立命館法学  一九九七年一号(二五一号)二三三頁(二三三頁)




「焼きいも販売員」の労働者性
労災遺族補償給付請求に関する意見書


吉田 美喜夫







は  じ  め  に


  雇用・就業形態の多様化に伴い、当該労務提供者が労働法上の労働者といえるか否かという判断、すなわち労働者性の判断の困難なケースが増大している。本稿が検討対象とするケース(以下「本件」という)もその一例であり、労災保険法上の労働者性が問われたものである(1)。本稿の四を除く一以下の部分は、後述するような事情で死亡した本件の被災者である岡本勝(以下「A」という)の遺族が労災保険法上の遺族補償給付を請求するに当たり、給付請求書に添付する目的で執筆された意見書である(2)
  ところで、Aが死亡するに至った事情は以下のとおりである。
  Aは死亡当時二三歳になったばかりの若者であった。Aは高校を卒業後、ある会社に就職したが、鍼灸士になる希望を抱くに至り、二年半勤務したのち、これを退職した。そして、その資格を取得すべく専門学校に入学するための受験勉強を開始した。同時に、学資を得るため、鍼灸院でのアルバイトにも従事した。幸い、専門学校への入学試験に合格したので、今後の学費を賄う上でより好条件となるアルバイト先を捜していた。被災したのは、このような人生設計を描きつつ、次年度から専門学校に入学するための手続を終えたばかりという時期であった。
  ところで、Aは、入学までの時間を利用するため、アルバイトの求人雑誌に掲載されていた募集広告を見て、一九九五年一二月三〇日、食料品総合卸を営むB商店に赴いた。B商店は、焼きいもを作る釜とそれを積載する自動車(軽トラック)を販売員に賃貸するとともに、生いも、紙袋、燃料(オガーライト)などは販売員に買い取らせて焼きいもを販売させる方式の業務を営んでいた。もっとも、焼きいもの販売は冬季(ただし、終わりは四月の中頃)に限られており、それ以外の時期には、果物やメロン、しいたけなどを季節ごとに交替して販売する方式をとっていた。
  さて、前述のように、一九九五年一二月三〇日にB商店に赴いたAは、まず焼きいも販売員への採用の面接を受け、その後、同店ですでに業務に従事していた人物に付き添われて販売の実技指導を受けた。そして、翌日の同年一二月三一日から一人で業務に従事したが、釜の笛が鳴らないというトラブルがあって客が寄ってこなかったため、販売実績は思わしくなかった。年が明けた一九九六年一月一日も笛の不調は続いた。そして、単独で販売を開始してから三日目に当たる一月二日の午前一一時三八分頃、打出神社(兵庫県芦屋市)の前で販売している最中に突然、水蒸気を発生させる釜が爆発して吹き飛ばされ、病院に運ばれて手術が行われたものの、一月三日午後一二時三〇分に脳挫傷により死亡した。
  右のような事態に直面し、遺族は、二度と同様の事故が起こらないようにするためにも、責任の所在を明確にする必要があると考え、労災保険法に基づく遺族補償給付の請求を行うことを決意した。ところが、B商店は、前述のようなAとの関係は独立した商店主同士の関係であって、使用者と労働者との間の労働契約関係ではないと主張し、治療費および労災補償給付請求手続への協力のいずれにも一切応じないという態度をとった。
  本件の場合、被災が「業務上」のものであることは明らかであるから、右のようなB商店の主張の当否並びに遺族補償給付の可否を判断するためには、Aが労災保険法上の労働者といえるか否かが明らかにされねばならない。

(1)  周知のように、労働者は労働法の主体であることから、労働者概念をどのように把握するかという問題は、労働法の適用対象を画定するためばかりでなく、同時に労働法そのものの本質的理解につながる問題として、活発に議論されてきた。しかし、本件では、法適用の可否という法解釈が問題であるので、後者の論点は省略することにする。
(2)  ただし、意見書は別の資料を通じて事情を知りうる労働基準監督官が読むことを念頭において書かれていたので、本稿では、若干の加筆・修正を加えている。とくに、類似の判決例を紹介する部分は相当に加筆した。なお、本稿をまとめるに当たっては、立命館大学大学院法学研究科院生の財邑江美さん、および棚橋充君から有益な意見を聞くことができた。お二人に対し、感謝の意を表します。


一  労災保険法上の「労働者」の意義


  労災保険法上、その適用を受けるためには、当該被災者が「労働者」でなければならない。しかし、同法上、労働者の定義規定は置かれていないので、学説や実務では、労災保険が労基法上の使用者の補償責任を保険制度を通じて担保する(1)ものであることから、その意味を労基法九条にいうところの「労働者」と解してきた(2)
  ところで、労基法九条では、「労働者」とは労基法八条の「事業又は事務所\\に使用される者で、賃金を支払われる者をいう」と定義している。労基法八条は、ほとんどすべての種類の事業を網羅している(3)ので、結局、労基法九条にいう労働者といえるためには、労働者性を問われているものが、@使用されるものであること、A賃金を支払われるものであること、という二つの要件を満たす必要がある。この場合、Aの「賃金」については、労基法一一条に定義規定があり、「名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」としているので、賃金の該当性は労働者の該当性に従属する構造になっているばかりか、「労働の対償」性も、結局は労働者が使用者に使用された対価といえるか否かということによって決せられる。したがって、労働者性の有無を判断する場合、Aの要件は補助的なものとされ、@の「使用されるもの」の該当性が基本的な要件となるのである。

(1)  ただし、労災保険法は、たとえば通勤途上災害に対する保険給付に見られるとおり、労基法上の使用者責任の担保機能以上の内容を含むものとして充実・発展している。
(2)  このような理解の一例として、菅野和夫『労働法(第四版)』(弘文堂・一九九五年)三一八−三一九頁参照。なお、注(1)で述べたような労災保険法の発展を考慮すると、労働者概念についても、労基法の場合と同一と見てよいか否かが問題となる。しかし、本稿では、この問題については触れないことにする。この問題について、労災保険法上の「労働者」の方が労基法上の「労働者」より広く解されるべきとする見解として、岡村親宜「法定補償の対象『労働者』の範囲」労働法律旬報九七〇号三四頁以下参照。
(3)  本件についていえば、同条八号の「物品の販売」が該当する。


二  労働者性の従来の判断枠組と新しい判断方法


〔1〕  労働者性の従来の判断枠組
  労働者性を問われているものが前述のような意味での「使用されるもの」といえるか否かを判断する場合、従来から、当該の労務提供関係がいかなる契約形式であるかにこだわらず、当該関係の実態に照らして判断するという方法がとられてきた。なぜなら、労働者と使用者という力関係に差のある当事者間においては、請負や委任といった他人の労働力を利用する契約の形式も使用者が選択し、労働者に一方的に押しつける可能性があるので、契約形式が何であれ、当該労務提供関係が労働者と使用者との労働契約といえる実態にあれば、労働法上の保護を及ぼす必要があると考えられてきたからである。
  この場合の判断枠組として、従来、「使用従属性」の有無について判断するという方法が、理論上、実務上いずれにおいても一般的に採用されてきた(1)。ここでいう「使用従属性」という判断基準は、具体的には、労働者性を問われている当該のものが使用者の指揮命令の下で労働に従事するか否かという意味での「人的従属性」と、労働条件の決定に当たっての使用者との非対等性という意味での「経済的従属性」の両者を複合したものと理解されてきた。

〔2〕  雇用・就業形態の変化と労働者性の判断方法
  ME化、サービス経済化の進展に伴い、従来のような工場労働を典型とする労働態様とは違った、より自立的な労働形態の下で労働するものが増大してきた。それを類型化すれば、第一に、セールスマンなどの外勤型、第二に、在宅勤務者などの居宅内就労型、第三に、プログラマーなどの専門知識・技術型、第四に、芸術・芸能家などの特殊技能型、そして最後は、傭車運転手(車持ち運転手)などの生産手段所有型の五種類が考えられる(2)。最後の類型は、使用者が法律上の使用者責任を免れるため、従来労働者として雇用していたものに、たとえばダンプカーなどの「生産手段」を所有させ、それと運送契約などの労働契約以外の契約を締結するという方法で、その労働力を利用する「非労働者化」という労務管理政策を採用するケースであって、本件もこれと類似しているといえる。
  ところで、このような雇用・就業形態の多様化が進み、指揮命令の抽象化といいうる変化が起こると、従来の判断基準を構成していた指揮命令下の労働であるか否かという基準については、その有効性が低下せざるをえない。そこで、この変化をどのように把握するかが問題となるが、この点について、私見によれば、以下のように把握すべきであると考える。すなわち、指揮命令が抽象化しても、それは指揮命令がなくなることを意味しない。当該の労働力が企業経営上不可欠であれば、そこには形態を変えた指揮命令が及ぶメカニズムが機能しているのであって、その結果、当該労働力を事業組織の中に組み入れることにより生ずる従属性(「事業組織的従属性」)が認められるのである。このような従属性も人的従属性と本質上は何ら異なるものではない。したがって、事業組織的従属性を基本としつつ、合わせて経済的従属性も認められれば、当該の労務提供者を労働者と判断してよいと考える(3)
  なお、以下の点を付言しておきたい。すなわち、使用従属性を基準にして労働法の適用対象性、すなわち労働法上の保護の可否を決する理由は、労働力を販売して生活するものの場合、その相手との対等な立場に立ちえず、そのことから過酷な労働条件の下での労働を余儀なくされることにある。なぜなら、労働力を販売するという場合、労働力が貯蔵も、したがって売り惜しみもできないものであることから、販売するものの方が不利な立場に立つとともに、それが肉体と不可分であることから、労働力を購入したもの(使用者)は、その販売者(労働者)自身に指揮命令を及ぼすことなしには当該労働力を利用できないという本質があるからである。ここに使用従属性が判断基準になる理由があるのである。したがって、雇用・就業形態が多様化し、指揮命令が抽象化・不明確化したとしても、この基本的な認識方法を基本に据える必要がある。

〔3〕  具体的な労働者性の判断基準
  以上のような基本的な認識に立つとしても、それだけでは具体的なケースを判断するに当たって、なお抽象的である。本件の場合、労災保険法上の補償給付請求を行政庁に対して行う場面で労働者性が問われていることを考慮すると、実務にとって有力な判断基準を提供している労働基準法研究会(4)および、使用従属関係の指標を具体的かつ統一的に示した最初の判決である大塚印刷事件判決(5)が参考となる。
  まず、労働基準法研究会は、「使用従属性」を中心的な判断基準にしながらも、限界的事例の判断に当たっては、「労働者性」の判断を補強する要素として、「事業者性の有無」と「専属性の程度」などを加え、いわば労働者性と事業者性を比較衡量的に判断する方法を提起している。
  次に、大塚印刷事件判決の場合、労働者性の判断基準として、「@仕事の依頼、業務従事に対する諾否の自由の有無、A時間的場所的拘束性の有無ー勤務時間(始業および終業時の定め)、勤務場所の指定、B業務内容が使用者において定められ、業務遂行過程における使用者の一般的な指揮監督関係の有無、服務規律の適用、C労務提供の代替性の有無、D業務用器具の負担関係、E報酬が労働自体の対償的性格を有するか否かー生活保障給的要素、労働の質に対する較差、欠勤控除、超勤手当等の有無、付随的に給与所得等の源泉徴収の有無、さらに退職金制度の存否等」を提示している。
  前述のように、これらの方法は今日の労務管理の変化の本質を捉える視点から見た場合、十分ではない。しかし、具体的事件の判断に際しては有効性があるので、以下では、主として労働基準法研究会の定立している基準に即しつつ、しかし同時に、今日の多様化している巧妙な労務管理手法のメカニズムを捉える視点に立って、本件について検討する。

(1)  このような解釈方法について全般的に解説するものとして、伊藤博義『雇用形態の多様化と労働法』(信山社・一九九六年)二七五頁以下参照。なお、労働者性の判断基準に関する最新の研究として、金子征史編『労働条件をめぐる現代的課題』(法政大学出版局・一九九七年)一五九頁以下(永野秀雄執筆)参照。
(2)  この分類について、拙稿「雇用・就業形態の多様化と労働者概念」日本労働法学会誌六八号三〇頁以下参照。
(3)  前掲・拙稿四六頁以下参照。
(4)  労働基準法研究会「労働基準法の『労働者』の判断基準について」(一九八五年一二月一九日)参照。なお、私は本研究会の提案に全面的に賛成しているわけではない。この報告の批判的検討として、総評弁護団「労働基準法研究会報告書の問題点」(一九八六年一月三一日)二頁以下参照。
(5)  東京地判昭和四八年二月六日労働判例一七九号七四頁。本件は、謄写印刷・タイプ印刷を業とする会社の筆耕謄写の業務に従事していた筆耕契約者の労働者性が問われた事例である。


三  本件に関する労働者性の具体的判断


〔1〕  契約の形式について
  本件の場合、Aが焼きいもの販売業務に従事する際の募集形式は「業務委託」であった。そして、B商店は、本件の契約は労働契約ではなく、販売員各人が商店主であると主張している。しかし、労働者性の判断は、前述のように、契約の形式ではなく、基本的には、その履行過程の実態に基づいて行われなければならない。つまり、契約がどのような実態であったか否かが決定的に重要なのである。しかし、本件のような特殊な労務供給形態の場合には、契約の形式自体についても、募集段階および現実に就労に至る過程の検討を通じて、それがB商店の主張するようなものであったか否かを明らかにしておく必要がある(1)
  ところで、Aは、「はじめに」のところで述べたように、被災当時、専門学校への入学を控えた状態にあり、両親と同居していた。そして、労働による賃金収入で自立的に生活するという実態にはなかった。本件就労も、入学までの期間を利用して、一般の学生が行うアルバイトの場合と同じように、今後の学生生活を支えるための収入を得ることのできる適当な勤務場所を求めた結果にすぎない。その際、Aのような若者によってアルバイト先を見つけるために利用されている情報媒体が、いわゆる「アルバイト情報誌」であることは周知のとおりである。本件の場合、それは「ジェイ・ワン」という雑誌であり、この誌名の前には、「バイト探しのNo.1」と冠してあるだけでなく、Aが購入した号の表紙には「年末年始特大号」と表示されていた。そして、この雑誌の募集広告では、Aの従事した労務は「業務委託」に分類されていた。これ以外に募集広告で明示されている就業形態の分類としては、「正社員」「アルバイト」「パート」「契約社員」「人材派遣」「レギュラー」の七種類があった。このような六種類の区別が行われている中で、その一つとして「業務委託」が明示されている場合、今日の一般的な若者であれば、それだけが他と全く性質を異にする、独立した事業者として一切の責任を負った形での就労形態であると認識することは困難であると考えられる。Aのような、ごく普通の若者が、独立した「事業者」としての営業活動を通じて利益を生むだけの特別の経験や資力を有しているとは通常考えられない。むしろ、そのようなものを一切もたず、単に労働力だけをもっていれば良いという人材をB商店はアルバイト情報誌を通じて求めていたと考えるべきである。
  このような労働力のみを有するものとの契約の締結であるがゆえに、業務に従事する以前の段階で「面接」に呼び出すという命令関係が発生するのである。そして、面接内容も商店主としての事業者間の取引上の駆け引きというものではなく、通常の労働契約の場合と同じく、労働時間や給与、その他の待遇について説明が行われたのである。また、一日間の業務講習があったが、本件業務がそれ自体は単純な労務提供でしかない性質のものであるので、この講習は集中的に、かつ包括的に業務上の指示を与える機会であったと評価できる。というのは、全く未経験の業務に従事するものに対して一日にわたって講習が行われれば、そのとおりに業務を行わなければならないと受け止めることになるのは当然だからである。しかも、B商店はAに身元保証書の提出を求めていたが、このことも、独立の事業者間の取引であれば担保をとるといった方法が採用されるのと違い、労働力を提供するものとの間の契約関係でしかないことを認識した上での保証方法としてB商店によって採用されていたと見ることができる。
  以上のように、契約の形式ないし契約締結過程を見ることによって、本件では、通常の労働契約の場合と同様の対象者が求人され、それとの間で契約が締結されたものであると評価できるが、さらに、以下のような労務提供の実態からも、このことは一層明らかとなるのである。

〔2〕  「使用従属性」に関する判断基準について
  労働者性の判断に当たって中心的な判断基準である「使用従属性」の存否について、以下で検討する。これについては、「指揮監督下の労働」に関する判断基準および「報酬の労務対償性」の有無という判断基準が問題となる。
  (イ)  「指揮監督下の労働」に関する判断基準について
  まず、「指揮監督下の労働」といえるか否かについては、次の諸点が検討対象となる。
    @  仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無
  本件の場合、Aなどの労務提供者がリース代と称して一定金額(2)で自動車と釜を借りるだけでなく、生いもを買い取ることになっている(3)ので、途中で焼きいもの販売を断れば、損害が自己に及ぶことになる。このような関係があるため、諾否の自由は強く規制されていたのである。いわば、契約締結段階で一連の手続が終了すれば、以後は諾否の自由が事実上否定される仕組みになっていたといえる。
    A  業務遂行上の指揮監督の有無
  この点は、具体的には、まず業務の内容および遂行方法に対する指揮命令の有無が問題となる。本件の場合、事業場外で労働に従事する形態であるため、業務の遂行過程で具体的な指示を受けていたわけではない。しかし、焼きいもの販売価格については、一〇〇g一三〇円で販売するように一応指定されていた。もしAが独立した事業者であれば、焼きいもの販売価格は自由に設定できるはずである。もっとも、焼きいもの販売価格は客とのやり取りで多少の変更は許されていた。しかし、この事実は、およそ一般に商品の販売に当たって、一定の値引きが行われることは珍しいことではなく、価格の駆け引きが可能であったということだけでは指揮監督が及んでいたことを否定することはできない。もし値引きができた点に注目するのであれば、一応の指示を受けた価格よりどの程度値引きが可能であったかを問題にすべきである。しかし、最初に生いもを買い取らせているだけでなく、自動車や釜のリース代、その他燃料(4)などのコストがかかっていることから、このことにも自ずと限界がある。すでに以上の仕組みによって一定の価格の範囲内でしか値引きの自由はなかったといえるのであり、事実上、販売価格について強い拘束力が及んでいたということができる。
  むしろ、指揮命令の存否に関して本件で重視すべき点は、何かトラブルが発生した場合、B商店の事務所に連絡をとるように指示を受けていた点である。トラブルの内容は色々考えられるが、一つには、自動車ないし釜に関するもの、もう一つは販売上のものが考えられる。前者の場合、自動車の損害責任保険料は会社負担であり、業務遂行上、最も考えられる第三者に対する損害−自動車事故−の責任は、人身損害、対物損害ともB商店が負うことになっていた。釜については、笛が鳴らないと売れ行きに影響することから連絡をとるように指示されていたと考えられるが、爆発の危険についてまでは予想されていなかったと思われる。より重要な点は、後者についてである。つまり、本件の場合、固定店舗ではなく、自動車による流しの販売形式をとっているため、他の業者などとの、いわゆる縄張りをめぐる争いが発生する場合が最も念頭に置かれていたと考えられる。もし、B商店と販売員の関係が完全に独立した事業者同士の関係であれば、この種のトラブルが発生してもB商店としては何ら関知しない態度がとれるはずである。しかし、B商店がこの種のトラブルに神経質になっていたのは、販売員が実際にはB商店の手足となり、焼きいもの販売に従事しているとの実態にあったからであると見るのが素直な解釈であろう。つまり、トラブルが発生したとき、B商店としては販売員の勝手にさせておくことはできないのである。つまり、販売員がトラブルの相手から、どこから自動車および釜を借りているのかが問われた場合、結局、その自動車や釜を貸したB商店に火の粉が降りかかってくるという関係をB商店も認識していたと考えられるのである。
    B  拘束性の有無
  この点については、まず、Aが毎朝出社しなければならなかったことに注目すべきである。募集要項でも、「午前九時から。時間・曜日相談応ず」との表記があった。この出社を義務づける理由は、生いもの買い取りを毎朝行うためであったと考えられる。なるほど、この点は独立の事業者同士の委託販売契約においてもありうることである。しかし、後に述べるように、別の業者から生いもの仕入れが禁止されていたという事実と合わせて考えると、出社の義務づけは、その違反を防止する必要性と並んで、販売員の確実な掌握という労務管理上の必要性に基づく拘束であったと考えるのが合理的である。つまり、一定高額で、かつ基本的な業務資材の一切をB商店が貸す形式をとっている上、販売状況によっては就労が深夜に及ぶことがあるため帰社をせず、自宅に自動車で帰ることも認めていた関係から、少なくとも一日に一回は販売員を掌握しておく必要があったためであると考えられる。つまり、毎朝出社を求めていたという事実は拘束性の存在を示しているのである。
  他方、本件の場合、業務終了時刻の定めはなかった。このことは、たしかに時間的な拘束がなく、業務終了時刻が販売員の自由裁量に委ねられていたこと、および販売員の事業者性を示しているともいえる。しかし、一般の労働者の場合であっても、「裁量労働制」に典型的に見られるように、労働時間の具体的拘束がない場合もありうる。そして、そもそも生いもの買い取り制をとっていることは、ノルマが課せられているのと同じであり、したがって、ノルマを達成して初めて業務を終了できるものである以上、このような本件の業務遂行の特殊性から時間的拘束は事実上及んでいたと判断することができる。なお、Aの家族によれば、Aが業務を休む場合、必ず前日までに会社に連絡をすることが指示されていたということであるので、これも独立した事業者とはいえないことを示す有力な事実である。
  次に、場所的拘束性についてである。これがないからといって労働者性が否定されるわけではないことは、セールスマンの例に見られる通りである。本件の場合、募集要項では、「勤務地複数」との表示があり、必ずしも勤務地の明確な指定があったとはいえない。しかし、これは当然のことである。なぜなら、そもそも焼きいもの流しの販売という業務の特性からして、勤務場所の具体的拘束はあり得ないのである。むしろ逆に、住宅地を流すこと、駅前などで販売する場合には会社に事前に確認することを求めていたことは、前述のとおり、トラブルの発生を回避するためであり、一般的な場所的指示ないし拘束は及んでいたということができる。そして、この拘束は、業務の性質によるというより、トラブルが発生しないように業務の遂行を指揮命令する必要によるものであったと見ることができる。なお、本件被災の発生現場に至る略図が遺品として残されているが、これは本人の筆跡ではないことからすると、B商店によって販売場所の指示があったと推定することが可能である。
    C  代替性の有無
  この基準は、具体的には、本人に代わって他のものが労務を提供することが認められているか否か、本人の判断で補助者の使用が認められているか否かということである。これが認められる場合、労働者性は弱くなるといえるが、本件のような零細な生産手段と売上が小額の事業の場合、そもそもこのような代替性自体、念頭に置かれていないと見るべきである。したがって、この点の可否について具体的指示はそもそもなかったのである。
  (ロ)  「報酬の労務対償性」について
  次に、報酬の労務対償性の有無という判断基準について検討する。B商店が販売員を募集したアルバイト誌の広告によれば、「給与」の項目に「完全歩合。平均日収二万円」と記載されていた。各販売員には、焼きいもの売上から生いもの原価や、その他の資材費、リース代を差し引いた残りの部分が取り分となっており、給与について時間給などの取り決めはなかった。したがって、この点から見る限りは、事業者性があったということができる。しかし、前述のように、もともと報酬が「賃金」であるか否かによって「使用従属性」を判断することはできず、賃金性は使用従属性との関係では補助的な要素に過ぎないのである。しかも、平均日収二万円というのは、決して高額ではないし、求人の宣伝文句であることからすると、現実の収入はこれより低い額となる可能性が高いと考えられる。これらの点から見ると、平均日収二万円という収入は、独立した商店主としての事業経営の結果としての収入であるというより、労働力を提供した対価と評価するにふさわしい額であるといえる。そして、この額は、結局のところ、一定の時間、焼きいもの販売に従事したことに対応していたのである。すなわち、焼きいもが売れなかった場合、販売活動が深夜に及ぶこともあった点に見られるように、販売時間に対応して日収に増減があったのであるから、これも労務提供の対価としての性格を示す事実であるといえる。なお、販売額や勤務日数などに応じて賞金や奨励金が出る制度があるような場合には、労務提供者の収入は独立の事業者の営業利益ではなく、労務対償性のある収入と評価できる。本件の場合、月間賞が設けられており、生いも一〇キログラムを一本と数えて、九〇本以上販売するとA賞として一万円、七五本以上販売すると五〇〇〇円の賞金が与えられることになっていた。この点からも、本件収入の賃金性を認めることができる。

〔3〕  「労働者性」の判断を補強する要素について
  通常の工場労働者のような典型的な労働者とは違って、本件のような限界的な事例の場合には、「使用従属性」のみならず、次のような要素も勘案して労働者性の有無を総合判断する必要がある。
  (イ)  事業者性の有無
  まず、事業者性の有無についてである。これが問題となる典型的な事例は、いわゆる「車持ち運転手」のケースである。なぜなら、運転手自身が「生産手段」である自動車を所有しているので、労働力以外何物も所有しないのが労働者であるという経済学的な認識からすると、そもそも労働者とはいえないと考えられるからである。しかし、このような「生産手段」の所有の事実のみによって労働者性は否定されないのであって、前述してきたような労務提供の実態こそが決定的に重要である(5)
  では、本件の場合はどうであろうか。本件の場合、再三強調してきたように、販売員は自動車や釜をB商店から賃借する形式をとっているのであって、何ら生産手段は所有していない。販売員は、自己の労働力と自動車および釜とを結合することによって初めて収入を得ることができるのである。また、焼きいもの販売による収入も、前述のように、著しく高額ということはできず、とうてい自らの計算と危険負担に基づいて事業経営を行う「事業者」に対して第三者(焼きいもを買ったお客)が支払った代金といえるような額ではない。労務提供に対する単なる報酬と見るべきものである。そして、生いもの代金と自動車および釜のリース代を会社が受領し、焼きいもの販売代金は販売員の収入になるという仕組みを採用しているだけのことである。つまり、生いもの代金とリース代の中に、B商店の利潤が組み込まれ、焼きいもの販売代金の中に販売員の事前の「仕入れ」コストと賃金が含まれるという構造になっていたのである。
  さらに、業務遂行上の損害に対する責任を負うということがあれば事業者性が強くなるが、焼きいもの販売という事業内容からして、とくに損害賠償が問題になるほどの事故は考えにくい。考えられるケースとしては、自動車事故があるが、これについては、本人ではなくB商店が負うことになっていたことは前述のとおりである。また、独自の商号を用いれば事業者性が強くなるが、本件の場合、商号という、消費者に周知され、かつそれとの信頼関係確保の手段を必要とするほどの事業ではなかったといわねばならない。
  (ロ)  専属性の程度
  次に、専属性の程度についてである。他社の業務に従事することが制度上制約されている場合には、当該企業に経済的に従属していると考えられ、労働者性を補強する要素となる。本件の場合、他の業者から生いもを購入することが禁止されていた。焼きいもの販売にとって最も基本的な原材料は生いもそのものであるから、この入手先に拘束があることは労務提供全体を規制する要に位置する問題である。B商店は、この点に拘束力を及ぼすことによって、販売員を自らの経営の中に組み込むことを可能にしているのである。そして、それ以外の点は販売員の自由な裁量に委ねられていたのである。このようにB商店としては労務管理上、特別の規制を及ぼす必要がなかったのは、この肝心の部分について規制を及ぼす仕組みを作り上げていたからである。したがって、生いもの入手先を制限していた点は販売員を経営組織の中に組み入れるための重要な要素であり、販売員が独立した事業者ではないことを示す指標であるということができる。

(1)  労働者性を判断するに当たり、当該契約を締結するに至った経緯を重視する見解として、金子征史「請負・委任契約者は労働者か」季刊労働法一二〇号四一頁以下参照。
(2)  Aが就業していた冬場の場合、一日のリース代は、車両代として一五〇〇円、釜代として三五〇〇円、合計五〇〇〇円であった。
(3)  生いもは三〇キログラムが一三五〇〇円であった。
(4)  オガーライトは一包六〇〇円であった。
(5)  第二章注(4)の労働基準法研究会報告でも、車持ち運転手でありながら労働者性が認められる具体例を紹介している。


四  類似の事例との比較


  本件と同じように、形式的には労働契約以外の契約を締結し、他人の労働力を利用している場合に、当該労務提供者の労働者性の存否が争われた裁判例は多い。以下では、そのような事例のうち、労働者性が認められたケースで、かつ、本件と共通点があるという意味で、当該労務提供者が販売業務に従事していたケースと労災補償の給付請求が問題となったケースを取り上げ、本件との簡単な比較を行うことにより、上述の判断を補強しておきたい。

〔1〕  山陽商事事件
  販売業務に従事する場合の価格や取引の決定について拘束が及んでいたケースでの労働者性について判断を示した判決として、山陽商事事件判決(1)がある。この事件は、セメント販売会社において、販売員が任意に買主を探索して取引の交渉をし、予め定められている条件に従って売買の下話が成立したときに会社に報告し、会社が買主の信用状態等を一応調査して最終的決定をなし、右調査の結果によっては取引を拒否していたこと、販売員はこの取引について販売価格、取引方法の決定権を有せず、すべて会社に留保されていたこと、取引はすべて会社と相手方との直接の取引であって会社が代金の請求受領の権利を有し、販売員は取引量に応じて会社から報酬を受けており、その他販売活動について日常的な指揮命令はなく自由に放任していたというものである。これについて、判決では、「原告会社が被告堅三の提供する労務自体を自己の支配内に採入れて利用することを目的とする従属的使用関係であって結局出来高払制による雇傭の一形態に属するものと解するを相当とする」と判断した。
  たしかに、本件では、山陽商事事件のように個々の取引をするか否かの最終的決定権を会社に留保し、販売員は注文取りといった補助的労務に従事させていたとはいえない。しかし、このような違いが生じたのは、山陽商事事件の場合にはセメントという、ある程度高額な商品の販売であるために、販売価格および取引方法、さらには取引の可否を会社に留保しておく必要があったからであると考えられる。本件の場合、一〇〇グラム四五円で仕入れたものを一三〇円で売るように指示され、Aは当初一〇〇キログラム仕入れ、初日に三〇キログラム(2)を販売するという成績であった。したがって、この程度の額の物品の販売については、一々取引の可否の決定権限を会社に留保するというようなことは必要がないばかりか、そうすることは業務執行が煩雑化し不合理でもある。したがって、本件について、前述したように販売価格と販売方法に指示が及んでいたのであるから、十分に山陽商事事件と同じく使用従属関係を認めることができるのであって、本件も出来高払制の一種と見ることができる。

〔2〕  宮崎エンジンオイル販売事件
  次に、「専属販売員契約」という契約を締結し、自動車用オイルの販売業務に従事していた販売員の労働者性について判断した宮崎エンジンオイル販売事件判決(3)がある。本判決は以下のように判断した。すなわち、「原告(自動車オイルの販売会社−引用者)と被告正敏との間の本件専属販売員契約は、形式上は原告から被告正敏ら専属販売員への卸売、専属販売員から学生協会員たる小、中学校教員への小売という法的構成を用いているが、その実質は、原告が専属販売員らを雇入れ、毎朝専属販売員らを集めて原告会社代表者が立てる行動販売計画にもとづき原告の名をもって原告の顧客である学生協会員に対する原告の指定した価格による販売とアフターサービスに従事させ、その販売量に応じて学生協会員から受取ったチケットを持帰らせて一定の計算法により労働の対価を支払っていたものというべきであり、専属販売員は原告の顧客である学生協会員に対するエンジンオイルの販売、アフターサービスに従事することを職務内容とするもので、直接上司の指揮命令に服することなく遅刻早退等により報酬の減額などがないけれども、毎日ほぼ一定の時間に会社に集合してその日の行動計画に従って原告会社の指定するところで販売、アフターサービスに従事し、これに対して一定の報酬が支払われるもので、この報酬は専属販売員らの自己裁量による販売活動による営業利益というよりは、むしろ販売、アフターサービスという労務の提供それ自体の量に応じた能率給的な対価であると見られる」と。
  これを本件の場合と比較すると、卸売と小売の関係という法律構成や毎日会社に集合すること、価格が指定されていたことは類似している。これに対し、宮崎エンジンオイル販売事件では、会社が販売計画を立てていたこと、および労働の対価の支払い方法に違いがある。しかし、この差異は、本件の場合、焼きいもの流しの販売であることに基づくものであるし、生いもの代金などと焼きいも代金との差額を報酬として受け取らせるという方法をとっていた結果なのであって、当該報酬の実質は労務の提供それ自体に対する対価と評価できる。したがって、本件も宮崎エンジンオイル販売事件と同様に、労働者性を認める評価が可能である。

〔3〕  旭紙業事件
  最後に、段ボールおよび紙器の製造販売を業とする会社と運送請負契約を締結して自家用車で製品を顧客先に運搬していた運転手が、作業中の傷害について労災補償を請求したことに対する不支給処分の取消を求めた旭紙業事件(4)を見ておきたい。この事件について、裁判所は以下のように判断した。すなわち、「原告は、旭紙業との契約が、運送請負としてなされていた関係で、形式的には、旭紙業の従業員として扱われず、旭紙業の就業規則や賃金、退職に関する規定の適用もなく、報酬も出来高に応じた額で支払われるものとされており、本件事故以前においては、自らも旭紙業の従業員ではないと認識していたものと認められる。しかしながら\\旭紙業は\\車持ち込み運転手を営業組織の中に組入れ、これにより、事業の遂行上不可欠な運送力を確保しようとしていたことは明らかであり、\\毎日の始業と終了の時刻は、旭紙業の運送係から指示される運送先に納品すべき時刻、運送先までの距離、翌日の運送の指示が行われる時刻、その後に行われる荷積みに要する時間等によって自ずから定まり、そこに車持ち込み運転手の裁量の入る余地はほとんどなかったばかりか、自己の都合で休む場合には事前にその旨を届け出るよう指示されていたものであって、時間的な拘束の程度は、一般の従業員とさほど異ならないものであった。\\運送業務の内容も、運送係の指示によって一方的にきまり、車持ち込み運転手がこれを選択する余地はなかった。さらに、車持ち込み運転手は、旭紙業以外の事業所の運送業務をすることも、第三者に運送業務を代替させることも明示には禁止されていなかったとはいえ、\\現実には、一人で旭紙業の運送業務を専属的に行うほかなく、旭紙業以外の事業所と運送契約をしたり、第三者に運送業務を代替させることは不可能であった。報酬についてみても、旭紙業が一方的に設定した報酬基準である運賃表に拘束され、その運賃表の設定に車持ち込み運転手の意向を反映させることは事実上あり得ないことであった。その運賃表は、運送品の多少よりも、トラックの積載可能量を基準にし、運送距離に応じて報酬を定めるものであって、多分に運送に要する時間すなわち運転手の労働時間の要素を加味したものとみることができる。その運賃表により受ける毎月の報酬額は、\\トラック協会の定める運賃表によるよりも一割五分も低いものであること、従業員である一般の運転手については、退職金や福利厚生事業等による経済的利益もあるのに車持ち込み運転手にはそれがないこと、車持ち込み運転手の就労時間が比較的長時間であることなどを考慮すると、その報酬額が一般の運転手の賃金と比較して、労働者性を否定するほどに特に高額であるともいえない。こうした(事情を−引用者)\\総合的に考慮すると、旭紙業の原告に対する業務遂行に関する指示や時間的場所的拘束は、請負契約に基づく発注者の請負人に対する指図やその契約の性質から生ずる拘束の範疇を超えるものであって、これらの事情の下で行われる原告の業務の実態は、旭紙業の使用従属関係の下における労務の提供と評価すべきものであり、その報酬は労務の対価の要素を多分に含むものであるから、労災保険法を適用するについては、原告を同法にいう労働者と認めるのが相当である」とした。
  旭紙業事件の場合、とくに時間的および業務内容の拘束、専属性の強さ、報酬が一方的に決められ、かつ労働時間を加味したものであること、額も高額ではないことなどが認められる。本件の場合、時間的および業務内容上の拘束については、朝の集合時刻以外の規制はなかった。しかし、これは焼きいもの流しの販売であることに基づくこと、事実上、販売価格の拘束を受けつつ、生いもの仕入れ値段と指定された販売価格の差および販売量によって報酬も決定されるものであったこと、その額も高額ではないこと、などの共通性がある。旭紙業事件では、本人が会社の従業員ではないと認識していたことに加え、車持ち運転手であるにもかかわらず、前述のような実態に照らして労働者性が認められたことからすると、本件の方が労働者性が一層強く認められるといってよい。

(1)  神戸地判昭和三二年七月一九日労民集八巻五号七八〇頁。
(2)  売上からガソリン代、紙袋代を除き、リース代だけを差し引くと手取りで二〇五〇〇円であった。
(3)  宮崎地判昭和五八年一二月二一日労働判例四四四号六六頁。
(4)  横浜地判平成五年六月一七日労働判例六四三号七一頁。


五  結論−労働者性の判断


  以上のように、本件の場合、典型的な労働者性が認められる事例ではないが、「使用従属性」および「労働者性」を補強する各要素を検討した結果、いずれも事業者性が認められるよりは労働者性を認定するに足る実態の存在が確認できる。B商店は、焼きいもやメロン、しいたけといった食料品を販売することが事業の基本的内容であったというべきであるが、それらの販売に当たって、店員を雇用するという方法によらず、使用者としての法的責任を回避するために、販売用の用具を販売員にリースという形式で利用させるというシステムを作りだし、販売員の労働力を経営組織の中に組み入れることによって、事業を運営していたに過ぎないと見るべきである。
  このような実態に照らすと、Aは労働基準法上の労働者であり、したがって、労災保険法上の労働者でもあると判断することができる。