立命館法学  一九九八年一号(二五七号)


合憲性審査と立法的対応に関する一考察

− 違憲判決と「メッセージ」型合憲判決にたいする対応 −

蛯原 健介




  目    次

は じ め に

第一章  最高裁違憲判決と政治部門の対応
  第一節  尊属殺重罰規定違憲判決と立法的対応
    1  判決における立法的対応の示唆
    2  刑法改正に向けた政府の動き
    3  第一三二回国会における刑法改正の審議内容
  第二節  森林法違憲判決と立法的対応
    1  判決における立法的対応の示唆
    2  政治部門における法改正の検討
  第三節  小    括                     (以上本号)

第二章  「メッセージ」型合憲判決と政治部門の対応
  第一節  「メッセージ」型合憲判決に関する学説の概観
  第二節  「メッセージ」型合憲判決の分析
  第三節  小    括

終章  司法と政治部門の「協働関係」確立のために



 

 

は  じ  め  に

 

  現代立憲主義国家では違憲審査機関が人権保障に関して重要な役割を果たしており、わが国のみならず、各国において憲法訴訟論が憲法学の一大テーマになっている。法律中心主義の伝統が定着し、違憲審査機関の設置をかたくなに拒否してきたフランスでさえ、最近では、憲法院(Conseil constitutionnel)の活性化現象を背景に、憲法訴訟論の興隆をみることができる(1)

  革命以来、フランスでは、「法律=一般意思の優位」という観念を強調するルソー的憲法思想が支配的であり(2)、議会における「法律による人権保障」がめざされてきた。そして、そのような傾向は、とりわけ第三共和制において顕著であり、人権は、法律によって保障される「公的自由」(liberte´s publiques)として論じられていた(3)。したがって、主権者の一般意思とみなされた法律を審査する機関を設置することについては、否定的な見方が多かったのである。しかし、「違憲審査制革命」(カペレッティ)の波は、フランスをも巻き込み、当初は「合理化された議院制」(parlementalisme rationalise´)を担保する政治的機関として着想され、議会と政府の権限配分をおこなうことを目的として設置された憲法院が、一九七一年の「結社の自由」判決以降、法律の合憲性を厳格に審査し、「法律にたいする人権保障」をおこなう機関として注目されるようになった。その結果、憲法学者の関心は、憲法院判例の研究や憲法解釈などに向けられるようになり、かつての憲法学の「政治学的傾向(4)」とは反対に、現在では憲法学の「法律学化」が繰り返し指摘されているのである(5)

  また、わが国の状況をみてみると、日本国憲法に違憲審査制が規定されたことにともなって、憲法訴訟論への学問的関心が高まり、その結果、違憲審査の方法や基準について多くの成果が得られるにいたった。現在でも、憲法学の議論が「いかにして、どのような基準でコントロールするか」という問題に集中する傾向を指摘することができる。まさしく、「議会による立憲主義または法律による人権保障から、違憲審査制による、議会に対する立憲主義または法律に対する人権保障への展開は、世界的な傾向である(6)」といえよう。

  しかしながら、憲法訴訟論の成果として、違憲審査機関による厳格なコントロールがみちびかれ、政治部門の立法が憲法の観点から積極的にコントロールされるようになったにしても、それだけでは、憲法的価値が完全に実現されることになるとはいいがたい。なぜなら、仮にある法律が違憲と判断された場合、政治部門が法改正など判決にたいする対応措置をとらなければ、完全な問題解決にはならないことがあるからである。また、政治部門が、違憲判決を不満とし、憲法改正などの対抗措置に訴え、憲法的価値を後退させようとすることも考えられる。したがって、政治部門が、憲法の観点からみて適切な対応措置を実現することによってこそ、完全なかたちで憲法的価値が具体化されることになるのである。

  また、対応の問題は、決して違憲判決の場合だけに限られるものではない。違憲ではなくとも、立法の裁量であることを理由に合憲判決が下された場合においても、政治部門が、判決にたいする対応の必要性を検討し、憲法に照らしてもっとも適切な対応措置をとることが、憲法的価値の積極的実現のために求められることもありうるであろう。とりわけ、何らかの立法的対応を示唆する「メッセージ」が判決に付された場合−本稿では、これを「メッセージ」型合憲判決と称することにする−には、政治部門が積極的に対応を検討し、憲法の観点から望ましい措置を実現するよう要請されることが少なくない。そして、違憲審査機関の積極的コントロールのみならず、それにたいする政治部門の対応までも射程に含むこのような意味での違憲審査機関と政治部門との相互作用は、憲法の具体化を志向する「協働関係」と呼ぶことができる(7)

  ところで、こうした「協働関係」は、現代国家に普遍的に要請される相互作用にほかならない。フランスの場合をみてみると、かつては、アンシャン・レジーム期においてパルルマン(高等法院)の権限濫用によって立法・行政活動が阻害された事実や前述した革命後の法律中心主義の伝統のもとで、司法や違憲審査制にたいするきわめてネガティヴなイメージが定着していた。しかし、一九七〇年代における憲法院の活性化現象以降、一方では、憲法院の積極的コントロールがみられるようになり、政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」が徐々に確立されつつある。そして、他方では、政治部門は、判決後に迅速な直接的対応をおこなうのみならず、憲法院への提訴に先行して、立法過程においてさまざまな間接的対応をもこころみている。すなわち、事前審査制が採用されているフランスでは、違憲判決が下されると、法律の審署が全部または部分的に阻止されるため、政治部門は、たいていの場合、直接的対応として、憲法の観点から法文の修正をはかることになる。また、政治部門は、間接的対応として、法律が提訴され、違憲判決を下されないように、立法過程において法案の憲法適合性を検討したり、あるいは、憲法院のコントロール範囲に限定されることなく、憲法的価値について検討し、合理的な立法政策を通じて憲法の具体化に取り組むこともある。このような憲法院と政治部門の相互作用は、憲法の具体化を志向する「協働関係」とみなすことができるであろう(8)。同様に、アメリカでも、違憲判決が下された場合、政治部門は、迅速に応諾措置もしくは対抗措置をとっており、活発な相互作用がみられるといわれている(9)

  これにたいして、わが国では、司法、とりわけ最高裁判所は、積極的に合憲判決を下すことにより、政治部門の立法を正当化することには熱心であるが、他方で、政治部門にたいする積極的コントロールをできる限り回避しようとする傾向があるといわれている(10)。このような観点からすれば、わが国における司法と政治部門の相互作用は、憲法の具体化を志向するものとしては機能しておらず、反対に、もっぱら政治部門による市民の権利や自由の制限を正当化するものとして機能していると解される。

  しばしば「違憲判断消極主義(11)」として特徴づけられるわが国の司法の態度は、たしかに政治部門にたいする司法の「対抗関係」が十分確立されていないことを物語るものである。その限りにおいて、司法の態度を批判し、政治部門にたいする司法の「対抗関係」の確立を追求するのはまったく正当であろう。しかし、このような司法の現状は、憲法の具体化を志向する「協働関係」への道が完全に絶たれたことを決して意味しない。すなわち、最高裁判所が下す違憲判決がごくわずかであるにしても、下級審の違憲判決−最高裁判所によって最終的に「逆転」されたものを含む−は決して少なくなく、また、最高裁判決のなかで違憲の結論をみちびく反対意見がしばしば付されている。さらに、判決の結果は合憲ではあっても、政治部門にたいして何らかの立法的対応を要請する「メッセージ」が示されることもあり、これらすべての場合において、政治部門の対応のあり方を問題にすることができるといえる。したがって、政治部門にたいする司法の「対抗関係」の確立を求めるだけでなく、憲法の具体化を志向する「協働関係」が機能する基盤を整備し、政治部門が判決に応じて憲法の観点から積極的に対応措置を実現するようみちびかなければならない。

  そこで、本稿では、このような「協働関係」が機能する条件を整えるべく、判決においていかなる立法的解決方法が示されているのか、また、政治部門は場合によっては複数存在するそれらの解決策をどのように選択しているか、という観点から、わが国における司法と政治部門の相互作用の実態を分析する。まず、第一章では、最高裁違憲判決において複数の解決方法が示された事例を取り上げ、政治部門がいかに対応しているかを検討する。次に、第二章では、司法が、立法政策に属する事項であることを理由として合憲判決をみちびきながら、政治部門によって解決されるべき問題が存在することを認識し、政治部門にたいして何らかの立法的対応を示唆するという、いわゆる「メッセージ」型合憲判決の場合について検討する。そして、これらの検討を通じて、「協働関係」の確立を可能にするような政治部門の対応のあり方を探ることにしたい。

(1)  フランスにおける法律中心主義の伝統については、田村理「『フランス憲法史における人権保障』研究序説」一橋論叢一〇八巻一号、石埼学「一七八九年フランス人権宣言の矛盾について」立命館法学二五一号などに詳しい。また、憲法院の活性化現象については数多くの文献が存在するが、さしあたり、蛯原健介「フランスにおける『法治国家』論と憲法院」立命館法学二四六号一三九頁以下、同「法律による憲法の具体化と合憲性審査(一)」立命館法学二五二号四三頁以下を参照していただきたい。

(2)  このようなルソー的憲法思想に対抗して論じられたのが、立法府により制定された法律による人権侵害の危険を指摘し、「法律にたいする人権保障」を求めるコンドルセ的憲法思想である。コンドルセは、未完の草稿において次のように述べていた。「あらゆる憲法の目的は、すべての自然権のもっとも完全な行使を市民に保障することである。いかなる権力もこの自然権を合法的に侵害することはできない。つまり、この自然権を侵害するあらゆる法律は、たとえそれが国家全体に由来する場合であっても、正しいものではない」(Voir Franck Alengry, Condorcet:guide de la re´volution francaise, Burt Franklin, 1973, p. 383)。なお、このようなコンドルセ的憲法思想の特徴については、蛯原健介・前掲論文(一)四〇頁以下で論じた。

(3)  第三共和制における「公的自由」論については、中村睦男『社会権法理の形成』有斐閣(一九七三年)一頁以下、浦田一郎「議会による立憲主義の展開」一橋論叢一一〇巻一号、同「議会による立憲主義の確立」杉原泰雄教授退官記念論文集『主権と自由の現代的課題』勁草書房(一九九四年)、同「政治による立憲主義」法律時報六八巻一号などに詳しい。

(4)  フランス憲法学の政治学的傾向については、宮沢俊義『公法の原理』有斐閣(一九六七年)一五七頁以下、樋口陽一『近代立憲主義と現代国家』勁草書房(一九七三年)二頁以下を参照。

(5)  最近の憲法学の「法律学化」現象については、樋口陽一『権力・個人・憲法学』学陽書房(一九八九年)一五二頁以下、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』創文社(一九九二年)五二頁以下、同「憲法学の『法律学化』と憲法院の課題」ジュリスト一〇八九号七〇頁以下などを参照。

(6)  浦田一郎「議会による立憲主義の展開」(前掲)六四頁。

(7)  蛯原健介・前掲論文(一)三五頁以下。

(8)  蛯原健介・前掲論文(四・完)立命館法学二五五号二三一頁。

(9)  戸松秀典「違憲判決と立法の対応」ジュリスト八〇五号一五一頁以下を参照。

(10)  このようなわが国の最高裁判所の特徴を指摘するものとして、樋口陽一『司法の積極性と消極性』勁草書房(一九七八年)九三頁以下。これによれば、わが国の最高裁判所は、憲法判断には積極的であるが、違憲判断には消極的であると特徴づけられる。

(11)  樋口陽一・前掲書九四頁。

 

第一章  最高裁違憲判決と政治部門の対応

 

  司法が違憲の結論にいたった場合、政治部門は、「協働関係」の観点から、判決に対応して問題解決に取り組むことを求められる。しかし、その際、政治部門がいかなる解決策を選択するかが問題となる。すなわち、違憲判決が下された場合、判決のなかで複数の解決方法が提示されることもあり、そのとき、政治部門は、対応措置としてどの選択肢がもっとも適切であるかを検討する必要がある。そこで、本章では、最高裁判所の違憲判決のなかで複数の解決策が提示された事例を取り上げ、政治部門がどのような対応をこころみたかを分析し、あるべき相互作用への視角を得ることにしたい。


第一節  尊属殺重罰規定違憲判決と立法的対応

  1  判決における立法的対応の示唆

  周知のように、わが国の最高裁判所が法律を違憲と判断した事例はきわめて少ない。その数少ない事例のなかで、判決において異なる複数の解決方法が提示されたものとしては、まず刑法の尊属殺重罰規定違憲判決(一九七三年四月四日)があげられる(1)

  刑法二〇〇条の尊属殺重罰規定の合憲性が問題となったこの判決では、下田裁判官だけが本件規定を合憲と判断し、これ以外の一四名の裁判官はすべて違憲と判断した。しかし、違憲理由については、目的達成手段のみを違憲と解する多数意見と立法目的そのものを違憲と解する田中裁判官など六名の裁判官の意見とで大きく異なっており、したがって、それらの意見からみちびかれる解決方法も単一ではなかった。

    (1)  多数意見

  八名の裁判官による多数意見は、尊属殺重罰規定の憲法適合性の検討に際して、まず、立法目的の審査をおこなっている。すなわち、「尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。・・・尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを犯情のひとつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもってただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがってまた、憲法一四条一項に違反するということもできない」。しかし、「加重の程度が極端であって、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効」となる。そこで次に、目的達成手段である法定刑について審査がおこなわれている。@「現行法上許される二回の減軽を加えても、尊属殺につき有罪とされた卑属に対して刑を言い渡すべきときには、処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなす」。A厳重に処罰すべき場合でも「普通殺人罪の規定の適用によってその目的を達することは不可能ではな」く、また、尊属が卑属にたいして非道の行為に出て、卑属に殺害された場合は、「卑属の行為は必ずしも現行法の定める尊属殺の重刑をもって臨むほどの峻厳な非難には値しない」。Bさらに、「量刑の実情をみても・・・現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失していることをも窺わせる」。したがって、「刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遙かに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効である」。このように、目的達成手段である法定刑については、立法目的によっても十分説明できないほど厳しすぎるのであり、違憲とされたのである。

  以上のような多数意見は、立法目的そのものについては合憲とし、目的達成手段のみを違憲と判断している。この論理にしたがえば、加重の程度を小さくすればよいということになり、とりわけ@で示されたことを考慮すれば、執行猶予が可能となる程度の加重であればかまわないとも解される。これにたいして、Aの理由づけは、普通殺の規定だけで十分であり、かならずしも尊属殺重罰規定が必要ではないことを示唆しているように思われる。このように、多数意見には、第一に、加重の程度の軽減という「メッセージ」が、そして第二に、尊属殺重罰規定は必要ないという「メッセージ」が含まれているのであり、この二つの「メッセージ」はそれぞれ異なる解決策をみちびきうる。すなわち、前者については、刑法二〇〇条を全面削除するのではなく、尊属殺の法定刑を引き下げるという解決策をみちびきうるが、尊属殺重罰規定が不要であることを示唆する後者については、次にみる田中裁判官などの意見が要請しているような、刑法二〇〇条の全面削除に道を開くものであるといえる。

    (2)  立法目的を違憲と解する意見

  刑法二〇〇条の立法目的を合憲と解する多数意見にたいして、そもそも立法目的それ自体についても違憲と解する六名の裁判官の意見が付された。その代表としては、次のような田中裁判官の意見(小川、坂本裁判官が同調)がある。

  田中裁判官は、「普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺人なるがゆえに差別的取扱いを認めること自体が、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に違反する」とし、さらに、その考え方から、「尊属殺人に関する刑法二〇〇条の規定のみならず、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項、尊属遺棄に関する刑法二一八条二項および尊属の逮捕監禁に関する刑法二二〇条二項の各規定も、被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別的取扱いを認めたものとして、いずれも違憲無効」であるという。その理由としては、次のように論じている。すなわち、子が親を尊敬し尊重することは、「個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立って、個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であって、決して、法律をもって強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによって遵守させようとしたりすべきものではない。尊属殺人の規定が存するがゆえに『孝』の徳行が守られ、この規定が存しないがゆえに『孝』の徳行がすたれるというような考え方は、とうてい、納得することができない。尊属殺人に関する規定は、・・・単に立法政策の当否の問題に止まるものではなく、憲法を貫く民主主義の根本理念に牴触し、直接には憲法一四条一項に違反する」というのである。したがって、この意見にしたがえば、第一の要請として、刑法二〇〇条は全面削除されるべきこととなり、第二の要請として、刑法二〇五条二項、二一八条二項および二二〇条二項の尊属加重規定についても削除しなければならないということになる。

  このほかにも立法目的そのものを違憲とし、刑法二〇〇条の全面削除を示唆する、いくつかの意見が付された。下村裁判官は、「尊属殺人について特別の処罰規定を存置し、尊属殺人の発生を防遏しようとする必要は最早なくなり、かような規定を存置することが却って妥当な量刑をする妨げとなる場合もあるに至ったといわなければならない。・・・普通殺人に対し特に尊属殺人に対する処罰規定を存置し、その刑を加重することは、その合理的な根拠を失なうこととなり、刑法二〇〇条は憲法一四条一項に違反し無効」という。また、色川裁判官は、「被害者が親であるという、ただそれだけのことをもって、量刑上不利に扱うことは、結局違憲のそしりを免れることはできない。・・・多数意見が・・・親であり子であることの故に、刑法上差別して扱うこと自体、憲法に副わぬ立法である、とまで踏みきらなかったところに、なお遺憾の念を禁じ得ないものがある」とする。このように下村意見、色川意見のいずれも、尊属殺人に関して特別の重罰規定を設けること自体を違憲と解しており、直接的には言及されていないが、これ以外の尊属傷害致死などの尊属重罰規定についても違憲の結論がみちびかれることになると思われる。したがって、これらの意見は、田中意見が提示した二つの要請のうち、第一の要請については明示的に、第二の要請については、暗示的に示唆していると考えられる。

  これにたいして、立法目的そのものを違憲としながらも、若干異なる見解を示すのが、大隅裁判官である。すなわち、「尊属殺なる特別の罪を認め、その罪を加重する刑法二〇〇条の規定を設けること自体が憲法一四条一項に違反する不合理な差別的取扱いにあたると解するものであって、その法定刑が不当に重いものかどうかを問題とするまでもない」としながらも、「私は、尊属に対する卑属の殺害行為についてのみその刑を加重する刑法二〇〇条の規定は憲法一四条一項に違反するものと解するが、このような一方的なものでなく、夫婦相互間ならびに親子等の直系親族相互間の殺害行為(配偶者殺し、親殺し、子殺し等)につき近親殺というべき特別の罪を設け、その刑を加重することは、その加重の程度が合理的な範囲を超えないかぎり、必ずしも右の憲法の条項に反するものではない」というのである。大隅裁判官は、そのような規定を設けることの要否ないし適否については消極的意見であるとしているものの、刑の加重要件として「近親殺」を認めている点で、前述した田中裁判官などの意見とは異なっていると解される。

  本稿では、多数意見と田中裁判官など六名の裁判官の意見のいずれが妥当であるかを論ずることを目的としない。重要なのは、判決のなかでこのように示されたさまざまな解決方法の選択肢を前にして、政治部門がどのように検討し、対応をはかったか、ということである。そこで、実際の対応と照らし合わせて分析する必要がある。

  2  刑法改正に向けた政府の動き

  一九七三年の違憲判決を受けて、政治部門は、どのような対応をこころみたのであろうか。まず、政府の動きをみることにしたい。

  法改正への動きとは別に、実務レベルでの対応措置は、すみやかに実現されている。すなわち、違憲判決が下された四月四日に、最高検察庁は、今後は尊属殺人の事案については刑法二〇〇条を適用しないで、普通殺人に関する刑法一九九条を適用して捜査および公訴の提起をし、すでに裁判所に係属中の事件については、罪名および罰条を刑法一九九条に変更する処置をとるべきことを指示した(2)。また、違憲判決にともなう個別恩赦の職権上申についての配慮に関する通達が、法務省刑事局長、矯正局長、保護局長から、上申権者である検事長、検事正、拘置所長、刑務所長、少年刑務所長、保護観察所長にたいして出されている(3)

  他方で、法改正に向けての政府の動きは、違憲判決に先立って法務省で具体的な作業として開始されていた。一九五六年、牧野良三法務大臣は、小野清一郎を法務省特別顧問に任命し、「刑法及び刑事訴訟法に改正すべき点があるか」との諮問を発した。これとともに、在京の学者、実務家によって構成された「刑法改正準備会」が法務省内に設置され、刑法の全面改正の審議がおこなわれ、一九六〇年四月に「改正刑法準備草案(未定稿)」、一九六一年一二月に「改正刑法準備草案」およびその理由書が公表された。この草案では、尊属殺重罰規定が全面削除された反面、普通殺の法定刑の短期が五年に引き上げられていた。同草案の理由書によれば、尊属殺重罰規定を削除する理由は、「尊属殺を重く処罰することは憲法第一四条に違反する疑いがあるばかりでなく、尊属殺はかえって情状憫諒すべき場合もないとはいえないし、一般の殺人罪に死刑、無期懲役の刑の定めがある以上、一般殺人の規定によって処罰すれば足りるものと考えられたからである(4)」とされた。また、これとともに、尊属傷害致死罪などの尊属加重規定もすべて削除されることになっていた。

  次いで、一九六三年五月、中垣国男法務大臣は、「刑法に全面的改正を加える必要があるか。あるとすればその要綱を示されたい」との諮問を法制審議会におこない、それを受けて、刑事法特別部会が設置され、審議が開始された。その後、法制審議会の総会での審議を経て、一九七四年五月二九日「改正刑法草案」が答申として示された。この草案でも、尊属殺重罰規定をはじめ尊属加重規定はすべて削除されていた。その理由は、同草案の理由書において、次のように説明されている。

  「尊属殺については、去る昭和四八年四月四日の最高裁判所大法廷判決(刑集二七・三・二六五)により、現行刑法第二〇〇条は、その法定刑が死刑又は無期懲役のみであってあまりにも重く、いかに酌量すべき情状があっても刑の執行を猶予することができないなど、普通殺人との間に著しく不合理な差別的取扱いをしている点で、憲法第一四条第一項に違反すると判断された。この判決を前提とした場合にも、立法政策としては、尊属殺人罪を廃止するか、同罪を存置したうえで合理的な法定刑を定めるかという二つの行き方が考えられるが、刑法全面改正の過程では、準備草案以来、尊属殺に関する規定は削除するという考え方がとられてきた。すなわち、尊属殺の事案には、情状において犯人に同情すべきものが少なくないので、一律に加重類型として取り扱うよりも通常の殺人罪の規定によって処理する方が適当であること、諸外国においても、近時、ドイツ、ハンガリー等で尊属に対する殺人の加重規定を削除しており、いまなおこの種規定を存置している立法例は少数であること・・・などが考慮されたのであるが、法制審議会の総会においても、この考え方を維持するのが適当であるとされ、尊属殺のほか、尊属傷害致死、尊属遺棄及び尊属逮捕監禁等に関する現行法の規定・・・をすべて削除することに決定した(5)」。

  しかし、「改正刑法草案」では、全体的に、処罰される行為の範囲が拡大され、法定刑が重くされていたため、日弁連や学者、市民などが激しく批判し、法案として国会に上程されるにはいたらなかった。その後、法務省は、この草案による改正には固執しない趣旨を明らかにし、刑法の現代用語化を中心とする改正に向けて作業を進めた。法務省は、一九九〇年一二月に松尾浩也教授に「刑法の現代表記化案」作成に関して調査を委託し、同教授が提出した調査報告書をもとに検討を重ねたうえで、事務当局案がまとめられ、一九九四年六月二〇日、法制審議会にたいして「表記の平易化等のため、刑法を別添対照表の上段のように改めることについて御意見を承りたい」との諮問がなされた(6)。なお、その間、一九九一年の第一二〇回国会で成立した「罰金の額等の引上げのための刑法等の一部を改正する法律」の審議に際して、衆議院および参議院の各法務委員会は、政府が、現行刑罰の適正化を図るとともに、尊属殺重罰規定の見直し、刑罰法令の現代用語化等について格段の努力をすべきである、との附帯決議をおこなっている(7)

  ところで、法務省事務当局は、なるべく早期に表記の平易化を実現する必要があると考え、法改正の内容については、現行刑法典の条文を忠実に平易化することに徹し、内容の変更をともなうような改正をおこなわないことを基本方針とした。ただし、尊属加重規定については事務当局案ではすべて削除されている(8)。法務省事務当局が尊属加重規定の全面削除にいたった理由は、以下のようなものであった。

  「最高裁判所の違憲判決及びその後の尊属傷害致死に係る合憲判決の理由からすれば、尊属殺人規定に係る違憲判決状態を回避するための必要最小限の改正を行うとの観点からは、例えば、尊属殺人規定の法定刑の短期を四年ないし五年とすることも一応は考えられた」が、「尊属に対する殺人の事案については、違憲判決後二二年間にわたって通常殺人の規定・・・が適用されてきており、新たに通常の殺人罪よりも重い法定刑を設定することは、実質的には刑の引き上げになる」。「また、量刑の実情を調査してみると、尊属に対する殺人の事案については、・・・懲役五年以下の刑が言い渡される数も相当程度」あり、これは「被告人に酌むべき点の多い事件が少なからずあることを示している」。したがって、「尊属殺人について通常の殺人よりも重い下限を定めることは適当でなく、個々の裁判において、通常の殺人罪の法定刑の範囲で、尊属に対する犯罪という事実を考慮しつつ、真に非道なものには重く、酌量すべき点が多いものについては軽く、それぞれの事案に応じて適切な量刑をすることが相当であって、刑法二〇〇条は削除することが適当である」。「そして、尊属殺人規定を削除するとするならば、尊属傷害致死等他の尊属加重規定をそのまま存置することはバランスを欠くことになる。・・・これらの罪については、殺人の場合以上に被告人に酌量すべき点が多い事件があるようにうかがわれる」。したがって、「これらの規定についても、やはり、尊属殺人と同様に廃止して、通常の規定の法定刑の範囲内でそれぞれの事案の実情に即した適切妥当な刑を科するようにすることが相当である(9)」。

  法制審議会は、諮問を受けて、刑事法部会での審議、法制審議会総会での審議を経て、事務当局案に若干の修正を施した平易化案を答申として示した(10)。その際、法制審議会刑事法部会では、改正の範囲について議論がなされ、尊属加重規定の全面削除と瘖唖者の行為に関する規定の削除の点で実質改正するのが相当であるとされた。そして、法務省は、この答申を踏まえて法律案を作成し、閣議決定を経て、一九九五年三月一四日、「刑法の一部を改正する法律案」が第一三二回国会に提出されたのである。

  3  第一三二回国会における刑法改正の審議内容

  国会審議においては、改正案についてさまざまな議論が交わされたが、尊属加重規定の全面削除をめぐる問題に関しては、@手段違憲説にしたがい尊属加重規定の全面削除には反対する見解、A手段違憲説にしたがいつつ立法政策として尊属加重規定の全面削除を支持する見解、B目的違憲説にしたがい尊属加重規定の全面削除を支持する見解のそれぞれの立場から議論が展開された。なお、衆議院では、上智大学教授松尾浩也氏、東京新聞・中日新聞論説委員飯室勝彦氏、日本弁護士連合会刑法改正対策委員会副委員長渡辺脩氏が参考人として意見を陳述し、参議院では、日本大学教授板倉宏氏、日本弁護士連合会刑法改正対策委員会事務局長岩村智文氏、東京女子大学名誉教授水谷静夫氏が参考人として意見を陳述した。

    (1)  手段違憲説にしたがい尊属加重規定の全面削除には反対する見解

  国会審議に際して、尊属加重規定の全面削除案に反対する見解は少数であり、そのなかでは、四月一一日の衆議院法務委員会における吉田公一委員の発言が際立っている。まず、吉田委員は、違憲判決後、尊属殺についても刑法一九九条が適用されてきたことについて、本来は刑法二〇〇条があるので、法律からいっておかしい、と批判したうえで、子供が親を殺せばいかなる事情があっても酌量の余地はないのであるから、また法律にはもともと予防的な意味があるから、尊属罪は残しておかなければならない、と主張する。そして、暴力団同士の殺人と尊属殺とを同じ法文で適用するなどということ自体が間違いである、という(11)

  なお、このような吉田委員の主張にたいして、則定衛政府委員(法務省刑事局長)は、尊属殺が問題になる親の場合は、人倫として親としての務めを果たしているのかどうかが問題になるケースがきわめて多いこと、一般の殺人と区別して尊属殺について加重する必要があるかどうかが、具体的な事例を通してみた裁判官の頭のなかで割り切れないことを理由に、尊属殺重罰規定を削除すべきことを論じている(12)

  また、吉田委員は、加重規定が重過ぎるのであれば、刑法二〇〇条に三年以上の懲役に処すという項を設けるなり、あるいは別に法文を設けて救済する方法をとるべきであり、いきなり削除して、日本の民族、歴史、倫理、道徳あるいは宗教観というものをなくしてしまうべきではなく、この規定については、削除ではなくて別な法律を考えるべきであり、本来は立法政策の問題である、と主張している(13)

  しかしながら、このような見解はきわめて特異であり、このほかには、政府が提出した全面削除案にたいして正面から反対論を展開する議員はほとんどいなかった。多数意見であった手段違憲説の観点からすれば、尊属加重規定の全面削除は、かならずしも必要ではなく、法定刑を引き下げれば違憲性は回避されるということになるはずであり、合憲すれすれのもっとも消極的な解決策として採用することができたはずである。しかし、実際には、法案を提出した政府自身が、そのような必要最小限の解決策ではかならずしも完全な問題解決にはならないと判断し、さらに進んで尊属加重規定の全面削除に踏み切ったのである。

    (2)  手段違憲説にしたがいつつ立法政策として尊属加重規定の全面削除を支持する見解

  多くの議員は、尊属加重規定の全面削除を支持していたが、賛成意見のなかでも、手段違憲説にしたがいつつ立法政策として削除すべきとする立場と目的違憲説にしたがい憲法上の要請として削除すべきとする立場があり、政府や与党議員の多くは前者の立場をとっていた。尊属加重規定の全面削除を法案に盛り込んだ理由について、前田勲男法務大臣は、衆議院本会議において、次のように説明している。

  「最高裁判所の違憲判決を受けている尊属殺規定につきましては、尊属に対する殺人に関しても二十二年にわたり通常の殺人罪が適用されてきたこと、その間の量刑の実情を見ますと、人倫にもとる非道な事案に対しては厳しい刑が言い渡されておる反面、被告人に酌むべき点が多く軽い刑が言い渡される事件が相当数あることなどにかんがみますと、通常の殺人罪よりも刑の重い尊属殺人罪を改めて設けた場合、現状を大きく変更することとなるとともに、その実情からして、事案の内容に応じた適正な量刑をなしがたくするものであり、適切でない」。「そこで、尊属加重規定については、累次にわたり法制審議会におきまして慎重に審議された結果、いずれも全部削除が相当であるとの答申がなされていることも考慮いたしますと、やはり尊属殺人の規定を削除して、一般の殺人罪の法定刑の範囲内で事案に応じた適切妥当な刑を科するのが相当である」。「その他の尊属加重規定につきましては、最も基本的な犯罪である殺人罪について尊属加重規定を廃止することとのバランスや量刑の実情を見ましても、尊属傷害致死につきましては、その半数以上が法定刑の下限に集中しており、殺人の場合以上に被告人に酌量すべき点が多い事件があると認められることにかんがみまして、あわせて廃止するのが相当(14)」とされた。

  このように、政府は、尊属加重規定の全面削除を提案してはいるが、立法政策としての対応にとどまっており、田中意見などが主張していたように、尊属加重規定の立法目的を違憲と考え、憲法の要請として対応しているわけではない。この点につき、則定政府委員は、四月一一日の衆議院法務委員会において、次のように答弁している。

  「いわゆる多数意見は、尊属に対する報恩あるいは尊重という思想は社会生活上の基本的道義である、このような自然的な情愛ないし普遍的な倫理の維持は刑法上の保護に値するという前提に立っておられるわけでございまして、したがいまして、尊属殺人罪を重い社会的、道義的非難を受けるものとして一般的に刑を重くすることは、直ちに不合理な差別とは言えないとされているわけでございます。・・・余りにも極端な法定刑の差という点で憲法十四条に反するということになっておるわけでございます。・・・昭和四十九年九月にも、これは刑法二百五条二項の尊属傷害致死罪についての合憲の判決でございまして、そのときにもこの尊属加重規定を設けること自体が直ちに憲法に違反するものではないと最高裁判所も考えていると理解されるわけでございます」。「そういう考え方を前提に今回作業を進めたわけでございまして、したがって、この尊属加重規定を設けるか否かについては、適正な立法政策にゆだねられている事項であると考えているわけでございます(15)」。

  また、四月一四日の参議院本会議において、村山富市総理大臣も、「尊属加重規定を設けること自体が直ちに憲法に違反するものではなく、尊属加重規定を設けるか否かについては適正な立法政策にゆだねられている事柄である(16)」と述べている。

  これらの発言から明らかなように、法案を提出した政府は、手段違憲説をとる多数意見にしたがって、尊属加重規定の立法目的は合憲であるとの前提にたちながら、その規定の全面削除が立法政策としての対応であることを強調している。しかも、立法政策としての全面削除である以上は、将来、尊属加重規定が立法政策として復活されるおそれもないとはいえない。ただし、刑法改正の国会審議において、尊属加重規定の全面削除に反対した議員はごくわずかであり、ほとんどコンセンサスが得られていると解されることから、実際には尊属加重規定が復活される可能性は限りなく少ないといえよう。この点では、堀木訴訟神戸地裁判決(一九七二年九月二〇日)で違憲とされた児童扶養手当法の併給禁止規定が、直ちに立法政策として削除され、その後、最高裁判所の合憲判決(一九八二年七月七日)を契機として復活されたケース(17)とは、状況が異なると考えられる。

    (3)  目的違憲説にしたがい尊属加重規定の全面削除を支持する見解

  尊属加重規定の全面削除を支持する見解のなかには、田中裁判官などの意見に共感しつつ、尊属加重規定の立法目的そのものを違憲と解し、憲法上の要請として削除すべきことを主張するものもみられた。三月二八日の衆議院法務委員会において、刑法の平易化に積極的に関与してきた松尾浩也参考人は、次のような理由を述べて尊属加重規定の全面削除を支持している。

  「最高裁の判例ももうかなり時間がたっております。尊属傷害致死につきましては、昭和五十年前後にまた判例がございますけれども、それぞれ反対意見をも伴っている判例でございまして、最高裁の考え方も動いている点もあるのではないか。そして、国際的に見ますと、平等への志向というものは、年々強まりこそすれ弱まってはいないというようなことを総合的に判断いたしまして、これは立法府としてはもう削除すべき時期であろう(18)」。

  そして、松尾参考人は、最高裁判決の各意見のなかで、田中裁判官など六名の意見に示された目的違憲説にしたがうことを表明している。また、同委員会において正森成二委員も、田中裁判官などの意見に賛成することを明言している。

  さらに、四月一一日の衆議院法務委員会において、冬柴鐵三委員は、田中裁判官などの意見に言及しながら、尊属加重規定の全面削除を支持している。すなわち、子どもが親を尊敬し尊重することは、人類普遍の基本的な道徳原理ではあるが、それは自律規範たるべきであって、他律規範として法律によって強制すべきではない、というのである(19)

  四月二五日の参議院法務委員会においても、板倉宏参考人が、次のように目的違憲説にしたがった見解を述べている。

  「尊属だからということで刑を加重したりするということ自体が法のもとの平等に反し、憲法違反だというふうに考えておりますし、こういった考え方が法律研究家の中でも圧倒的に多いように思います。もしも合憲であるとしても、こういった規定を設けておくという理由は余りないのではないかと思うわけです(20)」。

  以上のように、参考人を中心に、目的違憲説とる田中裁判官などの意見に同調する見解が示された。しかし、多数意見あるいは手段違憲説にしたがいつつも立法政策として尊属加重規定の全面削除を支持する見解にたいして、ことさらに立法政策としての対応であることを批判する見解が展開されているわけではない。政府にたいする批判は、立法政策として法改正をおこなうことよりも、むしろ最高裁判決後の対応の遅さに向けられている。たとえば、安恒良一委員は、四月二七日の参議院法務委員会において、次のように政府の対応の遅さを批判している。

  「尊属殺人、尊属加重規定の削除、私もこれは賛成なんです。ただ、これもどうも皆さん言いわけばかりされているけれども、何でこんなに、昭和四十八年四月四日に出たのにそれからほうっておかれたということが、これの原因がわからないんですよ。・・・当時与党である自民党との意見調整がということを盛んに言われますけれども、国会というのは与党だけじゃないんですから、与野党おるわけです。・・・どうも尊属殺人、尊属加重規定が二十二年も放置されたということについては非常に理解に苦しみます。・・・今後こんなことがないようにしてもらいたいと思います(21)」。

  また、板倉宏参考人も「尊属殺人の規定につきましては、もちろん、最高裁判所の違憲判断が示されておりますもので、これは本来ならばもうとっくに削除しておくべきものであった(22)」と政府や国会の対応の遅さを暗に批判している。

  以上のような国会審議を経て、尊属加重規定の全面削除を盛り込んだ「刑法の一部を改正する法律」は、一九九五年四月二八日に成立した。最高裁判決において提示されたいくつかの選択肢と照らし合わせてみると、この改正の内容は、立法政策としてなされてはいるが、まさしく田中裁判官などの意見が要請していた尊属加重規定の全面削除そのものであり、かたちの上では、むしろこれにもっとも近いものになっている。ただ、実務上の対応がきわめて迅速になされたことに比べれば、立法的対応はあまりにも遅かったといわなければならない。


第二節  森林法違憲判決と立法的対応

  1  判決における立法的対応の示唆

  尊属殺重罰規定違憲判決とともに、最高裁判決において立法的解決のための複数の選択肢が提示されたのは、一九八七年四月二二日の森林法共有林分割制限規定違憲判決である(23)。この違憲判決のなかで解決方法を示唆するものとしては、多数意見、大内裁判官の意見および坂上裁判官の補足意見がある。これらの各々について、いかなる立法的対応が示唆されているかを検討することにしたい。

    (1)  多数意見

  多数意見は、共有林の分割請求権を制限する森林法一八六条の立法目的について、「森林の細分化を防止することによって森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もって国民経済の発展に資することにある」としたうえで、目的達成手段が必要または合理的なものであるかを検討している。

  まず、森林法一八六条は、共有森林の保存、管理又は変更について、持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定しているが、「共有者間、ことに持分の価額が相等しい二名の共有者間において、共有物の管理又は変更等をめぐって意見の対立、紛争が生ずるに至ったときは、各共有者は、共有森林につき、・・・管理又は変更の行為を適法にすることができないこととなり、ひいては当該森林の荒廃という事態を招来する」。そして、持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定した結果は、このような事態の永続化を招くだけであり、したがって、森林法一八六条の立法目的と同条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に分割請求権を否定したこととの間に合理的関連性はない。

  また、同条は、「分割を許さないとする森林の範囲及び期間のいずれについても限定を設けていないため、同条所定の分割の禁止は、必要な限度を超える極めて厳格なものとなっている」のであり、「森林の安定的経営のために必要な最小限度の森林面積は、・・・これを定めることが可能というべきであるから、当該共有森林を分割した場合に、分割後の各森林面積が必要最小限度の面積を下回るか否かを問うことなく、一律に現物分割を認めないとすることは、同条の立法目的を達成する規制手段として合理性に欠け、必要な限度を超えるもの」である。そして、「当該森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期等を何ら考慮することなく無期限に分割請求を禁止することも、同条の立法目的の点からは必要な限度を超えた不必要な規制」である。

  さらに、「現物分割においても、当該共有物の性質等又は共有状態に応じた合理的な分割をすることが可能であるから、共有森林につき現物分割をしても直ちにその細分化を来すものとはいえないし、また、同条二項は、競売による代金分割の方法をも規定しているのであり、この方法により一括競売がされるときは、当該共有森林の細分化という結果は生じないのである」から、「森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に一律に分割請求権を否定しているのは、同条の立法目的を達成するについて必要な限度を超えた不必要な規制」である。

  したがって、「森林法一八六条が共有森林につき持分価額二分の一以下の共有者に民法二五六条一項所定の分割請求権を否定しているのは、森林法一八六条の立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らかであって、この点に関する立法府の判断は、その合理的裁量の範囲を超えるものであるといわなければならない。したがって、同条は、憲法二九条二項に違反し、無効」とされた。

  以上のように、多数意見は、森林法一八六条を違憲と判断しているが、それは、同条が持分価額二分の一以下の共有者について一律に分割請求権を否定しているからであった。森林の細分化防止、森林経営の安定という立法目的を達成する必要性については、かならずしも否定されておらず、実際に、多数意見に示された立法的対応の選択肢をみてみると、第一に分割制限規定の全面削除があるが、第二の選択肢として、「必要な限度」を超えない合理的な規制手段を新たに定めるという解決方法を抽出することができる。後者については、分割が禁じられる森林の範囲および期間を考慮すること、すなわち、分割後の森林面積が必要最小限度の面積を下回るかどうか、また、森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期などを考慮すること、そしてそのことによって、結果として、持分価額二分の一以下の共有者にも分割請求権を部分的に認めること、などがみちびかれるであろう。ただし、この多数意見からは、必要最小限度の森林面積がどれだけか、分割が認められる期間をどのように設定するかということを明確に引き出すことはできない。したがって、この点は、政治部門が慎重に検討すべき問題であるといえよう。

    (2)  大内意見

  これにたいして、大内裁判官の意見(高島裁判官が同調)は、多数意見とは異なった解決策を提示している。すなわち、森林法一八六条は、その全部が憲法二九条二項に違反するものではなく、持分価額がちょうど二分の一の共有者からの分割請求をも禁じている点において、違憲であるにすぎない、と解するのである。

  大内裁判官は、持分価額が二分の一以下というなかには、二分の一未満と二分の一との二つの場合があるとして、まず、持分価額二分の一未満の共有者について検討している。すなわち、森林法一八六条において二分の一未満持分権者の分割請求権が否定されているのは、「同条が、林業経営の安定等のため、民法二五六条の分割請求権を制限し、過半数持分権者にのみ分割請求権を認めることとした結果にほかならないから、森林法一八六条の右規制内容は同条の立法目的との間に合理的な関連性を有する」のであり、「過半数持分権者の分割請求が許されるのに、二分の一未満持分権者の分割請求が禁じられる点は、多数持分権者の意思の尊重という合理的理由に基づくものとして首肯できる」。また、持分価額二分の一未満持分権者の権利制限の程度については、「二分の一未満持分権者がなしえないのは、過半数持分権者の意に反して分割請求をすることだけである。しかも右二分の一未満持分権者が自己の持分を他の共有者又は第三者に譲渡する自由は、なんら制約されていないので、森林法一八六条による分割請求権の否定が右二分の一未満持分権者にとって不当な権利制限であるということはできない」とし、結局、「同条のうち、二分の一未満持分権者の分割請求を禁止する部分が、前記立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であると断ずることはできないから、同条の右部分は憲法二九条二項に違反するものではない」という。

  次に、持分価額が二分の一の共有者については、大内裁判官は、その典型として、共有者が二人(甲、乙)で、その持分価額が相等しい場合をあげている。この場合、共有者の一人である甲が同条によって分割請求を禁じられるのは、ただ甲が過半数持分権者に該当しないというだけの理由からであり、他に過半数持分権者が存在し、多数持分権者の意思を尊重するのが合理的であるというような実質的理由にもとづくものではない。そして、過半数持分権者に該当しないという理由で分割請求を禁じられるのは、他の一人である乙も同様であり、甲、乙互いに対当の地位にあるにもかかわらず、いずれも相手にたいして分割請求をすることを禁じられる。したがって、その結果、甲、乙両名すなわち共有者全員が共有物分割の自由を全く封じられ、両者間に不和対立を生じても共有関係を解消するすべがないこととなり、このことの合理的理由は到底見出だし難く、共有者の権利制限として行き過ぎである、という。かくして、森林法一八六条のうち、「二分の一持分権者の分割請求を禁止する部分は、・・・立法目的を達成するための手段として著しく不合理で立法府の裁量権を逸脱したことが明白であ」り、「同条の右部分は憲法二九条二項に違反し、無効である」としている。

  以上のように大内意見は、持分価額が二分の一未満の共有者についてだけ分割請求権を制限し、持分価額がちょうど二分の一の共有者には分割請求権を認めるという選択肢を提示するのである。

    (3)  坂上補足意見

  これとは反対に、坂上裁判官の補足意見は、二分の一を超える持分権者にも分割請求を許すべきではないような事例が存在することを指摘している。すなわち、「持分四分の三と持分四分の一の二人の共有者があって、四分の三の持分権者の請求によって分割が行われた場合」には、「四分の三の権利者に分割された森林は、単位面積当たりの採算が分割前より多少不利になったとしても、なお、一応の利益が得られるが、四分の一の権利者の方は、自己に分割された森林だけでは経済的に維持できないというような場合も生ずることが考えられるのである。こういう場合に分割請求を許すべきではないのは、むしろ二分の一を超える持分権者の方でないと、筋が通らない」というのである。

  しかし、坂上裁判官は、「森林の共同経営を考える者は、共同経営に当たって必要な取決め(分収造林契約、分収育林契約、民法上の組合あるいは間伐時や伐採時の共同施業等)をしておけば足りることであって、必ずしも共同経営に合意した結果生じたとは限らない共有全般について、法律の規定による分割請求権の剥奪で対処すべきことではない」としている。したがって、結局、この補足意見は、多数意見が提示した第一の選択肢、すなわち共有林分割制限規定の全面削除を求めるものと解される。

  以上、三つの意見を詳しくみてきたが、ここで示されたいくつかの解決方法について、政治部門がどのように検討しているかが問題である。そこで、次に、実際におこなわれた立法的対応を分析し、その問題点を指摘することにしたい。

  2  政治部門における法改正の検討

  違憲判決後、政府は、直ちに森林法一八六条の全面削除を内容とする改正案を国会に提出した。法案提出理由は、「森林法中共有林の分割請求の制限に関する規定は憲法違反であるとの最高裁判所判決があつたことにかんがみ、当該規定を削除する必要がある」というものであった。国会においては、同時に審議された「国有林野事業改善特別措置法の一部を改正する法律案」について活発な議論がなされたのにたいして、森林法の改正案については審議に割かれた時間も少なく、与野党の対立もほとんどみられなかった。

  一九八七年五月一五日に衆議院農林水産委員会で法案の審議がおこなわれ、最初に塩川農林水産大臣臨時代理が次のような趣旨説明をおこなった。

  「森林法第百八十六条の規定は、共有林について、その経営の安定を図るため、持ち分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求を禁止している」が、「本年四月二十二日、私人間の訴訟に関連し、最高裁判所は、森林が共有であることと森林の共同経営とは直接関連するものではなく、共有林の共有者間の権利義務についての規制と森林経営の安定という立法目的との間に合理的関連性があるとはいえないこと等を理由とし、この規定が財産権の内容を公共の福祉に適合するように法律で定める旨をうたった憲法第二十九条第二項に違反し無効であると判示したところであり」、「このように最高裁判所において違憲無効の判決が行われた以上、違憲状態を早急に是正する必要がありますので、森林法第百八十六条の規定を削除することとし、この法律案を提出した次第であ」るとしている(24)

  同委員会では、寺前巌委員だけがこの法案について発言している。その内容は、以下のとおりである。

  「五十三年の一審及び五十九年の二審の判決では、森林法第百八十六条の規定について、森林経営の零細化防止という国家の政策的視点から共有森林の分割を禁止したもので、公益規定であるとして合憲となっています。今回の最高裁の判決においても、細分化を防止し、森林経営の安定化を図るという立法目的については公共福祉に合致すると認めている。しかし、法百八十六条の立法目的達成のための手段として、持ち分の二分の一以下の共有者に分割請求権を否定しているのは合理性及び必要性に欠けるとして違憲だ、こういうふうに判決は出しています。・・・森林経営の零細化を防止するという政策的歯どめがなくなるということが百八十六条を削除することによって起こってくるのじゃないだろうか(25)」。

  このような寺前委員の発言にたいして、田中宏尚政府委員(林野庁長官)は、次のように答弁している。

  「森林経営の細分化につきましては、我々といたしましては、できるだけ森林経営というものは大規模で効率的に行われることがベターであるという基本的立場にもちろん立っているわけでございます。しかし、その経営と所有というものは必ずしも一致しておりませんで、所有が分割しておりましても、いろいろな知恵の出し方によりましては経営が一体化できるという事例も各地であるわけでございます。・・・制度面なりあるいは金融面なりのいろいろな施策を通じまして、経営の零細化防止ということにつきましては従来以上に意を用いてまいりたいと思っております(26)」。

  ここで、田中政府委員は、森林組合法の改正というかたちで、森林の共同経営の法制度を準備していると述べている。しかし、森林法一八六条の削除による影響については、次のように、きわめて楽観的な見方を示している。すなわち、「今回の判決によりましても、共有林が全森林の中で六十万ヘクタール程度でございますし、それから、従来の実態が必ずしも十分に把握できておりませんけれども、あの規定によって細分化が防止されたという事例もそれほど聞いておりませんので、あの規定がなくなった後における経営なり所有の零細化ということについてはそれほど心配する必要はない」というのである(27)

  これにたいして、寺前委員は、森林法一八六条の削除により、とりわけ都市周辺の森林について、それぞれの所有者が分割を請求するような事態が生じることを危惧し、それを防ぐために、五年以内の共有分割禁止の特約契約を規定する民法二五六条やその他の手段の検討を政府委員に要請したところ、田中政府委員は次のように答えている。

  「仮にそういう事態が起きまして零細化していくというようなことがございますと林業経営上もマイナスの面がございますので、・・・民法による共有分割禁止の特約契約という点もございますし、場合によってはそういうものの設定について指導するなり、あるいは市町村なり森林組合による共同施業なり合理的な経営というものについて指導を強化してまいりまして、できるだけこの規定が悪影響の方向へ働くことのないように最善の努力をしてまいりたいと思っております(28)」。

  他方で、参議院農林水産委員会では、五月二六日に法案の審議がおこなわれた。ここで、田中政府委員は、違憲判決についての所感を次のように述べている。

  「あの規定は戦後に戦前の法律から引き継いでつくられたわけでございますけれども、つくられた時点では、いろいろ共有林地に対する利用関係でございますとか、現在とは非常に違った実態にあったわけでございます。現時点であの条文を見てみますと、最高裁判所から指摘がございましたように、林業経営が一体としてできるだけ団地ですべきであるという公益目的と私権の制限との間に、若干といいますか法律上行き過ぎた点があったということは率直に我我も判決を読ませていただきまして感じました(29)」。

  また、田中政府委員は、森林法一八六条の削除によって生じる問題点とその対策に関しては、判決が出た直後に各県にたいして一定の通達を出し、善後措置として対策についての注意を喚起したこと、森林組合の共同施業規程などを利用して細分化した土地についての管理を円滑化すること、共同経営推進のための助成措置などを十二分に活用して経営がこれ以上細分化することを防ぐために万全を期すことを表明している。そして、現在の諸制度の運用でこの問題に十分対応可能であるとしている(30)

  森林法の改正に関する国会審議は以上のような内容にとどまり、とくに反対意見も出されることなく、森林法一八六条の全面削除を内容とする改正法案が可決された。しかし、ただ違憲立法を全面削除するだけでは、予想される森林経営の細分化という事態にたいする完全な問題解決にはならないであろう。解決方法としては、一律にすべての共有者にたいして無条件に分割請求権を認めるのではなく、一定の条件が満たされた場合にのみ分割請求権を認めることも検討できたはずである。大内意見のように、持分価額がちょうど二分の一の共有者については分割請求権を認め、二分の一未満の共有者については分割請求権は認めないとする解決策、あるいは、多数意見自体が示唆していたように、分割後の森林面積が必要最小限度の面積を下回るかどうか、また、森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期などを考慮することによって、持分価額が二分の一以下の共有者にも部分的に分割請求権を認めるという解決策(31)など、いくつかの解決策が考えられよう。また、仮に森林法一八六条を全面削除して、すべての共有者に分割請求権を認めるのであるにしても、政治部門は、森林経営の細分化を防ぐ何らかの具体的措置をとることもできるはずである。

  このように、森林法の改正については、刑法改正の場合とは異なり、たんに違憲立法を排除するだけでは、かならずしも全面的な問題解決とはならない。政治部門は、違憲判決によって生じる問題のみならず、法改正によって生じる新たな問題の解決にも慎重に取り組むことを求められることになる。「森林の所有と経営という森林の基本問題について、森林法は何もふれていない・・・。森林法は壮大な目的を掲げながら、森林を森林として維持してゆくために必要な効果的措置を講じていない。その結果もたらされたのが森林法に掲げる目的とは逆の、森林の荒廃と資源の涸渇である(32)」という森林法全体にたいする批判を考慮に入れて、政治部門が、合理的な立法政策を実現することが期待されているといえる。


第三節  小    括

  以上、尊属殺重罰規定違憲判決と森林法違憲判決を素材として、最高裁判所の違憲判決における立法的対応の示唆と政治部門による実際の対応をみてきたが、いくつかの問題点をここで指摘しておきたい。

  まず、尊属殺の事例についていえば、立法における対応の遅れを指摘しなければならない。一九七三年四月に判決が下されてから、一九九五年四月に「刑法の一部を改正する法律」が成立し、問題の規定が削除されるまで、実に二二年を要した。これにたいして、森林法の場合は、判決後わずか約一か月で改正案が成立しており、また、本稿では取り上げなかったが、一九六二年の第三者所有物没収違憲判決、一九七五年の薬事法距離制限規定違憲判決についても即座に立法的対応がとられている(33)。尊属殺重罰規定違憲判決にたいする立法の対応は、どうしてこれほどまで遅れることになってしまったのであろうか。戸松秀典教授は、この事例とともに立法的対応の遅れが目立つ衆議院議員の定数配分規定の問題にも言及しながら、これらに共通する性格を析出している。すなわち、立法的対応を遅らせる要因として、第一に、「どのように法律の改廃をすれば判決の趣旨に合致するものか、判決文から一義的に定まらないこと」、そして第二に「法律の改廃にあたり、立法者の間、ことに政党間で鋭い対立がみられること」を指摘するのである(34)。前者についていえば、まさしく政治部門がいかなる解決方法を立法的対応として選択するかという問題であり、慎重な検討をおこなうために、ある程度時間を要することは避けがたい。問題は後者であり、これほどまでに対応が放置されたのは、自民党が、尊属加重規定の全面削除に強硬に反対し、野党による法改正のこころみをたびたび挫折に追い込んだからにほかならない。なお、戸松教授は、最高裁判所が尊属傷害致死罪について合憲の判断を下したこと(一九七四年九月二六日判決)により、立法府が対応すべき内容が固まってきてはいると述べている(35)。一般に、違憲判決にたいする政治部門の対応のあり方としては、多数意見にたいして迅速に対応するという方法と、さらに進んで、少数意見をも踏まえ細部にわたり全面的に検討する対応方法とを想定することができる。結果として、実際に、刑法二〇〇条に関してとられた対応は後者であった。

  他方で、森林法の事例については、政治部門が、多数意見のなかで示された共有林分割制限規定を全面削除する方向での見解に即応したため、判決に示されたその他の解決策を考慮したうえで立法的対応が全面的に検討されることにはならなかった。すでに述べたように、判決の各意見が示唆した解決方法としては、@共有林分割制限規定を全面削除する法改正、A分割後の森林面積が必要最小限度の面積を下回るかどうか、また、森林の伐採期あるいは計画植林の完了時期などを考慮することによって、持分価額が二分の一以下の共有者にも分割請求権を認める方向での法改正、B持分価額がちょうど二分の一の共有者の分割請求権を認め、二分の一未満の共有者については分割請求権は認めない方向での法改正があり、政治部門は、これらの解決策のうちどれがもっとも憲法の観点からみて適切であるかを慎重に検討する必要があった。そして、@の解決方法を選択し、森林法一八六条を全面削除するのであれば、すべての共有者に分割請求権を認めることによって生じることが予想される森林経営の細分化を防ぐために、政治部門は、何らかの措置を講じてもよいはずである。このように、違憲判決において複数の解決方法が示された場合、政治部門における迅速な対応と検討の慎重さは、緊張関係にあるといえよう。

  ところで、違憲判決にたいする立法的対応の内容は、違憲とされた規定の性格により、二つの場合に大きく分けられる。すなわち、第一に、違憲立法の排除だけで問題が解決されうる場合、そして第二に、違憲立法の排除だけでは問題は解決されず、何らかの積極的立法措置が必要になる場合がある。本章で取り上げた事例にそくしていえば、刑法の尊属殺重罰規定は前者に、森林法の共有林分割制限規定は後者にあたるといえよう。なお、違憲立法の排除によって問題解決が可能となる第一の場合にあっても、違憲とされた規定を部分的に修正するだけでよい場合もあれば、直接的に違憲とはされなかったその他の規定も含めて全面的な法改正が必要となる場合もあり、立法的対応の内容は、さらに細かく分けることができる。この分類にしたがえば、尊属殺の事例は、直接的に違憲とされた刑法二〇〇条の部分的修正にとどまらず、さらに進んで、尊属加重規定の全面削除がなされたことから、後者の対応がとられたもとのと解される。

  尊属殺重罰規定については、違憲とされたことにより、その規定を全面削除することになっても、尊属殺人事件が急増したり、尊属にたいする尊重報恩の念がそのことによって否定されることにはならないであろう。なぜなら、まず、多数意見自身が示唆し、政府の説明にもみられたように、尊属殺の規定が削除されても、犯情によっては、刑法一九九条の普通殺の規定で死刑または無期懲役という重刑に処することができるからである。また、私見によれば、尊属にたいする尊重報恩の念は、法律のレベルで強制しなくても、倫理のレベルで維持することが可能と考えられるからである。したがって、この場合は、違憲立法の排除という対応措置によって問題が解決されることになる。他方で、共有林分割制限規定については、それを全面削除することだけでは完全な問題解決にはならず、森林経営の細分化を防ぐために、憲法上可能な立法手段について検討する必要があった。もっとも、そのような積極的立法措置が求められる場合においても、必要最小限の対応をとると同時にプラス・アルファの積極的立法措置を講じることが望ましい場合と、さしあたり必要最小限の対応を迅速におこなったうえで、次の段階の対応について慎重に検討すべき場合とがある。プラス・アルファの積極的立法措置が容易になされうると考えられるときは、前者のような一段階の対応が適切であるが、関連諸法律の改正などで積極的立法措置の実現に時間を要する場合には、後者のような二段階の対応で問題解決に取り組む必要があるといえる。

  なお、経済的自由規制立法が違憲とされた場合には、違憲立法の排除だけでは問題解決にならず、積極的立法措置が必要となる可能性が高いようである。本章で取り上げた森林法の事例の他にも、薬事法の薬局適正配置規定の事例が想起される。一九七五年に薬局開設の距離制限規制が違憲とされ、立法的対応として当該規定の全面削除がおこなわれたが、そのことによって、大手薬局の進出と弱小個人経営薬局の駆逐という結果が生じるにいたったといわれている(36)。このような結果を考慮すれば、たんに当該規定を全面削除するだけでは完全な問題解決にはならず、さらに進んで、憲法が認める他の規制手段を検討する必要性があったのではないかと思われる。たとえば、判決が述べるように、「医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止するか、等の経済政策的問題」として検討することが可能であり、あるいは、行政が「薬局等の偏在によって競争が激化している一部の地域に限って重点的に監視を強化する」という方策を検討することもできたのではなかろうか。

  最後に、本章で検討することのできなかった問題として、下級審違憲判決にたいする政治部門の対応について言及しておこう。一般には、「下級審の違憲判決に対しては、立法府が直ちに応諾しないのが通例である(37)」といわれているが、実際には、下級審の違憲判決にたいして政治部門が対応措置をとった事例も存在する。

  一九五九年の「交通事故報告義務訴訟」神戸地裁尼崎支部判決(38)は、事故の内容および事故について講じた措置を警察官に報告する義務を定める道路交通取締法施行令六七条二項が、自己の刑事責任に関する不利益な供述を義務づけるものであり、憲法三八条一項に反するとした。そしてその後、国会は、一九六〇年、道路交通取締法に代わる道路交通法の立法化に際して、報告すべき事項を、交通事故発生の日時・場所、死傷者の数および負傷者の負傷の程度、損壊した物および損壊の程度、ならびに事故について講じた措置に限定した。なお、最高裁判所は、一九六二年五月二日判決において、道路交通法の新たな規定の字句を援用して合憲解釈をおこなっている(39)

  また、一九六八年の「牧野訴訟」東京地裁判決(40)において、国民年金法七九条の二第五項の老齢福祉年金夫婦受給制限規定が違憲とされた。この判決に応じて、国会は、翌年、違憲とされた規定を廃止し、老齢福祉年金の夫婦受給を認める法改正をおこなった。

  さらに、一九七二年の「堀木訴訟」神戸地裁判決(41)が、国民年金法にもとづく障害福祉年金を含む公的年金給付との併給を禁じる児童扶養手当法四条三項三号の規定を違憲とした後、国会は、翌年、併給を認める法改正をおこなった。しかし、この改正は、違憲判決にたいする積極的応諾としておこなわれたのではなく、立法裁量として併給が認められることになったにすぎない。したがって、一九八二年の最高裁判決(42)において、併給禁止規定の合憲性が認められると、国会は、再度法改正をおこない、この規定を復活させている。

  最近では、一九九三年一二月二六日の参議院議員定数配分に関する大阪高裁判決(43)において、六・五九倍の最大較差が違憲とされたことがひとつの契機となって、一九九四年六月二三日の公職選挙法改正により「八増八減」の定数是正がおこなわれ、その結果、最大較差が四・八一倍に抑えられた事例がある。

  以上のような対応事例は、いずれも下級審の違憲判決にたいして政治部門が比較的迅速に対応したものである。ただし、このような立法的対応は、必要最小限のものにとどまることが少なくないようである(44)。ところで、これとは逆に、政治部門が下級審の違憲判決に即座に対応するのではなく、最高裁判所の判決を待って、慎重な対応をはかることも考えられる。後者の対応がとられる場合には、政治部門が、下級審の違憲判決を視野に入れながら、そのなかで提示された解決方法を選択肢のひとつとして検討することが「協働関係」の観点から求められるであろう。また、下級審では違憲とされ、最高裁判所では合憲となった場合についていえば、たしかに最高裁判所の判断が最終的なものにはなるが、かといって政治部門は合憲という結果のみに安住するのではなく、下級審の違憲判決のなかで指摘された問題点を考慮しながら、解決策を検討することが適切である場合もあるだろう。たとえば、公職選挙法の戸別訪問禁止規定については、一九七八年三月三〇日の松山地裁西条支部判決(45)、一九七九年一月二四日の松江地裁出雲支部判決(46)、一九八〇年四月二八日の広島高裁松江支部判決(47)などがそれぞれ違憲判決を下しており、そのなかで当該規定の問題点が指摘されている。この問題に関する立法の動きをみてみると、一九六七年一一月、選挙制度審議会が、戸別訪問を解禁するのが適切であるとする答申を出しており、また、一九九三年の政権交代後、当時の非自民連立与党によって提出された政治改革関連法案には戸別訪問を解禁する条項が含まれていたが、当時野党であった自民党の反対により法案から削除されてしまった(48)。また、一九九三年六月二三日の東京高裁決定(49)および一九九四年一一月三〇日の東京高裁判決(50)において違憲と判断された民法九〇〇条四号但書の非嫡出子相続分規定についても同じことがいえるであろう。当該規定の問題点を指摘する違憲判決・決定の後、一九九五年七月五日の最高裁決定(51)において、これを合憲とする判断が示されたが、政治部門は、合憲という結果に安住するのではなく、下級審の違憲判決によって明らかにされた問題点も考慮しながら、慎重に対応を検討することを求められるといえる。なお、この事例は、下級審の違憲判決にたいする立法的対応の問題として論じることもできるが、最高裁決定にも当該規定の問題点を指摘し立法的対応を示唆する意見が含まれており、むしろ、これにたいする対応の問題として取り上げる必要があるだろう。この点については後で検討する。

  このように、最高裁判所の違憲判決だけでなく、下級審の違憲判決についても、政治部門の立法的対応が問題となる場合がある。そしてさらに、違憲判決が下されなくても、裁判所が政治部門によって解決されるべき問題が存在することを認識したうえで、立法的対応を示唆することがあり、ここでも対応の問題を論じることができる。次章では、このような事例について検討することにしたい。

(1)  最大判昭和四八(一九七三)年四月四日刑集二七巻三号二六五頁。

(2)  和田英夫「違憲判決の効力をめぐる論理と技術」法律論叢四八巻四・五・六号一六頁以下を参照。

(3)  和田英夫教授によれば、通達の内容は、次の通りであった。「このたび、最高裁判所において、尊属殺の罪に関する刑法第二百条は、憲法に違反し無効であるとの判断がなされた。今回の判決の趣旨は、多数意見によると、刑法第二百条は、その法定刑が死刑及び無期懲役のみとされ、いかに酌量すべき情状があっても重い刑を言い渡さなければならないとしている点で、普通殺人の罪に関する同法第百九十九条の法定刑が三年以上の有期懲役をも含んでいるのに比し、不合理な差別を設けるものであるから、憲法第十四条に違反するというものである。したがって、同法第二百条に規定する罪により刑に処せられた者のうち、酌量すべき情状があったにもかかわらず、法定刑が死刑及び無期懲役のみであるため、重い刑を言い渡されたと認められるものについては、その是正方を個別恩赦(減刑又は刑の執行の免除)により配慮することが望ましいと思料される。ついては、この種の事案に対する適正、かつ、公平な取り扱いを期するため、上申権者においては、本人からの出願のあったもの以外の各事案についても、関係機関との緊密な連絡のもとに、その犯情のほか、行状、犯罪後の状況等を勘案のうえ、恩赦相当と認められるものについては、できるだけすみやかに職権により恩赦上申手続をとられるよう特段の配慮を煩わしたく、命により通達する」(和田英夫・前掲論文一六頁以下)。

(4)  刑法改正準備会『改正刑法準備草案附同理由書』(一九六一年)二六四頁。

(5)  法制審議会『改正刑法草案附同理由書』法務省(一九七四年)二二三頁以下。

  また、同年八月に出された、法務省刑事局『刑法改正をどう考えるか』においても、次のような理由が示されている(四五頁以下)。   「今の刑法では、自分や配偶者の父母、祖父母などの尊属を殺した場合は、普通の殺人罪の刑が死刑、無期、三年以上の懲役であるのに対し、死刑か無期懲役のいずれかで処罰されるように規定されています(二〇〇条)。

  しかし、この規定について、最高裁判所は、昭和四八年四月、刑罰が死刑か無期懲役かというのはあまりにも重く、どのように同情すべき事情があっても刑の執行を猶予することができないことなど、普通の殺人と比べて著しく不合理な差別的取扱いをしている点で、憲法の定める法の下の平等に違反するという判決をしました。この判決は、父母などに対する殺人の刑が普通の殺人の刑に比べあまりにも重すぎるとして憲法違反の判断をしたもので、父母に対する殺人の刑を普通の殺人の刑よりも重くすること自体が憲法違反であるとしているのではありません。したがって、普通の殺人罪の刑よりもいくらか重い刑を尊属に対する殺人罪に定めるかどうかは、憲法違反かどうかの問題ではなく、全く立法政策の問題なのです。

  最近における尊属殺人事件の実情をみますと、同居中の親子間における感情的ないざこざが原因になっているものが大部分で、とくに、被害者である親の方にかえって非があり、犯人である子の方に相当同情せざるをえない事情のある事件が少なくないのです。もちろん、責むべきところのない父母を利己的な動機から殺害する場合などには、厳罰をもってのぞむ必要がありますが、普通の殺人罪としても死刑や無期懲役にすることはできるのですから、尊属に対する殺人を一律に重く取り扱うよりも、通常の殺人罪の規定を使う方が妥当な結論をえられると考えられます。このため、草案では尊属殺人の規定を設けなかったのです。

  また、今の刑法に規定されている尊属傷害致死、尊属遺棄、尊属逮捕監禁などの罪についても、尊属以外の者に対する場合と変わらない刑が言い渡されているという裁判の実情などを考慮して、特別の規定を設けないことにしています。

  なお、諸外国でも、ドイツやハンガリーでは父母に対する殺人などを重く罰する規定を削除しており、いまなおこの種の規定をおいているのは、フランス、ベルギー、ポルトガルなど少数の国だけです」。

(6)  諮問の内容につき、三浦透「表記の平易化等のための刑法改正について」法律のひろば一九九四年九月号、一〇月号、一一月号で紹介されている。

(7)  この附帯決議につき、亜生光洋・井上宏・三浦透・園部典生「刑法の一部を改正する法律について」ジュリスト一〇六七号一〇頁を参照。

(8)  三浦透「表記の平易化等のための刑法改正について」(前掲)一九九四年九月号五五頁を参照。

(9)  亜生光洋・井上宏・三浦透・園部典生・前掲論文二二頁。

(10)  法制審議会における審議と答申については、亜生光洋・井上宏・三浦透・園部典生・前掲論文一一頁以下を参照。

(11)  第一三二回国会衆議院法務委員会議録六号一九頁。

(12)  同一九頁以下。

(13)  同二〇頁以下。

(14)  第一三二回国会衆議院会議録一六号八頁。

(15)  第一三二回国会衆議院法務委員会議録六号一一頁。

(16)  第一三二回国会参議院会議録一六号一二頁。

(17)  この事例については、蛯原健介「法律による憲法の具体化と合憲性審査(四・完)」立命館法学二五五号二二〇頁を参照。

(18)  第一三二回国会衆議院法務委員会議録五号八頁。

(19)  同六号一二頁。

(20)  第一三二回国会参議院法務委員会会議録八号二頁。

(21)  同九号二〇頁。

(22)  第一三二回国会参議院法務委員会会議録八号二頁。

(23)  最大判昭和六二(一九八七)年四月二二日民集四一巻三号四〇八頁。

(24)  第一〇八回国会衆議院農林水産委員会議録三号一一頁。

(25)  同四二頁。

(26)  同四二頁。

(27)  同四二頁。

(28)  同四三頁。

(29)  第一〇八回国会参議院農林水産委員会会議録六号一五頁。

(30)  同一五頁。

(31)  多数意見に示された必要最小限度の面積という基準について、中尾英俊教授は、次のように述べている。「現在、森林法にもとづき各地域の実情に即した地域森林計画が作成される(都道府県知事作成)のであるから、それぞれの地域において森林経営に必要な最低面積を定めることは決して不可能ではない・・・。森林所有の最低面積を法定することにどれだけの意義があるか不明であるが(すでにその最低面積を下まわる森林が無数にある)、仮にそれを定めるならば、分割の結果それ以下の面積になる場合にのみ分割を禁止もしくは制限(たとえば都道府県知事の許可にかからしめるなど)すればよい」(中尾英俊「共有林分割制限の違憲性」ジュリスト八九〇号七七頁)。

(32)  中尾英俊・前掲論文七八頁。

(33)  第三者所有物没収違憲判決(一九六二年一一月二八日)に応じて、一九六三年には「刑事事件における第三者所有物の没収手続に関する応急措置法」が立法化された。また、薬事法距離制限規定違憲判決(一九七五年四月三〇日)に応じて、議員立法として「薬事法の一部を改正する法律案」が提出され、同年六月六日に成立した。これらの対応の詳細については、蛯原健介・前掲論文(四・完)二一三頁以下を参照。

(34)  戸松秀典「違憲判決と立法の対応」ジュリスト八〇五号一五一頁。また、大林文敏教授は、長期間にわたって立法的対応がとられなかった理由について、次のように述べている。「立法部の懈怠の背景には、一つには判決の内容が一義的ではないこと、もう一つには政党間の意見の一致がないこと、しかしながら本音のところは・・・行政部の早急な対応措置により実務上の不都合が生ぜず、かつ国会の放置状態が国政上直ちに重大・緊急な事態を招くことがないからであると推測される」(大林文敏「憲法判断のインパクト論」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第三巻)有斐閣(一九八七年)二七四頁以下)。このような大林教授の分析においては、実務上の対応が早急になされたことがかえって立法的対応を遅らせる結果になったというパラドクスが注目される。

(35)  戸松秀典・前掲論文一五一頁。

(36)  小林武「経済的自由規制立法と最高裁判所」南山法学一一巻二号一四四頁を参照。

(37)  戸松秀典・前掲論文一五一頁。

(38)  神戸地尼崎支判昭和三四(一九五九)年五月二八日下刑集一巻五号一三二〇頁。

(39)  最大判昭和三七(一九六二)年五月二日刑集一六巻五号四九五頁。この判決において、最高裁判所は、道路交通取締法施行令六七条二項における「事故の内容」という文言につき、道路交通法の規定を援用して、「『事故の内容』とは、その発生した日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等、交通事故の態様に関する事項を指すべきものと解すべきである」と合憲解釈をおこなった。

(40)  東京地判昭和四三(一九六八)年七月一五日行集一九巻七号一一九六頁。

(41)  神戸地判昭和四七(一九七二)年九月二〇日行集二三巻八・九号七一一頁。

(42)  最大判昭和五七(一九八二)年七月七日民集三六巻七号一二三五頁。

(43)  大阪高判平成五(一九九三)年一二月二六日判タ八三八号八五頁。

(44)  たとえば、参議院議員定数配分に関して、一九九三年一二月二六日の大阪高裁の違憲判決の後でおこなわれた「八増八減」の定数是正によって最大較差は若干縮減されたものの、一九九六年九月一一日の最高裁判決には、「四人区以上の選挙区間の較差が最大で三倍を超える選挙区が依然として三選挙区も存在するのであるから、右の改訂によりその違憲状態が解消されたとみることは困難である」とする遠藤裁判官の追加反対意見が付されており、なお立法的対応について検討する余地があることが明らかにされた。

(45)  松山地西条支判昭和五三(一九七八)年三月三〇日判時九一五号一三五頁。

(46)  松江地出雲支判昭和五四(一九七九)年一月二四日判時九二三号一四一頁。

(47)  広島高松江支判昭和五五(一九八〇)年四月二八日判時九六四号一三四頁。

(48)  戸別訪問の解禁をめぐる国会審議につき、藤田達朗「戸別訪問禁止をめぐる国会審議と立法事実」政策科学三巻三号が詳細な分析をおこなっている。

(49)  東京高決平成五(一九九三)年六月二三日判時一四六五号五五頁。

(50)  東京高判平成六(一九九四)年一一月三〇日判時一五一二号三頁。

(51)  最大決平成七(一九九五)年七月五日民集四九巻七号一七八九頁。


  本稿は、平成一〇(一九九八)年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。