立命館法学  一九九七年四号(二五四号)八四〇頁(一五六頁)




現代民事訴訟における口頭主義と書面主義



ディーター・ライポルド
出口 雅久(訳)







T  は じ め に(1)

  ドイツ民事訴訟法(当時はZPOではなく、CPOと表記していたが)の生みの親にとっては、口頭主義への決意はまさに信仰告白であった。時代の趨勢は−当時−書面主義手続から口頭主義手続へ向かっていた。それ故、できる限り純粋な形式で口頭主義の原則が実現されることや、口頭と書面の混合した手続形成を避けることが、訴訟促進に資すると信じられていた。しかし、それはCPOが施行された一八七七年においてすでに幻想であった。当初から通常の場合に書面の提出によって行われなければならなかった訴え提起に始まり、民事訴訟の書面的な要素は、すでに当時においても不可欠であるとともに明白なものであった。今日、我々はますますいっそう書面主義と口頭主義が混合した手続と関係している。手続ドグマは、以下に示す通り、広範囲において古い純粋主義的な立場に固執している。そして、いかにして書面主義と口頭主義の諸要素を最も合目的的に組み入れるべきか、という実際上重要な問題は、今日までいまだ決着を見ていない。
  最近の改革構想がいかに多く口頭主義と書面主義という基本問題を巡って議論されているかは、一九七六年のドイツ簡素化法および最近の日本の民事訴訟法改正からもこれを伺い知ることができる。その際、とりわけ、問題となっているのは、訴訟の開始段階、ドイツの表現法では主要期日の準備、日本では口頭弁論の準備である。
  本稿では、基本的には、口頭主義と書面主義に関してドイツ民事訴訟の現状を基本線において論述し、それを基礎として、口頭弁論の価値に関する認識を得ることを試みる。とりわけ、一九七六年に新しく形成された、ドイツ民事訴訟法による手続の開始段階(およびそれについて得られた経験)を日本の民事訴訟法の新しい規定と比較してみたい。

U  口頭主義の内容とその制限の様々な形態

 当事者は、判決裁判所の面前において、訴訟につき口頭で弁論をなすものとする、というドイツ民事訴訟法一二八条一項の言明は、一般的見解によれば、二重の内容を有している。ここに根を下ろしている口頭主義の原則は、一つは、裁判所が先行する口頭弁論に基づいてのみ裁判を行うことが許されるという内容である。もう一つの言明は、裁判においては、口頭弁論において陳述されたものだけを斟酌することが許されるという点にある。
  口頭主義原則のこの二つの部分言明は、今日かなりの範囲において例外によって崩れているか、あるいは、いずれにせよ制限付きである。かかる例外は、非常に異なった構造を持っている。最も広い例外は、手続の完全な書面による展開を許可している規定である。それと並んで、ドイツ民事訴訟法は、特定の種類の裁判を行う前に口頭弁論を強制的には要求しない数多くの規定を有している。必要的口頭弁論からの解放ではなく、書面による口頭弁論の準備が、第三の規定群において問題となっている。かかる書面による準備が強調されればされるほど、口頭弁論において陳述されたものだけが重要であるという言明はそれだけ一層それ本来の内容を失うのである。
  かかる三つの領域においては、CPOの公布をもってしては、この発展をとどめることができなかった。むしろ、現在に至るまで数多くの重要な変更が行われた。一八七七年以来の改正と改正の試みの全史を描写することは広範囲にすぎるであろう。口頭主義と書面主義の今日的な意義を研究するためには、現在の法的状況および最近の若干の法律改正に目を向ければ十分であろう。

V  書 面 手 続

1  両当事者の同意による書面審理による裁判
  ドイツ民事訴訟法一二八条二項によれば、裁判所は、両当事者の同意があるときは、口頭弁論を経ることなく裁判をすることができる。この規定は、その源は一九一五年の負担軽減令や一九二三年の促進令にまで遡る(2)。この規定は、ドイツ民事訴訟法には一九五〇年に盛り込まれた。裁判所がドイツ民事訴訟法一二八条二項を利用するか否かは、その裁量に委ねられている。同法一二八条二項によれば、直近の裁判だけが口頭弁論の必要性から解放される。したがって、たとえば、両当事者の同意を得て、訴訟全体を書面手続で形成することはできない。この規定の目的は、達成された訴訟状態に鑑みて、直近の裁判を行うためには書面による陳述でも足りる場合には、裁判所と当事者が口頭弁論に労力を費やすことを回避することにある。
  この例外規定も、口頭弁論の放棄によって追求された訴訟経済的な効果がいかに速く逆行しうるかを示す一例でもある。当事者は、かなり長い期間を超えて書面の交換を続けたので、ドイツ民事訴訟法一二八条二項の適用の結果、実務ではしばしば訴訟の引き延ばしが生じた。したがって、一九七六年の簡素化法によって、即時に書面の提出のための最終時期および判決言渡期日を指定する義務が裁判所に課された。さらに、ドイツ民事訴訟法一二八条二項三文は、両当事者の同意から三ヶ月以上を経過したときは、口頭弁論を経ない裁判をすることを不適法とした。

2  一方当事者の出頭が期待できないことによる書面手続
  一九七六年簡素化法は、ドイツ民事訴訟法一二八条三項によって職権で書面審理を命じる権限を裁判所に付与した。その要件は、弁護士による代理が要求されていないこと、訴額が(現在は)一五〇〇マルク以上を越えない財産上の請求に関すること、それから−規定の核心は次の点である−著しく遠隔であるために、あるいは、その他の理由から当事者の裁判所への出頭が期待できないことである。立法者は、当初は、とりわけ、被告が自己に不利な裁判管轄の合意の故に、自己の住所地から著しく遠隔の裁判所に出頭しなければならないか、もしくは、その地で訴訟代理を受けなければならない場合を想定していた。もっとも、ドイツ民事訴訟法三八条は、商人間および国際的な法律上の取引においてのみ基本的には裁判管轄の合意を認めているので、かかる事例はほとんど見られなくなった。ドイツ民事訴訟法一二八条三項の規定がそれほど大きな実務上の意義を持たなかったのは、このことと関連しているかも知れない。
  ドイツ民事訴訟法一二八条三項二文は、書面手続による訴訟引き延ばしに対抗するものである。それによれば、裁判所は、すでに書面審理の命令と同時に口頭弁論終結に相当する時期および判決言渡期日を定めなければならない。
  一九九〇年には司法簡素化法により興味深い改正が行われた。当時導入されたドイツ民事訴訟法一二八条三項四文の規定によれば、当事者の一方の申立てがあるとき、または当事者自身の出頭が事実関係の解明のために不可欠であるとみられるときは、書面による審理の命令は、これを取り消さなければならない。旧法下の条文においては、口頭主義を回復させる権利は、その当事者のために当該命令が発令された当事者、すなわち、とりわけ、かなり遠隔地に居住する当事者にのみ認められていた。すなわち、当時、ドイツ民事訴訟法一二八条三項は、当事者の一方が同意しなかったときにも、書面手続を可能としていた。その結果、ドイツ民事訴訟法一二八条三項がヨーロッパ人権条約六条一項の要請と両立するか否かについて疑義が生じた。連邦政府の提案(3)に基づく一九九〇年改正(4)は、この問題を解決している。連邦政府は、エクバタニ事件(5)における一九八八年五月二六日のヨーロッパ人権裁判所の判決を引用した。この判決によれば、事実審においては、口頭で弁論する可能性が存在しなければならない。この判決は、確かに刑事事件に関するものではあるが、ヨーロッパ人権条約六条は民事および刑事事件に等しく適用されるため、連邦政府は、ヨーロッパ人権裁判所が同じ諸原則を民事訴訟にも適用するであろうことを前提としていた。これはおそらくは正当であろう。しかし、一九九〇年以来そうであるように、当事者は誰でもその旨の申立てにより口頭弁論を行わせしめることができるならば、ヨーロッパ人権条約六条一項の要請にはそれで十分である。
  ここで、口頭主義の純粋にプラグマティックな理解と手続的基本権との衝突が明らかになる。その際、ヨーロッパ人権条約六条は、口頭主義がいわば付属的な保障として必然的に結びついている、そういう公開主義を直接的に保障している点に留意しなければならない。というのは、公開を伴った書面手続は、確かに理論的には(すべての者に対する無制限な記録閲覧権として)考えられるが、しかし実務的にはほとんど想定できないからである。ヨーロッパ人権条約六条の公開保障は、口頭弁論の有用性に関するプラグマティックな考慮だけでこれを制限することはできない。

3  少額手続の書面による形成
  一九九〇年の司法簡素化法によって導入されたドイツ民事訴訟法四九五条a一項によれば、区裁判所は、訴額が一二〇〇マルクを越えないときは、公正な裁量によって手続を定めることができる。少額手続の波乱に富んだ歴史、また同様に、どの程度まで裁判所はその裁量の範囲内で通常手続の形成から離反することが許されるのかについては、ここではその詳細には立ち入ることはできない。いずれにしても、ドイツ民事訴訟法四九五条aは、手続を書面によって形成することを認めており、かつ、この点に許容された裁量の核心が存在している。少額の訴額においては、事実、口頭弁論のための費用はしばしば不釣り合いとなることがある。
  ドイツ民事訴訟法一二八条三項四文と同様に、ドイツ民事訴訟法四九五条a一項二文においても、一方当事者の申立てがあれば口頭弁論が行われなければならない、と規定されている。この規定の目的は、ここでも、ヨーロッパ人権条約六条一項の要請を斟酌することにある(6)
  それにもかかわらず、裁判所がドイツ民事訴訟法四九五条aによって認められている裁量を行使するそのやり方に対しては、最近、批判がなされている(7)。その際、とりわけ、当事者が申し立てた場合でも、一部では口頭弁論は行われなかった、と報告されており、法的審問請求権の侵害は珍しいことではないようである。ドイツ民事訴訟法五一一条a一項によれば、控訴は一五〇〇マルク以上の最低不服額を要件としているので、そのような手続過誤を責問することができるような通常上訴は一般的には存在しない。そうだとすると、残るは連邦憲法裁判所への憲法異議だけとなる。
  全体として、純粋な書面手続は、とりわけ、両当事者のための法的審問請求権の保障に関しては、口頭弁論による手続よりも障害を惹き起こしやすいことが明らかになった。

4  評    価
  全体として、上述した書面による手続形成のための可能性は、口頭弁論の費用が期待される利益と比較して不釣り合いであるところでは、口頭弁論の費用を回避しようとする努力によって支えられている。その際、書面による手続形成について両当事者の同意がどうしても必要である。この同意は、積極的な表明(ドイツ民事訴訟法一二八条二項によればそうである)、あるいは、いずれにしても、両当事者のいずれも口頭弁論を申し立てない(ドイツ民事訴訟法一二八条三項および四九五条a)ことによって明らかにされなければならない。すなわち、結論的には、裁判所による判断のみならず、口頭弁論が有用であるか否かについての両当事者の見解も重要となる。同時に、このような方法で、公開かつ口頭による手続を求める権利(ヨーロッパ人権条約六条)という−放棄可能な(8)−保障に考慮が払われている。純粋な書面手続は、法的審問の保障に対する危険を伴うので、当事者に手続形成への影響を認める最近の傾向は全面的に賛同できるものである。

W  必要的口頭弁論を経ない特殊な裁判

 裁判は口頭弁論に基づいてのみ行われうる、という命題においては、ここで基準となっている裁判という概念にすでに問題がある。ドイツ民事訴訟法一二八条一項の法文をも引き合いに出し、かつ、裁判所が「判決裁判所”erkennendes」として活動しているのか否かを問うこともできる。確かに、口頭主義原則の内容は、審級を終結させる終局判決は口頭弁論に基づいてのみ行われうるということである。しかし、その他の裁判行為も、すなわち、決定または処分という形式での裁判行為も、先行する口頭弁論に左右されるか否かは明らかではない。いずれにしても、かかる裁判行為も、それぞれの要件を具備する限りにおいて「判断を下す”Erkennend」、すなわち、何かについて裁判するのである。疑問を避けるために、当初より一連の事例において、事前の口頭弁論は必要ではないということをはっきりさせることを余儀なくされてきた。ここでは、任意的口頭弁論の原則が妥当する。すなわち、口頭弁論の期日指定は裁判所の裁量である。若干の事例においては、反対に、事前の口頭弁論の必要性が明記されていた。これは、たとえば、判決書における事実記載の更正の申立てに関する裁判(ドイツ民事訴訟法三二〇条三項一文)、判決の補充の申立てに関する裁判(ドイツ民事訴訟法三二一条三項)に妥当するが、他方、判決の書き損じ、違算およびその他の明白な誤謬の更正については口頭弁論は裁判所の裁量による(ドイツ民事訴訟法三一九条二項一文)。
  法律が口頭弁論を裁判所の裁量に委ねる事例においては、部分的には、訴訟指揮の裁判が問題となっている。たとえば、手続中止の申立てに関する裁判などが挙げられている(ドイツ民事訴訟法二四八条二項)。付随手続または中間手続の領域においても、このような明文規定による免除が認められている。したがって、たとえば、ドイツ民事訴訟法四六条一項による裁判官の忌避に関する裁判は口頭弁論を経ずに行うことができる。
  その後の法発展においては、その他の裁判が必要的口頭弁論を免除されている。その際、決して常に単なる訴訟指揮行為ばかりでなく、大部分においては実質的な意味における裁判が問題となっている。
  これらの最近の法規定から、必要的口頭弁論と単なる任意的口頭弁論との限界づけのための実質的な基準はどこに見い出せるかを明確に認識することができる。立法者にとってますます決定的に重要なことは、裁判の要件の解明を促進することが口頭弁論から期待しうるか、あるいは、通常の事例において記録の現状によっても十分確実な判断ができるか否かという点にある。
  この種の例としては、控訴(ドイツ民事訴訟法五一九条b二項)または上告(ドイツ民事訴訟法五五四条a二項)を事前の口頭弁論を経ずに決定で不適法として却下できる決定手続がある。ここで必要的口頭弁論が看過されたとしても、期間内かつ適式に上訴状が提出されているかというような形式的要件は、一般的に記録から十分明確に判断できるからである。
  かかる必要的口頭弁論の明確な免除の最近の事例は、一九九〇年の司法簡素化法(9)によってもたらされた。すでに連邦政府の法案(10)の一般的な目的設定においても、書面主義の要素の拡大によって裁判所の負担軽減を図る見解が強調されていた。
  新たに規定されたものに、ドイツ民事訴訟法九一条a一項がある。両当事者は、口頭弁論においてまたは書面の提出もしくは事務課の調書への記載によって本案終了の宣言をすることができる。裁判所が従前までの事実状態および訴訟状態を考慮して公正な裁量をもって決定で行わなければならない、費用に関する裁判は、一九九〇年以降明確に定められているように、口頭弁論を経ずに行うことができる。立法理由書(11)に述べられているように、かかる新規定によって、訴訟費用に関する裁判のために口頭弁論が必要ない事例においては、不必要な当事者および裁判所の負担ならびに手続遅延を回避したかったのである。立法理由書は、次の理由で権利保護はそれによって侵害されないと強調している。すなわち、裁判が当事者と討論すべきより困難な問題を提起する場合には、従来と同様、口頭弁論期日が指定されうるであろうし、かつ、その上、一方当事者は、本案終了宣言を期日においてはじめて提出することによって、口頭弁論を強制することもできるとする。
  同様に新しく規定し直されたドイツ民事訴訟法二八一条二項においては、管轄違いの裁判所から管轄裁判所への訴訟の移送が問題となっている。裁判所の管轄についての申立ておよび説明は、事務課の文書作成官の面前で行うことができるようになった(これは、同時にドイツ民事訴訟法七八条三項により受訴裁判所で許可された弁護士による必要的訴訟代理の免除をも意味している)。裁判は、口頭弁論を経ずに行うことができる。この規定によって、訴訟遅延や弁護士交替に伴う超過出費をも回避することができるとされている。しかし、この関連においても、立法理由書(12)は、管轄の問題が当事者と討論すべきより困難な問題を提起する場合には、裁判所は、従来と同様に口頭弁論を指定するであろう、と指摘している。
  もっとも、口頭弁論を経ない裁判においては、当事者が自己の見解を主張する十分な機会を与えられない危険は否定できない。事前の必要的口頭弁論の裁判の免除は、申立ての相手方(移送の申立ての場合には被告)に法的審問請求権を保障するために意見を述べる機会を与える必要がない、ということを意味するものではない。ドイツ民事訴訟法二八一条の規定の立法理由書において正当に強調されているように、法的審問は、ドイツ基本法一〇三条一項(法的審問の保障)に基づき、かつ、連邦憲法裁判所の判例(13)の考慮の下に法律に明確な規定がなくとも妥当している。
  もっとも、意見が対立する申立てにおいて、相手方に書面による意見表明の機会を与えなければならないことは、口頭弁論の放棄と結びついている簡素化および促進効果を弱めることがある。それにもかかわらず、全体としてみれば、その性質上、一般的に口頭による討論を必要としない裁判をする前に単なる任意的な口頭弁論を導入することは、当事者および裁判所の負担を軽減する良い方法である。たとえば、認諾または放棄の意思表示ならびに申立てによってこれに続く認諾および放棄判決は、同様に任意的(裁判所の裁量による)口頭弁論だけが結びつけられるという方法で、この道をさらに進むことが考えられるであろう。
  書面による手続の適法性を拡大し、訴訟経済のために特定の裁判を事前の必要的口頭弁論から免除するという傾向が続いていることは、最近のドイツの改正草案、すなわち、連邦参議院によって提出された一九九六年一〇月一八日付けの民事裁判手続および非訟事件手続の簡素化に関する法律草案(14)からも伺い知ることができる。同法律草案によれば、とりわけ、ドイツ民事訴訟法三〇八条二項に、費用のみに関する裁判は口頭弁論を経ないでも行うことができる、という一文が付け加えられている。裁判上の和解は、当事者が裁判所の決定に含まれている和解案を裁判所に対して書面によって受諾することによっても、和解を締結することができるとされている(ドイツ民事訴訟法二七九条三項)。新しいドイツ民事訴訟法四九五条bは、上述したドイツ民事訴訟法一二八条三項に取って替わり、一方当事者が著しく遠隔の地に居住しているなどの理由で書面手続を命令するについては、もはや訴額による制限を設けるべきではないとする。論議を呼んでいるのは、とりわけ、控訴裁判所は、控訴が明らかに成功の見込みがない場合には、訴訟物の価額が六万マルクまでの財産権上の請求においては、すでに口頭弁論を指定する前に決定によって控訴の受理を拒否することができる、とする提案である(ドイツ民事訴訟法五一九条c)。この(似たような形式で以前に一度議論された)規定は、弁護士会側から批判されることは明らかである。というのは、弁護士は、当然のこととして、明らかに成功の見込みのない控訴は提起しないと主張するし、また、控訴審によって控訴提起者の上訴が明らかに理由がないことが証明された場合には、弁護士は、当然のことながら依頼者に対して合わせる顔はなくなるからである。この草案が成功するか否かの見込みについては、現在のところこれを評価することは困難である。これは、ここでは単に法発展傾向の一例として言及したにすぎない。

X  口頭弁論と書面

 口頭弁論の書面による準備は、現在の民事訴訟においてはほとんど自明のことである。すべての訴訟資料を口頭弁論においてはじめて陳述するような考え方をする者は誰もいない。そんなことをすれば、裁判所は、膨大な調書を作成しなければならないであろう。すなわち、口頭弁論は、書類作成のための補助手段にすぎなくなるであろう。弁護士訴訟、すなわち、弁護士による当事者代理が命じられている訴訟においては、ドイツ民事訴訟法一二九条一項により書面により準備すべき当事者の義務がある。これは、地方裁判所および上級審でのすべての民事訴訟、さらには、区裁判所における家事事件手続にも当てはまる。弁護士強制が存在しない区裁判所による民事訴訟においても、書面を提出することが常態である。訴えは、確かに口頭で提起し事務課の調書に記載して行うことができるが(ドイツ民事訴訟法四九六条)、しかし、その場合にも、その調書は機能においては訴状と同一の役割を果たす。したがって、ここでも、被告は書面によって答弁することができる。ドイツ民事訴訟法旧五〇〇条の規定では、当事者双方が裁判所の期日指定なしに通常の開廷日に弁論をするために出頭し、口頭による申立てによって訴えを提起することができたが、この規定は一九七六年に廃止された。この規定は、実際的な意義をもはや持ち合わせていなかった。しかし、法は、弁護士強制のない手続においては、準備書面提出義務を課していない。しかし、裁判所は、当事者に対して書面による(または事務課の調書への陳述による)準備を課すことができる(ドイツ民事訴訟法一二九条二項)。かかる方法により、区裁判所の訴訟においても、さまざまな期間を伴った書面による事前手続を書面による陳述のために適用したり、または当事者にその他の期間を定めることが可能であり一般的にも通常である。
  書面の提出は、おそらくはじめからドイツ民事訴訟法による訴訟の通常の現象形態に属するために、それだけいっそう、まさにこの点で法律の変遷は注目に値する。というのは、元来、確かに旧ドイツ民事訴訟法一二〇条一項(現在のドイツ民事訴訟法一二九条一項のように)においては、口頭弁論は、弁護士訴訟においては準備書面によって準備されるとあったが、続いて、この規定の不遵守は「本案自体について法的不利益を結果として生ぜしめない」という後段があった。この規定は、一九三三年の改正法によって廃止された。立法者は、当時、適時に書面によって陳述されなかった攻撃・防御方法を却下する可能性を導入した。一九七六年の簡素化法によって、書面の意義はいっそう強まった。法律は、当事者に対して書面による陳述のための期間を定める裁判所の数多くの権限を認めており、期間を遵守しない場合には、ドイツ民事訴訟法二九六条一項による却下をもたらしうる。
  このように書面が重視されているにもかかわらず、法的に重要な陳述は、今日においても依然として口頭弁論における陳述だと考えられている。書面の内容は、原則として口頭による陳述の予告としてのみ評価されるにとどまっている。しかし、これは、訴訟の現実とはもはや完全には一致していない。前述した通り、陳述の適時性にとって、かなりの部分、書面による陳述が重要である。しかしまた、その他、当事者の陳述は、すでに書面の提出の際に訴訟にとっては重要となる点も見誤ってはならない。したがって、裁判所は、口頭弁論の準備のための処分(ドイツ民事訴訟法二七三条)においては、当然、書面の内容を斟酌しなければならない。そして、書面による事前手続の内容は、後に見るように、訴訟資料をさしあたり書面により整えることに他ならない。したがって、口頭弁論においてはじめて法的な意味において陳述が行われる、という旧い原則のうち結局のところ残るのは、申立ては通常は口頭弁論においてはじめて効力を生じることと、それから書面に書かれたものと異なることが陳述される限りにおいて、口頭弁論における陳述とは常に終結時において基準となる陳述である、ということだけである。
  弁論期日における口頭陳述は、かなりの部分はフィクションと化している。当事者は、ドイツ民事訴訟法一三七条三項によれば、いずれの当事者も異議を述べず、かつ、裁判所が相当と認めるときは、口頭弁論における陳述の際に書面を引用することができる。このことは、区裁判所の手続については、すでに一九〇九年から、ラント裁判所の手続については一九二四年(15)以来行われている。これに対して、旧ドイツ民事訴訟法一二八条三項一文においては、口頭弁論に代わる書面の引用はまだ明確に不適法であると宣言されていた。今日、いわゆる口頭による陳述は、さしあたり、書面を引用する旨の各当事者の簡潔な文言を本質とする。口頭弁論の機能は、ここですべての陳述がはじめて行われることを本質とするわけではない。むしろ、今日、口頭による発言の目的は、書面から生じる疑問点を解明し、どの事実主張が当事者間において争いがあり、かつ、争われ続けているかを確認することである。したがって、口頭弁論は、裁判官による釈明義務(Frage- und Hinweispflicht)の行使のための最善の場でもある(ドイツ民事訴訟法一三九条)。
  このような口頭弁論の機能は、依然として重要であるように思われるし、それどころか通例は不可欠でさえある。口頭弁論は書面交換の洪水に対する最善の救済手段でもある。なぜならば、この書面交換は、さもなければ、その都度繰り返し保障されなければならない法的審問の故に、これを制限することが困難であるからである。
  陳述の詳細が大幅に書面へ移動することによって、陳述の確認においてもドイツ民事訴訟法の適用上、若干の破損部分が生じている。当事者双方の陳述は、重要な内容にしたがって、判決の事実欄に記載すべきである。しかし、詳細については、書面、調書およびその他の書類を引用することができる(ドイツ民事訴訟法三一三条二項二文)。従来の見解は、かかる引用を事実欄における記載の補充にすぎないとみなし、そして、具体的な引用、たとえば、特定の、日付で表示された書面、一番良いものとしては正確に引用された書面の頁数の引用も要求する。実務では、判決の事実欄において、当事者の提出した書面を参照するように包括的に引用することがますます慣習化している。これは、当事者も自ら口頭弁論において基本的に自己の書面を引用するだけである限りにおいて、首尾一貫しているように思われる。しかし、これによって判決の事実記載の証明力が問題となる。判決の事実記載は、ドイツ民事訴訟法三一四条によれば、当事者の口頭陳述につき証拠を提供し、口頭弁論調書によってのみ反駁することができる。この効力は、口頭弁論における引用を越えて書面による提出にも及ぶ(16)。しかし、書面による提出が一括して引用された場合には、結局のところ、事実記載からは何も具体的なものは読みとることはできず、辛うじて書面の全内容が陳述されたものとみなされるのである。判決の事実記載に含まれていないものは陳述もされなかったものである、という意味における消極的な証明力は、書面による陳述の全体を一括して引用することを認めるならば、結局のところ排除される。この問題は、理論的な性質のものにとどまらず、とりわけ、上告審において重要である。ドイツ民事訴訟法五六一条一項一文によれば、控訴審判決の事実または口頭弁論調書から明らかな当事者の提出のみが上告裁判所の判断を受ける。しかし、ドイツ連邦通常裁判所は(いずれにせよ個々の裁判(17)においては)、通常は、記録の全内容が申立ての提起や弁論によって口頭弁論の対象とされたことを前提とすることができるという理由で、事実や口頭弁論調書に明確な引用が存在しない場合ですら、書面による提出の全体をも考慮に入れている。これは、事物の現実的な見方であるが、まさしく、いかに重点が書面の方に移動したかを示すものでもある。

Y  書面主義により多くのウェートをかけることによる口頭弁論の集中化 −一九七六年簡素化法のコンセプト−

  一九七六年の簡素化法は、とりわけ、手続を集中化し、細切れの多数の口頭弁論期日を阻止するという目的を追求した。それ以前は、訴訟資料の討論という意味における実際の口頭弁論が行われることなく、提出された書面を引用する以外に何も行われない弁論期日を実施することが慣行とされていた。これと結びついた形で、当事者が証拠方法を含めてその攻撃防御方法を後になって少しずつ補充し、完全化すること、すなわち、訴訟資料をいわば五月雨式に裁判所および相手方に提出する、ということをしばしば経験した。改正は、口頭弁論をその重要な機能において強化し、単に形式的な口頭主義を避けようと努力した。それ故、簡素化法は、訴訟が包括的に準備された一回限りの口頭弁論期日、すなわち、主要期日において解決される(ドイツ民事訴訟法二七二条一項)ことを目的として掲げた。この準備のために、法律は、口頭弁論のための早期第一回期日および書面先行手続という二つの方式を併置する。見かけに反して、ここでは、訴訟の開始段階における口頭主義と書面主義との真の二者択一が問題となっている訳ではない。早期第一回期日の準備のためにも、裁判所は被告に対して訴状に対する答弁の期間を定めることができる(ドイツ民事訴訟法二七五条一項)。実務は、広くこれを利用している。したがって、より問題となっていることは、弁論期日を(比較的)早期に行うべきか、または後になって初めて行うべきか、という二者択一である。実務では、早期の口頭弁論のための期日に空きがないために、もっぱら裁判所の強度な負担加重という理由だけから、しばしば書面先行手続が選択されている。書面先行手続においては、ドイツ民事訴訟法二七六条一項一文によれば、訴状送達後二週間の期間が被告に対して裁定され、その期間中に被告は防御の意思を裁判所に届けなければならないとされている。訴状送達と同時に、答弁書の提出のための少なくとも二週間の次の期間が裁定される。防御の意思の届出のための期間を徒過した場合には、口頭弁論を経ずに被告に対する欠席判決を下すことができる限りにおいて、通常の書面による弁論期日の準備と比較して、書面先行手続においては書面要素は強化されている(ドイツ民事訴訟法三三一条三項)。また、被告の認諾の場合にも、口頭弁論を経ずに認諾判決を下すことが可能である(ドイツ民事訴訟法三〇七条二項)。いずれの場合にも、それまでの書面による提出が裁判の基礎をなす。ここでは、書面による陳述は口頭弁論においてはじめて効力を有すると言うことは他の場合より一層難しい。したがって、私は、書面先行手続は、機能的に制限された書面手続と理解することに賛意を表明してきた(18)
  五月雨式の提出に対しては、裁判官による期間裁定が対抗する。すなわち、その裁定された期間の徒過は、時機に後れたものとして却下(ドイツ民事訴訟法二九六条一項)の制限を受ける。もっとも、失権規定は、種々の点で問題があることが明らかになっている。憲法上の観点(法的審問の保障)からもそうである。ここではこの点を指摘するだけに留める。
  とりわけ、一九七六年以降、口頭弁論前に証拠決定ができること(ドイツ民事訴訟法三五八条a一項)も、不必要に形式的な弁論期日の回避に役立っている。証拠決定は、かなりの数の事例において、すでに口頭弁論前においても行うことができる。その際に重要なのは、とりわけ、鑑定を委託する可能性である(ドイツ民事訴訟法三五八条a四号)。というのは、実務では、そのような鑑定書の作成に必要とされる長い所要時間は、訴訟期間が長引く主要な原因となっているからである。
  簡素化法が口頭弁論をより良く準備し、かつ、形式的な弁論期日を避けるという目的を達成したか否かという問題は、私の印象では、これを肯定できる。確かに当初、実務では一部においてしばしばいわゆる「繋ぎ期日」、すなわち、事件の呼び上げおよび書面の引用の他に何も行わない期日を開く傾向が存在したが、この不都合は今日かなり改善されているように思われる。もっとも、他方では、複雑多様な事実群(Sachkomplexe)に係わる訴訟資料を伴う手続では、できるだけ一回の主要期日でもってやりくりしようとする見解も、実現不可能であることが判明している。一つの構造化、すなわち、一歩一歩進めることも、ここでは十分に訴訟経済に適いうる。しかし、全体としては、入手可能な統計上の調査(19)によれば、弁論期日の数は限度内(平均して一期日と二期日の間)にあることを伺い知ることができる。手続期間も、いずれにしても第一審においては甘受できるレベルに留まっている。事務処理量が多くなり、裁判官および事務官の人員の釣り合いのとれた増員が追いつかない点に鑑みれば、これは、私の印象ではあるが、民事訴訟法が機能していることの証左である。残念ながら、どの程度まで書面先行手続および早期第一回期日が選択され、この手続形成が手続期間とどう関係しているかに関するデータは存在しない。

Z  民事訴訟の開始段階−ドイツ型モデルと改正日本型モデルとの初めての比較

  一九九六年の新しい日本の民事訴訟法によってもたらされた多数の改正のうち、ドイツ側からみてとりわけ興味深いのは、ほかでもない訴訟の開始段階のための新規定である。これらの規定は、ドイツの規定を正確に知った上で成立した。このことは、すでにドイツ法に大変良く精通した、改正に参画した日本の民事訴訟法学者の名前が保証するところである。それにもかかわらず、ドイツの規定の継受が問題なのではない。むしろ、一つの独自のコンセプトが生まれたのである。細かな点にまで立ち入ることはできないが、ここでは、最初の比較検討をお許し戴きたい。
  日本の規定の目的設定は、きわめて一般的に争点および証拠の解明である。これに対して、ドイツの規定は、主要期日の準備を目指しており、したがって、手続の開始時だけにその存在意義がある。しかし、日本の規定も、民事訴訟の開始段階においてその主要な意義を得ることになろう。
  ドイツ法と同様に、日本法も、複数の、裁判所の選択すべき方法を用意している。ドイツ法が主要期日の準備のために書面先行手続と早期第一回期日を選択させるのに対して、新しい日本の民事訴訟法は、争点および証拠の解明のための三つの異る方法を提供している。すなわち、準備的口頭弁論(日本民事訴訟法一六四条)、弁論準備手続(同法一六八条)および書面による準備手続(同法一七五条)がこれである。ドイツ法によれば、二つの準備方法の一つを進まざるを得ないのに対して、日本法によれば、そうではないので、全部で少なくとも四つの手続形成の方法がある。
  ドイツ法は、早期第一回期日と書面先行手続を同格のものとして並置しており、その選択の基準を挙げることなく、裁判所の裁量に選択を委ねている。これに対して、日本の民事訴訟法の条文によれば、書面による準備手続の方法は、むしろ例外と考えられている。その限りにおいて、日本法は、現行のドイツ民事訴訟法よりも口頭主義をより一層強調している。その際、電話会議の導入により、口頭主義の利点を利用するが、当事者と弁護士の費用は抑えるという、注目すべき方法が試みられている。このモデルの経験を今後数年にわたった追跡することは興味深いであろう。
  日本法はドイツ法よりも口頭主義を強調している、という私のテーゼに対して、弁論準備手続における期日は口頭弁論ではない、と反論することは適切とは思われない。これらの興味深いバリエーションは、一部ではすでに従来から実施されてきた非公開の弁論兼和解の長所をさらに利用するために立法者によって選択されたにすぎない。しかし、弁論準備手続においては、両当事者は期日に立ち会うことができる(日本民事訴訟法一六九条一項)。公開主義を放棄したからといって、裁判所の面前で口頭による討論が行われることに変わりはない。その際、裁判官による和解の努力に特別なアクセントが置かれている限りにおいては、ドイツ法の早期第一回期日と一致している。もっとも、その他の点においては、この手続形成には−ドイツ法の早期第一回期日と比較して−訴訟上の可能性の制限が結びついている。ドイツの早期第一回期日は、すべての訴訟行為が行われるばかりでなく、すべての種類の裁判、すなわち、欠席判決、認諾判決、それどころか対席での終局判決も行うことができる、完全な価値をもった弁論期日である。前述した通り、ドイツ法の書面先行手続においては、欠席判決および認諾判決は可能であるので、ドイツ型モデルは、柔軟な方法で主要期日の準備に資するばかりでなく、少なからぬ事例において(和解をも超えて)訴訟を終結することをも試みていることを、全体として確認することができる。
  準備的口頭弁論(日本民事訴訟法一六五条二項)および書面による準備手続(同法一六五条二項を準用する同法一七六条四項)の場合において、裁判所は、当事者に書面で結果を要約するように命じることができることや、弁論準備手続の場合には、口頭弁論において準備手続の結果を陳述することが必要である(同法一七三条)ことも、争点及び証拠方法を解明するという日本の規定の目的設定と結びついている。早期第一回期日および書面先行手続は、強く全体手続の中に統合されているので、ドイツ法はそのような付随的な当事者行為を知らないのである。

[  結    語

 ドイツにおける法発展がずっと以前から示してきた通り、純粋に口頭による民事訴訟は幻想である。むしろ、訴訟の書面性の要素はますます一層重要性を増してきた。それは、純粋に書面による手続においてばかりでなく、必要的口頭弁論が免除される裁判が増大している点においても、さらには、準備書面が持つ重要性においても示されている。今日、口頭弁論の正当な機能は、事実および法律上の観点における、主張の明確化および中心的な争点事項の討論にある。これに対して、中身のない口頭弁論はできるだけ避けるべきである。手続の開始段階においては、早期の口頭弁論もまた書面による準備段階もそれぞれ固有の長所を持っている。具体的な訴訟を考慮して異なった手続方式を選択することが理想的であろう。ドイツでは、それにはしばしば裁判所の負担加重が立ちはだかる。しかし、書面先行手続は一般的には開始段階においては実践可能な方式であることが明らかになっている。これに対して、新しい日本の規定は、口頭による討論の長所をより強く強調しているように思われる。改正が成功するか否かは、確かに、ドイツと同様、法律の条文によるばかりでなく、裁判官および弁護士の積極的な関与によって決定されるであろう。口頭主義と書面主義との共同作用は、将来においても民事訴訟の基本問題として残り続けるであろう。したがって、ドイツ側からも、興味をもって日本の経験を待ち受けたい。

(1)  Arens, Mu¨ndlichkeitsprinzip und Prozeβbeschleunigung im Zivilprozeβ (1971);Bauer, Wege zu einer Konzentration der mu¨ndlichen Verhandlung C1966);Kip, Das sogenannte Mu¨ndlichkeitsprinzip (1952).
(2)  Arens (Fn. 1), 25.
(3)  連邦諸州の法案に対する意見は、Bundestagsdrucksache 11/4155, S. 46.
(4)  立法理由については、Beschluβempfehlung und Bericht des Rechtsausschusses des Deutschen Bundestages, Bundestagsdrucksache 11/8283, S. 46.
(5)  Eur. Court H. R., Ekbatani case, decision of 26 November 1987, Series A no. 134.
(6)  ドイツ民事訴訟法四九五条aの導入にまで遡る連参議院(連各州の)立法理由書については、Bundestagsdrucksache 11/4155, S. 10 f. を参照。
(7)  Kunze § 495 a ZPO - mehr Rechtsschutz ohne Zivilprozeβ? NJW 1995, 2750;Rottleuthner, Umbau des Rechtsstaats? Zur Entformalisierung des Zivilprozesses im Bereich der Bagatellverfahren - Ergebnisse einer rechtstatsa¨chlichen Untersuchung zur Praxis von § 495 a ZPO, NJW 1996, 2473.
(8)  Stein-Jonas-Leipold, ZPO, 21. Aufl., § 128 Rdnr. 8.
(9)  Rechtspflege-Vereinfachungsgesetz vom 17. Dezember 1990, BGBl. 1990 I S. 2847.
(10)  Bundestagsdrucksache 11/3621, S. 1.
(11)  これについては、Bundestagsdrucksache 11/3621, S. 33.
(12)  これについては、Bundestagsdrucksache 11/3621, S. 37.
(13)  Zu § 281 verweist die Begru¨ndung auf BVerfG NJW 1982, 2367.
(14)  Bundestagsdrucksache 605/96=Bundestagsdrucksache 13/6398.
(15)  Arens (Fn. 1), 22 は、この法改正を民事訴訟法制定以来の口頭主義の原則に対する最も重大な侵害と見なしている。
(16)  Stein-Jonas-Leipold § 314 Rdnr. 3 mit Nachweisen.
(17)  BGH NJW 1992, 2148; 賛成するのは、Oehlers NJW 1994, 712; 反対するのは、C.-D. Schumann NJW 1993, 2786, 2787.
(18)  Stein-Jonas-Leipold § 276 Rdnr. 5.
(19)  別表参照。

[訳者後記]
  本稿は、一九九七年九月に日本学術振興会外国人招聘研究者(短期)として来日された、ディーター・ライポルド教授(フライブルク大学法学部)の講演原稿の翻訳である。同教授には、本学会誌への翻訳原稿の掲載についてご快諾を戴き心よりお礼申し上げたい。また、日頃から民事訴訟法学会関西支部においてご指導を戴いている松本博之教授(大阪市立大学法学部)には、翻訳原稿について貴重なご意見を戴いた。記して感謝する次第である。
  ライポルド教授は、今回の来日は五回目となり、立命館大学においても過去三回連続してご講演をして戴いている。同教授は、日本語を理解できる数少ないドイツ人民事訴訟法研究者の一人であり、本稿の作成に当たっても日本の新民事訴訟法に関する重要規定を自ら翻訳され、従来までのドイツ人研究者とは異なり、日本法との本格的な比較法研究を実践されている。今回は、民事訴訟法学会関西支部をはじめ、立命館大学、西南学院大学、金沢大学、慶応義塾大学、一橋大学においてそれぞれセミナーを開催し、日本の民事訴訟法学者をはじめ実務家とも学術交流に精力的に取り組まれた。この場を借りて各大学・関係諸機関の皆様にも厚く御礼申し上げたい。
  私事にわたって恐縮であるが、ライポルト教授とは、訳者の学部卒業後のフライブルク大学留学当時、一九八四年の秋に新入生のためのオリエンテーションでシュバルツバルト(シャウインスラント)へのヴァンデルングに参加した時からの長いおつき合いである。その間、ライポルト教授には、訳者が大学院当時にドイツ学術交流会奨学生としてフライブルク大学で師事していた故ペーター・アレンス教授が急逝された後、指導教授として論文指導をして戴いた経験もある。また、一九九一年に立命館大学に奉職してからも上述のセミナー等の開催、さらには、一九九四年にフンボルト財団の研究奨学金を戴いて三度フライブルク大学に留学した際も、公私にわたって極めて丁重なご指導を戴いた。この場を借りて改めてライポルド教授に心よりお礼申し上げたい。尚、本稿のテーマについては、民事訴訟法学会関西支部、立命館大学、西南学院大学においてそれぞれセミナーが開催された。

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