日本刑法三七条の緊急避難規定について(松宮)<BR>
立命館法学  一九九八年六号(二六二号)




日本刑法三七条の緊急避難規定について

松宮 孝明


目    次

  問題の所在
  日本刑法三七条の沿革
  日本刑法三七条に対する評価
  ドイツ緊急避難規定との比較
  日本刑法三七条の性格


  問題の所在


    一九〇七(明治四〇)年に制定された日本の現行刑法は、一九七五年に現代用語化と尊属を被害者とする場合の加重規定削除などの若干の実質改正を受けつつも、今日まで九〇年以上の命脈を保っている。日本刑法が範とした欧米諸国の刑法典の多くが、この間に全面改正を経験している中で、これは注目すべき事実である。それは、ひとつには、たとえば幅広い執行猶予の規定のように、この刑法典自体が、一八八〇(明治一三)年に制定された旧刑法を全面改正したものであって、その中にすでに、当時の最新の刑法思想が実現していたということによるものなのかもしれない。
  本稿で扱う刑法三七条の緊急避難規定もまた、一方で、制定以来まったく改正を受けておらず、他方で、旧刑法とは根本的に異なる内容をもつ規定のひとつである。同時に、この規定については、現行法下での解釈論争はさほど活発とはいえない。たしかに、緊急避難行為不処罰の根拠については、周知のように、違法阻却説、責任阻却説、二分説等の争いがあるが、緊急避難成立の範囲やそれに関与した者の扱いなど、実務的・実際的な結論をめぐる争いはほとんどないといってよい。
    もっとも、近年、これについて若干の変化が見られないこともない。それは、「強要された犯罪行為」が緊急避難たりうるかという問題である。たとえば、言うことを聞かないと自己や自己の近親者の生命に対して危害を加えると脅迫されて殺人や強盗を行った場合、現在の危難を避けるためにやむをえない行為であったとして不処罰となるかが問題となる(1)。実際、一九九六年六月二六日の東京地裁判決は、このような事案に対する解答を迫られた。そこでは、言うことを聞かないと殺すと脅されて友人を殺害した被告人が、緊急避難ないしその他の理由で不処罰となりうるかどうかが争われたのである。これについて東京地裁は、被告人には生命に対する危難はまだ現在のものでなかったと認定して、自由を奪われたことに対する過剰避難として殺人罪の成立を認めた上で、懲役刑の執行を猶予した(2)
  このような「強要された緊急避難」は、自己または他人の生命などに対する現在の危難を避けるためにやむをえない行為として他人に害悪を及ぼすという構造においては通常の緊急避難と異ならないように見えるが、避難行為が強要者の要求する犯罪行為であることに対する違和感や、それによって害悪を転嫁される第三者に正当防衛が認められないかどうかといった疑問をめぐって、緊急避難の不処罰理由をめぐる議論が起きつつある。同時に、それによって、日本刑法三七条の緊急避難を一元的に違法阻却事由と見る通説にも、反省が迫られつつあるといえよう。
    本稿では、右のような問題を解決する前提作業として、現行日本刑法三七条の沿革を明らかにし、同時に、この規定に対する評価や若干の比較法的検討を経て、本条のもつ法的性格を探ろうと思う。

(1)  このような「強要された緊急避難」について詳しくは、橋田  久「強制による行為の法的性質(一)(二・完)」法学論叢一三一巻一号九〇頁以下、四号九一頁以下(一九九二年)、浅田和茂ほか『刑法総論』(一九九三年)一五六頁以下〔松宮孝明〕、松宮「刑事法学の動き」法律時報六八巻八号(一九九六年)九四頁以下を参照されたい。
(2)  東京地判平成八・六・二六判時一五七八号三九頁以下参照。


  日本刑法三七条の沿革


    現行日本刑法三七条は、その第一項において「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。」と規定し、第二項において「前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。」とする。これは、一九〇七年制定当時の文言を現代用語化したものであり、その内容はこの九〇年間変化していない。これに対して一八八〇年に制定された旧刑法には、これに対応する規定はない。わずかに、旧刑法七五条の第一項に「抗拒ス可カラサル強制ニ遇ヒ其意ニ非サルノ所為ハ其罪ヲ論セス」とあり、同条の第二項に「天災又ハ意外ノ変ニ因リ避ク可カラサル危難ニ遇ヒ自己若クハ親属ノ身体ヲ防衛スルニ出タル所為亦同シ」とあるだけである。両者を比較すれば、大きく以下の点に相違がある。
  @  「抗拒ス可カラサル強制」規定の削除
  A  「天災又ハ意外ノ変ニ因リ避ク可カラサル危難」から「現在の危難」へ
  B  他人のための緊急避難が「親属(=親族)」から「他人」一般に拡大
  C  守られる法益は「身体」から「生命、身体、自由又は財産」に拡大
  D  生じた害と避けようとした害の均衡という要件の新設
  E  過剰避難が認められ、任意的減免という裁判官の広い裁量に委ねられる。
  F  「業務上特別の義務がある者」に対する適用除外規定の新設
  旧刑法は、一八七七年ボアソナード草案を基礎に一八一〇年フランス刑法典の影響を強く受けたものとされているが、緊急避難規定については、六四条の「強制」を拡大解釈することによって対処していたフランスと異なり、天災などによる危難に遭遇した場合に自己または親族の身体を守るための緊急避難を認めていた点で、むしろ一八七一年のドイツ刑法五二条、五四条に近いものになっていた(1)
  もっとも、当時のドイツ刑法五二条は、強制を物理的強制による場合に限るか否かで争いのあったフランス刑法と異なり、明文で「心理的強制」すなわち「脅迫」による場合を認めていた。これを明確にしていない点では、日本の旧刑法は、ドイツ刑法の完全な影響下にはなかったといえようか。ちなみに、ドイツ刑法は、五一条に責任能力、五二条に強制、五三条に正当防衛、五四条に緊急避難の規定を置いており、強制を責任無能力に準じた扱いにしている。その五二条は、「行為者が、抗拒不能な暴行によって、または自己もしくは親族の身体または生命に対する現在の、他の方法では回避できない危険と結びついた脅迫によって行為を強制された場合には、可罰的な行為でない。」と規定し、五四条は、「行為が、正当防衛以外の場合で、自己の責によらずかつ、他の方法では除去することのできない緊急状態において、自己または親族の身体または生命に対する現在の危険を避けるために犯された場合には、可罰的行為でない。」と規定する。
    このような旧刑法から現行刑法への緊急避難規定の変遷は、紆余曲折を経たものであった。
  旧刑法の改正作業は、一八八二(明治一五)年のその施行直後から始まっている。施行の翌年には、はやくも司法省の改正案が作られるなどいくつかの改正案が作られた後、一八八七(明治二〇)年一一月に外務省から司法省に移管された法律取調委員会において、一八九〇(明治二三)年末に四編四一四条からなる改正案が作成された。これは翌年一月に第一会帝国議会に提出されたが、会期終了で可決を見るに至らなかった(2)
  この明治二三年草案の六九条には、つぎのような規定がある(3)。すなわち、
    「為不為ノ自由ナクシテ行ヒタル所為ハ罪トシテ論セス
      此規定ハ左ニ記載シタル場合ニ於テ必ス之ヲ適用ス
    一  抗拒ス可カラサル脅迫又ハ身体ノ強制ヲ受ケタルトキ
    二  天災又ハ意外ノ変ニ因リ避ク可カラサル危難ニ遇ヒ自己若クハ親属ノ身体ヲ救護スルニ出タルトキ
    三  自己及ヒ本属長官ノ職権内ニ在ル事件ニ付キ其長官ノ命令ヲ執行シ又ハ執行スルモノト相当ニ信シタルトキ」
  ここでは、旧刑法七五条一項の「強制」に加えて、心理的圧迫である「脅迫」が挿入されたことや、二項の自己もしくは親族の身体の「防衛」が「救護」に置き換えられたこと、同一の条の中に本属長官の命令による行為が加えられたことが、大きな変更点である。
    その後、司法省は、一八九二(明治二五)年に新たに刑法改正審査委員会を設置した。委員会では、ドイツ、フィンランド、ハンガリー、イタリア、オーストリア、ベルギー、フランスおよび日本の旧刑法が参照され、一八九五(明治二八)年に改正案がまとめられた。このうちフランスについては、一八九三年の刑法草案が参照されている(4)
  緊急避難については、一八九五(明治二八)年の司法省刑法改正審査委員会議決録によれば、その改正案五四条の緊急避難規定は旧刑法七五条の第一項、第二項を併せフィンランドの法律に倣ったものとされている(5)。その内容は「自己又ハ他人ノ身体若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ已ムヲ得サルニ出タル所為ハ情状ニ因リ其罪ヲ全免シ若クハ宥恕スルコトヲ得」というものであった。
  この五四条の理由はつぎのように述べている。すなわち、
「本条ハ現行刑法第七十五条ヲ改正シタルモノニシテ同条ヲ改正スルニ付キ左ノ数説出ツ
第一説ニ曰ク
本節(不論罪及ヒ宥恕減軽)中ニ規定スルモノニシテ第七十五条ヲ除クノ外ハ総テ罪タルヲ免カレサルモノナリ其他ノモノハ唯刑ヲ科セサルニ過キス同条ノ所為ハ即チ権利ノ執行ニ属シ権利ノ執行ニ依リ妨害ヲ排除スルニアレハ之ヲ罪トシ目スルヲ得ス又其他ノモノハ總テ罪ナルカ故ニ之ヲ不論罪ト目スルハ不可ナリ云々
第二説ニ曰ク
不論罪ニハ種々アリ(第一)形状有ツテ罪トナルモノト(第二)否ラサルモノト又(第三)罪有ツテ刑ヲ科セサルモノトアリ之ニ依ツテ各区別ヲ立テサルヘカラス本条ノ所為ノ如キハ此第三ニ属スルモノ即チ罪アツテ刑ヲ科セサルモノナリ
又幼者ノ所為ノ如キハ之ヲ罪トスルヲ得サルモノナレトモ正当防衛ノ如キハ唯刑ヲ免スルニ過キサルモノナリ茲ニ至ツテ本条ト正当防衛トハ全ク区別スルコト能ハサルニ至ルナリ
又本条ノ二項ハ加害者被害者トモニ権利ヲ有スル場合ニシテ其加害ノ所為ハ即チ権利ノ執行ニ外ナラス
又意思及ヒ能力ヲ有スルモノニシテ犯罪ヲ為シタルトキ之ヲ罰セサルハ即チ法律カ其権利ヲ与ヘタルモノナリ
又反対論ニハ本条ノ場合ニ自由ナシトノ説ナレトモ自由トハ意思ノ働キヲ撰ムモノナリカ故ニ此場合ニハ人ヲ殺スカ己レカ死スカヲ撰ムノ自由アレハ之レヲモ自由ナシト云フヲ得ス殊ニ財産ニ対スル場合ヲ茲ニ規定スルコトト為サハ之ヲモ自由ヲ失ヒシモノト云フコトヲ得ス旁本条ノ場合ハ自由ヲ缺キタルモノニアラス云々
第三説ニ曰ク
本条ノ所為ハ強制ニ遇ヒ已ムヲ得ス之ヲ為スモノナルカ故ニ其所為ハ決シテ権利ノ執行ト云フヲ得ス此場合ニ権利ト権利ノ衝突アリ杯ト云フハ妄言モ亦甚シ本条ニ於テ其罪ヲ論セサルハ全ク自由ヲ缺クヲ以テナリ即チ本条ノ如キ危害切迫ノ場合ニ於テハ自由ヲ撰ムノ途ナキモノナリ反対論ニハ此場合ニ自由アリトノ説ナルモ自己ノ身ヲ殺スト云フトコロハ自由撰定ノ方法中ニ算フルコトヲ得ス故ニ自由アリト為スニハ自己ノ身以外ニ二者其一ヲ撰ムノ方法ナカルヘカラス然ルニ此場合ニハ他ニ全ク其方法ナク罪ヲ犯スカ己レ死スカノ一アルノミナレハ之ヲモ自由アリト為スハ不當ナリ聖人君子ニアラサルヨリハ身ヲ殺シテ仁ヲ為セト攻ムルコトヲ得ス
又強制ニ有形ノモノト無形ノモノトニアレトモ有形ノ強制ノ場合ニハ自由問題ハ生セス此場合ニ於テハ其所為ハ全ク他人ノ所為トナルカ故ニ此レニ関シ特ニ法律ヲ設クルヲ要セス本条ノ場合ニ當ルモノハ無形ノ強制ニ外ナラス云々
以上三説ニ分レタル末結極現行法七十五条ノ第一項第二項ヲ併セ芬蘭土國ノ法律ニ傚ヒ本条ノ如ク規定スルニ至レリ
終リニ危害ノ程度ノ如何ヲ示シ其軽重ニ依リ刑ヲ異ニスルノ規定ヲ設ケントノ説出ツ
右ニ付キ或ハ欧州諸國ノ学者ノ唱フル如ク其受ケントスル害ヨリモ加ヘントスル害ノ大ナルトキハ不論罪ト為スヲ得ストセント云ヒ或ハ芬蘭土ノ如ク事実裁判官ノ判定ニ任スト云ヒ或ハ最軽ノ危害ナルモ已ムヲ得サルニ出タルトキハ之ヲ無罪トス可シト云フノ説出テシモ如此ハ各人ノ解釈ニ任スルコトニ決ス
本条ニ在ル他人トハ恩人又ハ親友ノ如キ廣キ意味ヲ包含スルモノト決ス」と(6)
  旧刑法七五条との比較における刑法審査委員会改正案五四条の特徴は、「強制」の規定が削除されたこと、守られる利益に「財産」が追加されたこと、刑の減免が完全に裁判所の裁量に委ねられたことなどにある。その点で、先に触れたように、この規定は一八八九年一二月一九日のフィンランド刑法典第三章第一〇条に酷似するものとなった。ちなみに、一八八九年フィンランド刑法一〇条は、「何者かが自己または他人の身体(Person)または財産を現在の危難から救うために可罰的行為を犯し、かつ、その救護がこの行為なくしては不可能だった場合には、裁判所は、行為者がその行為を理由として処罰されるべきかあるいはその刑を全免しもしくは減軽すべきかについて、判断しなければならない。」と規定している(7)
    この刑法改正審査委員会の改正案には、明治二八年の刑法草案五〇条になると、「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ已ムヲ得サルニ出タル所為ハ情状ニ因リ其刑ヲ減軽シ若クハ之ヲ罰セス但職務上特別ノ義務アル者ハ此限ニ在ラス」というように、守られる法益の中に「生命」と「自由」が加えられるとともに、少なくとも必要的に減軽されることとなり、さらには「職務上特別ノ義務アル者」に対する緊急避難規定不適用の但し書が加えられた(8)。そして、この規定は明治三〇年および明治三三年の刑法草案五〇条でも踏襲され
(9)
  その明治三三年の刑法草案の理由書には、つぎのような提案理由が掲げられている。すなわち、
「本条ハ現行法七十五条ノ規定ヲ修正シタルモノニシテ其要旨ヲ挙クレハ
一  現行法七十五条第一項ハ所謂有形ノ自由ヲ喪失シタル場合ノ規定ニシテ若シ自己ノ身体外力ノ為メニ全ク強制セラレテ為シタルトキハ是レ外力ノ作用ノ結果ニシテ自己ノ行為ニ非サルハ明文ヲ俟タサルヲ以テ本案ハ之ヲ削除シ唯意思ノ上ニ受ケタル外力ノ結果ニ関スル規定ノミヲ設ケタリ
二  現行法ハ防衛ノ主体ヲ唯自己若クハ親属ノ身体ニ制限スト雖モ本案ハ自己又ハ他人ノ貴重ナル権利タル生命、身体、自由及ヒ財産ハ本条ノ場合ニ於テ之ヲ保護ス可キモノト認メ之ニ関スル規定ヲ設ケタリ
三  現行法ハ防衛ノ主体ヲ最モ貴重ナル自己又ハ親属ノ身体ニ限リタルヲ以テ之ヲ防衛スルニ出タル行為ハ常ニ罪ト成ラサルコトト為シタリ是レ身体ノ価値ハ其防衛ノ行為ヨリモ重大ナルカ故ナリ之ニ反シテ本案ハ防衛ノ主体ヲ拡張シ生命、身体、自由ノ外財産ヲモ加ヘタルヲ以テ縦令此等ノ権利ヲ保護スルノ必要ニ出テタリト雖モ此権利ニ比スレハ却テ重大ナル他人ノ権利ヲ害スルコトアル場合ニ於テハ其行為ヲ罪ト為ササレハ遂ニ其弊ニ堪ヘサルニ至ル可キヲ以テ本案ハ裁判所ヲシテ法律上保護セラレタル権利ト之ヲ防衛スル目的ヲ以テ侵害セラレタル権利トヲ比較シ情状ニ因リ或ハ全ク其行為ヲ罪ト為サス或ハ其行為ヲ罪トシテ之ヲ罰スルモ其刑ヲ減軽スルコトト為シタリ
四  現行法ハ自己ノ権利ヲ保護ス可キ危難ノ程度ヲ天災又ハ意外ノ変ニ因リ避ク可カラサル危難ト為スト雖モ斯カル例示的文字ハ無用ナルヲ以テ之ヲ改メテ現在ノ危難ト為シ語ヲ簡約ニシテ却テ其意義ヲ明確ナラシメタリ
五  現行法ハ職務上他人ヲ救護ス可キ特別ノ義務アル者ニ関スル規定ヲ欠ケルカ為メ往々危険ナル場合ヲ生セサルニ非ス是ヲ以テ本案ハ但書ニ於テ新ニ之ニ関スル規定ヲ設ケタリ
之ヲ要スルニ本案ハ自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対シ現在ノ危難ヲ受ケタルトキハ之ヲ避クルカ為メ為シタル必要ナル行為ハ情状ニ因リ或ハ罪ト為ラサルカ或ハ罪ト為ルモ其刑ヲ減軽スルコトヲ規定シタルモノニシテ但書ノ主旨ハ職務上特別ノ義務ヲ負担セル者ハ本条ノ適用ヲ受ケサルコトヲ明ニシタルモノナリ」と。
  刑法改正審査委員会改正案五四条との比較における本案の特徴は、前述のように、守られる法益の中に「生命」と「自由」が追加されたことと、緊急避難行為は少なくとも必要的に減軽されることになったこと、さらには「職務上特別ノ義務アル者」に対する緊急避難規定不適用の但し書が加えられたことである。
  このうち、守られる利益に「生命」と「自由」が追加され、刑の必要的減軽または不処罰が裁判所の裁量に委ねられた点については、一八九三年八月のスイス刑法予備草案一八条および一八九六年の同じくスイス刑法予備草案二〇条との類似性が認められる。もっとも、スイス刑法草案では、守られる利益に、さらに「名誉」と「その他の利益(Gut)」が列挙されているが。ちなみに、一八九三年八月のスイス刑法予備草案一八条は、「自己または他人の生命、身体、自由、名誉、財産またはその他の利益に対する直接の、他の方法では避けることのできない危難を免れるために犯した犯罪は、その所為がその事情に従えば免責的な(entschuldbar)ものであるときは、その刑を免除しまたは減軽する。」というものであり、一八九六年の予備草案二〇条は、「自己または他人の生命、身体、自由、名誉、財産またはその他の利益に対する、他の方法では避けることのできない直接の危難を免れるために、犯罪にあたる所為を犯した者は、その情況によれば、危難に陥った利益を犠牲にすることが彼に期待されえなかったときには、罰せられない。その他の場合には、裁判官は裁量により刑を減軽する。」というものであった(10)
    これに対して、一九〇一(明治三四)年草案および一九〇二(明治三五)年草案では、現行法にあるような「害の均衡」要件が追加される。すなわち、これらの草案の四七条では
「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ已ムヲ得サルニ出タル所為ハ其行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合ニ限リ之ヲ罰セス但其程度ヲ超エタルトキト雖モ情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得
前項ノ規定ハ業務上特別ノ義務アル者ニハ之ヲ適用セス」
と規定され、不処罰の緊急避難の成立には「害の均衡」が明文で要求されるとともに、過剰避難が明文化されて刑の裁量的減軽が規定された。ここに至って、過剰避難に対する刑の裁量的免除を別にすれば、ほぼ現行法と同じ規定案ができあがった。そしてこの規定形式は、一九〇七(明治四〇)年の政府原案に過剰避難の裁量的免除規定が入るまで、維持されることになる(11)
  ちなみに、明治三五年草案理由書は、第四七条についてつぎのように述べている。すなわち、
「本条ハ現行法七十五条ノ規定ヲ修正シタルモノニシテ其要旨ヲ挙クレハ左ノ如シ
一  現行法七十五条第一項ハ所謂有形ノ自由ヲ喪失シタル場合ノ規定ニシテ若シ自己ノ身体外力ノ為メニ全ク強制セラレテ為シタルトキハ是レ外力ノ作用ノ結果ニシテ自己ノ行為ニ非サルハ明文ヲ俟タサルヲ以テ本案ハ之ヲ削除シ唯意思ノ上ニ受ケタル外力ノ結果ニ関スル規定ノミヲ設ケタリ
二  現行法ハ攻撃セラレタル物ヲ唯自己若クハ親属ノ身体ニ制限スト雖モ本案ハ自己又ハ他人ノ 貴重ナル権利タル生命、身体、自由及ヒ財産ハ本条ノ場合ニ於テ之ヲ保護ス可キモノト認メ之ニ関スル規定ヲ設ケタリ
三  現行法ハ攻撃セラレタル物ヲ最モ貴重ナル自己又ハ親属ノ身体ニ限リタルヲ以テ已ムコトヲ得サル、ニ出テタル行為ハ常ニ罪ト為ラサルコトト為シタリ是身体ノ価値ハ其已ムコトヲ得サルニ出テタル行為ヨリモ重大ナル故ナリ之ニ反シテ本案ハ攻撃セラレタル物ヲ拡張シ生命、身体、自由ノ外財産ヲモ加ヘタルヲ以テ縦令此等ノ権利ヲ保護スル現実ノ必要ニ出テタル行為ナリト雖モ其行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ヨリモ大ニシテ畢竟保護セントシタル権利ニ比スレハ却テ重大ナル他人ノ権利ヲ害シタル場合ニ於テハ其行為ヲ罪ト為ササレハ遂ニ其弊ニ堪ヘサルニ至ル可キヲ以テ本案ハ裁判所ヲシテ攻撃セラレタル権利ト已ムbコトヲ得サルニ出テタル行為ニ依リ侵害セラレタル権利トヲ比較シ或ハ全ク其行為ヲ罪ト為サス或ハ其行為ヲ罪トシテ之ヲ罰シ又ハ罰スルモ其刑ヲ減軽スルコトト為シタリ
四  現行法ハ自己ノ権利ヲ保護ス可キ危難ノ程度ヲ天災又ハ意外ノ変ニ因リ避ク可カラサル危難ト為スト雖モ斯カル例示的文字ハ無用ナルヲ以テ之ヲ改メテ現在ノ危難ト為シ語ヲ簡約ニシテ却テ其意義ヲ明確ナラシメタリ
五  現行法ハ職務上他人ヲ救護ス可キ特別ノ義務アル者ニ関スル規定ヲ欠ケルカ為メ往々危険ナル場合ヲ生セサルニ非ス是ヲ以テ本案ハ本条第二項ニ於テ新ニ之ニ関スル規定ヲ設ケタリ
之ヲ要スルニ本案ハ自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対シ現在ノ危難ヲ受ケタルトキハ之ヲ避クル為メ為シタル真ニ必要ナル行為ハ罪ト為ラサルヲ原則トシ必要ノ程度ヲ超エタル場合ト雖モ情状ニ因、リ其刑ヲ減軽スルコヲ得ル旨ヲ規定シタルモノニシテ第二項ノ趣旨ハ職務上特別ノ義務ヲ負担セル者ハ本条ノ適用ヲ受ケサルコトヲ明ニシタルモノナリ」と(12)
  ここでは、「害の均衡」の要件が加えられるとともに、これを満たした行為は処罰されないことが明らかにされたことが、それまでの草案と比較した最大の相違点である。また、同時に、明治三三年草案理由書では「防衛行為」と表現されていた緊急避難行為が、明治三五年草案理由書では「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」と表現されている点も、看過しえない相違点といえよう。
    もっとも、厳密にいえば、先の明治三三年草案が「害の均衡」要件をまったく考えていなかったわけではない。先に見たように、明治三三年草案の理由書には、五〇条に関する三において、「縦令此等ノ権利ヲ保護スルノ必要ニ出テタリト雖モ此権利ニ比スレハ却テ重大ナル他人ノ権利ヲ害スルコトアル場合ニ於テハ其行為ヲ罪ト為ササレハ遂ニ其弊ニ堪ヘサルニ至ル可キヲ以テ本案ハ裁判所ヲシテ法律上保護セラレタル権利ト之ヲ防衛スル目的ヲ以テ侵害セラレタル権利トヲ比較シ情状ニ因リ或ハ全ク其行為ヲ罪ト為サス或ハ其行為ヲ罪トシテ之ヲ罰スルモ其刑ヲ減軽スルコトト為シタリ」と述べていたのである。
  これを素直に取れば、明治二八年から三三年までの草案においては、「情状」の判断の中で「害の均衡」が大きなウエイトを占めていたということになる。したがって、それにもかかわらず、明治三四年以降の草案があえて「害の均衡」要件を明文化した理由は何であったのかが、あらためて注目されることになる。
  これを考えるに際して参考になるのが、明治三五年一月二八日の貴族院特別委員会における以下のような議論である(13)。そこでは、委員の奥山政敬が「害の均衡」要件の挿入について、これでは泥棒から盗まれた着物を取り返そうとしても、殴らなければ取り返せない場合は着物一枚よりも生じた害の方が大きいということになって殴った者は処罰されることになるので、被害者は殴らずに泥棒が取るに任せるということになってしまうが、そういうつもりなのかという質問をした。これに対して政府委員の石渡敏一は、このような場合は草案四六条の正当防衛の規定で対処する旨答えたところ、委員の菊池武夫が、緊急避難の場合に「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」だけでなく「害の均衡」の要件を加えないとどういう不都合が生じるのか質した。これに対する石渡の答えはつぎのようなものであった。すなわち「書イタ所テハソレ程ノコトハコサイマセヌケレトモ、斯ウ区別シマスニハ余程議論カアツタノテアリマス、成ルホト四十六条ノ謂ハユル正当防衛ノ場合ニ当ツテモ防衛権ハ不正ノ侵害ト釣合ハナケレハナラヌ権衡ヲ得ナケレハナラヌト云フコトモ認メテ居ル、併ナカラ何様一方ハ権利ノ行使テアル、権利ノ行使トシテ法律ノ保護スルモノヲ他人カ侵害スルニ当ツテ之ヲ防衛スルノ権衡ヲ得サセルト云フノハ無理チャナイカ法律ノ主義ニ反スルノテアルト云フ説カ成立チマシテ、四十六条ハ防衛権ノ範囲ト不正ノ侵害ト釣合ノ必要ナシト云フノテ四十六条ニハ四十七条ノ末項ニアル如キモノヲ書カナカッタ、併ナカラ四十七条ニ於キマシテハ元々正当ノ行為ト云フコトハ一概ニ言ヘナイ、ソレナラ不正ノ行為カト云フト法律ハ不正ノ行為トモ認メナイ、謂ハユル中間ノ一ノ行為テアル、誉ムヘキ行為テハナイカ法律ハ之ヲ罰スルト云フコトハ出来ナイト云フノテ之ヲ許スノテアル以上ハ前ノ手続ヲ変ヘテ危難ヲ避ケル為ニ必要ナル所為ト権衡ヲ得ルト云フコトハ必要チャナイカト云フノテ四十七条ニハ末項ニ当ル所ヲ書キマシタ(14)」というのである。つまり、正当防衛は権利の行使であるから、権利の行使として法律が保護するものを他人の侵害から防衛するのに権衡を要求するのはおかしいのであり、防衛権の範囲と不正の侵害との釣合いは不要だから、正当防衛規定には緊急避難規定にあるような「害の均衡」を書かなかったというのであり、これに対して、緊急避難は元々正当の行為とは一概には言えないが不正の行為でもない「中間の行為」として法律が処罰できないものであるから、「害の均衡」要件が必要だというのである。
    これを端的にいえば、立法者は正当防衛と緊急避難との間の相違を明らかにし、前者は権利行使であり後者は正当の行為と一概にはいえない「中間の行為」だから「害の均衡」を入れたのだということになる。言い換えれば、明治三三年草案までの立法者の議論においては、同じく刑を免れる理由となりうる正当防衛と緊急避難の間の法的性格の相違は、あまり意識されていなかったということになる。これを示唆しているのが、右の石渡の答弁に続く菊池のつぎの質問である。すなわち、「\\私ノ考ハ『已ムコトヲ得サル』ト云ヘハ自ラ程度論ナトモ考ヘタ上テ、已ムコトヲ得ルカ得ナイカト云フコトハ出テ来ナケレハナラヌト思フノテアル、ソコテ四十六条ノ方ハ害ノ比較無シニ矢張リ『必要』テ『已ムコトヲ得サルニ出タタル(ママ)行為』ト云フコトテアツテ自ラ此所ニクタ−シク書イテアルヤウナ意味マテモ含ンテアルタラウト思フノテアル、然ルニ前条テハ含マセテアツテ此処テハ明カニ書カナケレハナラヌト云フ、ソコノ違ヒハトウシテ出テ来ルテアリマセウト云フコトヲ伺フノテス、\\行燈一ツ助ケル為ニ大層立派ナ垣ヲ壊ス場合モアルカモ知レヌケレトモ、ソレハトウシテモ場合ニ依ツテソレカ『已ムコトヲ得サル』ニナルノハ矢張リ破ラナケレハナラナカツタト云フノテ『已ムコトヲ得サル』ト云フコトヲ極メルニハ、害ノ程度モ一ノ情状トシテ参考セネハ極メラレナイノチャナイカト云フ疑ヲ起シタノテアリマス(15)」というのである。ここでは、正当防衛と緊急避難の両者に「害の均衡」が必要であり、しかも、その要件はすでに「已ムコトヲ得サル」という言葉の中に含まれているという理解が示されている。これは、「已ムヲ得サルニ出タル所為ハ情状ニ因リ其刑ヲ減軽シ若クハ之ヲ罰セス」という文言を、「本案ハ裁判所ヲシテ法律上保護セラレタル権利ト之ヲ防衛スル目的ヲ以テ侵害セラレタル権利トヲ比較シ情状ニ因リ或ハ全ク其行為ヲ罪ト為サス或ハ其行為ヲ罪トシテ之ヲ罰スルモ其刑ヲ減軽スルコトト為シタリ」と説明していた明治三三年草案までの立法者の考え方と符合するものである。
  しかし、明治三五年草案の立法者の考え方は、すでにこれとは違っていたようである。というのも、右の菊池の質問に対して、政府委員の倉富勇三郎は「已ムコトヲ得ナイト云フノト害ノ大小ハ明ナ区別カアロウト思ヒマス、成ルホト行燈一ツヲ助ケル為ニ\\助ケルト云フコトヲ極メタ以上ハ是非トモ垣根ヲ破ラナケレハ、助カラヌト云ヘハ、ソレハ破ルモ『已ムコトヲ得サル』モノニ相違ナイケレトモ其必要ト云フコトト害ノ大小ハ決シテ同一ノモノテハナイ、害カ大タカラ已ムコトヲ得ルト云フ譯ニハ参ラヌト思ヒマス(16)」と答弁し、同じく政府委員の石渡は「四十六条ノ『已ムコトヲ得サル』ト云フノハ着物一枚ヲ保護スル為テアツテモ、ソレヲ保護スル為ニ必要ナ場合ニ先キノ物ヲ傷ツケルトモ殺ストモ已ムコトヲ得ナイト云フコトヲ言ツテ居ル、ソレヲ菊池君カ言ハレル如ク不正ノ侵害ト防衛権ト釣合フト言フコトヲ必シモ必要ト認メナイ、防衛ニ必要ナル手段ハ總テ法律カ之ヲ必要ナル手段トシテ不論罪トスル方テ、四十七条ノ方ハソコカ違ツテ居ルノテス、成ルホト身体ナリ財産ナリ保護スルニ必要ナルモノハアラウ、ケレトモ其必要ナル物ノ中テ、モウ一ツ法律ハ条件ヲ付ケテ居リマス、其条件ハ此侵害ノ防衛ト相手ノ侵害サレヘキ物トノ釣合ハナケリヤ行カヌト斯ウ云フコトヲ此処チヤ見テ居ルノテ、両方同シモノト言フタノテハアリマセヌ(17)」と答弁しているからである。ここでは、「已ムコトヲ得サル」によって意図されているのは防衛ないし避難行為の「必要性」のみであることが明言されている。また同時に注目されるのは、「害の均衡」が緊急避難のみに要求されることによって、逆に、正当防衛は権利行為であり、その成立には防衛行為によって生じる害と防衛された権利との間の衡量は不要であることが明言されていることである。さらにこのことは、立法者の考えによれば、この規定で把握される緊急避難は、正当防衛と同じ意味での正当な行為ではなく、「中間の行為」ないし、石渡の答弁を確認した富井政章の言によれば、「本来ハ罪トナルヘキ行為テアルケレトモ国家カ刑罰権ヲ放棄シテ其罪ヲ問ハナイト云フタケノ(18)」行為であることを意味している。
    このようにしてできあがった日本刑法の緊急避難規定の骨子は、一九〇七(明治四〇)年の政府草案において過剰避難に裁量的刑の免除が加えられたほかは修正を受けることなく、現行法として成立することになる(19)。すなわち、現行刑法三七条は、「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ已ムヲ得サルニ出タル所為ハ其行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合ニ限リ之ヲ罰セス但其程度ヲ超エタルトキト雖モ情状ニ因リ其刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得
前項ノ規定ハ業務上特別ノ義務アル者ニハ之ヲ適用セス」という文言で、以後、一九九五(平成七)年の現代用語化のための改正まで、存続することになる。
  その明治四〇年草案理由書の刑法三七条の提案理由を参考までに示せば、それはつぎのようなものであった。すなわち、
「本条ハ現行法七十五条ノ規定ヲ修正シタルモノニシテ其要旨ヲ挙クレハ左ノ如シ
一  現行法七十五条第一項ハ所謂有形ノ自由ヲ喪失シタル場合ノ規定ナリ意思ノ自由ヲ責任ノ根拠ト為スヤ否ヤハ之ヲ学説ニ譲リ刑法ニ規定セサルヲ可トス又有形ノ法制(ママ)ニ因ル動作ハ人ノ行為ニ非サルコト明文ヲ俟タスシテ明ナリ故ニ本案ハ之ヲ削除シタリ
二  本条ハ現行法第七十五条第二項ヲ修正シタルモノナリ其修正ノ要ハ左ノ如シ
  イ  現行法ハ攻撃セラレタル物ヲ唯自己若クハ親属ノ身体ニ制限スト雖モ本案ハ自己又ハ他人ノ貴重ナル権利タル生命、身体、自由及ヒ財産ハ本条ノ場合ニ於テ之ヲ保護ス可キモノト認メ之ニ関スル規定ヲ設ケタリ
  ロ  現行法ハ攻撃セラレタル物ヲ自己又ハ親属ノ身体ニ限リ之ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得サルニ出テタル行為ハ常ニ罪ト為ラサルコトト為シタリ本案ハ攻撃セラレタル法律利益ヲ拡張シテ生命、身体、自由、財産ト為スト同時ニ縦令此等ノ権利ヲ保護スル現実ノ必要ニ出テタル行為ナリト雖モ其行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ヨリモ大ニシテ畢竟保護セントシタル権利ニ比スレハ却テ重大ナル他人ノ権利ヲ害シタル場合ニ於テハ其行為ヲ罪ト為ササレハ遂ニ其弊ニ堪ヘサルニ至ル可キヲ以テ本案ハ裁判所ヲシテ攻撃セラレタル権利ト已ムコトヲ得サルニ出テタル行為ニ依リ侵害セラレタル権利トヲ比較シ或ハ全ク其行為ヲ罪ト為サス或ハ其行為ヲ罪トシテ之ヲ罰シ又ハ之ヲ罪トスルモ其刑ヲ減軽シ又ハ其刑ニ全免スルコトト為シタリ
  ハ  現行法ハ自己ノ権利ヲ保護ス可キ危難ノ程度ヲ天災又ハ意外ノ変ニ因リ避ク可カラサル危難ト為スト雖モ斯カル例示的文字ハ無用ナルヲ以テ之ヲ改メテ現在ノ危難ト為シ語ヲ簡約ニシテ却テ其意義ヲ明確ナラシメタリ
  ニ  現行法ハ職務上他人ヲ救護ス可キ特別ノ義務アル者ニ関スル規定ヲ欠ケル為メ往往危険ナル場合ヲ生セサルニ非ス是ヲ以テ本案ハ本条第二項ニ於テ新ニ之ニ関スル規定ヲ設ケタリ
之ヲ要スルニ本案ハ自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対シ現在ノ危難ヲ受ケタルトキハ之ヲ避クル為メ已ムコトヲ得スシテ為シタル行為ハ罪ト為ササルヲ原則トシ必要ノ程度ヲ超エタル場合ト雖モ情状ニ因リ其刑ヲ減軽スルコトヲ得ル旨ヲ規定シタルモノニシテ第二項ノ趣旨ハ職務上特別ノ義務ヲ負担セル者ハ本条ノ適用ヲ受ケサルコトヲ明ニシタルモノナリ」と(20)

(1)  フランス刑法における緊急避難論の歴史については、森下  忠『緊急避難の研究』(一九六〇年)七四頁以下、同『緊急避難の比較法的考察』(一九六二年)三頁以下、井上宜裕「緊急避難の不可罰性と第三者保護に関する一考察ーフランス刑法を中心としてー(一)(二)(三・完)」法学雑誌四四巻一号(一九九七年)六九頁、二号(一九九八年)三二六頁、三号(一九九八年)四五二頁が詳しい。
(2)  内田文昭=山火正則=吉井蒼生夫編著『刑法〔明治四〇年〕(2)日本立法資料全集二一』(一九九三年)三頁参照。
(3)  倉富勇三郎ほか編・松尾浩也増補解題『増補刑法沿革綜覧』(一九九〇年)八二頁以下参照。
(4)  内田ほか編著・前掲書九頁参照。
(5)  内田ほか編著・前掲書八六頁以下参照。
(6)  内田ほか編著・前掲書八五頁以下。
(7)  付言すれば、ドイツにおける刑法改正のための比較刑法の作業で緊急避難を担当したエトカーは、フィンランド刑法のこの規定に対して、この規定は失当であり、これによって立法者は、自らがなすべきであった任務を裁判官に委ねた、とコメントしている(Oetker, Notwehr und Notstand, VDA II, 1908, S. 386f.)。なお、一八八九年フィンランド刑法典の制定過程について、Vgl. J. Forsman, ZStW 7, 214;11, 578.
(8)  内田ほか編著・前掲書一三八頁参照。
(9)  内田ほか編著・前掲書一三八頁、五一六頁参照。
(10)  訳文については、森下『緊急避難の比較法的考察』一〇〇頁、一〇二頁参照。
(11)  倉富ほか編『増補刑法沿革綜覧』二一四三頁以下参照。
(12)  内田文昭=山火正則=吉井蒼生夫編著『刑法〔明治四〇年〕(4)日本立法資料全集24』(一九九五年)八三頁以下参照。傍点部は、明治三三年草案理由書と異なる部分である。
(13)  倉富ほか編・前掲書八七九頁以下参照。
(14)  倉富ほか編・前掲書八八一頁以下。
(15)  倉富ほか編・前掲書八八二頁以下。
(16)  倉富ほか編・前掲書八八三頁。
(17)  倉富ほか編・前掲書八八三頁以下。
(18)  倉富ほか編・前掲書八八四頁。
(19)  もっとも、明治四〇年の政府草案では、過剰避難に対しては「情状」によりその刑を「減軽又ハ免除ス」とされていた。倉富ほか編・前掲書一五六二頁参照。
(20)  倉富ほか編・前掲書二一四二頁以下。なお、傍点部は、明治三五年草案理由書と異なる部分である。


  日本刑法三七条に対する評価


    このような経緯を経て制定された明治四〇年刑法三七条の緊急避難規定は、結果的には、立法に当たって参考にされた当時の諸外国の刑法典、とくに欧米系の刑法典のいずれとも異なる特徴をもつものであった。とりわけ、わが国の旧刑法に大きな影響を与えたと見られる一八一〇年フランス刑法典と比較すれば、すでに旧刑法七五条の時代から、「強制」に加えて自己または親族に対する緊急避難の規定が設けられていたが、明治四〇年刑法三七条では「強制」規定も削除され、フランス刑法典とはまったく異なった規定となっている。
  しかし、刑法三七条は、明治四〇年刑法に大きな影響を与えたと思われる一八七一年ドイツ刑法典の緊急避難規定とも、大きく異なる。むしろ規定上は旧刑法七五条のほうがドイツ刑法典に近く、「強制」規定の削除や「他人」一般に対する避難の規定、守られるべき法益として「自由または財産」の追加、「害の均衡」要件の挿入、過剰避難の任意的減免規定の新設、「特別義務者」に対する適用排除といった諸点において、明治四〇年刑法はドイツ刑法典の先を行っているのである(1)。むしろ、一八九五(明治二八)年の刑法改正審査委員会案五四条は、一八八九年のフィンランド刑法に類似したものであったし、その後の一九〇〇(明治三三)年草案までの緊急避難規定は、一八九〇年代のスイス刑法の諸草案に類似したものであった。それらは、スェーデンやドイツの刑法学の影響を受けつつ起草されたものであるが、一八六四年スェーデン刑法には緊急避難規定はなく(2)、またドイツではまだまとまった刑法草案が公表されていない段階なので、当時の両国の緊急避難理論の成果を反映したものと見ることができよう。
    とくにフランス流の緊急避難規定との関係で注目されるのは、「害の均衡」要件である。というのも、今日の通説が日本刑法三七条の緊急避難を一元的に違法阻却事由と見る最大の根拠が、この「害の均衡」要件だからである。とりわけ、この「均衡」要件が、生じた害が避けようとした害と同じであっても満たされるという点は、後に、守られる利益の本質的優越を要求するドイツ刑法学における「優越的利益説」と比較して、日本刑法三七条の大きな特色となっている。
  このように、害される利益と守られる利益とが同じないし同価値でもよいとする見解は、ドイツでは、一八五一年プロイセン刑法の時代にヘルシュナー、ベルナーらによって主張され、一八七一年刑法典の下ではシュタムラーによっても唱えられたものである(3)。また、スペインやポルトガルの刑法も、避けようとした害と生じた害が同じ場合に緊急避難を認めるものとされている(4)。これは、親族を超えて他人一般のための緊急避難が認められたり、危難による急迫の心理状態が要求されていないといった諸点とあいまって、ヘーゲルの法哲学における「緊急避難違法阻却事由説」の影響であるとも考えられる(5)。ただし、後に一九〇九年のドイツ刑法予備草案で明らかになるように、この時代には、違法阻却と責任阻却の厳格な区別は、あまり行われていない。
    もっとも、このようにして制定された日本刑法三七条に対するドイツの評価は、必ずしも芳しいものではなかったようである。これについて、二〇世紀初頭のドイツの刑法改正作業において緊急避難の比較法研究を担当したエトカーが、その比較法の作業の中でつぎのように述べている。すなわち、彼は、日本刑法が強制された犯行を「行為」(Handlung)でないとして、これに関する規定を削除したことは支持しつつも、第三者に危難を転嫁する攻撃的緊急避難と危険源に対する防衛的避難とを区別しない点や財産的法益への避難と人格的法益への避難とを区別しない点、裁判官の裁量に委ねる領域が広すぎる点などを批判した(6)。興味深いことに、これらの批判は、守られるべき法益に名誉を列挙していない点を除けば、スイス刑法草案に対する批判と共通していたことである(7)。さらに、立法者が自らなすべきであった任務を裁判官に委ねたとする点では、エトカーの批判は一八八九年フィンランド刑法に対する批判とも共通していたのである(8)

(1)  もちろん、ここに列挙したすべての点において、明治四〇年刑法が一八七一年ドイツ刑法典の「先を行っている」というわけではない。後の一九七五年のドイツ刑法典との比較から明らかになるように、過剰避難の扱いや特別義務者に対する適用排除は、必ずしもドイツの立法が採用するものではなかった。
(2)  Vgl. Oetker, Notwehr und Notstand, VDA II 1908, S. 388.
(3)  彼らの見解については、H. Ha¨lschner, Das preuβische Stratrecht, Teil 2, System des preussischen Strafrechts AT, 1858, S. 276, A.F. Berner, Lehrbuch des Deutschen Strafrechtes, 1857, S. 127ff.;ders., Lehrbuch des deutschen Strafrechtes, 18. Aufl. 1898, S. 103ff., 森下『緊急避難の研究』一〇九頁以下、一一一頁以下、一四九頁以下参照。
(4)  Vgl. Oetker, a. a. O., S. 379f. ただし、この時代のスペイン、ポルトガル刑法の緊急避難規定は、「強制」の拡張で対処するフランス刑法流の考え方を貴重にしているといわれている。
(5)  これについては、森下『緊急避難の研究』一〇〇頁以下参照。
(6)  Oetker, VDA II, S. 383ff.
(7)  Vgl. Oetker, VDA II, S. 391f.
(8)  Vgl. Oetker, VDA II, S. 386f.


  ドイツ緊急避難規定との比較


    そのドイツの刑法改正における緊急避難思想のその後の発展を、明治四〇年日本刑法の緊急避難規定と比較してみよう。ドイツでは、一九〇九年予備草案から一九三〇年草案までは、一八七一年刑法典五二条の「強制」規定を、一方で、物理力による「絶対強制」は「行為」でないから不処罰は自明としつつ、他方で、害悪との利益衡量による心理的強制は「相対強制」として緊急避難一般に解消する方向が目指された。さらに、一九二五年草案以降は、正当化と免責を分ける「二分説」を採用し、守られた利益が害された利益に「本質的に優越」している場合にのみ、緊急避難行為の違法阻却を認め、免責的緊急避難では「他人のための緊急避難」を親族のためのものに限定している。同時に両者に共通して、避難者に「危難受忍を期待することが不可能」という要件を追加した(1)。さらに、戦後の一九六二年草案では、この「二分説」を前提にしつつ、誤想避難の不処罰に「錯誤の非難不可能性」を加えている。
  「二分説」、とくに違法阻却事由としての緊急避難の承認にとって重要であったのが、ドイツ民法典九〇四条の避難行為受忍義務規定と、この規定を手がかりにして展開された、人工妊娠中絶に関与した医師を不可罰とした一九二七年のライヒ裁判所判決、およびブランデー密輸入事件に関する翌年のライヒ裁判所の判決であった(2)。とくに、ここでは、緊急避難を単なる免責事由とするだけでは、自らが心理的抑圧状態にあるわけではなくまた避難者の親族でもない関与者は、不処罰という効果を受けられないという理論的関係が重要である。このような関係があるからこそ、右の二つの判決でライヒ裁判所は、優越的利益擁護のための緊急避難は適法行為であるという解釈を展開したのである。
  このような経過を経て、一九七五年刑法典では、その三四条に正当化緊急避難が、三五条に免責的緊急避難が規定された。そして、正当化緊急避難では守られた利益の「本質的優越」が要求されつつ、同時に他人一般のための緊急避難が認められたが、免責的緊急避難では守られた法益が害された法益より価値の低い場合にも緊急避難が認められつつ、同時に他人のための緊急避難は「親族ないし親密な人物」に限定された。その法効果も、三四条では「違法でない」、三五条では「責任がない」というように、体系的位置づけを明示する形で規定された。さらに、三四条では危険回避のための手段としての「相当性」(Angemessenheit)が要求され、三五条では自招危難や特別の法的関係を理由に危険の甘受が期待できた場合に責任阻却が否定されるとともに、その二項では、免責的緊急避難状態の誤想の場合には、錯誤が回避可能な場合にだけ、しかも刑を必要的に減軽して処罰されることが規定された。
    ドイツ刑法における緊急避難規定のこのような発展過程から見ると、日本刑法三七条はつぎのような特徴をもっている。
  まず、いずれも旧刑法にあった「強制」規定を廃止している。その理由は、物理力による絶対強制の場合は「行為」でないという限りで共通している。しかし、心理的圧迫による相対強制については、ドイツではこれを緊急避難一般に解消することが意識的に追求されたが、日本ではその点は明らかでない。ただし、明治二三年草案の「強制」規定に「抗拒ス可カラサル脅迫」が追加されていたことは注目されてよい。というのも、一八一〇年フランス刑法典の解釈では「強制」の中に心理的強制を含めてよいかどうかが、「強制」規定を緊急避難に適用してよいかどうかの最大の分かれ目だったからである(3)。この点、日本の立法者は明らかに、「脅迫」による「強制」を含む一八七一年ドイツ刑法典の考え方に近づいている。したがって、「強制」規定をまったく削除したその後の草案の解釈としては、ドイツの場合と同じく、相対強制は緊急避難一般に解消されるものと考えてよいと思われる。
  つぎに、「害の均衡」要件の挿入をめぐる一九〇二(明治三五)年の貴族院特別委員会における議論は、当時の立法者が正当防衛は権利行為と考える一方で、緊急避難は必ずしも正当な行為ではない、むしろ本来は罪となるべき行為なのだと考えていたことを示唆している。言い換えれば、今日の通説と異なり、「害の均衡」を要求するのは緊急避難が必ずしも正当な行為でないからだというのである。これは、先の「強制」規定削除の点とあいまって、立法者が緊急避難の中に免責的な性格を見て取っていたということを意味する。
  同時に、このことは、日本では正当防衛と緊急避難の法的性格の相違が、明治三四年頃から明確に意識され始めたのではないかという推論を許すものでもある。実際、一八九六(明治二九)年に制定された現行日本民法では、七二〇条一項の中に正当防衛と不法行為に起因する緊急避難があわせて規定されており、いずれも「やむを得ない」ことだけが要件とされていて、緊急避難に対する「害の均衡」要件は規定されていない。
  くわえて、このことは、正当防衛の要件に関する立法者の意思が、急迫不正の侵害に対する防衛行為の必要性を超えて、防衛行為によって害される利益と防衛される利益との間のある程度の均衡を要求する「防衛行為の相当性」を不要とするものであったということを意味する。事実、この意味での「相当性」要件は、現行刑法制定後に、まず立法論として主張されたものであった(4)
  他人のための緊急避難を「親族」以外にも広げて他人一般とした点も、緊急避難を一元的に違法阻却事由だとする見解に必ずしも有利な事情ではない。というのも、前述のように、明治二八年の審査委員会改正案の理由では「他人」は「恩人又ハ親友」ぐらいの意味だとされていたし、一八九〇年代のスイス刑法典の諸草案は、他人一般のための緊急避難を認めながら、最終的には危難に陥った利益を犠牲にすることが行為者に期待できなかった場合に、かつそれを理由として、不処罰を認めていたからである(5)。したがって、他人一般に対する緊急避難を認めても「已ムコトヲ得サルニ出テタル行為」を思いとどまることが期待不可能な行為という意味に解することは可能であり、その場合には、救われる他人と行為者との間の人的関係は、期待不可能性を判断する資料のひとつとなることになろう。
    なお、ドイツの二分説が、守られる利益の「本質的優越」を違法性阻却の要件とすることになった最大の理由は、危難の発生とは無関係な第三者に危難を転嫁するのは第三者の私的自治(Autonomie)の領域に介入することになるので、この自治領域への介入をも正当化できるためには、単純な法益の優越では足りず、生命の危難を避けるために他人の物を壊すといった、守られる利益の「本質的優越」が必要なのだと考えられるようになったことにある(6)。言い換えれば、このように守られる利益が本質的に優越している場合には、人は他人の避難行為を甘受する義務があるということである(7)
  このような視点から日本の三七条を見ると、緊急避難を一元的に違法阻却事由とする立場では、生じた害と避けようとした害が同等な場合にまで広く避難行為甘受義務が生じるという問題が浮上する。極端な場合には、他人の命を救うために命の犠牲を強いられるという結果になるのである。したがって、日本の通説は、このような場合には緊急避難として避難行為阻止が許されると解している。しかし、これが「違法阻却事由としての緊急避難」の生まれてきた考え方と矛盾することは、ドイツ民法九〇四条を見るまでもなく明らかであろう。害が同等な場合の緊急避難は、もはや、適法行為ではないといわなければならない。
    最後に、緊急避難を適法行為とする要件は「守られた利益の本質的優越」だけでよいか、という問題を検討しよう。たとえば、他人の命を救うための献血なら、献血者が拒否していても、適法な緊急避難という名目でこれを強制できるだろうか。あるいは、腎臓病の患者の命を救うために、無断で全身麻酔中の患者から腎臓を一個摘出して移植してもよいのであろうか。
  この「強制献血」という設例は、ガラスが一九五四年のメツガー古稀祝賀論文集の中で提起したことを契機として、今日に至るまでドイツで激しく議論されているものである(8)。この設例では、反対説もあるが、緊急避難を理由とする正当化を認めない見解が有力である(9)。また、他人の命を救うための強制的な臓器提供では、おそらくこれを適法とする見解はほとんどないであろう(10)
  しかし、これらのケースでは、守られる利益の本質的優越は認められるのではなかろうか。とりわけ救命のための強制献血は、そうなりそうである。したがって、にもかかわらずこれらのケースで正当化が認められないとすれば、避難行為を正当化する要素には、守られる利益の本質的優越以外のものを加えなければならない。この解決を、ドイツ刑法三四条二文で要求されているような、危険回避手段としての当該避難行為の相当性(=適切性Angemessenheit)に求めたのが、ドイツの立法者であった(11)
  もっとも、実は、ここにいう「相当性」を、危険回避手段としての適切性と解するだけでは、問題は解決されないように思われる。というのも、献血や腎臓提供の強制が危険回避という観点からは適切な手段であったとしても、なおそれらを正当化するには抵抗感があるからである。これを端的に示したのが、本稿の冒頭で触れた「強要された犯罪行為」が緊急避難たりうるかという問題であった。ここでは、ドイツの多数説は、守られた利益の本質的優越や手段の相当性という観点とは異なる「不法の側に立つ」という視点を持ち出して、強要された犯罪行為の正当化を拒否したのである(12)。それは、ドイツ民法九〇四条が「相隣関係」による所有権の権限制限規定の直前にあることが示唆しているように、緊急避難による正当化が、社会的に見て「お互いさま」の関係にあるので避難を受忍する義務がある場合にだけ認められる、ということを意味している(13)
  このように見れば、ドイツ刑法三四条、三五条による二分法には、なお改善の余地があるということができよう。

(1)  ドイツの一九〇九年予備草案六七条は、「現在の、他の方法では除去することができず、かつ自己の責任によらない危難から自己または他人の身体(Person)または所有物(Eigentum)を守るために行為した者は、危難がささいなものにすぎない場合、もしくは所有物の救助に限られる場合には、行為によって予期されうる損害が危難に比べて著しく大きい場合を除いては、可罰的でない。」と規定し(Vorentwurf zu einem Deutschen Strafgesetzbuch, 1909, S. 14f.)、一九一三年および一九年草案二八条は、「緊急避難または緊急救助(=他人のための緊急避難ー筆者注)においてなした行為は違法でない。対立する利益を義務にかなって顧慮した上で、現在の、他の方法では除去することのできず、かつそこから自己に対して自己が法的に受忍する義務のない重大な損害が生じる恐れのある危難を回避するために、刑罰で威嚇されている行為を犯した者は、緊急避難において行為したものである。対立する利益を義務にかなって顧慮した上で、現在の、他の方法では除去することのできず、かつそこから他人に対してその人が法的に受忍する義務のない重大な損害が生じる恐れのある危難を回避するために、刑罰で威嚇されている行為を犯した者は、緊急救助をしたものである。ただし、この所為を、危難に陥った者の意思に反して犯すことはできない。行為者が緊急避難または緊急救助の限度を越えたときは、その刑は一一五条に従って減軽される。行為者が免責的な興奮または狼狽状態で行為した場合には、その刑を免除することができる。行為者に危難について責任があるか、または危難に陥った者の意思に反して行為したという理由のみで緊急避難または緊急救助が否定される場合には、その刑は一一五条に従って減軽することができる。」と規定する(Entwu¨rfe zu einem Deutschen Strafgesetzbuch, 1920, S. 14.)。これが、一九二五年草案以降になると、免責的緊急避難と違法阻却的緊急避難とが分離されるようになる。たとえば、一九二七年草案二五条は、「現在の、他の方法では除去することができない、自己または他人に対して重大な損害をもたらす危難を回避するために、刑罰で威嚇された行為をなした者は、対立する利益を義務にかなって顧慮した上で、自己または危難に陥った者に差し迫っている損害を受忍することが期待できない場合には、緊急避難において行為したものである。差し迫った損害が、避難行為(Einwirkung)から予想される損害に比べて著しく大きい場合には、行為者は違法に行為するものでない。それ以外の場合には、彼は違法に行為するものではあるが、処罰されない。身体または生命に対する避難行為は、身体または生命の保護のためにだけ、許される。二四条三項(過剰防衛に対する任意的減免の規定ー筆者注)は準用される。」と規定している(Entwurf zu einem Deutschen Strafgesetzbuch, 1927, S. 4.)。
(2)  RGSt 61, 242;62, 35. 前者については、アルビン・エーザー著、西原春夫監修『違法性と正当化ー原則と事例ー』(一九九三年)八一頁以下〔勝亦藤彦訳〕に、後者については、森下『緊急避難の研究』一八七頁以下に詳細な紹介がある。
(3)  これについては、森下『緊急避難の研究』七五頁以下、同『緊急避難の比較法的考察』一五頁以下、井上「緊急避難の不可罰性と第三者保護に関する一考察(二)」法学雑誌四四巻二号(一九九八年)三三三頁参照。
(4)  これは、とりわけ、昭和初期の牧野英一の見解に顕著である。牧野英一『刑法改正の諸問題』(一九三四年)一七七頁以下。なお、川端  博『正当防衛権の再生』(一九九八年)一六八頁以下、一七五頁以下も参照。
(5)  唯一、一八九四年八月のいわゆる「第二草案」一六条のみが、「義務もしくは自己保存本能に従ったとき」と並べて、「救われた法益が犠牲にされた法益よりも著しく大きいとき」にも緊急避難を認めるという二分説的構成をとっている。理由書によると、このような二分説的構成は、ドイツのリストの批判を受け入れたものだとされている。Vgl. C. Stooss, Schweizerisches Strafgesetzbuch. Vorentwurf mit Motiven im Auftrage des schweizerischen Bundesrates, 1894, S. 12ff., 131f. なお、森下『緊急避難の比較法的考察』一〇二頁以下も参照。
(6)  Vgl. T. Lenckner, Der rechtfertigende Notstand, 1965 S. 120ff. もっとも、この「私的自治」をも衡量すべき利益の中に含めてしまえば、理論的には、利益の単純な優越で正当化が認められることになる。
(7)  そもそも、ドイツ民法九〇四条は、避難行為によって損害を受ける物の所有者から、避難行為阻止の権限を奪う規定なのである。したがって、この場合に避難行為を阻止することは、たとえそれが「緊急避難に対する緊急避難」という名目のものであったとしても、法の認めるものではない。もっとも、ドイツ民法九〇四条は、その第二文で、避難者に対する生じた損害の賠償請求を、物の所有者に認めている。
(8)  W. Gallas, Pflichtenkollision als Schuldausschlieβungsgrund, Festschrift fu¨r E. Mezger, 1954, S. 325.
(9)  Vgl. Lenckner, a. a. O., S. 110.
(10)  松宮『刑法総論講義(第二版)』(一九九九年)一五一頁。
(11)  一九四〇(昭和一五)年の改正刑法仮案一九条は、「害の均衡」要件に代えて、「其ノ際ニ於ケル情況ニ照シ相當ナルトキハ罪ト為ラス」としている。
(12)  詳細は、橋田「強制による行為の法的性質(一)(二・完)」法学論叢一三一巻一号九〇頁以下、四号九一頁以下、浅田ほか『刑法総論』一五六頁以下〔松宮〕、松宮「刑事法学の動き」法律時報六八巻八号九四頁以下を参照されたい。
(13)  松宮・前傾法律時報六八巻八号九四頁以下参照。


  日本刑法三七条の性格


    最後に、日本刑法三七条の緊急避難規定の沿革から明らかになった事実とその性格を、再度まとめてみよう。
  まず、緊急避難一般を「強制」の拡張によって捉えようとする一八一〇年フランス刑法流の考え方は、すでに旧刑法の時代から克服されつつあったが、現行刑法は「強制」規定を削除することで、フランス刑法的な考え方とは完全に決別したと見ることができる。同時にそれは、一八七一年ドイツ刑法流の免責事由を中心とする考え方にも、すでに距離を置くものになっている。
  他方、正当化される緊急避難と免責事由としてのそれとの区別を知らない点で、現行三七条は、なお過渡的な性格をもっている。もちろん、「過渡的」というのは、ドイツ刑法のその後の発展過程から見ての評価であるが、しかし、貴族院特別委員会などでの議論を見ればわかるように、立法者は、刑法三七条の緊急避難を完全な適法行為とは必ずしも考えていなかったのであって、違法阻却事由としての一元的な把握は、むしろその後の学説の展開に依拠したもののように思われる。広く他人一般のための緊急避難を認めたことや「害の均衡」要件の挿入なども、必ずしも違法阻却事由としての一元的な理解と結びついていたわけではないことは、すでに指摘した通りである。
  なお、一八九六(明治二九)年に制定された日本民法との関係では、ドイツと異なり、民法に独自の「攻撃的緊急避難」に関する規定がなく、刑法三七条と民法との整合性ははかられていない。これは、自然災害からの緊急避難行為によって生じた損害の賠償について、これを避難者自身に対して請求する明文規定がないところに、問題を残している。判例には、この場合に避難者に対する賠償請求を認めているようであるが(1)、学説では、避難行為を許容しつつこれを「違法」と見ることは矛盾だとして、ドイツ民法九〇四条二文のように、「適法行為に基づく賠償責任」という構成を主張するものもある(2)。本稿の検討から見れば、このような民法と刑法の間の整合性のなさは、両者の立法時期の違いに起因しているように思われる。
    この三七条に影響を与えた外国刑法としては、一八九五(明治二八)年の刑法改正審査委員会案に対する一八八九年フィンランド刑法典や、その後の一九〇〇(明治三三)年草案までの規定との類似性が見られるスイス刑法典の諸草案が挙げられる。いずれも、過剰避難の場合を含めて、裁判官による量刑裁量の幅が極めて大きいことが、その特徴である。しかし、一九〇一(明治三四)年草案以降は、「害の均衡」を正当防衛との法的性格の明確化のために用いた点など、独自の展開が見られる(3)
    一九〇七(明治四〇)年の制定以来、現行刑法の緊急避難規定はまったく改正を受けていない。それは、ドイツなどと異なり、この間に緊急避難の考え方について根本的な再検討を迫るような実例が意識されてこなかったためであるように思われる(4)。しかし、冒頭に述べた犯罪行為強要の事例のように、日本においても、緊急避難の不処罰根拠について根本的な再検討を迫る事例は出てくるように思われる。これは、テロリストによる人質を盾にした強要の場合でも同じである。このような場合に、安易に「超法規的な緊急避難」に訴えることがないように、緊急避難論を整理しておく必要があるように思われる。

(1)  大判大正三・一〇・二刑録二〇輯一七六四頁。
(2)  佐伯千仭
『四訂刑法講義(総論)』(一九八一年)二〇九頁。なお、井上「緊急避難の不可罰性と第三者保護に関する一考察ーフランス刑法を中心としてー(三・完)」法学雑誌四四巻三号四五七頁は、この問題についてフランスでは、「不当利得」構成を主張する見解が有力であるとする。
(3)  この時代のスペイン、ポルトガルの緊急避難規定でも「害の均衡」要件があったことは前述した通りであるが、これらの規定の基礎は、先に述べたように、フランス刑法流の「強制」の拡張で緊急避難を捉えるものであったと見られている。
(4)  もっとも、前章注(11)で述べたように、昭和一五年の仮案に至る流れの中では、「害の均衡」要件を「相当性」に代える提案があった。
〔付記〕  本稿は、一九九七年度、九八年度の科研費補助金基盤研究Bによる成果の一部である。