立命館法学  一九九六年六号(二五〇号)一五二六頁(一八六頁)




電話傍受の手続的側面の再検討


久岡 康成







目    次




一、は  じ  め  に

  電話傍受は、現行法上は通信の秘密・プライバシーの権利等の人権を侵害する盗聴の一種であり、電気通信事業法一〇四条、有線電気通信法一四条により犯罪とされている。ところが一九八〇年代以降例外的に、覚せい剤の電話利用の非対面式売買等の犯罪の捜査において、裁判官の検証令状を得て交換機など電話通信設備に傍受器具を接続して電話傍受が行われ、甲府地判平成三年九月三日、東京高判平成四年一〇月一五日、旭川地判平成七年六月一二日等、これを肯定する裁判例が明らかにされてきた(1)
  そうしてこれら裁判例に対しては、電話傍受が検証概念に該当するか等を中心に、様々な論議が行われてきた(2)。ところが一九九六年にいたり法務省当局により、組織的犯罪対策の特別立法の一環として、電話盗聴の立法化の問題が提起され、平成八年一〇月八日に法務大臣より法制審議会に対し、組織的な犯罪に対処するための刑事法整備に関する法制審議会への諮問が行われ(諮問第四二号)、その別紙第四として「令状による通信の傍受」が挙げられるに至った。この諮問については現在、法制審議会刑事法特別部会で審議されており、同特別部会に提出された「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備要綱骨子に関する事務局参考試案」(以下、事務局参考試案と呼ぶ)も明らかにされている(3)
  電話傍受は、通信の秘密等の人権を侵害するものであるから、強制処分である。このような強制処分が許容され得るかの検討は、政策的見地のみならず理論的見地から、いかなる人権や法益が犠牲にされる強制処分であるのか、その人権や法益を犠牲にし得るという判断の根拠や基準などの実体的側面と、手続的側面の両面からなされることが必要である。本稿では、以上の中から強制処分に対する手続的保護を中心に、電話傍受についての手続的側面からの問題にしぼって検討を試み、実体的側面からの検討は別の機会にゆずる(4)

(1)  甲府地判平成三年九月三日判例時報一四〇一号一二七頁、東京高判平成四年一〇月一五日高刑集四五巻三号八五頁、旭川地判平成七年六月一二日判例時報一五六四頁である。
(2)  検証令状による電話傍受の問題についての文献については検証令状による電話傍受については、久岡「電話傍受肯定論の再検討」新・生きている刑事訴訟法(佐伯千刃先生卒寿祝賀論文集)九三頁以下を参照。なお参照、大野正博「電話の通話内容の傍受とその令状について」愛知学院大学大学院法研会論集第一二巻第一号四一頁。
(3)  事務局参考試案については、ジュリスト・ノート「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備に関する法制審議会への諮問及び事務局参考試案」ジュリスト一一〇三号一六五頁にある。これにつきなお参照、久岡「通信傍受立法の問題点」季刊刑事弁護九号一二頁。
(4)  参照、久岡「電話傍受の実体的側面の再検討」中山古希記念祝賀論文集第五巻所収。なお、事務局参考試案にいう通信傍受は、電話その他電気通信の傍受を意味しているが、本稿では通信傍受の中で一般的な電話傍受を念頭に検討した。



二、強制処分を受ける者の側からの手続的側面


(一)  「憲法三一条ー法定手続きの原則」と憲法三五条
  (1)  憲法三一条ないし四〇条は、現行刑事訴訟法の制定直後に小野清一朗博士によって説明されたように、「司法制度なかんづく刑事司法制度に関するものであり、憲法の形式において規定された刑事訴訟法規であるといってよい」ものであり(1)、「この日本国憲法にこたえ」た、「新刑事訴訟法における改革の要点」として、「基本的人権を尊重し、個人的自由の保障を厚くする」という点が、「弁論的訴訟構造への飛躍的な転換を試みようとしている」点と並んで指摘されている。このような「この日本国憲法にこたえ」、「基本的人権を尊重し、個人的自由の保障を厚くする」という視点は、強制処分の領域では、公判段階と捜査段階を通じる「強制処分法の基本原則」として、平場安治博士により次のように展開されている。
  強制処分は、「強制処分を受ける者の側にとっては、一種の害悪の忍受、しかもその害悪の忍受は、刑法の場合のように、自己の違法行為を原因とするものではないから、強制処分は必要最小限度の害悪に止まるべきであり、又その害悪を終局的に強制処分の相手方に負担せしめることは妥当ではない」。そうして、強制処分のこの性質から、強制処分法の基本原則として、「必要性の原則」、「補充性の原則」、「法益秤量の原則」、「国家保障の原則」、「憲法三一条ー法定手続きの原則」、が挙げられている(2)
  (2)  同博士の説かれる強制処分法の基本原則のうち、電話傍受という強制処分の「手続き的側面」を検討する本稿にとって直接に問題となるのは、「憲法三一条ー法定手続きの原則」である。
  憲法三一条は、「法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科されない」と定めている。かって憲法三一条を「刑罰」との関係におけるものとし、それ以外については準用の問題と考える立場があったが、今日では最高裁判所も、「憲法三一条の定める法定手続きの保障」自体は行政手続きにも及ぶことを認めて立論するようになってきている(3)。まして捜査という刑事手続きにおける強制処分は、刑罰を科することにつながるものであるのだから、平場博士が説かれるように「刑罰に準じ、その構成要件と法律効果はもちろん、その手続きについても」、「憲法三一条ー法定手続きの原則」の適用があると解されなければならない。検証令状による電話傍受を肯定した前示の裁判例で、憲法三一条に反しないかの問題が設定されていることは、その意味で理解することができる。
  そうして、「憲法三一条ー法定手続きの原則」の内実については、今なお多くの議論がなされているが、旧関税法における第三者没収違憲大法廷判決に照らすとき(4)、事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことが原則であることは、既に我国においては確立していると解される。従って強制処分についても、憲法三一条の趣旨からは、本来は、事前に「告知・聴聞・弁解の機会を与える」ことが必要となる。そうしてこの憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことの要求から、当事者の参加が捜査における手続保障の基本として常に尊重されるべきことが帰結される(5)
  (3)  他方、憲法三四条は抑留・拘禁の要件の一つとして「理由を直ちに告げられ」るべきことを定めており、その限りでは事前の告知・聴聞・弁解の機会付与がない制度をも容認しているように見える。憲法三三条の逮捕についても、憲法三五条の捜索及び押収についても、同様に解されることになろう。
  事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」についていえば、これを要求する憲法三一条と、必ずしも要求しないと解し得る憲法三四条等との関係が問題となるが、刑事手続に関する人権の保障規定の基本は、憲法三一条なのであるから、これを基本にした理解がなされなければならない。すなわち、すべての強制処分について本来は憲法三一条により事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことが要求されているのであるが、憲法三四条、三三条、さらには三五条の場合には、その代替でたりる場合が許されているということになる(6)。すなわち、憲法三三条、三四条、さらには三五条は、一面では令状の必要(令状主義)、逮捕の理由となっている犯罪の明示(憲法三三条)、弁護人依頼権(憲法三四条)、捜索する場所及び押収する物を明示する令状(憲法三五条)を要求しつつ、他面ではそれらが満足されている場合には、憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことがなくても許され得るという、憲法三一条の一種の代替的機能を果たしている関係になっている。
  従って、強制処分についても本来は憲法三一条により事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことが要求されているのであるから、逆に、憲法三三条、三四条、さらに三五条等の適用を受けない強制処分を仮に構想する場合には、原則にかえって事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」制度にならなければならない。なお、憲法三三条、三四条、さらに三五条によることは、憲法三一条の考え方を否定するものではないから、可能な場合には、憲法三三条、三四条、さらに三五条によりつつ、なお憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」型の強制処分を構築し、当事者の参加を最大限保障することは、むしろ望ましいことである。現にイギリスの警察・刑事証拠法のように、除外資料(同法第一一条)、特別手続資料(同法第一四条)について、提出などの「命令請求」を発する場合に(同附則第四条)、当事者関与(inter partes)の形で(同第七条)行う制度の例もある(7)
  以上より、捜索・押収のような強制処分については、憲法三一条の「適正な手続き」に応えた強制処分として、事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことをせず、その代替的機能を果たす「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」(憲法三五条)もないものを構想することはできないことになる。現行の検証の制度が憲法三五条にそった令状制度で行われているのもその趣旨である。なお、憲法三五条の令状の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」の要求は、事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことの代替という重い機能を担うものであるから、いっそう厳格に解釈されるべきである。
  電話傍受についていえば、憲法三五条の中心は「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」になり、これを外して電話傍受の要件をたて、憲法三五条を参考にしたということにはならないであろう。従って、従来から指摘されているように、裁判例で付された条件や事務局参考試案における通信傍受の要件で、憲法三五条の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」の要求に応えているかがまず問題になってくる。その判断は、「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」という憲法三五条の文言自体に該当するかが基準になるとともに、特定・明示のため提示されている裁判例の条件や事務局参考試案の要件で、憲法三五条の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」の要求にこめられている令状主義の機能が果たされうるのかが問題である。以下に検討するように、これまでの裁判例で付された条件や事務局参考試案における通信傍受の要件では、将来の犯罪に関わる通信まで対象となりうる余地があり、裁判官の具体的判断による司法的抑制を始めとする令状主義制度の機能が果たされ得ないものとなっている。電話傍受については対象の明示の要求をみたす令状ありえないのではないかの疑問は(8)、依然として残ると言わざるを得ない。
(二)  令状主義制度による強制処分
  (1)  現行刑事訴訟法における強制処分は、憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」型ではなく、憲法三五条の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」型の強制処分である。それは全体としては、憲法三五条および逮捕についての同三三条、抑留・拘禁についての同三四条において見られる令状による強制処分、すなわち令状主義制度として行われている。また、前示の裁判例における検証令状による電話傍受や事務局参考試案における「通信傍受」も、強制処分の型としては、裁判官の令状により、捜査機関が実施する強制処分という、憲法三五条の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」型の強制処分として論じられている。
  それでは、このような憲法三三条、三四条および三五条に定められている令状が具体化された、我国の強制処分についての令状主義制度は、従来刑事訴訟法でどのように理解されてきたのであろうか。それは、令状発布を通じ裁判官の具体的判断により強制処分の公正さが担保されるという英米法的な性格を主としつつも、他方では、強制処分の要件と法律効果が法によって一般的に規定され(一九九条、二〇七条、二一八条など)、また違法な強制処分に対する救済措置として抗告制度が定められているという(四二〇条、四二九条)、旧刑事訴訟法までの大陸法・ドイツ法的な性格も残しているものと解されてきた(9)。従って、我が国の令状主義の機能は、裁判官の令状発布過程における司法的抑制機能を軸としつつ、捜査機関の令状請求過程における自己抑制機能と、捜査機関の令状執行過程における令状による抑制機能を加え、さらに抗告による救済制度をも伴って理解されることになる(10)
  しかし、刑事訴訟法上の強制処分に対し「憲法三一条ー法定手続きの原則」が適用されるという、前述の出発点から考えるとき、令状主義の制度についても、以上の機能に加えて、当事者の参加の要素を加えた手続き的保障を考えるべきこととなろう。たしかに刑事訴訟法上、強制処分自体は、憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」型ではない、三五条の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」型の強制処分で構成されているために、被処分者の側からは、「処分・抗告構造」の強制処分となっている。しかしこのことは、前述のように、憲法三三条、三四条、さらに三五条によることは、憲法三一条の考え方自体を否定するものではないのであるから、むしろ憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことができなかった代替として、「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」によるほか、可能な場合には、当事者の参加による手続き保障を与えるべきものと考えられる。
  そうして、このような強制処分における当事者の参加の手続き保障の一つの形として、強制処分に際しての令状の事前呈示や責任者の立ち会い(刑訴法一一〇・一一四・二二〇条)を考えることが出来る。従来、両条の趣旨は「執行を受ける者の利益の保護と手続きの公正の担保を目的とする(11)」と解されることが通常であり、特段に憲法三一条にも三五条にも関連づけられることは少なかったようである。
  しかし、執行を受ける者の利益の保護が目的の一つと考えるならば、その利益の保護に最もかなうのは、憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」型の手続き的保障であり、既に執行の段階に入っており妨害のおそれもないから、これを排除しなければならない必要もない。また、憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」ことができなかった代償として、可能な場合には、その基本たる当事者の参加による手続き保障を与えるべきものと考えられる。被処分者に対する令状の呈示やその立ち会いは、これらの理由によりそれを原則とする考え方にそって考えられるべきであろう。看守者もしくはこれらの者に代るべき者、隣人、地方公共団体の職員の立会は、そのかなわぬ時の次善の措置が許されるか否かの問題と位置づけられよう。検証令状による電話傍受には、「令状主義の本質とも言うべき手続きが欠落している(12)」との批判は、これら令状の呈示や責任者の立ち会い、捜索・押収における捜索証明書(一一八条)や押収品目録(一一九条)の交付を、令状主義の本質ととらえたうえでの批判であり、令状執行の段階での当事者(被処分者)に対する手続的保障の考え方にたつものと理解することが許されよう。
  検証令状による電話傍受を肯定する裁判例や学説では、令状の呈示は、責任者の立ち会いと相いまって「検証の公正さを担保しようとしたものであるから、例外を許さない規定であるとは解されない」(前示東京高裁判決)等とするのが一般である。そしてこれにより、電話会話の当事者に対する令状の呈示やその立ち会いがないことを重大視することなく、電話傍受の特質としてそのまま是認し、通話当事者の代替として「消防職員」への令状呈示があったことで、「検証の公正さを担保」することはできたとするのである(前示東京高裁判決)。
  しかしこのように令状の呈示やその立ち会いの趣旨を、「検証の公正さを担保」することに制限する見解では、令状の呈示や責任者の立ち会いと「憲法三一条、三五条の法意」との関係の検討もなく、従来多くの学説によって認められてきた、「執行を受ける者の利益の保護」の視点すらないのである。これらの規定が令状主義の本質をなす規定であり、執行段階における当事者(被処分者)に対する手続保障の考え方に基づくことを無視することになる。また実際にも、令状の呈示や責任者の立ち会いの意義を軽くし、その例外を安易に認めることにつながり、具体的妥当性も欠くことになる。ことに、強制処分の実施が差し押さえ等のように結果を残さず、その実施が被処分者にわかりにくい電話傍受の場合の不都合は極めて大きいのである。
  もともと、強制処分では、「このような理由の明示がなされることによって、はじめて強制処分の正当・不当が客観的に争われ、審査されうるのであって、不当処分に対する救済手段発動の理論的根拠をなすのである(13)」、と解されてきたのである。憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」型の手続き的保障のない、憲法三五条型の強制処分では、執行段階での令状の明示、すなわち令状の呈示や責任者の立ち会いがなくして、どうして、被処分者に理由が明示され得るのであろうか。令状の呈示や責任者の立ち会いを、強制処分の正当・不当を客観的に争い、審査される利益を含め、被処分者の立場、執行を受ける者の立場からとらえて、それが令状主義の本質をなす規定であることを確認するとともに、執行段階における当事者(被処分者)に対する手続的保障の考え方にたつ必要があろう。
  なお、事務局参考試案では、令状の呈示を通信事業者についてだけ検討し、その理由を「刑事法部会における参考試案に関する事務当局説明要旨」は、通信事業者は、傍受するためには通信事業者の通信設備に機器を接続する必要があり、また通信事業者は通信の秘密を保護すべき立場にあることから、「処分を受ける者」に該当するからとしている(14)。通信事業者も「処分を受ける者」に該当し、よって令状の呈示や、立ち会いの権利があることは、執行段階における当事者(被処分者)に対する手続的保障の考え方にそう考え方で、その限りとしては妥当であるが、問題はなぜ同様に、電話通信の当事者にたいする令状の呈示や、立ち会いの権利が問題にならないかである。
  電話通信の当事者は、電話傍受により通信の秘密やプライバシーの権利、ひいては表現の自由を制限されるもので、まさに「処分を受ける者」なのである。「処分を受ける者」として通信事業者と同様に、令状の呈示や、立ち会いの権利が当然あるものである。郵便事業者の手中にある郵便物と、通信事業者の設備の上を通過しているだけで電話会話の電気信号にすぎず、通信者が会話をやめれば直ちに存在しなくなる電話通信とでは、大きな差がある。通信事業者とは別に通信当事者を強制処分を受ける者(当事者)と考えるべき所以である。郵便事業者に対する令状呈示や立ち会いのみを考える、郵便物の差し押さえのような構造はありえない。電話傍受における通話者の不利益は、単なる強制処分の「第三者に対する効果」ではないのである。電話傍受を通信の秘密やプライバシーの権利、ひいては表現の自由の制限の問題と関わらせて検討してきた従来の到達点を前提に、正面からの論議がなされなければならない(15)
  (2)  もちろん以上のように、強制処分について当事者の参加による手続き保障を考えることは、令状発布を通じ裁判官の具体的判断により強制処分の公正さが担保されるという英米法的な、司法的抑制の意義を軽んずるものではない。むしろ裁判官による司法的抑制の意義をいっそう発揮するものと考えられる。
  すなわち令状発布の際の裁判官の判断事項は、((1))被疑事実及び((2))証拠等の存在の蓋然性のような請求者の側からの強制処分の必要性という強制処分の理由と、((3))「強制処分の具体的必要性」の判断(被疑事実の態様・軽重、証拠としての価値・重要性、毀滅・棄損のおそれ、差し押さえを受けるものの不利益など)、という令状発布の要件の存在である。そしてこのような要件の存否は、常に被疑事実との関係で、具体的判断として行われるのが、司法的抑制の意義と解されてきたのである。
  ところが、電話傍受においては、事務局参考試案の通信傍受の、見分、立会人が封印した傍受記録、刑事手続きに使用する傍受記録の三重構造が示すように(16)、実施過程では被疑事実と関連の有無を問わず会話が広くいったん「聴取」され、その中から関連のある会話が選び出されて「刑事手続きに使用する傍受記録」が作成されることになる。見分、立会人が封印した傍受記録の段階では、刑事手続きに使用する傍受記録には入らない会話が含まれ、裁判官の司法的抑制の判断の枠外の傍受が行なわれる仕組みになっている。また、電話傍受を受ける者の不利益などをも含む「強制処分の具体的必要性」の判断は、被疑事実、強制処分の相手方、強制処分の対象等の勘案の中で行われる判断であって、その性質上電話傍受の相手方、対象となる会話も不特定である電話傍受では困難といわなければならない。
  今回の事務局参考試案のように、将来の犯罪の捜査のための「通信傍受」を認めることは、裁判官に、抽象的に一定の犯罪が行われたら捜査活動として意味をもちうるという条件付きの令状を発布させ、国民から与えられた具体的判断権を実質は捜査機関に「委任」させてしまうことになる。
  このような電話傍受の肯定は、裁判官の具体的判断の中でも、特に「強制処分の具体的必要性」の判断を裁判官が行うという、戦後の刑事訴訟の大きな成果(17)を台なしにしてしまうことになる。裁判官の具体的判断により個別の強制処分の公正さを担保し執行を受ける者の利益を保護するという司法的抑制の意義を逸脱し、いわゆる「地引き網」的な性格をもつ強制処分を出現させる、一般令状の制度にもどる方向である。

(1)  小野清一郎「新刑事訴訟法概論」(改訂版)二九頁以下。なお同書は、憲法三一条ないし四〇条は、「国の最高法規」としての憲法の条規として、刑事訴訟法を論理的に制約し、又その解釈を指導する原理を示すものである、と直載に説明されている。
(2)  平場安治『刑事訴訟法講義』(一九五二年)二六〇頁以下。
(3)  新東京空港の安全確保に関する緊急措置法についての、最(大)判平成四年七月一日民集二〇巻一〇号二二七九頁。但し同判決は、新東京空港周辺の工作物使用禁止命令については事前手続きを定めなくても違憲ではないとしている。
(4)  最(大)判昭和三七年一一月二八日刑集一六巻一一号一五九三頁。なお、起訴されていない犯罪事実を余罪と認定し、これを実質上処罰する趣旨で重く処罰することは憲法三一条に違反し許されないとするのも同趣旨である(最(大)判昭和四二年七月五日刑集二一巻六号七四八頁)。
(5)  久岡・「捜査における手続保障−捜査の密行性概念の再批判から−」刑法雑誌二七巻四号四七頁では、捜査における手続き保障を、被疑者にたいする強制捜査と被処分者にたいする強制処分にわけ検討している。そこでの手続き保障は、適正手続きの保障(憲法三一条)に根拠をもつ被告人・被疑者の公判廷に出席する権利と同一グループに属する、審判に立ち会う権利である。
(6)  井上正仁「科学捜査の限界−盗聴を中心として−」法学教室一一四号三〇頁が、強制処分につき適性手続きからくる事前の保障を論じ、市川正人「刑事手続と憲法三一条」樋口陽一編『講座憲法学4』二一五頁が、憲法三五条を憲法三一条の具体化規定と解される点は、強制処分における手続保障の視点を深めるものである。
(7)  参照、法務大臣官房司法法制調査部編『イギリス警察・刑事証拠法イギリス犯罪訴追法』一二三頁等。
(8)  川崎英明「盗聴の規制と令状主義・強制処分法定主義」刑事裁判の復興・石松竹雄判事退官記念論文集六三頁。サ
  なお今日では、憲法三一条の法定手続きの原則の実体的側面として、実体的な適正手続きの要求の一場合として、構成要件の明確さを要求する、いわゆる実体的デユー・プロセスの理論が承認されている。強制処分に対しても、以上のように「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」という憲法三五条の要求の背後に、「憲法三一条ー法定手続きの原則」が適用がある以上、この構成要件の明確さを要求する、いわゆる実体的デユー・プロセスの理論の適用もあることになる。事務局参考試案の定める通信傍受の要件が極めて広範であることは、この点からも問題を生じてくると考えられる。
(9)  石川才顕「任意捜査と強制捜査−令状主義の機能−」鴨良弼編『法学演習講座一三五頁以下。
(10)  参照、鴨良弼「令状主義」法学教室七号九三頁以下。
(11)  高田卓爾・注解刑事訴訟法(平場・高田・中武・鈴木)上巻三四二頁、三四八頁。
(12)  渡辺修「令状による電話の傍受」法律時報六一巻一号一〇四頁。
(13)  平場・前掲書二六三頁。
(14)  前掲・ジュリスト・ノート「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備に関する法制審議会への諮問及び事務局参考試案」一七六頁。
(15)  参照、久岡・前掲「電話傍受の実体的側面の再検討」。
(16)  前掲・ジュリスト・ノート「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備に関する法制審議会への諮問及び事務局参考試案」一六八頁の傍受の実施等。
(17)  昭和二八年の刑事訴訟法改正の際立法化された、裁判官による逮捕の必要性判断についての法一九九条二項但書、及びいわゆる國學院大学映研フイルム事件における最決昭和四四・三・一八刑事集二三巻三号一五三頁による、裁判官による差し押さえの必要性判断の肯定である。



三、電話傍受のその他の手続き的側面


(一)  電話傍受という捜査活動の根拠となる実定法上の条項
  (1)  捜査機関が強制処分を行うことが認められるためには、その根拠が法律の明文の規定で定められていることが、いわゆる強制処分法定主義として求められている。そうしてこの強制処分法定主義の一つの根拠は、前述のように「憲法三一条ー法定手続きの原則」である。しかし「憲法三一条ー法定手続きの原則」からでる保障は、憲法三五条の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」型によるにしろ、憲法三一条の事前に「告知・弁解・防御の機会を与える」型を構想するにしろ、個人の行動の自由やプライバシーの権利の制約が受忍できるかの論議である。平場博士がつとに指摘された「一種の害悪」である強制処分を「受ける側にとって忍受」できるかの視点である。
  しかし捜査機関が強制処分を行うことが認められるためには、強制処分が「受ける側にとって忍受」されるだけで足りるのであろうか。法治国家の理念のもとでは、自然の自由を持つ人の行動と異なり、法によって組織された捜査機関が強制処分という捜査活動にでるためには、その活動の根拠を明確に授権される必要があるのでなかろうか。
  この論点はかって、最高裁昭和五九年二月一三日決定において現れたことがある(1)。すなわち、同決定は警察官が、「犯人が路上の集団に紛れ込んだとして」、「その集団全体の移動を停止させ」た措置について、警職法二条一項による職務行為(職務質問を行うための前段階として許容あれる範囲内の権限行使」)としてその適法性を認めた控訴審判決の理由をあらため、「犯人検挙のための捜査活動として許容される限度を越えた行為とまではいうことができず、適法な職務行為にあたる」としたのである。そうしてこの判決についてのある論稿では、「ここで問題となるのは、本件決定では、捜査活動として許容されると明言しながら、その根拠となる実定法上の条項を挙げるところがないことである」、「司法警察権たる捜査権限の行使とした場合に、本件決定は刑訴法のいかなる規定を念頭においているのか。」、との疑問が既に自問されているのである(2)
  一般に、ある警察官など公権力を行使する公務員の行動が適法とされるためには、行政法学の領域では、「法律による行政の原理」とりわけ「法律の留保の原則」との関係で、まず警察官に活動の授権をする「根拠規範」を要すると解されている(3)。警察官等の行動が適法とされるためには、活動の根拠を授権する「根拠規範」を要するとの法理は、同じく警察官等の行動である以上、法治国家の理念に照らし、警察官職務執行法などの行政警察権発動の場合と、「司法警察権たる捜査権限の行使」とで同じはずである。「法律による行政の法理」は、より一般的には「法律による公の機関の活動の原理」として理解されなければならない。前示の論稿に現れる「その根拠」の要求には、単なる「受忍」の根拠に止まらず、遡って「捜査活動」自体の根拠をも確かめる必要が、既に提起されている。
  警察官の活動については、犯罪の捜査を含めて警察の責務を定めた警察法二条一項の法的性質については、組織規範説、根拠規範説など議論があったが、現在は、一般的根拠規範説、すなわち同条項は警察活動の一般的根拠規範であるが、命令、強制などの国民に対する公権力行使には個別の法令の根拠を必要とするという見解が、警察実務を含め広く採用されている(4)。したがって、「国民の権利、自由の干渉にわたるおそれのある事項に関わる場合には、任意手段であるからといって無制限に許されるべきものでない」とされている(5)。警察法二条一項とは別に、相手方の意思に反して、国民の権利を制限し、これに義務を課す場合には、「その権利を定めた法律の規定が必要であ」ることになる(6)
  そうして、捜査活動は、活動の具体的相手に対する「処分としての性格」と、被疑者にたいする「捜査としての性格」常に持ち、しかも後者は起訴不起訴の決定につながるものであるから(7)、その限りでは常に「国民に対する公権力行使」の性質を帯びることになる活動である。単なる捜査を責務とする規定ではなく、捜査活動を行う、「その権利を定めた法律の規定が必要であ」ることになる。このことは、検察庁法六条によって「いかなる犯罪についても捜査することができる」とされている検察官についても同様と解される。刑事訴訟法一九七条一項本文の「捜査についてはその目的を達するため必要な取り調べをすることができる」との規定の意義は、この「根拠規範」の必要との関係で理解される必要があることになろう。したがって以上より、同条但書の強制処分法定主義の意義においても、「法律による公の機関の活動の原理」が、「憲法三一条ー法定手続きの原則」とならんで、その必要性の根拠となっていると考えられる。
  (2)  電話傍受についてこれをみれば、電話傍受は通信の秘密やプライバシーの権利ひいては表現の自由を侵害するものであるから強制処分であり、前示の「法律による公の機関の活動の原理」にしたがって、まず「その権利を定めた法律の規定が必要であ」ることになる。従って仮に、電話傍受を受ける側から、既成の強制処分に入らない新しいタイプのものとして(したがって憲法三五条の「押収」ではない)、「その性質に見合った特殊の規制(8)」を論ずる立場などからも、そのまえに電話傍受を授権する根拠規範が検討されなければならないのである。
  この点を検討しないで、立法によらない新しい強制処分として、差し押さえでもなく、検証でもない電話傍受を現行法上認めようとする議論は(9)、その活動の「その権利を定めた法律の規定が必要であ」るという、「法律による公の機関の活動の原理」を考慮しないもので、その出発点自身に疑問があることになる。裁判官の令状がない場合に第三者である個人の容ぼう等の写真撮影を許容した最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決も、その前段において、写真撮影自体の許容について、警察には犯罪の捜査を「遂行する責務」があるという見解を述べた後、許容される限度を検討している(10)
  検証令状により電話傍受を認めた前示の裁判例の態度は、警察には犯罪を捜査を「遂行する責務」があるという立場で根拠規範ありとできた写真撮影と、電話傍受とでは性質が異なることを前提にしているといえ、その限りでは正当な立論である。盗聴を違法とする規定の存在や、電話傍受の通信の秘密やプライバシーの権利ひいては表現の自由と、人権の侵害性の強いことが捜査を「遂行する責務」の援用を許さなかったものと言えよう(11)。電話傍受の立法論においても、通信傍受を授権する「根拠規範」の追求と、「憲法三一条ー法定手続きの原則」及び「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」の原則の充足という、二つの側面から立論されなければならない。
  (3)  なお、「法律による公の機関の活動の原理」を満足する、通信傍受を授権する「根拠規範」は、他方で「憲法三一条ー法定手続きの原則」及び「捜索する場所及び押収する物を明示する令状」の原則を充足する必要があるとともに、通信傍受の利益とそれによって侵害・犠牲にされる権利・法益との較量が必須である。通信傍受によって侵害・犠牲にされる権利・法益の関係で、事務局参考試案では電話通信当事者に対する令状の呈示やその責任者としての立ち会いが検討されていないことは、逆に電話傍受により侵害される権利・法益として何を考えているのかという電話傍受の実体的側面をあらためて検討する必要を明らかにしている(12)
  また、「法律による公の機関の活動の原理」を満足する、電話傍受の「根拠規範」の授権を考えるに当って、捜査段階での電話傍受がもたらす公判手続きでの「当事者主義(対等)」への影響などの伝統的な刑事訴訟法上の考慮や(13)、電話傍受が労働関係など刑事訴訟法以外の場で利用される可能性等への影響など、広く刑事訴訟法を越えた問題の検討が必要であることを示している。
(二)  個人情報保護の法理からみた手続き的側面
  (1)  最近、憲法学の分野では人権とは何か、いかなる価値をもつものか、どの範囲までの要求を人権と呼ぶのか、人権の主体をどこまで広げるのか、など人権の基礎的概念や価値を直接、議論の対象とする理論や事例が頻繁になった、と指摘されている(14)。強制処分の問題を検討するには、勿論このような人権論の展開を無視できない。ことに、情報に対する権利という観念が今日大きく論じられつつあり、その議論は電話傍受の手続き的側面を検討するに当たっても看過できない。一般に、情報に対する権利は「知る権利」と「知られたくない権利」および「知らないでいる権利」で構成されると説明されるが、いずれの場合も情報に対する主体的姿勢、いわば自己決定権が重視されている(15)。電話傍受との関係で直接問題となるのは「知られたくない権利」であり、その具体化としては個人情報保護制度が考えられる。個人情報保護については、今日では殆どの地方自治体で条例化されるにいたるとともに、国レベルでも行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律が制定される段階になってきている(16)
  個人情報保護の問題はもとより理論的にも実際的にも極めて大きな問題であり、軽々しく議論できないが、とりあえずは個人情報保護の問題が論じられた当初から電子計算機による個人情報の管理が問題となり、また既に一九七五年のOECD理事会勧告の当初からデータ保護に関する原則として、((1))収集制限の原則、((2))データ内容の原則、((3))目的明確化の原則、((4))利用制限の原則、((5))安全保護の原則、((6))公開の原則、((7))個人参加の原則、((8))責任の原則が、提起されていることが忘れられてはならないであろう(17)
  (2)  電話傍受の問題で考えると、電話傍受(通信傍受)を許容する立法を持つ国は、殆ど、「自動処理」の有無に関わらず、個人情報保護法を持つ国である。電話傍受の問題と個人情報保護の問題は、一体として広く検討されなければならない。まず、個人情報の電子計算機処理は、個人情報保護にとっては極めて重大であり、電話傍受結果のそのような処理、データベース化が行なわれ得るならば、電話傍受の人権侵害性を一気に深刻化する。また、電子計算機処理のない場合でも、個人情報保護の法理は尊重されなければならない。例えば、検証令状による電話傍受を認めた前示の裁判例の条件や事務局参考試案が要件としている「事後措置等」(通知、保管用原本の聴取・閲覧等、裁判に関する不服申し立て、処分に関する不服申し立て)については、今日の個人情報保護の法理からくる手続的保護をみたしているかが検討されなければならない。既に前示のOECD理事会勧告の保護原則の「((7))個人参加の原則」は、異議が認められた自己に関するデータを消去させる権利等を認めているのである。このことは、事務局参考試案が要件としている「事後措置等」の通信傍受の要件を、個人情報保護の法理からと、強制処分法からの両面から考える必要があることを示している。

(1)  最高裁昭和五九年二月一三日決定刑集三八巻三号二九九頁。事案は、警察官に暴行をおこなった公務執行妨害・傷害の犯人が集団中に紛れ込んだとして、警察官が犯人をその集団から探索して検挙するために、その集団全体を停止させたさい、さらにその集団から立ち去ろうとした被告人が、停止を求められその際暴行に及んだとして公務執行妨害罪で起訴された、在日韓国大使館抗議行動事件とも言われる事件である。
(2)  則定衛「犯人検挙のために行う第三者の行動規制の適法性」研修四二九号三五頁。
(3)  参照、藤田宙靖「警察二条の意義に関する若干の考察(二)」東北大学法学五三巻二号七九頁。
(4)  参照、前掲・藤田論文(一)・同五二巻五号一四頁。
(5)  最決五五年九月二二日刑集三四巻五号二七二頁。
(6)  大阪高裁判決平成二年二月六日判例タイムズ七四一号一三八頁。
(7)  参照、久岡・前掲「捜査における手続保障」六一頁。
(8)  田宮裕『刑事訴訟法新版』七二頁。
(9)  椎橋隆幸「捜査の科学化」ジュリスト八五二号八四頁は、このような趣旨であろうか。
(10)  最(大)判昭和四四年一二月二四日刑集二三巻一二号一六二五頁。
(11)  参照、旭川地判平成七年六月一二日。なお、通信の秘密は前示のいずれの判例でも被侵害利益と認められているが、プライバシーの権利や、表現の自由には問題が残っている。すなわち、前示東京高裁判決は通信の秘密にふれるのみであり、旭川地判平成七年六月一二日での表現の自由への言及も通信の秘密の性格の説明にかかわっている。
(12)  参照、久岡・前掲「電話傍受の実体的側面の再検討」。
(13)  例えば旧刑事訴訟法時代の、平沼麒一郎『新刑事訴訟法要論』四二二頁、高井賢三『司法警察論』(大正一三年松華堂・巌松堂発行)一三一頁等、公判段階での当事者対等を害するおそれを、捜査段階で捜査機関に強制捜査権を与えない理由として重視している。
(14)  大久保史郎「『自己決定』論と人権論の課題」法律時報六八巻六号一一二頁。
(15)  参照、浜田純一「『知る』ことと情報に対する権利」法律時報六八巻六号一二二頁。
(16)  個人情報保護法案については、藤田潔「電気通信とプライバシー」ジュリスト増刊情報公開・個人情報保護二四四頁、松尾直「個人情報保護法における維持と管理の規制」徳山大学論叢四二号四三頁等を参照。
(17)  一九七五年のOECD理事会勧告のデータ保護に関する原則は、((1))収集制限の原則、((2))データ内容の原則、((3))目的明確化の原則、((4))利用制限の原則、((5))安全保護の原則、((6))公開の原則、((7))個人参加の原則、((8))責任の原則が、である。




四、結 び に か え て


  電話傍受をめぐる現在の議論は、今や事務局参考試案の通信傍受の立法論に関心が移っていく気配がある。しかしその立法論は、人権論や強制処分制度論、個人情報保護法理などの理論的問題を掘り下げて論議されなければならないことは言うまでもない。理論的問題に論議の余地が残ることは立法の必要性の提示が不十分だと言うことでもある。
  以上の電話傍受の手続的側面の検討で、電話傍受に関わって、強制処分と憲法三一条の関係、憲法三一条と憲法三五条の関係、電話傍受、一般的には捜査活動を行う根拠となる具体的条項の必要性の問題、個人情報保護法理からの手続的側面など、なお多くの問題が新旧の差はあれ充分に論じられないまま残っていることが示されていると考える。それはこの段階での、電話傍受の立法が困難であるということを示している。事務局参考試案にそった通信傍受について多数の疑問が残ることを示すものである。少なくとも、個人情報保護法理や憲法などに視野を広げ、強制処分法の基本原則を掘り下げるなどして、慎重でなおいっそうの広範な検討が、その賛否を論ずるまでに必要な段階といわざるを得ない(1)(2)

(1)  事務局参考試案については、通信傍受の問題以外にも、その全体についていわゆる組織的犯罪対策立法の問題として旺盛な論議がおこなわれている。例えば、浅田和茂「『組織的な犯罪』対策立法の問題点」法律時報六八巻一三号二頁等がある。また参照、「『組織的犯罪対策』立法に反対する刑法学者の声明」法学セミナー一九九七年二月号一一二頁。
(2)  なお、外国の法制については、清水隆雄「諸外国における通信の秘密の保護および盗聴に関する規定」レファレンス四五七号三八頁、渥美東洋「電気通信網による通信・会話の傍受について」判例タイムズ七八一号九頁、日取祐司「電話盗聴と手続法定原則」ジュリスト九七七号五四頁、森下忠「電気通信の傍取」判例時報一四四号一八頁、井上正仁「ドイツの新盗聴法案」ジュリスト一〇四七号一〇七頁、宮澤浩一「ドイツの新犯罪防止法(その1)(その2)(その3)」時の法令一四八八号五四頁、一四九四号五七頁、一五〇六号六〇頁、上村貞美「電話の盗聴規制立法について−フランスの一九九一年法を中心として−」香川法学受一四巻三・四号四一頁小木曽綾.只木誠「フランスの電信.電話傍受法制−法定主義の勝利?  憲法規範の導入?−」法学新報一〇一巻大一一・一二号八一頁等を参照。また参照、日本弁護士連合会人権擁護委員会「ワイヤータッピング問題調査研究委員会報告書」自由と正義四六巻二号九四頁。