立命館法学 一九九七年二号(二五二号)二九四頁(三〇頁)




法律による憲法の具体化と合憲性審査 (一)
フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用


蛯原 健介






  目  次
は じ め に
第一章 憲法院による法律の合憲性審査
 第一節 フランスにおける法律中心主義の伝統と憲法院の活性化
 第二節 憲法院の活動にたいする評価
 第三節 憲法訴訟機関としての憲法院 (以上本号)
第二章 合憲性審査と政治部門の直接的・間接的対応
 第一節 憲法院判決後の政治部門の直接的対応
 第二節 立法過程における政治部門の間接的対応
第三章 憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論
 第一節 ルイ・ファヴォルーの見解
 第二節 ドミニク・ルソーの見解
 第三節 ギヨーム・ドラゴの見解
 第四節 小括
まとめにかえて

は じ め に

 戦後日本の憲法学は、政治部門における「法律による人権保障」よりも司法における「法律にたいする人権保障」に大きな期待をよせてきたといわれる(1)。日本国憲法に違憲審査制が規定されたことにともなって、司法における「法律にたいする人権保障」への学問的関心が高まった結果、違憲審査の方法や基準について、多くの成果が得られるにいたった。しかしその反面、憲法学の議論は、「いかにして、どのような基準でコントロールするか」というきわめて狭い問題に集中し、いわば「一点穴掘り主義」とでもいうべき状況に陥っているように思われる。
 日本国憲法八一条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定している。それゆえ、わが国では、「法律にたいする人権保障」への期待とともに、最高裁判所の憲法判断はあたかも「最後のことば」のごとくみなされ、最高裁判所があらゆる問題を解決し、憲法的価値の具体化を実現すると考えられる傾向があった。しかしながら、最高裁判所の憲法判断は、本当に「最後のことば」であろうか。最高裁判所をはじめとする司法機関だけが、すべての問題を最終的に解決し、憲法的価値を具体化するのであろうか。この問題につき、いくつかの興味深い示唆が存在する。
 芦部信喜教授は、「制定法と裁判の役割をもう少し相関的な関係で捉えること」が必要であるとして、次のように述べている。「立法は立法、裁判は裁判というのではなく、法律の意味が裁判によって補完されることはもちろん、場合によっては本来の意味が大きく変更されることもあること、しかし反対に、新しく法律を制定すること (立法)によって判例の変更を行なうことが認められること、というような法形成における相互の関係が、より密接な形で考えられてもよいのではなかろうか(2)」。また、戸松秀典教授は、「憲法問題の最終的決着は、最高裁判所の憲法判断をもって最終となるわけではなく、立法と司法の相互作用を通じて達成されるものである」と主張している(3)。さらに、栗城壽夫教授も、立法と司法の間には「よりよき憲法の具体化を目標として、協働関係が成立し、連繁プレイが可能である」として次のように述べている。「立法機関の判断にしても、司法機関の判断にしても、終局的なものではありえず、憲法具体化過程における暫定的解決案でしかないのであり、両機関はよりよき具体化を実現すべく継続的に義務づけられている、と考えることができる(4)」。
 このような見解によれば、最高裁判所の判決は、かならずしも絶対的な「最後のことば」ではありえず、むしろ広い意味での立法過程のなかに組み込まれているといえよう。そして、司法と政治部門との相互作用が憲法的価値の積極的実現のために不可欠のものと考えられているのである。
 視点は異なるが、浦田一郎教授も、司法のコントロールを人権保障にとって絶対的なものとする傾向を批判している。浦田教授によれば、わが国では、「法律による人権保障」の経験や自覚が弱いまま、その代わりに「法律にたいする人権保障」が考えられてきたが、司法における「法律にたいする人権保障」が不可欠であるにしても、それは、政治部門における「法律による人権保障」の補完物にすぎず、その代替物にはなりえない(5)。したがって、憲法のあり方として、国民代表であるはずの議会が制定する法律によって人権が保障される、という考えが重視されるのである(6)
 自由権的な人権が国家の不作為によって保障されることはいうまでもないが、現代国家が社会権的な人権の保障をめざして市民生活の領域に介入する積極国家として特徴づけられる以上、政治部門が人権の保障を目的とする立法政策を推進し、国家の作為によって社会権的な人権が保障されるべき場合もある。ところで、国家の不作為による自由権的な人権の保障のためには、司法の積極的なコントロール (法律にたいする人権保障)が効果的に機能する可能性があるが、国家の作為による社会権的な人権の保障に関しては、司法が政治部門の広い裁量を認めて消極的なコントロールにとどまることもあり、かならずしも十分な保障が実現されないおそれがある。後者のような場合は、むしろ、政治部門の合理的な立法政策を通じた「法律による人権保障」が必要なのである。
 このように、現代憲法の具体化のためには、司法における「法律にたいする人権保障」だけではなく、政治部門における「法律による人権保障」が不可欠である。そして、人権保障の二つの側面を考慮しながら、司法の憲法判断にたいして政治部門がどのような対応をとっているか、また、とるべきであるか、ということに注目する必要がある。現代立憲政治が合理的に機能するか否かは、このような司法と政治部門の相互作用のあり方に依存するのであり、両者の相互作用は、多かれ少なかれ現代国家に共通の課題になっているのである。
 それでは、現代国家においては、どのような相互作用のあり方が求められているのだろうか。わが国では、あるべき相互作用として、政治部門 (あるいは立法府)にたいする司法の「対抗関係」が強調され、あるいはさらに後者に対抗する前者の関係が言及されることもある。
 たとえば、小林武教授は、最高裁の憲法判例が、国会制定立法の違憲審査に実質的に踏み込まないか、きわめて緩やかな審査を施すだけで合憲の祝福を与えるという「立法の放任」状態にあることを指摘し(7)、最高裁が、「係争問題について、それが法的問題である限り、政治部門に対して右顧左眄することなく憶するところのない法的判断を下す(8)」ことを求めている。これは、政治部門にたいする司法の「対抗関係」の必要性を論ずるものと考えられる。
 ところで、戸松秀典教授は、アメリカとの比較を通じてわが国における司法と政治部門の「対抗関係」の欠如を指摘している。アメリカでは、違憲判決が下された場合、政治部門による「応諾ないし対抗的要素を含んだ応諾が迅速になされ(9)」ており、政治部門は対抗手段として、次の五つの方法をとりうるという(10)。@「議会が多かれ少なかれこっそりと判決を覆す、単純な逆転方法」。A「右のような逆転、最高裁を抑制する法案、あるいは憲法修正を用意して、判決を批判し最高裁を脅かす方法」。B「強い反最高裁的意図をもたせたやり方で判決を覆す方法」。C「憲法修正を開始する共同決議を通過させる方法」。D「最高裁判所を抑制する方法」である。このようなアメリカの相互作用を検討したうえで、戸松教授は、わが国については、「最高裁判所は自己の憲法判断が最終的であることを過大に感じとりその判断を示すことにあまりに慎重となり、他方で、国会は、違憲判決の重さを重視しすぎて、きわめて迅速な応諾をするか、応諾しないで放置するという極端な対応形態を生みだしている(11)」とし、政治部門にたいする司法の「対抗関係」の欠如のみならず、司法にたいする政治部門の「対抗関係」の欠如までも強調するのである。
 ここで、わが国における司法と政治部門の相互作用の実態を簡単にみてみよう。周知のように、わが国では、最高裁判所が違憲判決を下すこと自体がきわめてまれである。最高裁判所が法律を違憲と判断したのは、@第三者所有物没収違憲判決 (一九六二年一一月二八日(12))、A刑法の尊属殺重罰規定違憲判決 (一九七三年四月四日(13))、B薬事法の距離制限規定違憲判決 (一九七五年四月三〇日(14))、C公職選挙法の衆議院議員定数配分規定の違憲判決 (一九七六年四月一四日(15))、D公職選挙法の衆議院議員定数配分規定の違憲判決 (一九八五年七月一七日(16))、E森林法の共有分割制限規定違憲判決 (一九八七年四月二二日(17))の六件にすぎない。このうち、政治部門が判決に応じて直ちに法律を改廃したのは、@・B・Eだけである。Aについては、対応措置が二〇年以上も放置されつづけてきた。しかし、一九九五年に刑法が口語化されるにあたって、刑法二〇〇条の尊属殺重罰規定は、尊属傷害致死などの尊属加重規定とともに削除された。また、C・Dについては、小選挙区比例代表並立制の導入にともなって、部分的に対応措置がとられたように思われるが、依然として多くの問題が残されている。なお、法律の違憲判決ではないが、愛媛玉ぐし料訴訟違憲判決 (一九九七年四月二日)については、判決以前に自治省の指導や地元議会の指摘などを受けて多くの自治体は靖国神社への公金支出を取りやめていた。このような対応の背景には一審の違憲判決の影響があるとも考えられるが、政治部門は最高裁判決に先行して対応をこころみたのである。
 このような相互作用の実態を考慮すれば、わが国において、司法の積極的なコントロールがほとんどみられないことは明らかであり、政治部門にたいする司法の「対抗関係」、あるいは両者の「対抗関係」の欠如を指摘することは可能である。しかしながら、このような「対抗関係」が確立しさえすれば、それだけで憲法の具体化が実現されるのであろうか。
 政治部門にたいする司法の「対抗関係」、あるいは両者の「対抗関係」が確立された場合には、逆に、政治部門が司法の積極的コントロールに反発し、判決に応じた応諾措置をとらなかったり、憲法的価値の停滞または後退をまねく対抗措置をとることが考えられる。実際、わが国の政治部門は、違憲判決にたいしてかならずしも応諾措置をとっているわけではなく、判決の内容について強烈な反感をあらわにすることも少なくない。たとえば、教科書検定訴訟・杉本判決の直後に発せられた文部省初中局長通知のように、政治部門は「裁判所の違憲的判決を公然と非難して、それに服しないという態度を宣明し」、また、都教組事件最高裁判決直後における当時の法相や自民党幹事長らの発言にみられたように、「違憲(的)判決に関与した裁判官らの経歴等を調査し、向後の人事で然るべき処遇をさせることを考えたいなどと、恫喝した」こともあった(18)。したがって、山下健次教授が指摘しているように、「違憲判決への、とりわけ『対抗措置』の面が強調されれば、そして『責任政党論』等々によってその措置が安易にとられれば、違憲判決の重みが失われることになりはしないかという危ぐも拭い去ることができない」のであり、「そこから違憲審査権の行使に今以上慎重になりすぎるという」危険も生じるであろう(19)。あるべき相互作用として「対抗関係」を強調することは、司法の積極的なコントロールを促すものの、他方では、このようなネガティヴな相互作用をもたらすおそれがある。
 そこで、もうひとつの相互作用のあり方として、憲法的価値の積極的実現を志向する司法と政治部門の「協働関係」が想定される。山下教授は、たんなる「対抗関係」を超えた新たな相互作用の必要性を論じている。「訴訟過程で問題となった論点・疑義に対し、違憲・合憲の結論にかかわらず、立法府 (の立法裁量行為)として対応すべきことがあるはずである。にもかかわらず、政府・与党として『期待』していた『合憲判決』の結果に安住して、法律の積極的改善を怠るとすれば、また野党として積極的な改正案を提起しないとすれば、そこにも違憲判決の場合とは別の一種の相互作用の欠如がみられるといえよう(20)」。したがって、政治部門が、「憲法判断を含む判例をうけて『より合理的な立法への努力』ーー比喩的にいえば司法審査六〇点で合格、しかしそのような『単位取得』に安住するのでなく七〇点・八〇点の答案へ向かう努力(21)」をおこなう必要がある、とされる。
 このように、相互作用の問題は、政治部門にたいする司法の積極的コントロールだけに限定されるべきではなく、それにたいする政治部門の対応のあり方、さらには、司法が消極的コントロールにとどまり立法裁量を理由に合憲判決が下された場合における政治部門の積極的対応まで含むものでなければならない。したがって、政治部門は、違憲と判断されなければよいという「合憲判決安住主義」を克服し、判決の結果が違憲であるときはもちろん、合憲であっても判決の内容に込められた意味を十分に検討して、憲法的価値の積極的実現に取り組むことが求められている。現代立憲主義は、憲法の具体化を志向するこのような司法と政治部門の「協働関係」に立脚するのである。
 本稿は、これまでわが国の憲法学が取り組んできた憲法訴訟論の射程の狭さと同時に、司法における「法律にたいする人権保障」の限界を認識しつつ、司法の憲法判断を広い意味での立法過程の一環をなすものと考え、判決にたいする政治部門の対応を中心に、司法と政治部門の相互作用を分析するものである。これまでの憲法訴訟論は、解釈論的アプローチにとどまっているために裁判過程と立法過程との動態的把握を欠いており、他方で、立法学、あるいは立法過程論においては、司法の役割はほとんど分析の対象にはされてこなかった。本稿では、いまだ未開拓であるこの領域において、フランスの違憲審査機関たる憲法院 (Conseil constitutionnel)と政治部門の相互作用を素材にして、政治部門の対応のあり方が検討される(22)
 フランスでは、法律中心主義の伝統のもとで政治部門における「法律による人権保障」という観念が一般的であったが、一九七一年の「結社の自由」判決(23)以降、憲法院の積極的な活動を通じて、「法律にたいする人権保障」が定着するにいたり、現在では、違憲審査機関たる憲法院と政治部門の相互作用がきわめて活発に展開されている。そして、フランスにおける相互作用のあり方は、たんなる両者の「対抗関係」を超えて、憲法的価値の積極的実現に向けられた「協働関係」によって特徴づけることができる。すなわち、フランスにおいて、政治部門は「合憲判決安住主義」に陥ることなく憲法院判決に直接的・間接的に対応して憲法の具体化に取り組んでおり、その結果、憲法の具体化過程における政治部門の役割があらためて認識され、いわば「法律による人権保障」の「新たな展開」が立ち現れるにいたったのである。
 そこで、本稿では、第一章において、革命以降、議会における「法律による人権保障」が主流をなしていたフランスで、一九七〇年代以降、憲法院が活性化し、「法律にたいする人権保障」が定着するにいたった背景を分析しながら、憲法院の活動の評価をめぐる議論を積極・消極両面から検討する。第二章では、政治部門が、憲法院判決後にどのような対応をとったか、また、憲法院判決に先行する立法過程のなかでいかなる対応をこころみたか、について分析する。これをふまえたうえで、第三章では、憲法院の判決にたいする政治部門の対応をめぐる議論、憲法院と政治部門の相互作用のあり方をめぐる議論を検討する。そして最後に、このようなフランスにおける相互作用の研究から、制度的相違を越えて、わが国への示唆をみちびきだし、わが国の政治部門がめざすべき憲法の具体化についての可能性と展望について論じることにしたい。

(1) 「法律による人権保障」から「法律にたいする人権保障」への展開につき、浦田一郎「議会による立憲主義の展開」一橋論叢一一〇巻一号、同「議会による立憲主義の確立」杉原泰雄教授退官記念論文集『主権と自由の現代的課題』勁草書房 (一九九四年)、同「政治による立憲主義」法律時報六八巻一号を参照。また、蛯原健介「フランスにおける『法治国家』論と憲法院」立命館法学二四六号一五二頁。
(2) 芦部信喜「日本の立法を考えるにあたって」ジュリスト八〇五号一二頁。
(3) 戸松秀典「違憲判決と立法の対応」ジュリスト八〇五号一五四頁。
(4) 栗城壽夫「立法と司法」別冊法学教室『憲法の基本問題』(一九八八年)九二頁。
(5) 浦田一郎「政治による立憲主義」七〇頁。
(6) 浦田一郎「議会による立憲主義の展開」六四頁。
(7) 小林武「最高裁判所判決と議会の関係」ジュリスト一〇三七号九一頁。
(8) 小林武・前掲論文九五頁。また、小林教授は、最高裁における憲法判断の過度の積極性を指摘し、その事例として、在宅投票制判決において最高裁が立法行為・立法不作為の違法を国賠で争うことを原則否定し、国賠訴訟の提起自体を萎縮させるにいたったこと、また、森林法判決では強者の経済的自由を厚く遇していることをあげ、次のように述べている。「このような事態は、最高裁が政治部門に対して、たんに消極的・後追い的に『追随』しているだけでなく、むしろ大筋でそれと積極的・自覚的に『協働』をもする位置に自らを置いていることを示すものであると思われるのである」(同九三頁)。小林教授が指摘している最高裁と政治部門の「協働」は、本稿で論じる司法と政治部門の「協働関係」とはまったく異なるものであることに注意されたい。本稿にいう「協働関係」は憲法的価値の実現を志向するものであり、「対抗関係」を通じて、かつそれを超えて形成される。もちろん、「対抗関係」を否定し憲法的価値を後退ないし停滞させるようなネガティヴな「協働」は、相互作用のあり方としては望ましいものではない。
(9) 戸松秀典・前掲論文一五〇頁以下。
(10) 戸松秀典・前掲論文一五三頁以下。
(11) 戸松秀典・前掲論文一五四頁。
(12) 最大判昭和三七年一一月二八日刑集一六巻一一号一五九三頁。なお、この判決については、法令違憲と受けとめる立場と適用違憲と受けとめる立場がある。この点につき、野中俊彦「判決の効力」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第三巻)有斐閣 (一九八七年)一二五頁以下を参照。
(13) 最大判昭和四八年四月四日刑集二七巻三号二六五頁。
(14) 最大判昭和五〇年四月三〇日民集二九巻四号五七二頁。
(15) 最大判昭和五一年四月一四日民集三〇巻三号二二三頁。
(16) 最大判昭和六〇年七月一七日民集三九巻五号一一〇〇頁。
(17) 最大判昭和六二年四月二二日民集四一巻三号四〇八頁。
(18) 新井章「憲法裁判五〇年の軌跡と展望」ジュリスト一〇七六号一八頁。
(19) 山下健次「現代日本の立法府」公法研究四七号四四頁。
(20) 山下健次・前掲論文四四頁以下。
(21) 山下健次・前掲論文四六頁。
(22) なお、憲法裁判が政治過程や社会に及ぼす影響について分析をおこなう「憲法裁判のインパクト」論は、司法と政治部門の相互作用のあり方について、一定の指針を示すものであろう。代表的な考察として、次のものをあげておきたい。小林武「憲法訴訟と立法権の関係をめぐる若干の問題」南山法学九巻三号、大林文敏「憲法判断のインパクト論」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第三巻)、戸松秀典「憲法裁判の効果」法学教室一九五号。
(23) C.C. 71-44 DC du 16 juillet 1971. この判決につき、Louis Favoreu et Lo■¨c Philip, Les grandes de´cisions du conseil constitutionnel, 6e e´dition, Sirey, 1991, n゜ 19. (以下、G. D. C. C. と略する)さらに、和田英夫『大陸型違憲審査制』(増補版)有斐閣 (一九九四年)一二五頁以下、樋口陽一『現代民主主義の憲法思想』創文社 (一九七七年)八〇頁以下、野村敬造「第五共和国憲法と結社の自由」金沢法学一八巻一・二号などを参照。



第一章 憲法院による法律の合憲性審査第一節

 フランスにおける法律中心主義の伝統と憲法院の活性化
 フランスでは、革命以降、とくに第三共和制期において、法律中心主義と司法不信が憲法伝統の主流をなし、違憲審査機関による「法律にたいする人権保障」は例外的にしかみることができなかった。そして、このような憲法伝統は一九七〇年代に憲法院が活性化するまで基本的に維持されることになる。しかし、それまで「法律にたいする人権保障」を求める動きがフランスにまったく存在しなかったわけではない。たとえば、モンテスキューやコンドルセは、法律によって人権が侵害される危険を指摘しており、革命期には、自然法論の観点から「法律にたいする人権保障」を求める議論が少なからず展開されていたという事実がある(1)。そこでまず、憲法院の活動を検討する前提として、フランス憲法思想史における「法律による人権保障」と「法律にたいする人権保障」について触れておくことにしたい。
 革命期においては、@「法律=一般意思の優位」あるいは法律中心主義 (le´gicentrisme)を主張し、「法律による人権保障」を求める「ルソー的憲法思想」と、A立法府により制定された法律による人権侵害の危険を指摘し、「法律にたいする人権保障」を求める「コンドルセ的憲法思想」の混在がみられた(2)。@のルソー的憲法思想は、一七八九年宣言四条、五条、そして「法律は一般意思の表明である」と規定する一七八九年宣言六条にみることができる(3)。この憲法思想の先駆として位置づけられる思想家のなかで、たとえば、ディドロは、百科全書において、「\\一般意志は常に善である。それは決して誤ることなく、また誤らないであろう(4)」と語り、また、ジャン・ジャック・ルソーは、「一般意志は、つねに正しく、つねに公の利益を目ざす(5)」と述べ、法律中心主義への道を開いた。同様に、タルジェ (Target)やデュポン・ド・ヌムール (Dupont de Nemours)など多くの憲法制定議会の議員も、立法府が制定する法律によって人権が保障されると主張していたのである(6)
 これにたいして、Aのコンドルセ的憲法思想は、たとえば「憲法によって保障される基本規定」と題された一七九一年憲法第一篇における「立法権は、この篇において規定され、憲法によって保障された自然的、市民的諸権利の行使を侵害し、阻害するいかなる法律も定めることはできない」という規定に具体化されている(7)。そして、法律による人権侵害の危険は、モンテスキューやコンドルセなどの思想家によって、繰り返し指摘されていたのである。
 モンテスキューは、立法府が自由にたいする危険をもたらすと考え、『法の精神』(De l'esprit des lois)のなかで次のように述べている。「執行権力が立法府の企図を抑止する権利をもたないならば、立法府は専制的となろう。なぜなら、立法府は考えうるすべての権力を自己に与えることができるので、他のすべての権力を滅ぼすであろうから(8)」。そして、かれは、市民の自由を保障するために、専制的になりうる立法権をもうひとつの権力である執行権とほぼ同等のものとして政治制度のなかに配置することを考えたのである(9)
 また、コンドルセは、未完の草稿において、「あらゆる憲法の目的は、すべての自然権のもっとも完全な行使を市民に保障することである。いかなる権力もこの自然権を合法的に侵害することはできない。つまり、この自然権を侵害するあらゆる法律は、たとえそれが国家全体に由来する場合でも、正しいものではない」と論じ、「立法権が尊重すべき限界」を正確に示す自然権の宣言を憲法前文に起草することが必要である、と主張していた(10)。同様に、「圧制の概念」(Ide´es sur le despotisme)と題する小論のなかでも、「専制とは合法的または非合法的権力によってなされる自然権の侵害である(11)」と述べている。実際、コンドルセが起草したジロンド憲法草案三二条には「法律が、それによって守られるべき自然的・市民的・政治的諸権利を侵害するとき、圧制が存在する」と規定されており(12)、ここに「法律にたいする人権保障」という視点をみることができるであろう。ただし、モンテスキューにしてもコンドルセにしても、「法律にたいする人権保障」を実現するために違憲審査機関の創設を明示していたわけではない。
 これら二つのうちで、次第に主流となっていくのがルソー的憲法思想であり、議会における「法律による人権保障」という定式である。第三共和制期において、人権は「公的自由」(liberte´s publiques)として論じられ(13)、多くの自由が法律によって保障された。たとえば、団結が刑法上自由であることを承認する一八六四年五月二五日法(14)、出版の自由を保障する一八八一年七月二九日法(15)、組合結成の自由を保障する一八八四年三月二一日法(16)、結社の自由を保障する一九〇一年七月一日法(17)、宗教的自由と政教分離を確立する一九〇五年一二月九日法(18)などがこれである。法律中心主義の伝統のもとで展開された「公的自由」論は、「法律による人権保障」の実現に貢献したものの、浦田一郎教授の指摘にあるように、「法律によって規定されていない自由」の存在を予定し、そのような自由が保障されないことを意味していたのである(19)
 このような法律中心主義の観念が支配的であったため、主権者の一般意思とみなされた法律を審査する機関の設置は否定されてきた。デュギーやオーリウは、人権宣言を憲法規範とみなし、法律の合憲性審査を確立すべきことを主張していたが、エスマンやカレ・ド・マルベールなど多くの論者は、人権宣言の憲法規範性を否定し、法律の合憲性審査を考えてはいなかったのである(20)。そして、違憲審査制にたいするネガティヴなイメージが定着していた背景としては、アンシャン・レジーム期において本来司法権であるべきパルルマン (高等法院)の権限濫用によって立法・行政活動が阻害された事実、第三共和制期において超保守政党が違憲審査制の制度化を要請したために反発が生じたこと、さらに、ニュー・ディール期のアメリカにおける違憲審査制が保守的な「裁判官統治」をもたらしているという認識があったといえる(21)。したがって、結局、憲法院が活性化する一九七〇年代まで、法律中心主義の伝統が基本的には維持され、違憲審査機関が「法律にたいする人権保障」をおこなうことはなかったのである。実際に、第四共和制のもとで設けられた憲法委員会 (Comite´ constitutionnel)は、議会制定立法の合憲性審査を目的とする機関というより、本質的には憲法改正手続において機能する機関にすぎなかった。そして、第五共和制の「革新」とされる憲法院も、最初から人権保障機関として活動をおこなっていたわけではない(22)
 憲法院は、そもそも「合理化された議院制」(parlementalisme rationalise´)を担保する政治的機関として着想され、議会の法律事項と政府の命令事項の権限配分(23)をおこなうことが当初の主たる目的であった。しかし、憲法院は、一九七〇年代以降、従来の政治的機能に加え、積極的に人権保障活動をおこなうようになったため、裁判機関としての性格を主張する学説も現れるにいたった。そして、現在では、フランスの多くの論者は、憲法院を裁判機関と考えており、「政治的機関」か「裁判機関」か、という単純な性格論争を超えて、「法」と「政治」の関係についての新たな議論を展開しているのである(24)。したがって、フランスの学説の動向を考えると、裁判機関性について大方の合意が成立している以上、それを前提として、憲法院と政治部門の相互作用を検討するほうが適当であるように思われる。
 ところで、近年の憲法院の性格変化は、いかにしてもたらされたのであろうか。その変化は、次のような三つの契機に由来するものであると考えられる(25)
 第一は、一九七一年七月一六日のいわゆる「結社の自由」判決(26)であるが、この判決において、憲法院は、結社の自由を制限する法律を違憲と判断した。憲法院は、この判決以降、権利と自由を擁護するために法律の合憲性を審査するようになり、判例のなかで、合憲性審査の準拠法文として、一七八九年宣言、「共和国の諸法律により承認された基本的諸原理」、一九四六年憲法前文に列挙された「われわれの時代にとくに必要な政治的・経済的・社会的諸原理」、および「憲法的価値を有する諸原理」などから構成される「憲法ブロック」(bloc de constitutionnalite´)を承認するにいたった。
 第二の契機は、一九七四年の憲法改正である(27)。それまでは、憲法院への提訴権者は、大統領、首相、元老院議長、および国民議会議長の四者に限られていたが、ジスカール・デスタン大統領のイニシアティヴにもとづく憲法改正によって、六〇人の国民議会議員および六〇人の元老院議員にたいして、憲法六一条二項の通常法律についての提訴権が付与され、議会少数派が法律の合憲性につき憲法院に提訴することが可能になった。したがって、この憲法改正以後、野党議員は積極的に提訴をおこなうようになり、提訴数は著しく増大することになる。なぜなら、野党議員は、議会審議においては少数派であるために敗れる場合でも、憲法院に提訴することによって、違憲判決を引き出し、失地を回復することができるからである。かくして、憲法院への提訴が、「国会審議の第二ラウンド(28)」という性格をもつにいたったのである。
 第三に、一九八〇年代の政権交代およびコアビタシオン (左派大統領と右派政府の共存)の経験がある。多数派と少数派の政治的かけひきのなかで、憲法院への提訴は政治的闘争の要素となり、憲法院は、多数派と少数派の調整者としての役割を演じるにいたった。そして、このような政治状況を背景として、憲法院は、政治部門の立法にたいして憲法の観点から積極的にコントロールをおこない、多くの違憲判決を下している。すなわち、一九八〇年代における通常法律および組織法律の審査件数一二九件のうち、七〇%以上にあたる九二件が一部違憲判決を含む違憲判決であったといわれる。
 このような憲法院の活性化は、これまでフランスが拒否してきた違憲審査機関における「法律にたいする人権保障」を実現するものであって、従来の法律中心主義の伝統との緊張をはらんでいる。しかし、憲法院における「法律にたいする人権保障」は、かならずしも政治部門における「法律による人権保障」に取って代わるものではなかった。なぜなら、憲法院がおこなう「法律にたいする人権保障」は、後で触れるようなさまざまな限界をともなうのであり、憲法的価値の具体化には政治部門の関与が必要とされるからである。他方で、政治部門は、「法律による人権保障」の重要性と立法者としての「責任」を自覚しながら、憲法院の積極的コントロール (法律にたいする人権保障)、あるいは消極的コントロールを受けて、憲法の具体化をこころみ、合理的な立法政策の実現に取り組んでいる。かくして、従来の伝統との緊張を保ちつつも、あるいは、その緊張ゆえに、今日のフランスでは憲法院と政治部門の相互作用がきわめて重要な問題として認識されているのである。

第二節 憲法院の活動にたいする評価
 従来の伝統との緊張を生じさせる以上、憲法院の活動は、活発な議論を呼ぶことになる。そこで、ここでは憲法院の活動をめぐって展開されている議論に目を向け、その活動についての積極的評価および消極的評価をみておくことにしよう。
 1 積極的評価
 憲法院の活動を積極的に評価する見解は、現在では一般的であるが、その論拠には、いくつかの方向性をみることができる。あえて類型化をこころみれば、@憲法院は現代フランスの多数派デモクラシーの対抗力として不可欠であるという議論、A憲法院は市民の権利を保障し、統治者による被治者の権利の尊重を実現するという議論、B人権の裁判的保障の確立および「憲法ブロック」の拡大にたいする積極的評価にもとづく議論、C出された判決内容の実質的妥当性に依拠する議論、などに分類できるのではなかろうか(29)
 まず、@について、ルイ・ファヴォルー (Louis Favoreu)は、第三・第四共和制のもとでは、強力で持続的な多数派は存在せず、法律は多数派と少数派の妥協の産物として「一般意思」を表明しえたが、第五共和制においては、強力で持続的な多数派が存在し、それゆえ、法律は多数派意思の表明になっている、と指摘する(30)。したがって、少数派の意思を法律に反映させるために憲法院による合憲性コントロールが必要であるとされ、憲法院が多数派と少数派のバランスウェートの役割を果たすことが求められている。さらに、ファヴォルーは、「政権交代の保障者」としての憲法院という視角を提示して、憲法院が政権交代のブレーキとなるのではなく、むしろ政権交代をスムーズに進めるために必要であることを明らかにするとともに、その判決の公平さを繰り返し指摘している(31)
 同様に、レオ・アモン (Le´o Hamon)も、憲法院をフランスの伝統的な多数派民主主義にたいする「対抗権力」(contre-pouvoir)として位置づけ、フランスにプリュラリズムの民主主義を定着させるものと考えている(32)。すなわち、従来のフランス政治は、「一般意思」の名において、多数派の絶大な権力、少数派にたいする制圧を認めるルソー的民主主義によって特徴づけられていた。しかし、現在のフランスでおこなわれている合憲性コントロールは、このような多数派民主主義ではなく、それに対置されるアメリカ的なプリュラリズムの民主主義をめざすものである。そして、このプリュラリズムの民主主義のもとでは、少数派に発言する可能性が与えられる、とされる。また、アモンは、一九八〇年代の政治状況において、憲法院が「政権交代の緩衝器」の役割を演じたことを評価している(33)
 さらに、ローラン・コーン・タニュジ (Laurent Cohen-Tanugi)は、フランスの民主主義に潜在し、「法」を重視しない伝統をもつジャコバン的文化を批判するとともに、違憲審査制が重要な役割を果たすアメリカ的な「法的民主主義」(de´mocratie juridique)をフランスが志向すべきである、とする(34)。そして、かれは、憲法院による合憲性コントロールにその可能性をみいだすのである。
 Aによるものとして、ジャック・ロベール (Jacques Robert)は、憲法院判事としての立場から、「市民のための憲法院」という観点を強調し、憲法院の改革を唱えている。「憲法院の任務は、おそらく、市民が人権保障のメカニズムの中にはいることができたときに、はじめて全体として完全なものになるといえるでしょう。というのは、結局は、憲法院が存在しているのも、市民のためであり、また、われわれが皆、仕事をしてきましたのも、明らかに、ただただ市民の利益のためであったからなのです(35)」。
 他方で、ドミニク・ルソー (Dominique Rousseau)は、憲法院が統治者=被治者の同一視を覆し、統治者による被治者の権利の尊重を実現させる、という(36)。すなわち、ルソーによれば、憲法院は、つねに市民の憲法の名において統治者の意思をサンクションし、「権利および自由の判例憲章」(charte jurisprudentielle des droits et liberte´s)を前進的に構築することによって、統治者の空間から分けられた、市民の自律性を保障する真正な空間を確保するのである。そして、かれは、憲法院が政治家の自由や斬新な思考を奪うものであるとする批判にたいして、憲法院はむしろ政治家の恣意を効果的に制限するものである、と主張している(37)
 Bによる正当化は、フランスにおける憲法裁判の定着、あるいは準拠規範としての「憲法ブロック」の拡大を評価する。たとえば、ジャン・リヴェロ (Jean Rivero)は、憲法院による法律の合憲性審査が確立したことによって、法律は憲法規範を尊重しなければならなくなり、ルソー的な憲法思想に由来し「共和国の伝統」をなしていた議会多数派による「絶対主義」が終焉するにいたった、と論じている(38)。他方で、ドミニク・ルソーは、「憲法ブロック」よりも適切なことばとして「権利および自由の判例憲章」という表現を使いながら、その持続的な拡大を評価している。そして、後にも触れるように、憲法院が、国会議員、法学教授、あるいは労働組合などの競合するアクターの相互作用から新たな権利をみちびきだしていくことによって、民主主義の深化に貢献する、と述べている(39)
 Cに関して、ルイ・ファヴォルーは、憲法院の合憲性審査は、政治生活を不変の法的枠組みのなかに閉じ込め、固定するものではなく、むしろ憲法の条文を時代の現実や習俗 (m■urs)に適応させるものである、という(40)。同様に、ドミニク・ルソーも、憲法院は伝統的で歴史的に定められた解釈に固執することのないよう留意しており、その判例は時代とともに前進し、「時代精神」を受容するものである、とする。その例として、かれは、一九八二年の地方分権法判決(41)をあげ、憲法院がもはや「フランスのジャコバン的伝統のかたくなな擁護者」ではなく、構造的変化、人民の熱望と現代国家の新たな要求に適合した地方民主主義を受け入れるにいたったことを指摘している(42)。さらに、ジャック・ロベールは、憲法院が「社会の発展および進歩への歩みに照らし合わせて」、その裁定を進化させていくことを強調している(43)
 以上のような正当化論に加えて、憲法院判事の任命方法による民主主義的正統性の担保に依拠する議論 (ルイ・ファヴォルー(44))、憲法判例の発展にともない、法的レベルにおける判例の不明確性が減少し、判例の予測が可能になった、として憲法院の活動を擁護する議論 (ブリュノ・ジュヌヴォワ(45))、さらには、憲法院は一般意思を表明する共同立法者である (ミシェル・トロペール)という議論(46)なども展開されている。このように、現在では憲法院にたいする好意的な評価が支配的であり、憲法院による人権保障を充実させることをめざす改革への動きも、このような見解を背景としてあらわれたものと思われる。
 ここで、最近の憲法院改革のこころみについて、簡単に述べておこう(47)。現行制度上、憲法院への提訴権は、大統領、首相、国民議会議長および元老院議長、そして六〇人以上の国民議会議員または六〇人以上の元老院議員だけに限られており、しかも、ひとたび法律が審署されると、憲法院は事後的にその法律についてあらためてコントロールすることはできない。そこで、一九八九年、ミッテラン大統領は、市民にも憲法院への直接提訴を可能にする改革案を提案し、憲法院長ロベール・バダンテール (Robert Badinter)もこの提案を支持した。これを受けて、政府は、抗弁の方法による法律の合憲性審査を可能にする内容の憲法的法律案を提出したところ、国民議会は、修正を経て、これを可決したのである。この憲法的法律案によれば、すべての市民に提訴権が付与されるとともに、具体的な争訟のなかでの抗弁というかたちで事後審査が認められることになっていた。元老院がこの改正案に反対したため、結局この憲法改正は挫折したが、このような改革の必要性については、依然として議論が継続されているようである。
 たとえば、憲法院判事であるジャック・ロベールは、市民が人権保障のメカニズムのなかに入ることによって憲法院の任務が完全なものとなる、と述べている(48)。また、ドミニク・ルソーも、憲法院への提訴権を市民に拡大すること、憲法院の構成員および憲法院長の任命方法、その手続の公的性格など、修正すべき問題が残されていることを指摘している(49)
 憲法院の活動がフランスの学説に受け入れられ、好意的に評価されているにしても、他の欧米諸国の違憲審査制度と比較してみると、憲法院が人権保障の点で制度的に欠陥をもつことは否定できない。今後このような問題点を解決していくなかで、フランスの「法治国家」性の進展がみられることになるといえよう(50)
 ここにあげた積極的評価は、さまざまな観点から憲法院の活動を擁護しながら、フランスにおける「法律にたいする人権保障」の強化を求めている。しかしながら、これらの見解は、かならずしも政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」を求めるだけにとどまってはいない。後述するように、そこには、憲法院における「法律にたいする人権保障」の限界についての認識が示されており、この限界を克服するために、憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」という視点が提示されているのである。
 2 消極的評価
 憲法院にたいする積極的な評価が支配的であるにしても、憲法院批判論も依然として主張されつづけている。そして、その批判には、憲法学の領域内において、憲法院の活動に向けてなされるものと、他分野から憲法院の活動だけでなく憲法学そのものにも向けられたものがあるように思われる。
 第一に、憲法学の領域内における憲法院批判にはいかなるものがあるか。憲法院の活動に向けられた批判の多くは、憲法院が政治部門の立法政策の実現を恣意的に妨げるという「裁判官統治」(gouvernement des juges)の危険を論拠にしている(51)。そもそも「裁判官統治」の問題は、憲法院の誕生以前より論じられていた。ルイ・ファヴォルーは、その代表的論者として、二〇世紀初頭にアメリカの最高裁判所が社会改革立法に反対したことを批判したエドワール・ランベール (E´douard Lambert)をあげている(52)
 なお、「裁判官統治」の危険にかかわって、ルネ・ド・ラシャリエール (Rene´ de Lacharrie`re)は、『プヴォワール』誌の憲法院特集号 (一三号)において、憲法院正当化論が通説になりつつあるなかでの「異説」と題して、伝統的な批判論を展開している(53)。すなわち、ラシャリエールによれば、現在のフランスでは、国民により直接選挙されず民主的正当性をもたない憲法院が、不明確で空想的な規範にしたがって「一般意思の表明」たる法律にたいして恣意的に違憲判決を下すという寡頭支配があらわれており、その結果、国民の意思を正しく具体化することを自覚している政府や多数派は、このような寡頭支配にしたがうことを余儀なくされているのである。
 次に、憲法院が判例において憲法規範性を承認してきた「憲法ブロック」内の序列、内部矛盾にもとづく批判が存在する。たとえば、ダニエル・ロシャック (Danie`l Loschak)やステファヌ・リアルス (Ste´phane Rials)などは、合憲性審査にあたって憲法院が準拠する法文が不明確であると指摘している(54)。すなわち、「憲法ブロック」には、一七八九年宣言、一九四六年憲法前文の「われわれの時代にとくに必要な政治的・経済的・社会的諸原理」、そして、「共和国の諸法律により承認された基本的諸原理」などが含まれているが、相互に対立し、矛盾する内容をもつ法文の調整が、憲法院の裁量に委ねられることを批判するのである。
 実際に準拠法文の序列が問題になった事例としては、国有化法に関する一九八二年一月一六日判決(55)がある。この判決では、一九四六年憲法前文の国有化原則と一七八九年宣言一七条の所有権の保障が対立し、憲法院は、後者に「完全な憲法的価値」を認め、前者は後者を「補完することだけを目的とする」と宣言したのである。憲法院の活動を好意的に評価するドミニク・ルソーでさえ、相互に競合するいくつもの憲法的原理が存在する以上、憲法院は実際的に裁定をおこなわなければならないのであり、その裁定には主観性が入らざるをえない、と論じている(56)
 さらに、憲法院の活動が政治の活力を奪うとする直接的な批判もある。たとえば、ミシェル・ゲネール (Michel Gue´naire)は、憲法の観念によって政治が危機に陥っているのであり、とりわけ、憲法院による法律の合憲性審査は、政治の危機を象徴するものである、と主張している。すなわち、憲法院の活動は、社会において表明される生き生きとした利益にもとづく、現在のアクターの対話を破壊し、政治家の自由や斬新な思考を奪うとともに、古い時代の憲法的法文にもとづく、憲法裁判官の「エリート主義」や「九賢人の貴族政治」をもたらすものである、とされる。したがって、ゲネールは、「政治の新しい出発」、つまり、憲法にたいして政治を復権させ、そのなかでアクターの新しいはたらきを認めるような「政治の新しい技術」を考え出すことが必要だ、というのである(57)
 第二に、憲法院の活動にとどまらず、憲法学そのものにたいする批判が、政治学の分野やその他の法律学の分野から出されている。
 たとえば、ドミニク・ルソーが「政治主義」と呼ぶ、イヴ・ポワルムル (Yves Poirmeur)やドミニク・ローザンベール (Dominique Rosenberg)など立場は、「政治」にたいする「法」の優位現象を激しく批判している(58)。ルソーによれば、この立場は、政治問題がしばしば法律用語によって表現されることや、政治家が合憲性の論拠を用いることによってみずからの行動を正当化していることに示されるいわゆる政治の「法化」現象については、一応認めながらも、次のような批判を展開する。すなわち、憲法は政治家とって政治的力関係を構成するためのたんなる道具であり、政治家は政治的理由で憲法に準拠しているにすぎない。また、憲法院への提訴は、憲法の条項を尊重するためではなく、政府の政策の合法性に疑問を投げかけ、憲法院の無効判決によって政府を苦境に立たせることを目的とするものである。それゆえ、憲法院への提訴は戦術にすぎず、「法」にたいする「政治」の服従というのはたんなる外観であって、実際には「法」にたいして「政治」が優位する、というのである(59)。さらに、かれらの批判は、憲法学そのものに向けられており、憲法が公法および私法のあらゆる分野の基礎であるとともに政治的実践の根拠である、という憲法学者の見解について、これは、法的・政治的領域にヘゲモニーを築き上げようという憲法学者の意思に還元される、と主張するのである(60)
 ところで、ローマ法以来の伝統とナポレオン法典の威信によって高い地位を与えられてきた民法学の立場からも、憲法院の活動にもとづく憲法学の優位傾向にたいして否定的な見解が示されている(61)。憲法院判事の経験をもつ憲法学者フランソワ・リュシェール (Franc■ois Luchaire)が、憲法院の活動にもとづいて、民法にたいする憲法の優位を主張したことにたいして(62)、民法学者のクリスティアン・アティアス (Christian Atias)は、私法の「憲法化」(constitutionnalisation)ではなく、むしろ憲法の「民法化」(civilisation)が必要であると反論している。すなわち、アティアスによれば、憲法裁判官は、憲法院の判例を豊かにすることによって民法を豊かにするという期待をあきらめなければならず、憲法裁判官が民法を無視することはできない。憲法裁判官が、家族、契約、財産といったことばを民法の意味で使うことを拒否するにしても、これらのことばが示す概念は、人権宣言や憲法前文によって定められたものではなく、民法の伝統にもとづいているのであり、一八〇四年の民法典の起草者が表現しようとした一般法にもとづくのである。かくして、アティアスは、リュシェールなどの憲法学者が主張する「民法の憲法的基盤」すなわち民法にたいする憲法の優位という観念に代えて、「憲法の民法的基盤」すなわち憲法にたいする民法の優位という観念を提起し、憲法院がこのような民法の伝統を尊重すべきことを論じるのである(63)
 しかしながら、憲法院の活動や憲法学のあり方に向けられたこのような批判にもかかわらず、憲法院の活動については好意的な評価が一般的であり、一九七一年判決から二五年余りを経た現在では、憲法院の活動は広く受け入れられているように思われる。また、世論調査によって、国民の約七五%が現在の憲法院制度を支持していることが明らかにされており(64)、これもまた、憲法院の定着を示すものといえよう。

第三節 憲法訴訟機関としての憲法院
 あらためて指摘するまでもなく、憲法院による法律の合憲性審査ついては、一九七〇年代以降の活性化現象を通じて、裁判機関性が論じられるようになり、すでに述べたとおり、現在では圧倒的多数の見解が憲法院の裁判機関性を認めている。ここでは他国の憲法訴訟機関と比較して、憲法院が、制度上、いかなる点において共通し、いかなる点において特殊であるのか、について言及しておきたい。
 まず、憲法院が憲法訴訟機関として有する制度的共通性としては、その独立性と判決の絶対的既判力がある。
 第一に、憲法院は、他国の憲法訴訟機関や他の裁判所と同じく、政治部門から独立した機関である。憲法五六条一項は、憲法院判事(大統領経験者を除く)の任期が九年で、再任されないことを規定している。そして、「近代裁判権のもつ本質的要素」である罷免の問題については、任命の際の欠格要件となる兼職が生じた場合と身体的職務遂行不能が生じた場合に限られ、その認定は憲法院自身がおこなうことになっており、したがって「司法権の独立の最低の保障は認められ」るといわれる(65)。また、任命権者と憲法院判事の任期の違い、一定の公職との兼職禁止、政党や政治組織のリーダーになることの禁止なども独立性を高める要素として指摘されている(66)。こうして、「憲法院の独立性は、ほとんど完全と言って良い程様々の形で確保されており、他の裁判所と比べても遜色なく、却ってより完璧と思えるところさえある(67)」とされるのである。
 第二に、憲法院の判決は絶対的既判力を有する。憲法六二条二項は、「憲法院判決は、いかなる不服申立てにもなじまない。憲法院判決は、公権力およびすべての行政・司法機関を拘束する(68)」と規定している。議会、政府、その他の行政機関、行政裁判所および司法裁判所が憲法院判決について不服申立てすることが憲法によって禁じられている以上、憲法院判決は絶対的既判力を有することになる。そして、この既判力が裁判機関のメルクマールとみなされているのである(69)
 これにたいして、他国の憲法訴訟機関と比較して、憲法院が有する制度的特殊性は以下の点にある。
 第一に、事前審査制であることが指摘される。すなわち、憲法院の合憲性コントロールは、法律の可決から審署までの間に提訴を受けた場合にのみおこなわれる。したがって、提訴されず、ひとたび審署された法律について、憲法院は直接的にコントロールすることはできない。
 第二に、市民には提訴権が与えられていない。憲法院の提訴権は、当初は大統領、首相、元老院議長および国民議会議長の四者に与えられていたが、一九七四年の憲法改正によってさらに六〇人以上の国民議会議員および六〇人以上の元老院議員にも提訴権が付与されることになった。しかし、依然として市民には提訴権が与えられておらず、提訴権者が提訴しなかった法律は、たとえ違憲の疑いがあっても審署され、発効することになる。
 最後に、次のような手続に関する特殊性が指摘される(70)。(a)書面手続であること (書類の簡単な性格、代理人又は弁護士の排除)。(b)原則として秘密手続であること。(c)非対審的手続であること (当事者および弁論の不在)。
 第一および第二の制度的特殊性については、前述のような憲法院改革の動きがみられた。現在でも、改革の論議は進められており、将来的には事後審査制の導入、市民にたいする提訴権付与も考えられる。
 ところで、武居一正助教授は、憲法院の制度的特殊性は裁判機関性を否定する理由にはならないという。提訴権の問題については、一九七四年の憲法改正以後、違憲の疑いが存在する法律は反対派によってほとんど提訴されていること、また、権限争議裁判所、会計検査院、財務規制院についても個人に提訴権が与えられていないことから、提訴権の所在の問題は裁判機関の定義の問題ではないことが主張されている(71)。さらに、手続に関する特殊性についても同様に論じられている(72)。すなわち、憲法院は、簡単な提訴理由書に拘束されることなく、それ以外の理由を職権で取り上げて違憲宣言を下すという「職権主義的書面審理主義(73)」をとっている。越権訴訟では弁護士強制主義が排除されていることからして、代理人や弁護士の存在が裁判機関性の基準とはならない。秘密手続は、憲法院判事の独立性を保障するものである。そして、憲法院は、立法過程におけるさまざまな書類を考慮して判決を下すので、議会におけるさまざまな意見が反映され、それゆえ対審的要素を含んでいる、とされるのである。
 現在の憲法院の活動を考慮して、「『憲法院とは一体どういう機関なのか?』という質問に答えるならば、 憲法院は真の裁判機関である と答えねばなるまい(74)」と断定することができるかどうかはさておき、その制度的特殊性を全面に出して憲法院の裁判機関性を否定するのではなく、重要な相違の存在を認識したうえで、憲法訴訟機関としての制度的共通点に立脚して論ずる必要がある。そして、他国の憲法訴訟機関と比較して憲法院がこのような制度的共通点を有する限りにおいて、フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用を素材として、現代国家における相互作用のあり方をみちびくことが可能となるのである。
 そこで、次章では、憲法院と政治部門の相互作用について具体的な事例をみることにする。政治部門が、憲法院の合憲性コントロールにたいしてどのように対応し、憲法の具体化に取り組んでいるかが問題である。

(1) 革命期における「法律にたいする人権保障」を求める議論につき、田村理「『フランス憲法史における人権保障』研究序説」一橋論叢一〇八巻一号一三二頁以下。
(2) 革命期の憲法制定議会における憲法思想の対立・緊張につき、田村理・前掲論文一二七頁を参照。
(3) 一七八九年宣言における法律中心主義に関する最近の研究として、石埼学「一七八九年フランス人権宣言の矛盾について」立命館法学二五一号が注目される。
(4) Denis Diderot, Droit naturel, dans l'Encyclope´die. ディドロ・ダランベール編『百科全書』(桑原武夫訳編)岩波文庫 (一九七一年)二一〇頁。
(5) Jean-Jacques Rousseau, Du Contrat social. ルソー『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳)岩波文庫 (一九五四年)四六頁。
(6) たとえば、タルジェは、「人身の安全および所有の安全のために制定された法律は、普遍的に遵守されるべきである」(Archives
Parlementaires, 1e`re se´rie, tome 8, p. 343)とし、デュポン・ド・ヌムールも、「すべての市民は、他の市民の自由・安全・所有を尊重しながら、法律にしたがわなければならない」(ibid., p. 345)と主張していた。なお、田村理・前掲論文一三一頁を参照。
(7) 田村理・前掲論文一二七頁を参照。なお、この規定はル・シャプリエ (Le Chapelier)の提案にもとづくものであり、かれは、立法者が市民の権利を害さないようにみえても、実際にはそれを侵害することもあり、このために、権利の保障が憲法によって実定的にあらかじめ定められなければならない、と考えていた。この点につき、同一三四頁以下を参照。
(8) Montesquieu, De l'esprit des lois. モンテスキュー『法の精神 (上)』(野田良之ほか訳)岩波文庫 (一九八九年)三〇〇頁。
(9) このようなモンテスキューの理解につき、Pierre Manent, Histoire intellectuelle du libe´ralisme. Dix lec■ons, Calmann-Le´vy, 1987. ピエール・マナン『自由主義の政治思想』(高橋誠・藤田勝次郎訳)新評論 (一九九五年)一三五頁以下。
(10) Franck Alengry, Condorcet : guide de la re´volution franc■aise, Burt Franklin, 1973, pp. 382 et s.
(11) Condorcet, Ide´es sur le despotisme, a` l'useage de ceux qui prononcent ce terme sans l'entendre, dans Oeuvres de Condorcet, par A.
Condorcet O'Connor, M.F. Arago, tome 9, p. 164.
(12) コンドルセが起草したジロンド憲法草案につき、以下の文献を参照。Franck Alengry, op. cit., pp. 368 et s., Elisabeth Badinter et Robert Badinter, Condorcet. Un intellectuel en politique, Fayard, 1989, pp. 533 et s. さらに、辻村みよ子『フランス革命の憲法原理』日本評論社 (一九八九年)一六二頁以下も参照。
(13) フランスにおける「公的自由」の概念につき、中村睦男『社会権法理の形成』有斐閣 (一九七三年)一頁以下、さらに、浦田一郎「議会による立憲主義の展開」、同「議会による立憲主義の確立」、同「政治による立憲主義」も参照。
(14) 一八六四年法につき、Arlette Heymann-Doat, Liberte´s publiques et droits de l'homme, 3e e´dition, LGDJ, 1995, p. 54. また、田端博邦「フ
ランスにおける『労働の自由』と団結」高柳信一・藤田勇編『資本主義法の形成と展開』(第二巻)東京大学出版会 (一九七二年)一五九頁以下、中村睦男・前掲書八七頁以下を参照。
(15) 一八八一年法につき、ibid., pp. 41 et s. また、大石泰彦「フランスの新聞法制」マス・コミュニケーション研究四四号三〇頁以下を参照。
(16) 一八八四年法につき、ibid., pp. 54 et s. また、中村睦男・前掲書一〇六頁以下などを参照。
(17) 一九〇一年法につき、ibid., pp. 47 et s. を参照。
(18) 一九〇五年法につき、ibid., pp. 49 et s. また、宮沢俊義『憲法論集』有斐閣 (一九七八年)三四九頁以下などを参照。
(19) 浦田一郎「議会による立憲主義の展開」七七頁。
(20) エスマンの憲法学については、深瀬忠一「A・エスマンの憲法学」北大法学論集一五巻二号一一六頁を参照。また、カレ・ド・マルベールの憲法理論については、樋口陽一『現代民主主義の憲法思想』六頁以下を参照。
(21) フランスにおける違憲審査制にたいする伝統的なネガティヴなイメージにつき、たとえば、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』創文社 (一九九二年)一九三頁以下。
(22) 憲法院の初期の活動につき、山下健次「フランス司法権についての一試論」立命館法学三二号五六頁以下を参照。
(23) 憲法院における権限配分統制の研究としては、大河原良夫「フランス憲法院と法律事項 (一〜四)」東京都立大学法学会雑誌二九巻一・二号、三〇巻二号、三一巻一号などがある。
(24) 本稿第三章で取り上げるルイ・ファヴォルーやドミニク・ルソーの見解は、このような「法」と「政治」の関係についての新たな議論をふまえたものである。なお、従来の性格論争を超えて、このような新たな議論に目を向けたわが国の研究としては、今田浩之「フランス憲法院の性格論の性格」阪大法学四一巻四号、清田雄治「フランス憲法院による『法律』の合憲性統制の『立法的性格』」法の科学二〇号、山元一「八〇年代コアビタシオン現象以降のフランス憲法論の一側面」『清水望古稀・憲法における欧米的視点の展開』成文堂 (一九九五年)などが存在する。
(25) Charles Debbasch, Jacques Bourdon, Jean-Marie Pontier, Jean-Claude Ricci, Droit Constitutionnel et Institutions Politiques, 3e e´dition, Economica, 1990, pp. 594 et s.
(26) C.C. 71-44 DC du 16 juillet 1971.
(27) 一九七四年の憲法改正につき、樋口陽一・前掲書一〇一頁以下、中村睦男「フランス憲法院の憲法裁判機関への進展」北大法学論集二七巻三・四号二七一頁以下、和田英夫『大陸型違憲審査制』(増補版)六六頁以下などを参照。
(28) 今関源成「フランスにおける違憲審査制の問題点」法律時報五七巻六号六四頁。
(29) 蛯原健介「フランスにおける『法治国家』論と憲法院」一五一頁。
(30) Louis Favoreu, De la de´mocratie a` l'E´tat de droit, dans Le De´bat, n゜ 64, 1991, pp 159 et s. 蛯原健介・前掲論文一四二頁以下。また、ルイ・ファヴォルーの邦語文献として、「憲法裁判」(植野妙実子訳)小島武司ほか編『フランスの裁判法制』中央大学出版部 (一九九一年)、「憲法訴訟における政策決定問題ーーフランス」(樋口陽一・山元一訳)日仏法学会編『日本とフランスの裁判観』有斐閣 (一九九一年)が存在する。ところで、ファヴォルーは、ここでは、議会全体の意思を「一般意思」と解しているようである。最近、「一般意思」がアプリオリに存在するという従来の見解にたいして、「一般意思」は、議会審議の後にはじめて形成されるとする見解がみられるが、ファヴォルーの理解もこれに近いものといえよう。なお、このような「一般意思」の理解については、ギヨーム・バコのカレ・ド・マルベール研究を扱う光信一宏「フランスにおける最近の主権論」法律時報六〇巻九号七〇頁、ステファヌ・リアルスの代表制論を検討する石埼学「現代代表民主制の生理『の』病理についての一考察」立命館法学二四一号一三八頁、また、関連して、リュシアン・ジョームの代表制論を手がかりに「一般意思」を多様性を注ぎ込む「容器」と理解する、同「いかなる意味で代表するのか?代表制・半代表『制』・半代表の論理」立命館法学二四六号一三五頁以下も参照。
(31) Louis Favoreu, La politique saisie par le droit, Economica, 1988, pp. 30 et s.
(32) Le´o Hamon, Les juges de la loi, Fayard, 1987, p. 287. なお、アモンのこの著書については、国家学会雑誌一〇三巻三・四号九七頁以下に簡単な紹介がある。
(33) ibid., p. 288.
(34) Laurent Cohen-Tanugi, La me´tamorphose de la de´mocratie, Jacob, 1989, pp. 164 et s., du me^me, Le droit sans l'Etat, 3e e´dition, Quadrige/PUF, 1992, pp. 65 et s. タニュジの見解につき、山元一「《法》《社会像》《民主主義》(一)」国家学会雑誌一〇六巻一・二号四三頁以下を参照。
(35) ジャック・ロベール「フランス憲法院と人権保障」(辻村みよ子訳)法学教室一八五号四四頁。
(36) Dominique Rousseau, La Constitution ou la politique autrement, dans Le De´bat, n゜ 64, 1991, p. 184. 蛯原健介・前掲論文一四七頁。また、ドミニク・ルソーの見解につき、清田雄治・前掲論文、山元一「八〇年代コアビタシオン現象以降のフランス憲法論の一側面」二一七頁以下、同「『法治国家』論から『立憲主義的民主主義』論へ」憲法理論研究会編『戦後政治の展開と憲法』敬文堂 (一九九六年)などを参照。
(37) ibid., p. 185.
(38) Jean Rivero, Fin d'un absolutisme, dans Pouvoirs, n゜ 13, 1986, p. 15.
(39) Dominique Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 4e e´dition, Montchrestien, 1995, pp. 419 et s.
(40) Louis Favoreu, De la de´mocratie a` l'E´tat de droit, p. 161.
(41) C.C. 82-137 DC du 25 fe´vrier 1982.
(42) Dominique Rousseau, La Constitution ou la politique autrement, pp. 182 et s.
(43) Jacques Robert, Le Conseil constitutionnel en question, Le Monde, 8 de´cembre 1981.
(44) Louis Favoreu, op. cit., p. 160.
(45) Bruno Genevois, La jurisprudence du Conseil constitutionnel est-elle impre´visible ?, dans Pouvoirs, n゜ 59, 1991, pp. 141 et s.
(46) Michel Troper, Pour une the´orie juridique de l'E´tat, PUF, 1994, pp. 338 et s. なお、トロペールの見解につき、ミシェル・トロペール「違憲審査と民主制」(長谷部恭男訳)日仏法学一九号を参照。関連して、以下の文献も参照。樋口陽一『権力・個人・憲法学』学陽書房 (一九八九年)一七〇頁以下、樋口陽一・栗城壽夫『憲法と裁判』法律文化社 (一九八八年)三四頁以下、長谷部恭男『権力への懐疑』日本評論社 (一九八七年)など。
(47) 憲法院改革の動向につき、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』二〇六頁以下、今関源成「挫折した憲法院改革」『高柳古稀・現代憲法の諸相』専修大学出版局 (一九九二年)などを参照。
(48) ジャック・ロベール・前掲論文四四頁。
(49) Dominique Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 4e e´dition, pp. 402 et s.
(50) ここでいう「法治国家」(Etat de droit)とは、さしあたり、「政治」にたいする「法」(もしくは憲法)の優位と理解しておくことにしたい。フランスにおける「法治国家」概念は、きわめて多様であるが、憲法院の問題に関しては、憲法院正当化論とほとんど同じ内容であると考えられる。なお、この点につき、蛯原健介・前掲論文一三九頁以下においてすでに言及した。
(51) 「裁判官統治」の危険を理由とする憲法院批判につき、樋口陽一『現代民主主義の憲法思想』三〇頁、和田英夫『大陸型違憲審査制』(増補版)一六二頁以下などを参照。
(52) Louis Favoreu, op. cit., p. 160.なお、ランベールの代表的著作としては、Le Gouvernement des juges et la lutte contre la le´gislation sociale aux E´tat-Unis, 1921. がある。
(53) Rene´ de Lacharrie`re, Opinion dissidente, dans Pouvoirs, n゜ 13, 1986, pp. 141 et s. なお、ラシャリエールの憲法院批判を紹介するものとして、植野妙実子「憲法院と行政権」フランス行政法研究会編『現代行政の統制』成文堂 (一九九〇年)二二六頁以下。
(54) Danie`l Loschak, Le Conseil constitutionnel, protecteur des liberte´s ?, dans Pouvoirs, n゜ 13, 1986, pp. 41 et s., Ste´phane Rials, Les incertitudes de la notion de constitution sous la Ve Re´publique, dans RDP, 1984, pp. 599 et s. なお、ダニエル・ロシャックの見解につき、今田浩之「フランス憲法院と『共和国の諸法律により承認された基本的諸原理』」阪大法学四三巻四号二六〇頁以下を参照。また、ステファヌ・リアルスの見解については、辻村みよ子・前掲書一九九頁以下を参照。
(55) C.C. 81-132 DC du 16 janvier 1982.
(56) Dominique Rousseau, op. cit., pp. 113 et s. ドミニク・ルソーは、「憲法ブロック」内の一般的序列を否定しているが、とくに擁護される憲法的要求として多元性の原理をあげている。Voir ibid., p. 115. 他方で、準拠法文の不明確性にもとづく批判に反論するために、実質的序列を認めて、「憲法ブロック」内の権利および自由を調整しようとする見解も存在する。たとえば、ドミニク・テュルパン (Dominique Turpin)は、人間の生来的で時効にかからない権利の総体、自由、所有、安全および圧制にたいする抵抗を実質的序列の頂点に位置づけている。Dominique Turpin, Contentieux constitutionnel, 2e e´dition, PUF, 1994, pp. 146 et s.
(57) Michel Gue´naire, Constitution ou la ■n de la politique, dans Le De´bat, n゜ 64, 1991, p. 157. なお、ゲネールの憲法院批判につき、山元一「八〇年代コアビタシオン現象以降のフランス憲法論の一側面」二二四頁、辻村みよ子「憲法学の『法律学化』と憲法院の課題」ジュリスト一〇八九号七一頁、蛯原健介・前掲論文一四一頁。
(58) Dominique Rousseau, op. cit., pp. 389 et s. なお、イヴ・ポワルムルおよびドミニク・ローザンベールの主張につき、山元一・前掲論文二二一頁以下を参照。かれらの主張は、Yves Poirmeur et Dominique Rosenberg, La doctorine constitutionnelle et le constitutionnalisme franc■ais, dans Les usages sociaux du droit, CURAPP, 1989, pp. 230 et s. に示されている。
(59) Dominique Rousseau, op. cit., pp. 389 et s.
(60) ibid., p. 390.
(61) フランスにおける民法学と憲法学をめぐる最近の議論に触れるものとして、大村敦志「民法と憲法の関係ーーフランス法の視点」法学教室一七一号がある。
(62) Franc■ois Luchaire, Les fondements constitutionnels du droit civil, dans RTDC, 1982, pp. 245 et s.
(63) Christian Atias, La civilisation du droit constitutionnel, dans RFDC, n゜ 7, 1991, p. 438.
(64) 矢口俊昭「フランスの憲法裁判」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第一巻)有斐閣 (一九八七年)一七六頁。
(65) 山下健次・前掲論文五七頁。
(66) 武居一正「フランス憲法院の性格」法と政治三二巻二号二七五頁以下。なお、憲法院判事の任命につき、植野妙実子「憲法裁判官の任命」法学新報一〇三巻二・三号四七七頁以下を参照。
(67) 武居一正・前掲論文二七六頁。
(68) 本稿では、一七八九年宣言、一九四六年憲法前文および一九五八年憲法の翻訳につき、樋口陽一・吉田善明編『世界憲法集』(第三版)三省堂 (一九九四年)を主に参照した。
(69) Voir Charles Debbasch, Jacques Bourdon, Jean-Marie Pontier, Jean-Claude Ricci, op. cit., pp. 585 et s., Louis Favoreu et Lo■¨c Philip, Le Conseil constitutionnel, PUF, 6e e´dition, 1995, p. 4.
(70) 武居一正・前掲論文二六〇頁以下。
(71) 武居一正・前掲論文二五八頁以下。
(72) 武居一正・前掲論文二六〇頁以下。
(73) 憲法院は、提訴者によって取り上げられなかった違憲理由にもとづいて、法律を審査することがある。なお、この問題に触れる最近の文献としては、Thierry Di Mano, Le Conseil constitutionnel et les moyens et conclusions souleve´s d'of■ce, Economica, 1994. が存在する。
(74) 武居一正・前掲論文二八四頁以下。

 本稿は、平成九 (一九九七)年度文部省科学研究費補助金 (特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。