立命館法学 一九九七年二号(二五二号)四三九頁(一七五頁)




中谷 猛著
『近代フランスのとナショナリズム』

法律文化社 (一九九六)


加藤 克夫






 本書は、著者が近年発表してきた九編の論考に、序文を付してまとめた論文集である。著者はフランス近代政治思想史を専門としていて、トクヴィルを中心とした一九世紀フランスの政治・社会思想に関するその研究成果は、すでに、『トクヴィルとデモクラシー』お茶の水書房〔一九七四〕、『フランス市民社会の政治思想ーアレクシス・ド・トクヴィルの政治思想を中心にー』法律文化社〔一九八一〕、『近代フランスの思想と行動』法律文化社〔一九八八〕として公刊されており、本書は著者にとっては四点目の単著である。前著に較べるとき、本書の特徴は次の点にあるといえよう。
 第一に、トクヴィルを中心とした自由主義研究が自由主義的カトリシズム、オルレアン主義者に拡張された。第二に、従来から取り組んできたボナパルティズム論を、今日の地方分権論議をも視野に入れて、地方分権という視点から豊富化している。第三に、大革命前後から一九世紀末フランスのナショナリズムを取り上げて、新しい分野 (プレ・ファシズム論も含む)に研究対象を拡げている。第一章と第四章にナショナリズムに関する論考が置かれているのも単に時代の流れにそったというだけではなく、著者がナショナリズム論に本書の力点を置いた結果といえよう。第四に、それとともに、研究対象の時期を従来の大革命から第二帝政期までであったものを第三共和政初期にまで拡げている。

 次に、本書の構成と内容を簡単に紹介しておこう。
 本書は、全体の見取り図を示し、相互の関連を整理した序論、第一章「フランス革命と市民的祖国の観念の形成」、第二章「フランス自由主義の多様性とロマン主義」、第三章「ボナパルティズムと分権問題」、第四章「世紀末のナショナリズムと知識人」から構成されている。
 第一章では、大革命期のシンボルであった「祖国」(patrie)観念が、ボシュエの「王朝的祖国の観念」からルソーによって提起され、革命期に支配的となった「市民的祖国の観念」(いわゆる、ジャコバン的愛国主義とか共和主義的愛国主義などといわれる愛国主義 patriotisme の土台をなす祖国観)へと変容する過程や祖国愛の起源と性格が検討される。
 著者によれば、ボシュエには「キリスト教的市民ー祖国論」(祖国をキリスト教的信仰で結ばれた市民の幸福を保障する場とみなして、祖国への献身を説く)と「君主ー祖国論」(君主を国家の人格的具現とみなし、祖国に対する献身と君主に対する献身を同一視する)という二側面からなる「王朝的祖国の観念」があった。十八世紀の啓蒙思想家の祖国観は基本的にはこの「キリスト教的市民ー祖国論」の延長線上に位置する。
 これに対して、ルソーは、人民自身が統治し、支配も服従もない「民主的都市共和国」を理想の祖国とみなして、こうした祖国を支え、市民相互の友愛を形成し、徳の涵養に不可欠の熱情としての祖国愛を称揚した。これが「市民的祖国の観念」である。
 一方、ボシュエの祖国観念のもう一つ側面である、「君主ー祖国論」は啓蒙期に次第に正当性を失っていくが、革命初期には、政治主体として認識されるようになった「国民」(nation)観念と結びついて「君主ー国民ー祖国論」が形成された。だが、「新たな『国民』観念にふさわしい祖国像」は当初はなお未形成であった。しかし、一七八九年から各地で開催される連盟祭を契機にフランス国民=市民としての意識形成が促進されて、自由で平等な国民の団結の象徴としての「祖国」観が形成され、聖化されていく。こうして、しばらく「王朝的祖国の観念」と「市民的祖国の観念」の併存状況が続いたが、ヴァレンヌ逃亡事件と革命戦争の勃発以降、「自由・平等・友愛を原理とする共和国像」を中核とした新しい「市民的祖国の観念」が支配的となっていく、と著者は指摘する。
 なお、著者は国家による愛国心宣揚の論理を次のように説いている。祖国に対する国民感情には「自発的な祖国愛の感情」(政治主体としての市民意識と結合した、同胞市民間の友愛・連帯感情)と「愛国心 (国家愛)・ナショナリズム」(国民の一元的な統合・同一化を図るために「国家が意識的に\\醸成」することによって生まれる感情)の二つがある。国民国家は規模が大きいので必然的に「自発的な祖国愛の感情」は希薄となる。このため、国家は「祖国」や「国民」といった言語象徴を用いて愛国心を宣揚し、国民大衆を体制に同一化する必要が生じるのだ、と。ナショナリズムの宣揚による「大衆の国民化」、「国民はつくられる」ということであろう。
 第二章では、第1節と2節で自由カトリシズムの創始者ラムネが、第3節でA・ティエールを中心としたオルレアン主義が考察される。
 教皇権至上主義者でロマン主義者でもあったラムネは進歩的摂理史観と原理主義的思想傾向を有していて、神の前での平等という視点からカトリシズムと自由の接合を求め、カトリックを基礎にしたあらゆる種類の公的自由を擁護するようになる。だが、その急進的主張がローマ教皇によって批判されると、ラムネはやがてローマ教会と袂を分かち、社会カトリシズムに転じていく。著者はいう、「ラムネは、フランス革命の原理を広く宗教的次元で受け止め、その内実化に尽力した」人物であった、と。
 次にオルレアン主義に関して、著者は、これを単に七月王政やオルレアン派の思想と運動と捉えるのではなく、「自由主義 (思想)と相即不離の関係」を有し、「政治の近代化を目指した人々の英知」を結集した思想と運動と広義に捉える。そのうえで、オルレアン主義を三つの次元 (政治制度〔オルレアン型議院制〕、思想・イデオロギー〔古典的自由主義思想と立憲君主制の確立〕、運動〔旧制度への復帰拒否、人民主権の排除、議会主義的志向、宗教の自由擁護、フランス革命の承認など〕)から考察し、これでもオルレアン主義の統一的把握と「その歴史的特質を浮き彫りにすることは難しい」とする。そこで著者は、オルレアン主義を「一つの緩やかなまとまりをもつ政派に現れた精神の衣装であり\\新たな志向の道具だて」と位置づけ、「運動過程」という視角から、オルレアン主義とは、実現されるべき理念というよりは新たな現実的な諸条件から生じる諸矛盾を「富と能力にもとづく新しい統治」を中心とした「ブルジョワ的手法」によって解決しようとする運動や思想と規定する。
 その上で、さまざまな角度からティエールの思想と行動を検討して、オルレアン主義の特質を析出している。それによれば、オルレアン主義とは、社会的次元では「能力主義」と「富」という「新たな価値を体現するブルジョワ階級の利益を擁護し、旧貴族勢力と対抗していくこと」、政治的次元では、革命後の政治的変化を承認して「『憲章』体制のもとでブルジョワ階級を基軸とする議会主義的統治のシステムを構築していくこと」であり、「フランス型自由主義の別名」だという。
 著者は、これまでトクヴィルを中心にフランスの自由主義を精力的に研究してこられたのだが、新たにカトリック自由主義とオルレアン主義研究を加えることによって、フランス自由主義の多様な側面に光をあてているといえよう。
 なかでも、一九世紀の重要な政治潮流の一つであったオルレアン主義に関する研究はわが国では遅れた研究分野の一つであった。この分野にメスを入れた功績は大きいといわなければならないし、また、オルレアン主義を理念としてではなく「運動過程」という動的な、諸潮流の理念や運動との関係の中で考察することによって、その本質と現実主義的柔構造的性格を浮き彫りにすることができたといえよう。
 第三章では、主に地方分権という視角からボナパルティズムを検討している。
 周知のように、一九七〇年代以降、わが国におけるボナパルティズム論や第二帝政論は大きく転回した。例えば、従来はその軍事独裁的側面が強調されてきたのに対して、権威主義的側面とデモクラシー的側面の二面を有することが強調されたり、民衆にとっての「魅力」、経済発展における積極的役割、ルイ・ナポレオンの政治能力の肯定的評価等々、その積極面が評価されるようになった (1) 。西川長夫氏は、ボナパルティズム概念を近代以降のブルジョワ国家を分析する概念として拡張しさえしている。こうしたいわばボナパルティズム論の修正には著者自身も積極的にコミットしてきたのだが、本章では第二帝政下の地方分権問題を検討することによって、著者のボナパルティズム論を一層深化させているといえるだろう。
 まず第1節では、「ボナパルト的デモクラシー」という視角から第二帝政の歴史的位相が考察される。著者によれば、第二帝政は国民大衆の政治参加 (デモクラシー)と集権的な近代官僚制を支柱とする体制であった。このデモクラシーは、権力の正統性と権威の源泉であると同時に、国民に体制選択の可能性を付与することによって、国民や議会が大なり小なり権力を規制するという二面性をもつ。次いで、著者はルイ・ナポレオンの大衆的で民主的な政治感覚や思想を積極的に評価するとともに、第二帝政下での人民投票制や男子普通選挙制の実施、議会の漸進的な権限拡大の実態を明らかにして、第二帝政を「ボナパルト型独裁ー反議会主義」国家というよりは「大衆国家」であり、第二共和政 (七月王政)から第三共和政へとデモクラシーの発展を架橋した体制であるとして、デモクラシーの発展の連続性とその中で第二帝政の占める役割を積極的に評価している。
 第2節では、トクヴィルの「大衆社会論」の視点からの地方自治論を考察する。トクヴィルによれば、大衆社会化のもとでは市民の思考と行動の画一化と権威への依存化が進んで、集権化と官僚制が発達する。こうして行政的に集権化した中央権力と人民主権の原理とが結合すると絶対的権力が生じる。著者によれば、トクヴィルはこうした「近代文明についての危機意識から」、地方の行政権限の拡大と国民大衆の「政治参加」によって祖国愛と公共精神を涵養して絶対的権力の出現を阻止し集権化の弊害を除去するという視点に立って地方自治論を展開している、という。著者は、こうしたトクヴィルの地方自治論の考察から、「地方分権化は現代文明の要請」であると、現代の地方分権論を文明論的視点から積極的に肯定している。
 第3節では、第二帝政期を中心として革命以降の地方制度の変遷と論議を検討し、第二帝政下での分権化が「自治の拡大」ではなくむしろ公務遂行の効率化 (「地方分権による統合」)を企図していたこと、さまざまな立場の論者による分権論は権力の専制主義批判の論理にすぎず、国家の統治構造の再編 (分権ー自治)が中心的論点ではなく、デモクラシーとも結びついてはいなかったこと、これに対して、デモクラシーを積極的に参政構造に導入したのはむしろ帝政側であったこと、だが、帝政はジレンマ (第1節で明らかになったように、デモクラシーは権力にとって両刃の剣であった)をかかえて、国政・地方での普通選挙が地方自治の拡大などにつながるのを恐れ、中央による地方の統括のための制度的保障として、分権法の制定による知事権限の強化を図ったことなどが解明されている。
 このように、本章では、地方分権という側面から第二帝政のもつデモクラシー的側面が改めて強調され、民主制発展の連続性と第二帝政のもつ位相 (第二共和制と第三共和政を架橋)が積極的に評価される。同時に、ここで取り上げられた地方分権の文明論的意義を説くトクヴィルの地方分権論は、地方分権や政治的アパシーが問題となっている現代の政治や国家の問題を考える上でも貴重な示唆を与えているといえよう。
 第四章では、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて活躍した作家・思想家で、ブーランジスムや反ドレフュス派の一員として活躍し、当時の若者の「偶像的存在」であったモーリス・バレスの思想とそのナショナリズムの性格などが検討される。バレスは、従来、わが国で取り上げられることは少なかったが、、近年、有機体的ナショナリズムの「詩人」とも、アンガージュマン文学の創始者、フランス・ファシズムの先駆者、プレ・ファシズム思想の担い手などと評されて、注目を集めている人物である (2)
 まず第1節では、パーソナリティという視角からバレスの思想的営為が「国粋」意識に結びついていくメカニズムが解明される。「自我」の確立を探求するバレスは、ブーランジスムに加わって民衆の熱狂に触れるなかで「集団的自我」に自我の最高の実現を見出す。この「自我」と対になっているのが「他者」観念であった。バレスの「他者」には、自己意識としての「他者」(自己の内なる世界を凝視し続ける自己内部の他者)と「自己意識としての内側の『他者』が現実との違和感をもつなかで生み出す社会的・政治的性格を帯びた」「他者」という二つの次元がある。後者は「蛮族」と呼ばれ、バレスの人生観・文化的価値観と異なる人びと、例えば、近代的「知」の担い手や外国人労働者やユダヤ人など、政治次元でいえば、対外的にはドイツ、対内的には政治屋やドレヒュス派の知識人が「蛮族」とみなされた。
 一方、バレスにはフランスの現状に対する激しい危機意識があった。集団的自我に最高の自我の実現を認め、他方で科学主義・合理主義に反発して非合理的要素を重視するようになったバレスは、祖国フランスの再生の活力を引き出す情念 (政治的パトス)としてフランスの伝統=「死者」と「大地」を発見する。
 こうして、前述の「他者の観念」とフランスのデカダンスに対する危機意識とが結合して、一方では、国粋意識が喚起される、同時に他方では、社会における異質な要素の排除や血や人種などの反合理的要素の正当化が行われる (ちなみに、バレスは憎悪を行動の巨大なエネルギーとして称賛する)。
 著者は、このように、バレスが伝統という情念的要素をもつ価値を導入して政治の世界を読み解こうとしたことが当時の若い知識人たちを引きつけた理由であり、あわせて、こうした「バレスの政治的思考が後の『ファシズム思想』を準備することになる」とその親ファシズム性を指摘して締めくくっている。
 その上で、第2節「一九世紀末フランス・ナショナリズムの境位」で、プレ・ファシズムという視角から、ナショナリズムとファシズムとの思想的な関係、一九世紀末フランス・ナショナリズムの思想的意義を検討している。
 著者は、ルソー、ミシュレ、ルナン、バレスの「祖国」ー「祖国愛」観念の変遷を概観し、ルソーの市民的祖国観に共和主義的 (ジャコバン的)愛国主義の基礎を見出し、この愛国主義を「開かれたナショナリズム」と呼ぶ。一方、世紀末に、自我の探求とフランスのデカダンスに対する鋭い危機意識からフランス再生の情念として「伝統」と「自然」=「死者」と「大地」を発見し、あらゆる問題を「フランスとの関連」において捉えることを提唱するにいたったバレスのナショナリズムを「国粋的ナショナリズム」(=「閉ざされたナショナリズム」)という。ミシュレとルナンの祖国ー祖国愛は、先の二人の中間あって過渡的性格を有するものと位置づけられる。
 バレスの「国粋的ナショナリズム」には、機械文明批判や労働問題の漸進的改良と労働者階級の社会への統合を企図する、いわゆる「社会主義」的側面があり、その国家像もまた、階級協調を基底に、現実の腐敗した議会政治の批判と近代産業の生み出した社会的諸矛盾の解決に向かうもう一つの共和国=『国民社会主義』の樹立を目指すものであった。
 著者によれば、「ファシズム精神」の中核となるのが「国民社会主義」である。バレスの「国粋的ナショナリズム」にはこの「国民社会主義」のほか、現実拒否の態度、同一化と排除の論理、雄々しい行動の賛美、暴力的契機など、「ファシズム精神」との共通項が見られる。したがって、著者は次のように指摘する。フランス・ナショナリズムは、十九世紀末に、「開かれたナショナリズム」から「閉ざされたナショナリズム」へ、「閉ざされたナショナリズム」から「ファシズムの精神」へという「二段階の変容過程」をへて「ファシズムの精神」と接合した、と。一方で著者は、「ファシズム精神」が文字通り発展するには第一次世界大戦とロシア革命をへて「兵営国家の発想と理論」が提起される必要があるとみなして、それ以前のバレスのナショナリズムなどの「ファシズムの精神」との共通項をもつを思想を「プレ・ファシズム」思想と名付けている。
 本書の内容が多岐にわたっているために内容紹介にやや多くの紙幅を割きすぎた。最近フランス十九世紀史に手を広げたばかりの評者には、今これ以上の全体的な論評をする準備もなく、紙幅も限られているので、以下では、フランスのナショナリズムと「プレ・ファシズム」論に限って、若干の問題に触れることにしたい。

 第一に、わが国での啓蒙期から十九世紀末にわたるフランス・ナショナリズムの本格的な研究は少ない (3) 。そうした中で、著者が最近のフランス・ファシズム研究の動向も視野に収めながら、啓蒙期から十九世紀末までのフランス・ナショナリズムの展開を跡づけた功績は大きいといえよう。ただ、今後、共和主義的愛国主義の系譜や実態、あるいは、保守勢力とナショナリズムとの関係 (一般的には、革命時に反革命勢力が連合主義の立場に立ったことから、少なくとも一九世紀末までの両者の関係は否定され、等閑に付されている)をもっと緻密に検討することが必要ではないかと考える。付言しておけば、著者は、大革命以降「革命的愛国主義」(共和主義的愛国主義)が存在し、十九世紀末に「国粋的愛国主義」が生まれたと指摘しているだけだが、評者はこれ以後フランスにはこの二つのナショナリズムが併存することになると考える。
 第二に、著者は、「国粋ナショナリズム」は、第三共和政下での政教分離論争と「愛国主義」教育の推進による「祖国」観念の神格化の完成を前にして、右翼が「祖国」観念を取り込む論理として登場したと指摘している (四章)が、このように共和主義的愛国主義の発揚と「国粋ナショナリズム」をセットで捉える視点は重要だと思われる。モッセは国民国家において多様な形のシンボルを活用した大衆の国民化への営みが結局はファシズムを生み出すことになったと指摘している (4) 。近代化や共和主義の制度化が進んで伝統的な人的関係や文化変容など政治的・経済的・社会的・文化的変容が進み、大衆社会化状況が出現する中で、既存の体制・政治勢力・社会運動に包摂されない大衆を結集したポピュリズム運動が生じた (ブーランジスムや種々の「リーグ」や急進的ナショナリズムの運動など)。他方、世紀末のフランスでは、共和主義的愛国主義の宣揚、対独復讐熱、列強間の植民地獲得競争による国民意識の刺激、あるいは、国民分裂が顕在化した。こうした状況を前にして、先のポピュリズム的運動にイデオロギー的方向性を与える役割を果たしたのが、バレスの「国粋的ナショナリズム」であったといえないだろうか。バレスはフランスの衰退の原因を国民の分裂に求め、国民の間に広範に存在した反ユダヤ主義という「憎しみ」を宣揚するとともに、「社会主義」的主張を行うことによって国民大衆の国民共同体への統合を強化しようとしているのである (統合と排除の論理)。
 したがって、世紀末に広範に見られた反ユダヤ主義と「国粋的ナショナリズム」の形成を「相即不離」ととらえる捉え方は (序論)は、正鵠を得たものといえるが、双方の実態と関係についての研究はなお今後に残された課題であろう。
 第三に、ヴィノックの「開かれたナショナリズム」(「文明普及の使命を担った国民のナショナリズムであり\\被抑圧者を擁護し、世界のあらゆる国民に味方して自由と独立の旗を高く掲げる」ナショナリズム)と「閉じられたナショナリズム」(「大きな危機が訪れるたびに定期的に登場」し、「狭隘で、おびえた、排他的なナショナリズム」)概念について (5) 、著者は、「開かれたナショナリズム」が「『敵』の出現で強い刺激を受けると、防衛本能が作用して排外的な傾向の『閉ざされたナショナリズム』に転化する論理の必然性を内包している」(四章)とか、この二つの「共存」「波状交差」(序論)の可能性を指摘している。だが、他方では、「共和主義的ナショナリズム」を「開かれたナショナリズム」、バレスの「国粋的ナショナリズム」を「閉じられたナショナリズム」と呼んでいる。
 ところで、ナショナリズムとは、基本的には、閉じられた性格のものではないだろうか。国民国家は多くの場合人為的な一定の国境で仕切られている。国や国民の特性として宣揚されるものは、普遍的原理の体現者であれ、ゲルマン民族の優秀性であれ、他の国民 (国)に対して優れている点 (差異)が強調されるのであって、その内容は時や相手などの状況に応じて変化するものと考えられないだろうか。ナショナリズムが「開かれた」面を有することがあったとしても、それは、それが自国 (自国民)の利益にかなっているときに限定されるといえよう。何よりも、革命戦争やナポレオン戦争において、あるいは、「文明化の使命観」を掲げておこなわれた植民地獲得競争で侵略を受けた側から見れば、侵略国のナショナリズムが「開かれたナショナリズム」か「閉じられたナショナリズム」ということがどれほどの意味があるだろうか。ヴィノック自身「単純な二分法」を戒めているのはこのためであろう。したがって、この概念はスマートではあるがその使用は慎重であるべきではないだろうか。
 最後に、バレスの「国粋的ナショナリズム」にプレ・ファシズム性を認める点に触れておきたい。先に見たように、著者は、「国粋的ナショナリズム」に「ファシズム精神」との数多くの共通点を認めるが、「兵営国家の発想と理論」が提起されること (第一次大戦以後のこと)が、「ファシズム精神」成立の条件だとして、これを「プレ・ファシズム」と名付けているのだが、残念なことに、「兵営国家の発想と理論」が提起されることによってそれ以前と以後とでどこがどう変化するのかという点での論及は欠けている。これでは、レモンらのフランス・ファシズム輸入説批判としては有効であるが、ステルネル説 (世紀転換期にフランス・ファシズムが生まれたと説く)に対する評価は曖昧になってしまっているといえば言い過ぎだろうか。
 以上、評者の力を省みもせず紹介と論評を行ってきた。評者の誤読・誤解を恐れるものであるが、本書が刺激となってフランスの自由主義やいわゆる「もう一つのフランス」研究が一層進展すること期待して結びとしたい。

(1) 河野健二編『フランス・ブルジョワ社会の成立』岩波書店〔一九七七〕、西川長夫『フランスの近代とボナパルティズム』岩波書店〔一九八四〕など参照。
(2) バレスの位相については、Zeev Sternhell, Ni droite ni gauche. L'ide´ologie fasciste en France, Seuil, 1983. Michel Winock, Nationalisme, Antise´mitisme et Fascisme en France, Seuil, 1990. (川上勉・中谷猛監訳『ナショナリズム・反ユダヤ主義・ファシズム』藤原書店〔一九九五〕)。福田和也『奇妙な廃墟ーフランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』国書刊行会〔平成元年〕、深沢民司「国民社会主義イデオロギーの誕生ーモーリス・バレスのナショナリズムについての一考察」『法学論集 (専修大学)』第五二号 (一九九〇)など参照。
(3) 数少ないものの一つが、桑原武夫「ナショナリズムの展開」(桑原武夫編『フランス革命の研究』岩波書店〔一九七二〕所収)だが、ここでは世紀末のナショナリズムは具体的な形では論じられていない。
(4) モッセ『大衆の国民化』柏書房〔一九九四〕
(5) Winock, op. cit.

 〔なお、本稿は、一九九七年六月六日に行われた、立命館大学言語文化研究所「日仏社会文化比較研究会」における合評会での報告を加筆修正してまとめたものである。〕