師曠&ケンズイシさん |
||||||||||||||||||
<八月四号> 関西空港より上海へ向かった。参加者は16人。2時間弱で上海に到着した。日本とはあきらかに違う空気にふれながら、中国に来たことをしみじみと感じた。 空港からはバスで上海中心部へ向かう。畑と小さな家だけのサッパリとした郊外の中を、空港直通の道路とリニアモーターカーの線路が突き抜けてゆく。ガイド さんの話によれば、リニアモーターカーの実用化は世界初。最初は観光客向けの運賃であったが、最近一般向けになったとか。周辺は次第にマンション、アパートが目立ち始め、都市部に入った。 私は4年前に観光で中国を訪れたことがあるが、今回いくつか変わっている点があった。例えば道路。車の台数が多くなり、街路樹も大きくなっている。他には、都市が拡大した感じがする。逆に変わらないのは、乞食やスリの多さだ。「上海は常に変化している」といわれるが、外見だけのように感じた。 都市部に入り、黄浦江沿いを通ると古い西洋風の建築物が立ち並んでいる。19世紀に欧米人によっ て建てられたもので、現在は銀行などになっている。そこで一度バスを降り、川べりを散策した。その後、夕食をとり国内線で屯渓へと向かう。雷雨により1時 間ほど遅れたが問題なく到着した。 屯渓の飛行場は広々とした平原のなかにあり、田舎に来たことを感じさせられた。ホテルには23時ごろ到着した。
|
||||||||||||||||||
<八月五号>
見学の後、宏村へ向かった。宏村は明清時代の集落がそのまま残っている集落で、世界遺産となっている。宏村は牛の形のようになっており、私たちはその「牛」の腹の部分から中に入った。家と家の間の路地を抜けていくと池に突き当たった。正面には仏殿があるが仏像は無い。文化大革命時に壊されてしまったそうだ。
その後、商人の家などを見学した。役人と商人・一般人とでは家のつくりや装飾が違うらしい。例えば、家の装飾の彫り物。役人は龍の彫り物をしてもいいが、一般人は花鳥の彫り物しか許されていない。また、役人は3階建ての家を建てても良いが、一般人は平屋か2階建てに限られる、といったことなどである。私たちは家々の細かい装飾や仕掛けに注目しながら見学した。 続いて、西逓という村を見学した。宏村と同じく、明清時代の建物が残る集落である。宏村とさして変わらないが、鳥居のような建物(牌坊)があった。ガイドさんの話によれば、その土地の出身の人が功績を収めたことを賞して、その時代の朝廷が立てたものだという。 最後に許国石坊の見学に行った。許国石坊とは先ほど述べた鳥居のような建物で、明の時代に武英殿大学士の許国の功績を讃えるために建てられたそうだ。非常に細かい装飾がされていた。 その後、近くの太白楼で集合写真を撮り、屯渓老街を散策、品茶を楽しみ、胡開文の製墨工場を見学した。墨作り工程の説明を受け、型押し作業の実演を見たあと、土産の徽墨を買って、ホテルに戻った。
|
||||||||||||||||||
<八月六号>
まずは始信峰を目指して歩き出した。霧中に奇岩が現われ、目を奪われた。ホテルに到着して昼食をとり、それから午後の登山となった。登山といっても泥だら けの山道を歩いたわけではなく、石やコンクリートで整備された階段を歩いた。途中、黒虎松や連理松など様々ないわれのある松、飛来石、切り立った崖、展望台などをゆっくり見て、その絶景を楽しんだ。足に疲れが溜まり、息も上がって辛かったが、日本ではまず見られないような綺麗な景色のおかげで、多少気分が楽になった。
どれぐらい歩いただろうか。日が傾きかけた頃、ようやく山頂、高峰光明頂(?)に着いた。標高は1,840m。測候所もあって、とにかく高い。周りの山々を見下ろし、その絶景をしっかりと目に焼き付けてから下山した。 下山後、ホテルで少し休憩し、ロープウェイの駅へ夕日見物にでかけた。残念ながら霧や雲で見ることができなかったが、山々を縫って激しく流れる霧を楽しむことができた。
|
||||||||||||||||||
<八月七号>
その後、ホテルに戻り、朝食をとってから、7時すぎにロープウェイ(太平索道)で下山した。
次の目的地は涇県の宣紙博物館であったがとにかく遠い。途中、李白の詩に詠われた桃花潭を目指したが、道路事情で行けず、半日バスに乗る結果となった。ようやく涇県に着いて昼食をとったのだが、そこで変わった豆腐に出会うことになった。特別おいしいわけではなかったが弾力性に富んでいて、なぜか黒く着色されているのである。私は物珍しさから何度か箸を運んだ。
昼食後、宣紙博物館に向かった。バスの中が涼しかったこともあるだろうが、非常に暑く感じた。館内は冷房がないため、説明を聞いている間、少し辛く感じた。 宣紙博物館には、紙の原料である材木や製作工程、紙すきなどの道具や様々な紙の展示などもあった。また、同じ館内に併設されている百匾堂や三呉紀念館も見学した。
見学後、宣城の太白独坐楼へむかった。太白独坐楼は敬亭山の山中に建てられている。それほど高い場所にあるわけでもないが、暑さや前日の黄山登山で少しこたえた。山を登り、竹やぶに入っていくと玉真公主の墓と井戸に出くわした。そして、竹やぶを抜けると翠雲庵という寺と目的の太白独坐楼に到着した。楼の中には、李白の石像があり二階はちょっとした展示室となっている。二階で風景を望み、見学した後、広教寺を少し見学してからバスに戻り、蕪湖市へ向かった。
|
||||||||||||||||||
<八月八号> まずは涂県の「李白墓園」。
続いて朱然の墓(三国朱然墓文物陳列館)だ。 墓室を見学することが出来たが、そこに置かれていた木棺は、複製品だった。
朱然墓は1984年6月に発掘され、多数の副葬品が出土したため、80年代中国十大考古学的発見のトップにあげられている。
また、太白楼(馬鞍山市・采石磯)にもいった。ここでは酒樽を抱いて横になっている李白の像と、金色の直立している李白の印鑑を買った。どうやら5年ぶりに李白の印鑑は売れたらしい。
この日の自由時間には、町のほうに出かけてみた。まず、最初に目に付いたのは路上の本屋。いろいろな本が売っていたが一番気になったのが中国版ドラゴ●ボール。「龍珠」と書いてあったが表紙に出ていたのは悟空とフリー●だったので即購入。 つぎにデパートのような所に行ったが、日本のデパートと比べて全体的に薄暗い感じがした。ソニ●の偽物が売っていたり仮面●イダーの偽物があったりと、なかなか楽しかった。
|
||||||||||||||||||
<八月九号>
「覇王祠」は鳳凰山という丘の上に建てられていた。
続いて、西漢古墓博物館を見学した。西漢古墓博物館のそばにはゴミが山積みになっていた。割とゴミはポイ捨てらしい。
また、周瑜の墓も見学した。周瑜墓はまだ観光地化しておらず、入場料もいらないようだ(本当か?)。
|
||||||||||||||||||
<八月十号>
淮南王劉安ゆかりの八公山。左下は、「石林」の説明板。八公山の麓から中腹にかけては、約5億5千万年前の石灰岩が浸食されてできた奇岩がむきだしになっていて、「石林景区」と呼ばれている。 石の高さは、大きいもので数m、小さいもので数十㎝。
|
||||||||||||||||||
<八月十一号>
午後は上海でお買い物。とにかく吹っかけてくるので値切るのが大変。生まれて初めて値切ったので、とても疲れた。ここでは関羽の銅像や、諸葛亮の銅像、そして出師の表の木簡とたくさん買い物をした。この時点でお土産はトランクに入らないくらいになっていた。
|
||||||||||||||||||
<八月十二号> 最初に運河に架かる石橋(放生橋)を見学し、家々の間を通って町の雰囲気を楽しんだ。その後、観光客向けの小船に乗せてもらい、運河を周遊した。運河沿いの道では、洗濯するもの、商売をするもの、お茶を飲んでいるものなどさまざまで、生活感が現れていた。
今回の旅行は、中国文学を専門とされる先生がたと御一緒できたことで、普通のツアーでは訪れられないような、珍しい古跡に立ち寄ることができた。しかも先 生がたに親切に説明していただき、その古跡にまつわる歴史・物語にまで触れることができた。また中国に戻ってきたくなるような、そんな中国の魅力を満喫した一週間だった。
|
||||||||||||||||||
お問い合わせはこちら © Ritsumeikan Univ. All rights reserved.