立命館法学 1999年1号(263号) 323頁(323頁)




日本における税務争訟
- ドイツ裁判官からみた日本の税務争訟の特徴-


三  木  義  一
奥   谷    健

(共 訳)



は じ め に


  本稿は、ミュンスター財政裁判所のフォン・トヴィッケル(Degenhard Freiherr vonTwickel)裁判官が日本の裁判所での経験をもとに、ドイツの税法専門紙である Deutsche Steuer−Zeitung に一九九六年に公表した Steuerrechtsschutz in Japan を翻訳したものである。訳者の一人である三木自身も一九九八年五月から九月までミュンスター財政裁判所での留学の機会をいただき、筆者と意見交換をし、日独の税務争訟の違いの原因をいろいろ検討してきた。日本人の目から見たドイツの税務争訟の特徴を三木が「ドイツ税務訴訟の実態とその背景」民商法雑誌一一九巻四・五号−六号)で指摘しておいたので、本稿でドイツ裁判官から見た日本の税務争訟の特色を対比の意味で翻訳することにしたものである。両者をあわせて検討いただければ幸いである。


日本における税務争訟(1)
  一九九三年に日本では租税事件について一七七件の訴えが第一審である地方裁判所に係属した(2)。これに対しドイツでは(第一審である財政裁判所に)五〇〇八三件の訴えが提起された(3)。これに加えてドイツでは五九八七件の仮の権利救済(執行停止や仮命令)手続をとったが、日本にはこの形式の手続は存在していない。日本の人口がドイツより五〇%程度多いこと、国民総生産が二倍以上に達することを考えると(4)、この差異はより明白である。日本では約七〇万人の住民につき一件、または国民総生産の二二〇億ドル部分につき一件の割合で、これに対しドイツでは約一六〇〇人の住民につき一件、または三八〇〇万ドルの国民総生産の部分につき一件の割合で訴訟が提起されている。このような大きな差異に鑑みると、その原因を考察することは意味がある。
  そこで、以下で私は−訴訟数にどう影響するかを考慮して−(1)課税、(2)裁判外の権利救済手続、(3)税務訴訟における裁判手続に立ち入りたい。明らかに文化的な差異も大きな役割を果たしている(5)。日本での共同生活は協調をより重視し、その周囲と−場合によっては争ってでも−一線を画することを通じて自己の個性を追求することは日本の文化とはあまり適合しない。しかしこれらの影響を測定することは困難であり、従ってここではこれ以上この問題には立ち入らないことにする。


1  課  税

  (a)  総  説
  租税負担は日本においては全体的に見るとドイツよりも少なくはない。税収は一九九二年にはちょうど一〇〇兆円に達した(6)。それは当時約一兆四千億ドイツマルク(7)または住民一人につき一一〇〇〇ドイツマルク以上に相当する。ドイツでは一九九二年の税収は全部で七三一〇億ドイツマルクに達し(8)、住民一人につき約九〇〇〇ドイツマルク以上に達する。日本では税収総額のちょうど三分の二に相当する国税と並んで、収入額のほぼ三分の一に相当する地方税も重要な意義を持つ。地方税は地方自治体(約五五%)と都道府県(約四五%)に配分される。
  −訴訟になりやすい傾向のある−直接税はドイツと比較するとより重要な役割を果たしている。国税における直接税は一九九二年の収入額の約四分の三(そのうち所得税が五六%、法人税が三七%)を占めている。消費税は間接税収の三〇%を占めるが、ドイツと比べると著しく小さな役割しか有していない。地方税についても直接税が中心である。一九九二年の地方自治体収入額では住民税が約五〇%、固定資産税が約三七%占めている。都道府県の税収のうち都道府県民税は約三三%、事業税がほぼ四〇%占めているのである。

  (b)主要税制
   (aa)所得税
  所得税は分類課税制度の要素を示している。全部で一〇の所得類型のうち(9)所得税を分離して算出するための四つの異なった所得のカテゴリーがある。その場合に重要なのは、通常の所得、山林所得、退職所得、不動産および株式における譲渡所得である(10)。税率は国税である所得税については一〇%から五〇%(三〇〇〇万円超の金額に対して)までである。これに加えて地方所得税は税率が五%から一五%である(11)。この限りではドイツに比べて訴訟数の少ないことの手がかりは存在していない。
  しかしドイツと比べてより大きな役割を比較的高い控除額が果たしている。例えば給与所得者の場合は収入の四〇%から五%の控除額があり、六六〇万円の給与収入(当時約九二五〇〇ドイツマルク(12))の場合は控除額が一八六万円(二八・二%(13))にもなる。資本所得の場合にも高い控除額があり、その控除額は投資の種類と額によって異なっている。例えば一九八七年には四人世帯では合計三六〇〇万円を非課税で投資することが可能であった(14)。これに加えて税負担の上昇も比較的緩やかである。五〇〇万円の給与収入の場合(15)、国税である所得税は八〇七〇〇円(一・六一%)、それに加えて地方所得税は五三一〇〇円(一・〇六%)になるが、その倍の給与収入一〇〇〇万円の場合、国税である所得税は六〇万円(六%)の額に、地方所得税三九五〇〇〇円(三・九五%)が加わり、さらにその倍の二〇〇〇万円の場合は国税である所得税三一五四〇〇〇円(一五・七七%)と地方所得税一七七一〇〇〇円(八・八六%(16))になるからである。源泉徴収もドイツよりはるかに重大な意味を持っている。雇用者(原則として年末調整も行う)、利子・配当・その他これに類するものの支払者、年金支払者、料金または報酬の支払者等々に源泉徴収が義務付けられており(17)、一九九二年はこの方法によって個人所得税の七八%が徴収されているのである(18)
  源泉徴収、高い控除額、平均所得の相対的に低い税負担のコンビネーションは明らかに税務訴訟数の減少に影響を与えている。
    (bb)法人税および事業税(19)
  人的会社を含めてすべての会社は法人とみなされ、法人税に服する。個人事業は一九九三年までは法人税を選択できた。利益と商事貸借対照表基準性の関係については、ドイツの法人税と基本的に同じである。配当に際して支払われる法人税の算入は非常に限定されている。個人株主は原則として配当の一〇%を、課税所得が一〇〇〇万円を超える場合は配当の五%を個人所得税の計算に際して算入できる。法人の場合は、配当支払法人の株式等の二五%以上を有している場合には、受取配当は益金に算入されない。税率は三七・五%であるが、資本金が一億円までの小会社については(課税所得が八〇〇万円までに対して)二八%である。不動産の譲渡利益については赤字の場合であっても付加税が徴収される。当該不動産が五年を超えて保有されているのなら一〇%、二年から五年なら二〇%、二年以下なら三〇%の税率である(20)。それ以外に二重課税の確保(株主の所得税回避防止)のために留保された利益の六五%までについて役員三人以下の会社(同族会社)の場合には一〇%ー二〇%の付加税がある。
  法人はさらに都道府県から徴収される事業税を支払う。事業税は支払年度において事業支出として控除できる。税率は一二%である。税率は中小零細企業に対しては軽減され、一一〇%までの賦課率に服している。さらに法人住民税があり、当該法人の収益と資本に−さらに従業員数も−関連しているのでドイツ営業税と似ている。税率は収益に依存した部分に対して一七・三ー二〇・七%である。そのうち都道府県が五ー六%、市町村は一二・三ー一四・七%徴収できる。収益に依存していない部分は企業の大きさに応じて段階的に徴収される。
  したがって、実体企業税法は少なくともドイツと同程度訴訟の原因となり得るのである。
   (cc)消費税
  消費税は全段階−純額−税として形成されている(21)。一九八九年に初めて導入され、零細事業者たちの相対的な負担増のゆえに租税政策上あいかわらず論争されている。税率は今のところは三%である。一九九七年四月一日から五%にあがり、そのうち都道府県及び地方自治体に地方消費税として一%−それぞれ半分ずつ−が与えられる(22)。小企業−前々年に三〇〇〇万円以下の売上の企業−は消費税負担から除外される。しかし、零細事業者は例えばより高い前段階税額のゆえに還付が期待できるときは納税義務を選択できる。五〇〇〇万円までの売上については軽減措置がある。前段階税額は四億円以下の売上の場合に選択的に概算で計算できる。その際業種毎の典型的な粗利益が基礎とされている。一定の売上、特に住居賃貸料は非課税になっている。毎月の予納申告はなく、前年の負担額に応じて三ヶ月毎に三回予納される。
    (dd)相続税
  税率は高く、課税価格が七〇〇万円以下の場合の一〇%から、課税価格が一〇億円超の場合の七〇%まで上昇する。さらに法律上の相続(直系相続)と異なる場合には二〇%の割増となる。相続税については基礎控除額が四八〇〇万円、贈与税については毎年六〇万円である。不動産の課税評価額は取引価格の六〇−八〇%くらいである(23)。それは毎年一回税務行政によって確定される。このために全国四三万箇所について厳密な調査が行われる。近年地価が下落しているので、これらの規定は非常に訴訟になりやすく(24)、特に日本における地価は相対的になお高くなっているのでなおさらである(例えば居住用地については一九九五年三月三一日時点で平均三五〇〇DM/平方メートル)。それゆえ最近二六〇〇人の相続人が法的手段に訴えて六〇%の成果を収めているといわれている(25)。これは日本にとってはかなり目を見張るべき数である。相続税の支払いは−場合によっては部分的に−相続税額までの不動産の物納によっても可能である。

  (c)  納税申告とその調査
  日本においては申告納税の原則が妥当する。確定申告書の提出と租税の支払いまでの期間は比較的短い。所得税の場合は所得を翌年の三月一五日までに申告し、租税を算出し、−それが予納を超える限りで−支払われなければならない。給与所得の場合、確定申告書はその収入が一五〇〇万円を、そしてその他の所得が二〇万円を超えるときにのみ提出されなければならない(26)。それによって納税申告の提出義務を免れている者の数は日本の全納税者の四分の三になると推計されている(27)。法人税、事業税、消費税の場合、納税申告は遅くとも事業年度経過後二ヶ月以内に提出されなければならない。法人税については一ヶ月の提出期限延長の可能性がある。その他の租税について期限延長は極めてまれである(28)。それに対する利子の支払いが年毎に七・三%で、四ヶ月目からは一四・六%に上昇し、そしてその利子は控除され得ない(29)
  一定の規則、すなわち原則として正規の簿記原則の遵守を義務付けられた納税義務者は税務署の承認によって青色申告書を提出できる。この制度は三年または五年の損失繰越、(一年の)損失繰戻、特別償却、非課税の引当金などの一連の利益と結びついている。さらに税務署は推計課税ができず、特別な理由を付記した場合にのみ更正をすることができる(30)
  確定申告書の審査はそれが税務署に提出されるとすぐに行われている(31)。疑わしい場合には調査官が納税義務者とコンタクトをとり、場合によっては修正申告の提出を求める。この段階では税務職員による指導が大きな役割を果たしており、税務職員の約一%が主としてこの作業に取り組んでいる(32)。企業への税務調査は年の後半に行われ、巨大コンツェルンについては毎年行われる。税務調査と査定内容との原則的乖離は存在しない。税務調査の結果、しばしば一定の記帳内容が次年度から否定されることがあるくらいである。事情によっては修正申告の提出が要請されることもある。したがって調査のリスクは通常一年間のみに限定されている。妥協の余地が非常に大きく、訴訟になるものがはるかに少なくなることは明らかである。
  誤った確定申告書の提出はその他の点ではドイツよりも重大な効果を持つ。違反の手段や原因に応じて、租税の一〇%から四〇%にまで達しうる重加算税や加算税が徴収される。重大な場合には脱税調査が行われる。税務調査は−ドイツの場合と同様に−警察権限を有する。一九九三年の会計年度において二一九件の脱税調査が行われた。検察庁への移送は脱税額が大きい時にのみ行われ、起訴は通常脱税が五〇〇〇万円以上のときにはじめて行われる。
  自己申告納税制度及び早期でかつ、誤りの将来の是正に強く向けられている納税申告の調査制度は訴訟が少ないことの根本的な原因と見ることができよう。

  (d)  税務行政と税理士制度
  国家の税務行政は中央集権的に組織化されている。一二の管区と全部で五一九の税務署で構成されている。一九九二年七月現在五六二三〇人の被用者が働いていた。彼らは通常非常に良く教育され、高い職業倫理を持っている(33)。一九九三年現在、彼らに六〇七五二人の税理士が対峙している。税理士は同様に高い資格を付与され、基本的に特に旧税務職員を除いては厳しい試験に合格しなければならない。旧税務職員の割合は税理士業界のおよそ五〇%と見積もられている(34)。退職の後彼らはほとんど例外なく税理士として働き−他の税理士たちが嘆いているように−現役の税務職員から親切に扱われる。このことも紛争が少ないことの一因であることは明らかであろう。しかしより重要なのは税理士が税務訴訟において法廷での訴訟代理権を持っていないということであり、そのため税理士会では裁判所での発言権を獲得するよう努力がされている。
  私の滞在した時点において日本においては約一万人の公認会計士と約一万五千人の弁護士しかいなかった。どちらの職業もきわめて困難な試験に合格しなければならない。一九九三年には受験者二〇八四八人のうち七一二人しか司法試験に合格していない。公認会計士の場合は三段階の試験の第二段階での受験者九五三八人のうち七一七人が合格者であった。したがって数の上でこの二つの職業集団は税理士業務において大きな役割は果たしていない。しかし弁護士だけが法廷での代理権限を有しているのである。


2  裁判外の権利救済手続

  裁判外の権利救済手続は基本的に二段階である。納税義務者が処分に同意していないならば、その者は二ヶ月以内に処分をした行政庁に再審査の請求をしなければならない。その結果に対してその者はさらに一ヶ月以内に再度の審査の申し立てを国税不服審判所に−もしくは地方税の場合には直近の上級庁に−起こすことができる。その者が青色申告者であるならば、国税不服審判所に直接に請求できる。当事者への不利益変更はこの手続においては許されない。
  国税不服審判所は行政組織の一つであるが、税務行政の見解には拘束されていない。審判所は行政通達と異なることができるが、その場合には前もって届け出なければならない。税務行政が同意しないならば、民間の学識経験者から構成されている国税審査会でこの問題が検討されなければならない。審判所の裁決は拘束力を持つ(35)。これまで国税不服審判所は八つの事例において行政通達とは異なる判断をし、その全てにおいて税務行政は同意してきた。
  国税不服審判所の組織は税務行政の組織に相応している。事務総局は東京で、一二の支局がある。一九九三年現在合計して一六八人の審判官、八二人の副審判官及び一五二人の審査官が働いている。若干の審判官は裁判所または検察庁から派遣されており、その中には弁護士や大学教授もいるといわれている(36)。しかし、たいていの審判官は税務行政から来ており、通常は税務行政に数年後には戻る。
  その手続は裁判の手続と異なる。審判所長官は審判のための合議体を設置する。審判所長は合議体の議決に基づいて決定する。このような合議体は少なくとも審理を指揮する一人の審判官と二人以上の参加審判官から成っている。各審判官は一年に約一五の事例を処理する。
  第一段階への異議申立数は一九七五年の二四三三二件から一九九三年の六五九五件まで継続的に減少している。第二段階での審査請求数は一九七五年の一四五五三件から一九九三年の三五五六件まで下がっている。そのうち異議申立を経たものが三五一一件であり、二〇三一件の事例が所得税と関係していた(37)。その減少の原因と見られているのは源泉徴収還付運動の減少である。勝訴率は比較的低い。認容と一部認容の割合は一九八九年から一九九三年において九・三%(一九九〇)と一八・四%(一九九二)の間で動いている。しかし最近の相続税の紛争は根本的な変化をもたらしたと言ってよいだろう(38)

3  裁判所での手続

  (a)  総  説
  日本には特別の裁判管轄はない。権力分立の形態もドイツにおけるものとは異なる。裁判所の行政−司法予算の当該部分やあらゆる人事を含めて−は最高裁判所の権限に属し、法務省には属していない。裁判官は終身制ではなく、一〇年の任命制である。再任が原則である。例外は最後に一九七一年にあり、それは著しいセンセーションを引き起こした(39)
  審級制度はドイツにおけるそれと同じである。四五二の簡易裁判所、五〇の地方・家庭裁判所、八つの高等裁判所及び一つの最高裁判所がある。弁護士強制はいかなる審級においても存在しない。控訴と上告は制限されていない。しかし弁護士費用は賠償の対象となる手続費用には含まれない。訴訟数は全分野においてドイツにおける訴訟数よりも著しく少ない(40)。行政及び税務訴訟においては一九九三年に一〇三五件の訴訟、四四五件の控訴、二〇六件の上告が行われた。
  日本には全部で約三〇〇〇人の裁判官が働いていて、そのうち約八〇〇人が簡易裁判所の裁判官であり、彼らは非常に困難な司法試験(41)を受ける必要がない。最高裁判所には一五人の裁判官がおり、彼らに対しては特別な規定が適用されている。裁判官は−同意によって−通常は三年間で転勤する。裁判官の等級付けは年齢にかかっている。裁判長としての活動または高等裁判所での仕事は等級付けには影響を及ぼさない。しかし公務員と比べて賃金は明らかに際立っている(ドイツの裁判官に対する賃金よりはるかによい)。

  (b)  租税事件
  租税及びその他の行政訴訟に対する第一審は地方裁判所である。訴額九〇万円までの民事事件については簡易裁判所が権限を持つが、行政事件はそこから除外される。行政法及び租税法のための専門部が東京、大阪、名古屋の地方裁判所(だけ)にある。その上これらの裁判所には経験豊かな税務職員が裁判官の補助のために働き、二年ごとに派遣され税務訴訟に備えている。地方裁判所での民事事件は九〇%以上が単独裁判官によって処理されるのに対して、行政及び租税事件においては基本的に三人の職業裁判官で構成される部で判断する。また、行政及び税務訴訟は当事者主義として形を整えられている。それゆえ職権探知主義ではない。しかしながら裁判官はその配慮義務を極めて重大に考えている。
  租税事件について提起された事件の数は一九九三年に地方裁判所の場合−すでに述べたように−全部で一七七件に達し、その年の処理数は一九八件(そのうち一五一件が判決で処理されており、認容されたのは一五件)であった。高等裁判所の場合には八一件の控訴が引き受けられた。六八件が処理され、そのうち六七件が判決によって、そのうち九件が破棄自判であった。最高裁判所については三三件の上告を提起された。二九件を処理し、そのうち二八件は口頭弁論なしの棄却、一件が破棄自判であった。控訴や上告の割合はそれぞれ約五〇%と比較的高いが、勝訴率は低い。

  (c)  東京と宮崎の地方裁判所への訪問
  一九九三年に私は東京と宮崎の−九州に位置する約一二五万人の住民がいる同名の県を管轄する−地方裁判所を訪ねる機会があった(42)。東京地方裁判所では行政及び租税事件について提起された訴訟のうち全国の約五分の一を引き受けている。宮崎では−そこの人が覚えている限りでは−この一〇年間で租税事件は一件だけであったということである。東京では行政法及び租税法のために二つの専門部があり、そこは二人の高い見識を持つ税務職員によって補助されていた。一九九三年六月三〇日現在そこでは一八七件の訴訟が係属中で、七五件が租税確定処分に関係していた。最も古い訴訟は東京の新しい国際大型空港の認可に関係し、一九六七年に提起され、二六年前から係属中であった。係属中の訴訟の約五%が一九九〇年以前に提起されたものであった。そのうちの約半分が租税事件に関係し、最も古いものは一九八二年以来係属中であった。
  口頭弁論は週二回とり行われる。たいてい裁判長が弁護士と新たな書面を討議し、またはさらに付け加わる法的な観点を指摘することに限られる。ほとんど全ての手続は延期される。これらの方法によって期日は多くなり、時々二〇回を超えてしまう。極端な場合には四三回になったものもある。このようにドイツ人の観点からすると、きわめて時間のかかる手続過程のため、当事者に裁判所の活動をそれほど長く待てなくさせてしまい、さらに心理的に当事者をして合意へと向かわせてしまう。私見によれば日本人のメンタリティーを顧慮すると見逃すことのできない側面である。証明の期間は比較的時間がかかるものであった。通常は一回の期日に一人の証人に対して審問されるだけである。尋問は基本的に当事者によって行われ、当事者は裁判所が何に価値をおいているのか確信を持ち得ないので、できる限り詳しく質問する。調停手続は裁判官の執務室の隣に位置する審議室でとり行われた。その場合最初に裁判官が両当事者とそれぞれ別々に話をした。その際、他方当事者はその話し合いには参加していなかった。裁判官の中立に対する若干の不信感は、あまり問題となっていない(訳者注・ドイツでは裁判官が当事者の一方とだけ話をするのは禁じられている)。というのは、自己の意見を相手方に遠慮することなく述べたいという当事者の要求が勝っていたからである。租税事件においては正式の和解は認められない。しかし−ドイツと同じように−事実上の合意の方法がある。
  私の経験した訴訟はほとんどの場合において−一人またはそれ以上の−弁護士が代理を務めていた。税理士や公認会計士は日本では訴訟代理人として認められていない。しかしながら弁護士が彼らの援助を受けていたように思われる。税務署は署長によって代理されるが、たいてい一人かそれ以上の他の公務員によって代理され、時々税務行政に派遣された裁判官によって代理される。裁判官は法服を着、書記官も法服を着るが、これに対して弁護士は法服を着ない。審議の間は少なくとも一人の書記官と一人の裁判所職員が出席していた。話し合いは確かに非常に礼儀正しかった。弁護士や当事者は、彼らの意見を言うときには立ち上がっていた。
  部に係属中の手続は非常に多様である。先に言及した東京での大型空港の認可訴訟から何回かの殺人により死刑判決を受けたテロリストの拘留条件を理由とする訴訟、さらには国際的コンツェルンに関する租税移転が問題になる手続にまで及ぶほどの多様さである。裁判官が何度も管轄交代することを考慮すると、非常に高い習熟能力が要求されているといえる。したがって、租税事件においては裁判所に派遣された税務職員による準備が重大な実務的意義を持っている。
  税務訴訟において東京では共産党系の団体に支持されている小規模経営者及び手工業者の訴訟が約三分の一を占めている。大阪でも似たようなことがいえる。彼らは国に税金を支払わなければならないことに抵抗し、確定申告書を提出しない。彼らは推計され得るが、その後でその推計の正確性またはその誤りを主張する。税務署は推計の正当性を証明しなければならないが、原告による協力義務違反を理由に証明責任の軽減または転換はされず、さらに他方で通常このような場合を専門的に取り扱う弁護士が関与してくるので、これらの訴訟の勝訴率は比較的高い。通常は手続法上のあらゆる手段が尽くされるので裁判所(及び税務行政)にとっても活動費用は相当なものになる。
  私の経験したその他の事件はドイツでも似たような形で起こり得る。たとえばパチンコ屋の収入調査、支払受領者の正確な表示、売上利益額などが争点であった。しかし私は日本の裁判所の訪問に際して必要経費または特別支出が争点となった事件を経験していない。このような事件は私が前に述べたように生じないであろう(43)
  判決は私の印象によれば概してドイツよりも時間がかかる。私の滞在期間中アメリカのコンピューター会社の日本の子会社の訴訟について判決が下された。争点は手続法上の問題で、税務署が青色申告と異なる更正をする際に義務付けられている理由付記を十分に行ったかどうかであった。実体法的争点は、日本ではどの程度まで、研究や開発、広報活動、オランダの融資会社、設備や持ち株の売却による損失に対する経費が考慮に入れられるか、それはどんな場合か、であった。この訴訟は一九八九年以来係属中で訴額は三四億円であった。それは一部認容によって終わった。この判決は三〇〇ページ以上になり(ラテン語でならさらにそれ以上になるであろう)、さらに部は判決言渡後月曜日に判決文を渡さねばならなかったので、週末の間(土曜日と日曜日)も仕事をしていた。裁判長の回答によれば一月以内にさらに同じように膨大な量の判決を四つ書かなければならないということであった。しかしこのようなことは稀である。

ま  と  め


  日本において課税手続に対する訴訟数が非常に少ないことの原因は複雑である。文化的相違と並んで特に申告納税の原則、高い非課税額、高度に発達した源泉徴収制度および平均的勤労者の低い税負担も同様に原因となる。さらに税務行政の観点からすると、納税者と原則として話し合うことや非常に時期的に早い確定申告書の調査は将来に対しての誤りを予防することに強く向けられている。原則として二段階の裁判外の権利救済手続が、三段階存在する裁判所での手続と同様に、根本的な再検討を保障している。その際に軽微な額についての手続が起きないことは注目すべきことである。裁判手続は口頭弁論期日が多く、弁護士費用が賠償されないため、比較的費用がかかるものとなっている。その費用の割には勝訴の割合が少ないように思われるのである。


(1)  本稿のもととなったのは一九九五年一一月二三日に連9845財政アカデミーにおける財政裁判官会議での講演である。一九九三年に独日交流の一つとしてなされた日本の裁判所へ二ヶ月間留学したことがそのきっかけとなっている。vgl. Bericht des Autours in den Mitteilungen der Deutsch−Japanische Juristenvereinigung Nr. 13/14, Dezember 1994/Januar 1995 S. 7ff.
(2)  Annual Report of Judical Statistics for 1993, Volume 1 Civil Cases.
(3)  Statistisches Amt Wiesbaden, Finanzgerichte 1993.
(4)  日本は人口一億二四五〇万人、国民総生産三兆九二六六億六八〇〇万ドル。ドイツは人口八一三〇万人、国民総生産一兆九〇二九億九五〇〇万ドル、Fischer Weltalmanach 1996.
(5)   Vgl. Gutram Rahn, Recht und Rechtsmentalita¨t in Japan, in:Japanisches Handels− und Wirtschaftrecht, hrsg. von Harald Baum und Ulrich Drobnig, Berlin 1994.
(6)  An Outline of Japanese Taxes 1992, Ministry of Finance, Tokio, S. 342ff.
(7)  換算率は今のところ約一〇〇円=一、四〇DM。
(8)  Statisches Jahrbuch 1993, S. 550.
(9)  Fuβnote 6, S. 24.
(10)  Sakamoto/Janssen, Praxisrelevante Grundzu¨ge des japanischen Steuerrechts in:Japanisches Handels− und Wirtschaftsrecht, hrsg. von Harald Baum und Ulrich Drobnig (Fuβnote 5), S. 474.
(11)  Janssen, Mitteilungen der Deutsch−Japanischen Juristenvereinigung Nr. 15, Juli 1995, S. 103ff.
(12)  Siehe Fuβnote 7.
(13)  Janssen, Fuβnote 11, S. 104.
(14)  Ra¨dler, Steuererhebung und Steuerwirklichkeit in Japan, Der Betrieb 1987, S. 1703ff. und 1758 ff., 1759.
(15)  年間所得は平均五六〇万円で、五〇から五四歳までの年齢層では七二〇万円である(Handelsblatt vom 6. /7.10. 1995, S. 10.)。
(16)  Janssen, Fuβnote 11, S. 105.
(17)  Japnese Taxes, Fuβnote 6, S. 65ff.
(18)  An Outline of Japanese Tax Administration 1992, National Tax Administration, Tokio, S. 26.
(19)  Sakamoto/Janssen, Fuβnote10, S. 456ff.
(20)  Janssen, Fuβnote 11, S. 106.
(21)  Im einzelnen siehe Sakamoto/Janssen, Fuβnote 10, S. 485ff.
(22)  Janssen, Fuβnote 11, S. 106.
(23)  Sakamoto/Janssen, Fuβnote 10, S. 449.
(24)  FAZ Nr.246 vom 23. 10. 1995.
(25)  FAZ a. a. O.
(26)  Sakamoto/Janssen, Fuβnote 10, S. 453f.
(27)  Sakamoto/Janssen, Fuβnote 10, S. 454.
(28)  Ra¨dler, Fuβnote 14, S. 1707.
(29)  Sakamoto/Janssen, Fuβnote 10, S. 454.
(30)  Japanese Taxes 1992, Fuβnote 7, S. 64 und 124.
(31)  Im einzelnen siehe Ra¨dler, Fuβnote 14, S. 1708.
(32)  Ra¨dler, Fuβnote 14, S. 1707.
(33)  Ra¨dler, Fuβnote 14, S. 1706.
(34)  A¨hnlich Ra¨dler, Fuβnote 14, S. 1706.
(35)  An Outline of Japanese Tax Administration 1994, S. 107.
(36)  Fuβnote 35, S. 106.
(37)  Fuβnote 35, S. 103ff.
(38)  Siehe oben unter 1 b dd).
(39)  Vgl. Mitteilungender Deutsch−Japanischen Juristenvereinigung Nr. 5, Januar 1991, S. 10.
(40)  Vgl. Lenz in Mayer/Pohl (Hrsg.), La¨nderbericht Japan, Bonn 1994.
(41)  Siehe oben unter 1 d)
(42)  Siehe Fuβnote 1.
(43)  Zu den Ursachen siehe unter 1 b aa).