立命館法学  一九九九年六号(二六八号)


再審請求審における総合評価
マルヨ無線強盗殺人放火事件再審特別抗告審決定について

松 宮 孝 明





    目    次
  は じ め に
  問題の所在
  科刑上一罪の一部についての再審
  犯行態様に関する事実誤認
  原判決の基礎となっていない不利益証拠
  「総合評価」の意味




  は  じ  め  に


    刑事訴訟法四三五条六号の「新証拠」による再審請求の場合、一般に請求審では「総合評価」という方法が採られている。それは、「新証拠」単独で無罪等の有利な判決を言い渡すべきことが明らかな場合ばかりでなく、それがすでに原審段階で取り調べられ、その判決の基礎となった「旧証拠」と総合して同じように有利な判決を言い渡すべきことが明らかな場合にも、再審を開始すべきだということを意味する。最高裁も、一九七五年のいわゆる「白鳥決定」において、「当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべき」(下線筆者)であるとしている(1)
  もっとも、その際「白鳥決定」は、「もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達していたであろうかどうかという観点」から判断せよという条件を付していたことに注意しなければならない。それは、「新証拠の重要性、その立証命題と無関係に、再審裁判所が旧証拠をあらいざらい評価しなおして、自ら心証を形成」することまで認めた趣旨ではない(2)。したがって、事実誤認による有罪判決から無辜を救済する必要性の有無を審査するという再審請求審の暫定的な性格から、そこでの証拠評価、いわゆる「再評価」には、おのずと限界があるのである(3)
    ところが、最近、最高裁は、このような「総合評価」に限定を付し、逆にあらたな不利益証拠を含む「再評価」は無限定に認めるかのような趣旨の決定を下した。一九九八年一〇月二七日の、いわゆる「マルヨ無線強盗殺人放火事件」の再審に関する特別抗告審決定である(4)。そこでは、刑訴法四三五条六号の再審事由の存否を判断するに際しては、一方で、「新証拠とその立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価」(下線筆者)するものとされ、旧証拠に「新証拠の立証命題に関連する」という限定が付されるとともに、他方で、その総合的評価をするに当たっては、再審請求時に添付された新証拠及び確定判決が挙示した証拠のほか、「たとい確定判決が挙示しなかったとしても、その審理中に提出されていた証拠、更には再審請求後の審理において新たに得られた他の証拠をもその検討の対象とすることができる(5)」と述べて、実際には請求人に不利益な証拠の無制限な評価も認めるかのような判断を示したのである。
  同時に、この決定は、原判決の認定する犯行態様の一部に事実誤認がある場合でも、「罪となるべき事実の存在そのものに合理的な疑いを生じさせるに至らない限り」再審請求は認められないとする。さらに、この決定は、科刑上一罪の一部の罪について再審請求が可能であることを示したという意義も有するという。そこで、再審法の解釈において重大な意味を持つと考えられる本決定をこの場で簡単に検討し、その問題点と課題を明らかにしたいと思う。

(1)  最決昭和五〇・五・二〇刑集二九巻五号一七七頁。
(2)  法曹会編『最高裁判所判例解説刑事篇昭和五十年度』(一九七九)九三頁〔田崎文夫〕参照。
(3)  その詳細については、松宮孝明「再審請求審と『事実の認定』」井戸田侃ほか編著『竹澤哲夫先生古稀祝賀論文集・誤判の防止と救済』(一九九八)(以下『誤判の防止と救済』)五二三頁を参照されたい。
(4)  最三決平成一〇・一〇・二七刑集五二巻七号三六三頁=判時一六五七号三八頁。本決定の評釈として、三好幹夫「時の判例」ジュリスト一一四九号(一九九九)一一八頁、大出良知「判批」『平成一〇年度重要判例解説』(一九九九)一九五頁、加藤俊治「判批」研修六一五号(一九九九)二八頁、山本晶樹「判批」判例時報一六七九号(判例評論四八七号)(一九九九)二四六頁、寺崎嘉博「判批」現代刑事法九号(二〇〇〇)七二頁などがある。なお本件は、申立人の名にちなんで尾田事件と呼ばれることもある。
(5)  ここにいう「証拠」が利益な証拠であれば、この判示部分は正当である。なぜなら、請求人に知られていない新証拠で、裁判所が職権で探知した利益なものがあり、それをも総合して評価すれば「無罪」等の有利な判決に至るのに、裁判所がそれを無視して有罪判決を維持するというのは、明らかに正義に反するからである(検察官がその証拠を弾劾する機会は、再審公判で与えられる)。それは裁判所の事実解明義務に属する。しかし、逆に不利益な証拠でこれをやると、請求人は公判での不利益証拠の弾劾の機会を奪われたまま、事実上新たな有罪認定を受けることになる。それは、後述するように、事実認定に際して認められる被告人の憲法上の権利を害するおそれをはらむ。


  問題の所在


    この事件の経過は、つぎの通りである。すなわち、請求申立人Xは、原判決(1)により共犯者Wと二人で犯したとされた強盗殺人および同未遂、現住建造物放火のうち、原判決の認定した、ストーブを「足蹴にして横転」させたという放火態様は実行不可能であるという趣旨の新証拠を提出して、現住建造物放火についてのみ第五次の再審を請求した。原原決定(2)は、新証拠を加えても原判決の認定した事実が認められるとしてこの請求を棄却したが、これに対する即時抗告を受けた原決定(3)は、ストーブを「足蹴にして横転」させたとする原判決の認定には合理的な疑いを生じたとしつつ、共犯者Wの自白や証拠の標目に掲げられなかった福山鑑定、および請求審段階で検察官から提出された海蔵寺鑑定によってXが本件ストーブを前傾した状態に設置したことが認定できるとし、Xが本件ストーブを故意に転倒させ、その火を机等に燃え移らせて放火の犯行に及んだことに変わりがないから、無罪を言い渡すべき場合に当たらないとして、即時抗告を棄却した。
  本件の法律上の論点を再掲すれば、左のとおりである。
  1.科刑上一罪の一部の罪に関する、刑訴法四三五条六号を理由とする再審請求の可否。
  2.原判決認定事実の犯行態様の一部に事実誤認がある場合と、刑訴法四三五条六号を理由とする再審理由。
  3.再審請求審における刑訴法四三五条六号の再審理由の有無の判断に当たり、原判決の証拠の標目に掲げられなかった証拠および再審請求後の審理において新たに得られた証拠を検討の対象にすることの可否。
    これについて本決定は、弁護人らの特別抗告趣意は、いずれも「実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四三三条の抗告理由に当たらない」としつつ、右の各論点について以下のような職権判断を示した。
  論点1について「・・確定判決において科刑上一罪と認定されたうちの一部の罪について無罪とすべき明らかな証拠を新たに発見した場合は、その罪が最も重い罪ではないときであっても、主文において無罪の言渡しをすべき場合に準じて、刑訴法四三五条六号の再審事由に当たると解するのが相当である。」
  論点2について「・・申立人の自白のほか、共犯者Wの供述、本件ストーブや防護網の発見状況、現場の焼燬状況等を総合すれば、原決定のように本件ストーブを前傾した状態に設置したとまで認定すべきか否かはともかくとしても、申立人及びWが、事務室内にあった燃焼中の本件ストーブを防護網を取り外して移動させ、その火力を利用して室内の机等に燃え移らせるようにして火を放ち、その場から逃走したことは、動かし難いところであるから、申立人に現住建造物放火罪が成立することは明らかである。」
    「・・放火の方法のような犯行の態様に関し、詳しく認定判示されたところの一部について新たな証拠等により事実誤認のあることが判明したとしても、そのことにより更に進んで罪となるべき事実の存在そのものに合理的な疑いを生じさせるに至らない限り、刑訴法四三五条六号の再審事由に該当するということはできないと解される。」
  論点3について「刑訴法四三五条六号の再審事由の存否を判断するに際しては、・・新証拠とその立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価し、新証拠が確定判決における事実認定について合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠(最高裁昭和四六年(し)第六七号同五〇年五月二〇日第一小法廷決定・刑集二九巻五号一七七頁、最高裁昭和四九年(し)第一一八号同五一年一〇月一二日第一小法廷決定・刑集三〇巻九号一六七三頁、最高裁平成五年(し)第四〇号同九年一月二八日第三小法廷決定・刑集五一巻一号一頁参照)であるか否かを判断すべきであり、その総合的評価をするに当たっては、再審請求時に添付された新証拠及び確定判決が挙示した証拠のほか、たとい確定判決が挙示しなかったとしても、その審理中に提出されていた証拠、更には再審請求後の審理において新たに得られた他の証拠をもその検討の対象とすることができるものと解するのが相当である。」
    本決定は、その前年の「名張毒ぶどう酒事件」再審特別抗告棄却決定(4)および本決定の翌年の「日産サニー強盗殺人事件」再審特別抗告棄却決定(5)と並んで、再審請求に関する近年の最高裁の重要判例のひとつに数えられるものである。これらの三つの再審請求事件では、いずれも、何らかの形で請求審における独自の心証形成が行われ、それが請求を棄却する理由とされているところに特色がある。
  まず「名張毒ぶどう酒事件」決定では、原有罪判決を支えた重要証拠の価値の大幅減殺を認めつつ、残余の証拠、とくに原判決で争われなかったぶどう酒ビンの封緘紙の発見場所などを根拠に形成された請求審(それも特別抗告審)独自の有罪心証が請求棄却の根拠とされた。続いて本決定では、請求審(抗告審および特別抗告審も含む。以下同じ)が原有罪判決と異なる犯行態様を認定することで再審請求が棄却されるという事例が扱われた。さらにその際、請求審で、原判決が証拠の標目に掲げなかった証拠や請求審段階で検察官から新たに提出された証拠に基づいて有罪心証が形成されるという事態が生じた。最後に、「日産サニー強盗殺人事件」決定でも、同じく請求審段階で検察側が積極的な立証活動を行うことによって再審請求が棄却されるという事例が扱われた。
  つまり、これらの裁判例では、再審請求審において、積極的な有罪事実の心証形成ないし認定が行われ、それが請求棄却につながるという点に共通性が見られるのである。それは、必然的に、再審請求審においてそのような「事実認定」が許されるのかという問題を引き起こした(6)。以下では、この問題に焦点を当てつつ、同時に科刑上一罪の一部に関する再審請求の許容性についても検討を行う。

(1)  福岡地判昭和四三・一二・二四、観念的競合・死刑。控訴審福岡高判昭和四五・三・二〇、控訴棄却、上告審最判昭和四五・一一・一二、上告棄却。
(2)  福岡地決昭和六三・一〇・五。
(3)  福岡高決平成七・三・二八高刑集四八巻一号二八頁=判タ八九〇号二六三頁。
(4)  最決平成九・一・二八刑集五一巻一号一頁。
(5)  最決平成一一・三・九公刊物未登載。
(6)  本決定前にこの問題を指摘したものとして、松宮・前掲『誤判の防止と救済』五二三頁がある。


  科刑上一罪の一部についての再審


    科刑上一罪の場合には、刑法五四条一項で「その最も重い刑により処断する」とされているため、「最も重い刑」に当たらない罪について事実誤認があったとしても、再審判決に一部無罪が明示されるわけではない。したがって、このような罪について原判決の事実認定を動揺させるような新証拠が提出されたとしても、具体的な量刑判断に踏み込まない限り、形式的には無罪や免訴、刑の免除、原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき証拠とはいえないことになる。しかし、これについて本決定は「その罪が最も重い罪ではないときであっても、主文において無罪の言渡しをすべき場合に準じて、刑訴法四三五条六号の再審事由に当たると解するのが相当である。」と述べた。
    これについて三好幹夫最高裁調査官は、(一)最も重い罪の場合に限定する説(臼井滋夫「再審」法律実務講座一二巻二七一五頁)、(二)量刑上ある程度のウェイトをもつ罪に限定する説(原原決定=「相当重大な比重を占める罪」)、(三)明らかに量刑に影響を及ぼさない罪については除外する説などがありうるとしつつ、(一)については、同時に二名を殺害したとされる事案などを考えれば、二名殺害という事実が量刑に影響していることなどから犯情の重い罪の場合だけに限定して再審を認めるのが必ずしも合理的とはいえず、(二)については、「ある程度」の内実はあいまいであり、そのようなあいまいな基準で再審請求の成否を決めるのは適当とはいえないし、(三)についても同様で、結局、量刑の如何にかかわらず再審を認めてその名誉の回復を図るべきであるともいえると述べている(1)。この立場からは、本決定は、科刑上一罪のうちのどの罪についても再審請求を許容する積極説の立場を明確にしたもので、「事実認定の誤りからの救済という点からすれば、科刑上一罪の一部の場合にも再審の途を開いておくのが相当であり、刑訴法四三五条六号の文理の上でもそう解することに特段の問題がないとして、積極説に踏み切ったものと推測される(2)。」ことになる。
    この点については、観念的競合および牽連犯という「科刑上一罪」はもともと併合罪の一種つまり数罪であって、ただ量刑政策上「その最も重い刑により処断」されるだけであるから、その一部の罪について「主文において無罪の言渡しをすべき場合に準じて」扱うのは当然であるといえよう。なお、通常の併合罪の場合との比較について、三好調査官はつぎのように述べている。すなわち、「積極説を採ることについては、さらに、上告審において原判決が有罪とした併合罪中の犯罪の一部が無罪であることが明らかになった場合でも、刑訴法四一一条にいわゆる不著反正義として破棄事由に該当しない場合があること(最二小判昭和三八・八・二三刑集一七巻六号六二八頁、最一小判昭和五二・一二・二二刑集三一巻七号一一七六頁参照)との比較において、上告審における破棄事由よりも再審の入口の方をより広くするとの批判があるかもしれない。しかし、確定判決が有罪とした併合罪の一部が無罪である場合に再審請求を認めるのは当然のこととして許容されており、この限りでは現在でも再審の入口の方が広いともいえることになる。右のような不著反正義の場合には、破棄こそされないものの、理由中で無罪の認定がなされるのが通例であるのに対し、再審請求を許さないとすれば、申立人の名誉回復の途は完全に閉ざされてしまうことになるわけであり、上告審よりも再審の入口の方を広げておくことに合理性がないわけではないと考えられる(3)。」と。
    筆者もまた、同様の理由で無限定説に賛意を表する。ただ、弁護人の特別抗告趣意が死者一名で死刑判決が出たのは現住建造物放火があったためで、放火が冤罪であると認められれば死刑判決はなかったと主張している点に鑑みれば、本決定の結論から、およそ量刑に影響を与えないと思われるような罪について再審請求を棄却する見解が、完全に排除されたわけではない。判例としての射程と理由中で述べられた裁判官の「学説」とは、区別されなければならないであろう(4)

(1)  三好・前掲ジュリスト一一四九号一一八頁。
(2)  三好・前掲一一九頁。
(3)  三好・前掲一一九頁。
(4)  寺崎・前掲現代刑事法九号七四頁は「原原決定の見解に立っても、本件で再審請求の適格性が認められることに変わりはな」いとしつつ、「職権判断を示すかどうかは最高裁の裁量に委ねられている」と解する。しかし、「職権判断」が常に、刑訴法四〇五条の意味での「判例」になるわけではない。「判例」の意味については、松宮孝明「『判例』について」浅田和茂ほか編著『井戸田侃先生古稀祝賀論文集・転換期の刑事法学』(一九九九)六七三頁以下を参照されたい。


  犯行態様に関する事実誤認


    犯行態様に関する事実誤認ないしその蓋然性と刑訴法四三五条六号の再審理由との関係については、本決定はかなり問題のある職権判断を示している。まず原決定は、原判決の認定した、Xがストーブを「足蹴にして横転」したという事実は認定できないとしつつ、Xがストーブを「前傾した状態に設置」したと「認定」し、かつ「再審請求の審判においては、確定判決の認定した犯罪事実と同一の構成要件に該当する事実や、確定判決の認定した犯罪事実よりも法定刑が軽くない他の構成要件に該当する事実を認定でき、かつ、それらの事実が確定判決の認定した事実と公訴事実の同一性を保っていると認められる場合には、結局、再審請求は理由がないことになると解される。」と述べて即時抗告を棄却した。これに対して本決定は、「原決定のように本件ストーブを前傾した状態に設置したとまで認定すべきか否かはともかくとしても」と述べつつ、より抽象的に、Xがストーブの「防護網を取り外して移動させ、その火力を利用して室内の机等に燃え移らせるようにして火を放」ったと「認定」した。
  この二つの決定に対しては、なぜ再審請求審が、公判手続によらずに独自の「事実認定」をできるのか、という疑問が指摘される(1)。この疑問は、本件の弁護人もまた、特別抗告趣意の中で、抗告審(=異議審)が申立人に対して検察官の証拠説明書に関する意見を聞かなかったことや、請求審および抗告審において請求人側からの証人尋問の申請が採用されなかったことを、申立人の「反論権」および「裁判を受ける権利」ないし「証人尋問権」の侵害であるとする中で示唆していたことであった。そこでは、「とりわけ、異議審は、・・共犯者Wの供述をもとに新たな放火行為を認定しているのであるから、同人の証拠調べは不可欠のはずである。」と指摘されていたのである(2)
    しかし問題は、再審請求審で「直接主義」「口頭主義」や「証人審問権」(憲法三七条二項)を保障して証拠調べをさせることではなく、むしろ、まさにこれらの証拠法則や被告人の権利が保障されていない請求審段階で「事実認定」を行うことにある。これが憲法上の疑義を生じさせることは、同じような憲法規定と再審規定をもつドイツの連邦憲法裁判所の一九九四年九月七日の決定(3)を参照すれば明らかになる。
  この決定は、再審裁判所が請求審段階で公判に留保されている証拠の評価や事実の認定を行うことは、憲法上禁止されているとして、つぎのように述べた。すなわち、「立法者の意思によれば、公判だけが、刑事責任の認定を委ねられているのであり、刑事手続の中核部分として、すべての重要な客観的および主観的事実の探知に向けられているのである。公判を追行することによって初めて、そしてまたまさにそれによって、裁判官は罪責問題に関する心証を形成することが可能となるのである。必要な証拠はすべて、被告人の権利が保障される中で、調べられなければならない。なぜなら、そこでは直接主義の原則が妥当するからである。つまり、公判で取り扱われた観点だけが、判決に結実することを許されるのである。」と。
  このような、請求審と公判とでの手続保障の相違を理由とする請求審での事実認定禁止は、基本的に、わが国の刑事手続にも妥当する。したがって、原決定はこの点で憲法三一条の保障する「適正手続」に違反し、かつ三二条の「裁判を受ける権利」や三七条二項の「証人審問権」の保障にも違反した可能性が高い。ゆえに、本決定がこれを看過したのは、重大な問題である。
    これに対して三好調査官は、覚せい剤自己使用罪の使用方法の認定に関する裁判例などを根拠に、「犯罪事実の認定において、犯行の態様を記載することは、もともと絶対的な要請ではない(4)。」と主張する。すなわち、「通常は、罪となるべき事実に『注射』『吸引』『嚥下』の使用方法の別を注射の部位、吸引、嚥下の方法まで具体的に特定して明示するが、尿中からの覚せい剤成分の検出により犯罪の成立に疑問の余地がないのに、被告人が否認しているため使用方法が不明である場合などは、特に犯行の態様を認定することなく、『身体に摂取した』として有罪を認定することが少なくない(5)。」とするのである。また、本件のような放火態様に関する事実誤認が「控訴審段階において判明したとしても、判決に影響しないとされるような事実誤認であるとすれば、再審において考慮すべきでないのは当然ということになるであろう(6)。」とも述べるとともに、さらに、再審請求審での別事実の認定の可否を原判決の「内容的確定力」の問題として捉えて、「犯行の態様というような細目的事項についてまで内容的確定力を肯定することはなさそうに思われ、そうであるとすれば、犯行の態様に事実誤認があることにより更に進んで申立人の犯人性が否定されるかどうかだけが最終的な問題として残ることになろう(7)。」とまで述べている。
    しかし、まず「罪となるべき事実」の特定限界の問題と、認定された「罪となるべき事実」が誤認であるかどうかという問題とには、直接の関係はない。たとえば、そこまで詳しく認定する必要がなかったとしても、「覚せい剤を注射して使用した」という認定がインシュリンの注射を誤解した目撃者の供述に依拠したものであれば、これは事実誤認であって、別の使用態様を認定するには、そのために公判で証拠調べをやり直さなければならない。
  つぎに、控訴審と再審請求審とを比較することにも理由がない。なぜなら、控訴審は「公判を開いて」新たな証拠調べを行う権能を有しており、原判決の認定を一部誤認であるとしつつ、公判での証拠調べに基づく自らの心証で、同一公訴事実に属する異なった犯行態様を認定することができるからである。しかし、再審請求審には公判手続で証拠調べをする権能はないのであり、それをするためには「公判再開の決定」すなわち再審開始決定をしなければならない。この点で、控訴審と再審請求審とを対比することは、決定的に誤っているのである。対比されるべきは、控訴審と再審公判である(8)
  最後に、公判再開=再審開始の要否に関して原判決の「内容的確定力」を持ち出すことも誤りである。なぜなら、民事訴訟においても、「内容的確定力」すなわち「既判力は、紛争解決のための本極りの規準として、後の別訴において、当事者および裁判所を拘束するもの(9)」であって、その効果が主文に限られるのは、「訴訟における紛争の解決は、当事者が意識的に審判を求めた紛争に対してのみ解決規準を示すたてまえをとっているから・・、既判力を生じさせてそれによる解決の終局性を保証すべき判断は、請求についての判断(訴訟判決の場合には、訴訟要件欠缺の判断、…)であるべき(10)」だと考えられているからである。したがって、それは決して、「後の別訴」ではないはずの再審請求審に関わるものではないし、そもそも「解決の終局性」すなわち「原判決の確定」自体を争う再審では、原判決の確定を前提とする「内容的確定力の限界」は問題にならない。問題は、あくまで、事実認定に関する諸原則や被告人の権利保障が妥当しない再審請求審において、別の犯行態様を「認定」して請求を棄却することが許されるかということである(11)

(1)  すでに原決定に対して、松宮・前掲『誤判の防止と救済』五二六頁以下参照。
(2)  刑集五二巻七号三七五頁参照。
(3)  BverfG NStZ 1995, S. 43. この決定の詳細については、松宮・前掲五二七頁以下参照。
(4)  三好・前掲一一九頁。
(5)  三好・前掲一一九頁。
(6)  三好・前掲一二〇頁。
(7)  三好・前掲一二〇頁。
(8)  寺崎・前掲現代刑事法九号七六頁も控訴審と再審請求審を対比するが、右に述べた理由から、それは誤りである。なお、この点については、さらに松宮孝明「ノヴァ型再審における請求審の構造について(二)完」南山法学一三巻四号(一九九〇)五三頁以下参照。
(9)  新堂幸司『新民事訴訟法』(一九九八)五七〇頁。
(10)  新堂・前掲書五八五頁。
(11)  山本・前掲判例時報一六七九号二四八頁は「再審制度も制度である以上、罪となるべき事実の認定に影響を及ぼさない程度の事実誤認は、再審請求の対象にされないことになるのではあるまいか。」とするが、これは、問題の焦点が、「別の犯行態様の認定」に関する手続保障が請求審では十分でない点にあることを看過したものである。


  原判決の基礎となっていない不利益証拠


    つぎに、原判決の証拠の標目にない不利益証拠や請求審で検察官から新たに提出された不利益証拠に基づいて犯罪事実を「認定」し、それを根拠に再審請求を棄却することが許されるか否かを検討しよう。
この問題についても、本決定の職権判断は疑問の余地を残すものである。すなわち、本決定は、「刑訴法四三五条六号の再審事由の存否を判断するに際しては、・・新証拠とその立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価し、新証拠が確定判決における事実認定について合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠(最高裁昭和四六年(し)第六七号同五〇年五月二〇日第一小法廷決定・刑集二九巻五号一七七頁、最高裁昭和四九年(し)第一一八号同五一年一〇月一二日第一小法廷決定・刑集三〇巻九号一六七三頁、最高裁平成五年(し)第四〇号同九年一月二八日第三小法廷決定・刑集五一巻一号一頁参照)であるか否かを判断すべきであ」るとして、「その総合的評価をするに当たっては、再審請求時に添付された新証拠及び確定判決が挙示した証拠のほか、たとい確定判決が挙示しなかったとしても、その審理中に提出されていた証拠、更には再審請求後の審理において新たに得られた他の証拠をもその検討の対象とすることができるものと解するのが相当である。」と述べている。
    しかし、まず、「新証拠とその立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価」するだけでは、新証拠の立証命題である放火態様に関わる証拠しか「総合評価」の対象とならないため、「強盗殺人およびその未遂」といった事実も含めた原判決の事実認定−それは、請求人に対する「死刑」という刑罰権の存在を根拠づける事実の認定である−の当否を判断することはできない。なぜなら、ここに引用されている「白鳥決定(1)」は、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたして「その確定判決においてなされたような事実認定」に到達していたであろうかどうかという観点から、「当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべき」(傍線筆者)であるとしていたからである。そして、そうでなければ、「死刑」という「判決」を変更する必要があるか否かも判断できないはずである。
  もちろん、請求審では本来の意味での事実認定がなされるのではなく、あくまで仮の心証形成にとどまる。しかし、いずれにせよ「その確定判決においてなされたような事実認定」に達するか否かを判断するためには、原判決の措信したすべての旧証拠を新証拠と総合して評価せざるをえず、したがって、原判決を支える旧証拠との「総合評価」に限定を付すことはできない。「限定付再評価説」はまだ成り立つが、「限定付総合評価説」は形容矛盾なのである。
    つぎに、「白鳥決定」のいう、「もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば」という文言は、「確定判決を下した裁判所」が措信しなかった積極証拠は措信しなかったものと評価せよという趣旨に解さざるをえないものである。なぜなら、「白鳥決定」に影響を与えたと見られる一九六四年七月二八日のドイツ連邦通常裁判所の決定(2)は、再審請求審は、「その証人の供述が判決に影響を与えていたという想定が排除されうるか否かという問いを、原判決を根拠にしてしか検討してはならない。それがこのような基礎にもとづいて確定できない場合には、再公判が命じられるべきである。」と判示し、「再審裁判所は、当時の裁判官が請求人の不利益に評価することのなかった証拠徴憑を、それがすでに知られていようといまいと、請求人に不利益に付け加えてはならない。」としていたからである。
  原判決の証拠の標目に掲げられなかった証拠は「措信されなかった」可能性を残すものである。そのような証拠を、「原判決もその信用性を認めていた」と勝手に推認して原認定維持の根拠とすることは、このような「推認」も、原判決が何も述べていない証拠について行われるがゆえに、一種の記録に基づく事実認定である。そのようなことをすると、請求人は、証拠の標目に掲げられていない証拠から請求審が心証を形成する過程に対して、証人を審問したり反証を提出したりするような、公判であれば権利として認められる事実認定過程への影響力の行使を妨げられる。その意味で、それは直接主義・口頭主義違反であるばかりでなく、訴訟手続に対する基本権の侵害でもある。ゆえに、証拠の標目に掲げられなかった証拠は、たとえ「措信された」可能性が残るものであったとしても、公判手続による証拠調べを行わない請求審では、「措信されなかった」ものとして総合評価の対象から除外すべきなのである。「白鳥決定」は、まさにそのような趣旨を含んでいるのである(3)
    同じように、検察官が新たに不利益な証拠を提出することや、それを基礎として新たな有罪「認定」を行うことは、請求審では禁止される。実際、そのようなことを許せば、証拠法則の妥当も手続保障もない有罪認定がまかり通ることになってしまう。それも、請求審は当事者追行主義を取らないので、検察官は「当事者」ではなく、単なる利害関係人にすぎないにもかかわらず、このような有罪認定が可能となるのである(4)
  もっとも、申立人が提出した新証拠の証明力を弾劾すること自体は、請求審でも許される。たとえば、新証拠がアリバイ証人の供述であった場合、その証人の虚言癖や供述内容の不自然さを指摘して、その信用性を弾劾することは、請求審段階でも許される。なぜなら、それは新証拠自体が、刑訴法四三五条六号の請求理由に適合するものか否かの判断だからである(5)
  しかし、本件で検察官が提出した海蔵寺鑑定は、そのような弾劾証拠ではない。なぜなら、それは新証拠が証明する、ストーブを「足蹴にして横転」させる方法で放火することは不可能であるという事実について、新証拠の証明力を減殺するものではないからである。それは、ストーブを「足蹴にして横転」させることは不可能であることを前提としつつ、別の方法で放火した可能性が残ることを証明しようとするものにすぎない。したがって、それは本来、証拠法則が妥当し手続保障もある公判でのみ取調べの許される積極証拠である(6)(7)

(1)  前掲最決昭和五〇・五・二〇刑集二九巻五号一七七頁。
(2)  BGHSt 19, 365.
(3)  寺崎・前掲現代刑事法九号七六頁以下は「証拠標目に掲げられていない証拠には信用性がないとは、いちがいに断定できない。」とする。たしかに、その通りである。しかし、ここでの問題の焦点は、そのような証拠に「信用性がある」という判断を、事実認定の権能のない再審請求審という場で行うことはできないということである。この問題について詳細は、松宮・前掲『誤判の防止と救済』五三二頁以下参照。
(4)  寺崎・前掲現代刑事法九号七七頁は「再審事由の存在を認める方向での証拠のみが、再審請求後に提出できるという片面的構成をする合理性は見当たらない。」とするが、それは、このような再審請求審の法的性格を看過したものである。
(5)  詳細は、松宮・前掲『誤判の防止と救済』五三五頁以下参照。
(6)  山本・前掲判例時報一六七九号二四九頁は「検察官の積極的な反対立証は二重の危険の原則からみて疑問があるようにも考えられる」とする。しかし、再審公判では、原判決はなかったものとして、あらためて有罪立証が行われ、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従って有罪・無罪の判断がなされるのであり、そのような立証活動は「二重の危険の原則」に反するものではない。問題の焦点は、ここでも、事実認定に関する手続保障のない再審請求審という場で、当事者でもない検察官の有罪立証を許すことはできないという点にある。
(7)  この点、加藤俊治検事は、海蔵寺鑑定を「新証拠の信用性を弾劾する関係にある」と考えているようである。しかし、それは右に述べた理由から誤りである。加藤・前掲研修六一五号二八頁。


  「総合評価」の意味


    本決定については、「確定判決を下した裁判所の審理中に提出された積極消極の全部の証拠を検討の対象とすべきであるという白鳥決定と同一の立場に立つもの(1)」とする評価がある。しかし、先に述べた理由から、それは疑わしい。そもそも「新証拠とその立証命題に関連する他の全証拠」という形で「総合評価」に限定を付すことは論理的に成り立たないし、逆に、不利益証拠については、証拠の標目に掲げられなかった旧証拠や請求審段階で提出された不利益証拠を基礎にして新たな有罪「認定」を行うことで請求を棄却するというのは、事実認定に関する証拠法則の妥当を否定し被告人に対する手続保障を奪うことであり、憲法三一条以下の諸規定に対する違反の疑いを払拭しえない。何よりも、これでは、利益証拠である新証拠については評価対象を限定し、不利益証拠については公判での手続保障なしに無制限にその評価が許されるという、とんでもないアンバランスが許されることになってしまう(2)。本決定も、まさか、そこまでの覚悟を示したわけではあるまい。
    その点、学説が従来から主張してきた「証拠構造論(3)」は、実は、このような「事実認定は公判で行うべきものであり、請求審はその再開の要否を判断する予備的な手続にすぎない」という現行再審手続の基本に立脚したものとして理解されるべきである。そのような意味での「証拠構造論」を無視した「総合評価」はありえない。仮にあるとすれば、それは実際には、公判で保障されている「被告人の基本権」を侵害する一方的な書面審理での「有罪認定」であって、違憲の疑いを免れないであろう。また、同時に、「証拠構造分析」の名の下に、原判決の判決理由と異なる「証拠構造」を記録から「推認」することも許されない(4)。基準とされるべきは、あくまで「判決理由」なのである(5)

(1)  三好・前掲一二一頁。
(2)  大出・前掲『平成一〇年度重要判例解説』一九六頁も、「このままでは、手続的保障が十分でない事実上の『覆審』が行われることになり、あらためて再審請求審のあり方が問われることにならざるをえないであろう。」とする。
(3)  その代表は、光藤景皎「再審の基本構造」法学雑誌二六巻一号(一九七九)四五頁である。
(4)  したがって、佐藤博史「再審請求における証拠構造分析」芝原邦爾ほか編『松尾浩也先生古稀祝賀論文集下卷
』(一九九八)六三四頁以下の理解も、ミスリーディングである。
(5)  本稿の趣旨は、現行法は「他の事実を認定して有罪判断を維持する場合には、それは事実認定に関する手続保障のある公判における証拠調べに基づくものでなければならない。」としている、というものである。このような指摘に対しては、「いずれにせよ有罪判断が維持されるなら、再審公判よりも再審請求審のほうが結論が早く無駄が省ける。」という趣旨の反論が予想される。しかし、このような反論こそ、刑事の事実認定手続における証拠法則の意義や被告人らに対する適正手続保障の意味を看過したものである。証拠調べに対する請求人−公判が再開されれば被告人−の参画を保障せず、その反論を聞かないまま進められる検察側積極証拠の取調べの結果が、証拠法則と被告人に対する手続保障が妥当する公判での事実認定と質的に同じものだと考えること自体が、すでに手続法全体の持つ意義を見誤ったものである。