞまり、乗車中の旅客の地位がどうしてY 2との関係からY 1への関係へ移転することになるのか何等説明するところがない。旅客が乗る車両とそれを運転する乗務員がY 2の支配から離れ、Y 1の支配へ入るという理論構成は、運送実態が異ならないのに拘わらず、その時点でY 2の旅客に対する安全確認義務も消滅することを予定しており、それだけ旅客の地位が弱まることを意味する。運送実態が丙ー乙間と乙ー甲間では異ならないこと、もし、乙ー甲間の運送についてY 2の契約責任がないとすれば旅客は知らないうちに不利な地位に置かれることになること、合理的な理由がないのにそのような取扱いをすることは、この旅客運送契約が全区間についての単一な契約であるという契約の性格に反すること、などを考えれば、Y 2はY 1の軌道内においても旅客に対する安全確認・維持義務を負っていると扱うことが、契約の趣旨ならびに信義則に合致するというべきである。
(イ) かりに、乙ー甲間の運送管理業務はその間の軌道を有し鉄道運送を業とするY 1が専ら行なうことになっているとしても、直通列車についてY 1の過失により惹起された事故であることを理由として、旅客からの損害賠償請求をY 2は拒むことはできないのである。その理由を次のように説明することが許されよう。Y 2はY 1の軌道を走行する分については、Y 1から委託されて自己(Y 2)の名をもってY 1のために旅客との旅客運送契約を締結(取次)したものと解するならば、Y 2のこの旅客運送の取次は準問屋(商法五五八条)に該当することになる。したがって、Y 2はY 1の軌道区間の運送について旅客に対して直接義務を負う地位に立つことになる(商法五五二条一項、五五八条)。
(ウ) かりにそうでないとしても、Y 2は料金の割引があることを宣伝して旅客とY 1間に契約を成立させた者である。その間の旅客運送は、遠隔地に居住する者の場合、Y 2の幹線を利用することで可能となるのであり、Y 2との間に旅客運送契約を締結せざるをえない。そうさせることでY 2は利益を取得することになる。このように、公衆を他の事業者(Y 1)と契約させるよう行為し、その上で自己の利益を得るためその契約した公衆と契約する者(Y 2)は、例えこの二つの契約関係の性質や内容が異なるとしても、信義則上、公衆は他の事業者(Y 1)に対して有する権利や抗弁事由を、この事業者(Y 2)に対して主張することができるものと考える。
(エ) 以上の説明によれば、乗客に対する安全配慮義務は、乗客と単一の契約を締結したY 1Y 2の上に認められる契約上の債務であるから、契約終了後における安全配慮義務に言及する必要性に乏しい。もっとも、Y 2の債務は乙地点において消滅するという鉄道会社の反論も予想されるので、この点について言及しておこう。
 およそ契約に基づき債権債務関係を形成した当事者間には、契約で定める主たる給付義務が履行されたことにより消滅したとしても、信義則上、なお債権関係の存続が認められる場合がある。いわゆる「余後効」とか「継続効」と呼ばれる法理現象である(18)。本事案について、Y 2の「乗客を安全に場所的に移送する」義務は乙地点で消滅したのに、その後においてもその義務を継続して扱うことは、余後という言葉自体に矛盾する(19)から認めるわけにはいかないとの反論もありえよう。余後効法理は付随義務を対象として構成される理論だというのである。
 しかし、安全配慮義務は、物の引渡行為、人を場所的に移送する行為といった給付形態とは異質の義務である。鉄道事業者は人の生命・身体の保全について行うべきものとされる作為はもとより不作為の行為までも一定の水準をみたすことができる能力、力量を具えていることから、事業の運営が社会的に是認されているのである。契約の相手方との関係についてみても、乗客が鉄道事業者の技量、知識、経験、熟練度等と誠実性に依存する度合が強い。乗客としては閉ざされた移動空間に身を置き、危険を回避する手段をとることができない状況にあるからである。乗客のこうした状態から導かれる安全確保の要請に鉄道事業者がこたえることは契約法上の最高信義の原則の要請するところでもある。Y 2が直通列車を走行させることを宣伝して契約を結び、Y 1軌道上の乙・甲区間で自らの車輌を乗客提供し、自らの乗務員をして運行させ、自らの信号設備を作動させている限り、乗客が契約時に輸送の安全をY 2に明示的に求める迄もなく、社会関係の在り方として、自己の軌道上の走行を終了しているとしても運送事業者による安全走行が期待されているのである。自己の軌道区間における運送事業者の貨物引渡行為や場所的に人や物を移送する行為と安全配慮義務とは不可分的であるとしても、安全確保について右に述べた社会的、契約法的な安全配慮義務の性格からいって、この義務が成立する範囲は右の不可分部分に限定されることはないのである。たとえ、Y 2の「引渡」「場所的移送」の義務が一応尽くされY 1に引継がれて消滅するとの見解をとった場合においても「安全」への措置義務はなお継続するのである。ここにおいて明白な事柄として、旅客通し運送における乗客を場所的に移送する主たる給付義務は、乗客との債権債務関係における一部分にすぎないことが認識されてよい。

(1) この現象は、提携とか(椿寿夫「提携契約論序説(上)(下)」ジュリ八四六号一一七頁、八四九号一〇一頁)、企業提携(例えば、中島茂『企業提携の契約事例〔新訂版〕』(一九九二年商事法務研究会))という用語をもって説明されることもある。サービス経済化は多数当事者間契約の成立を促すということについて、長尾治助「サービス法と消費者問題」立命館大学人文科学研究所紀要六〇号一一八頁に言及がある。
(2) 立命館大学人文科学研究所の被害法理学研究会で配布された井奥弁護士作成のレジュメ「JRの契約責任について」から引用している。
(3) 鴻常夫・河本一郎ほか編『演習商法(総則商行為)』(一九八四年青林書院新社)二七〇頁(佐藤幸雄執筆)、平出慶道『商法III(商行為法)』(一九八八年青林書院)二八二頁など。
(4) 平出前掲二八三頁。
(5) 佐藤前掲二七〇頁。
(6) 平出前掲二八二頁、佐藤前掲二七一頁。
(7) 平出前掲二八三頁。
(8) 前注に同じ。
(9) 平出前掲二八四頁、佐藤前掲二七一頁。反対説は部分運送、下請運送をも商法五七九条の相次運送の概念に含めるようである(小町谷操三「相次運送人の意義」同『海商法研究四巻』(一九三三年有斐閣)三八六頁。
(10) 執行秀幸「第三者与信型消費者信用取引における提携契約関係の法的意義(上)(下)」ジュリ八七八号九七頁、八八〇号一三四頁(国士舘法学一九号所収の論稿も参照)。
(11) 小町谷前掲二七六頁。
(12) 石川正美「提携リース取引に関する最近の裁判例の検討---札幌地判昭63・12・22を中心として---(上)(中)(下)(下)の2」NBL四二五号一八頁、四二六号三八頁、四二七号三四頁、四二八号四二頁参照。
(13) 研究会で中井美雄教授は、二事業者の一方が重疊的債務引受類似の法関係に立つものと説明できないか、とも指摘された。
(14) ただし、民法の請負に関する規定で適用されるものは少ない(平出前掲二四九頁)。
(15) 潮見佳男『債権総論講義案I』(一九九一年信山社)一一四頁は、契約目的達成のための従たる給付義務として位置づけられるべき保護義務として捉え、米山隆「運送人の安全配慮義務」『現代契約法大系第七巻』(一九八四年有斐閣)五九頁は安全配慮義務を強調する。平井宣雄『債権総論』(一九八五年弘文堂)四五頁は、民法四一五条にいう「債務ノ本旨」との関連での位置づけを述べる。
(16) なお、商法五九〇条参照。同条二項は民法四一六条二項の特則である(鴻・河本ほか編前掲三〇〇頁以下(原茂太一執筆)参照)。
(17) 商法五七九条は、「運送品の滅失、毀損または延着が、どの運送人または運送区間において生じたかを立証することが通常は困難」であることから、荷送人、荷受人の挙証責任を免じる趣旨で定められている(佐藤前掲二七二頁)。「旅客運送では事故発生区間の特定が容易だから」連帯責任の規定は置かれていないと説明される(江頭憲治郎『商取引法下』(一九九二年弘文堂)二九一頁注(1))。
(18) 高嶌英弘「契約の効力の時間的延長に関する一考察---西ドイツにおける契約の余後効(Nachwirkumg)をめぐる議論を手掛りとして---」私法五三号(一九九一年)二〇五頁、同・産大法学二四巻三・四号五九頁、二五巻一号一頁以下の詳論参照。
(19) 高嶌前掲私法二〇六頁参照。


四 消費者私法の課題
---結語にかえて---

一 以上において旅客運送業者による共同事業からもたらされた消費者被害の一例とその契約法的解決の困難さを論述した。事業者間の協力は今後あらゆる産業でその産業界に属する事業者間において、またあるときは、産業の種類をこえた事業者間で行われていくであろう。とりわけ、サービス事業の分野では、サービスの形態にも多種多様なものがあり、そこでの事業者間協力によってさらに新規なサービス商品を考案できる余地もあることから、サービス産業において企業間協力の現象が増加するであろう。それにもかかわらず、ひとたびそれら協力行為の下で消費者が損害を被ったとき、共同して業務を行う複数事業者が、契約上の責任を消費者に対し連帯して負担する旨を定めた適切な強行法規が欠けている状況にある。そのために法の解釈の名の下に相当無理と評価されるかもしれない理論をあえて構成せざるをえないのが消費者のおかれている現在の状態であるといえよう。
 このことは何を意味するのか。規制緩和の対象領域として一般に述べられている点については、第二節一項で整理したとおりである。そこでいわれているのは、とりわけ経済的規制の緩和についての推進である。ここで取扱った企業提携という現象も経済的規制の緩和によって容易となり促進するという側面をもっている。しかし、そうした企業間取引と連動して提携企業と契約する消費者との間の契約秩序については、右に解明したとおり確かな私法規範は定着していない状況にある。規制緩和が企業の自己責任を前提とする施策であるからには、経済的規制の緩和は私法的規制の整備を前提とすべきであり、その緩和は少なくとも消費者私法の形成と併行的に実施されるべきである。このように経済的規制の緩和との関連からいっても、ここで取り上げた具体的問題については、「共同して事業を遂行する複数企業は消費者に対して共同責任を負う」と定める法律を早期に制定すべきである。
二 複数企業による業務の共同化は、サービス経済化の中でひろがりはじめた現象であり、これよりもたらされる損害から消費者を救済するため、契約法の共同責任規定で対応することは、今日の経済状況にまさによく適応した法環境を整備したことになる。もっとも、この問題はサービス取引と消費者保護という観点からするならば、そこに含まれる多くの問題の中の一つにすぎないものである。第二節一項あるいは二項で指摘したような現時点における緩和の方向や法環境の不備を省みるとき、消費者私法に盛るべき将来的課題はあまりにも多い。そのような状況の中で、規制緩和の流れに焦点を絞り消費者保護を論じた本稿としては、次の二点を当面の必要な対策として言及することにより結びにかえることとする。
 (一) その第一は消費者の正当な利益を擁護することを目的とする「横の規制」規範の整備、充実である。前に指摘したとおり、現行の実体法、手続法は右の目的を実現するに足りる充分な法条を用意していない。例えば、約款規制法、消費者信用法といった諸外国が整備している法律もないままに、企業経済の論理を表現した約款による消費者取引の拘束論が横行している。そのような状況において規制の緩和をはかるとすれば、消費者は経済システムに従属するのみであり、その正当な利益は害されることになる。そうではなく、むしろ、消費者の正当な利益を擁護する経済システムの構築こそ規制緩和の一つの目的であることを認識して、横の規制の強化をはかるべきである。そうした手だてをこうじることが、当事者の自己責任による紛争の解決へという規制緩和が意図した目標へと通ずる道を用意することになる。立法による消費者法の整備は、多かれ少なかれ司法実務家の意識変革、消費者の司法に対する意識をもかえることになり、全体としての司法改革を促す素地を形成することになる。
 消費者私法の領域についていえば、強行法規の性質を持つ諸法条を制定し、これによって事業者行動に対する規制を強化することが不可欠な対策である。
 (二) 第二は消費者に対する事業者の開示義務をより社会化していくことである。これ迄、しばしば消費者情報の整備、充実として指摘されている事柄である(1)。このことは、理論的には規制緩和と関連性を持っていない。なぜなら、公正自由な競争市場においては、各事業者は自社商品を他社商品と異なる特色を持つことを強調して、消費者に自社商品の購入を選択するよう期待している。そのために、製造主体、販売主体、商品の品質、価格、契約条件等に関する情報を、平易な文章等で、読み易い大きさの活字で、契約の前の段階、契約段階、契約後の段階それぞれにおいて、消費者に伝達することが、事業活動の一環として予定される業務だからである。したがって、公正自由な経済社会において一般に求められる程度の情報提供業務を懈怠し、消費者に不利な勧誘方法により消費者を契約へ誘引したり、あるいは、消費者に不利な契約を締結させ、消費者の正当な利益を害した事業者の上に一定の責任を課すことは市場経済の論理の法的反映であると言えるからである。
 もっとも、消費者に対する的確な情報提供業務の実践を、営利の追求を第一義とこころえる事業者に期待することには限度がある。そのため、一部の取引領域を規制する行政法規をもって重要事項の説明義務を事業者の上に課したり、あるいは、一般的に不当表示を規制する行政法規が定立されている。また、業種によっては、広告、宣伝が禁止されたり、限定して広告を許容する規制も存在する。こうした規制に対しても緩和を求める事業者の要請は強い。
 消費者への情報提供は市場経済の要請であるが、消費者をして誤りなく判断を行わせるためには、情報の内容が的確でなくてはならない。このことからいって、消費者への情報提供は市場経済を支える上で不可欠な事項ではあるが、提供される情報の内容は的確でなければならず、また、提供の時期、方法も適切であることを要する。これらの点を保障するための仕組み、行為準則、違反に対する制裁を定める法的規制は緩和に親しまない。
 かりに、この点に関する行政法的規制の緩和がはかられたとしても事業者と消費者間の争いにおいては両者の関係を秩序づけるために形成されている情報提供に関する事業者の義務法理(2)が適用されることになる。もっとも、現在のところ、わが国ではこの点の私法的義務に関する一般的規定が存在していない。立法による明確化がはかられてよい問題である。

(1) 加藤雅「自己責任の時代と規制緩和」ESP一九九四年四月一八頁。
(2) 長尾治助『消費者私法の原理---民法と消費者契約』(一九九二年有斐閣)一九一頁以下参照。
[付記] 本稿は平成六年度文部省科学研究費補助金(課題番号 05620032)の交付を受けて行った研究成果の一部である。