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2021/8/27

No.90「コロナ渦で試される“さんしゃ力”」
●2005年博士課程後期修了:中澤 敬英さん

学部での恩師との出会い

 私がニュージーランドへ移住するきっかけとなったのは、産業社会学部での学びと恩師との出会いにありました。産社では発達福祉を専攻し、担当教員の芝田英昭先生(現立教大学教授)の勧めもあり、卒業後、社会学研究科に進みました。修士課程一年目の夏休みに、芝田先生の誘いから、ニュージーランドへ行く機会に恵まれ、私の人生は大きな転換を迎えます。現地でニュージーランドの魅力に惹きつけられた私は、同国の社会保障制度を研究目的に本格的な移住を決意しました。

学部での学問と雑誌作り

 ここまで聞けば、順風満帆のようですが、私は特に英語力が優れていたわけでも、経済的に余裕があったわけでもなかったため、ワーキングホリデー制度を利用して渡航し、働きながら研究するという選択をしました。当然ながら英語もおぼつかない状態だったため、現地での生活は最初、とても苦労しました。そんな中、少しでも自分の研究に繋げられるようにという理由で、現地の邦人誌の編集者として働くことになりました。

 学部で、社会学や経済学から心理学、教育学、メディアリテラシーに至るまで、多岐にわたる学問に触れていた私にとって、総合生活情報誌の編集という仕事は天職でした。最初は専門としていた政治や社会に関する記事を中心に、取材や執筆活動を行っていました。半年後、編集長に就任する頃には、雑誌作りにやりがいを感じ、同国での同誌の認知度を高めることを目標に仕事をしていました。その一年後には、巻頭インタビューにニュージーランドの芸能人や著名人を起用するなど、同国のトレンドを全面的に取り入れ、雑誌の大幅なリニューアルを行いました。これに伴い、現地からの評判と注目を集め、外国語情報誌としては確固たる地位を築いていきました。この頃になると私の関心は、研究よりもメディアへと移行していました。その後、私は、現在の勤め先であるニュージーランド政府観光局へ就職することになります。それまでのキャリアを生かし、メディア担当として、海外からのテレビ番組や雑誌などのメディア対応を行うこととなりました。2019年に日本で開催されたラグビー・ワールドカップ期間中には、ニュージーランドのプロモーション活動のため、十数年ぶりに数カ月の日本での滞在を楽しみ、学生時代の恩師や友人たちとの再会を果たしました。

With/Afterコロナを見据えた取り組み

 新型コロナウイルスは、ニュージーランドの主要産業である観光業に大きな影響を与え、同局においても大きな転換が迫られています。イベント部門に異動した私の当面の課題は、コロナ渦とWith/Afterコロナを見越した、新たな観光イベントに対するビジネス戦略とビジネスモデルの立案と構築です。それには、従来の会場型のイベントからオンライン型へプラットフォームへ変換することが含まれます。その関連では、私を含めたプロジェクトチームが、先の6月に、オーストラリアのトラベル・エージェントを対象としたバーチャル旅行見本市を行いました。新たなプラットフォームの導入は、成功を収めただけではなく、参加者から多くの反響を得ました。

コロナ渦で試される“さんしゃ力”

 簡単にですが、私の人生の一部を紹介させていただきました。正直なところ、今の私は、大学時代に思い描いた人生とは、まったく別の道を歩んでいる気がしますが、思えば、それもまた必然だったのかもしれません。

 学生時代の恩師や友人、ニュージーランドとの出会い、学部での学びとメディアとの出会い、コロナ渦における適応力やチャレンジ精神は、グローバル化や情報化が急速に進んだ、激動の学生時代に培われたものだと思います。また、大学時代に友人の下宿で夜な夜な他愛もないことを語り尽くしたことや、四半世紀にわたる恩師との絆は、社会における自分のコミュニケーション力の基礎となっています。コロナ渦において多様性や柔軟性が求められるこの時代に、私を形成してきた「さんしゃ力」が、ますます試されている気がします。

 現在学生の皆さんも、学部で学び、感じ取ること、そしてそこで出会う人たちのすべてが、将来の自己を模っていくものだと思いますので、ぜひ、かけがえのない学生時代の一瞬一瞬を大切にしてください。

●中澤 敬英
(なかざわ たかひで)

修了年月日 2005年3月
博士課程後期修了
出 身 地 北海道
現 住 所 ニュージーランド・オークランド
勤 務 先 ニュージーランド政府観光局
ゼ ミ 名 芝田英昭ゼミ
所属サークル
団 体
セツルメント