立命館法学  一九九六年六号(二五〇号)一三八九頁(四九頁)




国籍法における婚外子の平等処遇


二宮 周平






目    次




一  問題の所在

  観光ビザで来日して働いているアジアの女性と日本人男性の子どもの国籍取得に関する訴訟が相次いでいる。
  例えば、フィリピン人女性と日本人男性の間の子について、父の胎児認知があれば日本国籍を取得できると聞き、男性が手続に奔走するが、必要書類の入手が遅れたために胎児認知の手続がないとして、日本国籍を取得できなかったケース(九三年四月提訴(1)、同じくフィリピン人女性が日本人男性と同居して女子を出産し、二人目を妊娠中に、男性が子ども二人を同時に認知したため、第二子は胎児認知にあたり日本国籍を取得できたが、第一子は日本国籍を取得できず、同じ姉妹でありながら、国籍取得に差が出てしまったケース(九五年四月提訴(2)などである。
  現行の国籍法では、母が日本人である場合には、母が父とどのような関係にあっても、子は日本国籍を取得できるが、父が日本人である場合には、父が母とどのような関係にあるかによって、子の日本国籍取得に大きな違いが生まれる。すなわち、((1))母と婚姻していれば、「嫡出子」として、((2))出生後認知をして母と婚姻すれば、一定の要件の下に「準正嫡出子」として、((3))母と婚姻していなくても、胎児の間に認知していれば、出生の時点で父が明らかであるとして、日本国籍を取得できるが、そうでない限り、たとえ出生後に認知して法律上の父子関係が成立しても、日本国籍を取得できない扱いである(国籍法二条、三条)。実際、日本人父が既婚者であったり、父母の恋愛関係が解消したりなど、父の認知は可能でも父母の婚姻は不可能だという場合がある。また胎児認知の手続は一般に周知されていない。
  その結果、外国人女性と日本人男性の間に生まれた国際婚外子で、父の死後の認知であったため、日本国籍を取得できず、外国人である母が在留期間を越えた「不法滞在」であることから、母子が強制送還された事例もある(3)。前述の九三年四月提訴のケースでも、国外退去命令が出ていた。ようやく法務省は、一九九六年七月三〇日付けで、日本人男性との間に生まれた実子を親権者として相当期間、監護養育し、かつその子が日本人の父親から認知されている外国人母について、一年間の定住を許可し、更新を認めるという通達を出した。父からの認知による日本国籍の取得を認めるという方法によらないで、母子が国内に定住することを認め、将来的に帰化の道を開き、安定的な定住にしていく方針かもしれない。国籍法では、日本国民の子で日本に住所を有するものについては、簡易帰化という方法を用意しているからである(国籍八条一号)。正攻法ではないが、少なくとも母子ともどもの強制送還という苛酷さを軽減したことは評価できる。
  しかし、同じ日本人父の子でありながら、父母が婚姻できたかどうか、胎児認知の手続が間に合ったかどうかという、子自身によって選択できないことによって、日本国籍の取得に違いが生じるという結果には変わりはない。このことは、自己の行為によらずして不利益を受けることはないという近代法の原則に反している。子どもの権利条約二条の出生による差別の禁止や憲法一四条の法の下の平等原則に違反している疑いもある。本稿では、婚外子の平等処遇という見地から、この問題を検討したい(4)

(1)  ただし、広島地裁は、父親が子の出生前に胎児認知の届出手続に区役所を訪れたという心証を形成したため、口頭で胎児認知の届出があったと判断し、日本国籍の取得を認めるという方向で和解を進めた。一九九六年一一月一八日、国側は、出生前に口頭で届出のあった胎児認知を有効と判断し、子の日本国籍の取得と母親の在留許可を認めるという内容で、和解が成立した(朝日新聞〔朝刊〕一九九六年一一月一九日)。一二月二〇日、父親は、追完の手続を行うために区役所へ赴き、胎児認知をする旨の口頭での届出を行い、戸籍担当者が父親に対して届出事項に間違いがないかを読み聞かせた後、追完届を行った。この結果、胎児認知届が一九九一年九月一二日に遡って受理された扱いとなり、子は同年九月一八日出生と同時に、日本国籍を取得したことが確認された(毎日新聞〔朝刊、広島版〕一九九六年一二月二一日)。
(2)  大阪地判平八〔一九九六〕・六・二八は、現行法は婚外子の父子間と母子間の親子関係の違いに着目して制約を設けたものと解釈できるとして、婚外子の別扱いについて合憲と判断し、日本国籍取得を否定した(朝日新聞〔朝刊〕一九九六年六月二九日)。
(3)  子どもは六歳と三歳。三年前に父は認知をしないまま死亡した。母は入国管理法違反で有罪となったが、仮放免となり、母子寮で生活していた。その後、母は職を得、子どもたちも保育園に通い、上の子には就学の通知が届いた。母は在留特別許可を申請したが却下されたため、死後認知の裁判をし、なお在留許可を求めたが、却下され、入学式直前に母子ともども強制送還されたのである。知人に届いた母の手紙には、日本語しか知らない子どもたちは、「言葉が出てこない」と書いてあったそうである(朝日新聞〔朝刊〕一九九六年五月三日)。
(4)  本稿は、憲法学説の多数説(芦部信喜「憲法一四条一項の構造と違憲審査基準」法学教室一三九号九三−九四頁〔一九九二年〕、君塚正臣『性差別司法審査基準論』三一六頁以下〔信山社  一九九六年〕など)および高裁判例(東京高決平五〔一九九三〕・六・二三判時一四六五号五五頁、東京高判平六〔一九九四〕・一一・三〇判時一五一二号三頁)・最高裁大法廷少数意見(最大決平七〔一九九五〕・七・五民集四九巻七号一七八九頁)にしたがい、「嫡出子」「非嫡出子」の区別は出生によって決定される法的地位だから、憲法一四条第一項の「社会的身分」にあたり、一項後段に列挙されている五つの事項の差別については、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきであるという「厳格な合理性の判断基準」によるとする立場に基づいている。仮に判例と同じく五つの事項を例示と捉えるとしても、慎重な判断をすべきことはいうまでもない。例えば、例示説をとる橋本教授も、合理性判断にあたっては、「第一に、事実上の差異が存在すること、第二に、右の差異による差別的取扱いが正当な目的にもとづくこと、第三に、当該事項につき差別的取扱いの必要性が認められること、第四に、差別的取扱いの態様とか程度が、社会通念上許容できる範囲内であること、の諸点を総合判断して決するほかはないであろう」としている(橋本公亘『日本国憲法』二〇二頁〔有斐閣  一九八〇年〕)。したがって、立法目的の正当性、差別扱いの必要性、差別扱いの態様・程度の社会的許容性という点は、最低限でも考慮する必要があるといえる。以下では、合理性を抽象的に判断するのではなく、右の点を考慮しながら具体的に検討していきたい。
  なお本稿では、原文や条文の引用を除き、「嫡出子」を「婚内子」、「非嫡出子」を「婚外子」と表す。「嫡出」という言葉には「正統な」という意味があり、子どもを差別するニュアンスが含まれていると思うからである。


二  認知による国籍取得を否定する根拠

  認知による国籍取得を否定する根拠については、戦後の国籍法改正時から現在まで共通する国籍取得の原則に関する根拠と、一九八四(昭五九)年に父母両系血統主義へ改正したことによってつけ加えられた婚外子の別扱いの根拠がある。偐
  (一)  国籍取得の原則に関する根拠
  1  国籍取得の安定性
  日本の国籍法は、一九八四年に改正されるまで、父系優先血統主義をとり、「出生の時に父が日本国民であるとき」は、子は日本国籍を取得できた。この規定の「父」とは法律上の父をさすものとされ、出生の時点でできるだけ確定的に国籍は決定されるべきであるという立場から、出生子の国籍取得の基準となる父の有無を出生時点に限定するため、子の出生の時点ですでに父子関係が成立していることが必要であると解釈されてきた(5)
  ところで、婚外子の場合、父の認知によって初めて法律上の父子関係が成立する。民法によれば、認知の効果は出生の時点まで遡る(民七八四条)、出生の時点から法律上の父子関係が成立していたことになる。しかし、民法上の効果と国籍法上の効果を同一に解する必要はなく、国籍法の立場から、効果を決すべきだとされ、認知の遡及効は否定されていた。したがって、現在もなお、胎児認知をしていない限り、出生による日本国籍の取得はできないという実務が継続している。
  2  子の意思の尊重
  一八九九(明三二)年の旧国籍法では、婚姻・縁組・認知という身分行為による国籍の取得を認めていた(五条、六条)。身分行為の効果として当然に発生するのであるから、父が子を認知すると、子は日本国籍を取得できた。ただし、認知による国籍取得には遡及効を認めず、認知の時点から取得するものとされていた(6)
  しかし、一九五〇(昭二五)年の改正国籍法(法律一四七号)では、子の意思に基づかないで、自動的に子の国籍の変更を生ずるのは、個人の尊厳という原則に反するとして、認知による国籍の取得を廃止した。提案理由の逐条説明によれば、「子の地位を父母の地位から独立させるという子の地位の独立の思想は、近代における親子法の指導原理であって、諸国の国籍立法においても、国籍の得喪に関して、できる限り、子の自由意思を尊重するという方向に向かっているばかりでなく、個人の尊厳は、憲法二四条の宣言するところでもあるから、新法では、認知及び父又は母による日本国籍の取得は、当然には子の国籍に影響を及ぼさないこととし」、帰化の方法によるものとするとしていた(7)
  一九八四年の法改正(法律四五号)では、女子差別撤廃条約を批准する上でこれまでの父系優先血統主義を改め、男女平等の見地から子の国籍取得について父母両系の血統主義を採用した。この改正においても、出生による国籍の取得のためには、出生時に日本人である父または母との間に法律上の親子関係が存在することが必要だとされ、出生後に認知により親子関係が生じても、国籍取得の効果は生じないとされた。その理由は、一九五〇年の改正と同様に、「出生後の認知により本人又は親の意思にかかわらず国籍を取得させるのは相当でないことにある」としている(8)
  (二)  父母両系血統主義への改正と婚外子の別扱いの根拠
1  父母両系血統主義への改正から生じた問題
  父母両系血統主義の採用により、出生時に日本人である父または母との間に法律上の親子関係が存在すれば、子は日本国籍を取得することができるようになった。民法によれば、婚外子の母子関係についても、母の認知が必要だったが(民七七九条)、判例により法律上の母子関係は、原則として母の認知を待たず、分娩という事実によって当然に発生するとされているために(最判昭三七〔一九六二〕・四・二七民集一六巻七号一二四七頁)、婚外子でも、母が日本人であれば、出生の時点で母が確定しており、日本国籍を取得できる。したがって、出生後の認知によっても日本国籍を取得できない婚外子とは、日本人父の婚外子に限られることとなった。
  さらに満二〇歳未満の子について、準正による日本国籍の取得という規定を導入したために(三条)、出生後、父が認知をし、かつ母と婚姻した場合と、婚姻しなかった場合とで、同じ日本人父の婚外子であったにもかかわず、取扱いの違いが生じてしまった。ここで立法者は、父の婚外子について、出生後の認知による国籍を否定するために、新たな根拠をつけ加えざるをえなくなった。
  2  親子としての結合関係、生活の同一性の希薄さ
  立法者は、婚外子でも認知を得れば、同じ血統上の日本国民の子となるわけだが、「親子関係により我が国との真実の結合が生ずる場合に国籍を付与する」というのが基本的政策だとして、婚内子と婚外子の区別をする(9)。その理由は、親子としての結合関係の希薄さである。「非嫡出子は、正常でない家族関係下における子であって、あらゆる場合に、嫡出子と同様親子の実質的結合関係が生ずるとは言い難いから、嫡出子とは別個の考察が必要である。民法上非嫡出子は母の氏を称し、母の親権に服するものとされていることからも明らかなとおり、非嫡出子の父子関係は、通常は、母子関係に比して、実質上の結合関係即ち生活の同一性が極めて希薄である」と述べる。
  他方、立法者は準正による日本国籍の取得を認めざるをえなかった。父母両系血統主義採用の結果、母の婚外子は常に日本国籍を取得できる。これに対して父が日本人の場合には、出生後に認知し、しかも母と婚姻し、子が準正によって「嫡出子」という身分を取得しても、出生の時点で父が確定していないため、日本国籍を取得できない。母が日本人の場合は、準正の如何にかかわらず、日本国籍を取得できることと比べても不公平だし、生来の婚内子と比べても、同じ日本人の婚内子であるにもかかわらず、国籍を取得できないというのは、不公平である。そこで満二〇歳未満の子について、準正による日本国籍の取得という規定を導入した(三条)
  立法者は、その理由を補足して「日本国民父の準正子は、父母の婚姻によって嫡出子たる地位を取得したことにより、日本国民の正常な家族関係に包摂され、これにより我が国との真実の結合関係があることが明らかになったものであるから、日本国籍を付与することは、実質上も妥当である」と述べている(10)。婚姻が家族関係の正当性の証となり、日本との結合関係を明らかにするというのである。
  このような扱いが日本人父の婚外子にとって国籍取得に関して不利益になることは明白であり、一九八四年の法改正の際に、衆議院の法務委員会で、子の平等の見地から、質疑がなされた(11)。しかし、そこでも別扱いの根拠として、生活の一体化があげられている。例えば、血統主義という観点からすると、日本国民から認知された子も、準正によって日本国民の嫡出子としての身分を取得した者も、同じ親子であるにもかかわらず、認知の場合を除外した理由は何かという質問に対して、政府委員は、血統主義は血統を単なる血のつながりではなく、日本に対する帰属関係が濃いということを明確にする一つの重要な要素としてとらえている、帰属関係は生活実態と関連するが、非嫡出子の生活実態は嫡出子の場合とは違い、認知者とその子の間には生活の一体化がまずないであろうということが前提になっている、と答えている。
  3  出生時から法律上の親子関係があったと同視しうべき関係
  しかし、日本人母の婚外子は日本国籍を取得できるのに、日本人父の婚外子の場合は、準正または胎児認知がなければ、日本国籍を取得できないことは、生活の一体化だけでは説明しきれない。
  同じく法務委員会で、日本人母が未婚で子どもを産んだ場合には、日本国籍を取得できるのに対して、日本人父の場合には、準正という嫡出性を国籍取得の要件とするから、権衡を失するのではないかという質問に対して、政府委員は、三条の準正による国籍取得は、法律上の親子関係を基礎とする血統主義の補完として設けられたものであり、準正によって、出生時から法律上の親子関係があったということと同評価しうべき関係に立つといえるので、嫡出性を要件にしたと答え、婚外子の父子関係は母子関係と違って、生活実態としてその父親との関係では当然に結びつくといえないのではないかと述べている。
  生活実態の差を強調する答弁に対して、胎児認知の場合に、必ずしも実質的父子関係の生活実態が生ずるという必然性もないから、胎児認知と出生後の認知の違いも権衡を失するのではないかと質問された。政府委員は、胎児認知は二条の問題であり、子どもが出生した時点で法律上の親子関係があることを基準においたために、胎児認知でも出生と同時に日本国籍を取得するという関係に立つが、三条は、後になって、出生のときに法律上の父子関係があったと同視できるような法律関係の場合には、二条に準じてもいい関係に立つ、それは準正であるという発想だ、と答えている。
  4  立法者の根拠づけへの疑問
  以上のように、出生後の認知による国籍取得を否定する根拠として、国籍は出生時にできるだけ確定的に決定すべきだということと、個人の尊厳の立場から子の意思を尊重するということがあげられていたが、一九八四年の法改正で父母両系血統主義を採用したために生じた、父母の性と父母の婚姻の有無による取扱いの違いを根拠づけるために、国籍を血統だけではなく、日本に対する帰属関係、結合関係が濃いことに基づいて取得させると説明し、その帰属関係、結合関係の濃淡を生活の一体化に求め、それを父母の婚姻関係の有無で判断し、さらに婚外子の父子関係は母子関係に比べ、生活の同一性が極めて希薄であることを前提としていたといえる(12)
  したがって、出生時における確定的取得、つまり国籍取得の安定性と子の意思の尊重という立法趣旨と、婚外子の国籍取得の別扱いの間に実質的な関連性が乏しく、かつ、生活の一体化といった前提が現在のわが国の経験的事実と食い違っていれば、その根拠づけに合理性はないことになる。婚外子の別取扱いに合理性がなければ、それは差別として法の下の平等を定めた憲法に違反する疑いが出てくる。
  また立法者は、準正による国籍取得と胎児認知による国籍取得との関係を問われたときに、準正は、後になって、出生のときに法律上の父子関係があったと同視できるような法律関係であり、胎児認知の場合に準じてもいい関係に立つからだと説明している。ということは、準正以外でも、胎児認知に準ずるような場合があれば、国籍取得を可能にする解釈の余地を残しているとみることができるのではないだろうか。

(5)  田代有嗣『国籍法逐条解説』一五八頁(日本加除出版  一九七四年)、江川英文・山田鐐一・早田芳郎『国籍法〔新版〕』六一−六二頁(有斐閣  一九八九年)、東京高決昭五五(一九八〇)・一二・二四判時九九三号五六頁、東京地判昭五六(一九八一)・三・九判時一〇〇九号四一頁など。
(6)  実方正雄『国籍法(新法学全集)』三〇頁(日本評論社  一九三八年)。
(7)  法務省民事局編『国籍・戸籍法規便覧(昭和五三年版)』五六九、五七二−五七三頁(法務省  一九七八年)。
(8)  法務省民事局内法務研究会『改正国籍法・戸籍法の解説』九頁〔細川清〕(金融財政事情研究会  一九八五年)。
(9)  法務省民事局内法務研究会・前掲書一一頁、以下の説明はこれによる。
(10)  同一四頁。
(11)  同三一四−三一八頁、以下の紹介はこれによる。
(12)  なお、立法者は、認知による国籍取得を認めない理由として、外国法制との関係で、婚外子が無国籍になる状態を防ぐことをあげている。諸外国でも自国民の母の子については、婚内・婚外を問わず自国籍を付与するが、父の子については、婚内子に限って出生による国籍取得を認める例が多いため(スイス、西ドイツ〔当時〕、スウェーデン、オーストリアなど)、日本人父と外国人母の婚外子は母の国籍を承継できるが、日本人母と外国人父の婚外子は、父の国籍を取得できないことがある。したがって、日本国籍を付与されなければ、無国籍になる可能性が極めて大きいのだから、日本人父の婚外子には日本国籍を認めず、日本人母の婚外子は日本国籍を取得するという結果は妥当であるとする。しかし、この説明は、父または母いずれかの国籍が取得できればよいではないかというだけのことであり、日本に滞在する日本人父の婚外子について、日本国籍の取得を認めない理由としては不十分である。また母親の本国が生地主義を採用している場合には、例えば、アメリカ合州国のように、自国民が一定期間以上、本国に住んでいた経歴を有することを要件としている場合には、アメリカ人母親が一度も本国に住んだことがなければ、日本人父との間にできた婚外子は、アメリカの国籍も取得できず、日本の国籍も取得できない。認知による国籍取得の否定は、無国籍児を発生させる危険もある(奥田安弘『家族と国籍』一三〇頁〔有斐閣  一九九六年〕)。


三  婚外子差別の合理性の検討

  これまで国籍法二条で「父」を法律上の父とし、出生時点で親子関係が成立していることを要件とするのは、出生の時点でできる限り確定的に国籍を取得させるためであり、後の身分行為などで自動的に国籍が変動することによって、国籍上の地位が不安定になることは、国および本人の立場から見て好ましくないからだとされてきた(13)。また立法過程では、出生によって取得していた国籍を父の認知によって一方的に変更させられることの不合理さが、個人の尊厳という立場から説明されていた。
  このように、国籍のできる限りの確定的な取得と、本人の意思の尊重という立法趣旨それ自体は、国籍の安定性と個人の尊重という理念から見て合理性があるといってよいだろう。問題は、婚外子について父が出生後に認知しても国籍取得を認めないという手段との間に、実質的な関連性があるかどうかである。
  1  認知の意義から見た妥当性
  現在、認知は婚外子の父子関係を成立させる要件だと位置づけられているが、学説では、父子関係についても母子関係と同様に自然血縁に基づいて法律上の親子関係は成立し、認知は嫡出推定と同様に父子関係の存在を推定する方法にすぎないと解する立場がある(14)。また明治民法の起草者である梅謙次郎は、認知は親子関係を認めるものだが、事実においては出生の時において定まるものだから、原則として出生の時に遡って効力が生ずるのだと説明していた(15)。つまり認知は事実として生じている親子関係の確認だと捉えられていたのである。こうした推定または確認とする立場に立てば、父子関係も自然血縁の事実によって成立しているのだから、胎児認知と同様、「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当する。したがって、日本国籍を取得することができる(16)
  たとえ今日の実務のように認知を父子関係の成立要件と解する立場に立っても、認知の意義を考えてみる必要がある。つまり認知が純粋に父子関係成立の要件であるならば、認知の時点から父子関係が成立するはずである。それにもかかわらず、民法で認知に遡及効を認めるのは、なぜなのだろうか。もしそれが子や親の利益を保障するためだとすれば、国籍法においても、同様にできるだけ子や親の利益を保障する解釈をとるべきではないだろうか(17)
  もちろん国籍法は国籍法としての立場から、認知による国籍取得を認めるかどうか、認めるとして遡及効まで肯定するかどうかの議論をすることができる。国籍法でこれらを否定してきたのは、すでに述べたように、できる限りの確定的取得と子の意思の尊重だった。しかし、認知といっても、出生後、直ちに認知するケースもあれば、子が成年になってから認知するケースもある。後者では確かに国籍の不安定化といえるかもしれないが、前者、例えば、認知届が出生から一四日以内に出されたようなケースでは、出生届それ自体が出生後一四日以内に届け出ることになっているのだから、できる限りの確定的な国籍取得という目的に何ら反していない。それにもかかわらず、画一的に認知による国籍取得を否定するのは、目的から見て規制の範囲を越えている。
  奥田教授は、出生による国籍取得は「出生の時」に確定するという原則は、国籍留保の場合にすでに破られていると指摘する。すなわち、外国で生まれた重国籍者は、国籍留保の意思表示をしなければ、出生時に遡って日本国籍を失うが(国籍法一二条)、この意思表示は、出生の日から三か月以内に、出生届と同時に行えばよいのだから(戸籍法一〇四条一項・二項)、出生の時点では、国籍は確定していない。また、天災などの不可抗力によって期間内に届出ができない場合には、届出ができるようになった時から一四日以内に届け出ればよいとされており(戸籍法一〇四条三項)、この趣旨を認知届についても取り入れることは許されるとする。したがって、出生届が戸籍法四九条の期間内(一四日以内)に行われ、これと同時か、またはそれ以前に認知届が行われた場合には、国籍法二条一号にいう「出生の時」に法律上の親子関係が成立したと解されるとする(18)
  この解釈は、一般的に出生後の父の認知による国籍取得を認めるものではなく、合理的な期間内に、具体的には出生届の法定期間内に認知届が行われた場合にのみ国籍取得を認めるのだから、国籍取得の安定性を害さない。したがって、国籍取得の原則にも反しない。またこの解釈によって胎児認知が可能だったかどうかという偶然的な事情で、婚外子が不利益を被ることがなくなる。出生後直ちに認知届が出されるということは、自ら率先して父としての責任を果たそうとする意思の表明でもあるのだから、父子関係は母子関係と同様の緊密さをもっていると評価することができ、立法者が前提にしていた実質的な結合関係があるということになり、これまでの立法者の説明とも矛盾しない。したがって、立法者意思からみても、奥田教授のような解釈は可能だと思われる。
  また現行法では認知は父の一方的意思表示で成立するから、一般論としては、母子の知らない間に認知がなされ、認知の遡及効により生来的日本人になった結果、外国の法律により外国籍を喪失するといった事態も生じる可能性がある。しかし、婚内子の場合には、子の意思いかんにかかわらず、父が日本国民であるというだけで日本国籍を取得する。血統主義を採用する以上、当然のことなのだから、婚外子の場合にのみ、子の意思を論じるのは、おかしい(19)。もし子の意思を重視するならば、準正の場合と同様に、認知と同時に子の日本国籍取得の意思表示(届出制)をさせるような制度を設ければよいのである。遡及効を認めることによって、例えば、すでになされた選挙の効力などが問題になるとすれば、準正の場合と同様に国籍取得を未成年の間に限定したり、第三者がすでに取得した権利を害することができないなどの規定を設ければすむことである。このような制度的な工夫をせず、また現在、問題になっているような、子が日本で生まれ、生活し、日本人父の援助を受けていたり、母が日本で働き生活が安定し、日本国籍の取得を希望している場合にまで、当然のように国籍取得を否定するのは、手段としての社会的許容性を欠いているといわざるをえない。
  2  胎児認知による国籍取得を認めることとの不均衡
  現行法と同じ規定である明治民法の制定過程で、立法者は、次のようなケースを例示して胎児認知の必要性を説いていた。例えば、妾を置いている人物がおり、女子が一人ある、今度、妾が妊娠した、生まれてくるのが男子であれば、その子に家督を相続させたい、ところが出産しない間に、自分が死んでしまうと、認知ができず、相続もできない、だから、胎児の間に認知を認めるのだ、と(20)。当時は、死後認知の制度が認められていなかったので、このような論理になったのだといえる。
  民法では、損害賠償請求や相続、遺贈について胎児はすでに生まれたものとみなすという規定があるが、これらの権利を取得するためには、法律上の親子関係が成立していなければならない。しかし、死後認知が制度化されていなければ、胎児の間に認知していない限り、婚外子と父との間には法律上の親子関係が成立せず、これらの権利を取得できないことになる。だから、「父が死に瀕するとき」、「父が死亡しそうな場合」などに実用性があるといわれていたのである(21)。しかし、一九四二〔昭一七〕年の民法改正で死後認知が制度化されたため、胎児認知制度の必要性は減じた。
  また明治民法の時代には、出生後に婚外子を父が認知し、戸主の同意を得れば庶子となり、家督相続の権利も生まれたが、その子を出生と同時に庶子にすることはできず、胎児認知をしていたときにのみ、庶子出生届が可能だった。しかし、一九一四〔大三〕年の戸籍法改正により、庶子出生届に認知の効力を認めたため(現行戸籍法六二条に該当する)、この分野でも、胎児認知制度の必要性はなくなった。
  しかし、今日でも、出生後に死後認知の裁判手続を経る必要がないこと、父死亡後、直ちに相続関係の処理ができることなどの実益があると指摘されている(22)。また、父の死亡の危険のある場合だけではなく、例えば、内縁の夫婦が内縁の解消にさいし、内縁の妻が子を懐胎しているときに、内縁解消に先立って内縁の夫が胎児認知をしておくというように、非嫡出の胎児の父が母との関係を絶って遠隔地におもむき、あるいは消息不明になるおそれのある場合にも利用されるにいたっているとの指摘もある(23)
  このように胎児認知制度は、子の出生後に父の死亡や失踪などがあって認知できない可能性の高い場合に、利用される制度なのである。婚外子と父との関係が緊密で安定している場合には、出生後の認知で十分なのだから、わざわざ胎児認知はしない。死産の可能性もなくはないのだから、無事に生まれてから認知する方が自然である(24)。それが国籍法の改正によって、父の認知による日本国籍の取得が廃止されたこととの関係で、突如、胎児認知は、父の婚外子が日本国籍を取得する方法として、実益がある制度だとして位置づけられることになった(25)。しかし、これは胎児認知制度本来の趣旨ではない。このような便法が一般化すること自体、国籍法の問題点を如実に示しているといえる(26)
  ところで立法者は、子どもが出生した時点で法律上の親子関係があることを基準においたために、胎児認知でも出生と同時に日本国籍を取得すると説明する。他方で、出生後の認知による国籍取得を否定したり、準正による国籍取得を肯定する理由として、嫡出子だけが正当な家族の構成員になり、日本との帰属関係が明らかになると説明する。しかし、父の婚外子につき胎児認知による国籍取得を認めるのだから、たとえ国籍法二条と三条は別の次元の問題だしても、結果として生じていることは、明らかな矛盾である。民法で胎児認知を認めたのは、父と胎児との間に親子として緊密な関係が形成されていることに着目したためではない。むしろ不安定で出生後の認知が期待できないがためである。それにもかかわらず、例えば、父母が事実婚関係にある場合、別居しているが父が安定的に子の養育にかかわっている場合など、出生後に認知して緊密な関係を保っている父子のケースで、国籍の取得が認められない。これは生活実態を無視した扱いではないだろうか。
  前述の一九九六(平八)年六月二八日の大阪地裁のケースでは、姉が生まれた時点では、日本人父は外国人母と一緒に暮らしていた。しかし、父母が別居することになったので、姉と一緒に、まだ生まれていない妹も認知された。妹は、出生の時点では、父と暮らしていない。現実の父子関係は、姉の方が妹よりも緊密だった。ところが、妹は日本国籍を取得し、姉は日本国籍を否定されたのである(27)。この不合理さをどうやって説明するのだろうか。奥田教授は、胎児認知の場合に国籍取得を認め、生後認知の場合に国籍取得を認めないことは、全く恣意的な区別であるといわざるをえないと、厳しく批判している(28)
  3  出生後の国籍の変動を認める例との不均衡
  これまで出生後の認知による国籍取得を否定する理由として、国籍上の地位の不安定があげられてきたが、出生後に国籍の変動が生じる例が存在する以上、絶対的な理由にはなりえない。
  まず準正である。満二〇歳までは準正によって日本国籍を取得できる。だから、例えば、出生後一八年くらいたって、父から認知され、一九年目に父母が婚姻したような場合でも、国籍が変動する。婚姻によって嫡出子としての身分を取得し、日本国民の正常な家族関係に包摂され、これにより日本との真実の結合関係が明らかになるからと説明されているが、日本の婚姻・離婚は届出制であり、実体的な夫婦関係の有無はチェックできないのだから、仮装の婚姻届もありうる。国籍取得のために婚姻届をし、すぐに離婚届をするということも可能である。これでも「日本国民の正常な家族関係に包摂され、これにより日本との真実の結合関係が明らかになる」といえるのだろうか。
  また婚内子であっても、嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えが認められ、法律上の親子関係が成立していないことになれば、出生の時点まで遡って日本国籍を喪失すると解釈されている(29)。例えば、フィリピン人女性が日本人男性と婚姻した後、別居して事実上離婚状態になっているときに、別の日本人男性と同居し、子をもうけたケースでは、夫の嫡出子として日本国籍を取得したが、後にこの子は嫡出否認された結果、遡及的に日本国籍を失い、自然血縁の男性に認知してもらったものの、出生後の認知であったために、日本国籍を取得できなかった(30)
  嫡出否認の訴えは、夫が子の出生を知ってから一年以内という時間的制限があるから、できる限りの確定的取得という目的に与える影響は小さいかもしれない。しかし、現在の家庭裁判所の実務では、出訴期間経過後でも、夫・妻の合意がある場合や婚姻関係がすでに破綻している場合には、親子関係不存在確認の訴えによって嫡出子と父との親子関係を否定することを認めている。この親子関係不存在確認の訴えには、出訴期間の制限も、出訴権者の制限もない。確認の利益を有する者は、いつでも訴えを起こすことができる。出生後、二〇年、三〇年たってからの不存在確認の訴えもありうるのである。この場合でも遡及的な国籍の喪失を認めることになる。これ以上の国籍の不安定化はないにもかかわらず、国籍を喪失させるのである。
  このように出生後の父母の婚姻による国籍取得や親子関係の否定による遡及的な国籍喪失を認めることは、出生時においてできる限り確定的に国籍を決定するという目的の例外を認めることに他ならないのだから、出生後の認知による国籍取得を一律に否定する必然性は乏しい(31)。とりわけ出生後、相当期間内になされた認知による国籍取得を否定することとの不均衡は著しく、立法目的とそれを達成するために設けられた手段との間に相当性を欠いているといわざるをえない。
  4  生活の一体化と婚姻との関係
  それにもかかわらず、立法者が出生後の認知による国籍取得を否定したのは、婚外子と父との親子関係が母子関係に比べて希薄であるという認識に基づいている。つまり、日本との帰属関係の濃淡を生活の一体化に求め、それを父母の婚姻関係の有無で判断し、婚外子の父子関係は母子関係に比べ、生活の同一性が極めて希薄であるとすることによる。
  しかし、現実の家庭生活を見ると、「生活の一体化」は婚姻とは必然的に結びつかない。例えば、重婚的内縁の場合、つまり法律婚が事実上離婚状態にあり、子どもが事実婚で誕生し、父母と共同生活を継続している場合、生活実態に注目して見れば、「生活の一体化」は事実婚の側にある。また法律上の父子関係の成立について見ると、嫡出推定は婚姻解消から三〇〇日内の出生にも及ぶから、離婚後の出生でも親子関係が成立し、その結果、父とは一緒に暮らしたことがないにもかかわらず、日本国籍を取得することも起こりうる。さらに日本の婚姻制度は届出主義であり、生活実態を要件としないから、単に国籍取得のためだけの仮装の婚姻届もありうる(32)。このように「生活の一体化」を婚姻関係の有無で判断することはできないのである。
  また男女が子どもをもうけ、家庭生活を営む生活形態は、婚姻だけではない。相互理解が乏しくて離婚や再婚を繰り返すケースもある。母子が共同生活をし、父が経済的に援助し、親子としての交流を続けるというケースもある。父母による養育は、必ずしも父母の双方と同居することを意味しない。離婚後の子の養育を考えれば、このことは明白であろう。このような場合でも、結合関係は希薄だといえるのだろうか。家庭生活のあり方も親子の交流のあり方も多様である。国際婚外子もまたこのような多様性の中で生活している。それにもかかわらず、婚姻という外形的事実にのみ父子の結合関係の緊密さを求め、父母が婚姻したかどうかによって、国籍取得に違いを設けるのは、家庭生活の多様性を無視するものであって、現実の親子関係の実態にそぐわない(33)
  確かに今日まで、婚姻制度は、家事労働に従事する妻の生活を保障し、子の身分を確保するとともに、子に安定的な養育環境を保障する働きをしてきた。したがって、「生活の一体化」を婚姻に求めることにも一定の合理性があったといえないこともない。しかし、現在、経済的に自立する女性が増加する傾向があり、婚姻だけが女性の幸福に結びつくものではないという考え方が浸透し、自分に合ったライフスタイルの選択が求められ始めている。このような時代的変化にもかかわらず、家族関係を「正常」と「正常でない」ものに分け、婚姻のみを「正常」と見ることは、婚姻以外のライフスタイルを選択した国際カップルの子どもの生活を抑圧することにつながるおそれさえある。
  以上のことから、婚外子の父子関係は母子関係に比べ、生活の同一性が極めて希薄であることを根拠にすることに、明白な合理性を見いだすことができない。
  5  婚外子の差別をなくす動きと子どもの権利
  さらに立法者は、民法の規定で婚内子の扱いと婚外子の扱いが違うことをも別扱いの根拠にしていた。しかし、婚外子に関する差別をなくすことが、立法上の重要な課題だと認識され始めている。
  例えば、法務省民事局参事官室は、一九九四年七月民法改正要綱試案において、「嫡出子と非嫡出子の相続分の平等化」を提起した。相続分差別について、最高裁大法廷は合憲としたけれども(最大決平七〔一九九五〕・七・五民集四九巻七号一七八九頁)、違憲とする少数意見五名と、合憲という多数意見ではあるものの、立法による改正を示唆する補足意見四名を加えると、最高裁裁判官一五名中九名になり、実質的には違憲と解釈することもできる。多数意見の合憲判断にもかかわらず、一九九六年二月に法制審議会が答申した民法改正の法律案要綱では、なお平等化が規定されている。また自治省は一九九四年一二月、住民票の世帯主との続柄において「嫡出子と非嫡出子」、「実子と養子」を全て「子」と統一する改正をした(九五年三月一日から実施)
  他方、一九九三年一一月には、国際人権規約B規約に関して規約人権委員会は、日本政府に対して、婚外子差別をなくすよう改善の勧告を出している(34)。子どもの権利条約では、条約で掲げられた権利について、出生による差別をなくすことを明記する(二条)。婚内子と婚外子を平等に扱うことは、今日の世界的な課題になっている。
  このように婚外子の平等化が進み、これを求めて法改正が進展しつつある現在では、もはや国籍取得に関する取扱いについて、民法上の取扱いの相違を根拠にすることはできないのではないだろうか。むしろ婚外子の利益を守るような扱いをすることこそ、求められていると思う。例えば、日本で居住し、父の援助を受けて生活しようとしている婚外子に、日本国籍を取得させることのメリットは大きい。婚外子の父子関係の場合、子と同居しないでも、男性が誠実に父親としての義務を果たそうとしているケースは、いくらでもある。別居していても、子にとって、このような父は大切な存在である。本人にとっては、国籍の変動こそが望ましい。
  日本が批准した子どもの権利条約は、子どもは出生の時から国籍を取得する権利を有するものと規定する(七条)。国籍は国が恩恵として与えるものではなく、国民の権利義務の源泉として、人が権利として取得するものだと位置づけられている。この規定の趣旨は、無国籍を防ぐためであるが、同条約は、子どもはできる限りその父母によって養育される権利を有すると規定し(七条)、子どもがその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保するよう締約国に義務づけている(九条)ことから考えると、滞在国の国籍を取得する権利を含むように思われる。内外人平等の原則がすべての権利義務に貫徹していない現状では、日本で生まれ日本で暮らしていこうとしている国際婚外子が安定して成長できるためには、滞在国である日本の国籍取得が何より重要になる。滞在国の国籍を取得することが、子の基本的権利だとすれば、国籍の変動にあたっては、国の利益よりも個人の利益を優先させるという判断はありうるのではないだろうか。
  日本政府は、父母と子の分離の禁止を規定した子どもの権利条約九条について解釈宣言を行い、退去強制が九条に違反するものではないとしているが(35)、そうであればあるほど、日本国籍の取得を容易にして、親と子の分離を防止すべきであろう。国際婚外子の父に父としての義務を適切に履行させる意味で、国籍は権利義務の源泉であるから、国籍の取得は必須のものだと考える。このような状況があるにもかかわらず、形式的な権利の違いを理由に、婚外子の認知による国籍取得を否定することには、いかなる合理性をも見いだすことはできない。国際人権規約B規約は、すべての子どもは国籍を取得する権利を有すると規定しており(二四条三項)、規約人権委員会の一般的意見(ジェネラル・コメント)は、「国内法の下で婚内子と婚外子との間に国籍取得に関していかなる差別も設けることを許さない」としている(36)。B規約を批准している日本としては、この意見を尊重すべきではないだろうか。

(13)  田代・前注(5)一五八頁。
(14)  於保不二雄『親子』三一頁(日本評論社  一九五〇年)、伊藤昌司「民法判例レビュー(家族)」判例タイムズ八八五号七五頁(一九九六年)、榊原富士子・二宮周平『二一世紀親子法へ』六二頁(有斐閣  一九九六年)。
(15)  梅謙次郎『民法要義四』二六五頁(有斐閣  一九一二年)。
(16)  なお三井哲夫「国籍附与の要件としての親子関係と法の抵触に関する若干の問題に就て(四・完)」民事月報二四巻四号四四頁(一九六六年)は、認知を親子関係の証明方法と捉えて、同様の解釈をしていた。
(17)  木棚教授は、私見のような立場を立法論として意義を持つが、旧国籍法からの改正の経緯、現行国籍法の建前、準正による国籍取得とのバランス、認知が父の一方的意思表示で成立することなどから、現行法の解釈としては無理であるとされる(木棚照一「国籍法逐条解説ェ」戸籍時報四六四号一〇頁〔一九九六年〕)。私見は、国籍法の解釈として生後認知による国籍取得が可能だとするものだが、教授の指摘のようにこれに無理があるとしても、生後認知では国籍法二条一号の要件を満たさないという通説・実務の解釈が、憲法の平等原則からみて違憲かどうかは、なお論じることができると思われる。
(18)  奥田安弘「生後認知による国籍取得を例外的に認めた事案」戸籍時報四五六号一一−一二頁(一九九六年)。なお生後認知による国籍取得を認めた事例として、次のようなケースがある。韓国人女性Aが日本人男性Bと婚姻したが、やがて別居するに至り、別居中にAは別の日本人男性Cと知り合い、子を出産した。二か月後、夫Bと協議離婚をし、子の出産から三か月後、子と前夫Bとの間の親子関係不存在確認の訴えを起こした。この審判が確定してから一二日目に、出生届と認知届が行われた。東京高裁は、嫡出推定が働き、胎児認知が不可能な子について、出生後、相当期間内に嫡出否認あるいは親子関係不存在確認の訴えを起こし、確定後、出生届期間に相当する期間内に、新たな出生届と認知届出があった場合には、国籍が長期にわたって不確定なものとなるおそれがないから、例外的に日本国籍の取得を認めるとした(東京高判平七〔一
九九五〕・一一・二九判時一五六四号一四頁)。
(19)  同旨、奥田・前注(12)一二七頁。
(20)  法典調査会第一五六回、明治二九年一月二四日(『日本近代立法資料叢書6  法典調査会  民法議事速記録六』五七三頁〔商事法務研究会  一九八四年〕より)。
(21)  梅謙次郎『民法要義四』二六四頁(有斐閣  一九一二年)、穂積重遠『親族法』四五三頁(岩波書店  一九三三年)など。
(22)  我妻栄編『判例コンメンタール  親族法』二三二頁〔石川稔〕(日本評論社  一九七〇年)、林良平・大森政輔編『注釈判例民法  親族法・相続法』二二六頁〔久貴忠彦=床谷文雄〕(青林書院  一九九二年)など。
(23)  中川善之助編『注釈民法22のI  親族(3)』二一九頁〔木下明〕(有斐閣  一九七一年)。
(24)  奥田・前注(12)一三三頁。
(25)  林他・前注(22)二二六頁〔久貴=床谷〕。
(26)  佐野寛「日本国籍の取得をめぐる諸問題」ジュリスト一一〇一号一八頁〔一九九六年〕。
(27)  奥田・前注(12)一三四頁。
(28)  奥田安弘「人権としての国籍」自由と正義四七巻一号九三頁(一九九六年)。
(29)  江川・山田・早田・前注(5)六〇頁、法務省民事局法務研究会編『国籍実務解説』四三頁(日本加除出版  一九九〇年)など。
(30)  太田季子・谷合佳代子・養父知美『戸籍・国籍と子どもの人権』三五頁以下参照(明石書店  一九九四年)。
(31)  佐野教授も、嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えが認められた場合に、出生時にまで遡って日本国籍を喪失すると解されていることからすれば、国籍の早期確定という要請も必ずしも絶対的なものではないとされる(佐野・前注(26)一四頁)。
(32)  もちろん、婚姻意思が問題になると、実質的婚姻意思がないとして、この婚姻は無効になる。例えば、台湾人女性との間に生まれた婚外子に日本国籍を取得させるために、この女性との婚姻届を出した事案で、婚姻は無効とされた(東京高決昭六〇〔一九八五〕・二・二一判時一一四七号一〇一頁)。しかし、当事者が婚姻の無効確認の裁判を起こさない限り、わからないことであり、有効に日本国籍を取得できることになる。
(33)  奥田教授も、婚外子と日本人父との関係が名目上のものにすぎないかのようにいう通説の見解を受入れがたいと述べ(奥田・前注(12)一三一頁)、佐野教授も、婚外子と父の関係について、一般的に親子の実質的結合関係が希薄であるとする点には疑問があると述べる(佐野・前注(26)一五頁)。
(34)  日本弁護士連合会編『ジュネーヴ一九九三  世界に問われた日本の人権』二四八−二五〇頁(こうち書房  一九九四年)。
(35)  波多野里望『逐条解説  児童の権利条約』六八頁(有斐閣  一九九四年)。
(36)  一九八九年四月五日、B規約二四条に関する一般的意見一七、第八パラグラフ(CCPR/C/21/Rev. 1, p. 23)。簡潔な紹介として宮崎繁樹編『解説・国際人権規約』二四五頁〔荒牧重人〕(日本評論社  一九九六年)。


四  平等処遇へ向けて

  1  二重の違憲性
  以上検討したように、国籍取得の安定性および本人の意思の尊重という立法趣旨と、婚外子について父が出生後に認知しても国籍取得を認めないという扱いとの間に、実質的な関連性はないといえる。同じ日本人父の子でありながら、父母が婚姻できたかどうか、胎児認知の手続が間に合ったかどうかという、子自身によって選択できないことによって、子の基本的権利である国籍取得が左右されることは、自己の行為によらずして不利益を受けることはないという近代法の原則に反している。したがって、認知の遡及効を否定し、生後認知による日本国籍の取得を認めない現在の実務は、憲法一四条の法の下の平等に違反すると考えられる(37)
  ところで子の国籍取得を親の立場から見てみると、日本人母は外国人父と婚姻していなくても、子に日本国籍を取得させることができ、子と同じ国籍になるのに対して、日本人父は外国人母から生まれた子について、胎児認知を行わなかったり、出生前あるいは出生後に婚姻をしない限り、子に日本国籍を取得させることができず、子と国籍は異なることになる。
  このように子の国籍取得が、親の性別により差別されることについて、山田教授は、両性平等の立場から、出生による国籍の取得に関し、父系優先血統主義から父母両系血統主義に改正するとすれば、母が日本国民であるときには子は日本国籍を取得するにもかかわらず、出生後の認知により日本国民である父と非嫡出親子関係が成立しても子が日本国籍を取得しないとする法制を維持することは、両性平等の関係で問題となるであろうと指摘していた(38)。また奥田教授も、法の下の平等を定めた憲法一四条に違反する疑いがあると指摘する(39)
  つまり出生後の認知による国籍取得を一律に否定する制度は、婚外子対する差別的扱いと同時に、父母の性による差別的取扱いという面をももつものであり、二重の違憲状態にあるといえるのである。このように認知の遡及効を否定し、国籍取得を認めない解釈が憲法に違反する疑いが強いとすれば、そのような解釈はとるべきではない。認知の遡及効を肯定し、国籍取得を認める解釈こそが、憲法の法の下の平等原則にかなうものである。
  2  認知による国籍取得を認めることの社会的な意義
  認知による国籍取得を認めると、国籍取得のための仮装認知のおそれが出てくるという批判もありうる(40)。しかし、認知をすると、扶養義務や相続権など親子としての法律上の権利義務関係が発生する。国籍取得のために認知したにすぎないのだから、民法上の権利義務は否定するなどということは許されない。だから、広く仮装認知が行われるとは思われない。むしろ、妊娠した外国人女性との仮装婚姻と子の日本国籍取得後の離婚という組み合わせの方が、身分関係への影響が少ないためにとられる可能性が高い。だから、このような批判は認知による国籍取得を否定する合理的な理由にはならない(41)。起こりうるとしても一部にすぎないことを理由にして、真実の親子関係がある大多数の者の国籍取得を否定することは、本末転倒である(42)
  他方、日本人男性がアジア諸国で現地の女性と性的関係をもち、子が誕生したにもかかわらず、母子を遺棄したまま日本に帰る事例が後を断たず、アジア諸国から厳しく批判されている。母子が苦労の末に強制認知で勝訴しても、日本国籍を取得できないという結果は、子の立場から見た場合、遺棄の継続としか写らないのではないだろうか。日本人父としての責任は、日本国籍取得の可能性を開くことによって初めて全うされるのではないだろうか。
  したがって、国籍法の解釈それ自体において、父の生後認知による国籍取得を認めることは、婚外子を平等に処遇することを明らかにすると同時に、日本社会が国際婚外子に対してきちんとした責任をとることを示す意味もあると思われる。
  3  立法論の展開
  しかし、解釈論としてはなお取りえないとする立場も根強い。やはり正面から国籍法の改正を検討すべきであろう。
  かつて日本は、認知による国籍取得を認めていたが(一八九九年の旧国籍法)、認知によって当然に子の意思に基づかないで国籍の変更を生ずることが、個人の尊厳に反すること、近時における各国立法の例にならって、出生による日本国籍の取得の場合を除いて、子に父母からの地位の独立を認めることを根拠に、認知による国籍取得を廃止した(43)。しかし、奥田教授によれば、認知による国籍取得の廃止が各国の立法の動向に沿うものであったかどうかは疑わしい。一九世紀後半から二〇世紀初めにかけて、日本の旧国籍法と同様に認知による国籍取得を認めていたフランス、ベルギー、イタリア、オランダは、その後も一貫して、認知による国籍取得を認め、一九八〇年代以降、婚内子と婚外子の平等な扱いをする法改正を行っている(44)
  また長い間、認知による国籍取得を否定していたドイツでも、これを肯定する法改正を行っている。ドイツでは、婚外子は母との関係では、婚内子と同一の法的地位を取得したが、父との関係では、扶養を受ける権利を有するだけであり、親族関係も成立しなかったため、認知による国籍取得は考えられなかった。しかし、一九七四年の法改正で父母両系血統主義を採用するとともに、ドイツ人父の婚外子に対して、一定の条件の下に帰化請求権を与えた。当時の連邦議会の内務委員会の報告書では、「多数の国において、父の認知は、非嫡出子が父の国籍を取得する原因とされており、とりわけ、ほとんどの近隣諸国および全東側諸国がそうである」と諸外国の立法例の傾向を説明した後、「非嫡出子の場合、常に社会的紐帯は、専ら母と子の間にある」として、「ドイツ人父と外国人母から生まれた非嫡出子に、法律上当然にドイツ国籍を与えることは、必要とは思えなかった」とする。認知による国籍取得を認めると、「ドイツとは全く関係のない非嫡出子も、ドイツ国籍を要求できることになる」。そこで、帰化請求権を与えることにしたというのである。この立法者の説明は、日本における立法者の説明と極めて近似していることに注目したい。
  しかし、ドイツでは一九九三年に抜本的な改正を行い、ドイツ人父の生後認知による国籍取得を認めるに至った。連邦議会の理由書は、改正について「血縁によるドイツ国籍の取得について、出来る限り、嫡出子と非嫡出子の区別を無くす趣旨である」と説明している。ドイツへの移民を目的として濫用される危険性についても、「国籍法における父子関係の確認について、家族法と異なった基準を用いることは、ほとんど考えられない。嫡出子の血縁による国籍取得も、家族法上の規定にもとづいて規律されているのである」と述べ、家族法における父子関係の成立の基準に従うことを明言している(45)
  このようなドイツの法改正の経過を見るとき、日本でも生後認知による国籍取得を肯定する立法は可能であると思われる。かつて一九八四年の国籍法改正時に、山田教授は、準正子と認知子を国籍取得について区別すべきかどうか問題だとし、理論的には認知によって国籍の取得を認めるべきだが、歴史・道徳・人口問題など政策目的も考慮しなければならないから、政策的理由から認知の場合は認めないというのであれば、異をはさむものではないと述べられていた(46)。また木棚教授は、血統主義の建前からすれば、認知や準正により出生後日本国民と父子関係を生じた子に届出により日本国籍の取得を認め、出生による国籍取得の場合と均衡を保つことが考えられるとし、非嫡出子と嫡出子の平等化への世界的な傾向が明らかになっていること、昭和五四年七月の相続に関する民法改正要綱試案では、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と同等にする旨の条項が含まれていること、国籍法が胎児認知の場合には、準正があったかどうか、日本国民の家族関係に包摂されるかどうかを問わず、出生により日本国籍を取得できるものとしていることを考慮すれば、生後認知の場合にも、届出による日本国籍取得を認めた方が均衡のとれたものとなったのではないかと指摘されていた(47)。当時と比べて婚外子の平等化が一層進み、前述のように国際人権規約B規約に関する規約人権委員会の一般的意見が、国籍取得に関して婚外子差別を許さない旨述べ、具体的な改正例としてドイツで認知による国籍取得を認める法改正がなされた現在、日本でも法改正への合意は得られやすくなっていると思われる。
  具体的な立法にあたっては、奥田教授の私案を支持したい。すなわち、((1))成年に達した後の国籍の変更は、本人および第三者に対する影響が大きいことから、認知による国籍取得を子が未成年の間に限定すること、((2))認知の遡及効を肯定するが、第三者の権利を害することができない旨の規定を設けること、((3))準正の場合と同じく、届出による国籍取得とすること、である(48)
  日本の国際化に伴い、日本人男性と外国人女性を父母とする国際婚外子の誕生も増加することが予測される現在、子どもの権利条約を批准した日本としては、平等原則を貫徹し、子どもの権利を保障するために、法改正の必要性は高いといえる。ドイツを他山の石として、子どもの権利保障のために認知の効果は出生に遡るという民法の原則に従った国籍法の改正をすべき時期が来ている。

(37)  奥田・前注(12)一三四頁、君塚・前注(4)三三五頁。なお佐野教授は、現行国籍法が認知の遡及効を否定していることには合理的な理由があるが、血統主義の補完として日本国籍の簡易な取得方法を認める場合に、準正された子と認知された子を区別する合理的な理由はないとして、国際的な基準に照らして見直す必要があるとする(佐野・前注(26)一五、一八頁)。
(38)  山田鐐一「子の出生後に日本国民である父が認知した場合には国籍法二条一号の適用がないとした事例」判例評論二七七号一五五頁(一九八一年)。
(39)  奥田安弘「認知による国籍取得に関する比較法的考察」国際法外交雑誌九四巻三号四二頁(一九九五年)。
(40)  江川=山田=早川・前注(5)八〇頁など。
(41)  佐野・前注(26)一五頁。
(42)  奥田・前注(12)一三二頁。
(43)  本文二四頁および奥田・前注(39)三頁参照。
(44)  奥田・前注(39)一二頁以下参照。フランス、ベルギーでは、婚外子は、父母の内、先に親子関係が確認された親の国籍を取得するが、同時に親子関係の確認がなされた時は、父の国籍を取得するという、父系優先が規定されていた。イタリア、オランダでは、自国民人父によって認知された子は自国の国籍を取得するが、自国民人母によって認知された子は、外国人父の認知がない限りでのみ、自国の国籍を取得した。これらが法改正され、父または母が自国民である子は、自国民とする形式になった。両性の平等を実現すると同時に、婚内子と婚外子の平等処遇も実現されたのである。
(45)  以上は、奥田・前注(39)四−一〇頁に依拠している。
(46)  「座談会・中間試案をめぐって」ジュリスト七八八号二〇頁〔山田鐐一教授の発言〕(一九八三年)。
(47)  木棚照一「国籍法の改正」法学セミナー三五九号六〇頁(一九八四年)。
(48)  奥田・前注(39)四〇−四一頁。なおオランダでは、認知後、引き続き三年以上、認知をしたオランダ人により監護・養育を受けたことを要件にして、濫用の危険性に対処しているが、他の国ではこうした制限を設けていない。年齢制限で濫用の危険を防止できると思われる。また生来の国籍の安定化を図るためには、婚内子についても、未成年の間に親子関係が確認された場合に限り、日本国籍の取得を認め、逆に、嫡出否認や親子関係不存在確認によって嫡出親子関係が消滅する場合についても、日本国籍の喪失は未成年の間に限るといった改正も必要になる。なお本文のような私案によると、本文OO頁で紹介したフィリピン人女性の子の場合、日本人前夫との間の親子関係不存在確認により日本国籍を喪失するが、日本人父の認知により再び日本国籍を取得できることになり、問題は解決する。
  他方、君塚・前注(4)三三六頁は、条文の改正か運用の変更による救済が望ましいとしつつも、「出生の時に父又は母が日本国民である」ことが事後判明した者であるとして、少なくとも出生の時点から日本国籍の取得が認められると国籍法は解釈できるのではないかと指摘している。


〔付記〕  本稿は、広島地裁・平成五年(行ウ)第五号・第六号退去強制命令等取消請求事件等に関する意見書をもとに書き直したものである。当該事件は、胎児認知の手続があったものとして扱い、原告の日本国籍取得を認めるという和解で解決した。また本稿の基本的考え方は、拙稿「外国人労働者と家族−国際婚外子の国籍取得」平成六年度科学研究費補助金(一般研究C)研究成果報告書『日本およびドイツにおける外国人労働者の法的諸問題に関する総合的研究』(一九九五年三月)および「国籍法における婚外子差別の検討」ジュリスト一〇七八号四六頁以下(一九九五年)で示している。しかし、なお同種の事件が裁判所に係属しており、公けにする意味はあると思い、菊井先生=松岡先生の退職記念号という貴重な紙面を拝借することにした。