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2021/10/11

No.91「I miss you, KENTARO.」
●1997年卒業:赤塚 滋行さん

堅太郎先生

 ⽇本そば屋の四代⽬として東京築地で⽣まれ育ち、きっと将来は店を継ぐだろうな、と考え始め た ⾼3の時、では⼤学の間だけでも東京ではない所に⾏ってみよう、と思ったのがきっかけで、⽴命館の⼊試パンフを⼿にしました。何事にも積極的に動いている学校の姿勢に魅⼒を感じ、⼥⼦も多いし、という理由で産社を受験し、無事⼊学しました。

 1回⽣の基礎演習から4回⽣のゼミまで、林堅太郎先⽣にお世話になりました。ゼミ委員⻑を務めさせていただきました。

 ⼊学直後の平野神社の花⾒から、蓬莱セミナーハウスでのBBQ、スキー合宿、⽴同戦やライスボウルの応援、そして卒業しても「オール堅太郎」など、何かしら理由を付けて、堅太郎先⽣と酒を飲みました。堅太郎先⽣はいつも多くの学⽣や卒業⽣に慕われ、常に活⼒に満ちていらっしゃいました。⼈とのコミニュケーション、本⾳で話のできる友⼈、そういう⼈の繋がりの⼤切さを学ばせていただき、今の商売にも活かすことができています。まずは堅太郎先⽣のご冥福を⼼よりお祈り申し上げたいと思います。

パラダイス産社に乾杯

 当時の産社はスポーツ推薦の集まりみたいなところがあって、堅太郎ゼミにも野球‧アメフト‧バスケ‧ラグビーなどに所属するメンバーがいました。勉強が苦⼿な彼らの、代返?代筆??をしているうちに仲がよくなりましたが、ストイックに⾃分を追い込み、⾼い⽬標を⽬指して努⼒を続けている、アホだけど尊敬できる、そんな友⼈たちでした。堅太郎先⽣も彼らにとても理解があり、いつも⼀緒に試合の応援に⾏っていたのですが、4回⽣のゼミの初⽇、堅太郎先⽣が「試合や就活でみんな忙しいから、毎週⽉曜⽇のゼミの後は懇親会にしようや。委員⻑、頼むで!」と勅命を受け、以降、⽉曜⽇の夜はゼミの⼀貫として飲み会のセッティングをすることになりました。あくまで堅太郎先⽣のご指導の元、⽇曜⽇はスポーツ観戦で帰りに河原町か梅⽥で飲み会、翌⽇⽉曜⽇はゼミ終わりで⽩梅町で飲み会。ゼミ以外の友⼈が参加してもいつでも⼤歓迎、みんなで堅太郎先⽣と乾杯です。まさに「パラダイス産社」。楽しい思い出しかありません。

コロナ禍で再確認した繋がり

 築地の店舗には、東京校友会の茨⽊会⻑、⽵内前会⻑をはじめ、多くの校友の皆さんにご来店いただいています。「アスリッツ」と⾔って、体育会出⾝の校友の皆さんの交流会なども開催させて頂いて、毎回⼤いに盛り上がっています。これからも堅太郎先⽣のようにおおらかな気持ちで⼈と接し、たくさんの⼈たちが集まってくる店でいたいと思いっています。

 またコロナ禍で通常の営業ができなくなった時、校友の皆様よりたくさんのお蕎⻨のご注⽂をいただき、全国に発送させていただきました。校友が沖縄で養殖している「海ぶどう」を使った新商品も⼤⼈気です。校友の皆さんに応援していただいて、こんなコロナ渦でも毎⽇楽しく商売ができています。⼈のつながりこそ何よりの財産、そんな財産を築けた⽴命館には感謝しかありません。

 東京にお出掛けの際にはぜひお⽴ち寄りいただければうれしいです。

●赤塚 滋行
(あかつか しげゆき)

卒業年月日 1997年3月 卒業
出 身 地 東京都
現 住 所 東京都
勤 務 先 築地さらしなの⾥店主
ゼ ミ 名 林堅太郎ゼミ
所属サークル
団 体
軟式野球サークル
「ドジャース」