立命館法学  一九九五年第四号(二四二号)




◇ 資 料 ◇
フレッド・ハリディ著

国際関係論再考
(ロンドン、一九九四年刊)(四)

菊井 禮次  訳






目    次


  • は し が き
  • 第一章 序論---「国際的なもの」の意味と関連性
     1.「国際的なもの」についての見方
     2.国際関係論の形成に影響した諸要因
     3.国際関係理論の出現
     4.リアリズムと行動主義
     5.一九七〇年代以来の国際関係論
     6.「再考」の媒介要因(以上二三九号)
  • 第二章 諸理論の相剋
     1.伝統的経験論---歴史学とイギリス学派
     2.「科学的経験論」---行動主義の魅惑(サイレン)
     3.ネオ・リアリズム---内容なき「システム」
     4.無類の誇大壮語---ポスト・モダニズムと国際的なもの
     5.結論---別の進路(以上二四〇号)
  • 第三章 不可避の遭遇---史的唯物論と国際関係論
     1.忌避された挑戦
     2.マルクス主義と国際関係論の三「大論争」
     3.史的唯物論の潜在能力
     4.史的唯物論のパラダイム
     5.理論の抑制
     6.冷戦経過後のマルクス主義(以上二四一号)
  • 第四章 国際関係論における国家と社会
     1.国家についての難問
     2.諸定義の対比
     3.国内的・国際的アクターとしての国家
     4.国家的利益と社会勢力
     5.諸社会と諸国家システム(以上本号)
  • 第五章 同質なものとしての国際社会
     1.「国際社会」の意味
     2.トランスナショナリズムとその境界
     3.国際社会の「構成」パラダイムとその主唱者たち
         ---バーク、マルクス、フクヤマ
     4.国際関係論にとっての含意
  • 第六章 「六番目の大国」---革命と国際システム
     1.相互無視の状況
     2.革命とその影響
     3.国際システムの形成
     4.歴史的パターン
     5.国際的・国内的連結環
     6.革命と戦争
  • 第七章 国際関係論の隠された主題---女性と国際領域
     1.国際関係論の沈黙
     2.高まる関心---四つの要因
     3.国家と女性---ナショナリズムと人権
     4.含意と諸問題
  • 第八章 体制間対立---冷戦の事例
     1.対立の独特な形態
     2.冷戦の諸理論
     3.理論的対抗の源泉
     4.異質なものの突出
  • 第九章 一方だけの崩壊---ソ連と国家間競争
     1.旧来の問題に対する新しい見方
     2.上からの転換
     3.社会主義から資本主義への移行
     4.国際的要因と冷戦
     5.相対的な失敗
     6.国際的競争の三つのレベル
  • 第一〇章 国際関係論と「歴史の終焉」論
     1.冷戦の余波
     2.歴史的評価の多様性
     3.「歴史の終焉」論
     4.リベラル・デモクラシーと平和の展望
  • 第一一章 結論---国際関係論の将来
     1.規範的なものの挑戦
     2.新たな研究方法論


第四章  国際関係論における国家と社会

  1.国家についての行き詰まり
  一九七〇年代初期以来、国際関係論内部の理論的論争の多くは、国家の問題に焦点を合わせてきた。ある議論は、国際関係における構成的アクターとしての国家の分析的優位性をめぐるものであったのに対して、別の議論は、国家はどの程度、国家内部及び国家間で有益とされるものの主たる保証者と見做し得るか、という規範的問題に焦点を合わせてきた。「国家中心」のリアリズムは、国家に関する伝統的立場を再度強調し、またネオ・リアリズムの登場を介して、特に国際経済関係の分野で、新たな立場を主張してきた。その他のパラダイムは、国家の優位性に異議を唱え、その中であるものは、相互依存論やトランスナショナリズムの理論にみられるように、非国家的アクターの役割を強調し、また別のものは、国家であれ非国家であれ、特殊なアクターに対するグローバルなシステムと構造の優位性を力説してきた。これら三つのアプローチはいずれも、政治学内部のより広範な諸潮流の影響を受けてきた。即ち、リアリズムは、主流派政治理論の影響を、トランスナショナリズムは、国家を拒否し行動の研究を好しとする多元論と行動論の影響を、構造主義は、社会経済的規定論の影響を受けてきた。
  しかしながら、一九八〇年代末期には、国際関係論内部のこの論争は袋小路に入ってしまったようにみえる。上記の三つのパラダイムはそれぞれ、多くの変種と再体系化によって依然健闘しており、またそれらの支持者の数は、専門領域の発展と知的流行に応じて増減を繰り返していた。だが、それらの中のどれか一つが他に打ち勝った、あるいは打ち勝つだろうと思われる徴候は全くなかった。リアリズムへの挑戦者は依然として、それを論駁し、それに取って代わろうとしていたし、他方、リアリズムの擁護者は、挑戦者が不適格である理由を繰り返していた(1)。単一パラダイム、クーンの定義では「常態」の探究は、多くの論者にとって不満足な、実に不毛な諸理論併存の状況を産み出した。
  しかし、複数のパラダイムの併存は、その他の観点、それらが示唆する研究計画、それらが我々に提示する概念と事実そのものを排除してしまう単一パラダイム的常態よりも、この学問分野の健全性を示していると言えよう。多くの社会科学において、一つのパラダイムが制度に後押しされた自己過信の上に君臨していた一九五〇年代の排外的且つ麻酔にかけられた世界は、国際関係論ないし一般に社会科学の見方で、それへの回帰を望む者が殆どいない世界である。更に、狭い知的土壌の上で行われるパラダイム論駁の追求そのものも、特定のアプローチが人を引き付け捉えて離さない理由が多様である以上、的外れな冒険であると言えよう。そのような理由には、知的整合性だけでなく制度的支援、社会科学全体内での潮流や世間的知恵の影響、時代の風潮も含まれているからである(2)
  しかしながら、複数のパラダイム併存の正当性と不可避性を受け入れることは、理論的多様性の理由が重要でないことを暗示するものでもなければ、全てのパラダイムを等しく有効なものとして扱い得ることを示唆するものでもない。国家をめぐる論争の場合、大事なことは、過去三〇年に及ぶ論争が何故殆ど進展しなかったかについて、疑問を投げかけることである。そこには何の解決もなかったし、お互いの立場のほんの一寸した譲歩もみられなかった。その一つの理由は、クーン自身の著作や彼の弟子たちのそれに書き込まれているように、それぞれのパラダイムは同一の基準で計れないということ、言い換えれば、それらのパラダイムは異なった概念と概念体系を配置し、異なった問題を提起し、異なった事実を取捨選択するが故に、それらの議論はお互いに噛み合うことができないということである(3)。何らかの説得力をもつパラダイムは、他のパラダイムがその有効性を脅かすものと見做しかねない現実世界の「変則事態」ないし潮流について、尤もらしい解釈を提供することができる。例えば、リアリストは他国籍企業(MNCs)を、相互依存論者は安全保障問題の持続的役割を、構造主義者は新興工業諸国(NICs)の台頭を、自分たちの解釈に組み入れることができるのである。クーンが書いているように、「歴史上重要な理論はいずれも、事実と、だが多かれ少なかれ事実のみと一致してきたのである」。従って、国家についての行き詰まりは、部分的には、国家に関して論戦しないと自ら決め込んでいる深刻な理論的行き詰まりの所産なのである。第二の理由は、とりわけ国際政治経済論に関する多くの文献で確認されているように、国際関係に占める国家の位置に関する見解の発展が、単純なリアリスト的分析と非リアリスト的分析のどちらをも確証しない、それ自体矛盾した経過を辿ってきたということである。国家が以前の優位性を失ってしまった点を確認し、その論拠を積み重ねてみても、反対に、国家が優位性を保持し、それどころか更に強化した点を確認し証拠付ける別のリストによって相殺されてしまう。つまり、国家はその地位を強めもすれば弱めもしたということになる。このように互いに競合するリストを挙げて実証的に決着をつけようとしても、理論的決着の場合と同様に、それは簡単には片づかないのである。リアリストが、現実には殆ど、否、何も変わっていないという断定に、痛く自己満足しているようにみえるとすれば、挑戦者の側はしばしば、国家はもはや中心的アクターではないとする、その度合いを誇張している。そのことは、彼らが国際関係の近年の推移を分析する際にも言えるし、また目下の潮流から、一見差し迫っているかに見えるが、殆どの場合希求にすぎない国家なき未来を推定しようとする周期的性向についても言える。このような矛盾した過程(国家の増強/国家の排除)の理論的包括によって、我々は現在の両極分解を超えて進むことができるのである。
  ところで、行き詰まりの第三の理由があるが、それは、国際関係論の核心に、またそれの拠って立つ諸概念に、またそれが奨励する研究計画に、更に社会科学内でのそれとその他の学問分野との関係に触れる理由である。それは、用いられる「国家」の定義に関する問題である。時として、国際関係論の理論家たちは、まるで古代の政治理論家たちの概念を使って研究しているかのように見えることがある。というのは、過去二〇年にわたる国際関係論内での国家をめぐる論争と並行して、だが内部ではそれが知られないままに、国家に関する別の論争が、社会学とマルクス主義の内部でそれぞれ、国家は正確に言ってどのように機能しているか、という問題をめぐって行われてきたからである。恐らく最も意味深長なのは、国際関係論内の新たなパラダイムの主唱者と擁護者たちが、国家(と言っても定義されていない)の突出を否認、もしくはその役割を低めようと努めていた正にその時期に、社会学の内部では、それに匹敵するような動向はむしろ、国家を再検討し、歴史的及び今日的文脈の中でその中心的役割を改めて主張するものであったし、他方、マルクス主義の論争は、国家の交替についてではなく、国家の社会階級に対する関係をいかに分析するかに焦点を合わせてきた、ということであろう(4)。つまり、国家にとって有利な方向で大きな変化が生じつつあったのである。この争点に関するある社会学論文集のタイトル、『国家の蘇生(5)』(同書は、この論争を要約し、それに参加した指導的研究者の多くが執筆した論考を収録している)は、国際関係論と同系の学問分野において、それとは逆の、だが重大な関わりをもつ議論が展開されていることを示唆している。しかもこうした議論展開は、この争点に関する国際関係論の、しばしば不当なほど自己中心的な議論にとって重大な意味をもっている。それと同様にマルクス主義の論争も、国家と非国家的アクターの対置といったレベルの議論を突っ切って進んでいる。こうした状況が語っているのは、国際関係論内での国家をめぐる論争を再評価する一つの方法は、並行して進められているこれらの議論を研究し、そうすることで、国際関係論内の論争の多くが暗黙裡に前提としている国家に関する唯一の定義を問題にすることだ、ということである。議論は、「国家中心的」であるか否かではなく、国家とは何か、なのである。
  このような国家論の復活は、国家という用語は放棄すべきだと主張してきた人々に特に関係がある。イェール・ファーガソンとリチャード・マンズバックは、一九八〇年代半ば以降出版した一連の著書や論文の中で、「国家」の概念は極めて混乱しており不適切なので、それは、国際関係に関する理論的作業の基盤となり得ない、と主張してきた。しかし、国家に結びつく意味の多様性に注意を向けている点では彼らは正しいが、彼らのその他の議論や結論は正当とは言えない。一方では、国家の概念には、後段で明らかにするように、彼らが注意を向ける国家権力及び価値配分の多様性についての議論を妨げるようなものは何も内在していない。他方では、彼らは、社会学の文献内で発達してきた国家に関する文献(彼らがその概念を使用に適さないと宣言していた正にその時期に、実は一連の著作が産み出されていたのである)を回避し、実際のところそれらに真面目に取り組もうとしていない。「国家」という用語は必ず規範的なものを言外に含んでいる、という主張には全く根拠がない。「国家」概念の無用性を、国際関係理論におけるより広範な危機と関連づけようとする彼らの試みも、それが方法の選好と概念の不確定の上になされている以上、やはり誤っている。彼らの研究が導き出す帰結は、「国家」の概念から解放されて新たな国際関係論が可能になる、といったものではなくむしろ、この概念が放棄されれば更なる混乱が起きる、ということである(6)

  2.諸定義の対比
  国際関係論における国家の定義に問題のあることが最初明らかでないのは、その主要な特質が表に現れておらず、また通常、広範囲にわたる理論的あるいは経験的分析に晒されていない、という簡単な理由によるものである。この学問領域全体にとってかくも枢要な位置を占める概念が、このように解明を免れているというのは、全く理屈に合わない事柄である。戦争、主権、制度、等々については多くの議論が見られるが、しかし国家について、それに匹敵するような議論を教科書の中に探してみても無駄である。国際関係論の理論家たちは、それが何であるかを我々が知っているものと決めてかかっている。例えば、ブルの場合は、それは政治共同体である。ウォルツの場合は、それは実際には民族と同一の広がりをもつものである(7)。その理由は、全体としての国際関係論が、ある特定の定義を所与のものとしているからである。即ち、その定義とは、人が民族的・領土的総体と呼んでいるものである。従って、「国家」(例えばイギリス・ロシア・アメリカ、等々)は概念形式としては、政治地図の上に目に見える形で図示されているもの−即ち全体としての国とその内部にある全てのもの、つまり領土、政府、国民、社会−から成っている。こうした見方を要約したものとして、ノースエッジが彼の『国際政治システム』の序章で述べている以下の一文に優るものはないであろう。
  国家とは、本書で使用されている意味では、法と外交の目的のために、諸国家のシステムの法的に平等な成員として承認された人々の領土的結合体である。それは現実には、国際システムへの参加を目的として人々を組織する手段である(8)
  このような概念を好んで用いる研究者、特にリアリストが主張するのは、そうした国家が経験的に実在しているということではなくて、政治理論と国際法から抽出されたこの種の抽象的概念が、発見的教授法として、国際関係論にとって最も適切なものだということだけである(9)。換言すれば、こうした概念に基づく理論は、国際関係に関してより多くの事柄を説明するのであり、従って支持されるべきだ、というわけである。この言い分は、抽象的概念を支持する上では有効な理由付けである。だが問題は、それが説明の基礎を提供するかどうかではなくてむしろ、それが提供する説明がどのように適切であるか、ということである。このような概念がいったん受け入れられると、当然、非国家的アクターの問題が大いに予断を以て扱われることになるのは、いうまでもなく明白である。
  国家に関する別の概念は、最近の多くの社会学文献や同じくマルクス主義の論争で用いられているように、より限定された種類のものである。この種の概念が表示するのは、社会的・領土的総体ではなくて、それが位置する、より広範な政治的、社会的、民族的文脈から区別される、一連の特殊な強制的及び行政的諸制度である。マックス・ウェーバーとオットー・ヒンツェのドイツ的影響を受けてスコッチポルは、国家を「執行権力によって率いられ、程度の差はあれ十分に調整された、一連の行政・警察・軍事機構」と規定している(10)。こうした社会学的アプローチの枠内で、国家について多くの別の定義を与えることができる。ところで、このような強制的及び行政的諸制度という概念は、国家についての全く別個の概念を識別し、国家概念を国際関係の議論の中に組み入れ得る別の方法を示唆する上で有用である。
  過去数十年にわたって行われてきた国家をめぐる社会学論争の内部で、多くの問題が未解決のままに留まっている。その一つは、国家の範囲を定める問題である。つまり、国家が、所与の社会関係の下で社会を支配、調整、再生産するメカニズムと見做されるとすれば、形の上では独立しているが国家の影響を受けており、同じくその調整・再生産機能を果たしている諸制度、即ち、学校、大学、教会、及びその役割の幾つかにおいては家族、といった制度をどこに位置づけるか、という問題が生ずる。アルチュセールの、イデオロギー的国家装置としての教育施設という概念をめぐる論争は、その一例であった(11)。第二の論争は、『国家の蘇生』によく示されているように、国家の「自律性」に関係している。つまり、いったん国家が社会から制度的に区別されていると見做されると、国家は、最終的には社会によって拘束されるとしても、どの程度自律的に行動し、社会のそれとは別個の価値を体現することができるか、という問題が生ずる。国家の制度的概念は、国家を程度の差はあれ階級的ないし経済的利害関係の表現と見るマルクス主義理論に、部分的に対抗する手段となっている。権力者は、社会の大半の明白な意志に背いて、どの程度政策を遂行し得るか(改革を押し付けたり、あるいは不人気で破壊的な戦争を追求したりすることによって)は、こうした自律性の争点を極めて明瞭に提起している。一つの解釈は、国家は社会の長期にわたる戦略的利害を念頭に置いている、とするものである。スコッチポルのような研究者からすれば、国家の国際的役割によって大幅に拡大される明確な自律の領域が存在することになる。フレッド・ブロックのようなマルクス主義者が、こうした立場を取ることもあり得る(12)。ロバート・ブレンナーのような別の論者からすれば、社会の管理と私的専有との間の分業は、いかなる現実の自律性とも混同されるべきではないし、また国家を階級の道具と見るマルクス主義理論は依然として有効である(13)。第三の論争は、とりわけマルクス主義的社会学の伝統内に位置するものであるが、この論争は、現代国家の資本主義及び諸階級に対する関係をめぐって行われてきた。国家を階級支配の単なる道具と見る、初期のマルクス・レーニン主義的見解を乗り越えて、この論争は、資本の論理に依拠するアプローチから、エリート内抗争の管理を強調するアプローチ、国家の機能は、そのあらゆる局面−強制的、行政的、調整的、イデオロギー的諸局面において階級的ヘゲモニーを保持することである、とするグラムシの一つの読み方に影響されたアプローチに至るまで、様々な別のテーゼを産み出してきた。一般に「構造」論として描かれている、この別の理論は、国家に対して遥かに大きな自律性を与えている。
  国家についてのこれら二つの概念の相違は、日常語に反映している。国土について論じる場合、我々は、その総体的な意味での国家の領土と、その制度的な意味での国家の所有する国有地とを区別する。同様に我々は、国家の人口ないし労働人口と、国家によって直接雇用されている人口のパーセンテージとを区別する。革命の場合、制度としての国家は打倒されるが、しかし総体としての国家は残っている。ところが、国際関係論の論争の多くは、これら二つの意味を混同したままで展開されているように思われる。マルクス主義の批判者たちが、マルクス主義は「国家中心的」であるが故に、それはリアリズムの一形態であると言うとき、これは国家に関する二つの概念をごちゃ混ぜにしている。というのは、マルクス主義者は、「国家」という用語を、リアリストとは全く異なって使用しているからである。その結果は、含意されている国家の定義それ自体の故に、理論的探究のその他の領域を最初から排除している総体論的概念の優越的支配ということになる。これが、あるパラダイムのやっている事柄なのである。つまり、リアリストたちは、他のパラダイムによって関連があると認められている論点やデータは比較的取るに足らないものだ、と主張することができるし、現にそうしているのである。
  国家についての社会学的概念が、民族的・領土的総体概念に比べてより大きな分析能力と説明能力を有するか否かは、議論の余地がある。だが、この勝負の最終的判定はどうであれ、二つの広範な差異は直ちに明瞭となる。第一の差異は、実在しているものの解釈に関与する学問分野から見て、社会学的概念の方が、民族的・領土的総体概念よりも遥かにイデオロギー的抽象性が少ないということである。国際関係論で通常用いられている国家概念は、単に分析の利器たるに止まらず、法的且つ価値規範的前提(曰く、諸国家は平等である、国家は自国領土を支配する、国家は民族と合致する、国家は自国民を代表する、といった前提)を十分に備えた概念でもある。実際のところ、従来の国際関係論で用いられている主権国家の概念以上に、「現実性」に乏しい概念は殆どあり得ないといえよう。これに直接関連した第二の差異は、我々は社会学的アプローチによって、国際的次元の有効性の問題、即ち、国際領域への参入が、国家の地位を何故、またどのように向上させ強化するか、特に、そのような参入によって何故国家は、それが支配する社会から相対的に独自な立場で行動することができるか、という問題を遥かに明確に提起することができる、ということである。国家は正にその国際的な役割の故に、自己の社会に対してそれ程責任を負わなくても、またそれを代表しなくても済むという、近代世界のこの最も中心的な特質は、「民族的・領土的」国家概念のもつ諸前提の下では、最初から見えなくさせられているのである。
  従って、少なくとも言えることは、国家についての別の概念構成は、分析的問題への取り組みを可能にし、また総体論的アプローチの枠内で許容されているそれとは著しく異なった研究手法を可能にする、ということである。先ず第一に、こうした国家についての別の定義は、国際関係論に関する文献の中でしばしば混同され融合されているが、しかし国家ー社会関係がもっと明確に確認されるべきだとすれば識別する必要がある、一連の概念上の区別を明るみに出す。「国際的」という概念そのものが、多くの批判者が指摘しているように、通常国家間関係であるものを国民間関係として表示することで、問題を混乱させてきた。モーゲンソーの古典的著作、『諸国民間の政治』は、国際連合(ザ・ユナイテッド・ネーションズ)という言い方自体と並んで、前兆となった誤称である。
  一つの区別は、このように限定された社会学的意味での国家と、社会、即ちこの中核的統一体〔国家〕の直接的管理と財政措置を超えたところにある諸々の制度、個々人、慣習の連鎖から成る社会との区別である(14)。社会それ自体は同質的ではなく、異なった社会階級と民族集団及び利益集団から構成されており、そしてこれらの階級や集団の国家に対する接近の度合いは、それらの力、富、政治的手腕に応じて異なるであろう。従って、国家ー社会関係は可変的である。マルクス主義の論争が尖鋭を極め、また多くのマルクス主義者が制度論的アプローチを最も厳しく批判してきたのは、正にこの国家ー社会関係の可変性についてである(15)
  第二の区別は、国家と政府との間、即ち、行政機構の集合体と、職責上最高管理の任にある行政官僚との間の区別である。通常の政治論議は、一対の国家ー政府が全体としての社会を代表すると考えられるように、両者は同一のものだと想定している。例えば、オーソドックスな用法では、ある国の「首相」ないし「大統領」という表示は、その国自体の国名と容易に置き換えられる。「軍縮に関する英国の立場は・・・」等々といった具合にである。しかし、何らかの状況の下では、国家ー政府の区別は、国家内の構成分子が政府の政策に抵抗ないし強く反対するとき、かなり適切なものとなるだろう。これは、比較的無害な形(報道機関への意図的漏洩、のろのろ仕事、業務日程の整理)を取ることもあるが、それよりも遥かに激烈な形を取り、国家ー政府間衝突の最も極端な形態、軍事クーデタとなって最高潮に達することもあり得る。
  第三の枢要な区別は、国家と国民の区別である。「国民国家」という用語は、実は民族的同質性と政治的代表制の仮定に基づくものであるが、経験的に言えば、近代世界に適合していない。強圧的国家が、国民(つまり当該国家が支配している社会)を全く代表していないことは十分あり得る。世界の殆どの国家がそうであるように、民族的多様性が見られる所では、国家は、ある民族集団の利益を他の民族集団のそれ以上に代表しているかもしれない。若干の国際関係理論、特に対外政策分析は、リアリストによるこうした用語の合成に異議を唱えてきたが、それに代わる国家の概念構成は、これまでのところ全く対置されていない(16)
  第二に、社会学的アプローチは、国家の起源に関して別の、それほど寛容ではない見解を示唆している。それが強調するのは、元々は自国に服属する住民と敵国との双方に対する強制と搾取の道具としての国家についてである。ティリが歴史研究に基づいて明らかにしているように、ヨーロッパの諸国家は征服の道具として、用心棒として発足した(17)。これらの用心棒は数世紀にわたって、以前よりも代表機能を発展させてきたということはあるとしても、しかし、これは条件次第であり、国によってその程度は異なり、しかも未だ完結した過程とはいえないものである。一人一票の原則が主な西洋諸国に導入されたのは第二次世界大戦以降のことにすぎない、ということは想起するに値しよう(18)。国家の主要な機能が、土地と財貨の強奪、住民の征服、敵国に対する戦争の遂行に端を発しているという事実は、国家は一六四八年以降絶えず代表機能を果たしてきたとする、近代システムについての従来の解釈ではむしろ控え目に述べられている。
  第三の中心的テーマは、第一章で触れておいたように、諸国家とその内部機構は世界史的文脈において、即ち、他の国家との相互作用の中で、他の国家を模倣しながら発達してきたということである。諸々の国家や社会の内部構成は少なくとも最近に至るまで、国際的現象の影響を受けていなかったどころか、逆に国際的局面が、これらの国家が形成される環境を整え、その形成に影響を及ぼしたのである。そのことは、植民地状態から脱し、植民地時代の経験を経て形成された世界の大多数の国家のみならず、ヨーロッパの諸国家についても同様に当てはまる。世界経済、一六ー一七世紀の宗教改革、正統性の価値理念、とりわけ経済的及び軍事的競争の圧力が、その条件を確保したのである(19)。この点はマルクス主義の批判において(ギデンズやマンにみられるように)重要であるが、それは同時に、諸国家から国際システムを導き出すリアリズムの理論に代わる別の国際理論として妥当性を有している。
  国家の構成に関わる第四のテーマは、国家は社会を形成する、即ち、国民意識を形成し、烏合の衆を国民に変える国民イデオロギーを形成し、国民経済を形成するということである。国家は、計画化、徴税、及び国益とりわけ軍事的利益に結びついた部門の振興を通してのみならず、更に適法性の有無を特定する立法措置による経済調整を通して、また中央銀行の金融メカニズムを通して、経済の形成に常に役割を果たしてきた。二〇世紀末期における国際資本の状況がどうであれ、それは国家の調整力を容認している。このことを何よりも明白に示しているのは、主要西側諸国における選挙見通しの変化に反応する国際金融市場の変動、及び新たな中央銀行総裁の任命に対する株式取引所の時として神経質な反応である。英・独・日・米諸国の政策が金融市場に影響しなかったとすれば、後者は選挙前世論調査や新たな規制形態の登場をもっと容易に無視したであろう。経済における国家の役割について論じた今日の多くの著作に見られる、国家管理を生産・金融業務の形式的国家所有とのみ同一視する誤りは、諸国家が自国経済に対して歴史的に保持してきた、また依然として保持している遥かに広大な力を無視している。
  最後に、歴史社会学の発展の結果提起されている、国家自身の内部構成及び社会に対する関係に関わる一連の重要な諸問題がある。マイケル・マンが明示しているように、国家はどの程度住民と領土を統治しているか、という国家の収容能力の問題、及び統制を課し強化する多様なメカニズムの問題は、比較研究及び歴史研究に実り豊かに報い得る問題である(20)。このようなアプローチは、国家の研究を、主権概念、国家は限定された領域内で権力と正統性を独占しているという前提から解き放ち、その代わりに、そうした統制がどのように、どこまで、どのような変化を伴って進展してきたか、を問題にする。多くの国際関係論の著作の前提は、国家は、それが支配している領土と住民を有効に統制している点で、主権を有しているとするものである。しかし、このような前提は、最も効果を上げている国家にとってすら経験的単純化である。それは、統制が正にどのように行使され進展しているか、また国際的要因を含むその他の諸要因が、国家の統制能力をどのように変更し左右するか、の分析を排除する。
  最近の社会学及び歴史社会学文献の多くで頻繁に論じられている、以上に挙げた諸テーマは、国家の概念がこれまでとは別のものに代われば、それによって国際関係論の研究が影響を受ける領域があることを示唆している。以下に述べるのは、こうした別のパラダイムを前提にすれば、国際関係の研究がどのように発展し得るかについての、幾つかのより特定された領域に関わる提言である。

  3.国内的・国際的アクターとしての国家
  国際関係論の文献に浸透している最も重要なテーマは、国家が国内及び国際の両局面で行動するものとして捉えられていることである。その最も単純な形では、国家は国内資源を動員して他国と競争しようとすると同時に、国内でその地位を強化するために、その国際的役割を利用しようとする。例えば、国家は、国内での有利な地位を獲得するために、領土を取得し、戦争を遂行し、軍備管理協定を追求する一方で、国際的目標を達成するために、工業化を推進し、教育改革を導入し、増税し、あるいは少数民族を優遇することもある。成功裡に行えば、この二面政策は国家に有利に働き、従って、政治権力の保有者が、この方策を遂行することで多くの利益を得ることは明らかである。しかしながら、こうした二面政策には大きな危険が付きまとっている。国際的競争に向けて資源を動員するために自国社会に不当な圧力を掛ける国家は、強烈な反動を引き起こし、その結果打倒されることもあり得る(21)。あるいは、国内で有利な地位を固めようとする政策の追求が、国家を他国との破壊的な衝突に導く危険性もある。だが、成功の如何を問わず、国家の政策に関するこのような二面性は、特定の社会内部の全てのアクターにとって、国際的局面が、政策を遂行し闘争を行う上で重要であることを物語っている。国家権力の掌握者、及び国家と連携している者は、国内の脅威を封じ込めるために国際的資源を配置するであろう。これらの資源は、同盟国軍まで含めた軍事的なものでもあれば、また多国籍企業の他部門からであれ国際経済機関からであれ、敵対者に包囲された国家権力保有者への支援としてなされる経済的なものでもあり、あるいは友好国から提供される道義的支持、条約、または同盟関係の形を取った政治的なものでもあり得る。従って、国際関係の多くは、国内紛争の国際化、国家と社会の間の関係の国際化と見做すことができる。国家に反対する勢力も同様に国際的接触を求め、近代史上一貫して、この局面を重視してきた。反体制勢力の国際関係論にとって、既存の国家に反対する勢力がどのようにして彼らの支援を国際化するか、または国際化し得るか、をかなり研究する余地があることは確かである。しかし現実は、国内対立におけると同様にここでも、国家とその提携者たちは明らかに優位に立っており、彼らへの挑戦者よりも遥かに多くの国境内外の資源を動員し得る立場にあるように思われる。後者は往々にして、適切且つ十分に強力な反体制活動の国際的統合のための資源、及びそのためのメカニズムへの接近方法を欠いている(22)。第三章で示唆したように、諸階級の国際化に関するマルクスの理論は、被支配者階級と同じく、否それ以上に支配者階級に当て嵌まるのである。
  国家に関する社会学的観点は、国家の国際的機能が、国家機構そのものの国内的作用にどのように影響を及ぼしてきたかについて、比較的及び歴史的文脈において研究する必要があることを示している。ヒンツェの国家構成に関する研究では、このテーマには、国家の国際活動(戦争、領土獲得、外交)が、国家官僚の社会的出自、国家内での幾つかの行政部局の優位、国家官僚の価値理念、国家の全体規模と財政にどのように影響してきたか、の検討が含まれている。国家と社会の内部における軍事的要素(全体としての軍部または個々の司令官)の役割は、国家構成におけるこのような国際的規定因の最も雄弁な例証である。ヨーロッパ社会における貴族制地主権力の解体後も長らく続いた、関係諸国家内での長期にわたる貴族政治の影響は、外交機能が全体としての国家にどのように影響を与えてきたかを示す指標である。米国が一九四五年以後に地球的規模の役割を引き受けたことは、それが同国に及ぼした影響をめぐって数多くの論評を招き、若干のリベラルな批判者たちは、合衆国における「国防国家」について云々するようになった。広範な観点から見れば、それは、冷戦が米国における民主主義の後退ならぬ進展と同時に起こったという点で、一面的な主張であった(23)。しかし、大統領の権限強化、議会による統制の強弱、国際的機能をもつ新たな官僚機構(中央情報局、国家安全保障会議)の登場、国務省の性格の変化は、いずれも、国家機構に及ぼすこうした国際領域のインパクトを示す事例である。とはいえ、国家機構のイデオロギーと官僚が、外部世界におけるその時々の変化だけを反映する、というのも必ずしも事実ではない。一九四五年以後のイギリス国家とその高官に及ぼしているかつての植民地領有大国の持続的影響力は、そのことを十分に物語っている。敵に包囲された革命国家では、国家の存続は来る月も来る月も不安定であり、そこでは侵入と転覆に備えて実際に安全を確保するために、資源の配分に莫大な代償を必要とし、また権力の掌握者たちは、正当な異議とは何かについて人々に働きかけることと並んで、外部からの国家防衛に膨大な時間、気力、集中力の代償を必要とする。

  4.国家的利益と社会勢力
  同様に、国家の社会に対する関係も、国際的作用によって絶えず影響を受ける。このことは、マイケル・マンが国家の構成要素と見做している四つの局面、即ち、イデオロギー面、軍事面、行政面、政治面の全てにおいて明らかである。帝国主義がイギリス国家にもたらした経済的利益は大いに議論を巻き起こしてきたが、しかしその結果として同国家にもたらした、また依然としてもたらしているイデオロギー的利益について殆ど誰も疑わないのは、国家が広範な地域におけるイギリスの権力を主張しているからである。戦時のみならず平時にも兵力を維持する必要が、国家に対して、経済へ介入し、そしてこの問題に最も関わりをもつ社会層との緊密な関係を樹立することに根本的利益を与えてきたのである。このことは、今日と同様、近代初期のヨーロッパについても言えた。米国における軍部ロビーの支援的役割と、軍需企業・議会・ペンタゴン間の相互作用(人的、制度的、財政的相互作用)のメカニズムは、国家政策の実施にみられる海外秘密作戦と国内の私的利権との結びつき(例えばイランゲート事件)と同様に、十分に論証されてきた。
  国家は、その国際活動のために国内社会の一定部分を取り込む。それと同時に、国家と社会はどちらも、自分たちの内部対立に対する支援を国際的拠り所に求めようとする。国家の制度的概念が国家、社会、政府、国民という諸用語の区別を可能にすることは、先の箇所で既に指摘した。これらの間の関係の多くは、特定の社会の内部で構成されるが、しかし、これらの関係が国際的局面を帯びる多くの場合がある。即ち、国家は、国際的支持を獲得することで自らの地位を調整しようとする。政府、社会集団、民族集団は、経済的または軍事的援助といった国際的支援を得ることで、自分たちの国家に対して自らの地位を高めようとする。外部のアクターは、競争相手たる国家の社会内部の諸要素と直接関係を樹立することで、当該国家に対して自分をその先に前進させようとする、といった具合である。そうした相互作用の一つの明白な事例は、独立諸国家における軍事クーデタの後押し、つまり、ライバル諸国での政府ー社会間抗争の助長である。もう一つの事例は、資金、武器、ラジオ放送、外交的支援を通じてなされるライバル諸国での社会不安ないし民族反乱の助長である。全体としてみれば、国家ー社会間関係の存在は、国際関係を誘導する別の手段を可能にする。というのは、それは、国家と社会勢力がお互い相手方に対して自分の国内的地位を高めるような国際政策を追求するよう促すからである。

  5.諸社会と諸国家システム
  しかしながら、国際社会と特定の社会との相互補完的作用は、国家を媒介としてのみ、あるいは終局的に国家に影響を及ぼすことを目的としてのみ行われるのではない。社会の内部には、特定の国家の国際システムに対する関係によって影響を受け、また自らこの関係に影響を及ぼし得るその他の諸過程があるが、しかし、これらの過程は、国際レベルでの国家活動のそれとは全く異なった過程を反映している。一方、特定社会の内部には、国家に対する、また政府もしくは執行府の政治に対するそのインパクトが強まるときに、当該国家の国際活動に大きなインパクトを与える長期的変動がある。革命的動乱は問題外として、こうした変動に相当するのは、異なる社会集団間のバランスの変化、イデオロギーや考え方の変化、経済的変動に照応する地理的位置の変化である。近代初期における西欧での商業ブルジョアジーの台頭は、その結果として国家政策と宗教・イデオロギー的志向にインパクトを与え、国際システムの出現に根本的に影響した一つの要素であった。合衆国北東部の覇権的ブロックの衰退を招き、サンベルト地帯に有利に働いた同国の政治構造の変化は、一九七〇年代と一九八〇年代の間に生じた合衆国の政策の急激な変化を説明するに十分である。それと同時に、国際的要因は社会の社会的構成に大きなインパクトを与え、その結果、国家が形成されたり影響を受けたりする場合もある。これの最も極端な例は征服と植民地支配であり、その場合には、征服された社会に新たな国家システムが簡単に押し付けられることになる。国際的要因が個別社会に及ぼすそうした劇的強制はともかくとして、それ以外にも、国際的な経済的及び社会的変動が特定の社会に影響して、何らかの社会集団の立場を強め、他の社会集団の勢力を低下させるようになる多くの手段がある。世界システムへの編入は、国際的な(軍事)勢力バランスのみならず、社会内部の社会的な勢力バランスにも影響を及ぼすのである。
  このように国家ー社会間関係に焦点を合わせることはまた、それ自身国際的利害関係を有する社会集団が国家権力に関与する仕方を再検討し、再理論化する上で助けとなる。こうしたことの幾分は、経験的にはロビーイストたちの活動の中に含み込まれている。即ち、外国商品を締め出す、国外の関係企業を支援する、譲歩するよう外国に圧力を掛ける、といった運動がそれである。だが、国家と非国家的アクターとの相関的影響力をめぐる論争の多くは、この点に関しては、国外で操業している多国籍企業(MNC)が国家とは独自に行動することを望んでいるかのような、極端な見地に立ってきた。これは、国家の自律性という未解決の問題に関係している。未解決というのは、国家は何らかの点で「自律的」であり、また何らかの時期、とりわけ戦時には一層そうであるが、しかし、多くの領域で国家は、社会内部の有力な利益層と結託して、またその指令に応じて行動している、と少なくとも言えるからである。国家の「構造的」理論の強みはこの点にある。
  ここでもまた、国家に対する伝統的なブラックボックス的アプローチ〔機能は分かっているが中の構造が不明の装置を相手にしているようなアプローチ〕は、MNCー国家間関係の問題に答えることを困難にする。というのは、このアプローチでは、両者の関係を国際的次元でしか考察できないからである。しかしながら、社会内部の関係を考察し、国家と社会の何らかの部門ないし階級との相対的共生における協調の度合いを確認することがいったん可能になれば、国際面での協調と外見上の分業、という性格は一層明白になる。MNCsが、一九八〇年代にみられたように、ニカラグア、アンゴラ、南アフリカあるいはロシアのような、国家が経済的圧力を掛けようとしている国々と貿易することによって、国家に公然と反抗する場合がある。他の多くの場合には、国家はMNCを奨励し擁護するために行動している。インターナショナル・テレフォン・アンド・テレグラフ社(IT&T)が一九七〇年にチリで問題を起こした時、ハロルド・ジニーン(同社の社長)はホワイト・ハウスを訪れた。議会は、適切な保障協定なしに合衆国企業を国有化する国々への自国の援助に条件を付してきた。国家と社会(の何らかの部分)との関係が国内で形成されているものとして捉えられ、そして、それぞれの国際面での活動がこれに照らして捉えられるならば、国家あるいは非国家的アクターが、世界的問題でお互いどの程度独自に行動しているか、という厄介な問題を解決することは一層容易になるだろう。
  第六章で詳細に見るように、国家ー社会間関係は、国際関係のもう一つの局面、即ち、社会的動乱と革命の局面、特に革命は何故国際的影響を及ぼすかという問題にとっても重要である。国際関係論の文献は一般に、革命を周辺的な位置に追いやってきたし、他方、革命に関する社会学文献の殆どは、その国際的意味合いを軽視しがちである(24)。スコッチポルの著作の偉大な功績は、それが、革命がどの程度、国家間及び国際的要因の所産であるか、その程度を明らかにすることによって、また革命後の国家の強化と国家権力の拡張が、国際的圧力にどのように影響されるかを示すことによって、両者を相互に関係付けようとしている点である。被支配集団の動員であれ、以前は安定していた支配層の弱体化であれ、革命が国際的要因によって鼓舞される仕方以上に、国内・国際政治の連結を明瞭に示すものはあり得ないであろう。だが、それと同時に、革命の及ぼす国際的結果は、国家ー社会間関係のその後の結果を示唆する。つまり、革命を国外へ「輸出」ではないとしても、推進しようとする革命勢力の衝動と、最も弱小の国家における革命でさえ、それが覇権的大国内に引き起こすかもしれない懸念と反革命的対応が、それである。どちらの問題に対する答えも、かなりの程度、国家ー社会間関係に懸かっている。革命国家は、自分たちの闘争の国際化を国内基盤強化の一環と見做す。というのは、軍事的には、志を同じくする同盟諸国を獲得することで、また経済的には、そのような同盟諸国との協力関係をかち取ることで、更にイデオロギー的には、同種の理念を国際的レベルで、自分たち自身の政権を正統化する国々に推し進めることで、国内基盤を強化できるからである。他方、革命に反対した国家の側でも、同様の関心が生じる。というのは、自国社会と類似した社会を敵対的システムの側に奪われることは、その国家を国際的に弱体化させるが、更に国内的にもその正統性を弱めることになるからである。レイモン・アロンが指摘しているように、また第五章でも論じるように、国内の権力配置が、国際的要因にいかに決定的に(しばしば控え目に言われているとしても)依存しているか、また国家ー社会間関係自体を含む国内的要因が、国家の対外政策にどの程度影響を与えているか、のどちらをも明みに出すのは、国際的正統性と安定性を求める政治的配置での同質性の選好である(25)。過去二世紀の歴史的記録は、どちらの企て(他国での革命の推進と、革命政権の打倒)も通常、その公言した目標を達成せずに終わることを示している。しかしながら、経済制裁の場合と同様に、そのような冒険の目的は多様であり、特に公言した活動目標に優るとも劣らない、広範なイデオロギー的且つ国内向けの目標を反映していると言えよう。従って、革命の国際的局面を研究すれば、そうした動乱の影響を受ける少なからぬ国際関係領域を洞察し得ると同時に、国内変動の背後にある広範なトランスナショナルな原因と影響を洞察することもできよう(26)
  国家ー社会間関係についてのこのような理論化は、国際システムの性格に関する包括的な問題にとっても意味をもっている。第一章で論じたように、今日の理論の内部では「システム」という用語は、諸国家のシステムだとするリアリスト的概念(ここでは、この用語は最も大まかな意味で用いられている)から、システム理論の国際関係論への適用(どちらかといえば成果はささやかである)、更にマルクス主義派ないしマルクス主義の影響を受けた著作家たちの唱える、国際的資本主義システムだとする主張に至るまで、様々な意味合いで使用されている。リアリスト理論家の抱える問題点は、彼らが、諸国家内の社会経済的要因が国際面でのシステムの作用に関係している問題を避け、後者を狭く政治面でのみ捉えていることである。多くのマルクス主義的著作の問題点は、諸国家のもつ役割とそれぞれ別個の効能を過小評価していることである。この後者のパラダイムは、世界経済では階級的利害関係が国々の枠を超えて作用しているとすれば、一体何故に諸国家が存在する必要があるのか、という問題を回避している。言い換えれば、単一の経済的総体の内部における個々の国家の特性なり実効性とは何か、という問題である。これらの難問(社会経済的要素の規定性、政治的要素の特異性)には、いずれにしろ単に国内的もしくは国際的文脈の枠内で答えることはできない。むしろ、このような問題は、それぞれのレベルの文脈が国際システムをどこまで規定しているか、また諸国家が単に国際システムにおける独立したアクターとしてのみならず、総体としての国際社会(この「社会」がどのように考えられようと)を構成する一連の広範な相互作用の媒介者及び調整者としても、どのように機能しているか、を確認する必要があることに示している。
  国際レベルでのシステムの概念について従来のそれに代わる別の論拠を提供すること以外にも、またそれが現代世界の分析に影響するという点からしても、国家についての以上のような別の理論化は、通常の国際関係論的アプローチのそれに代わるもう一つのアプローチ、即ち、別の国際システム史の存在を示唆している。これまで我々は支配的なリアリスト的見方を提供されてきたが、それによれば、諸国家から構成される国際システムは、国家の数の増大と、ブルが『無政府的社会』の中で国家間関係の「諸制度」と名付けているものの諸国家による受容とを通して発展、成長、「拡大」していることになる。そうした見方が、暗黙裡に進化論的且つ伝播論的基盤に立脚している、つまり、万事が比較的容易に進んだかのように見ていることは強調するまでもない。リアリスト的見方のペシミズムにもかかわらず、それは、むしろ余りにも穏和な国際史、また過去四世紀にわたる植民地ないし第三世界における国際関係に特徴的な、支配の押し付け、抵抗、再度の押し付けという血塗れの過程とは一致しない国際史を提示しようとしている。第三章で論じたように、国際システムについての別の、現在まだ少数の見解は、ウォーラーステインやウルフなどの著作家たちによって略述されているそれであり、一四五〇年以降の資本主義の膨張に関する彼らの概観は、資本主義的市場関係に基礎を置くシステムを描写した全く異なった国際史を提示してきた(27)。ウォーラーステインのアプローチの理論的前提は、個々の国家間関係、分析的には主要な国家間関係の発達を強調するリアリストのそれとは異なって、国際社会の発展は、ある社会システムの国際的レベルでの伝播によって構成される、とするものであるが、これは、国際的発展の世界史的文脈と、それを特徴づけてきた民族内及び民族間の多様な紛争とを強調する歴史社会学のそれと同種のものである。しかしながら、このような世界史が問題とされる点は、それが政治的実例、つまり国家を軽視していること、及びそれが冷戦的世界について、市場を基盤とする資本主義的同質性という想定に立っていることにある。
  国際システムの広範な資本主義的性格を強調することは、社会関係はいかなる単純な意味においてもトランスナショナルである、と主張することではない。一九世紀のマルクスと、それよりも明らかに現代的な筈の社会学的思考は、国家はトランスナショナルな過程によって全く身動きできなくされつつあると想定する点で、同じ誤りを犯している。この見解は、むしろ、国家について真面目に考えているが、しかし、問題にしているのは、より正確に言えば、このような広範な社会経済的文脈の枠内での国家の役割である。言い換えれば、それが考察しているのは、そうした社会経済的文脈内での個々の国家の機能−それが様々な支配集団を代表することであれ、独自の自律的な国家的利益を代表することであれ、あるいは国際的階層制システムを調節し維持することであれ−である。一九四五ー一九八九年間の世界のように、二つの社会経済システム、大まかに言えば、一つは資本主義システム、もう一つは中央計画システムから構成されている世界の意味合いに関しては、それ以上の問題がある。このような競争的且つ対照的な社会システム間の敵対関係を管理、運営、制御する上での国家の機能、特に軍事面の機能については、第八章で更に論じる予定である。国際関係を扱う著作家の中で、網羅的な比較データに基づいて、対外政策立案数と社会経済システムの間の相関関係は殆どあるいは全くない、と述べてきた者は多い。冒涜の危険を冒して言えば、一九四五年以後の歴史の研究者は、こうした結論を問題にすることを許されよう。
  国際関係論にとって、このような国家についての別の概念構成がもつ意味は、結果が出るまでに時を要するだろうし、またその意味を理解するためには、これまで殆ど認識されてこなかった他の社会科学、社会学、及びもっと社会学の洗礼を受けた歴史学諸部門での動向を大いに知ることが必要であろう。そのような事態の進行は、勿論、諸々の不安や失望を伴うだろう。けだし、国家がもはやこれまでのように総体を代表するものとしては受け取られず、また「国民国家」、「主権」、「国益」がもはや安定した標識とはならないような世界は、地図に表すことが一層困難になるだろうからである。他方、国際関係論の少なからぬ領域、特に対外政策分析と国際政治経済論では、既にこうした方向に沿って重要な研究が行われてきている。何らかの概念的アプローチの実効性と適応性は、結局のところ、その結論の適合性とそれが提示する説得力の程度にある以上、国際関係論に繰り返し現れる国家についての硬直した見方を克服する一つの方法は、国家そのものを定義し直すことだと言えるかもしれない。

(1)  多様なパラダイムの主張は、Paul Feyerabend, Against Method (London: Verso, 1975) で精力的に行われている。いかなるパラダイムでも「通用する」とするフェイヤーアーベントのアナーキスト的理論は尤もとは言えないが、しかし彼が、パラダイム競争の利点を論証し、学問的発展と諸パラダイムの受容に繋がる多くの「非学問的」要因について説明しているのは、説得力がある。
(2)  これについての一つの注目すべき議論は、Stanley Hoffmann, ‘An American social science: International relations’, Daedalus, vol. 106, no. 3, October 1977 である。ホフマンは、特定の北米正統派学説が国際関係論を支配してきたやり方を批判している他の研究者たちの傾向、即ち、「アメリカ的」アプローチのそれとして、ナショナルなものに関連させて問題にする傾向を避けている。国際関係論の正統派学説の主唱者たちと彼らに対するナショナリスティックな批判者たちの双方が曖昧にしているのは、合衆国の文献内には極めて大きな多様性がみられること、また合衆国正統派が抱えている真の問題はこのような多様性の否定にある、ということである。
(3)  同一の基準で計れないことについて、以下を参照。T. S. Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions (Chicago: University of Chicago, 1970), pp. 148ff.
(4)  Ralph Miliband, The State in Capitalist Society (London: Weidenfeld & Nicolson, 1969) は、この問題の古典的分析である。その後の論争の概観について、以下を参照。Bob Jessup, The Capitalist State (Oxford: Martin Robertson, 1982).
(5)  Peter Evans, Dietrich Rueschemeyer and Theda Skocpol (eds), Bringing the State Back In (Cambridge: Cambridge University Press, 1985).  その他の著作では以下を参照。John Hall and John Ikenberry, The State (Milton Keynes: Open University Press, 1989); John Hall, Powers and Liberties (Harmondsworth: Penguin, 1986); John Hall (ed.), State in History (Oxford: Basil Blackwell, 1986) and his entry ‘State’ in Joel Krieger (ed.), The Oxford Companion to Politics of the World (Oxford: Oxford University Press, 1993); Michael Banks and Martin Shaw (eds), State and Society in International Relations (London: Harvester/Wheatsheaf, 1991); Anthony Giddens, The Nation State and Violence (Cambridge: Cambridge University Press, 1985).  ギデンズの著作の一七ページでは、国家の二つの意味を区別しているが、しかし、これが主要な問題を提起するものとは見ていない。ギデンズの研究が国際関係にとってもっている幾つかの意味をめぐる最近の論議は、Linklater, Beyond Realism and Marxism, passim に見られる。
(6)  Yale Ferguson and Richard Mansbach, The Elusive Quest: Theory and International Politics (Columbia, SC: University of South Carolina Press, 1988) ch. 5: ‘The state as an obstacle to international theory’; Ferguson and Mansbach, The State, Conceptual Chaos, and the Future of International Relations Theory (London: lynne Reiner, 1989); Ferguson and Mansbach, ‘Between celebration and despair: Constructive suggestions for future international theory’, International Studies Quarterly, vol. 35, no. 4, December 1991.  「建設的示唆」は、行き当たり張ったりの指令リスト同然の一般的理念−歴史的意識を持て、等の−であることが分かる。
(7)  Hedley Bull, The Anarchical Society (London: Macmillan, 1977), p. 8; Kenneth Waltz, Man, The State and War (New York: Columbia University Press, 1954), pp. 172-8.
(8)  F. S. Northedge, The International Political System (London: Faber & Faber, 1976), p. 15.  このような古典的立場の比較的最近の叙述は Alan James, Sovereign Statehood (London: Allen & Unwin, 1986) に見られる。ジェイムズは、国家の概念を簡単に、「領土、国民、政府」から成るものとして示している(一三頁)。
(9)  これは、コーネリア・ナヴァリが、The Condition of States (Milton Keynes: Open University Press, 1991) への序論(一一ー一五頁)で述べている主張である。国家の様々な意味についての彼女の認識は、彼女以外の執筆者たちの章では反復されていない。
(10)  Theda Skocpol, State and Social Revolutions (Cambridge: Cambridge University Press, 1979), p. 29.
(11)  Louis Althusser, ‘Ideology and ideological state apparatuses’ in Lenin and Philosophy (London: New Left, 1971).
(12)  Fred Block, ‘Beyond relative autonomy: State managers as historical subjects’, Socialist Register, 1980.
(13)  Robert Brenner, ‘The”Autonomy of the State’, Issac Deutscher Memorial Lecture, London School of Economics, 21 November 1986.
(14)  「国際社会」のいかなる概念も、国内社会の概念を前提としている。これについて第五章参照。
(15)  Paul Cammack, ‘Bringing the State Back In?’, British Journal of Political Science, vol. 19, April 1989.
(16)  対外政策分析の長期にわたる意味合いは、国家についての支配的な総体論概念に挑戦するといったことである。しかし、関係文献の多くは行動主義の枠内にあり、国家についての社会学的著述を無視し、目的そのものとして政策決定のフェティシズムによって縛られるようになってきた。
(17)  Charles Tilly, ‘War making and state making as organised crime’ in Evans et al. (eds), Bringing the State Back In, and Charles Tilly (ed.), The Formation of National State in Europe (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1975).  近代国家形成における暴力の役割を見事に解明したものとして、以下を参照。J. B. Barrington Moore, The Social Origins of Dictatorship and Democracy (London: Allen Lane, 1966).
(18)  Goran Therborn, What Does the Ruling Class do When it Rules? (London: New left, 1978) は、国家機構の作用に対する対外的要因の関係について啓発的な概念を提供している。
(19)  Felix Gilbert (ed.), The Historical Essays of Otto Hintze (New York: Oxford University Press, 1975) の第四ー八章は、近代ヨーロッパ史における個々の国家形成と国家間国際競争との関係について、詳細な歴史的分析を提供している。国家の経済政策に及ぼす国際政治的要因のインパクトに関する啓発的研究として、以下を参照。Gautam Sen, The Military Origins of Industrialisation and International Trade Rivalry (London: Frances Pinter, 1984).  Karl Polanyi, The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time (Boston: Beacon Press, 1957) は、同様の脈絡で一九ー二〇世紀史について概観している。
(20)  Michael Mann, The Sources of Social power, vol. 1 (Cambridge: Cambridge University Press, 1976); ‘The autonomous power of the state: Its origins, mechanisms and results’ in John Hall (ed.), States in History (Oxford: Blackwell, 1986); Mann, States, War and Capitalism (Oxford: Basil Blackwell, 1988), especially Chapter 1.
(21)  Skocpol, States and Social Revolutions, ch. 1.
(22)  覇権的階級と被支配階級の相関的な国際的接触の先駆的概観は、Carolyn Vogler, The Nation State (Aldershot: Gower, 1985) のそれである。
(23)  Goran Therborn, ‘The rule of capital and the rise of democracy’, New Left Review, no. 103, May-June 1977.  サーボーンが指摘しているように、「一人=一票」原則は、米国でも英国でも一九六〇年代まで実施されていなかった。
(24)  国際関係論の標準的なテキストブックをほんの少し眺めてみただけで、革命の有する理論的及び経験主義的意味合いについて、いかに少ししか考慮されていないか−干渉と「転覆」についての議論という部分的例外はあるにせよ−が分かる。革命に関する最も一般的な社会学文献の中で、これに匹敵するほど国際的局面が軽視されている点について、以下を参照。Stan Taylor, Social Science and Revolutions (London: Macmillan, 1984).
(25)  Raymond Aron, Peace and War (London: Weidenfeld & Nicolson, 1966), pp. 373-81.
(26)  Martin Wight, Power Politics (Harmondswotrh: Pelican, 1979), p. 92. を参照。ワイトはある脚注で、一九四二ー一九六〇年間の大部分は、国際関係は「正常」というよりはむしろ「革命的」であったことを示唆している。しかしながら、そのことの意味合いは従来認識されてこなかった。
(27)  Immanuel Wallerstein, The Modern World System (London: Academic, 1974) and Eric Wolf, Europe and the People Without History (Berkeley, CA: University of California Press, 1982).