立命館法学 一九九七年四号(二五四号)七五一頁(六七頁) 法律による憲法の具体化と合憲性審査(三) フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用 蛯原 健介 |
目 次 は じ め に 第一章 憲法院による法律の合憲性審査 第一節 フランスにおける法律中心主義の伝統と憲法院の活性化 第二節 憲法院の活動にたいする評価 第三節 憲法訴訟機関としての憲法院 (以上二五二号) 第二章 合憲性審査と政治部門の直接的・間接的対応 第一節 憲法院判決後の政治部門の直接的対応 (以上二五三号) 第二節 立法過程における政治部門の間接的対応 第三章 憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論 第一節 ルイ・ファヴォルーの見解 第二節 ドミニク・ルソーの見解 (以上本号) 第三節 ギヨーム・ドラゴの見解 第四節 小 括 まとめにかえて 第二章 合憲性審査と政治部門の直接的・間接的対応 第二節 立法過程における政治部門の間接的対応 政治部門は、憲法院判決後、判決にたいする直接的な対応措置を実現するだけでなく、憲法院への提訴に先行して、立法過程のなかで何らかの対応措置をこころみることもある。本稿では、後者のような対応を立法過程における間接的対応ということにするが、それはさらに受動的・消極的な対応と能動的・積極的な対応に分けることができる。 受動的・消極的な対応は、政治部門が、憲法院への提訴と違憲判決の可能性を考慮し、それを回避するために、いわば受動的・消極的におこなうものである。たとえば、政府が法案提出の際に法案の憲法適合性を考慮すること、あるいは議会において憲法の観点から法案の修正がおこなわれたり、法案の合憲性について議論が展開されることは、そのあらわれであるといえよう。 これにたいして能動的・積極的な対応は、憲法院のコントロール範囲に限定されることなく、政治部門が憲法的価値について検討し、合理的な立法政策を通じて憲法の具体化をはかるものである。それは、たんなる違憲立法の排除にとどまらない広い射程をもち、より積極的な意味で「法律による人権保障」を実現するのである。たとえば先端科学技術や生命倫理などの問題については、一般的に憲法院が厳格にコントロールすることは困難であると考えられるが、政治部門は、だからといって憲法的価値を考慮する必要がないわけではなく、能動的・積極的に憲法の具体化をはかり、問題を解決することが求められよう。実際に、一九九四年のいわゆる「生命倫理法」の事例をみてみると、政治部門は、立法過程のなかで積極的に憲法的価値について検討し、問題の解決に取り組んでいる。現代立憲主義の要請に照らせば、このような領域には厳格なコントロールが及びえないからこそ、政治部門が能動的・積極的に憲法的価値を具体化することが求められるのである(1)。 そこで、本節では、憲法院への提訴に先行する立法過程において、政治部門がどのように間接的対応をこころみているかという問題につき、二つの段階において分析をおこなうことにする。まず違憲判決の回避を目的とする受動的・消極的な対応方法を検討し、次いで「生命倫理法」の事例を素材として、憲法院のコントロール範囲に限定されることなく政治部門が憲法の具体化に努めている能動的・積極的な対応方法を検討することにしたい。 1 受動的・消極的な対応 (1) 政府による「憲法的監視」 憲法院の違憲判決は、法案を提出した政府にとって大きな痛手となる。したがって、政府は、法案が憲法院に提訴されることを考慮して、憲法院への提訴に先行する立法過程のなかで法案の合憲性に配慮することになる。 ギヨーム・ドラゴは、政府による法案の合憲性の配慮、かれの表現を用いれば「憲法的監視」(veille constitutionnelle)について次のように論じている(2)。まず、法案準備および法案作成段階において、法案の実体について責任を負う省庁は、その法案が「憲法ブロック」および憲法院判例に適合するかどうかを確認しなければならない。その際、法案の合憲性はコンセイユ・デタの意見によって明らかにされるのであり、政府は、この意見を参考にして提出前に法案を修正することができる。また、内閣官房(Secre´tariat ge´ne´ral du Gouvernement)は、法案作成の各段階で法案に目を配り、首相と関係省庁との調整をおこなうとともに、マスコミによって明らかにされる法案の原理に関する公的論争に留意し、反対派議員による不服申立に備える。そして議会審議の際も、内閣官房は、憲法的論議を継続させ、憲法院への提訴が予想されるときは、憲法院に提出する意見書草案(projet de me´moire)を準備し、法律を弁護しようとする。さらに、法律が公布されるために要する時間として、憲法院による合憲性審査に費やされる時間を内閣官房は計算しなければならない。このようにして、ドラゴは、憲法院への提訴の可能性のもとで、政府が法案の合憲性に配慮するようになり、政府の立法過程への関与にも変化が生じていることを明らかにするのである。 同様に、パトリス・ジェラール(Patrice Ge´lard)も、「法案を提出する際、政府は、憲法院の審査を慮って、以前よりはるかに大きな注意をはらうようになった(3)」と論じている。かれは、ルイ・ファヴォルーのいう contro^le a` double de´tente(二段階のコントロール)、すなわち一度提訴され違憲判決が下された法案が修正の後に再び提訴されるようなケースに着想を得て、事実上の double de´tente という現象が考えられるとし、二つの事例を紹介している。 第一の事例は、違憲判決を契機に、大統領官房に憲法適合性をチェックするスタッフがおかれたことである(4)。ただし、この事例は、違憲判決後に次の提訴に備えてとられた対応であり、厳密な意味で憲法院への提訴に先行する対応ではない。 一九八二年、左派政府の非植民地化政策の一環として海外領土に関する政府提出法案が可決され、反対派議員がこれを提訴したところ、憲法院はこの法律を実体的理由ではなく手続上の理由で違憲と判断した。その法律は、「共和国の海外領土は、共和国の利益全体における海外領土固有の利益を考慮して、特別の組織をもつ。この組織は、関係する海外領土議会への諮問の後に、法律によって定められ、変更される」と規定する憲法七四条に反して、海外領土議会への諮問を経ずに立法化されたからである。判決後、大統領は首相が憲法を知らないことを非難するとともに、政府提出法案をすべて大統領官房に通すことを命じ、大統領官房には法案の憲法適合性をチェックするスタッフがおかれることになった。ジェラールは、これ以後の「政府提出法案は、憲法院の違憲判決を慮った結果、大変出来が良く」なったと述べている(5)。 さて、ジェラールは、事実上の double de´tente の第二の事例として、一九八四年の教育改革に関する法案、いわゆるサヴァリー法案が違憲のおそれを理由に撤回されたことをあげている(6)。この法案は、国家の非宗教性の原則にしたがって私学助成の規制をめざすものであったが、私立学校の教育の自由を侵害するおそれが指摘されていた。議会においては、右派議員の反対に直面して激しい議論が交わされ、ミッテラン大統領は、憲法院に提訴される可能性にかんがみ、この法案の合憲性について憲法院判事に私的に打診した。その結果、何人かの憲法院判事は、「共和国の諸法律により承認された基本的原理」である教育の自由を制約するこの法案は違憲の疑いがあり、憲法改正が必要である、としたのである。したがって、大統領は法案の撤回を余儀なくされ、憲法改正によってレファレンダムの範囲を拡大したうえで、あらためて私学助成を規制する法案をレファレンダムで採択することがこころみられた(7)。しかし、この憲法改正のこころみも右派議員が多数を占める元老院の反対に直面して挫折することになり、結局、レファレンダムによって新たな法案を成立させる道も閉ざされてしまったのである。 その他の事例としては、一九八八年五月二五日のロカール通達をあげることができる。この通達は、一九八八年の政権交代にともない社会党のロカールが首相になったとき、政府提出法案などが反対派議員によって憲法院に提訴され、違憲と判断されることを避けるために、閣僚にたいして出されたものである。その内容は次のようなものであった。 「議事日程に記された政府提出法案、修正案、議員提出法案のなかに存在する違憲の危険を検知し、排除するためにあらゆることをすべきである。このような心配は、憲法院への提訴がほとんどありそうにない場合には、杞憂であろう。 ジェラールの評価にもかかわらず、法案チェックスタッフの設置およびロカール通達の後も、実際には、違憲判決は目立って減少してはいない。しかし、政治部門は、以前よりも明らかに法案の合憲性に留意し、憲法院への提訴に先行する立法過程において間接的対応をこころみるようになっており、この点については評価することができる。 ドラゴやジェラールが指摘する大統領や政府のこのような間接的対応は、たしかに違憲判決の脅威という受動的・消極的な要因によって促されたものであり、憲法的価値の積極的実現というよりは違憲判決の回避を目的としている。しかし、目的が限定的であるにしても、このような間接的対応は、違憲立法を排除することによって、結果として憲法の具体化にある程度は寄与するのである。 (2) 議会審議過程における諸変化 政府のみならず議会もまた法律が憲法院に提訴されることを考慮し、慎重な法案審議をおこない、憲法に照らして法案の修正をこころみている。そのことは、次のような変化にみることができる。 議会審議過程における具体的な変化として、第一に、一括投票(vote bloque´)の減少が指摘される。一括投票とは、政府の要求により、政府が提出し、または政府が受諾した修正案のみを加えた法案を一回の票決によって議決することである。一括投票は、一九七六年には六回おこなわれたが、一九八一年から一九八五年までの五年間には合計三回しかおこなわれていない(9)。このことから、政府は、反対派によって憲法院に提訴されることを考慮して安易な一括投票を断念し、議会における法案の憲法的論議を重視するようになったと解することもできよう。しかし他方で、政府は法案可決の際に憲法四九条三項の信任決議をしばしば利用しており、十分な議会審議がおこなわれないまま法案が成立するという問題は依然として存在しているようである。 第二の変化として、与党議員によっておこなわれる憲法の観点からの修正権行使をあげることができる。たとえば、一九八三年一二月、与党議員ジャン・ピエール・ミシェル(Jean-Pierre Michel)は、新聞企業に関するモーロワ内閣提出の法案について、一三か所の違憲性を指摘しており、かれが提案した修正案が採択されている(10)。政府が違憲判決を回避するために法案の修正をおこなうのと同様に、与党議員もまた、政府提出法案に違憲の疑いがあるときは、積極的に法案を修正するようになったのである。 以上のように、受動的・消極的な対応は、政府の法案作成過程だけでなく、議会審議過程においてもこころみられている。このような対応は、違憲判決の回避を目的とするだけに、憲法院が積極的にコントロールすることが前提となるが、かならずしも事前審査制に固有のものではない。わが国などのように事後審査がおこなわれる場合でも、政治部門は、違憲判決の危険を避けるために、訴訟の提起や判決に先行して何らかの立法的対応をとることが求められるはずである。 2 能動的・積極的な対応−「生命倫理法」の事例− 憲法院の違憲判決の回避を目的とする受動的・消極的な対応措置は、たしかに憲法の具体化に貢献するが、それには一定の限界が存在する。すなわち、政治部門が憲法院によって憲法の具体化を強制されるのは、憲法院のコントロールが及ぶ範囲に限定され、その範囲外となるグレイゾーンはさしあたり政治部門の立法裁量に委ねられることになる。しかし、現代立憲政治においては、「憲法規範は裁判所に向けられているだけではなく、議会や政府という政治部門も拘束する(11)」といわれるように、このようなグレイゾーンにおいても政治部門が憲法的価値について検討し、問題を解決することが求められている。この要請にもとづく政治部門の立法活動、すなわち本稿にいう能動的・積極的な対応がフランスにおいてこころみられた最近の事例としては、いわゆる「生命倫理法」があげられる。この「生命倫理法」を立法化する際、政治部門は、憲法的価値の積極的解明に努めながら合理的な立法政策の実現をはかり、積極的な意味で「法律による人権保障」をこころみている。そして、この法律は、最終的に、憲法院判決によって憲法的価値を認められた「人間の尊厳」原理を具体化するものとなったのである。 この「生命倫理法」の内容については、なお議論が残されているものの、政治部門が、フランスが人権宣言の母国であるという意識をもちながら、科学技術の発展にたいして人間の尊厳という憲法的価値を法律によって保障したものとして、一般的に評価されている(12)。「生命倫理法」の立法過程や内容そのものは、わが国でも紹介がおこなわれているので(13)、本稿では、政治部門が憲法院のコントロール範囲に限定されることなく、能動的・積極的な方法で間接的対応を実現させたことに注目し、このような問題関心から「生命倫理法」の立法過程を分析するにとどめておく。科学技術の発展はさまざまな問題を提起しており、その法的規制のあり方についても大いに検討の余地があるが、この点については別稿で論じることにしたい(14)。 (1) 倫理諮問委員会と政府主催討論会の意義 フランスでは、一九七〇年代に人工授精が広くおこなわれるようになり(15)、一九八二年には「試験管ベビー」も誕生した。このような医学技術の発達を受けて、人工生殖などの生命倫理の問題をめぐる社会的論議が次第に高まり、政治部門も生命倫理の問題について何らかの対応を求められることになった。そこで政府は、まず一九八三年に専門家の意見を取りまとめる機関として「生命科学および健康に関する全国倫理諮問委員会」(Comite´ consultatif national d’e´thique pour les sciences de la vie et de la sante´ =CCNE、以下、「倫理諮問委員会」と略する)を設置したのである(16)。 一九八三年二月二三日のデクレによれば(17)、この倫理諮問委員会は、生物学・医学・健康の領域における研究によって生じる倫理的問題にたいして「意見」(avis)を出すことを目的とし、毎年、公開討論会を開くことと、報告書を出すことが義務づけられていた。倫理諮問委員会は、設置後一九九四年三月までに、人体実験、人工生殖、出生前診断、エイズ検診、ヒトゲノムの非商業化、遺伝子治療などの問題につき、四〇件以上の意見を出してきた(18)。ただし、この意見は何ら法的拘束力をもたず、政策決定に直接的な影響を及ぼすことはできない。しかし、生命倫理のような慎重に検討すべき問題を扱うにあたって、政府が専門家からなる委員会の設置をこころみ、積極的に意見を提出させ、合理的な立法政策をみちびきだそうとしたことに、政府による憲法・人権の具体化への積極的な努力をみることは可能であろう。 他方で、政府は、一九八五年一月一八日および一九日に公開討論会を開催し、公論の展開を促した。この討論会の開催にあたって、バダンテール司法大臣は、生命倫理の問題は社会全体にかかわる根本問題であり、専門委員会や議会のなかで議論するだけではなく、広く公衆の前で議論されることが有益である、と述べた(19)。実際に、この討論会では、多様な分野の専門家がさまざまな立場から意見を提示しており(20)、議論の内容は『遺伝学、生殖、法』という記録に残された。政府が、このように議論の過程を公開とすることは、たんなる立法過程の合理化にとどまらず、合理的な立法政策を通じた憲法・人権の具体化にも資するであろう。なお、この他にも、大学や研究所における公開討論会、民間の運動団体や宗教団体による公開討論会などでさまざまな立場から活発な議論が展開され、このような動きを通じて、「カオスに近い状態から次第に集合的な規範意識が形成され」るにいたったともいわれている(21)。 (2) コンセイユ・デタへの諮問 政府は、倫理諮問委員会の意見や公開討論会における議論、さらには世論の動向にも留意しながら、実際の法案作成にあたって、コンセイユ・デタに二度諮問をおこない、立法の指針となる報告書を提出させている。 まず首相は、一九八六年一二月、コンセイユ・デタ報告調査部会(Section du rapport et des e´tudes)にたいして、@人体の構成要素の商業化、A遺伝学および胚研究、B出生前診断、C人の卵の採取、治療および保存、D親子関係と相続の制度にたいする人工生殖の影響について諮問した(22)。これを受けて、ギイ・ブレバン(Guy Braibant)調査報告部長のもとに作業グループが設置され(23)、さらに人体の地位、生殖の問題、制度的枠組について小部会がおかれ、調査が進められた。 一九八八年一月に提出されたいわゆるブレバン報告書は、はじめにコンセイユ・デタの役割について述べている。それによれば、コンセイユ・デタは、政府や議会に取って代わるものではなく、可能な限り明確に問題を提起し、どのような選択肢が法的にもっとも確実であるか、それらの選択肢の結果がどのようなものであるかを明らかにし、代替案と各分野の様相を述べるにとどまるのであり、法的諮問の役割を担当するだけである、とされた(24)。したがって、具体的な政策の決定については政治部門に委ねられることになった。 この報告書では、実定法が十分ではないことが明らかにされ、立法の必要性が強調されている(25)。そして、立法のあり方については、さまざまな利益を調整し、その均衡を維持しながら、最低限の公的秩序を確立するものでなければならない、とされた(26)。また、報告書は、肉体と精神の不可分性の原理、本人の同意なくして肉体への干渉はできないという人体の不可侵性の原理、人体の譲渡不能の原理といったフランス法の基本原理を確認している(27)。 ブレバン報告書を受けて、政府は法案起草をこころみたが、早急な立法化にたいして批判がなされたため(28)、一九九〇年一〇月、首相はコンセイユ・デタ調査官ノエル・ルノワール(Noe¨lle Lenoir)にあらためて調査を依頼した。ここでの任務は、第一に、生命倫理に関する重要な現行法および政策について国際的な情報収集・調査をおこなうこと、第二に、国際協力に貢献すべきフランスの進路を定め、外国にたいして模範を示すことであった(29)。 一九九一年六月に提出された、いわゆるルノワール報告書の内容は以下の通りである。第一分冊では、はじめに生命倫理に関する法律や政策について国際的な比較検討がなされ(第一章(30))、次いで、生命倫理の経済的問題、社会的問題、第三世界における生命倫理の問題が取り上げられ(第二章(31))、最後に結論および提言が述べられている(第三章(32))。第二分冊は、二四名の専門家による報告(第一部)、一七名の論者を招いた公聴会の記録(第二部)、外国における省察および現行法の報告についての総括(第三部)からなっている(33)。 第一分冊第三章で述べられた結論および提言によれば、第一に、「枠組法」のなかに記載されるべき三つの主導原理として、@人体の尊重およびその非商業性、A人間への医学的関与は本人の自由で明白な同意を必要とすること、B人間の遺伝形質を守ることがあげられている(34)。第二に、緊急を要する立法として、@人体の商業的利用に刑事罰を課すこと、ADNA鑑定などの遺伝子検査技術の利用制限、B疫学研究を目的とする個人データ収集の法制化が求められている(35)。さらに、人工生殖の方針をめぐる議論についての手がかり、倫理委員会についての提案、医者の倫理、教育、国際協力についての提案も示されている(36)。 政府は、これら二つの報告書などにもとづいて、新たな法案起草に着手し、一九九二年三月の閣議決定を経て、ようやく法案を議会に提出した(37)。二度にわたるコンセイユ・デタへの諮問は、合理的な立法政策をみちびくためにきわめて重要なものであったが、これらの諮問を受けて提出された報告書が、いずれも人権の基本原理を法律によって積極的に擁護しようとしていることに注意すべきである。たとえば、ブレバン報告書は、肉体と精神の不可分性の原理、人体の不可侵性の原理、人体の譲渡不能の原理を確認し、それらの尊重を求めている。また同様に、ルノワール報告書も、人体の尊重およびその非商業性、本人の自由かつ明白な同意にもとづく人体への医学的関与、人間の遺伝形質の保護といった原理が遵守されるべきことを強調している。実際に、政府は、このようなコンセイユ・デタの報告書に示された人権の基本原理を法案のなかに組み込み、「法律による人権保障」をこころみたのであり、ここにコンセイユ・デタを介した政治部門による能動的・積極的な憲法・人権の具体化への取り組みをみることができる。 (3) 議会科学技術政策評価局の活動 他方で、議会もまた合理的な立法政策の実現にかかわっている。一九八三年に科学技術の発展に関して独自の情報収集・分析をおこなう機関として議会が設置した「議会科学技術政策評価局」(Office parlementaire d’e´valuation des choix scientifiques et technologiques =OPECST(38))は、「生命倫理法」の立法化にあたって、人権の基本原理を立法政策に反映することをめざす内容の膨大な報告書を作成したのである(39)。 一九九〇年、議会科学技術政策評価局は、国民議会議長および元老院議長の要請を受けて、@医学的に介助された生殖と生命のはじめの段階についての生物学的研究、A出生前診断とその影響、B遺伝子治療とその危険性、Cヒトゲノムの解読とその利用、D臓器移植とその条件、E生命の終わりの扱いとその方法、安楽死、一時的緩和治療について検討を開始した(40)。元老院議員フランク・セリュスクラ(Frank Serusclat)のもとで報告書の作成が進められ、一九九二年二月に提出された。 この報告書によれば、調査の目的は、政府および行政の情報から独立した情報を提供して、議員の議会審議への参加を容易にすることにあった(41)。報告書の巻末には以下のような勧告が記載されている。 まず、フランスは、生命科学およびその進展によって侵害されるおそれがある人権の領域において、特別な位置にあり、それは、「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」という一七八九年宣言の普遍的性格に由来する、とされる(42)。 次に、生命倫理に関する基本原理が主張されている。すなわち、第一に、自由で賢明な同意が得られなければならない。第二に、人格は、その否定されえない権利、自由、平等、尊厳において、尊重されなければならない。第三に、連帯の原理は尊重されなければならない。つまり、遺伝的に予見される健康状態を理由とする差別は、撤廃されなければならない。第四に、研究は、科学的偉業または成果ではなく、知識および諸個人の満足感の向上をともなわなければ正当化されない。第五に、人体の非商業化原理は、民法典に記載されなければならない、とされた(43)。 また、このような原理の適用については、次のような見解が示されている。第一に、医学的に介助された生殖に関しては、子どもの利益がもっとも重要であること、人格の尊厳が尊重されるべきこと、医学的に介助された生殖は最後の手段として利用されるべきことが「枠組法」のなかに明示されなければならない。第二に、生殖過程の最初の段階に関しては、接合子は人間の接合子である限りにおいて尊重される権利をもつこと、そしてそれはたんなる物体とはみなされてはならないということが明示されなければならない。第三に、遺伝学の発展およびその影響に関しては、ユネスコにおいてヒトゲノムが「人類の共同財産」であることを宣言する条約の起草が提案されるべきであり、遺伝情報にもとづく差別の危険が避けられるよう注意する必要がある(44)。第四に、人体および人格に関しては、人体およびその生産物は、人間の細胞やDNAも含め、商業的取得および特許の対象にはなりえず、人間の細胞およびその派生物から得られた利益は、すべて研究の費用にあてられなければならない。最後に、生命の終わりに関しては、一時的緩和治療を促進すること、積極的安楽死を刑事罰からはずさないこと、過剰治療を避けることが提案された(45)。 さらに、この報告書の勧告は、公論の組織についても言及している。すなわち、議会審議の前に、議会科学技術政策評価局のイニシアティヴで、マスメディアやコロックを利用して公論が展開されなければならない。そして、そこでは、障害、障害者の受入、相違の拒絶、健常の概念についての全体的省察がおこなわれ、ヒトゲノム計画の影響、生殖細胞にたいする遺伝子治療、遺伝情報にもとづく差別の危険について議論されなければならない、とされた(46)。 最後に、議会審議に関しては、緊急討議手続は取らないこと、提出された法案については、議事日程に組み入れられる前に深く検討されるべきこと、票決は個人の良心にもとづくこと、法案は特別委員会で検討されること、公聴会が組織されることが提言された(47)。 島次郎氏は、議会科学技術政策評価局の活動につき、「議会独自の立法につながるというよりは、政府提出法案や国際条約の審議の準備のためや、社会問題のフォローという面が主である(48)」と述べている。しかし、議会のイニシアティヴによる議会科学技術政策評価局の設置およびその活動内容は、立法過程の合理化とともに、合理的な立法政策の実現をめざすものであり、議会による能動的・積極的な憲法・人権の具体化への努力を示しているといってもよいであろう。実際、議会科学技術政策評価局が提出した報告書には、フランスが、人権宣言の母国として、科学技術の進展によってもたらされる人権侵害を防ぐべきことが明示され、自由で賢明な同意、人格の尊厳、連帯の原理、人体の非商業性などの基本原理が主張されていた。議会科学技術政策評価局もまた、このような基本原理を立法政策に取り入れ、「法律による人権保障」に努めたのである。 (4) 憲法院による憲法的価値の承認 以上のように「法律による人権保障」の実現をめざして議会に提出された「生命倫理法」三法案は、一九九三年の政権交代によって一時的に審議が中断されたが、国民議会および元老院における二回ずつの審議、両院合同委員会による調整を経て、一九九四年六月に最終的に可決された(49)。「生命倫理法」を構成するのは、「人体尊重法」(Loi relative au respect du corps humain)、「人体の構成要素および産物の提供および利用、生殖にたいする医学的介助ならびに出生前診断に関する法律(以下「移植・生殖法」と略称する)」(Loi relative au don et a` l’utilisation des e´le´ments et produits du corps humain, a` l’assistance me´dicale a` la procre´ation et au diagnostic pre´natal)、そして「保健の分野における研究を目的とする記名情報の処理、情報ファイルおよび自由に関する一九七八年一月六日法を改正する法律」(Loi relative au traitement de donne´es nominatives ayant pour fin la recherche dans le domaine de la sante´ et modifiant la loi n゜ 78-17 du 6 janvier 1978 relative a` l’informatique, aux fichiers et aux liberte´s)である。このうち「人体尊重法」および「移植・生殖法」が、国民議会議長および六八人の国民議会の与党議員によって憲法院に提訴された。なお、国民議会議長は、これら二法律の規定が憲法的原理に適合するというお墨付きを憲法院から得ることで、論争の激しかった立法の決着を確実にするために提訴した、といわれる(50)。他方で、右派の与党議員は、二法律の条文が、胚の間の平等原理、胚の生きる権利、家族の権利、健康への権利、生命にたいする権利などを侵害するとして、違憲の申立をおこなった。 憲法院は、一九九四年七月二七日、提訴された二法律について合憲判決を下し(51)、新たに「あらゆる形態の隷従や堕落からの人格の尊厳の保護」が憲法的価値を有する原理であるとした。憲法院は、この原理を「フランス人民は、人類を隷従させ堕落させることを企図した体制にたいして自由な人民がかちえた勝利の直後に、あらためて、すべての人間は、人種、宗教、信条による差別なく、譲り渡すことのできない神聖な権利をもつことを宣言する」という一九四六年憲法前文からみちびいている。そして、憲法院は、この二法律が定める「人格の優位性、生の始まりからの人間の尊重、人体の不可侵性、完全性、ならびにその遺伝形質の世襲性の不在、そして種としての人の完全性」という諸原理は、人格の尊厳の保護という憲法的原理の尊重をめざしている、と判断した。したがって、政治部門が「生命倫理法」のなかで定めた諸原理は憲法的価値を認められ、この法律は憲法的原理を具体化したものとみなされたのである。 他方で、「胚は人である」として胚の完全な保護を求める与党議員の訴えにたいして、憲法院は、胚の保護の問題を立法の裁量に委ねた。すなわち、「知識および技術の状況に照らして、立法者によりこのように定められた条項を再検討することは、議会と同じ評価・決定権を有しない憲法院の役割ではない」とされた。繰り返し指摘してきたように、憲法院のコントロールが及びうる範囲は限られており、憲法院がその範囲を超えて法律を厳格に審査することは困難である。とりわけ生命倫理のようなデリケートな問題に関しては、明らかに憲法的価値が侵害されているような場合を除いて、政治部門の立法裁量に委ねられることになろう。それゆえ、この場合は、政治部門が憲法の観点から合理的な立法政策を実現し、立法のなかに憲法的価値を反映させることが課題となるのである。 以上のような憲法院判決を経て、この二法律は審署・公布された。憲法院が新たに憲法的価値を認めた「人格の尊厳」の原理は、さしあたり「生命倫理法」によって具体化されているが、政治部門は、今後の立法政策のなかで積極的にこの原理を具体化していくことが求められるであろう。 3 立法過程における間接的対応の可能性 以上のように、違憲判決の回避を目的とする受動的・消極的な対応措置であれ、あるいは、憲法院のコントロール範囲に限定されることなく実現される能動的・積極的な対応措置であれ、政治部門が憲法院への提訴に先行する立法過程において何らかの間接的対応をこころみることは、決して少なくない。このような間接的対応を可能にするフランスの制度的特徴として、以下のものがあげられる。 まず、受動的・消極的な対応措置を促す要因として、憲法院の積極的なコントロールと政府・議会における活発な憲法論議があげられる。一九七一年の「結社の自由」判決以降、憲法院が政治部門の立法を厳格かつ積極的にコントロールし、多くの違憲判決を下してきたことによって、本章第一節で分析したような政治部門の直接的対応がみちびかれるが、違憲判決の回避を目的として、その後の立法過程における間接的対応もみられるようになった。そして、現在では、政府・議会は、実際には、立法過程において憲法を考慮し、憲法に適合する法律をつくることを余儀なくされているのである。 このようなフランスの状況と比較してみると、わが国では、司法の積極的コントロールが期待できないばかりか、政府や議会で法案の合憲性をめぐる議論が展開されることも少なく、受動的・消極的な対応措置を促す要因が欠けていることがわかる。政府においては、政府提出法案について内閣法制局の審査がおこなわれるが、その内容や傾向は明らかではない(52)。また、議会における憲法論議は、憲法九条に関する議論を除けばあまり活発に展開されることもなく、たいていの場合、法律は与野党の政治的かけひきの産物にとどまっているように思われる。したがって、わが国では、受動的・消極的な間接的対応として、政府レベルにおける法案の合憲性の十分な検討が求められるだけでなく、議会においても憲法の観点から法案を審議することが要請されるのである。 他方で、能動的・積極的な対応措置を可能にする特徴としては、さしあたり次のものがあげられるであろう。 第一に、政策形成過程における公的議論の場としての公開討論会(コロック)の役割が注目されてよいであろう。フランスでは、民間のものも含めて、数多くの公開討論会が開かれている。「生命倫理法」の立法化に際しても、政府のイニシアティヴで公開討論会が開催され、そこで活発な議論が展開されており、合理的な立法政策への道が探られたのである(53)。 第二に、政府によって設置された倫理諮問委員会や議会によって設置された議会科学技術政策評価局は、意見や報告書を通じて、合理的な立法政策の実現に寄与している。ドイツでも同様に、遺伝子技術の法的規制のあり方について検討をおこなう「遺伝子技術の可能性と危険」調査特別委員会が連9845議会に設置され、膨大な報告書を提出しており(54)、これが一九九〇年の遺伝子技術法(Gentechnikgesetz)、さらには胚保護法(Embryonenschutzgesetz)の立法化を促している(55)。他方で、わが国では、臓器移植の問題について、一九九〇年に「臨時脳死および臓器移植調査会」(脳死臨調)がおかれ、一定の条件下での臓器移植を認める内容の最終答申が出された。その内容が憲法的価値の積極的実現を志向するものであるかどうかは疑問の余地があるが、いずれにしてもこの答申を受けて臓器移植法が立法化されたのである。なお、わが国でも、議会科学技術評価局を設置するこころみがあるといわれるが(56)、それによって合理的な立法政策が実現されることを期待したい。 第三に、コンセイユ・デタの立法・行政活動は、もっとも注目されるべきものである。わが国などではコンセイユ・デタの裁判作用の側面に関心が払われる場合が多いようであるが、その立法・行政活動にたいしてもさらなる検討が必要である(57)。「生命倫理法」の事例において明らかなように、コンセイユ・デタは積極的な立法・行政活動をおこなっており、とりわけ、一九八五年一月二四日のデクレによって、コンセイユ・デタ行政部を構成する一部会として設置された報告調査部会(58)が、合理的な立法政策を実現するために重要な役割を果たしているのである。 憲法院のコントロールが及びえない領域については、能動的・積極的な対応措置が政治部門に求められることになるが、実際には、まず合理的な立法政策をみちびくために立法過程の合理化が進められ、その制度的枠組のなかで憲法的価値が検討・解明され、その具体化がはかられている。したがって、わが国でも、能動的・積極的な対応措置が実現される前提として、まずは立法過程の合理化が課題となるであろう。 ところで、このような立法過程における間接的対応と本章第一節で検討した憲法院判決後の直接的対応は、相互補完的である。すなわち、政治部門は、直接的対応として法律の修正をおこなうなかで、どのような立法が合憲もしくは違憲となるかを経験的に知るようになり、それ以後、間接的対応として新たな立法過程のなかで法文を憲法に適合させることに留意するのである。それにもかかわらず、間接的対応が不十分であるときは、憲法院は、違憲判決を下し、政治部門に直接的対応を求めることになる。また、憲法院のコントロールが及びえない領域については、先に述べた立法過程の合理化を含む間接的対応が主として問題となる。ただし、そのような領域における憲法的価値の内容は、憲法院判決が示唆することもあるが、かならずしも明確ではない。その内容の明確化については、今後の発展を期待したい。 (1) 「生命倫理法」は能動的・積極的な間接的対応の代表的事例であるが、現行制度上、憲法院のコントロールが及びえない領域において、政治部門が憲法的価値の具体化に取り組んだその他の事例としては、一九六〇年代から一九八〇年代までの一連の民法改正が注目されるであろう。一八〇四年にさかのぼるフランス民法典は、憲法院が事前審査しかなしえない以上、その直接的なコントロールの対象とはなりえない。しかし、政治部門は、この民法典の家族法領域において憲法的価値を具体化させることをこころみ、男女平等、嫡出子と非嫡出子の平等などが実現されるにいたった。ただし、この改正の内容は、憲法的価値の積極的実現というよりは、民法典にすでに存在していた違憲の疑いがある条項を修正・削除するものであり、その意味では、受動的・消極的な対応にとどまっていると解される。なお、家族法領域における憲法的価値の具体化を示唆する文献としては、Francois Luchaire, Les fondements constitutionnels du droit civil, dans RTDC, 1982, pp. 245 et s., Joe¨l-Benoc370^t d’Onorio, La protection constitutionnelle du mariage et de la famille en Europe, RTDC, 1988, pp. 1 et s., Marc Frangi, Constitution et droit prive鴦, Economica, 1992, pp. 53 et s. などがある。また、フランスにおける憲法と民法の関係をめぐる議論については、本稿第一章第二節2を参照。 (2) Guillaume Drago, L’exe鴦cution des de鴦cisions du Conseil constitutionnel, Economica, 1991, pp. 202 et s. (3) パトリス・ジェラール「フランスにおける違憲審査」(伊藤洋一訳)ジュリスト八五六号一〇九頁。 (4) パトリス・ジェラール・前掲論文一〇九頁。 (5) パトリス・ジェラール・前掲論文一〇九頁。 (6) パトリス・ジェラール・前掲論文一〇九頁以下。サヴァリー法案につき、野村敬造『憲法訴訟と裁判の拒絶』成文堂(一九八七年)四一六頁以下を参照。 (7) 大統領は、このような憲法院判事の意見を尊重して、レファレンダム範囲の拡大を目的とする憲法一一条の改正の意向を示唆した。これを受けて、政府は、憲法一一条の改正に関する憲法的法律案を提出した。その内容は、次の通り。 「共和国大統領は、官報に登載された、会期中の政府の提案または両議員の共同の提案にもとづいて、公権力の組織に関する法律案、公的自由の基本的保障に関する法律案、あるいは憲法には反しないが諸制度の運用に影響を及ぼすであろう条約の批准を目的とする法律案を、すべて人民投票に付託することができる」。 憲法院判例によれば、たとえ違憲の疑いがあっても、憲法院はレファレンダムによって可決された法律をコントロールすることができない。したがって、憲法改正によってレファレンダムの範囲を拡大した後に、この法案をレファレンダムで可決すれば、憲法院の違憲判決を回避することができると考えられたのである。この憲法改正のこころみにつき、野村敬造・前掲書四一九頁以下、辻村みよ子「ミッテラン時代の憲法構想」日仏法学一九号二八頁以下を参照。なお、一九九五年の憲法改正により、経済・社会政策や公役務に関する法律案もレファレンダムによって採択可能になった。 (8) Circulaire Rocard, J. O., 27 mai 1988, p. 7382. (9) Raymond Barrillon et al., Dictionnaire de la Constitution, 42e e´dition, Editions Cujas, 1986, pp. 470 et s. なお、一括投票については、Pierre Avril et Jean Gicquel, Droit parlementaire, 22e e´dition, Montchrestien, 1996, pp. 158 et s. も参照。 (10) Voir Louis Fovoreu, La politique saisie par le droit, Economica, 1988, p. 70. (11) 浦田一郎「平和的生存権」樋口陽一編『講座憲法学』(第二巻)日本評論社(一九九四年)一四〇頁。 (12) たとえば、北村一郎「フランスにおける生命倫理立法の概要」ジュリスト一〇九〇号一二七頁。 (13) 「生命倫理法」に関する邦語文献としては、 島次郎「フランスにおける生命倫理の法制化」三菱化学生命科学研究所『Studies 生命・人間・社会』一号(一九九三年)、同「フランスの生殖技術規制政策」三菱化学生命科学研究所『Studies 生命・人間・社会』二号(一九九四年)、同「人体実験と先端医療」三菱化学生命科学研究所『Studies 生命・人間・社会』三号(一九九五年)、同「フランスの先端医療規制の構造」法律時報六八巻一〇号、ミシェル・ゴベール「生命倫理とフランスの新立法」(滝沢聿代訳)成城法学四七号、北村一郎・前掲論文、ノエル・ルノワール「フランス生命倫理立法の背景」ジュリスト一〇九二号など多数存在する。 (14) 憲法の観点から科学技術の法的統制の問題を取り上げるものとして、戸波江二「科学技術規制の憲法問題」ジュリスト一〇二二号、同「学問・科学技術と憲法」樋口陽一編『講座憲法学』(第四巻)日本評論社(一九九四年)、保木本一郎『遺伝子操作と法』日本評論社(一九九四年)などがある。 (15) 大村敦志「フランスにおける人工生殖論議」法学協会雑誌一〇九巻四号一四七頁以下を参照。人工授精は、一九七三年よりパリ大学の二か所の病院において組織的におこなわれるようになり、以後、精子保存研究センターが設立され、これが全国に広がった。 (16) 倫理諮問委員会につき、次の文献を参照。Catherine Chabert-Peltat et Alain Bensoussan (dir.), Les biotechnologies, l’e鴦thique biome鴦dicale et le droit, Editions Herme`s, 1995, Christian Byk et Ge´rard Me´meteau, Le droit des comite鴦s d’e鴦thique, ESKA, 1996, Claire Ambroselli, Le comite鴦 d’e鴦thique, PUF, 1990. (17) De´cret 83-132 du 23 fe´vrier 1983 portant cre´ation d’un Comite´ consultatif national d’e´thique pour les sciences de la vie et de la sante´. Voir Rapport CCNE 1992-1993, La Documentation francaise, 1994, pp. 9 et s. (18) Les biotechnologies, l’e鴦thique biome鴦dicale et le droit, pp. 39 et s. (19) 大村敦志・前掲論文一六〇頁を参照。 (20) 公開討論会における議論の内容につき、大村敦志・前掲論文一六四頁以下を参照。 (21) 大村敦志・前掲論文一九九頁。 (22) Conseil d’Etat (Section du rapport et des e´tudes), Sciences de la vie:De l’e鴦thique au droit, La Documentation francaise, 1988, p. 7. (23) この作業グループには、コンセイユ・デタおよび破棄院の構成員、法学教授が含まれていた。 (24) Sciences de la vie:De l’e鴦thique au droit, p. 8. (25) Ibid., pp. 13 et s. (26) Ibid., p. 15. (27) Ibid., pp. 15 et s. (28) 島次郎「フランスにおける生命倫理の法制化」一八頁以下を参照。 (29) Noe¨lle Lenoir, Aux frontie鴦res de la vie:une e鴦thique biome鴦dicale a鴦 la franc 鶯c47d aise, Tome 1, La Documentation francaise, 1991, p. 21. (30) Ibid., Tome 1, pp. 25 et s. (31) Ibid., Tome 1, pp. 147 et s. (32) Ibid., Tome 1, pp. 191 et s. (33) Ibid., Tome 2. (34) Ibid., Tome 1, pp. 196 et s. (35) Ibid., Tome 1, pp. 198 et s. (36) Ibid., Tome 1, pp. 200 et s. (37) 島次郎・前掲論文二三頁以下を参照。 (38) フランスの議会科学技術政策評価局につき、 島次郎「欧米の科学技術評価機関」外国の立法三四巻三・四号二八九頁以下、さらに、Pierre Avril et Jean Gicquel, op. cit., pp. 247 et s. を参照。 (39) Franck Serusclat, Les sciences de la vie et les droits de l’homme:bouleversement sans contro鴦ネe ou le鴦gislation a鴦 la franc鶯c47daise?, Economica, 1992. (40) Ibid., p. 15. (41) Ibid., p. 20. (42) Ibid., p. 419. (43) Ibid., pp. 420 et s. (44) ユネスコにおける「ヒトゲノム保護宣言」制定の動向につき、 島次郎「先端医療政策論」『病と医療の社会学』岩波講座現代社会学第一四巻(一九九六年)三八頁以下、ノエル・ルノワール「フランス生命倫理立法の背景」八〇頁以下などを参照。 (45) Ibid., pp. 421 et s. (46) Franck Serusclat, op. cit., p. 423. (47) Ibid., p. 423. (48) 島次郎「欧米の科学技術評価機関」二九二頁。 (49) 法案の議会審議過程につき、 島次郎「フランスの生殖技術規制政策」一三五頁以下を参照。 (50) 島次郎・前掲論文一三八頁。 (51) C. C. 94-343-344 DC du 27 juillet 1994. Voir Francois Luchaire, Le Conseil constitutionnel et l’assistance me´dicale a` la procre´ation, dans RDP, 1994, pp. 1647 et s., Bertrand Mathieu, Bioe´thique:un juge constitutionnel re´serve´ face aux de´fis de la science, dans RFDA, 1994, pp. 1019 et s., Louis Favoreu, Jurisprudence du Conseil constitutionnel, dans RFDC, 1994, pp. 799 et s., Dominique Rousseau, Chronique de jurisprudence constitutionnelle 1993-1994, dans RDP, 1995, pp. 51 et s. また、蛯原健介「フランスにおける生命倫理立法と憲法院」立命館法学二四八号、建石真公子「フランスにおける生命倫理法と憲法」宗教法一五号を参照。 (52) たとえば、阿部泰隆『政策法学の基本指針』弘文堂(一九九六年)二八九頁を参照。 (53) コロックの政策形成過程への影響につき、大村敦志・前掲論文一九九頁以下。また、関連して、フランス法研究におけるコロックの意義につき、松川正毅「最新フランス家族法研究事情」ジュリスト九六二号。 (54) この委員会の活動やその報告書の内容については、山本隆司・和田真一「エルヴィン・ドイッチュ『一九八七年ドイツにおける遺伝子工学法』」立命館法学一九七号などで紹介されている。 (55) ドイツの遺伝子技術法については、戸波江二「学問・科学技術と憲法」八九頁以下を参照。 (56) 島次郎「人体実験と先端医療」四二頁。 (57) たとえば、山下健次教授は、次のように指摘している。「一五〇年の伝統に磨かれたコンセイユ・デタの立法・行政活動は、他の如何なる国における諮問機関よりも、完全な存在であるといえよう。それは、様々な問題について相互の連関なしに設置された諮問機関がもつ視野の狭さにおちいる事なく、事案を綜合的・統一的に判断し、一般に諮問機関に要請される技術的・専門的合目的性を限界まで追求しうる存在なのである」(「コンセイユ・デタ−その立法・行政活動」立命館法学三四号一七四頁)。なお、コンセイユ・デタの立法・行政活動に関する邦語文献としては、兼子仁『現代フランス行政法』有斐閣(一九七〇年)一三九頁以下、山口俊夫『概説フランス法(上)』東京大学出版会(一九七八年)二五四頁以下、ジャン・リヴェロ『フランス行政法』(兼子仁・磯部力・小早川光郎編訳)東京大学出版会(一九八二年)二〇六頁以下、山岸敬子「コンセィユデタ行政部」フランス行政法研究会編『現代行政の統制』成文堂(一九九〇年)五九頁以下などが存在する。 (58) コンセイユ・デタ調査報告部会の活動内容につき、以下の文献を参照。Yves Robineau et Didier Truchet, Le Conseil d’Etat, PUF, 1994, pp. 32 et s., Jean-Paul Costa, Le Conseil d’Etat dans la socie鴦te鴦 contemporaine, Economica, 1993, pp. 51 et s.
第一節 ルイ・ファヴォルーの見解
第二節 ドミニク・ルソーの見解
本稿は、平成九(一九九七)年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。 |