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文学部で教鞭をとるなんて思ってもみなかった
はっきりいって学生時代は「文学」になんて関心がなかった。高校までの国語の時間にはいろんな文学作品を読まされるからそれなりに勉強もしたが、その方面での主体的な関心の広がり/深まりは、なかった。物心ついたころから、ただ絵を描くのが好きだった。高校3 年生のとき、そういう好きなことをやって食っていくヤツが世の中にいるのだと思うと口惜しくなって、美術系大学に進学した。個展も2度開いて、作家としての自立心も固まってきたころ、藤枝晃雄というひとの美術批評と出会った。批評集に収まっていないものは雑誌のバックナンバーにも当たる、ってな感じでそのひとの文章を貪り読んだ。それまで作家に寄生するだけの存在と思い込んでいた評論(批評)や研究の生産性に、急に開眼した。
さて、そこからもまだ長い、この総合大学の文学部の教壇に立つに至るまでのプロセスは詳らかにしないが、いずれにしてもそんなものだから私は、確信犯的に文学を志向する学生もさることながら、「間違って文学部に入っちゃいました」みたいな顔をしている新入生に美や芸術や文学の話をして「まんざらでもないかも」と思わせるのが好きだったりする。
かなりガンコなモダニストである/ことを隠している(?)
それはさておき、私はかなりの多重人格である。三重、四重、・・・となっていくと最後は丸くなって平凡に帰すものだから、ここでは「教壇での私」と「紙の上の私」の二重性のみを強調しておくのだが、上述のように教壇ではサーヴィス精神旺盛に文学(広義の)の世界に誘う使者たらんとしている反面、紙の上ではただもう自分の価値観でバッサバッサとモノをいう、の感がある。ちなみに、その私が拠って立つ価値観は、モダニズムと呼び習わされる。
「ヴァージニア・ウルフは1910 年に(文学の)モダニズムが始まったと語ったが、同様の独断を許すなら、美術のそれの起源はおよそ1860年代と画定される。
広く社会/文化全般の近代化=合理化にかかわる(その意味では18世紀に発する)この概念に、美術に固有の意味合いを与えた評論家グリーンバーグによれば、彫塑的な奥行きを減じるマネの絵画は、ボードレール流の主題の現代性もさることながら、メディウム(媒体)が不純なものを捨象して自律化するカント流の自己批判の、美術における嚆矢となる。[後略]」
二十歳台の私がある小事典に寄せた解説を引いたのだが、安心してほしい――上に書いたように、教壇の上の私は、こんな小難しいことにほとんど触れないばかりか、最近は音楽や映画やら雑多な表現の紹介者として、あのサーヴィス精神にますます磨きをかけているのだから。
実際、そんなこともあってゼミは多様な関心の吹き溜まりのようだ。指導教員と同じ現代美術の分野で卒論を書く者は稀で、なかには指導教員の専攻を知らない不埒な者もいる。うん、しかしそれでも私は、そういう状況こそを喜ばしく思っているのである。
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