立命館法学  一九九八年四号(二六〇号)




憲法院判例における合憲解釈と政治部門の対応
(二・完)

憲法院と政治部門の相互作用の視点から


蛯原健介






目    次
は じ め に

第一章  憲法院判例の展開と合憲解釈をめぐる学説

  第一節  合憲解釈をめぐる学説の概観

  第二節  合憲解釈の統計分析

第二章  合憲解釈の事例研究

  第一節  限 定 解 釈

  第二節  建設的解釈          (以上二五九号)

  第三節  指 令 解 釈

    1  抽象的指令解釈

    2  具体的指令解釈



  第四節  小    括

    1  合憲解釈の利用範囲に関する議論状況

    2  合憲解釈の実際的効果

第三章  合憲解釈にたいする政治部門の対応

  第一節  政治部門の対応事例

  第二節  合憲解釈にたいする対応の可能性

  第三節  小    括

まとめにかえて                (以上本号)




第二章  合憲解釈の事例研究


第三節  指令解釈

  指令解釈は、憲法院が行政機関などの法適用機関にたいして一定の指令を差し向け、その機関が法適用にあたってその指令の内容にしたがうことを要請するものである。指令解釈の対象となった法律は、法適用機関が指令の内容にしたがった法適用をおこなう限りにおいて合憲性を認められることになる。ティエリー・ディマンノによれば、その指令の内容が抽象的であるか、具体的であるかによって、指令解釈は抽象的指令解釈と具体的指令解釈に分類される(1)

  1  抽象的指令解釈

  ディマンノも指摘するように、抽象的指令解釈は、授権法律の合憲性審査において示される場合がある(2)。たとえば、憲法院は、一九八二年一月五日判決(3)において、年金収入と勤労収入との単純併給の制限につき政府に授権する法律を審査し、抽象的指令解釈を示した。憲法院の審査に付された規定は、政府の授権範囲として、「年齢、所得および扶養家族数に応じて、年金収入と勤労収入との起こりうる単純併給を制限すること」を定めていたが、提訴者は、「各人は、勤労の義務および雇用を受ける権利をもつ」と定める一九四六年憲法前文五項に本件規定が違反すると主張した。
  これにたいして、憲法院は、提訴者の主張を退けながらも、つぎのような指令解釈を示した。すなわち、単純併給の制限を政府に授権する問題の規定は、「政府が、憲法三八条を適用してみずからに与えられた権限を行使する場合に、とりわけ自由、平等および所有権に関する憲法的原理を尊重しなくてもよいとする目的も効果ももたらすことはできない」のであり、その規定は、「それ自体、憲法に反するものではない」というものであった。
  この解釈は、政府が、単純併給を制限するオルドナンスを定める場合、自由、平等および所有権に関する憲法的原理を尊重することを命じるものとなっている。しかし、政府に差し向けられた指令の内容は、これ以上明確ではなく、抽象的なものにとどまっているといえる。
  同様に、一九八六年六月二五日および二六日判決(4)において、憲法院は、民営化の実施を政府に授権する法律を審査し、抽象的な内容の指令解釈を政府に差し向けた。本件法律四条は、同法五条に定められた条件にしたがい、オルドナンスにより、遅くとも一九九一年三月一日までに公的セクターの企業が民営化される旨規定し、また同法五条は、公布後六か月以内に、憲法三八条の定める条件にもとづき、民営化の対象となる企業の評価方法および売却価格などの決定を政府に授権することを規定していた。この規定につき、提訴者は、公的セクターの企業が不当に安い価格で民間に売却されることになり、そのことは、市民の利益を害するような不当な利益を当該企業の買収者に与えることで平等原理に反するにもかかわらず、それを防ぐための措置が定められていない、などとして異議を申し立て、本件法律が憲法院の審査に付されたのである。
  憲法院は、提訴者の訴えを退けながらも、つぎのような指令を政府に差し向けた。すなわち、企業の民営化は、国有財産の利益をそこなわない価格で、国の中立性を尊重しながらおこなうこと。民営化される企業の買主の意向に左右されてはならないこと。国の中立性は守られなければならないこと。地方自治体に関係する企業の民営化については、問題の規定は、憲法七二条に定められた地方自治体の自由な行政の原理(5)を尊重するものでなければならないこと。そして、国の公役務または事実上の独占の性格を有する企業の公的性格に関する一九四六年憲法前文九項(6)の規定は、尊重されなければならないことである。なお、この判決には、より具体的な内容をもつ指令解釈も含まれていたが、これについては具体的指令解釈を検討する際に取り上げることにしたい。
  ところで、授権法律以外の法律についても、抽象的指令解釈が示される場合がある。たとえば、憲法院は、前述した一九九四年一月二一日判決(7)において、視聴覚高等評議会に指令を差し向けている。憲法院の審査に付された法律は、同評議会が一定の条件でテレビ・ラジオ局の営業許可を更新できる旨規定していたが、提訴者は、この規定が憲法により保障された多元主義の尊重に反するとして、異議を申し立てた。
  これにたいして、憲法院は、提訴者による主張を退けつつも、本件規定につき、「視聴覚高等評議会は、前回の許可を交付された後の放送局の活動を考慮し、当該放送局の契約に関する包括的な新たな審議において、思想と意見の自由で多元的な表明の保障をはかる義務を尊重するよう留意しなければならない」という指令を同評議会に差し向けた。また、行政機関などの政治部門にたいする指令とは別に、憲法院は、「行政裁判所は、多元主義の目的の尊重にとりわけ留意しなければならない」とする指令も示している。
  以上のような抽象的指令解釈は、法適用機関にたいして、行動の一般原理、あるいは、いくつかの憲法的原理−たとえば、「自由、平等および所有権に関する憲法的原理の尊重」、「地方自治体の自由な行政の原理の尊重」、「思想と意見の自由で多元的な表明の保障」、「多元主義の目的の尊重」等々−を想起させるにとどまるものである。したがって、指令を差し向けられた法適用機関が、そのような一般的な解釈から具体的な行動方針をはっきりと読みとることはかならずしも容易ではないといえよう。
  ディマンノもまた、抽象的指令解釈について、以下のように評価している。すなわち、憲法院は、憲法に反するわけではないが、憲法の要請を考慮した適用方式が必要となる法律について、抽象的指令解釈によって合憲性コントロールを及ぼそうとするが、その解釈は、法適用の場面に憲法的原理を導入するために有益ではあるとはいえ、指令の名あて人が憲法的原理に一致するためにいかに行動すべきか、をまったく指示していない。そして結局、抽象的指令解釈は、法適用レベルでの有効なコントロールを可能にする手段を裁判官に与えるものである、と述べている(8)

  2  具体的指令解釈

  ディマンノによれば、具体的指令解釈の目的は、明確な指令によって、法適用に直接かかわる機関を指導しながら、憲法に適合する法適用を保障することにある(9)。そして、ある法律がその適用について行政機関の広い裁量権を認める場合には、憲法院がその行政機関に具体的指令解釈を差し向ける傾向があるとされる(10)
  たとえば、一九八二年二月一一日判決(いわゆる国有化法第二判決(11))において、憲法院は、国有化の対象となる非上場銀行の価格を算定する全国評価行政委員会(Commission administrative nationale d’e´valuation)にたいして、さまざまな具体的指令を出している。憲法院の審査に付された法律は、一八条二項において、以下のように規定していた。
「全国評価行政委員会は、一九八二年六月三〇日現在の非上場銀行の株式の交換価格を、一九八二年六月三〇日に決定する任務を負う。同委員会は、このために、市場における上場銀行の平均株価と上場銀行の純資産額および純益との間に認められる比率を考慮して、非上場銀行の純資産額および純益にもとづいて一九八一年一二月三一日における非上場銀行の株式の取引価格を決定する。その取引価格は、一九八二年上半期中にこれに影響を及ぼした状況を考慮して調整される」。
  この規定につき、提訴者は、全国評価行政委員会の価格算定方式が不明確であり、同委員会の広い裁量権が認められることから、正当な補償の原則が侵害されるなどとして、異議を申し立てた。
  これにたいして、憲法院は、提訴者の主張を退ける一方で、「全国評価行政委員会は、一九八一年一二月三一日における株式の取引価格を定める任務を立法者から受けた。その価格は、仮に株式が上場されていた場合において、この証券に与えられると想定される証券市場での取引価格に相当するものでなければならない。そして、その価格は、概算にとどまるのはやむを得ないにしても、適切な概算額でなければならない」と述べたうえで、同委員会に具体的指令解釈を差し向けた。すなわち、憲法院の指令によれば、全国評価行政委員会は、銀行ごとに異なる管理方法・会計処理方法が補償の評価に影響を及ぼすことがないように、価格算定の際に各銀行の経済的・財政的特徴を考慮する役割を担い、また、裁判官のコントロールのもとで、子会社の存在や規模などに応じて、各銀行に固有の状況をもっとも特徴的に示す純資産および純益を選択する役割を担う。そして、憲法院は、全国評価行政委員会が、非上場銀行にもっとも近い客観的な経済的・財政的特徴をもつ上場銀行の比率に同委員会の算出した比率を照合し、各々の非上場銀行に固有の状況に応じて必要な修正をおこなう役割を担い、同委員会が、比較可能な上場銀行を非上場銀行と対比させて、可能な限り客観的で正当な補償がなされるような取引価格を定める権限を有する、という指令も差し向けた。さらに、憲法院は、一九八二年上半期の業績を考慮した配当金の支給が期限内に決定されなかった場合には、全国評価行政委員会が、一九八一年度に支払われた配当金と同等の特典を株主に付与する、との指令も示した。
  以上のように、憲法院は、全国評価行政委員会が非上場銀行の株式の取引価格を適切に算定し、正当な補償がおこなわれるように、算定方法に関する具体的な指令を差し向けたのである。
  授権法律の合憲性審査に際しても、憲法院は、中和解釈や建設的解釈を併用しながら、具体的指令解釈を加える場合がある。たとえば、民営化に関する一九八六年六月二五日および二六日判決(12)において、憲法院は、民営化される企業の価格算定に関する授権法律の規定を審査し、具体的指令を政府に差し向けている。前述のように、憲法院の審査に付された法律は、民営化の対象となる企業の評価方法および売却価格などの決定を政府に授権する旨規定していたが、この規定につき、提訴者は、公的セクターの企業が不当に安い価格で民間に売却されることになり、そのことは、不当な利益を当該企業の買収者に与えることで平等原理に反するにもかかわらず、本件規定にはそれを防ぐための措置が定められていない、などとして異議を申し立てた。
これにたいして、憲法院は、提訴者の主張を退けながらも、すでにみた抽象的指令解釈に加え、以下のような具体的指令解釈を政府に差し向けた。
「(問題の規定は)買収者から完全に独立した資格ある専門家が移転の対象となる企業の価格を算定するという規定をオルドナンスに定めることを政府に義務づけるものと解されなければならない。その算定は、株券の取引価格、資産価値、得られた収益、子会社の存在、将来の見通しを各々の場合にふさわしい割合で考慮して、会社資産の全部または一部の譲渡について現在実施されている客観的な方法に応じて実施されなければならない。同様に、買収者の提示する価格が、この算定額未満か、あるいは同額の場合には、オルドナンスは移転を禁じなければならない」。
  ここで、憲法院は、民営化される企業の価格算定方法に関して、このような具体的指令を示すことによって、政府がこの指令の内容にしたがってオルドナンスを制定し、適切な価格で当該企業が民営化されることを求めたものといえる。
  このような具体的指令解釈は、一般的な行動原理を指示するにとどまる抽象的指令解釈に比較すれば、概して明確で具体的な指針を含んでいる。しかも、その指令の内容は、技術的なものが多い。したがって、そのような指令を差し向けられた機関は、一般的には、比較的容易に具体的な行動をとることができるであろう。

第四節  小      括

  以上、ティエリー・ディマンノによる分類に依拠しつつ各種の合憲解釈が示された事例をみてきた。これをふまえたうえで、合憲解釈をめぐる二つの問題に言及しておきたい。すなわち、ひとつは、憲法院による合憲解釈の利用範囲について何らかの限界づけがみられるか、という問題である。そしてもうひとつは、合憲解釈の実際の効果にかかわる問題である。合憲解釈は、政治部門に何らかの具体的対応を強制するものではないが、実際的には、政治部門は、その解釈にたいして法適用レベルの対応を求められ、場合によっては、立法レベルの対応をも求められることがあり、その意味では、合憲解釈の実際的効果が期待されるのである。さらに、そのような期待に応えて、政治部門が実際にいかなる対応をこころみているか、についても検討を加える必要があるが、この問題は次章で取り上げることにしたい。

  1  合憲解釈の利用範囲に関する議論状況

  まず、憲法院が合憲解釈の手法を用いるにあたり、その利用範囲につき、何らかの限界が存在するか、という問題が存在する。わが国においては、合憲解釈の限界づけの問題、つまり、いかなる場合に合憲解釈の手法を用いることができ、いかなる場合に違憲無効が選択されなければならないかについて、少なからぬ議論の蓄積がみられるが、フランスにおいてもこの種の議論の展開が確認されるのであろうか。
  この点につき、ディマンノは、イタリアとの比較をとおして、合憲解釈と違憲無効のいずれが選択されるかの問題に言及している。ディマンノによれば、イタリアにおいては、解釈の対象となった規定は、憲法裁判所の示した解釈に反する法適用をもたらす危険をはらんでいる限りにおいて、違憲と判断される。これにたいして、フランスにおいては、違憲判断をみちびく解釈が可能であっても、憲法院の示した憲法に適合する解釈にしたがって法適用をおこなうことが可能な場合には、解釈の対象となった規定は、法適用者がそのような合憲解釈にしたがう限りにおいて、合憲と判断されることになる。したがって、フランスでは、合憲解釈のアプローチが用いられると、提訴者による違憲の主張は退けられるのにたいし、イタリアでは、違憲の主張が受け入れられることになり、両者の結論は正反対である。そこで、ディマンノは、イタリアのシェーマは明確であり明晰であるが、フランスのそれは不透明である、というのである(13)
  このように、フランスで一般に用いられている合憲解釈は、提訴者による違憲の主張を退け、合憲という結果をもたらすものであることから、ストレートに違憲無効の結果をみちびくイタリアの手法と比較した場合、たしかに問題なしとはいえない。たとえフランスの憲法院が合憲解釈の手法を用いることによって憲法に適合する法適用が求められることになるとしても、解釈の対象となった規定の審署・公布は妨げられず、また、法適用については憲法院の直接的コントロールが及びえないため、憲法院の解釈に反する法適用を完全に回避することは困難である。これにたいして、イタリアのように違憲無効とされれば、当該規定の審署は不可能になることから、その規定が憲法院の解釈に反する仕方で適用される事態は未然に防ぐことができるのである。したがって、フランスでおこなわれる合憲解釈よりも、イタリアのように違憲無効とされるほうが、合憲性コントロールの厳格性の点ではより徹底したものであるといえよう。
  しかし、ディマンノは、違憲無効の結果にいたるイタリアのコントロール形態と合憲の結果にいたるフランスのそれとの相違が存在するにしても、両者とも、立法者にたいする批判をおこない、立法者の「手落ち」を埋め合わせ(14)、あるいは、憲法に適合する法適用を保障する(15)点では共通すると解しており、結果からいえば積極的役割をはたすものと評価しているようである。そのような目的をもつものである限り、フランスにおける合憲解釈の手法は、積極的評価を与えられることになろう。
  とはいえ、合憲解釈ではなく、ストレートに違憲無効が選択されなければならない場合も存在するはずであり、そのような場合を明確に画定しておくことは、やはり必要であろう。このような観点から、わが国では、合憲解釈の限界に関する議論が展開されているのであり、たとえば、「立法目的および法文の意味が適切な資料から明らかにされ、それによれば違反となり、それ以外に合理的な解釈が成り立つ可能性がない場合には、法令を書き直すような形で、違憲判断ないし合憲・違憲という法令の効力の判断を回避してはならない(16)」という見解や、人権のカタログにおいて優越的地位にあると考えられる表現の自由については、他の人権と比較し、合憲解釈の余地をできるだけ制限すべきとする見解(17)が主張されている。これにたいして、フランスにおいては、わが国ほどの議論の進展はみられないものの、ディマンノが、合憲解釈の利用範囲について二つの限界を定めているのが注目に値する(18)
  ディマンノは、憲法院が合憲解釈を用いるべきではない領域として、第一に、犯罪構成要件にかかわる法律をあげている。かれの述べるところによれば、法律は、一七八九年宣言八条の定める罪刑法定主義に適合するために、十分に明白な表現を用いて犯罪と刑罰を規定しなければならず、憲法裁判官は、あいまいで不明確な規定について、原則的に違憲無効と判断しなければならない、とされる(19)。そして、合憲解釈は、構成要件を拡大し、または刑罰を重くする結果をもたらす方向で用いることはできないが、憲法の要請に照らして、構成要件を限定し、または刑罰を軽くする結果をもたらす方向で合憲解釈の手法を利用することは可能である、という(20)
  また、ディマンノは、合憲解釈の利用が避けられるべき第二の領域として、合憲解釈の結果、財政支出の増加が発生する場合をあげている。たとえば社会保障に関する法律などについて、平等原理に照らして保障の範囲や程度が不十分であると判断されるような場合には、憲法院は、問題解決の方法として、合憲解釈の手法を用いて一方的に政治部門に新たな財政支出を要請するのではなく、さしあたり違憲無効と判断して当該規定の審署・公布を阻止し、政治部門に問題解決をゆだね、憲法に適合する新たな立法に向けて再検討をおこなう機会を政治部門に与えている、とされる(21)。かれは、このような憲法院の態度を基本的に評価しており、財政支出を増加させ、公的負担を増大させる方向で合憲解釈の手法が用いられてはならないのであって、いわば「財布の紐」を握るのはつねに立法者である、というのである(22)
  ディマンノは、以上のような二つの限界を定めるのであるが、かれも認めるとおり、フランスでは、合憲解釈の限界をめぐるこの種の議論は、イタリアと比較しても、大きな関心を集めるにはいたっていないのが現状であるといえよう(23)

  2  合憲解釈の実際的効果−法適用レベルの対応・立法レベルの対応

  合憲解釈の手法は、一方では、提訴者による違憲の申し立てを退け、解釈の対象となった規定の審署・発効を可能にする効果をもたらす。しかし他方で、その手法は、政治部門に一定の解釈を求め、その解釈にしたがうことを条件として合憲性を認めるものであり、実際的には、多かれ少なかれ政治部門にたいして何らかの対応を迫る効果ももたらす。ただし、すでに指摘したように、政治部門が対応をとらなくとも、あるいはとられた対応措置の内容が憲法院の解釈に照らして不十分であったとしても、憲法院はそのことを理由に政治部門を直接的にサンクションすることはできない。政治部門の対応にたいする裁判的統制としては、司法裁判所や行政裁判所によるコントロールを期待しうる程度である。したがって、合憲解釈が何らかの効果をもたらすにしても、それは、かならずしも絶対的・強制的なものではなく、政治部門の取り組みに左右されるものであるといえよう。
  ところで、合憲解釈にたいする政治部門の対応形態には、法適用レベルの対応と立法レベルの対応の二つがある。主として、前者の対応をとるのは、政府をはじめとするさまざまな行政機関であり、後者の対応をとるのは、立法府である。法適用レベルの対応は、限定解釈、建設的解釈、指令解釈のすべてにおいて必要となるのにたいし、立法レベルの対応は、かならずしもそうではない。とりわけ指令解釈が示された場合には、たしかに、立法者が明確な規定を定めていなかったことを暗に批判し、法律の修正を要請するものとしてその解釈をとらえることもでき、その点では、立法レベルの対応が問題にされなければならないが、たいていの場合、指令を直接的に差し向けられるのは、行政機関などの法適用機関であるから、まずは法適用レベルの対応が問題になるといえよう。そして、法適用レベルの対応では十分ではなく、また、憲法院の指令に反するような仕方で法適用がおこなわれる危険が実際に予測される場合に、はじめて立法レベルの対応が考慮に入れられることとなろう。
  法適用レベルの対応にとどまらず、さらに立法レベルの対応が問題になるケースとして、本章第二節で取り上げたつぎの事案を考えてみたい。ビデオ監視に関する一九九五年一月一八日判決において、「現行犯捜査、予備捜査、裁判上の情報収集の場合を除いて、(ビデオ監視フイルムの)記録は、許可により定められた最長期間内に廃棄される。この期間は、一か月を超えてはならない」と規定していた「保安指針・計画法」一〇条四項について、憲法院は、「立法者は、ビデオ監視の記録が・・一方ではその廃棄が証明されなければならないこと、他方ではこれらの複製または操作が一切禁じられることを規定したものとみなされなければならない」とする付加的建設的解釈を示した。この場合、まずは、行政機関がこの解釈にしたがった法適用をおこなうこと、すなわち、原則として、一か月以内にビデオ監視フィルムの記録内容が消去され、さらに、その消去が証明され、記録の複製・操作も禁じられることが要請される。しかし、この建設的解釈を実効的なものにし、人権侵害を完全に防ぐためには、法適用レベルの対応のみならず、立法レベルの対応も検討されるほうが望ましいといえよう。立法レベルの対応としては、たとえば、当該規定に「この記録は、その廃棄が証明されなければならず、その複製または操作は一切禁じられる」という文言を法改正によって挿入することが考えられる。
  結局、合憲解釈が政治部門の対応を法的に強制するものではないにしても、実際的にいえば、合憲解釈が示された場合、法適用レベルでは、法適用機関が憲法院の解釈に適合する法適用を求められることになり、さらには、立法レベルにおいても、憲法院の解釈に反する法適用を完全に防ぐために、立法者が憲法院の解釈に照らして法律の規定を修正することが必要になる場合もある。政治部門は、「合憲」という結果に安住し、合憲解釈にたいする対応を放置するのではなく、その合憲解釈に含まれるいわば「メッセージ」を検討したうえで、当該法律の適用に際しては、少なくとも法適用レベルの対応をとり、さらに必要に応じて、立法レベルの対応も考慮に入れるよう求められるのであり、法適用レベル・立法レベルにおける適切かつ迅速な対応を通じて、憲法的価値がよりよく実現されることになるといえる。
  そこで、次章では、政治部門が、合憲解釈に示された要請にたいして、実際にどれだけ対応しているか、あるいは対応をこころみているかを分析し、さらには、政治部門の対応のあり方について検討を加えることにしたい。

(1)  Thierry Di Manno, Le juge constitutionnel et la technique des de´cisions 《 interpre´tatives 》 en France et en Italie, Economica, 1997, pp. 293 et s.

(2)  Ibid., p. 296.

(3)  C.C. 81-134 DC du 5 janvier 1982, voir Thierry Di Manno, op. cit., p. 296.

(4)  C.C. 86-207 DC des 25 et 26 juin 1986, voir Thierry Di Manno, op. cit., pp. 296 et s. いわゆる民営化判決については、村田尚紀『委任立法の研究』日本評論社(一九九〇年)五八八頁以下、ルイ・ファヴォルー「憲法訴訟における政策決定問題−フランス」(樋口陽一・山元一訳)日仏法学会編『日本とフランスの裁判観』有斐閣(一九九一年)二六四頁以下、大河原良夫「フランス憲法院と法律事項(四・完)」東京都立大学法学会雑誌三一巻一号二五四頁以下、蛯原健介「法律による憲法の具体化と合憲性審査(二)」立命館法学二五三号一〇三頁以下などを参照。

(5)  一九五八年憲法七二条二項は、つぎのように規定する。「これらの(地方公共)団体は、選出された議会により、法律の定める条件にしたがって、自由に自治をおこなう」。

(6)  一九四六年憲法前文九項は、つぎのように規定する。「すべての財産、すべての企業で、その事業が、全国的な公役務または事実上の独占の性格をもつかあるいはその性格を取得したものは、公共の所有に属さなければならない」。

(7)  C.C. 93-333 DC du 21 janvier 1994, voir Thierry Di Manno, op. cit., p. 298.

(8)  Thierry Di Manno, op. cit., p. 299. さらに、ディマンノは、つぎのように続ける。「憲法院は、抽象的指令解釈の手法を用いて、法適用に直接かかわる機関が、憲法にしたがってその権限を十分に行使するよう促すこともできる。けれども、これらの指令の名あて人は、憲法の要請を充足させるためにその権限を行使することを強制されるわけではない。そこで、憲法院は、憲法にしたがって、立法者が定めた法適用の場面での保障に言及した後で、『司法機関および行政機関には、それらの完全な尊重を監視する義務があり、管轄権を有する裁判所には、犯される違法を審査し、必要な場合には処罰し、そして場合によっては、それらの損害を補償する義務がある』と付言することがある」(p. 299)。なお、ここで引用されている判決は、一九八一年一月一九日および二〇日のいわゆる「安全と自由」判決(C.C. 80-157 DC)である。この判決については、ルイ・ファヴォルー・前掲論文二五八頁以下を参照。

(9)  Ibid., p. 312.

(10)  Ibid., p. 313.

(11)  C.C. 82-139 DC du 11 fe´vrier 1982, voir Thierry Di Manno, op. cit., pp. 313 et s. 国有化法を全部違憲とした一九八二年一月一六日判決(C.C. 81-132 DC)、そして、修正された国有化法を合憲とした本件一九八二年二月一一日判決については、わが国でも多数の紹介が存在する。たとえば、野村敬造「フランスの国有化法の合憲性審査(一−三)」ジュリスト七六九号−七七一号、中村睦男「フランス憲法院の役割と機能」法学セミナー二六巻七号、奥島孝康「フランスの企業国有化法と憲法院判決」法学教室二一号、矢口俊昭「国有化判決の意味」法律時報五五巻五号など。

(12)  C.C. 86-207 DC des 25 et 26 juin 1986, voir Thierry Di Manno, op. cit., pp. 314 et s.

(13)  Thierry Di Manno, op. cit., pp. 219 et 253. なお、イタリアの憲法裁判における解釈的判決については、永田秀樹「イタリアの憲法裁判」覚道豊治先生古稀記念論文集『現代違憲審査論』法律文化社(一九九六年)を参照。

(14)  Ibid., p. 258.

(15)  Ibid., p. 317.

(16)  芦部信喜「法令の合憲解釈」ジュリスト増刊『憲法の争点』(新版)有斐閣(一九八五年)二六一頁。

(17)  たとえば、大西芳雄教授は、以下のように述べ、思想および表現の自由については、その他の権利や自由の場合と比べて、合憲解釈の利用が一定程度制限されることを指摘している。

  「思想および表現の自由に関する法律については、一般と異る取扱をなすべきことが要求される。その根拠は、思想および表現の自由のもつ社会生活、特に民主的国家運営の上での必要不可缺な性質に求められる。表現の自由を制限する法律については、その他の法律と異り、合憲を主張する側に立証責任が課せられる。けだし、表現の自由は本来制限されてはならないものであるからである。したがって表現の自由を制限する法律の場合は、その合憲性が疑われたときには、それが本当に『公共の福祉』のため必要であったこと、ならびにその必要の限度を越えない規制であることを立証しなければならない。漠然とした構成要件や、広汎にすぎる規制は、その漠然さと広汎さのために、それが『公共の福祉』のため必要であることを立証することは極めて困難である。そのためそのような法律は違憲と宣告されるのであって、この場合には合憲性の推定は成立しないし、従って合憲的解釈の余地もない、ということになる」(大西芳雄「『憲法に適合する解釈』について」立命館法学一〇五=一〇六号二五頁)。

(18)  Thierry Di Manno, op. cit., pp. 402 et s.

(19)  Ibid., pp. 404 et s.

(20)  Ibid., p. 406. なお、ディマンノは、構成要件を拡大し、または刑罰を重くする結果をもたらす方向で用いられる合憲解釈を「悪しき解釈付判決」(de´cisions 《interpre´tatives》 in malam partem)と呼び、憲法の要請に照らして、構成要件を限定し、または刑罰を軽くする結果をもたらす方向で用いられる合憲解釈を「よき解釈付判決」(de´cisions 《interpre´tatives》 in bonam partem)と呼んでいる。後者の事例としては、一九八四年一〇月一〇日および一一日判決(C.C. 84-181 DC)、一九八九年七月二八日判決(C.C. 89-260 DC)があげられている。これにたいして、「悪しき解釈付判決」は、イタリアにもフランスにもみられないという。

(21)  Ibid., pp. 436 et s. ディマンノは、具体例として、フランス人と外国人の平等に関する一九九〇年一月二二日判決(C.C. 89-269 DC)をあげている。本判決は、EC規則または国際相互条約の適用を受ける外国人だけに国民連帯基金補足手当(allocation supple´mentaire du fond national de solidarite´)の受給資格を認めた規定につき、それらの適用外ではあるがフランスに適法に居住する外国人を受給対象外とすることは、平等原理に反し、違憲無効である、と判断したものである。本判決については、山崎文夫『フランス労働法論』総合労働研究所(一九九七年)二八三頁以下を参照。

(22)  Thierry Di Manno, op. cit., pp. 434 et s.

(23)  Ibid., pp. 403 et 434.



第三章  合憲解釈にたいする政治部門の対応


  憲法院が合憲解釈の手法を用いた場合、政治部門は、憲法院の解釈にしたがって、実際に何らかの具体的対応措置をとっているのであろうか。あるいは、少なくとも、憲法院の解釈を考慮に入れて、憲法に適合する法適用に努めているのであろうか。この問題を考える際、きわめて興味深いのは、憲法院と政治部門の相互作用に関するギヨーム・ドラゴの研究である(1)
  ドラゴは、とりわけ行政機関が、法律の適用に際して、憲法院の合憲解釈をいかに考慮し、その解釈に適合する法適用に取り組んでいるか、について評価をこころみるとともに、憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」を求める立場から、合憲解釈にたいする政治部門の対応のあり方を論じている。そこで、本章では、かれの分析に依拠しながら、いくつかの対応事例を検討し、その課題と可能性について考えることにしたい。

第一節  政治部門の対応事例

  @  国有化法第二判決(一九八二年二月一一日)
  前章第三節でみたように、国有化に関する一九八二年二月一一日判決(2)において、憲法院は、国有化の対象となる非上場銀行の価格を算定する全国評価行政委員会に指令解釈を差し向けた。その解釈は、つぎのことを命じるものであった。すなわち、第一に、全国評価行政委員会は、銀行ごとに異なる管理方法および会計処理方法が補償の評価に影響を及ぼすことがないように、各銀行の経済的・財政的特徴を価格算定に際して考慮する役割を担うこと。第二に、同委員会は、裁判官のコントロールのもとで、子会社の存在や規模などに応じて、各銀行に固有の状況をもっとも特徴的に示す純資産および純益を選択する役割を担うこと。そして、第三に、全国評価行政委員会は、非上場銀行にもっとも近い客観的な経済的・財政的特徴をもつ上場銀行の比率に同委員会の算出した比率を照らし合わせ、各々の非上場銀行に固有の状況に応じて必要な修正をおこなう役割を担い、比較可能な上場銀行を非上場銀行と対比させて、可能な限り客観的で正当な補償がなされうる取引価格を定める権限を有すること、である。
  ところで、指令を差し向けられた全国評価行政委員会は、このような指令解釈にたいして、いかなる対応をとったのであろうか。ドラゴは、同委員会の対応が以下の二つの側面でみられたことを指摘している。
  第一に、全国評価行政委員会は、価格算定に際して、憲法院判決を明確に援用しており、憲法院の指令は、同委員会が示した算定理由書のなかでそのまま引用され、その理由書に完全に組み込まれている、とされる(3)。その算定理由書のなかには、実際に、つぎのような憲法院判決への言及が確認されるという。
「憲法院は、前述一九八二年二月一一日判決において、一九八一年一二月三一日における取引価格は『仮に株式が上場されていた場合において、この証券に与えられると想定される証券市場での取引価格に相当するものでなければならない。そして、その価格は、概算にとどまるのはやむを得ないにしても、適切な概算額でなければならない』と明言した。この結果に到達するために、『同一の会計方式に依拠する場合に会社ごとに異なる管理方法・会計処理方法が補償算定に影響を及ぼすことのないように、各銀行の経済的・財政的特徴を(立法者の定めた一般規定)にあてはめる』ことは、同委員会の権限に属する。したがって、『とりわけ子会社の存在や規模、およびこれを認定するために用いられる連結会計ならびに特別な方法に応じて、各銀行に固有の状況をもっとも特徴的に示す純資産および純益を各々の場合に選択する』ことは、同委員会の役割である。
  憲法院は、『同委員会は、比較可能な上場銀行を非上場銀行と対比させて、できる限り客観的で、正当な補償の要請を満たす取引価格を定めることができる』と付け加えた(4)」。
  第二に、憲法院の指令解釈は、算定方法に関して、全国評価行政委員会にとっての真の指針になった、とされる(5)。その際、ドラゴは、ジャン・ジャック・イスラエル(Jean−Jacques Israel)の評価を引用しており、その評価においては、第一に、全国評価行政委員会は、事例ごとに各銀行の純資産および純益を算定したこと、第二に、同委員会は、算定対象の銀行にもっとも近い客観的な経済的・財政的特徴をもつ上場銀行の株式取引価格を調べることで、一九八一年一二月三一日における取引価格を算定したこと、第三に、同委員会は、一九八二年上半期に生じた事態を考慮して、取引価格をアップ・トゥ・デイトなものにしたことが指摘されている(6)
  このようなドラゴの評価にしたがう限りでは、憲法院により指令を差し向けられた全国評価行政委員会は、その指令を尊重しながら銀行の価格算定をおこなっており、法適用レベルでの対応がみられたといえる。なお、政治部門の対応ではないが、憲法院の指令解釈にたいする裁判機関の対応もみられた。つまり、憲法院は、全国評価行政委員会が指令解釈を遵守したかにつき裁判所のコントロールにゆだねていたが、コンセイユ・デタは、一九八六年四月一六日判決において、それに応じたとされる(7)

  A  土地整備法判決(一九八五年七月一七日)
  憲法院は、土地整備法(Loi relative a` la de´finition et a` la mise en oeuvre de principes d’ame´nagement foncier)に関する一九八五年七月一七日判決(8)において、都市計画法典に以下のような第一一一条の五の二を追加する規定を審査し、指令解釈を示した。
「第一一一条の五の二  第一項  ・・市町村議会、または県における国の代表者は、・・あらゆる不動産の分割について、みずから画定した区域内で、議決または理由を付した決定により事前申告を求めることができる。
  第二項  前項の規定は、景観、自然環境および風景を理由とする特別な保護の必要性が確認されたコミューンに適用されうる。
  第三項  第一項に規定された申告は、市町村長にたいして出される。状況に応じて、市町村長または県における国の代表者は、市町村長がこれを受理して二か月以内に、分割を禁止することができる。ただし、それは、分割の規模、区画数、または分割にともなう工事によって、分割が、空間の自然な性質、すぐれた風景、あるいはこの空間に存在する生物学的均衡を重大な危険にさらす場合に限られる」。
  この規定によれば、「分割の規模、区画数、または分割にともなう工事によって、分割が、空間の自然な性質、すぐれた風景、あるいはこの空間に存在する生物学的均衡を重大な危険にさらす場合」には、行政機関が土地分割を禁じうることになっていたが、提訴者は、この規定が、所有権の自然権的性格を定めた一七八九年宣言二条に違反し、また、土地分割に関して事前許可制を導入することから同宣言五条の定める自由の原理にも違反する、として違憲の申立をおこなった。
  これにたいして、憲法院は、提訴者の違憲の主張を退けたものの、つぎのような指令解釈を行政機関に差し向けた。
「都市計画法典一一一条の五の二は、すぐれた景観、自然環境および風景のために特別な保護を必要とするコミューンだけにこの制度の援用を限定しながら、一定の分割について申告を義務づける、行政機関に与えられた権限を明確にしている。他方で、行政機関は、分割の規模、区画数、または分割にともなう工事によって、分割が空間の自然な性質、すぐれた風景、あるいは生物学的均衡を重大な危険にさらす場合でなければその分割を禁止することはできない。したがって、行政機関は、保護される区域を設けるにあたって、または、その区域内に位置する土地の分割を禁じるにあたって、自由裁量権をもつのではなく、越権を審査する裁判官のコントロールのもとで、法律によって十分明確に定められた一般利益の目的にかなった理由にもとづいてその決定を下さなければならない」。
  このような憲法院の指令解釈は、土地分割が恣意的に禁止されることを防ぐために、行政機関が、一般利益にかなった理由を付して、分割について決定を下すべきことを要請するものであるといえる。しかし、この法律の適用デクレ(都市計画法典R三一五条の五五以下を修正する一九八六年三月一四日デクレ(9))は、「共和国代表官は、一一一条の五の二を適用して、土地分割のために事前申告が必要となるひとつまたはいくつかの区域の画定を決定する権限を有するとき、市町村議会の意見をまとめるために、関係する自然空間を特別に保護することが必要と思われる理由を市町村長に示しながら、対象区域の図面を市町村長に送付する」と規定するにとどまっている。ここでは、当該区域の画定に際してその理由が付されるべきことについては規定されているが、その理由の内容については、たんに「関係する自然空間を特別に保護することが必要と思われる理由」と言及されているにすぎず、憲法院の指令解釈が要請した「一般利益の目的にかなった理由」までは必要とされていないのである。
  政府が定めたこのような適用デクレの内容について、ドラゴは、たしかに憲法院が示した「一般利益の目的」という観念が抽象的であることにはちがいないが、適用デクレは憲法院が定めた要請に明示的かつ正確にしたがうものではなく、デクレが定めた理由づけの必要性は憲法院判決を真に具体化したものとはなっていない、と述べている(10)。ドラゴにしたがえば、この事例においては、憲法院が示した合憲解釈にたいする政治部門の対応、とくに政府の法適用レベルの対応が不十分なものにとどまったことがわかる。

  B  民営化法判決(一九八六年六月二五ー二六日)
  憲法院は、民営化に関する一九八六年六月二五日および二六日判決(11)において、民営化される企業の価格算定に関する授権法律の規定を審査し、指令解釈を示した。前章第三節でもみたとおり、そこでは、問題の規定は、買収者から完全に独立した資格ある専門家が価格を算定することをオルドナンスに定めるよう政府に義務づけるものと解すべきこと、また、価格算定は、株券の取引価格、資産価値、得られた収益、子会社の存在、将来の見通しを適切な割合で考慮し、客観的な方法で実施されるべきこと、そして、買収者の提示する価格がこの算定額以下の場合には、オルドナンスは民営化を禁じるべきこと、が命じられていた。
  このような指令解釈にもとづいて、政府は、オルドナンスを制定したが、右派政府が進める民営化政策に反対するミッテラン大統領がオルドナンスへの署名を拒否したために、オルドナンスによる民営化の実施は不可能になり、議会制定法によって実施するほかなくなった。その後、あらためて立法化がはかられ、一九八六年八月六日法(12)として審署・公布されたのである。
  同法は、買収者から完全に独立した資格ある専門家による価格算定を求めた憲法院の指令解釈にしたがって、その三条において、公企業評価委員会(commission d’e´valuation des entreprises publiques)の設置を定めている。この委員会は、経済、財政、法律に関する専門的能力および経験を考慮して選出され、デクレによって任命される七名の構成員からなる。その任期は五年であり、商事会社の取締役会、理事会、監督会の構成員とその任務を兼ねることは禁止されている。
  また、同条は、憲法院の指令に対応して、価格算定が、株式の取引価格、資産の価値、得られた収益、子会社の存在、将来の見通しを考慮して、会社資産の全部または一部の譲渡について現在おこなわれている客観的な方法に応じてなされること、さらに、入札価格、譲渡価格、および平価は、公企業評価委員会が提示した算定額以下であってはならないこと、を指令解釈のとおりに規定している。
  以上のような八月六日法の規定は、憲法院判決に示された指令解釈と比較する限りでは、いずれも憲法院の指令を忠実に具体化したようにみえる。少なくとも、立法レベルでは、指令解釈にたいして適切な対応がなされたものといえよう(13)

  C  コミュニケーションの自由に関する判決(一九八六年九月一八日)
  憲法院は、一九八六年九月一八日判決(14)において、「コミュニケーションの自由に関する法律」(Loi relative a` la liberte´ de communication)を審査し、いくつかの規定については違憲と判断するにいたった。同時に、憲法院は、同法により設置された独立行政機関である「コミュニケーションおよび自由全国委員会」(Commission nationale de la communication et des liberte´s)の活動等について指令解釈を示した。
  本件法律一四条は、この委員会の役割について、つぎのように規定していた。
「第一項  『コミュニケーションおよび自由全国委員会』は、国営番組企業および本法により視聴覚通信業務を許可された企業が放送する政治的広告番組の目的、内容および様式について、適切な手段で審査する。
  第二項  政治的性格を有する広告放送は、選挙期間外にのみ放送することができる。
  第三項  前項の規定に反した場合には、選挙法典第九〇条の一に定められた刑罰が科される」。
  この規定について、提訴者は、政党の資金力の違いにより政治広告放送に関する政党間の格差が生じる結果、「フランスは、出生、人種または宗教による差別なしに、すべての市民にたいして法律の前の平等を保障する」と定める一九五八年憲法二条(現一条)からみちびかれる平等原理に違反し、また、「政党および政治団体は、選挙による意思表明に協力する。政党および政治団体は、自由に結成され、その活動をおこなう」と規定する同憲法四条にも違反する、として違憲の申立をおこなった。   これにたいして、憲法院は、この規定に関する提訴者の主張を退けつつ、以下のような指令解釈を「コミュニケーションおよび自由全国委員会」に差し向けた。
「立法者が、国営番組企業および視聴覚通信業務を許可された企業が放送する『広告番組の目的、内容および様式について、適切な手段で』審査する任務を『コミュニケーションおよび自由全国委員会』に与え、二七条の一に定められたコンセイユ・デタの議を経たデクレの規定を尊重しながら、多様な思想と意見の民主的表明を保障するための細則を同委員会に作成させようとしたことは、一四条および二七条の一の規定より明らかである。本法一条および三条に定められた原理にしたがって、この要請は、政治的性格を有する広告放送がとりわけ資金上の理由で特定の者にとって有利になることを防ぐ」。
  このように、憲法院は、指令解釈によって、「コミュニケーションおよび自由全国委員会」が、多様な思想と意見の民主的表明を保障するための細則を定め、政治的広告放送が資金上の理由で特定の政党にとって有利になるのを防ぐことを求めているのである。
  しかし、ドラゴによれば、その委員会は、一九八六年−一九八七年の年次報告書のなかで、一九八六年九月一八日の憲法院判決について以下のように明言したという。すなわち、同委員会が明確にし、補完しなければならない細則の基本的内容は、「コミュニケーションの自由に関する法律」一四条にも、憲法院判決にも示されていない。憲法院は、多様な思想と意見の民主的表明の保障という要請、政治的広告放送が資金上の理由で特定の政党を有利にしてはならない、という要請を尊重させるための細則の作成を同委員会に求めたにすぎない。それゆえ、特定の政党にとって有利になることを防止するやり方で、政治的広告放送を組織する責任は、同委員会に存する。一九八六年法が同委員会の権限を確立し、憲法院判決がその権限を確認したのであるが、両者ともそれらの原理を想起させたにすぎない、との評価を示したとされる(15)
  たしかに、憲法院が示した指令解釈は、「コミュニケーションおよび自由全国委員会」の任務について、十分に明確な指針を提示しているわけではない。ドラゴによれば、同委員会は、国営番組企業および民間テレビ局による放送に先立って、商業的、団体的および政治的広告放送の内容を審査する機関として、ラジオ・テレビ放送の広告に関する委員会を設立したとされる。しかし、この委員会も、かならずしも政治的広告放送に関して適切な審査をおこなっているわけではないようである(16)。したがって、憲法院の指令解釈が不明確であったこともあって、これにたいする「コミュニケーションおよび自由全国委員会」の対応、つまり法適用レベルの対応は不完全なものにとどまったといえる(17)
  他方で、立法レベルの対応はどうか。政治的広告放送に関する法制度の動きをみてみると、まず、広告および広告主に適用される法制度を定める一九八七年一月二六日のデクレ(18)には、政治的広告放送に関するいかなる規定も含まれていない。もっとも、一九八七年七月三〇日法(19)においては、「政治的性格を有する広告放送は、選挙期間外にのみ放送することができる。また、そのような広告放送は、フランスにおける政治活動の財政的透明性の保障を目的とする法律が発効するまでは禁じられる」という規定が一九八六年法に追加されている。そして、政治生活の財政的透明性に関する一九八八年三月一一日法(20)は、同法審署後四年が経過するまで、政治的広告放送が禁じられることを定めている。このような立法の動きをみる限りでは、政治的広告放送が資金上の理由で特定の政党にとって有利にならないよう要請した憲法院の指令を受けて、立法者が、政治的広告放送の解禁にたいして一定程度慎重な態度を維持していることが窺われる。

  D  社会保障措置に関する判決(一九八七年一月二三日)
  憲法院は、一九八七年一月二三日判決(21)において、「各種社会保障措置に関する法律」(Loi portant diverses mesures d’ordre social)の合憲性を審査し、政府に指令を差し向けた。同法四条は、各種付加手当の受給要件として、受給者がフランス領土内に一定期間居住することを定めており、さらにその期間はデクレによって決定されるとしていた。この規定につき、提訴者は、「フランスは、出生、人種または宗教による差別なしに、すべての市民にたいして法律の前の平等を保障する」と規定する一九五八年憲法二条(現一条)に違反し、居住期間による差別を定めるものであるとして、違憲の申立をおこなった。
  これにたいして、憲法院は、本件規定における必要居住期間の設定は、それ自体として、一九五八年憲法二条によって禁じられる差別にあたらず、一七八九年宣言六条に宣言された法律の前の平等原理にも反するものではない、として提訴者の主張を退けた。しかし、憲法院は、「国は、すべての人にたいして、とりわけ子ども、母親、および老年の労働者にたいして、健康の保護、物質的な安全、休息および余暇を保障する。その年齢、肉体的または精神的状態、経済的状態のために労働しえなくなった人はすべて、生存にふさわしい手段を公共体から受け取る権利をもつ」と規定する一九四六年憲法前文一一項を援用しながら、デクレによる必要居住期間の決定に関して、以下のような指令を政府に差し向けた。
「立法者も、政府も、みずからの権限に応じて、一九四六年憲法前文一一項が宣言する原理を尊重しながら、その適用方式を定める責任がある。したがって、本件法律四条に規定された各場合において、一九四六年憲法前文一一項を侵害しない方法を選択しながら、かつ、関係者が受給しうる各種援助手当を考慮しながら、必要居住期間を定めるのは、政府の命令制定権の権限に属する事項である。これ以外のあらゆる解釈は憲法に反する。
  前述の留保条件のもとで、本件法律四条は憲法に反するものではない」。
  憲法院は、政府が受給に必要な居住期間をデクレで定めることを認めつつも、一九四六年憲法前文一一項に反しないような方法で、また、受給可能な各種援助手当を考慮しながら、その期間が決定されるべきことを要請している。ところで、ドラゴによれば、この必要居住期間は一〇年に定められたという(22)。かれは、憲法院の指令に照らして一〇年という期間が適切であるかを直接的に評価してはおらず、その期間が憲法院の指令を尊重するものであるかどうかは、異議申し立てがなされた場合に、裁判官によって評価される問題である、と述べるにとどまっている(23)。法適用レベルの対応として、一〇年という期間がはたして憲法院の指令を尊重するものであるかについては疑問の生じる余地もあるが、いずれにしても、この場合は、ドラゴの指摘するとおり、裁判官による受給要件の審査が重要であるといえよう。
  以上にみたいくつかの対応事例から明らかなように、憲法院が示した合憲解釈にたいして、政治部門が、法適用レベルないし立法レベルで、何らかの対応措置をとる場合もあれば、対応が必要であっても、十分な対応措置がとられない場合もある。あるいは、憲法院の解釈に反するような法適用・法改正がなされる場合も考えられよう。すでに別稿で指摘したとおり、フランスにおいては、政治部門の適切な対応をみちびくために、憲法院判決にたいする政治部門の対応について、一定の行動原理を確立しようとする議論がみられた(24)が、その議論の一部は、違憲判決のみならず、合憲解釈にたいする政治部門の対応についても立ち入った検討を加えている。そこで、節をあらためて、憲法院と政治部門の「協働関係」の視角から、合憲解釈にたいする政治部門の対応のあり方を論じる見解を取り上げることにしよう。

第二節  合憲解釈にたいする対応の可能性
  憲法院が違憲判決を下した場合、法律の審署が全面的もしくは部分的に阻止されることから、政治部門は、その法律を発効させるために、憲法院の要請にしたがい、対応措置をとることを余儀なくされる。これにたいして、合憲解釈の場合には、解釈の対象となった規定の審署は基本的に認められるのであり、政治部門がその後の対応を放置することになっても憲法院から直接的なサンクションを受けることにはならない。ここにも合憲解釈の問題点が存するといえる。
  しかし、憲法六二条二項が「憲法院判決は、いかなる不服申立てにもなじまない。憲法院判決は、公権力およびすべての行政・司法機関を拘束する」と規定している以上、たとえ憲法院の直接的サンクションが想定されないにしても、政治部門は、判決に示された合憲解釈にしたがって、必要な対応措置をとるべきではなかろうか。とりわけ、憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」の確立を求める立場からすれば、直接的サンクションの存否にかかわらず、憲法院の合憲解釈にたいする政治部門の対応が要請されることになろう。ここでは、こうした観点から、合憲解釈にたいする政治部門の対応の必要性を主張するギヨーム・ドラゴの見解を紹介することにしたい。
  憲法院と政治部門の「協働関係」を要請するドラゴにおいては、合憲解釈は、法律と同じ効力をもつものと解されている。かれによれば、憲法院が示した合憲解釈は、「留保条件を尊重する限りでしか憲法に照らして正しい法適用がなされえない、という意味で、規範としての性格をもつ」のであり、したがって、「憲法院によって引き出された法律の解釈は、法律自体と同じ規範的性格をもつ(25)」というのである。このように合憲解釈の規範性を認めながら、ドラゴは、一方では立法府のレベルで、他方では行政機関のレベルで、合憲解釈にたいする政治部門の対応の問題を論ずるのである。
  まず、合憲解釈にたいする立法レベルの対応については、以下のように論じられている。ドラゴによれば、合憲解釈が、法律の審署を阻止する結果をもたらしえない以上、立法者の対応よりも法適用にかかわる行政機関や司法機関の対応が問題になるとはいえ、合憲解釈によって、立法者は、問題となった法律を再検討することを義務づけられる(26)。そして、とりわけ指令解釈が示された場合には、法律の発効は可能であるが、その法律の適用に際して、判決に示された解釈にしたがわなければならないという意味で、その法律は完全なものではなく、立法者は、問題となった法律を補完し、憲法に照らして明晰かつ明解な法律にしなければならない、というのである(27)
  またドラゴは、合憲解釈にたいする行政機関の対応、すなわち法適用レベルの対応について、より詳細に論じている。かれにしたがえば、合憲解釈は、憲法の要請に適合する法適用を迫るために、行政機関にも差し向けられるのであり、その場合、法適用の段階で合憲解釈が機能することになるという。ここでは、指令解釈、建設的解釈、限定解釈のそれぞれについて行政機関の対応が考察されている。
  第一に、指令解釈は、法律の重要原理、より一般的には、憲法的原理を法適用機関に尊重させる目的をもつのであり、憲法院は、指令解釈をとおして、かかる機関に一定の行動の一般原理を強制する、とされる(28)。ここで、指令解釈の対象となるのは、中央政府や地方自治体などの一般行政機関のみならず、「新聞の透明性および多元性のための委員会」(Commission pour la transparence et le pluralisme de la presse)や「コミュニケーションおよび自由全国委員会」などの独立行政委員会を含む、さまざまな行政機関である。これらの行政機関は、憲法院の定めた指令にしたがうことを条件として法律の適用を認められるのであり、憲法院の指令に反する仕方で法律を適用した場合には、裁判官によってサンクションされることになる、という(29)
  第二に、法律に新たな意味内容を付け加える建設的解釈は、法適用機関にとってはさらに強制的であり、とりわけ、判決主文が建設的解釈に言及する場合(30)や、憲法院が「他の一切の解釈は憲法に反する」と宣言する場合には、その強制的性格がますます強められるという。そして、建設的解釈は、憲法のテクストや憲法的原理に結びつけられることによって、まさに憲法院判決としての効力をもって行政機関に課されることになり、したがって、行政機関は、法律の適用に際して建設的解釈を考慮しなければならない、とされる(31)
  最後に、限定解釈については、法適用機関や裁判官が、その解釈に反する仕方で法律を適用することへの危惧が示されている。すなわち、憲法院は、合憲と宣言した以上直接的にサンクションすることができないため、ひとたび憲法適合性が認められると、限定解釈の実現は公権力の協働にゆだねられ、法適用機関の理解に左右される。したがって、憲法院が、限定解釈の意味を明確にすること、あるいは、それを判決主文に挿入することによって、限定解釈を明白に強制することしか期待できない、というのである(32)
  以上のように各々の解釈にたいする行政機関の対応を分析したうえで、ドラゴは、つぎのように述べている。すなわち、憲法院による法律の解釈は、法律に新たな内容を付け加え、もしくは削除することによって、法律の意味自体を修正するものである。法律を適用する行政機関は、みずからの決定にこの解釈を組み入れなければならない。行政機関は、あらゆる憲法院判例を正確に分析することができるように、憲法院判例を詳細に知ることを義務づけられるのであり、また、憲法院のおこなう複雑な解釈について分析・評価しなければならない。このように憲法院の解釈にもとづいて行政機関が法律を評価しなければならない以上、憲法院はその解釈をより明確に述べなければならず、行政機関による法律の誤った適用を避けるために、その解釈は明らかに規範的な価値をもつものでなければならない、というのである(33)
  ドラゴはまた、結論において、行政機関における法適用レベルの対応の問題点を以下のように指摘している。
「法適用機関による憲法院判決の考慮は、しばしば部分的なものにすぎないことが明らかになる。このような機関による憲法院判決の実現が部分的なものにとどまるのは、憲法院の指令の抽象性に起因する場合もあり、そもそもかなり技術的な適用法文のなかで、そのような憲法院の指令を考慮することは困難である。そして、同時に、行政機関、より明確にいえば政府が、憲法院判決を受けて、下位規範における憲法院判決の実現に配慮しているかが疑われることになる。したがって、比喩的にいえば、法規範のなかに吸収される憲法院判決は、砂漠のなかに消える水のようなものである(34)」。
  このようなドラゴの見解によれば、一方では、合憲解釈にたいする政治部門の対応のあり方として、憲法のよりよい具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」の観点に立って、政治部門が憲法院の合憲解釈を十分に考慮しながら、憲法に適合する法改正ないし法適用をすべきこととなろう。そして、他方では、政治部門がより容易に対応をなしうるように、憲法院もまた、より明確で具体的な合憲解釈、しかも規範的な性格をともなった合憲解釈を示すことを求められているといえる。

第三節  小      括
  本章では、合憲解釈にたいする政治部門の対応事例をみたうえで、憲法院と政治部門の「協働関係」の観点から対応のあり方を論ずるギヨーム・ドラゴの見解を紹介した。ここでは、ドラゴの議論を参照しつつ、合憲解釈にたいする政治部門の対応のあり方と対応を可能にする条件について若干検討することにしたい。
  まず、合憲解釈にたいする政治部門の対応のあり方について述べておこう。ドラゴのように、憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」を要請する立場からすれば、たとえ現行制度上、憲法院が、合憲解釈にたいする政治部門の対応について直接的にサンクションすることが不可能であるにしても、政治部門は、憲法院が示した解釈にしたがって憲法に適合する法適用に努めるとともに、必要な場合には、解釈の対象となった規定を再検討し、憲法に照らして修正することを望まれよう。また、前章第四節でもみたように、ディマンノが、合憲解釈の意義を、立法者にたいする批判、立法者の「手落ち」の埋め合わせ、さらには、憲法に適合する法適用の保障にみいだし、その限りで合憲解釈に積極的評価を与えていたことを考えてみても、かかる機能が本来の効果を発揮するためには、合憲解釈を差し向けられた政治部門が、必要な対応措置をとらなければならないことは明らかであろう(35)。いずれにしても、政治部門は、合憲解釈の「合憲」という結果に安住し、対応を怠るのではなく、合憲解釈に含まれるさまざまな意味内容について検討し、その種類・性格に応じて必要な対応措置を選択し、その実現に向けて努力することを求められる。まさしくこのような政治部門の積極的対応を通じてこそ憲法的価値がよりよく具体化されるのである。
  しかし、政治部門の対応の実態をみてみると、憲法院が示した合憲解釈を真に具体化した対応措置がとられる場合がある一方で、合憲解釈に照らせば不十分な内容と判断するほかない対応措置にとどまる場合もみられた。あるいは、法適用レベルにおいても、立法レベルにおいても、合憲解釈にたいして何ら具体的な対応措置がとられない場合もあろう。したがって、合憲解釈についていえば、憲法院と政治部門の「協働関係」は、現実にはかならずしも適切に機能していない場合もあることをまずは認めなければならない。
  そこで、政治部門に完全な対応措置を迫り、合憲解釈に適合する法適用を強制するためには、やはり、ドラゴが述べていたように、憲法院が、できる限り明確かつ具体的で規範的性格を有する合憲解釈を示すことが前提となるといえる。
  たとえば、つぎの事例を考えてみよう。憲法院は、前章でみたビデオ監視に関する一九九五年一月一八日判決において、県当局が一定の武器の所持・運搬を禁じることのできる地理的範囲について、「例外状況の場合を除き、立法者は、デモの現場、またはデモの現場に直接接した場所についてのみ、(武器の所持・運搬禁止の)許可を定めたものと解されなければならない」とする代替的建設的解釈を示していた。たしかに、審査された規定の文言と比較すれば、禁止の対象となる地理的範囲は、憲法院の解釈によってより明確に画定されてはいる。しかし、憲法院は、このように画定された地理的範囲外でも禁止が認められる「例外状況」については、何ら言及していない。禁止の許可権限を有する県当局が、「例外状況」の概念を拡大し、憲法院の解釈によって画定された地理的範囲を事実上意味のないものにすることを防ぐために、憲法院は、「例外状況」に該当するのはいかなる場合であるかについて、ある程度は明確に画定しておく必要があったのではないかと思われる。
  もっとも、たとえ憲法院が明確で強制的な解釈を示したとしても、政治部門の対応が不十分なものにとどまることも考えられる。そこで、政治部門が迅速かつ適切な対応を放置し、「合憲」という結果に安住している場合、あるいは、憲法院の解釈に反する法適用・法改正がおこなわれた場合には、そのことについて憲法院が直接的なコントロールをなしえない以上、行政裁判所や司法裁判所を通じて何らかのサンクションが課される必要がある。この場合、憲法院とそれらの裁判所との相互作用が問題になるが、本稿では検討する用意がないので、別稿で取り扱うべき課題としたい(36)
  なお、とくに授権法律に限っていえば、以下の点を指摘することができる。すなわち、憲法院は、授権法律を審査する場合、合憲解釈、とりわけ指令解釈を示すことが多いが、その際、直接的にオルドナンスを制定する政府だけでなく、オルドナンスの制定に間接的にかかわるコンセイユ・デタや大統領も、憲法院の解釈を考慮することを求められるといえる。憲法三八条によれば、コンセイユ・デタは、オルドナンスが定められる前に意見を出すこととなっているが(37)、その意見は、憲法院の解釈を考慮したものでなければならないであろう。そして、オルドナンスに署名するか否かを最終的に判断する大統領もまた、憲法院の解釈に適合するオルドナンスの制定に留意することを求められるのであり、オルドナンスの内容が明らかに憲法院の解釈に適合しないとの判断にいたった場合には、署名を拒否することも認められるのではなかろうか(38)
  ところで、現行制度上、憲法院は、ひとたび法律が審署・公布されると、合憲解釈にたいする政治部門の対応について直接的にコントロールすることはできないが、将来、憲法院改革によって事後審査が認められることになれば、合憲解釈に関するより実効的なコントロールも期待できるであろう(39)。なぜなら、憲法院が、行政機関による法適用の実態に照らして、問題の法律の合憲性を審査し、適用違憲の方法を用いることも可能になるからである。このような事後審査制のもとでは、憲法院は、もし憲法に反する仕方で法適用がおこなわれている場合には、違憲と判断し、直ちにそのような法適用を禁じることができるはずである。また、解釈次第では憲法に反する法適用が生じうる法律であっても、実際の法適用が、憲法に適合する仕方でおこなわれている場合には、憲法院は、さしあたりその法律の合憲性を認めつつも、合憲解釈の手法を用いて、憲法に適合する適用方式を明確に示し、憲法に反する法適用を未然に防ぐことができるであろう。
  ともあれ、憲法院が直接的コントロールをなしえない現段階では、第一に、憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」を要請する立場に立って、合憲解釈にたいする政治部門の対応の必要性を示していくこと、第二に、政治部門が容易に具体的な対応措置をみちびきうる明確かつ強制的な合憲解釈が憲法院に要請される点を指摘すること、そして第三に、かかる政治部門の対応にたいする適切なコントロールが行政裁判所や司法裁判所に求められる点を強調することがおそらく重要であるといえよう。

(1)  Guillaume Drago, L’exe´cution des de´cisions du Conseil constitutionnel, Economica, 1991. 憲法院と政治部門の相互作用に関するドラゴの研究については、すでに、蛯原健介「法律による憲法の具体化と合憲性審査(四・完)」立命館法学二五五号一九六頁以下で検討をこころみた。なお、ドラゴは、最近公刊されたフランスの憲法訴訟に関する概説書においても、憲法院判決の効力という視点から相互作用の問題を取り上げ、立ち入った検討をこころみている。Guillaume Drago, Contentieux constitutionnel franc鶯c47dais, PUF, 1998, pp. 405 et s. これについては、本稿では十分に検討する用意がないので、別稿で取り上げることにしたい。

(2)  C.C. 82-139 DC du 11 fe´vrier 1982.

(3)  Guillaume Drago, L’exe´cution des de´cisions du Conseil constitutionnel, p. 265.

(4)  Jean−Jacques Israel, La”Commission administrative nationale d’e´valuation des actions des banques nationalise´es non inscrites a` la cote officielle:Annexe, RDP, 1986, p. 1012.

(5)  Guillaume Drago, op. cit., p. 266.

(6)  Jean−Jacques Israel, op. cit., p. 1009.

(7)  C.E. arre^t du 16 avril 1986, Socie´te´ me´ridionale de participations bancaires, industrielles et commerciales, voir Guillaume Drago, op. cit., pp. 266 et 298. なお、このコンセイユ・デタ判決については、大河原良夫「フランス憲法院と法律事項(三)」東京都立大学法学会雑誌三〇巻二号二七七頁以下を参照。

(8)  C.C. 85-189 DC du 17 juillet 1985. 本判決については、清田雄治「フランスにおける所有権の憲法的保障とその限界」山下健次編『都市の財産管理と財産権』法律文化社(一九九三年)二六二頁を参照。

(9)  De´cret no 86-516 du 14 mars 1986.

(10)  Guillaume Drago, op. cit., p. 250.

(11)  C.C. 86-207 DC des 25 et 26 juin 1986.

(12)  Loi no 86-912 du 6 aou^t 1986.

(13)  なお、八月六日法は、民営化の対象として六五の企業を列挙していたが、実際にこの法律にもとづいて民営化されたのは、そのうち一四の企業だけであったという(藤本光夫「混合経済体制の確立と展開」原輝史編『フランスの経済』早稲田大学出版部(一九九三年)四六頁以下)。この点では、政治部門が民営化政策に慎重な姿勢−どれだけ憲法院の指令の影響があるかは確認の必要があるが−をとったものと考えられる。

(14)  C.C. 86-217 DC du 18 septembre 1986.

(15)  Guillaume Drago, op. cit., p. 270.

(16)  Ibid., p. 270.

(17)  「コミュニケーションおよび自由全国委員会」は、その後、一九八九年一月一七日法(Loi no 89-25 du 17 janvier 1989)により、視聴覚高等評議会(Conseil supe´rieur de l’audiovisuel)に改組され、現在では、この機関が視聴覚メディアにたいするコントロールをおこなっている。たとえば、一九九七年の国民議会選挙に際して、視聴覚高等評議会が以下のような活動をおこなったことが指摘されている。同評議会は、同年五月三日、テレビで発言する時間の与野党間のバランスはとれているが、与党内部ではRPRがUDFよりも優遇されており、野党側では社会党が共産党よりも優遇されているとのコメントを出し、また一週間後にも、同じコメントを出したうえで、さらに国民議会に議席をもたない政党がテレビで発言する機会が少ないことを指摘した。また、同評議会は、五月二三日に第二回投票に向けた各党の政見放送を国営のフランス2とフランス3の二チャンネルで一日三回同時に放送すべきことを決定したという。以上について、村田尚紀「フランスにおける選挙報道の自由とインターネット」関西大学法学論集四七巻四号四八頁を参照。

(18)  De´cret no 87-37 du 26 janvier 1987.

(19)  Loi no 87-588 du 30 juillet 1987.

(20)  Loi no 88-227 du 11 mars 1988.

(21)  C.C. 86-225 DC du 23 janvier 1987. 本判決については、山崎文夫『フランス労働法論』総合労働研究所(一九九七年)二八一頁以下を参照。

(22)  Guillaume Drago, op. cit., p. 251. ドラゴは、J.J. Dupeyroux, Droit de la se´curite´ sociale, 11 eme ed., Dalloz, 1988 にもとづいて論じているが、一九八七年四月三〇日の八七ー三〇二デクレにおいても、一九八七年九月二九日および同年一〇月五日のデクレにおいても、必要居住期間は定められていないという。

(23)  Guillaume Drago, op. cit., p. 251.

(24)  蛯原健介・前掲論文(三)立命館法学二五四号九〇頁以下、同(四・完)立命館法学二五五号一九六頁以下。ここでは、ルイ・ファヴォルー、ドミニク・ルソーおよびギヨーム・ドラゴの見解を取り上げ、かれらが、あるべき憲法院と政治部門の相互作用として、憲法の具体化を志向する「協働関係」を追求していることを明らかにした。

(25)  Guillaume Drago, op. cit., p. 159.

(26)  Ibid., p. 148.

(27)  Ibid., p. 166.

(28)  Ibid., p. 227.

(29)  Ibid., p. 228. なお、「新聞の透明性および多元性のための委員会」は、新聞企業の集中規制に関する一九八四年一〇月二三日法により設置された独立行政委員会であり、同法の施行を監視することを任務としていた。

(30)  ドラゴは、その具体例として、新聞の集中規制に関する一九八四年一〇月一〇日および一一日判決(C.C. 84-181 DC)をあげている。この判決の主文は、以下のとおり。

「第一条  『新聞企業の集中を制限し、かつ、その財政的透明性とその多元性を確保することを目的とする法律』の以下の規定(省略)は、憲法に反すると宣言される。

  第二条  上に述べられた解釈の厳格な条件のもとで、本件法律のその他の規定は、憲法に反するものではない。(第三条以下省略)」

(31)  Guillaume Drago, op. cit., p. 235.

(32)  Ibid., p. 240.

(33)  Ibid., p. 241.

(34)  Ibid., pp. 271 et s.

(35)  ディマンノは、一九九六年九月二一日および二二日にレンヌで開催されたコロック「憲法院判例の正統性」において、「合憲解釈の影響」(L’influence des re´serves d’interpre´tation)と題する報告をおこなっており、そのなかでは合憲解釈にたいする政治部門の対応の問題にも言及しているものと思われるが、本稿では参照することができなかった。なお、その報告内容は、論文集 G. Drago, B. Francois et N. Molfessis (dir.), La le´gitimite´ de la jurisprudence du Conseil constitutionnel, Actes du colloque de Rennes, 20 et 21 septembre 1996 に収められる予定であるという。

(36)  憲法院と司法裁判所・行政裁判所との関係にふれるものとして、Guillaume Drago, op. cit., pp. 275 et s;Nicolas Molfessis, La dimension constitutionnelle des droits et liberte´s fondamentaux, in Re´my Cabrillac, Marie−Anne Frison−Roche et Thierry Revet (dir.), Droits et libertes fondamentaux, 42e e´d., Dalloz, 1997, pp. 71 et s. などがある。また、とくに憲法院と司法裁判所との関係については、Louis Favoreu, La Cour de cassation, le Conseil constitutionnel et l’article 66 de la Constitution, D, 1986, chr., pp. 169 et s;Dominique Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 42e e´dition, Montchrestien, 1995, pp. 375 et s;Nicolas Molfessis, Le Conseil constitutionnel et le droit prive, LGDJ, 1997, p. 482 et s. などのほか、憲法院が破棄院に及ぼした影響などを取り上げた La Cour de cassation et la Constitution de la Re´publique, PUAM, 1995 という論文集が公刊されており、憲法院と行政裁判所との関係については、Louis Favoreu, L’application des de´cisions du Conseil constitutionnel par le Conseil d’E´tat et le Tribunal des conflits (bilan provisoire), RFDA, 1987, pp. 264 et s;du me^me, L’application des normes constitutionnelles et des de´cisions du Conseil constitutionnel par le juge administratif, RFDA, 1989, pp. 142 et s;du me^me, L’effet des de´cisions du Conseil constitutionnel a` l’e´gard du juge administratif francais, RIDC, n2o spe´cial, vol. 9, 1987;Louis Favoreu et Thierry Renoux, Le contentieux constitutionnel des actes administratifs, Sirey, 1992;Ahmed Salem Ould Bouboutt, L’apport du Conseil constitutionnel au droit administratif, Economica, 1987 のほか、Conseil constitutionnel et Conseil d’Etat, LGDJ Montchrestien, 1988 に収められた諸論文などが取り上げている。これについては、国家学会雑誌一〇四巻一=二号一七一頁以下の「学会展望」欄に伊藤洋一氏による紹介がある。この問題に関する9845語文献としては、大河原良夫・前掲論文(三)東京都立大学法学会雑誌三〇巻二号、同(四・完)東京都立大学法学会雑誌三一巻一号、同「フランスにおける違憲審査制の役割と限界(下)」法律時報六三巻一〇号があり、関連して、矢口俊昭「フランスの憲法裁判」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第一巻)有斐閣(一九八七年)、同「フランス憲法院と通常裁判所」芦部信喜先生古稀祝賀『現代立憲主義の展開』(下)有斐閣(一九九三年)も参照。

(37)  憲法三八条は、以下のように規定している。

「第一項  政府は、その綱領の執行のため、国会にたいして、通常は法律の領域に属する措置を、一定期間に限り、オルドナンスで定めることの承認を求めることができる。

  第二項  オルドナンスは、コンセイユ・デタの意見を聴いた後に、閣議で定められる。オルドナンスは、公示後直ちに効力を発するが、追認の政府提出法案が、授権法律に定められる期日までに提出されない場合には、失効する。

  第三項  本条第一項に定められる期間の満了後は、オルドナンスは、法律の領域に属する事項については、法律によらなければ変更されない」。

  なお、コンセイユ・デタの諮問的権限については、Jean−Paul Costa, Le Conseil d’Etat dans la socie´te´ contemporaine, Economica, 1993, pp. 51 et s;Yves Robineau et Didier Truchet, Le Conseil d’E´tat, PUF, 1994, pp. 46 et s. などを参照。また、最近、コンセイユ・デタの重要意見集が刊行された。Yves Gaudemet, Bernard Stirn, Thierry Dal Farra et Fre´de´ric Rolin, Les Grands avis du Conseil d’E´tat, Dalloz, 1997. この意見集には、共和国の伝統に関する一九五三年二月六日の意見から、公施設法人に関する一九九四年七月七日の意見まで、合計四二件の意見の原文とそのコメントが収められているほか、六〇頁近くにわたってコンセイユ・デタの諮問機能に関する解説が示されている。コンセイユ・デタの立法・行政活動にふれる9845語文献としては、山下健次「コンセイユ・デタ−その立法・行政活動」立命館法学三四号、山岸敬子「フランス行政訴訟制度認識のための研究ノート」一橋研究四巻二号、同「コンセィユデタ行政部」フランス行政法研究会『現代行政の統制』成文堂(一九九〇年)などがある。

(38)  実際、憲法五条は、「共和国大統領は憲法の尊重を監視する」と規定している。なお、授権法律に加えられた合憲解釈にたいする対応の問題については、Guillaume Drago, op. cit., pp. 254 et s. を参照。

(39)  一九九〇年、ミッテラン大統領や憲法院長ロベール・バダンテール(Rober Badinter)のイニシアティヴのもと、抗弁の方法により市民にも憲法院への提訴権を認めることを目的とする憲法改正がこころみられたが、元老院の反対により失敗している。しかし、憲法院改革に向けての議論は依然として継続されているようであり、憲法院判事でもあったジャック・ロベール(Jacques Robert)教授は、以下のように述べている。「憲法院の任務は、おそらく、市民が人権保障のメカニズムの中にはいることができたときに、はじめて全体として完全なものになるといえるでしょう。というのは、結局は、憲法院が存在しているのも、市民のためであり、また、われわれが皆、仕事をしてきましたのも、明らかに、ただただ市民の利益のためであったからなのです」(ジャック・ロベール「フランス憲法院と人権保障」(辻村みよ子訳)法学教室一八五号四四頁)。なお、一連の憲法院改革のこころみとその挫折については、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』創文社(一九九二年)二〇六頁以下、今関源成「挫折した憲法院改革」『高柳古稀・現代憲法の諸相』専修大学出版局(一九九二年)、矢島基美「一九九〇年フランス憲法院提訴権改革法案」徳山大学論叢三七号、同「フランスにおける違憲審査の現在」比較法研究五四号、江藤英樹「フランス憲法院の改革動向」明治大学大学院紀要三一集などに詳しい。なお、憲法院は、一九八五年一月二五日判決(C.C. 85-187 DC)において、すでに審署された法律にたいする事後的コントロールが可能であることを示唆しており、現行制度のもとで事後審査の手段が完全に閉ざされているわけではない。この判決につき、大隈義和「フランス憲法院の新動向」北九州大学法政論集一七巻三号を参照。



まとめにかえて


  以上のとおり、本稿では、フランスにおける最近の研究に依拠しながら、憲法院判例における合憲解釈を分析し、その特徴を明らかにするとともに、憲法院と政治部門の相互作用の視点から、合憲解釈にたいする政治部門の対応の実態を解明し、フランスの議論を参考にして、対応のあり方、あるいは対応を可能にする条件について検討をこころみた。そこで、最後に、かかる検討をふまえ、わが国の憲法判例における合憲解釈の問題についても若干言及することにしたい。
  周知のとおり、フランスの憲法院は、事前審査制を採用しており、わが国の違憲審査制とは、制度上大きく異なっている。しかし、違憲審査機関のコントロールにたいする政治部門の対応の問題は、制度上の相違を超えて、日仏共通の課題であると考えることもでき、また、違憲審査機関が設置されているその他多くの国でも取り上げられるべき検討対象であるといえる(1)
  とはいえ、わが国の問題を論ずるにあたって、フランス憲法院判例における合憲解釈とわが国の憲法判例におけるそれとの相違を確認しておく必要がある。まず、フランスにおける法律の合憲性審査は、具体的事件を前提としない抽象的審査であり、また、審署前の段階、すなわち実際の法適用に先立ってコントロールがおこなわれることに注意しなければならない。そして、抽象的審査・事前審査の必然的帰結として、憲法院の合憲解釈に適合する法適用・法改正がおこなわれているかを憲法院自身が直接的にコントロールできないことに、フランスにおける合憲解釈の問題点があった。
  他方で、わが国においては、具体的事件の解決に必要な限りで憲法判断がおこなわれるのであり、裁判所が具体的事件を裁判するにあたり、その事件にかかわる法律の適用の前提として、まさに具体的適用段階において当該法律の合憲性を審査するのである。そして、法令違憲の判断も具体的適用段階における判断であるが、とりわけ、合憲解釈のアプローチとかかわって、適用違憲については、法律の具体的適用のあり方を裁判所が審査することになる。その審査の結果、法律の規定が当該事件に適用される限りで違憲とされたり(適用違憲)、反対に、当該事件における適用方法については合憲と判断されるのである。さらにわが国では、ある事件にかかわって裁判所が一定の合憲解釈を示した後、同様の事件が起こった場合に、裁判所は、前の合憲解釈の観点からみて適切な法適用がなされたか否かについてコントロールする機会を与えられ、あるいは逆に、前の合憲解釈は適切なものではなかったと判断して判例変更をおこなう可能性も考えられる。いずれにしても、フランスと比較した場合、わが国における合憲解釈は、具体的法適用に照らしておこなわれる点に特徴があるといえる。
  もっとも、判決に示された合憲解釈を政治部門がどれだけ尊重し、必要な対応措置をとっているかという点では、フランスと同様、わが国についても検討の余地がある。フランスにおける政治部門の対応の実態は前章でみたとおりであるが、ここでは、わが国における政治部門の対応事例として、以下の二つを取り上げることにしたい。
  第一の事例は、事故内容報告義務に関する最高裁一九六二年五月二日判決(2)である。本件では、「事故の内容及び・・(車馬又は軌道車の交通に因り人の殺傷又は物の損壊があった場合に)講じた(被害者救護、危険防止等の)措置」を警察官に報告する義務を定めていた道路交通取締法施行令六七条二項が、憲法三八条一項に違反し、自己の刑事責任に関する不利益な供述を強制するものであるかが問題になった。この点につき、違憲判断を示した下級審判決もみられたが(3)、本判決は、本件規定の合憲性を認めつつ、「事故の内容」という文言につき、以下のような合憲解釈を示した。
「・・『事故の内容』とは、その発生した日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等、交通事故の態様に関する事項を指すべきものと解すべきである。したがつて、右操縦者、乗務員その他の従業者は、警察官が交通事故に対する前叙の処理をなすにつき必要な限度においてのみ、右報告義務を負担するのであつて、それ以上、所論の如くに、刑事責任を問われる虞のある事故の原因その他の事項までも右報告義務ある事項中に含まれるものとは、解せられない」。BR>   このような合憲解釈に応じて、政治部門は、「事故の内容」という文言の明確化を求められることになるが、この要請は、すでに本件最高裁判決の合憲解釈以前に実現されていた。すなわち、本判決に先立ち、下級審において違憲判決や合憲解釈を含む判決(4)が下されたことを受け、一九六〇年、道路交通取締法に代わる道路交通法の立法化に際して、報告すべき事項の具体化がはかられ、交通事故発生の日時・場所、死傷者の数および負傷者の負傷の程度、損壊した物および損壊の程度、事故について講じた措置に限定されたのである。したがって、本件最高裁判決は、この新法の字句を援用して合憲解釈をおこなったものとみなされよう。しかし、結果的にみれば、この事件において提起された問題にたいする政治部門の対応が比較的迅速におこなわれたのは確かであり、この点を積極的に評価することもできるであろう(5)
  第二に、一九六九年四月二日の都教組事件最高裁判決(6)においては、地方公務員法の争議行為禁止規定に関して合憲解釈が示された。同法三七条一項は、「職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又は遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない」と定め、また、同法六一条四号は、「何人たるを問わず、第三十七条第一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた者」を処罰する旨規定していた。これらの規定につき、本判決は、以下のように述べた。
「これらの規定が、文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為(以下、あおり行為等という。)をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば、それは、前叙の公務員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、必要やむをえない限度をこえて争議行為を禁止し、かつ、必要最小限度にとどめなければならないとの要請を無視し、その限度をこえて刑罰の対象としているものとして、これらの規定は、いずれも、違憲の疑を免れないであろう」。
  この解釈を受けて、政治部門は、法適用レベルでは、すべての争議行為を禁止し、処罰するのではなく、公務員の労働基本権保障の観点から、禁止・処罰の対象となる行為を必要最小限にとどめるよう取り組むことを要請され、さらに、立法レベルでも、そのような行為の限定・明確化を求められることになろう。しかしながら、政治部門−とりわけ政府・自民党−は、対応措置をとるどころか、この判決を公然と批判し、それ以後、最高裁判所に政府・自民党に有利な人物を送り込み、ついには、この判決がくつがえされるにいたった(7)ことは、周知のところである。これは、いわば司法にたいする政治部門の「対抗関係」(8)が顕著にあらわれた典型的事例といえよう。
  このほか、わが国で合憲解釈が示された事例は、下級審判決も含めれば、相当数あるが、さしあたりわが国における政治部門の対応の実態を特徴づければ、合憲解釈にたいする政治部門の具体的対応措置、とくに立法レベルの対応がみられることはきわめて少ない、と一般的に述べることができよう。交通事故報告義務の事案のように、問題解決に向けて迅速な立法的対応がとられることは、やはり稀なケースであろう。わが国では、具体的法適用にあたって合憲解釈のアプローチが用いられ、また、かつて示された合憲解釈の観点からみて適切な法適用がなされたか否かについて、同様の事件にかかわって裁判所が判断する可能性があるにもかかわらず、実際には、政治部門の対応は不十分なものにとどまる場合が多いのである。わが国の政治部門は、概して、合憲解釈にたいする対応−法適用レベルの対応であれ、立法レベルの対応であれ−の必要性を自覚しないままに、あたかも「合憲」という結果自体に安住しているかのようである。
  ともあれ、わが国において合憲解釈が有効に機能するには、政治部門の積極的対応が前提となるが、そのためにも、合憲解釈を政治部門にたいする積極的意味をもった「メッセージ」と理解し、そこから、立法政策の指針を抽出していくことが重要である。すなわち、合理的な立法政策の実現に寄与するものとして、合憲解釈を積極的に位置づけつつ、そこに含まれる「メッセージ」の具体的内容を明らかにすることによって、政治部門がとるべき対応を明確に提示しなければならない。このような認識にもとづき、合憲解釈を通じた憲法的価値の具体化をめざして、わが国の判例の再検討をおこなうことが必要であるが、これは今後の課題として残される。


(1)  現代立憲主義国家において違憲審査機関にたいする政治部門の対応の問題が検討されなければならないことは、これまで、蛯原健介「法律による憲法の具体化と合憲性審査(一−四・完)」立命館法学二五二号−二五五号、同「合憲性審査と立法的対応に関する一考察(一−二・完)」立命館法学二五七号・二五八号において繰り返し強調してきたところである。

(2)  最大判昭和三七(一九六二)年五月二日刑集一六巻五号四九五頁。

(3)  たとえば、神戸地尼崎支判昭和三四(一九五九)年五月二八日下刑集一巻五号一三二〇頁など。

(4)  合憲解釈のアプローチがとられた判決としては、前掲神戸地尼崎支判の控訴審である大阪高判昭和三四(一九五九)年一二月二二日下刑集一巻一二号二五七〇頁などがある。
(5)  なお、この事例については、政治部門が下級審の違憲判決に対応して法改正をおこなったものとみることもできるであろう。この点につき、蛯原健介「法律による憲法の具体化と合憲性審査(四・完)」立命館法学二五五号二一九頁を参照。

(6)  最大判昭和四四(一九六九)年四月二日刑集二三巻五号三〇五頁。

(7)  一九七三年四月二五日の全農林事件最高裁判決(刑集二七巻四号五四七頁)、一九七七年五月四日の全逓名古屋中郵事件最高裁判決(刑集三一巻三号一八二頁)、一九七六年五月二一日の岩教組学テ事件最高裁判決(刑集三〇巻五号一一七八頁)において、すべての公務員および三公社職員の争議一律禁止を合憲とする判例が確立された。

(8)  司法にたいする政治部門の「対抗関係」は、本件以外にも、教科書検定訴訟・杉本判決の直後に発せられた文部省初中局長通知などにおいて確認される。かかる「対抗関係」の問題点については、蛯原健介・前掲論文において検討したが、この問題にふれる近時の文献として、以下のものが興味深い。今関源成「九〇年代のフランス憲法院」憲法理論研究会編『憲法五〇年の人権と憲法裁判』敬文堂(一九九七年)、大石和彦「憲法裁判における原理と政治(一−三・完)」法学六一巻三号・六一巻四号・六二巻三号。前者は、一九九三年の移民規制法違憲判決にたいして政治部門が反感を表明し、憲法改正に訴えた事例を取り上げ、後者は、女性の中絶権を認めた合衆国最高裁判所のロウ対ヴェイド判決(一九七三年)にたいして政治部門が反発した問題を取り扱う。

 本稿は、平成一〇(一九九八)年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。