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「神聖な義務」論争をめぐって
(報告要旨)
北村健太郎(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
第76回日本社会学会大会(於:中央大学)2003/10/13午前 福祉・保健・医療(5)



1.問題の所在

  血友病そのものをテーマとする論文は少ない。近年では薬害の発生により、血友病は薬害との関連で語られやすい。しかし、血友病者とその家族を取り巻く現実を薬害の文脈だけで語ることは一面的であって、血友病への理解が偏る可能性がある。本報告では、生命倫理や出生前診断を考察する際の象徴的な出来事である「神聖な義務」論争を改めて整理し、血友病者にとっての「神聖な義務」論争の意味を考察する。それを通じて、血友病者の歴史を明らかにすることを試みる。ここでは、先天性血液凝固第[因子障害(血友病A)と先天性血液凝固第\因子障害(血友病B)を総称して、血友病と呼ぶことにする。

2.「神聖な義務」論争

  「神聖な義務」論争とは、1980年秋に大西巨人と渡部昇一を中心に起こった論争である。渡部昇一は、エッセイ「古語俗解『神聖な義務』」(『週刊文春』10月2日号)で、2人の血友病児の父親である大西巨人を名指しした上で、長男が血友病と分かっていて次男をもうけたことについて「現在では治癒不可能な悪性の遺伝病をもつ子どもを作るような試みは慎んだ方が人間の尊厳にふさわしいものだと思う」と述べた。10月15日の朝日新聞が「大西巨人氏vs.渡部昇一氏」と題して大西の反論を大きく取り扱った。大西のほか、横田弘を会長とする「青い芝の会」神奈川県連合会、高史明、木田盈四郎、本多勝一らが反論しているが、その巧みな文章は批判しにくい。第1に「断種」といっても、あくまでも「自発的受胎調節」であり、「強制」ではない。第2に「既に生まれた生命」は尊重し、「受胎以前における親の慎重な配慮」を求めるものだと言う。第3に「社会の負担」の点でも、「既に生まれた子供のために、1千500万円もの治療費を税金から使うというのは、日本の富裕度と文明度を示すもの」で喜ばしい、と述べる(傍点原文)。渡部の謝罪はなく、特に社会的制裁も受けていない。(cf.http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/kk01.htm

3.当時の血友病者とその家族

  「神聖な義務」を批判したのは、大西以外を除けば、ほかは血友病者とその家族以外である。なぜ、当事者の意見が(少なくとも目立つところに)出ていないのか。1980年当時、「全国ヘモフィリア友の会」は公費負担の年齢制限撤廃に取り組んでいた。公費負担の要求は社会に医療費の負担を求める運動であるから、第3の社会的負担の論点に直接に関わる。しかし、社会の理解を得て負担を軽減しようとする親中心の運動において「社会的負担を避けたい」という社会を正面切って敵に回すような主張はしにくい。血友病者の歴史の中で「神聖な義務」論争は、血友病者の存在がマスメディア上で堂々と否定された出来事である。しかし親たちは、渡部への怒りよりも我が子の出血の痛みが少しでも軽減することを願ったのではないか。その具体的な行動のひとつが、年齢制限撤廃運動だったと考える。「神聖な義務」から20年余りが過ぎたが、この間に血友病者の何が変わり、何が変わっていないのか、血友病者自身への聞き取りを進めていく必要がある。


UP:20030818 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/1013kk.htm
北村健太郎  ◇日本社会学会http://www.arsvi.com/0a/jss.htm 

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