立命館法学 一九九五年二号(二四〇号)




現代代表民主制の
生理 「の」 病理についての一考察 (一)



石埼 学






目    次




       は じ め に
 一九六一年の宮沢俊義教授の論文「議会制の生理と病理」は、わが国における議会制論の典型的な在り方を示しているであろう。そこで彼は、議会制の特色として「その組織については、公選される議員をその本質的構成要素とすること」と「その権能については、国家作用の根本的なものを支配すること」を挙げ(1)、さらに「議会制の本質的な原理」として「代、表、と、多、数、決、」(「たての原理」と「よこの原理」)を示した(2)。そして「今日の議会の存在理由は、それは government by discussion であることにあるのではない。それは、議会がそこに代弁される社会のもろもろの利益相互間の現実的な妥協の場であることにある」とした(3)。私は、この宮沢論文をわが国の議会制論の「典型」と述べた。それは、この論文が、いわゆる「たての原理」と「よこの原理」との関係を曖昧なままに残した点を捉えてのことである。このような意味における典型性は、とりわけ「国民代表制論」と称される議会制論の一構成部分にみられる。そこにおいては、「たての原理」が問題とされるのであるが、その際にその「たての原理」が「よこの原理」といかなる関係にあるのかという問題関心は不問とされてきたように見受けられる。あえていうならば、両原理の調和的関係が暗黙のうちに前提とされてきたのかもしれない。
 まずは、わが国ににおける国民代表制論の展開をごく簡潔に概観してみよう。わが国における本格的な国民代表制研究は一九三四年の宮沢論文「国民代表の概念(4)」にまで遡るが、とりわけ七〇年代主権論争(5)以降の時期のそれがめざましい進展を遂げたのは周知の通りである。この時期、フランスにおける国民代表制論に依拠しつつ「観念の世界での代表制」ではなく「社会的事実の世界での代表制」を意味する「半代表制」の概念で現代の代表制を説明する試みが樋口陽一教授によって提示され(6)、かかる「半代表制」がいわゆるナシオン主権の一形態であるとする杉原泰雄教授とプープル主権の一形態であるとする樋口教授の間で論争(7)がなされた。他方、芦部信喜教授は、早くから「社会学的代表」概念によって現代の代表制を説明していた。「社会学的代表」とは、芦部教授によれば、「議会が現に国民の間に存在し互いに衝突する複雑な利益状況を、その構成・組織の面においてもできるだけ忠実に反映している、という社会学的な現象を意味する」という(8)。さらに八〇年代になると、従来、必ずしもはっきりしなかった「半代表制」の概念と「社会学的代表」の概念を峻別しようとする傾向が和田進助教授や高橋和之教授によって指し示されるようになった。和田助教授は、樋口教授および杉原教授の半代表制概念が「選挙民とその選出にかかる議員との法的拘束性の問題」と「議会構成への国民意思の反映の問題」などを混同していることを指摘し、現代の代表制を、後者の問題(社会学的代表の問題)として把握すべきことを提唱した(9)。また高橋教授は「同一平面上の対極に位置し」あう代表委任論と命令的委任論という代表制の「法的側面」ではなく、それらとは「問題平面が異なる」代表制の「事実的側面」を区別し、その「事実的側面」に着目した「『社会学的代表』制論が次第に本流となっていく大きな傾向は否定しえないだろう」とした(10)。このような国民代表制論の傾向のひとつの典型を示したのが「現代的な代表観」を「選挙区のなかの意見の違いを議会に反映することが必要と考える代表観」として説明した渡辺良二教授の学説(11)である。
 この渡辺教授の説明から明らかなように、わが国における国民代表制論は、議会と人民との代表関係を、議会構成の次元までの問題として把握してきたようである。すなわち、議会の入り口までの代表性をもっぱら問題としてきたのである。それ故に、議会の議場において展開される審議や決定の過程と代表原理との関係があまり意識されないできたのではないかと思われる。ただ命令的委任論は、議場において個々の議員の意思を法的に拘束することをめざしたわけであるから、入り口から中へ入ったといえよう。しかしその議員が少数派に属していたならば、多数決の瞬間に、命令的委任が全くの無に帰するということは、なぜか問題とされなかった。審議と決定がなされる議会の議場に入って、議会の人民に対する代表性がどのように貫徹されるのか(されないのか)を観察しようとするならば、議会のふたつの構成原理である代表原理と多数決原理との相互緊張関係が目のあたりに見られるはずである。
 さて、高橋和之教授は、「代表制論とは、代表者と選挙人との間の関係をどう捉えるかに関する理論である」という(12)。また大石眞教授は、この高橋教授の定式を「代表制論の射程を確実にふまえたものである」としている(13)。このようにして国民代表制論は、議会と政府の関係を扱う議院内閣制論などとは区別されるのである。しかし高橋教授が「代表者と選挙人との間の関係」という場合に、それが、もっぱらに議会の入り口までの代表性と代表委任ー命令的委任の問題だけを含意し、多数決原理との関係における議会の人民に対する代表性(議場のなかでの代表性の貫徹)の問題を除外しているのであるならば、それは、国民代表制論の射程の認識としては不十分であると言わざるをえない。そのような議場のなかでの代表性の貫徹の問題をも射程にいれてこそ国民代表制論は、その研究対象を十分にふまえることになるのではないかと私は考える。
 以上のように、私が、国民代表制論の射程の拡大を意図するのは、実は、多数者の圧制という民主主義が抱える問題の憲法学的解明に、それが資するところがあるのではないかと考えるからである。多数者の圧制という問題については、近年において、わが国の憲法学者の間においても、そのような問題の存在を強調する傾向が強まりつつあるように見受けられる。
 例えば、芦部信喜教授は、「民主政の過程」は、「その正常な運営が維持されれば国民の権利・自由の保障が自動的に確保される、という機械的な概念ではなく、国民の自由との緊張関係をはらみ民、主、的、専、制、(democratic despotism)の、手、段、と、な、る、可、能、性、を、も、含、む、概、念、」であるとしている(14)。また「権力が民主化されないかぎり、自由も人権もまっとうされない(15)」として「人民主権」論を展開してきた杉原泰雄教授は、近年の芦部教授の古希記念論文集に寄せた論文において「『人民主権』原理によっていかに権力を民主化しても、多数決で国家意思を決定するかぎり、なお問題が残ることも確か」であるとしている(16)。
 多数者の圧制という問題は、すでに一九世紀においてミルやトクヴィルらの自由主義者によって論じられていたところである。
 ミルは、『自由論』において以下のように述べている。「被治者の定期的な選択から統治権を発せしめようとする闘争が進行するにしたがって、一部の人々は、権力自体の制限が余りに重視されすぎていたと思うようになり始めた。このような制限は、庶民の利害とは常に正反対の利害をもっていた統治者に対する方策であった(と考えてよいかもしれない)。今や求められていることは、統治者が人民と同体となるべきであるということであった」。「国民は、自己自身の意志に対して保護せられる必要はなかった。国民が国民自身に対して圧制を行なう懼れは毫も存在しなかった」。しかし「権力を行使する『人民』は、必ずしも、権力を行使される人民とは同じものではない」。「それ故に、人民は人民の一部を圧制しようと欲するかもしれない。そして、かかるような圧制に対して予防策の必要であることは、他のいかなる権力の濫用に対する場合とも異なるところはないのである(17)」。
 またトクヴィルは、『アメリカの民主政治』において次のように述べている。「法律をつくり、これを執行する権利を与えられている多数者ほどに、全社会力を掌中に握っていてすべての反抗にうちかつことのできる専制的君主は、他にはないのである(18)」。「多数者が規定している道から人々がそれたいと思うときには、人々はいくらかその市民権を、そしていわばその人間性を放棄せねばならなくなるのである(19)」。
 このような問題について、まさしく「民主政の過程」を研究対象とする国民代表制論は無関心であるべきではない。浦田一郎教授は、現代の立憲主義について次のように論じている。「議会による立憲主義または法律による人権保障から、違憲審査制による、議会に対する立憲主義または法律に対する人権保障への展開」が「世界的傾向」であり、「前者が前提になって、その不完全さを補うために後者が考えられている(20)」。
 このような現代立憲主義の要請は、「民主政の過程」の欠陥、「議会による立憲主義または法律による人権保障」の「不完全さ」の自覚があってはじめて理解されるもののはずである。しかし、従来の狭い射程の国民代表制論には、この欠陥を問題とする理論的地平が拓かれていなかったのではなかろうか。むしろ、あたかも鏡を磨くように議会構成に多様な民意を正確に反映していけば、ついには統治者と被治者の同一性という意味における民主主義の理想が達成されるかのような幻想が議論を支配していたのではないかと思われる。
 現代立憲主義の要請に忠実であろうとするならば、このような「鏡磨き論」とも称すべき国民代表制論の傾向は乗り越えられなければならないであろう(21)。また、なぜ現代の議会制において、「民主政の欠陥」が意識され、新たな形態の立憲主義が要請されるようになったのか、も考えなければならない。違憲審査制を中心とする現代的立憲主義の存在理由を考えるために国民代表制論の見地から議会制の生理「の」病理を考察しようとするのが本稿の課題である。そのような問題意識を持ちつつ、以下、フランスの一七九一年憲法が創設したような古典的な代表制とは異なる特徴を持つ現代的な代表制を「半代表制」という新しい概念を用いて約一世紀前に説明したエスマンの学説と現代フランスにおける代表制論の一傾向を一定の関連づけのもとに検討し、そこから国民代表制論の再構成への視角を得たいと考えるものである。

(1) 宮沢俊義「議会制の生理と病理」(『憲法と政治制度』一九六八年所収)三四頁。
(2) 同、三五〜三六頁。
(3) 同、三九頁。
(4) 宮沢俊義「国民代表の概念」(『憲法の原理』一九六七年所収)。
(5) 主権論争については、それを整理して今後に残されたいくつかの課題を提示する論稿として、辻村みよ子「主権論の今日的意義と課題」(杉原泰雄教授退官記念『主権と自由の現代的課題』一九九四年所収)および岡田信弘「主権論の五〇年」法律時報六六巻一二号をさしあたりは参照。
(6) 樋口陽一「現代の『代表民主制』における直接民主制的諸傾向」(『議会制の構造と動態』一九七三年所収)。
(7) 杉原泰雄「いわゆる『半代表制』(le gouvernement semi-repre´sentatif)の構造について」(『国民主権と国民代表制』一九八三年所収)、樋口陽一「『半代表』の概念をめぐる覚え書き」(芦部信喜編『近代憲法原理の展開I』一九七六年所収)。
(8) 芦部信喜『憲法と議会政』(一九七一年)四〇九〜四一〇頁。
(9) 和田進「国民代表論の検討」神戸大学教育学部研究集録六六集(一九八一年)P8〜10。
(10) 高橋和之『現代憲法理論の源流』(一九八六年)三九六頁以下。
(11) 渡辺良二『近代憲法における主権と代表』(一九八八年)二一八頁。
(12) 高橋和之、前掲、三九六頁。
(13) 大石眞「もう一つの憲法変遷?」(菅野喜八郎教授還暦記念『憲法制定と変動の法理』一九九二年所収)三一二頁。
(14) 芦部信喜『憲法学II人権総論』(一九九四年)二二二頁。
(15) 杉原泰雄「主権と自由」(芦部信喜編『近代憲法原理の展開I』一九七六年所収)四頁。
(16) 杉原泰雄「民主主義と人権の保障」(芦部信喜先生古希祝賀『現代立憲主義の展開上巻』一九九三年所収)五五頁。
(17) J・S・ミル、塩尻公明・木村健康訳『自由論』岩波文庫、一二〜一四頁。
(18) A・トクヴィル、井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治(中)』講談社学術文庫、一七九頁。
(19) 同、一八六頁。
(20) 浦田一郎「議会による立憲主義の展開---《droits de l'homme》から《liberte´s publiques》へ」一橋論叢一一〇巻一号(一九九三年)六四頁。
(21) この意味では、「各人が自らの意見にのみ拘束されるという事態を理、想、と、し、て、追求することは民主主義にとって不可欠である。しかし、それと同時に、それが到、達、さ、れ、え、な、い、理想であることを明瞭に認識していなければならない」旨を繰り返し主張している樋口陽一教授は、「鏡磨き論」者とはいえないであろう(樋口『議会制の構造と動態』二五八頁)。


       第一章 エスマンの半代表制批判論

1 エスマン憲法思想の位置
 さて、以上のような問題意識を持ちつつ、まずは、エスマンの半代表制論を読み直すことから始めたい。
 エスマンの憲法思想(かれの憲法学体系書『憲法要綱』)の登場は、フランス憲法学説史において「近代憲法学の成立を意味する」と説かれる。その意味は、エスマンにおいて「第三共和制下における近代立憲主義の安定に対応する解釈論」が提示され「憲法現象を対象とする科学的考察の方向」が示された(1)ということである。このように、従来のフランス憲法学説史研究においては、エスマンを第三共和制下の憲法学の出発点とする視点が強調されてきたように見受けられる。しかし本稿では、エスマンの憲法思想の持つもう一つの側面=一九世紀自由主義思想の継承者としてのエスマンに重点をおいてかれの半代表制論を考察しようと思う。深瀬忠一教授(2)や高橋和之教授(3)の研究が示すとおり、エスマンの憲法思想の理念は近代的自由の擁護にある。例えば、高橋教授は、「近代的自由がエスマンの憲法学の指導理念であった。ゆえに、その直接的表現である『個人権』(droits individuels)の原理こそがかれの体系における中核的位置を占めるべき原理」であるとする(4)。エスマンの憲法思想ないしその中に含まれる個々の問題に即したかれの見解を理解しようとする場合、フランス近代における体系的な憲法学の確立者であると同時に一九世紀自由主義思想の憲法学における継承者であるというかれの双面性にもっと注意を払うべきであろうと思われる。
 エスマンは、ルソーが国家の上位にある「個人権」を尊重していることを差当りは承認する。しかし、ルソーが「社会契約によって、各人が放棄するもののすべては、能力、財産、自由といったあらゆるもののうちで、その使用が共同体にとって重要な部分すぎない」としながらも、さらに加えて「しかし、主権者が、この重要性の唯一の判断者であるべき必要がある」とする点を批判的に叙述している。そして、本来の「全員一致の社会契約」に参加した人々は「厳密に必要不可欠な犠牲にしか同意しなかった」というのである(5)。そしてエスマンは、社会契約説を放棄し、「個人権」の根拠を次のような思想に求める。すなわち「政治社会を構成する生きた個人は、自然の力に直面してかれらの努力が挫けることがあるかもしれないが、道徳的責任の意識を持ち、自らの行為を自由に制御することのできる存在である(6)」。そして政治社会の本質的責務について次のように叙述する。「個人の第一の利益および第一の権利は、自らの能力を自由に発達させる権利である。そしてこの発達を保障する最良の手段は、他人の権利を損なわない限りで、自発的に、思うままに、全責任を負って自らそれを導くことを個人に認めることである。さらに、この自由の発展を保障することは、まさしく個人権を構成する各種の自由の目的である。それらを尊重しない場合は、政治社会は、その本質的責務に背いていることになり、そして国家は、本来の主要な存在意義を喪失するのである。シエースは言う。『あらゆる公に設置されたものの目的は個人の自由である(7)』」。
 またエスマンの憲法思想の一九世紀自由主義としての側面は、かれの国民主権論にも見られる。それは、ギゾーらの「理性主権」論(8)の影響を強く受けている。すなわちエスマンは、国民主権の根拠思想のひとつとして「良識(9)」概念を持ち出しているが、それは、トマス・アクイナスを代表とする中世の神学者によってはっきりと示された「自明の理」であり(10)、「公権力とそれを行使する政府は、国民を構成するすべての人々の利益の範囲内でしか存在しえない」ということを内容とするものであるという(11)。エスマンの国民主権論は、主権に「良識」という枠組みをはめて、それを相対化するという構造を持っている。これは、わが国でいえば、尾高朝雄教授の「ノモス主権」論(12)に近い構造を持っているといえるであろうが、その尾高教授の主権論を、国民主権の相対化という文脈で再評価しようとする傾向(13)がわが国学説の一部にみられるだけに、その観点からも、エスマンの国民主権論の意図を見なおしてみることも興味深い課題である。
 ともあれ、このようにエスマンの憲法思想は、反ルソー=ジャコバン的な一九世紀自由主義者の系譜に立つものである。このことは、エスマンの半代表制論にどのように投影されているのであろうか。言い換えれば、一九世紀自由主義者の目にはあたらしい代表制とはどのようなものであり、どのような問題点を含むものとして観察されたのであろうか。一九世紀自由主義の思想的系譜に属しながら、フランスの帝国主義的展開と、それを基礎にした「大衆民主主義」の台頭(14)、その憲法的表明である普通選挙権の確立(15)などに直面したというエスマンが置かれた歴史的位置は大変に興味深いものである。
 結論を示唆すれば、「専制政治の拒絶と自由の擁護」を「本領」とする一九世紀自由主義者(16)の継承者であるエスマンの目には、半代表制は、多数者の専制によって自由に敵対するものとして観察されたのである。「今日の民主主義においては、国家の侵害の外におかれる個人権は、特別の価値を持っている。そこでは、人民主権によって、数の法則すなわち多数者の支配が統治する。そして多数者は、代表議会を唯一の機関とする場合には特に容易に専制的になる傾向があるであろう(17)」とエスマンが叙述する時、「今日の民主主義」とは、まさしく、半代表制を意味するものであるのではないか。小沢隆一助教授は、多数者の専制という問題意識を一九世紀自由主義者と共有しているものとしてエスマンを次のように位置付けている。「ルソーをして『多数者による少数者の抑圧』、『個人にたいする多数の専制』の源泉とする観念は、大革命下の『恐怖政治』と二、重、写、し、に、さ、れ、た、残像として、一九世紀前半のフランス思想界のなかで生み出された(たとえば、バンジャマン・コンスタン)。第三共和制下の憲法学説にも、多かれ少なかれこの影響を確認することができる(たとえば、エスマン、デュギー)。一見、純粋に法学的構成にもとづくカレ・ド・マルベールのルソー批判も、実は、この一連の思想潮流と無関係ではなかったといえる(18)」。しかし、小沢助教授は、エスマンが多数者の専制という問題意識を一九世紀自由主義者と共有しているという点を指摘しながらも、そのような問題意識が、かれの半代表制論にどのように投影されているのかということを明らかにしていない。そこで私は、エスマンの半代表制論における多数者の専制の問題を以下考察するものである。

2 「二つの統治形態」
 エスマンの半代表制論には、わが国でも優れた分析があるが、そこでなお未解明のまま残されている問題に焦点を当てることにする。それは、かれの半代表制論における「反ルソー的発想」と比例代表批判の問題である。まずは、かれが半代表制という造語をもちいて新しい形態の代表制を鳥瞰した一八九四年の論文「二つの統治形態(19)」を概観しようと思う。
 (1) 代表制の諸特徴
 エスマンは、まず第I章で、「代表制という統治形態」の「本質的特徴」について論じる。
 第一に代表制は、「主権者であるとされる国民が、主権の諸属性を自らは行使しないという考えに立脚して」おり、「国民は、主権の行使をいくつかの上位機関すなわち憲法上の機関に委任する(20)」。この委任は、特殊なもので、委任された諸機関は、主権を自由に行使し、選挙民は、主権の行使に対して命令的委任を課することはできない。
 「国民は、国民のために国民の名において立法する自由な権力を、しばらくの間、代議士に委ねるのである(21)」。
 第二に主権の行使を委任された諸機関は、責任を負わず罷免されることがない。
 第三に「この代表制は国民自身による直接統治の代用品ではなく、それよりも好ましい統治制度であると理解される(22)」。「代表統治のみが賢明かつ周到に準備され、有意義な討議を経た立法を保障し、また法律を巧みに適用し安定させられる(23)」のである。国民は権力の行使に参加できない。
 エスマンは、一七九一年憲法において成立した代表制(純粋代表制)の本質的特徴を以上の三点に要約したうえで、「この制度では、国民の法律上の代表者の権力は、それでもなお絶大である。この欠陥は、一連の対抗力によって改善される(24)」とする。その対抗力とは、まず「行政・立法・司法という諸権力の分立、その各々の領域における法的に平等な相互の独立」であり、さらに「分離された各々の権力を別々に対象とする予防措置」である。それは、「立法権については立法府の二つの議院への分離、行政権については大臣の刑事的ないしは政治的責任、司法については、終身身分保障原則への何らかの若干の控えめな例外と刑事事項における陪審制である(25)」。
 (2) 今日における代表制の変質
 第II章では、エスマンは、「今日この類型は変質しつつあ」り、代表制に以下のような「新しい異質な要素(26)」が導入されつつあるとする。すなわち、第一に、議会の一院制への傾向(27)、第二に、命令的委任の禁止の弛緩への傾向(28)、第三に、レフェレンダム(29)、第四には立法議会における少数派の代表者の保障である(30)。
 こうした「新しい異質な要素」は「代表制の特徴とは相容れない」ものであり、「代表制とは別のある統治形態に属し」ており、「古典的な代表制に導入されて、その予定的均衡を破壊し、その機能障害の原因となり、おそらくはそれを解体する原因とならざるをえない(31)」ものである。
 (3) 半代表制の諸特徴
 それでは、第II章で叙述された古典的代表制とは相容れない「新しい異質な要素」が属するところの「代表制とは別のある統治形態」とは何であろうか。それはイギリスでは「代理人による統治」と呼ばれているがフランスではまだ名称がないのでそれを「半代表制」とエスマンは名付ける。半代表制とは「もはや代表は、直接統治の代用品でしかなく、直接統治そのものが時おり補正措置や補完のために介入する」ような統治形態であり、「半代表制は唯一の目的を追求する。すなわち国民の現実の意思をできるだけ正確に表現し実現させることである。その意思は選挙民の多数者によって表明される」。半代表制の「根源は、J・J・ルソーの理論にすべてある(32)」。さて「半代表制」の目的をこのように定義して、つぎにエスマンは「半代表制が採用する諸手段」を検討する。
 第一に、「国民すなわち選挙人団は、主権の様々な属性を自ら行使することはできず、その権力を代表者全体に委任する」のだが、その代表者とは「立法府を構成するように選挙された代議士」であり、「彼らの本来の義務は、彼らを選出した多数者が表明した意思に従うこと」である。そして「実際には彼らのみが人民の名を語ることができる」。「この立法権の支配的地位は、主権と立法権を同一視したルソーに縁のある考え方のひとつである。確かにルソーは、一般的な法律や市民の直接投票によって行使されるような主権概念しか形成しなかった。しかし、後にこの委任者の優位は受任者へ移されたのだ。つまりその優位は人民によって選出される立法議会に与えられたのだ(33)」。このことは「国民は、共和制において、主権者であり、法はその意思の表明であり、立法者はその受任者であり、立法権に対するあらゆる侵害は、国民主権への侵害である」という一八七五年六月二一日の国民議会におけるルイ・ブラン(Louis Blanc)の演説に顕れている。続いてルイ・ブランに反論したラブレー(Laboulaye)の演説が引用される。「代議士は国民の代表者であり、したがって国民そのものである」というのは「詭弁」であり、「このような国民の代表者と国民それ自体との混同はあらゆる圧政の源泉である(34)」。
 第二に半代表制においては、法律は「国民の意思の表現」と考えられ、それが同時に二つ存在することはないので、議会は一院制となる。「人民の代表者は唯一の立法議会を形成する(35)」。
 さらに第三に、この「唯一の立法議会は必然的に常設である。」なぜなら国民は一刻も代表されることを停止しないし、支配的な地位にある議会が、下位の機関に召集されるということはありえないからである(36)。
第四に、半代表制は、立法権と行政権の分離ではなく、唯一の権威ー国民代表ー立法議会を前提とする。立法者は、特殊な対象について決定を下すことはできない。なぜならそれは、行政権の行使になる。だから二つの機能は分割されるが、区別された行政権を設立するならば、それは、必ず立法府へ従属しなければならない(37)。
 (4) 半代表制における対抗力
 第III章で唯一常設の議会を半代表制が用いる手段として示したエスマンは、次の第IV章でかかる議会にたいする対抗力を検討する。「もし我々が以上で発見した規範を維持するならば、半代表制は、次のような結果にのみ至る。すなわち人民の意思の実現を正確に保障するという口実で、半代表制は、唯一の議会のほとんど無制約な専制政治にいたる。しかしまた、半代表制は、この巨大な権力と釣り合いをとることのできる当然の対抗力をもっている(38)」。
 その対抗力の第一のものは、比例代表制下での少数者の代表者である。半代表制においては、議会は、「より誤差の少ない選挙人団の正確な反映ないし再生産でなければならない。しかし選挙人団は、多数派だけではなく少数派をも含む。だから、少数派は、その数に比例して国民議会に代表を送らねばならない」。しかし、「多くの場合、少数者は議会内の安定的多数の形成をほとんど不可能にする」ものであり「多数者の上にしか存続できない議会統治制の死の兆し(39)」である。
 また、本来、少数者は「討論の権利は持つが統治の権利はもたない」のであるから、彼らには「選挙制度の不可避的な不完全性」によって「多少偶然的」に選出される代表だけで十分である(40)。
 第二は命令的委任である。「代議士は、選挙民の意思を表明する責任を負うにすぎないとすると、選挙民は彼らに明確な命令を与え、厳格な禁止事項を課することができる。それだけではない。議員は、彼を選んだ者によって当然に罷免されうる」。「しかしここには難点がある」。「第一に私の知るかぎりどこにも、命令的委任よりも直接的な制裁すなわち代議士によって行なわれた反対の票決の無効が提案されたことはない」。ここで「反対の票決」とは選挙民の意思に反する票決という意味である。「第二に代議士の罷免は、逆ではあるが全く選挙に対応した作業によってしか行なうことができない。すなわち選挙管理委員会の機関によってではなく、全ての選挙民に認められた投票そして多数決の法則によってである」。さらには議員の全国民代表性という原理が放棄されることになる(41)。
 「命令的委任、権力機関の罷免は、設けにくい手段であり、それは、望まれる結果すなわち可決された法律が国民の意思とよく合致することを十分に保障するものではない」。むしろ確実な対抗力はレフェレンダムである。それが第三のものである。「しかしそこには幻想がある。レフェレンダムは、恣意的で悪質な立法に対する単なる歯止めであるだけでなく、時としては良い立法にとっての越えがたい障害物である。よりよい法律すなわち国民の進歩に役立つものが、時として何らかの条項に隠された副次的に重要な規定のために、人民の根拠のない予断に直面することもある」。「レフェレンダムには、もう一つの欠点がある。つまりレフェレンダムは、議会の審議権を事実上減退させる」。代表制は、さらに人民発案を警戒しなければならない。「これは、立法の機能障害と崩壊の要素である。議会の発案による首尾一貫した穏健中庸な立法の獲得も困難であるのに、どうして人民の発案にそれを期待できようか?(42)」。
 以上のことからエスマンは、次のように結論する。
 「私は、代表制の二つの相矛盾する形態を、今日では知られているその諸特徴とともに注目するように努めてきた。その上で、いつの日か、それが完全な状態で実現されるならば、その結果として私は、次のことを確信する。すなわちわずかの法律とわずかの統治行為を」。しかし、それはあまり起こりそうにないことであるから、さしあたりの危険は、「ある種の困難を解決するために便利なその場しのぎの手段として半代表制のあれこれの規定を個別に取り入れようという誘惑である(43)」。

3 「反ルソー的発想」と半代表制批判論
 深瀬忠一教授は、このエスマン論文について次のように述べている。「エスマンが広く比較法的にこれらの新要素を観察する態度は、絶えず批判的・懐疑的であるが、とりわけ強調しているのは、それらが古典的代表制の『真髄』に反する『二律背反的』な他の形態=半代表制に属すること、およびそれらの要素を個別的に実際問題解決の便誼策として代表制に混入せしめるならば、『既成の均衡を破壊し、機能上の混乱を惹起し、恐らく解体の原因をつくる』ことになろうという警告なのである。そこに、彼が二つの形態を区別した観察における科学的洞察ないし構成力のたしかさと同時に、評価における反ルソー的発想=モンテスキュー・シェイエス的代表制理念の保守の態度をみうるであろう。その後の学説が、評価態度においてエスマンと逆方向に発展したとしても、彼が明確に定式化した両形態の区別は、科学的観察の基礎概念としての永続的価値を失わないのである(44)」。
 深瀬教授は、このようにエスマンの半代表制論が内包する二つの側面を的確に指摘している。しかし、そこでもなお「反ルソー的発想」と半代表制論との関係は解明されているとは見受けられない。
 エスマンの半代表制に関するこのような傾向は、樋口陽一教授、杉原泰雄教授、高橋和之教授、和田進助教授らの研究にも見受けられる。樋口教授、杉原教授にあっては、半代表制における選挙民と議会との間に事実上の拘束関係ないし民意の議会構成への反映関係が強調され、高橋教授、和田助教授においては、それらに加えて、半代表制における議会の優越的地位が強調されている。そしてエスマンの半代表制論における「反ルソー的発想」の内実は、必ずしも適切に評価されてないように私には思われるのである。
 樋口教授は、エスマンの半代表制を、カレ・ド・マルベールのそれと併置し、「観念の世界での代表性」を意味するににすぎない代表概念(純粋代表概念)とは異なり、半代表概念においては「社会的事実の世界での代表性」が問題となるとし、そこにおける「代表」という言葉は、「社会的事実の世界で議会の意思と国民の意思の間に類似性が存在するという意味」であるとする(45)。
 杉原教授は、エスマンの半代表制を「議会は、国民の受任者として、少数・比例代表制によって選ばれ、命令的委任を認め、人民投票によって補完される」ものとし(46)、「エスマンは、ルソーに由来する半代表制の理念型を提示しつつも、まだ完全な形では実現されていないとした」とする(47)。
 和田助教授は、樋口、杉原両教授によるエスマンの半代表制論の紹介が、その議会の統治機構内での位置付けにかかわる側面を欠落させているとして、エスマンが「『その完全な論理』において認識した半代表制」における議会の優越的地位という側面を強調し、それは、「英仏の市民革命期の初期において共に確認しうるところの議会を国権の最高機関へ位置づけることを、その核心的内容とする国民代表概念」の「発展形態ーその内容の豊富化として把握することが可能である」とする(48)。
 高橋教授は、エスマンの半代表制の「中心構造」は、「この体制の目的が、国民の意思の忠実な実現であるとすれば、そのための手段は『議会の優位』に求められるということ」であるが、「ところが、この目的と手段の間には、必ずしも適合的な関係が存在するというわけではない。議会の優位は必ずしも国民の意思の忠実な実現を保障するわけではないのである。それゆえに、その目的と手段のいずれに力点をおいて考えるかに応じて、『半代表制』の本質の理解の仕方が異なってくる可能性をひめている。エスマンはといえば、明らかにその手段の方に『半代表制』の本質をみていた」とする(49)。ここで高橋教授が、示唆しているのは、半代表制をその目的に重点をおいて理解すれば、半代表制の民主主義適合的な、すなわち国民が議会をそのコントロールのもとに置く形態の代表制と理解しうるが、その手段に重点をおけば、むしろ半代表制は、民意の正確な反映を口実とする議会の国民そのものに対する優越的地位(議会主権)を指す概念として理解されるということであると思われる。また高橋教授は、「エスマンの選好はあくまで『代表制』にある」と指摘(50)しながらも、何故そうであったかについての十分な検討を欠いているように見受けられる。
 大石眞教授は、純粋代表制、半代表制、半直接制という代表制の三分法との関わりで、エスマンの半代表制に言及し、それが、フランスの他の憲法学者の半代表制の用い方とは異なりレフェレンダムやイニシアチブといった半直接制の要素をも混在させたものであることを指摘している(51)が、そこでも、エスマンの「反ルソー的発想」についての検討はなされていない。
 では、エスマンが半代表制論において示した「反ルソー的発想」とはどのようなものであり、また多数者の専制という問題意識は、半代表制論にどのように投影されているのであろうか。まずはここで問題となるエスマンの「反ルソー的発想」について検討しよう。
 エスマンは、半代表制はルソーに由来するという。それはどのような意味であろうか。論文「二つの統治形態」からは、そのことは明確に理解することができないが、かれの『憲法要綱』にはこの点との関連で重要な叙述がある。それは、かれがルソーの一般意思説の批判から出発して、ルソー的な人民の直接統治を批判し、シエース的な代表制を擁護した文章である。エスマンは次のように論じている。
 「国民主権とともに、法律は一般意思の表明であり、その本質からして、その意思は委任されえない」という法律についての「ルソーの定義は厳密に正確なわけではなく、言葉の濫用が含まれている」とエスマンは言う。すなわち「法律は、市民の多数者による正確な方法で形成されたからといって、必然的かつ単純に一般意思の直接かつ無媒介の表明であるというのは正しくない」というのである。さらに、エスマンは続ける。「法律は、何よりもまず、正義と公益の規範である。それがその根底に主権者の権威をかならず有しているとしても、主権者が、主権者であるからといって、不正義ないし有害な法律を発布することができると言う人はいないだろう(51)」。したがって、「正義と公益の規範」に反するような「法律」をも容認する余地のあるルソーの一般意思説は「言葉の濫用」なのである。エスマンは「正義と公益の規範」に合致する一般意思のみを法律として認めるのである。
 では「一般意思の直接かつ無媒介の表明」ではなくして如何にして「正義と公益の規範」としての法律の形成は可能なのであろうか。エスマンによれば、それは、「対審的な討論」に立脚する議会制なのである。エスマンは「二つの統治形態」ですでに「かつてシエースが憲法制定議会で明らかにしたように、直接統治より代表制統治のほうがよりよく機能しうるからだ。代表制統治のみが賢明かつ注意深く準備され、有意義な討議を経た立法を保障(52)」するとの考えを表明しているが、ここでも同様の考えを展開している。「このシステム〔人民の直接統治ー筆者注記〕は、その本質と形式における最も重大な欠陥を同時に露呈している。大多数の市民は、ありふれた意見にしたがって代表者を選択し、こうして立法と統治を方向づけることはよくできるが、かれらに託される法律ないし法律案を評価することはできないという点で、それは本質において欠陥がある。シエースが言うように、これを行なうために必要な二つのものがかれらには欠けている。この法律案を理解するための教育とそれを検討するための自由な時間である」(53)。「そのシステムは、形式においてもやはり欠陥がある。何よりも、それは、法律に最終的な承認を与えるべき集団の面前での誠実な討論を排除する。この討論は、古代の小さな共和国ではまだ可能であった。その場合、全人民の集会は、裁判所辺りの演説向けのひとつの公的場所にひしめきあい、そこには名高い市民や国民随一の雄弁家が交互に登場するのである。それは、人民投票を実施するためにそこに大きな国民が不可避的に分割されているところの一次集会の幾千人の中では不可能である。近代社会は、日刊の新聞の中に古代の雄弁家の演説よりもはるかに強力な情報手段と討論の道具を有しているなどと言う人はいないだろう。新聞の意見は、討論されている法律案について人民を教化するには根本的に不十分である。実際、それは対審的な討論を成り立たせない(54)」。エスマンの考えでは、「正義と公益の規範」たる法律の形成は、「一般意思の直接かつ無媒介の表明」によってではなく、「立法議会の構成員の間での決定と討論の完全な自由を前提とする代表制(55)」を媒介としてなされるのである。したがって、かかる討論を排除する人民の直接統治は認められないのである。
 このようにエスマンは、ルソーの一般意思説を批判するところから出発して、直接統治よりも望ましい制度としての代表制を擁護するのである。ここから「直接統治の代用品」である半代表制の「根源は、J・J・ルソーの理論にすべてある(56)」としたエスマンの真意を問いただしてみるのは誤りであろうか。直接統治よりも望ましい制度としての代表制に代わって理念的には直接統治と結合する半代表制が登場しつつあったのはエスマンの「二つの統治形態」が示している通りであるが、かれは、その半代表制の「根源」であるルソーの一般意思説を、ここで、批判しているのではなかろうか。すなわち「直接統治の代用品」である半代表制においては「法律」が、理念上、「一般意思の直接かつ無媒介の表明」であるとされることをエスマンは危惧していたのではないかと思われる。それは何を意味するのであろうか。カレ・ド・マルベールは、エスマンの理解した(古典的)代表制における「議会の役割は、多かれ少なかれ、国民を構成する諸個人や諸集団の意思に適った意思を表明することではなく、直接かつ一次的に国民のために意思することである」としている(57)。つまりエスマンの理想とする代表制は、そのような国家法人説的構成によるものであって、決して実在する国民意思を扱うものであってはならないのである。「二つの統治形態」においてエスマンは、「国民のために国民の名において立法する自由な権力(58)」を代表者が行使することを認めているが、エスマンにおいては、したがって「国民のために意思する」ということが「代表」するという言葉の意味として理解されているのである。そのような代表制ではなく、逆に「国民を構成する諸個人や諸集団の意思に適った意思」を「代表」することを役割とするような半代表制の議会がその多数者によって表明する意思を一般意思と見做すような「ルソー的発想」をエスマンは批判したと考えられる。それはエスマンの考える古典的な「代表」概念に合致しなかったのである。確かに、エスマンはルソー的な(とエスマンが理解した)一般意思が一般意思であること自体を否定していないが、その一般意思は「正義と公益の規範」に合致した場合に法律を形成するとしているのである。エスマンの考えでは、一般意思のうちに「正義と公益の規範」に合致するものとしないものの二類型があるのである。
 さて、エスマンのここでの叙述は、エスマン自身がシエースに言及していることからも明らかなように、一七八九年九月七日の憲法制定議会におけるシエースの有名な演説を念頭においているが、シエースは、演説で「最も厳格な民主主義においてさえ、この方法が共通意思を形成する唯一のものであるということに注意して頂きたい・・・集会するということは、討議するためであり、お互いの意見を知るためであり、相互の知識を利用するためであり、個別の意思を突き合わせるためであり、お互いの意見を修正するためであり、お互いの意見を調整するためであり、そして最後には多元性のなかに共通する結果を獲得するためである(59)」として、一般意思の形成における審議の重要性を強調している。そのことは、「人民が十分に情報をもって審議するとき、も、し、市、民、が、お、互、い、の、意、思、を、少、し、も、伝、え、あ、わ、な、い、な、ら、〔徒党をくむなどのことがなければ〕、わずかの相違がたくさん集まって、つねに一般意思が結果し、その決議はつねによいものであるだろう」(傍点筆者(60))として審議をむしろ排除するルソーの一般意思説とは対照的である(61)。この点からもエスマンの半代表制論における「反ルソー的発想」が伺える。エスマンが「対審的な討論」の重要性を殊更に強調して見せるのは、ルソーに由来する半代表制が議会の審議を軽視することへの批判なのである。後にカール・シュミットが、討論機関たる古典的議会制を自由主義に立脚するものとしたうえで「近代の大衆的民主制の発展が、弁論を闘わす公開の討論を一つの空虚な形式と化してしまったために、今日、議会主義の地位は、極めて危機的となっている(62)」と論じたことは周知のとおりである。そのシュミットが討論機関たる古典的議会制の擁護者としてギゾーとともにエスマンの名をあげている(63)ところからも、エスマンの議会の審議に対する態度がうかがえるのである。

4 比例代表批判と半代表制批判論
 エスマンの比例代表批判は、上記の「反ルソー的発想」を補足ないし正当化する役割を果たしているものと思われる。すでにみたように半代表制においては、なぜ多数者の意思が一般意思と見做されるのかということが大きな理論的難点として存在する。しかも半代表制においては、比例代表がもたらすイデオロギー的機能によってその難点の存在が隠蔽されている。エスマンは、それを明らかにすることによって、半代表制が持つ難点を顕現させようとしているのである。では比例代表の現実隠蔽機能とは何であろうか。
 この点に関して、私が特に重要視するのは、エスマンの「二つの統治形態」における「人民の意思の実現を正確に保障するという口実で、半代表制は、唯一の議会のほとんど無制約な専制政治にいたる(64)」という文章の理解である。それには「人民の意思の実現を正確に保障するという口実で」に重点を置くか「唯一の議会の」に重点を置くかでふた通りの理解の可能性があるであろう。
 さて、この点に関しては、まずエスマンが半代表制という用語が「その体制の本質的部分」を指しているのか「その『対抗力』まで含めた全体系」を指しているのかという高橋教授の提示している問題(65)が重要である。このどちらに理解するかによって先の文章の理解が大きく違ってくるからである。高橋教授は、その点をエスマンは明確にしていないとしつつ「とりあえず(66)」後者の意味に理解するのであるが、その様に理解した場合、エスマンの半代表制は、「国民の現実の意思の実現という目的の下に、まずその国民の本、来、的、な、代表者としての議会に優越的地位が与えられ、ついで、その議会を制約するものとして補、完、的、に、国民が直接介入するという体制である」と説明される(67)こととなる。さらに、エスマンが「対抗力」として「国民」を配置していることを重視すれば、「国民」に対置された「唯一の議会の」という文言が重要となり、それに続く「無制約な専制政治」は、いわば議会主権的な状況を意味することになろう。高橋教授はこのように理解しているものと見受けられる。小沢隆一助教授が、エスマンのこの文章を説明している文脈で、エスマンの「この『議会中心主義』=『半代表制』に対する批判的見地」を問題にしていることも、この点については、高橋教授の理解を踏襲しているものと思われる。小沢助教授は、先に述べた通りエスマンが多数者の専制という問題意識を一九世紀自由主義者と共有していることを指摘しているのであるが、そのようなエスマンの問題意識が半代表制との関わりでは理解されていない(68)。
 このような高橋教授や小沢助教授にみられるような理解の仕方は、確かに論文「二つの統治形態」の全体構成やこの文章に忠実な理解であり、説得力は十分であろう。しかし、私には、あえて、「半代表制」の用語を「その体制の本質的部分」に限定して用いられているものと理解し、その上で「人民の意思の実現を正確に保障するという口実で、半代表制は・・・無制約な専制政治にいたる」という風にこの文章が理解できるという点を強調することが重要である思われる。既に引用したところであるが『憲法要綱』においてエスマンは、次のように述べる。「今日の民主主義においては、国家の侵害の外におかれる個人権は、特別の価値を持っている。そこでは、人民主権によって、数の法則すなわち多数者の支配が統治する。そして多数者は、代表議会を唯一の機関とする場合には特に容易に圧制的になる傾向があるだろう(69)」。ここではエスマンは多数者の圧制からの個人権の保障の重要性を強調している。つまりエスマンが先の文章で「人民の意思の実現を正確に保障する」ことを「口実」とする場合、エスマンは、実現されるのが実は「人民の意思」ではなく「多数者の意思」にすぎないということを示唆したのではないかと思われる。無論、なお議会主権的状況への危惧も読み取れることは確かである。エスマンの半代表制論はこの二つが微妙に交錯しているのである。さらに『憲法要綱』には次のような叙述が見られる。「代表議会は、より小さいが、それが代表する選挙人団の正確な像であるべきだ」という比例代表論者の考えは「ある意味では明白なことのように思われるが、しかしそこには混乱がある」。「立法議会の役割が単に代表であることであるならば、その原則は正しい(70)」。「しかしわが代表ー立法議会は討議するためにだけ存在するのではない。議会は審議するだけではなく、決定を下し、そこで主権の属性を行使するのである。そこにかれらの本質的な役割が存するのであり、比例代表論者自身が、決定をなし法律を制定するのは多数者であるということを認めているではないか(71)」。ここでエスマンは、代表議会の本質的役割が決定と法律の制定であり、それは多数者によってなされるのであるから議会は「選挙人団の正確な像」たりえないとして、比例代表論者を批判している(72)のである。この文章も「二つの統治形態」においてエスマンが「人民の意思の実現の正確な保障」を「口実」としたことの意味を先のように理解することの根拠となるであろう。 このように見てくると人民の中に実在する多様な民意を正確に反映し、実現するということは、半代表制において、「代表ー立法議会」という議会の二面性からくる一般意思の形成不可能性を覆い隠すイデオロギーであることが理解される。すなわちエスマンは、議会構成に民意を正確に反映することはともかくとして、それらの多様な民意の全部を正確に実現することは不可能であると批判しているのである。
 要するに比例代表は、いわばルソーの言う「特殊意思の総和(73)」の実現を目指すものであるが、それは、国民を代表すると同時に立法をするという議会制の二重の性格の故に不可能であるというのがエスマンの比例代表批判である。このような比例代表イデオロギーの難点の自覚は、エスマンにおいてはかれが半代表制に対して否定的な態度を取ることの動機ではないであろう。かれの態度は、上記の「反ルソー的発想」に由来するのであって、比例代表批判は、あくまでもその動機の正当化事由として位置付けられるであろう。
 なお、このような形で、エスマンの比例代表批判が、直接にかれの半代表制批判に結びつくものであるかどうかは、なお微妙な問題であると言わなければならない。なぜなら、かれは半代表制の目的を「国民の現実の意思をできるだけ正確に表現し実現させることである。そ、の、意、思、は、選、挙、民、の、多、数、者、に、よ、っ、て、表、明、さ、れ、る、」(傍点筆者)と叙述している(74)からである。しかし、他方、エスマンが比例代表を半代表制の必要条件として位置付けていることも、半代表制における議会は、「より誤差の少ない選挙人団の正確な反映ないし再生産でなければならない(75)」という文章からはうかがえる。エスマンが比例代表を半代表制において、どのように位置付けているのかは極めてあいまいである。ここでは、「多数者によって表明される」という文章を、さしあたり、次のような文脈で理解したことを最後に断っておきたい。すなわち、この文章は、エスマンが、半代表制のイデオロギーである比例代表を批判した文脈に位置付けられる。エスマンは、人民の中に実在する多様な民意の実現を正確に保障するという半代表制の目的規定の文章に、その目的の虚偽性を示唆する文章を忍び込ませたのである。

5 制度の次元の問題としての半代表制
 次に、半代表制は事実の次元の問題であるか制度の次元の問題であるかという点について一言しておきたい。というのは、従来の代表制論においては、半代表制における人民と議会との関係が事実の次元の問題であるとする傾向があるように思われるが、私の考えでは、それは制度の次元の問題のように思われるからである。
 まず、エスマンにおける半代表制の要素と半直接制の要素との混同の問題から整理しよう。高橋和之教授は、「エスマンの『半代表制』は、レフェレンダムやイニシアチブも、たとえ『対抗力』としてであれ、含むものであった」と言う(76)。また大石眞教授は「エスマンの『半代表制』概念は、今日的用法における半代表制と半直接制の両要素を混在させたものと考えられる」としている(77)。これは、先に検討したとおり、エスマンの半代表制を広義に理解した場合の結論である。しかし、私は、先に、それをあえて狭義に(すなわち半代表制を「その体制の本質的部分」に限定して)理解する旨を述べた。そうするとエスマンの半代表制概念には、レフェレンダムやイニシアチブは含まれないことになる。では、そのように理解した場合、エスマンの半代表制概念は、法的手続きを含まない事実の次元の問題と理解されるであろうか。
 エスマンの半代表制概念は、「国民の現実の意思をできるだけ正確に表現し実現させること」を「唯一の目的」とするものである。これは、人民の中に実在する多様な民意を正確に議会構成に反映し実現させることと理解される。
 さて、和田進助教授は、国民代表の問題を「A 議会構成への実在する国民意思の反映の問題、B 選挙民による議員の拘束性の問題、C 国民による立法への直接参加の問題」に区別して論じるべきことを指摘し、社会学的代表概念は、Aの次元の問題であるのに対して、半代表制概念は、これらの次元の異なる問題を混同して、すべてをBの領域にとりこんで検討してきた(78)とする。樋口陽一教授や杉原泰雄教授に代表されるわが国における半代表制概念の用法には、たしかに、このような傾向が認められる。例えば、樋口教授は、半代表制の標識となる法的制度として、((1))議員の再選可能性の承認、((2))解散、((3))普通選挙、((4))政党の統制力の発達による事実上の議員の被拘束性の強化、((5))比例代表制、((6))人民発案ないし人民投票の制度、を列挙している(79)。他方、フランスにおける半代表制概念の用法の変遷を要約した論稿において、大石眞教授は、マルセル・プレローの定式を紹介しつつ、「半代表制は、法的にみると、純粋代表制の要素をそのまま維持している。両者の異なるところは、半代表制にあっては、議員が事実上選挙民の意向に従属する、という点にある」としている(80)。しかしエスマンの半代表制概念に関するかぎり、それはAの問題領域を対象とするものであるといえるであろう。この意味では、エスマンの半代表制概念と、「もはや議会は、国民の像として、すなわち選挙民全体の縮小版とみなされる。議会は、ポートレートがそのモデルを表象するように国民を『代表する』」とするモーリス・デュヴェルジェの見解に(81)代表される社会学的代表概念との間に区別は立てられないであろう。
 私は、半代表制概念を、その一般的用法ではなく、この概念の造語者たるエスマンの用法に忠実に、すなわち議会構成への実在する多様な民意の正確な反映の問題を指す概念として理解した上で、半代表制は、事実の次元の問題ではなく制度の次元の問題ではないかと考える。すなわち、少なくともエスマンが理念型として描いてみせた半代表制は、レフェレンダム等の制度がなくとも、それが「国民を代表する」ということの新しい意味において、それ自体、ひとつの憲法上のレジームの問題であると思われる。すなわち、いわゆる純粋代表制においては、カレ・ド・マルベールが言うように(82)、国民代表とは、自ら意思しえない国民のために、その機関として意思するものであると説明されていたのであるが、半代表制においては、人民のなかに実在する多様な民意を正確に反映し実現するという意味において国民代表機関は、国民を代表するのである。つまり純粋代表制と半代表制では、「国民代表」という言葉が意味変化しているのである。古典的代表概念においては「国民意思」とは議会が表明した意思のことであり、半代表制における「国民意思」とは人民のなかに前もって存在する多様な民意を意味するのである。したがって、純粋代表制から半代表制への移行には、憲法上の国民代表規定の文言の明文の変化ないし少なくとも憲法変遷による意味変化が存在するはずであるから、半代表制は、純粋代表制とは区別されるれっきとした憲法上の制度に属するものとして把握されなければならないと思われる。このように考えるのであれば、ある憲法の国民代表規定を半代表制を規定したものであると解釈する場合には、人民のなかに実在する多様な民意を正確に議会構成に反映するような選挙制度が憲法上の要請として求められるということになるであろう。また、蛇足ではあるが敢えて主権論に引きつけて言うならば、自ら意思しえない抽象的存在であるナシオンにかわって、そのために代表者が意思することが問題となり、その代表者の意思がナシオンの意思と擬制される純粋代表制とは異なり、半代表制は、自ら意思しうる具体的存在であるプープルの多様な民意の実在性が前提とされ、その民意の正確な表現と実現を「唯一の目的」とするのであるから、それは、基本的には、プープル主権に立脚するものであると考えられる。ある形態の代表制が、ナシオン主権とプープル主権のどちらに属するかは、その代表制が備える様々な制度ではなく、その代表制がいかなる意味でいかなる意思を代表しようとしているのか、それは抽象的観念的なナシオンの意思なのか、具体的実在的なプープルの意思なのかをメルクマールとして判断されるべきであると思われる。そして、ある憲法が、半代表制を規定することによってプープルの意思を代表することを標榜していれば、プープルは、その意思を実現するための具体的な諸制度を備えるまでにいたらなくとも、「法的主権者」となったとみなされるであろう。

小   括
 さて、以上に検討してきたエスマンの半代表制批判論からは、まず、かれの一貫した意図を読み取ることができるであろう。すなわちエスマンは、半代表制が古典的代表制の「予定的均衡」を破壊し、唯一常設の議会への権力集中を生み出すという理由だけではなくて、「一般意思」(実は「特殊意思の総和」)の実現を標榜しつつ実際には自らの「特殊利益」の実現を貫徹してゆく多数者の登場を半代表制のうちに見いだし、それに対抗しようとしたのであろう。この「多数者」とは具体的には誰であろうか。それは純粋代表制から半代表制への国民代表制の変遷を促した普通選挙の確立によって、当時、急速に政治の表舞台に登場しつつあった労働者階級であることは間違いないであろう。そのことは、エスマンが、「個人権は、すべて共通の性格を示している」が、それは「国家の諸権利を制約する」性格であって「国家に市民の利益となるようないかなる積極的なサービスも、いかなる給付も命じるものではない」のであるから「生活保護、教育、労働権」は認められないとして、「個人権」の内容からとして社会権を除外(83)していたことからもうかがえる。
 しかし、本稿の目的は、エスマンの半代表制の歴史的役割を問題にすることではなく、そのような歴史的役割にもかかわらず、エスマンが、かなりあいまいな形で提出した問題の国民代表制論にとっての深刻な意味を探ろうとするものである(84)。
 少数者の人権をも侵害しうる多数者の特殊利益を貫徹することが半代表制における議会の現実的な役割であるならば、それは、いかなる意味で「国民」を「代表する」のであろうか。「人民の意思の実現を正確に保障する」というのは半代表制の建前であり、現実には、人民内部に存在する多様な民意を議会構成に正確に反映させ、議会を民意の「鏡」としつつも、多数決という議会制のとって不可欠な「国民統合」過程において、必然的にその「鏡」が毀損されるのであるならば、議会が「国民代表」であるのは、せいぜい多数決がなされる直前までの期間にすぎず、多数決とともに、議会は国民(その全体)を代表することをやめるのであろうか。
 思うに、そのような議会をなお「国民代表」と規定する理論的基礎として、エスマンは二つの異なる事柄を指摘し、批判したものと思われる。その第一は、多数者の意思を一般意思とみなす図式であり、第二は、「国民の現実の意思をできるだけ正確に表現し実現させる」という比例代表の理念である。エスマンは、この両者がともに多数者の圧制に「口実」をあたえるものとして批判したと思われるが、しかし両者は、必ずしも同じ理論的基礎に立脚しているわけではない。なぜなら、ルソー的な「一般意思」という思想は社会的同質性の存在なくしては理解しえないのに反して、比例代表の理念は、むしろ社会的な異質の諸利益の存在を前提にしなければ考えられないからである。したがって多数者の圧制の「口実」となりうるイデオロギーとしてエスマンが析出したものは、必ずしも、ひとつの体系性をもったものではないと思われる。そして、ニュアンスの異なるイデオロギーの共存が、後に、エスマンが批判しようとした現代的代表概念を解決しがたい矛盾へ導くことになるのであるが、エスマンの鋭い洞察力も、そこまでは予想しなかったようである。

(1) 樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』(一九七三年)一六頁。
(2) 深瀬忠一「A・エスマンの憲法学」北大法学論集一五巻二号(一九六四年)。
(3) 高橋和之、前掲。
(4) 同、九三頁。
(5) A. Esmein, E´le´ments de Droit Constitutionnel Francais et Compare´, 8ed tome I 1927. p. 579-580. なおこの本の初版は、一八九五年に出版されている。エスマンは、他の箇所においても(p. 310)ルソーの社会契約説を次のように批判している。「第一に、出発点としては個人権を仮定するのだが、それは結局は個人権を犠牲にする。なぜなら、それは、共同体の利益のために個人とその諸権利の譲渡へ至るからである。第二に、それは、個人権を、自然状態から生じる始原的で絶対的な自立に立脚せしめる。ところが、自然状態は、厳密な意味での社会契約と同様に、歴史学と社会学の資料に反する歴史的な仮定である」。
(6) ibid., p. 581.
(7) ibid., p. 581.
(8) 「理性主権」論については、野村敬造「国民主権と代表の原理」(現代法2『現代法と国家』一九六五年所収)189頁以下、井端正幸「フランソワ・ギゾーの『代表制』論の形成(三・完)」龍谷法学二一巻一号(一九八八年)24頁以下を参照。
(9) Esmein, E´le´ments. p. 311.「良識」(bon sens)は、フランス・モラリストの諸作品のなかにしばしば散見される言葉であり、デカルトは、これを「理性」あるいは「真実と虚偽とを見わけて正しく判断する力」としている(落合太郎訳『方法序説』岩波文庫一二頁)。ここで、エスマンが、そのようなモラリスト的用法で「良識」を持ち出したのかどうかは定かではない。ただ、哲学者の武長修行氏が、モラリスト達を、モンテーニュ型とルソー型に分けた上で、ルソーは、人間を理性的存在とみなすモラリスト達の「古典派的ボンサンスを打ち毀そうとする」のだと指摘している(「現代思想」臨時増刊「総特集・ルソー・ロマン主義とは何か」一九七九年、二二六頁)点は興味深い。もしエスマンが「良識」をモラリスト的ニュアンスを込めて持ち出しているのであれば、そこにも「良識」の破壊者としてのルソーに対峙しようという彼の「反ルソー的発想」が見られることになるのではないか。
(10) ibid., p. 311.
(11) ibid., p. 311.
(12) 尾高朝雄『国民主権と天皇制』(一九四七年)。
(13) 岡田信弘、前掲。
(14) 中木康夫教授は、ブーランジズム(一八八五年一〇月選挙に生成への前兆)からドレフェス事件(一八九四年)に至る時期を「フランスにおける『大衆民主主義』を成立せしめる画期となるとともに、フランス帝国主義の本格的展開期となった(この同時平行性に注意)」としている(『フランス政治史(上)』一九七五年、二六四頁)。
(15) フランスにおける選挙制度史については、岡田信弘「フランスにおける選挙制度史(1)〜(3)」北大法学論集二九巻二号(一九七八年)、三〇巻二号、三号(一九七九年)および只野雅人『選挙制度と代表制ーフランス選挙制度の研究』(一九九四年)を参照。
(16) 中谷猛『近代フランスの思想と行動』(一九八八年)の「はしがき」三頁。
(17) Esmein, E´le´ments. p. 581.
(18) 小沢隆一「カレ・ド・マルベールの『国民主権』論の方法的基礎に関する覚書」一橋論叢一〇一巻一号(一九八九年)六七頁。
(19) A. Esmein, Deux forms de gouvernement, RPD, t. 1, 1894.
(20) ibid., p. 15.
(21) ibid., p. 15.
(22) ibid., p. 16.
(23) ibid., p. 16.
(24) ibid., p. 17.
(25) ibid., p. 17.
(26) ibid., p. 18.
(27) ibid., p. 18-20.
版面あわせ(28) ibid., p. 20-22.
(29) ibid., p. 22-23.
(30) ibid., p. 23-24.
(31) ibid., p. 24.
(32) ibid., p. 24-25.
(33) ibid., p. 25-26.
(34) ibid., p. 26-27.
(35) ibid., p. 27-28.
(36) ibid., p. 28.
(37) ibid., p. 30-32.
(38) ibid., p. 35.
(39) ibid., p. 37.
(40) ibid., p. 37.
(41) ibid., p. 38-39.
(42) ibid., p. 40-41.
(43) ibid., p. 41.
(44) 深瀬忠一、前掲一一二〜一一三頁。
(45) 樋口陽一、前掲「直接民主制」四四〜四五頁。
(46) 杉原泰雄『憲法I』(一九八七年)二二四〜二二九頁。
(47) 和田進、前掲一〜六頁。
(48) 高橋和之、前掲三〇六頁。
(49) 同、三一一頁。
(50) 大石眞、前掲、三一七〜三一八頁。
(51) Esmein, E´le´ments. p. 442.
(52) Esmein, Deux formes de gouvernement. p. 16.
(53) Esmein, E´le´ments. p. 442.
(54) ibid., p. 442.
(55) ibid., p. 484.
(56) Esmein, Deux formes de gouvernement. p. 25.
(57) R. Carre´ de Malberg, Contribution a` la The´orie ge´ne´rale de l'E´tat, tomeII 1920 p. 369.
(58) Esmein, Deux formes de gouvernement. p. 15, 同じことをエスマンは、『憲法要綱』においても「代表制における代表の意味するところ、すなわち主権者たる人民の代表者を特徴づけるものとは、かれらが与えられた権限の制約の中で、かれらの意思を通じて意思するとみなされ、かれらの口を通じて発言するところの人民の名において、かれらが自由に自由裁量で決定するよう要請されるということである」と述べている(E´le´ments. p. 435)。
(59) ARCHIVES PARLEMENTAIRES, tome. 8, p. 595.
(60) ルソー、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』岩波文庫、47頁。
(61) この一般意思に関するシエースの理解とルソーの理解の相違については、S. Rials, constitutionnalisme, souvrainete´ et repre´sentation, ; dans La Contituite´ Constitutionnelle en France de 1789 a` 1989. 1990 を参照。
(62) カール・シュミット、稲葉素之訳『現代議会主義の精神史的地位』10頁。
(63) 同、一〇七頁。
(64) Esmein, Deux formes de gouvernement. p. 35.
(65) 高橋和之、前掲三〇八頁。
(66) 同、三〇八頁。
(67) 同、三〇八頁。
(68) 小沢隆一『予算議決権の研究---フランス第三共和制における議会と財政---』一九九五年、一八三頁。
(69) Esmein, E´le´ments. p. 581.
版面あわせ(70) ibid., p. 350.
(71) ibid., p. 351.
(72) カレ・ド・マルベールは、このエスマンによる比例代表批判が、サリポロスのような「強硬な比例代表論者によっても部分的には認められてきた」という。カレ・ド・マルベール自身もまた、「エスマンが理解したように、代表議会は全体としての国民を『代表する』という理由だけではなく、厳密にいえば、この議会は国民の機関であるから、原則として、フランス法のいわゆる代表制は、比例代表とは反するのである」としてエスマンの批判を認めている(Contribution. p. 368〜369)。比例代表論争については、高橋和之、前掲365頁以下および只野雅人、前掲一一七頁以下を参照。
(73) ルソー、前掲47頁、「全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなりの相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は、私の利益をこころがける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない」。
(74) Esmein, Deux formes de gouvernement. p. 25.
(75) ibid., p. 37.
(76) 高橋和之、前掲三二八〜三二九頁。
(77) 大石眞、前掲三一七〜三一八頁。
(78) 和田進、前掲八〜一〇頁。
(79) 樋口陽一、前掲「覚え書き」六五〜六八頁。
(80) 大石眞、前掲、三一七頁。
(81) Maurice Duverger, Esquisse d'une the´orie de la repre´sentation politique ; dans L'e´volution du droit public, e´tudes en l'honneur d'Achille Mestre , 1956 p. 213 214.
(82) カレ・ド・マルベールは、一七九一年憲法が創設した純粋代表制について以下のように説明している。「代表民主主義においては、議員団は、前もって存在する意思を代表するのではなく、その決定は、それ自体に優位する意思に依存するのではない。そうではなく、議員団は、議員団がそのために意思することに責任を有するところの国民の意思を自ら創設するのである」(R. Carre´ de Marberg, Contribution. p. 356)。
(83) Esmein, E´le´ments. p. 586.
(84) 古典の古典たる所以は、それが、何らかの普遍的価値あるいは現代性を持っていることである。もとより、ある思想ないし学説を、それが登場した時代的文脈と切り離して評価することはできない。しかし、そのような評価態度だけで終わらせてしまうのであれば、およそ人間の知的活動は時代的な制約の中にあるのであるから、古典というジャンルはそもそも成立しないであろう。およそ古典といわれるような書物の著者は、その時代の特殊な一度かぎりの現象のうちに、私たちにも通じるような普遍的問題を見いだしているものである。そうでないのであれば、何世紀も前の見ず知らずの土地に生きた人間の書いたものを読む必要など毛頭ないことになってしまう。特殊な問題のうちに普遍的問題を見いだしたと思われる古典の著者を、その特殊な問題に対する態度だけで評価することもまた誤りである。民主主義につきまとう多数者の圧制という問題に対するエスマンの理論構成は、それを支えた態度の歴史的制約性にもかかわらず、それ自体として現代的かつ普遍的な意味を有しているものと思われる。