立命館法学  一九九六年五号(二四九号)




銀行の債権者侵害責任
−ドイツBGH判例の動向から−


和田 真一






は  じ  め  に

  銀行が自己の債権の満足を受けたことが満足を受けられなかった他の債権者に対する不法行為になるとする事例が、わが国でも問題となっている(1)。学説も、このような責任を否定することなく、その要件の明確化を課題としているといえよう(2)。本稿は、このような状況をふまえて、ドイツの判例が示している銀行の債権者に対する責任論の動向を探ろうとするものである。ただし、わが国ではこの議論が消費者保護との関わりで現れているのに対し、ドイツでは企業が被害債権者である場合を含んでいる。それだけに事案はドイツにおいてはそう一般的ではなく、そこでの責任論がどの程度の普遍性を持ちうるかについては、十分な注意が必要である。ただ、問題の核心は、原則として自由であるとされる債権の回収行為が、どのような場合には適法の限界を超えた行為となるのかという違法性判断の基準にあり、この点で、わが国で同様の責任論を構想する場合には一つの資料を提供するものであろう。

(1)  たとえば、東京地判平七・二・二三金法一四一五号四三頁。ただし控訴審の東京高判平七・一二・二六金法一四四五号四九頁は責任を否定。
(2)  前出判決にちなんで、松本恒雄「金融機関の紹介責任」金融法務事情一四五八号四一頁、吉田邦彦「融資者責任と債権侵害」NBL五九八号一六頁、五九九号四一頁など。


一  責 任 論 の 概 要


1  八二六条にもとづく展開
  ドイツにおける銀行の債権者侵害責任は、民法の不法行為規定の一つである八二六条(以下断りのない限り条文はドイツ民法を示す)に基づいている。すなわち、銀行が故意に良俗に反する態様で債権者に損害を与えた場合に、その損害に対して賠償の義務を負うというのである。本条によって責任が認められてきた理由は、債権は八二三条一項で救済される権利とは考えられていないこと、同条二項に該当するような、銀行が債権者保護のために遵守すべき保護法規が存在しないことである。逆に八二六条の側から見れば、良俗違反や、故意という要件が、金融取引という局面においてかなり柔軟に解釈され、一般条項である八二六条のさまざまな事例への適応力が発揮されているとみることもできるであろう(3)(4)
2  良俗違反性のファクター
  銀行の債権者侵害責任に十分な良俗違反性(違法性)を構成する要素は様々である。一般に次のようなものが挙げられている(5)。((1))債務者の信用力につき第三者の評価を誤らせた場合。これには、誤情報の提供による場合と、銀行が取引相手に新規の信用付与をしたりまたは信用を継続することにより他の債権者にその取引相手の信用力の判断を事実上誤らせる場合がある。((2))破産遷延(破産時期の操作)、((3))過剰なまたは範囲が曖昧な譲渡担保権の取得などによる債権者の危殆化(6)、((4))契約に違反するよう誘導すること、((5))銀行が顧客(債務者)の営業に介入することによって(債務者の締め付けといわれる)、顧客の債権者を結果として害すること、((6))債権者に対し、債務者が無資力であることの警告義務違反、などである。これらは単独ではなく、相互に関連しあって一つの事象が違法であるとの結論に導くことが多い(7)。たとえば、単独で一つの不法行為構成要件としてあげられることの多い((2))破産遷延の場合でも、他の要素(例えば((1))や((3))など)が混在しているのが普通である。
3  対象の限定
  以下では、様々な事例のうち、入金記入手続に対する異議申立権を濫用して銀行が有利に債権回収を図る事例と破産遷延の事例を取り扱う。これらが比較的最近に損害賠償実務にも理論にも注目されるべき議論を起こしたと考えられるからである。もちろん、銀行の信用照会にあたっての説明義務違反の問題や、過剰な担保の設定が他の債権者を危殆化する場合等の整理項目を立てることもできるのであるが、本稿ではこれらは入金記入への異議申立権の濫用や破産遷延の良俗違反性を判断するいくつかのファクターの一つとして現れるにすぎない。

(3)  Vgl. E. Deutsch, Entwicklung und Entwicklungsfunktion der Deliktstatbesta¨nde, JZ 1963, 385ff.;C. Wolf, Die Vera¨nderungen des Inhalts und Anwendungsbereichs von § 826BGB nach neuerer Rechtsprechung und Literatur, Diss. der Uni. Bielefeld 1988, S. 2ff.
(4)  そのほか、間接的な要因としては、ドイツ民法がわが国のような債権者取消制度を認めておらず、その代替手段として詐害的な銀行に対する損害賠償請求が利用されているという側面も指摘できるであろう。もっとも、取消と損害賠償では効果が異なるほか、後にみるように、不法行為では、個々の法律行為ではなく「一連の」行為に対して不法性が認められるようである。吉田邦彦『債権侵害論再考』五三五頁以下。ドイツ法における債権者取消制度の淵源と損害賠償制度との関係については、松坂佐一『債権者取消権の研究』一二七頁以下参照。
(5)  C. Wolf, a. a. O., 41ff.  吉田前掲書五三九頁は、ドイツで一般的に引用されることの多いライヒ裁判所(RGZ 136, 247.)による例示にもとづき、((1))破産遷延、((2))搾取、((3))隠れた営業所持、((4))信用詐欺、((5))単なる債権者危殆の五つの事例類型をあげている。ただし、これも一つの事件に関して裁判所が明確な定義なく例示したものであり、各々全てが実用になるわけではないという指摘もされている(Mertens, Zur Bankenhaftung wegen Gla¨ubigerbenachteiligung, ZHR 143, 185ff.)。
(6)  過剰担保契約の良俗違反性については、野田和裕「過剰担保の規制と担保解放請求権」民商一一四巻二号二一八頁、三号四二七頁参照。
(7)  吉田前掲書五三七頁以下に同様の指摘がある。


二  入金記入手続(Lastschriftverfahren)に対する異議申立権の濫用


1  問題の所在
  債権者(受取人)が自らの取引銀行(債権者銀行)を通じて、債務者(支払人)が口座を持つ銀行(債務者銀行)から債権の取立を行うことは日常に行われているところである。表題にいう入金記入手続では、債務者が自らのイニシアチヴでそのつど口座決済を委任する場合とは異なり、あらかじめ口座引き落とし契約がなされている。そこで、引き落としに対して抗弁事由を持つ場合などに備えて異議申立権が債務者に認められている。この異議申立は債務者と債務者銀行間の委任契約に基づく委任者(債務者)の指図である(六七五、六六五条)。異議申立があると、債務者銀行は債務者の口座に戻し記入し、債権者銀行は一旦なされた入金記入を抹消することになる。銀行間協定によれば、債務者銀行がこのような決済手続の巻き戻しができるのは、手続実施後六週間以内であるとされている(8)。ただし、この期間の限定は銀行間の協定によるものであるから、本質的に債務者に対して拘束力を持つものではない。他方、口座決済に対して債務者による個別の承認があったときには、口座決済は最終的に有効なものとなる(9)
  問題は、資産状態の悪い債務者が正当な決済に対して異議申立をし、第三者の利益(第三債権者の債権の満足)を債権者または債権者銀行の犠牲において図った場合である。このような場合に、異議申立を受けたために結果的に弁済されなかった債権者や、場合によって損害を被った債権者銀行に対し、異議申立権を行使した債務者の責任が問題になる。しかしそればかりでなく、決済の巻き戻しを債務者の申立に基づいて実施した債務者銀行の責任が問われることもある。その際にまず、銀行間の入金記入に関する協定に基づき、その協定の当事者外の債権者に対する効力としてまたは不法行為上、債務者銀行は債権者に対する配慮義務を負うかどうかが問題である。次に、このような配慮義務が認められないにせよ、たとえば債務者銀行が異議申立に積極的に関与しているような場合に、契約上または不法行為上の責任が特に認められるかどうかが問われることになる。
2  判  例
  債務者銀行の債権者に対する一般的配慮義務についてみると、BGH(連邦通常裁判所)は、債務者銀行が債務者(継続売買の買主)の口座に支払い準備がないにもかかわらず入金記入を放置したために、債権者(同売主)が判断を誤って取引を継続したことで生じた未回収債権分の賠償義務を、契約上の保護義務違反にもとづいて承認したことがあり(10)、この判決に賛成する学説もあった(11)。しかし、同じく入金記入手続に関する銀行間協定IVの1(12)が問題とされながら、債務者の異議申立に基づいて債務者銀行が戻し記入をした場合には判断は異なり、債務者銀行の債権者に対する保護義務は否定されている(13)。債務者銀行は債務者との契約上の義務として異議申立を実行するにすぎないから、基本的には債権者は異議申立をした本人である債務者に責任追及してゆくしかないわけである(14)。ただし、債務者銀行が自己の債権の実現の目的をもって、異議申立を誘導した【1】BGH一九八七年六月一五日判決では、債務者銀行の不法行為責任が肯定された(15)
  事案は次のようである。A建設会社の従業員BはA社と住宅建設の契約を結び、被告Y銀行はそのためのつなぎ融資金をA社に振り込んでいた。Y銀行は訴外住宅建設金融機関CからBが調達する資金で最終的には弁済を受ける予定であったが、Cからの資金はBの口座ではなくA社の口座に振り込まれてしまった。他方、原告X(地域健康保険組合)がA社の保険料を入金記入手続で先に徴収していたところ、A社の取締役が異議申立を行ったため、一九七九年五月一〇日に六週間前にさかのぼって保険料六万八〇〇〇マルクあまりがA社に戻された。その翌日、A社は二重受け取りを調整すると共にY銀行の融資の弁済を実現するため一〇万マルクをBの口座に振り込み、同日のうちに破産申立を行った。これに基づき、Xは二六〇〇マルクあまりの配当を得たにすぎない。
  判決は、まずA社の責任について、「この異議申立によって、A社は、債権者Bの危険を破産直前にXに移転させた。それによって異議申立の可能性がその目的に反して、個別債権者を満足させる手段として利用されたのであり、これは良俗違反である。主観的要件、つまり良俗違反性を根拠づける事情の認識は、確認された事実によれば存在しているといえる。なぜなら、最後の六週間の入金記入に対する異議申立の目的は、Bに対する債権を満足させるためだからである。しかも、それによってA社の取締役は、これがXの負担となることを認識していた」とする。その上で、Yには八三〇条二項の教唆による共同不法行為責任が成立するという。「Yの頭取は、A社の経営状態が悪いのを認識しつつ、Bに対する債権を満足できるように、最後の六週間の全ての入金記入に異議申し立てるようA社の取締役に勧めた」からである。
3  検  討
  a  良俗違反性
  異議申立があった場合に、債務者銀行は債権者の受ける不利益を配慮する必要はないし、そもそも、債務者銀行は入金記入手続においては実行機関でしかないから、債務者の異議申立に対して拒絶することはできない。責任を肯定する【1】判決をみると、債務者に対する債務者銀行の異議申立の誘導と、それによって自己の利益を計る意図があったことという二つの要素が良俗違反性(入金記入の異議申立を利用した不当な債権回収)を根拠づけているように思われる。この点で、自己の利益のためであることを前提とせずに良俗違反性が認定される債務者の責任とは異なる(16)。【1】ような事例では、債務者の限られた財産をめぐって、X、Y二人の債権者間で奪い合い状態になっており、債務者からすると、当該の金額がXではなくYに支払われることになっても、財産的な利益は得られないからである。
  なお、債務者の責任について、異議申立権が正当であるという錯誤が債務者にある場合に、債務者の異議申立に良俗違反性が存在するのかという問題がある(17)。銀行の責任との関係では、このような事情を銀行が利用した場合にも、教唆の場合と同様に銀行の責任が認められるかが問われる。この場合の違法性の判断には、たとえば契約違反を積極的に導くのではなく、すでに契約違反が決心されているために生じている契約機会を第三者が利用する場合と同様に、責任は問われないと考えるべきだとする見解もある(18)。八二六条は故意の加害を要求するので、このような錯誤のもとでは故意は認められないとの立場では、少なくとも債務者の責任は成立しないことになる(19)
  b  損  害
  入金記入に対する異議申立権の濫用の場合、一つは、損害は債権者銀行に生じる。つまり、入金記入に基づいて債権者銀行が債権者に預金の払い出しをしたが、その後に入金記入手続が撤回され、債権者にその金額の償還を求め得ない場合に発生するのである(20)。これに対し、債権者に損害が生じ、債権者に対する賠償責任が問題となるのは、入金記入の撤回によって債権者の債権者銀行に対する預金の払戻請求権が消滅した上、債務者の破産などによって最終的に債権の満足が不可能となったときである。
  c  故  意
  【1】判決では債務者の責任につき、良俗違反性を根拠づける事情(誘導がXに不利益をもたらし自己の利益になること)の認識が必要とされる。良俗違反であること自体の認識は不要である。これは八二六条の場合に一般的に言われていることであり、銀行責任について特別な議論ではない(21)

(8)  入金記入手続に関する銀行間協定IIIの2  戻し記入は−Iの4の規定に反しないかぎり−支払い義務者が入金記入後六週間以内に異議申し立てしないときには、禁止される。
(9)  Canaris, Bankvertragsrecht (Handelsgesetzbuch Groβkommentar 3. Aufl. 3. Band, 3. Teil 2. Bearbeitung 1981), Rn. 528ff.
(10)  BGH 28. 2. 1977, BGHZ 69, 82.
(11)  Z. B. Bundschuh, Haftung der Banken im Zahlung- und Scheckverkehr -Ein Rechtsprechungbericht in:hersg. v. Ko¨ndgen, Neue Entwickelungen im Bankhaftungsrecht, 5ff. u. 13.
(12)  銀行間協定IVの1  この協定は、関係する金融機関の間においてのみ権利と義務を発生させるものとする。
(13)  BGH 19. 10. 1978, NJW 1979, 542.
(14)  BGH 28. 5. 1979, BGHZ 74, 300;BGH 18. 6. 1979, WM 1979, 830.
(15)  BGH 15. 6. 1987, NJW 1987, 2370.
(16)  債権者が債務者に対して賠償請求した OLG Du¨sseldorf 2. 8. 1976, WM 1976, 936. を参照。この判決では、異議申立が債権者との関係では契約違反になることを肯定しつつ、それは直ちに良俗違反にはならないものとし、((1))原告の取立委任に対する信頼の違反、((2))会社の支払不能の後に行った、((3))銀行と共同して債権者に不利益を与えるために行っていることを良俗違反性の根拠とする。
(17)  Canaris, a. a. O., Rn. 609.
(18)  ders., a. a. O., Rn. 133.
(19)  C. Wolf, Die Vera¨nderungen des Inhalts und Anwendungsbereichs von § 826BGB, 47.
(20)  BGH 28. 5. 1979, BGHZ 74, 300;BGH 18. 6. 1979, WM 1979, 830.
(21)  このような認識不要説に対する批判説として、例えば Mayer=Maly, Das Bewuβtsein der Sittenwidrigkeit, 37ff. がある。しかし、この中でも、銀行責任の場合については特に言及されていない。


三  破産遷延(Konkursverschleppung)


1  問題の所在
  会社の経営状態が悪く、債務超過となっているときでも、なお回復の見込みがあるならば会社再建が試みられる。会社再建の継続か、その見込みがもはや無いので破産申立になるかの判断に際しては、会社経営者だけではなく会社の取引銀行などとの相談の下に行われることがほとんどである。しかし、再建の試みを続けることが客観的にはかえって会社の資産状況を損ねてしまう場合も少なくない。破産申立までに会社財産がこのように減少して会社債権者の債権が回収できなくなった場合に、破産申立が遅きにすぎたとして、銀行なり会社経営者に対して損害賠償責任が問われるのが破産遷延の責任問題である。
  責任主体は破産会社の代表取締役などの経営に携わる者と取引銀行である。前者については、まず、会社取締役の第三者責任や法人格否認の法理といった取締役の責任論の中で問題とされる。その上に、例えば株式法九二条二項(22)や有限会社法六四条一項(23)に定められている取締役の破産申立義務の(会社債権者に対する)保護法規性も問われている(24)。また、納入業者の売掛代金債権が回収不能となったような場合には、契約締結上の過失法理による責任追及も行われることがあるようである(25)。他方、銀行については、顧客(債務者)の破産に際して、一般的に他の債権者に配慮を求める規定や、そのような義務を導く拠り所となるような規定はない。その意味で銀行の責任は専ら八二六条の問題である。
2  判  例
  一般債権者が銀行を相手取って賠償請求した事例に、【2】BGH一九六九年一二月九日判決(26)がある。原告Xらは、A社と、A社が一九六一年に創設した缶詰工場とに豆類を納入する業者である。A社は一九六一年夏には一〇万マルクの手形信用の他に、五〇万マルクの融資を被告Y銀行から受けていた。一九六三年八月二〇日に、八五万二〇〇〇マルクに増大した融資をY銀行は解除した。それによりA社は支払を停止しなければならなかった。第一原告X1は一九六三年六月二八日から八月二三日の間に二四万マルク、第二原告X2は一九六三年七月四日から八月一日の間に一一万八二〇六マルクの商品を納入していたが、和議手続きで売掛代金債権の三五%という最低の割り当てしか受けられなかった。XらはY銀行に対し損失分を請求した。Xらは、このような損失はY銀行の融資政策と融資行為によって良俗に反しかつ故意で生じたものだと非難する。というのも、Y銀行は、五〇万マルクを超える事業資金の融資の開始に際し、一九六一年九月一九日の契約により、全商品(材料も完成品も)をA社から譲渡担保にとっていたからである。両事実審は請求を棄却し、Xらの上告も認容されなかったが、その際に次のような銀行責任論を展開した。
  以下の原則から確認する。まず、「自己の利益を他の債権者の要求に劣後させるような良俗は銀行に要求されてはいない。原則として、債権者がたとえ企業の納入業者であるにせよ、担保を付することなく信用で納入するかどうかは債権者自身で判断するものであることを、銀行は前提にしてよい。銀行が企業に与えた信用を弁済期に至らせる意図を持ち、その結果、和議手続ないし破産手続の申立をせざるを得なくなった場合でも、銀行が良俗に反していると見ることは通常できない。そのように進み出るかさしあたり静観しているかの判断はその銀行に委ねられているのである。このことは、企業が破産前の状態にあり、そして破産適期にあることを銀行が知っているときでも原則的に妥当する。銀行が企業を破産させるかどうかは銀行の領分である。その際に、他の債権者が自己の債権を適時に徴収したり担保したりすることなくあるいは新しい取引に入り、企業の信用額がそれらをちょうどカバーしないゆえに損害を被りうる場合であっても、銀行が八二六条に基づいて責任を負うことには一般的にはならない。企業破産のきっかけを与えるかどうかは銀行に委ねられているのである」。しかし、例外的に「和議申立または破産申立が必然であるような事態があり、それを銀行が最もよく理解しているときに、静観したり信用を継続的に付与することによって影響を与えたりまたは忍受する銀行が、危機が克服可能であるとの考えで破産申立を行わず、近いうちに迫った破産の際に他の債権者の犠牲で自らの地位を改善するならば、かくして利己的な方法で、良俗に反して行為している」という。「銀行が破産適期にある企業に対して(もはや)再建に必要な額の信用を与えるのではなく、企業の経済的な死闘を単に長引かせ、それによって獲得された期間に銀行が自己の担保から他の債権者を犠牲にして障害無く、そしてよりよく満足しようとするとき」はそれにあたる。その際、結果的に「銀行が企業の破産時にこの目的を達成したか、どの程度達成したかは問われない。銀行が破産の引き延ばしを導いた動機がまさにその行為を良俗違反とする」のである。
  より最近の【3】BGH一九八九年三月二六日判決(27)は、一九七九年六月一日に破産手続きが開始されたA株式会社の破産管財人Xが、同社の主要取引銀行であった被告Y銀行を相手取って損害賠償請求した事例である。一九七四年以来A社は経済的困難さを増し、一九七七年六月には支払無能力、債務超過であり、かくして破産適期にあったと認定される。しかしY銀行は一九七七年末まで、当時期待された支払段取りに基づきできるだけ金銭的損失を少なくするよう努力した。すなわち、Y銀行は一九七七年五月末に三七〇〇万マルク、六月末には四六〇〇万マルクの債権を有していたが、一九七七年一二月三一日には一三〇〇万マルクとし、二〇〇〇万マルクの当座貸越限度額内におさめた。Xによると、サウジアラビアからの小切手の入金記入三六〇二万七一五五マルク、訴外B銀行の預金からの送金二六〇一万一三七二マルク、それに一九七八年一月三日と四日のA社の子会社からの送金八五九万九七〇三マルクが、A社の債権者を侵害する意図を持ってY銀行の貸越残高の填補ならびにY銀行からの債権の買い戻しに充当されたという。さらにY銀行は、保有していたA社の株式(全株式の二〇・五%)を訴外C等に売却、一九七八年二月にはすでに持ち分を三・六%に縮減させていた。A社の株式の売却の際に、A社の危機的状況をY銀行が沈黙していたとの非難をCが上げたため、A社が即座に破産した場合には、Y銀行はCの賠償請求または少なくとも信用の重大な失墜を恐れねばならなかった事情がある。A社は一九七八年一月末にY銀行の支援の下でノルトラインウエストファーレン州の保証を願い出、銀行借款団から一億マルクの長期信用を得、一九七八年七月には連邦保証をさらに願い出る等したが、一九七九年四月三日には破産開始の申立を行わざるを得なかった。
  判決は、「銀行は、原則として、信用を付与した企業を破産させるかどうか自由である。銀行が、企業にさらに信用を与えることで支持しようと試みることを決めた結果、濫用の可能性を理由に、ひいては、自己に状況を都合よく判断したために債権を適時に行使し得なかったり、担保しなかったり、新たな取引に入った他の債権者への加害が存在することを理由に、良俗に反することにはならない」という。その上で、「与信者が自己の利益のために企業の破産を単に先延ばしにするだけであったり、自己のために破産を遅滞させており、継続的には阻止しないとき」には良俗違反になりうるという。これは基本的に【2】判決と同旨を繰り返したものであろう。これを前提に本件の再建のための融資に良俗違反性と故意の存在を認める。「控訴審は、A社に認められた貸越については再建のための信用が問題なのではなく、年末には期待される支払まで支払困難を短期の金融によってつなぐことが問題であったにすぎない、つまり固有の再建のための信用は一九七八年一月に初めて行われたものと確定した。この説明は意図された破産引き延ばしの存在を認めるものである。なぜなら、このような破産の引き延ばしは、A社からただちに剥奪される信用の付与によっては継続的な再建がこの時点ではもはや実現できないか実現すべきではないこと、そしてA社が陥っている真摯な危機をこの方法では救えないことを、被告Y銀行が認識していたと認めさせるからである。」控訴審によって強調された事実、すなわちY銀行は一九七七年一二月三〇日の役員会決定に即して年末に終了する二〇〇〇万マルクの貸越限度を継続付与し、より包括的な支持努力としてさしあたり四〇〇〇万マルクに枠を広げたが、A社が持続的な生産の継続に必要な額にはこの資金援助は遠く及ばなかったという事実は、Y銀行が信用の際に再建への確固たる確信を持っていたことを推定させるには難しいという。
3  考  察
  a  良俗違反性
  銀行の責任は、債務者が破産適期にあることが前提である。破産申立が時期的に見て適切であったかどうかの判断は、企業の存続が可能なのかどうかにかかるが、一般的に言って、その判断が容易でないことはいうまでもない。単なる債務超過のみをもって破産適期にあるとは到底言えないし、一次的な金融を受けられたとしても破産の危機を免れたとは言えない(28)
  BGHは、会社機関の破産遅滞の良俗違反性を確認するにあたって、機関に破産理由の認識があったことを前提としている(29)。そこで、銀行の責任についても同様に、債務者の再建不可能な状態に対する銀行側の認識を良俗違反評価の前提とすることが主張されている(30)。このような良俗違反の判断はもっとも銀行にとって緩やかなものであって、再建不可能であることを認識していたという水準では責任が認められてよいであろう。しかし判例は、全体としてあいまいさを残しているとみてよいであろう。確かに【3】では、再建不可能であるとの認識が違法性を推定させる事情として挙げられている。しかも、銀行が再建への確信がなかったことを融資額という客観的な事実から推定しているから、かなり厳格に責任を追及する傾向にある。他方【2】では、責任を発生させるに十分な違法性が、自己の利益を計る目的で破産の時期を操作した点に認められているのである。
  学説でも責任の最大限がどのように、そして具体的にどこに引かれるのかが議論されている。判例のように客観的事実からの認識の推定ではなく、つまり再建不可能の知不知を事実的に問うのではなく、いわば認識義務を問題にしようとする見解もある。すなわち、再建可能性について十分に検討したり、調査をしていなかった場合には、良俗違反となる破産遷延であるとの疑いを抱かせることになるとするのである(31)。この義務の水準は、一つは、銀行が有している社会的経済的な地位を他の債権者との関係でどの程度に評価するかにかかってくるであろう。ある見解によれば、倒産会社の主要取引銀行は債務者を支配操縦し、有利に情報を集中させており、他の債権者に対しても優越的な地位にあるのであるから、債権回収に当たっては特別に厳格な行為義務(他の債権者への配慮)が認められるべきであるとされる(32)
  債権者侵害事例からやや視野を広げれば、銀行の行為の良俗違反性は、様々な利害関係人との関係で相対的に判断されることが分かる。【3】と同一事件について、再建の過程で発行された新株の取得者から起こされた訴訟で【4】BGH一九八五年一一月一一日判決(33)は、うわべだけの再建が良俗に反するという考えでは、一般債権者に対する【3】判決と同じ立場をとりつつ、しかし、良俗違反と損害との相当因果関係の存否や加害の意図の射程距離だけでは賠償義務は適切に限界づけられず、損害が侵害された義務の保護範囲にあることを要求し、会社再建の試みとして発行された新株の取得者のみを賠償請求権者として(従来からの株主は除外して)適格とみた。本来は制限のないはずの八二六条の賠償請求権者が限定されたのである。
  b  故  意
  【3】では、故意要件の中身として、再建成功の見込みをもっていないにもかかわらず破産申立せずにいたことが要求されるべきであるとされている。会社の機関の責任事例ではより端的に表現されている。つまり、八二六条の故意は未必の故意で十分であり、そして、客観的に再建が困難であるとの事情にもかかわらず再建が継続されているときには、未必の故意があったものと考えられるという(34)。これは、故意は行為の性質と態様から推定され、再建が軽率で、十分な経済的な基礎なしに行われた場合に認定されるとした会社機関の責任に関する下級審判決には及ばないが(35)、客観的な理解となっていることにはかわりない。おそらく、証明方法の問題と絡まって、(故意)行為の客観的側面が問題にされざるを得ず、結果的に、加害者の内心の意図を主観的には問わずに責任を成立させうる状態を出現させているものと思われる。

(22)  株式法九二条二項  会社が支払不能となるときには、取締役は遅滞の責めなく、支払不能が生じた後遅くとも三週間で、破産手続の開始または裁判上の和議手続を申し立てなければならない。このことは、会社財産が債務をもはや填補しないときにも同様である。取締役が通常かつ適切な経営者の注意をもって裁判上の和議手続を開始するときには、この申立は遅滞の責めあるものではない。
(23)  株式法九二条二項と一部語句は違うが、同様の責任を有限会社の取締役に課している。
(24)  BGH 9. 7. 1979, WM 1979, 853, 857;BGH 9. 7. 1979, WM 1979, 878, 883;BGH 26. 6. 1989, BGHZ 108, 134.
(25)  BGH 27. 10. 1982, NJW 1983, 676.  これに対する批判として、vgl. Ulmer, Volle Haftung des Gesellschafter/Gescha¨ftsfu¨hrers einer GMBH fu¨r Gla¨ubigerscha¨den aus fahrla¨ssiger Konkursverschleppung, NJW 1983, 1577ff.
(26)  BGH 12. 9. 1969, WM 1970, 399.
(27)  BGH 26. 3. 1989, NJW 1984, 1893.
(28)  経営陣の責任については、極端に言えば、破産の危機を招いたのと同じメンバーが再建の努力を続けても、成果は期待薄であるとの見方もあり得る(Meyer=Cording, NJW1981, 1242.)。このような前提の下では、当然に、破産遷延と評価される可能性は大きくなる。
(29)  BGH 9. 7. 1979, NJW 1979, 1823, 1828.
(30)  Aden, Der Vorwurf der Konkursschleppung gegen den Mitgla¨ubiger, MDR 1979, 891, 895.
(31)  Koller, Sitteneidrigkeit der Gla¨ubigergefa¨hrdung und Gla¨ubigerbenachteiligung, JZ 1985, 1013, 1014.
(32)  Z. B. Mertens, Zur Bankenhaftung wegen Gla¨ubigerbenachteiligung, ZHR 143, 174, 190.  これに対する反論は、Ru¨mker, Gla¨ubigerbenachteiligung durch Gewa¨hrung und Belaβung von Krediten-Erwiderung auf die Abhandlung von Mertens”Zur Bankenhaftung wegen Gla¨ubigerbenachteiligung, ZHR 143, 195ff.  批判内容は多岐に渡るが、良俗違反性判断に関しては、受信者に対する銀行の独占的地位や、債権者に対する銀行の情報の優位を否定している。だがこれは、一般論としては、にわかに肯定しがたいことではなかろうか。
(33)  BGH 11. 11. 1985, BGHZ 96, 231.
(34)  BGH 11. 11. 1985, NJW 1986, 837, 841.(前注(33)の判例集未登載部分)
(35)  OLG Du¨sseldorf 5. 12. 1982, BB 1983, 229, 230.  ここでは軽率さが問題とされており、もはや過失の領域に踏み込んでいると評せられよう。


四  責 任 論 の 動 向


1  銀行の債権者侵害責任が事例類型によって異なった展開をしていることは、以上に見たとおりである。最後に、これらに現れた責任論が、従来の八二六条をめぐる理論に対してどのような特色をもっているのかをごく概括的に整理しておきたい。三で見る限り、銀行の債権者責任は一方では拡大され、他方では限定される傾向にあるように思われる。
2  責任要件の拡大
  a  一般論として、八二六条の良俗違反の要件は、取引不法行為のような場合には公序違反に置き換えるのが適切であるとか(36)、客観的に理解されるべきだと言われてきた(37)。これに対して、貞操侵害や家族関係の破壊のようなケースではなお良俗という倫理的な判断基準が妥当だとされてきている(38)。銀行取引分野は、良俗概念が客観化されている典型的な領域である。銀行責任、特に破産遷延のような場合には政策的な判断が実は重要なのであり、BGHはそのような判断内容に良俗という倫理的な衣を着せてしまっているという批判もされる(39)。確かに、BGHは銀行が自己の利益を他の債権者を犠牲にして図ったという点をたびたび問題にする。しかし、そこで問題とされているのは損害回避のために銀行に期待される行為義務であり、つまり、銀行には倫理的な完全性が要求されているのではなく、金融機関として社会的期待に応えているかどうかが問われているのである(40)
  b  入金記入異議申立権の濫用の場合には故意の要件について特別の傾向はない。破産遷延責任では、証明方法に関し客観的事実からの故意の推定、未必の故意を八二六条の責任要件として認めることによる過失責任への事実上の接近が見られる。
3  責任内容の限定
  良俗違反や故意要件の客観化の議論は、銀行責任を厳格に追求する方向にあると受け取ることができるが、これに対して、損害賠償の範囲などの責任効果は、むしろ八二六条での一般論より限定する可能性も示されている。
  a  まず、損害賠償の範囲について言えば、かつては、八二六条が不法性の強い損害賠償構成要件であることから、発生した損害は全部賠償されるべきともされていた(41)。現在では、損害賠償法の一般原則に則り、八二六条の責任も相当因果関係にある損害に限り全部賠償されるべきであるとするのが一般的である。しかし、八二六条が故意を責任要件としていることから、意図された損害については、通常ならば発生の蓋然性のない損害であっても賠償範囲となりうる(42)。ところが、破産遷延の事例【4】では、故意のおよぶ範囲の損害を賠償させるのではなく、逆に良俗違反(実は先述のように行為義務違反)の性格から適切な賠償範囲に限って故意責任が存在することを認めるのである。その判断は多分に規範的、というより政策的と思わせるもので、そこでは故意という要件そのものが機能しているわけではないようである(43)
  b  八二六条に基づく責任では、賠償されるべき損害が何から生じたのかについて、八二三条一項のように身体に関する法益や所有権などの権利に限定することがないとともに、これらの損害が誰に生じたのかも問わない。賠償請求権者を法益侵害や権利侵害を直接受けた者に限るという限定は付かないのである。しかし、契約違反を誘導するような場合には、そのような良俗違反ともなりうる誘導の禁止が問題なのではなく、当該状況における具体的な人や法益の保護が問題であり、これらの人や法益が、侵害された規範の保護目的の範囲内にあることが要求されるべきだという見解が、八二六条についても主張されている(保護目的説(44))。通説的見解は、これを否定し、八二六条の場合には、特定の契約相手方の履行請求権の違反が問題になるだけでなく、法秩序にとってより中心的な制度の無視状態が問題になっているのだから、保護目的説のような限定は不適切という(45)。本稿で取り上げたBGH事例に現れたところでは、破産遷延事例で、新株取得者に生じた損害の会社機関に対する賠償請求を排除する論理は、右の保護目的説からも説明されうるであろう。
4  以上のような責任要件の拡大と責任内容の限定傾向という図式は、責任法理発展のごく一般論としては理解しやすいものである。しかし、検討した事例は限られており、そのように断じるには慎重でなければならない。銀行責任に、本来の八二六条の意味での良俗違反責任、それゆえの厳格な効果が問われるべき場合がないのかもなお検討されるべきと考える。
  また、過失相殺については、適切な事例が見いだせなかったため取り上げなかった。しかし過失相殺の問題は、取引的不法行為の場合には検討不可欠である。とくに、八二六条の不法行為は不法性の強いものであって、一般的には過失相殺になじみにくいと考えられるだけに(46)、本稿で取り上げた分野における八二六条の責任要件緩和の中で、その運用の実際がどのようになるのかは興味のあるところである(47)。これも今後の検討課題としておきたい。

(36)  Z. B. Simitis, Guten Sitten und Ordre Public, 197.  これは、一三八条の法律行為の良俗違反による無効に関する研究であるが、ドイツでは八二六条の良俗解釈にもしばしば引用される。
(37)  Esser,§138BGB und Die Bankpraxis der Globalzession, ZHR 134, 324, 336.
(38)  Simitis, a. a. O., 197;C. Wolf, Die Vera¨nderung des Inhalts und Anwendungsbereichs von §826BGB, 95ff.
(39)  Koller, Sittenwidrigkeit der Gla¨ubigergefa¨hrdung und Gla¨ubigerbenachteiligung, JZ 1985, 1013ff.
(40)  Vgl. Mertens, Zur Bankenhaftung wegen Gla¨ubigerbenachteiligung, ZHR 143, 179f.
(41)  Z. B. Soergel=Knopp Bd.3 10. Aufl., Rn. 58.
(42)  Lange, Herrschaft und Verfall der Lehre vom ada¨quaten Kausalzusammenhang, AcP 156, 114, 132;Kupisch=Kru¨ger, Grundfa¨lle zum Recht der unerlaubten Handlungen, JuS 1981, 30, 31.
(43)  この点を捉えて、八二三条一項の営業権侵害の場合にBGHが賠償責任否定のために利用した「営業関連性」要件が果たしている機能に近いとの評価が見られる。Vgl. Mertens, a. a. O., 182.  拙稿「ドイツの不法行為法における権利論の発展−判例法上の営業権を中心としてー(三)」立命館法学二〇八号七二九頁以下参照。
(44)  M. Wolf, Der Ersatzberechtigte bei Tatbesta¨nden sittenwidriger Scha¨digung, NJW 1967, 709, 710.
(45)  Vgl. Mu¨nchnerKomm.=Mertens, Bd. 3, 2. Halbband, 2. Aufl., Rn. 58.
(46)  Z. B. Soergel=Knopp., Rn. 63;Mu¨nchnerKomm.=Mertens, Rn. 80.
(47)  事案はことなるが信用情報の提供事例では BGH 6. 12. 1983, NJW 1984, 921. では過失相殺に対する原告の抗弁が否定され、最近の BGH 9. 10. 1991, VersR 1992, 106. は、五〇%の過失相殺を認めた。入金記入手続事例の債権者についてはともかく、破産遷延の場合の債権者についてはかなり過失相殺を考慮しうる余地があるように思われる。
(追記)  この研究は、平成七年度文部省科研費一般研究C(課題番号〇六六二〇三七・研究代表中井美雄教授)を得て行われた研究成果の一部である。