立命館法学  一九九七年六号(二五六号)一五七九頁(三六七頁)




建設工事紛争の仲裁と仲裁人の忌避



佐上 善和






    目      次
一  は じ め に
二  建築工事紛争審査会の仲裁と仲裁委員の選任
三  忌避理由の開示
四  忌避申立の審理
五  お わ り に




一  は  じ  め  に


  民事紛争においては、国家の設営する公権的紛争解決手段として裁判があるほか、裁判所外の紛争解決制度として和解、調停および仲裁がある。近時、訴訟による解決よりは裁判外の制度が選択されることが多くなってきていること、また訴訟手続自体もその中に和解等を組み込むことによって、形式的な手続運営をインフォーマルな方向へと傾斜させ紛争解決の実効性を確保する運用がなされていることは、多くの論者によって指摘されているとおりである(1)
  ところで、平成八年に民事訴訟法が改正されたが、仲裁制度については改正が見送られた。現行法は UNCITRAL モデル仲裁法、同仲裁規則、諸外国の仲裁法さらには国際的な仲裁機関の規則と比較しても著しく立ち後れている。法の改正が急務である(2)
  裁判外の紛争解決制度が選択される場合、わが国でまず念頭に置かれるのは和解や調停という、当事者間の合意を基本とする解決制度である。紛争を仲裁に委ねるという点に合意がみられるものの、紛争解決自体は仲裁人の下す裁定にその本質があるとされる仲裁制度の選択については、研究者にとっても実務家にとっても必ずしも積極的とはいえない(3)。仲裁制度は、国際取引の進展とその拡大の中で、その紛争解決の手段としての優位性が指摘され、現行仲裁法の改正が説かれている中で、民事訴訟法学においてはなお周辺的な位置づけにとどまっている。仲裁に関する研究は、決して少ないとはいえないが、その関心は理論的な側面に傾斜しており、企業や実務家に対して有効な紛争解決手段の一つであることを説得するには至っていない。企業の法務においても事情は異ならない。国際取引の増大に伴って、契約の中に仲裁条項を取り入れる事例は増えているものの、実際に仲裁を利用しているケースは少ない。国際商業会議所(ICC)の仲裁裁判所が毎年三〇〇件以上、イギリス仲裁人協会(CIA)では二〇〇件以上、さらにアメリカ仲裁協会では一万件以上の仲裁申立があるといわれるのに対して、わが国の場合、国際商事仲裁協会では一九五三年の創立以来一九九五年までに国際仲裁を合計一七六件しか取り扱っていない。経営法友会編『会社の法務』(一九八三年)は、その第一四章において「訴訟管理」を取り扱っているが、仲裁についてはごく簡単な説明にとどまるほか「仲裁判断の基準が明確でないこと、結果の予測可能性に欠けるという点で仲裁による解決をためらわせる原因となります」として、仲裁による解決にはネガティブな評価をしている。
  しかし仲裁を積極的に活用する方向へと、徐々にではあるが状況が変化してきているのも確かである。建設業法に基づく建設工事紛争審査会は古くから知られた制度であるし、一九七八年には財団法人交通事故紛争処理センターが仲裁を含む紛争解決を取り入れ、また一九九〇年代に入ると第二東京弁護士会が仲裁センターを発足させたのを皮切りに、各地の弁護士会が仲裁制度を活用し始めている。また最近においては、弁理士会が日弁連と協力しながら工業所有権に関する紛争処理センターを設立して、仲裁による紛争の解決を図ろうとしているのが注目される(4)。裁判外の紛争処理としての仲裁に、ようやく活用の気運が高まってきたといってよい。しかし仲裁制度が、本当にわが国における紛争解決の制度として根付いていくのかについては、なお見極めがたい点が少なくない。とりわけ仲裁制度に対する学界・実務のステレオタイプともいうべき見方と、仲裁制度の周辺の諸条件の未整備が、仲裁を例外的なものへと引き戻す可能性をもっているように思えるからである。そこで本稿においては、建設工事紛争審査会の仲裁を例にとって、仲裁人の忌避理由の開示を中心に若干の検討を加えることとする。

(1)  最近の文献として、さしあたり山本克己「民事訴訟の現在」岩波講座『現代の法5現代社会と司法システム』(一九九七年)一六三頁以下。
(2)  わが国と同様に仲裁手続法の立ち後れが指摘されていたドイツにおいては、一九九六年七月一二日に仲裁手続法改正草案(Entwurf eines Gesetzes zur Neuregelung des Schiedsverfahrensrehts=SchiedsVfG, BT-Drucksache13/5274)が提出され、一九九七年一二月二日に連邦議会で可決されている。改正法は UNCITRAL モデル法を下敷きとして、ドイツ法を一挙に現在の国際水準まで引き上げるものである。草案については、石川明ほか「ドイツ連邦共和国仲裁手続改正法案」国際商事法務二五巻一号(一九九七年)四五頁以下に翻訳がある。また改正草案および理由書は Bundestag のホームページ(http://www.bundestag.de)の中の(DIP=http://dip.bundestag.de)で全文を無料で入手することができる。
(3)  北川善太郎「WIPO仲裁センターの設立とその意義−紛争解決における共鳴論の視点」国際経済法四号(一九九五年)一二七頁、比較法研究センター『知的財産権紛争と裁判外紛争解決制度に関する調査研究』(一九九七年)六三頁以下。
(4)  松本武彦・吉田研二・谷義一・宍戸嘉一「仲裁センター構想について」パテント四九巻一一号(一九九六年)四九頁以下、工業所有権仲裁センター設立準備委員会「工業所有権仲裁センター(仮称)の検討報告」パテント五〇巻七号(一九九七年)八三頁。


二  建設工事紛争審査会の仲裁と仲裁委員の選任


(一)  紛争審査会
  最初に建設工事紛争審査会の機構等について説明しておこう(5)
  建設業法二五条一項は、建設工事の請負契約に関する紛争の解決を図るために、建設工事紛争審査会を設置するとして、その審査会にあっせん、調停および仲裁を行う権限を与えている(同二項)。審査会は中央建設工事紛争審査会(中央審査会)と都道府県建設工事紛争審査会(都道府県審査会)とし、前者は建設省に、後者は都道府県に置かれる(同三項)。審査会は必置機関である。それによって全国各地で発生する紛争に対応できるようになっている。中央審査会は国家行政組織法八条の、都道府県審査会は地方自治法一三八条の四の付置機関であり、建設大臣または都道府県知事の一般的な監督に服する(建設業法二五条の二第二項、二五条の五、二五条の二三など)。しかし紛争処理手続や解決に際しては、監督機関の制約を受けない。
  建設工事紛争審査会における紛争処理の状況は、[別表]に掲げたとおりである(6)。一九九六(平成八)年度においいては、全体で五七八件が取り扱われている(新受件数は三一一件)。調停が三五三件、仲裁は一八二件である。行政機関の設置する紛争解決制度としては、よく機能しているといえるであろう。しかし都道府県審査会において活発なのは、東京、大阪等の大都市を抱える都府県であって、申立のほとんどない県も多いのが実状である。新受件数の多い中央審査会や都府県においては、「建設工事請負契約に関する紛争処理申請の手引き」を作成しているほか、「仲裁手続要領」を制定している。しかし申立件数の少ない県では、仲裁のための手続要領が制定されているとはいえない。それゆえ、県の紛争審査会における仲裁は、常設の仲裁機関であるにもかかわらず、独自の仲裁規則がないまま、公示催告手続及ヒ仲裁手続ニ関スル法律と建設業法に従って、手探りで行われているのである。
  建設業法において、紛争審査会が設置され、紛争解決のためにあっせん、調停及び仲裁を行うことができるようになったのは、昭和三一年(一九五六年)の法改正による。同法二五条の二以下において、審査会の組織、仲裁手続についての定めが置かれているが、現時点からみると、補足や修正を必要とする部分が多いように思われる。

(二)  仲裁委員の選任
  建設紛争審査会の仲裁における仲裁委員の選任は、建設業法二五条の一六、建設業法施行令一八条、一九条によってなされる。
  仲裁は三名の仲裁委員によって行われる。仲裁委員は、審査会の委員(法二五条の二第一項)及び特別委員(同二五条の七第一項)のうちから、当事者の合意によって選定した者について審査会の会長が指名するのが原則である。当事者の合意により委員及び特別委員(以下、委員等という)以外の者を仲裁委員に選定することはできない。当事者によるこの選定を容易にするために、仲裁の申請があったときは審査会は、当事者に対して施行令八条一項によって作成された委員等の名簿の写しを送付しなければならない(施行令一八条一項)。当事者が合意によって仲裁委員となるべき者を選定したときは、その者の氏名を前記の名簿の写しの送付を受けた日から二週間以内に、審査会に対し書面をもって通知しなければならない(同二項)。仲裁委員の選定は、当事者が共同で行ってもよいし、別々に行ってもよい。各当事者が別々に選定する場合には、それぞれの選定した委員等のうち一致した者についてのみ合意があったと解される。仲裁委員のうち少なくとも一名は、弁護士となる資格を有する者でなければならない(法二五条の一六第三項)とされているので、当事者の合意による選定が仲裁委員の全体について行われ、しかもその中に弁護士となる資格を有する委員等が含まれていないときは、選定が全体として無効になる(7)。右の期間内に通知のなかったときは、当事者の合意による選定がなされなかったものとみなされる。実際に、当事者の合意による選定が行われることは少ないといわれている。
  当事者の合意による選定がなされなかったときは、審査会の会長が委員等のうちから指名する(法二五条の一六第二項但書)。この場合にも、各当事者は仲裁委員に指名されることが適当でないと認める委員等があるときは、その者の氏名を名簿の写しの送付を受けた日から二週間以内に審査会に対して書面で通知することができる(施行令一九条一項)。審査会の会長が仲裁委員を指名するときは、当該事件の性質、当事者の意見等を勘案してするものとし、仲裁委員を指名したときは、当事者に対し遅滞なくその者の氏名を通知しなければならない(同二項)。
  仲裁手続は、当事者の合意により当事者の選定する仲裁人の判断に服することによって紛争を解決することを基本としている。それゆえ、仲裁人の選定についても当事者の合意によるのが原則である。しかしながら、利害の対立している当事者間において合意により三名の仲裁人を選定することが困難なことは歴史的経験の教えるところである。常設仲裁機関の仲裁規則が、仲裁人の選定について詳細な定めを置いているのは、こうした事情による。仲裁においては、各当事者からみれば仲裁人の専門知識、経験、人格のほか、当事者との距離が決定的に重要と考えられており、仲裁人の選定が最も大きな関心事になるのである。それだけに当事者の合意によって仲裁人が選定されることは少ない。仲裁規則が、当事者の合意による仲裁人の選定ができなかった場合に、仲裁機関による仲裁人選定手続を定めているのはこの理由による。建設業法二五条の一六第二項が、審査会による一方的な仲裁委員の指名を定めているのも同じ趣旨である。その中に、必ず弁護士となる資格を有する者を含まなければならないとしているのは、行政機関による仲裁であるので法的判断を重視するとともに、仲裁手続の円滑な進行をはかる趣旨であると解される。一般的には、仲裁人には特別な資格を必要としない。仲裁委員の選定に関する建設業法の定めは、公催仲裁七八八条ないし七九〇条に対する特別規定である。

(三)  仲裁委員に指名されることが適切でない者の通知
  右に述べたように、当事者の合意による仲裁委員の選定がないときは、審査会の会長は仲裁委員を指名することができる。この場合に、各当事者は仲裁委員に指名されることが適当でないと認める委員等があるときは、その氏名を審査会に通知することができ、会長は指名にあたって当該事件の性質、当事者の意思等を勘案するものとされている。審査会の委員は一五名以内とされ(法二五条の二第一項)、事件数の多い審査会においては特別委員を置くことができる。委員等については、法二五条の四で欠格事由が定められている以外には「人格が高潔で識見の高い者」という一般的な要件が定められているにすぎない(法二五条の二第二項)。多くの審査会においては、建設請負工事紛争という性格を考慮して、建設工事の技術の専門家、紛争の法的解決に対する期待に応えるために弁護士・大学教員の中から選ばれている。委員等については、名簿が作成されるが、その名簿の記載事項は建設業法施行規則一六条によると、(1)氏名及び職業、(2)経歴及び弁護士となる資格を有する者にあってはその資格、(3)任命及び任期満了の年月日とされている。実際に、この名簿の記載は各審査会によって若干の精粗はあるがいずれもごく簡潔なものである。問題となるのは、名簿の記載がこのような簡潔なものでよいのかということである。それは、第一には仲裁委員の忌避理由との関係、第二にこの名簿に対する「仲裁委員に指名されることが適当ではない」旨の通知のもつ意味に関して問題となるからである。このような名簿の記載とその送付が、実際にも機能していないことについては、三(四)で改めて触れることとする。
  この名簿に対して、当事者から仲裁委員に指名されることが適当ではないとの通知があったとき、どのように取り扱われるのであろうか。この点から考えていくことにしよう。実務においては、当事者からこの通知があっても会長の指名はこれに拘束されるものではないが、「実務上は、忌避のあった委員または特別委員は、忌避理由の正当性はともかく、指名はさけた方がよい」としている(8)。実際上の取り扱いとして、当事者から適当でないとされた委員等を仲裁委員に指名した場合には、仲裁手続においてこれが争いとなることは必定であろうから、予め無用のトラブルをさけるという考慮に基づくのであろう。たしかに理解できる筋道だとはいえる。しかし、この立場は、一方では当事者の通知は会長を拘束するものではないともいっている。仮に当事者の通知を忌避の申立と解するのであれば、この処理には疑問がある。果たして、施行令一九条一項の趣旨は、もっぱら便宜的な処理のための規定と扱ってよいのであろうか。検討を加える必要があるように思われる。またこれを忌避の申立とするのであれば、その理由が正当であるか否かの判断を必要とするであろう。手続開始後の忌避申立と、忌避に関する法律の要求(公催仲裁八〇五条参照)に比べて、この扱いはいかにも便宜的にすぎる。
  仲裁委員の指名に際して、当事者に対して委員等の名簿を送付し、指名されることが適当でないとの回答を求めているが、そこで当事者に対して開示されている情報は余りに少ないというべきであろう。各当事者は、自分自身と名簿に登載されている委員等との関係についてはある程度知りうるであろう。たとえば弁護士Aについて、以前に相談しあるいは訴訟を委任したことがある、といった事実を確認したうえで委員等として適当でないと判断することは可能であろう。しかし相手方当事者と名簿に記載された委員等との関係については、ほとんど知ることができないといえる。忌避申立の理由として「仲裁手続の公正さを妨げる客観的な事実」の大半は、相手方と仲裁委員との間の人間関係あるいは経済的、取引上の関係である。名簿の記載はこれを判断する材料をほとんど示していない。この状況の改善をどのように図るかが問題となる。この点を仲裁委員の忌避との関係で検討することとする。

(5)  建設工事紛争審査会については、建設業法研究会『建設業法解説改訂8版』(一九九七年)二一〇頁以下、小島武司・高桑昭編『注解仲裁法』(一九八八年)二六五頁以下(由良範泰・高橋俊雄執筆)参照。
(6)  紛争の処理状況は若干データが古いが、建設省のホームページ(http://www.moc.go.jp/index.jhtml)でも公表されている。
(7)  前掲注(5)『建設業法解説』二三六頁。
(8)  全国建設工事紛争審査会連絡協議会「建設工事紛争審査会紛争処理実務必携」(一九九六年)三五頁。なお、この小冊子は、紛争審査会の指定職員の実務上の便宜のために作成されたものである。閲覧については奈良県土木部監理課より便宜を受けた。


三  忌避理由の開示


(一)  裁判官の場合
  公催仲裁七九二条によれば、仲裁人の忌避の理由は裁判官に対する忌避を前提としている。今日ではこの考え方自体の当否が問われなければならない。UNCITRAL モデル仲裁法や仲裁規則は、裁判官の忌避と仲裁人の忌避とを明確に区別している(9)。仲裁人については、後にも詳しく述べるように忌避理由の開示の義務を課す方向が定着している。わが国の解釈論もそのような方向をたどっている。しかし国内の常設仲裁機関の仲裁規則においては、まだ必ずしもそうした理解は一般的ではないように思われる。そこで、この点を明らかにするために、裁判官の忌避との関係で、裁判官に忌避理由の開示義務が認められるかという点について考えてみよう。
  訴訟の当事者が、裁判官と相手方当事者(訴訟代理人を含む)との人間関係あるいは事件自体についての利害関係を知っていることは稀であろう。当事者がこれを知るのは偶然の機会を通じてである。しかし裁判官自身はこの事実を認識している。このことは当事者の忌避申立との関係で問題を生じさせる。
  事件を担当する裁判官につき、除斥原因のあるときは、裁判所は職権をもって除斥の裁判をしなければならない(民訴二三条二項)。これは当該の裁判官が除斥原因を裁判所及び当事者に対して開示しなければならないことを意味している。裁判官が除斥原因を開示しないまま、判決が言い渡されたときは上訴理由になり、裁判が確定した後も再審事由になる(三三八条一項二号)。しかし忌避理由に該当する場合についてはこのような定めがなく、あくまでも当事者の申立を待つという構造になっている。当事者が忌避理由のあることを知らないまま、その裁判官の面前で陳述し判決を受けてこれが確定した後に、忌避理由があることを発見しても、それは再審事由にはならないのである。当事者には裁判に対して不服を申し立て、再審理を受ける機会は与えられていない。このことを通説は、除斥の裁判は確認的であるのに対して、忌避はその裁判がなされてはじめて当該裁判官の職務執行が禁止されるという、裁判の性質論によって正当化している(10)。しかしこの説明では不十分である。
  忌避の理由も除斥原因と同様に裁判の公正さを損なわせるという点では共通する。忌避理由があるにもかかわらず、当事者がこれを知らされないまま裁判がなされた場合に、その裁判が正当であるというのは難しいであろうし、忌避制度が当事者の目から見て裁判官に裁判の公正を妨げる事情のあるとき、これを主張する機会を保障するという制度の趣旨を没却させることになる。ただ、忌避と除斥との決定的な差異は、当事者がこれらの事由の存在を認識していた場合に、忌避申立権は放棄可能であるが、除斥原因は放棄できないという点に求められる。それは忌避の制度が、当事者の立場からみて裁判の公正を判断するという制度趣旨に由来する。裁判官が当事者の一方の訴訟代理人の女婿であるという場合(11)であっても、他方の当事者がその裁判官を公正だと評価すれば、訴訟制度を維持させる公益的な観点を持ち出して問題としなくてもよいと考えるわけである。当事者が忌避理由の存在を認識し、なおその裁判官の職務執行に異議を申し立てないのであれば、訴訟手続は適法とみなしてよい。
  しかし、当事者が忌避理由の存在を認識していない場合には事情が異なる。当事者は裁判官と当事者、事件との関係が、当該訴訟手続にどのように影響するかを判断することができないので、忌避申立をすることができない。これは当事者の公平という観点からみて是認できるであろうか。判決が言い渡された後は、当事者はもはや忌避申立をすることができない。手続の違法がないということになれば、忌避申立は当事者が忌避理由を偶然に知りえた場合に機能するにすぎないということになろう。従来、わが国における忌避申立の理由の圧倒的大部分は、訴訟指揮上の措置の不公平を理由とするものであると指摘されている。そしてそれは、きわめて例外的な場合に限って忌避理由となるにすぎないと解されているから、こうした状況は忌避制度の本来予定しているところから乖離した形で機能しているといえるであろう。
  この点に疑問を提示し、裁判官の除斥事由の開示に準じて忌避理由の開示を提唱したのが小島教授である(12)。次のように主張する。すなわち、「裁判官が忌避事由の存在を黙秘して当事者の忌避申立の機会を事実上封じるとすれば、『裁判ノ公正ヲ妨クヘキ事情』の存在する場合に当該裁判官を排除する権能を当事者に与えて、裁判への公正の信頼を維持増大しようとした法の精神に背馳することになろう。訴訟法上の関係においても信義則が妥当するというのが学説の一般的傾向であるが、信義にかなった行動の要請は当事者の側にのみ妥当すべきではなく、裁判所の側にも等しくあてはまるのである。信義則はおくにしても、裁判官は忌避制度の本旨にかなった措置を講ずべき責務を負っており、さらには司法活動の中核をなす法的正義は、裁判官に忌避事由の開示を要請しているとみるべきであろう(13)」。では具体的にどのような方法により、どこまでの情報を開示することになるのか。小島教授は具体的には指摘していない。
  小島教授のこの見解は、民事訴訟法の領域では、今日に至るまで支持を見いだしているとはいえない(14)。この見解は、解釈論の限界を超えているのではないか、という疑問と民事訴訟においては裁判官の回避の制度が認められているので、忌避理由の存在を自認する裁判官が開示義務に強制されてそれを開示するよりも、むしろ心理的に自然な回避の道を選択するであろうから、開示義務を導入するメリットはほとんどないと反論されるのである。
  たしかに小島教授の主張には、次のような疑問がある。
  まず第一に、回避制度との関係である。第二には、開示すべき裁判官の立場である。小島教授の主張は、忌避理由があると認めるときは、裁判官は当事者に対してその事由を開示して忌避申立権を行使するかどうかの選択権を保障しようとするものである。批判説がいうように、このような事由があるとするならば、裁判官はまず回避の手続をとるべきであろう。回避は裁判官所属の裁判所の許可を得て、当該事件の担当から免れる司法行政上の手続である。なおこれに関連して、裁判官の回避義務があるかという問題が生じる。通説によれば、回避は裁判官が除斥または忌避の理由があると認めた場合に、当事者の申立または除斥・忌避の裁判を待たないで自ら職務から退くことを許したものである(民訴規則一二条)。当該の裁判官の自発的判断だけに委ねると、裁判官がみだりに職務を避止することになるから、司法行政上の監督措置としての監督権ある裁判所の許可を要件としたものだと解されている。規則一二条は回避義務まで課したものではないと理解されている。しかし回避には除斥原因のある場合も含まれているから、回避義務を否定するのは適当だとはいえない(15)
  回避の場合、開示の相手方は所属裁判所であって当事者ではない。回避手続をとらないで、当事者に対して忌避理由のあることを開示して当事者の忌避申立を待つという構成は、司法行政の観点からみても適切ではないと批判されよう。事件の担当が定まった段階で回避の手続をとらないで、当事者の弁論が開始された段階でまず当事者に対して忌避理由を開示するというのは、手続的にみても無理があるように思われるからである。忌避申立について裁判する裁判所としても、担当裁判官が忌避理由があると主張し、当事者も忌避申立をしているのに、忌避理由なしと判断した場合には、当該事件のその後の審理に及ぼす影響を考えると、忌避申立を却下するのも筋が悪いといえる。
  第二点の、開示義務を負わされた裁判官の立場についても考慮が必要であろう。裁判官が訴訟手続外で発表した法的見解を開示することについては、比較的問題は少ないといえる。自ら関与した判決、論文や判例解説等は、法律の専門家には公表されているのであって、当事者に対してこれを開示することを拒む積極的な理由はないと考えられる。そしてこのような法的見解が忌避理由にならないことは、一般的にも承認されている。
  しかしこれ以外になにをどこまで、またどのような方法で開示するべきかについては慎重な考慮を必要とする。忌避理由に該当すると考えられているのは、裁判官の親族・姻族関係と当事者との関係、あるいは事件との利害関係の有無である。小島教授の見解によると、忌避理由があると認めると判断するのは裁判官であり、これを開示するのも裁判官であることが前提とされている。この立論は、忌避理由があるか否かを判断するのは当事者であるという考え方とは調和しにくいであろう。裁判官からみて忌避理由があるか否かを判断するのではなく、当事者が判断できる構造でなくてはならないのである。そうだとすると裁判官は自ら当事者に対してある特定の忌避理由があることを開示したうえで、当事者に判断させるものとなる。これは裁判官の個人的属性を一般的に開示させる義務を認めることになろう。
  しかしこれは明らかに行き過ぎであろう。裁判官の個人的な属性の開示は、忌避の判断をするための資料にとどまることなく、それ以外の目的で利用される可能性を生み出し、その危険を防止する有効な手段を講じることが難しいと思われるからである。忌避を根拠づける事実は多様であるから、それを裁判官の側から開示させるべきであるとの考え方は、当事者の忌避申立権を実質化させるという意味では魅力的であるが、同時にそれに匹敵しあるいはそれを上回る危険を抱え込むことになる。

(二)  忌避権の事前放棄
  民事訴訟においては、裁判官忌避の事前放棄が許されるかについては、ほとんど議論されていない。このことは、実際に問題となった事例が存在しないこと、及び事前放棄は当然のことながら許されないということを前提にしていると思われる。しかし、仲裁人の忌避については、忌避申立の判断権者との関係で議論されてきた。仮に、当事者間において「忌避申立をしない」との合意がなされた場合に、この合意が有効と考えられるか、という理論的な問題は残るであろう。訴訟が係属し担当裁判官が定まった後に、忌避申立をしない合意がなされたときは、当事者の一方が裁判官につき相手方当事者ないし事件自体との関係で忌避理由があることを秘匿していることがあり得る。そのような場合には、当事者間の公平・平等が維持されないと解されるから、合意の効力を認めることには疑問が残る。しかし訴訟の係属前や、当事者双方が忌避事由について認識していない状態で、訴訟の遅延をさける目的で忌避の申立をしないことを合意した場合はどうであろうか。忌避理由を知った場合にも、忌避申立をするかどうかは、裁判の公正を妨げられるおそれのある裁判官によって不利益を受ける当事者の意思に委ねられている。忌避申立権の事後放棄は可能であると考えられている。いかなる忌避理由が後に発見されるかが明らかではない状況で、忌避申立権を放棄することは当事者にとっては危険だといえるが、この不利益は当事者によって甘受されることが可能である。この趣旨が了解された上でなされる合意は、有効だと考える余地がある。

(三)  仲裁人の場合
  仲裁は、訴訟に代替するものと考えられ、有効な仲裁合意のあるときは国家の関与は否定されるとともに、仲裁判断には確定判決と同一の効力が付与される。そのため仲裁機関、仲裁人は公正で中立的でなければならないとされている。もっとも仲裁人には原則として資格制限がない。その資質・能力について仲裁人としてふさわしくない人物が仲裁人になる可能性は否定できない。もちろん当事者が合意によって、どのような人物を仲裁人に選定しても、仲裁が私的な利益に関するものであり、自主的な紛争解決であるから何ら差し支えないといえる。それによって手続遅延が生じ、紛争実態に適合しない仲裁判断が下されて不利益を受けることがあっても、当事者が甘受すればよい。両当事者が仲裁人の能力、立場、当事者との人間関係、取引関係の有無について理解し納得した上でその者を仲裁人に選定する場合も、仲裁人の中立性や独立性を問題とすることはない。除斥原因のある者についても、両当事者がそれを十分に認識した上で選定することが可能である。この場合に、法律上当然にその仲裁人は職務の執行から排除されるわけではない。仲裁について除斥の定めが置かれていないのは、こうした考え方に基づく(16)
  しかし、当事者が自己の選定した仲裁人や第三仲裁人について、除斥原因や忌避理由が存在していることを知らないことがある。このような場合に、忌避申立ができないとすると、仲裁手続には公正という点から重大な瑕疵が付着する。仲裁についても忌避制度が必要なゆえんである。ところで、商事紛争を対象とする常設仲裁機関では、当事者が仲裁人を選定する場合に、仲裁人予定者との間で仲裁人を引き受けるか否かについて交渉が行われるのが通常である。当事者の事情を説明し、仲裁人がどのような立場に立つか、紛争の内容にまで立ち入って話し合いがもたれることになる。仲裁人予定者は、この段階で、相手方当事者との人間関係や取引の有無、あるいは当該の紛争自体との直接・間接の利害関係を開示した上で、当事者に対して仲裁人として選定するかどうかの判断材料を提供しなければならないとされている(17)。仲裁人が自己に存在する公正を妨げる事由を開示しないこと自体が、公正さを疑わせることになるのである(18)。当事者の選定する仲裁人については、その偏頗性(党派性)は特に問題とされない。当事者双方がそれぞれ選定する仲裁人の偏頗性は相殺されると考えられるからである。これに対して当事者から選定された仲裁人が第三仲裁人を選定する場合に、第三仲裁人は中立的であると考えられ、仲裁の公正を妨げる事由を開示することは当然であるとされている。
  建設工事紛争審査会の仲裁は、行政機関の設置するものであって、審査会の委員が仲裁委員の候補者になっている。当事者は仲裁人の選定について、事前に審査会の委員と接触し、仲裁委員を引き受けてくれるよう交渉できるとは考えられていない。むしろ委員等が一方の当事者から相談を受けて仲裁委員となることを内諾することは、相手方当事者との関係で不明朗である。それ自体が忌避原因になろう。それだけに審査会の会長による仲裁委員の指名と、名簿の送付によって慎重に選定する必要があるのである。
  仲裁研究会「仲裁法試案」第一六条二項(19)は、「仲裁人は、忌避原因となりうると思われる事由があるときは、速やかにこれを当事者に開示しなければならない」と提案している。その解説によれば、仲裁人が就任の交渉を受けた時点で、あるいは就任後に生じた事由はその都度、遅滞なくこれを開示しなければならないとする趣旨である(20)。就任交渉を予定せず、名簿の記載のみで選任することになる建設工事紛争審査会の仲裁においては、就任交渉によって仲裁人の候補者から忌避理由の開示を受けることはできない。そうだとすれば、名簿を送付する段階で当該事件の当事者、事件自体との関係で忌避理由を開示することが求めれらる。
  仲裁委員がこのような事実関係について開示する必要はないとの反論が考えられる。情報の開示は、仲裁委員のプライバシーに踏み込むような印象を与えるからである。しかし仲裁委員は、本来別の職業を有し経済活動を行っているのであるから、当事者の一方または双方との関係で、さまざまな関係を生じることは多分にあり得るのである。仲裁人が、事件の当事者と何らかの接触・関係を有することを仲裁制度は否定しているわけではない。紛争審査会の仲裁では、弁護士となる資格を有する者が一名以上委員として加わる必要がある。審査会の委員である弁護士が、過去において当事者の一方または双方から別の事件において相談を受け、あるいは訴訟委任を受けたことがあり得る。通常であれば、委員のこうした取引活動は他人に対して開示すべき事項ではない。しかし仲裁人として職務を行う場合には、当該事件との関係で、手続の公正に対し疑いを生じさせることになる。この限度でこれを開示する必要があるのである。
  もっとも、審査会が当事者に対して名簿を送付するに先立って、委員等に忌避事由の有無の確認を求めることになるから、委員等は審査会に対して開示の義務を負うことになる。委員等からの回答において、忌避理由ありとした委員については、会長がその事情を判断した上で、委員の回避申し出を認めた旨を記載した名簿を送付することになるであろう。以上にみたように、仲裁委員については、回避義務と開示義務の両者がともに認められなくてはならない。

(四)  開示の範囲
  仲裁委員の回避義務及び忌避理由の開示義務を認めるとすると、その対象は何か、またその範囲はどこまでかが問題となる。
  現行法の定める忌避理由は次のように分類できる。(1)裁判官であれば除斥の事由となるもの(21)、(2)仲裁人の公正を妨げる事由、(3)仲裁人が職務の履行を不当に遅延させること、(4)行為無能力その他の身体障害である(22)。刑罰を受けた者は審査会の委員の欠格事由となっているので、これが問題となることはないと考えられる。このうち特に問題となるのは、(2)の事由である。UNCITRAL モデル仲裁法一二条一項は、「自己の公正または独立について理由ある疑いを生じさせるような事情」と表現し、このモデル仲裁法を取り込んで、近時の仲裁立法や仲裁規則も同様の定めを置くようになっている。独立を欠くという要件は、当事者との関係で仲裁人が自由な判断をするのをためらわせるような関係があることだと理解されており、伝統的な表現である偏頗性というのと大差はないと考えられる(23)。当事者と仲裁委員との関係は、直接的なものから間接的なものまでさまざまであるが、忌避理由となるのは仲裁一般についていえば、人的関係、経済的関係、職業的関係、事件自体との関係及び仲裁人の意見との関係である。
  若干の例で考えてみよう(24)。まず第一に、当事者が仲裁人を供応すること、仲裁人に融資をなし、あるいは取引関係に入ることが考えられる。当事者の一方と仲裁人が訴訟関係に入ることもこれに含まれる。弁護士がその訴訟代理人となっている場合も同じである。過去に、当事者の一方と取引関係があったというだけでは、一般的には忌避理由にはならない。しかしその関係が現在の事件と関係するならば、忌避の理由となる。これは仲裁人が、以前に当該の事件について当事者の一方に対して助言をしたり、その後に代理人として行動しているという場合である。
  第二に、論文の公表などは見解の公表にはあたらないが、個別の事例についてとりわけ強く当事者の一方の立場を擁護しているような場合には忌避理由になることもある。過去の取引について、仲裁人がなおその関係を維持することに利益を有していると考えられる事実も同様に解してよい。仲裁人が、仲裁の過程で請求を認められることになる当事者と将来の取引関係に入ることを予定することは、当然に忌避理由になる。
  第三に、当事者の一方に雇用されている者は独立を欠く。親会社または子会社に雇用されている者はこれにあたる。仲裁人と当事者が同じグループに属する会社に雇用されている場合は、資本や人的結合の度合いを考慮して決定されることになる。
  第四に、仲裁人が、給付を命じられる当事者が求償権を行使する場合に求償義務を負わされる会社と接触がある場合にも、基本的には当事者と関係がある場合と同視される。
  第五に、仲裁人が手続の係属中に、当事者の一方と個別に面談することも、忌避理由になるとされる。しかし商事仲裁においては、仲裁人が同じクラブの会員であるとか、知人の結婚披露宴で隣席に座して事件に関係のないことで親しく語り合ったということまで開示することが望ましいとされている。
  当事者と仲裁人との間の関係が、右に述べた例よりも希薄であるときは、原則として忌避理由にはあたらない。建設業法によって設置されている紛争審査会においては、仲裁委員として建築ないし土木を業とする者、あるいはその業界出身者、あるいは建築行政の経験者が選任されることが多い。これらの委員は、その専門的知識や経験を仲裁に生かす趣旨で選ばれているから、右に述べた事項について余りに厳格に解することは適当ではないだろう。そうでなければ、建設紛争について専門的な知識によって紛争の解決を図るという制度の本来の目的が達成されないことになるからである。これとの関係で、札幌地判昭和五三・三・二〇判時九〇七号八八頁について、若干のコメントを加えておく必要があるだろう。
  本件は、発注者が請負人に対して、建物倒壊の原因が請負人の施工上の重過失にあたることを理由として、北海道建設工事紛争審査会に仲裁を申し立て、仲裁委員A・B・Cが申立人の請求を認めて請負人に対して七億円余りの支払いを命じる仲裁判断をなし、注文主が執行判決を求めたところ、請負人が仲裁判断取消の抗弁を主張するとともに、あわせてその訴えを提起したというものである。その理由は、仲裁委員Aに忌避理由があったことを仲裁判断の後に知ったというものである。すなわち、仲裁委員Aは北海道建築部建築課長の地位にあり、本件建築確認や竣工検査を行った職員の直接の上司にあたること、本件建築に関し建築基準法等の法規に違反する事実があったとすると、北海道はこれを見過ごして建築確認・竣工検査を行った違法があると考えられ、その責任はAにも及ぶことは避けられないから、Aは公平な仲裁をなしえないという。
  判旨は次のとおりである。「仮に抗弁事項\\の各事実がすべて認められて忌避事由に該当すると仮定しても、本件ではそのことをもって仲裁判断取消事由とすることはできない。という訳は〈証拠略〉を総合すると、北海道建築部建築課内には社団法人北海道建築設計監理協会の事務所が設置されていること、同協会は北海道内で建築設計監理を業とする者をもって組織し会員の権利の擁護業務の進歩改善に関する会員共通の問題を有効かつ強力に推進し技術の進歩と人格の陶冶とを期してお互いに相協力し以て広く社会に貢献することを目的に組織されたこと、同協会は会長一名副会長二名常務理事一名理事二〇名監事若干名を置きその事務は北海道建築部建築課の職員が担当していたこと、本件仲裁人Aは昭和四一年から四三年にかけて同協会の常務理事を務めており被告請負人札幌支店はその協会員であったこと、その会員名簿のAの欄には北海道建築部所属の趣旨が明記されていることがそれぞれ認められ、これらの事実によると、被告は右本件仲裁委員Aが北海道建築部建築課長の地位にあった事実を知っていたことを推認できるからである。従って、民訴法三七条二項を類推適用し、被告は忌避理由を主張し得ない」。
  このケースは、忌避の理由を満たしているとはいえないだろう。結論的には判旨に賛成できる。先に掲げた忌避理由としての求償権の発生は、法律上のものと解されなければならない。事実上訴える可能性がある場合まで含むとはいえない。本件でも請負人が敗訴した場合に、北海道が請負人から求償される法的関係にあるとはいえない。その職員が杜撰な建築確認や竣工検査をしたことによって、北海道が何らかの責任を負うとすれば注文主との関係ということになろう。請負人から職員に対して義務の不履行を理由に損害賠償を請求することがあるとしても、それは請負人が敗訴したことから生じる当然の求償権とはいえない。また本件においては建物倒壊の原因が問われているのであり、建築確認や竣工検査については問題となっていない。仮に北海道が事件の当事者となっているとすれば、その職員であるAは当事者によって雇用されている者であるから、独立性を欠くことになる。忌避の理由があるといえる。
  しかし仲裁人の開示義務と、仲裁委員の選定時に当事者に対して送付される委員等の名簿との関係で、本件を眺めるならば、委員等の名簿に全く注意が向けられていないこと自体が問題なのではないかという疑問が生じる。本件判旨は、請負人が仲裁委員Aが北海道建築部建築課長であったことを知っていたということを認定するために、社団法人北海道設計管理協会の存在を持ち出し、Aも請負人もそのメンバーであったこと、その会員名簿にAが北海道建築部建築課長である旨が記載されていたことを縷々説示している。しかし、このような事実認定が必要なのか、それが問われなければならない。Aが建築部建築課に所属していたことは、委員等の名簿に経歴として本来記載されるべき事項である。仲裁手続において当事者に送付されている文書について、判旨は全く触れていない。このことは何を語るか。Aの経歴として記載されていなかったか、あるいは当事者双方がこの文書の存在とその法的意義を見過ごしていたか、いずれかであろう。いずれにしても仲裁委員の選定あるいは仲裁委員となるのが適当でない委員等の通知のために作成される文書について、全く言及がないこと自体が問題なのである。

(9)  たとえば、ドイツの改正法は、仲裁人の忌避について次のように定める。一〇三六条(仲裁人の忌避)
  (1)  仲裁人の職務を申し立てられた者は、その中立性及び独立性に疑いを生じさせるすべての事情を開示しなければならない。仲裁人は、その選定の後であっても、仲裁手続の完結に至るまで、かかる事情を当事者にそれ以前にすでに知らせていなかったときは、遅滞なくこれを開示すべき義務を負う。(2)  仲裁人は、その中立性もしくは独立性に対する疑いを生じさせる事情があるとき、または彼が当事者間で合意された要件を満たしていないときに限り忌避される。当事者は、自分が選定した、または、選定に関与した仲裁人については、選定後に初めて知らされた理由に基づいてのみこれを忌避することができる。
  これについて理由書では、実質的には現行法の変更はないが、UNCITRAL モデル仲裁法一二条を基礎としていること、開示義務を明記することにより他の国と同じ考え方を採用していることを示すことが重要だとしている(前掲注(2)BT-Drucksache 13 /5274)。
(10)  新堂幸司・小島武司編『注釈民事訴訟法(1)』(一九九五年)三三〇頁(大村雅彦執筆)。
(11)  最判昭和三〇・一・二八民集九巻一号八三頁参照。この判決に対して学説では肯定説はほとんどみられないことについて、前掲注(10)三三四頁参照。
(12)  小島武司「裁判の本質的特性としての公平(上・中・下)」法学セミナー一九七八年九号四九頁・一〇号一一八頁・一一号九四頁、同「忌避制度再考」吉川大二郎博士追悼論集『手続法の理論と実践下巻』(一九八一年)一頁以下。
(13)  注(12)「忌避制度再考」一五頁。
(14)  佐々木吉男「担当裁判機関の公正の担保−回避義務試論」講座民事訴訟第二巻(一九八四年)六七頁以下。ただし前掲注(10)は肯定的にとらえている。
(15)  なお、佐々木教授は回避義務の承認に積極的であるが、一般的には回避は裁判官の権能だと考えられている。今次の民事訴訟法改正に際して、忌避は法律事項から規則事項に変更された。忌避は裁判所内部の事件の分配に関するものであり、刑訴法にも規定がおかれていないことからすれば、規則で規定するのが適当と考えられたためである(法務省民事局参事官室『一問一答民事訴訟法』(一九九六年)五〇頁。しかし裁判官の回避義務が承認されるならば、回避についても裁判所内部の事件分配に関する事項であると割り切ることができないのである。
(16)  前掲注(5)小島・高桑編『注解仲裁法』一〇七頁(森勇)。
(17)  法的規制とはいえないが、AAAがABAと共同で作成した The Code of Ethics for Arbitrator in Commercial Disputes (1977), Canon III が詳細にこうした事項について定めているところが参考になるだろう。
(18)  シュロッサー「仲裁人と忌避」シュロッサー著・小島武司編訳『国際仲裁の法理』(一九九二年)一〇四頁参照。
(19)  仲裁研究会『仲裁法の立法論的研究』(商事法務研究会一九九三年)。
(20)  前掲注(19)七二頁以下。
(21)  民訴法二四条一項三号・五号及び六号は、仲裁人については、まずあり得ない事由だとされている。澤田壽夫「仲裁人」民事訴訟雑誌三六号(一九九〇年)一一四頁など。
(22)  これについても忌避理由とすること自体に問題がある。仲裁研究会の仲裁法試案では忌避理由とはされていない(七三頁参照)。
(23)  この点について、澤田壽夫「仲裁人の独立」三ヶ月章先生古希祝賀『民事手続法学の革新上巻』(一九九一年)五六三頁以下に詳細な分析がある。
(24)  以下の記述については、前掲注(18)および注(23)に掲げた文献を参考にさせていただいた。


四  忌避申立の審理


(一)  忌避の判断権者
  仲裁人の忌避に関する問題が、裁判例となって現れるケースは多いとはいえない(25)。しかし、仲裁の実務においては、当事者から忌避が申し立てられ、その取り扱いに苦慮することは多いように思われる。公催仲裁法は、忌避の裁判は管轄裁判所が訴訟手続によって行うと定めている(八〇五条)。他方で、同法は訴訟手続とは異なり、仲裁人に対し忌避申立があり、その訴訟手続が係属している場合でも、仲裁人は忌避の申立を受けている仲裁人を含めて、手続を続行し仲裁判断をなし得るとしている(七九七条)。仲裁人に対する忌避は、最初から訴えを提起するという手続をとらずに、仲裁人に対して申し立てられ、その後は仲裁判断に対する取消事由として主張されるようである。
  建設工事紛争審査会の仲裁手続においても、忌避申立との関係で次のようなケースが報告されている(26)。すなわち、「建築業者が注文主に対して請負代金の支払いを求めた仲裁手続において、注文主は建築業者が基礎工事の工法の選択を誤ったと主張していたところ、第五回の審理の際、技術系の仲裁委員がその工法の選択等について発言したところ、注文主がその説明に納得せず、期日後に複数の専門家に相談して、第六回期日に技術系委員の発言に反発し、その後事務局に対して担当の技術系委員の解任の申立がなされた。審査会事務局では、『仲裁は三名の委員の意見で判断を下すので、申立は受けられない。民事訴訟の忌避で対処してはどうか』と対応した。この問題について、他の府県で委員の解任の制度があるか、また制度を新設する必要についてどのように考えるか」という問題提起がなされている。これについて忌避理由にあたるのか、あるいは委員の解任という形で対処してよいかは、いずれも疑問である。しかしこのような事由にもせよ、忌避という形で仲裁委員会に対して申立がなされることは、意外に多いように思われる。
  仲裁委員会は、この忌避理由についてどのような対処をなし得るだろうか。仲裁委員会が当事者の申立に対して応答し、判断を下してよいか。またはこのような申立があったとき、審査会に通知した上でそこで審査するか、あるいは裁判所に訴訟が提起されるのを待つか。仲裁委員会が当事者との弁論によって、当事者の誤解を解くという努力をするのは当然であろう。先に掲げたような手続指揮上の発言、行動は原則として忌避理由にはならないが、当事者との経済的結びつきなどが指摘された場合には、当該の委員は忌避理由のないことを開示しなければならない。その事実が果たして忌避理由にあたるか否か、忌避された委員を除く他の委員だけで判断をしてもよいだろうか。これらの問題にどのように答えればよいか、これが問題である。
  中央建設工事紛争審査会の内規第四条は、忌避理由該当の有無を判断するために、資格審査委員会を置くこととし、会長、会長代理及び会長が予め委員のうちから指定する一名の合計三名の委員会によって構成するとしている。裁判所に訴えを提起する前に仲裁機関が判断することとしているわけである。忌避申立を仲裁機関によって判断するこのような内規または仲裁要領は、実際の取り扱いとしては便宜であるが適法とみられるか(27)
  この問題はわが国ではあまり検討されていないが、ドイツの仲裁において古くから争われてきた問題の一つであった。商品取引所等の設置する仲裁規則において、忌避申立については当該取引所が終局的に判断するとされていたところ、この規定が仲裁人の忌避について管轄裁判所が裁判すると定める民訴法一〇四五条の規定に違反するのではないかが争われてきたのである。この問題は、一九三六年一一月二四日のライヒスゲリヒトの判決(28)によって、一応の決着がつけられたが、その後も学説の対立は続いている。ライヒスゲリトの判旨を紹介しておこう。
  「仲裁人の忌避申立に関する判断を第三者に委譲できるかという問題は否定されるべきである。先例は、仲裁契約によってこのような判断機関を設置することを、それが強行規定ないし公序良俗に反しない限りで認めている。それによると、当事者は、−当時はそう考えられたのだが−仲裁人の選定につき自由があり、また任意に忌避理由を放棄することができる。仲裁契約において、仲裁人の忌避について判断すべき機関を設けることは稀であろう。その場合には、裁判所の手続が排除される。この機関が忌避を理由ありとするときは、両当事者の契約の意思に従って、忌避された仲裁人がその後の仲裁活動をする権限は消滅する。忌避を理由なしとするときは、忌避を申し立てた当事者にとっては、契約に従い、この忌避理因の裁判上の主張を放棄することになる場合がある(それについては RGZ 53, 387)。この観点は、今日における国家観と、仲裁制度を民事紛争解決手続改革の中で位置づけようとし、また民事訴訟法の改正に示されている公益と私益の限界を設定し直そうとしている考え方からは、もはや維持できない。今日においてもなお、当事者は、何人も自己の事件について裁判官たりえないといった一般的に承認された原則や、善良によって画された領域内で、自由に仲裁人を選定できる。当事者は、存在する忌避権の行使を強制されることはなく、忌避申立を取り下げ、また放棄することができる。しかし、当事者が仲裁人に対し忌避する決断をしたときは、不偏の司法・裁判に対する国民の利益が優先する。このことは、国家の裁判所が職務を行使し、忌避申立について裁判することを要求する。申立は、当事者が自己決定権を追求することを示している。申立によって、裁判所が登場する。民訴法一〇三二条第二項第三項に基づく忌避権についての裁判は、第三者に委譲されることはできず、判断機関の設置が一般的に適法とみられている場合であっても、このことが認められなければならない。忌避理由ごとに異なる取り扱いをすることは、法律では定められていない」。
  この判旨は、第二次大戦後連邦裁判所によっても承認されている。もっとも、ナチスの国家観を前面に押し出す理由の部分は削除され、第三者による忌避の判断を終局的なものとすることは、当事者に対する正当化されない権利の侵害であり、忌避申立について国家の裁判所が管轄権を持つことは、法律が仲裁手続に対して必要的としている数少ない保障の一つなのだという(BGHZ 24, 1)。もともとハンブルクの商業会議所や商品取引所における仲裁規則では、忌避申立があった場合に、仲裁機関の長に判断権を与え、その判断を終局的なものとしていたという(29)。裁判所の管轄権との関係でいえば、これを任意的なものと扱っていたわけである。もちろん、このような考え方に対しては、批判もあった。とりわけ商業会議所等による紛争の独占に反発し、国家の裁判権の回復を求める見解も存在した。ライヒスゲリヒトの判決における忌避申立を受けた仲裁人がユダヤ人であったことからも、仲裁規則における第三者による忌避理由の判断権が一挙に問題化したといえる(30)。その後、下級審において若干の抵抗があったものの、学説は第三者による忌避の判断権を否定する見解が通説となった。
  この争いの焦点は、次のように要約できる。(1)民訴法一〇四五条は当事者による処分が可能であるか、譲ることのできない制度的保障であるか。(2)当事者は忌避権を事前に放棄することができるか。通説は、「忌避申立権は、当事者に対して仲裁人の適格を付与し、裁判所構成法を補う唯一の保障なのである」というヌスバウムの見解を引用しつつ、不知の忌避理由の事前放棄は、この点に存する仲裁人の独立性の要請を除去するものであるがゆえに、不適法だとする。(3)第三者による忌避の判断は、忌避権の事前放棄に対比して権利侵害の程度は低いから許されるのではないか。これについても(2)の理由と同様裁判所による判断の可能性を放棄できないから、放棄できないものとの対比で議論すること自体が誤りだとされる(31)
  しかし、この見解によっても、第三者に忌避の判断をさせること自体まで禁止されているわけではない。最終的に裁判所の判断を受ける可能性が残されているならば、そうした取り扱いも適法とされている(32)。そこで、第三者が仲裁人の忌避について判断するとしても、考慮できるのは、(1)仲裁裁判所の忌避を申し立てられた仲裁人以外の仲裁人、(2)仲裁裁判所の合議、(3)仲裁人を指名することのできる仲裁機関のいずれかであろう。(1)では、たとえば第三仲裁人に判断権を委ねることであるが、この第三仲裁人の忌避が実際上最も重要であるから、この方式は適切とはいえない。(2)については、仲裁裁判所は忌避申し立てされた仲裁人を欠いては適法に構成されないし、これに代わる仲裁人を欠いているという理由で、忌避の判断権を否定されている。仲裁裁判所の判断権は、当事者の合意に基礎を置くから一名ないし数名が忌避された場合残された者だけで判断することは、判断する仲裁人が必ずしも中立的とはいえないこともあって、適当とはいえないのである。そのような事態を避けるためには、当事者の合意が必要であろう。(3)の方法は、古くから認められている方法である。またドイツでも広く認められている。仲裁機関が仲裁人の指名権を有していることを考慮すれば、これがもっとも適切なものと考えられる(33)
  以上にみてきたように、建設紛争審査会の仲裁手続においてまず、仲裁委員会に忌避の申立をさせ、仲裁委員会からの通知を待って審査会が委員会を設けて忌避の理由について判断することは、何ら禁止されないし法的にも問題がないことが分かる。むしろ、仲裁手続と忌避に関する訴訟手続の重複を避けるという点でも、この扱いが望ましいといえる(34)

(二)  忌避権の事前放棄の可能性
  最後に、より一歩を進めて、裁判所に対する忌避申立権を放棄するという合意が有効かという問題について、若干の検討を加えてみよう。ドイツの通説・判例がこれを否定し、わが国においても通説は否定的立場をとっている(35)
  この点について、ドイツの学説・判例を詳細に検討したコルンブルムは、次のようにいう(36)。仲裁人の忌避は、仲裁人の独立に関する最低限度の保障であり、それなくしては司法とはいえない裁判官の中立性の保障である。忌避は、不利益を受ける当事者の目から見ると裁判官の党派性の外観をさけることにある。仲裁人についても同じことがいえる。仲裁は司法の一部である。仲裁人は私人であるがゆえに、裁判官と比べると予断なく中立的に判断を下す能力からみれば不安がある。未知の忌避理由を事前に放棄することは認められないし、第三者にこの判断を委ねることも、裁判所による仲裁手続に対する保障の確保という点から認められない。このようにいう。
  しかし、仲裁の基本は、当事者の合意に基づく自主的な紛争の解決である。当事者が一切忌避申立をしないという合意は、仲裁における忌避の中には除斥原因も含まれるので一見したところ不適法のようにみえるが、その判断について第三者の判断に従うという合意は許されると解してよいであろう。仲裁においては、当事者は忌避理由を処分することができるのであり、これに関する争いを第三者に判断させることは何ら問題がないと考えられるからである(37)。すでに国際的な商事仲裁においては、仲裁機関の判断を終局的なものとする規則がかなり一般的になっている。仲裁手続の中で生じる手続的な問題も、できるだけ仲裁手続内で処理しようとする方向性が基本的に承認されるべきであろう。

(25)  西村宏一「仲裁人に対する忌避申立事件の相手方」民事法情報七九号(一九九三年)六頁は、仲裁委員が忌避申立事件の被告になったというケースを紹介している。西村教授が指摘されるように、忌避の訴訟手続の被告は相手方当事者としなければならないであろう。
(26)  一九九六年度の第一九回全国建設工事紛争審査会連絡協議会近畿地域連絡協議会の議事録による。この資料については、奈良県土木部管理課より閲覧の便宜を受けた。
(27)  仲裁法試案一六条四項は、仲裁人が申立を却下した場合又は忌避の申立の日から三〇日以内に何らの決定をしない場合には、忌避の申立をォッ01した当事者は、却下決定の通知を受けた日又は忌避の申立から何らの決定なく三〇日を経過した日から一五日以内に、管轄裁判所に忌避につき決定するよう申し立てることができるとする、とする。ドイツの改正仲裁法も同様の定めを置き、忌避申立は仲裁裁判所に対してすることとしている(一〇三七条)。これに対して、西村前掲注(25)は疑問を提起する。小山昇『仲裁法(新版)』(一九八三年)は、合意によって忌避事件をャッ処理する機関を設けることは認められるとするが、仲裁規則に従うとの合意があれば、許されると解してよいかは必ずしも明らかではない。
(28)  RGZ 152, 375 なお、この判決に対してヨナスは、賛成意見を表明しその後の学説に大きな影響を与えたとされている(Jonas, Anmerkung in JW 1937, 399)。
(29)  Kornblum, Die Entscheidungskompetenz bei der Ablehnung privater Schiedsrichter, ZZP 80 (1967), S. 20 f. (36)
(30)  判決の事実経過については、前掲注(28)Jonas, Anmerkung, S. 399.
(31)  Kornblum, aaO. S. 40. Nussbaum, Schiedgericht und Rechtsprechung, JW 1926, 13 f.
(32)  Kornblum, aaO. S. 47 f.  小山・前掲注(27)一四二頁。
(33)  Kornblum, aaO. S. 38-39. によると、CPOの立法者もこれを認識しており、特に問題視していなかったという。
(34)  前掲注(27)参照。常設仲裁機関の場合には、その運営の公平性自体が仲裁の中立性との関係で問題になりうる。その意味で、常設仲裁機関と仲裁人との関係は裁判所と裁判官の関係に類似して考えられるともいえる。今後、仲裁機関が健全に発展するための一つの条件が、常設仲裁機関が適切に忌避申立について判断できるかという点である。
(35)  前掲注(5)『注解仲裁法』一一三頁、小山・前掲注(27)一四二頁。
(36)  Kornblum, aaO. S. 47 f.
(37)  Stein-Jonas=Schlosser, ZPO, 21. Aufl. (1994) § 1032 Rdnr. 36.


五  お  わ  り  に


  本稿においては、建築工事紛争審査会の仲裁において、仲裁人の忌避に関して開示義務の導入が必要なこと、忌避申立があった場合に紛争審査会において判断することが望ましいことを指摘したにすぎない。この内容は特に目新しいものではない。すでに UNCITRAL モデル仲裁法によって方向付けられているところである。
  建設工事紛争審査会の仲裁は、かなりの成果を上げているとみられるが、都道府県審査会においてはまだ仲裁処理要領が定められていないところもある。全体としてみると、なお問題点を抱えているといえる。この時点において、UNCITRAL モデル仲裁法に基づく法改正が求められていることはたしかであるが、改正法の実現まで待つのではなく、その内容を先取りする形で紛争審査会の実務が形成されていく必要があるだろう。この点を特に指摘しておきたい。