立命館法学  一九九六年二号(二四六号)




フランスにおける「法治国家」論と憲法院
−ルイ・ファヴォルーとドミニク・ルソーの所論をめぐって−


フランス読書会  
中村義孝(編)







目    次




は じ め に
  フランスでは、「立法中心主義」ないし「法律中心主義」(le´gicentrisme)の伝統のもとで、主権者の一般意思を表明するとされた法律を審査する権限を司法が有することは、これまで否定されてきた。第三共和制期には、アデマール・エスマン(Adhemar Esmein)やレイモン・カレ・ド・マルベール(Raymond Carre´ de Malberg)のように違憲審査制を否定する見解(1)が通説的であった。また、第四共和制のもとで設けられた憲法委員会(Comite´ constitutionnel)も、議会制定立法の合憲性を審査する機関というより、本質的には憲法改正手続において機能する機関にすぎなかった。これにたいして、一九五八年の第五共和制憲法に定められた憲法院(Conseil constitutionnel)は、他の国家機関の行為の合憲性を審査する独自の機関として設置された(2)。しかし、憲法院は、そもそも、「合理化された議院制」(Parlementalisme rationalise´)を担保する政治的機関として着想され、議会の法律事項と政府の命令事項の権限配分をおこなうことが当初の主たる目的であり、最初から人権保障機関として活動をおこなっていたわけではない。
  憲法院は、共和国大統領、国民議会議長、元老院議長がそれぞれ三名ずつ任命する九名の憲法院判事と大統領経験者から構成され、憲法院長は、大統領が任命する。憲法院判事の任期は九年の一期限りであり、三年ごとに三分の一が交替するが、大統領経験者は終身任期である。そして、憲法院には次のような権限が付与されている(3)。((1))組織法、議院規則の義務的な合憲性審査(憲法六一条一項)。((2))提訴にもとづく通常法の任意的な合憲性審査(六一条二項)。((3))提訴にもとづく国際取極の任意的な合憲性審査(五四条)。((4))法律事項と命令事項の画定(三七条二項、四一条二項)。((5))大統領選挙、国民議会議員選挙、レファレンダムに関する争訟の裁決(五八条、五九条、六〇条)。((6))非常事態権限の行使に関する諮問(一六条)。((7))共和国大統領の職務障害事由の認定(七条四項)。((8))国会議員の私的職務との兼職禁止に関する裁決。
  ところで、一九七一年七月一六日の有名な「結社の自由」判決、さらに、提訴権者の拡大を内容とする一九七四年の憲法改正を契機として、憲法院は、人権保障機関として積極的な活動をはじめる(4)。そして、その諸判決において、一七八九年宣言、共和国の諸法律により承認された基本的諸原理、一九四六年憲法前文に列挙されたわれわれの時代にとくに必要な諸原理、および憲法的価値を有する諸原理などの「憲法ブロック」(bloc de constitutionnalite´)が合憲性審査の準拠法文として承認されてきた(5)。憲法院による法律の合憲性審査は、第三共和制において確立した「立法中心主義」として特徴づけられるルソー的な憲法伝統と大いに緊張をはらんでおり(6)、これまでフランスにおいて支配的であった「議会における法律による人権保障」に対置される「裁判における法律にたいする人権保障」という定式を制度化させるものである(7)。わが国やアメリカ、ドイツなどにおいて、違憲審査機関による人権の裁判的保障への期待は顕著であるが、これまで長い間「立法中心主義」の伝統にあって、違憲審査制を拒否してきたフランスにおいても、わが国やアメリカなどと同様な傾向がみられるようになったことは、きわめて興味深い現象である。
  このような憲法院の活性化をめぐって、積極的に評価する立場とそうではない立場とで、以前からフランスにおいて活発な議論がなされてきた。従来の「立法中心主義」の伝統を重んじる人びとは、「憲法ブロック」における準拠規範の曖昧さや「裁判官統治」の危険を繰り返し指摘し、政治の復権を主張する。これにたいして、本稿に紹介する「法治国家」(E´tat de droit)論は、「政治」にたいする「法」の優位を強調することによって、憲法院の活動を擁護しようという議論である。
  憲法院の活性化を背景に展開されてきた「法治国家」論については、すでにわが国でもいくつかの研究がある。たとえば、今関源成助教授は、憲法院にたいする提訴権を市民にも付与することを目的とした憲法改正が挫折したことに関連して、「法治国家」論を批判的に検討している。ここで、今関助教授は、「法治国家」論を「憲法院の活動の活性化、憲法規範の裁判規範化、人権保障の進展、法秩序の変化、政治過程の変容、憲法概念の変化、憲法学の変容、民主主義観の変化等々を含むフランスの政治システムの変化を包括的に表すイデオロギーである」としている(8)。そして、今関助教授は、「準拠規範の曖昧さに由来する批判」や「憲法院支配(裁判官支配)」などの批判にたいして「法治国家」論は理論的な解答をおこなっておらず、「憲法院が判決において示した政治的な平衡感覚がこうした批判の現実性を奪い、法治国家論の持つ曖昧さを覆い隠してきたように思われる」と論じている(9)
  他方で、樋口陽一教授は、現在フランスで問題になっている「法治国家」は、「一七八九年宣言が含意し、一七九三年段階の革命を経過することによって定礎されたひとつの国家像−集権的国家と諸個人の二極構造を前提として成立する国家像−に対抗する文脈で、想定されている」という(10)。そして、E´tat de droit においては、「〈loi〉のほかに〈droit〉が存在することが承認される。〈droit〉としてさしあたって問題となるのは〈loi〉より上位の憲法であり、裁判的方法による違憲審査が肯定されるが、その際、規範の形式的効力の優劣という側面よりも、〈loi〉を規律する上位の価値が人権であるという実質的な意義の側面が強調される。さらにまた、〈loi〉のいわば外側に、多かれ少なかれ、社会の多元的な〈droit〉形成能力のあることが、みとめられる傾向にある」と述べている(11)
  また、山元一助教授も、第三共和制期のレオン・デュギ(Le´on Duguit)の「法治国家」論とともに、「ジャコバン型国家」への批判という文脈で現れた現在の「法治国家」論を考察し、これを、「ネオ・ドロワ型」と「ネオ・ゴーシュ型」という二つの方向性に類型化している(12)。山元助教授によれば、前者は、アメリカ社会にたいする好意的な評価にもとづき、「行政権・立法権=国家的権力」と「司法権=市民的権力」とを対置させ、憲法院の活性化現象を「立憲主義の再生」として評価するものである。これにたいして、後者は、アメリカの民主主義を好意的に評価せず、行政権だけでなく司法権にたいしても懐疑的であり、むしろ立法権の強化を求める。さらに、それは、違憲立法審査権の興隆については「民主主義の病理の兆候」と評価し、「憲法ブロック」の観念を「法治国家」論における「致命的論理」としている(13)。この場合、憲法院の活動を正当化する論理としての「法治国家」論は、前者に限定されなければならないであろう。
  さらにまた、辻村みよ子教授は、一九八〇年代以降のフランスにおいて活性化した「法治国家」論は、ドイツの法治国家論とは異なるとし、大革命期や第三共和制期の E´tat le´gal(法律国家)に対置される、という(14)。そして、「現代の E´tat de droit では、法による国家権力の制限が、肥大化する行政権力に対する裁判的コントロールや裁判官の独立の強化、違憲審査制による憲法的統制等によってもたらされ、個人の基本的自由の保障を目的とする点で特徴づけられる」と主張する(15)。しかし、辻村教授は、「憲法学の法律学化」に依拠して展開されてきた「法治国家」論は、「国家と法・社会のあり方に関する広範な射程をもっており、それだけに概念の曖昧さや議論の限界も否定しえない」と述べ、「法治国家」論の前提としての憲法院の活動の問題点を指摘している(16)
  さて、「法治国家」論の是非をめぐり、雑誌『ル・デバ』(Le De´bat)六四号(一九九一年)において「政治に対抗する法?」(Le droit contre la politique?)というテーマで興味深い議論が展開された。ここでは、「憲法、あるいは政治の終焉」(Constitution ou la fin de la politique)と題するミシェル・ゲネール(Michel Gue´naire)の「法治国家」論批判(17)にたいして、ルイ・ファヴォルー(Louis Favoreu)、ステファヌ・リアルス(Ste´phane Rials)、ドミニク・ルソー(Dominique Rousseau)、ミシェル・トロペール(Michel Troper)がそれぞれ反論をこころみている。ゲネールの主張によれば、憲法の観念によって政治が危機に陥っているのであり、とりわけ、憲法院による法律の合憲性審査は、政治の危機を象徴する。つまり、憲法院の活動は、社会において表明される生き生きとした利益にもとづく、現在のアクターの対話を破壊し、政治家の自由や斬新な思考を奪うとともに、古い時代の憲法的法文にもとづく、憲法裁判官の「エリート主義」や「九賢人の貴族政治」をもたらすものである。したがって、「政治の新しい出発」が考えられなければならない。すなわち、憲法にたいして政治の本来の位置を回復させ、そのなかでアクターの新しいはたらきを認めるような「政治の新しい技術」を考え出すことが必要だ、ということである。
  ここにあげられた諸論文のうち、本稿では、代表的な「法治国家」論者である、エクス・マルセイユ第三大学教授ルイ・ファヴォルー(18)の「民主主義から法治国家へ」(De la de´mocratie a` l’E´tat de droit)、ならびに、憲法院の活動に好意的な、モンペリエ第一大学教授ドミニク・ルソー(19)の「憲法、あるいはもうひとつの政治」(La Constitution ou la politique autrement)と題する二つの論文を中心に、フランスにおける「法治国家」をめぐる最近の議論を紹介することにしたい(なお、本稿でこれらの論文を引用・参照する場合、ページ数のみ記載する)。


2  ルイ・ファヴォルーの主張
  ルイ・ファヴォルーは、まず、ミシェル・ゲネールの議論を批判し、また、「政治は法によって弱められる」という定式の誤りを指摘するとともに、むしろ「政治は法によって安定させられる」という定式をみちびこうとする。
  ゲネールは次のように述べていた。「『二世紀前あるいはもっと前から』政治的創意は理性と法によって麻痺させられていたのである。そして、フランスにおいて『政治的創意』はアンシャン・レジームのもとでのみ存在し、憲法はフランス革命以来権力を抑える法の規定であり、約二〇年来憲法はそれでしかないことを各人は知っている」(p. 158)。かれは、さらに、「法律の合憲性審査は『政治的創意』の抑圧装置である」と主張している(p. 158)。これにたいして、ファヴォルーは、直接的に非難されるべき「裁判官統治」という「神話」は、古典的なフランス立憲主義の「メインディッシュ」あるいは「クリーム・タルト」、つまり空疎な常套句である、とする。というのも、「憲法の優位はフランスでは見せかけにすぎないので」、「二百年前から、憲法は、合理的規定を課すことによって、政治的活動を弱めてきた、と主張することは、いかなる意味ももたない」と述べている(p. 158)。
(1)  「政治は法によって弱められる」という定式の誤り
  まず、ファヴォルーは、誤った論議として、「政治は法によって弱められる」という定式を問題にしている。これは、たとえば、ルネ・ド・ラシャリエール(Rene´ de Lacharrie`re)の論文(Opinion dissidente)が展開する議論であり(20)、また、与党議員アンドレ・レニェル(Andre´ Laignel)が、一九八一年一一月に、国有化法の審議の際に、野党議員ジャン・フォワイエ(Jean Foyer)にたいして「あなたがたは、政治的に少数派であるから、法的には間違っている」と述べたことにその本質的な問題点が示されている。ファヴォルーは、かれらの議論が誤りである理由として次の二点をあげている。
  第一に、第五共和制における「議会および政党システムは、もはや第三・第四共和制のものと同じではない」(p. 159)。一九五八年以前には、強力で持続的な多数派は形成されず、法律は政治の結果または実行というよりも妥協の産物であった。そこでは、法律の合憲性を審査する必要はなかったのであり、法律が一般意思の表明であることを容易にみることができた(21)。要するに、第三・第四共和制期には、多数派や連立政権がたやすく形成され、たやすく解体されていたために、ある法律を可決するときには、少数派の意思であったとしても、その意思は、他の法律を可決するために、多数派となる可能性が十分あった、とファヴォルーは述べている(p. 159)。
  ファヴォルーによれば、第五共和制においては、もはやこのようなことはないとされ、かれは次のような変化を指摘している。まず、選挙に際して形成される多数派は、強力で持続的であり、他のヨーロッパ諸国のように、議会内多数派は政府と一致団結していることである。したがって「法律は多数派意思の表明であって、一般意思の表明ではない」(p. 160 強調ファヴォルー)といわなければならない。そして、次に、共和国大統領が議会内多数派と同じ政治的党派に属することによって、政府と議会内多数派との団結は、たいていの場合強化されることである。ファヴォルーは、「実際には、第五共和制の制度的・政治的背景において、法律の合憲性審査は、議会にたいするコントロールであるよりも政府にたいするコントロールである」という(p. 160)。
  このように、憲法裁判が議会の自律性を低下させるとする諸批判は、もはや存在しない制度的・政治的状況に依拠しているので、時代錯誤である、とファヴォルーは主張するのである。
  第二の理由は、「憲法裁判は、もはや第三・第四共和制の頃に考えられていたものと同じではない」(p. 160)ということである。そもそも裁判における法律の合憲性審査への不信は、アメリカの裁判官が大統領や議会にたいして反社会的な態度をとったことにもとづいている。このため、ニュー・ディールにおけるルーズベルトと最高裁判所との対立以来、アメリカのような裁判における法律の合憲性審査は保守主義をもたらし、左翼政党にとっての社会的後退をもたらすものである、とフランス人や多くのヨーロッパ人は考えていた。しかし、ファヴォルーは、戦後のヨーロッパでおこなわれているような法律の合憲性審査は、まったく別な意味をもつものである、という(p. 160)。なぜなら、ヨーロッパにおける憲法裁判は、「アメリカ型の憲法裁判所」とは異なって、憲法訴訟のために特別に設けられた唯一の裁判所(憲法裁判所)に立脚しており、ヨーロッパの憲法裁判所は、職業司法官によって構成されるのではなく、「さまざまな政治的感覚のなかで尊重されるべきある程度の平衡を考慮して政治機関が指名する憲法裁判官」(p. 160)によって構成されているからである(22)
  このようにして、ファヴォルーは、「ヨーロッパ型の憲法裁判所」においては、「アメリカ型」の欠陥、すなわち裁判官統治は起こりえない、とする。そして、ヨーロッパの憲法裁判所には、自由と基本的諸権利の保護に関して、きわめて進歩主義的な動きがみられるのである、と主張している(p. 161)。
  ファヴォルーによれば、憲法を適用する裁判的コントロールは、政治生活を不変の法的枠組みのなかに閉じこめ、固定することにはならず、むしろ、憲法の条文を時代の現実や習俗に適応させるものである。ファヴォルーは、アメリカの裁判官が、社会の変化に適応させるために憲法を発展させなかったのであれば、アメリカ憲法は、おそらくこのような長命を得られなかったであろうし、またフランスにおいて、紛争を裁定し憲法の条文に建設的な解釈を与える憲法裁判が存在したのであれば、おそらく、クーデタや憲法の激変は、より少なかったであろう、と述べている(p. 161)。
(2)  「政治は法によって安定させられる」 という定式の正しさ
  以上のように、ファヴォルーは、「政治は法によって弱められる」という論議を誤りとして排した後、「政治は法によって安定させられる」という定式の正しさを論証しようとする。
  ファヴォルーは、現代憲法学が、民主主義よりも「法治国家」を強調することを指摘している。かつては、法律を制定する完全な自由が、総選挙の勝者に与えられることが求められ、次の選挙までの間、選挙の勝者にたいする制度的コントロールは、反民主主義的であるように思われていた。しかし、現在では、被治者は、もっとも民主的な手続にしたがって統治者を選出することを求めるだけでなく、いったん統治者が選出されるとかれらをコントロールすることも求め、次の選挙まで統治者に白紙委任を与えることをもはや望んでいない。ファヴォルーによれば、次の選挙までの統治者のコントロールは、明らかな市民の熱望であり、具体的には人民発案によるレファレンダムと法律の合憲性審査という手続によってその熱望が実現されることになる。このうち人民発案によるレファレンダムという手続を機能させることは、さまざまな理由により困難であるが、法律の合憲性審査という手続は、より容易に使うことができる。それゆえ、現在では、憲法裁判と法律の合憲性審査制度が一般化している、とファヴォルーは主張する(p. 162)。
  「法治国家」の論理は、すべての規範定立機関(autorite´s normatives)と法を創造するためのすべての方法が、コントロールを受けることを強いるものであり、憲法の要請にしたがって改革や措置が採択されているかを確かめるためのものである、とファヴォルーはいう。すなわち、法律の合憲性審査は、政治を妨げるのではなく、法を創造するさまざまな規範定立の流れ(flux normatif)の「転轍機」(re´partiteur)である。ところで、フランスでは、「政府による規範定立方法」、および「立法による規範定立方法」(voies gouvernementales et le´gislatives)は、多数派だけに開かれているのであり、他方で、「憲法による規範定立方法」(voie constitutionnelle)、つまり、憲法改正のための憲法的法律の可決は、多数派と反対派の意見が一致するときだけ可能である、とファヴォルーは述べている(p. 162)。
  以上のように法律の合憲性審査の意味を論じたうえで、ファヴォルーは、規範定立にあたって、政府と立法府との平衡よりも、多数派と反対派の平衡を保障することが今日では重要であるという(p. 162)。この平衡は、反対派があまりに強い多数派によって圧倒されないように、また、反対派の政権復帰の機会があるようにするためのものである。そして、判定者が、基本的権利が多数派によって遵守されなければならないことを主張する見解を尊重し、ゲームのルールを尊重するよう監視することによって、その平衡が確保されるのである。
  ファヴォルーは、以上のように「政治は法によって安定させられる」という定式を論証し、結論として、「政治的決定の正当性は、その決定が民主的に選ばれた多数派によってなされたことに由来するだけではなく、その決定が憲法によって定められた限界を尊重したことにも由来する」ので、「政治的決定が、憲法の尊重においてなされたことを証明する番人や調整者の存在のみによって、その決定は安定させられる」としている(p. 162)。


3  ドミニク・ルソーの主張
  ミシェル・ゲネールは、憲法が政治の創意を破壊し、統治者の斬新な思考を奪い、政治家の才能を抑えている、という仮説を提示していた。これにたいして、ドミニク・ルソーは、以下の論点に考察を加え、憲法院の活動を擁護するのである。((1))「憲法は、現在のところ死せる過去の法文(acte)であるのか、それとも生き生きとした法文であるのか」、((2))「憲法は、代表する者の法文であるか、それとも市民の法文であるのか」、((3))「憲法は、政治に対抗するのか、それとも政治活動の現代的な形態であるのか」(p. 182)。
(1)  生き生きとした法文としての憲法
  ルソーによれば、憲法院による合憲性審査は、社会において表明される生き生きとした利益を軽視するような、古い時代のコントロールではない。むしろ、憲法院判例は、「時代精神」を受容するものであるとされる(p. 182)。ルソーは、妊娠中絶法判決(一九七五年一月一五日(23))、地方分権法判決(一九八二年二月二五日(24))、あるいは、国有化法判決(一九八二年一月一六日および二月一一日(25))にもそれがみられる、という。たとえば、地方分権法判決をみてみると、憲法院は、もはや「フランスにおけるジャコバン的伝統のかたくなな擁護者」(p. 183)ではなく、構造的変化、人民の熱望と現代国家の新たな要求に適合した地方民主主義を受け入れているのである。結局、市町村議会選挙の候補者リストにおいて、女性に二五%の割当を定める法律を違憲とした判決(一九八二年一一月一八日(26))のように、時代遅れの判例があるにしても、憲法院は、全体として、伝統的で歴史的に定められた解釈に固執することのないように、また、時流に反しないように気をつけている、とルソーは指摘している(p. 183)。
  憲法院は、大統領や政府に対抗することがない無力な議会に代わって、政府の立法意思が効果的に審議されうる唯一の場所として現れたのであり、性格の異なる他の諸機関との対話のなかに入っていく、とルソーは主張する(p. 183)。そして、そのような機関が全体として「諸規範の競合的表明体制」(un re´gime d’e´nonciation concurrentielle des normes)を形成するのである。ルソーは、「ほとんどすべての法律文書の源泉であって、議会の議事日程を支配する政府」「法律を審議し、修正し、可決する議会」「法律を補完することができ、法律の適用方式を明確にすることができ、それらの条項のいくつかを削除することができ、その他の条項は法的効果を有しないと宣告することができる憲法院」という競合する三つの機関のはたらきによって法律が形成される、という(pp. 183-184)。
(2)  被治者の法文としての憲法
  かつては、ベルナール・ラクロワ(Bernard Lacroix)が述べるように、憲法が市民を存在させるまさにそのときに、憲法は、委任や代表というメカニズムによって市民の自由を剥奪するのであって、それは統治者のための規定とみなされていた(27)。そして、憲法は、政治的平等という形式的外観をとって、代表する者と代表される者との社会的分化を再生産し、代表する者の「存在」(existence)と「発言」(parole)、代表される者の「不在」(absence)と「沈黙」(silence)を正当化するものであった。政治家は、このような法的性格の付与を認める法文にしたがって行為することを確認して、自分の利益にかなった方法で憲法の規定を用いることができたのである。たとえば、ド・ゴールは、憲法によって自分の行動の自由を妨げられたわけではなく、また、フランソワ・ミッテランも、いわゆるコアビタシオン(保革共存)のときに、憲法第五条を自分のために利用したのである(28)
  しかしながら、ルソーは、そもそも、政治家によって、そして政治家のためにつくられた憲法が、実際には、憲法院の活動を通じて、政治家の自由を抑制し、現在では被治者のための法文になっていることを評価する。すなわち、ルソーによれば、一九七〇年代以来、憲法院は、「思いもしない憲法の利用」(usage inattendu de la Constitution)によって、代表する者の立法政策を統制し、政治家の自由を抑制している、とされる。ルソーは、このような憲法の利用によって、憲法が代表される者の法文になろうとしていることを指摘するのである(p. 184)。
  ルソーによれば、合憲性審査の論理は、代表する者が市民に服従することを意味するものである。これまで、政治的機能は、統治者と被治者の同一視に立脚していたが、ルソーは、憲法院によって、統治者と被治者の同一性という意味での「調和」が破壊され、被治者全員の権利が統治者の権利から分けられる、という(p. 184)。すなわち、憲法院は、いつも市民の憲法の名において、統治者の意思を判断し、サンクションするのである。したがって、ルソーによれば、自由および権利の「判例憲章」(charte jurisprudentielle)を前進的に構築することによって、被治者にその自律性を保障する真正な空間(ve´ritable espace)が規定される。そして、このような空間によって、外在的な位置にある被治者が統治者を統制し、憲法が効果的に諸権力の制限装置になるのである。政治家にたいする市民の権利の尊重は、このような憲法院の活動によって実現されるのである(p. 185)。
  また、ルソーは、ゲネールがいうところの憲法裁判官の「エリート主義」あるいは「選挙による正当性を付与されない九賢人の貴族政治」が民主主義の原理を悪化させるというテーゼに反論する。かつて『社会契約論』(J. J. Rousseau, Du Contrat social)においても、統治者は、人民の共通自我に対抗する「特殊自我」をもつ中間団体を形成するのであって、これを統制する制度が必要とされた。『社会契約論』が指摘する、命令的委任、人民による承認などの統制制度に加えて、ルソーは、合憲性審査もこのような統制制度に論理的に含まれると述べており、憲法院は、違憲性の抗弁、さらに、直接提訴によって、市民が統治者の行為をほとんど永久的に統制するような機関になるであろう、という(p. 185)。
  ゲネールは、憲法的サンクションの脅威が、政治家の斬新な思考を奪うものであるとしているが、これにたいして、ルソーは、代表する者の想像力と創意は憲法院によっても制限されない、と主張する。つまり、国有化(一九八二年)や地方分権(一九八二年)、さらにはTF1(フランス国営テレビ放送のひとつ)の民営化(一九八六年)、社会保障拠出金(一九九一年)、コルシカ人民の承認(一九九一年)などの問題をみてみると、憲法院は、政治家の自由や斬新な思考を奪っているのではなく、政治家の恣意を効果的に制限するのであり、政治家にたいして市民の自由の尊重を押しつけている、とルソーはいう(p. 185)。
(3)  政治活動の現代的な形態としての憲法
  最後にルソーは、憲法院が促した政治の法化(juridicisation)について触れている。政治の法化という傾向は、第五共和制における憲法裁判領域の創設と発展の論理的帰結であった。ルソーは、憲法院の創設によって、新しい空間が出現したが、この空間のなかで、また、この空間によって、政治紛争は法的紛争に変化する、という(p. 185)。すなわち、ルソーによれば、このような変化の基本的性格は、政治問題がもはや政治家によって直接処理されるのではなく、「第三調停者」つまり憲法院に持ち込まれるということにある。そこで、ルソーは、法的論争に固有な諸規定、諸原理、諸技術にしたがって処理可能な法的問題として政治問題が示されるために、問題のあらゆる側面を法的表現に「翻訳」することが憲法院に求められている、という(p. 185)。
  ルソーは、国有化に関する紛争が憲法院に持ち込まれたとき、このような翻訳がなされた、という。つまり、国有化という政治問題が、憲法院に提訴されることによって、準拠する憲法条文(一七八九年宣言および一九四六年憲法前文)の解釈、矛盾する諸原理の両立といった、法的問題として解決されたのである(p. 186)。
  それでもやはり、このような政治活動の法化は、政治家自身によって促されている、とルソーは語る。政治家は、一九七四年の提訴権拡大以来、憲法院への提訴を繰り返し、したがって、政治紛争から法的紛争への変化に寄与しているのである。というのも、提訴は、政治家による政府の立法政策への異議申立を合法化する要素だからである(p. 186)。

  結論として、ルソーは以下のようにまとめている(p. 186)。
  政治は、憲法によって滅びるのではなく、むしろ生き生きしている。なぜならば、まず、憲法は、たんなる法の諸規定の集合にとどまらず、社会構造の力学、地域的、宗教的対立、諸政党の数と諸戦略といったさまざまな要因の産物だからである。次に、憲法は、制憲者が予定しなかった機能をもたらすのであり、そのもっともよい例が法律の合憲性審査である。つまり、憲法院は、議会にたいする政府の保護装置として着想されていたが、やがて法律事項を拡大する機関、権利および自由を擁護する機関になり、いまや政府の立法政策を統制する機関になっている。最後に、政治問題が憲法院に委ねられるようになったのは、憲法の規定の有効性の結果ではなく、ウェーバーがいうところの社会的代理人が自分の利益のために憲法の規定を利用したからである。したがって、ルソーによれば、憲法の「成功」(succe`s)、いいかえれば、憲法院の重要性の増大は、つねに「妥協」(transaction)の結果であり、政治問題が法的に解決されることと、政治家が自分の目的達成のために提訴をおこなうことの「関係」(relation)の結果である。そして、ルソーは次のようなことばでこの論文を締めくくっている。「『害悪は、市民の自由の剥奪よりも、政治家の自由がないことである』とするミシェル・ゲネールとは反対に、本稿の筆者が、第一の害悪は市民の自由の剥奪であると考えることを述べれば十分であろう」(p. 186)。


4  検      討
  これまで、憲法院による法律の合憲性審査を積極的に評価する「法治国家」論の一断面を紹介してたきた。すでに述べたように、憲法院の活動をめぐって、積極的に評価する立場と、消極的に評価する立場が存在するが、「法治国家」性の貫徹を主張する前者の立場のなかでも、正当化の論拠には違いがみられるようである。この点について最後に検討しておきたい。
  本稿に紹介した論文のなかで、ルイ・ファヴォルーは、第五共和制において多数派デモクラシーが確立したために、法律はもはや「多数派意思の表明」にすぎないことを指摘し、それゆえ、法律の合憲性審査が少数派の意思を保護するために不可欠である、という。また、「裁判官統治」の危険にたいしては、「アメリカ型の憲法裁判所」と「ヨーロッパ型の憲法裁判所」を区別し、後者を採用しているフランスでは「裁判官統治」は起こりえないとする。さらに、ファヴォルーは、民主主義と「法治国家」を区別し、前者を「もっとも民主的な手続にしたがって統治者を選出すること」とみなしており、市民が次の選挙まで統治者をコントロールする必要性にかんがみて、民主主義よりも「法治国家」を重視している。そして、憲法院をさまざまな規範定立方法の「転轍機」、あるいは、多数派と反対派のバランスウェートとして特徴づけ、「政治は法によって安定させられる」という結論をみちびくのである(29)
  他方で、ドミニク・ルソーは、憲法院の活動を前提とする新しい民主主義観を提示している。かれが『憲法訴訟法』(Droit du contentieux constitutionnel, 3e e´dition, Montchrestien, 1993)で述べている「立憲民主主義」(de´mocratie constitutionnelle)というのがこれであり、ここでは憲法院、あるいは、それを構成する憲法裁判官がその中心に位置づけられている。憲法院は、議会が主張してきた「法律は一般意思の表明である」という言説にしたがうのではなく、「法律は、憲法を尊重する限りにおいて、一般意思を表明する」という自らを正当化する新たな言説を創造し、「憲法による民主主義」を実現する、という(30)
  しかし、ルソーは、憲法院が議会に代わって排他的に一般意思を形成するわけではない、として次のように述べている(31)。たしかに、「憲法院判決は、いかなる不服申立にもなじまない。憲法院判決は、公権力およびすべての行政・司法機関を拘束する」ことを規定する憲法六二条二項によると、憲法院は、議会や政府にたいして自らの解釈を押しつける特権的な地位にあるようにみえる。しかし、実際には、「諸規範の競合的表明体制」のなかで、憲法院の解釈は、多様なアクターの競合作用の所産であり、また、一貫性および継続性の必要から、自らの判例によっても拘束されることになる。そして、憲法院の判例は、自らの正当性を確保するためにも、法的・政治的共同体によって認められなければならない。このような「権利の持続的創造」へと開かれた「諸規範の競合的表明体制」は、まさに民主主義の進展を示すものである。
  ところで、ここに触れたルソーの「立憲民主主義」論は、哲学者クロード・ルフォール(Claude Lefort)の民主主義論に依拠するものである。すなわち、ルフォールは、全体主義に対置される民主主義という定式にもとづいて、民主主義が「その形態からして不確定さを受け入れ保護する代表的な社会」であるとし、そこでは権力の場が「空虚で占拠不能」な場となることを述べている(32)。したがって、憲法院が、絶え間ない競合の調整機関として「権利の持続的創造へと開かれた空間」を創出し、「不確定」な民主主義の深化に寄与しているというルソーの見解は、ルフォールの思想的影響を受けているように思われる。ただし、山元一助教授によれば、ルフォールの民主主義論は、かならずしも憲法院による法律の合憲性審査を積極的に評価するものではないようである(33)
  このように、憲法院の活動を正当化する「法治国家」論にもいくつかのヴァリエーションが存在することが想定される。あえて類型化すれば、((1))憲法院は現代フランスの多数派デモクラシーの対抗力として不可欠であるという議論、((2))憲法院は市民性を確保し、統治者による被治者の権利の尊重を実現するという議論、((3))人権の裁判的保障の確立および「憲法ブロック」の拡大にたいする積極的評価にもとづく議論、((4))出された判決の実質的妥当性に依拠する議論に分類できるのではなかろうか。本稿で紹介したルイ・ファヴォルーの議論は((1))に、ドミニク・ルソーの議論は((2))に位置づけることができるであろう。さらに、ルソーの議論のなかに((3))・((4))の主張もみることができよう。
  また、このような「法治国家」論からは、憲法院の改革が求められることになる。ミッテラン大統領や憲法院長ロベール・バダンテール(Robert Badinter)のイニシアティヴのもと、一九九〇年に抗弁の方法によって市民に憲法院への提訴権を与える憲法改正案が提出されたが、元老院の反対により失敗している(34)。しかし、改革に向けての議論は依然として継続されているようである。たとえば、憲法院判事であるジャック・ロベール(Jacques Robert)は、憲法院のあり方について、次のように述べている。「憲法院の任務は、おそらく、市民が人権保障のメカニズムの中にはいることができたときに、はじめて全体として完全なものになるといえるでしょう。というのは、結局は、憲法院が存在しているのも、市民のためであり、また、われわれが皆、仕事をしてきましたのも、明らかに、ただただ市民の利益のためであったからなのです(35)」。
  これまで論じてきた、「裁判における法律にたいする人権保障」の定着を目的として憲法院による法律の合憲性審査を正当化する傾向は、現在のフランスにおいて主流をなしているように思われる。そして、その限りでは、わが国においても同様の傾向が指摘されるであろう。
  ところで、戦後日本の憲法学は、最高裁判所の判決をいわば dernier mot(最後の言葉)としてとらえ、「裁判における法律にたいする人権保障」に多大な期待を寄せてきた。そして、その取り組みが、「いかにして、どのような基準でコントロールするか」という憲法訴訟への関心の高まりをみちびいたことはいうまでもない。しかし、浦田一郎教授が指摘するように、「裁判における法律にたいする人権保障」は、完全に「議会における法律による人権保障」に取って代わることができるわけではない。すなわち、違憲審査制への期待が世界的傾向であるにしても、「議会制民主主義がうまくいかないところで、違憲審査制が機能するはずがない」のであり、「違憲審査制は議会制民主主義の補完物ではあっても、代替物にはならない(36)」ことにわれわれは留意しておく必要があろう。かくして、「議会における法律による人権保障」という側面から「民主政の過程」の欠陥を問題とする議論が展開されることになる(37)
  すでに述べたように、現代フランスの「法治国家」論は、「裁判における法律にたいする人権保障」をめざし、「政治」にたいする「法」(あるいは憲法院)の優位を強調するものであった。しかし、その論議の内容は、わが国のように「議会における法律による人権保障」という側面にとどまるのではなく、また、憲法院の判決を dernier mot とみなすのではなく、むしろ、憲法院の積極的な活動に促された「議会における法律による人権保障」の前進をも包含するものである。そして、実際に、憲法院の活動にたいする「政治」部門の積極的な対応にもとづき、「法律による人権保障」の「新たな展開」がみられるにいたったことが指摘されている(38)
  したがって、現代立憲主義は、「法」と「政治」のあるべき「相互作用」によってこそ合理的に機能するように思われる。すなわち、かつての消極国家とは異なり、現代国家においては、立法府などの「政治」部門の積極的行為によって人権保障が実現されることが少なくないのであって、違憲審査機関における憲法判断(法律にたいする人権保障)をうけて「政治」部門が能動的に立法を通じた憲法価値の実現をこころみる場合(法律による人権保障)が考えられよう。しかし、わが国では、このような意味での「相互作用」は、かならずしも十分に機能しているとはいえず、とりわけそのことは、フランスとの比較によって、より明らかになるように思われる(39)。フランスにおいては、憲法院の判決にたいして、「政治」部門がどのような対応をとっているか、また、違憲判決の脅威のもとで、「政治」部門が具体的にどのような方策によって「合理的立法」をこころみているかが問題になるが、このような「法」と「政治」の「相互作用」についての本格的な検討は、別稿に譲ることにしたい。


(1)  エスマンおよびカレ・ド・マルベールの憲法思想につき、深瀬忠一「A・エスマンの憲法学」北大法学論集一五巻二号、樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』勁草書房、一九七三年、同『現代民主主義の憲法思想』創文社、一九七七年、高橋和之『現代憲法理論の源流』有斐閣、一九八六年などを参照。
(2)  一九七一年判決以前の憲法院の機能および地位について、山下健次「フランス司法権についての一試論」立命館法学三二号などを参照。
(3)  憲法院の権限については、今関源成「第五共和制の基本的枠組み」奥島孝康・中村紘一編『フランスの政治』早稲田大学出版部、一九九三年などを参照。
(4)  憲法院の活性化についての研究はわが国でも豊富である。たとえば、中村睦男「フランス憲法院の憲法裁判機関への進展」北大法学論集二七巻三・四号。
(5)  憲法院判例おける「憲法ブロック」の拡大について、Dominique Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 3e e´dition, Montchrestien, 1993, pp. 93 et s. を参照。
(6)  たとえば、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』創文社、一九九二年を参照。
(7)  フランスにおける「議会における法律による人権保障」から「裁判における法律にたいする人権保障」への移行について、浦田一郎「政治による立憲主義」法律時報六八巻一号を参照。また、革命期における「法律による人権保障」と「法律にたいする人権保障」の議論を紹介するものとして、田村理「『フランス憲法史における人権保障』研究序説」一橋論叢一〇八巻一号。
(8)  今関源成「挫折した憲法院改革」『高柳古稀・現代憲法の諸相』専修大学出版局、一九九二年、三八八頁。
(9)  今関源成、前掲論文、三八八頁。
(10)  樋口陽一『近代国民国家の憲法構造』東京大学出版会、一九九四年、一四七・一四八頁。
(11)  樋口陽一、前掲書、一四八頁。
(12)  山元一「《法》《社会像》《民主主義》(一)」国家学会雑誌一〇六巻一・二号。山元助教授は、「ネオ・ドロワ型」を代表する論者としてコーン・タニュジ(Laurent Cohen-Tanugi)を、「ネオ・ゴーシュ型」を代表する論者としてクロード・ルフォール(Claude Lefort)およびポール・ティボー(Paul Thibaud)をあげている。
(13)  山元一「《法》《社会像》《民主主義》(二)」国家学会雑誌一〇六巻五・六号、七一頁。
(14)  辻村みよ子「憲法学の『法律学化』と憲法院の課題」ジュリスト一〇八九号、七〇頁。また、関連して、下山重幸「フランスにおける『法の支配』(一・二)」明治大学大学院紀要二七・二八集法学篇が、カレ・ド・マルベールの整理にもとづいて〈E´tat le´gal〉と〈E´tat de droit〉の差異を明らかにしている。
(15)  辻村みよ子、前掲論文、七〇頁。
(16)  辻村みよ子、前掲論文、七一頁。
(17)  ミシェル・ゲネールの見解につき、山元一「八〇年代コアビタシオン現象以降のフランス憲法論の一断面」『清水望古稀・憲法における欧米的視点の展開』成文堂、一九九五年、辻村みよ子、前掲論文などを参照。また、ゲネールにたいするルイ・ファヴォルーの反論につき、辻村みよ子、前掲論文、七一頁に簡潔な紹介がある。
(18)  ルイ・ファヴォルーの邦語文献として、参照、「憲法裁判」(植野妙実子訳)小島武司ほか編『フランスの裁判法制』中央大学出版部、一九九一年、「憲法訴訟における政策決定問題−フランス」(樋口陽一・山元一訳)日仏法学会編『日本とフランスの裁判観』有斐閣、一九九一年。
(19)  ドミニク・ルソーの見解につき、今関源成、前掲論文、清田雄治「フランス憲法院による『法律』の合憲性統制の『立法的性格』」法の科学二〇号、山元一、前掲論文などを参照。
(20)  Dans Pouvoirs, no 13, pp. 141 et s.
(21)  ファヴォルーは、ここでは、議会意思の全体を「一般意思」と解しているように思われる。なお、近年、「一般意思」の理解について、新たな議論が展開されている。すなわち、「一般意思」をアプリオリに存在するものと解する従来の見解にたいして、「一般意思」は、議会審議の後にはじめて形成されることが論じられる。たとえば、ギヨーム・バコ(Guillaume Bacot)のカレ・ド・マルベール研究、ステファヌ・リアルスの代表制論において、このような議論が展開されている。前者につき、光信一宏「フランスにおける最近の主権論」法律時報六〇巻九号、七〇頁、また後者につき、石埼学「現代代表民主制の生理『の』病理についての一考察(二)」立命館法学二四一号、一三八頁を参照。
(22)  ファヴォルーのいう「アメリカ型の憲法裁判所」および「ヨーロッパ型の憲法裁判所」につき、植野妙実子「憲法院と行政権」フランス行政法研究会編『現代行政の統制』成文堂、一九九〇年、二二二頁を参照。
(23)  C. C. 74-54 D. C. du 15 janvier 1975.
(24)  C. C. 82-137 D. C. du 25 fe´vrier 1982.
(25)  C. C. 82-132 D. C. du 16 janvier 1982 et 82-139 D. C. du 11 fe´vrier 1982.
(26)  C. C. 82-146 D. C. du 18 novembre 1982.
(27)  Bernard Lacroix, Les fonctions symboliques des constitutions, dans Le Constitutionnalisme aujourd’hui, Economica, 1984, p. 198.
(28)  憲法第五条は、次のように規定していた。
  「共和国大統領は、憲法の尊重を監視する。共和国大統領は、その仲裁によって、公権力の適正な運営と国家の継続性を確保する。
  共和国大統領は、国の独立、領土の一体性、条約および共同体の協定の尊重の保障者である。」
  なお、第二項の共同体に関する規定は、一九九五年八月四日の憲法的法律により削除された。
(29)  ファヴォルーは、La politique saisie par le droit, Economica, 1988. においても、同様の議論を展開している。
(30)  Dominique Rousseau, op. cit., p. 407.
(31)  ibid., p. 408.
(32)  クロード・ルフォール「民主主義という問題」(本郷均訳)現代思想一九九五年一一月号、四七・四八頁。なお、ルフォールの民主主義論について、山元一、「《法》《社会像》《民主主義》(二)」、四九頁以下、さらに、佐々木允臣『もう一つの人権論』信山社、一九九五年、二一頁以下を参照。
(33)  山元一、前掲論文、四九頁以下。
(34)  一九九〇年の憲法院改革案について、今関源成、前掲論文、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』二〇六頁以下を参照。
(35)  ジャック・ロベール「フランス憲法院と人権保障」(辻村みよ子訳)法学教室一八五号、四四頁。
(36)  浦田一郎、前掲論文、七〇頁。
(37)  たとえば、石埼学「現代代表民主制の生理『の』病理についての一考察(一・二)」立命館法学二四〇・二四一号。
(38)  フランスにおける「法律による人権保障」の「新たな展開」として、たとえば、政府による法案のコントロール強化(一九八八年のロカール通達の事例)、一括投票(vote bloque´)の減少、与党議員自身による修正案の提出などが考えられる。なお、フランスにおける立法過程の研究として、比較立法過程研究会編『議会における立法過程の比較法的研究』勁草書房、一九八〇年の中村論文、さらに、増田正「フランス国民議会における政策形成」慶応義塾大学大学院法学研究科論文集三五号などが存在する。また、実際の立法として、一九九四年に成立したいわゆる「生命倫理法」が注目される。これは、政府・多数派が中心となって、コロックなどにおける公開かつ広範な議論が促され、世論のコンセンサスにもとづいて立法がなされたものである。なお、「生命倫理法」の立法化につき、以下の邦語文献が存在する。大村敦志「フランスにおける人工生殖論議」法学協会雑誌一〇九巻四号、松川正毅「フランスに於ける人工生殖と法(一・二)」民商法雑誌一〇五巻二・三号、高橋朋子「フランスにおける医学的に援助された生殖をめぐる動向」東海法学七号、同「フランスにおける人工生殖をめぐる法的状況」唄孝一・石川稔編『家族と医療』弘文堂、一九九五年、●島次郎「フランス『生命倫理法』の全体像」外国の立法三三巻二号、同「フランスにおける生命倫理の法制化」『Studies 生命・人間・社会』一号(三菱化学生命科学研究所、一九九三年)、北村一郎「フランスにおける生命倫理立法の概要」ジュリスト一〇九〇号。また、憲法院による「生命倫理法」の合憲性審査(一九九四年七月二七日判決)につき、岡村美保子「生命倫理と法」ジュリスト一〇五八号を参照。
(39)  司法と政治部門の「相互作用」に関するわが国の研究として、戸松秀典「違憲判決と立法の対応」(ジュリスト八〇五号)が注目される。また、山下健次教授は、「現代日本の立法府」(公法研究四七号)と題する論文において、次のようにわが国における「相互作用」の必要性を指摘する。「訴訟過程で問題となった論点・疑義に対し、違憲・合憲の結論にかかわらず、立法府(の立法裁量行為)として対応すべきことがあるはずである。にもかかわらず、政府・与党として『期待』していた『合憲判決』の結果に安住して、法律の積極的改善を怠るとすれば、また野党として積極的な改正案を提起しないとすれば、そこにも違憲判決の場合とは別の一種の相互作用の欠如がみられるといえよう」(四四・四五頁)。「少なくとも、憲法判断を含む判例をうけて『より合理的な立法への努力』−比喩的にいえば司法審査六〇点で合格、しかしそのような『単位取得』に安住するのではなく七〇点・八〇点の答案へ向かう努力を行うという点で、国会の対応はなお鈍いといわざるをえないのではなかろうか」(四六頁)。

(立命館大学大学院法学研究科  蛯原健介)