立命館法学 1999年3号(265号) 207頁
岡村司文書目録および解説「岡村司文書について」
鈴  木    良
T 草稿類 U 日記 V 書簡類 W 講義ノート X書籍等 Y その他
解説「岡村司文書について」







 

凡  例

一、全537点を次のように分類した。

T 草稿類・文書番号(以下同じ)1〜143。
   草稿類については、利用の便を図るため、内容上から (一)青年期・1〜84  (二)京都帝大時代以後・85〜128  (三)その他・129〜143に分類した。

U 日記・1〜49

V 書簡類・1〜110。うち(書簡)1〜22。(葉書)23〜110

W 講義ノート・1〜13。

X  書籍類・1〜6。

Y  その他・(一)履歴書類1〜22 (二)葬儀関係1〜23 (三)領収書・メモ帳・通帳1〜15 (四)写真1〜27 (五)賞状・会員証等1〜10 (六)雑1〜19。

二、書簡類について。*印は消印の年月日を表している。例えば「大正三年三月七日*」は年月日全てが消印によることを示す。「大正三年*三月」は年のみが消印によることを示している

三、本文書目録は鈴木良が中心となり分類整理したものである。立命館大学講師岸本学、同鮫島京一がこれに協力した。

 

一九九九年八月
産業社会学部・鈴 木  良・識

 

 

(一)青年期

番号 年月日 文 書 名 著 者 備 考
1 明治一三年一一月 日本外史諸家系譜 岡村司 一冊。
2 明治一四年二月 詩文抜萃 岡村司 一冊。別紙「加村新居偶成」、一枚あり。
3 明治一四年八月 新撰名家詩文  詩之部 岡村司写 朱筆書込あり、一冊。
4 明治一六年 太白詩抄 巨鹿処士・岡村司 一冊。
5 明治一七年九月二二日 雲井龍雄詩文集(漢文) 岡村司 朱筆注記あり。一冊。
6 明治一八年八月一二日 下野私立教育会雑誌第七号抜萃「論理学一斑」 会員小林満三郎 北総岡村司書とあり。三枚。
7 明治一九年四月四日 送荒井松陽帰郷里序 岡村司 鉛筆にて訂正あり。罫紙、二枚。
8 明治一九年六月 明治一九年六月開会、丙戌会簿会員名簿及会計一覧   一冊。
9 明治二〇年一月二九日 與某氏書(宛名欠・漢文)    
10 明治二〇年二月 宮本・竿代両氏差入物会計簿   明治二〇年から明治二一年二月までの差入記録。一冊。
11 明治二〇年九月 丙戌会名簿・会計一覧 丙戌会 罫紙、一冊。
12 年欠 青柳亭慰労懇親会席上演説草案   明治二〇年か。二枚。(宮本・竿代二氏救援のための会)
13 明治二一年三月一八日 偶言一則 岡村司 戊子とあり。罫紙、一枚。
14 明治二一年三月一三日 勧工場ノ記 仏法科一年生岡村司 戊子とあり。朱筆で訂正等あり。罫紙、一冊。
15 明治二一年三月一三日 死刑廃否論 仏法科一年生岡村司 戊子とあり。罫紙、一冊。
16 明治二一年四月二三日 偶言 岡村司か 戊子とあり。罫紙、一枚。
17 明治二一年四月 蕪稿 岡村司 赤沼朗朱筆書込、一冊。
18 明治二一年五月 式穀堂記 岡村司 一枚。
19 明治二一年六月一二日 岡本監輔先生漢文試問 岡村司か 一枚。
20 明治二一年六月 棕竹印譜第一巻序 岡村司 一枚。
21 明治二一年七月頃 孝女白菊の歌  (落合直文)   「明治二一年二月二十日発行、東洋学会雑誌第二編四号」より抜き書き。三枚。
22 明治二一年七月頃 野州僑居偶作三首   一枚。
23 明治二一年八月

答友人入江良之書
答友人香坂悌蔵書
與友人宮本平九郎書
與仙台嶺八郎助書
与伯兄書

 岡村司 一冊。
24 明治二一年 新註梅月吟(漢文) 袖浦釣士(岡村司) 一冊。
25 明治二一年 漢文草稿(葡萄牙王阿爾本四世云々) 岡村司より赤沼宛 鉛筆にて赤沼朗の訂正、批評あり。一枚。
26 明治二一年頃 読佛経得漫言十五首・三島中洲先生   「明治二一年二月二〇日発行東洋学会雑誌第二編四号」より採録。罫紙、二枚。
27 年欠二月二四日 山香次郎吉宛書簡草稿 岡村司 明治二一年か。史学研究会を作る件、仏法科一年生全級の会とする。一枚。
28 年欠 呈三島中洲先生代華甲壽詞 岡村司 明治二一年か。朱筆書込あり。罫紙、二枚。
29 年欠 西郷隆盛論 岡村司 明治二一年か。二枚。
30 年欠 敬宇先生文集 岡村司抄録 明治二一年か。一冊。後欠。
31 年欠 古今日本名家文集 岡村司 明治二一年か。朱筆訂正等あり、一冊。
32 明治二二年一月 丙戌会々員表及紀事 丙戌会幹事 罫紙、一冊。
33 明治二二年三月一九日 偶言一則 岡村司か 二枚。
34 年欠 作文(残菊、初雪) 仏法科二年岡村司 明治二二年か。久米先生宛。
35 年欠 修身芻言(漢文) 仏法科二年岡村司 明治二二年か。青年学叢「塞撒(シーザー)傳」(山本某訳)感想。
36 年欠 修身芻言(漢文) 岡村司 三五と同文。罫紙二枚。
37 年欠 與友人論小説書(漢文) 仏豫一級二之組岡村司  
38 年欠 暮秋の川のけしき 仏二年岡村司 明治二二年か。朱書にて訂正等あり。二枚。
39 年欠 與李鴻章書 通学生岡村司 明治二二年か。朱筆書込みあり。三枚。
40 年欠 読山陽先生日本外史 級外通学生岡村司 明治二二年か。朱筆訂正あり。罫紙、一枚。
41 明治二三年四月二二日 丙戌会決議廻覧 丙戌会幹事 罫紙、二枚。
42 明治二四年三月一九日 贈加藤士幹序 岡村司 文科大学用箋、一枚。
43 明治二四年四月二六日 奉送岡本監輔先生之北海 法科大学々生岡村司 二枚。
44 明治二四年八月三日 入江氏蔵書目録序 岡村司 「神奈川県下」用箋、一枚。
45 明治二四年一一月 弔中村敬宇先生文 岡村司 文科大学罫紙、一枚。
46 明治二五年一一月二五日 擬上山県法相書(漢文)   罫紙、一枚。
47 明治二五年 職務修習目録 麺町区裁判所試補岡村司 一冊。
48 年欠二月一一日 奉木下広次先生書(漢文) 岡村司 明治二五年頃。麹町区裁判所用箋、二通
49 年欠 呈穂積先生書(漢文) 岡村司 明治二七年頃。陸軍経理学校在職中のもの。
50 年欠 呈穂積先生書(漢文) 岡村司 明治二七年頃。陸軍経理学校在職中のもの。
51 年欠 送赤沼士徳帰省信州序 岡村司か 明治二七年頃。陸軍省用箋、一枚。
52 年欠 送赤沼士徳帰省信州序 岡村司か 明治二七年頃。罫紙、一枚。
53 年欠 稽山書院尊経閣記 岡村司か 明治二七年頃。朱筆にて訂正あり。罫紙、二枚。
54 年欠 弘道館記 岡村司か 明治二七年頃。写し。罫紙、一枚。
55 年欠 所感(漢文) 岡村司か 明治二七年頃。陸軍経理学校用箋、一枚。
56 明治二八年九月一日 名賢訪求録   勝安芳伯を訪問。一冊。陸軍省用箋。
57 明治二八年一一月 下野田沼町神明講社の日清戦争紀念碑文 北総岡村登撰 一枚。岡村登は司の兄。
58 明治二九年三月五日 釈奠儀注 滸水漁天謹写 朱印で「船江」とあり。一冊。
59 明治三〇年四月 古河郷友会大会記事   六枚綴り。
60 明治三〇年六月 古河郷友会改革主旨   古河郷友会規則あり。陸軍経理学校箋、三枚。
61 年欠 倣少陵同谷県歌・沙田貞管    
62 年欠 春の野(新体詩)   一枚
63 年欠 且堂遺稿序 岡村司 日下寛の朱書訂正あり。罫紙、二枚。
64 年欠 且堂遺稿序 岡村司 朱書訂正あり。原稿用紙、一枚。
65 年欠 且堂遺稿序 岡村司 朱書訂正あり。罫紙、二枚。
66 年欠 且堂遺稿序 岡村司 朱書訂正あり。罫紙、二枚。
67 年欠 且堂遺稿序 岡村司 朱書訂正あり。罫紙、二枚。
68 年欠 且堂遺稿序 岡村司 朱書訂正あり。原稿用紙、二枚。
69 年欠 希臘史提要 岡村司訳 「第一章旧人種」のみ。罫紙、一枚。
70 年欠 無題(利己主義を論じたもの) 岡村司 一枚。
71 年欠 討論問題 岡村司 法学院などへの出題。一枚。
72 年欠 佛教活論序論抜萃 岡村司か 罫紙、一枚。
73 年欠 サビニー氏現今羅馬法綱目 岡村司か 罫紙、一枚。
74 年欠 士規七則(吉田松陰) 岡村司か 写し。罫紙、一枚。
75 年欠 答聶豹書 岡村司か 罫紙、三枚。
76 年欠 苦楽何処ヨリ来ル 大内青巒 注記あり。罫紙、三枚。
77 年欠 順徳天皇駐蹕遺跡碑 川田剛 岡村筆注記あり。罫紙、一枚。
78 年欠 敬宇中村正直先生自叙千字文 (漢文)    
79 年欠 頼古堂印人伝序   一枚。
80 年欠 対清策   罫紙、五枚。
81 年欠 抜本塞源論   朱筆にて訂正あり。罫紙、四枚。
82 年欠 輸出入品書上   文部省用箋、一冊。
83 年欠 人権論 岡村司か 断片。罫紙、一枚。
84 年欠 道徳ノ本原 岡村司か 断片。罫紙、一枚。

(二)京都帝大時代以降

番号 年月日 文 書 名 著 者 備 考
85 明治三七年一二月二五日 所感 岡村司 一枚。
86 明治三八年六月三日 書芳野紀行後(漢文) 岡村司 罫紙、一枚。
87 年欠 木下広次演説草稿   明治三八年か。原稿用紙、二枚。
88 明治三九年六月七日 著作予定題目と所感 岡村司 一枚。
89 明治三九年一一月二五日 所感(社会制度の目的・個人と社会の利害の一致) 岡村司 二枚。
90 明治四〇年一月二八日 報告書(岡村司より千賀鶴太郎など一三名宛に廻覧)   法科大学改革について、木下総長訪問報告書。封筒あり。
91 明治四〇年一二月二一日 岡田良平京都帝大総長宛書簡草稿(漢文) 岡村司  
92 年欠二月三日 與織田萬氏書(漢文) 岡村司 明治四〇年か。京都帝大法科大学学長として因循なりとする。原稿用紙、二枚綴。
93 年欠 京都帝国大学法科大学規程改正理由 岡村司 明治四〇年か。原稿用紙、五枚。
94 年欠 京都帝国大学法科大学規程改正理由 岡村司 明治四〇年か。原稿用紙、三枚。
95 年欠 京都法科大学規程改正理由書 岡村司 明治四〇年か。原稿用紙、六枚。
96 年欠 題名なし 岡村司 学制改正・反対理由草案。原稿用紙、一枚。
97 明治四一年二月二三日 清水寺と浅野総一郎間に締結せる契約無効の付鑑定書 岡村司 罫紙、一冊。
98 明治四一年 小松原英太郎文相宛書簡草稿 岡村司 原稿用紙、二枚。
99 明治四二年三月二五日 嘉久墓碑原稿 岡村司 「活人原稿」用箋、一枚。
100 年欠 孟子ト朝鮮   岡村氏用箋、三枚。
101 年欠 題名なし   朝鮮亡滅と忠君愛国を論じたもの。岡村氏用箋。二枚。
102 明治四四年六月 余ノ岐阜演説ニ関スル弁妄 岡村司 法律大辞書原稿用紙、三枚。
103 明治四四年六月 岐阜演説への処分についての弁明 岡村司 法律大辞書原稿用紙、四枚。
104 年欠 将来ノ革命 岡村司 明治四五年か。原稿用紙、七枚。
105 大正四年一一月 即位礼につき関西大学学長祝詞   罫紙、景社文稿箋、一枚。
106 大正六年七月 有馬温泉某楼にて画賛 岡村司 岡村法律事務所用箋、一枚。
107 大正六年一〇月 岩井氏へ啄木鳥画贈呈ニ付草案 岡村司 一点。
108 年欠 労働契約(六) 岡村司 京都法学会雑誌、「雑録の六」とあり。
109 年欠 損害賠償ノ評定 岡村司 「(論説の三)」とあり。原稿用紙。
110 年欠 家産制度ヲ設クルノ議 岡村司 新日本原稿用紙、一枚。
111 年欠 白耳義国ニ於ケル一九〇〇年三月十日ノ労働契約ニ関スル法律 岡村司 罫紙、一一枚。
112 年欠 プランク民法注釈書抜萃 岡村司 罫紙、二枚。
113 年欠 ヴィッデンシャイド氏パンデクテン第五巻 岡村司 罫紙、二枚。
114 年欠 解紛録(一)・民事事件に関する鑑定書等 岡村司 岡村氏用箋、一冊。
115 年欠 西遊所感数則(草案) 岡村司 原稿用紙、一枚。
116 年欠 ギュイヨーノ道徳説 岡村司述 原稿用紙、一〇枚。
117 年欠 仏国ノ洪水ニ就キテ 巨鹿山人 原稿用紙、三枚。
118 年欠 社会改造論ノ一端(一一箇条) 岡村司 一枚。
119 年欠 演説草稿(言論の自由など) 岡村司 原稿用紙、二枚。
120 年欠 政務官ノ地位 北浦圭太郎 原稿用紙、九枚。
121 年欠 兼善会設立主意書   法律大辞典原稿箋、一枚。
122 年欠 出納簿   大正年欠・三月二二日から三一日まで。岡村法律事務所用箋、一冊。
123 年欠 中山家家憲   「活人原稿」用箋、四枚。
124 年欠 奥村家家憲   罫紙、三枚。
125 年欠 家憲(奥村家家憲)   奥村電気商会用箋、一冊。
126 年欠 判決文草稿(特許権侵害に関する判決写)   裁判用紙、四枚。
127 年欠 証拠調等   岡村法律事務所用箋、九枚。
128 年欠 関西大学学友会誌発刊の辞   関西大学学友会原稿用紙、一枚。朱筆あり。

(三)年代不明

番号 年月日 文 書 名 著 者 備 考
129 年欠 祭亡友赤沼士朗之霊文(漢文) 岡村司 一枚。
130 年欠 祭亡友赤沼士朗之霊文(草案) 岡村司 罫紙、一枚。
131 年欠 余カ道徳主義ニ関スル告白(草稿) 岡村司 原稿用紙、一枚。
132 年欠 先考行状随録 岡村司 先考忠右衛門のことを記したもの。一枚。
133 年欠 明斯之戦二(希臘史中一節) 岡村司訳 一枚。
134 年欠 必要ト満足(仏エ・ルバツスール氏著経済学緒論中一節) 岡村司訳 一枚。
135 年欠 法律字彙 巨鹿処士岡村司手録 表紙のみ一枚。
136 年欠 利他心についての草稿(断片) 岡村司か 一枚。
137 年欠 責善説(漢文) 岡村司か 一枚。
138 年欠 責善之説  草稿(断片)   一枚。
139 年欠 我国と西洋諸国の采長(ママ)補短の説   一枚。
140 年欠 胆力ヲ養フ法    
141 年欠 岡村忠右衛門履歴草稿   一枚。
142 年欠 断片「足下能ク僕ノ言ヲ容レ云々」   一枚。
143 年欠 羅馬法の歴史につき断片   岡村氏原稿用紙、一枚。

 

番号 文書名 備考
1

賜暇漫録
 明治一八年七月七日〜一九日

小型手帳
2 日記 第一
 明治一九年四月一四日〜七月三一日
長帳
3 日記 第二
 明治一九年八月一日〜明治二〇年一月四日
長帳
4 日誌
 明治二〇年(か)五月二日〜七月一日
前後欠、長帳
5 日記 第四
 明治二〇年七月一〇日〜明治二一年四月二九日
長帳
6 日記 第六
 明治二一年年八月三日〜九月四日
長帳
7 日記 第七
 明治二一年九月六日〜明治二二年二月九日
長帳
8 日記 第八
 明治二二年二月一〇日〜八月四日
長帳
9 日記 第九
 明治二二年八月六日〜一二月二二日
長帳
10 日記 第十
 明治二二年一二月二三日〜明治二三年六月一六日
長帳
11 日誌
 明治二三年六月一七日〜九月五日
冊子体、表紙欠
12

日記  第十二
 明治二三年九月七日〜一一月二九日

冊子体
13

日記  第十三
 明治二三年一一月三〇日〜明治二四年五月一六日

冊子体
14

日記 第十四
  明治二四年五月一六日〜八月二六日

冊子体
15

日記 第十五
 明治二四年八月二七日〜一〇月一六日

冊子体
16 日誌
 明治二四年(か)一〇月一七日〜一二月一三日
表紙欠、冊子体
17 日誌
 明治二四年一二月一三日〜明治二五年一月二五日
表紙欠、冊子体
18 日誌
 明治二五年一月二五日〜三月五日
表紙欠、冊子体
19 日誌
 明治二五年三月六日〜四月二九日
表紙欠、冊子体
20 日誌
 明治二五年五月一日〜八月一八日
冊子体
21 日誌
 明治二五年八月一九日〜明治二六年二月二六日
冊子体
22 日誌
 明治二六年二月二七日〜一二月二三日
冊子体
23 明治二十七年日誌
 明治二七年一月一日〜一二月三一日
冊子体
24 明治二十八年記
 明治二八年一月一日〜一二月三一日
冊子体
25 明治二十九年記
 明治二九年一月一日〜一二月三一日
冊子体
26 明治三十年記
 明治三〇年一月一日〜一二月三一日
冊子体
27 明治三十一年記
 明治三一年一月一日〜一二月三一日
冊子体
28 読書漫録
 明治三五年一〇月一日〜一二月三一日、明治四一年二月二日〜明治四二年一二月三一日
冊子体
29 日誌
 明治三二年一月一日〜六月四日、六月一四日〜八月九日、九月五日〜九月一〇日、年月不詳二日〜二八日
冊簡
30 西遊日誌一
 明治三二年九月一一日〜明治三三年六月三〇日
冊子体
31 西遊日誌抄一
 明治三二年九月一一日〜明治三三年一二月一四日
ノート
32 西遊日誌二
 明治三三年七月一日〜明治三四年七月三一日
冊子体
33 西遊日誌抄二
 明治三三年一二月一五日〜明治三五年五月一八日
ノート
34 西遊日誌三
 明治三四年八月一日〜明治三五年七月四日
冊子体
35 日記 明治三十六年 博文館当用日記。末尾に住所録等あり。
36 日記 明治四十三年 博文館当用日記
37 日記 明治四十四年 博文館当用日記。末尾に賀状差出人名簿等あり。
38 日記 明治四十五年 博文館当用日記
39 日記 大正二年 博文館当用日記。末尾に住所録あり。
40 日記 大正三年 博文館当用日記
41 日記 大正四年 博文館当用日記
42 日記 大正五年 博文館当用日記
43 日記 大正六年 博文館当用日記
44 日記 大正七年 博文館当用日記
45 日記 大正八年 博文館当用日記
46 日記 大正九年 博文館当用日記
48 日記 大正十一年 博文館当用日記
49 日記 不詳九月一日〜一月二三日 ノート

 

(一)書簡

番号 年月日 差出 宛名 封筒 備考
1 明治三五年八月二二日 法科大学教授岡村司 文部大臣菊地大麗 岡村の留学始末書草稿。
2 明治三五年八月二二日 法科大学教授岡村司 文部大臣菊地大麗 一と同封 旅行日記。
3 明治三五年九月五日 福原鐐二郎(文部省総務局会計課長) 岡村司 一と同封 伯林よりの旅行日記も必要。返送せよ。
4 年欠一月五日 右に同封   一と同封 旅行日記に欠点あり、訂正請う。任命の儀はすでに詮衡ずみ。
5 年欠 右に同封   一と同封 外国旅費規定。
6 年欠 右に同封   一と同封 文部省外国留学規定。
7 年欠 右に同封   一と同封 留学した学校の規則提出命令。
8 明治三五年八月 *二九日 武石貞松 岡村司 弟の仏留学費用について兄より相談。
9 年欠 武石貞松 岡村司 同右関連手紙八点。
10 大正元年一一月一六日 * 池辺義象 岡村司 令息死去を弔う。
11 大正三年三月七日 * 沢柳政太郎 岡村司 岡村辞職に際しての挨拶。
12 大正三年三月七日 * 穂積陳重 岡村司 辞職の報に接し痛惜の至り。
13 大正三年三月七日 * 大阪
小山健三
岡村司 京大を辞し大阪に法律事務所を開くことを祝したもの。
14 大正三年三月九日 中橋昴二郎 岡村司 弁護士開業を祝したもの。
15 大正三年三月一〇日 * 富井政章 岡村司 岡村辞職に当たり今後の成功を願う。
16 大正三年三月一四日 * 安田善三郎 岡村司 弁護士開業につき不動産関係業務紹介を頼まれしも、従来の関係ありとの断り状。
17 大正九年八月一七日 * 書状 岡村司 岡村博、玉、文、直、寧
18 大正九年一一月一四日 * 原邦造 岡村司 来る二〇日夕、接待の報知。
19 大正一〇年一月一四日 * 湯川元臣 岡村司 辛酉とあり。晩翠居歳晩五首。
20 年欠四月一七日 木下広次 岡村司 北堂永眠につき弔詞遅延を詫びる。
21 年欠一月三〇日 木下広次 岡村司 明治四〇年か。「京都帝国大学法科大学」封筒。法科大学規程改正・織田学長辞任について。
22 年欠七月一六日 小川平吉 岡村司 令息の件、および弁護の件について。

(二)葉書

番号 年月日 差出 宛名 備考
23 明治三八年六月二七日   岡村司 「文楽座のぞき」、川柳四句。
24 明治三八年六月二八日   岡村司 「梅」「狸」とあり。
25 明治三九年一二月二三日   岡村司 「市」とあり。
26 明治四二年一月一日 小川郷太郎 岡村司 賀状。
27 明治四五年七月一七日 池辺義象 岡村博士、
勝本博士
 
28 大正三年一月一六日 * 田島錦治 岡村司 漢詩不定稿とあり。
29 大正三年一月一七日 村夫子 岡村司 近来の痛快事とする。
30 大正三年一月二〇日 同窓会にて。小川平吉ら。 岡村司  
31 大正三年 *二月一〇日 贅六生 岡村司 天晴の御態度痛快至極に存候。
32 大正三年二月一二日 村夫子 岡村司 掛冠時機を得たる喜ぶ。
33 大正三年一〇月一日 S. ZEN 岡村司 京城政始四周年当日とあり。
34 大正三年 *三月 佐々木生、長谷川萬次ら。 岡村司 守住同魚絵葉書。
35 大正三年 * 田村武七 岡村司  
36 年欠   岡村司 大正三年か。「祝勇退」とあり。
37 大正四年 *一月一一日 勝本勘三郎、小川平吉、三幣(か)保 岡村司 国府津にて。
38 大正四年 *六月一一日 関大法一  大関隆 岡村理事 勝本講師の刑法講義が休講多いことを問う。
39 大正四年 *八月一四日 中島生 岡村司 立山のスケッチ。
40 大正四年 *一一月一二日 入江喜平、入江良之 岡村司 奉祝大典。
41 大正五年 *一月二九日 河方生ら 岡村司 県人会に不参を惜む。
42 大正五年 *三月一二日 成美、辻某、浅見倫太郎 岡村司  
43 大正五年 *七月二五日   岡村司 天台山麓柊園陳人栄拝。漢詩。
44 大正五年 *三月一八日 鹿子木孟郎 岡村司 巴里よりの挨拶。
45 大正五年九月一一日 * 武石貞松 岡村司  
46 大正五年 *一〇月九日 藤園生 岡村司 京都祇園上田屋。
47 大正五年 *一〇月二三日 津久井茂ら 岡村司  
48 大正五年 *一一月二五日 長谷川彦太郎ら 岡村司  
49 大正六年 *五月八日 若槻礼次郎ら 岡村司 同窓会席上より。
50 大正六年五月一六日 * J. Mcbarron 岡村司  
51 大正六年六月二八日 J. Gamber Okamura Tsukasa 28 Juin とあり。Gamber はパリの書店。
52 大正六年 *七月二日 小川平吉 岡村司・勝本勘三郎  
53 大正六年 *七月二九日 西村栄次郎 岡村司  
54 大正六年一一月一四日 田島錦治 岡村司 「祝健康」。
55 大正六年 *一一月二六日 原田廉太郎 岡村司 ケンブリッジ大学絵葉書。
56 大正六年 * 小川平吉 岡村司 来月四日、鳥居素川等と一夕会食したいと述べる。
57 大正七年六月一四日 小川平吉 岡村司 畝傍山に登ったことなどを知らせる。
58 大正七年七月四日 同窓会  小川平吉ら一二名 岡村司 四谷見附絵葉書
59 大正七年八月三一日 □□五郎(判読不能) 岡村司 ワシントンにて。
60 大正七年 *一一月二日 玉(中島玉吉か) 岡村司  
61 大正七年一二月二一日 徳永斌 岡村司 パリより。
62 大正八年 *八月二日 野山俊郎 岡村司 第三艦隊軍艦鞍馬第一分隊。
63 大正八年八月五日 宮本英雄 岡村司 コロンビア大学絵葉書。
64 大正八年 *九月一六日 岩崎卯一 岡村司  
65 大正八年一〇月九日 * 松山精一 岡村司  
66 大正八年 *一〇月一四日 湯川元臣ら 岡村司 日比谷公園絵葉書。
67 大正九年一月三日 * 総南童子 岡村司 ドイツ・ミュンヘンより。
68 大正九年四月二三日 吉田一枝 岡村司 ワシントンより。
69 大正九年 *九月三日 君山、松下禎二、鳥居ら 岡村司  
70 大正九年 *九月二七日 成美、辻秀春 岡村司  
71 大正九年 *一一月一五日 前沢成美ら 岡村司  
72 大正一〇年 *一月二八日 秋田地方裁判所検事局小笠原弘 岡村司  
73 大正一〇年一月二九日 * 小島栄 岡村司 ホノルル絵葉書。
74 大正一〇年四月一〇日 * 岡村司 岡村寧  
75 大正一〇年 *四月一七日 太田文雄 岡村司  
76 大正一〇年 *六月一日 入江良之 岡村司 豊と署名もあり、エジプト絵葉書。
77 大正一〇年(か)六月一四日 鳥居赫雄 岡村司  
78 大正一〇年六月一八日 徳島日々新報社片岡昇 岡村司  
79 大正一〇年 *八月七日 (中島)玉吉 岡村司 富士山頂、金月水之景。
80 大正一〇年 *九月三日 鳥居赫雄 岡村司  
81 大正一〇年 *九月九日 大串文雄 岡村司  
82 大正一〇年九月二六日 M. Le´on Tenire   22 Rue Soufflot Paris とあり、封筒のみ。
83 大正一〇年一〇月二日 石井淳二郎 岡村司  
84 大正一〇年 *一〇月二三日 石井敬吉 岡村司  
85 大正一〇年 *一一月六日 鳥居赫雄 岡村司  
86 大正一〇年 *一二月一六日 赤井清一ら 岡村司  
87 大正一〇年一二月二九日 末次政一 岡村司 ニューヨーク・自由の女神絵葉書。
88 年欠一月三一日 松岡新一郎 岡村司  
89 年欠二月一四日 宮古啓三郎ら八名 岡村司  
90 年欠四月二二日 鳥居赫雄 岡村司 阿蘇戸下温泉絵葉書。
91 年欠六月一七 田村武七 岡村司  
92 年欠八月二日 西栄(か) 岡村司  
93 年欠八月七日 岡村司 本居先生墓の側にて。
94 年欠八月一一日 山本美越乃 岡村司  
95 年欠八月一六日 与里生、鳥居 岡村司  
96 年欠八月二一日   岡村司 鎌倉円覚寺、(池辺)義象か。
97 年欠一〇月七日 太田文雄 岡村司  
98 年欠一〇月八日 楠常蔵ら五名 岡村司  
99 年欠一〇月九日 北田生ら 岡村博士 北京より。
100 年欠一〇月一四日 石井敬吉 岡村司  
101 年欠一〇月二四日 奥平昌恭(か) 岡村司 北京・六国飯店にて。
102 年欠一二月二日 鳥居、中島、竹内克己ら 岡村司  
103 年欠一二月四日 岡村司  
104 年・月欠二八日 佐々木生 岡村司 佐久間象山絵葉書。
105 年欠 雅多(か) 岡村司 高野山、大中学絵葉書。
106 年欠 宮本平九郎 岡村司 京城昌徳宮。
107 年欠 やまとにて、林繁蔵ら 岡村弁護士 朝鮮大邱。
108 年欠 堤定次郎、志田某 岡村司  
109 年欠 福田 岡村博  
110 年欠 湯川元臣ら八名 織田萬、岡村司、本勘三郎  

 

番号 年月日 文書名 備考
1 明治二三年九月 法律学士梅謙次郎述  債権担保篇一 法律学科二部二年生岡村司
2 明治二三年一〇月 法律学士梅謙次郎述  債権担保篇二 法律学科二部二年生岡村司
3 明治二三年一二月 法律学士梅謙次郎述  債権担保篇三 法律学科二部二年生岡村司
4 明治二四年二月 法律学士梅謙次郎述  債権担保篇四 法律学科二部二年生岡村司
5 明治二四年三月 法律学士梅謙次郎述  債権担保篇五 法律学科二部二年生岡村司
6 明治二四年五月 法律学士梅謙次郎述  債権担保篇六 法律学科二部二年生岡村司
7 明治二三年一〇月 法律学士富井政章君述  財産取得篇二 法律学科二部二年生岡村司
8 明治二三年一二月 法律学士富井政章君述  財産取得篇三 法律学科二部二年生岡村司
9 明治二四年五月 法律学士富井政章君述  財産取得篇六 法律学科二部二年生岡村司
10 明治二三年九月 法律学士岡野敬次郎君講義  財産篇人権部一 法律学科二部二年生岡村司
11 明治二三年九月 岡村輝彦君述  証拠法一 法律学科二部二年生岡村司
12 明治二四年九月 法学博士熊野敏蔵君  国際法一 法律学科二部二年生岡村司
13 明治二五年二月 学博士片山國嘉君  法医学 法律学科二部三年生岡村司

 

番号 年月日 文書名 著者 備考
1 明治二三年三月 斗南遺稿 第一高等中学校長、法科大学教授木下広次 年月日は序文
2 明治四一年一〇月二八日 現代思潮二十一家講話 宮崎湘南編 博文館
3 大正三年一一月一二日 柳川新田開拓及小作地経営方法   柳川報恩会
4 大正一〇年一〇月一七日 柳川新田の由来記   柳川報恩会発行
5 大正一一年五月一五日 古河郷友会雑誌四四号   古河郷友会
6 年欠 故木下博士銅像建設紀事    

 

(一)履歴書類

番号 年月日 文書名 備考
1 年欠 履歴書 二枚。
2 年欠 履歴書 一枚。
3 年欠 履歴書 罫紙二枚。
4 年欠 履歴ニ付書付 一点。
5 明治二一年一一月一六日 勲章佩用心得(賞勲局) 二点。
6 明治二四年六月 有位者届出心得(爵位局) 一点。
7 明治二八年一〇月八日 従軍記章佩用者心得(内閣総理大臣) 一点。
8 明治二八年一一月一八日 従軍記章届出心得(賞勲局) 一点。
9 年欠 香奠帳  
9 大正三年一一月一一日 宮内省より賜餐ニ付申入  
10 大正四年一一月一 宮内省より賜饌に付申入  
11 年欠 勲章関係書類 一点。
12 年欠 勲位記 一六点。
13 年欠 京都帝国大学関係書類 二五点。
14 年欠 東京帝国大学関係書類 二点。
15 年欠 陸軍省関係書類 一三点。
16 年欠 文部省関係書類 二五点。
17 年欠 司法省関係書類 三点。
18 年欠 樺太庁関係書類 一点。
19 年欠 大阪市立高商関係書類 三点。
20 年欠 大日本武徳会長大浦兼武より 一点。
21 年欠 岡村イク子関係 一点。
22 年欠 東北海嘯罹災者救援金感謝状 一点。

(二)葬儀関係

番号
年月日 文書名 備考
1 明治一一年三月二六日 香奠帳 真如堂に於て受付、一冊。
2 年欠三月二五日 書状(田中松太郎より勝本勘三郎宛)  
3 年欠 弔問簿 罫紙(岡村法律事務所用箋)。
4 年欠 吊問者名簿(三月二三日−二五日)  
5 年欠 会葬名簿 三冊。
6 年欠 弔詞ノ順  
7 年欠 御悔(物品)  
8 年欠 弔辞(二松学舎長渋沢栄一)  
9 年欠 香奠帳  
10 年欠 保険料領収証 三枚。
11 年欠 花輪等目録  
12 年欠 目録(経済学部・文学部・工学部・医学部等)  
13 年欠 目録(大学本部、法学部)  
14 年欠 香奠 封紙のみ(京都帝国大学職員有志一同)。
15 年欠 葬儀人夫の記録  
16 年欠 金額書付  
17 年欠 一周忌法要参列者  
18 年欠 葬儀費用請求書上(駕友) (百六十六円二〇銭)
19 年欠 葬儀費用請求書上(駕友)  
20 年欠 請求書、領収書二四点。  
21 年欠 写真、葉書(辛酉二月九日岡村司宛霍陰生)、法号  
22 年欠 弔辞(学士会) 封筒入。
23 年欠 弔問者名刺 九四枚。

(三)領収書・メモ帳・通帳青年期

番号
年月日 文書名 著者 備考
1 大正三年四月一四日 領収証第一号   大正三年四月一四日
 〜一二月二一日
2 大正三年一二月二二日   領収証第二号   大正三年一二月二二日
 〜大正五年一月一八日
3 大正五年一月二一日 領収証第三号   大正五年一月二一日
  〜大正六年六月一一日
4 大正六年六月二二日 領収証第四号   大正六年六月二二日
  〜大正七年九月一八日
5 大正七年九月二六日 領収証第五号   大正七年九月二六日
  〜大正九年二月二六日
6 大正九年二月二八日 領収証第五号(ママ)   大正九年二月二八日
  〜大正一〇年九月三〇日
7 大正三年 大正三年度汎愛尋常小学校児童必携簿 第三学年岡村博  
8 大正四年 大正四年度汎愛尋常小学校児童必携簿 第四学年岡村博  
9 大正七年 大正七年度汎愛尋常小学校児童必携簿 第二学年岡村文  
10 大正九年 汎愛尋常小学校児童必携簿 岡村直  
11 大正九年 汎愛尋常小学校児童必携簿 岡村文  
12 年欠 メモ帳(赤表紙)   一冊
13 年欠 メモ帳(青表紙)   一冊
14 年欠 メモ帳(イゲタ印醤油)   一冊
15 明治三六年 郵便貯金通帳 岡村司 明治三六年一月二三日〜明治三九年四月一八日

(四)写真

番号 年月日 文書名 備考
1 明治二六年八月九日 織田万、宮本平九郎、岡村司 書き込みあり
2 明治三三年二月一〇日 パリ、リュクサンブール公園、岡村司 同一物二枚
3 明治三四年八月一〇日 ドイツ国イエナ市での写真 小泉又一、坪井玄道、谷本富、岡村司、大村仁太郎、森岡常蔵
4 明治四〇年八月一六日 写真(南條文雄撮影、叡山、朝日新聞社講演会)  
5 大正三年一〇月三〇日 絵葉書(関西大学理事法学博士岡村司) 三枚。
6 大正三年一〇月 絵葉書(石川九思碑文・岡村司撰)  
7 大正三年一一月一日 第一〇回関西学生聯合講演大会  
8 大正四年一一月一六日 東大同窓生の写真 京都八新支店
9 大正四年 大正四年秋季校友会  
10 大正六年三月一日 古文書の写真(楠正成文書)  
11 大正六年六月一九日 学生とともの写真  
12 大正九年七月 仏法律科卒業一同より岡村先生へ  
13 年欠 岡村司、箕作元八ら六名  
14 年欠 碑文の写真 碑文は赤沼天心、岡村司撰、明治三六年
15 年欠 「慶応会名誉会員岡村先生」 「征露甲辰高秋時」「浜野生自撮」
16 年欠 岡村司、白井敬次郎、福田巌 同一物二枚
17 年欠 アジア某港風景  
18 年欠 同窓会関係の写真か 大阪Yuki(写真館か)
20 年欠 同窓会関係の写真か(宴会の風景)  
21 年欠 同窓会関係の写真か(石灯籠前にて)  
22 年欠 同窓会関係の写真か(橋上にて)  
23 年欠 同窓会関係の写真か(竹林前にて)  
24 年欠 同窓会関係の写真か(自動車あり)  
25 年欠 岡村司の青年時代の写真  
26 年欠 教官の写真か 京都・堀真澄写真館
27 年欠 全国学生雄弁大会  

(五)賞状・会員証等

番号 年月日 文書名 著者 備考
1 明治二八年一一月一八日   日本帝国明治二十七八年従軍記章之証 賞勲局総裁等 陸軍教授従七位岡村司
2 明治三〇年五月六日 認可状(明治廿七年度物品出納) 会計検査院長渡辺昇 陸軍経理学校物品会計官吏陸軍属黒川爵蔵代理陸軍教授岡村司
3 明治三〇年六月一七日 日本体育会会員徽章贈呈証状(賛助会員証あり) 日本体育会々長
野津道貫
岡村司
4 明治三二年四月一日 会員証 本郷区兵事義会々長 岡村司
5 大正元年一〇月二一日 帝国軍人後援会会員証(賛助会員証あり) 帝国軍人後援会会長
大隈重信
法学博士岡村司
6 大正二年八月一〇日 謝意状 恩賜財団済生会会長
桂太郎
岡村司
7 大正二年一〇月三一日 大阪朝日新聞第一号第一万一三九七号付録「今上天皇陛下宸筆」    
8 大正四年一一月一〇日 大礼記念章之証 賞勲局総裁等  
9 大正一三年三月二六日 賞状(精勤に付) 京都市京極尋常小学校長岩内誠一 岡村寧
10 大正一五年三月二六日 修業証書(第四学年課程修業) 京都市京極尋常小学校 岡村寧

(六)雑

番号 年月日 文書名 著者 備考
1 明治三四年七月一日 CONTRAT D’ASSOCIATION   法律一九〇一・七・一一(仏文)
2 大正元年一一月 拓本(岡本監輔碑)   同一物二点。
3 大正三年二月二七日 外国為替金受領書二九円二銭 T. Okamura
M. Larose
 
4 大正七年六月九日 返却通知    
5 大正一〇年五月一七日 恩給返還受領証在中、受領証二万四〇円七五銭    
6 大正一〇年九月六日 COMPTOIR NATIONARL D’ESCOMPTE DE PARIS   横浜正金銀行為替(五〇〇フラン)
7 大正一〇年九月二六日 YOKOHAMA SPECIE BANK   メモ、Fcs 500,Yen 75.64, Rate 661,
8 大正一一年六月一八日 到着A七二部一二一冊の内訳、B未返却リスト、洋書文献リスト二頁   京都帝国大学法学部図書室よりのものか。
9 大正一一年七月二五日 通知(着荷の返却書籍七二部一二一冊は領収、しかし一二部未返却を報ず。) 京都帝国大学法学部図書室より岡村敏子宛 「追テ立命館ノ所有ニ帰スベキ書物ノ内ヨリ出ヅルヤモト存ジ候ヘ共未ダ開箱致シ居ラズ」。
10 年欠 京都帝国大学付属図書館借用控    
11 年欠 封筒のみ六点    
12 年欠 送金為替申込書(未使用)    
13 年欠 勅語   一点。
14 年欠 和歌   封紙あり、三点。
15 年欠 山上臣憶良詠秋野花歌二首 池辺義象  
16 年欠 木下広次碑拓本   同一物三点。
17 年欠 墨書(雅正書)    
18 年欠 墨書(楠公を歌いし漢文) 殿山書  
19 年欠 教育勅語他写    

 

 

一.岡村司文書の内容について

  今回、寄贈された岡村司文書は総点数五三七点。これを
  T  草稿類
  U  日記
  V  書簡類(書簡、葉書)
  W  講義ノート
  X  書籍等
  Y  その他(履歴書類、葬儀関係、領収書・メモ帳・通帳、写真、賞状・会員証等・雑)
に分類した。

岡村文書の分類

T  草稿類                文書番号     点数
  (一)  青年期のもの          1−84       84点
  (二)  京都帝大時代以後      85−128      43点
  (三)  年代不明            129−143     14点
計143点

U  日記
1−49   49冊
  明治一八年『賜暇漫録』に始まり、『日誌第一』明治一九年四月一四日−同七月三一日、『日誌第二』明治一九年四月一四日−七月三一日のように、和紙に墨書され、綴じられて冊子となっている。ほとんど連日書かれた日記であるが、残念なことに明治三五年『読書漫録』は記述が飛び飛びとなり、毎日記録されてはいない。しかし、日記としてはまれなものであることは言をまたない。
  学生時代の法学学習、とくに梅謙次郎、穂積陳重らの講義から学んだ様子が伺える。明治の第二世代の国家観、天皇観、国際認識、学生生活の実態など、さまざまの面から利用できる資料である。
  明治三六年以後は、博文館当用日記に変わるが、記載はやや簡単になっている。
  はじめにで述べたように、明治三二年九月一一日から明治三五年七月四日までの三冊の『西遊日誌』と『西遊日誌抄』(ノートにペン書き、他人に見せない私的な日記)がある。前者は毎日の見聞を妻郁子に書き記す形をとっていて、日本に送られたものが綴じられて保存されたものである。後者は自分の私的なノートで人に見せないつもりのものであると考えられる。日記の資料的利用の仕方にも示唆を与えるものであろう。

V  書簡類
  (一)  書簡        1−22       22点
  (二)  葉書        23−110      88点
計110点
  書簡で興味のあるものは、木下広次(京都帝大総長)の岡村宛書簡(明治四〇年か一月三〇日)のものがある。京都帝大法科大学規定改正にからみ、織田万法科大学学長辞任問題とも関連している。これについては別項に述べる。次いで、大正三年三月の岡村退職時の沢柳政太郎、穂積陳重、富井政章等の書簡がある。
  葉書は八八点あるが多種多様である。岡村の交友関係のなかで、帝大同級生や京都帝大教員仲間、教え子のものと思われるものなどが多い。大正三年の京都帝大辞職に際して「村夫子」と名乗る匿名の人物からの「掛冠時期を得たるを喜ぶ」などの葉書も三点ほどある。

W  講義ノートス 13点  
  このうち最も目立つのが法学士梅謙次郎述『債権担保編』1−6(明治二三年九月−同二四年五月)である。毛筆の細字で筆記された和綴じ本である。法律学科二部二年生岡村司とある。試験に備えてであろうか、重要個所に朱点が施してある。このノートは梅謙次郎の民法研究にとっても得難い史料ではなかろうか。後考をまちたいと思う。
  その他では、法学士富井政章『財産取得編』が三冊あるものの、2・3・6だけである。法学博士熊野敏蔵『国際法』も一だけが保存されていた。

X  書籍類ス 6点  
  木下広次『斗南遺稿』(明治二三年三月序文)などである。なお岡村司蔵書約一六五〇冊(和漢書約九〇〇冊、洋書約七五〇冊)は、岡村司没後、同夫人から立命館大学図書館に寄贈された。それは現在、同図書館『旧分類』として保管されている(Yー(六)ー九文書備考参照)。

Y  その他
  (一)  履歴書類              22点
  (二)  葬儀関係              23点
  (三)  領収書・メモ帳・通帳  15点
  (四)  写真                 27点
  (五)  賞状・会員証等          10点
  (六)  雑                   19点
合計116点

 

二、岡村司略歴

慶応二年一二月一四日  下総国古河町に生まれる。岡村家は古河藩儒者であったが、司の家は分家であった。
明治一三年              上京して同人社、二松学舎に学ぶ。
    一七年一〇月        司法省正則法学校入学。翌年、この学校は大学予備門に統合。同一九年、第一高等中学校と改称。
    二二年七月        第一高等学校卒業。
    二二年九月        帝国大学法律学科入学。
    二五年七月一〇日  同上卒業。同期生に安達峰一郎、井上密、織田万、若槻礼次郎等がいた。
          七月        司法官試補となる。
    二六年二月        文部省試補となる。
    二七年三月        陸軍怪理学校教授となる。この間、明治法律学校、東京専門学校、和佛法律学校の講師を勤める。
    三一年九月        東京帝国大学法科大学講師となる。
    三二年八月        京都帝国大学法科大学助教授となる。
          九月        民法研究のためヨーロッパ留学に出発。フランス、ドイツに滞在。
    三五年八月        帰国。
          九月        京都帝国大学法科大学教授となる。民法第三講座・フランス法講座担当。京都法政大学講師を兼任。
    四〇年              京都帝大法科大学で教育課程改正問題おこる。
    同年五月頃      三年制を四年制へ。ゼミナール・卒論廃止となる。サ
法科大学織田万に代わり、井上密を学長に選出。これにからみ木下広次総長も辞任。
    同年一〇月        京都帝大に岡田良平総長就任。
    四一年九月        同、菊池大麓総長就任。
    四四年六月四日  岡村司、岐阜県教育会総会での講演「親族と家族」問題化。
          七月一七日  文官懲戒令により譴責処分。
大正二年一二月        財団法人立命館協議員に就任。
    三年三月三日  京都帝大を依願退職。
          三月        大阪地方裁判所所属・弁護士登録。京都帝大、立命館大、関西大講師。この年より関西大学理事。大阪朝日新聞客員となる。
    五年              大阪市立高等商業学校教授を嘱託。
    一一年三月二三日  岡村司文書目録および。享年五七才。洛東真如堂に葬る。後に蔵書は夫人から立命館に寄贈された。
  (Yその他「履歴書類」一−四、福井前掲稿などから作成)

 

三、岡村司の法学研究について

  岡村司書誌はすでに福井純子氏によって作成されている。すぐれた調査にもとづいて作られたものであるが、著作目録は今後の探索によってさらに増えていくであろう。今回の岡村司文書の寄贈・整理によって新資料が発見され、岡村研究はさらに大きな材料を得たことになる。
  岡村の主著は、『法学通論』(明治三二年、和仏法律学校)と『民法親族編全』(年代未詳、京都法政大学)、さらに『民法と社会主義』(大正一一年、弘文堂、中島玉吉、河上肇編)、『思想小史』(明治四一年、有斐閣)などがある。
  岡村は少年時代から漢学に親しみ、生涯を通じて孟子に傾倒した。
  死後、大正一二年にに弘文堂から非売品として出された『巨鹿余稿』(冥亡録など青年期の日記を収録)の『法学博士岡村司君小傳』によれば、その学風は次のように批評されている。
    「君の学は本と孟子に出ず、又太だ婁騒ルソーの説を喜び、且つ社会主義を研究し、造詣頗る深し。然しれども君は言論文章の士を以て自ら任ぜず、直ちに其の信ずる所を以て之を天下に実行せんことを期せり」。
  彼の思想の理解には孟子が不可欠であり、またルソーを好んで学んだ。したがってまた中江兆民を愛読したことが日記にあらわれている。さらに岡村は社会主義思想を深く理解しようとした我が国で早い時期の人物であった。それらはみな経世済民の志から来ているといってよいであろう。
  岡村は自らを巨鹿野人または巨鹿処士等と号した。巨鹿はきょろくと読ませたのであろうが、また出身地古河(こが)と日本語音であい通ずる。巨鹿は漢末の黄巾賊の首魁・鹿人張角から来ているという(『巨鹿余稿』同前)。岡村の風貌をよく伝えている挿話である。
  初期の著作『法学通論』について、その意義を早く指摘したのは家永三郎であった。この著作は「きわめて卓抜な法律思想に富み、その一部をなす憲法論も憲法思想史上無視できない重要なもの」とし、憲法学者ではない岡村の憲法論についてのべたのは「全くその内容の質的な高さを評価した結果」であると評価された〈同氏『日本近代憲法思想史研究』第二章第三節『初期の京都帝大教授(井上密・岡村司)の憲法思想』〉。
  この『法学通論』の根底に流れるのは、自然法理論=性法説にもとづく権利の理論として法学を説く点にある。私権は「一個人相互ノ間ニ存スル権利」すなわち人権といえるものである。公権は「統治者及被治者ノ間ニ存スル権利」である。統治者の権利とは「万民ヲ保安スル本分」をもつということであり、絶対無限ではないのであって、憲法は統治権を制限することに第一義があるとした。
  岡村の主張は、大日本帝国憲法を立憲君主政体を規定したものとするのである。これは天皇主権説を主張しながら、その内容は「君民共治」を説くものであったといえるのではなかろうか。すぐに分かるようにこの議論は、穂積八束らの主流憲法学の国家全能主義にたいする真っ向からの反論であった。
  したがって自由権の不可侵性についての認識は徹底しており、言論・出版の自由は「社会進歩の必要条件」とし、また「教育自由ノ原則」を強調してやまなかった。帝国憲法体制を最良の政治体制と認めながら、あくまでも人民の権利を擁護するところにその学説の特徴があったといえよう。このような独自の法学理論がどのような系譜で形成されるのか、今後の課題と言うべきであろう。
  フランス・ドイツ留学を終えて、京都帝大に着任し民法を講じるようになり、彼の民法、ことに親族論が展開された。それはヨーロッパ留学での知見を生かし、明治民法の不合理をえぐり出すことであった。
  岡村の親族論がもっとも明瞭に語られていると思われるのが、『我ガ民法二於ケル戸主制度』(一九一一年八月「法学志林・梅博士追悼記念論文集」所収)などであろう。彼の師である梅  謙次郎博士の親族論を徹底、深化させたのがこの論文である。その要点は民法に家・戸主制度を規定することの誤りの強調であった。家の規定は戸主制度と不可分である。ところが明治民法では戸主権と親権が二つとも規定されている結果、そこに矛盾が起こってくる。岡村によれば、この矛盾は法律の未整備によるものではなく、社会生活の現実から生まれたものであるとする。この立場から戸主制度のもつ欠陥を暴いてゆく。
  戸主にも親権者にも家族の居所指定権がある。この場合、親権者は公力によって指定した居所につかせることが出来るが、戸主権はそうではない。こうした戸主権の薄弱さを条文に則して論証し、戸主制度の規定は不完全かつ不合理であり、「必スヤ一大斧削ヲ加ヘサルヘカラサル」ものであるとする。
  戸主制度は祖先崇拝の美風と結びついているという論には、法律上の問題は宗教、道徳上の問題とは無関係であるとしてこれを一蹴するのである。彼は終生にわたって戸主制度の廃止を説いてやまなかった(前掲拙稿参照)。
  家族制度についての岡村の考えは、今日の一般的概念でいえば戸主制度は家父長的家族制度崩壊期のそれであって、早晩廃止を免れないものだとしたことであった。したがって、女性の地位についてもこの論理が適用される。
  家ないし家族制度の起源は、未開社会もしくは原始時代にある。初期国家は家長の連合からなり、家長は絶対無限の権力をもっていた。また、未開社会では死者の霊魂を祭るために相続を重んじ、血統は男子、長男がそれを受け継ぐものとされた。その結果、このような家族制度のもとでは女性の地位は低くなるのは当然である。岡村は、一九〇九(明治四二)年四月の『女人ノ地位』(法政大学創立三十周年記念論文集)で以上のように述べていた。
  戸主制度論、女性問題論を発表した頃は、時の政府によって家族国家観が喧伝され、祖先崇拝と家を重んじることが道徳の基本として重要視された時期であった。第二次桂内閣の文教政策は、教育勅語とする「忠君愛国」の強制を基調としたのである。
  そうした官僚による迷妄の論は、岡村にとって許し難いものであったと推測される。逆に政府筋からすれば、いかに学界に発表されたものとはいえ、これを取り締まることが必要であったといえよう。草稿類、日記類の詳細な検討によって、今後さらに研究が深まることが期待されている。
四.岡村司の人物と社会思想
  岡村司はたんなる学究の人ではなかった。自己の信じるところを公然と発表するのに、すこしも恐れるところがなかった。彼に激励された河上肇と一脈通じるところがある。
  第一高等中学校の学生時代には、条約改正でのボアソナード意見書を筆写したり、保安条例に憤りを示していた(日記)。条約改正に反対した谷干城意見書を印刷してて投獄された第一高等中学生二人を救援する丙戌会の中心も岡村であったらしい(草稿類一〇、一一、一二)。帝大で法律を学ぶようになって、彼は穂積八束の論法にたいし激しい怒りをあらわにしている。自分に反対するものを「天皇の大権を蔑視するもの」のように言い負かすやりかたは、結局は「不敬の極」になることを彼は指摘していた。この立場が終生貫かれるように思われる。
  フランス留学中の『西遊日誌』については前記『立命館産社論集』所載の拙稿「まえがき」を参照されたい。
  注目されるのは、京都帝大法科大学の規定改正問題に関する文書の出現である(草稿類九〇、九二−九六、書簡二一など)。これらを読むと、京都帝大法科大学への志願者が激減するなかで、岡村司は従来の三年制を四年制に、卒業論文を廃止し口頭試問に変える動きの中心にいたらしいことが分かる。岡村は一方で京都帝大法科の独自の教育課程を擁護しつつ、他方で規定改正に動いていたのであろう。その真実はなお不明ではあるが、これまで知られていなかった事実が発見された訳である。
  彼は法科大学改革で木下総長を訪問し、他の教授にその結果を報告し規定改正に動いている。また彼は法科大学学長織田万を改革に踏み切らないことで「優柔不断」と非難した(草稿類九二)。その結果、織田万は学長を退き、木下総長も辞職してしまう。岡村日記の記載などと合わせ、今後の追求が必要であろう。
  一九一一年の岡村司譴責事件については、すでに関連文書四点(草稿類九一、九九、一〇二、一〇三、一〇四)を翻刻、紹介した(前掲拙稿「立命館百年史紀要第三号)。これについては桂太郎文書(国会図書館憲政資料室所蔵)に関連文書があり、拙稿でもこれにふれた。また国立公文書館にも関連文書がある。
  今後、政府の家族国家観の強制、国家倫理の強制と岡村譴責事件、河上肇舌禍事件、河田嗣郎『婦人問題』絶版事件などのかかわりをより深く追求する必要があろう。
  明治末期のものとしては草稿類一〇〇の『孟子と朝鮮』、一〇一『無題』の二文書が注目される。岡村は後者の文書で、朝鮮併合に批判的態度を取り、教育勅語の「中外ニ施シテ戻ママラズ」とあるのであるから、これは朝鮮にも適用される道徳であり、併合に反対する朝鮮の知識人は「忠君愛国の士」であるとした。残念ながら、この文書は年代が分からない。しかし孟子の思想を基礎に明治政府の「忠君愛国」を根底から批判する主張は注目に値する。政府は家族国家観を強め、国民思想を統制しようとしていたのであるかから、岡村の思想はこれに真っ向から反対するものであったといえるであろう。
  こう考えると、岡村司譴責事件の原因となった「親族と家族」という岐阜県教育会での講演も、たんに偶発的なものではなく、岡村の意図的な主張であったかもしれない。さらに追求を進めたいと思う。
  彼が自発的退職を決意するに至る沢柳事件である。その真実に迫る新史料が期待されたが、残念ながらこの事件については沢柳政太郎、穂積陳重、富井政章書簡(書簡類一一、一二、一五)があるが、さほど事件の裏面を示してはいないようである。日記の記載も至極淡々としている。
五.岡村司文書・寄贈経緯について
  本年春、民法学者岡村司博士の孫にあたる伊丹市・岡村備氏から、同氏が大切に保管されてきた岡村文書を立命館大学に寄贈したいとのお申し出があった。岡村備氏は司博士の末子・寧氏のご子息である。
  私は、その伝記が立命館大学で編纂された西園寺公望の研究に協力させていただいた。その過程で、西園寺文相時代に創設された京都帝国大学法科大学の法学者たちに興味をもった。潮木守一氏『京都帝國大学の挑戦』(名古屋大学出版会)で明らかにされているように、創設期の京都帝大法科大学は独自のカリキュラムによる三年制、ゼミナール、卒業論文などを学生に課し、特徴ある大学であった。しかしこの試みは長くは続かなかった。約八年でこの試みは挫折する。しかし、この大学にきわめて個性的な学者が集っていたことは、まさに壮観であった。私は初期京都帝大法科大学のなかで、とりわけ興味ある存在が岡村司であるように考え、その著作を読みはじめた。近代史研究の側から見ても、この人物は魅力のある、是非調べたい人物に思えてきた。
  そんな折、一九九三年の私の講義・産業社会学部の一般教育「歴史」に三人の年配の女性が聴講されていた。そのお一人が山口和子さんで、雑談中に私の研究の話から、談たまたま岡村司に及んだ。山口さん(山口昌哉龍谷大学教授夫人)は「岡村先生のご子息の博先生は、主人の先生です」と教えて下さった。岡村博先生は著名な数学者(京大理学部教授)であったが、戦後直後の食糧難のなかで病死された方である。
  山口夫妻は資料があるかも知れないからと、岡村博氏夫人よしさん(その後逝去された)が入院されている病院まで案内して下さった。よしさんは、伊丹市にいる故寧氏宅に何かあるかもしれないと連絡してくださった。はじめはもう資料は残っていないとのことであったが、その少し後に、伊丹の故寧氏夫人和子さんから連絡があり、日記などが出てきたとのこと。すぐに参上した。
  なんと明治一八年から逝去された大正一一年までの日記がきれいに保存されているではないか。日記にはフランス・ドイツ留学期の『西遊日誌』もあった。また草稿類、書簡類も保存されていた。早速、『西遊日誌』を借覧させていただき、読んでみると実に面白い。学者に限らず、青年時代以後その死去まで、ほとんど毎日の日記が記されていた例はきわめて稀であろう。岡村日記をひもとくのは興味津々であった。一人の学者・思想家の思想、法学思想の形成、ヨーロッパ体験、京都帝大法科大学の改革問題、自発的退職に至る経過が判明する。
  その後、さらにお聞きすると、なお資料があるとのことであった。お願いして見せていただくと多くの草稿類、書簡類、東京帝大法科大学学生時代の講義ノートなどが発見された。
  『西遊日誌』については、福井純子氏の協力を得て、その一部を『立命館産社論集』第三〇巻第四号(一九九五年三月)以下、四回にわたって連載した。また岡村司譴責事件関係の草稿四点については、『史料紹介岡村司譴責事件に関する資料について』として、『立命館百年史紀要』第三号に紹介した。また私の研究の一応のまとめを『自由法学の誕生−岡村司の民法研究について』(立命館大学人文科学研究所紀要 NO. 65)に発表した。また福井純子氏「岡村司年譜・著作目録」(同上紀要 NO. 70)は関係資料を渉猟された力作である。
  その後、一九九九年初め、岡村備氏から立命館大学への寄贈申し出があり、学校法人立命館、同法学部の皆さんの協力を得て、岡村司文書は本学法学部が所蔵することとなったのである。岡村備氏には本文書の重要性を御理解下さり、いろいろと御無理をお願いした。心から感謝申し上げる。
  本文書が世に出るまで、多くの皆さんのお世話にあずかった。いろいろと聞き取りに応じてくださった岡村博士の長女柳川玉さん、最初に岡村よしさんを紹介してくださった山口昌哉先生も故人となられた。岡村和子(故寧氏夫人)、飯野文さんなどのご好意も忘れられない。深く感謝する次第である。

〔付記〕 岡村司文書は痛みがはげしく補修を要するものが少なくないため、現在、閲覧は停止されています(法学部研究委員会)。


<お知らせ>
岡村司文書は、2016年11月30日をもって立命館大学法学部から立命館史資料センターに移管されましたので、
資料の閲覧に関しては、同センターにお問い合わせください。 2016年11月30日 立命館大学法学会編集委員会

        お問い合わせ先:立命館史資料センター
                〒603-8577 京都市北区等持院北町56−1 西園寺記念館
                TEL:075−465−8209