立命館法学  一九九五年第一号(二三九号)




自由権規約六条と死刑問題 (一)


徳川 信治






目    次




       一 問 題 の 所 在
 一九九三年一一月に、日本で一度に四人もの死刑囚に対する死刑執行が行われた。同年三月に三人の死刑囚に対する執行が行われていたことも考えれば、一年に七人もの大量執行である。この執行数の多さもさることながら、一一月の執行は、国際的な舞台でより大きな問題を提起している。それは同年一〇月に市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下、自由権規約または規約)四〇条(1)に基づき、規約人権委員会(the Human Rights Committee)が日本政府の提出した第三回報告書を審査したことと関係する。というのもその報告書審査を受けて、規約人権委員会は日本政府に対してコメントを発表し(2)、死刑廃止に真剣に取り組むように勧告していた。しかしながらその直後に死刑執行が行われたからである。確かに、このコメントは、規約四〇条四項に基づくもので、それ自体には法的拘束力はない(3)。また、そのコメントの内容についても、本当に規約の解釈から死刑廃止に言及することができるのかどうかは検討されなければならない。しかしながら、規約四〇条五項には、規約人権委員会に対して意見を送付する権利が締約国に留保されている。にもかかわらず、こうした国際機関から出された死刑廃止の勧告に対して、日本政府はその権利を行使せず、約三週間後に死刑を執行した。こうした実力行使ともいうべき手段で事実上反論する態度は、なんら問題ないといえるのかどうか疑問を抱かざるを得ないだろう。
 ところで、そもそも日本国憲法(以下、憲法)は、死刑に対してどのような態度をとっているのであろうか。これについて最高裁は、次のような判断を行っている(4)。
「生命は、尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い。死刑は、まさにあらゆる刑罰のうちで最も冷厳な刑罰であり、またまことにやむを得ざるに出ずる究極の刑罰である。・・・新憲法は一般的概括的に死刑そのもの存否に対していかなる態度をとつているのか。・・・果して刑法死刑の規定は、憲法違反として効力を有しないものであろうか。まず、憲法第一三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする旨を規定している。しかし、同時に同条においては、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想している。・・・そしてさらに、憲法第三一条によれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、・・・刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。」
 このように生命に対する尊重については、生命が「全地球よりも重い」と最大限強調した文言で、その重要性が強調されている。しかしながら、他方でそれを奪う死刑そのものについては、憲法上「当然予想されている」ものとして違憲ではないとする。しかしながら、学者の間では、死刑自体の違憲性、絞首刑による死刑の執行の違憲性、現行の地下絞架式という執行方法の違憲性が主要な論点として提起されていた(5)。
 さらに現在に至っては、日本における死刑の犯罪抑止力に対する疑問が投げかけられ(6)、また免田事件など再審によって死刑判決から一転無罪となった事例が日本においても少なくない。そのうえ、団藤重光元最高裁裁判官も、その実務経験から、死刑廃止を強く訴えるに至っている(7)。国際的にも、ヨーロッパやアメリカでは死刑を廃止する条約が発効し(8)、さらには国連で採択された死刑を廃止するための自由権規約の第二選択議定書(以下、第二選択議定書)も一九九一年七月一一日に発効するに至った。以上のことから死刑が人権法上どのような意味を持つのかを検討しない訳には行かないであろう。
 さて、日本が批准した人権条約の中でも、自由権規約の六条は、次のような規定を有している。
「1 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も恣意的にその生命を奪われない。
2 死刑を廃止していない国においては、死刑は、犯罪が行われた時に効力を有しており、かつ、この規約の規定及び集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に抵触しない法律により、最も重大な犯罪についてのみ科することができる。この刑罰は、権限のある裁判所が言い渡した確定判決によってのみ執行することができる。
3 生命の剥奪が集団殺害犯罪を構成する場合には、この条のいかなる規定も、この規約の締約国が集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約の規定に基づいて負う義務の方法のいかんを問わず逃れることを許すものではないと了解する。
4 死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑は、すべての場合に与えることができる。
5 死刑は、一八歳未満の者が行った犯罪について科してはならず、また、妊娠中の女子に対して執行してはならない。
6 この条のいかなる規定も、この規約の締約国により死刑の廃止を遅らせ又は妨げるために援用されてはならない。」
 まず、一項で生命に対する権利が「固有の権利」であることを定め、生命に対する権利の重要性を強調する。特に、規約は第三部「実体規定」のまず第一番目にこの規定を挙げており、このことからもその重要性をうかがい知ることができよう。また一項の第二文は、さらにこの権利を「法によって保護」することを求めている。しかしながら生命に対する権利を保護するといっても、規約はその内容を具体的に述べてはいない。したがってその法内容について国家が自由に裁量権を行使することによって「法」の内容を確定できるようにも考えられる。またその「法」は、少なくとも「国内法」を指すものであるとはいえようが、「国内法」と一口にいっても、それが厳密な意味での「法律」のみをさすのか、あるいは規則などの下位規範によって制定することまでも認めているのか明瞭ではない。
 しかしながら第三文では生命の剥奪について「恣意的な」もののみを禁止する。したがって国内法が明らかに差別的な内容を持つものであったり、運用に際して国家の完全なる自由裁量を認めるようなものではないことが理解できる。またこの第三文で「恣意的な」生命の剥奪を禁じるという規定をおいていることは、他方で、生命に対する権利が「固有の」権利であるといっても、実際には絶対的権利を意味するものではないといえよう。さらにこの「恣意的」という文言は、これだけをもって何を意味するのかが十分ではなく、また「恣意的な」という語による条伴は、生命に対する権利の重要性を考えるとあまりにも包括的すぎるように思われる。特に、規約一四条の裁判手続きの保障に関する規定が憲法の規定よりも詳細な規定をおいていることから、その重要性が主張されている(9)ことと比較しても、六条一項の規定は簡略的すぎるように思われる。したがって憲法が述べている趣旨となんらかわらないものであるかのような印象をうける。しかし、この規約六条と憲法一三条との関係での違いを指摘するとすれば、死刑の問題を扱った二項以下の規定である。
 二項以下は、死刑に関する問題を規定している。そのため、二項以下で規定する義務が適用されるのは、「死刑を廃止していない国」のみであろう。まず、死刑に関して「犯罪が行われたときに効力を有[する]法律」とあるように事後法の適用禁止・罪刑法定主義を掲げる。また「権限のある裁判所」のみが死刑を科すことができ、かつ死刑が確定した後に死刑を執行することができるとする。これらの基本原則が明確に定められているものの、その他の規則については内容に不明瞭な点が多い。まず死刑を科すことのできる犯罪を「最も重大な犯罪」としているが、なにをもって「最も重大な」犯罪とみなすのかは解釈のわかれるところであろう。ところで、犯罪を律する刑法は、犯罪防止のための規制的機能から、国家のための秩序維持機能、さらには国民のための自由保障機能を有するとされる(10)。が、この言い方にならえば、国家・社会にとっての最も重大な犯罪と、国民にとっての最も重大な犯罪が死刑に相当するということになる。したがって、政治体制を覆すことをはかった政治犯罪や経済的な混乱を目的とした経済犯罪、あるいは国民の生命を奪う殺人、といったものが一般には「最も重大な犯罪」であると考えられよう。他方、日本の刑法は、特別刑法を含めて、一七にも及ぶ死刑を科す犯罪を定めるが、これらの犯罪は「最も重大な犯罪」という条件を満たし、規約と両立するとされている(11)。ところが、右のような犯罪類型のいくつかのものについては死刑を科すべきではないとする考え方もある。例えば、政治犯罪がその典型である。この点につき、地域的人権条約である米州人権条約四条は、「いかなる場合においても、政治犯罪」に対して死刑を科すことを明示に禁じている。とすれば、規約も明示的ではないにしろ、同様に政治犯を除外するように限定して解釈されるべきなのだろうか。さらに、経済犯罪ということになると、国家体制や経済制度に違いによって国家毎にかなり考え方が異なってくる。またいくつかの国家では麻薬犯罪に対する刑罰を重くして死刑を新たに加えるという動きもある(12)。そうすると「最も重大な犯罪」という概念については、国家の評価の余地、すなわち裁量が広く認められているということになるのであろうか。
 次に最も重大な犯罪に死刑を言い渡す場合にも、その言い渡し及び執行に関する制限として、死刑を定める法律が、規約の規定や集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約(以下、ジェノサイド条約)の規定と両立することを六条二項は要求する。ジェノサイド(集団殺害)犯罪の定義は、ジェノサイド条約に委ねるとしても、規約の他の規定との両立を確保することが問題となる。というのも、規約七条は残虐な取扱い及び刑罰を禁止しているからである。先の最高裁判決も述べていたように、死刑は、それ自体「冷厳な刑罰」なのである。人によれば、「最後の野蛮」なのである(13)。とすれば、規約七条に定める「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない。」という規定に抵触するのではないだろうかという疑問もでてくるであろう。しかしながら規約六条二項の「死刑を廃止していない国」という規定をみても理解できるように、規約は両条を併せ読めば、死刑それ自体が七条に抵触するという解釈を排除しているように思われる。しかし、先の最高裁判決は、死刑を一般に直ちに残虐な刑とは言えないとしながらも、「死刑といえども、他の刑罰の場合におけるのと同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三六条に違反するものというべきである。」と述べる。もし規約六条の解釈においても、最高裁判決にみられるような解釈が妥当するのであるとするならば、死刑の執行方法については、規約六条本文の適用のみでは不十分であったとしても、規約七条が適用されることによって、一定の制限を加えられているものと考えることができる。
 この点について、ヨーロッパ人権裁判所の Soering 事件判決(14)が想起される。この事件は、アメリカで殺人を犯したドイツ人青年がイギリスに逃亡し、アメリカが、イギリスに対して犯罪人引渡し条約に基づく引渡し請求を行ったことを発端とする。同人権裁判所は、全員一致で、イギリスによるこの引渡しが、引渡しの結果アメリカで申し立て人につき生起する「死刑の順番待ち現象(death row phenomenon)」によって、ヨーロッパ人権条約三条の非人道的な取扱いの禁止に抵触すると判断した。ヨーロッパ人権裁判所は、この結論に至る過程で、アメリカ・バージニア州の死刑の執行方法や Soering の個人的事情等、死刑の執行に関わる各種の状況を検討したが、規約六条及び七条も、死刑執行に関して同様の制約を課しているのではないかと考えられる。
 さらに規約六条五項によれば、死刑は誰に対しても科すことができるわけではない。犯行時一八歳未満の未成年者に死刑を科してはならないとし、また妊娠中の女性に対しては死刑を執行してはならないとしている。しかしながら、妊娠中の女性には執行できないとしても、出産後直ちに死刑を執行することができるのかどうか問題があるように思われる。例えば、一九四九年八月一二日のジュネーブ諸条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(追加議定書I)の七六条三項では、「紛争当事国は、できる限り、妊婦又は扶養の幼児を有する母に対しては、武力紛争に関連する犯罪を理由とする死刑の宣告を避けるように努める。武力紛争に関連する犯罪を理由とする死刑は、妊婦又は扶養の幼児を有する母に執行してはならない。」と定める。この規定が Breillat のいうように「最低基準」であるとするならば(15)、平時の人権保護を定めた規約の規定がそれよりも下回る基準しか提示していないと解釈されるのはおかしい。
 死刑に対する以上のような制限に関連して、規約六条の規定のなかでさらに何らかの示唆をえるとすれば、六項の規定であろう。六項は、その文言通り、この規約が死刑存置のために援用されることがないようにセーフガードとしての機能を持っているように思われる。とすれば、これまでみてきた死刑執行に関する基準は、すべて厳格に解釈されなければならないことになる。しかし、そう解釈したとしても、まだ不十分な点が残ることは否めない。例えば、米州人権条約四条二項では、死刑の適用が「現在それが適用されていない犯罪に拡張されてはならない。」とされ、さらに同条約四条三項では、「死刑は、それを廃止した国においては、再び設けてはならない。」と定める。しかし規約は、このような死刑の拡大あるいは復活を禁止する規定を有していないのである。先述の通り、世界のなかでは、麻薬犯罪の急増とその問題の深刻さから、新たに刑法を改正して、麻薬犯罪に死刑を適用させることによりその犯罪を防止しようとする動きもでてきている。こうした死刑復活の規約上の是非について、Sapienza は、六条二項の「死刑を廃止していない国」という規定を援用して、死刑を一旦廃止した国には死刑復活を認めない規定であると主張する(16)。他方、ヨーロッパ審議会専門家委員会は、規約が死刑を再復活させることを防止する意図があるのかどうか不明であるとする(17)。それでもなお、規約は米州人権条約のような意味を含むと考えられるのであろうか。
 最後に六条四項は、恩赦を求める権利を定める。恩赦を求める権利が個人に賦与されているということは何を意味するのであろうか。これが権利であるならば、締約国は、この権利を保障しなければならない。とすれば、請求があった場合には、国はこの請求に対してどのような義務を負うのであろうか。日本においては、犯罪者予防更正法三条において、中央更正保護審査会がその任務に当たっている。その下で個別恩赦がごく少数ではあるが認められており、規約と一致している印象をうける。
 本稿は、特に死刑に関連して生じる以上のような自由権規約六条の解釈・適用の問題点に焦点を当てて検討することとしたい。

(1) 規約四〇条は、次の通り。
 「1 この規約の締約国は、(a)当該締約国についてこの規約が効力を生ずる時から一年以内に、(b)その後は委員会が要請するときに、この規約において認められる権利の実現のためにとった措置及びこれらの権利の享受についてもたらされた進歩に関する報告を提出することを約束する。
 2 すべての報告は、国際連合事務総長に提出するものとし、同事務総長は、検討のため、これらの報告を委員会に送付する。報告には、この規約の実施に影響を及ぼす要因及び障害が存在する場合には、これらの要因及び障害を記載する。
 3 国際連合事務総長は、委員会との協議の後、報告に含まれるいずれかの専門機関の権限の範囲内にある事項に関する部分の写しを当該専門機関に送付することができる。
 4 委員会は、この規約の締約国の提出する報告を検討する。委員会は、委員会の報告及び適当と認める一般的な性格を有する意見を締約国に送付しなければならず、また、この規約の締約国から受領した報告の写しとともに当該一般的な性格を有する意見を経済社会理事会に送付することができる。
 5 この規約の締約国は、4の規定により送付される一般的な性格を有する意見に関する見解を委員会に提示することができる。」
(2) A/49/40, Vol. 1, pp. 23-26.
(3) 参考、安藤仁介「政府報告書は規約人権委員会でどのように審査されるか」法セミ一九九三年一号三九ー四三頁。

(4) 最大昭二三年三月一二日判決・刑集二巻一九一頁。
(5) 根森健「最高裁と死刑の憲法解釈」『現代憲法の諸相』専修大学出版局、一九九二年、一一四頁。
(6) 松村善之・竹内一雄「死刑は犯罪を抑止するのか」ジュリスト九五九号一〇三ー一〇八頁。
(7) 団藤重光『死刑廃止論 第四版』一九九五年、有斐閣。
(8) ヨーロッパ人権条約第六議定書、一九八五年三月一日発効。米州死刑廃止追加議定書、一九九一年八月二八日発効。
(9) 伊藤正己「国際人権法と裁判所」国際人権創刊号一一頁。
(10) 刑法理論研究会『現代刑法学原論〔総論〕改訂版』三省堂、一九八七年、一一頁。
(11) 吉川経夫「国際人権規約と刑事法」『現代の刑事法学 上』有斐閣、一九七七年、四二八頁。
(12) Hood, R., The Death Penalty A World-Wide Perspective, Clarendon, 1989, p. 37 ; 邦訳、辻本義男訳『世界の死刑』成文堂、一九九〇年、三二ー三三頁 ; 辻本義男「薬物犯罪と死刑」中央学院大学法学論叢四巻二号三九ー五九頁。
(13) 刑法理論研究会『前掲書』三五九頁。
(14) European Court of Human Rights, judgment of 7 July 1989, Series A No. 161. 解説したものに、北村泰三「国際人権法判例研究(二)」熊本法学六四号七九ー一〇四頁。
(15) Breillat, D., “L'abolition mondiale de la peine de mort, A` propos de 2e Protocole facultatif se rapportant au Pacte international relatif aux droits civils et politiques, visant a` abolir la peine de mort," 2 Revue de Science Criminelle et de Droit Pe´nal Compare´ (1991), p. 263.
(16) Sapienza, R., “International Legal Standards on Capital Punishment," in Ramcharan, B. G., ed., The Life in International Law, M. Nijhoff, 1985, p. 289.
(17) Problems arising from the co-existence of the United Nations Covenants on Human Rights and the European Convention on Human Rights, C. of E. Doc. H (70) 7, para. 91.


       二 規約六条の起草過程
 そもそも死刑廃止について言及がなされ、死刑と生命に対する権利との関係が問題となったのは、世界人権宣言(以下、宣言)起草時にまでさかのぼる。当時ソ連は、平時における死刑の廃止を提案していた(1)。この提案は、生命に対する権利の原則を徹底させ、かつその権利の内容を国家による生命の剥奪を禁止するものにするためには、当然ともいえるものであった。しかしながら、西側諸国は、この提案を東西対立の下で行われた政略的な提案であるとみなして強硬に反対した(2)。したがって宣言は、その三条において、ただ「すべての人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」と定めるに過ぎないものとなり、死刑に関する問題をなんら明示に定めるものとはならなかった。
 この宣言を規約という形式で法典化する任務を受けた国連人権委員会(以下、人権委員会)では、規約を通じてあらゆる人の生命に対する権利を保護することが重要であるという点では一般的合意が形成されていた。しかし、その定式化については次のように三つの意見が対立していた。
 まず、第一の見解は、規約は何人もいかなる状況の下においても生命が奪われるべきではないという原則を鮮明にすべきであるというものであった(3)。したがって生命に対する権利は、すべての権利の内でもっとも根本的なものであり、そのためそれに関する条文を起草するにあたり、生命を奪うことが認められるような事由についての言及を全く行うべきではない、と主張された。こうした生命に対する権利の絶対化を主張する見解に対して、イギリスやフランス、アメリカは、現実の状況を反映した起草を規約においても行うべきであると主張し、さらにはある状況下では生命を奪うことが正当化されると反論していた(4)。
 他方、第一の見解に反論したイギリスやレバノンは、次のような第二の見解を主張した。すなわち、規定の漸進的な実施を認めない規約の義務の下においては、締約国が自国の義務について不確定な状態におかれないため、権利と権利に対する制限との正確な範囲を精緻に定義することが望ましいとした(5)。したがって、条文起草にあたり適当であると思われる方法は、生命の剥奪が生命を保護する一般的義務の違反とみなされない条件を特に列挙することであると提案した。この生命に対する権利の例外として提案されたものには次のようなものがあった。
 1.法にしたがって科される死刑の執行(6)
 2.自己または他人の防衛のための殺害(7)
 3.反乱、暴動または騒動を鎮圧するために適法にとられる行動から生じる死亡(8)
 4.適法な逮捕を行おうとしまたは適法な拘留中の者の逃亡を防止するにあたっての殺害(9)
 5.国連憲章によって許される強制措置の場合の殺害(10)
 6.人、財産若しくは国の防衛のための、または大きな社会的動揺(civil commotion)の状況における殺害(11)
 7.名誉の侵害に対する殺害(12)
 これらの事由が人権委員会においてすべて生命に対する権利の例外として認められた訳ではないが、現代においては一見して受け入れられないような項目も存在している。ところでこうした列挙型の起草案では、制約をどのように列挙してみても各国が主張するすべての例外を調整することはできず、例外事由につき合意にいたることは困難であろう。またたとえ合意したとしても歴史的な発展にともない必然的に例外規定が時代遅れまたは不完全となることがあるのは明白である。そのためアメリカやフランスなどは、この起草方式では、「権利」よりも「例外」により大きな重要性を与えかねないと指摘していた(13)。したがってこのような列挙型の文言で起草される条文は、生命に対する権利を保障するよりもむしろ殺害を許可するもののように思われると危惧されたのである(14)。
 こうした例外を列挙するものに対してアメリカは、例外をリストしない一般的定式化が望ましいとする第三の主張をおこなった(15)。すなわち、その起草案は、「何人も恣、意、的、に、その生命を奪われない(16)」(傍点筆者)こと、さらには「生命に対するすべての者の権利は法律で保障される(17)」ことを明確に確認するものであった。こうした何人も「恣意的に」その生命を奪われないと規定する条項は、その生命に対する権利が絶対的でないことを示すことになるが(18)、他方で、生命の剥奪を正当化する例外を詳細に説明する必要性を省略することを可能とする優位性が強調されたのである(19)。しかしながらイギリスは、「恣意的に」という概念が一般的に認められた考えを表明していないこと、さらにこれが曖昧であっていくつかの解釈を免れないことを理由にこの第三案を批判した(20)。この批判に対して、アメリカなどから「恣意的に」の語が宣言のいくつかの条文及び規約草案の若干の条文において使用されていること、「恣意的に」の語は「違法に」と「不当に」とをともに意味すると説明された(21)。しかしながら、実際にはイギリスが批判するように、「恣意的な」の語は、明確な基準を提示し、かつそれが合意されているといえるものではなかった(22)。
 このように生命に対する権利の例外の規定の仕方をめぐって意見が対立するという文脈の下で、死刑の問題が議論されることとなった。まず死刑の問題を扱う規定を本条へ挿入することに対しては、国際社会が死刑を慣行として承認しているかのような印象を与えかねないという理由でウルグアイなどから反対が表明された(23)。すなわち、人命尊重からすれば、規約は、その主要な原則の一つとして死刑の廃止を規定すべきことが要請されているという趣旨である(24)。しかし死刑を存置している国家は当時少なからずあった。それでも死刑が人権を無視して不当に又は恣意的に科されることのないよう適切な保障措置が用意されなければならないと主張され、その点については合意が成立した。したがって死刑は、一、最も重大な犯罪に対する刑罰として、二、権限のある裁判所の宣告にしたがって、かつ三、世界人権宣言の諸原則または集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約に抵触しない法律によってのみ、科すことができるということになったのである。
 これを受けて人権委員会は次のような起草案を作成した。
  「1 何人も、恣意的にその生命を奪われない。生命に対するすべての者の権利は、法律によって保護される。
  2 死刑が存続する国においては、死刑は、権限のある裁判所の宣告にしたがって、かつ、世界人権宣言の諸原則又は集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約に抵触しない法律により、最も重大な犯罪について刑罰としてのみ科することができる。
  3 死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑は、すべての場合に与えることができる。
  4 死刑は妊娠中の女子に対して執行してはならない(25)。」
 この起草案を受けた国連第三委員会(以下、第三委員会)では、ほとんどの代表が、まず生命に対する権利について、すべての者の生命に対する固有の権利に言及すべきであると考えていた。したがってコロンビア及びウルグアイ、パナマ、ベルギーなどが提案する「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する(26)」という規定を一項に挿入することに賛成した。これは、生命に対する権利が国家によって個人に付与された権利ではなく、自然権的権利であることを明記したものといえる。しかしポーランドやデンマークは、その規定の挿入に反対した。というのもその規定内容が前国家的内容をもつ宣言的声明であり、したがって国家間の合意により法的拘束力をもたせ、かつ、それを実施する義務を国家に負わせるのは、規約の規定としてはふさわしくなく、より一層現実に見合ったものが必要であると考えたためであった(27)。しかしながらその挿入規定の趣旨そのものを否定するものではなく、この条項は、賛成六五、反対三、棄権四により挿入が採択された(28)。
 ところで死刑が、こうした前国家的内容(自然権的権利)であるとされる生命に対する権利とどのように両立し、またはしないのか、という問題について、最も活発に議論されたのは、第三委員会においてであった。
 第三委員会第一二会期(一九五七年)では、生命に対する権利を固有の権利であるとして第一項にその規定を挿入させたウルグアイやコロンビアが、新たに「いかなる者も、死刑を科せられることはない」という死刑の完全廃止を謳った追加規定の提案を行った(29)。これにより、第三委員会ではこの提案を巡り各国の意見が対立した。この提案を支持する国の代表は、生命に対する権利を保障する六条によりいかなる状況でも生命の剥奪が禁じられ、死刑を禁止するべきであると述べていた。その理由として例えば、パナマは、死刑の存在を正当化することはできず、また刑罰とは犯罪者の社会復帰を成し遂げることを目的とするべきだとする近代刑罰概念に反すると主張した(30)。さらに、コロンビア、ウルグアイやフィンランドは、無実の者が有罪とされ得る可能性が常に存在することを指摘した(31)。また誤判が生じた場合、その過ちをただすことは不可能となるとも主張された。また多くの国家の犯罪状況を比較した上で、死刑は犯罪に対する抑止効果を持っていないことも指摘されていた(32)。このように死刑廃止は、政治犯に対する死刑の適用を問題としてとらえ、早くから死刑を廃止していたラテンアメリカ諸国を中心として強く主張されていたが、その主張の根拠は現代において行われている主張とほとんど変わるところがなかった(33)。
 他方、多くの国家は、修正案を提出するにいたった人道的動機に関してこれを評価しつつも、この案が採択されると、死刑存置国がその実施の困難さから規約加入を躊躇することになるであろうと考えていた(34)。したがって死刑の廃止は、大きな議論を呼んだのである。また死刑廃止に反対する国家のなかにも、対立が存在した。例えば、イギリスは規約が法的義務を定めかつ即時達成義務を課すものであるという考えから、死刑の制限についてできる限り精緻な規定をおくことを主張した(35)。他方、フランスなどは、一般的な文言で規定し、かつ死刑廃止は漸進的に達成されるべきだと考え、独特の案を提出した(36)。他方、ソ連は、規約が精緻化することにより自国の死刑制度に言及されることを恐れ、死刑制度の問題は各国の主権事項であり国内法によって処理されるべきであることを強調した(37)。このように死刑廃止をめぐる対立により会議は紛糾したため、またもや政治的な妥協がはかられ、死刑廃止の問題は各国の裁量に委ねられることになったのである。しかしながら、そのままでは規約が死刑を認めているとの印象を与えかねない。したがってこれを避けるため、パナマは「死刑廃止を促進することが適当であることを認める」という規定を提案し(38)、コロンビアなどは国連が死刑廃止に向けて具体的な措置を講ずるべきことを提案した(39)。このように死刑廃止を主張する国は、できる限り死刑の存置を認めず、死刑廃止への積極的な義務を定めようとした。しかしながらこれらの提案は、すべて採択されないままとなった。
 そうはいっても、これらの死刑廃止への主張が全く否定されたわけではない。死刑廃止を謳ったウルグアイ提案に対して懸念を表明していた西側諸国もまた死刑を規約が永続的に認めていると解釈されることについては反対した。そのうえで漸進的にではあれ死刑廃止に向かうことを規約が義務づけているように解釈されるべきだとしていた(40)。例えば、イタリアは、「即時的あるいは無条件の死刑廃止は、それによって何らかの害を生じうる国家も存在するかもしれず、したがって慎重さが必要である。しかしながら一旦生命に対する権利を承認したからには、国民が高度に組織され、発展を遂げている国家は、一八世紀以来の傾向にしたがって、死刑廃止に向かう立法を制定する義務を回避してはならない(41)。」と主張する。このイタリアの主張によれば、国民が高度に組織され、発展を遂げている国家、すなわち先進国は可能な限り早急に死刑廃止に向かわなければならないことを示唆していることになろう。結局、ウルグアイ案に賛成であったアイルランドが妥協案を提示し(42)、その案を基とした作業部会案が六項として採択された。しかしながらこの規定に対して込められた意味は、妥協的であったため、死刑存置の根拠として規約六条が「援用されてはならない」というように消極的な記述であり、死刑廃止を漸進的に達成することを要請しつつも、その具体的な措置は、締約国の判断に広く委ねたものであった。
 このように、規約六条は、国際法の下で死刑それ自体を廃止することはできなかった。しかしながら死刑の科刑を制限しあるいは廃止に向かうべき義務が六条のなかに込められていることは指摘できよう。したがってこの死刑廃止への道筋の一つとして、死刑に対するセーフガードを定めることが問題となる。よって六条二項から五項の起草は、死刑を科すことのできる犯罪の限定と死刑の手続き的制限に焦点を当てたものになったのである。
 まず死刑の科すことのできる犯罪を、「最も重大な犯罪」のみに限定している。この語は、それ自体の概念の設定が国によって異なるので、精緻さを欠く(43)。したがってもっと明白に定義すべきことが示唆され、具体的に「政治犯罪」には死刑を科すべきではないという示唆もなされた(44)。しかしながら、死刑が科せられる犯罪を特定することまでは議論されなかった。
 他方、第三項の規定は注目に値するものである。すなわち、ジェノサイド条約の規定が禁止するような行為に該当する死刑を規制しようとする動きが第三委員会ででてきた。ブラジル、パナマ、ペルー及びポーランドは、四ヶ国修正案を提出してジェノサイド犯罪を規制する規定の挿入を主張した(45)。他方で、ジェノサイド条約というセーフガード条項を挿入することが不必要であるとの主張もなされた。ジェノサイド条約と規約との間になにも矛盾や衝突や重複は存在しないという考えからである(46)。さらに、十分なセーフガードは、規約五条(47)の下で保障されているともされた。他方、四ヶ国修正案に賛成する国家は、個人が所属する集団に絶滅の恐れが生じる場合には、個人の生命に対する権利の規定は十分なセーフガードとなるとはいえないと主張した。例えば、ペルーは、「ナチの裁判は、ジェノサイド犯罪に関わっているが、それは見せかけだけの司法手続きによって大量に死刑を科したことから生じたものである(48)。」と主張して、ジェノサイド政策が通常犯罪に対する死刑の装いの下で実行されてはならないことを明確にするべきであると主張した(49)。またジェノサイド条約への言及は、国内法が死刑を定めることに対する一層の制限として基本的重要性を持つものであるとも主張され、規定の挿入が圧倒的多数によって決定された。
 他方、死刑が科せられる人を特定する動きもあった。第三委員会に提出された人権委員会案第四項の規定は、妊娠中の女子への執行を禁じているが、それは、人道的考慮とやがて生まれる子どもの利益への考慮とによるものであった。この規定は、人道的見地にたつがゆえにその適用を拡大されるべきものであり、特に未成年者にも死刑からの保護を付与すべきであると主張された。こうした声に支えられ、日本は「未成年者への死刑の禁止を挿入する」修正案を提案した(50)。これは、未成年者がほとんどの国家の刑法において特別な取扱いを受けていること、未成年者の場合には更正を主眼とすることが社会にとっても有用であることを根拠としていた。他方、この修正に対して、未成年者だけに言及するのは不十分であり、その他の区分に属す人々、たとえば精神薄弱者や高齢者といった人々も含められるべきであるとも主張され、その規定の困難さから修正に慎重な態度をとる国家も現れた(51)。したがって死刑を科すことのできる人の分類については、各国の立法に委ねられるべきであるとの消極的な主張も出されるようになった。しかしながら結局「一八歳未満の者」に対する死刑の科刑を禁止する修正案が多数決によって認められた。
 こうして科刑に関わる実体的な問題が第三委員会で議論されたが、他方で、手続き的な基準を策定することによっても死刑を制限しようとする議論が行われた。
 まず、死刑は「権限のある裁判所」によって科されるべきであること、並びに罪刑法定主義を原則とすることについては合意があった。他方、死刑が「世界人権宣言の諸原則に抵触しない」法律により科されなければならないことを人権委員会案は規定していた。この条文は、何人も不当な法律により生命を奪われるべきではないことを確保し、並びに、援用される法律は、宣言の精神に反するものあってはならないことを意図する。しかしながら宣言は、法的拘束力をもたせることを意図して起草されなかったため、その宣言それ自体の内容が漠然としている。よって各国から宣言に言及することが法的精緻さに欠けると指摘され、反対された(52)。したがって「この規約の規定に抵触しない」という規定に改められた(53)。こうして死刑に関わる事件においては、規、約、の、他、の、規、定、と、の、「両立性」の確保が明文で条文のなかに定められることとなった。しかしながらこの「両立性」を検討する一方の対象である「法律」とは何を指すのであろうか、下位の法令でよいのであろうか。生命に対する権利の重要性の議論からすれば、憲法などの上位の法によって死刑に関する規定は定めなければならないとして厳格に解釈されなければならない(54)。この点についての議論は規約一五条の規定により満足するものとしていた。
 最後に人権委員会案第三項の規定である恩赦を請求する権利の挿入は、人道的理由から支持された。死刑がまだ科されている国においては死刑を言い渡された者に「死刑の特赦または減刑を求める」権利を与えることによって死刑を緩和することが不可欠であると考えられたためである(55)。しかしながら、これをどのように国内法で保障していくのかは、具体的に議論されず、これもまた締約国の裁量とされたのである。
 こうして現在の条文が完成された。この起草過程でうかがい知ることができることは、死刑の規定が残されたのは現実との妥協によるものではあったが、死刑は例外であり、かつ、死刑については廃止の方向が指し示されているということである(56)。廃止までの間死刑が科されることは認められているものの、死刑の適用・執行はより厳密に行われなければならないことが要請されていると理解できよう。

(1) A/C. 3/265.
(2) see Rehof, L. A., “Article 3," in Eide, A. et al., eds., The Universal Declaration of Human Rights A Commentary, Scandinavian U. P., 1992, pp. 76-77 ; Schabas, W. A., The Abolition of the Death Penalty in lnternational Law, Grotius, 1993, pp. 25-50.
(3) ウクライナ、E/CN. 4/SR. 98, p. 9 ; ウルグアイ、E/CN. 4/SR. 152, para. 28.
(4) イギリス、E/CN. 4/SR. 139, para. 15 and E/CN. 4/SR. 199, para. 90 ; フランス、E/CN. 199, para. 88 ; アメリカ、E/CN. 4/SR. 310, p. 8.

(5) イギリス、E/CN. 4/SR. 98, p. 5, E/CN. 4/SR. 144, para. 14, E/CN. 4/SR. 309, p. 3 and p. 7 ; レバノン、E/CN. 4/SR. 98, p. 6 and p. 11.
(6) アメリカ、フランス、イギリスなど。
(7) フランス、インド、イギリス、ウクライナなど。
(8) フランス、ウクライナ、イギリスなど。
(9) イギリス。
(10) フランス。
(11) レバノン、フランス、インドなど。
(12) フィリピン、オーストラリア、イギリス、フランスなど。
(13) 例えば、アメリカ、E/CN. 4/SR. 309, p. 4 ; フランス、ibid.
(14) 例えば、アメリカ、E/CN. 4/SR. 139, para. 9.
(15) E/CN. 4/SR. 139, para. 8, E/CN. 4/SR. 309, p. 4.
(16) E/CN. 4/L. 176. この案は、次の注に掲げる E/CN. 4/L. 122. の部分的修正をおこなった案である。
(17) E/CN. 4/L. 122.
(18) Dinstein, Y., “The Right to Life, Physical Integrity, and Liberty", in Henkin, L., ed., The International Bill of Rights : The Covenant on Civil and Political Rights, Columbia U. P., 1981, p. 118.
(19) 例えば、アメリカ、E/CN. 4/SR. 97. p. 6, E/CN. 4/SR. 144. paras. 30-31.
(20) 例えば、E/CN. 4/SR. 139, para. 16, E/CN. 4/SR. 309, p. 9 ; イギリスは、規約の条文の起草に際し「恣意的な」の語が使用される条文案については、必ずこの指摘を行っている。
(21) 例えば、アメリカ、E/CN. 4/SR. 309, p. 4, E/CN. 4/SR. 310, p. 8.
(22) 結局、規約においては、「恣意的な」という語が採用されたが、ヨーロッパ人権条約では、あまりにも漠然としていることを理由に、採用されなかった。Robertson, A. H., “The United Nations Covenant on Civil and Political Rights and the European Convention on Human Rights," 43 BYBIL p. 30.
(23) 例えば、ウルグアイ、E/CN. 4/311, p. 7.

(24) 例えば、ウルグアイ、E/CN. 4/SR. 310, p. 10 ; スウェーデン、E/CN. 4/SR. 311, p. 3.
(25) E/2447.
(26) 例えば、ウルグアイ提案、A/C. 3/L. 644.
(27) ポーランド、A/C. 3/SR. 814, para. 3, A/C. 3/SR. 817, para. 12 ; デンマーク、A/C. 3/SR. 819, para. 14.
(28) A/C. 3/SR. 820, para. 8.
(29) A/C. 3/ L. 644.
(30) A/C. 3/SR. 813, para. 28 ; ウルグアイ、A/C. 3/SR. 810, paras. 22-23.
(31) コロンビア、A/C. 3/SR. 811, para. 14 ; ウルグアイ、A/C. 3/SR. 810, para. 22 ; フィンランド、A/C. 3/SR. 811, para. 2.
(32) フィンランド、A/C. 3/SR. 811, para. 2 ; パナマ、A/C. 3/SR. 813, para. 26.
(33) 中義勝他編『刑法1総論』蒼林社、一九八四年、三六七頁。
(34) 例えば、ブルガリア、A/C. 3/SR. 813, para. 39 ; カナダ、A/C. 3/SR. 814, para. 35 ; 日本、A/C. 3/SR. 814, para. 18 ; こうした懸念は、東西、先進国、途上国を問わず、表明されていた。
(35) A/C. 3/SR. 811, para. 40.
(36) Ibid., paras. 26-27.
(37) A/C. 3/SR. 810, para. 16 ; メキシコ、A/C. 3/SR. 812, para. 9 ; カナダ、A/C. 3/SR. 814, para. 37 など。
(38) A/C. 3/L. 653.
(39) A/C. 3/SR. 813, para. 12 ; パナマ、A/C. 3/SR. 819, para. 24 ; フィンランド、A/C. 3/SR. 819, para. 11 ; スウェーデン、A/C. 3/SR. 813, para. 24.
(40) フランス、A/C. 3/SR. 811, para. 27 ; アイルランド、A/C. 3/SR. 813, para. 41 ; エクアドル、A/C. 3/SR. 815, para. 28.
(41) A/C. 3/SR. 814, para. 11.
(42) A/C. 3/SR. 813, para. 41.
(43) リベリア、A/C. 3/SR. 812, para. 2 ; 人権委員会における議論としては、ウルグアイ、E/CN. 4/SR. 149, para. 33 ; アメリカ、ibid, para. 46 ; イギリス、ibid., para. 35.

(44) イタリア、A/C. 3/SR. 814, para. 12 ; スウェーデン、E/CN. 4/SR. 98, p. 4.
(45) A/C. 3/L. 657.
(46) ソ連、A/C. 3/SR. 819, para. 43.
(47) 規約五条の規定は、次の通り。
  「1 この規約のいかなる規定も、国、集団又は個人が、この規約において認められる権利及び自由を破壊し若しくはこの規約に定める制限の範囲を超えて制限することを目的とする活動に従事し又はそのようなことを目的とする行為を行う権利を有することを意味するものと解することはできない。
  2 この規約のいずれかの締約国において法律、条約、規則又は慣習によって認められ又は存する基本的人権については、この規約がそれらの権利を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利を制限し又は侵してはならない。」
(48) A/C. 3/SR. 813, para. 2.
(49) Dinstein, op. cit., p. 117.
(50) A/C. 3/L. 650.
(51) デンマーク、A/C. 3/SR. 819, para. 17.
(52) A/C. 3/SR. 812, para. 24.
(53) A/3764, para. 102.
(54) Dinstein, op. cit., p. 115.
(55) A/C. 3/SR. 812, para. 31.
(56) Bossuyt, M. J., “The Death Penalty in the 《Travaux Pre´paratoires》of the Internetional Covenant on Civil and Political Rights", in Premont, D., ed., Essais sur le Concept de “Droit de Vivre" en Memoire de Yougindra Khushalani, Bruylant, 1988, p. 256.


       三 起草過程以後の死刑問題に関する規約六条解釈
 1 死刑問題に関する国連の議論
 規約六条の起草は、第三委員会一二会期(一九五七年)で実質的に終了しており、したがってその後に独立した発展途上国の見解やその後の死刑に対する各国家の動向を反映したものではない。他方、一九七〇年代から死刑の問題について国連経済社会理事会などの国連機関で議論がされ始めている。ここでの議論は、規約の締約国はもちろんのこと、非締約国を含むほぼ全世界の国家が参加しているため、その会議で出された規約に関する決議は、大いに参考になると思われる(1)。
 例えば、一九八〇年犯罪防止・被拘禁者保護に関する第六回国連会議では、政府機関による、政治的団体に所属する政治的反対者に対する処刑について、これを憂慮し、これを防止するための実効的な措置を各国に要請した(2)。また一九八四年経済社会理事会で採択された、死刑囚の権利保護のための保護基準に関する決議(3)では、さらに踏み込んだ基準を提示している。まずその一項で、「最も重大な犯罪」とは、明確に「その範囲が生命の損失又はその他の極度に重大な結果を伴う故意の犯罪を越えてはならない」ことを述べる。さらに死刑に関する手続きについても、規約一四条に言及し、その一四条で保障する基準を「少なくとも」保障すべきことを示唆する。このように決議は、文言を一見するだけでも、規約で不十分であると思われた点について何らかの示唆を行おうと努力していることがうかがえる。確かに「最も重大な犯罪」についていえば、「その他の極度に重大な結果を伴う故意の犯罪」が何を指すのかは明確ではない。提案者によれば、その犯罪は軍事的性質を有する犯罪を指すとされてはいたものの、各国の判断によってその範囲が拡大する可能性を持っていることは否めない(4)。しかしながら「生命の損失に関する故意の犯罪」とは明らかに謀殺罪を念頭においており、生命の剥奪が人権享受にとり最も重大な犯罪であることを示唆していると考えられよう。また一四条における基準との合致を要請することによって、規約の両立性の確保が最低基準であることを示唆する。さらには、死刑執行の方法に関しても、可能な限り最小限の苦痛ですむように行わなければならないとして、規約七条にいう残虐な取扱いの禁止に配慮した基準を提示している。このように死刑制度の運用について、その科す犯罪類型及び執行方法の両面から厳格な適用を要請している。こうして死刑の適用に対して厳格適用を決議は要請しているが、これはこの決議の前文に記載されているように、とりもなおさず死刑廃止に国際社会は強い意思を持って向かっているからである。
 また規約が起草され、発効して以来、今日までの間、死刑の廃止を掲げた地域的人権条約や死刑廃止を法制化したり、運用によって事実上廃止した国家が増加してきている。こうした状況を受けて、国連は、総会決議四四/一二八によって規約に第二選択議定書をもうけて、死刑廃止の義務化に踏み切ることとなった(5)。この第二選択議定書は、その六条一項で「この議定書の規定は、規約に対する追加規定として適用する」とする。すなわち、規約六条は、「廃止が望ましいことを強く示唆する文言」(第二選択議定書前文)でしかない。
 その第二選択議定書の起草過程では、イスラム諸国がイスラム法と死刑廃止とは両立しないとして強く反対した(6)。また日本も、第二選択議定書の起草に関する決議には賛成するものの、この問題は個々の国家の判断に委ねられるべき問題であり、国際法で規律すべきものではないとして起草案自体には反対した(7)。このように、死刑存置国は、死刑の廃止の問題が自国の判断に委ねられるべきものであるとして起草そのものに反対していたのである。
 こうした考え方、さらには第二選択議定書が起草されたことは、それ自体、基本的には自由権規約六条が死刑廃止を義務づけているという解釈が、規約の起草過程以後においても締約国の間では存在していない、少なくともそうした解釈発展は行われなかったことを示している。このことは、第二選択議定書の起草に先立つ、Wako(8) や Bossuyt(9) の報告書をみても明らかである。それでは規約人権委員会(以下、委員会)の解釈基準はどうなのであろうか。

(1) 参考、辻本義男「死刑に関する国際的動向」中央学院大学総合科学研究所紀要六巻二号七一ー九二頁。Schabas, op. cit., pp. 138-161.
(2) Res. 5.
(3) ECOSOC Res. 1984/50 ; この後、国連総会は、一九八九年に改めて同じ決議を行っている。GA Res. 44/162.
(4) この問題を解説したものに、北村泰三「国際人権法における死刑問題」『法学と政治学の諸相』成文堂、一九九〇年、一三〇ー一三八頁。
(5) こうした動きを解説したものに、阿部浩己「国際人権法における死刑廃止」法律時報六二巻三号七八ー八四頁。辻本義男「『死刑廃止にむけての市民的および政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書』の成立とその意義」中央学院大学総合科学研究所紀要七巻二号五ー三五頁。
(6) パキスタン、A/C. 3/37/SR. 67, para. 67 ; チュニジア、A/C. 3/37/SR. 67, para. 67.
(7) 例えば、A/C. 3/36/SR. 32, para. 32 ; 参議院法務委員会会議録、平元年一二月五日三頁。
(8) E/CN. 4/1985/17.
(9) E/CN. 4/Sub. 2/1987/20 ; 邦訳、辻本義男「『死刑廃止にむけての市民的及び政治的権利に関する国際規約第二選択議定書』に関する報告書」中央学院大学法学論叢四巻一号一ー八九頁。

 2 一般的意見にみる死刑問題
 年代は前後するが、六条に関する一般的意見(Genenral Comment)は、一九八二年七月二七日に採択された(1)。この一般的意見の目的は、特定条文の適切な義務を指摘することによって規約四〇条一項に基づく国家の報告義務の実施を援助することにある。したがって締約国報告書審査手続きと密接な関係がある。
 まず、六条一項の「生命に対する固有の権利」は、明らかに国民の生命を脅かす公の緊急事態の時ですらデロゲーションが認められない至高の権利であると宣明する(2)。これによって、委員会はこの権利をもっとも基本的な権利であると述べる(3)。
 これを受けて死刑に関す委員会の見解は、一般的意見パラグラフ六及び七で次のように展開している。
   「六条二項ないし六項からすると、締約国は、死刑を完全に廃止することを義務づけられてはいるわけではない。しかしながら、その行使を限定すること、特に、『最も重大な犯罪』以外の犯罪に関しては死刑を廃止すること、を義務づけている。したがって締約国は、このことに照らして自国の刑法の検討を考慮すべきであるし、またいずれにしても、死刑の適用を『最も重大な犯罪』に限定しなければならない。本条はまた廃止が望ましいことを強く示唆する(二項及び六項)文言で一般的に死刑廃止に言及する。委員会は、死刑廃止のあらゆる措置が四〇条の意味における生命に対する権利の享受についての進歩と考えられるべきであり、それについては是非委員会に報告されるべきである、と結論づける。委員会は多くが既に死刑の廃止またはその適用の制限へ向けてもたらされた進歩が全く不十分であることを示している。
 委員会は、『最も重大な犯罪』の表現は死刑が全く例外的な措置であることを意味するように厳密に解釈されなければならない、という意見である。六条の明文規定からすれば、死刑は犯罪が行われた時に効力を有しており、かつ、規約に抵触しない法律によりのみ科することができることも明らかである。独立の裁判所による公正な審理を受ける権利、無罪の推定、防禦のための最小限の保障及び上級の裁判所による再審理を受ける権利を受ける権利を含め、規約で定められた手続き的保障は、遵守されなければならない。これらの権利はさらに、死刑に対する特赦又は減刑を求める特別の権利にも適用される。」
 これをまとめると次のようにいえる。第一に、「締約国は死刑の完全廃止を義務づけられてはいないけれども、その行使を制限し、『最も重大な犯罪』に限定」させることを六条は義務づけている(4)。したがってこのパラグラフの全体的な主張は「死刑の廃止が望ましいことを強調する」ものであり、締約国に廃止への道筋を報告することを要請する。第二に、「最も重大な犯罪」の概念は、「死刑が極めて例外的な措置である」ことを要求し、そのように厳格に解釈されるべきものである。第三に、「死刑は、犯罪発生時に効力を有する法律で、かつ規約に抵触しない法律にしたがって科せられる」だけである。第四に、「規約上のすべての手続き的保障(独立の裁判所での公平な審理、無罪推定、防禦のための最低限の保障、上級裁判所への控訴権)の遵守」を義務づける。第五に、「これらすべての手続き的保障は、特赦及び減刑を求める権利にも適用」されなければならない。
 この委員会の意見は、その起草過程をみるとほとんど異論なく原案通り採択されている。各委員は、生命に対する権利の重要性を強調し、したがって死刑を廃止する方向性、あるいは死刑を制限することを主張していた(5)。生命に対する権利と死刑制度は基本的には両立しないものであるという考えが現れているといえよう。
 こうした一般的意見を委員会は提起してきたが、実際の締約国報告書審査手続きではどのような対話が行われていたのであろうか。例えば、ウクライナの第三回報告書審査において、ウクライナが刑法草案では女子の全てと六〇歳以上の男性については死刑を廃止する予定である述べた。これに関してFodor委員は、死刑が科される犯罪数が減少したことを歓迎しながらも、女性のみに死刑を廃止したことに対して、あるいは六〇歳以上の男性に対してのみ死刑を廃止したことに対して、論理的かつ正当化し得るものではないとして、それぞれ男性差別、年齢差別を構成する恐れがあることを指摘している(6)。その他、審査では、政治的犯罪、反逆罪、公金横領罪などに対して死刑を科していることに批判が出された。また「平和、人道若しくは人権」に対する罪といった犯罪については概念が明確ではないという批判がなされていた(7)。こうした審査での対話や批判は、委員の個人的見解として表明されることもあり、委員会全体の意見を十分反映しているとはいいがたい。ウクライナの刑法草案に対しても、死刑の科刑が差別的であるとしても、死刑を科す犯罪類型や対象者を制限している方向性を損なわないように注意しながら、委員会は右のような指摘をしているように思われる。
 しかしながらイランの第三回報告書に対する委員会のコメントは、明確に「委員会は、経済的性格を有する犯罪、贈収賄罪、姦通罪あるいは生命の喪失をともなわない犯罪に死刑を科すことは規約に抵触するものと考える。」と結論づけている(8)。このコメントより、委員会は、「最も重大な犯罪」のなかに「生命の喪失をともなう犯罪」が該当すること、その他のものについては排除していることがうかがわれる(9)。また執行方法についても、多くの執行が公開で行われていることに懸念を表明している。こうしたコメントは委員会全体の合意で表明されるものであり、基準として考えられるものである。
 ところで、この一般的意見には、死刑を科してはならない対象を定めた五項に関する記述がない。この点に関して、例えば、前述の経済社会理事会決議の死刑囚の権利保護のための保護基準三項で、一八歳未満の者及び妊娠中の女子だけではなく、乳児の母親や精神異常となった者に対する死刑執行を禁じているが、こうした死刑執行禁止対象を拡大させる意味で、なにも述べなかったのかどうか疑問がでてくる。一般的意見の起草過程にもこの点に関する言及がなく、かつ後述する個人通報審査手続きでは事例がないため、委員会の対応をみることができない。しかしながら乳児の母親については、規約二四条の子どもの保護義務から、これに死刑を科すことは禁止されるように思われる(10)。
 次にその執行方法は、七条に関する一般的意見で記述されている。この意見は、Higgins 委員が述べるように、「死刑に関する一般的傾向は、死刑の厳格な適用と廃止にむかっている(11)」ことを強調し、そのために死刑執行についても厳格に規約が適用されるべきであるとして、次のように執行方法が限定されたのである。
   「七条は、その六項で長期間の被拘禁者又は受刑者の独居拘禁も七条によって禁止される行為に当たる場合があることを指摘する。委員会が一般的意見六(一六)で述べたとおり、本規約六条は廃止が望ましいと強く示唆する言葉で死刑廃止に言及している。さらに、最も重大な犯罪につき、締約国によって死刑が適用されるときは、六条にしたがって厳格に制限されるだけでなく、生じうる身体的・精神的苦痛が最も少ない方法で執行されなければならない(12)。」
 こうして一般的意見においても、犯罪類型、執行手続き、執行方法など様々な角度から死刑制度を厳格に制限していこうとする表れを読みとることができる。それはとりもなおさず、人権の基本的な権利は、生命に対する権利であり、その剥奪が死刑であるからである。
 以上のように、「あらゆる死刑廃止措置が生命に対する権利を享受するにあたっての進歩とみなされる」ことを明言することによって、委員会は、死刑廃止が生命に対する権利の概念の発展のなかに存在することを明確にしたといえる。
 しかしながら、死刑廃止の方向性は、規約上の義務であるとはいいがたい状況も一方ではある。モーリシャスが麻薬犯罪に対して死刑を導入したことに対し、委員会委員は、「規約六条が廃止が望ましいと強く示唆する」としながらも、規約「違反」だとは述べていない。規約の「精神」に反すると述べるのみである(13)。死刑そのものを問題にできないことの限界性を表わしているように思われる。


(1) CCPR/C/21/Add. 1, pp. 2-3.
(2) この点を検討したものに、Gormley, W. P., “The Right to Life and the Rule of Non-Derogability : Peremptory Normes of Jus Cogens," in Ramcharan, B. G., ed., The Rights to Life in International Law, M. Nijhoff, 1985, pp. 120-159.
(3) さらには次の点についても一般的意見は指摘する。一、六条に対して広義の解釈を採用するべきであるとして、国が恣意的な生命の喪失を引き起こす戦争、集団殺害行為及びその他の大規模な破壊行為を防止する至上の義務を負っていることを委員会は指摘した。戦争と核戦争の危険を防止してそして国際の平和と安全を強化するためにとられるあらゆる努力は、生命に対する権利の擁護にとってももっとも重要な条件及び保障となるであろう。二、六条と二〇条との関係を指摘する。三、恣意的な生命の剥奪の禁止を最重要事項であると位置づけている。四、失踪

 の問題に関してその発生防止のための実効的な措置をとることを要請している。この点につき具体的な措置については言及していない。しかしながら失踪に関する調査をとることを要請する。ただしその具体的な提案はなく不十分なものであるといえよう。五、「生命の固有の権利」に関
する広範な意味を持つことにに関して、幼児の死亡の減少及び寿命の引き上げのためのあらゆる措置をとることを要請する。
  六条一項の権利に関する限り、論争の中心点となると思われるのは、委員会のとる解釈の範囲が非常に広いことであろう。このことは東欧の主張を反映している。西欧は、生命権を死刑に関するものに限定して考える傾向があった。それに対して東欧は、幼児死亡率、余命の引き上げといったことが委員会によって検討されるべき正当な任務であるとみなしてきた。これに関して、Higgins委員は、「厳密に解釈する立場からは、社会権規約で保障・検討されるべき事項であると主張することもできる。しかしながらこうした拡大解釈に対してすべての締約国は受け入れてきた」と述べる。こうした広義の解釈を委員会が採用しているので、その実施義務に関して、自由権規約と社会権規約の境界が曖昧になる傾向にある。六条一項に幼児死亡率の引用することは、自由権規約の即時適用義務の中身が問題となってくるようにも思われる。Higgins, R., “Human Rights : Some Questions of Integrity." 52 Modern Law Review, pp. 1-21.
(4) 六条の一般的意見の起草過程では、政治犯に対する死刑を禁ずるべきだとの主張もあったが、時間の関係で議論されなかった。Vallejo, CCPR/C/SR. 378, para. 54.
(5) 例えば、Bouziri, CCPR/C/SR. 370, para. 18.
(6) CCPR/C/SR. 1029, para. 25.
(7) See, Schabas, op. cit pp. 106-107.
(8) CCPR/C/79/Add. 25, para. 8 ; リビア、CCPR/C/79/Add. 45, para. 8.
(9) しかしながら、第二選択議定書では、その二条一項で「戦時中」の「軍事的性質の非常に重大な犯罪」に死刑を科すことが留保により認められている。「生命の喪失」を必らずしもともなわない犯罪についても科刑が認められる点で問題となる。参照、北村泰三前掲論文一三五ー一三八頁。
(10) 参照、拙稿「自由権規約と家族概念」立命館法学二三七号八三ー一三五頁。
(11) CCPR/C/SR. 1070, para. 64.
(12) CCPR/C/21/Rev. 1/Add. 3.
(13) CCPR/C/SR. 905, paras. 10-19 ; CCPR/C/SR. 906, paras. 59-74 ; A/44/40, p. 113, para. 508.