立命館法学  一九九七年六号(二五六号)一六一〇頁(三九八頁)




債務不存在確認訴訟の機能と確認の利益に関する若干の考察



出口 雅久







一  は  じ  め  に


  通常訴訟の中で圧倒的多数は給付訴訟であり、そのうち債務不存在確認訴訟が占める割合は必ずしも大きいとは言えない。しかし、これを交通事故訴訟に限ってみると、加害者側から被害者側に対して損害賠償債務不存在確認訴訟がかなり提起されている(1)。債務不存在確認訴訟には、原告の立場からは、従来より認められてきた防御的機能あるいは予防的機能のほか、相手方の権利主張が予想される場合に、相手方の主張、立証が不十分なため等で積極的な訴訟提起に至っていない段階において、債務不存在確認を求める先制攻撃的機能も存在するとされている(2)。また被告の立場からは、債務不存在確認訴訟には、被告は債権の存在の主張・証明責任を負担する等、応訴の際に給付訴訟の原告と同様の訴訟追行を強制されるという提訴強制機能も学説上主張されている(3)。さらに、交通事故損害賠償請求の実務においても、問題のある医療機関への牽制手段として、あるいは加害者側が事前の十分な調査・交渉もないまま、債務不存在確認訴訟が安易に提起されている、との指摘もある(4)。そこで、本稿では、このような債務不存在確認訴訟の機能と確認の利益について考察してみたい。

(1)  藤原弘道/細井正弘「大阪地裁における交通事故損害賠償請求訴訟の実状と問題点」ジュリスト九〇五号(一九八八年)三七頁以下、潮久郎「損害賠償債務不存在確認訴訟に関する一考察」判例タイムズ三七八号(一九七九年)一九頁以下、東京地裁民事二七部「東京地裁民事二七部における民事交通事件訴訟の実務について」別冊判例タイムズ一五号(一九九七年)一三頁以下参照。西理「債務不存在確認訴訟について(上)」判例時報一四〇四号(一九九三年)七頁は、保険会社の意向が働いている旨を指摘する。
(2)  奈良次郎「消極的確認の訴え」民訴雑誌二一号(一九七五年)一〇九頁。高橋宏志「重点講義民事訴訟法」(一九九七年)二四〇頁は、債務不存在確認訴訟の先制攻撃的な性格について指摘する。因みに、国際民事訴訟法においては、債務不存在確認訴訟は外国訴訟に対する対抗手段としての機能も問題とされており(小林秀之・プロブレム・メソッド新民事訴訟法(一九九七年)三四頁以下参照)、さらに、強者から弱者への原被告逆転型国際訴訟競合をもたらす債務不存在確認訴訟が批判されている(石黒一憲・国際民事訴訟法(一九九五年)二六五頁以下参照)。
(3)  坂田宏「金銭債務不存在確認訴訟に関する一考察(二)・完」民商九六巻一号(一九八七年)七九頁。
(4)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)四一頁。


二  最近の交通事故損害賠償訴訟の特徴


  まず債務不存在確認訴訟が交通事故損害賠償訴訟においてどのような背景で提起されているかを概観してみよう。交通事故損害賠償訴訟においては、被害者側が原告となり、加害者側を被告として損害賠償請求訴訟をするのが通常であるが、近年、とりわけ大阪地裁においては、加害者が被害者に対して債務不存在確認訴訟を提起する事例が際立って多く、最近ますます増加の一途をたどっている(5)。この種の訴訟においては、いわゆる「鞭打ち症」の場合の被害者の症状の程度、治療の相当性、休業の必要性、症状の固定の時期、後遺障害の有無・程度が争いになるものが非常に多く、既往症や別件事故による後遺障害などの現症状への寄与が争点となる事件が多数見受けられるほか、偽装事故であるかどうかが争いになる事件、自転車が加害車両となる事件、高額な外車の物損事件が目立っている、という特徴があげられている(6)。これらの債務不存在確認訴訟が提訴されるケースでは主として以下の三つの背景事情が考えられる。
  (1)  被害者側に問題がある場合    被害者が交通事故を種に多額の損害賠償金を得ようとして延々と治療を受け、この間加害者又は保険会社に対し、自らあるいは暴力団、その他各種圧力団体を背景とする「示談屋」を代理人として、執拗かつ強硬に法外な請求を行う場合があげられる。加害者や保険会社の担当者、弁護士が脅迫を受け、ひどい場合には暴行まで受けて刑事告訴に及ぶこともあるようであり、このような場合には、債務不存在確認訴訟を提起するのが効果的であって、通常強硬な請求が止み、治療が打ち切られ、被害者側に弁護士の代理人がついてルールに則った正常な形で紛争の解決が図られるようになる(7)。このケースでは、債務不存在確認訴訟の提訴強制機能によって紛争解決を正常化させる機能を十分に発揮できる場合であり、近代的な法治国家としても望ましいと考える。
  (2)  医療機関に問題がある場合    交通事故による受傷について自由診療を行う医療機関が、被害者の愁訴に無批判に応えて不必要な治療を行っているのではないかとの疑いが持たれ、このような悪質な医療機関に対する牽制手段としてこの種の訴訟が利用されている(8)。上述の被害者側と共謀しているようなケースでは債務不存在確認訴訟の提訴強制機能により公正・適切な紛争解決が期待できるが、他方、被害者が現に入院中の病院に訴状が送達されるようなことも稀ではなく、通院中の場合でも医療機関に与える影響はかなりのものと推測されるが、このような場合には紛争が未だ成熟しているとは言えず、訴えの利益の点に疑問がある。したがって、この種のケースでは、両当事者の提訴に至るまでの背景事情を参考にしながら確認の利益について慎重に審査する必要性があろう。
  (3)  保険会社等による機械的提訴の場合    加害者側、特に保険会社やその代理人である弁護士が被害者の治療内容について十分調査することなく、又は被害者と事前に交渉もしないで、事故の態様や事故後一定期間が経過したことを基準に、安易かつ機械的に債務不存在確認請求訴訟を提起する場合がある(9)。たとえば、事故から一週間後に提訴したり、「鞭打ち症」の場合事故後六ヶ月の経過により機械的に提訴したりするケースがこれである。これに対しては、被告とされた被害者側で、訴権の濫用や訴えの利益の不存在を理由に訴え却下を求めることになろう(10)

(5)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)三七頁。東京地裁でも交通事件の約一割が債務不存在確認訴訟とされている(東京地裁民事二七部・前掲注(1)一三頁)。田邊直樹「交通事件における債務不存在確認訴訟の問題点」自由と正義四〇巻九号(一九八九年)四七頁は、交通事件における債務不存在確認訴訟の増加を病理現象と捉えているが、各訴訟の機能別に判断する必要があろう。
(6)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)三七頁。
(7)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)四一頁、西理・前掲注(1)七頁参照。藤田哲「弁護始末記・鞭打ち症『被害者の』過激な請求」時の法令一三六五号(一九八九年)五〇頁以下は、保険会社・医療機関・暴力団等の示談の現状について赤裸々に報告している。山下満「債務不存在確認訴訟の実情と問題点」現代民事裁判の課題G(一九八九年)五二四頁は、保険制度や交通事故処理制度の向上の一方で、保険制度の悪用や民事介入暴力の温床ともなっている点を指摘する。
(8)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)四一頁。
(9)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)四一頁。野辺博「交通事故における債務不存在確認請求訴訟」民事訴訟の理論と実践(一九九二年)二二二頁。
(10)  上田徹一郎・民事訴訟法第二版(一九九七年)二一〇頁参照。


三  先制攻撃的債務不存在確認訴訟に対する対応策


  上記の被害者側ないしは医療機関側に問題があるケースにおいては、提訴強制機能を有する債務不存在確認訴訟の利用は、訴権の濫用とならない限り、被告側の唯一の防御手段として正当化しうるが、問題は、機械的に提訴されているようなケースや意図的に保険会社等が利用している先制攻撃的な債務不存在確認訴訟のケースである(11)。当事者間の権利・法律関係についての不明確・不安定がある場合に、その明確化・安定化を図ることに存在意義があるとされる債務不存在確認の訴えにも、上記のような利用のされ方があるということは、交通事故損害賠償事件が激増する以前には殆ど予想されていなかった事態である(12)。そこで、次にいわゆる先制攻撃的な利用に対する対応策について学説の状況を概観してみよう。
  (1)  紛争の成熟性説    まず第一に、訴えの利益以前の問題として、紛争の成熟性から先制攻撃的な債務不存在確認訴訟を捉えてみようとする見解がある。被害者が準備不足の間に加害者が先制攻撃的に債務不存在確認訴訟を提起することを想定するとともに、このような債務不存在確認訴訟の利用が不当な結果をもたらすおそれがある場合には、それをチェックするため、確認の利益と言うよりは、紛争がどの程度に達したときに債務不存在確認の訴えを提起しうるかという面の解釈を適切かつ厳正にする必要があるとする見解である(13)
  (2)  確認の利益の厳格化説    つぎに、従来の通説・判例がとる確認の利益の範囲内での厳格な処理方法がある。例えば不法行為の過失の存在、損害の有無、額等について、被告が時間的その他の理由で証拠収集などの準備をすることが困難であるのに、これを利用して加害者が原告となり債務不存在確認の訴えを提起してきた場合には、確認の利益を欠くとして却下するか、あるいは被告の主張立証に必要な期間期日指定を延期するなど、適宜な処置が必要な場合が生じるとか(14)、また、交通事故による損害賠償債務の不存在確認訴訟の増加に伴い、鞭打ち症等により継続する被害者の治療や休業損害の拡大を阻止するための不存在確認訴訟や、将来の損害賠償請求を封じるための不存在確認訴訟については、先制攻撃的な意図が強いことが考えられるので、確認の利益の有無について慎重に検討する必要があるとし(15)、さらには、債務不存在確認訴訟が先制攻撃的に濫用されているとみられる場合には、確認の利益を欠くとして訴えを却下する必要が生じる(16)、という見解等が主張されている。
  (3)  紛争実態提示説    さらには、債務不存在確認訴訟を給付訴訟の「反対形相」であるとし、債務不存在確認訴訟が事実上、債権者に給付訴訟の原告として訴訟遂行するのと同様の権利行使を強制する機能を有する点に着目して、原告は、被告が債権の存在を主張することによって原告の法的地位に不安・危険が生じていること、すなわち確認の利益の基礎事実として「紛争の実態」を裁判所に積極的・具体的に示すべきであるという見解も有力に展開されている(17)

(11)  野辺博・前掲注(9)二二二頁は、保険会社が早期の示談解決の手段として債務不存在確認訴訟を利用していることを指摘する。
(12)  藤原弘道・私法判例リマークス(七)一九九三年(下)一三四頁。
(13)  奈良次郎・前掲注(2)六五頁、一一一頁、納谷廣美・判例時報一四四九号(判例評論四一一号)(一九九三年)一九六頁参照。尚、野村秀敏「紛争の成熟性と確認の利益」(一)−(八完)判例時報一二一三号・一二一四号・一二一六号・一二一七号・一二一九号・一二二〇号・一二二九号・一二三二号参照。この紛争の成熟性という概念は、確認の利益を判断する以前の争訟性の有無を意味していると考えられるが、結果的には確認の利益を判断する前提要素となると思われる。
(14)  浅生重機「債務不存在確認訴訟」「新・実務民事訴訟講座1」(一九八一年)三七五頁。
(15)  村田長生「債務不存在確認訴訟」「裁判実務大系8」(一九八五年)三八八頁。
(16)  山下満・前掲注(7)五三二頁。
(17)  坂田宏・前掲注(3)八二頁。納谷廣美・前掲注(13)一九七頁も、特別事情があれば、先制攻撃的な利用形態でも確認の利益を認める。因みに、本案に関する債務不存在確認訴訟と立証責任については、井上典治・ケース演習民事訴訟法(一九九六年)一四〇頁以下参照。


四  最近の確認の利益に関する裁判例


  従来までは交通事故による損害賠償債務に関して先制攻撃的に債務不存在確認訴訟が提起された際に、訴訟において確認の利益が争われた事例は殆どなかった(18)。しかし、近時、東京高判平成四・七・二九判時一四三三号五六頁(19)がこの問題について詳細な論旨を展開しており、債務不存在確認訴訟における確認の利益を考える上で格好の材料を提供している。そこで、以下では右判決内容について検討することにしょう。
  [事案の概要]  Xは、X会社所有の自動車を運転して走行中、横断禁止場所を横断していたYと接触事故を起こした。Xの主張によれば、Yの損害は治療費と慰謝料だけであり、過失相殺の結果、残債務はないが、Xは、Yとの円満解決を目指して交渉進めていた。しかし、Yは、損害賠償額はもっと多額である等と主張してこれに応じようとしないので、XおよびX会社からYに対して本件事故に基づく損害賠償債務不存在確認を求める訴訟を提起した。
  第一審判決は、損害賠償債務の不存在確認訴訟においては、損害額の算定について裁判所の裁量がかなり認められており、その反面、当事者の主張する損害額も異なるのが通常であるから、当事者の主張する損害額に争いがあるというだけでは確認の利益を肯定することはできず、さらに、その争いを解消すべく当事者が誠実に協議したがなお示談が成立しなかったとか、加害者が誠意をもって協議しようとしても被害者側の理由でそれができない状況にあるといった事情がなければ確認の利益ありとすることはできないのに、本件では、そのような事情の主張立証がない、と判示して、訴えを却下した(判例時報一四一八号一一二頁)。
  Xらはこの原審の判断を不服として控訴したのが本件である。
  [判旨]  原判決取消・原審差戻。Xらの主張事実を前提とすれば、XらとYとの間には、本件交通事故による損害賠償債務の存否をめぐって争いがあることになり、本件債務不存在確認の訴えにつき原則として確認の利益を肯定すべきである。\\原審は、損害額についての裁判所の裁量、ひいては当事者間の主張の相違があることを等を理由として、損害賠償債務不存在確認訴訟の確認の利益につき、損害額に争いがあるだけでは足りず、損害額についての主張の違いを解消すべく当事者が誠意をもって協議を尽くしたがなお示談が成立しない事情、あるいは、加害者の誠意をもって協議に応ずることのできない被害者側の事情等を主張立証しない限り、確認の利益を肯定することはできないとするのであるが、このような立場は根拠のあるものとは考えられず、これを支持することはできないとした。
  この東京高裁判決は、債務不存在確認訴訟における確認の利益については、「交通事故による損害賠償債務の不存在確認の訴えは、たとえば被害者の症状が未だ固定していない場合には、損害がさらに拡大する余地があるから、被害者の側でもその間は訴訟の提起を差し控える理由ないし利益があり、一方、加害者の側から債務不存在確認の訴えを提起しても、これにより紛争が一挙に解決するとはいえず、このような観点から、その必要性ないし利益が問題とされることはあり得ると考えられるし、また、被害者からは何ら請求されていない場合、あるいは当事者間で誠意ある解決を目指して協議、折衝が続けられていて、その続行、解決を妨げるなんらの事由もない場合等に、加害者の側から一方的に債務不存在確認の訴えを提起したときは、このような訴えに応訴せざるを得ない被害者の不利益に鑑み、先制攻撃的に訴えを濫用するものとして確認の必要性ないし利益を否定する立場もあり得るところである。
  しかし、右の前者の場合であっても、症状が固定していないとの被害者の言い分が果たしてそのとおりであるか加害者の側で正確に把握することができないため、訴訟外での折衝の成り行きに任せたままでは、加害者の側として本来正当とされる解決の範囲を超えて不当に多額の損害賠償を強いられるおそれがあるということもあり得ないではなく、このような場合には、被害者の側で訴訟を提起しないのであれば、加害者の側に訴訟の場で損害を確定することについて必要性ないし利益があるというべきであり、加害者から債務不存在確認の訴えを提起したときに、これにつき確認の利益を否定することは困難である。また、右の後者の場合にあっても、加害者の側から債務不存在確認の訴えを提起するについては何らかの理由があるのが普通であるから、先制攻撃的な濫訴として確認の利益を否定すべきものかどうか直ちに決し得ない場合が多いと考えられる。」と説示している。

(18)  藤原弘道・前掲注(13)一三三頁。
(19)  藤原弘道・前掲注(12)一三二頁以下、酒井一・民事判例研究・阪大法学四三号(一九九四年)一四七一頁以下、納谷廣美・前掲注(12)一九五頁以下、松下淳一・平成四年重要判例解説・ジュリスト臨時増刊一〇二四号(一九九三年)一四三頁以下参照。尚、脱校後、東京地裁平九・七・二四判例時報一六二一号(一九九八年)一一七頁以下に接したが、基本的には東京高裁判決を踏襲したものと評価される。


五  確認の利益と示談交渉等の事情


  (1)  一般に確認の利益は、被告に対する関係において原告の法律上の地位の不安定・危険が現にあるため、確認判決によって権利関係の確定が紛争解決に有効・適切な場合にのみ、確認の利益が認められる(20)。すなわち、確認の訴えは、即時確定の現実的必要あるいは紛争の成熟性がある場合にのみ適法とされる。通常は、債務不存在確認訴の訴えについては、被告が債権の存在を主張するだけで「不安定・危険」が認められる(21)。つまり、債務の存否・額についての両当事者の主張が食い違うこと自体が原告の法的地位の不安定・危険であると考えられる。その際、債務不存在確認の訴えが適法とされるのは、認容の確認判決により、主張された債務の弁済のために資力を留保しておくことが強制され自己の財産全体に対する自由な管理処分が妨げられる、という事態を原告から取り除くことができるからである(22)。したがって、交通事故による損害賠償のケースにおいては、被害者側が加害者に対し損害賠償請求権があると真剣に主張し加害者がこれを争う限り、加害者の被害者に対する損害賠償債務不存在確認の訴えについては、原則として確認の利益を認めざるを得ないであろう(23)
  (2)  本判決は、交通事故損害賠償債務の不存在確認訴訟における理論的諸問題の一つとされている確認の利益の有無に関するものであり、今後の実務における指針としての価値が高いとされている(24)。本判決は、双方の主張する額の相違と交渉不調の事実があるとすれば損害賠償債務の存否をめぐって争いがあることになり、債務不存在確認の訴えの利益は原則として認められるとし、「不安定・危険」を比較的広く認め、従来の判例・学説に近い立場をとっている。これに対して、原審判決(東京地判平成四・三・二七判時一四一八号一一三頁)は、確認の利益は、単に両当事者の主張する損害額が異なるだけでは認められず、誠意ある協議という努力によってもなお解決に至らない事情がある場合にのみ認められるとし、示談交渉における協議等の事情を重視し、確認の利益を狭く解する立場を採っている。原審判決に対しては、事前の示談交渉もなしにいきなり訴えを提起することに強い拒否反応を示すわが国の国民感情からすると、示談交渉が訴訟に先行することは望ましいことではあるが、当事者間に権利・法律関係についての争いが生じたときは、ためらわずに訴訟手続によってこれを解決しようという機運が醸成されることもまた、近代的な法治国家においては望ましいことであり、一般市民が訴訟という手段に訴えることに、裁判所みずからが消極的姿勢を示すことはないとするコメントがある(25)。筆者も、債務不存在確認訴訟の予防的な側面を重要視する立場であり、紛争解決の場をできるだけ公的な場所で公正・適切に処理することが望ましいと考える。しかし、債務不存在確認訴訟が一般市民ではなく保険会社等によって意図的・機械的に提起されている例外的な先制攻撃的なケースでは、やはり訴訟上の信義則(民事訴訟法二条)によって確認の利益を否定する必要があろう。

(20)  確認の利益に関しては、新堂幸司・民事訴訟法第二版補正版一八〇頁、高橋宏志・前掲注(2)二二二頁以下参照。最判昭和三五・三・一一民集一四巻三号四一八頁。尚、わが国の確認の利益に関する通説・判例の詳細は、野村秀俊・前掲注(13)一〇頁以下参照。
(21)  浅尾重機・前掲注(14)三七四頁。
(22)  松下淳一・前掲注(19)一四四頁。
(23)  藤原弘道・前掲注(12)一三四頁。尚、東京地裁平九・七・二四判例時報一六二一号一一八頁参照。
(24)  納谷廣美・前掲注(13)一九六頁。
(25)  藤原弘道・前掲注(12)一三五頁。尚、酒井一・前掲注(19)一四八一頁(注)一四参照。


六  債務不存在確認訴訟の二つの機能


  (1)  紛争予防的機能    現代社会においては、予測可能性それ自体が経済的な価値を有している。したがって、自己の法的地位に関して不明確な点があれば、その不明確を除去して、そのことに基因するコストまたは損害の発生を未然に防止し、または最小限のものに留めるために、不明確を除去することに法的な利益があると考えられる(26)。たとえば交通事故の被害者が訴訟などの法律上の手続に訴えることなく、あくまでも執拗に不当な要求を行い続ける場合には、加害者側から損害賠償債務の不存在とか適正な損害賠償額の確定を求めて、自らの立場を明らかにすることが必要となる。このような実務上の要請に対して債務不存在確認訴訟の紛争予防的機能は注目されており、将来的にも重要な適用分野と考えられる(27)。もっとも、実務的には、債務不存在確認訴訟のみでは紛争が解決されることが少ないことから、被害者側から、別訴または反訴の形をとって給付の訴えが提起されることが多いと思われる。このようなケースでは、債務不存在確認訴訟の提訴強制機能が働き、被害者に応訴させ、あるいは反訴の提起等の法律上の手続をとることを促すことになる(28)
  (2)  先制攻撃的機能    債務者側の防御権の保障の観点からは、債務不存在確認訴訟の中には先制攻撃的性格の訴訟が混在している場合がある(29)。債務不存在確認訴訟が先制攻撃的に利用されるケースでは以下の二つのケースが考えられる。
  第一のケースは、交通事故に基づく不法行為の被害者側においてその責任原因や損害額等について主張立証の準備が不十分な段階で、加害者側から損害賠償債務の全面的または部分的な不存在の確認が請求されると、被害者において適切な訴訟対応策を講じることが困難となる場合である。このケースでは、被害者の症状が固定していないことから損害額が定まらないために、被害者が給付の訴えを控えていることが多い。この場合には、被害者側に訴えを提起しないことに正当な事由があり、通常の場合には債務不存在確認訴訟につき確認の利益が否定されることになる。しかし、被害者側の主張自体につき加害者側で疑問を抱くような特別事情が存するときには、加害者側より債務不存在確認訴訟を提起しうる利益があると解するべきである(30)。かかるケースでは、受訴裁判所は、右の特別事情の存否につき職権で調査し、当事者とくに原告である加害者に対して主張立証の機会を与える措置を講ずるべきである。もっとも、受訴裁判所としては、確認の利益をめぐる審理を先行させるにしても、被害者たる被告側の応訴準備に必要な期間を実質的に保障するために口頭弁論期日の指定の点で「延期」または「追って指定」などの適宜な処置を採るべきであろう(31)
  第二のケースは、被害者からは何らの請求さえされていない場合、あるいは当事者間で誠意ある解決を目指して協議、折衝が続けられていて、その続行、解決を妨げる何らの事由もない場合に、加害者側から一方的に債務不存在確認の訴えが提起されるケースである。このケースでは、交通事故損害賠償請求訴訟において、問題ある医療機関への牽制手段として、あるいは加害者側が(とりわけ保険会社やその代理人である弁護士)が事前の十分な調査・交渉もないまま債務不存在確認訴訟が安易に提起されている場合もある(32)。この種の提訴に対しては、先制的訴えを濫用するものと評価して、確認の利益を否定することになろう。
  いずれにしても、契約紛争と異なり、交通事故に基づく損害賠償をめぐる紛争においては、保険会社を含めた加害者(債務者)側は訴え提起を比較的容易になしうるのに対して、被害者側は損害額の把握やその立証手段の準備が必ずしもすぐにできるわけではない場合が多く、またしばしば症状の固定待ち他で損害額の確定に時間がかかること等の特殊性があり、被害者に対する提訴強制を正当化するためには、即時確定の現実的必要を基礎づける不安定・危険が具体的に示される必要がある(33)。さもなければ、結果としてデュー・プロセスの法理さらには被害者救済の法理に反する(34)。したがって、この第二のケースにおいて確認の利益を認めるためには、債務の存否・額に関して単にくい違いがあるという抽象的な事情だけでは足りず、裁判外での被害者の主張が明確になり、双方の主張の対立が鮮明になっているという事情が具体的に主張・立証される必要がある(35)。もっとも、、このケースにおいても、受訴裁判所としては、訴えを暫定的に適法なものと取り扱いつつ、被告とされた被害者の応訴に関する対応策を十分に見定めたうえで、最終的に確認の利益の問題を判断すべきであろう(36)

(26)  納谷廣美・前掲注(13)一九七頁。
(27)  兼子=松浦=新堂=竹下・条解民事訴訟法(一九八六年)八〇八頁、野村秀敏・前掲注(14)判例時報一二一三号八頁以下、伊藤985e「確認訴訟の機能」判例タイムズ三三九号(一九七六年)二八頁以下参照。
(28)  村田長生・前掲注(15)三八八頁。
(29)  山下満・前掲注(7)五二四頁以下も、債務不存在確認訴訟の功罪について言及している。
(30)  納谷廣美・前掲注(13)一九七頁。
(31)  納谷廣美・前掲注(13)一九七頁、山下満・前掲注(17)五三二頁、浅尾・前掲注(14)三七五頁、酒井一・前掲注(19)一四七七頁参照。
(32)  藤原弘道/細井正弘・前掲注(1)四一頁。
(33)  坂田宏・前掲注(3)八二頁参照。尚、鈴木・青山編・注釈民事訴訟法(4)一一七頁〔青山・長谷部〕参照。
(34)  納谷廣美・前掲注(13)一九六頁。
(35)  松下淳一・前掲注(19)一四四頁。
(36)  納谷廣美・前掲注(13)一九八頁。


七  お  わ  り  に


  新民事訴訟法二条は、裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない、と明記する。したがって、訴訟法においても信義則の適用があり、一般論として濫用的訴え提起に際しては、権利保護の必要性が否定される(37)。被害者側の主張・立証の準備が十分整わないうちに、加害者の側で債務不存在確認訴訟を提起する場合には、先制攻撃的な性格は否定できないが、多くの事案においては、期日までに十分な期間を置くなどの適切な処置により所期の目的を達成することができよう(38)。したがって、訴えの利益を否定し、訴えを却下する必要が認められるのは、訴え提起それ自体が不適切で、訴権の濫用と目される、ごく例外的事例に限られることになろう(39)。たとえば、加害者側が保険会社やその代理人としての弁護士であり、被害者の被害状況や治療内容について十分に調査することなく、また被害者側と事前に交渉もしないで、事故の態様や事故後一定の期間が経過したことだけを基準に、機械的かつ安易にこの種の訴えを提起するケースが考えられる。この中でも、事故後一週間も経たないうちに提起されたあまりにも早期の先制攻撃的な債務不存在確認訴訟については、確認の利益なしとして却下するべきであろう(40)
  さらに、本判決は、症状固定以前にある場合と当事者間で折衝の途中にある場合に確認の利益が否定される可能性を示唆している。しかし、債務不存在確認訴訟ついてだけなぜ当事者間での折衝を尽くすことを必要とするのかは理由が明らかではないし、債務者側からすれば、債務不存在確認訴訟は唯一の訴訟的な防御手段であり、武器平等の観点からも確認の利益を限定的に解することには疑問がある(41)。また本件のようなケースでは、まさに症状が固定したか否かが中心的な争点になることが多いのであり、確認の利益を否定することはできない(42)。したがって、債務不存在確認訴訟の予防的な機能を生かすためには、確認の利益を比較的広く捉え、債務不存在確認訴訟の原告に相手方の権利主張に該当する具体的事実を主張させることで、被告が口頭弁論に出席しない場合でも、その具体的事実ない限り、直ちに確認の利益を肯定できないと処理することで、両当事者のバランスを図るべきであると考える(43)

(37)  酒井一・前掲注(19)一四七七頁。
(38)  酒井一・前掲注(19)一四七七頁、納谷廣美・前掲注(13)一九七頁、山下満・前掲注(7)五三二頁、浅生重機・前掲注(14)三七五頁。
(39)  酒井一・前掲注(19)一四七七頁。東京地裁平九・七・二四判例時報一六二一号(一九九八年)一一七頁は、例外的事例として、@事故による被害が流動ないし未確定の状態にあり、当事者のいずれにとっても損害の全容が把握できない時期に訴えが提起されたような場合、A訴訟外の交渉において加害者側に著しく不誠実な態度が認められ、そのような交渉態度によって訴訟外の解決が図られなかった場合、あるいは、B専ら被害者を困惑させる動機により訴えが提起された場合などを挙げている。
(40)  田邊直樹・注(5)五二頁。
(41)  酒井一・前掲注(19)一四七八頁。
(42)  藤原弘道・前掲注(12)一三五頁。
(43)  藤原弘道・前掲注(12)一三五頁。坂田宏・前掲注(3)八二頁。納谷廣美・前掲注(13)一九七頁参照。